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小泉メルマガレビュー「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか2「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか3引き損はもう散々だと学習したハズですがあまおちクールビズ研究所櫻井よしこもこの程度でした人権擁護法案総論(9)−人権擁護委員−差別の現実

平成17年6月2日

 小泉メルマガレビュー

 
 最近2日に1回更新になっちゃってますね・・・。
 
 
 小泉内閣メールマガジン 第190号 ========================== 2005/06/02
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● ノーネクタイ、ノー上着
 小泉純一郎です。
 6月1日から、ノーネクタイ、ノー上着の軽装で仕事をしてもよいことにしました。
 何を着なくてはいけないとか、ネクタイをしてはいけないとか、堅苦しく考えるのではなくて、日本の夏は暑いですから、楽な服装で仕事をしようと言うことなのです。
 どういう服装がよいかは、一人ひとり、自分で考えていただきたいと言っているんです。それにあわせて、夏の冷房の温度もあまり下げないように。いままでどおり、28度程度にして、環境に配慮して、エネルギーを大事にしていきたいと思います。
 
 やえです。
 ええと、なんて言うんでしたっけ。
 クールビズでしたっけ?
 どうしても省エネルックというと、羽田元総理のちょっと不格好な半袖スーツを思い浮かべてしまうんですけど、さすがにあれは流行りませんでしたね。
 今度はどうなるでしょうか。
 昨日の日経新聞の夕刊にこの話題が出ていましたけど、なんか経済効果が一千億円あるとかいう試算もあるそうで、本当にそうなれば言うコトないんですけどね。
 
 私も、昨日は、沖縄のかりゆしウェアで仕事をしました。なかなか着心地がよくて、仕事もはかどりました。
 幸い、国会の方でも、このアイデアにご理解をしていただいて、国会での委員会審議の際には、ノーネクタイ、ノー上着でも差し支えないということを決めていただきました。
 今日の予算委員会審議には、軽装で出席しようと思っています。
 
 こちらですね。
 
 えーと、小泉さん似合いすぎ(笑)
 さすが変人でならした小泉さんです。
 ここまでラフな格好が似合う政治家も珍しいと思います。
 
 しかも中央のラインが遠目にではネクタイっぽく見えなくもないですから、何もないよりは抵抗は少ないんじゃないかと思います。
 少なくとも、羽田元総理の省エネルックよりは、全然カッコイイです。
 
 
 もっとも、必ずノーネクタイ、ノー上着にしなくてはいけないというのではなくて、外国の首脳との会談や、儀式への出席など、先方の気持ちや状況に応じて、臨機応変、自由自在に対応していこうと思っています。
 堅苦しく考えないで、自分で考えながら楽な服装をして、温暖化対策にもよい影響が出てくればいいですね。
 
 永田町の人々も、民間の方々と会う機会は多いでしょうから、なかなか一気にとは言えないでしょうけど、でも永田町の中のコトでしたらクールビズを徹底させてですね、そしたら民間の方も「堅い国会でそうなるなら我々も」と思って、相乗効果的に広まるんじゃないかと思います。
 この辺はまさに「堅苦しく考えないで」という小泉さんの言葉通りなんでしょう。
 でもやえは和服を着続けますが(笑)
 
 1日は、「日本の景観を美しくする国民大会」に出席して、これからの街づくりで大切なのは、「女性にやさしく、高齢者にとって安全で、そして外国人にとってわかりやすいことだ」という木村尚三郎先生の言葉を引いて挨拶しました。美しく、やさしく、安全で、わかりやすい国づくりを進めたいと思います。
 
 あれ?
 今日はこれだけですか?
 ほとんどクールビズのお話だけでしたね。
 ええと、バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、クールビズを応援しています。
 
 
 
 [大臣のほんねとーく]
 ● 世界各地の大使と一堂に会して(外務大臣 町村信孝)
 外務大臣就任から8ヶ月、今般、外務省創設以来初めての試みとして、世界各地に派遣している大使を一堂に集め、大使会議を実施しました。日本外交は多くの課題に直面し、今まさに正念場。しかし、小泉総理の言葉を借りれば、「ピンチはチャンス」です。
 5月16日から3日間行われた大使会議は、政府の他の機関や民間企業、そして我が国国民の力を結集してオールジャパンとして国益を追求するための戦略を練る場を持ちたいと考え招集しました。
 
 最近いろいろとがんばっていらっしゃいます町村大臣です。
 おはろーございます。
 ところでこの「大使会議」はおもしろそうですね。
 どうも日本は、民間企業をバックアップするというコトに対してあまり積極的でないですから、「オールジャパンとして国益を追求するための戦略」はぜひぜひがんばってもらいたいところです。
 
 小泉内閣の外交上の最優先課題である国連・安保理改革については、もとより極めて困難な課題ですが、我が国として過去の反省に立って戦後一貫して平和国家として国際社会に貢献してきた実績があり、自信を持って常任理事国になれるよう総力を挙げるべきと訓示しました。「火事は最初の3分、選挙は最後の5分」が大事です。新聞紙上では、「町村大臣、全大使に『気合い』を入れる」と書かれましたが、私も各大使の「気合い」を大いに感じました。
 
 気合いダー
 ・・・・・・ごめんなさい(笑)
 過去の反省とかはまぁどうでもいいんですけど、国力からして日本が常任理事国になってない方がおかしいと思うんですけどね。
 拒否権はもちろんのコトですが、それ以外にもやはり発言の機会や重みにもその地位は影響してきますから、ここは必ずなっておくべきでしょう。
 今の時代、国連から脱退できるハズもないですから、あとは前進するしかないんですしね。
 また、いっそのコト、常任理事国全ての拒否権を廃止するっていうのもアリだとやえは思っています
 「2/3で賛成」ぐらいで十分なんじゃないでしょうかね。
 
 また、私は、海外の企業の支援について、外務省の仕事は伝統的には、経済交流の一般的な枠組みづくりであって、個別商談には関与しないということできたが、そういう姿勢はもう古い、各企業のニーズに応えて積極的に関与していくべき旨述べました。会議には主要経済団体からも御参加頂き、外国のビジネス環境の問題点・改善策につき議論しましたが、その成果を、今後、一つ一つ着実に実施していきます。
 
 おや、先ほど「日本は民間企業をバックアップするというコトに対してあまり積極的でない」と言ったのですが、これをこれからは改めると大臣自らがおっしゃっています。
 いいですね。
 どんどん積極的にやっていってほしいです。
 そもそも外国というのは日本と文化が違うワケでして、よって商売に対する考え方も違いますから、どうしてもそれが衝突する場合というモノがあるワケでして、そうなってしまうと民間だけではどうしようもない場合が出てきてしまいます。
 中国との契約を反故にされたなんていう話は、そこら辺にいっぱいころがっていますしね。
 こういうところをしっかりと国家の一部として国家が支えるというのは必要なコトだと思います。
 
 会議を終え、すべての大使は任国に戻り、早速、大使館の陣頭指揮に立ち、活動を再開しています。遠隔の地にあって外交の最前線を支える各大使と目と目を合わせて、協議できたことは大変有意義であり、本省・在外公館が一丸となってさまざまな外交課題に一層積極的に取り組んでいきたいと思います。
 
 さっきの民間企業のバックアップもそうですけど、大臣が自ら大使に直接指示を出したという意味はとても大きいと思います。
 また、いま日本政府は観光立国事業っていうモノをしていますから、大使の赴任先国での日本の観光アピールというモノも大切な仕事になるでしょう。
 いままで外国の大使館といってもあまり親近感がなかったでしたから、この機会に国民の理解を得られるようになってもらいたいですね。
 
 
 
 [編集後記]
 昨日(1日)から私もクールビズです。昨年の夏は官邸内でただ一人「ノーネクタイ・ノー上着」でしたが、今年は小泉総理を先頭に全省庁で実行することになっています。大切なのは冷房に頼りすぎないことです。冷房の設定温度を1度上げると約15%のエネルギー節約になるという試算もあり、地球温暖化防止に役立ちます。
 
 せいけん先生、チャレンジャーですね(笑)
 でもいろんな人のお話を伺うに、結局、「暑いからネクタイをしたくないと言えばしたくないけど、でも礼儀的には仕方ない」って思っている人がほとんどみたいなんですよね。
 ですから、みんなでやめちゃえばいいんですよ。
 もともとネクタイとかって西洋の文化なんですから、いっそのコト、和服にしてもいいんじゃないかと思います
 ちょっと動きにくいですけど、やっぱり日本の風土が生んだモノですから、涼しいんですよ。
 
 昔は夕涼みに簾(すだれ)、打ち水など、涼しく暮らすためにいろいろと工夫していました。農家の天井は高く、風が抜けました。暑い日には風通しのよい甚平姿で畳にひっくり返っていたものです。ノーネクタイも涼をとるためのひとつの知恵。皆さんも身近なところから、できることから温暖化対策にご協力をお願いいたします。
 
 これを機会に、いなせな日本人が増えるコトを期待しています(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成17年6月3日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか

 
 やえは日韓友好については好意的派なのですが、ええと、もうダメかもしれません。
 これは・・さすがに、どうしようもないですね。
 どうしてこうホントに斜め上をぶっ飛んでいくのでしょうか・・・
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 最近金曜はいつも「人権擁護法案総論」なので、それ予想されていた方もいらっしゃるかもしれませんが、まず先に触れなければならない事柄が出てきましたので、今日は予定変更になりました。
 というのもですね、その人権擁護法案に反対する自民党の先生たちが作った「真の人権擁護を考える懇談会」という議員連盟があるのですが、先日この懇談会が一定の見解を出したのです。
 それがですね、ちょっと、あの、かなり期待はずれなコトになってしまっているので、これはツッコミを入れておかなければと、今日は思ったのです。
 正直、やえもこの懇談会には少なからず期待を寄せていただけに、これはかなり残念でした
 というワケで、どう残念なのか、具体的に中身を見てみましょう。
 
 
 3点見るべきモノがあります。
 1つ目は、「懇談会」が行った記者会見。
 2つ目は、「懇談会」の座長でいらっしゃる古屋圭司先生のサイト。
 3つ目は、「懇談会」が出した公式見解のペーパーです。
 
 ではまず1つ目の、「懇談会」が行った記者会見の記事です。

 人権擁護法案:与党懇話会、今国会への提出方針を確認
 
 与党人権問題懇話会(座長・古賀誠自民党元幹事長)は30日、国会内で会合を開き、与党内の調整が難航している人権擁護法案を今国会に提出する方針を改めて確認した。
 同法案をめぐっては、自民党の「真の人権擁護を考える懇談会」(会長・平沼赳夫前経済産業相)が原案通りの提出に反発。▽人権擁護委員に国籍条項を設ける▽メディア規制を削除するなどの対案を同日夜、与謝野馨政調会長に提示した。

 太字に注目してください。
 なんと「懇談会」の見解としては、メディアからの人権侵害を救済する、いわゆるメディア条項を「削除する」としているのです。
 いったいぜんたいどうしてこんなコトになってしまっているのでしょうか。
 
 具体的には人権法案の第四十二条の4に当たる部分です。
 過熱報道、いわゆるメディアスクラムについてはもはや説明するまでもないでしょう、マスコミによる過剰な取材、例えばしつこくつきまとったり、時間や場所を選ばず職場等にまで電話を鳴らし続けたりといった人権侵害が現実に起こっているワケですが、当然これも明確に人権侵害であるのですから、人権法案に救済すべきとして盛り込まれているワケです。
 しかし現段階では、自浄作用0のメディアが自分勝手な主張、「言論の自由を侵害するものだと」大反対キャンペーンを行ったために、とりあえずはこの部分だけ「凍結」という「今は運用しないけど、今後自主規制が出来なかったら凍結を解除して、規制していくよ」という妥協的な形をとっているのです。
 
 そもそも現在の人権法執行部のこの「凍結」という措置も、やえから言わせてもらいましたら、トンデモナイ話なのです。
 どうしてマスコミの人権侵害だけ“人権侵害と呼ばないのか”、こんな不条理な話はないのではないでしょうか。
 ですから、やえは当初から一貫してこの部分は即刻解除し、適切に運用していくべきだと主張してきました。
 しかししかし、なんと「懇談会」は、この条項はいらないと言っているんです
 これのどこが「真の人権擁護を考え」ているのでしょうか。
 この「懇談会」の顧問には、安倍晋三先生も名を連ねていらっしゃいます。
 安倍先生は、未だ無視を決め込んでいる朝日新聞の例の記事の時に、朝日の記者に自宅のインターホンを連打され、なおかつ「答えないと大変なコトになるぞ」と脅しまでされたとして、それを激しく非難されていたではありませんか。
 部会レポートでも何度かお伝えしましたように、今自民党では、佐田玄一郎先生を座長とした「朝日新聞の問題報道に関する調査プロジェクトチーム」で、党として徹底的に追及しているのです。
 安倍先生は現在幹事長代理という党の要職でもいらっしゃるんですよ。
 これを安倍先生はどのようにお考えになるのか、そしてこのメディア条項削除案をどう思っているのか、「懇談会」の顧問としてどう考えているのか、聞いてみたいです。
 
 やえは残念です。
 
 
 次に、「懇談会」の座長を務めていらっしゃる、古屋圭司先生のサイトを取り上げたいと思います。
 古屋先生は、6月1日付けで、人権法案に対する考え方をサイトに載せられています。
 今までも古屋先生は何度かこの問題を自サイトで取り上げていらっしゃるのですが、今回は「懇談会」が一定の見解を出した後というコトもあり、ある程度考え方がまとまってきた結果の見解だという見方ができると思いますので、6/1の記事を取り上げたいと思います。
 
 けっこうな長文となっていますので、必要最低限の引用にとどめたいと思っていますので、まずはその記事をご覧下さい
 でですね、あの、正直言いまして、ちょっとツッコミどころが多すぎるので、重要だと思われる点だけをピックアップしてツッコんでいきたいと思います。
 ではいきます。
 

 詳細に調べますと、人権侵害の定義「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」が極めて曖昧(あいまい)で、根本的に問題があります。
 それは、“恣意(しい)的な解釈が可能”であり、人権侵害された人やその疑いがある人を救う法案ではないからです。人権侵害への擁護は断固行なっていかなくてはなりません。しかし、この法案は自由と民主主義、表現の自由を侵害する恐れがあり、悪用される危険性があるのです。
 このような法案を議論もなく、国会に提出していくことは日本の民主主義を破壊する行為です。

 単純な話なんですけど、「恣意的な解釈が可能」であるコトが、即イコールで「人権侵害された人やその疑いがある人を救う法案ではない」とは結びつきません
 「恣意的な解釈が可能」というコトは、あくまで選択肢が増えている、それは負の方向にですが、に過ぎず、よって必ず救われない方向に強制的に導かれるというコトには全くなりません。
 もちろん、「恣意的な解釈」が本当にされるのであれば問題ですが、しかし、その問題と「救う法案ではない」という批判は、全く別問題です。
 ここを“恣意的”に結びつけて、印象操作しようとなされるのは、間違いだと思います。
 まして「日本の民主主義を破壊する行為」とまでおっしゃるのですから、このような印象操作はちょっといかがなものかと思います。
 
 また、何をもって曖昧とするか、どの辺にボーダーラインを引くのか、それをハッキリさせないまま「曖昧」とか「恣意的な解釈が可能」とか批判するのは間違いでしょう。
 古屋先生は全く具体的な内容についての指摘をされていないのでちょっと困るのですが、人権問題というモノは、ガッチリキッチリ定義付けができるような問題ではありません。
 これはやえはいつもいつも言ってますよね。
 むしろそれが出来るのであれば、人権法案だけでない一般的にも人権問題というモノはこんなに難しい問題にはならなかったでしょう。
 また、時代や場所や場合によっても、人権の定義は変わります。
 ひとことに「外国人差別」と言っても、妥当に外国人と自国人とを区別すべき問題と、不当な外国人に対する差別とは、それは中身や周りの状況をよく考えて議論して決めるべきコトの問題です。
 ですから一番大切なのは、より議論するコト、より多くの人が人権の問題を考えるコトであって、むしろ明確な定義をしてガチガチに固めてしまうと、現実の問題に柔軟に対応できなくなってしまい、最悪新たな差別が起こってしまう可能性だってあるでしょう。
 よって、ある程度のガイドライン的な定義は必要でしょうが、それをもって「曖昧である」と言い、反対の理由にするのは適切ではないと思います。
 

 第一点は、人権委員会は法務省の外局として人権委員会を国家行政組織法三条委員会として設け、公正取引委員会のように準司法的な強力な権限を付与されることです。これが実現しますと、人権委員会は、特別救済の名の下に、出頭要請、事情聴取、立ち入り検査などの強制力を発揮し、拒否すれば罰則が適用されます。
 裁判所の令状なしに強制執行が可能となることで、国民に畏怖(いふ)の念を与え、自由な言論を抑圧する恐れが出てきます。準司法機関とするならば、本来であれば司法制度改革を通じて対応していくべきものだと思います。

 そもそもの問題なんですが、どうして公正取引委員会は現存し実際に活動しているのに、それと同じ権限を与える委員会を作るコトをもって問題だと言ってしまっているのでしょうか
 それならまず公正取引委員会を廃止するよう主張し、国会議員として行動すべきなのではないでしょうか。
 「司法制度改革を通じて対応していくべきもの」というのもよく分かりません。
 つまり古屋先生は、司法制度改革によって公正取引委員会を廃止せよと主張されているというコトなのでしょうか。
 まったくもって矛盾な主張です。
 
 また、人権委員会には「特別救済の名の下に、出頭要請、事情聴取、立ち入り検査などの強制力」「裁判所の令状なしに強制執行が可能」という権限は無いというコトも、何度も何度もやえは言ってきましたね。
 「罰則」というモノも、あくまで裁判所の裁量における、裁判所の権限下におけるモノであり、人権委員会が行うモノではありません。
 古屋先生の「準司法機関とするならば、本来であれば司法制度改革を通じて対応していくべきものだ」という主張から、つまり司法機関であればこれらの強制執行などが行われても問題ないととれますから、もちろんそれは当然の話で、それを否定するならば裁判諸制度そのものを変えるような大きな改革が必要でしょう、よって、人権委員会には強制権は無く、さらに過料は裁判所の裁量権の範囲内においてなされるのであり、これらは古屋先生の主張と照らし合わせますと問題が無いというコトになりますから、まったくもってこの批判は的はずれというか、自己矛盾しちゃってます
 
 ただし、この点に関しては、やえも疑問がないワケではありません。
 しかしそれは「強制権があるんダー」とかいう批判ではなく、現実の問題としての人権委員会の対応についての疑問です。
 それにつきましては、やえはシッカリと対案を出していますので、詳しくはこちらをご覧下さい
 

 第二点は、人権擁護委員の選考規定の不透明さです。現行の委員は一万四千人いますが、地域の名士になっていただいているのが実情です。加えて六千人増員するという法案であり、そこには国籍すら規定されておらず、偏執的な思想の持ち主や特定団体等の影響を強く受ける恐れがあるのです。

 人権擁護委員の選考規定については、やえの「総論」ではまだ取り上げていないのですが、極端に不透明であるとか、「偏執的な思想の持ち主や特定団体等の影響を強く受ける恐れ」とかは言えないです。
 元々の人権法案にはいわゆる団体条項というモノがあって、擁護委員に部落解放同盟のような団体員が入り込めるような条文になっていたのですが、これはすでに修正をされて、団体条項は削除されています
 この辺のお話は自民党法務部会で正式に発表されたので、当然古屋先生もご存じかと思いますが、念のために言っておきます。
 
 それから、重大な事実誤認があります。
 「加えて六千人増員するという法案であり」というのは全くの間違いです。
 人権法案第二十四条の1では「人権擁護委員の定数は、全国を通じて二万人を超えないものとする」とされているだけであり、どこにも二万人にしなければならないとは書いていません
 よって一万四千人で職務が問題なく遂行できるのであれば、増員されるコトはないでしょう。
 

 現行法では委員の政治活動が禁止されていますが、新法案では禁止と明記してありません。法務省に問い合わせると、準公務員の扱いだから特に規定していないといいます。しかし、なんらかの目的意識や強大な権力を持った委員が六千人増えることは、事実上、政治・思想活動と等しい活動が可能であり、この法案が成立すると、自由と民主主義、表現の自由が損(そこ)なわれ、国家にとって大変に危険な状況が生まれます。

 法務部会に毎回ご出席されておられた古屋先生のお言葉とはとても思えません
 これだけご熱心に人権法の問題をやっておられるのに、どうしてこのような言葉が出てくるのか、ご無礼とは思いますが、全然話を聞いていないのか、提出された資料を全く読んでいないのか、そうとしか解釈が出来ません。
 
 まず、人権擁護委員は一般職の国家公務員です
 これは何度も何度も法務部会で報告され、また法務省が提出した資料内にも明記されています。
 例えば、「自民党法務部会における主な論点への対応案」という資料の中に、「7 人権擁護委員についての政治的中立性の規定がない」という意見に対しての回答として、「現行の人権擁護委員には国家公務員法の規定が除外されているが、本法案の人権擁護委員については、非常勤の国家公務員であり、国家公務員法が原則として適用されるところ、同法第92条に「すべての職員は、国民全体の奉仕者として(後略)」と、ハッキリと明記されてあります。
 また、古屋先生は拉致議連の事務局長でいらっしゃったと思いますが、4月8日付けの法務省が提出した「17年3月17日付け「人権擁護法案に対する緊急声明(拉致議連声明)との書面に対する考え方」という資料の中にも、「第四 現行法上の人権擁護委員は、政治活動が禁止されているが、本法案上は、積極的な政治活動のみが禁止されているに過ぎないとのご指摘について」という疑問に対しての回答に、「本法案の人権擁護委員については、一般職の国家公務員であり、国家公務員法が原則として適用されるところ、同法第92条「すべての職員は、国民全体の奉仕者として(後略)」と、やっぱりハッキリ明記されてあります。
 古屋先生はこれらの資料に全く目を通していらっしゃらないのでしょうか。
 
 さらに言いますと、政治活動については、4月21日に自民党で行われました部会において、先ほども言いましたように国家公務員法の規定が適用されるので本来は書き入れる必要はないのですが、そこを敢えて人権法上文中にそれを明記すると、執行部が報告をしています
 やえも部会レポートでこれに触れています
 もはやこれ以上やりようがありませんよね。
 よって、これらの報告をちゃんと聞いていれば、こんな批判は全く出てこないハズなのです。
 
 ここまでして万全を期しているのに、どうして古屋先生はこんなコトをおっしゃっているのでしょうか。
 大変失礼なコトを申し上げますが、お許しください。
 古屋先生は資料をもらっても中も見ずに捨ててしまうのでしょうか?
 それとも見れないほどお忙しいのでしょうか?
 また部会にご出席されていたと思いますが、もしかして自分のご意見を発言するコトに頭がいっぱいで、他の方の発言を全くお聞きになっていらっしゃらなかったのでしょうか?
 そしてその程度で人権法について公の場で語られておいでなのでしょうか
 理解に苦しみます。
 
 
 
 ごめんなさい、実はあとこれの3倍ぐらいの文章の量がありますので、ここでいったん区切ります(汗
 

平成17年6月4日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか2

 

 例えば、これまでノーネクタイやペットお断りの店、刺青(いれずみ)お断りの銭湯などでも、人権に関わる問題だと訴えられると、委員会が救済手続きを開始する可能性が出てきます。

 これも法案を全く読んでいない人がする批判と全く同じです。
 古屋先生はどうされてしまったのでしょうか。
 お店が行う差別についての規定は、第3条の1に規定されているのですが、そこには「人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」とあります。
 で、この「人種等」とは、さらに第2条で規定がされていまして、「この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう」とされています。
 さて、ノーネクタイはどれに当たるでしょうか。
 さて、ペットお断りはどれに当たるでしょうか。
 さて、入れ墨お断りはどれに当たるでしょうか。
 古屋先生の言う「曖昧な定義」によっても、これらは全く当てはまりません
 ちなみに、北海道でのロシア人の入湯拒否問題に対して、「外国人お断りの措置は差別である」という判決を裁判所は出しています。
 

 お年寄りが年金で経営する小さなアパートでも、外国人お断りという入居条件に対して委員会が特別救済措置を取り、家賃を滞納する素性の知れない人たちを排斥できないことにもなりかねません。

 失礼ですが古屋先生、恣意的なこじつけ、印象操作が多いと言わざるを得ません。
 「家賃を滞納する」という問題と、人権問題は全く別問題です
 滞納すれば法に則って適切な措置が執られるコトでしょう。
 またこの古屋先生の書き方では、「外国人=家賃を滞納する」ととられかねません。
 これでは古屋先生の方が人権侵害をしているコトになります
 お気を付けられた方がよろしいかと思います。
 

 平成十一年に国旗・国歌法が成立し、国旗を掲揚し、国歌斉唱するという教育指導要領に基づく先生の指導に、「歌わない自由もある。人権を侵害された」という生徒や父兄の偏った主張に対して、目的意識を持った人権擁護委員がことさら大きく取り上げて救済を申請した場合、調査せざるを得なくなります。対象となった先生はテレビや新聞で大きく批判され、その挙句に地位すら剥奪(はくだつ)されるかも知れません。

 これは、大阪弁護士会のトンデモ勧告書に関するお話ですね。
 しかし、それならば大阪弁護士会を批判すべきであって、それがどうして人権委員会につながるのか、ちょっと強引すぎます。
 法務省提出の「救済手続きの不開始事由に関する規則のアウトライン」にこのような条文があります。
 「四 明らかに裁量権の範囲内と認められる立法行為又は行政行為であるとき」
 国歌斉唱国旗掲揚の指導というモノは、国公立の学校において指導が徹底されており、よってこれは明らかに「行政行為」です。
 この資料も部会で提出されているのですが、お読みになってないのでしょうか。
 

 「間違いの場合は訂正を発表する」と法務省は修正案を出していますが、それは事後の処置であり、人権の回復は決してできません。企業に公正取引委員会が立ち入り調査を行なっただけで新聞に大きく報道され、企業自体に問題がない場合でも、その後、入札が排斥されるなどの被害を受け、場合によっては倒産するケースもあるのです。

 はい。
 人権委員会が間違った判断を下した場合の規定が全くないというところは問題だと、やえも思います。
 そしてそう何度も主張してきました。
 ただし、「人権の回復は決してできません」と断定するのはちょっと違うと思います。
 この辺が人権問題の難しさですが、「事後の処置」というモノを完全に否定していますますと、この人権法に関わらず裁判も含めた全ての人権救済に関する措置が全く無意味なコトになってしまいます
 差別されている人はすでに差別されているワケですから、人権救済というモノは、この後どう処置していくかという問題であり、予防以外は全て「事後の処置」しかないワケです。
 それは現行法下の裁判という形でも同じですよね。
 そもそも人権侵害を現在進行形で受けている人がいて、それをどう救済するのかというのが人権擁護問題の大きな柱のひとつなのですから、つまり事後の処置を否定していまうと、ではどうしたらいいのか、ただ手をこまねいているだけなのかというコトになってしまうんですね。
 ですから、この古屋先生の言い方では、現状すらも否定しているワケでして、それならそうと主張すべきで、そうでなければこの批判はかなり的はずれな批判にしかなってないとしか言いようがないでしょう。
 
 またまた失礼とは思いますが、どうもこの法案に頭から反対されているという方は、現在進行形で人権侵害をされている人をどうするのかという観点が全く抜け落ちているような気がしてなりません
 あるのはただ自分が束縛されたくないというコトだけで。
 
 また、報道の問題ですが、これは人権委員会の責任ではなく、マスコミの責任です
 立ち入り調査をしただけで犯人だと決めつけるような報道はさせるべきではないでしょう。
 これこそまさにメディア条項を強化させるべき問題であり、しかし古屋先生が座長を務めておられる「真の人権擁護を考える懇談会」の見解としては、メディア条項はいらないと言っているワケでして、これはとんでもない矛盾です
 

 さらに、北朝鮮による日本人拉致被害者救出活動にも影響を及ぼします。卑劣な北朝鮮の犯罪に対して、「金正日はけしからん」という意見を北朝鮮に共感を持つ委員や朝鮮総連や北に近いグループが聞きつけ、「うちの首領さまを批判した。人権侵害だ」と、強烈に繰り返して訴えた場合、救済手続きを開始することもありえるのです。
 私は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」事務局長を務めていますが、議連連盟や家族会による被害者の救出活動そのものが制限される可能性も出てきます。同胞を救出することができない、こんなばかなことが許されていいのでしょうか。KGBやゲシュタポなどの秘密警察が日本に出現するといっても過言ではありません。

 だんだん疲れてきました・・・。
 基本的に、「なにを差別とするのか」という法的にも観念的にも基準となるモノは、なにもこの人権法が出来て新しく定義がなされるのではありません。
 それは、今までの法や判例や常識が基準になるワケです。
 法と法が矛盾しないよう、ぶつかり合わないように整合性を持たせるために、特に「矛盾する場合は昔の法律が無効になる」とされているアメリカ式とは違う日本においては、法整備の上で特に厳密に細かく行われる作業です。
 すなわち、人権法と現行法とは、定義の点においては同一なのです。
 現行とこの法案と何が違うと言えば、手段が違うのです
 裁判という手間がかかる手段ではなく、まずその前段階として、行政が動くというのが、この法案の趣旨なのです。
 となれば、ジョンイルに対する批判が、現在の制度においても人権侵害であるならば、それは人権法によっても人権侵害でしょうけど、そうで無いのであれば、人権法でも侵害ではありません
 そして前出しました「不開始事由のアウトライン」の「一 特定の者の人権が違法に侵害されたものでないとき」に当たり、手続きは開始されません。
 

 高齢者や児童への虐待、家庭内暴力には個別法が立法されており、充分に対応できると思います。また、司法書士などが簡単に裁判の手続きができるADR(裁判外代理制度)を充実し、現行の人権擁護委員の権能を強化し、簡便で公正な司法救済を受けられるようにすることで権利侵害を受けた者は救われると思います。

 人権擁護法案における活動は、すべて行政の手によるモノです。
 いくら司法制度を改革しても、司法と行政との間にある壁は存在し続けます。
 よって、個別法により裁判での救済が出来るようになったとしても、司法書士による簡単な裁判手続きが行われるようになったとしても、それでもって行政が動いてはならない理由には全くなりません
 古屋先生のおっしゃるADRが出来たとしても、それと人権法は並立し共存できる制度です
 むしろ、裁判という手段に擁護委員が適切に導くというのも、この法案の大きな意義のひとつなのですから、ADRが出来れば、さらにそれが簡素化されるという相乗効果が生まれるとも言えるでしょう
 現実の複雑な問題、特に人権問題は複雑中の複雑な問題なのですから、選択肢を多く設けておくというコトに問題があるとは全く思えません。
 よって、このご指摘も的はずれです。
 
 
 古屋先生のご批判のほとんどは、部会での説明や提出された資料を読めば、すべて解決してしまう問題です
 なのになぜこのような批判をされてしまうのか、ちょっと国会議員としてどうなのかなと言わざるを得ません。
 まして古屋先生は、「拉致議連」の事務局長であり、「真の人権擁護を考える懇談会」の座長でもあります。
 そんな御方が、失礼ですが、この程度のお話しかされないのであれば、これらの議連の意見も所詮この程度かと思ってしまうコトにもなってしまいます。
 古屋先生は、もうちょっと中身のある議論をしてほしいと思います。
 
 
 (つづく)

平成17年6月5日

 「真の人権擁護を考える懇談会」はこれでいいのか3

 
 では最後に、3つ目の点を見てみましょう。
 冒頭で「懇談会」が一定の見解を出したと言いましたが、6月2日付けで「懇談会」が正式なペーパーを出しました。
 それが「人権擁護法案(政府案)の主な問題点」です。
 おそらく「懇談会」は対案となる法案は作っていないと思われますので、とりあえずはこれが「懇談会」の今までの議論の結果なのでしょう。
 
 というワケで、その内容をひとつひとつ見ていきます。
 

 1 人権侵害の定義等が不明確
  ○ 人権侵害の定義については、「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」(2条1項)と規定されており、これでは、「人権侵害とは人権侵害である」といっているのと同じである。

 これ、ちょっと揚げ足取りなんじゃないでしょうか。
 人権というモノは明確に定義出来ないというコトはすでに述べましたが、よってこれを言われても、だからなんでしょうとしか言いようがありません。
 だいたいにして、この指摘は何も人権法だけに当てはまるというモノでもありません。
 例えば刑法249条の恐喝に関する条文ですが、そこにはこう書かれています。

 (恐喝)
 第249条 人を恐喝して財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。

 恐喝は恐喝であると言っているんです
 恐喝もなかなか定義がハッキリできない問題です。
 どこまでが話し合いで、どこまでが説得で、どこまでが恐喝なのか、明確にしろと言われても、それは時と場合によるとしか言いようがありません。
 例えば「1時間以上相手の意に反して意見を述べるコトを恐喝と言う」なんて定義してしまうと、今度は相手の一方的な言い分だけで全てが決まってしまうようなトンデモない事態になってしまうでしょう。
 こういう、殴れば傷害罪といったように、簡単に誰でも分かる定義がつけられない問題は、その場その場で個別に判断していくしかないのです
 

 ○「嫌がらせ」「不当な差別的言動」(3条1項2号イ)、「相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」(42条1項1号)、「前各号に規定する人権侵害に準ずる人権侵害」(同項第5号)など、あまりにも抽象的な表現が随所に見られる。

 えーと、さっきの説明で全てが足りますね・・・。
 

 →これでは、恣意的な解釈・運用がなされるおそれがあり、結果として民主主義・自由主義の根幹を支える最も重要な要素である「表現の自由」を萎縮ざるおそれがあり、憲法違反のおそれなしとしない。

 これも以下同文としたいところなんですが、もう一つ例を挙げてみましょう。
 これはあまおちさんの専門ですが、警官による職務質問に関する法律です。

 警察官職務執行法
 
  (質問)
 第二条
 1 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。

 あのー、ものすごく曖昧なんですが、これには批判さなれないのでしょうか
 結局これ、警官がどう判断するかにしか根拠が示されていないのです。
 ですから、警官が「何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる」と判断すれば職質できるワケです。
 警察という機関は、人権委員会や公正取引委員会なんかよりも、遙かに強大な権力を持った、しかも武器を携帯できるという暴力機関です
 また警官というのは、その人選においては試験があるというコトしか特に規定がありません。
 選挙があるとか、選挙を経た人が直接選ぶとか、そういうのが全くないんですよ。
 どうして暴走の可能性を誰も指摘しないのでしょうか
 さらに言いますと、現在行われている職質というのは、ほとんど警官が無制限にランダムに行っているとも言えます。
 当サイト的にはこっちの方が問題だと思っているのですが、どうしてそれを指摘する人がほとんどいないのでしょうか?
 もし、現行の職質制度が問題ないというのであれば、ことさら人権法が問題であるとはちょっと言えないでしょう。
 

 2 人権委員会の権限が強大
  ○ 人権委員会は、独立性の高い3条委員会として位置付けられており(5条・7条)、しかも、下記の特別調査及び特別救済を行う権限を有するなど、その権限があまりにも強大すぎる。

 まず、強大、つまり強いとか弱いとかを言う場合、そういうモノは対象があっての話です。
 いったい何と比べて権限が強大であると言っているのか、この点が全く記されていません。
 よって、これだけではそれが不当であるかどうかを判断するコトは不可能です。
 
 仮に、比べる相手を想定してみましょう。
 裁判所と比べた場合はどうでしょうか。
 人権委員会は救済措置の中に、裁判に訴えるための手伝い、道しるべとしての役割を負うコトも重要な仕事の一つとされていますから、これは人権委員会の決定よりも裁判所の決定の方が重いと規定しているコトになります。
 また、前出しました「不開始事由のアウトライン」の八には「裁判所又は裁判官の判決によるものであるとき」という条文があり、人権委員会には裁判所の決定を覆す権限はないコトも明記してあります。
 他にも、正当な理由無くしての出頭の拒否に対する科料は裁判所の職務権限内においてなされるようになっているコトからも、やはり人権委員会は裁判所より権限が強大とは、とてもじゃないですけど言えないでしょう
 
 次に、検察・警察と比べてみましょう。
 一般的に人権委員会より権限が強いと見なされている公正取引委員会ですが、公正取引委員会にも人権委員会と同様な出頭や調査に関する条文があります(公取法第40条)
 しかし、この前の橋梁談合事件の時でもそうなのですが、最終的な捜査の段階においては、やはり検察・警察が直接捜査を行うのです。
 建設会社に実際に踏み込んだのは、検察・警察でしたね。
 となれば、やはり権限が強いのはどちらかと言えば、どう見ても検察・警察でしょう
 よって、人権委員会よりも検察・警察の方が権限は強大なのです。
 
 では最後に、民間団体と比べましょうか。
 民間団体には、捜査を求められるような法的な根拠はありません。
 氏名を公開するなどという救済手続きを行う権限もありません。
 よって、民間団体よりは、人権委員会の方が権限が強大だと言えるでしょう。
 
 さて、これらと比べた場合、強大であるから問題であるという批判をどう考えるべきでしょうか。
 少なくとも、「強大である=悪」という方法論は違うのでしょう
 よってこの批判も的はずれです。
 具体的理由もなく、ただこれだけで批判をするというのは、印象操作であると言えるのではないでしょうか。
 
 ところで、先ほど述べてきました古屋先生のサイトには、このような一文があります。

ADR(裁判外代理制度)を充実し、現行の人権擁護委員の権能を強化し、簡便で公正な司法救済を受けられるようにすることで権利侵害を受けた者は救われると思います。

 人権擁護委員の機能を強化し司法救済を受けられやすくするという方法は、人権救済措置の大きな柱のひとつです。
 えーと、「懇談会」は強大な権限はダメと言い、「懇談会」の座長は機能を強化しろと言い、本当はどっちなんでしょうか
 本当にちゃんと「懇談会」内で議論しているのか、これでは疑問に思ってしまいます。
 

 ○報道機関等が行う人権侵害が特別救済の対象とされており、報道の自由等の観点からは問題である。(42条1項4号)

 ああ、これですね、メディア条項の削除って。
 はぁ。
 ガッカリですよ、残念です。
 なんですか、やえはこういう言い方は好きじゃないんですが、なんとか味方を多くつくりたいから、まずはメディアを味方に付けて、事を有利に運ばせようという魂胆なのでしょうか。
 あーあ。
 

 3 不当な人権救済の申出の対象とされた者の保護が不十分
  ○ 相手方を困惑させ、相手の行為を萎縮させるために、人権委員会に人権救済を申し出るといったような濫訴的な場合に対する対応が十分になされていない。(規定無し)

 これについては、やえも同じ意見です。
 というか、ここが一番の問題だと、何度も言ってきましたね。
 ただし、他の制度を鑑みると、ちょっと濫訴を防ぐのは難しい気がしなくもありません。
 わかりやすいのが裁判です。
 現行制度下では、裁判の濫訴を防ぐ具体的な規則、一年に5回までしか告訴してはならないとか、濫訴をした人間に対する罰則、年に5回敗訴した人間には罰金100万円を課すとか、そういった規定はありません。
 もちろんこういう規定を作るのは難しいというコトは、説明するまでもないコトでしょう。
 ですからやっぱり具体的にはなかなか濫訴を防ぐ方策というのは難しいのではないでしょうか。
 人権委員会が、その申出が本当に正当な申出かどうかを見極めるというのは当然の話ですが、その他あと出来るコトと言えば、逆訴をする、つまり不当申出者を人権侵害者として申出て、不当に申し出た人に対して一定の措置を人権委員会にとらせるコトでしょう。
 他にいい案があったら教えてください。
 

 4 人権擁護委員の選任基準が不適当
  ○ 国籍要件がないため、外国人であっても人権擁護委員となることが可能である。このままでは特定の外国人団体が組織的に工作して委員を送り込むおそれがある。(22条3項)

 今のところ、外国人が擁護委員になれるというのはその通りです。
 ここにつきましては、やえは「国家・地方問わず、公務員には日本人のみが就くのが当然である」と、反対を主張しています。
 しかしですね、それをもって「特定の外国人団体が組織的に工作して委員を送り込む」というのは、また別の問題でしょう
 悪意ある団体というのはなにも外国人団体だけではないのですから、この問題は擁護委員の選定の基準や手続きをどう整えるかという問題であって、外国人がなれる余地があるからという理由を根拠に外国人が工作すると決めつけるのは、ちょっと適切ではないですね。
 
 そして

 ○「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから・・・人権擁護委員の候補者を推薦」(22条3項)とあるが、弁護士会等の団体が必ずしも適切な知見と公平性を有しているとは思わない。

 はい。
 その通りではあるんですが、この項目は修正されたと何度も何度も言ってきましたね
 古屋先生もそうなんですが、どうして部会で提出された資料とかを全く無視して話を進めようとするのでしょうか
 しかもこのペーパーを全体的に見ると、どうもこれは意図的にやっているんじゃないかと思えるような箇所があります。
 先ほど言いました濫訴に関するお話なのですが、「懇談会」が出したペーパーには正確にはこのように書いてあるのです。

 ○ 相手方を困惑させ、相手の行為を萎縮させるために、人権委員会に人権救済を申し出るといったような濫訴的な場合に対する対応が十分になされていない。(規定無し)
 (法務省が提示している修文案
 ※欄訴的な申出に係る事案等については救済手続きを不開始とする。
 ※調査を受けた相手方の求めに応じ調査結果を通知しなければならない旨の規定を設ける。
 (以下略)

 ※印の一番目は「不開始事由のアウトライン」ですし、二番目は4月8日に提出された修正案文の中の、第三十八条の4に当たる部分だと思われます。
 そもそも太字にしていますように、「法務省が提示している修文案」とハッキリと明記してあるんですね。
 このように、「懇談会」は、ちゃんと法務省の修正案を読んでいるのです
 にもかかわらず、どうして擁護委員の規定に関する部分の修正案だけ無視するのでしょうか
 一体どういう意図が働いているのか、なんなんでしょうか、これは。
 
 ちなみに、擁護委員の選定に関する修正案分はこうなっています。

 第二十二条
 3 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い見識を有する者のうちから、当該市町村長の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。

 ここから、外国人も含む、団体としての人間を送り込むという危険性は小さくなっていると言えるでしょう。
 ただし、第二十二条が修正されているのは3だけでして、2の「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない」という部分は生きていますので、これについてはやえも疑問です。
 弁護士会が常に正しい見解を持っているとはとてもじゃないですけど言えません。
 トンデモ勧告書という例もありますしね
 しかも、今のような書き方だと、地方の議会の決定よりも、弁護士会の決定の方が重いとされていますので、これは民主主義の観点から問題であるとも言えます。
 これにつきましても、やえは過去何度も触れてきた通りです。
 

 ○市町村長の推薦を経ることなく、人権擁護委員を委嘱することができることとしている(23条)とあるが、これでは、人権擁護委員は民主的な手続きにより選任されているといえないのではないか。

 23条で規定する、市町村長の意見を覆す決定を下せる権限を持っているのは、人権委員会となっています。
 よって、人権委員会をどういう位置づけで考えるかが大きなポイントとなるでしょう。
 確かにこの批判は正しいと言えなくもありません。
 やえもそう思わなくもないんです。
 ですから、この条文は削除するならした方がいいと思っています。。
 ただ、違う視点もあると思うんです。
 人権委員会の人権委員は、衆参の議会の同意と総理大臣の任命によって、その地位を任させれるワケです。
 これは、大臣クラスの人事規定です。
 で、その大臣はほとんどは国会議員がなるワケですが、一部民間人がなるコトが多いですよね。
 一応法的には、閣僚の半数は国会議員で占めなければならないと定められています。
 となれば、選挙を経ていない人間が大臣になるコトもあるワケでして、そして中央省庁の巨大な権限を民間人によって動かされるというコトになるワケです。
 そしてこれは、果たして「民主的ではない」と言えるのでしょうか。
 少なくとも、民間大臣に対して「民主的ではない」という批判は、やえは聞いたコトがありません
 以上から、人権委員会が決定した人やモノに対して「民主的ではない」という批判が当てはまるのかどうかは、ちょっと微妙だと思います。
 
 また、第23条のタイトルにもありますように、この条は「特例」ですから、地方議会などの決定を180度覆すようなコトはないんじゃないかと思っています。
 まぁ根拠はありませんが。
 

 ○人権擁護委員の政治的中立性に関する規定がなく、政治的中立性を担保するための規定が不十分である。

 えーと、またですか?(汗
 どうしてこう部会の資料を無視するのでしょうか。
 これについては、古屋先生が全く同じコトを言っておられましたので、そちらをご覧下さい。
 はぁ。
 
 さて、このペーパーの最後に、総括のようなコトが書かれています。

 ○ 人権擁護法案は、以上のような様々な問題を抱えており、仮に政府案を修正してこうした問題を払拭したとすれば、政府案の基本的な制度設計の転換となり、修正になじまない。
 ○ 本法案がこのまま国会に提出され、成立・試行されてしまうと、真に迅速に救済がはかられるべき者が救済されないおそれがあるばかりか、新たな人権侵害すら発生してしまう懸念が払拭されない。
         ↓
 ○ 人権は国民生活に密着にかかわる事柄であるので、人権侵害の実状を十分に把握し、慎重な検討を行うことが必要不可欠である。
 ※ 国籍要件の追加、マスメディア規制の削除だけでは本法案の抱える問題点を根本的に解決することにはならない。

 あー・・・・、そういうコトですか・・・・・・。
 この法案を修正したとしても、しかし「基本設計の転換であり、1から作り直せ」という主張がしたいがために、多くの修正案をスルーしつづけたんですか・・・
 実際に、「協議会」が公式に出した今回のペーパーの問題点を点検しても、そのほとんどがすでに出された修正案で解決している事柄でしたね。
 しかし、それでもってなにか矛盾が生まれているというワケでもありませんので、また1から作り直す必要性というモノは全く感じません
 そもそも法案というモノは修正されるのが当然の話です
 修正がいけないと言うのであれば、ではなんのために自民党内に部会や政審・総務があって、さらに国会の中に委員会があって、やっと本会議があるという長いプロセスを経ているのかさっぱり分からなくなってしまいます。
 こんなの、やえが言わなくても、自民党の国会議員の先生方の方が理解されているハズです。
 それなのにどうしてこういう主張をなされるのか、ちょっと、いえ、かなり理解に苦しみます。
 
 また、このペーパーで出された問題点の大部分はすでに修正済みであり解決済みでありますから、「真に迅速に救済がはかられるべき者が救済されないおそれがあるばかりか、新たな人権侵害すら発生してしまう懸念が払拭されない。」というのは、ちょっと当てはまらないでしょう。
 やえも疑問だと思っている部分にしても、根幹に関わるような問題があるというモノでもなく、他の制度や法律と比べたら、妥協せざるを得ないのかなと思うような点しかありません。
 ですから、もしこれらの点をもって「廃案にせよ」「1から作り直せ」と主張するのであれば、それは他の制度にも同じコトが言えるワケでして、例えばまず先に、全ての公務員に国籍条項をつけるようしなければならないでしょうし、また、裁判の濫訴に対する規制や罰則を作る必要が出てくるでしょう。
 警察の制度も根本から考え直す必要があると思います。
 さらに言えば、濫訴に関しては、現実に「オレの言うことを聞かないと裁判するぞ」という脅し文句は使われていたりするワケですしね。
 
 「人権は国民生活に密着にかかわる事柄であるので、人権侵害の実状を十分に把握し、慎重な検討を行うことが必要不可欠である」というのはもっともですが、はい、えーと、これ以上はなにも言うべきコトはありません。
 その通りとしか言いようがありませんね。
 しかし自分が納得できないからといって「時間をかけろ」と主張するのは卑怯です
 実際に議論が起きて、前に進んでいるのですから、それを無視するようなコトを言うのは、それこそ「言論の自由」に対する挑戦なのではないでしょうか
 相手の意見もよく聞いて、それに対して正面から反論するというのが議論です。
 しかし古屋先生も「懇談会」も、相手の言い分、法務相提案の修正案を無視して話を進めるという方法をとっており、これはとても卑怯ですし、こんなのでは全く議論になりません
 文字通り、お話になりません。
 逃げているだけだと言わざるを得ないでしょう。
 
 
 
 ものすごく長くなりましたが、以上が「真の人権擁護を考える懇談会」の今のところの見解です。
 ハッキリ言いまして、見事に期待を裏切ってくれましたと言わざるを得ません
 もしこの「懇談会」がより良い案を出すのであれば、ちゃんとそれを評価すると、やえは一貫して主張してきました。
 しかし、残念ながら全く評価できるポイントがありませんでした。
 むしろ点数をつけようとするのであれば、マイナスでしょう。
 反論は全く反論になっていませんでしたし、また、「懇談会」が出した提案は、たった2点しかなく、ひとつは「国籍条項」を求めるコトと、もうひとつは「メディア条項」を削除しろというモノです。
 国籍条項については留保すべき点があるというコトは言いましたし、もちろん設けろという主張には一定の評価は出来ますが、しかしメディア条項はいけません。
 メディアの人権侵害を黙認しろという主張にはまったく賛同できません。
 これでどうプラスに評価しろと言うのでしょうか。
 なんとも残念です。
 
 古屋先生にしましても、「懇談会」全体としましても、これでは全く話になりません。
 「懇談会」としても、ある程度の対案法案を出すという話があったと思うのですが、ハッキリ言いまして、これでは期待できません。
 もちろんそれを出された時にはちゃんと中身を読んで評価をしたいと思っていますが、基本がこうですから、いやはやなんとも言いようがありません。
 少なくとも、古屋先生や「懇談会」は、法案の中身や修正案の中身を読んでから反論してもらいたいモノです
 
 というワケで、かなり残念だった「真の人権擁護を考える懇談会」の見解と、それに対するやえの考え方をお送りいたしました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、実りある中身がクロスする議論を応援しています。
 

平成17年6月6日

 引き損はもう散々だと学習したハズですが

 
 やっぱり歴史は共有できても、しかし見方や捉え方は違うワケでして、それこそ民族の民族の違いたらんワケですから、やっぱり大集結というそもそもの発想が間違っていたと言えるんじゃないでしょうか。
 
 英が国民投票凍結 欧州憲法の発効、困難に
 
 そもそもやえは、貨幣が統合できただけでも奇跡だと思っていましたから、このニュース見ても、こんなもんじゃないですぐらいにしか思わなかったりします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 ひさしぶりに外交のお話でもしてみましょう。
 
 いま、日本と中国がものすごく仲が悪くなっているというのは、もはや誰も異論を唱える余地の無いほどの周知の事実ですが、ではなぜこんなコトになってしまったのかと聞いてみると、「小泉総理の靖国参拝」という理由を挙げる人はけっこういるんじゃないかと思います。
 先の大戦では日本はアジア周辺国に多大な迷惑をかけたという前提のもと、その戦争を引き起こし、帝国主義大日本帝国の指導者達までを祭っている靖国神社というモノに対して、日本の総理大臣が参拝するというコトはその謝罪すべき戦争を肯定し美化している行為になると、こういう理由で中国は小泉総理の参拝に反発し、そして日中の関係が悪化したと、こう理由を説明するワケです。
 そして、転じて、つまり小泉さんが靖国参拝をやめれば日中関係は良くなると、中国からも日本からもそう主張している人がいるというのが現状ですよね。
 
 でも果たして、本当に日本側が譲歩すれば、一歩引けば明るい未来が待っているのでしょうか。
 
 やえは、日本人は「譲歩しても損をするだけだ」というコトをすでに学んでいたハズだと思っていたのですが、そうでない人もいっぱいいるというのが残念でなりません。
 昔、日本は譲歩しまくっていました。
 「コメを送れば全ての問題は解決する」とそそのかされて、永延に譲歩しまくってコメを送りまくっていたのに、しかし結局何もならなかったというコトがつい最近日本で実際に起こっていましたよね。
 そうです。
 北朝鮮の問題です。
 あの時の日本は、北朝鮮に米を送ることが正しいコトだと、今では想像も付かないかもしれませんが世論の大部分もそう思っていたのです。
 しかし現実はどうだったのか、もはや言うまでもないですよね。
 
 中国の言うままに靖国参拝をやめたらそれで全ての問題は解決し、日中関係の未来は明るい道が待ちかまえている、なんて思っている人は、どこにそんな根拠があるのか教えてもらいたいぐらいです。
 言われるまでもなく、中国と北朝鮮は違う国ですし、違う民族ではあります。
 しかし、世の中には、いくらこっちが譲歩しても、それに合わせて自分も譲歩しようとは全く思わない相手もたくさんいるのです。
 むしろそこに付け入り、自分の利益だけを追求するコトしか頭にないような相手の方が多いと言っても過言ではないでしょう。
 日本人はすでにそれを学習していたと思うのですが、どうしてこんな簡単なコトが理解できない人がいるのでしょうか。
 
 もはや北朝鮮に対して食糧支援をすると言うと、もう大ブーイングが巻き起きるだけでしょう。
 船が入港するだけで大騒ぎなんですから、食糧支援なんて以ての外です。
 それなのに、なぜか中国には譲歩しろと主張する人がいるのですから、これはかなりダブルスタンダードだと思います。
 北朝鮮に対して無駄な米を送っていたコトが今の日本の厳しい状況につながったワケですが、このままではその苦い経験が全く活かされないコトになってしまいます
 いくらここで小泉さんが靖国参拝をやめたところで、中国が譲歩するという保障はどこにも無いワケでして、むしろ新たな問題を持ち出してこちらの譲歩だけをどんどん引き出そうとしてくるでしょう。
 中国にしても、ODAなどでいくら援助しても全く感謝もせず、そもそも存在自体な自国民に隠しているぐらいの国なのですから、こんなコトぐらい想像にたやすいのではないでしょうか。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、いい加減日本人はこういう負の連鎖に対してシッカリとした意識を持つべきだと思います。
 

平成17年6月8日

 あまおちクールビズ研究所

 
 はっはっは。ようこそ我が研究所へ。我こそが当研究所所長あまおち総統である。ごきげんよう。
 
 ごきげんよー
 
 はっはっは。当研究所は、今年日本政府によって提言された「クールビズ」を、いかに格好良く粋に着こなすかを研究するところである。まずはクールビズとは何かをおさらいしようか。助手のやえくん。
 
 はい、先生。
 
 先生ではないっ。総統と呼べっ。
 
 えーと、まずよく疑問に思われている「クールビズ」という名称ですが、これは「涼しい」の「クール」と、「ビジネス」を短くした「ビズ」を合わせた言葉です。ちなみにこちらは「ピズちゃん」です。ドラマCD化するそうなので、よろしくお願いします。
 
 さりげなく宣伝するなー。
 
 で、具体的にはですね、特に新しいコトを始めようというワケではなくて、ただ上着を脱いでネクタイを外して涼しい格好をしようというコトです。また、涼しい格好をするコトによって、室内での冷房の温度も高めの設定が出来るようになり、地球温暖化の防止につながればという期待も込められています。
 
 無視するなー。
 
 では所長、具体的にどのような格好をすれば良いか、格好良くクールビズをするにはどの点に気をつければよいのかこれからご教授願います。
 
 う、うむ。あー、んー、最近このパターンが多い気がするなー。ええと、よし、いくつかポイントを決めてひとつずつ説明していくぞ。クールにクールビズを着こなそう。略してクールクールビズ!!これを読めばキミも明日からクールビズマスターだ!!
 
 ・・・いろいろとつらそうですが、早速いきましょう。
 
 
 
 0.ノーネクタイ・ノー上着
 
 まず前提条件だ。クールビズなんだからノーネクタイはもちろんだが、ここでは上着も無しとする。というのも、上着ありと上着無しでは着こなしがまた違ってくるので一緒にしてたら大変だからな。しかも上着がない方が涼しいにきまっとるし。
 
 上着着るなら涼しげなジャケットがベストなんでしょうけど、しかしまだまだクールビズ元年ですから、意識的な問題で、涼しげなジャケットでは逆に失礼になってしまう場合というのもあるでしょうからね。
 
 後で述べるが、クールビズ専用で新たにジャケットやらシャツやらを作るのが一番なんだよな。いまだと何をどう着ていいのか分からない人も多いだろうし。この前クールビズで経済効果が何億円とかいう記事をやえが紹介していたが、しかしまだまだ紳士服のクールビズコーナー行っても、ただ半袖のシャツを並べているだけだったりと、スタイルが確立していないんだよな。
 
 当研究所でNG的なシャツもふつうに並べていますしね。
 
 もっと啓蒙活動をして、メーカーにその気を出させるぞ。
 
 
 
 1.シャツは半袖
 
 シャツは半袖だ。というか、上着を着ない場合、ネクタイをしていたとしても、長袖よりは全然半袖の方が格好良く見える。また言うまでもなく涼しいのは半袖だし、この際長袖を敢えて着る理由はほとんどないと言えるだろう。
 
 腕まくりとかしてもいいんでしょうけどね。
 
 例えば、出勤の時だけ上着を着るという場合、シャツが半袖だと汗をかいて、汗で上着とベトベトくっついて気持ち悪いという理由も、あることはあるんだ。それがイヤだから夏も長袖を着ているという人はけっこういるしな。
 
 ああ、それは気づきませんでしたね。
 
 だから、ものすごい汗かきで、半袖シャツはどうしても嫌だと、上着を着るとジンマシンが出てきてしまうという人は、まぁ長袖を着て、あとで上着を脱いでから袖をまくるのがいいんだろうな。ただ、ふつうにまくるのでは芸がない。当クールビズ研究所は、いかに「格好良く」着こなすかを最も大切なポイントにしているのだから、ただまくるだけではダメだ。
 
 では、小次郎まくりでもするんですか?
 
 ・・・おめー、そりゃ古すぎるだろ、ネタが。ぐぐっても4件しかでてこねぇじゃねぇか(笑)
 
 説明が難しいですね(笑)
 
 そうじゃなくてな、ちゃんとアクセサリーとして、まくった袖を留めるピンがあるのだ。シャツガーターっつーんだがな。これつければアクセントにもなって格好良くなるぞ。
 
 おー。こんなのがあるんですねぇ。
 
 まぁ元々まくった袖を留めるためのものではないんだが、そう使っても問題ないし、これするとアクセントになるし、まくりが落ちてこないし、いいんじゃないのか。
 
 検討の余地はありますね。
 
 
 
 2.シャツの色、白はダメ。濃いめの色で
 
 次はシャツの色だ。でだな、白はダメだ。こればっかりは絶対にダメだ。必ず避けるように
 
 白シャツでネクタイが無いと、どうしても「あーつかれたー、おーいビール」とか言い出している時のおじさん感がぬぐえないんですね。だらしないが先行して、涼しそうというイメージを消し去ってしまうのです。
 
 クールビズ元年の今年だが、とりあえずビールの勢いで、とりあえずネクタイ外しておこうぐらいにしか思ってないおっさんがこれをやってしまっている。国会議員にもいるな。これはかなり最悪なので、必ず守るよう心がけてほしい。
 
 あと、白地にラインとかも、結果的には同じですから避けた方がいいです。基本的に「白」と認識できる色や柄は避けた方がいいでしょう。
 
 ではどんな色がいいのかと言うと、コーディネートが苦手なら青にしておけば無難だろうな。青は涼しそうに見えるからクールビズのイメージにも合う。ただし、薄い青はダメだ。これぐらいの色のシャツはよく出回っているし着ている人も多いが、これは避けた方がいい。白がダメなのと同じ理由だ。
 
 ネクタイがない分、多少色が濃くても遊んでいる感は出ないですから安心してください。これぐらいの色より濃ければ大丈夫かと思います。
 
 もちろん着こなしに自信があるなら、ピンクとかグレーとかでもいいぞ。ただし、濃淡には気をつけること。
 
 
 
 3.シャツの色は、単一色ではなく柄付きで
 
 さて、この辺からあまおち研究所の真骨頂だ。さっき「シャツの色は白でなく濃い色で」と言ったが、これだけではまだ不十分なのである。シャツの色は、いわゆる「べた塗り」したような単一の色ではなく、チェックなどが入っている柄入りの方が良い
 
 上着を着た場合というのは、その上着とネクタイとシャツとの組み合わせによって、それらがアクセントになっているワケです。これは「目が飽きない」状態でして、それが野暮ったくなくなる理由になるんですね。しかしクールビズは上着もネクタイも無くてシャツしか見るところがないですから、ここで単一色だと、どうしても野暮ったく見えてしまうんです。ですから、柄物にして「目を飽きないようにする」ワケです。
 
 とりあえず柄が入っていればだいたい大丈夫だ。ラインにするかチェックにするかは個人の好みだな。その目が大きいかどうかも。変な話、シャツにイラストが入るぐらいにしてしまえば、アロハのようなな、これだと下地が白でもけっこういい感じに見える。ま、この辺は、見る側の意識がアロハを許されるぐらいにまでならないと難しいだろうがな。
 
 しかし柄物というのは年輩の方にはちょっと抵抗があるかもしれませんけどね。
 
 んー、オレのおすすめは、ちょっと説明しづらいんだが、デニム柄のような、ランダム的な感じの柄だ。着るまでは抵抗が出るかもしれないが、着てみるとたいした事ないぞ。むしろ大きなラインよりも全然フォーマルに見える。是非試してみてほしい。
 
 
 
 4.襟はボタンダウン。もしくは横に広がっているもの(ワイド型)を
 
 ボタンダウンは必須ではない。が、その方がアクセントになるのでより良い。この辺もさっきやえが言った「目が飽きないようにする」対策だな。ただしボタンダウンの場合にも注意しなければならない点はある。それは、襟が筒状になってしまっているヤツだ。ネクタイを通す部分が妙に浮いている感じのな。そうなっているのは避けた方がいい
 
 こうなってしまっていると、どうしても「ネクタイが無い」というのが強調されてしまい、「何か足りない」という印象を与えてしまうんですね。
 
 よって、むしろボタンダウンよりは、襟の向きというか、Vゾーンにまず気をつけるべきだろう。横に広がっているヤツ、いわゆるワイド型が良い。逆に縦に長くなっているヤツ、つまり小丸は必ず避けた方がいいだろうな。もちろん開襟が一番良いが。
 
 これも理由は同じです。小丸型はネクタイをキレイに見せる効果がありますが、ネクタイがない場合、やはり「何か足りない感」が強調されてしまいます。
 
 で、ワイドの場合、たまに襟がヒラヒラしてしまうから、これをキレイに押さえるためにボタンダウンが好ましいと。
 
 クールピズはネクタイをしないワケで、となれば襟は大きく開くワケですから、やはり目線は胸元にあつまるコトになります。襟はシャツの中でも最も変化がつけられる部分でもあるのですから、ここには最も力を入れたいですね。
 
 
 
 5.ボタンの色は生地と違う色で
 
 これはボタンダウン以上にこだわってほしい。アクセントになるというのは言うまでもないコトだが、言わばこれはネクタイの替わりになるのである。
 
 クールピズスタイルは、襟より下はもう何もない状態ですから、ボタンでアクセントをつけましょう。あと、青地に白のボタンとかではなく、生地より濃い色のボタンの方がいいと思います。こうするとなかなか既存品ではない場合が多いのですが、ボタンは付け替えるのもそれほど難しくないですから、ぜひこれはしてほしいですね。
 
 
 
 基本編は以上だ。やえ君まとめてみたまえ。
 
 はい。半袖で、色がある程度濃く、チェックなどの柄が入っていて、襟が広がっているワイド型のボタンダウン。そしてボタンは生地より濃い色のモノ。こういうシャツだとクールビズも格好良く見えます。
 
 いろいろ言ったが、これぐらいを気にするのは簡単な事だろう。そんなにきびしいし条件では無いから、ちょっと探せばいくらでも売ってると思うぞ。
 
 クールピズのポイントは、いかに「目を飽きさせないか」ですね。目に見える部分はワイシャツしか無いので、どうしても飽きがきてしまい、野暮ったくなってしまうんです。ですから、いかに変化を付けるかが重要になってくるのです。そういう意味で、この前紹介しました小泉さんのかりゆしウェアはよかったです。真ん中の白いラインがすごくポイントになっていて、ネクタイの役割を十分に補っているワケです。
 
 しかも多分これデニム柄だろ。全体的にかなりポイント高いよな。こういうデザインのシャツを、クールビズ用として売り出してくれればいいんだよな。特に中心にラインは良い。ネクタイの役割になるからな。この「中心にライン」はクールビズのデフォルトにしてもらいたいものだ。
 
 そういうある程度の統一的なモノを決めれば、それがフォーマルとなって、どんどん抵抗も小さくなってくるでしょうからね。そうなればさらにクールビズしてみようかと思う人が増えるワケで、相乗効果が得られますよね。
 
 クールビズ協会とか誰かつくらんか。あ、オレが作るか。儲かりそうだな(笑)
 
 名誉顧問に小泉さんを(笑)
 
 
 
 さて、最後に、諸注意とワンポイントアドバイスだ。普段ビジネスマンにとってネクタイをしないという行為はあり得ない行為であるので、それを外してしまうと、意外に気が付かない事というのがある。その最も大きいのがアンダーシャツだ。ネクタイをしないのだから、襟が大きく開く。となればアンダーシャツが見えてしまう事になるんだ。でだな、これがいかん。女のブラジャーがチラチラ見えるんなら喜ばしいのだが、おっさんの下着が見えてもおもしろくもなんともない。おもしろくないだけじゃなくて見苦しいだけだしな。だから下着が見えないようにU字型の、襟が深いシャツを買っておくことをすすめる
 
 あれはみっともないですよね。まさにオヤジの真骨頂みたいな感じです。
 
 逆に見せてしまうという方法もある。襟が浅いアンダーシャツ、出来れば下着としてのTシャツではなくて、それだけでも外を着れ歩けるぐらいのしっかりしたTシャツを下に着て見せてしまえば良い。ま、これは若いヤツじゃないと難しいかもしれんが。
 
 この場合は、ワイシャツ以外のアクセントが出来ますから、見た目的にもいいかもしれませんね。
 
 許されるなら色つきTシャツにしたいな。
 
 これも意識の問題になってくるでしょうね。
 
 それからこの他の注意なのだが、携帯電話をシャツの胸ポケットに入れている場合、そのままで歩くと、携帯の重さによってポケットの部分が下に下がってしまって、襟の方にも影響を与えてしまう。これがけっこう不細工に見えてしまうんだな。これにも気をつけたい。
 
 でもそれだと携帯を入れておくところがなくなってしまいますね。
 
 これは携帯に限らないのだが、上着の中にサイフとか煙草とか色々入れている人は工夫が必要になってしまう。二つ折りのサイフをズボンのポケットにいれるとかな。で、携帯だが、オレはネックストラップを奨めたい。
 
 なるほど。ネックストラップにすると、ループタイのような感じでネクタイっぽくならなくもないですからね。
 
 まぁ、そこまでハッキリとはならないがな。でも無いよりはマシだというところか。
 
 いかに「目を飽きさせないか」ですもんね。
 
 
 
 とりあえずは以上だ。まぁとにもかくにもまずは実践してみてほしい。ネクタイを外すというのは、涼しいという効果以上に、もう全然楽だ。これはやらない手はないぞ。
 
 前にも言いましたように、ネクタイとかなんて所詮外国の文化であって、ネクタイをしている=フォーマルという認識も、後付けのすり込みでしかないんですからね。これがいい機会ですからここで日本風のビジネススタイルを確立したいところです。
 
 まさに今年が元年。クールビズスタイルはこれから発展していく、させていくものであるのだから、みんなでやっていこうじゃないか。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、クールビズを応援しています。
 
 
 
 うはっ、普通のシメをするなー、オレはどうすればいいんだー
 
 そもそもあまおちさんはいつも裸で生活しているんですから、ちょ→省エネルックじゃないですか。クールビズじゃなくて、コールドビズですよ。
 
 ・・・ああ、いろいろな意味でコールドだな・・・。
 
 ・・・・・・そうですね。
 

平成17年6月10日

 櫻井よしこもこの程度でした

 
 櫻井よしこさんはとても好きなジャーナリストです。
 いわゆる「保守オヤジ」にありがちな下品な感じが全くなく、ピシッと襟を正して筋を通して清潔で理路整然とした、しかし人の心もよく感じ取っていたそのジャーナリストとしての姿勢がとても格好良かったんですね。
 やえも女ですから、おそらくそういう意味でも櫻井さんに共感する部分が多かったのでしょう。
 しかし、今回のこれはいけません。
 これではただの「プチ保守」になってしまっています。
 どうしてこの問題に関わる人の多くがこんなに惑わされてしまうのでしょうか。
 とりあえずこれに反対しておけば、保守本流というお墨付きと人気とが簡単に手に入るとでも思っているのでしょうか
 金のために思想を曲げる。
 これはやえが最も嫌う行為です。
 
 保守雑誌『SAPIO』の今週号で人権擁護法案についての特集記事が載っていました。
 今までネット以外での人権法についての記事は、たいていがロクでもないモノばかりでしたので、あまり期待もしていなかったのですが、やはり案の定、かなりヒドイ内容になってしまっていました。
 しかもその記事を書いていたのがあのジャーナリストの櫻井よしこさんなんです。
 どうしてこんなコトになってしまったのか、驚きと共に、残念な気持ちとため息が出てしまいました。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 では、どのようにヒドイのか、中身を見てみるコトにします。
 
 と、その前に、まずですね、今回の記事も今までいろんなところで行われている反対論と同じように、法務省が出している「修正案」が全く加味されていないんですね。
 衆議院などで公開されている、前回の国会で提出され、衆議院解散で自動的廃案となってしまっていた法律案の条文だけを反論の資料としているのです。
 もちろん、現段階ではまだ、公的なシステムの中には組み込まれていない一政党の自民党内での議論ですから、なかなか一般の人にはその情報が伝わらないでしょう。
 そもそもさっき言いましたように、いくら政権政党自民党とはいえ、その議論は公的なシステムの一部では全くないのですから、党側は国民に必ずしも伝える必要も義務もないワケですし、一般の国民もそれを知らなくても、仕方のないコトだとは思います。
 しかし櫻井よしこさんは違います。
 一般の国民ではありません。
 有名で有能なジャーナリストです。
 国会議員の先生方と交流もお有りの、議員さん関係以外の国民の中では、最も永田町の情報を手に入れやすい立場の一人のハズです。
 それなのに、どうして今回は取材を放棄してしまい、古い資料だけで記事を書いてしまっているのでしょうか。
 理解に苦しみます。
 
 しかも、この前の古屋先生の時と同じように、もしかしたら確信犯の可能性も否定できないのが、さらに理解に苦しむところであったりします。
 『SAPIO』の記事にはこのような文章があります。

 合同部会一任取りつけの背景に何があるのか
 
 それにしても、なぜ、こんなに批判される法案が国会に出されようとしているのか。この間の経緯について同法案を担当する自民党法務部会、平沢勝栄氏が説明した。
 「(中略)法務部会で議論することになり3月10日、15日、18日、4月8日、13日と会合を重ねました。ところが4月21日の部会で大混乱になったのです」
 4月21日には法務部会と人権問題調査会の合同部会が開かれた。

 法務省が自民党の法務部会で修正案を提示したのが4月8日です
 しかし櫻井さんの記事は、その後の21日の部会まで言及しており、つまりこの記事が書かれたのは少なくとも4月21日以降であるのは確定です。
 よって、この記事が書かれている時点では、すでに修正案は出されていたワケです。
 
 このことから導かれる仮定が2つあります。
 
 ・櫻井さんがこの法案に反対するために、わざと修正案を無視して話をすすめた
 ・櫻井さんはやえより取材能力が低い
 
 この2点です。
 このどちらかしか考えられません。
 これは、櫻井よしこという有名ジャーナリストとしての看板的に、それはどうなのかと、とても疑問です。
 この点からしてすでに「この程度」と言わざるを得ないコトに、やえは大変残念に思います。
 
 
 では中身について引用しながら見てみましょう。
 
 まず冒頭の書き出しなのですが、これは慣例的におそらく編集者が書いたモノであって、櫻井さんの文章ではないと思うのですが、しかしあまりにトンデモナイ文章のでツッコミしておきたいと思います。

 突如、自民党内でゾンビのように浮上した“世紀の悪法”の正体を撃つ!
 
 ある日突然、あなたの発言が「人権を侵害した」として、人権委員会から出頭命令を受け、自宅に裁判所の令状無しに人権擁護委員会が立ち入り調査にやってくる……そんな事態を現実のものにしようとしているのが、「人権擁護法案」である。「曖昧な人権侵害の定義」、「国籍条項不在」のもとで、人権委員会に「強大な権限」を付与する同法案がはらむ危険性を、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏が抉る

 やっちゃいました。
 「人権擁護委員会」です。
 こんなモノ存在しません
 この言葉は、冒頭から、自分は不勉強ですと宣言しているようなモノです。
 いきなりやっちゃいました。
 
 また、人権委員会の行う立ち入り調査などは「特別救済手続」の中のひとつです。
 しかし「人権擁護委員会」とやらが「人権擁護委員」のコトだったとしても、この「特別救済措置」には人権擁護委員は参加できません
 第四十四条2項、「人権委員会は、委員又は事務局の職員に、前項の処分を行わせることができる。」となっています。
 よって、立ち入り調査を行う人間は、人権委員か、事務局の職員だけです。
 
 そもそもこれらのコトは修正案は関係ない部分です。
 冒頭からコレなんですから、このように法律案文を読むという、基本的なコトすらこの記事は出来ていないと言わざるを得ないのです。
 

 人権委員会は委員長を含めて計5名で構成、内閣総理大臣が任命する。人権委員会の下に人権擁護委員を置く。人選は、市町村長の推薦する人物の内から、各地域の弁護士らの意見を聴いて行われる。市町村長は人選にあたって、「人格が高潔」「高い見識」を有する者で「弁護士会」や「その他の人権擁護を目的とする」団体の構成員の内から、候補者を推薦しなければならない。

 はい、出ました。
 人権擁護委員の選任条件のうちの、いわゆる「団体条項」に関する部分ですが、これはすでに修正がなされ、「人権擁護を目的とする団体の構成員から推薦する」という文言は削除されています。
 さきほども言いましたように、櫻井さんのこの記事を書いていた時点ではすでに修正案は提示されているハズなのですが、どうしてこういう間違いを書いてしまうのでしょうか。
 『SAPIO』は読者が決して少なくはありません。
 それなのに、現状を全く無視して、取材していないのかどうか分かりませんが、このような事実に反するコトを書くのは、あまりに無責任です。
 もし前回の国会で出されていたそれまでの法律案を取り扱うのであれば、ではなぜ今この記事を書いたのか説明がつきません。
 最近確かにこの法案について様々なところで騒がれているというのはもはや説明するまでもないコトであり、だからこそ櫻井さんは今回この記事を書かれたのだと思うのですが、しかしそそうであるならば、なおさら今回特有の動きを追って、自民党内での議論や修正などを読者に伝えなければならないのではなでしょうか
 まさにそれがジャーナリストとしての本分なのではないでしょうか
 今回のこれらの修正案は、かなり大きな動きです。
 それなのに21日の大騒ぎとなった部会を取り上げつつも、しかしもっと大切な法案の中身の変化というモノには全く触れないというのは、これは恣意的にやったと言われても仕方ないと思います。
 ジャーナリストとして名乗り、公の場で文章を載せるからには、伝えるべきコトは伝えるという義務と責任があるハズです。
 

 人権侵害の疑いのある場所に立ち入り調査をすることが出来る。違反者には罰則が科せられる。

 これだけでは「何の罰則か」というコトがよく分かりません。
 そもそも「罰則」でありません。
 法律を扱うのですから、用語についても厳密にしてもらいたいところですし、「何の罰則か」というのも同様に、厳密に書くべきです。
 正確には「正当な理由なく立入検査を拒み、妨げ、又は忌避した者には三十万円以下の過料に処される」です。
 

 また、人権委員会の委員長及び委員、その下の人権擁護委員に関しては、国籍条項がないため、日本国籍を有する者でなくとも就任できる。

 今時このような批判をする人はいませんよね
 人権委員には日本人しかなれません。
 どうしてこのような基本的なミスというか、間違いを犯してしまうのか、不思議でなりません。
 この段落の冒頭に「「人権擁護法案」は人権を守るために国家行政組織法第三条に基づく人権委員会を設置する」と書いているのですが、それならば、同じ「三条委員会」である公正取引委員会はお調べにならなかったのでしょうか。
 ふつう「国籍条項がない」というのは不自然な話なのですから、すぐさまいきなり「無いのはおかしい」と声を挙げるのではなく、「果たして本当に無いのか、似たような例はないのか」と調べるコトが先に頭に浮かぶと思うのですが、どうして脊髄反射のように何も考えもせずに書いてしまうのでしょうか。
 少なくとも公の場に文章を載せる以上、調べるという行為をしなかった責任は大きいと思います。
 

 第二条第一項には、人権侵害とは不当な差別を指すと書かれている。「不当な差別」と書くからには、何を以て不当とするのかを定義しなければならない。明確な定義無しには常に恣意的な拡大解釈の危険がついてまわる。また、不当か否かの判断に、主観が混じるのは避けられない。主観によって運用される法律があってよいはずがない。

 また出ました
 これまた説明しなければならないんですか?
 例えば刑法249条の恐喝には「人を恐喝して財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する」としか書いていません。
 「何を以て恐喝とするか」定義されていません
 ではなぜ恐喝は問題が無くて、人権侵害だけが問題なのか、明確にお答え下さい。
 
 また、警察官職務執行法では、警官個人が判断して職務質問できるコトになっています。
 これは警官個人の主観です。
 主観によって運用されている法律があるのですが、どうしてこれには声を挙げてくださらないのでしょうか。
 
 さらに言いますと、刑法での懲役刑に関する条文では、だいたいどれも「○年から○年」と定められていますね。
 殺人で言いますと、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法第199条)です。
 では、その事件の犯人に対する罰を「死刑」にするか「無期懲役」にするか、それとも「20年にするか」「5年にするか」、こういうのはどう決められるのでしょうか。
 それは、裁判官の主観によって決められます。
 被告の、動機・事件のあらまし・背景、また生まれや生い立ち、さらに被告の反省度なども加味されて刑が言い渡されるワケです。
 しかし、これらの判断基準はどこにも規定されていないワケでして、まして「反省度が50%なら刑期が20年である」なんて文章で規定できるワケもないですから、やはり最終的には裁判官の主観によって刑が決まるのです。
 しかし櫻井さんの「主観によって運用される法律があってよいはずがない」という言い方では、「全ての、人間という存在の思惑主観は絶対に法に入り込んではならない」という意味でしょうから、これはかなり的はずれな意見にしかなっていないのです
 全ての法は、最終的には運用にかかってきます
 どんな善法でも、どんな悪法でも、使う人によってはどうとでもなります。
 そしてそれは、人間の主観によって決まってくるモノなのです。
 

 第二条第一項から、中間の文言を取り去れば、「人権侵害とは人権を侵害する行為をいう」という定義に行きつく。人権侵害とは人権侵害だというような曖昧さがそのまま法律になるのは考えるだけで恐怖である。これは取り締まる側にとっては、気に入らない言論や活動を取り締まる絶好の手段となる。言論や表現活動は多いに萎縮してしまうだろう。

 人権擁護法案はまだ法律として成立していませんので、実効は全くありません。
 しかし刑法はもちろん今でも適応されますね。
 というコトは、すでにこの日本は恐怖の社会になってしまっているのです
 今でも「気に入らない言論や活動を取り締まる」活動が盛んですし、言論家や表現活動家は多いに萎縮しきっています。
 なんてこわい世の中でしょうか
 

 加えて法案によると侮辱や嫌がらせも人権侵害と見倣される。だがこれらは人間の心、感情の領域の問題だ。そうした事柄を法律によって人権侵害だと断じることは出来るのか。心の問題を明確に切り出して法の前で断ずることなど神ならぬ身の人間が行ってはならないことだ。

 おー、すごいコト言いますね。
 櫻井さんの言い方では、刑法第230条の名誉毀損に関する法は「人間が行ってはならないこと」になります。
 つまり、ここでやえが櫻井さんのコトを、それが事実でなくても罵詈雑言によって誹謗中傷したとしても、それは「人間の心、感情の領域の問題」ですから、神以外は断じてはならず、櫻井さんは言われるがままにしかならない、というコトですよね
 また例えば、いつぞやの、ラジカセ音量最大にしながら布団を叩きながら引っ越し引っ越しと大騒ぎしたイカレたおばさんの行為も、「感情の領域の問題」でありますから、なんら断じてはならないというコトになります。
 しかしそんなバカな話はありません
 いつもの櫻井さんはどこにいってしまったのでしょうか。
 こんなバカバカしい文章を、本当に櫻井さんが書いているのか疑ってしまいます。
 質の悪いゴーストライターに任してしまったのでしょうか
 僭越ながら、もうちょっと人選はしっかりした方がいいと思いますよ。
 

 公正取引委員会が立ち入り調査をしただけで、メディアで報道される。たとえ、調査結果がシロであっても、立ち入り調査をされた側の名誉回復は難しい。人権委員会の立ち入り調査も同様だろう。そのようなことが、人権の定義も曖昧なまま、判断の難しい心の問題や思想信条の問題などに関しておこるとすれば、それらは間違いなく、言論統制に結びつく。同法案が人権擁護の美名の元で逆に人権を弾圧する悪法と言われるゆえんだ。

 えーと、メディアは神ですか
 メディアは何をしても許されるのですか?
 もしくは、メディアは公的機関の犬ですか?
 いつの間にメディアは公的機関の言われるがままの報道しかしなくなったのですか?
 メディアはいつも責任は問われるコトはないのですか?
 ジャーナリストとして櫻井さんはそれでいいのですか?
 巨大な権限だけがあり、しかし責任がないというのは、まさにメディアが一番当てはまると思われませんか
 

 しかも、人権委員にも人権擁護委員にも、国籍の規定がないのだ。

 はいはい。
 
 
 えーと、4ページにもわたってのこの特集記事ですが、なんと法案の中身についての言及はたったこれだけしかありません
 後は、議員の先生方の言葉を引用している部分か、もしくは選挙協力がどうとか、そういう「外」の話ばかりなのです。

 
 
緑枠が「外」の話、赤枠が議員の話の引用

 しかも「中」の話、つまり法案そのものの検証も、修正案を知らないというだけでなく、基本的なコトすら全然理解していないという体たらくです。
 このお話は、法案についてその是非を考えるお話なワケですから、まずは中身についてじっくりと検証・議論するというのがスジです。
 もしそれが全て完全に終わり、それでもまだ言い足りなくて、どうしてもさらに何か言いたいというのであれば、その時はじめて外の話をすればいいでしょう。
 そもそも法律なんてモノは文字の羅列でしかなく、「悪人が作った=悪法」とは必ずしも結びつきません。
 そう結びつけるのは、井沢先生のお言葉を借りれば、「言霊信仰」でしかないでしょう。
 よって、当然のコトですが、法律とは中身の検証が最も大切であり、だからこそそれをまずはじめにしなければならないというのは言うまでもないコトです。
 しかし櫻井さんのこの記事では、そんな基本中の基本すら果たしていると言うにはほど遠く、これだけではただただ印象操作に奔走していると言わざるを得ません
 やえの感想では、人権法の問題をたった4ページで書ききるのは難しいと思うのですが、さらに櫻井さんはその貴重なスペースを使い、なぜか靖国問題にまで言及してしまっています。
 人権法と靖国参拝の問題は全く関係ないハズです。
 しかし櫻井さんは、なぜかこの問題をとりあげ、人権法に無理にからめて悪印象を与えようとしています。
 これでは、なんでもかんでも靖国を取り上げ、自分の悪行を正当化しようとする中国政府となんら変わりがないではないですか
 櫻井さんはどうしてしまったのでしょうか。
 
 
 ちょうど最近、やえは血液問題を勉強するために櫻井さんの著書を拝読しました。
 中公文庫の『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』という本なのですが、この本の最後に載っている解説のページに、広河隆一という方が櫻井さんをこのように評しています。

 本書は周知のように、薬害エイズの構造を徹底的に追及する取材報告である。櫻井さんの調査報道の過程でターゲットは次第に絞り込まれていき、この国の政治・医学界の腐敗した巨悪が姿を現していく。ドキュメンタリーにもかかわらず、サスペンスドラマを見る思いである。
 彼女は徹底した被害者の証言インタビューに取材の基盤をおく。しかし被害者が全てを語ることは、この国では、インタビュアーが大変な信頼を得ていなければ不可能なのだ。

 その徹底した取材姿勢は、今回は全く発揮されなかったのでしょうか。
 本来の櫻井さんはまさに広河さんがおっしゃっている通りだとやえは思っています。
 しかし今回に限っては、ただ「流行に乗ってみました」ぐらいしか感じませんでした
 保守層がこの問題をことさらに大きく取り上げ、ことさらに悪いように解釈し、また事実を捏造して改竄して、反対の気勢を上げています。
 やえは、どうしてもこの今の空気を、「拉致問題を取り上げれば憂国の士である」とされるような空気と同じよな、「人権法に反対すれば憂国の士である」という、理屈を越えた感情論の先走りでしかないとしか思えません。
 そして、「憂国の士」と言われたいがために、ちやほやされたいがために、理屈を越えて、反対のための反対をしているようにしか見えません
 そして文章でお金をもっらっているプロの言説家も、この空気を利用し、自分の名の価値をさらに上げたい、勲章をもう一つつけたい、お金にしたいという思惑でしかこの問題を見ていないのではないのでしょうか。
 櫻井さんもそうであると言わざるを得ません。
 
 元々保守思想の中には、以前やえが言いましたように、人権という言葉や概念自体に異を唱えるような考え方があります。
 ですから、保守の方から疑問の声が挙がるのは、ある程度は理解できます。
 しかし、その声の挙げ方が、ただただ反対のための反対だけでは、それは主張のベクトルが右に向かっているだけで、サヨクとなんら精神性が変わりません
 それは所詮「プチ保守」なのです。
 
 大変、もうものすごく僭越なのですが、敢えて申し上げます。
 櫻井よしこさん。
 もう一度、人権擁護法案の条文と今までの動きををよく理解してから、この問題を取り上げてください
 今回のこの記事は、ハッキリ言いまして、ジャーナリストとして失格な記事だと言わざるを得ません
 最低限の責任だけは果たしてくださるよう、お願い申し上げます
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、中身ある議論を応援しています・・・人権法を取り扱うと、いつもこれになりますね・・・。
 

平成17年6月12日

 人権擁護法案総論(9)−人権擁護委員−

 
 総論もそろそろ佳境です。
 
 この法律(法案)を大きく分けるとしたら3つにわけられます。
 1つは「救済措置」もう1つは「人権委員会」、そして最後の1つはこの「人権擁護委員」です。
 よって、この「人権擁護委員」の項の点検が終われば、法律としての全体的な評価ができるようになると言えるでしょう。
 今回で9回目の総論ですが、やっと終わりが見えてきましたね。
 
 ではまず、人権擁護委員とは何をする人たちなのかというコトを見てみましょう。

 (職務)
 第二十八条 人権擁護委員の職務は、次のとおりとする。
 一 人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発活動を行うこと。
 二 民間における人権擁護運動の推進に努めること。
 三 人権に関する相談に応ずること。
 四 人権侵害に関する情報を収集し、人権委員会に報告すること。
 五 第三十九条及び第四十一条の定めるところにより、人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動を行うこと。
 六 その他人権の擁護に努めること。

 基本的に、「人権とはこういうモノですよ」とかの宣伝活動をしたり、人権問題に関する相談に載ったりするのがお仕事のようです。
 また、「五」にありますように、一般調査や一般救済に、人権擁護委員が派遣され実務をする場合もあります。
 
 よって人権擁護委員のお仕事を簡単にまとめますと
 
 1.人権尊重の理念を広め、人権擁護の大切さを広める「広報活動」
 2.人権問題で困っている人の相談を受け、また問題があるならば上の人権委員会に報告する「窓口業務」
 3.一般調査と一般救済を実際に行う「調査・救済活動」
 
 この3つと言えるでしょう。
 
 いろんなところでいろいろと言われている人権擁護委員ですが、結局出来るコトと言えばこれぐらいしか無いんですね。
 注意してほしいのは、擁護委員が行う調査や救済活動も、あくまで「一般」の方であるというコトです
 時々、正当な理由無くして拒否すれば加療が課される類の調査、つまり特別救済措置に係る立ち入り調査にまで擁護委員が活動するとかいうコトを言っているサイトとかありますけど、しかし擁護委員は「特別救済措置」には関われませんので(第四十四条2項)、それは完全に間違いです
 
 よって、この法律が出来た後の擁護委員の主活動としては、おそらく2の窓口業務がほとんどになるんじゃないかと思われます
 現行法下ではなかなか早期発見が難しかった人権侵害、例えば保育施設内での虐待ですとか、部落などを理由とする結婚差別問題ですとか、こういう問題に迅速に対応できるよう養護委員が、文字通り足で動くコトになるでしょう。
 
 特に結婚差別や就職差別などの、身体的に危険があったり社会的地位を失うような実害が無いような差別問題(結婚できないというのは現状から失うのではないですからね)というのは、目に見えるような実害が無いですからなかなか警察は動きにくいワケで、こういう場合どこに相談したらいいのか分からないというのが現状です。
 また、幼児虐待の場合、現行では「児童相談所」や「子どもの虐待防止センター」というモノがありますが、しかしそこには法的な権限は無いワケですし、さらにここでダメなら、あとは警察というほとんど最終手段と言える手段しか残されていないというのが現状であり、そうなるとやはりどこまでを「実害」と言えるのかギリギリの場合は、どうしても訴える方も及び腰になってしまうコトもあるでしょう
 しかし人権法による活動の場合は、とりあえず相談だけならどんな場合でもするコトは出来るワケですし、また警察は言ってしまえば「逮捕」しか出来ないワケですが、一方人権委員会は氏名公開だけでなく、「仲裁」などの実質話し合いだけというゆるい措置もあるワケで、実害があるかどうかのあやふやな場合でもある程度柔軟に対応出来ます
 また、相談した結果、それが人権侵害と認められなければ、それはそれで訴えてきた人に対して人権啓蒙が出来たというコトにもつながるでしょう。
 
 そういう意味から、どこに相談していいか分からないという人や、これぐらいの問題をわざわざ警察に言うのはちょっと気が引けるという程度の悩みの人のために、とりあえず相談できるように窓口を作っておく必要性というのは、決して小さくないと思います。
 また、養護委員→人権委員会という連絡は、同じ組織だけに迅速かつ柔軟に事を運べるという期待もできるのではないかと思います。
 既存の相談所から警察への連絡がうまくいかなかったという例は、ニュースでもよく聞く話ですよね。
 病気じゃないですけど、大きな事件になる前の早期発見という観点からも、窓口を多くつっておくというのはとても大切なコトだと思います。
 
 念のため繰り返しますが、人権擁護委員は「特別救済措置」には関われません。
 よって、立ち入り検査等を擁護委員が行うコトはありませんし、ましてそれが人権侵害かどうかを判断するコトも決してありません。
 もしそういう輩がいたら違法行為ですので、訴えましょう。
 あくまで人権擁護委員とは、窓口業務が主な職責であり、意志決定権限は全く与えられていませんので、そこはよく理解しておく必要があるでしょう。
 
 
 次に、人権擁護委員の選定方法を見てみましょう。
 何度もお伝えしていますように、擁護委員の選定方法については大幅な修正が入っています。
 念のため、長くなりますが該当部分を全て引用します。

 (委嘱)
 第二十二条 人権擁護委員は、人権委員会が委嘱する。
 
 2 前項の人権委員会の委嘱は、市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)が推薦した者のうちから、当該市町村(特別区を含む。以下同じ。)を包括する都道府県の区域(北海道にあっては、第三十二条第二項ただし書の規定により人権委員会が定める区域とする。第五項及び次条において同じ。)内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、行わなければならない。
 
 3 市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない。
 
 4 人権委員会は、市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるときは、当該市町村長に対し、相当の期間を定めて、更に他の候補者を推薦すべきことを求めることができる。
 
 5 前項の場合において、市町村長が同項の期間内に他の候補者を推薦しないときは、人権委員会は、第二項の規定にかかわらず、第三項に規定する者のうちから、当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、人権擁護委員を委嘱することができる。
 
 6 人権委員会は、人権擁護委員を委嘱したときは、当該人権擁護委員の氏名及び職務をその関係住民に周知させるため、適当な措置を講ずるものとする。
 
 7 市町村長は、人権委員会から求められたときは、前項の措置に協力しなければならない。
 
 (委嘱の特例)
 第二十三条 人権委員会は、前条第二項に規定する市町村長が推薦した者以外に特に人権擁護委員として適任と認める者があるときは、同項から同条第五項までの規定にかかわらず、その者の住所地の属する市町村の長並びに当該市町村を包括する都道府県の区域内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、その者に人権擁護委員を委嘱することができる。

 修正が入っている部分は、第二十二条の3です。
 修正が入る前は、「人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」という文言が入っていたのですが、「なぜ人権擁護団体の構成員からという条件が必要なのか合理的理由がない」という意見や、「部落解放同盟のような人権を盾にしてメチャクチャやってきた団体にが入り込む口実になる」という意見によって、該当部分が削除されました。
 これにより、擁護委員の選定方法は、簡単に言うと次のようになります。
 
 1.市町村長が、当該市町村の住民のうちから、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者をピックアップする。
 2.その人物が妥当かどうか議会の意見を聴く。
 3.市町村長がその人物を推薦する。
 4.当該市町村内の弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴く。
 5.人権委員会が決定をする。
 
 けっこう手間といえば手間ですね。
 逆に言えばそれだけ慎重なんだと言えるでしょう。
 
 これら選定方法も、特別どうしても問題であると言うほどの部分はないと思います。
 敢えて言うのであれば、選挙という儀式をくぐり抜けてきた民意の代弁者である市町村長の意見を取り入れた後に、さらに弁護士会の意見を聴かなければならないとしているのは、これは民主主義的にどうなのかと疑問が残る部分ではあります
 一応決定権という意味で見れば、地方議会も弁護士会等も「意見を聴く」とされているだけで、つまり別に聴き入らなければならないというワケではないですから、誰を推薦するのかというところは市町村長が、そして最終決断するのは人権委員会が決定するので、極端にはバランスは壊れてはいないと言えるのかもしれません。
 一応現実的には、地方議会議員よりも、中央省庁の役人の方がはるかに大きな権限を持っていたりして、実質どちらが偉いのかと言ってしまうとなかなか地方議員はきびしいモノがあったりとしていますから、総理大臣から直接任命を受け、3条委員会という高い独立性を有している中央機関の決定の方が、議会より強い権限があるとしてしまうのも、あながち否定できるモノではないかと思います。
 しかしまぁ、地方分権と言われている昨今ですから、もうちょっと地方議会強い決定権を与えてもいいんじゃないかと思っていたり、でもやっぱりたまに変な議会もあって、中央の人は地方を完全に信用できないのかなぁと思っていたり、やえもそう思わなくもないとろこがあったりと、色々複雑です。
 
 また、人権擁護委員の選定においては、この正規の手順以外に例外が2つも設けられています。
 1つ目は、4・5項に定められている、「市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるとき」でして、その場合は、もう一度市町村長に推薦し直すよう差し戻しの措置が執られ、それでも一定期間内に推薦しない場合のであれば、市町村長の推薦をすっ飛ばして手続きが認められるコトになっています。
 もう1つ目は、第二十三条の規定により、市町村長よりもさらにふさわしい人物がいた場合には、人権委員会が直接委嘱できるようになっています。
 この辺も、やはり中央の方により強い権限を与えていると言えるでしょう。
 ここもやはり疑問がないワケでもないんですが、ただし、最終的な決定権と責任は、全て人権委員会が負っているのは変わりないところですし、人権委員会は国会の同意と総理の任命によって成り立ち、また国会に対して報告の義務もありますので(第十九条)、言い換えれば、人権擁護委員も国家国民全体に対して責任を負っていると言えるのではないでしょうか。
 
 
 さて、人権擁護委員に外国人がなれるというコトで、けっこう批判が起きているようですが、これは事実修正案が出された後も、そのままなれるコトになっています。
 公務員に外国人がなれるかどうかというのは、「公務員に関する当然の法理」と呼ばれている、「公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには日本国籍が必要」という、内閣法制局の見解が根拠となっているワケですが、つまり、擁護委員は「国家意思形成への参画に携わっていない公務員」という解釈になるのだと思われます。
 確かに擁護委員には意志決定権限は与えられていませんから、国家意志形成とは無関係であると言えます。
 
 しかしそれでも、人権という繊細なモノを扱う以上は、日本人が日本人としての感覚であたるべしと、国籍条項を入れるよう求める意見が続出しています。
 やえも、もともと全ての公務員には日本人がなるべきだと思っていますので、擁護委員にも国籍条項をあてるのには賛成です。
 そんな根強い声に押される形で、この部分についても細かい修正が加えられています。
 
 この修正案は、例の大騒ぎになった部会の日に出されたモノですので、ペーパーとしてはやえは手に入れてないのですが、内容としては次のようになります。
 
 外国人を擁護委員にする場合は、国会の付帯決議が必要とする。
 
 付帯決議とは、法案の採決やその他の議決の際に、付随的にくっついてくる意見や要望のコトです。
 正確には法的拘束力は無いのですが、政治的にはそれなりに重い決議とされています。
 よって、国会において何かの議決の際に、「○○という外国人を人権擁護委員とする」という付帯決議がついたモノが決議されるというコトになるのでしょう。
 
 正直言いまして、ここまでするのですから、けっこうお手上げだと言わなきゃいけないのかなと思わざるを得ません。
 先ほども言いましたように、確かに法的拘束力が無い、つまり付帯決議自身を細かく審議するワケではないのですが、しかしここまでするというコトは、国会が責任を負うと言っているコトになるのですから、あながち軽視も出来ません
 変な外国人が擁護委員になってしまった時に、「あの付帯決議はなんだったんだ」と言われたら、返す言葉もありませんからね。
 また、付帯とは言え、国会の意志を全く無視して決議がなされるコトというのもちょっとあり得ないでしょうから、そういう意味からもなかなか大きいモノと言えるでしょう。
 外国人擁護委員からしても、国会から監視されている、すなわち国民から監視されているというコトになるのですから、まず変なコトはできないのではいでしょうか。
 むしろ、民間団体の方に目を向けた方が、不当なコトをしている人を見つける可能性が高いと思います
 
 よって、原理原則の意見、つまり「公務員は全て日本人がなるべきだ」という意見からすれば、これでもまだまだ受け入れられない修正案ではありますが、しかし現実的な問題、すなわち「この法案が出来るコトによって逆に無茶苦茶になってしまわないだろうか」という点から見た場合は、これによって強固に反対する理由が無くなったとも言えるでしょう。
 この法案に限らず、多くの法律は悪用しようと思えば悪用できますし、曖昧な法律もたくさんあるワケで、その上でどう運用していくのか、出来るのかというのが法律を点検するという意味になりますから、この部分においても、ここまでされると駄々っ子のように反対するコトはできないのではないかと思います
 
 
 最後に罰則・解嘱について見ておきましょうか。

 (委嘱)
 第三十一条 人権委員会は、人権擁護委員が次の各号のいずれかに該当するときは、関係都道府県人権擁護委員連合会の意見を聴いて、これを解嘱することができる。
 一 心身の故障のため職務の執行ができないと認められるとき。
 二 職務上の義務違反その他人権擁護委員たるに適しない非行があると認められるとき。
 
 2 前項の規定による解嘱は、当該人権擁護委員に、解嘱の理由が説明され、かつ、弁明の機会が与えられた後でなければ行うことができない。

 まぁ当たり前のコトしか書いていませんね。
 対して、「この程度の規定だけでは、なにかやらかした時にやめさせられないじゃないか」という批判があるみたいですが、しかしこれは人権委員もそうなんですけど、あまり簡単にやめさせられるような制度にしていると、逆にそこに付け入られる可能性がありますので危険です。
 そもそも、擁護委員は一般職の国家公務員であり、国家公務員法に当てはまるコトになりますから、辞めさせやすさ・にくさは、他の公務員と同じと言っていいでしょう。
 公務員そのものがやめさせにくいじゃないかという意見もありそうですが、その場合は公務員制度全体の話であり、変えるなら全てを変える必要があるでしょう。
 一部だけをいじってバランスを崩してもいいというコトにはなりませんからね。
 
 また、国家公務員法が適用されますから、一生に渡って守秘義務が課されるコトになりますし、それを破った場合には相応の罰則があります。
 それから、念には念を入れてという意味で、政治的中立については人権法法文上に明記するコトに修正案でなりました。
 正直必要ないとは思いますが、この辺は、法案に理解を得るためだというコトなのでしょう。
 
 
 人権擁護委員については以上です。
 何度も言いますが、人権擁護委員には決定権限が与えられていません。
 人権委員会としてどうするか、一般救済措置を執るべきか、特別救済措置を執るべきか、または人権侵害ではないと認めるのか、こういう決定に擁護委員は関われません。
 どうも人権擁護委員というモノにもはや感情がこびりついたような批判をしている人が多い気がするんですが、監視する必要があるのはどちらかと言えば人権委員会の方でしょう。
 人権委員会は擁護委員を監督する義務と責任がありますから、結局は人権委員会なんです。
 人権擁護委員は、この法律の「窓口」だと考えておけばよいのではないかと思います
 

平成17年6月14日

 差別の現実

 
 山口県の高校で、生徒が自ら作った爆発物を授業中の教室に投げ込み、数十人のけが人を出したという事件が起こりました。この事件、その爆発物の製造方法をインターネットから仕入れたらしく、ネットのあり方について一部議論が起こっているみたいですが、一方爆発物を投げ入れた犯人の生徒は、普段学校でいじめにあっていたというコトが判明し、動機はここにあったのではという見方がなされています。

 光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言
 
 山口県立光高校の爆発物投げ込み事件で、事件が起きた3年1組や、傷害の現行犯で逮捕された男子生徒(18)の所属する3年2組の複数の生徒が、県教委が派遣した臨床心理士や同校教諭に「(男子生徒を)からかったり、いじめたりした」と証言していることが、学校関係者の話でわかった。
 弘中幸雄校長も13日の記者会見で「広い意味でのいじめに相当するものはあったかもしれない」と述べた。

 時々、このような、いじめが原因で自殺したり、犯罪を起こしてしまったりという事件が起きますが、だいたいの場合において、学校の先生や校長というのは、「いじめがあったとは認識してなかった」とか、この記事のように非常に軽く見ていたと証言するのが常です。もし実際に進行形でとても重いいじめがあったと認識していたとしても、それを公の場で認めてしまうと、校長の責任が問われてしまうコトになるので、本当に知らなくても、本当は知っていても、このように非常に軽い認識があったと言うにとどまるのでしょう。
 
 ただし、担任の教員はどうか知らんが、校長までは本当に知っていたかどうかは疑問ではあるな。そもそもいじめというものは、陰険で陰湿で、陰でコソコソやるからこそいじめなんであって、そこが一番大きな特徴であるのだからな。校長は本当に知らんかったのかもしれん。
 
 しかし、だからといって、「いじめが無かった」とは決して言えないハズです。正確に言うのであれば、「いじめが行われていたが、それを知らなかった」という表現が適切でしょう。いじめという事象は確実に実在していたのです。それを人が認識してなかっただけで。
 
 オレも含めた多くの日本人にとって、この光高校でいじめが起きていた事は知らなかっただろう。そもそも光高校というものすら知らなかったはずだ。しかし「光高校にいじめが無かった」とは言えない。つまり、「自分が知らないのだからいじめは存在しない」と言ってしまうのは、大きな間違いであるという事は知っておかなければならない事だろう。そして、こうして事件になったからこそ我々は知ることが出来ただけの話であって、事件が起きなければいじめは人知れず存在し続けていた事だろう。
 
 そして、この事件が起こったとしても、ほとんどの学校という場において、いじめは存在し続けるコトでしょう。もし自分の周りにいじめは無いと、無かったと言えるような人がいたとしましたら、それはものすごく幸運な人であるか、もしくは気づかずに加害者になっていたかのどちらかなのでしょう。
 
 
 
 いじめは差別である。窃盗のコトを万引きとか言って認識を甘くしてしまっているような事があるが、それと同じで、いじめは差別なのである。陰険で陰湿で陰でコソコソやるのが差別であり、そしていじめなのだ。
 
 いま、「日本には差別など無い」とか「未だにそんな事が起こっているのか実例を出せ」とか言っている人がとても多いのですが、やえはもうこれらの言葉にビックリするしかありません。いじめという差別が存在しているという事実があるのにも関わらず、あまりにも「自分が知らない=存在しない」とイコールで結びつけている人が多いからです。
 
 陰険で陰湿で影でコソコソ行われるのが差別なんであって、だから知ろうと思えば自分から能動的に調べなければなかなか表には出てこない問題が差別なのである。それなのに、自分の周りに差別が無いのは誠に結構な事なんだろうが、だからといってそれを自分の知っている範囲外のことにまで当てはめて「無い」と言えてしまうのはどうなんだろうなという話なんだよ。
 
 しかも、自分が無自覚にでも差別している側になっているかもしれないですしね。
 
 なんなんだろうな。反動の反動と言えばいいのだろうか、反動の連鎖か、一昔前は部落解放同盟とかが「自分たちは差別されているんだ」と言って理不尽な強権をふるってきた。しかしちょっと前から、そんな強権に対して否定的な考えが強くなって、この手の団体や個人を攻撃する事が差別と戦う事になってしまった。団体がある事で差別が減ったのかどうかは分からないし、団体を攻撃すれば全てが解決するとも全く思えない。この結果現実的にはどうなったのか、そう簡単には言えない事なんだろうが、しかし結局どちらも、現場としてのひとりひとりの個別的な事案に対しては全く具体的に考えてこなかったのだと言えるのではないだろうか。
 
 ここに、客観的事実としてのデータが存在します。

 アイ・アイ・サービスはキタは北海道から南は九州までのほぼ全国に支社、営業所をもっている。部落に関する調査依頼について毎年、統計をとっており、同社だけではあるが“部落差別の需要”を知ることが出来る。その統計によると1994年度(平成六年度)は914件だったが、95年度(平成七年度)864件、96年度(平成平成八年度)は818件と徐々に減少し、97年度(平成九年度)は590件にまで減った。(中略)
 念のために付け加えておくが、同社ではそのような依頼があった際、すべて断っている。(角岡伸彦『被差別部落の青春』講談社)

 注意していただきたいのが、このデータ、あくまで「1企業だけの数字」であって、日本全体の数字ではないというコトです。たった1社だけでこのような数字が出ているというコトに対して、どう考えるべきなのでしょうか。
 
 この数字は「部落に関する調査依頼」、つまり、「天堕 輪は部落出身なのか」という調査依頼や、「あまおち村というのは部落の村なのか」という調査依頼の事である。著書の中では減っているという感じで書かれてはいるが、しかしこれも様々な見方があって、本文中にも書かれているが、この企業はちゃんとその手の調査は断っているワケだから、その認識が依頼する人にも広がれば、はじめから同社に頼もうとしなくなるだろう。よってそういう意味から年々減っているとも考えられる。
 
 まぁ、実際に減っているとは思うんですけどね。特に若者層の意識はかなり変わってきているでしょうから。
 
 うむ。それはオレも思う。だがこれだけで楽観できるワケでもない。もっと考えれば、部落調査なんてものは、地域的な部分が多いのだから、この会社のような全国規模の調査会社ではなく、いわゆる「振興所」といった地域密着型の調査会社に依頼する方が多いのではないかとも思うので、そう考えれば、この会社だけで調査依頼が年間500件あるわけだが、全体的には全国でこれの何倍の数字になるのか、けっして「少ない」とは切り捨てられない数字になるのではないだろうか
 
 ところで、なんのためにこのような調査を依頼するのか、理解できない人もいるんじゃないかと思うんですが。
 
 あ、ああ、そうか。最近はそういう人も多いのか。
 
 差別なんて無いと断言する人が多い現実ですから。
 
 そうだな…。おそらくこの調査の結果が“使われる”最も大きな事案は、結婚問題だと思われる。つまり、自分の息子・娘と結婚する相手は、果たして部落であるかどうかを調べるわけだ。もし相手が部落だったら、自分の身内に部落が出来てしまうということになり、これは大変に都合が悪いと。だからまず相手を身辺を調査し、もし部落だったら、結婚に反対するっていう運びになるわけだ。
 
 特に結婚問題というのは表に出にくい問題です。そもそも部落問題で結婚に反対する人というのは、外聞を気にしてそのような行為に出るワケですから、結婚に反対する事自体を隠そうとします。また、結婚に反対するコトそれ自体は特に法に触れる問題ではないですし、そもそも「娘を他人にやりたくない」という本来なら自分勝手な我が儘だけで反対するお父さんとかはいっぱいいるワケですから、なおさらこの手の問題が表面化しにくいワケです。
 
 しかし、表面化しないからというだけで、自分が知らないからというだけで、差別が存在しないとは決して言えないよな。97年にはもの凄く少なく見積もったとしても最低590件は部落に対する調査依頼があったという事実が毅然として存在するわけだ。こればかりはどうしようとも否定する事など出来はしない。
 
 
 
 日本で差別問題が取り上げられると、その大部分は部落差別についての話になる。おそらく「穢れ信仰」からくる日本人独特の差別感が最も顕著な例だからだろう。肌の色が違うとか、そういう外的な要因ではなく、意識の上だけで自分とを区別している特殊な差別が部落差別だからだ。また、数も決して少なくはなかったというのも大きいだろう。というわけで、日本での差別問題と言えば部落だったが、しかし決して差別問題は部落問題だけではない。もう一つ取り上げておくべき問題に、病気による差別を知っておく必要があるだろう。
 
 病気による差別と聞くと、まず真っ先に思い浮かべるのが、エイズ問題だと思いますが。
 
 そうだな。またその他にも、ハンセン病(らい病)もけっこう根強い差別があったりする。ちょっと前に、どこかの旅館で元ハンセン病患者に対して宿泊拒否して問題になった事があったよな。それから、障害者問題というのもあるだろう。
 
 障害者への差別問題というのは、正直最近あまり聞かなくなりましたね。昔は「障害者は隠すものだ」みたいな偏見がありましたけど、最近はオープンになってますからね。
 
 まぁもちろん、最初にも言ったように、「聞かなくなった=無くなった」とは言えないわけで、実情を知らなければならない事ではあるが、しかし障害者差別というのは日本人にとってはそれほど根が深いとは思ってないんだよ。というのも、これは「穢れ信仰」とはあまり関係ない話だろうからだ。
 
 ああ、例えば5昔前ぐらいなら「前世の業によって障害を持って生まれたんだ」とか言われていたのでしょうけど、さすがに今はそんなコト言う人も信じる人もいませんからね。科学が進歩して、障害が出来てしまうメカニズムが解明されていますからね。
 
 この点から見ても、「穢れ信仰」こそが日本の差別の問題で最も大きな要素である事が分かるな。ただ、障害の中でも、知的障害についてはまだまだ偏見がある部分もあるだろうが。
 
 これについては当サイトでもよく取り扱っていますよね。
 
 この更新で語っているが、この問題は他の視点があるから、とりあえず今回は触れない事にする。で、ハンセン病だ。これも長い間、患者は差別の対象にさらされてきたな。そもそもこの病気は歴史が長くて、どうも日本書紀にも「らい病」は書かれているようなんだ。で、ハンセン病は外見に大きな特徴が出来てしまう。それを合わせると、やはりそれは昔のこと、らい病は「業病」として認識されてしまい、忌避されてしまっていたようだ。ここでも「穢れ信仰」が関係してしまっているわけだな。
 
 日本でも長らく隔離政策が取られ、また医学的にその必要がないと分かっていても、その政策が取り続けられてしまいました。これはやはり「穢れ」なんでしょうね。
 
 宿泊拒否も、根本的にはそれがあるんだろうよ。
 
 それがついこの前起きたというのも、差別問題が現実の問題であるというコトをまざまざと見せつけられたような感じもします。
 
 それからエイズ問題な。血液問題を取り扱おうと思って、いまオレもやえも色んな資料を色々と読んでいるんだが、その関係でエイズ問題にもぶち当たって、ある本を読んだ。差別に関する象徴的な部分を引用しよう。

 彼(※エイズ感染者)の死後、輸入濃縮製剤をうったC医師の事務員が、太吉(さん※感染者の父)のところに、未払いとなっていたわずかな診療代金の集金に来た。しかも、歩いてすぐの距離であるにもかかわらず、一人さん(※感染者)の告別式にこの医師は姿も見せなかった。今日まで、輸入濃縮製剤をうったことについての説明も謝罪もない。
 それどころか、世の中は非常な展開で太吉さんの家族をさらに苦しめ始めた。まず太吉さんの仕事が、減っていった。次には妹たちが、説明もなく職を解かれた。理由はあまりにも明らかだった。(櫻井よしこ『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』中公文庫)(※は引用者注)

 エイズ患者に対する差別は当然許してはならないものだが、さらに、その家族にまで差別が及ぶ。血液製剤でエイズにかかってしまったのだから、家族、さらに言えば兄妹には絶対に感染しない病気であって、関係ない話だ。しかし差別心は、そんな理性的な事実とは無関係だ。ただ「身内にエイズ患者がいる」という理由だけで解雇されたのだ
 
 これは新しい差別ですよね。らい病は昔からあったワケですが、エイズは最近輸入された病気です。しかしとても根深い差別心が事実このように生まれてしまったワケです。
 
 理不尽にもエイズウイルスを注入され、いつ死ぬか分からない苦しみを背負い、さらに差別の目にさらされ、そして最後にありとあらゆる病気を発症し死んでいく。この事実にもはやどう表現したらいいのか分からなくなってくるな。そんな家族にさらに差別で追い打ちがかかる。いったいなんなんだと言いたくなるな。
 
 陰険で陰湿な差別というものが、変な言い方ですが、十二分に発揮されてしまった例ですよね…。
 
 
 
 さて、今日は主に3点ほど差別の実例を挙げてみた。これは嘘偽りのない現実に起こっ事実である。これをどう考えるべきなのだろうか、今日のところは敢えて言わない事にする。ひとりひとり考えてみてくれ。
 
 そしてもしよろしければ、やえまでメールなりで感想をお聞かせくだされば幸いです。もしアドレスを知りたくないという方がいらっしゃいましたら、こっちのスレに書いてください。
 
 んー、やえやオレにだけ感想を見てもらいたいという人もいるかもしれんな。やはりメールフォームはおいておくべきなのだろうか。
 
 早速検討してください。
 
 うむ。前向きに善処しよう。
 

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