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平成16年4月1日

 朝日新聞購読レビュー

 
 朝日新聞 第42384号 ========================== 2004/04/01
 
 《天声人語》
 ワシントンの桜が今満開だそうだ。咢堂(がくどう)・尾崎行雄が、かの地に桜3千本を贈るきっかけになったのは、100年前に開戦した日露戦争だった。

 
 やえです。
 尾崎行雄先生と言われてもなかなか馴染みのない名前だと思いますので、ちょっと調べてみました
 

 尾崎行雄(咢堂)は、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた政治家である。若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例によって東京退去を命じられるが、国会開設(1890年)とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年、世界議会史上の記録を打ち立てた。
 彼は民主政治の確立を目指し、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に立って闘った。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護運動が起こると、人は彼を「憲政の神」と呼んだ。また、軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず、国に警告することをやめなかった。そして「世界連邦」を提唱し、議会政治の父と仰がれつつ一生の幕を閉じた(1954年永眠、享年95歳)。

 
 素晴らしい政治家さんだったようですね。
 特に「あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に立って闘った」「軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず、国に警告することをやめなかった」「そして「世界連邦」を提唱し」、という辺りがとても素晴らしいです。
 政治家とはどんな権力にも屈せず民衆の側に立ち平和を唱えるのが本来の姿であるべきなのです。
 抵抗勢力に屈し、イラク派兵を決め、アメリカ一国独裁主義に荷担する小泉総理は当然のこと、多くの政治家達は、尾崎先生を今一度見直さなければならないのではないでしょうか
 
 開戦の翌05年、明治38年に米大統領セオドア・ルーズベルトの仲介があり、日本の勝利で講和となる。東京市長の尾崎には、相応の謝意を表したいという気持ちがあった。「しかし当時、日本人は自力でロシアを負かしたと思つて有頂天になつてゐたから、私の真意を明かにしては事が運ばないと思つて、公けにはしなかつた」(『尾崎咢堂全集』公論社)
 
 一部の先走った世論のせいで始まった戦争ですが、だからこそ、その終結も世論は一方的な見方しか支持できなかったのです。
 しかし尾崎先生は冷静に当時の世界状況を分析され、このような態度を取られたのでしょう。
 
 お礼は本来、政府の仕事だが、内閣は考えていなかったとも記す。やがてポトマック河畔に日本の桜を移植する話を知り、09年、東京市から贈ろうと議会に諮って同意を得る。
 
 いつの時代も政府というのは日和見主義です。
 そんな政府を見限って自ら行動した尾崎先生の指導力は素晴らしいですね。
 
 桜はその年に横浜を出たが、到着時には病虫害に侵されていた。全部焼却したことを米代理大使から知らされた尾崎は、少年ワシントンと桜の故事を引いて答えた。「桜の木を焼却して、しかも包まずその事実を語るのは、初代大統領ワシントン以来、米国の伝統的なやり方である。(略)大いに誇つていゝだらう」
 
 昔のアメリカは本当に自由と民主主義を信奉し実践していたという良い例なのではないでしょうか。
 今の日本政府は都合の悪いことがあればすぐ隠します
 しかし情報の公開こそが民主主義にとって最も基本的なことであり大切なことだと思います。
 
 ワシントンに根付いたのは、3年後に再送した桜だった。その桜が、戦後2度「里帰り」した。その中から育った1本を、東京の公園で見た。周りのソメイヨシノより、つぼみの赤が濃い。隣り合うオオシマザクラの白さに映える。
 桜は、日露の戦争のあと米国へ渡り、日米の戦争のあと日本へ来た。幹の表示板には、サクラ・アメリカとある。今は、木の古里ともいえるその国が、戦争をしている。
 
 戦争を憎んだ尾崎先生が、自由と民主主義を標榜する国に送った桜ですが、今その両国が手に手を取って他国を侵略しています。
 もし今の日本とアメリカを尾崎先生やワシントン初代米国大統領が見たら、どのような感想を言うのでしょうか。
 
 
 ● 強制連行訴訟 札幌なぜ敗訴(中学校教員 皆川真知子52才 12面「声」より)
 この1年間、中国人強制連行訴訟を札幌地方裁判所で傍聴してきた。5年に及んだ裁判の判決が3月23日に下された。
 冒頭、「原告の訴えは棄却する」との裁判長のひとことに我が耳を疑った。それでも「過去の対する反省」の言葉が聞けるのではないかと息を詰めていたが、それすらもなかった。
 
 ちょくちょく耳に入る強制連行や従軍慰安婦の行政訴訟ですが、ニュースを聞く度に耳を疑い胸が痛みます
 日本の司法はこれで良いのかと、考えずにはいられません。
 
 裁判長は強制連行や強制労働は認定したものの、20年で損害賠償請求権が消滅する民法の規定を適用し、さらに、当時の法律では国に責任はない(国家無答責)としたのである。
 どんなに非道なことが行われても、法律上その罪は問えないと言う理論は、素人の私にはとうてい承服できるものではなかった。
 
 悪いことは悪いと言うのは、それは時代が違っていても変わらない普遍的な考えのハズです。
 法律家のお偉方の先生達には、普通の素人の考え方というのが理解できないのでしょうか。
 法律の文章を守ることしか頭にない権威主義者ばかりなのでしょうか。
 いつも疑問にしか思いません。
 
 原告43人を代表して来日した趙宋仁さんは14歳の時に強制連行され、北海道の酷寒の中で過酷な労働に従事させられた。もちろん給料など支払われずに。
 私は、こうした歴史を知らずにしたことを恥ずかしく思うし、被害者の方々に申し訳なく思う。ところが札幌での判決は、原告や支援者たちの気持ちを粉々にうち砕くものだった。
 
 十四歳、つまりやえと同い年ですね。
 とても胸が痛みます。
 もしやえが今戦争によって強制的に他国に連れて行かれ、厳しい状況の下、無理矢理労働を強いられたと想像したら・・・。
 とても痛ましい事件です。
 しかしそれなのに司法は何の謝罪も賠償もしようとはしません
 同じ日本人として被害者の方々には申し訳ない思いでいっぱいです。
 
 その3日後の26日に下された新潟地裁の判決は原告の勝訴となった。国・企業に賠償命令が出る画期的な判決だった。司法に対する希望がつながったような気がする。
 
 新聞でも大きく取り扱われたこの判決は、絶対に大切にしなければなりません。
 政府は控訴を検討するということらしいのですが、とてもその行為は信じられません
 政府はこの判決を真摯に受け止め、速やかに被害者に対して謝罪と賠償をするべきでしょう。
 そして中国や韓国に未だ多くいる日本の侵略行為による被害者達に、一刻も早く同じように謝罪と賠償をすべきです。
 それが普通の人間の感覚であり、また日本が国際の場で活躍するための条件なのではないでしょうか。
 
 
 ●出版禁止「取り消しは当然だ」(3面社説より)
 今回の決定(参考リンク)は従来の判例の流れに沿ったもので、妥当な判断だ。
 
 え!?
 確か出版禁止命令が出た次の日の社説では、プライバシーを守るためにも仮処分は妥当だ、とか言ってませんでし・・・あ!!いや、なんでもないです。はい。取り消しは妥当な判断ですね。
 
 たとえ裁判所であっても、出版される前に記事の内容を審査することが一般化すれば、それは事実上の検閲になる。民主主義の社会を支えるために欠かせない自由な情報の流れが止まってしまう。
 
 戦中の日本には検閲というものがありまして、政府が発売される前の記事をチェックして、都合の悪い部分を消したり書き直させたりして、言論統制を行っていました。
 それによって日本は戦争の道をたどっていったのです。
 だからこそ民主主義を守るためにもこのような検閲行為を許してはならないのです。
 
 出版の差し止めた地裁の仮処分命令、これに対する文藝春秋からの異議申し立てを退けた地裁の決定は、表現の自由を軽んじていたといわざるをえない。
 
 表現の自由は憲法で認められている国民の権利なのです。
 それを縛ることは何人たりともできないのです。
 
 もちろん、今回の決定によって週刊文春の記事が正当化されるものではない。
 高裁の決定も「記事は、憲法上保障されている権利としての表現の自由の行使として、積極的な評価を与えることはできない」と指摘した。
 メディアが表現の自由の名の下で、私人に痛みを強いて我慢せよと迫る。そんなことではとても市民の共感を得られないだろう。
 
 検閲は許せませんし、表現の自由は守られるべきですが、メディアは市民の感覚を常に念頭に置いておく必要があるでしょう。
 市民のためにメディアがあるのです。
 
 官僚や政治の腐敗、権力の不当な介入と戦い、市民の権利を守ろうとする。そういうときこそ、表現の自由は輝きを増すものだ。
 
 「他人に痛みを強いて我慢せよ」というセリフはまさに小泉首相の政治姿勢そのものです。
 メディアはそんな政治家や官僚の欺瞞を暴くためにも必要なもので、だからこそ表現の自由は守られなければならないのです。
 本来公権力とは市民のためにあるべきものなのですから、表現の自由という権利も市民のためにあるものなのです。
 もし検閲が許されてしまうとなし崩し的に公権力が記事に介入し、権力の都合の悪い部分だけは市民に隠されてしまうでしょう。
 そうさせないためにも今回の高裁の判断は市民の立場に立った妥当な判断なものと言えると思います。
 
 
 ●社説「比べて読めば面白い」(3面社説より)
 −−−米英が、武力行使に踏み切ったことは、勇気ある決断だった。
 
 え?
 
 −−−米英の勝利は、開戦前に米国支持を鮮明にした日本政府の対応が正しかったことも裏付けた。
 
 ええ?
 
 −−−首相が言う「国際協調日米同盟の両立」の観点から、イラクへの自衛隊派遣は唯一の選択肢だった。
 
 えええ!?
 
 こう書けば、「エイプリルフールのいたずらか」と思う読者がいるかもしれない。
 実は、冒頭の主張はイラク戦争に関して、読売新聞が展開してきた社説からの引用である。
 
 ・・・あー、なんだー、ビックリしましたよー。
 朝日新聞は変わってしまったのかと驚いちゃいました
 ホッしましたよ。
 
 朝日新聞論説委員室では毎日、社説について議論する。何を取り上げ、どう主張するか。社会に問題は多く、それぞれが複雑になる中で、答えが簡単に出ないことも多い。
 我々の中にも意見の違いがある。激しく対立することも時にある。そういた議論を経たうえで、最も適切だと判断した主張を読者に問う。異論を踏まえてこそ、責任をもって社説をお届けできると信じるからだ。
 我々の考えがいつも正しいなどとは思わない。社会の変化につれて考えが変わることもある。大切なのは、異なる意見を戦わせること、違いの中から進歩を見いだそうとする姿勢ではないか。
 
 えーと、もしかして、文藝春秋に対する社説が正反対になったことに対する言い訳をしているんで・・・あ!!いや、なんでもないです。はい。まったくもってその通りですね。社会変化によって考えというものは変わるもののですから、大切なことは議論すること、意見を戦わせることに他ならないでしょう。
 
 日本では100以上の新聞社が、朝刊だけでも約5千万部の新聞を発行している。テレビと大きく異なるのは、新聞が自らの主張を展開できる「言論機関」でもあることだ。
 今日から朝日新聞の社説は3面に移った。これを機にいっそう「論」を磨き、競い合いたい。
 
 やえも、できるだけ異なった意見のメディアを出来るだけ読むようにしていますし、出来るだけ取り入れようと日々努力しています
 これからもやえも「論」を磨き、競い合いたいと思っています。
 
 インターネットや図書館などを利用すれば、他紙の社説にも接しやすい。読み比べ、ご批判や激励を寄せていただければ、なおありがたい。
 
 朝日新聞は買って読んでください。
 でも他社の社説はインターネットで見てくださいね
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、朝日新聞を応援しています。
 
 

平成16年4月2日

 結果責任

 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 結果責任という言葉があります。
 いくら努力をしても、いくら理論が正しくても、出た結果が正しくなければ責任を取らなければならない、という意味ですね。
 この言葉は主に政治家さんに使われることが多い言葉です。
 
 政治家さん自身もこの辺はよく心得ていて、「我々は評論家とは違う。政治家とはまさに結果責任が問われる仕事である。口で言うだけではなく結果を残すことが政治家の仕事である」なんて主張される政治家の方はけっこういらっしゃったりします。
 
 やえもこれは正しいと思います。
 政治家とは行動をするのが一番重要な仕事です
 ここが評論家とは全く違う点です。
 評論家は客に受けさえすれば全く現実不可能なことを言っても全然問題ないワケですが、政治家はそうはいきません。
 理論は大切ですが、それよりも行動力を問われるのが政治家の仕事です。
 
 「いくら威勢のよいことを言っても結果が伴わなければ意味がない」
 
 まったくもってその通りで、この批判には政治家は真摯に受け止めるべきでしょう。
 
 しかしやえは思うのですが、この「結果責任」という言葉、主に結果が伴わなかった時しか使われないような気がします。
 こう言うと「当たり前じゃないか」と言われるかもしれませんが、ちょっと発想を逆の方向に持ってきてみてください。
 
 「結果を伴えば、理論は問題ではない」
 
 ちょっと乱暴に聞こえかもしれませんが、「結果責任」から考えればあながち間違いではない考え方ではないでしょうか。
 
 例えば小泉総理や竹中平蔵大臣の主張する経済政策に対しては多くの人から批判が上がっていることは周知のことですし、そもそも竹中大臣に対しては就任時からけっこうな批判がありました。
 「彼の言っていることを実行しても景気はよくならない」と、よく言われましたし、今でもよく聞く言葉です。
 やえは経済のことはよく分からないので、竹中大臣の主張していることが果たしてどうなのかよく分からないのでなんとも言えないのですが、竹中大臣を批判している人はかなり多いことは分かります。
 特に読売新聞のナベツネさんなんかは。竹中大臣のことを「ハゲタカ」とか呼んで毛嫌いしていたりします。
 
 しかし、最近の景気動向を見ると、現実には景気は良くなってきているんですね。
 
 もちろんこの結果が竹中大臣の主張している政策によるモノかどうかは分かりません。
 もしかしたら全然関係ないのかもしれません。
 もしかしたら大成功だったのかもしれません。
 しかしそれを証明することはほとんど不可能と言っていいでしょう。
 「経済は生き物だ」とよく言われますように、「1+1=2」のような必ず同じ答えが出るようなモノではないですから、結局のところ数十年たった後世から見た時に、結果論的に「あの政策は良かった」と評価されるぐらいなモノなのだと思います。
 
 だからこそ、と言うワケではないのですが、しかし経済なんていうものはいくら学問の上での理論が正しくても、実際にそれを実践して効果がなければ全く意味がないワケで、机上の空論よりは、間違った理論でも効果がある方が良いワケで、「経済学者・竹中平蔵」の評価はやえには分かりませんが、「政治家・竹中平蔵」としては結果責任という観点から見れば十分に評価に値する働きを竹中大臣はしたのではないでしょうか。
 つまり、竹中経済大臣は結果を残す仕事をしたのだから評価するべきだ、と言えると思うのです。
 
 「たまたま彼が就任している時に景気が良くなっただけ」とおっしゃる方もいると思います。
 しかしやえは、それでも結果責任という観点からすれば、たまたまでも評価していいと思います。
 竹中大臣が就任して、景気が良くなった、という間に何ら因果関係がないとしても、それでも竹中大臣が結果を残したという点においては、これは紛れもない事実なんですから、結果を出すことが仕事の政治家という視点から見れば、評価されるべきだと思います。
 理論が正しいけれど何も効果が出ないよりは、何はともあれ結果が出た方が確実に国のため国民のためになっているのですから、結果を出すのが仕事の政治家としてはそれだけで十分に評価されるべきだと思います。
 
 経済を例にするとかなり白黒がハッキリしますので、分かりやすいと言えば分かりやすいですが、ちょっと紋切り型すぎるかもしれません。
 例えば、小泉総理の靖国神社参拝を例に取ってみましょう。
 小泉さんは就任当初、靖国神社に参拝すると明言されました。
 正直「靖国に参拝する」と明言するだけでも当時の日本の空気を考えればかなり評価できる発言だとは思うのですが、まぁ政治家としては行動でもって示すべきでしょう。
 それに対し、小泉さんはしっかりと靖国神社に参拝しました。
 ただし、8/15は避けてしまいましたが。
 だから「100%公約を守れていない小泉総理は結果責任を果たすべきだ」という批判は間違いではないと思います。
 保守系の人たちは、未だにこの辺のことを批判されていますが、その批判も正しいと思います。
 一方靖国神社に参拝するということを実際に行動した、という点においてはやはり評価できることだと思います。
 ここ最近の総理なんてかなり足を向けることすらしてこなかったのですから、それを実行に移した結果を残したという点は、結果責任において評価できるところだと思います。
 
 この辺の評価は人によってマチマチだと思いますが、「結果責任」という視点から考えればどちらも間違いではないでしょう。
 
 
 と、色々言ってきましたが、「結果責任」という言葉を、結果が伴わなかった時だけ持ち出して批判のネタにするというのはフェアじゃないんじゃないかなと思ったのです。
 もし「結果責任」という言葉を批判の材料にするのであれば、それと同じぐらい、結果が出た時には評価をするべきだと思います。
 
 少なくとも、国民がすごしやすく暮らしていくためには、政治家に結果を出してもらわなければ何もならないワケで、いくら正しい理論というものを示してもらっても実利はないワケですから、政治家にはしっかりと「結果責任」の元に働いていただきたいと思います。
 そして結果が出なければ批判し、結果が出れば評価するという、公平な目があってこそ初めて政治を監視するという国民の役目を果たせるのではないでしょうか
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、政治家のくせに何も結果を出せない口先政治家菅直人は、政治家としての存在意義が分かりません。
 

平成16年4月4日

 森さん

 
 牛丼が牛丼屋さんから消えて久しい今日この頃ですが、牛丼中毒の方々におかれましてはいかにお過ごしでしょうか。
 松屋かどこかでは牛丼が復活しているというお話を聞いたことがあるのですが、今日やえはたまたま牛丼を販売しているお店を発見したのです。
 その名は「叙々苑
 そう、焼き肉屋さんとして有名なお店ですね。
 
 そこのランチメニューで「牛丼」を発見したのです。
 しかしですね、キムチやスープが付いているとはいえ、その値段が850円もするのです
 牛丼に850円です。
 うーん、さすがにこれはちょっとためらわれます。
 しかし躊躇したことはしたのですが、ちょっと好奇心半分で頼んでみることにしました。
 で、食べてみたのですね。
 
 はい。
 確かにおいしいです。
 吉野家の牛丼よりは全然おいしいです。
 お肉がとても甘くて、さらに生卵をかけることによってその甘さがさらに引き出されます。
 しかし、しかしですね、やはりこれに850円というのは・・・。
 
 もし、みなさんも機会がありましたら食べてみてください。
 そして感想をお聞かせください(笑)
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます
 
 
 さて。
 今日は小話でもしようと思います。
 
 森さんのお話です。
 あの、失言大王だった第85代、前内閣総理大臣、森喜朗衆議院議員さんです。
 ある意味、歴代総理の中でも印象は抜群かもしれません。
 
 さっきも言いましたようにこの人失言大王なので、皆さんの中ではかなり無能な政治家という印象を持っている方がけっこう多いと思います。
 総理大臣という役職はしゃべるのも仕事ですから、確かに森さんには総理大臣という役職は向いてなかったのかもしれません。
 その場面だけ見たら無能だと思われても仕方ないような気がしないこともないです。
 ただし、決して政治家として無能だというワケではありません。
 むしろけっこう有能な国会議員だったりします。
 
 という流れだと、いかに森さんが有能だったのかということを刻々と語りそうな流れですが、残念ながら(?)そんなに熱く語ろうとは思いません。
 今日はちょっとした小話のつもりですし。
 ただ1つだけ森さんの功績をご紹介しようと思っています。
 
 政治家といえどもやはり自分の得意分野というモノがありまして、これが評論家なら例えば「経済評論家」と呼ばれるのですが、なぜか政治家の場合は「道路族」とか「厚生族」とか言って印象の悪いような言い方をします。
 森さんは「文教族」です
 というか、自民党のみならず、永田町において学校関係の事をなんとかしようと思ったら、森さんに話をつけなければ動かないんじゃないかというぐらい、文教に関して森さんはエキスパート中のエキスパートなんです。
 ちょっと話はそれますが、実は戦後文部大臣出身で総理大臣になったのは森さんが初めてらしくて、それだけに文教関係は票にもならないし金にもならないし力にもなりにくいという、ちょっと政治家にしてみれば敬遠したい分野だったりします。
 同じように票にも金にもならない分野に、鈴木ムネヲさんが活躍した外交という分野があるのですが、こちらは永田町においては力になる、すなわち財務大臣と外務大臣は主要ポストですので、まだ文教よりはメリットが大きかったりします。
 というワケで、昔から文教に関してはあまり力を入れている政治家がいなかったという点からも、森さんがこの分野に相当に強みを持っているのだと思われます。
 
 さて、その「功績」のお話です。
 いつか小林よしりん先生が語っておられましたお話なんですが、戦後からしばらく学校給食での主食はパンと決められていました。
 GHQが「米なんかを食べているから頭がバカになって戦争を起こしたんだ」と全く意味が分からない理屈でもって、戦後から給食にはパンと決められていたんだそうですが、実はその裏には、アメリカ本土で作りすぎた小麦粉を日本で捌くという目的があったんだそうで、強引に学校給食をパンにしてしまったんですね
 しかし戦争に負けた日本にはそれに逆らえるはずもなく、戦後からしばらく日本の学校給食の主食はごはんではなくパンで決まっていました。
 
 それをごはんにしたのが森さんなんですね
 パンに強制したのはGHQでも、それなりに時間がたてば、なんでもそうですけど現状を変えるというのは一苦労なことです。
 当初はアメリカの小麦を売るためだとは言え、日本が主権を回復し経済が安定してからは日本の業者がパンを作るようになっていました。
 業者から見れば学校給食というのはとてつもなく大きな、また安定した市場です。
 学校給食に頼っていた業者も多かったようです。
 それでも森さんは頑張って、色々と折衝したり妥協したり妥協してもらったりして、給食にごはんを導入したのです。
 
 俗に言う「○○族」と言うと、関係する業界団体や企業の利益のためだけに動くという悪意メージがついています、というよりマスコミによって付かされていますが、実際はそんなことはないんですね。
 森さんのように、国民の利益のためと思うことなら、業者にも我慢してもらうこともあるのです
 むしろ、このようなことがあるからこそ、普段は仲良くつきあっているワケです。
 何も無しにいきなり突然「君たちもうパン届けなくていいよ」なんて言われたら、それはものすごく反発されることでしょう。
 なんでも政治を悪にしたがるマスコミの手にかかれば、「政治という権力によって市民の仕事を奪った」とかなんとか、いくらでも書きようがあるというものです。
 そこを上手く調整するのがまさに政治家の18番なワケで、その下準備として普段のおつきあいというのはとても大切な事なのです。
 
 かくして、当初はアメリカの残飯処理の場でしかなかった日本の学校給食は、今では「食育」という教育そのものに変わっていったのです。
 
 このように森さんは文教に関してはとても有能な政治家さんなのです。
 実際の森さんは、とても面倒見が良い人ですし、その一方熱血な人です。
 あれでも一応派閥の長になっているぐらいの人ですから、それなりの人なんですね。
 
 
 だからって、別に森さんを応援しようというワケでもないんですけど、日本のリーダーになった人なのですから、ちょっと紹介してみました。
 まぁなんでしょうか、マスゴミ程度が流している情報なんてものは、ほんの一部ですし、恣意的な一面からしか見ていない部分でしかないですよ、というまとめにしておきましょう。
 やえも今回は何か言いたいというワケでもないですから(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ごはん食を応援しています。
 

平成16年4月5日

 憲法論議

 
 昨日の更新は思いの外反応がありまして、ありがとうございました。
 これはごはん給食がよかったのか、それとも森さんが実は人気があるのか、ちょっと図りかねますが、まぁ森さんが大人気ということに、やえの中ではしておくことにします。
 腹黒い人が多い政治家の中で、あの人ぐらい素直すぎる人がいてもいいんじゃないでしょうか。
 素直すぎて口がぺらぺら進みますが・・・。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます
 
 
 この前読売新聞が憲法改正についての定期(?)世論調査をしていました
 実は読売新聞と憲法改正はかなり深い関わりがあるのです。
 憲法改正論議自体は相当昔から日本の中にはあって、自由民主党が結党してから憲法改正は「党是」とされ「悲願」とされていたりします。
 自民党は結党50年になりますから、相当昔から議論はあったんですね。
 しかし、いつしか憲法改正の議論はおおっぴらには出来なくなってしまいました。
 いろいろときっかけや理由はあるのですが、公の場で「憲法改正」と言うだけで「右翼だ」というレッテルが幅を利かせるようになってしまい、議論そのものを避けるように日本はなってしまいました。
 この辺は安易に想像がつくと思いますが、いわゆる左翼・サヨク勢力が「憲法=9条」と結びつけたことによって、このような構造を作ったのです。
 
 こういういきさつがあり、戦後から数十年もの間、一部の“右翼”勢力を除いて、憲法改正の議論はタブー視されてきました。
 そんな空気の中、読売新聞が「初めて」国民的に憲法改正について世に問うたのです。
 
 それが1994年のことですから、今からもう10年も前のことです。
 今でこそ憲法改正論議は盛んですが、10年前というのはまだまだ憲法改正論議をタブー視するような空気が日本を覆っていました。
 そんな中でよく読売新聞は、堂々と憲法改正を世に問うたものだと思います。
 むしろそんなタブーの空気を払拭するきっかけになったのがこの読売新聞の「憲法改正試案」と言えるのかもしれません。
 そういういう意味で、やえはかなり高くこの読売新聞の行為を評価しています。
 
 読売新聞の「憲法改正試案」はこちらで公開されています。
 また、2000年には「憲法改正第2次試案」を発表しており、こちらで公開されています。
 議論するなら「第2次試案」を見た方がよいでしょう。
 
 さて、このような紆余曲折を経て、いよいよ憲法改正は現実的なものになってきました。
 自民党も結党以来の悲願に向けて、先の衆議院選挙の「政権公約」に「2005年に自民党の憲法改正草案を出します」と載せていましたね。
 また党内の「憲法調査会」もかなり盛んに活動しているみたいで、自民党のサイトでもかなり大きく扱っていたりして、その力の入れようは相当のモノのようです。
 
 このように憲法改正は現実のお話になりました。
 そして憲法とは日本国民一人一人の問題です。
 当サイトでも今こそ憲法のことについて考えていきたいと思います。
 一人でも多くの方が憲法について議論していけば、さらによりよい日本国憲法にしていけるのではないかと思います。
 
 というワケで、今回はこのようなものを作りました。
 じゃん。
 
 憲法改正アンケート
 
 今回は憲法論議も冒頭ということで、現憲法をよく見て、どこを変えるべきなのか、問題はどこにあるのかということを考えてみたいと思います。
 
 日本国憲法は、前文と11の章に分かれていて、さらに細かく103の条に分かれています。
 憲法で最も有名な「9条」というのは、第2章「戦争の放棄」の部分ですね。
 第2章は9条しかありませんが、ほとんどの章はいくつかの条によって構成されています。
 
 では、特に注目されると思われる部分を挙げてみましょう。
 
 一番注目されるのは言うまでもなく9条でしょう。
 
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
 ふと思ったんですが、2項には「前項の目的を達するため」という前置きがありますよね。
 つまり「前項の目的を達するため以外でなら武力を持てる」と解釈できないこともないんじゃないかと思ってみたんですが、どうでしょうか。
 「前項」とは、「戦争」と「武力の威嚇・行使」ですから、つまり自衛は入っていないワケですから、自衛のための武力は認められると解釈できないこともないかなぁと、まぁこぎつけですけどね。
 9条については、改正すべきという人と、改正すべきでないという人と、解釈で運用していくべきという人と、激しい議論が今でも行われています。
 
 次に注目されるのは第1章の天皇でしょうか。
 どんなものでもこの手のものは、まず大切なものから最初に書くのが普通ですから、つまり現日本国憲法においては、天皇が最も重要事項だとしていることになります。
 それに対して読売新聞の憲法試案では、第一章に「国民主権」、第二章に「天皇」という位置づけになっています。
 これをどう取るかは人によって違うでしょうね。
 あと、読売試案においておもしろいなぁと思ったのが、衆議院と参議院の仕事を結構分けていて、読売試案には「憲法裁判所」というのがあるんですが、その任命は天皇で、指名を参議院の仕事にしていたりするんですね。
 また、最高裁判所の任命に対しても「参議院の同意を得たものでなければならない」としています。
 昔は参議院は貴族院だったという歴史がありまして、今でも国会の開会式はほとんど参議院の本会議場で行われたりと、その名残があったりするんですが、この読売試案はちゃんとその辺を踏襲しているんですね。
 天皇のサポートは貴族院である参議院がする、ということなのいでしょう。
 「憲法裁判所」は別にして、しかしこの位置づけはなかなか面白いなぁと思いました。
 
 他はどこに注目されるでしょうか。
 この前小泉さんがイラクに自衛隊を派遣するための演説をしましたが、その際に憲法の前文を持ち出されていました。
 
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて
 
 この部分はなんだか面白いというか妙ですよね。
 他国のことにまで言及している憲法というのも面白いモノです。
 これって「鎖国をしてはいけない」ということなんでしょうか。
 
 憲法の中でも改正しやすいモノもあります。
 「第3章 国民の権利及び義務」です。
 この憲法は戦後直後にできたものですから、当時では想像できなかったような権利が今は存在していたりするので、それを明記しようという議論があるのです。
 具体的には「プライバシー権」とかその辺です。
 これに反対する人はそうはいないようなので、この辺を足かがりに憲法改正論議が行われるのでしょう。
 
 あと、隠れた現在進行形の憲法違反というものがあったりします。
 一部では有名なんですが
 
 第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 
 こんなのがあったりします。
 厳密に解釈すれば私立の学校には助成金等を出してはいけないと憲法では定められているんですね。
 多分今は「公」という解釈を拡大して運営しているのでしょうけど、こじつけ感は否めません。
 
 人によって重要な部分というのは違うでしょうが、大まかにはこれぐらいでしょうか。
 というワケで、是非こちらのアンケートにお答えいただきまして、憲法改正について考えていただければと思います。
 
 これからじっくりしっかりずっぽり憲法について考えていきましょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、憲法論議を応援しています。
 

平成16年4月6日

 高齢社会に向けて

 
 悪名高き「ニュースステーション@久米宏」が終わって、昨日から「報道ステーション@古館伊知郎」が始まったワケですが、いくらなんでも久米宏よりはマシだろうと期待して昨日の放送を見たんです。
 みなさんはご覧になりました?
 感想なんですが、だめだこりゃ、です。
 古館さんが慣れていないとか、久米さんを意識しすぎとか、そういうのを差し引いてもだめだこりゃです。
 これは誰の意図なんでしょうか、テレビ朝日の総意なんでしょうか、それとも社長や幹部の意図なんでしょうか、それとも番組プロデューサーとかスタッフの意志なんでしょうか、揚げ足を取るのに必死な番組構成は@久米宏からまったく変わっていませんでした
 もはや今の時代は揚げ足だけ取って好き勝手に言い放つだけでは支持を得られないと思うのですが、だからこそ久米さんの降板はある意味本人のためには正解だったと思うのですが、それがテレ朝には分からないのでしょうか。
 テレ朝には今絶好調のサンデープロジェクトという番組があるのですが、どうして揚げ足取りを是正しようとしないのでしょうか。
 うーん。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 同じくそのテレビ朝日の名物番組に「テレビタックル」という番組があります。
 この番組については前に触れたことがあるのですが、なんていいましょうか、大竹まことさんは何が言いたいのでしょうか。
 彼の言っていることは、揚げ足取りを越えて、いかに自分だけが気持ちよくなるかということばかりを言っているようにしか聞こえません。
 いかに楽して気持ちよくなるか、まぁ大竹さんのキャラは元々そのようなのがウリですからそれでいいと言えばいいのかもしれませんが、公の場で発言するならもうちょっと深く考えて欲しいなぁと思ってしまいます。
 
 何があったのかと言えばですね、昨日の放送で、最近の政治問題といえば年金と言えるほど大流行の年金問題をやっていたのですが、そこで大竹さんは「制度が変わって年金が貰えるようになる年齢が65歳になりましたけど、もうその年齢は変わりませんよね?変わらないですよね?変わらないって言ってください」ってしつこく自民党の議員さんにつっかかっていたのです。
 そして「いつ貰えるか分からない、もしかしたら70にならないと貰えなくなるかもしれない。そんな先行きが見えないような年金に対しては払う気は起きない」なんてことを言っていました。
 
 結構前なんですが、“歌う暴れん坊”泉谷しげるさんが、やはり年金問題について「オレはもうすぐ年金を貰えるようになるじじいになるけどホントに年金もらえるのかー」とか言ってました。
 この人の暴れっぷりはいつ見ても面白いです。
 
 でも、でもですね、泉谷さんにしても大竹さんにしても、この人達は「働ける元気な老人」の代表格だと思うんですよ。
 芸能人の方々は一般の人より“若い”人が多いですが、その中でも泉谷さんなんかは今でも「暴れん坊」という言葉が似合いすぎるぐらいの若さっぷりです。
 だからこそこういう人たちは、「年金を貰えるためにはどうするか」ということをアピールするのではなく、「まだまだ60歳でも働けるんだ」ということをアピールする方が全然有益なんじゃないかと思うのです。
 
 今の60代の方々はとても元気な方が多いです。
 まだまだ働ける方が多いです。
 いえ、むしろまだまだ働きたいとおっしゃっている方はとてもいっぱいいらっしゃるんです。
 年金の問題がここまで大きくなる前は、いかに老後を楽しく生きるか、第二の人生違う職場を見つけたり、新しい趣味を見つけたり、どうやって生き甲斐をみつけるか、そういう話題がよくマスコミにも出ていました。
 今では年金の問題でかき消されちゃってますが、しかしそんな人たちがいなくなったというワケではないでしょう。
 60歳になっても、人生にまだまだ張りが欲しい、まだまだ働きたいという人はたくさんいるハズです。
 泉谷さんや大竹さんといった方々は、そんな人たちから見れば「元気な老人」達の希望の星そのものなのではないでしょうか。
 
 そんな人たちがもう老ける話をしているのです。
 いつの間に日本はこんなに老けてしまったのでしょうか
 
 今日本は言うまでもなく高齢社会です。
 右も左も健康ブームです。
 みんな長生きがしたいのです。
 でもその長生きの結果が、ただ生物的に長生きしているだけの意味のないモノなのでしょうか。
 それは絶対に違います。
 高齢社会というのは決してマイナスだけの現象ではないハズです。
 高齢社会を底力には出来ないでしょうか
 
 年金制度言うモノの基本は「助け合い」ということは以前お話ししたことがあります。
 マスコミでもよく言われていますが年金とは世代間の助け合いです。
 若い人が高齢者を支えるのが基本的な構造です。
 でも、それにこだわる必要は、縛られる必要は全くないと思います。
 つまり、60歳を越えても「まだ働ける」「まだ働きたい」という人に対してはもっともっと年金を負担してもらい、様々な事情でもう働けないという人を支えてもらうのです。
 同じ世代でも、事情によって支えたり支えられたりするというのも社会構造としてはありだと思います。
 
 芸能人っていうのは定年もないですし、若い人が多いですし、所得も多い人が多い世界です。
 そして皆が憧れる世界なのです。
 だからこそ、そんなスター達には率先して「まだまだ働けるキャンペーン」をしてもらって働くことは素晴らしいんだと主張してもらい、少しでも多くの人に元気を分けることができれば、もっと日本は元気になるのではないでしょうか。
 泉谷さんには元気なおじいちゃん代表として「オレはまだまだ元気だぜ〜。生涯現役やっちゃうぞ〜。おめーらも老け込まずに元気を出して働いていこうぜ〜」なんて言って暴れて欲しいんですよね。
 
 もちろん年金の様々な問題をほっておけと言っているのではありません。
 しかし芸能人までそんなマスコミの年金ネガティブキャンペーンの尻馬に乗る必要はないと思います。
 もし日本を良くしたいと思うのであれば、もっともっと自分たちのように働こうというような元気の出し方もあるのではないかと思うのです。
 
 どうでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、元気なご老人を応援しています。
 

平成16年4月7日

 権利侵害主張

 
 「委員会でやればいいじゃないかという意見がありますが、坂口厚生労働大臣が全く言及していない年金一本化案を、どうして小泉さんが言い出したのか、小泉さんからの説明が無い。だから委員会を欠席している」
 
 ?????
 えーと、菅直人さん?
 日本語として成立していないと思うのですが、ともかく説明が聞きたければ委員会に出席するべきじゃないんですか?
 
 「委員会でやればいいじゃないかという意見がありますが、坂口厚生労働大臣が全く言及していない年金一本化案を、どうして小泉さんが言い出したのか、小泉さんからの説明が無い。だから委員会を欠席している」
 
 ??????
 えーと、菅直人さん?
 日本語して成立していないと・・・
 
 
 
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 こんなニュースが流れてきました。
 
 <靖国神社>小泉首相の参拝は「違憲」 福岡地裁判決
 
 文章的に分類できるようないわゆる「信教の自由」とされている「宗教」と、日本古来から根付いてきた日本そのものと言えるような「日本文化の行為」とを混同することは、すわなち文化否定になりますから、このような判決していたら日本人そのものの解体につながります。
 昔はそんなことは言わなくても分かっていたのですが、最近はどんどんその辺の感覚がおかしくなってきているようで、司法の場でも徐々におかしくなってきているようです。
 裁判官は国民の感情から乖離していると言われて久しい昨今ですが、歴史の勉強もして欲しいなぁと思います。
 
 変な判決と言えばこちらも忘れてはいけません。
 
 <強制連行訴訟>国と会社に賠償命令 過酷な労働認定 新潟地裁
 
 こっちの判決は、歴史の認識不足だけでなく、法的にもかなり逸脱しているような、言語道断な判決です。
 記事にもありますように、当時にはない法律を無理矢理現在の法に当てはめて裁いているという、事後法に等しい判決です。
 
 どうしてこのようなおかしな判決が最近続くのでしょうか。
 裁判官というモノの質が落ちているのか、それとも国民世論がまだまだ変な方向に向いているのか、その両方なのか、両方かもしれませんね。
 
 さっきの新潟地裁の判決に対して、このような動きがあります。
 
 中国人強制連行・強制労働 企業・政府は控訴するな 原告団が報告集会
 
 記事元が共産党しんぶん赤旗なのはとりあえずおいておくにして、しかしこれはなんなんでしょうか。
 そういえば、テレビとかの記者会見でもこの人達は「国の控訴を断念させるために運動を行う」とか言ってましたし、実際永田町霞ヶ関あたりでデモ活動をしていたようです。
 
 しかしよく考えてみてください。
 「控訴を断念させる」という主張は、本来ならトンデモナイ主張のハズなんです。
 控訴や上告(地裁や家裁から高裁へが控訴、高裁から最高裁へが上告)というものは、全ての国民の与えられた権利なのです。
 法律で定められている、何人たりとも侵せざる権利なのです。
 例えこれが麻原彰晃だろうと誰だろうと何だろうと、上訴する権利は誰にでもあるのです。
 
 それをこの原告団の人たちは侵そうとしているのです。
 国民の権利を侵害しようとしているのです
 こんなことが許されるはずがありません。
 
 人間という生き物はどうしてもミスをしてしまう生き物です。
 そしていろんな人間が共存している社会では、時には間違った判断をしてしまうことも仕方のないことだと言えます。
 だからこそ裁判には上訴という制度があるのです。
 裁判というモノは時にはその人の一生に関わる問題になるのですから、慎重に慎重を期す必要があります。
 しかし、「上訴をするな」と主張することは、これらを全て否定する意見であり、民主主義における裁判制度そのものをも否定している主張だと言えるのではないでしょうか。
 
 だいたいにして、この手の人たちは、人間の権利を侵害された(それが本当かどうかは別問題で)からと言う理由で裁判を起こしているのに、その本人が目に見えて明らかに他人の権利を侵害しようとしているのです。
 どうしてそれが分からないのでしょうか。
 それとも控訴されたら勝てないのが分かっているのでしょうか
 多分違うと信じたいのですが、もしそうなら、とんでもない人権侵害というか、制度の悪用というか、悪以外何者でもない行為です。
 人を断罪する資格などありはしないでしょう。
 
 どうやら国は控訴することにしたようですが、仮に高裁で原告団が敗訴するような事態が起こったあかつきには、是非とも上告しないでもらいたいものですね
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、上訴制度を応援しています。
 

平成16年4月8日

 小泉メルマガレビュー

 
 やえトレカでましたー
 ええと、ツッコミどころがいっぱいなんですけど、どうしましょうか?(笑)
 とりあえず説明文がけっこうアレな状態です。
 「議論大好き!」っていうのは・・・ええと、コメントが・・・困ります(笑)
 しかも他のコメントは、ほぼコピペですよね。
 なんて言いましょうか、いかに当サイトを説明するのが難しいというのが改めて浮き彫りになりましたね。
 「国粋主義、小泉マンセー、アサヒ逝ってよしサイト」と言われてもやっぱり困りますしね(笑)
 しかし和服を丁寧に表現していただきましてとてもうれしいです。
 また「堕天使の槍」もちゃんと持ってるのでいい感じです。
 今の衣装は持ってないんでちょっと心配だったのですが、ちゃんと見ていただいていたようで。
 ただ、「右も左も逝ってよし!!」が無いのが残念でした。
 もうちょっとアピールしないといけないですね。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 先週の木曜日は「朝日新聞購読レビュー」なんてものをしましたもので、小泉メルマガレビューをお休みしたのですが、先週から新しいコーナーが出来てまして、その名も「らいおんインタビュー」というのです。
 これがですね、先週と今週とで二回に分かれていますので、今日は小泉メルマガの中でも「らいおんインタビュー」をレビューしたいと思います。
 
 
 小泉内閣メールマガジン 第136号 ========================== 2004/04/08
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 「らいおんインタビュー」第一回
 
 (インタビュアー)
 ――― 今日は、「らいおんインタビュー」第一回として、メルマガ読者の方からたくさんいただいた質問項目の中から、私が読者に代わって総理にお聞きしたいと思います。
 
 (小泉総理)
 はい。
 
 【ストレス解消法と休日の過ごし方】
 ――― 最も多かった質問のひとつは、ストレス解消法と休日の過ごし方です。まず総理のストレス解消法をお伺いしたいと思います。
 
 ものすごい普通の質問からきましたね(笑)
 
 ストレス解消には、何といっても休養を取ることですね。眠ることです。睡眠不足は、ストレスの原因の一つじゃないかなと思います。
 睡眠不足になると疲れますね。疲れると、考えるのも嫌になってしまうぐらいで、疲れを取るということはいかに大事かと思います。だから、休みの日にはゆっくり休養することにしています。
 だからといって、ただゴロゴロしていてもかえって疲れてしまいますから、音楽をかける。それを聴きながら自然に眠ってしまう場合が多いですね。
 
 そしてものすごい普通の返答がかえってきました(笑)
 そう言えば小泉さんはけっこう朝が弱いという話を聞いたことがあります。
 官邸に出邸するのも10時過ぎとか11時過ぎとか。
 その分夜は遅いんだそうで、ワリと長時間寝ないとツライ体質なのかもしれません。
 
 休養できると、今度は本を読みます。役所の資料を読んでいると眠くなってしまうことがありますが、面白い小説を読むと、不思議ですね、どんどん進む。読書といえば歴史小説が多いですね。
 
 小泉さんは授業中いっつも寝ているタイプだったのですね!?
 もしくは授業に関係ない本ばかり後ろの方で読んでいたり。
 
 【子どものころの夢】
 ――― メルマガ読者は、総理の子どものころの夢にも関心が高いようです。子どものころなりたかったものとか、政治家を目指したきっかけなどを教えてください。
 
 ホント普通の質問ですね(笑)
 
 政治家には絶対なりたくないと思っていました。
 
 そして衝撃の告白(笑)
 
 ――― それがどうして政治家へ?
 
 不思議ですね。政治に興味を持ちはじめたのは大学に入ってからです。
 高校ぐらいまではできるだけ目立たないようにしていました。あまり人前に出るのは好きじゃなかった。引っ込み思案でしたね。だから、政治家に向いてないと思っていました。
 大学に入って、親の選挙を手伝うようになってから、「ああ自分にもできるのかな」と思うようになりました。
 
 やはり本を読むのが好きな子供だったのでしょうか。
 しかし、政治の世界というのは普通に生活していたら縁のない世界ですから、やはり身近に政治の世界の人がいないとなかなかその道を志そうとは思いませんよね。
 
 ――― これは自分がやるべき職業だとお思いになったんですか?
 
 父親の演説聞いたり、ひとの話や討論会を聞いたり、親の代わりにあいさつに出たり、そうしているうちに「自分でもできるかな」と思ってきました。
 
 やっぱり政治家の親を持つと色々と大変そうですね。
 小泉さんはたまたま興味を持って素質もあったからよかったんでしょうけど、「人前であいさつなんてまっぴらだ」というような人だったら、もうイヤでイヤでたまんないんじゃないでしょうかね。
 
 ――― もし政治家になっていなかったら何になっていたとお思いですか?
 
 全く想像できませんね。
 政治家になろうと思って1回落選して、これで2回目も落選したらもう駄目だなと思いましたけど、そうなったならどういう仕事に就いていたのか、これは全くわかりませんね。
 
 あら、落選経験がおありなんですね。
 
 ――― そのときこれでだめだったらどうしようかとか、何をやろうかとかお考えにはなりませんでしたか?
 
 そういうのは考えてもしょうがないですよね。それはそのとき考えるしかないと思っています。
 
 ああ、昔から性格は変わってないんですね。
 ワリと行き当たりバッタリ(笑)
 
 ――― 総理はプラス志向でいらっしゃるんですね。
 
 ああっ、そういう言い方がありましたね(笑)
 
 そうそう、何とかなるだろうと。もし落選しても次は当選するだろうと思っていましたから。そうじゃないと、頑張る気力出てこないじゃないですか、だめだ、だめだ、と思っていては。楽観的に考えることがいいんですよ。当選すると思って運動しないと、落選するかもしれないと思っていたら選挙運動する気力なくなっちゃうでしょう。
 
 まさに小泉さんの基本的スタイルがここにありますね。
 でも、「なんとかなるだろう」っていう考え方は政治家らしくはないですよね(笑)
 
 【年金について】
 ――― 小泉内閣の構造改革についての質問もたくさんありました。中でも、何といっても年金問題です。30歳の会社員の方から、「給与から年金保険料を天引きされているのに、将来実際に年金がもらえるのか心配。」という質問をいただいています。年金の将来について教えてください。
 
 あ、年金のお話になっちゃいましたか。
 これについては別で色々語ったり、これから語ろうと思っているところもあるんで、とりあえず小泉さんの説明をかいつまんでご紹介します。
 
 民間の保険や貯金には、税金は投入されていませんが、年金には税金が投入されています。ですから年金の方が不利なんていうことはないんです。どのような貯蓄よりも有利なのが年金なんです。
 
 昔は子どもが親に仕送りをしていました。今は平均して、厚生年金なら毎月20万円ぐらい年金がもらえます。65歳ぐらいの親のために、20代、30代の若い人が自分の給料から20万円親に仕送りできるでしょうか。なかなかできないと思います。
 昔は比較的余裕のある人たちが、自分の給料から親に仕送りして、親を養っていた。でも、そういうことができる人はごく僅かしかいないということで、全ての若い世代の人が、全ての高齢者の世代を支えるということで、公的年金制度が確立されたんです。
 
 人生50年のときに60歳から年金を支給しましょうといって始めた制度ですが、80歳は長生きじゃなくなってしまっている時にも65歳から支給しようというわけでしょう。もらう期間も長くなるし、もらう人も増えるのに、払う人は少なくなってくる。
 今はもう70歳はまれではなくなりました。100歳以上の方は、2万人を超えているんです。そういう時代ですから、年金制度も今までのように給付をそのままにしたら、保険料を上げざるを得ない。保険料を上げるのが嫌だといったら、給付を少なくせざるを得ない。それでなければ税金をもっと投入しなければならない。
 
 今回の年金改革の法案では、具体的な数字を出しました。これからは、保険料負担を今までのように5年毎に見直すのではなく、少しずつ上げていくことにして、今から十数年後の最も高い時でも収入の18.3%で抑えましょう。サラリーマンであれば、そのうちの半分は事業主の負担になりますから、自己負担は最高で9.15%。給付のほうは、いままで現役時代の収入の60%近くもらっていたのを、徐々に下げていって、2023年に50%程度にしよう。それで足りない分は税金を、基礎年金の部分には1/3から1/2投入しましょう、という具体的な数字を出しています。
 
 これだけ高齢者が多くて若い人が少なくなってきたときに、今までもらっている給付を下げてはいけない、保険料を上げてはいけないと言ったら、税金を上げるしかないんです。
 どこかを調整しなければいけないんですね。
 
 小泉さんのお話は分かりやすいですね。
 特に下から二段目の具体的な数字の部分をよく考えてみたらいいんじゃないでしょうか。
 「自己負担は最高で9.15%」「2023年に50%程度」「それで足りない分は税金を、基礎年金の部分には1/3から1/2投入」
 これを自分の身に置き換えてみて、「こんなに払えない」と言うのか「もっと年金もらいたい」と言うのか「税金をこんなに使うな」と言うのか、色々と考えてみてそれぞれが判断し、その上で意見を言ってみるのがいいんじゃないでしょうか。
 
 
 小泉内閣メールマガジン 第136号 ========================== 2004/04/08
 
 【郵政民営化について】
 ――― 先週に引き続いて、「らいおんインタビュー」第二回をお送りします。総理が進めていらっしゃる「官から民へ」の改革の中で、郵政民営化についてたくさんの質問をいただきました。郵政民営化によって具体的にどこがよくなるんでしょうか?

 
 郵便にしても、貯金にしても、保険にしても、いま、全部民間でもやっていますね。「民間にできることは民間に」という方向に向かっています。
 
 ええと、小泉さんの一番の政治目標である「郵政民営化」のお話です。
 さすがに最も力を入れている部分だけあって、相当力を入れてお話をされていらっしゃるんですが、残念ながら最近はまったく話題に出てこなくなったほど注目されなくなっちゃいました。
 ので割愛です(笑)
 興味のある方は首相官邸サイトのメルマガのバックナンバーでご覧になって下さい。
 
 【食の安全について】
 ――― 食の安全も読者の皆さんから高い関心が寄せられています。BSEや鳥インフルエンザなど、食の安全について、総理はどのようにお考えですか?
 
 病気の蔓延(まんえん)防止にも十分注意しなければいけない。日本はBSEが発生したときに世界一きびしい全頭検査体制をつくりました。鳥インフルエンザでも蔓延(まんえん)防止に努力して、今のところそれほど拡大していない。生産者、食品業者と国民、政府が協力できるような対応をとっています。
 
 あたたかくなったので多分鳥インフルエンザ菌も死んでしまったと思われる今日この頃ですが、未だに牛丼屋に牛丼が並べられていないという異常事態が続いています。
 最近では日本国内にも「全頭検査は厳しすぎる」という意見が出てきていますが、しかし前回の初めてのBSE騒動の時には「厚労省は解散してお詫びしろ」といった過激な意見も普通に出ていたぐらい、もう日本では牛肉は食べられなくなる、「牛肉=毒」と言わんばかりの過熱大批判が世論を占めていました
 それを考えれば今の措置は仕方ない、というか世論が望んだことだと言えるのではないでしょうか。
 
 食品業者の皆さんには、「自分たちの食品は安全ですよ」と偽りなく表示してもらわなければなりません。卵をとってみても、賞味期限の問題もありましたが、国民も値段の安さ、高さだけでなく、何が健康にいいかという点をある程度勉強してほしいと思います。
 
 浅田農産の件もそうですし、卵の賞味期限を偽った業者もそうですし、またスーパー等での産地の偽装とかも最近かなり問題になってますし、どうもこの業界はモラルが下がってますよね。
 もしかしたら元々低かったのかもしれないですが、しかしそうなると今までずーっと“偽りの食品”を食べていたことになります。
 ちょっとこわいですよね。
 この辺はもう政府の力でなんとかしてほしいものです。
 
 健康の三原則は、バランスの取れた食生活、十分な休養、そして適度の運動。この三原則をおろそかにして病気になったらすぐに薬を飲めばいい、お医者さんにかかればいいというのではなく、自分の健康は自分で守るという基本を大事にしてほしいと思います。
 
 【総理としてやり遂げたいこと】
 ――― 最後になりますが、政治家になってよかったなと実感されたのはどのようなときですか、総理としてやり遂げたいと思っていることはどんなことでしょうか?
 
 政治家になって、「ああ政治家でよかったな」と思うときは、多くの人から喜ばれるときです。一所懸命努力して、人から感謝されるというのは張り合いがありますね。社会の制度にはいろいろと矛盾がある、おかしいなと思ったところを多くの人と協力して直す。難しい問題もやればできる。これはいい仕事だな、やりがいあるなと思います。
 
 やりがいという点から見れば、政治家ほどそれを感じられる仕事もないでしょうね。
 
 総理になると、これは想像以上の緊張と重圧があります。しかし、私には自分から目指した改革があります。これだけはやり遂げたいという意欲が出てきます。自分の責任を放り出して辞めてしまえば楽になるかもしれませんが、これだけは実現したい、多くの皆さんの支持をいただいて総理になったんですから、自分が目指した「改革なくして成長なし」という改革は是非やり遂げたいと思っています。
 
 小泉さん大演説です(笑)
 そう言えば先日、歴代最長の官房長官就任期間を達成した福田さんは、なんだか髪が薄くなったような・・・いえ、なんでもないです(笑)
 小泉さんの自慢のライオンヘアはまだまだ健在ですけどね。
 
 あと2年は歯を食いしばってでも頑張らなければならない。私が目指した改革が実現すれば、任務は終わるわけですから、その時はできるだけ早く総理の座から解放されたいと思っています。
 いまは、任務を遂行するために全力を尽くし、決して途中で逃げ出すわけにはいかないと思って頑張っています。
 
 法律には総理大臣の再選についての制限は無かったと思うのですが、自民党の方で「総裁の任期は3回まで」と決められているので、小泉さんは事実上あと2年の任期になっています。
 あと2年、長いのか短いのか、とにかく全力でがんばってもらいたいですね。
 
 ――― どうもありがとうございました。
 
 こちらこそ、どうもありがとうございました。
 
 ありがとうございました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。


平成16年4月9日

 速報・イラク邦人人質事件

 
 日本国内にテロリストがいます。
 
 ヤツらは「自衛隊を即時撤退させろ」と要求しています。
 
 日本国内にテロリストがいます。
 
 今日の朝からはやくも首相官邸の前に「市民行動」とかなんとか書いたノボリを持った20人程度の“市民”が集まり、「自衛隊を即時撤退させろ」と叫んでいました。
 ヤツらはテロリストです
 無論ヤツらが人質を取ったわけではありませんが、しかしテロリストがとった人質を盾に主張していることには変わりなく、むしろテロリストの尻馬に乗って主張しているようなモノで、さらに言えばテロリストの手先となっているようなモノでしかないと言えるでしょう
 これはテロリズムです
 
 
 もうみなさんご存じだと思いますが、イラクにおいて3人の日本人がテロリストによって拘束されました。
 テロリストの要求は「自衛隊の即時撤退」
 ついにテロリスト共が日本に直接牙を剥いてきました。
 
 昨日からテレビ等ではトップニュースで報道されていますので、この一連の事件に対する意見も様々出ています。
 やえは、テレビなんかは政府を責めるような報道をするのかなと思っていたのですが、意外とそのような話はあまり出ず、なんだか当たり障りの無いような表面的な意見しか聞こえてこないので拍子抜けしていたりします。
 拘束されたのがマスコミ人も含まれていたのでマスコミは同情的になるかなとも思っていたのですが、やはり拘束された連中の「自業自得」という面は無視は出来ないようで、それでもそこを言及すると自らの行動をも否定することになるので正面切っては自業自得とは言えない、だからなんだか当たり障りのないほどほどの報道になっているのでしょう。
 まぁテレビなんていつもこれぐらいでちょうどいいんでしょうけどね。
 
 そう、拘束された3人に対しては「自業自得」という面は拭いきれない事実です。
 危ないと分かっている場所に自ら行ったのですから、火事場に飛び込むようなモノで、その行為は自分の責任だと言えます。
 だから、特にマスコミに厳しいネット上では、マスコミや拘束された本人達を糾弾するような内容をよく見かけます。
 やえも昨日、一報を聞いてすぐに「ついにマスコミがやってしまった」と思い、ヒトリゴトのところでそのようなことを書きました。
 拘束された3人は自業自得だと思います。
 
 しかし、やえのいつものスタンスで考えれば、まずは言っておくべき事があります。
 
 諸悪の根源はテロリスト共です
 
 人質をとって政治的要求をするという許されざるテロルを実行したテロリスト共が最も悪いのです。
 ですから最も批判されなければならないのはテロリスト共なんです。
 
 やはり日本国内においてはこの視点がちょっと抜けているような気がします。
 冒頭でも言いましたようにテロリストの尻馬に乗っているような連中なんかは、むしろテロリズムに賛成していると言えてしまうでしょう。
 どうしても「イラクは可哀想で被害者で、テロリストも自由のために致し方なく戦っている人たち」と思っているような風潮がどこかりあるようですが、しかしもしヤツらの行為と要求を受け入れ正当化してしまうのであれば、それはとんでもないことです。
 
 もしそうなるのだったら、
 
 北朝鮮に言うことを聞かせるために、日本国内の北朝鮮人を人質に取りましょう。
 中国に言うことを聞かせるために、日本国内の中国人を人質に取りましょう。
 
 アメリカの一国独裁主義を阻止させるために、日本国内のアメリカ人を今すぐ拘束しましょう。
 
 もしそうなるのだったら、
 
 イラクで拘束されている日本人を開放させるために、イラク人を拘束しましょう。イスラム教徒を拘束しましょう
 
 
 もちろんこれらは許される行為ではありません。
 こんなことをしたところで、正当性はありはしませんし、正義なんてもってのほかです。
 仮にアメリカ人を拘束してアメリカ政府に要求をしたとしても、責められるのは当然アメリカ人を拘束した側でしょう。
 それと同じように、諸悪の根源はテロリスト共であるのは議論の余地のないところで、例え3人が殺されたとしても政府や自衛隊に責任は無いのは当然の話です。
 もしそれでも政府に責任を取れと言うのであれば、それは、日本国内の犯罪の全ても政府のせいということで、つまり「社会が全て悪いんダー」理論と何ら変わらない事になるでしょう。
 
 
 今後、日本政府をはじめ、マスコミやボランティア団体等、どのような行動を取るのでしょうか。
 注目していきましょう。
 

平成16年4月10日

 邦人人質事件を受けての世論

 
 今日はちょっと豪勢にしゃぶしゃぶを食べに連れて行ってもらったのですが、そこではやえ達は何も考えずに一番安い食べ放題のコースにしたんですね。
 その後、しばらくして隣の席にお客さんが来たのですが、そのお客さん達、店員さんに
 
 「このコース、輸入物?国産?」
 
 と聞いていました。
 そして輸入物と分かったとたん、「国産のコースでお願い」と言ってました。
 
 BSE騒動は内需拡大につながっているようです(?)
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 イラクでの邦人人質事件ですが、国内ネット上のサイトさんでもかなり多くの方がとりあげたようで、さすがに注目度は高いということが伺えました。
 しかし最近は便利ですね。
 こちらのサイトさんなどでは、各サイトさんの反応を一覧で出されていらっしゃいます。
 
 これを見てびっくりしたんですが、いわゆる「自衛隊撤退派」、当サイト風に言わせてもらえば「テロリストの手先派」は思いのほか多いんですね。
 いつの間に日本にはこんなにテロリストが増えてしまったのでしょうか。
 こわいです。
 
 どうしてテロリストの要求に従えと簡単に言えてしまう人がこんなに多いのでしょうか。
 昨日も言いましたように、もしそれで通るのでしたら、さっさと日本政府もイラク人を拘束すべきだと思うのですが、それは許されない行為ということは言うまでもないことです。
 まさか日本人の中に「イラク人を拘束しても正義だ」と言う人はいないと思いますが、しかしそう思っていないのであれば今回の事件に対して「自衛隊は撤退せよ」と主張することは矛盾していることになるのですけど、気づかないのでしょうか。
 まずそこをよく考えて欲しいモノです。
 
 よく考えて欲しい、と書きましたが、さっきのサイトさんから「自衛隊撤退派」の方達の主張を色々と拝読していましたら、残念ながらとてつもなく稚拙な文章ばかり当たってしまうんですね。
 昨日も言いましたように、この問題で最も悪いのはテロリストです。
 これは議論の余地はありません。
 それなのに自衛隊反対派の方々は「自衛隊を派遣したから拉致された」ということばかりを書かれておられます。
 じゃあアレですか、昭和52年に起きた日本赤軍が起こしたハイジャック事件は、日本赤軍を捕まえた日本政府の責任なんでしょうか。
 それとも日本赤軍というものを生んでしまった社会の責任なんでしょうか。
 それともそもそも日本政府が存在しているからこそハイジャック事件というものが起きてしまったと言うのでしょうか。
 確かに日本政府が存在していなかったら、日本政府に政治的要求を突きつけるテロルなんていう事件は起きなかったでしょうね(苦笑)
 昨日も言いましたように、こんなこと言い出したら全ての犯罪は「社会が全て悪いんダー」理論になっちゃいます
 どうしてこんな簡単なことが分からないのでしょうか。
 
 中には「自分は政治はよく分からないから普段はそんな話題はしないのだけど」という感じの趣旨のことを前書きで書いておられるサイトさんがちらほら見受けられましたが、分からないなら分からないまま書かないでいてほしいと思います。
 どこまで公の場に文章を載せるという覚悟が出来ているのか分かりませんが、「自衛隊は撤退せよ」という意見は、完全に政治的意見ですし、公の場に載せることは政治活動に他なりません
 どうもこの辺をしっかりと認識していない人が多いような気がします。
 よくデモなんかをしている人も、自分が政治活動をしていると認識している人はけっこう少ないようですし、いつぞややえが批判した「千人祈」とかいう運動も、これは完全に政治運動なんですが、そう認識している人は皆無のような感じでした。
 しかし「自衛隊撤退」という主張は完全に政治主張であって、だからこそそう主張するのであれば、撤退した際の様々な影響を考慮した上でそう主張しなければならないハズなのですが、それが全然出来ていないのですね。
 
 ことイラクのこと、自衛隊のこと、戦争のことになると、全く表面の上でしか物事を捉えられなくなってしまう人があまりにも多すぎるの気がします。
 何度も何度も言ってますが、最も断罪されなければならないのはテロリスト共なのは議論の余地のないところなのですが、それすら見えなくなっている人が多すぎます。
 
 テレビのニュースでちらっと見たのですが、拘束されている3人の誰かの母校で、その人の解放を求める署名を書いているという映像が報道されていました。
 「署名を書いている」と言いましたが、実際には教師が主導して生徒に“書かせている”ワケですね。
 「生徒は同意している」という言い訳もあるんでしょうけど、しかし「教育の場を政治利用するな」というのは日教組や朝日系のサヨクの常套句だったハズです。
 しかしこの光景は完全に「教育の場で政治活動を子供を利用して行われている」のです。
 普段なら大反対しなければならないハズなのですが、自分たちの都合の良い主張の場合は思考停止というか、見て見ぬふりを決め込んでいるのでしょう。
 
 しかしそもそも学校で署名運動をしている人たちも、自分たちが悪いことをしているとは露とも思っていないのでしょう。
 日本人は、という枕詞はやえは嫌いなのですが、日本人は「目に見える命の危機」に対すると急にそれだけしか見えなくなってしまい、それを回避するための行為はどんなことでも「正義」としてしまう悪いクセを持っています。
 自分が主張していることは実はテロリストの手先になっているなんて全く思いもせず、テロリストを批判することも忘れ、教育の場で政治活動をしていることも「目先だけの命の危機」を回避するためなら絶対正義と思いこんでしまっているのです。
 しかしその「目先だけの命の危機」だけに囚われていると、その行為は自己満足だけに終わらず、他人に対して重大な結果をもたらしてしまう可能性があります。
 「自衛隊撤退派」の人たちの意見を見ていると、もう目先のことだけで世界の全てが終わっていてその先を全く見ようとしていないんですね。
 しかし自衛隊を撤退させることは、それはテロリストの利益をかなえる結果でしかありませんし、また他のテロルを誘発することにもなりかねませんし、他国でも起きているテロルに対しても悪い影響を与えるでしょうし、さらには日本はテロルに簡単に屈した国、テロルさえすればなんとでもなる国だと思われかねません
 もっと広い視点で見るなら、自衛隊という組織そのものを軽く見られてしまうでしょうし、そうなると北朝鮮問題で良い結果は得られなくなってしまうでしょう。
 幸いなことに小泉首相はこの手のくだらない世論に屈することなく常識的な判断をしているようですが、未だにこの手の世論が日本の中で続くようでしたら、一国平和主義の夢想を抱きながら日本はまた同じ過ちを将来において犯してしまうことでしょう
 
 冷戦体制が終わってはや十数年。
 もういい加減日本人は成長しなければならない時期に来ていると思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、責任を持った言論を応援しています。
 
 

平成16年4月11日

 速報・人質解放!?

 
 
 昨日の更新で自作自演説にもちょっと触れようと思っていたんです。
 なかなか説得力があって面白いですねーって。
 今回のとは別のよくある「自作自演説」っていうのは、けっこう無茶な理由が掲げられていることが多いのですが、今回の「自作自演説」はなかなか無理がない素直に納得できる理由が多かったので、なかなか説得力があるんです。
 例えば
 

 ▼犯行組織の名前が日本名で『戦士の部隊』(サラヤ・ムジャヒディーン)というイスラムにありえないチープさ。しかも現地イラク人や海外ジャーナリストは誰一人としてこのグループを知らない、認知していない。無名。
 ▼自演じゃなくてテロリストが本気で撤退を望むなら、猶予は1週間とか2週間くらい与える。常識的に考えて3日程度では稟議書が回らない。
 ▼犯行声明に西暦が使われている。イスラム原理主義ならイスラム暦を使うはず
 ▼犯行声明文に宗教的修辞が皆無。
 ▼犯行声明文にアメリカに対する要求が皆無。

 (以上みずほちゃんのとこより)

 
 あとどこで見たのか忘れたのですが、同じ時期に韓国人の人たちも人質として拘束されていたのですが、これがものすごくあっさり解放されているのです。
 こちらの記事が色々な意味で面白いのですが、つまり今回の日本人3人と間違えて拉致してしまったのではないか、単に日本人と韓国人と見分けが付かなくて依頼人(つまり邦人人質3人)と間違えてしまっただけで、だからあっさりと韓国人の方は解放されたのではないか、という自作自演説の理由もありました。
 
 面白いほど説得力があります。
 
 ただ、やはり自作自演説っていうのは面白がって見るのはいいですが、本気になって支持するというのは、あまり適切ではないと思っています。
 自作自演説を唱えると言うことは、「間違ったことを言っている」と指摘するのではなく、「お前はウソをついている」と言うことですので、やえはちょっと気が引けるんですね。
 まして今回のことが自作自演であったとしたら、その依頼人達は「売国奴」とか「国賊」とかという言葉では足りないほど酷いモノと言えます。
 日本史に記録されるほどの、格としては麻原と同格ぐらいの「犯罪者」であると言えるでしょう。
 だから日本人である人質の3人が、いくらなんでもそこまではしないだろうと、日本人が国を売るなんて事はしないだろうと、やえは信じているのです
 
 どうやら日本人の人質が解放されそうというニュースが入ってきました
 
 えええええええええええええええええええ!!!!!?????
 3人が拘束されたのは8日です。
 テロリストが自衛隊撤退の期限としていたのは3日以内です。
 人質解放が伝わってきたのは今日の深夜早朝のことなんだそうで、今日は4日目です。
 なんでこんな早い時期にこんな事が起きるのか、そもそも人質を犯人から自ら解放するなんて、誰にも予想できなかったことです。
 今やえはテレビ見ながらこれ書いているのですが、結局だれも説得力のある解放の理由を語ることが出来ていないような気がします。
 何とか隠そうとしていますが、みんな「なぜ!?」という思いがあって、理由を必死で探しているような雰囲気を、やえは受けています。
 
 やえだって分かんないです、こんなの。
 今でもどう理由をつけたらいいのか、全く見当すらつきません。
 
 そんな中で頭に浮かんできた自作自演説・・・。
 
 あああああああああああああ、ダメです
 確かに面白いですが、ダメです、それを信じたらダメです。
 自作自演説なら全てが納得できる説得力を持ってますが、それはダメですぅ。
 犯人グループが解放の理由として「家族の涙」なんてことを言ってるみたいですが、あああああああ、いや、でも、さすがに自分の主張を正しくするためといっても日本人が国を売るなんと事まではしていないと、信じたいのですぅぅぅ。
 そういえば犯罪を捜査する上では「その犯罪で最も得をする人間を疑え」という常識があるとか聞いたことありますが、今回のことで一番得をした人と言えば・・・ああああああああああ、いやいや、さすがに国は売らないと信じたいぃぃぃぃぃぃ
 
 
 
 はぁはぁ。
 
 
 
 というワケで、今この時点ではまだ解放されていませんので、無事解放されることを祈りまして、また解放された際には素直によかったと思っておきたいと(表向きには)思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、自作自演説は応援していません(表向きには

平成16年4月12日

 解決方法を考える

 
 今日はちょっと長くなってしまいましたので前書きは無しです。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 これを書いている時点(12日17時現在)ではまだ人質として囚われている邦人3人は開放されていません。
 このことについては色々と憶測が流れていますが、情報がまったく出てきていないので何とも言えないという状況が続いています。
 これはもう関係者の努力に期待して見守るしかないですね。
 
 昨日テロリスト共から、人質は返すという趣旨の声明が発表されました。
 最終的にどうなるか分かりませんが、それが実現すれば、様々な諸問題に対する議論は置いてくにして、一応事件としては解決されます。
 テロリストによる人質事件というのはなかなか解決が難しい問題ではあるんですが、今回は犯人の方からかなりの譲歩が得られたため、肩すかしとも言えるほどあっさりと解決した(する予定)になります。
 
 しかし、普通なら人質事件の犯人はここまで簡単に解放したりしません
 人質を取るという事自体かなりのリスクを負って実行しているのですから、それに見合うリターンが無ければ、リスクの負い損になりますからね。
 だから普通はこんなに簡単に事は進まないですから、もし仮にまだまったく解決の糸口が見つからない場合を想定した時に、では日本としては解決のためにどのような手段を用いればいいのかということを考えてみたいと思います。
 また似たような事件が起こる可能性も十分にありますしね。
 
 
 ・武力突入により強制的に人質を奪還
 ・犯人が要求していること意外での条件を提示して解放してもらう
 ・犯人の要求を飲む
 
 人質の生命を守る目的で行動するなら、この3つぐらいしか選択肢はないかと思います。
 2番目のは、つまり今回のことでいえば、「自衛隊撤退は出来ないけど1億円あげるから解放してね」という政治的取り引きのことです。
 そういえば韓国では金取り引きで人質を解放したのではという話が出たらしくて、かなり問題になっていました。
 
 すでにいろんな所で言われていますように、テロリストの要求を飲むことだけは絶対にやってはいけない事として世界的には常識にすらなっていますので、3番目は論外です。
 また同様に、2番目もほぼ論外に近いと思います。
 人質さえ取れば金儲けになる、と思われることだけは避けなければならないですからね。
 だからこそ韓国では問題になったワケですし。
 
 残ったのは武力突入です。
 テロリストによる人質事件での武力解決というのは、やえ的には数年前に起こったペルーでの日本大使公邸占拠事件を強く思い出されます。
 最終的にはペルー軍の強行突入により、数名の犠牲者を出しつつもほぼ大成功を納めたと言ってもいい結果になりました。
 時の日本総理は橋本龍太郎さんでしたが、あの時は「対話で解決を、平和的解決を」としつこくペルー政府に要求して足を引っ張っていましたのを覚えています。
 また日本の世論も、かなりの多くの人たちはそんな政府の方針を支持していました。
 それを考えれば今回の事件に対する世論はかなり変わってきたなぁと思うんですが、つまりすでに相手は人質を取るという武力行為をとっているのですから、そもそも「対話で解決」というのも何を対話をするのか疑問ですし、対話という手段はほとんど現実的ではないという事を、ペルーでの事件は日本人に教えたのではないと思います。
 
 やはり1番目の武力突入しかなさそうな気配です。
 では今回の事件の場合、どのように武力を投入すればいいのでしょうか。
 
 残念ながら自衛隊はこれを行うことは出来ないと思われます。
 法的な問題と装備的な問題があると思います。
  
 法的なことを考えるなら、やはり人質奪還という作戦は、こちらから積極的に敵を攻撃し殺すということになりますから、これを「正当防衛による自衛」と呼べるかどうかとても疑問です。
 「正当防衛」という概念は、自衛隊だけにあるモノではなく、ごく一般的に民間人にも法的に認められている権利です。
 例えば、町中を歩いていていきなり他人に殴りかかられたら、被害者は殴り返してもOKというのが正当防衛ですけど、しかし殴られた後、犯人の家を突き止めて仕返しに殴りかかるという行為は、果たして正当防衛と呼べるのかどうかとても疑問ですよね。
 さっきも言いましたように、正当防衛というのは民間人でも自衛隊でも解釈は同じモノとして運用されていますから、やはり人質奪還としての行為を正当防衛と呼べるとはちょっと思えません。
 さらにさっきの例で言いますと、殴ってきた犯人を逮捕するのは警察が法で認められた権利を持っているから警察はそれを行えますし、また懲役等の罰を与えるのも裁判所が法で認めいるわけですから裁判所は罰を与えることが出来ますが、しかし自衛隊にはそのような権利は認められていないワケで、だから法的にはかなり難しいんですね。
 
 また装備的なことというのは、法的なことを踏まえて、そのような「正当防衛を越える」ような行為は行えないのですから、正当防衛を越える装備を持っていっても邪魔なだけなのですから、そもそも準備していないと思われるからです。
 日本の警察官は任務上拳銃を持つことを許されていますが、マシンガンは任務上必要ないですから持っていませんね。
 これと同じ事です。
 
 というワケで、日本自衛隊による武力での人質解放は不可能でしょう。
 
 蛇足になりますが、正直この事態は日本人としてやえは悔しいです。
 どうして自国の軍が自国民を助けに行けないのか
 「国家は国民の生命を守るために存在している」というのはサヨク辺りの常套句ですが、しかしサヨクが主張するような「自衛隊は正当防衛しかしてはいけない」という主張によって皮肉にも国民の生命を守れなくしているのです。
 
 とは言っても、これは日本国民全員の責任です。
 戦後からずっと日本は軍事というものから目をそらし空想的一国平和主義を唱えていたために、今日のような一人では何も出来ない日本という事態を迎えてしまったのです。
 どこかで、「日本の方針はアメリカに従うだけだから政府は悩む必要なんてないだろう」なんて言ってるのを見かけたのですが、どうしてここまで自分をバカに出来るのかやえには分かりません。
 そのような日本にしたのは日本人全員の責任であって、世論がそうさせたのであって、どうして自分だけしたり顔で政府や政治家を批判できるのか理解に苦しみます。
 
 やえは日本人として悔しいですが、ここはアメリカ軍による解放作戦を要請するしか無いのだと思います。
 実際イラクに駐屯している各国に日本政府は協力要請していましたし、アメリカも責任を感じているのか、それとも日米同盟からの思いなのか、積極的に日本人人質解放への軍事的行動を取っていたようです。
 その作戦が、一軒一軒アメリカ軍が強行突入するというローラー作戦をしているとかで人質家族達が「それでは人質が殺されてしまう」と中止を要請していましたが、やえは軍事のことは専門家ではないですし現地の状況も分からないですから、生兵法で意見を述べようとは思いません。
 しかし今はアメリカ軍に頼るしかないというのが現実です。
 
 でも、それが功を奏しているという話は聞こえてきませんので、結局は「情報を集める」ということしか出来ないのでしょう。
 ペルーでの事件と違って、今回は犯人がどこにいるのかが不明ですから、まずそれを知らないと強襲も出来ません。
 だからこそ米軍はローラー作戦をとっている(とっていた?)いるのでしょうし。
 やはりテロリストによる人質事件はどうしても解決が難しいということに変わりありません。
 色々と考えても、これだという解決策が見あたらないです。
 
 だからなのでしょうか、やはりマスコミ等の報道を見ても、「テロリストの要求を受け入れてはいけない」という趣旨のことは主張しても、「どうしたら人質は解放されて解決できるのか」という点については触れないようにしている感じがします。
 方策が見つからないから言いにくいんですね。
 また「テロルの主張に屈するな」ということは、最悪人質が殺害されるということも可能性としては考えなければならないので、それを言葉として出してしまうと「縁起が悪い」とされる言霊信仰のある日本人としては、最悪の事態はなかなか言いにくいというのが本音なのでしょう。
 ますます「どうすれば解決できるのか」という主張がしづらくなっているんですね。
 
 
 では、上に挙げた3点以外での解決策を考えてみましょう。
 いろんなところで一番よく見られた策として、「一時撤退して、人質が解放されたらまた派兵する」というモノがありました。
 しかしこれもやはりテロリストの要求に応えていることには変わりありません。
 どうしてテロリストの要求に応えてはいけないのかといえば、いったん要求を飲んでしまうと、また同じ手口でもってさらにエスカレートした要求をされるからです。
 だから一時的とは言えテロリストの要求を飲んでしまえば、例えばまた派兵したあかつきには、やはりまたテロリストは人質を取ろうとするでしょう。
 もちろん今度は人質としてとられないようにしっかりと警備等すればいいんでしょうけど、しかしテロリストからすればバカにされたと思うでしょうから、さらに危険度は増すモノと思われます。
 
 他には「イラク人を人質にして交換する」とかありますが、これは前にも言いましたように、日本の誇りを失うような卑劣な行為をしてまで守る日本などありはしませんから、論外です。
 
 日本の誇りを考えるなら、「自分の身勝手のせいで多くの人に迷惑をかけるわけにも足を引っ張るわけにもいかない」と叫び人質自ら腹を斬る、というのもあります。
 ただ、このようなことは、他人が強要することでは決してありませんから、このようなモノもあるということだけ書いておいて、これ以上のコメントは差し控えます。
 
 あと考えられるモノとしては、うーん、犯人に情で訴える・・・ですか?
 「私たちは何もしていないのにどうしてこんなコトするんですか。うるうる」
 って言って、助けてーって言うんです。
 しかし、そもそもテロリズムっていうものは、当事者でない人を暴力の標的にすることで恐怖を与えて政治目的を達成するモノですから、むしろ被害者の家族とかがこわがることこそテロリストの思うつぼなんです。
 だから、助けてーって言って助かるハズがありません。
 
 
 助かっちゃったよ(三村風
 
 
 ごめんなさい、一人ボケツッコミしちゃいました・・・。
 まだ確定じゃないんで、断言できないんですけどね。
 まぁ色々な要因があるとは思うのですが、例えば福田官房長官が真っ先に「撤退しない宣言」したこととか、川口外務大臣が流暢な英語で「あの人達はむしろイラクを助けようと活動していたのです」とアピール映像を流したりとか、自衛隊の人たちの活動が現地の人たちにとても好意を持って受け入れられているとか、色々あると思います。
 しかし本当にこんなことで解決できるなんて普通では考えられないことです。
 今回のことは、まだ断定できませんがこれで解決したとしたら、とても特殊なこととして考えておくべきでしょう。
 さっきも言いましたように、恐怖を感じることがテロリズムの手段なのですから、そうやってあわてふためくことはテロリストの思うつぼなのです。
 だから普通ならこの程度で解放される理由などまったく見つからないのです。
 
 結局どうすれば解決するのかハッキリと答えを見つけることは出来ませんでした。
 唯一あるとしたら、覚悟を決めること、でしょう。
 敢えて申し上げるなら、人質が死んでも動じない、と覚悟を決めておくのです。
 そうすることで、「次の被害を防ぐ」ことにはなるんですね。
 
 
 色々と長々と書きましたが、結局人質されないためには、危険性が高い事はしない、具体的にはイラクに行かないとか、そうするしかありません。
 テロルはどこでも起こる可能性はある、とは言いますが、確かに可能性を考えればどこでも起きうるのでしょうけど、しかしイラクにいるのと日本国内にいるのとではその可能性は天と地との差ほどあります
 最も基本的なことですが、一人一人の自覚こそがテロルに対する上で一番大切なことでしょう。
 
 テロルに打ち勝つことはなかなか難しいですが、屈せず負けないことが重要なのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、テロルに負けない心を応援しています。


平成16年4月13日

 人質被害家族達

 
 年金を扱っている番組を見ているのですが、どうもやはり「損か得か」という観点でしか扱っていないんです。
 でも前言いましたように、年金はそういう考え方で出来ているのではないんですね。
 この番組は、よくあるように国を批判するためだけの浅ましい番組ではなく、年金は大切だということを言っているのでまだマシなんですが、それでも損得だけで年金を説明しても、はたしてそれで100%納得できるのか疑問です。
 そもそもの年金の精神こそをちゃんと伝えて欲しいモノと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 人質家族達が先日15万人の署名を官邸に提出したというニュースはご存じの方も多いと思いますが、あれってなんの署名なんですかね。
 というのも、テレビなんかでは「早期解放に向けての努力を求む署名」とかなんとか言っていたような気がしますが、よくよく調べてみたら、それとあわせて「自衛隊の即時撤退を求める」という文言も入っているとのことで。
 これって卑怯なんじゃないですかね
 署名のフォーマットなんてものが法的に定められているワケではないのでしょうからどう作っても自由と言えば自由ですが、しかし一つの署名に二つの主張をいれるというのは、常識的に考えてオカシイのではないかと思います。
 「早期解放に向けての努力を求む」なんてことに反対する日本人がいるハズがないのは明らかですが、しかし自衛隊撤退に対しては意見が分かれるところですから、この二つを併記して署名させるというのは、「早期解決を求める署名」をエサにして「自衛隊撤退の署名」まで書かせている、と言えてしまうのではないでしょうか。
 テレビ朝日での世論調査でさえ、自衛隊残留派よりも撤退派の方が少ないと出ているぐらいですから、署名15万人全てが「自衛隊撤退」と思っているとはとても思えません。
 この署名は明らかに常識を逸脱していると思います。
 つまりこの署名は、人質の命を盾にして自衛隊撤退という政治的要求をしている、と言えるのではないでしょうか。
 
 あれ?
 これってテロリズム?
 
 
 人質の家族はこんなことをしているから煙たがられるのです。
 今スレ式板で「自作自演の可能性を考えるスレ」というのを立ち上げているのですが、そこで
 

 それにしても、今回の事件について国民の大多数の皆さんはどう考えているんでしょうかね?
 ネットで調べまわったりと動いてる人ではなく、お茶の間でニュースを見てたりする方々。
 撤退論になびいたり、家族に同情の涙を感じたりしているのでしょうか。

 
 という書き込みがありました。
 確かにこれがもっとも気になるところですよね。
 やはり近年インターネットが普及したとは言え、メール程度にしか使っていない人も相当いるようで、まだまだネット世論とリアル世論とは結びつかないことが多いのが現実です。
 実際ネットでは自作自演説がかなり流れていますが、既存マスコミでは自作自演のじの字も出てこないです。
 まぁやえもこの前言いましたように、自作自演説なんていうものはかなりの確証のある証拠が無い限り簡単に言えるモノでもないと思いますから、マスコミも可能性を認識していても自粛している部分もあるんでしょうけどね。
 しかしだからこそ「お茶の間世論」がとても気になるところではあります。
 
 被害者家族と言うと、まず頭に浮かんでくるのが「北朝鮮による拉致被害者家族」です。
 この人達はほぼ世論の全てに支持されていますよね。
 小泉さんが北朝鮮に行き、ジョンイルが拉致を認め、横田さんは亡くなったと言われた時など、日本ではものすごい世論の盛り上がりがありました。
 被害者家族の思いと世論とが一体となって、拉致問題解決は国是となりました
 
 この例から比べれば、イラクで人質になっている人の家族に対する世論のバックアップというものは全然ありません。
 人質解放は国是には違いありませんが、それが家族達の思いと世論とが一体となっているかと言えば、決してそうではないと言えるでしょう。
 この差はどこにあるのかと言えば、やはり人質家族達がとても「うさんくさい」と、お茶の間ではどこかで感じてしまうからなのではと思います。
 
 「お茶の間世論」はあくまで「お茶の間」だけの世界です。
 たまに「井戸端」まで広がりますが、せいぜいその程度です。
 それに対し、人質になった人とかその家族は政治団体(自民党撤退という主張は政治主張であり、そう主張する団体は政治団体です)の運動員だったりしていますし、人質解放にカコつけて自衛隊撤退という政治主張をしていたりしているように、世界が「お茶の間」という範囲を超えているというか、全く別世界なんですね。
 
 北朝鮮拉致被害者の家族達は、昔から純粋に「拉致被害者の解放」だけを願って運動をしていました。
 まだまだ朝鮮半島が“聖域”とされている時代から、時には右翼だ売国奴だと言われつつも、横田さんを始め被害者の家族達は一生懸命努力してきました。
 時には「北にコメを送るな」という主張もしていましたが(これだって当時の世論は送れと言っている人がかなりを占めていました)これも純粋に被害者を救う気持ちが先にあって、その方策として「コメを送るな」と主張していただけに過ぎません。
 決して「コメを送るな」という主張が先にあるのではなく、また反北朝鮮という思想すら先にあるのではなく、純粋に「被害者の解放」を願って運動をしてこられたのです。
 
 温度差はここに生まれます。
 イラクの人質とかその家族とかは、まず政治主張が先にあるんですね。
 だから、「政治も戦争もよく分からないし関係ないわ」という「お茶の間世論、井戸端世論」から見れば、政治主張が主だっている人たちに対してはどこかうさんくさいものを感じるのでしょう。
 「お茶の間世論」はお茶の間が世界の全てですから、「もし自分の子供が北に拉致されたら」というのは危機感を覚えることが出来ますが、「自衛隊撤退」という主張まではあまりにも自分の生活圏から離れすぎた「お茶の間の外」の話でしかないのです。
 人質の家族達は、もし政治主張とかその辺をとりあえず全部凍結して人質解放だけを訴えればまた違っていたのでしょうけど、それが出来なかった時点で「お茶の間世論」からは「うさんくさい連中」と思われてしまっているのです。
 
 少なくともイラクが危険な場所であるということは、福田官房長官を始め、そもそもマスコミが率先して喧伝していたことです。
 「イラクには“非戦闘地域”なんかないから派兵すべきではない」と。
 マスコミ人だったり現地の事情に詳しいNGOの職員である人質たちが、イラクは危険であることを認識していたのは言うまでもないことです。
 もしこれが普通の民間人だったとしても、そんな中で自ら危険な地に赴いたという責任は免れようのない点です。
 その責任の程度については議論の余地があるのでしょうけど、しかしお茶の間から見れば「どうしてわざわざ危険なところに自分から行ったのか」という疑問がどうしても残りますので、家族達がその責任を省みずいきなり「自衛隊撤退」を主張するのは、あまりに論が飛びすぎています。
 この辺も政治主張ありきの態度と言わざるを得ず、お茶の間からは支持を得られない理由になっているんですね。
 
 自作自演説はともかくとしましても、人質家族の本当の背景である政治思想・政治運動・政治団体が見え隠れしている限り、人質の命を盾にして政治目的を達成しようとしている事に違いはありませんし、これはテロリズムの精神と何ら変わりはないでしょう
 
 
 蛇足になるかもしれないですが、最後に少し。
 例えば、北朝鮮の拉致被害者の家族の人たちは、その目的は被害者の救出であって、最終的には「平穏な日常」こそが願いなのです。
 今はまだ解決していないので横田さんたちはマスコミの前に出たりとか講演とかして救出への訴えをしておられますが、この問題が解決したあかつきには(なにが解決かという問題もありますが)また静かな生活に戻られることでしょう。
 どうして世論が拉致被害者家族に絶大なる支持をしているのかと言えば、つまりここにポイントがあって、拉致被害者の方方々は政治的な思想が目的ではなく「平穏な日常」に戻ることが目的だからこそ、多くの日常に暮らす人たちから「同情」され「共感」を得られているのです。
 
 「平穏な日常」でふと思い出したのが、薬害エイズ問題です。
 小林よしりん先生が、薬害エイズ被害者の川田龍平さんに言ってました。
 「運動で出来ることは終わったのだから日常に帰れ」と。
 川田さんは普通の学生だったにもかかわらず、薬害エイズによって政治的主張をせざるを得ない立場になりました。
 その後、様々なハードルをクリアしていき薬害エイズ問題はほぼ解決しました。
 その時点で、よしりん先生がおっしゃったように運動で出来ることは最大限出来たのですから、これで川田さんは日常に戻るべきだったのです。
 しかし川田さんは日常に戻ることなく、運動家への道をたどっていってしまいました
 川田さんの実母が衆議院議員になってしまうという、なんとも異常な事態にまで発展してしまいました(前回の選挙で落選)
 
 ここまでくると、普通の人から見れば共感なんて得られるハズがありません。
 運動家になり普通ではない人になってしまった川田さんが今出来ることと言えば、せいぜい「薬害エイズ被害者」という「弱者の立場」を利用して、つまり当サイト的に言えば「一見弱者」となって、他人に後ろめたい気持ちを背負わせて、無理矢理共感させることぐらいでしょう。
 しかしそこに「お茶の間世論」からの共感など得られはしません。
 あくまで、誰にでもある日常を望むからこそ、それを絶たれているという異常事態だからこそ、そこに同情や共感を得られるのであって、目的が日常から乖離してしまえば「所詮は他人事」で終わってしまうのです
 
 今回のイラクでの人質やその家族達はどうかと言えば、もう言うまでもなく、はじめから日常からの乖離をしています。
 そして、今後人質達が解放されたとしても、かなりの高確率でそれをネタに自分たちの政治運動政治主張をしはじめることでしょう。
 こんなのでどう共感しろと言うのでしょうか。
 共感しろと言う方が無茶な話です。
 はじめから非日常の人たちなのですから、日常から共感など得られるハズはないのです。
 
 
 結局今の人質家族達は、人質の命を盾にして自分たちの政治主張を実現しようとしているに過ぎないですし、その精神はテロリズムの精神と相通ずるモノがあるということです
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日常の人たちを応援しています。

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