>やえちゃんから励ましのお言葉をいただいた(9月1日分)。
>うう。人の情けが身にしみる。今度おにーさんといいとこ行こう(笑)。
官僚さんの言ういいとこ
1.料亭
2.高級クラブ
3.ノーパンしゃぶしゃぶ
えーと、やえはどうしたらいいのでしょうか。
なんて言ってるから官僚さんが悪く見られちゃうんですよね(笑)
最近は世間の目が厳しいですから、高級官僚さんはむしろこういう派手なところは嫌う傾向があります。
やっぱり民間の方がこういうところよく使っているみたいです。
民間の方が絶対にお金持ってるんですもん。
もちろん大企業の上層部の方々なんでしょうけどね。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
最近、ちょっと今までとは雰囲気が違う文章をアップしていますから、ウチらしくないと言われそうなので、今日はちょっと頑張って二回目更新で、アサヒでも叩くことにします。
当サイトのことを「国粋主義、小泉マンセー、アサヒ逝ってよしサイト」なんて紹介してくださっていたサイトさんをお見かけしたこともありますし。
えー(笑)
というワケで、ネタは9月1日の朝日新聞朝刊、社説です。
該当箇所を引用します。
「政治空白」では困る
ところが、霞ヶ関の官僚からは「今回は大したことはやれない」という声が漏れる。年金改革には早々と先送りムードが漂いはじめた。地方税や地方交付税制度などの改革でも、小手先の調整でお茶を濁そうとする動きが出ている。
「時間がない」からだという。今月の自民党総裁選挙を皮切りに、政治の季節が始まる。内閣改造があり、総選挙も予想させれる。その間の「政治空白」が大きく、「年末までの短期間で取り組むには、いずれのテーマも荷が重い」というのだ。
ちょっと待ってくれ。話が逆ではないか。政治の季節こそ、難題に突破口を見いだし、実行するチャンスではないのか。
「政治空白」は、まことに日本の政治の実体を示す言葉である。政党の活動が選挙戦術に集中し、政策への関心は薄れる。
与党の顔を立てたり、根回ししたり、官僚特異の調整作業も中断する。官僚の手の上で政党が踊る日本では、政策実行が滞るのも当然だ、との空気がある。
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さすがにアサヒ、一見なんの気無しにざっと読み流してしまうともっともなことが書いてあるように見えます。
この辺の巧妙さはサスガです。
しかしよく考えてみてください。
この一文を簡単に説明しますと、「政治は官僚主導型→選挙という政治の季節になる→つまり「政治空白」になる→だから政策が進まない」ということですが、この一文の流れの主語が「官僚主導型」では、日本語としてはちょっと意味が通りません。
政策が進まなくなる原因の「政治空白」とは、「選挙になると政治家が選挙に手一杯になるから政策が止まる」という事ですから、これは政治家だけの事情であって、ここに官僚が入り込む余地はありません。
官僚は選挙は関係ないですからね。
だから本当に官僚主導型政治であれば、政治家は不必要のハズですから、選挙があろうが無かろうが、いやむしろ政治家がいない方がスムーズに政策が進むんじゃないかと思います。
つまりこのアサヒの社説はまったくのデタラメなのです。
「政治空白」→「政策が止まる」=「政治家主導政治」
であるのが明白であるのに、アサヒ式の考え方だと「官僚主導政治」が前提で、むしろ「官僚主導型」でなくては困る、というのがアサヒ式ですから、
「官僚主導政治」→「政治空白」=「政策が止まる」
という、簡潔に書くとワケが分からない方程式になってしまっているのです。
もう一つ言葉のマジックがあります。
さすがにアサヒでも「官僚主導政治」→「政治空白」=「政策が止まる」という方程式が滅茶苦茶だというのは理解できるようなので、この方程式を成り立たせるためにもう一つキーワードを入れて接着剤の役割をさせています。
それが、「与党の顔を立てたり、根回ししたり、官僚特異の調整作業」です。
方程式にすると、
「官僚主導政治」→「政治空白(政治家がいない)」→「官僚特異の調整作業が出来ない」=「政策が止まる」
ということになり、なるほどこれなら納得だというマジックの出来上がりなのです。
しかしよく考えてみてください。
どちらにしても政治家がここに存在しないとこの方程式は成り立たないのですから、完全な官僚主導政治ではないのはすでに明らかなのです。
「根回しをする」ということは「根回しをしなければ話が進まない」ということの裏返しですから、どっちに主導権があるかと言えば、やはり政治家側なんですね。
政治家が首を縦に振らないと話が進まないのですから、だからこそ根回しが必要になってくるのです。
それでも「結局政策や法案を作ってるのは官僚じゃないか。実質的には官僚主導だ」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
しかしそう考えてしまうのもアサヒ特異の言葉のマジックなのです。
この「官僚特異の調整作業」という言葉は、いかにも汚らしい人間が行う汚らしい作業のようなイメージの、典型的なレッテル張りなのです。
例えばアサヒにかかれば「新しい教科書をつくる会」も「右翼」とされてしまいます。
だから、中身を見ずして形だけの言葉に惑わされていたら、アサヒのまさに思うつぼです。
以前「法律が出来るまで」で書きましたように、法案や政策を行う場合には、必ず与党である自民党の意向を受けてから、その後役所で実務作業が行われます。
詳しくはそちらをご覧になっていただきたいのですが、自民党内では必ず政治家が主導となって議論をしていますし、時には役人さんを怒鳴りつけるような場面もしばしばあります。
もし、「怒鳴られること=調整作業」というのであればアサヒの方程式もそのまま正しいということになりますが、しかしそれは決して「官僚主導」とは言わないでしょう。
簡単に方程式で書き出すならば
「官僚主導政治」→「政治空白(政治家がいない)」→「官僚特異の調整作業が出来ない」=「政策が止まる」
ではなく
「政治空白」→「自民党での政策協議・議論が出来ない」→「官僚も実務作業に入れない」=「政策が止まる」
ということなのです。
この方程式は官僚主導型とはさすがに呼べないシロモノだと思いますし、そしてこれが現実なのです。
結局、「調整作業」というのも卑怯なレッテル張りで、つまりアサヒ式方程式もこれで完全に崩れたことになり、「官僚主導政治」というのもただのレッテル張りということが明らかになったと思います。
「官僚主導型政治」とはアサヒ以外のマスメディアでもよく使われる言葉ですが、これは全く現実を無視した批判のために作り出されたような言葉でしかないのです。
現実は当然の事ながら「政治家主導型政治」なのです。
本当にアサヒは批判のための批判しかできないくだらない新聞ですね。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、政治家さんも官僚さんも応援しています。
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