年金を扱っている番組を見ているのですが、どうもやはり「損か得か」という観点でしか扱っていないんです。
でも前言いましたように、年金はそういう考え方で出来ているのではないんですね。
この番組は、よくあるように国を批判するためだけの浅ましい番組ではなく、年金は大切だということを言っているのでまだマシなんですが、それでも損得だけで年金を説明しても、はたしてそれで100%納得できるのか疑問です。
そもそもの年金の精神こそをちゃんと伝えて欲しいモノと思います。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
人質家族達が先日15万人の署名を官邸に提出したというニュースはご存じの方も多いと思いますが、あれってなんの署名なんですかね。
というのも、テレビなんかでは「早期解放に向けての努力を求む署名」とかなんとか言っていたような気がしますが、よくよく調べてみたら、それとあわせて「自衛隊の即時撤退を求める」という文言も入っているとのことで。
これって卑怯なんじゃないですかね。
署名のフォーマットなんてものが法的に定められているワケではないのでしょうからどう作っても自由と言えば自由ですが、しかし一つの署名に二つの主張をいれるというのは、常識的に考えてオカシイのではないかと思います。
「早期解放に向けての努力を求む」なんてことに反対する日本人がいるハズがないのは明らかですが、しかし自衛隊撤退に対しては意見が分かれるところですから、この二つを併記して署名させるというのは、「早期解決を求める署名」をエサにして「自衛隊撤退の署名」まで書かせている、と言えてしまうのではないでしょうか。
テレビ朝日での世論調査でさえ、自衛隊残留派よりも撤退派の方が少ないと出ているぐらいですから、署名15万人全てが「自衛隊撤退」と思っているとはとても思えません。
この署名は明らかに常識を逸脱していると思います。
つまりこの署名は、人質の命を盾にして自衛隊撤退という政治的要求をしている、と言えるのではないでしょうか。
あれ?
これってテロリズム?
人質の家族はこんなことをしているから煙たがられるのです。
今スレ式板で「自作自演の可能性を考えるスレ」というのを立ち上げているのですが、そこで
それにしても、今回の事件について国民の大多数の皆さんはどう考えているんでしょうかね?
ネットで調べまわったりと動いてる人ではなく、お茶の間でニュースを見てたりする方々。
撤退論になびいたり、家族に同情の涙を感じたりしているのでしょうか。
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という書き込みがありました。
確かにこれがもっとも気になるところですよね。
やはり近年インターネットが普及したとは言え、メール程度にしか使っていない人も相当いるようで、まだまだネット世論とリアル世論とは結びつかないことが多いのが現実です。
実際ネットでは自作自演説がかなり流れていますが、既存マスコミでは自作自演のじの字も出てこないです。
まぁやえもこの前言いましたように、自作自演説なんていうものはかなりの確証のある証拠が無い限り簡単に言えるモノでもないと思いますから、マスコミも可能性を認識していても自粛している部分もあるんでしょうけどね。
しかしだからこそ「お茶の間世論」がとても気になるところではあります。
被害者家族と言うと、まず頭に浮かんでくるのが「北朝鮮による拉致被害者家族」です。
この人達はほぼ世論の全てに支持されていますよね。
小泉さんが北朝鮮に行き、ジョンイルが拉致を認め、横田さんは亡くなったと言われた時など、日本ではものすごい世論の盛り上がりがありました。
被害者家族の思いと世論とが一体となって、拉致問題解決は国是となりました。
この例から比べれば、イラクで人質になっている人の家族に対する世論のバックアップというものは全然ありません。
人質解放は国是には違いありませんが、それが家族達の思いと世論とが一体となっているかと言えば、決してそうではないと言えるでしょう。
この差はどこにあるのかと言えば、やはり人質家族達がとても「うさんくさい」と、お茶の間ではどこかで感じてしまうからなのではと思います。
「お茶の間世論」はあくまで「お茶の間」だけの世界です。
たまに「井戸端」まで広がりますが、せいぜいその程度です。
それに対し、人質になった人とかその家族は政治団体(自民党撤退という主張は政治主張であり、そう主張する団体は政治団体です)の運動員だったりしていますし、人質解放にカコつけて自衛隊撤退という政治主張をしていたりしているように、世界が「お茶の間」という範囲を超えているというか、全く別世界なんですね。
北朝鮮拉致被害者の家族達は、昔から純粋に「拉致被害者の解放」だけを願って運動をしていました。
まだまだ朝鮮半島が“聖域”とされている時代から、時には右翼だ売国奴だと言われつつも、横田さんを始め被害者の家族達は一生懸命努力してきました。
時には「北にコメを送るな」という主張もしていましたが(これだって当時の世論は送れと言っている人がかなりを占めていました)これも純粋に被害者を救う気持ちが先にあって、その方策として「コメを送るな」と主張していただけに過ぎません。
決して「コメを送るな」という主張が先にあるのではなく、また反北朝鮮という思想すら先にあるのではなく、純粋に「被害者の解放」を願って運動をしてこられたのです。
温度差はここに生まれます。
イラクの人質とかその家族とかは、まず政治主張が先にあるんですね。
だから、「政治も戦争もよく分からないし関係ないわ」という「お茶の間世論、井戸端世論」から見れば、政治主張が主だっている人たちに対してはどこかうさんくさいものを感じるのでしょう。
「お茶の間世論」はお茶の間が世界の全てですから、「もし自分の子供が北に拉致されたら」というのは危機感を覚えることが出来ますが、「自衛隊撤退」という主張まではあまりにも自分の生活圏から離れすぎた「お茶の間の外」の話でしかないのです。
人質の家族達は、もし政治主張とかその辺をとりあえず全部凍結して人質解放だけを訴えればまた違っていたのでしょうけど、それが出来なかった時点で「お茶の間世論」からは「うさんくさい連中」と思われてしまっているのです。
少なくともイラクが危険な場所であるということは、福田官房長官を始め、そもそもマスコミが率先して喧伝していたことです。
「イラクには“非戦闘地域”なんかないから派兵すべきではない」と。
マスコミ人だったり現地の事情に詳しいNGOの職員である人質たちが、イラクは危険であることを認識していたのは言うまでもないことです。
もしこれが普通の民間人だったとしても、そんな中で自ら危険な地に赴いたという責任は免れようのない点です。
その責任の程度については議論の余地があるのでしょうけど、しかしお茶の間から見れば「どうしてわざわざ危険なところに自分から行ったのか」という疑問がどうしても残りますので、家族達がその責任を省みずいきなり「自衛隊撤退」を主張するのは、あまりに論が飛びすぎています。
この辺も政治主張ありきの態度と言わざるを得ず、お茶の間からは支持を得られない理由になっているんですね。
自作自演説はともかくとしましても、人質家族の本当の背景である政治思想・政治運動・政治団体が見え隠れしている限り、人質の命を盾にして政治目的を達成しようとしている事に違いはありませんし、これはテロリズムの精神と何ら変わりはないでしょう。
蛇足になるかもしれないですが、最後に少し。
例えば、北朝鮮の拉致被害者の家族の人たちは、その目的は被害者の救出であって、最終的には「平穏な日常」こそが願いなのです。
今はまだ解決していないので横田さんたちはマスコミの前に出たりとか講演とかして救出への訴えをしておられますが、この問題が解決したあかつきには(なにが解決かという問題もありますが)また静かな生活に戻られることでしょう。
どうして世論が拉致被害者家族に絶大なる支持をしているのかと言えば、つまりここにポイントがあって、拉致被害者の方方々は政治的な思想が目的ではなく「平穏な日常」に戻ることが目的だからこそ、多くの日常に暮らす人たちから「同情」され「共感」を得られているのです。
「平穏な日常」でふと思い出したのが、薬害エイズ問題です。
小林よしりん先生が、薬害エイズ被害者の川田龍平さんに言ってました。
「運動で出来ることは終わったのだから日常に帰れ」と。
川田さんは普通の学生だったにもかかわらず、薬害エイズによって政治的主張をせざるを得ない立場になりました。
その後、様々なハードルをクリアしていき薬害エイズ問題はほぼ解決しました。
その時点で、よしりん先生がおっしゃったように運動で出来ることは最大限出来たのですから、これで川田さんは日常に戻るべきだったのです。
しかし川田さんは日常に戻ることなく、運動家への道をたどっていってしまいました。
川田さんの実母が衆議院議員になってしまうという、なんとも異常な事態にまで発展してしまいました(前回の選挙で落選)
ここまでくると、普通の人から見れば共感なんて得られるハズがありません。
運動家になり普通ではない人になってしまった川田さんが今出来ることと言えば、せいぜい「薬害エイズ被害者」という「弱者の立場」を利用して、つまり当サイト的に言えば「一見弱者」となって、他人に後ろめたい気持ちを背負わせて、無理矢理共感させることぐらいでしょう。
しかしそこに「お茶の間世論」からの共感など得られはしません。
あくまで、誰にでもある日常を望むからこそ、それを絶たれているという異常事態だからこそ、そこに同情や共感を得られるのであって、目的が日常から乖離してしまえば「所詮は他人事」で終わってしまうのです。
今回のイラクでの人質やその家族達はどうかと言えば、もう言うまでもなく、はじめから日常からの乖離をしています。
そして、今後人質達が解放されたとしても、かなりの高確率でそれをネタに自分たちの政治運動政治主張をしはじめることでしょう。
こんなのでどう共感しろと言うのでしょうか。
共感しろと言う方が無茶な話です。
はじめから非日常の人たちなのですから、日常から共感など得られるハズはないのです。
結局今の人質家族達は、人質の命を盾にして自分たちの政治主張を実現しようとしているに過ぎないですし、その精神はテロリズムの精神と相通ずるモノがあるということです。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日常の人たちを応援しています。
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