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自己責任論は攻撃材料でしかないのか!?年金制度一元化。アナタならどっちを選ぶ!? 結果発表小泉メルマガレビューどこまで続くか迷走民主党議長と副議長リーダーを尊敬する代理出産小泉メルマガレビュー戦争しろとは国民に向かって言うべし歴代首相アンケート国連決議が出ましたよ

平成16年6月1日

 自己責任論は攻撃材料でしかないのか!?

 
 だれだー、オレの事ヨッパライって言ったのわー(笑)
 
 というワケで、最近出番が多い、ヨッパライ天堕 輪☆あまおちりんである。
 今日は諸事情でオレである。
 ごきげんよう。
 
 前にも書いたがどうにも文章がまとまったのか自信がない。
 本来なら一日ぐらい文章を寝かして読替はした方がいいような気がするんだが、状況がそうも許さないようなので、とりあえずアップする。
 後でこっそり修正するかもしれんが、気づいた人は見て見ぬふりをしてくれ。
 
 
 
 ところでだな、この前オレはどこかのサイトでこんなことを書いているのを見かけたんだよ。
 
 イラクで殺された2人に対しては、今回は「自己責任」という言葉を使いたくない。
 
 オレはおいおいおいって思った。
 そんなん主張に一貫性がないじゃんって。
 ただ、ここのサイトの人がそう思っているだけで、まぁ一般的にはそう思っている人なんていねーだろーと思っていたんだな。
 
 ところがところが、当サイトに同様の書き込みがあった。あったんだ。
 えー、やっぱりそんな風に思っちゃっている人って多いのかー。
 
 というワケで、もう一度自己責任論について整理しよう。
 それは昨日やえが書いた事ともかぶることになるので補足にもなろう。
 
 
 自己責任とはなんだ。特にこの度のイラク在留邦人問題に対する「自己責任論」とはなんだったのか。
 それは決して「3バカを攻撃する材料」程度では決してない。
 ヤツらを攻撃するためだけに自己責任という言葉が生まれたのか
 そんなことは決してない。
 自己責任論はまともな論だからこそここまで世論的に盛り上がったのだ。
 
 イラクは危険である。
 これは何度も何度も政府が言っていたよな。
 そしてそれ以上にマスコミこそがイラクは危険だ危険だ危険だと耳タコで叫んでいた。それは「イラクには非武装地帯なんか無い」という主張を強固にするために、政府以上にイラクは危険だと喧伝していたわけだ。
 
 つまりイラクが危険であるということは日本人なら誰しも知っている共通認識であった。ましてイラクに行こうという人間がそれを知らないとは絶対に言わせない。
 
 今回の自己責任を問うということは、そんな「誰もが止めるような危険なところ」に「制止を振り切って敢えて行く」というこの行為に対するものである。
 他人には責任は全くない、まさに自己・自分だけが責任を取らなければならないような行為をすることを「自己責任」と言うのだ。
 政府や他人には責任を問えない、自分だけが全ての責任を負う、負わなければならないという主張が、今回の3バカに対する自己責任論だったわけだ。
 
 当然これは今回死んだ2人に対しても当然当てはまる。でないと「自己責任論」の論に一貫性を欠いてしまうし、逆にそうしないと、「自己責任論」というものがバカを攻撃する材料でしかなかったという証明にもなってしまう。
 でっちあげの論でしかなくなってしまう。
 
 言ってみれば自己責任という言葉はだれにでも当てはまる。
 例えば海外旅行に行くのも自己責任だっていう主張もあったが、これは半分ぐらいは当てはまっている。外国は日本より当然治安が良くない、これは常識としてあるわけだから、多少の責任は旅行者にある。
 ただし、日本政府が渡航を自粛するような勧告を出していないようなそんな場所には、逆に言えば日本政府が比較的安全だと保障しているとも言えるので、そこで危険な目があった場合は日本政府はそれなりの対応をする義務があろう。
 だからその海外旅行者はその程度の自己責任しかないと言える。
 
 例えば北朝鮮にいる拉致被害者。
 日本国内で歩いていたら北朝鮮の工作員に拉致されてしまった。
 自己責任は一応はある。
 しかしそれは責められるようなレベルではないよな。
 
 例えばどこかの国では、夜一人で、特に女の子が歩くのは危険とされている場所がある。そこでその国の女の子が夜一人で歩いていて何かの犯罪に巻き込まれたとしたら、それは「自分が悪いんだろ」、つまり自己責任だと責められることだろう。
 
 誰にでも自己責任はつきまとう。
 奴隷じゃないかぎり、自由と責任は表裏一体なのだから、どうやっても自己責任というのはつきまとう。
 しかしその責任は自分だけに100%負わなければならないか、というのはまた別議論だ。
 だから、自己責任を人によって当てはめたりそうでなかったりするっていうのは、まったくもって筋が通ってない、デタラメな話でしかないのである。
 
 では何が問題なのか。
 どうして3バカ共は責められたのか。
 それは自己の責任がどれぐらいあるか、ひとえにここにかかっている。
 冒頭にも言ったが、イラクは危険だというのは日本人なら誰もが知っている百も承知な場所であり、政府すら行くなと言っている、そんな場所に自ら行くという行為は、自分の責任以外どこに責任を求められるのだろうか、という話である。
 まして3バカの家族共はその責任を政府に転嫁しようとした。これが世論が爆発したきっかけだが、そもそも一番の責任はイラクに行った3バカ本人である。
 
 この点において、3バカも、後の2人のアホも、そして死んだ2人も全く何も変わらず同様である。
 
 「立派な方ですよ。本当の意味で惜しい日本人だったと言えます。どっかの妹や弟と違い、遺された奥さんの態度も見事でした。」
 
 全然関係ない
 自己責任論は文字通り「自己」の責任である。
 そこに家族も何も関係ない。
 立派なのも関係ない。
 
 だいたいね、立派とかなんとか理由になるんだったら、この3バカに対する自己責任論の反論で「高遠とかは子供を助けるという立派な仕事をしに行ったのだから責めるな」という論は正しい事になる。郡山の「自分はジャーナリストであり自己責任論は自分にはあてはまらない」という言葉も正しい事になる。
 んなこたぁねぇんだよ。
 立派だろうが家族がしっかりしてようが、イラクという危険な場所に政府すら止めているような場所にノコノコと入っていくという行為は、それは1から10まで自分だけの責任であって、例え危険な目にあったとしても誰にも頼らずテメーだけでケツをふけって話なんだよ。
 やえもそんな風に書いてただろ。
 だから3バカも後の2アホも同様に扱ってただろ。
 そしてそれでも行くんなら、自分だけの責任であるということを表明しろって、何があっても他に影響が出ないように配慮し表明しろって言ってたろ。
 そーゆーことなんだよ。
 立派とかなんとか家族とか関係ねぇんだよ。
 テメーでテメーのケツを拭くのは当然なんだよ。テメーのケツを拭くのは普通の話であって、別に褒められるような話でもねぇ
 
 だから死んだ2人も一緒。
 自分の責任において死んだんだから、自己責任ですねで終わり。
 それ以上も以下もねぇ。
 
 もし3バカだけを責めて、今回の死んだ2人は責めないというのであれば、それは「自分がムカついたかどうかだけで自己責任の定義をコロコロ変えている」ということとしか言いようがねぇよな。
 んで、そういうヤツは結局自己責任っつーものが分かってないわけで、高遠とかと同じなんだよ。政府が止める周りの人間が止める、その中でそれらを振り切って出ていくっていう覚悟の大きさを自分自身で認識していなかった。自分の責任の重大さを認識できていなかった。それは自己責任の基準が分からないからだ。自己責任の何が問われるのかさっぱり理解できていないからだ。テメーのケツの拭き方が分からないからだ。
 つまり、定義がコロコロ変わるヤツは3バカと一緒なんだよ。自己責任という言葉を全く理解していないんだよ。テメーのケツを拭くという意味が全く分かってねぇんだよ。
 自分が似たような状況におかれたら、やっぱり同じ事するんだろうよ。
 
 そもそもマスコミは3バカの行為を崇高なモノだと、そして可哀想な被害者だと仕立てて政府批判にしようとしていた。
 あまりにも家族が大バカ過ぎたのでそれは達せられなかったが、もし家族が大バカ騒ぎしなければどうなっていたか分からない。仮にもし死んだ2人の方が先に事を起こしていたら、もしかしたら自己責任なんて言葉は出てこなかったかもしれない。
 もしかしたら今頃無責任な政府批判の大騒ぎになっていたかもしれない。
 しかしさっきも言ったが、順番がどうであろうと家族がどうであろうと、自己責任が問われる事にはなんら間違いはないし当然の話である。
 しかし責任っていうものが分からない人間は、ただ家族がムカつくからとかそういう理由でしか物事が見えないから、基準がコロコロ変わってしまうので、政府批判していたかもしれない。
 これってダブルスタンダードどころじゃねぇよな。
 
 
 昨日のやえの更新なんつーもんは、ここを誤解すんなっていう意味が込められている。
 自分と他人との距離をしっかりと持てってことだ
 自分と他人との距離が分からないようなヤツは、自分がムカついたかどうかなんてーことを基準にしちまうから、同じ事象でもその対応がフラふらフラふら変わる。
 ブームに流される
 やえが昔書いたが、9.11の一周年ぐらいの時、ものすごい「哀悼ブーム」が起きた。どこもかしこもネット中「哀悼の意」が踊り狂っていた。
 でもそれはどうやっても政治的に利用されているに過ぎないんだぞと。アメリカを利する事にしかならないんだぞと、やえは警告していた。
 しかしアメリカは、そんな世界中の哀悼ブームにつけ込んで、なんとオリンピックの開会式に星条旗を持ち込んでセレモニーをするという、アメリカだけの国威発動をしてしまった。
 こんなことがゆるされるわけがない。
 でも哀悼ブームでそれがゆるされてしまった
 つまり哀悼ブームが政治利用されてしまったのだ。
 
 それに対して「自分の哀悼の意は一人の人間として行っただけだ」という反論が来た。
 しかしやえは「じゃあ8.6の広島の原爆の日にはなぜしないのか」と逆に問うた。
 誰もそれには明確な答えを出せなかった。
 ここが「自分と他人」との境を明確に出す事が出来ない現代人の病理があるのだ。自分と他人との間にしっかりとした線引きが出来ているのであれば、米国テロルと広島の原爆との違いをハッキリと答えられるはずだ。自分の想いを政治利用なんてされることはなかったはずだ。
 それは自分の言葉に全く責任が持てていないということなのだ。
 
 ただなんとなく、ただニュースがものすごく大きく流れているから、ただたくさん人が死んでいるから、ただ衝撃的な映像を見てしまったから、ただそうすることが正しい良いに思えたから、ただ周りがしているから、だから自分もしなきゃ、自分もしておかなきゃ、そうじゃないとなんか後ろめたい、することが正義だ、自分は正しいことをしている、そうすれば安心できる、そうすることで自分は責任を果たした気がするんだ、責任を果たすことができたんだ、サイトに文章を載せている以上そうすることが責任を果たすということなんだ、自分はこれで後ろめたいものが無くなり安心して明日から何も考えずに生きていけるんだ。
 そうたった一言何も考えずに、その一言を書くだけで、贖罪できるんだ。贖罪したんだ。
 これで安心だ。
 
 そこに自分は無い。他人もない。両者の距離など全くない。相手の事情など全く考慮せず自分を空しただけの無責任な言葉しかない。
 
 
 今回一番危惧していたモノが出てしまった。
 「人間とは全くの赤の他人の死にまで悲しむようには出来ていない」という言葉に対して「そんな事を言ってはいけない」とタブー視してしまう空気が出てきてしまっている事だ。
 これは何を示すかと言えば、「何か起こると哀悼の意を捧げなければならない」と強迫観念に近い義務感というモノが生まれている証拠である。さっき言ったようなヤツな。
 9.11一周年の時にもやえが言っているはずだ。強迫観念で哀悼の意をしているに過ぎないんじゃないかって。
 それから逃げることが精一杯で、逃れた後は思考停止
 その事件の本質なんて知ろうともしない見ようとも思わない、思考停止の、中身が全く何もない空っぽの言葉だけが残る、弊害だけの結果になってしまうだろう。
 
 熱しすぎた空気はクールダウンさせなければならない。
 しかしクールダウンをタブー視してしまうということは、非常に危険である。
 まして「自分と他人」との距離が掴めぬまま、9.11だけ哀悼し8.6はスルーして、過熱だけ過熱していては、いつか暴走する結果になってしまうだろう。
 今9.11の熱暴走が、その捌け口として今どこに向かっているのか、よく考えるべきだろう。
 
 
 なんでもかんでも哀悼すりゃいいってもんじゃない。
 間違っているものには間違っていると言わなければならない。
 でないと、差別だ差別だと叫び「一見弱者」となって特権を得た解同や朝鮮総連みたいなものを生んでしまう可能性がある。
 やえは今回死んだ2人を3バカ等と同列に扱い、どちらも自己責任を問われるのは当然だとし、だからこそ死んだ2人によって世論が変な方向に行かなかった事にホッとしたのだ。
 例え3バカが死んでいたとしても、やえは哀悼の意など示さなかっただろうしオレもそうだ。
 それが論に一貫性があるという事である。
 そしてそうでない者に対して苦言を呈さねばならない事もある。
 
 やえも昨日の冒頭で言ってたが、死んだ人のことをとやかく言うっていうのをためらわれる気持ちっつーのはオレも日本人としてよく分かる。
 だからこそ、言う必要のない事を言わなくて済むようになる世の中になればよいなと願う。
 願いながら今回はこれで筆を置くことにしよう。 
 
 

平成16年6月2日

 年金制度一元化。アナタならどっちを選ぶ!? 結果発表

 
 「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言の「赤の7号」さんの04/06/01(Tue)の文章はとても面白くて興味深いなと思いました。
 MAS-Rさんの文章は、サイトの性格上時々マニアックすぎてやえにはよく分からないコトもあるのですが、そうでない時の文章を拝見するに、とても明確で分かりやすく、かつ理が通っていらっしゃるんですね。
 自分が思っているコトをストレートに表現すると、逆にまとまりが無くなって分かりにくくなりがちだったりするんですが、MAS-Rさんはその辺をすごく分かりやすく文章を書いていらっしゃるんです。
 わんだほーびゅーてふぉーです。
 
 で、今回の文章もとてもストレートに分かりやすく書いていらっしゃって、もうまさにその通りだなぁって思いました。
 ただ一つだけ気になる点がありました。
 相手に自分を否定されたと感じた人のことを今回のようにそのままストレートに指摘しちゃったら、さらに否定されたと感じてしまうんじゃないかなって思ったのです。
 もしかしたらMAS-Rさんの今日のメールボックスには、いつにもまして誹謗中傷メールが来ているんじゃないかと想像しちゃっています(笑)
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 なんかいろいろありまして遅れまくっていたのですが、今日は国民の選択〜応or否〜の「年金制度一元化。アナタならどっちを選ぶ!?」の結果発表をしたいと思います。
 まずは数字です。
 じゃん
 

・総国民年金制度 月2万円負担 39票/50.6%
・消費税統合化 税率13% 26票/33.8%
・その他 12票/15.6%

 
 正直やえは消費税の方が多くなると思っていました。
 このアンケートを始める前に、やえは知り合いにいろいろ聞いてまわってみたりしたんですけど、だいたいみんな消費税の方がいいって言ってましたので、ちょっとこの結果にはビックリしました。
 しかも総国民年金制は過半数を取ってますしね。
 
 ではコメントを見てみましょう。
 
 ■総国民年金制度 月2万円負担
 
 ・全額使うとして13%なら平均4.8万、2万のほうが楽です
 
 計算をされておられる方がいらっしゃいます。
 確かにこう具体的に数字を出すと分かりやすいですね。
 ただ、13%の中には現行の5%も含まれているので、それを外したらどうなるのでしょうか。
 
 ・13%なんて絶対ムリ
 ・13%だと、買い物に躊躇するなぁ…
 
 そうですよねー(笑)
 まぁもしかしたら慣れなのかもしれませんけどね。
 でもこれ今やったら、駆け込み需要で一気に消費が上がるのでしょうけど、その後の反動冷え込みがかなり長くなりそうですよね。
 徐々に税率を上げて慣らしていく・・・と言うと、なんか政府がもの凄い悪の帝国みたいですが、それしか方法はないのかもしれません。
 
 ・年金受給者が払うのはねえ・・・。
 ・やっぱり受給者にまで財源負担させるのは筋違いかと思うので。
 
 やえもよく指摘する部分ですが、消費税はここが一番ネックになることじゃないかと。
 どなたかは忘れましたけど、政治家の先生もこの部分を指摘しておられましたし。
 
 総国民年金制度のコメントを全体的に眺めると、どっちかというと「消費税はイヤだから」というアンチ的なコメントが多かったように思えます。
 昔よりは消費税アレルギーは少なくなったと言えるのでしょうけど、それでも買うモノ全てが値上がりするというコトを想像すると、やっぱり理屈抜きにイヤになっちゃいますよね。
 
 
 さて次に消費税の方です。
 
 ■消費税統合化 税率13%
 
 ・消費額の高い金持ちに一般人よりも多く負担させる事ができるから。それに未納問題を解決するには払われぜる負えない状況にするしかないから
 
 かなり現実的なご意見です。
 消費税は公平だとか言われますけど、やはり高額所得者は高額消費になりますから、消費税ってお金持ちからいっぱい取る税金になりますよね。
 でも「不公平だ」って言っても「だったらお金を使わなければいいじゃないか」と言われたら反論のしようがなくなっちゃうので、所得税とかと同じ次元の公平的な税の取り方なのかもしれません。
 実は消費税優れているんですね。大発見(笑)
 
 ・あくまでも公平に。弱者はシネというか、という論も解っている上で。
 
 しかし所得税は一定以下の所得の場合税率が0%になる一方、消費税はそのような事情は考慮されていないので、所得税非課税あたりの方々、いわゆる弱者の人にはちょっとツライかもしれませんね。
 今の年金受給者の一部にもこの辺りの人はいらっしゃるようなので、これはちょっと堂々巡りかもしれません。
 受給金額を増やすためには消費税率を上げざるを得ないですから、高齢社会になればなるほど歪みは大きくなっていくような気がします。
 消費税の欠点は「融通が利かない」という点ですね。
 消費税を導入した場合、いわゆる弱者をどのように救済するかがポイントになるでしょう。
 
 ・13%になるなら 北欧型福祉社会にして下さい。
 
 北欧待望論とでも呼べばいいのでしょうか。
 福祉社会という話になるとほぼ必ず出てくるお話ですね。
 それに対し、このようなコメントがありました。
 
 ・いっそのことすべての税をみんな消費税でやったほうが徴税のためのコストがかかんなくていい・・・参考図書「お金持ちになれる黄金の羽の拾い方」橘玲 後本気でこれで国民で互いに支えようって言うのなら全然金額が足りないです。確か福祉国家で有名なスエーデンでは所得税率50%(最低所得基準などない!)、消費税率20%ですから。
 
 北欧の現実、所得税50%、消費税20%です。
 スゴイです。
 しかも最低所得基準がないっていうことは、多分憶測になりますけどつまり非課税の区分が無いということなのでしょう。
 もし全ての税金を消費税でまかなおうと思ったら、消費税50%にしてもちょっと足りるのかどうか自信がありません。
 うーん。
 
 ・欧米のように食べ物などの消耗品には消費税をかけない方式だったら高齢者にもやさしいし、もっと高くてもいいと思います。
 ・衣・食・住関係の生活必需品を除外する、という条件付きでなら
 
 これもよく言われる意見です。
 やえも勉強不足なのでよく知らないのですが、これってどの辺までを生活必需品とされるんですかね。
 自動車はどうなんでしょうか、外食はどうなんでしょうか、その中でも一流レストランは贅沢品ですかね、吉野家とかは必需品?
 例えば贅沢品に多く税をかけるとかはどうなんでしょうか。
 タバコとかお酒にはすでにかかっていますけど、ブランド品とかにはかかってませんよね。
 なかなか線引きが難しそうです。
 
 消費税に対するコメントは全体的に注釈付きというか、こうすれば認めるっていう感じのが多いですね。
 まだまだ具体的に導入するには議論が必要なようです。
 
 
 最後に「その他」のご意見です。
 
 ・年金制度そのものを廃止して、生活保障は生活保護制度に集約すべきかと。年金がなくても生活できる人の為に国がお金を出す事に何の意味が・
 
 ごめんなさい、切れちゃってます。
 たまにこのCGIこんな現象が出るので、一度バージョンアップを試みたんですけど、完全には治っていない模様。
 で、多分この方は、今の生活保障制度のようなものに作り替えて、65歳を越えても働いていたりいっぱい蓄えがある人には年金とかお金を出さずに、キツイ人にだけ払えばいいんじゃないかっていう案だと思います。
 よく考えたら、これ良い案ですね。
 どうして思いつかなかったのでしょうか(笑)
 ただ、不公平感は残ってしまいます。
 他人を養うために払っているんじゃないんだぞと、それは思いますよね。
 しかし、税金っていうものを考えると、今ある生活保護制度を考えると、すでに不公平感が募りそうな制度はあるワケで、この辺は考え方次第なのかもしれません。
 65歳以上には絶対にお金を支払わなければならないというキマリは確かにありませんね。
 例えば80歳ぐらいまでは蓄えでやっていけたけど、それ以上はつらくなってきた、という場合にも、この生活保護制度なら柔軟に対応できます
 あらら、かなりいい制度ですね(笑)
 ちょっとこれ研究してみましょうか。
 
 それに対し自己責任の貯蓄型がいいという意見もかなりあります。
 しかしやえはそれにはやや反対です。
 完全自己責任には強固に反対です。
 若いウチは大丈夫とか思ってて、後になって失敗して、政府に助けてくれって言うだけならまだしも、文句を付けはじめる人が絶対に出てきますから
 全ての国民の生活を最低限は補償するというのが国家の最も基本的且つ重要な仕事ですから、国民に丸投げするというのはちょっとアレかなと思っています。
 政府主導の貯蓄型も、まぁ悪くはないんですけど、日本的なのはやっぱり相互扶助型なんじゃないかと思っています。
 そっちの方が柔軟に対応できるでしょうし、税金も投入しやすいですし。
 
 
 というワケで、国民の選択結果発表でした。
 まだまだ年金問題は議論が必要ですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、年金議論を応援しています。
 

平成16年6月3日

 小泉メルマガレビュー

 
 小泉内閣メールマガジン 第142号 ========================== 2004/06/03
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 道路公団の民営化
 小泉純一郎です。
 昨日、6月2日、道路関係の四つの公団を民営化する法律が成立しました。
 郵政三事業の民営化とならんで、「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」という考えで進めている小泉内閣の構造改革にとって大切な法案が成立した記念すべき日になりました。法案成立に協力していただいた道路公団民営化委員の方をはじめ関係者や、メルマガ読者の方々など応援してくださった皆さんに感謝しています。
 
 やえです。
 一昔前まではあれだけ政治の話題の中心に居座り続けた道路公団問題ですが、ここでやっと一つの答えがとりあえず出ました。
 あまり話題になっていませんけど。
 
 2001年の夏、私が初めて「道路公団の民営化」の考えを明らかにしたのが今から3年前。それまで、どんな政治家も、いかなる政党も、道路公団の民営化など言ったことはありませんでした。
 
 今までの総理大臣と違い小泉さんは、年金一元化でもそうですし、普通なら慎重に、口に出す事さえ慎重になるようなコトをバンバン表明し、さらにはドンドン実行していますよね。
 国鉄にしたってタバコにしたって、民営化にはそうとうの時間と努力があってやっと達成されたモノですが、小泉さんは小泉内閣1つだけで2つも大きな国営団体を公団化民営化させました。
 もちろん一つ一つそれが適切かどうかは、多分何十年も後のそうとう時間がたった後でないと判断できないコトなのでしょうけど、しかし小泉さんの実行力という点だけ見れば、それは相当のモノだと言えるでしょう。
 
 これまで、日本全土に高速道路網を整備するために、道路公団が大きな役割を果たしてきたことは確かです。
 しかし、今までうまくいってきたからといって、これからも同じしくみを続けてよいのか、これが小泉内閣の構造改革の出発点なのです。
 
 まぁおっしゃっているコトは間違いではないですね。
 
 どの地域でも地元に道路をつくって欲しいものだと思います。地元の負担がないのであればなおさらです。全国各地からの強い要望をうけて、道路公団は、郵便貯金などが原資の財政投融資から資金を借りて、高速道路を整備してきました。そしてこの借金は、高速道路の利用料で返済する予定になっていました。
 道路公団ができてから48年たったいま、高速道路の整備は進みましたが、同時に約40兆円という大きな債務が生じてしまった。ファミリー企業の問題も起こってきた。
 道路公団を「官から民へ」の考え方で民営化すれば、経営努力によってもっとコストを抑えることができるのではないか、多額の債務を確実に返済できるのではないか、ということで民営化を決断したのです。
 
 小泉構造改革の原点はここれですよね。
 負債がある。高速道路全体を見れば赤字。赤字はだめ。採算性が取れないモノは民間に任せて利益が上がるようにしましょう。こういうのが構造改革の基本です。
 そういう考えもアリだとは思うのですが、やえとしましては、国っていうものが利益だけを追求するっていうのはちょっと違うんじゃないかなって思っています。
 利益が上がらないけど必要なモノがある、それを行っていくのが国の本来の仕事じゃないかと思うんです。
 
 「高速道路を民間会社で建設できるはずがない。」与党からも野党からも、地方からも中央からも、当初はそういう反対論ばかりでした。
 
 この辺も、無かったかのように忘れられている現実ですね。
 
 民営化するための検討作業をはじめてみると、これまでいかにコスト意識が欠けていたのかがわかりました。たとえば高速道路に設置されている非常電話、これは全国に2万カ所以上ありますが、一台250万円もする。非常用に連絡ができればよいのですから、もっと安くならないのかと調べさせたところ、一台40万円でできることがわかった。早速、昨年度から新しい非常電話は40万円のものに変更したんです。
 
 この辺りは確かに変えなければならないコトでしょう。
 国の仕事としてお金をかけなければならないところにはしっかりとかけるべきだと思いますが、無駄にお金をかける必要なんて全く無いですからね。
 さっき小泉さんが「国会議員として初めて民営化を言った」と言いましたが、小泉さんがそれを言わなければいまだに非常電話は250万円で作られていたでしょう。
 
 民営化によって、徹底したコスト縮減をつうじて有料道路事業を今の約20兆円のほぼ半分に削減し、約40兆円の債務を民営化後45年以内に全て返済すること、これまで一度も下げたことがなかった通行料金を民営化までに平均一割値下げすることが可能になります。そして、高速道路の建設計画も抜本的に見直します。
 
 先程も言いましたように、計画には採算性という点だけでない事情も考慮してもらいたいと思います。
 
 これは画期的な改革だと思います。民営化された道路関係公団が自主的な経営判断のもとに民間の知恵と工夫を存分に発揮して、高速道路の整備とサービス向上、そして債務の返済を実現してもらいたいと思います。
 
 ふと思ったのですが、報道なんかでは「株式を国が○%保有する事となっており、国の関与の余地が残されています」とか言ってますけど、例えば新幹線でもやっぱり政府が関与している部分は今もあるんですよね。
 自民党の部会か議連でも整備新幹線なんたらかんたらとかっていうのありますし。
 つまり北海道とか九州とかまだ新幹線がないところにどのような線を引くのかということを議論していたりします。
 当然新幹線を経営しているのは民間会社のJRですよね。
 これを考えれば、道路公団も民営化しても、作るべきところはしっかり作るのかなぁと思います。
 それだったら今のJRを見れば良い経営をしているように見えますから、民営化も間違いではないのかなと思ってみたりしています。
 どうでしょうか。
 
 日本経済は、まだまだ厳しい状況が続いていますが、今年の1月から3月までの3カ月間の成長率は、年率に換算すると5.6パーセントの成長になりました。先行きに希望が持てる数字になったと思います。
 しかも、この成長は、今までのような政府の財政支出によってもたらされた成長ではなくて、政府支出を減らすなかで、民間部門の成長、それも主に国内の需要の増大によって達成できたものです。これは注目すべきことだと思います。
 
 数字の上ではこうやって好景気の結果が出ています。
 しかし数字だけを見て喜んだり憤ったりするだけではなく、この結果をどう使うかがポイントだと思います。
 ところで話は全然変わりますけど、竹中のへーちゃん大臣が参議院選挙に出るとかいう噂を聞いたのですがホントでしょうか。
 本人は否定しているのに周りがあおり立てているだけっていう話も聞くんですけどね。
 
 「自助と自律」、自ら助ける精神と、自らを律する心、これこそが改革を進める原動力だと思います。
 国民一人ひとりのやる気が大事なのです。民間の知恵と工夫を生かすことができる、努力が報われる社会を実現するために、これからも頑張ってまいります。
 
 今日は綺麗な締めですね(笑)
 おっしゃるとおり、何でもかんでも他人のせいにするのではなく、自分のこととして自分のことを自分でしっかりがっぽり頑張っていきましょー。
 
 
 [大臣のほんねとーく]
 ● 無医村の解消(厚生労働大臣 坂口力)
 医療保険料を支払いながら、近くで医療の恩恵を受けられない人がいることは看過できない問題である。一番厳しい例は無医地区と呼ばれる地域で、現在日本全体で914カ所存在する。そこに住む人々は20万人に達する。
 
 問題、問題と言われながら、なかなか解消されない無医村の問題です。
 20万人って言われると、それはスゴイ多いですよねぇ。
 
 このように完全な無医地域でなくとも、小児科医がいない、産婦人科が存在しないといった地域を加えれば、そこに住む人口は数え切れないし、こうした市区町村も医療過疎地域と呼ぶことができる。日本の医師数は増え、医師過剰を叫ぶ人も居るが、その医師達が均衡に日本に存在するかといえば、決してそうではない。
 
 確かに、その村出身の内科医さんしかいなかったりするって所、けっこう多そうな感じがしますよね。
 それらも含めれば大臣がおっしゃるとおり数え切れないでしょう。
 
 なぜ医師達が地方に行かないのか、幾つかの理由がある。1つは、閉鎖された地域で医療に従事すると、日進月歩の医療に遅れていくという不安があること、次に子供の教育に支障をきたすという思いがあること、その他にはすべての医療に精通していないという診療に対する漠然とした不安があること、などが挙げられる。この医師達の不安に応える体制が必要だ。
 
 大臣はこのようにおっしゃっていますが、まぁ簡単に言いますと、過疎化している田舎に行きたくないっていうコトですね。
 さらに言えば、最新設備が整った大学を出た医者が、わざわざ設備の整っていない田舎に行きたいとは、なかなか思えないでしょうし。
 
 来年度予算に向けて次のことを主張したい。
 * 各都道府県に「ドクターバンク」を設置。県の職員として採用する。また、公的病院の医師は僻地医療を兼務する。
 * 僻地や離島に1〜2年勤務をすれば、その後半年〜1年の長期自主研修期間を与え、大規模病院での勤務も可能にする。
 * 月に1、2回土曜、日曜などの交代要員を派遣する。また、週1〜2回専門医を交代で派遣する。
 * 常に相談できる大規模病院の支援体制を整備する。ITを整備して大学病院などと連携を行い、常に助言を受ける体制を作る。
 
 これも簡単に言いますと、公務員として採用し、ある程度の安定性とお給料を保証する代わりに田舎に行け、っていうコトですね。
 しかし確かにいい案だとは思いますが、それでも2年も最先端から遠ざかる不安感はぬぐえないでしょうし、またいくらITを駆使したところで臨床実験等はどうしようも無いですから、その辺のケアも出来ません。
 さらに言えば、最近『ブラックジャックによろしく』なんかで問題視している派閥問題もあると思います。
 2年の出張が全ての医者に与えられる義務ならまだしも、それが任意であるなら、2年も大学病院から遠ざかってしまうと完全に派閥争いや権力争いから脱落してしまうコトでしょう。
 全く純真無垢に権力がいらないという人ならいいでしょうけど、そういう人も実際はあまりいないワケで、権力闘争り問題もどうしても無視できない問題です。
 だからやはり最後に頼るのは、医者としての正義感というかその辺ですよね。
 しかしそんなのを強制することも出来ませんし、なかなか難しいと思います。
 それらを踏まえて、どうせやるなら徹底させた方がいいと思い、やえはさらに次の提言をします。
 
 * 公務員制医師は、一般の医師とは全くの別権威を与えることとし、医師会などの組織にも属することを認めず、退職まで公務員制医師という身分を保障する。
 * 医師免許取得後5年程度大学病院で勤務し、その後5年間の僻地勤務を義務づける
 * 研究を専門とする医師と、医療現場を専門とする医師との身分をハッキリとさせる。両者に身分の差は無い。
 * 公務員制医師として開業医となることも許さるが、当然義務を必ず遂行すること。
 * 一般の医師となることも許されるが、その後再び公務員制医師として復帰することは原則として認められない。
 
 このようなのはどうでしょうか。
 そもそも今でもキャリアの官僚さんは4〜5年ぐらいは地方に出向する場合がほとんどですから、この制度も違和感はないと思います。
 政府という機関の一部になることで業務命令が出しやすくなりますしね。
 また、民間(と言っていいのかどうかはアレですが)のお医者さんとの競争にもなりますから、道路公団のような採算度外視な振る舞いもかなり押さえられるのではないかと思います。
 患者としても選択の幅が増えることは良いことだと思いますし。
 
 ただ、自民党に深く入り込んでいる既存の医師会とかがそれを許すとは思えませんけどね・・・。
 
 私にも僻地医療に従事した経験がある。30キロ四方の中に医師は自分一人しかいないという責任感と孤独感、どんな患者が来るかも知れないという不安感は、その場に立たないと解らないものだ。どの医師も全科に精通しているわけではないからだ。夏の夕方、ひぐらし蝉が鳴き始めると、漠然とした不安感と淋しさに襲われたことを憶えている。
 
 坂口大臣、さすが色々ご経験なされていますね。
 伊達に頭が・・・うす・・・ええと、ご苦労されているワケではありませんね。
 いよっ、カッコイイー、きゃー。
 
 ごめんなさい(笑)
 
 
 [編集後記]
 曽我ひとみさんにお会いするために、生まれてはじめて佐渡へ渡りました。「荒海」は波静かでした。
 数奇の運命にもてあそばれた曽我さんの特徴のある円らな黒い瞳は澄んでいました。初対面に等しい私との出会いにはじめは緊張しておられましたが、だんだんと和んでゆかれ、ポツリポツリと心境を話してくださいました。一時間ほど私はもっぱら聞き役でした。
 
 仕方ないと言えば仕方ないのですが、担当者がよく変わってしまうというのは、被害者にとってはちょっと不安ではありますね。
 でも杉浦先生は見た目も誠実そうですし、信頼していいと思います。
 
 「北朝鮮には戻らないし、戻れない」
 「全く知らない国で、身寄りのない者どうし、何かの縁で一緒になり、家族ができた」
 「娘たちはもう二十代になろうとしていて、一番難しい年頃で母親に頼りたい時期」
 「今度会ったら、二度と別れ別れになりたくない」
 「いつかは最後には佐渡で一緒に暮らしたい」
 何としても曽我さんの願いが叶うようにしなければならない、とつよく思いました。(せいけん)
 
 180度違う国を往復してしまったとまどいというモノは、日本しか暮らしたことのない人にとっては全く想像もつかないモノだと思います。
 不幸にも外交問題国際問題となっしまいましたので色々と難しい面もありますけど、いつの日か、被害者の方々が誰にも注目されないような平穏な日々が早く訪れればいいですね。
 まだまだ辛い日々か続くことになるでしょうけど、希望を捨てずに頑張ってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成16年6月4日

 どこまで続くか迷走民主党

 
 えーーーー、やっぱりそーなんですかぁ
 うーん。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 アホです。
 どうしてここまでアホなんでしょうか、民主党
 岡田さんに党首が変わってから、先を見据えた政権交代できる政党に変わるのかなと期待していた部分もあるのですが、残念ながら全然ダメです。
 社会党と何が違うというのでしょうか。
 
 昨日の厚生労働委員会にて年金法案がいわゆる「強行採決」にて採決されたコトはニュースで報道されたとおりですが、今日はそれに対抗する形で民主党は、お得意の不信任案連発スペシャルを繰り出しています。
 だいたいにして、民主党がどの顔して「強行採決」に反対できるというのでしょうか。
 「強行採決」の反対論として、「(年金問題の)議論の時間が短すぎる」と言っていますけど、自ら「審議拒否」とか言って議論を放棄していたクセに、何を言っているんだろうという感じです。
 もう支離滅裂とはまさにこのことを言うんでしょうね。
 言ってる事とやっている事が180度乖離しているという、民主党の本領発揮です。
 
 そもそも民主党は年金法案の何を反対しているのでしょうか。
 これが消費税法案とかならまだ分かります。
 消費税が導入されるかどうかというのは、言ってみれば0か100かの法案ですから、それを阻止しようとする心うちは分からないコトもないです。
 しかし年金法案は、年金を導入するかどうかではなく、現行法を修正する法案です。
 民主党は「抜本改革じゃないから反対する」とか言っていますけど、その民主党が言う抜本改革はこれから、この後でも全然出来ます
 だからココまで大騒ぎして、議会を混乱させてまで、民主党が年金法案に反対する理由が全く分かりません。
 
 その理由を敢えて考えるのであれば、民主党は現行法がとても素晴らしい法律だと思っているのか、それとも「反対している」というパフォーマンスをしているのか、どっちかだと言えると思います。
 どっちにしても支離滅裂です。
 
 さて、多分ニュースなんかでは詳しく解説しないでしょうから、ここでやえが民主党の国会を侮辱するような「戦術」とやらを解説したいと思います。
 
 まずは出ました「牛歩戦術」
 社会党の最もバカらしい遺産を民主党は見事に受け継ぎました。
 今日の衆議院の本会議で、衛藤晟一厚生労働委員長の不信任決議案で炸裂させたのですが、民主党のそれはある意味社会党以上です。
 だって厚労委員長の不信任決議案って民主党が出したんですよ。
 自分が出した議決案に自ら牛歩をするんですから、ものすごい矛盾というかなんというか、支離滅裂もいいところです。
 意味が全く分かりません。
 結局今日は河野洋平衆院議長が制限時間を設け、時間切れとなったところで裁決を下したのですけど、それに対して民主党の議員は、「投票させろー」と木札(投票用紙みたいなもの)を掲げながら叫んでいました。
 バカ丸出しですね。
 中には議長か国旗かに礼をするのに、数分間もずーっと下を向いたままの議員もいたりしました。
 やえは「この人は吐きそうなのをこらえているのかな」と思ってしまいました。
 よくそれで名前を人前に掲げて選挙に出られますよね。
 恥ずかしくないのでしょうか。
 
 ところで、今日の国会はめずらしく、衆議院の本会議と参議院の本会議が同時に開かれているのですが、参議院の方では民主党は「牛タン戦術」なるものを展開していました。
 これは「牛歩」が「牛のように遅く歩く」転じて「歩くのにもの凄く時間をかける」ということに対しての言葉で、「もの凄く時間をかけてしゃべる」というものです。
 しゃべるモノは口であり舌ですから、牛タンなワケですね。
 牛タンという美味しい言葉が存在するだけにシャレっ気がありますよね。
 ははは・・・。
 具体的には何をするのかと言えば、単純にずーーーーっとしゃべり続けるのです。
 森ゆうことかいう民主党の議員がまず牛タン戦術を炸裂させていましたけど、実に3時間本会議場演説場でしゃべりつづけました
 当然各政党に演説や答弁する時間というモノは割り振りで決められているのですが、そんなルールを平然と民主党は足蹴にしているのです。
 
 それに対して、議長とかが演説を辞めるように命令できないのかと疑問に思う方がいらっしゃるかと思います。
 現に、昔菅直人が衆議院の本会議で制限時間を無視して演説し続け、最後には議長命令により衛視さんに演壇からひきづり降ろされたというコトがありましたけど、そのように今回も無理矢理やめさせることは出来ないコトはないのです。
 しかしここに民主党の姑息さというか汚らしさがあるのですが、もしそのような「力ずく」「強行的」なことをしようものなら、それを理由に議長の問責決議案(参議院の不信任決議案)を出そうという腹づもりなのです。
 なんていいましょうか、逆ギレ待ち戦術とでも言えばいいのでしょうか。
 アホらしくてコメントの言葉も出てきませんね。
 
 最後にこの記事でも紹介することにしましょう。
 

 年金共闘、延々演説7時間近く=民主「抵抗政党」前面に−国会
 
 一方、衆院でも衛藤晟一厚労委員長解任決議案をめぐり、民主党の若手議員が牛歩戦術に踏み切った。岡田克也代表は「指示は出していないが、1人ひとりが判断した」と、衆参一体で攻勢を強めたことに自信をにじませた。

 
 あーあ、岡田さん「自主的」と言ってしまいました。
 こんなこと言ってしまうと、民主党の議員さんが地元なんかに戻った時に、良識のある支持者に「あんなバカなことをどうしてしたのか」と問われた時の言い訳が出来なくなってしまいます。
 「党の方針に従わざるを得ない」という言い訳が。
 もし本当に全ての民主党議員が自主的にやっていたのでしたら、民主党の議員は残らずアホだとしか言いようがないですしね。
 
 
 本当の問題を真剣に考えているのであれば、法案に普通に反対し、その後民主党の言う「抜本改革」というモノを国民に提示すべきでしょう。
 そうしてこそ自民党の“暴走”に正面から批判すると言うことですし、本当の意味で政権を担える政党と言えるのではないでしょうか。
 しかし今の民主党は反対のための反対に終始し、言っているコトとやっているコトが全く正反対の支離滅裂な行動を繰り返しています
 こんなことをやっていると、例え正しいコトを主張していたとしても、そこに全く説得力など有りはしないでしょう。
 
 岡田さんが幹事長だった時の年金に関する3党合意とは、「これからもこの問題について議論していきましょう」という内容でした。
 しかし民主党はこれを破棄するような言動をし、「反対をしているんだ」というパフォーマンスに終始しています。
 つまりこれは問題を本気で考えていない証拠であり、政権政党なんてなる気がない証拠でもあると言えるでしょう。
 結局55年体勢で野党という座に甘んじて自ら座り続けた社会党と、民主党は何ら変わりがありません。
 責任無き国会議員という都合のよい立場が一番居心地が良いのでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、これから徹夜で民主党の我が儘に付き合わなければならない、自民党・公明党の参議院議員さん達を応援しています。
 
 

平成16年6月7日

 議長と副議長

 
 増元さんの参議院議員選挙出馬ですけど、もちろん政治の中に入ってコトを動かそうという切実な想いは分かります。
 分かるんですが、正直言って、日本の国政システムにおきましては、たった一人だけでは、まして無所属だけでは、何も出来ないというのが現状です。
 例えば、すでに引退を表明されておられます無所属の参議院議員西川きよしさんがいらっしゃいますが、この人議員生活で何をしたのかと考えれば、やっぱり全然思いつきません。
 この前の年金法案の厚生労働委員会では、強行採決によって発言できなかったのをかなり悔やんでおられたようですが、これだって発言の機会が与えられている時点でけっこう優遇されていると言っても過言ではないんですね。
 委員会や本会議での発言時間っていうものは会派の議員数に比例して割り振られますから、仮に西川さんに発言の機会がなかったとしてもそこは無所属議員ですから文句は言えないのです。
 ちょっと前に話題になっていましたけど、社民党は前回の選挙にて会派として発言時間を与えられる議員数に達せられなかったので、本来なら本会議や委員会で発言機会は与えられないのですが、今は他の野党の時間を割くことによってやっと発言機会を得ているというのが現状なのです。
 社民党ですらそうなのですから、たった一人の無所属ではさらにどうしようもないんですね。
 政党政治というモノはそういうモノなのです。
 
 というワケなので、増元さんが無所属で出るって聞いた時「うーん」というのがやえの正直な感想だったのです。
 敢えてメリットを探しますと、日本の国会議員というコトで、発言にハクが付く、ということぐらいでしょうか。
 まぁそれが狙いなのかもしれないので、いいと言えばいいのでしょうけどね。
 ただ、それでも、拉致被害者家族というひいき目を除けば、拉致問題専用の国会議員というのもちょっとどうなのかなと思わなくもないのですが、今はそうも言えないのが世論の流れですね。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 土曜日にまで開いた参議院の本会議ですが、民主党が壮絶な自爆を披露してくれたコトはニュースで報道されたとおりです。
 ニュースによってはとても偏っていましたけど、それはそれとして。
 
 でですね、こんなコトをやっていたら民主党はいつか取り返しの付かない手痛いしっぺ返しを喰らってしまうんじゃないかと思うんです。
 と言うのも、副議長がこれからもずっと野党・民主党であり続けるという保証なんて全くないからです。
 
 記事を読んでいただければ分かりやすいのですが、民主党の秘策というのは、副議長が民主党の議員であるというところがポイントになっていまして、少なくとも野党の議員が副議長でないとこの秘策は成立しませんね。
 そもそもその副議長という役職は議長の補佐するというのが本来の役割です。
 しかしこの度の民主党出身の副議長は、議会を散会させる意志は全く無かった議長の意志に反して議会の散会を宣言してしまったワケでして、つまりこの行為は本来の副議長の役割からはかなり逸脱した独断専行と言える行為だと言えるのです。
 そうなりますと、そんな副議長は適切ではない、民主党から副議長を選出させるのはやめよう、ということになりかねないのではないでしょうか。
 
 そもそも衆議院も参議院も議長と副議長を決める場合において「議長は与党から副議長は野党から」という決まりはどこにもないのです。
 別に法律とか規則とかで定められているモノではないのです。
 確かに、議長は与党から副議長は野党から出されるコトが慣例にはなっていますが、所詮慣例に過ぎないのです。
 
 制度的には、議長も副議長も議会での選挙で決められるコトになっています。
 国会法には、議長および副議長の選出方法に関しては以下のコトしか書かれていません。
 

 第六条 各議院において、召集の当日に議長若しくは副議長がないとき、又は議長及び副議長が共にないときは、その選挙を行わなければならない。

 
 どこにも与党とか野党とか書かれていませんね。
 だから制度的には、議長副議長共に与党から選出されても何ら問題はないのです。
 
 そこを敢えて与党と野党に振り分けている理由というのは、ひとえに議会運営をなるだけ円滑に行うための妥協案ということだけに過ぎず、そしてそれが長年慣例となっているに過ぎないのです。
 
 実際のところ、この議長副議長の選挙の前には、与党と野党が話し合いの場を持ち、与党第一党は議長の候補者を、野党第一党は副議長の候補者を提示しあいます。
 その後選挙においては、ほぼ全会一致で(無所属議員が違う候補者を立てたり、共産党は完全に独自で動いたりしていますが)議長と副議長が決まるワケです。
 与党も副議長選出の選挙の時には野党候補にちゃんと投票しているんですね。
 
 とは言いましても、衆議院参議院の議長というモノは、三権(行政府、立法府、司法府)の頂点の一つなのですから、日本で最も重い座の一つです。
 当然それを補佐する副議長という役職もとても重いモノです。
 言ってみれば副総理大臣と同等の重みがあると言っても問題はないでしょう。
 そんな重い役を与党が敢えて野党に割り当てているのは、ひとえに与党と野党の信頼関係によって成り立っているのです。
 普通に考えて副総理を野党に任せるとは思えませんが、それでも副議長は野党に任せているのです。
 
 そんな綱渡りのような微妙なバランスで成り立っている議長と副議長の関係において、この前の民主党が取った戦術、すなわち議長をないがしろにするような行為をしていたら、与党自民党はどう思うでしょうか。
 
 「だったら副議長も与党の議員から選出しよう」
 
 制度的には、法的には、これでも何ら問題ないワケです。
 議長・副議長の選挙になったところで、絶対多数をしてめいる与党が当然勝てるワケですから、全く問題がありません。
 むしろ連立与党である公明党に副議長の座を任せてしまえば、公明党としても一つ重要な椅子が手にはいるワケで、与党内の連携がさらに強固になれるというメリットさえ生まれます。
 そしてそれに対抗できる手段は今の民主党には何にもなく、ましてそれを招いたのは民主党自身ですから、もう自業自得としか言いようがないでしょう。
 
 こうなるかどうかは実際のところは分かりませんし、多分自民党は“良識”はありますからここまではしないと思います。
 しかしだからこそ目に付くのが民主党の稚拙さです。
 目先の、ホント数ヶ月だけ先の利益しか見えていない民主党は、本当にこんなことをすることによって政権が取れると思っているのでしょうか。
 「反自民」だけで応援している人、「反自民ならなんでもいい」と思っている人がいるのは事実ですが、しかしそれだけを存在意義にしているような政党では、決して日本というとてつもなく重い船の舵取りなど任せられないでしょう
 前にも言いましたように、党首が岡田さんになったのを良い機会にして10年後の民主党というものを見据えて行動して欲しいと思っているのですが、所詮民主党もこんなモノでしかないのでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、民主党のどの辺を応援すればいのか、というか応援できるところがあれば誰か教えてください。
 

平成16年6月8日

 リーダーを尊敬する

 
 今旬はイラクです。
 イラクに行けばお金になります。
 イラクに行って一山あてよー
 
 
 
 はぁ・・・。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 気を取り直してですね。
 
 
 アメリカのレーガン元大統領がお亡くなりになりました。
 享年93歳。
 米国歴代大統領で最も長生きした大統領になるんだそうです。
 
 アメリカではレーガンさんを国葬でもって送り出すそうで、日本からもレーガンさんが大統領だった時に総理大臣だった、大勲位・中曽根さんを特使として派遣するコトにしたようです。
 レーガンさんと中曽根さん、ロン・ヤス関係とも言われていまして、アメリカと日本という両大国のリーダーという間では様々な問題があったのでしょうけどその中でとても友好的な関係を築き上げたそうで、共に大役を退いた後もちょくちょく連絡を取り合っていた仲だったんだそうです。
 
 さて、このレーガンさんがお亡くなりになったコトを伝えるニュースとかを見ていて、やえは思ったんですね。
 アメリカという国は国民は、自国の大統領に対してとても尊敬の念を抱いているんだなぁ、と。
 先程も言いましたように、レーガンさんのお葬式は「国葬」として送り出すんだそうですし、昨日でしたでしょうか、日本のアメリカ大使館では国旗を半旗にしていたのをたまたま見かけたりもしました。
 またレーガンさんの一連のニュースの中でも触れていましたけど、アメリカには大統領の名前を冠した施設だとか母艦だとかそういうものがいっぱいあるんですね。
 これを見た時にやえは素直に「すごいなぁ」という感想と共に、「うらやましいなぁ」という感想を持ちました
 日本では考えられないコトばかりですよね。
 日本では、国葬というものも吉田茂元総理以来全く行われていませんし、半旗にしたって現職の総理大臣が亡くなった時、小渕さんの時ですけど、公共機関に半旗にするようにと通達を出しても、「強制するな」と突っぱねるところが出てきたぐらいです。
 まして総理の名前を冠する施設なんて考えられないですよね。
 もちろんレーガンさんが偉大な大統領だったという事もあるのでしょうけど、やっぱりこの差は日本人としてはなんだかさみしいモノがあります
 
 何かのニュースで「歴代大統領の人気アンケート」というモノを紹介していたのを見かけました。
 その中ではレーガンさんが、初代ワシントン大統領やあのケネディ大統領を抜いてトップだったということで伝えられていたのですが、これもスゴイ事だと思うんですよ。
 だって日本でもし「歴代総理人気アンケート」なんてやっても、そもそもアンケートとして成り立たないと思うのです。
 「知ってる人いなーい」とか「好きな人なんていない」とか言われて、票が全然集まらないのではないでしょうか。
 どうしてここまで日本では、自国のリーダーを尊敬するという感情が希薄なのでしょうか。
 
 こういうコトを言うと多分必ず「尊敬できるような人が出てこないからだ」とか言う人が出てくると思います。
 でもそれだけを理由にするのはちょっと違うんじゃないかと思うんです。
 というのも、そもそも尊敬なんていう情は、勝手に自然に湧き出てくるモノでもないからです。
 例えばですね、最近は保守ブームですから「愛国心を持とう」という主張がよくされるようになりました。
 そしてそのためには国旗や国家に慣れ親しみ敬意を払うべきだということが言われ、国旗国歌法が作られ、学校とかでしっかりと歌わせたり掲揚されるようにして、だんだん国家というモノを意識させるような方向に向かっていっています。
 また教育に対しても「国を愛する心」を育てるようにと明文化させ、それを意識して教えるようにするべきだとも言われています。
 これらに対しては「愛国心なんか自然に出てくるモノであって強制させるモノではない」という意見もありますが、しかし愛国心とか尊敬の念とかいうものは、このようにある程度意識させた上でないとなかなか生まれにくいモノなのです。
 なんだってそうです。
 「他人に迷惑をかけてはいけない」という“常識”さえ、最近ではそれを教えられていない、分からないままに育ってしまっている子供がいっぱい出てきています。
 ある人にとっては常識だと思っているコトでも、それは決して自然にパッと生まれ出てくるモノではないのです。
 だからこそ、愛国心にしてみても、ある程度それが生まれてくるようにきっかけや、そうしなければならない最低限のルールは教えておく必要があるのです。
 
 ちょっとフリが長くなりましたが、これで多分やえが言いたいコトが伝わったのではないかと思います。
 つまり、人を尊敬すると言うコトは、尊敬しようと、するべきだと、ある程度意識しなればなかなか出来ないコトなのです。
 愛国心を教えるコトと同じように、総理大臣という日本のリーダーを尊敬すべきという意識が根底にあってこそ、尊敬の念が生まれてくるモノなのです。
 こういうモノは、ある程度「形からはいる」というコトも必要なのです。
 
 戦後からある期間を境に、日本人というものは小市民的というか自意識過剰というか、そういう意識かドンドン広がってしまいました。
 今の日本人は国会議員や総理大臣に対して、「あんなのオレだってできる」とか「自分の事しか考えてないだろう」とか「キレイゴト言っているにすぎないんだろう」とか、なにか矮小したようなモノの見方しかできないようになってしまっています。
 自分が選んだリーダーであるにも関わらずです。
 
 残念なコトにこの風潮は国会議員の中にも蔓延していると言えるでしょう。
 先の衆議院選挙においては、ただ年を取っていると言うだけの理由で、日本の総理大臣という大役を務めたお二方に、小泉さんは選挙に出ないように迫ってしまいました。
 もちろんこの背景にはそれを望むように世論があったのは分かるのですが、しかしこういう時こそ国会議員の良識において、しっかりと判断すべきモノだと思うのです。
 また、「議員を辞めればただの人」なんてよく言われますが、総理から退いてしまうとその次の日からただの一国会議員に成り下がってしまうのです。
 そして議員でなくなれば、もう本当にただの人です。
 この辺ももうちょっと考えなければならない部分ではないかとやえは思っています。
 なんでもかんでもアメリカが優れているとは言いませんが、確か大統領から退いた後は、ほとんど全て元大統領の生活は国費にてまかなわれると聞いたコトがあります。
 つまりこれは、アメリカ国民が例え当時はどんな批判があったとしても、それなりに大統領に対して尊敬の念を持っているというコトなのでしょう
 それに対して日本のリーダーに対する処遇というモノは、ちょっと情けないとしか言いようがないのではないかとやえは思っています。
 
 さらに言いますと、国家のリーダーを尊敬するというコトは、ひいては国を愛するコト尊敬するコトにつながるコトだと思います。
 アメリカでは「我々の大統領は素晴らしいリーダーだ。世界で最も強く権威があり、世界のリーダーであるのだ」という意識があるからこそ、それも根拠の一つとなっているからこそ、アメリカという国に誇りを持っているのです。
 日本の総理大臣も、日本の顔なのですから、その人個人にとまでは言いませんが、総理大臣という職には日本人は尊敬の念を持つべきなのではないでしょうか
 そうしてこそ日本という国に誇りが持てるようになるハズなのです。
 「この素晴らしい国のリーダーは素晴らしいに決まっている」、こういう感情が自然に出てくるようにすべきなのです。
 
 今「愛国心を持つべきだ」という主張をしている人たちのことを保守思想と呼んでいますが、保守の中でも「国を愛すべきだ」とは言っても「総理を尊敬すべきだ」と言っている人は皆無と言ってもいいでしょう。
 しかし国というモノは人があって成り立つモノなのですから、その国のリーダーに対しても、やはりそれなりの尊敬の念を持ってしかるべきだと思います。
 国というものを形作るモノ全てに敬愛の念を持つ事こそが国を愛すというコトだとやえは思っています。
 
 自分の国のリーダーを尊敬できないで、どうして自分の国を愛するというコトが出来るというのでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、この部分に関してはアメリカの方が優れていると思います。
 

平成16年6月9日

 代理出産

 
  すごいですねぇ。
 ホントすごいです。
 そしてうらやましいですねぇ。。。
 

 <レーガン元米大統領>国葬の11日、株式市場は休止
 
 米ニューヨーク証券取引所と、米店頭株式市場ナスダックは7日、故レーガン元大統領の国葬が行われる11日は、弔意を表明するため取引を休止すると発表した。米郵政公社は、国葬が行われる11日は普通郵便の配達を行わないと発表。他の連邦政府機関も、国家安全保障業務などに関連する部署を除き、同日は休みとなる。

 
 多分市役所とかも休みになるんでしょう、動くのは軍隊と警察と消防ぐらいでしょうか。
 ここまでくると民間の会社も休みにしそうですよね。
 いや、ホントうらやましいです。
 ここまで出来るということが、そしてそれを裏付けるアメリカ国民の大統領への敬愛の念がとてもうらやましいです。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 今日はこちらのニュースを取り上げたいと思います。
 

 向井さんの出生届不受理に 代理出産、母と認められず
 
 タレントの向井亜紀さん(39)が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子について法務省は8日までに、向井さんと夫の子として東京都品川区に提出された出生届を不受理とする方針を決めた。
 海外での代理出産で生まれた子の出生届が受理されないケースは2例目。進展する生殖医療に対し、制度面での遅れが表面化した形だ。
 同省は「日本では産んだ女性が母親。向井さんを母とは認められない」と指摘。「日本国籍は認める。養子とする方法もある」などとして、向井さんらに出生の経過についての書類の提出を求めている。
 (中略)
 法務省によると、向井さん夫婦は米国の裁判所から夫婦が実の両親との判決を受けたという。しかし日本では、子を産んだ女性を母親とする最高裁判例がある。

 
 最近イラクとか政治とかばかり扱っていたので、命の尊厳の問題はひさしぶりです。
 一般的には向井亜紀さんの名前の方が通ってますが、プロレスファンの間では向井さんの夫が“泣き虫”高田延彦モンスター軍総統であるということでも有名です。
 で、まずはですね、役所の対応について一言言っておきたいと思います。
 
 多分、この問題を見た時、マスコミとか国民とかは役所や法務省を責めるような言説を取ると思うのですが、それは違うと思うんです。
 というのもですね、記事にもありますように、過去に同じような例に対して最高裁の判例がありますので、役所としてはそれに従わざるを得ないのです
 最高裁判例とは法律と同じ効力を持ちますからね。
 と言うか、役所や役人とは法律を忠実に執行する道具となるのが本来の姿ですから、むしろそうさせなければならないのですから、この役所の対応は正しいのです。
 役所や役人が「判断」をしてはならないのです。
 役人が判断をするのはまさしく官僚政治の始まりですから、それは許してはならないのです。
 つまり、もし制度的に代理出産を認めさせようとするのであれば、それは政治の問題ですので、政治家に動いて貰うしかないでしょう。
 よってこの対応について役所を責めるのはお門違いなのです。
 
 
 さて今回は、制度の問題ではなく、代理出産というモノをどのように考えるか、というコトについて考えてみたいと思います。
 
 そもそもですね、やえには代理出産というモノをしてまで子供を産んでもいいものかどうかと思う部分があるんですね。
 例えば、最近ちょくちょく聞かれるようになってきました「生み分け」というモノがあります。
 男の子か女の子か親が選んで生む、というモノですね。
 これに対してはやはり賛否両論あります。
 どちらが生まれるかというのは、それはもう運命であり、人間が人工的に操ってはいけないという考え方から、反対する人がいるワケですね。
 また生み分けだけに限らず、「運命を人間が人工的に操ってはいけない」という考え方は常に念頭にある問題として意識されてるものでして、他にも着床前診断とか、クローン人間問題とか、この考え方に基づく問題はかなり多くあると言えるでしょう。
 というか、科学技術が進歩するにつれて問題はさらに拡大していくのだと思います。
 また、宗教によっては「運命を人間が人工的に操ってはいけない」という理由から堕胎すら認めないと考えている人もいますし、言ってしまえば正当な理由がない堕胎は日本の刑法でも禁じられていたりしますし、さらに言えばキリスト教もしくはユダヤ教を厳密に守ろうとするのであれば、生殖行為でない性行為、つまり快楽だけのセックスやオナニーなんかも禁止行為なワケですから、そう考えれば「運命を人間が人工的に操ってはいけない」という考え方はかなり人間の奥底に染みこんでいる意識だと言えるのではないでしょうか。
 
 ちょっと長くなりましたが、代理出産という行為は、母に子供を産む能力が無いからこその行為ですから、つまり子供を産めないということはそれが運命だと言ってしまえばその通りだと言わざるを得ないワケで、代理出産とはそれを曲げて人工的に子供を産むという行為であると言えてしまうのです。
 子供を作り生むという行為は男と女の2人だけで行う行為ですから、代理出産というモノは、少なくとも「自然」と言える行為ではないですよね。
 
 もちろんやえもこれでも女の子ですから、花も恥じらう乙女ですから、子供を産むということに憧れはありますし、もし何らかの事情で子供が産めなくなってしまったら代理出産という方法を選びたいと望むかもしれません。
 だから代理出産を絶対的に反対と言うつもりは全くありません。
 というか、正直なところこの問題に関しては「うーん」と唸るぐらいしか今ところ言えないんです。
 今回の更新は、こうやって問題を提起しまとめるコトによって、さらに先の問題を見つけ答えを出すための道しるべになればと思って書いています。
 
 
 代理出産に関してもう一点述べておきたいコトがあります。
 受精卵がその子を望む両親のモノではない場合です。
 つまり精子もしくは卵子が違う場合ですね。
 どちらかと言えば、精子が父親ではない他人の物の場合が多いのではないかと思います。
 
 その選択を選ぶ経緯も大きく分けて二通りあると思います。
 望んでシングルマザーになる場合と、夫の精子が何らかの事情で妊娠できなくなってしまっている場合です。
 
 前者はどうなんでしょうか、一昔前異様にシングルマザーを煽るような風潮がありましたけど、やえは死別や離別以外での、自ら望んでのシングルマザーには絶対反対です。
 子供とは男と女二人揃って出来るというのが生命の基本です。
 自ら望むシングルマザーって、つまり伴侶となる人間との色々な軋轢等がめんどくさいと感じるので、それから逃げて楽に生きたい、でも子供だけは欲しい、という考え方ですよね。
 当然、人間が二人集まれば色んなコトがあります。
 まして全くの他人が一生を共にしようというのですから、楽もあれば苦もあります。
 しかしそれを逆に言えば、二人の男女が苦楽を共にするコトで与えられる幸せの形の一つが子供であると言えるハズです。
 二人の性が違う人間が協力し合う事で新しい生命を誕生させられるというのが生物学的にも正しいコトなのですから、子を産む前提である「協力し合う」というコトを放棄しつつけれど子供が欲しいと主張するのは、あまりにも自己中心的というか勝手すぎる主張だと思います。
 
 では後者の方、夫に何らかの事情で不妊になってしまった場合はどう考えればよいのでしょうか。
 これって日本で認められているんでしたっけ?
 この場合かなり仕方ないと考慮すべき事情はあるとは思うんですが、やっぱりやえは抵抗感が強いです。
 これはさっきの自ら望んでのシングルマザーの場合にも言えるんですが、やえなら誰のとも知らない男の人の精子を自分のお腹の中に入れるって考えたら、ハッキリ言って気持ち悪いです。
 また、女の立場からすれば自分の卵ですから自分の子供なんでしょうけど、男の人から見たらどうなんでしょうか。
 ちょっとその辺を、変態ではあるんですが男の人の天堕さんに聞いてみたんですが、「そこまでするならまだ完全に別人の養子を貰った方がスッキリする」と言っていました。
 まぁどっちにしても感情的なモノなので夫婦が話し合って納得すればそれはそれでいいんでしょうけど、やっぱり運命論で考えたらうーんって思っちゃう部分は残ります。
 
 
 この問題、色々考えると不妊治療についてもやはり運命論で考えたら不自然となってしまうんですよね。
 また以前「障害のある子を愛せますか?」という更新の中で触れたコトもあるのですが、不妊治療によって妊娠した場合、早産等が増え障害のある子が生まれてくる可能性が高いんだそうです。
 これも運命論で考えると、運命に逆らって不自然に生もうとするので障害が出てしまう、と言えなくもないのではないでしょうか。
 
 ただ、ちょっと視点を変えれば、今の日本、少子化といわれて久しいように、子供をほしがらない夫婦が増えてきています。
 そんな中、とても熱心に子供が欲しいと言っているのですから、それはむしろ積極的に支援すべきじゃないかっていう意見も、それはそれでなかなかなるほどなと思ったりもします。
 出来ないからこそさらに強く欲する気持ちが出てくる、という心理も否定できないとは思うのですが、しかしそれはそれとしても、やはりこの時代、子供が欲しいと強く望む気持ちは大切にしてあげて欲しいとは思います。
 
 
 色々ととりとめもなく書いてしまいましたけど、やっぱりやえの中では答えは出ていません。
 しかし時代の流れでしょう、多分これがきっかけになって代理出産も市民権を得て、政治が動いて法的にも認められるようになるんだとは思います。
 だけどだからこそ、この問題、結婚する人望む人が一人一人よく思い考えてもらいたいなぁと思っています。
 
 みなさんはどうお考えでしょうか?
 

平成16年6月10日

 小泉メルマガレビュー

 
 小泉内閣メールマガジン 第143号 ========================== 2004/06/1
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● シーアイランド・サミット
 小泉純一郎です。
 
 やえです。
 小泉さんこの前からサミットで外国に行かれてると思うんですけど、今日のメルマガは書き溜めのモノなのでしょうか。
 
 8日、火曜日に、米国ジョージア州の大西洋に面した美しい島、シーアイランドに到着しました。昼間は30度近くに達しむし暑くなりますが、朝夕は海からさわやかな風の吹く自然に恵まれたところです。
 
 Σ(゚Д゚) もしかして現地で書いてるんです?
 それとも想像とか(笑)
 
 今回のサミットは30回目。第1回のサミットは、石油危機を契機にフランスのランブイエで開かれ、先進国の首脳が集まって、急騰した原油価格と世界経済について話し合ったのが始まりです。
 それから30年、いろいろな出来事がありましたが、今回のサミットでは、中東の安定、イラクの復興支援に各国が協力して取り組んでいくことが中心課題です。
 
 先日もガソリンの原油の価格が値上がりして、ガソリンとかも高くなってしまったというニュースが報道されていましたね。
 今回のサミットの議題である「中東の安定」は、これも言うまでもなく原油の問題に直結しているコトですから、小泉さんも第一回のサミットの議題を敢えて出してかけてみたんでしょう。
 
 シーアイランドに到着してすぐに、ブッシュ大統領と昼食をとりながら会談しました。安全保障、テロの問題、北朝鮮、イラクの問題などについて、率直に話し合うことができました。
 
 お友達のブッシュさんです(笑)
 昨日の朝日新聞の夕刊では、二人が握手する時にたまたま小泉さんが下を向いた時の写真をわざわざ一面に飾っていましたけど、なんていうかかなり恣意的ですよね。
 悪質的ですよ。
 見た目的には小泉さんがブッシュにひざまついているぐらいの印象を持ってしまいそうな写真です。
 なかなか言葉だけでは説明しづらいので、ちょっとスキャンして載せますね
 同日の日経新聞では両者とも正面を向いている写真を掲載していましたけど、これが当然であり普通のコトでして、アサヒがやったことは、たまたま目をつむってしまった写真を出して「眠っている」と主張しているのと全く同じ事をしていると言えるでしょう。
 そしてそのアサヒの新聞を大喜びで紹介する呆ステの古館
 アサヒは日本の癌以外なにものでもありません
 
 イラクの問題については、ちょうど国連の安全保障理事会でイラクの復興と主権移譲などについて全会一致の決議が採択されました。まさに確固たる国際協調の土台ができたと思います。
 日本もイラクの暫定政府に歓迎される形で自衛隊の派遣を継続し、これと資金協力を車の両輪としてイラクの再建に努めていきたいと思っています。
 
 さて、これもかなり大きなニュースだと思うのですが、たいして報道されていないのがちょっ不思議です。
 けっこう重要だと思うんですけどね。
 というワケで、これはまた別の機会にこれだけを扱って更新したいと思います。
 
 北朝鮮の問題については、私から先日の訪朝、そして核、ミサイル、拉致の問題についての日本の北朝鮮に対する姿勢は変わらないことを説明し、ブッシュ大統領は六者協議を活用して核の問題に対処すること、そして日本の拉致問題への取り組みに対して強く支持することを明言しました。
 ジェンキンズ氏についても引き続き連絡をとりあうことで合意しました。
 
 テレビなんか見ていたら、どうしてもジェンキンスさんの問題を、日本政府もしくはアメリカ政府を悪者にしようとしているような論調が目に付きます。
 いいですか?この際ハッキリと言っておきます。
 アメリカから見ればジェンキンスさんは犯罪者なんです。
 だからアメリカに対してジェンキンスさんの問題を大目に見てくれって言うコトは、「法律をねじ曲げて破ってくれ」と言っているコトとさして違いはないのです。
 もちろん日本には日本の立場がありますから協力を要請するのは当然のコトではありますし、またアメリカにしても恩赦とかの法的特例措置もありますから不可能ではないありませんが、しかしそれにしてもそれは特例なのですからその辺の事情はしっかりと考慮しなければならないのではないでしょうか。
 
 引き続いて英国のブレア首相、フランスのシラク大統領、ヨルダンのアブドッラー国王、ロシアのプーチン大統領との首脳会談をはさみながら、サミットの全体会合が続きます。
 今回のサミットを契機に、G8諸国が一致結束して、イラクの復興と中東の平和、そして世界の平和と安全のために力を合わせていけるよう、日本の立場をはっきり主張しつつ、会議の成功のために働きかけていきたいと思います。
 
 サミットってこのように白人だらけなんですよね。
 その中で有色人種である日本人が存在感を出そうとするのはなかなか難しいと思います。
 無意識の差別意識もあるでしょうし。
 しかしそん中において、北朝鮮の問題を議場に上げたというのはなかなか評価できるコトなのではないでしょうか。
 特にヨーロッパなんて、北朝鮮の問題など極東の局地的な自分とは全然関係ない問題でしかないですから、その点も含めて評価できると思います。
 そして十分北朝鮮に対しては圧力になっていると思います。
 
 小泉さん、お戻りは確か来週だったと思います。
 来週には民主党が会期末恒例の不信任案を提出するようですので、国会がまた無意味な長丁場になると思いますけど、がんばってくださいね。
 
 
 ● サマーワより(第1次イラク復興支援群 3等陸佐 栫(かこい)和彦)
 第1次イラク復興支援群の中で、派遣隊員の衣食住や通信・整備・輸送業務を担当する部隊の指揮官として、ここサマーワに来て既に3か月近くが過ぎ、2次隊への申し送りも開始されているところですが、「九十九里をもって半ば」としなければいけないのがここイラクだと思います。
 
 3等陸佐ということは少佐さんですね。
 こんにちはー、やえです。
 
 我々1次隊は駅伝で言えば「花の1区」です。2区以降にトップで「良い施設」「良い環境」をタスキとして繋ぐことが1次隊の特性でもあります。駅伝でも、1区の良否がその後のレース展開に及ぼす影響が大きいのは周知のとおりです。サマーワ到着以来、宿営用天幕を建て、食堂を建て、浴場や指揮所などを建てて、宿営地として2次隊に繋ぐ物はある程度揃いましたし、医療、公共施設の復旧整備、給水の三本柱も機能しています。
 
 文面から自分の仕事に誇りを持っているというのがすごく伝わってきますね。
 カッコイイです。
 
 しかし、我々が2次隊に対し最も引き継ぎたい大切なもの、それはイラクの人々、特にサマーワの人々との関係です。
 3月には「SU(選挙運動のウグイス嬢のように笑顔で手を振る:「S」はスーパー、「U」はウグイス嬢のローマ字の頭文字)運動」を展開し、すれ違う車や人に積極的に笑顔を振りまき、日本人の違和感を除く努力をしました。
 
 わお、すごいです。
 一体誰の発案なんでしょうか(笑)
 そしてその「スーパーウグイス運動」というネーミングはどうなんでしょうか(笑)
 
 4月には、良き隣人としてのお付き合いとして、宿営地近傍の小学校訪問を行い、5人編成のオーケストラ?の演奏、手品や日本の遊びを通じ、少しでも「日本の心」を伝えるよう努力してきました。学校訪問の際、子供らには「シュックラン(アラビア語で「ありがとう」の意味)」でなく、日本語で「ありがとう」と語りかけています。また、ユーフラテス川に「こいのぼり」をかけ、イラクの子供たちの健やかな成長を願い、日本人の心を伝えるようにしました。『花は1年、木は10年、人は100年』と言いますが、何年か先にこの子らが「ヤーバニーありがとう」と言ってくれたら、どんなに嬉しいでしょう。
 
 マスコミは自衛隊に対して、武装勢力ぐらいの程度の伝え方しかしなかったり、給水車を映像で流したりする程度しか伝えなかったりしていますが、どうでしょう、この自衛隊の方々の素晴らしい活躍は
 3等陸佐さんもおっしゃっていますように、100年後につながる活動です。
 日本とイラクとの友好のためには、もちろん道路とかお水とかの整備も大切でしょうけど、このような一見地味に見える地道な活動こそが最も有効で大切なのではないでしょうか。
 こんなこと、他の外国の部隊はしているのでしょうか。
 この素晴らしい活躍こそ日本のマスコミは伝えるべきのハズです。
 
 本邦の新聞紙上で、「地元の雇用」、「目に見える支援」、「企業誘致・進出を」といった見出しが紙面を飾ることもあると聞いていますが、お金や物は、使えば減り、時が経てば老朽化しますが、「日本人の心」すなわち「誠実」「真面目」「謙遜する心」は使えば使うほど増えると思い、復興支援活動中の人との関わりや、SU運動、学校訪問の中で、そんな『もう一つの支援』を大切にしたいと思います。
 
 ああああああああ、もうおっしゃるとおりです。
 素晴らしい!!ぐれーと!!でりしゃす!!
 SU運動のネーミング以外はもう非の打ち所がない素晴らしさです。
 
 もちろん、様々な事態に対する守りも怠ってはいません。その際に武器や防弾チョッキは身を守るものとして心強いものです。しかしながら我々にとっては地球の反対側から聞こえてくる「日本国民の声援」が何にも増して心強く、そして励みになるものです。我々は日本の代表として立派に任務を達成し、全員無事に帰国します。
 
 ごめんなさい。
 声援とはほど遠い、くだらない罵詈雑言がいっぱいあったりしています。
 自衛隊なんか役に立たない、NGOの邪魔をするななんて、滅茶苦茶言ってる輩もいます。
 でもやえは応援しています。
 分かっている人は分かっています
 どうぞ日本のためにがんばってください。
 そして無事戻ってきてくださいね。
 
 歴史や記録に残らなくても、いつの日か「遠く、8,000キロの彼方から来たヤーバニーが我々のためにやってくれた」とイラクの、サマーワの人々の記憶に残る仕事がしたくて、明日もまたサマーワの大地に立ちたいと思います。
                       (平成16年5月執筆)
 
 きゃあああああああ、カッコイイー。
 
 ※ 第1次イラク復興支援群の隊員については、5月31日までに全員無事に帰国しました。
 
 ・・・・え!?
 ええええええええええ
 もう帰ってきたんですかーーーー。
 ああああああああ、全然知りませんでしたー。
 ごめんなさいー。
 これって報道されました?
 マスコミもちゃんと大きく報道すべきなんじゃないんでしょうか。
 それとも無事帰るのがくやしくて報道しなかったのでしょうか。
 えーと、どちらにしても、ごめんなさい。
 そしてお帰りなさい〜♪
 
 
 [編集後記]
 総理のサミット出席に同行しています。さまざまな感想は次号でまとめます。
 
 え〜。
 総理はちゃんと書いていらっしゃいますよ?
 これはサボりと言うべきか、それとも生真面目と言うべきでしょうかね(笑)
 
 メルマガ編集長になってはや5号目。編集後記には、毎号、励ましのお言葉やご注文、時にはきついお叱りなど、たくさんのご意見をいただき、ひとつひとつのご意見に込められたお気持ちをかみしめています。それぞれのコーナーにも、たくさんいただいています。ありがとうございます。
 
 い、いや、やっぱり生真面目と言った方がよさそうです(笑)
 なんか見た目通りの方ですね、せいけん先生。
 
 そのなかから毎号100通ご紹介している読者感想について、「都合の良いものばかり載せている」というご意見もあり、「賛否の比率が知りたい」というご要望も多くありました。皆さんからのご意見は、コーナー毎に、肯定、否定、提案・要望といった内容に分かれます。編集部は、公表意見を選ぶ際には、全体の傾向をなるべく忠実に反映するよう、それぞれの割合に応じた件数を選定しています。今後とも皆さんの積極的な提言、苦言を宜しくお願いいたします。(せいけん)
 
 えーと、やっぱり公平性って求められるモノなのですね。
 と言うか、読者感想の紹介ページなんてあったんですね。
 気づきませんでした。
 こちらですね。
 http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/kekka.html
 また、投稿はこちらです。
 気になる方は送ってみたらどうでしょうか。
 生真面目なせいけん先生ならちゃんと読んでくださるかもしれませんよ!?
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 
 

平成16年6月11日

 戦争しろとは国民に向かって言うべし

 
 このニュースなんですけど、やっぱりと言うか、「そんな漢字を入れるな」とかいう意見がよく聞かれています。
 でもどうなんでしょうか。
 別に使えと言っているワケではなくて、ただ使えるという程度なのですから、使わなければいいだけの話だと思います。
 モノの評価なんて時代によって違うワケですから、つまり「苺」という名前も昔はふさわしくないと思っていたからこそ使えなくしていたのでしょうから、そこまで目くじらたてる必要はあるのかと疑問に思いました。
 子供の名前まで政府が押さえをかけなければ国民が暴走してしまう危険性があるとでも言うのでしょうか。
 それってちょっと情けなくないです?
 
 と思っていたのですが、そういえば我が子に「悪魔」なんてつけた親が昔いましたね・・・。
 とほほ。
 今頃、悪魔クンはどうしているのでしょうか・・・。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 我らが小林よしりん先生は、今週の『SAPIO』の「ゴー宣」で小泉再訪朝をぶった斬っていました。
 曰く、「恐るべき、屈辱外交だった」とのこと。
 あの日行われた会談の結果全てを全否定されておられます。
 
 ただ、それだけで終わらないのがよしりん先生の先生たる所以です。
 ハッキリ言って批判だけなら誰でも簡単に出来ます。
 悪口ほど簡単に言える言葉もないですからね。
 しかしよしりん先生は批判だけに終わらず、次のような提言もされておられています。
 
 「拉致などという侵略行為をする北朝鮮が核武装を放棄しないのならば、我々、日本も憲法改正し、自主防衛を徹底させ、核武装もするしかない!」
 …そう6カ国協議で主張すべきなのだ。その時初めて、中国・韓国・ロシア・アメリカは本気になる。
  
 もう今回のよしりん先生の主張は全て正しいです
 おっしゃるとおりです。
 今週号で書かれておられる他のセリフ「では拉致とは何か?これは西部邁氏が言うように、国家主権を侵略する「侵略」である」も「わしは警告しておく。「国交正常化」は、金正日の独裁を延命させるだけ。経済援助は、またしても核開発に使われ、ついに日本を破滅に追いやるだろう」も、まさにその通りです
 今回の提言に対しては何も反論するところはありません。
 
 ただ、一つだけ言っておきたいコトがあります。
 よしりん先生の言う北朝鮮問題を解決させるための方策とは、一言で簡単に言うと「戦争しろ」というコトですよね
 しかし今の日本人が「戦争」というモノに対してリアリティを持って想像出来るのかと出来ているのかと考えたら、正直ちょっと疑問符が付くのではないでしょうか。
 また、ストレートに「戦争賛成ですか?」と問えば、多分反対する人はかなり出てくると思われます。
 
 よしりん先生は今回の件についてもほとんどを政治家や小泉さんに向かって言葉を発していますが、戦争をするかどうかということを決めるのは政治家ではありません。
 もちろん制度的にはそうですが、少なくとも日本においては、それを決めるのは国民です
 
 日清・日露戦争、日中戦争、そして大東亜戦争と、開戦を望んだのは他でもない国民自身でした。
 むしろ政府の方が慎重論を取っていたと言ってもいいぐらいです。
 小村寿太郎さんのお話などけっこう有名ですが、日露戦争終戦時の条約締結の交渉で、かなり奇跡に近い好条件を小村さんはロシアに対して引き出したのですが、日本国民は完全勝利しか望んでいない評価しないという世論で、逆に小村さんをバッシングしてしまっていました。
 つまりこのお話は、いかに日本国民の交戦ムードが高まっていたかというコトを裏付ける証拠とも言えるのではないでしょうか。
 そうして、国民と軍部の圧倒的な開戦を望む声に押される形で、日本はどんどん戦争の道をたどったのです。
 
 つまり、近代日本においては、戦争は国民が選択するのです。
 
 北朝鮮の問題、「拉致被害者を全員取り戻すためには、核兵器を全遺棄させるためには、戦争しかない」という意見はもっともだと思います。
 やえも完全解決させるためにはそれしか手段はないと思っています。
 しかしそう思うのであれば、国民に向かってそう主張しなければならないハズです。
 決して政治家に対して「戦争すべき」と批判するような論調でけしかけたところで、ほとんど意味はないでしょう。
 むしろ政治は常に「いかに戦争を回避すべきか」ということを考えているのですから、逆効果とも言えるかもしれません。
 本当に北朝鮮に対して戦争をしようと思うのであれば、国民の意識を変えなければ動きません
 政治が「もう国民の戦争への機運を止められない」と判断せざるを得ないところまで世論を高めなければ、日本から戦争を仕掛けることはないでしょう。
 
 「拉致とは主権侵害に他ならないのだから戦争すべき」と訴えるべき相手は政治家ではなく、国民なのです。
 いくら政治に向かってけしかけたところで、国民が戦争をYESと言わない限り何もならないでしょう。
 
 
 
 というセリフは、まず国民に戦争をする覚悟をつけさせてから言うべきだとやえは思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、戦争は否定しません。メンツこそを最も大事にすべきだと多くの人が望むならそれもいいと思っています。
 

平成16年6月13日

 歴代首相アンケート

 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 本当は土曜にアップしようと思っていたのですが、諸事情で日曜になってしまいました。
 今日の更新の内容的に、日曜日にアップするのはアレなんですけど、せっかく作ったのでちょっと見てやってください。
 
 ところで話は変わるんですが、今日のサンプロによしりん先生が出演なされていたんですね。
 これまた諸事情で見逃してしまって、後で知ってがびーんだったのです。
 がびーん。
 しかしですね、このままではあきらめないのがやえのやえたるゆえんです。
 自分でも分からないですがそうなのです
 確か「朝日ニューススター」にてサンプロは再放送していたのを思い出しました。
 やえが住んでいるところはデフォルトでケーブルになっていますので、無料で朝日ニューススターが見れるんです。
 そしてどうやら今日の夜の8時45分からあるみたいです、「サンプロ」の再放送。
 よーし、録画する勢いで頑張って見てみます。
 
 じーーーーーー。
 
 
 さて、今日の更新です。
 じゃん。
 
 好きな歴代総理大臣あんけ〜と
 
 はーい、やっちゃいました〜ん(笑)
 もうあまり深く気にせずに投票しちゃってください。
 
 最初は全歴代総理を入れておこうと思ったのですが、80人近くいらっしゃいますので挫折しました。
 ので、やえが主な総理だと思う人をピックアップしてみました。
 もし該当者がいないという場合は新規で入力してください。
 ただし、収拾がつかなくなりそうなので歴代総理以外は入力しないでくださいね。
 
 では、はりきってどーぞー。
 

平成16年6月14日

 国連決議が出ましたよ

 
 わーい。
 見れましたよ「サンデープロジェクト」
 ないす朝日ニューススターです。
 これがアサヒじゃなければほぼ絶望的だったところですが、今回ばかりはアサヒに助けられました(笑)
 
 しかし昨日のよしりん先生が出演なされていた時のその場の空気は、とてもアサヒとは思えないモノがありましたね。
 みんな保守宣言(笑)
 さらに岡崎久彦先生は冒頭で「私の敵は左翼勢力だから小林さんは敵じゃないんです」と言ってしまっていて、最後までやりにくそうにしていました
 一方“敵じゃない”よしりん先生はずーっと原則論でしたしね。
 とりあえず録画してますので、もう一回見直してから、何か触れられるコトがあれば後日触れたいと思います。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 先週の小泉メルマガレビューでもちょっと触れましたが、先週、イラクの主権委譲の後に対する国連決議が採択されました。
 理事国全てが賛成した全会一致の採択です。
 6月中には主権が委譲される予定ですから、あともう少しでイラク問題は新しい局面を迎えるというコトになりますね。
 
 というワケで、めでたく(?)国連決議が出たのですから、今まで「国連中心に」と言っておられた方は、これで満足されるコトでしょう
 なんの憂いもなく自衛隊を派遣できるというモノです。
 国際法違反だとおっしゃっていた方は、これでもう反対しませんよね?
 
 まして、戦争をしてまで北朝鮮に拉致された人々を取り返せと主張されていた方なんかは、それは今日本国内においては戦争できない状態を知った上での主張なのですから、つまりイラクに対しても国連決議が出た以上は、ドンドン自衛隊を出して、ジャンジャン復興支援もして、バンバン治安維持活動をしても問題ないと考えているハズですよね。
 そうでなければ矛盾しますからね。
 サヨク系の人たちはワリと論外なので別にいいんですが、反米にしても親米にしても保守と呼ばれる人自称する人というのは、軍隊というモノに対しては前向きに考える人たちでありますし、日本が軍事力を持つというコトにどっちかと言えば賛成する人たちがいわゆる保守なのですから、国連決議が出た以上、今こそ日本は他国と同等の活動をすべきだと主張し、そして今こそ「自立」すべきと主張すべきだと思います。
 特に「反米保守」と呼ばれている方は「自立せよ」というコトが一番の主張をされていた部分なのですから、この国連決議とそれに対する日本の自衛隊派兵には「積極的に参加せよ」と言うべきなのではないでしょうか。
 今こそ日本の自立のチャンスのハズなのですから。
 
 
 ところで、やえは小沢さんにこの件を聞いてみたいです。
 もちろん民主党の小沢さんです。
 

 ――政権を任されていたらこの戦争にどう臨んだか
 
 私だったら米国に『(国連での合意がない)戦争は絶対やめろ。開戦する前にドイツやフランスを説得しろ』と言う。二、三ヶ月遅れても大したことない。その費用は日本が出す、国連決議が出たら一緒にやろうと言えれば説得力がある。国連中心というのは、国連のやることならあらゆる手段を使って義務を果たすことだ。(■小沢一郎ウェブサイト■より)

 
 確かやえの記憶が正しければ、小沢さんは自由党の時から「国連中心で」「国連軍を」というのが政治信条の一つだったと覚えています。
 だから、今回はちゃんと全会一致で決議されたのですから、小沢さんはこれには賛成しなければならないと思うのです。
 でも民主党は反対しちゃってますよね。
 

 多国籍軍参加に改めて反対=岡田民主代表
 
 民主党の岡田克也代表は12日午後、新潟市内で記者会見し、小泉純一郎首相が表明したイラク多国籍軍への自衛隊参加について「イラクの(治安)状況が改善しないと、憲法が禁じる武力行使との一体化につながる」と述べ、現状での参加に反対する考えを重ねて表明した。 
 また、現在サマワに駐留している自衛隊部隊に関しては、イラク復興支援特別措置法が派遣条件としている「非戦闘地域」を満たしていないと指摘した上で、「状況が劇的に改善する見通しは立たず、自衛隊を置いておくのは反対だ」として、今月末のイラクの主権移譲までに撤退するよう求めた。

 
 この件についての小沢さんのコメントをまだやえは見てませんので気になるところですが、少なくとも民主党としては反対という立場のようです。
 もしこの前の民主党のゴタゴタで小沢さんが党首になっていたらどういうコメントを発表するのかとても興味津々だったところですが、ちょっと残念です。
 もしかしたら骨太な民主党が見れたのかもしれませんが、それは露と消えてしまいました。
 
 そもそもこの問題、法律解釈や憲法問題もはらんでいるコトははらんでいるのですが、ハッキリ言って、そんな問題は小さい問題でしかありません。
 もちろんそれは大切ではあるんですが、しかしそれ以上に大切な問題をこのイラク国連決議問題はらんでいると思うのです。
 すなわち、今こそこの問題を考えるコトによって、日本のこれからの行く末をどう考えているのかというコトが見えてくるのです。
 
 例えば、小泉さんは、日米同盟こそが重要だとおっしっております。
 そしてこれからも日米同盟を柱に国家戦略をたてる、というワケです。
 そのためにも、日本が出来る事の中から最大限の事をやっていこうというのが小泉さんのスタンスですね。
 冒頭触れました岡崎久彦先生も、ほとんど同じ考えのようです。
 
 例えば、よしりん先生は、日本の自立、精神的独立が重要だと主張されています。
 北朝鮮の問題を見るに、米国なんかに頼らず日本独自で、戦争をしてでも「日本人としての誇り」を保つべきだと説いていらっしゃいます。
 これからも日本独自の国防・外交をしていくべき、ということでしょう。
 
 例えば、小沢一郎先生なんかは、国連軍、国連待機軍を作れと主張されています。
 世界はこれから全て国連を中心にまわしていくべきだ、ということですね。
 
 主義主張こそ違えど、どの意見も全て将来の国家ビジョンを明確に語っておられます
 だからこそ説得力を持ちますし、これからどうすればよいのかという道筋も見えてきます。
 しかし民主党にはそれが全くありません
 小沢さんにはあっても、民主党にはそれが全く無いんです。
 民主党がやっといるコトと言えば、反対のための反対、その場だけで反対できる材料を見つけて大声で叫ぶコトだけです。
 これでは何の説得力もありません。
 一体社会党と何が違うというのでしょうか。
 仮にも政権を取ろうという政党であるのなら、将来の国家ビジョンをハッキリしてもらいたいものです。
 
 
 
 これからの日本はどう国を守り、そしてどう世界という大海原を泳いでいくのか、イラクの問題はまさに試金石になるのではないでしょうか。
 
 
 では、次回以降でやえの思い描いているビジョンを書いてみたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、国家ビジョン論を応援しています。
 
 

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