☆やえニュース☆

しめすへんに兄。ざ・6周年記念刑事告発する手間差別の拡大神奈川県知事のゲーム規制話制度自体の有無と悪用防止論現実的に考えた場合の悪用懸案に対する回答地元政治家に望むアンケート嫌韓への後ろめたさ

平成17年7月16日

 しめすへんに兄。ざ・6周年記念

 
 人権侵害されたりなんなりしながら、昨日15日で当サイトの6周年でーす。
 
 はっはっはー、実にめでたい。目出度い。おにゃのこを愛でたい。
 
 いきなりイタイ入り方ですね。
 
 はっはっは。だって、今日は何しゃべっていいかわからんしなー。
 
 そうですね。せっかくの記念日に真面目に語ってもヤボってもんですしね。
 
 しかも内容が人権侵害についてだったら、さらに野暮だ。
 
 しかし6年もやってますと色々言われるもんなんですね。右翼とか売国奴とか荒らしだとか。
 
 流石に左翼はないが、まぁこの他にも色々言われたなぁ。オタクとか。
 
 それは事実じゃないですか。
 
 のー。オレはちがーう。趣味だけオタクの人にちょっぴり近い位置に葉隠れしてみたりする乙女心は秋の夜空だ。
 
 全く意味が分かりません。
 
 
 
 というワケで、特になにか企画とかそういうのは全然無いので、6周年記念と言っても何もネタがないワケですが。
 
 そうだなー。ここでフィギュア更新したらまた怒られそうだしなぁ(笑)
 
 えーと、そういえば献血アンケートはどうなりました?
 
 おお、これがまたすごい。そうだ、今日で締め切ろうか。もうほとんど来てないし。ちょっとまっとれ、ええと何通来てたかな・・・
 
 この前あまおちさん、全部プリントアウトしてましたけど・・・
 
 むっはー、全部でちょうど280通。これはこれでかなり凄いが、なんかくやしいな。あと20通来ないか。
 
 じゃああと20通くるまで頑張りますか?
 
 んー、頑張るか(笑)
 
 というワケで、まだ答えてない方、ぜひぜひ最後の20人となるべく、こちらのアンケートにご協力ください
 
 献血についての文献漁りもだいたい終わったし。というか、けっこう難しい題材みたいで、あまり資料は得られんかったな。もうちょっと厚労省あたりつついてみるか。
 
 そろそろ頭の方も切り替えないといけないですね。最近はまた人権法をかなりやってますし。
 
 人権法ももうちょっとやらんといかんのだがな。そもそもの差別というものの前提となる話が全くわかっとらん奴が多すぎるし、法律とか政治の話も整理できとらん奴が多い。さらにもっと根元的な大前提である、国民の関心というか、国民自身が今まで議論してこなかったツケと言えばいいのか、その部分を見ないフリしているのか理解してないというか、まずは国民こそが改めないといかん部分がたくさんあるという事実を指摘しないといかんしな。
 
 それはそうなんですけどね。やっぱりこれからも長くなっていきそうですが、でもそれだけだと息が詰まっちゃいますよ。血液もこんなにたくさんの方がアンケートに答えてくださったワケですし。
 
 そうだなー。国軍化の話は続けていくとしても、そろそろ頭を切り換えないと、大きな題材を複数も平行して続けていくのはかなりしんどいからな。
 
 切り替えのためにも献血行ってきたらどうですか?
 
 えー。だって一緒に行ってくれる人がいないんだもん。
 
 ・・・子供ですか?
 
 なかなかなー、ふんぎりがつかないというか、キッカケがつかめなくてなぁ。
 
 なんか秋葉原にも出来たみたいですよ、献血ルーム。よく行くじゃないですかアキバには。
 
 あ、ホントだ。うーん、そりゃなんだ。ナースがコスプレして「いらっしゃいお兄ちゃん。今日はどれぐらいヌいていく?」とか聞いてくれるのかな。
 
 ・・・絶対無いと思います。
 
 じゃあ献血したら一回ガチャガチャが出来るとか。
 
 なんでそんな一部の人にだけストライクなサービスなんですか(笑)
 
 ま、集計も徐々にやっていかんとな。なんつっても300通もあるから大変だ。ファミレスにでもこもらなければな。
 
 頑張ってくださいね。
 
 おめーもやるんだよぅ。
 
 
 
 やっぱり特に話題がないですから、ただの普段のおしゃべりになっちゃいますね。というワケで、あまりダラダラ続けるのもアレでしょうし、とりあえず6周年ですよと、7年目に突入ですよというコトをお知らせしたところで、今後の抱負でも語りましょうか。
 
 ん、うーむ。と言っても、まぁいつも通りやっていくだけだな。最近ブログが書籍化するのが流行っているみたいで、ちょっとうらやましかったりするんだが、オレはあまりレンタルスペースとか、レンタルCGIとか好きじゃないから、このままこの形態で続けると思うし。いや、書籍化してくれるならいつでも受け付けるが(笑)
 
 そうですね。やえもここに書かせてもらうようになって丸3年が経ちましたけど、いろいろと考えさせられるコトは多いです。でも思った通りというか、理想通りのサイト運営は出来ているんじゃないかと思っています。読者の方が当サイトは恵まれているんですよね。
 
 そうそう。それは最近特に思うなぁ。恵まれているというのは、何も盲信する読者ばかりではないというコトでな、ちゃんと自分で考えてから感想とか言ってくる人が多いからな。何も考えずに批判とかしてくる奴には逆に厳しい批判をしてくれるし。
 
 だからこちらとしても手は抜けないんですよね。抜こうとも思わないですけど、それでも緊張感があっていいですよね。
 
 こういう読者がついてくれとるから、当サイトのスタンスである「最終的には読者が判断する」というのが実践できるんだよな。まぁ無理矢理考え方を押しつけられるんなら、そりゃその方が楽でいいんだが(笑)、でもそんな事など不可能な訳で、出来るだけ多くの人に読んでもらい、そして自分の頭で考えてもらって、それを自分の中でどう消化・昇華するかって作業をやってもらえれば、それは必ず自分のためにもなるだろうし、日本のためにもなるだろう。さらにその上で当サイトの書いてある事を推敲してもらえれば、もっとお互いのためになるだろうしな。
 
 おー、あまおちさん、ちゃんと考えてやっているんですねー。いつもいつも小学生のおにゃのこのコトばかり考えていると思っていたんですが。
 
 がー、オレいつか捕まるぞそれ(笑)
 
 まぁ今捕まっても驚きませんけどね。インタビューとか求められても、「あんなコトするような人には見せませんでしたが」じゃなくて「いつか必ずやると思ってました」と言いそうです。
 
 がーん。
 
 そんなこんなで、6年間ありがとうございましたー。7年目も右も左も逝ってよし!!でがんばっていきましょー。
 
 なんだこのまとめはー。
 

平成17年7月18日

 刑事告発する手間

 
 先日、あとちょっとで300通に達するために特別告知をかけさせていただきました献血アンケートなんですが、おかげさまで300通を達成するコトができましたー。
 どんどんどーん、ぱふぱふー。
 ありがとうございまーす。
 また、宣伝くださいました黒板ぽさんありがとうございまーす。
 というワケで、いったんここで区切らせていただきますね。
 サンプルは大いにこしたコトはないんですが、区切らないと集計に(気分的に)いかないものでして、ここでいったん区切りまーす。
 それでは集計結果と、その後の献血更新をご期待ください。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さてさて。
 議論板のこちらでこのようなご意見をいただきました。

 シミュレートの冒頭で名誉毀損罪か侮辱罪で告訴するというのがありましたが、それがなぜ「かなりいろいろとめんどくさい裁判という手段」なのでしょうか?
 今回の件を名誉毀損罪か侮辱罪で裁判(刑事事件)にする場合、やえさんがすべきことと言えば、基本的には警察(か検察)に告訴することくらいです。告訴と言っても具体的には犯罪事実を申告するくらいで、その手間は人権擁護委員に相談に行くのとさほど変わらないでしょう。
 そして、捜査や公判は警察・検察が行うわけですから、やえさんに日常生活が壊れるほどの負担がかかるというのは、シミュレーションとしては疑問です(やえさんの言い方は、どうも民事裁判の差止請求などと混同されているようにお見受けします)。

 はい。
 正直に告白しますと、最初、更新の下書きの段階では見事に民事とごっちゃにしていました。
 下書きの段階では「費用もかかりますし」なんて書いていたんですけど、よく考えたら、これは刑事の方の名誉毀損罪ですから、費用はかからないんですよね。
 裁判の原告は検察になりますからね。
 ですから、費用の面で言えば確かに手間ではないんですが、しかしそれ以外はもやっぱり警察に行くというのは手間がかかるモノなのではないかと思っています。
 
 
 と、それより先にですね、ネット上での名誉毀損についてご意見もいただいておりますので、こっちを先に処理しましょうか。
 というかですね、この前の更新の趣旨は、「人権擁護法案は実際にはどのようなプロセスを経るのか」というシミュレーションですので、名誉毀損はまぁ言ってしまえばどうでもいいんです。
 別に本気で訴えようとは露ほども思っていませんし。
 ですから、理解しやすいように例示にやえの実体験を用いただけであって、決して「ネットでこんなコトがあったらすぐに訴えよう」なんてコトが言いたかったのでは無いのです。
 人権擁護法案の仕組みを説明しただけだったのです。
 
 実際に、やえという具体例を用いたコトで、とても分かりやすく理解できましたと言ってくださった方も、少なからずいらっしゃいましたしね。
 
 ただ、ネット上のハンドルに対しては、いくら名誉毀損人権侵害をしても問題にならないという現状というのも、ちょっと適切な状態とはとても言えないのではないでしょうか。
 やはり、それなりの法整備は必要ではないかと思います。
 この前話題になっていましたけど、総務省がネットの匿名にたいしてなんとかとか、固定ハンドルを用いるようにしましょうとかなんとか、そういう動きをはじめたとかいうニュースありましたが、そういう動きはまさにこのようなケースをしっかりと法の範囲内に入れようという動きなんだと思います。
 そもそもですね、ネット以外の活動、例えば紙媒体とかですね、そういうところでの「ペンネーム」でしたら、これは名誉毀損とか普通に適用されるワケで、そう考えたら必ずしも本名である必要性は無いと言えるワケですから、やはりこのように差があるのはおかしいと言えるハズなのです。
 ですから早い法整備をし、キチンと今回の件のような事例も名誉毀損罪の範疇に入るようにすべきだと思います。
 
 また、後述しますが、現行制度化の刑法の名誉毀損罪に当たらないからといって、それがすぐに人権法にもかからないとするのは、いささか早計なのではないでしょうか。
 むしろ、現行制度では不備がある部分も否めないからこそ、人権法が作られようとしているとも言えるワケです。
 ですから、とりあえずは、今回の件が刑法で問えるかどうかはいったん置いておいて考えてもらえれば良いのではないかと思います。
 
 基本的には、分かりやすく理解しやすくするための例示的な意味合いが最も強いワケですしね。
 
 
 では本題に戻りましょう。
 
 名誉毀損罪であるならば、警察に行けばいいだけじゃないか、手間なんてないじゃないか、というコトなのですが、しかし現実的に考えた場合、果たして本当にそれだけで済むと言えるでしょうか。
 確かに法律の文面上だけなら、誰もが警察に訴えれば、それを警察が拒否するコトはできないハズです。
 しかし現実はそれだけで通じるでしょうか。
 よく人権法案に強固に反対している人は、「法律の文面だけでなく、実際に起こるであろう現実問題も考えろ」なんて言いますが、これこそ現実的に考えてもらいたい問題なのです。
 
 例えばやえが該当部分の文章をプリントアウトして警察に持って行ってですね、「人権侵害されたので告発してくださーい」とか言ったとしても、そんなのおそらく誰も相手にしてくれないと思います。
 と言うと、またネットのハンドルが名誉毀損かどうかという問題になっちゃいそうですので、では仮に、あまおちさんがプロの文章家であった場合に、あまおちさんが警察にそう訴えに行ったとしましょう。
 しかしあまおちさんはまだまだ有名でない、ほんの極一部の人しか知らないプロだったとします。
 これが多くの人が知っている有名人であるならまた警官の対応も違うのでしょうが、しかし一般人が全然知らないような知名度でしかない場合でしたら、やっぱり警察はかなりうさんくさそうな対応しかしないと思われます
 しかも訴えに行った人間があまおちさんです。
 かなり言い争いになってしまう可能性が高いです(笑)
 
 まぁそれは冗談としましても、やはり事件として扱ってもらうためには、かなり苦労を要するのではないでしょうか。
 本当にあまおちさんがプロの文章家なのか根ほり葉ほり尋ねられ、それを証明するように求められるでしょうし、また人権侵害該当部分のプリントアウトを持っていっても、「それ本当なの?相手はどこのだれ?え?知らないの?うーん」とか言われそうです。
 警察からすれば、どこのだれとも分からない輩が、うさんくさい紙一枚持ってきて、いきなり告訴しろって言っているのですから、やはり身を入れて話を聞こうとは思わないでしょう。
 もし弁護士がついていれば話は別なのでしょうが、しかし残念ながらあまおちさんは弁護士資格を持っていませんし、雇おうと思ったら弁護士費用がかかるワケです。
 この時点ですでに相当の手間になると言えますよね。
 
 確かに法律の文面だけで言えば、被害者が告発さえすれば警察も検察も動くようにはなっています。
 しかし、現実の問題としては、決してそんなにすんなりいくモノとは、全くやえは思えません
 もし担当者がネットのコトなんてさっぱりからきしな人だったら、ほとんど門前払いされる可能性だって否定できないのではないでしょうか。
 
 では、人権擁護委員さんならどうかと考えますと、おそらく擁護委員さんなら、親身かどうかは人によるでしょうが、しかし少なくとも丁寧に話は聞いてもらえると思います。
 なぜならば、人権擁護委員の一番の仕事は「人権問題に関する相談に乗るコト」だからです。
 ここが警官との最も大きな違いなのです。
 警官はどちらかと言えば犯人を逮捕する方のコトばかり考えていますが、しかし擁護委員は相談に乗るコトこそが一番のお仕事なのです。
 実際、法案にもそのように書いてありますし、また特別救済手続きには擁護委員は関われませんし、一般救済手続きは前の更新で書きましたように、やはり「話を聞く」「話をする」という業務が中心になりますから、擁護委員はとりあえず何につけても「話を聞く」という行為をしなければ、文字通りお話にならないのです。
 
 また、現行制度においても、すでに人権擁護委員という存在の方々はいらっしゃいまして、実際に相談業務を行っています。
 その方々は全てボランティアですし、やえも色々と聞いている限り、特別変な方の話を聞いたコトがありません。
 ですから、人権擁護委員さんは実績という面においても、警察に比べたら格段に安心して相談できる存在だと言えるのです。
 
 以上のコトをふまえましたらですね、手間というか、心身的な負担という意味において、警察にいきなり行くよりは、人権擁護委員さんに相談に行くコトの方がよっぽど楽と言えるワケなのです。
 
 
 勘違いしてほしくないのは、決して警察による手段を否定しているワケではないというコトです。
 前回は詳しく触れませんでしたが、一般救済手続きの中にはこのような措置もあります。

 (一般救済)
 第四十一条 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、次に掲げる措置を講ずることができる。
 一 人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれのある者及びその関係者(第三号において「被害者等」という。)に対し、必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせんその他の援助をすること。

 「関係行政機関の紹介、あっせん」とありますように、つまり一般救済措置には警察へのあっせんもあり得るワケです。
 さきほど「どこのだれとも分からない輩が、うさんくさい紙一枚持ってきて告訴しろって言っているのですから」と言いましたが、これが人権擁護委員さんのあっせんだったらどうでしょうか。
 少なくとも、どこの骨とも分からない輩よりは、よっぽど警官も話を聞いてくれるようになるでしょう。
 これだけでも十分、先に擁護委員に相談しに行くという手段が有効であると言えるのではないでしょうか。
 
 そもそもですね、これは何度も言っているんですけど、人権擁護法案というのは「選択肢を増やす」という法案なんですね。
 決して、刑事告訴などの手段にとって変わるようなモノではないのです。
 例えば、今回のような場合、刑事告訴すると決めたとしたら、これはもう結果が0か1かのどちらかしかないという状況に追い込まれてしまうワケです。
 つまり、最終手段が唯一の手段なんですね。
 しかしこれでは複雑な現実の問題に対処できないワケですし、特に人権の問題はそれが顕著ですし、実際対応出来ていないのは明白なのですから、だからこそ人権法案によって選択肢を増やそうとしているワケです。
 そういう意味からも、相談こそが最も大切な仕事である、警察よりも気軽に相談できる存在である、人権擁護委員のところにまず相談しに行くというのは、重要な選択肢のひとつになり得るのではないかと思います。
 繰り返しますが、それによって刑事的な手段が絶たれるというワケでは決してありませんしね。
 
 もしかしたら、確かに現行制度では今回のやえの件は名誉毀損罪には問うコトが出来ないかもしれません。
 しかし人権擁護法案にも当てはまらないとは一概には言えないと思います。
 この辺はやえが判断するコトではありませんから、可能性の話しか出来ないんですが、0か1かの結果しか出せない刑法という存在は、全ての現実問題に対応しきれないという面を鑑みて、それを補足する意味においての人権擁護法であるならば、今回のやえのような場合も十分に対応してくれる可能性はあるのではないかと思うのです。
 そういえば自民党の部会において、どこかの大学の先生が「この法案は、現行法の隙間を埋める“アメーバ”のような存在になる」と言っていましたが、これはまさにこういうコトなのではないでしょうか。
 現行法では想定していなかった新しい問題にも、この法案は柔軟に対応できるワケであり、つまり現行法では手が出せない人権問題を人権擁護法で補完するというコトになるワケです。
 
 そしてですね、このような相談とか一般救済手続きが取られる場合には、かならず上部組織である人権委員会に報告がなされます。
 そうすると、現行法では対応できない問題がこれだけあるというコトが広く認知されるようになるワケでして、そうなれば政治や中央省庁が動く可能性だってかなり出てくるワケです。
 現実の現場の問題をすくい取って上に上げるというのも擁護委員の重要な仕事のひとつです。
 上で言いました総務省のネットの匿名に関する云々という話も、実際に起こった事例を積み上げられていれば、かなり重要な論拠となり得るワケでして、そうなればもっと迅速に法整備が進むコトが期待できるのではないかと思います。
 この点からも、やはり個別法で対応しろという意見と人権擁護法案は、決して対立するような存在ではなく、並立して同時進行できる意見だと言えるのではないでしょうか。
 柔軟な人権法が現実問題をすくい上げて、そして個別法でキチッと対応するという手順になるワケですね。
 
 逆に、よく現場が分かってないお役人さんが想像だけでネットのルールを決められても困るワケですから、そういう意味からも、実際に起きた問題を丁寧に上に上げて推敲するコトもとても大切であり、そして双方にとって良い結果が得られるのではないでしょうか。
 
 
 念のためにもう一度言っておきますが、決して現行制度化における警察による告発が全く無意味なモノであるとは決して言いません。
 もしかしたら担当の警官がとてもいい人で、ネットのコトもよく分かっておられる方で、とても良い方向に持っていける可能性も無いとは言えません。
 しかし、基本的に警察に行くという行為は、出口は裁判しかあり得ないという最終手段でしかないのです。
 そして、現行制度化においては対応しきれない現実の問題、つまり今回の問題とかですね、というモノには警察は全く手が出せないワケで、だからこそ柔軟に対応できる選択肢が増えるという人権擁護法案が必要であるという論拠に、今回の件は逆に奇しくもなってしまうのではないでしょうか。
 
 予測できない事態とは、読んで字のごとく予測できないからこそ起こってしまうワケです。
 今の刑法が作られた時代には、まさかネットの時代が来るとは夢にも思っていなかったでしょう。
 というコトは、現在の我々が想像も出来ない未来がある可能性だって誰にも否定できないワケでして、ですからそれを何とか補填するための法律を作っておくというコトは、とても大切なコトなのではないでしょうか。
 「予想もつかない未来がある」というコトは予想できているのですから、それを放置するのは政治の不作為と言えるでしょう。
 また、その問題が起こったときに法改正すればいいじゃないかという意見もあろうかと思いますが、しかし現実の問題、現在のネットの諸問題にすぐに全て対応できていますかと問われたら、だれもYESとは答えられないでしょう
 色々な問題が絡み合っているからこそ、なかなか早く先に進めないワケですが、しかしだからといって人権の問題をおざなりにしていいコトには決してならないワケで、よってそこに柔軟に対応できる制度を作っておくコトは、決して悪いコトではないでしょう。
 もちろん一番良い方法は、個別法でしっかりと規定するコトです。
 これは否定しません。
 しかし、これこそ現実的な問題として、すぐにその問題に即刻対応出来ているとはとてもじゃないですけど言えないワケですから、それは真摯に受け止めて、その上で現実的に対応できる制度を作っておく必要があるのではないでしょうか。
 
 現実的に色々と考えたらこのようになるワケなのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、人権侵害撲滅を応援しています。
 

平成17年7月20日

 差別の拡大

 
 オレだー。
 
 あれ?今日は水曜日ですよ?
 
 へ?・・・あ、ホントだ。なんてこった。月曜が休みだったから、感覚がずれていたようだ。うーむ。まぁこのまま続けるか。
 
 えー、そんなコト言ったらハゲますよ?
 
 え!?なんでハゲるんだ。オレはハゲじゃないぞっ。
 
 あーあ。
 
 なんでだー。せめて水曜に登場する事とハゲる事との間の因果関係を説明しろー。
 
 くすくす。
 
 
 
 さて、オレはハゲてないんだが、今日は差別の問題でも語ってみようか。
 
 気にしすぎるとハゲますよ(くすくす
 
 ・・・。ごほん。なにやら若隠居さんやらplummet宗匠やらがすでにエントリーしている訳だが、まぁこの流れというのは、人権法を同じように扱っていて、それが一段落ついた、もしくは議論が出尽くしたから、これより先に行くには差別の問題を取り扱わなければならないという段階に自然に行ってしまうので、ある意味時期がかぶってしまうのも必然的だと言えるから、自然に身を任せてウチも差別の問題の更新といこう。
 
 当サイトは、人権侵害問題があったので、一歩出遅れた形になってしまいましたけどね。
 
 いや全く無駄な時間だった。まぁそれはともかく、んでだ、まずはだな、基本的概念として、これを忘れてはいかんのだ。「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為は差別なのだよ。これが大原則。これを許してしまったら、いくらでも拡大解釈出来てしまうので、基本的にここは守らなければならない訳だ。
 
 若隠居さんが大変お怒りになっている、外国人(韓国人)に対する入居拒否問題なんかも、ひとりの韓国人が壁を勝手にピンクにしてしまったという行為を、全ての韓国人に当てはめて、それを理由に入居拒否しているから、それはダメですよってコトなんですよね。
 
 そうそう。確かに国籍、というか文化の違いの問題というのはいろいろと考えなければならない問題ではある。だが、まず原則としての「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為を許してしまったら、結局、カテゴリーは確かに同じなような感じだとしても、しかし他人は所詮他人でしかなく、そんな他人の問題までをいちいち背負い込まなければならなくなってしまったら、全ての人間に対していくらでも差別が出来るようになってしまう。例えば「フィギュア萌え族」とかな。
 
 ああ、そうですね。あれも、「フィギュア好きの人間は性犯罪者だ」というような主張でしたもんね。まさに差別以外何者でもない主張ですが、これも「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為ですよね。
 
 奈良のどっかの新聞配達員が犯罪を犯したからといって、どうしてフィギュア愛好者が犯罪者呼ばわりされなければならんのだと。オレが犯罪犯したのなら当然その報いはオレが受けるが、他人がやったもんの批判までなんでオレが受けにゃならんのかと。普通はそう思うよな。
 
 でも、フィギュア萌え族のカテゴリー外の人は、そんなカテゴリー内の人の話は聞こうとしないんですよね。そのカテゴリーを理解できないですし、そもそもしようとも思わないですし、それが無くなっても自分は全く問題ないし、その上に犯罪まで減るのだったら万々歳だと。こういう理屈ですよね。
 
 「自分が関わらないものならいくらでも排除する」と言いつつ、しかしその一方「自分が関わるから大反対する」というスタンスでは、全くもって矛盾してしまう訳だ。だからな、仮に「フィギュア萌え族批判は正当だから差別されて当然」と言い、「韓国人も入居拒否されて当然」と言い、「ネットは犯罪の巣窟だから廃止」と言い、「女は放火するから外出歩くな」と言うのであれば、主義主張の一貫性はある。もちろん差別主義だがな。
 
 これも全て「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」ですね。
 
 だから前々から言っているように、女性専用車両も差別なんだよ。見事に「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」だろ。オレとは関係ない痴漢なんかをもって勝手にオレをそこにカテゴライズするなと。
 
 フィギュア萌え族はダメで女性専用車両はいいって言ってる人って、基準が全て「自分の主観」になっちゃっているんですよね。自分が許せるかどうかだけという。
 
 そうなんだよ。こんなコトしてたらいつまで経っても話が進まん。自分が関わるからダメ、自分は関係ないからOK、なんて言ってたらダメなんだよ。まずここを理解する必要がある。まずは自分の主張が矛盾していないか考え直してみてほしい。
 
 
 
 その上で、国籍の問題はどう考えるべきなのでしょうか。
 
 確かに国籍の問題は難しい。国籍というか、やはり文化の違いだろうな。北海道のロシア人が銭湯で暴れまくって、銭湯側が「外人禁止」と張り紙張ったら、差別ロシアとか言って裁判になった件があったが、
 
 待ってください。「差別ロシア」ってなんですか?もしかして「差別ニダ」のロシアバージョンとか言うつもりですか?
 
 ・・・差別だとか言って裁判になった件があったが…、
 
 無かったコトにしないでください。殴りますよ?
 
 ・・・ごほん。んでだな、その裁判、結局それは差別であると認定してしまった訳だ。ちょっとこれ地方裁の判決なので、もし上に行っていたらソースを教えてもらいたいんだが、とにかく司法はこれを差別と認定した訳だ。
 
 一方、これは差別ではないと思っている人も多いんだとは思いますが。
 
 オレもな、もし銭湯の経営者の立場だったらたまんねぇだろうなぁとは思う。これは思う。でもそれは多分オレがロシア人じゃないからそっちの方を考えるんだろうなとも、ふと思う。もしオレがロシア人なら、「オレは銭湯では暴れたりしない。こんな暴れ牛の船乗りなんかのアホ共と一緒にすんじゃねぇ」とか思うだろうな。フィギュア萌え族はたまたまオレがそっちの造詣にも深かったからこそそれはおかしいだろうと思えたのと同じようにな。
 
 えーと、多分「こんな暴れ牛の船乗りなんかのアホ共と一緒にすんじゃねぇ」と言うと、今度は船乗りさんが怒ると思いますよ?
 
 おお、よく気が付いたな。今のはわざと言ってみたんだ。全くその通りでな、それに当てはまらない人間は必ず怒るのは当然の話なんだよ。だから、そうでない人間の立場や心情も考える必要があると。
 
 でも、一般的に総論的に言えば、船乗りさんの気性は荒いでしょうし、ロシア人はお風呂の中というかサウナの中でお酒飲みますし、フィギュア萌え族は幼女好きだと言えますよね。
 
 それは言ってみれば全部「文化の違い」とは言えるわな。でも全てそれ自体が犯罪行為ではないからなぁ。一般的にはそう思うのは仕方ないし、そういうイメージが嫌ならそのカテゴリーの人間が払拭するよう努力しなければならないだろうが、しかしそうだからと言って、それをおおっぴらに喧伝してみたり、また形に出るような不当な取扱いはしたらいかんだろと。
 
 思うのは勝手ですが、やるのはダメだってコトですか?
 
 まぁ端的に言えばそうだな。なんで入湯拒否したかと言えば、暴れたからだろ。暴れたのは犯罪である訳だから、確かに暴れる奴は入湯拒否してもかまわんだろう。ただ、「ロシア人は風呂場で暴れる文化がある」とは決して言えない訳で、そこをごっちゃにしたらいかんのだよ。まぁもし「ロシア人は風呂で暴れる文化がありロシア国の法律でも容認されている」「韓国人は部屋をピンクに塗りたくる文化があり韓国の法律でも容認されている」のであれば、ロシア人禁止韓国人禁止は差別ではないと言えるんだろうけどな。
 
 最近嫌韓とか嫌中が流行っていますから、その辺が分けられない人が多いんだと思います。また、「韓国では借りた部屋をピンクに塗りたくっても罰せられることはない」と本気で信じ込んでいる人も多そうですしね。
 
 もしそれが本当にそうなんだったら、それはそう言えばいいじゃないかって事になるんだがな。それこそ国籍の問題でな、国籍と国家の法律とは切っても切れない関係であり、十分に因果関係を説明出来るんだから、これなら正当な理由になると。
 
 
 
 それから、ちょっと話がズレるかもしれませんが、嫌韓な人の中には、むしろ韓国人が言ったことが全て正しいと思い込んでいるような人がいるんですよ。
 
 ほうほう。それはまた新しい説だな。
 
 簡単な話なんですよ。嫌韓の人は「国籍で区別しなかったら、韓国人が差別と言えば全て差別になってしまうじゃないか」というような論調で主張をするワケです。でもよく考えたら、なんで韓国人がそう主張するだけで差別が認定されてしまうと思っているのでしょうか。
 
 ほうほう。確かにな。
 
 さっきのピンク塗りたくり事件ですが、その塗りたくった韓国人が「差別だ」とか言ったら日本の法律ではもう裁けないとでも言うつもりなのでしょうか。そんなコトは決してないですよね。いくら韓国人がどう主張しようが、的はずれな主張はちゃんと司法でも行政でもことごとく蹴られるワケです。でも嫌韓の人は韓国人の主張しか見てないんですよね。
 
 おうおう。その通りだな。まさにミイラ取りがミイラになったとでも言うべきか。
 
 ちょっと違う話になりますけど、ある韓国人が東京都の幹部職員になりたかったけど日本人じゃないからなれないとした規定は差別だと言って裁判起こした事件がありましたけど、でもちゃんと裁判所はそんな訴えは蹴りましたよね。韓国人が主張すれば全て通るというワケでは決してないというのが現実でも証明されているワケです。裁判所が全てとは言いませんけど、その主張が正当なモノか不当なモノかは、ちゃんと自分の頭で判断してもらいたいですよね。嫌韓の人が韓国人の主張を鵜呑みにしているという奇妙な事実はかなり滑稽と言わざるを得ないです。
 
 これも、「韓国人のやることなすこと全て悪」という固定概念に凝り固まっている結果なんだろうなぁ。アンチズムでは何も生まれはしないんだが。
 
 
 
 では、理屈では確かにそうなのですが、現実問題、いろいろと苦労されている人もいるんだとは思います。その上で諸問題をどう解決していかなければならないのでしょうか。
 
 言葉の上だけの話になってしまいそうだが、しかし「差別」と「区別」はどう違うのかというコトをしっかりと認識する必要がある。女性専用車両の時に議論板でオレが自ら登場して議論を行ったのだが、その時に、「銭湯は男女とわけているから差別と言えてしまうのではないですか」というようなコトを言われた。これはどう考えるべきかな。
 
 そもそも男女一緒にお風呂に入るという行為がすでに反社会的であるワケですから、もちろん合意の上でなら別ですが、それはやはり区別ですよね。
 
 そうそう。だから大前提から違うんだよ。でだな、その大前提とは法律から成っている訳だ。またこの前提は、国民のコンセンサスもほぼ100%得られていると言える。ここまでくると「差別」ではなく「区別」と言えるようになる訳なんだよ。
 
 ああ、そういうコトですね。つまり、もし韓国人に部屋を貸さないという行為を「区別」であると認定させたいなら、100%ぐらいの国民的同意を得ろって言いたいんですよね?
 
 そうだな。結局今の韓国嫌いな風潮って、やっぱり“一部”の話なだけだろ。だからその主張に自信があるんだったら、それを全国民が納得できるぐらいの説得力を持って議論してみろって。もしそれが正当なら受け入れられるからさ。ちゃんとね、在日韓国人はどれぐらいいて、その中でトラブルを起こした人間がどれぐらいいて、裁判はこのようになってと、データを交えてやってみろって事なんだよ。ミーガン法の時ですら、マスコミは、大嘘のデータではあったが、データを出してそれらしい理屈をこね回して主張を展開した訳だしな。
 
 まぁその場合においても少なくとも「韓国人であるコト」という属性が直結で「犯罪を犯す」と結びつく証明をしなければならないワケですけどね。
 
 そうだな。それは大前提だからな。ここをちゃんと証明できないと、韓国や中国での反日運動を批判する事など出来なくなるからな。
 
 ちょっと前に、韓国で「日本人立ち入り禁止」と張り出しているゴルフ場の写真を紹介して、「韓国へ勧告書(笑うところ)を早急に出す必要があると思います」なんて言ったコトがあるんですけど、しかしこれに対してはひとりも「国籍で区別するコトは正しい」なんて言ってきた人なんていませんでした。むしろこの日は拍手とか多かったと記憶しています。
 
 韓国では、日本の嫌韓世論よりも、反日世論の方が強いかもしれないぞ。そしたらこの韓国の行為は差別ではないと、人権侵害ではないと、そう言えてしまう訳だ。だからここはしっかりと客観的事実を持って線引きをしなければならんのだよ。
 
 ある属性が存在するコトで、直接それに影響を与えているかどうか、ですよね。例えば、もし伝染病患者を強制的に隔離するのは、病気の伝染と隔離との間に直截な因果関係があるから仕方ないと言えるのですが、伝染病でないのに強制隔離したらそれは差別ですよね。この場合は病気と隔離との間には何ら因果関係が無いワケですから。
 
 別の例えで言うと、入れ墨の人入浴禁止はどうなんだっていう意見もたまにあるみたいなんだが、これもよく考えてみてほしい。入れ墨を見せるという行為はそれだけで恐怖心を他人に与えている訳なんだよ。むしろそのために彫っているんだからな。だからこそ昇り竜とか般若とかやっている訳で、誰もアンパンマンの入れ墨なんかせんわな。それはそれで逆に怖いかもしれんが(笑)
 
 最近入れ墨もだいぶ意識が変わってきて、タトゥーとか言ってファッションで入れ墨している人がふえていますけど、こういう人ばかりになったら、入れ墨禁止も検討し直す必要が出てくるかもしれませんね。
 
 そうだな。

 
 
 
 まとめますと、まず自分の主張に矛盾が無いか考えてもらいたいというコトですね。他人に対しては排斥するような主張をする一方、自分に対してはそれを認めないと言っていたのでは、まったく一貫性がないワケです。自分も排斥されてもかまわないと言うのであれば、他人を排斥するような主張をしても一貫性はあるワケですが、まさかこんな人はいないでしょう。
 
 「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」、これの愚かしさをよく考えてほしいよな。これを許してしまったら、「ネットは全て匿名じゃないか。そういう文化じゃないか。だから人権侵害や犯罪が横行するんだ。ネットを無くせば犯罪は確実に減る」という意見に対してはぐぅの音も出なくなってしまうだろうと。
 
 そして、これを踏まえた上で、何が差別で何が区別なのかキチンと議論すべきでしょう。「形として表れる」ような取扱いなどに対しては、ちゃんと100%に近いコンセンサスを得られてからにしないと区別にはなりませんよというコトです。一部の人間が一部の主張だけを持って偏った取扱いをしてしまうのは、それこそ尖鋭的な差別主義者による差別行為以外何者でもないコトになってしまうワケです。
 
 ミーガン法や女性専用車両の時にも多分言ったと思うんだが、個別問題は当然個別に考えるべきなんだよな。入居問題なら、夜逃げされそうなら保証人をシッカリと精査する、もしくは行政に動いてもらって外国人の場合なら大使館を通じて身分保障をしてもらうようなシステムを作るとか、ピンクペンキ塗りたくられたなら、補償に関してキチッと契約を結ぶ。刑事も含めた法整備をしっかりとしてもらう。こうする事が筋だろ。いきなり国籍までぶっ飛ばしたらダメだろ
 
 ふと思ったんですが、なんか人権法の議論にかぶるモノがないですか?多分人権擁護法なんていらないって言っている人ほど、韓国人は区別すべきだと言っている気がするんですが、でもそういう人って、人権法を作る前に、現行制度で問題があるなら個別法でしっかり整備しろっていう主張だったハズですよね。それなのに個別対処手段を放棄していきなり国籍の問題にまで発展させてしまっているのは、これは矛盾なんじゃないんですかね。
 
 そーだなー。まぁ個別法でという主張は人権法の反対に理由にはならないというコトは散々言ってきた訳で、だから個別法もしっかりと整備する必要がある訳だが、しかしそう主張していた奴がそれを放棄したらいかんよなー
 
 大きなカテゴリーでくくって、それをひとまとめに規制してしまうという方法は、確かに効果は絶大ですし、楽です。だから安易にその方法をとってしまいたくなるのも分かりますが、しかしそれはとても危険な方法であるというコトを忘れてほしくないですね。いつか自分もそのカテゴリーに入れられ、排斥されてしまうかもしれませんよ。
 
 最後に、人権法反対論でよく使われていたフレーズを載せて締めよう。この言葉は人権法反対よりも、むしろこっちの方がよく当てはまる言葉だ。
 

 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。
 次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
 それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
 それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
 
 なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師の告白−

 

平成17年7月25日

 神奈川県知事のゲーム規制話

 
 やえはこの度気付いたコトがあるのです。
 それはですね、実はやえ、夏に弱かったという事実です。
 ばばーん。
 
 ごめんなさい。
 なんでしょう、寒いのは好きだというコトは自覚していたのですが、反面暑いのに弱かったという自覚はなかったのです。
 でも今回のコトでハッキリしました。
 どうもやえは夏に弱いようです。
 
 土曜日はお家でぐへーっとしてたら、すごい地震が来てビックリして、後からさみしくお片づけをしていた週末の物語。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 元気にいきましょー。
 
 
 さて。
 差別のお話についてはいろいろとみなさんご意見があろうかと思いますが、やえが感じたところ、どうもですね、この話に関しては視野が狭い人が多いのではないかと感じるのです。
 簡単に言えば、差別は「自分が受けなければ気付かない」という非常に困った点があり、またそれに輪をかけて、「自分に関係なければ差別する側に簡単にまわってしまう」という側面もあってしまうので、とても複雑になってしまうんですね。
 例えば、フィギュア萌え族と差別されれば自分は犯罪者とは関係ないと力一杯反論するワケですが、一方韓国人に対しては罪を犯していない韓国人も犯罪者と同等のような扱いを平気でしてしまう、といった感じです。
 しかし、前回もあまおちさんが言いましたように、「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」という行為は差別以外なにものでもないのですから、自分がされてイヤなコトは他人にはしてはならないのです。
 ここをキチンと整理していない人がとても多いのではないでしょうか。
 
 ですから、今日も含めて、女性専用車両のような「気付かれない差別」や、フィギュア萌え族のような「身にしみる差別」などを、今後しつこいと言われようとも、具体的な事例が出てくればいちいち指摘していきたいと思っています。
 具体的事例を挙げていくコトによって、「ああ、これも差別だなぁ」とか「これは差別なんだからもちろんあれも差別になるんだなぁ」とか思っていただければ幸いだと思っています。。
 
 
 というワケで、その具体的事例です。
 タイトルにもありますように、松沢神奈川県知事が発案(?)した、あるゲームソフトを有害図書指定しようという動きについてです。
 
 まずはこちらの記事をご覧ください。

 <ソフト規制>松沢・神奈川県知事のブログに批判殺到
 
 ブログは「松沢しげふみ タックルレポート」で、県政の課題や日常感じていることを題材に1週間に1回更新している。同県の審議会は5月30日、主人公が銃で周囲の人たちを次々と殺害していく米国製家庭ゲームソフト1本を、県青少年保護育成条例に基づき有害図書類に指定、18歳未満への販売や貸し出しの禁止を打ち出した。このためブログは開設直後から格好の”標的”となり「指定根拠があいまい」「ゲームが犯罪行為を助長するという科学的根拠を示せ」などの反対意見が殺到した。
 ジョギングやラグビーを取り上げた日記(13日)も「ジョギングする暇があるなら、ゲーム規制についてのコメントを読んで」「近年、体育会系学生の犯罪が多い。スポーツ教育も見直さなければ公平性に欠ける」などとゲーム規制に関連付けて批判されている。先週のアクセス数は2万6000件を超す。

 松沢知事があるゲームソフトに規制をかけたというニュースはだいぶん前のお話なのですが、どうも最近知事がブログを開設したために、また“再燃”したという形なのでしょう。
 もっともゲーム愛好者からすれば、現在進行形の問題なのでしょうけど。
 
 記事にもありますように、この問題は「主人公が銃で周囲の人たちを次々と殺害していく米国製家庭ゲームソフト1本を、県青少年保護育成条例に基づき有害図書類に指定」という行為が論点なワケです。
 ですから、いろいろとブログでは感情論も飛んでいるみたいですが、まずはここを冷静に見ていきましょう。
 
 まずですね、「なぜ規制する必要があるのか」というコトを考える必要があるでしょう。
 つまり、「このゲームをするコトで、規制対象である18歳未満の子供達に対してどのような悪影響があるか」というコトです。
 これにつきまして、松沢知事はこのようにおっしゃっています

 青少年の健全育成を阻害するおそれのあるものを、青少年の周囲からできるだけ排除しようという趣旨

 こうおっしゃっています、と書いたばかりで申し訳ないのですが、ブログにはこの一文ぐらいしか明確な理由が書いておりませんでした。
 まぁこう書いている以上は、18歳未満の子供がそのゲームをすると健全育成を阻害するおそれのあるというコトなのでしょう。
 では、なにをもって知事はそう断じておられるのか、その根拠を次に提示してもらいましょう。

 次に、青少年への悪影響の証明が必要ではないかとのご意見です。これまでも、ゲームソフトによるプレイを長時間行うことが、子どもの脳などに少なからぬ影響を与えることについて、いくつかの調査結果があるものの、残虐性の高いゲームが犯罪を誘発するかどうかの科学的証明は、まだ行われていないことは事実です。

 ずこー(古
 科学的証明はまだなされていないと知事本人がおっしゃってしまっています。
 本来、この問題はここで終わりですよね。
 だって、証明されていないのですから、規制する理由は存在しないというコトになります。
 もしそれでも規制すると言うのであれば、それは権力を個人的にふるうような暴力でしかなくなるハズです。
 やってはならないコトです。
 そんなコトぐらい国会議員も務めた松沢知事なら分かろうモノなのですが、しかし知事は強行に規制を発動させてしまったんですね。
 
 どうしてでしょうか。
 次の言葉がたぶん知事の本心なのでしょう。

 しかし、先日の東京で発生した両親殺害事件で、加害少年が今回指定したゲームソフトの愛好者であったという報道もあります。

 おそらくこれが知事の本心なのだと思います
 そして動機なのでしょう。
 事件があった→加害者がゲームしていた→規制しなくては
 これが動機の全てだったと言えるのではないでしょうか。
 
 しかし何度も言ってますが、この動機では「ある人間の犯罪・悪行をカテゴリー全ての人間に当てはめて考える」なのですから、完全に差別なのです。
 そして、差別だからこそ、一部では過剰とも言えるほどの反発が来たのだと言えるでしょう。
 人間なら差別されれば当然反発するモノです。
 
 なにも、「ゲームは無批判に全てを許すべきだ」なんてコトは言いません。
 ちゃんとした根拠があればやえだって納得します。
 それはやえだけでなく、多くの人もそうでしょう。
 それなのに知事は、ただの感情論から規制を導入しようとし、またその言い訳として

 そして、子どもの人格形成においては、単に知識を習得するだけではなく、成長過程で接する自然、文化などの外部環境から様々な影響を受けるものです。特に、感受性の鋭い青少年が、大人よりも社会環境の影響を受けやすいことは社会の共通認識でもあります。青少年の健全な育成を阻害するおそれのある有害な社会環境を排除していくことは、大人社会の責任であり、行政としての責任でもあると考えています。

 という、毒にも薬にもならない、理由が全く示されていない一般論で強引に話を進めようとしているワケです。
 
 これでは反発されて当然なのです。
 おそらくネットでは「ホラーゲームは規制されるべきかどうか」という議論もなされているんだろうとは思うのですが、実は今回のこの件は、あまりそれとは関係ない話だったりするのです。
 もちろん本筋はこういう議論がなされるべきなのですが、そもそもどうしてこのお話がここまで大きくなってしまったのかと言えば、そのような本来すべきだった議論を知事が怠り放棄し投げてしまい結論を出してしまったからなのです。
 そしてそれはなぎれもなく差別行為であり、だからこそ反発されるのです。
 「自分は犯罪をしていないのに、どうして同類に見なされるのか」
 このような感情を持つのは人間として当たり前のコトでしょう。
 
 もう一度一応繰り返しておきますが、今回のゲームが本当に規制されるべきものがどうかという話は今回触れません。
 というか、やえは見たこともないですから、判断できないモノです。
 いえ、判断できないからこそ本来は簡単に結論付けしてはならないと言えるでしょう。
 しかし松沢知事は、印象だけで全てを結論づけてしまったのです
 この態度が一番の問題なのです。
 例え、検証の結果、このゲームが規制されるべきモノだったとしても、松沢知事のような無根拠の印象だけの差別心からくるような理由だけでは、結論を出してはならないのです。
 
 これを許してしまうのであれば、最初の記事に紹介されていましたような

 「近年、体育会系学生の犯罪が多い。スポーツ教育も見直さなければ公平性に欠ける」

 という意見も正当なモノになるでしょう。
 もしこのゲームにこの程度の理由だけで制限を課すのであれば、松沢知事はその職権において、体育会系の学生を犯罪予備軍として見なし、行動を制限する条例をいますぐ作るべきでしょう。
 なにも、このような差別は許してはならないというのは、ゲームの話だけではないのです。
 
 今回ゲームファンとして怒った人は、是非同じような差別を自分がやってしまっていないかというコトも併せて考えてもらいたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、差別撲滅を応援しています。。
 

平成17年7月27日

 制度自体の有無と悪用防止論

 
 すでに色んなところで紹介されていますので、すでにご存じの方も多いかと思いますが、やっとこさ朝日新聞が、安倍・中川先生に対するウソ報道をウソだったと認めました。
 と言っても、その検証記事は言い訳で大部分を占められており、謝罪も一切無く、ただただ自己正当化だけの汚らしい文章だけで埋め尽くされています。
 詳しくは、この手のコトにかけては天下一品のこの方の記事をご覧下さい
 まぁアサヒらしいと言えばアサヒらしいんですが、なんて言いましょうか、人間として恥ずかしくないんでしょうかね。
 ただ最近やえは思ったんですが、企業でも個人でも、ある程度の“体面”というモノが出来上がってしまった後に、それを崩されるような事態に陥ってしまった場合、大なり小なり今回のアサヒのような態度に人間として自然的になってしまうんじゃないかと感じていたりします。
 いつぞやの人権侵害者なんて、まさに舌先三寸の断言しなければいいんだろ的な逆ギレ態度でしたから、まぁこれが人間の自然の姿なのかもしれません。
 
 もちろん、やえはこのような「アサヒ的」な人間にならないようにと当然思ってますけどね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 本来ですね、「この法律(制度)は悪用されるから廃案にしろ」という議論は無茶苦茶なんです。
 
 人権擁護法案だけを強固に反対しようとしている人、人権法に反対するコトこそが正義の行いであり、正義の側に自分がいるというコトを確認したいというような人にはなかなかこの理屈が理解できないのかもしれませんが、本来は簡単な話なのです。
 例えば、いつの時代になっても偽札は無くならないワケですが、これをもって「悪用されるから貨幣制度は廃止しよう」とは誰も言わないワケです。
 貨幣制度を、少なくとも紙幣を廃止すれば90%は偽札が無くなるでしょうが、しかしこんなコトは誰も言わないですよね。
 
 では、偽札が大量に出てきたらどうするのかという議論になったとしたら、それは偽札が作りにくい紙幣を作ろうという議論になるワケです。
 そして、その制度を悪用するような輩に対しては、刑罰をもってあたりますよね。
 
 貨幣制度で言えば、詳しく言う必要ないと思いますが、この制度があるコトによってとても大きな利便性を得るコトが出来るワケですから制度自体は必要であり、その上で、その利便性に比例するように悪用に成功した時の見返りも大きくなってしまうワケですから、悪用しづらいような制度なりを構築し、法でもシッカリと規制する仕組みを作っているワケです。
 もちろん、その制度が必要かどうかの議論はあってしかるべきで、その上で必要ないとされれば作る必要もないのでしょうけど、しかし基本的にその制度が必要であると結論づけられるのであれば、「悪用されるかどうか」の議論をする際には「ではどうすれば悪用されづらくなるのか」という中身の議論になるワケでして、決して「制度を作るべきかやめるべきか」というところまでには及びません。
 それは「必要かどうか」という議論で結論づけられているワケですからね。
 ですから「悪用されたら」という議論は「必要かどうか」という議論とはまた別の話なのです。
 
 当然、悪用されやすい法律や制度というモノが存在されたら困りますから、それはキチンと整備する必要があります。
 ただし、100%完璧というコトはどうやっても出来ないというのは、これはもう仕方のないコトだと言えます。
 お札だって国家の技術力の粋を集めて作られるワケですが、しかし100%偽札が無くなるというコトはまず無いですよね。
 法的にも、通貨偽造及び行使等(刑法148条)では無期懲役が最高刑であるという、とんでもなく重い罪(基本的に無期刑がある罪というのは人の命が直結しているモノがほとんどです)が規定されていて、悪用に成功したときの見返りの大きさに罪の大きさが比例していると言えるのでしょうけど、ここまでしてもやはり100%とは出来ないワケです。
 
 この辺はバランスなんだと思います。
 このバランスというモノは、法治国家としての歴史の中での経験から、この制度に対してはこれぐらいの整備をする必要があると、暗黙の法則のようなモノが出来上がってきます。
 明確なルールはありませんが、裁判所の判例や今までの行政的な運用、そして法整備の中での議論などによって、それらがなされるんですね。
 ですから結局、法律や制度を作る上で大切なコトは、その制度が必要がどうかという議論と、それとはまた別の議論で、その制度が正しく運用されるような担保の整備の議論をする必要があるワケです。
 
 で。
 やっと人権法のお話に戻るのですが、つまりですね、人権法案に関して「現実に起こりうる問題を見ていない」といったような批判がよく存在しています。
 なんか当サイトに対してもそのような批判がちょくちょくあるようなのですが、具体的に言えば「人権委員や擁護委員が暴走する可能性を考えろ」とか「部落解放同盟や朝鮮総連が入り込んでくる可能性だってあるじゃないか」という意見ですね。
 でも、それはそれでひとつの意見として憂慮すべき点とは思いますが、しかしそれをもって「廃案にしろ」という議論には決してなりません。
 
 もし本当にそのような可能性が非常に高いのであれば、「ではどうすれば暴走する可能性が低くなるのか」「ではどうすればそれらの団体が入り込みにくくなるのか」という議論をしなければならないハズなのです。
 それが本筋ですよね。
 しかしそこでいきなり「廃案にしろ」という言ってしまうというのは、ちょっと飛びすぎていると言わざるを得ないでしょう。
 「反対のための反対」と言われても仕方ない気がします。
 
 なぜ人権擁護法案が必要なのかという点につきましては、やえは過去何度か指摘しています。
 もっとも大きなポイントは、「過去において人権侵害事件が起きている以上は将来に向けて法整備するの当然の義務であり、それを怠るのは政治の不作為である」というコトです。
 過去の人権侵害事件については今後も取り上げていこうとは思っていますが、とりあえずはこちらをご覧になって下さい
 また、現在においても人権侵害事件は存在するというコトも、つい最近身を以てお知らせしましたね。
 さらに言えば、裁判という「最終手段が唯一の手段」という現行制度から、行政による迅速かつ柔軟な対応が出来るようになるという点も、評価に値するポイントだと思っています。
 ですから、過去の事例から考えれば、むしろこの法案が出てきたのは「遅すぎた」と言う方が適切なのかもしれないと思わなくもありません。
 まぁ差別問題をタブーしていた国民空気を考えれば、今であるというのもある意味妥当なのかもしれませんが。
 
 よって、これ以降の議論は、人権法を作るかどうかという議論ではなくて、実際に話を詰めていく議論になるコトになります。
 人権法案を通すべきか廃案にすべきかという議論は、もう必要のない議論になるワケです。
 
 ですから「ではどうすれば暴走する可能性が低くなるのか」「ではどうすればそれらの団体が入り込みにくくなるのか」という議論は、それを改善していくという、「話を詰めていく」議論になります。
 そしてこれは、先ほど述べましたように、法治国家としての経験からくるバランスの中で考える必要があります。
 例えば、「人権委員が誤った判断をしてしまったら死刑」なんてしてしまうのは、これは大きく現行制度から逸脱している条文になってしまうワケです。
 もし「冤罪をしてしまった裁判官は死刑」という法律があるのでしたら認めてもよい条文かもしれませんが、そうではないのですから、そこはやはりバランスなのです。
 
 人権委員や擁護委員が暴走するかどうかは人事に係ってくる問題ですが、人権委員に関しては大臣並の民意が反映されているシステムになっていますから、これを問題視するコトは適切ではないと言えます。
 もちろん、大臣の人事システムに問題があると思うのであればそうご主張されるのは自由でありますが、しかし今まで大臣の人事システムを容認していたのにも関わらず人権委員の人事システムにだけ文句を付けるというのは、それはちょっと全くの矛盾であり、主張の一貫性がありません。
 適切な意見とは到底言えないでしょう。
 
 擁護委員も同じように、人事システムに大きなズレがあるとは思えません。
 自民党の部会で修正案が出される以前には、「人権擁護団体に属する人間を入れろ」というような文言が入っていて、これは広島の悪夢を彷彿とさせるような内容でしたので、ちゃんと具体的事例を提示してやえも反対をしていました。
 しかし今ではこの部分は削除されていますので、そこまで反対する理由も無くなったワケです。
 細かいところではいろいろと意見が言いたい部分もあって、それは総論の方でも書いてあるのですが、しかし現行システムから大きく逸脱しているような部分は無いと、やえは判断しています。
 
 「北朝鮮の傀儡人間が人権委員になったらどうするんだ」という意見も実際にもらったコトがあるんですが、このように可能性だけを並べたら何でも言えてしまうワケでして、これはかなり現実的でない意見なのです。
 そもそもその人間が傀儡人間かどうかを判断する客観的システムなんてつくれるワケもないですし、むしろその現実的な妥協策として国籍というモノがあるワケで、だからこそ国会議員などには日本国籍を持っている人でないとなれないというコトになっているのですから、人権委員にしてみても、総理大臣が任命する以上は民意が反映されている人事である以上、その人間が傀儡人間であったとしたら、国民の選択が間違っていたとしか言いようが無いのです。
 ある長らく女性が党首を務めている某政党なんかが単独で政権を握ったとしたらどうなるか、そう想像していただければ理解しやすいでしょう。
 
 人権法案は、今回のお話の主題でもあります「全体の中のひとつとしてのバランス」という視点で見る必要がありますし、それは人権法案に限らず全ての法案や制度に言えるコトです。
 やえは人権委員会が誤った判断をした場合の対処をキチンと定めるべきだと思っていますが、しかし裁判の場合の冤罪の際の対処についても具体的な方策が定められていない以上は、もちろん賠償法などによってある程度は担保がなされていますけど、人権法案にだけそれを求めるのは筋違いと言わざるを得ないと思っています。
 ですから、人権法における「誤った判断をしてしまった場合」という問題に対する場合は、法制度全体の問題の話になるワケでして、人権法案個別の話にするのは適切ではなく、むしろ局地的な話だけにしてしまうと問題が矮小化してしまいかねませんから、このような理由だけでは「廃案にすべきだ」という根拠にはなり得ないのです。
 
 「現実的な問題を考えろ」という意見は、決して「現実的な側面を見ずにわずかな極端な可能性だけをあげつらう」コトでは決してないハズです。
 よく「法案文だけ見ればその通りかもしれないが、しかし現実はそうでない」なんて批判がありますけど、しかし実際には「現実的に考えたからこそ人権委員は民意を反映している」と言えるのです。
 日本は法治国家であり民主主義国家であり、国民も法律も全てこの範疇の中で存在しているのですから、それらの側面を無視して話をすすめるコトなど出来ません
 それを無視するコトが「現実的に考えるコト」では絶対にありません。
 人権擁護法案も、それらの範疇の中で存在する法律になるワケでして、そうした側面を鑑みながら検証する必要があるのです。
 やえはそうしてきたと思っています。
 
 
 これらの話はなにも人権法だけに限らず、今後も法律や制度に対して様々なコトでいろいろな議論が行われるようになると思うのですが、全てにおいて当てはまる問題ですから、この辺をぜひよく理解しておいて欲しいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、現実論を応援しています。
 

平成17年7月28日

 現実的に考えた場合の悪用懸案に対する回答

 
 ????????
 えーと、かなり意味不明なんですが、えーと、なんなんですかこのニュース。
 すごく気になるのが、「中学の時に友人から眼鏡を貸してもらい、よく見えるようになったのが快感になり、盗むようになった」という動機なのですが、これは「眼鏡をかけることによってよく見えるのが快感」なのか、それとも「貸してもらうコトによってよく見えるようになるのが快感」なのか、果たしてどっちなのか非常に気になるところです。
 普通は前者だと思うのですが、しかし犯罪を犯してまで借りようとしているところを見ると、後者と考える方が妥当なのではないかと思ってしまいます。
 いったいどんなフェチなんですか?(汗笑
 しかも「男性が使っていたコンタクトレンズを自分の目につけさせ」って、かなり真正な「借りフェチ」ですよね。
 うーん、世の中広いですねぇ。
 ドキドキ
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 いきなりタイトルが官僚的になってしまっていますが、我ながら昨日の更新は、一般論として書こうとしたせいもあって、かなり小難しいコトになっちゃったと思っています。
 まぁああいう文章もたまにはいいのかもしれませんが、もしかして、途中で読むのやめちゃった人がけっこういらっしゃるんじゃないかと思っていたりします。
 ドキドキ
 
 で、今日はですね、昨日の更新を人権擁護法案に対して実際に言われている批判に当てはめて考えてみようと思います。
 昨日も実際にいくつか例示は挙げましたのですが、タイムリーなコトに、議論板の方でたまたま何点か例示があがっていましたので、そのまま使っちゃおうという地球に優しいエコロジーな愛・地球博風味の更新なのです。
 文量も出来るだけネットに優しいサイズにしたいと思っています。
 
 
 では、ひとつひとつ挙げていきますね。
 
 ・人権委員以下、関係要員が暴力その他によって脅された場合
 
 これは言うまでもなく刑法に触れる犯罪です。
 誰が見ても脅迫罪ですね。
 とりあえず昨日のおさらい的に言いますと、これは確かに可能性というコトで言えば無くは無いですけど、しかしこんなの全く0にできるハズもなく、実際に犯罪を0にする方策があればぜひ教えていただきたいところですし、可能性だけ言えば裁判官に対してだって脅迫の可能性はあるワケで、総理大臣にだって可能性は0には出来ないワケで、つまり言い出したらキリの無い話なのです。
 現実的には、このような凶行が行われないように警察や法律があるワケでして、社会通念上それが行われる可能性を低くする担保は現状で十分なされていると見るのが常識でしょう。
 日本は法治国家であり民主主義国家であり、国民も法律も全てこの範疇の中で存在しているのですから、「全体の中のひとつとしてのバランス」として見るのであれば、特に人権委員や擁護委員が他の人より脅されやすくなっているとはとても言えませんから、これをもって「廃案にしろ」というのはもはやトンデモな意見であり、修正すら必要とはしない部分かと思います。
 
 
 次からは簡単にいきますよ。
 
 ・人権委員以下、関係要員が買収を受けた場合
 
 これもさっきの脅迫とほぼ同様ですね。
 なにも人権委員にだけ当てはまる要件ではありません
 そしてそれを防ぐために贈賄罪とかがちゃんと規定されているワケです。
 人権委員も擁護委員も国家公務員ですからね。
 よってこれも、「全体の中のひとつとしてのバランス」において、修正すら必要としない案件だと思います。
 
 
 ・政治団体などによって有形無形の干渉を受けた場合
 
 政治団体と言うとだいぶ範囲が広くなってしまうのですが、例えばこれが崩れヤクザ系の右翼団体等からの干渉というコトであれば、だいたい脅迫罪か、もしくは贈賄罪で話が済むのではないかと思います。
 そうでない場合でも、それが社会通念上「不当」とされるような干渉であれば、当然それなりの処罰が待っていると言えるでしょう。
 今まで挙げた全てに言えるのですが、もしこれらの行為の矛先が人権委員にではなく裁判官に対してだったらどうなのか、というコトを考えてみてほしいと思います。
 人権委員会は国家行政組織法によるところの3条委員会ですから、非常に高い独立性を有しています。
 先ほど「裁判官に対して」と言いましたが、もっと近い例で言えば、同じ3条委員会である選挙管理委員会で考えてみればいいと思います。
 もし現行法が選挙監理委員に対して容易に有形無形の干渉をしやすい環境であると言えるのであれば、同じように人権委員に対してもそうであると言えるのでしょうが、しかし実際のところはそうではありませんよね
 やはり「全体の中のひとつとしてのバランス」なのです。
 
 
 ・訴人、人権委員および関係要員が結託、または結託が疑われる場合
 
 結託してしまうような人選をしてしまった総理と、その総理を選んだ国民を恨むべきでしょうね。
 という側面もありますし、また基本的にこれも、あらゆる権限を有する職業全てに言えてしまうコトです。
 「外国の傀儡人が人権委員になったらどうなるんだ」という意見と全く同じなワケです。
 繰り返しになりますが、これは国会議員にも言えてしまうワケで、中にはそうじゃないかと疑ってしまう人もいたりしますけど、よって「全体の中のひとつとしてのバランス」で言えば、これもやはり人権委員にだけそう言うのは適切ではありませんし、そして「廃案にしろ」という根拠にはならないワケです。
 まぁ人権委員選定の際に、候補者の思想背景を確認するようにと規定してもいいかとは思いますが、しかしその選定者の責任者は総理大臣であり、基本的に「思想背景の確認」はその時点でなされていると見なすのが定石なのではないでしょうか。
 議員選挙の際にも、国民によってそれがなされていると、少なくとも外面的には言わなければしなければ、民主主義を根底から否定してしまうコトになりかねませんしね。
 
 やえは以前、「部落解放同盟が入り込んでしまう可能性があるので修正すべき」というコトを言っていた時期がありましたが、なぜこのようなコトを言っていたのかと言えば、決して荒唐無稽な僅かな可能性だけをあげつらって主張していたのではなく、擁護委員の選定に関する条文に「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」なんていう、解同ドンピシャな条文があったからです。
 ちゃんと根拠があったからこそ、そう主張していたのです
 しかし現在はこの部分は削除されていまして、よって、「全体の中のひとつとしてのバランス」から考えれば、人権法案が日本のシステムから大きく逸脱しているとは言えないという結果になったので、今はそう主張していないワケなのです。
 
 時々、「3条委員会では権限が大きすぎる。もっと小さな委員会にしろ」という意見があるのですが、それは逆に人権委員会の独立性を低くしてしまうコトになりますから、「有形無形の干渉」や「結託」などをさせやすい状況にしてしまうと言えると思います。
 「独立性を高くしろ」と言いつつ、「3条委員会は権限が強すぎる」と言っている人が、これがけっこう多かったりするんですが、かなり矛盾している主張だと言わざるを得ません。
 これもやっぱり「全体の中のひとつとしてのバランス」というコトでしょう。
 もうちょっと他の事例を、全体的なバランスをよく見てから発言してほしいと思います
 
 
 今日はこれで以上です。
 もし具体的に、このような指摘はどうなるのかというモノがありましたら、ご遠慮なくこちらにでも書き込みしてください
 もし本当に困るような穴が見つかれば、それはそれで人権擁護法案のため、ひいては日本のためになるワケですからね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、整合性を応援しています。
 

平成17年7月30日

 地元政治家に望むアンケート

 
 アンケート好きなやえがやって参りましたよ。
 
 というワケで、今日はこんなアンケートを作ってみました。
 じゃん♪
 
 地元政治家に望むアンケート
 
 当サイトでは思想と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に政治的なスタンスでモノを書いてきましたが、それも、もっと政治や政治家に対して身近に思ってもらいたいという想いがあるからだったりします。
 だっておもしろいですよ、政治って。
 政治家さんも、知れば知るほど魅力的な人が多いですしね。
 また、政治をよく知らないのに、憶測や噂だけで勝手に適当にモノを言う人がまだまだ多いですし、例えば「国会議員はお金儲けのためにやっているんだろう」とか「国会議員はヒマなんだろう」とかですね、しかし実際は全然違うワケでして、せめて発言する場合ぐらいはちゃんと事実を知ってもらいたいと思っているんです。
 で、その一番の近道は、自分の選挙区で活動をしていらっしゃる国会議員さんだと思うのです
 
 小泉総理や安倍先生、また石原先生や塩崎先生など、有名な先生の政策を聞くのももちろん楽しいのですが、しかしそれもやっぱり一面的な顔でしかなく、やっぱり政治家を知るための一番良い方法は、地元の国会議員さんを知るコトだと思うのです。
 自分の一票を国会の場に反映させるのも、有名な先生ではなくて、自分の地元の議員さんなのですからね。
 ですから、国民の政治参加とは、選挙と、地元議員さんへの関わりだと言えるのではないでしょうか。
 
 というワケで、一体どれくらいの人が地元の議員さんのコトを知っているのか、アンケートをしてみようかと思ったのです。
 もちろん当サイトはこのようなサイトですから、一般的なアンケートとは違う結果になるでしょうけど、しかし当サイトにお越し下さっている「政治に比較的興味のある方」のアンケートというのもなかなか一興だと思いますので、今回作ってみました。
 今後のやえの更新にも役立つと思いますので、ぜひぜひお答えになって下さい。
 
 いつもの注意事項です。
 ・ひとり一回でお願いします
 ・地元議員とは「自分の住んでいる選挙区の国会議員(主に衆議院議員)を指します
 ・期間は8月1日(月)の夜9時までとします
 ・即日開票の元、結果を公表いたします
 ・あまり難しく考えず、お気軽にお願いします。
 
 
 なお、献血アンケートは、現在集計中です。
 また、実際にあまおちさんが献血に行くとかも言ってるみたいですので、これも併せてご期待下さい。
 
 それでは、ぜひぜひアンケートにご回答下さい
 よろしくお願いします。
 
 
 
 ついでと言ったらなんですが、こんなのも作ってみました。
 こちらもお気軽にご回答下さい。
 →今一番関心のある政治事は?
 

平成17年8月1日

 嫌韓への後ろめたさ

 
 えーと、思ったよりアンケートに答えていただいてる人が少なくて、正直困ってます(笑)
 一応今日の夜9時までの予定ですので、ぜひぜひアンケートお答え下さい
 よろしくおねがいします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです・
 おはろーございます。
 
 
 いまネットで話題騒然の『嫌韓流』ですが、これ、やえはいつでも買えると思っていて特に予約もしてなかったんですけど、なんとアマゾンでは一ヶ月待ちぐらいの勢いなんだそうで。
 ネタとしては買っておくべきかなと思っていたんですけど、これは困りました。
 わざわざ一ヶ月も待って買いたいとは思いませんし、そもそもそれだとネタとしては鮮度が悪くなりすぎですし、紀伊国屋とかで探しても無かったので、途方に暮れていたりしていたのです。
 と、ふと近くの本屋さんをフラフラしていたら、『嫌韓流』がなんと2冊だけ置いてあったのです。
 こんなところで売ってましたかーって感じなんですが、速攻で手にとって、あとついでに『愛国心』もいっしょに買ったのです。
 よかったよかった。
 
 で、内容についてですが、まぁこんなモンかなというところが正直なところです。
 最初の、サッカーをナショナリズムに結びつける手法というのはやえは大反対ですし、また全体的に、どっちかと言えば検証ではなくて、煽る方向で書かれているというのが気になったのですが、まぁそれが目的なので許容範囲かなと思いました。
 部分部分ではちょくちょく首を傾げるような箇所はありましたが、全体的には大きな事実誤認は無いと感じましたしね。
 
 というワケで、特にこの本については特筆する点はないんですが、それよりも、この本を巡る周りの攻防の方が面白かったりしています。
 例えば、先ほどのアマゾンでは、一週間の売り上げランキングを載せていまして、今日も『嫌韓流』がトップを独走中なのですが、同じくそのアマゾンランキングを載せている朝日新聞のサイトでは、『嫌韓流』のきの字も見えなかったりしているんですね。
 一応言い訳のように「※ランキングの対象書籍にコミックは含まれていません。」なんて書いてあるのですが、しかし他の週を見てみると、そんな文言影も形もありません。
 まさにとってつけたかのような言い訳ですよね。
 さらに言えば、この週だとなっちちゃんの写真集がちゃんとランクインしていますから、必ずしも活字本のみのランキングでもないようですし、ますます「※ランキングの対象書籍にコミックは含まれていません」の意味が分かりません。
 相変わらずアサヒ必死ですね。(と思ったら他のマスコミも同様なコトをしているとかいう情報をいただきました。うーん、いったいなにがマスコミをそこまでさせるのでしょうか。ナゾです)
 
 ところで、この『嫌韓流』ですが、先ほども言いましたように、日本ではほとんど初と言っていいぐらいの、本格的な「反韓」専門書です。
 日韓友好のために、ぐらいの本なら今まであったかもしれませんが、『嫌韓流』はタイトル通り、韓国に対して負のイメージを全面に押し出している本です。
 こういう本はやはり今までの日本には無かったと言えるでしょう。
 
 しかし、反米や対中国といった本なら、今までけっこう多く出されていたりします。
 中国に対しては経済系が多い感じがしますが、この前の反日デモがあってから、ワリと多く見かけるようになりました。
 また、本だけでなく主張的な部分を見たとしても、反米や反中は特に違和感もなく、普通に見られる主張ですよね。
 特に反米なんて、日米同盟が大切だと言う人に対してでも、その是非はともかく、アメリカの精神性、帝国主義性に対して、日本が堂々とNOと言うコトは大切であるという主張には、おそらく岡崎久彦さんが反対するぐらいで、ほとんどの人がこの部分に関しては右も左も賛成すると思います。
 中国に対しても、強大な軍隊の存在や、その力でねじ伏せようと言わんばかりの対台湾政策に対しては、当然のように批判は出てきますよね。
 このように、反米も反中も、まったく普通のお話なのです。
 
 ではなぜ韓国に対してだけは、どうもハッキリとモノが言えない状況なのでしょうか。
 昔は確かに朝鮮半島を神聖化するような空気もありました。
 その名残も確かにあるコトはあるのでしょうが、しかしその空気だってどうして出来てしまったのか、なかなかハッキリとは分かりません。
 北朝鮮に対しては、左巻きな人たちが、共産主義への望郷の念で「地上の楽園」と言っていたワケで、その幻想が崩れたから韓国に想いがシフトした、という分析もあるみたいですが、どうしてシフトしてしまったのか、ちょっとハッキリしません。
 それなのにどうして今になっても韓国批判はしにくい雰囲気があるのでしょうか。
 
 やえが思うに、言ってしまえば、韓国に対しては「弱いモノいじめ」になってしまうからだと思うのです
 韓国に対する批判というモノには、弱いモノをいじめているような感じという後ろめたさがどうしても拭えないんだと思うのです。
 そもそも日本人は自虐が大好き、よく言えば謙遜する文化ですから、自分が下の立場に立つというコトに関しては、必要以上に自虐したとしてもなんとも思わないワケで、むしろその方を好んでしまうような悪いクセがあるワケですが、しかししかし、韓国に対してはどこをどうしても謙遜できる立場とは思えないんですね。
 全く日本が劣っている点が、どう探しても見つからないのです
 マスコミなんかは頑張って韓国の優れている点を無理矢理作り出したり、韓国自身は捏造してまで韓国が起源ニダとか言っているワケですが、しかしいくらそんなコトしても、どうやったって必死さだけが浮き彫りになるだけで、哀れさしか感じられないのです。
 そしてそれは多くの日本人も、意識的にでも無意識的にでも、どこかで分かっているコトなのでしょう。
 つまり、いくらひいき目で見たとしても、日本と韓国を比べればどうしても日本の方が強者と認識せざるを得ず、よって韓国に対する批判をする時には、どこかで「弱いモノいじめをしている」と感じてしまい、それがなんとなくの負い目となってしまい、なかなか「反韓」「嫌韓」とは言いづらい雰囲気が出来上がってしまうのではないかと思うのです。
 他人の上に立つという立場はどこか後ろめたさを感じてしまう日本人の悪いクセが、必要以上の不自然な韓国ヨイショの態度に出てしまうのではないのでしょうか
 
 ではどうしたらそんな変な空気が無くなるのでしょうか。
 例えば日韓友好を進めるような人たち、主にテレビマスコミとかですが、この人達が進めるような友好は、どうも日本と韓国が完全に対等の立場に今立っていてお互いに似たところがあるんだから云々かんぬんなんて言っているワケですけど、しかし実際は対等でも似たところもそんなに無いワケで、こんなコト言ってるから逆にフラストレーションがたまっちゃうんですね。
 日本と韓国は、将来はともかく、今は全然対等ではないのですから、対等でない関係というか、お互いの立場を尊重した友好を結ぶコトが、本来のスジなんですよね。
 この辺はハッキリとさせる必要があると思います。
 
 まぁ韓国は無駄にプライドが高いので、なかなか向こうがそれを理解するのは難しいのでしょう。
 しかしだからこそ、日本人の方から意識を変える必要があるのではないかと思うのです。
 具体的に言えば、「上」の立場である日本が、わざわざ韓国の目線にまで「降りて」あげて、つきあってあげる必要もない話が多いのではないかと、やえは思うのです。
 例えば日韓首脳会議とかは、最近妙に大きく取り扱われるようになってますけど、これは本来なら東南アジアの国々やヨーロッパの小国辺りと同じぐらいの程度の国なのですから、日本にとってはそこまで騒ぐほどのコトでもないハズなのです。
 隣国という意味ではまぁニュース価値はあるのかもしれませんが、日米首脳会談などに比べれば、全然見劣る話題でしかないでしょう。
 いちいち韓国の大統領が何を言ったとか、気にするコトもないハズなのです。
 それなのに、いちいち過剰反応と言える報道や反応をし、また個人レベルでもどうしても韓国に対してムキになってアレコレ言ってしまう人がいるワケで、こんなコトをしたところで、結局それは自分から下に降りて行ってるコトに他ならないんですね。
 同じ目線にわざわざ降りていって醜い罵り合いをしてしまっているだけなのです。
 しかも韓国からすれば、日本にかまってもらえればそれだけ国際的なニュースになれるので、韓国はその辺を利用している側面もあるのでしょうし、その意味からも、わざわざ日本がつきあってあげる必要は全く無いのです。
 
 日本と韓国の立場を冷静に考えれば、多少何を言われたところで、しっかりと自分のプライドを持ってドシッと構えておけば問題ないハズなのです。
 それはちゃんと根拠があるのですから、上手く事実をシッカリと突きつけるように、堂々と正面から受け止めてあげればいいんです。
 その辺はアメリカは巧いと言えるでしょう。
 全てをマネしろとは決して言いませんが、しかし見習う点も少なからずあるんじゃないかと思います。
 
 やえは、そういう強者としての態度を日本人はとってほしいなぁと思っています。
 もちろん強者の立場とは、弱者をいたわる優しい気持ち、ではなくて、威風堂々とするというコトです。
 いくらマスコミが騒いだところで、「あっそ、それで?」ぐらいにひとりひとりが思えれば、韓国問題なんて取り立てて大騒ぎするようなモノはないのです。
 小泉さんは中国に対しては素っ気ない態度をとっていますが、やえからすれば韓国にもそんな態度をとればいいと思うんですね。
 
 まぁテレビなどの既存マスコミに対する反動という意味合いはとても強いとは思いますが、あまり感情的になってムキになっても、結局それは自分を安売りしているコトに他ならないですよ、というお話でした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、強い日本を応援しています。
 

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