ひさしぶりにこの話題です。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
前回まででは、この法律が施行された場合、現実的にはなにがどう変わるかというコトを考えていきました。
具体的には、人権侵害が起こり改善される見込みがない場合には、人権救済措置というモノが発動されるというコトになる、という部分を見ていったワケです。
この救済措置によって、裁判という非常に手間がかかる手段を使う前に、迅速に人権救済するコトができるようになる、というコトでしたね。
では次に、この救済措置を実質的に行う、人権委員会、そして人権擁護委員というモノについて考えていきたいと思います。
この法案には長々と法文が書いてありますが、この人権委員会と人権救済措置の部分だけで大半を占めております。
つまり、救済措置と人権委員会をシッカリと見ていけば、法案としても全体を見渡せられるといえると思います。
というワケで、今回から、この法案二番目のキモ、人権委員会について見ていきたいと思います。
まず、この人権委員会という存在は、いったいどういうコトをする組織なのか、です。
一応ですね、第六条に人権委員会の職務が書いてあるのですが、そこには、例えば「人権侵害による被害の救済及び予防に関すること」とか、当たり前のようなコトしか書いていませんで、これらはさして重要視するような項目もないですから、流しておきます。
それよりも、この法案のもっとも重要なところは「人権救済措置」が出来るところと何度も言っていますが、人権委員会はその救済措置を講ずるか否かという判断をするという立場におかれるワケでして、よって、この法案において人権委員会のもっとも重要な仕事は、この救済措置の取扱いだと言えると思います。
(救済手続の開始)
第三十八条
何人も、人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれがあるときは、人権委員会に対し、その旨を申し出て、当該人権侵害による被害の救済又は予防を図るため適当な措置を講ずべきことを求めることができる。
2 人権委員会は、前項の申出があったときは、当該申出に係る人権侵害事件について、この法律の定めるところにより、遅滞なく必要な調査をし、適当な措置を講じなければならない。ただし、当該事件がその性質上これを行うのに適当でないと認めるとき、不当な目的で当該申出がされたと認めるとき、人権侵害による被害が発生しておらず、かつ、発生するおそれがないことが明らかであるとき、又は当該申出が行為の日(継続する行為にあっては、その終了した日)から一年を経過した事件に係るものであるときは、この限りでない。
3 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、職権で、この法律の定めるところにより、必要な調査をし、適当な措置を講ずることができる。
4 人権委員会は、この法律の定めるところにより調査をした結果、人権侵害による被害が発生し、又は発生するおそれがあると認められないことその他の事由によりこの法律の規定による措置を講ずる必要がないと認める場合において、当該調査を受けた者から当該調査の結果についての通知を求める旨の申出があったときは、当該申出をした者に対し、当該調査の結果を通知しなければならない。
|
一応第三十八条全文を載せましたが、ここで扱うのは、人権委員会が人権救済措置の取扱いをする権限を持っているというコトを示す部分だけであり、この条では、いわゆる「不開始事由」という規定も入っているのですが、これは総論の第2回目で詳しく述べていますので、そちらをご覧ください。
で、救済措置においては、様々な規定の中から侵害者に対して罰則などの措置が講じられていくワケですが、その訴えがあった「人権侵害」というモノが本当に人権侵害なのか、そしてそれをどう救済していくのか、というコトを判断するのはすべて人権委員会の職責になります。
逆に言えば、人権委員会以外の機関が人権侵害と判断するコトは出来ないというコトになります。
また、一言で「人権救済措置」と言っても、その中身にはいろいろな種類がありまして、どのパターンを使用して救済していくのかという、そういう判断も人権委員会の仕事になりますし、また、人権侵害かどうかという調査が必要であるという判断や、そのゴーサインも人権委員会の職責でありますから、まさにこの法案の頭脳であり指揮権の全てを持っているのが人権委員会なのです。
つまり、この法案に規定されているすべての職務の判断とその責任は、すべて人権委員会に帰されているワケであり、人権救済措置も人権委員会が認めない限り発動するコトは絶対ないワケです。
では、そんなこの法案のすべての権限を認められている人権委員会とは、一体どのような構成になっているのでしょうか。
条文ではこうなっています。
(組織)
第八条
人権委員会は、委員長及び委員四人をもって組織する。
2 委員のうち三人は、非常勤とする。
3 委員長は、人権委員会の会務を総理し、人権委員会を代表する。
4 委員長に事故があるときは、常勤の委員が、その職務を代理する。
|
人権委員会は5人で、その内のひとりは委員長となり、委員会を代表するコトになります。
また、4人の委員の内3人は非常勤であり、毎日出勤する必要はないとされているワケですね。
よって、委員長とひとりの委員は毎日必ず委員会の事務所に出勤しているというコトになります。
次に、この人権委員会という人たちはどのような人たちがなるのか見てみましょう。
具体的に規定がなされています。
(委員長及び委員の任命)
第九条
委員長及び委員は、人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命ずる。
2 前項の任命に当たっては、委員長及び委員のうち、男女のいずれか一方の数が二名未満とならないよう努めるものとする。
3 委員長又は委員の任期が満了し、又は欠員を生じた場合において、国会の閉会又は衆議院の解散のため両議院の同意を得ることができないときは、内閣総理大臣は、第一項の規定にかかわらず、同項に定める資格を有する者のうちから、委員長又は委員を任命することができる。
4 前項の場合においては、任命後最初の国会において両議院の事後の承認を得なければならない。
|
よく「人権委員会委員の選定が不鮮明で、偏った人選がされる可能性がある」とかいう批判があるみたいですが、正直言いまして、そういうコトを言っている人は果たしてこの条文をちゃんと読んでいるのか疑問でなりません。
その人物が人権委員に適任かどうかという条件と手続きを箇条書きにすると、この3つになります。
「人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験がある」
「両議員(衆院・参院)の同意を得る」
「内閣総理大臣が任命する」
特に下の2つが重要です。
この2つの条文は、日本のトップである総理大臣の任命と、国民すべての代表である国会議員で組織する両議員の同意が必要であるという規定になっているワケですね。
これは大臣や副大臣などに匹敵するような「厳しさ」であると言えます。
人権委員会と同格の委員会である公正取引委員会の委員長は天皇の認証も必要となっていますので、本来なら人権委員会の委員長にも天皇による認証をすべきだとは思いますが、しかし実質的な「審査の場」という意味においては、国会の同意を得るという部分において、大臣や公正取引委員会と同等であると言えるでしょう。
これは、民主主義国である日本国内においては、これ以上のない公平公正な審査なのです。
もしこの制度においても「不鮮明」とか言うのであれば、もはやこれは民主主義日本全てを否定するコトになるでしょう。
総理大臣はもとより、大臣副大臣、また国会で作られる日本の法律全てをも否定するコトにつながります。
もちろん、そんな主張をするというのであれば、その行為を否定するコトは出来ませんので、そう主張されるのであればそれはそれでいいんですけど、しかし、日本の法律は認めて、この人権法案のこの部分だけを否定するというのは、これは全くの矛盾となります。
この辺はキチンと理論の一貫性を持って語ってほしいと思います。
氏名公開などの権限を与えられている人権委員会ですが、このように非常に「民主的」な組織だと言えるでしょう。
また、委員長および委員の選定以外の点においても、委員会の民主的な面を保証するような条項があります。
(公聴会)
第十七条
人権委員会は、その職務を行うため必要があると認めるときは、公聴会を開いて、広く一般の意見を聴くことができる。
(職務遂行の結果の公表)
第十八条
人権委員会は、この法律の適正な運用を図るため、適時に、その職務遂行の結果を一般に公表することができる。
(国会に対する報告等)
第十九条
人権委員会は、毎年、内閣総理大臣を経由して国会に対し、所掌事務の処理状況を報告するとともに、その概要を公表しなければならない。
(内閣総理大臣等又は国会に対する意見の提出)
第二十条
人権委員会は、内閣総理大臣若しくは関係行政機関の長に対し、又は内閣総理大臣を経由して国会に対し、この法律の目的を達成するために必要な事項に関し、意見を提出することができる。
|
人権委員会が必要と判断すれば一般国民から意見を聞くコトができ、また職務の結果を公表するコトもできます。
また、年一回は必ず国会に状況を報告する義務を課せられているワケです。
そして、人権委員会が望む場合には総理大臣や各大臣、または国会に対して、意見を提出するコトも許されています。
このように、双方向に意見をやりとりできるシステムもここで作られているワケでして、特に第十九条においては国会に報告の義務も課せられているワケですから、もし人権委員会がどのような活動をしているのか知りたい場合は、国会を通じて情報公開がなされるでしょうから、そこで一般国民でも知るコトが出来ると思います。
ここまでして、なお「不透明」と言うのであれば、ではどうすれば満足できるのか逆に聞いてみたいです。
民主主義においてもっとも「民主的」な人事は選挙という方法ですが、それをすると身分は議員になるワケで、では次に民主的な人事は何かといえば、その民意を付託された国会議員やその代表である総理大臣が任命するという方法です。
前にも言いましたように、民主主義と選挙という手段は、決して結果が素晴らしいと望まれるから採用しているワケではありません。
結果が良かろうが悪かろうが最終的な責任は、一部の専制者にではなく、全ての国民に期するようにしているのが民主主義というシステムなのです。
結果を求めているのではなく、あくまで選ぶときに国民全ての意志を反映させるというコトが、民主主義の基本的思想であるのです。
もちろんその制度において間違いを犯してしまう可能性を小さくするような選定基準を設けるのは決して悪くはありませんが、しかし例えば議員を選ぶ場合というのは、年齢の基準以外は、犯罪を犯して被選挙権を○年停止とかされない限り無制限であり、つまり日本国のシステムにおいて最も強い権限を持つ国会議員という職業には、選挙以外の選定基準は無い、というコトも頭に入れておく必要があるでしょう。
自分が独裁者になろうと企むような人間であったとしても、選挙に通れば議員になれるというのが、民主主義の特徴なのです。
ですから、「この方法で選ばれた人権委員では悪い結果になってしまう」というのは、特に公的な人事の時に対する批判としてはあまり適切ではありません。
「民主的な手段ではないのでダメだ」と言うのであれば一考の余地はありますが、この人権委員の選定においては「不透明だ」という批判はちょっと当てはまらないでしょう。
むしろここで不適切な人事が行われたとしたら、そんな人選をした議会や総理の責任であり、そしてそれを選択した国民の責任であるのです。
総理であれ、政治家であれ、国民が選んだ結果というコトを忘れてはいけません。
民主主義の最も基本的なルールは、全ての最終的な責任は、全ての国民にあるというところなのですから。
|