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平成18年1月16日

 政治を思想の具にするな

 一言目に小泉を批判し、二言目にアメリカを貶せば、それだけで言論だと思っとるヤツが多すぎる昨今、息がルイージのあまおちです。
 どうやって調べるんだーそんなことー(2回目
 
 しかもそれをそう批判されると、「言論人は理想を語るべき、役割が違う、思想家が政治家になってどうする、政治家御用達め」とか言い出す始末。
 結局自分は政治家を、小泉を、アメリカやブッシュという巨大な悪と戦っている正義の味方気取りでカタルシスを感じているだけでしかないというのに。
 なんとも餓鬼であることか。
 
 過程を語らずして結果のみを語ったところで、緒戦は夢想。
 それだけで事が済めばこんな素晴らしい世界もないだろうが、残念ながら人間は過程を経なければ何も結果が残せない生き物なのだ。
 人は魔法使いにはなれない。
 
 あれはまだ冷戦真っ直中だった頃、「どうすれば平和な世界が訪れるでしょうか」と平和教育の魔都ヒロシマでこのような課題を出されて、当時小学生だったオレは次のように答えて先生や親を大変に困惑させたそうだ。
 
 「アメリカの○○大統領(当時)と、ソ連の○○書記長を殺せばいい」
 
 日本の総理をどうこうしようなんて甘ったるい。
 小学生にしてオレは世界がどのように動いていたのかすでに見抜いていたのである。
 我ながらにして嫌な子供だ。
 最近の、結果しか語らない巨悪を批判さえすれば絶対正義と思っているようなヤツなんて、オレの子供時代にも劣る。
 
 理想を語る分にはかまわない。
 理想を語り思想を説くことによって人々に指針を示し道を切り開いていくというのは、思想家のもっとも重要な役目だとオレ自身も思っている。
 だから思想家や言論家は理想や思想を語らなければならない。
 しかしだとしたら、本当に思想のみを、少なくとも一つの文章において思想を語る場合に置いては思想のみを語るべきなのである。
 
 「役割が違う」と分かっているなら、はじめから政治を語らなければ良い。
 これは簡単な話なのである。
 「北朝鮮に囚われし同胞を助けるために軍を派遣し戦争してでも取り返すべき」「アメリカでさえ1人の捕虜を助けるためにそれ以上の犠牲が出ようとも救出隊を組織するぞ」と言うぶんにはかまわない。
 これは思想だろう。
 もちろん今は現実不可能だから、できるなら「憲法改正し、普通の軍隊にして、さらに国連で発言力を持って、国際舞台で様々な権力を握って、アメリカのように多少なりとも強引な手段を使えるように日本はなるべきだ」ぐらいまで言えば格段に説得力が増すので好ましいが、つまりこう言うぶんだけならどんどん言うべきであろう。
 そして寝ぼけきっている日本人の魂を今一度奮い立たせるよう、道程を示すのが思想家の役目だと思う。
 それはそうだ。
 しかし次に余計な事を言うのがいかん。
 
 「それが出来ない語れない小泉はダメだ」
 
 どうしてそこで急に政治を語る。
 政治を積極的に語ってるのはお前じゃないかと。
 役割が違うんなら、政治を語ろうとするなよ、思想を語れよ、理想を説けよ。
 
 仮に小泉をおろしたところで、それで本当に自分が語った理想が現実するとでも思っているのだろうか。
 そんな馬鹿な、本気でそう思っているなら病院かもしくは共産党をお勧めする。
 当サイトは常々言っとるが、結局政治の場を変えるためには国民の意識を変えるしかない。
 もしなんかの間違いで石原慎太郎や西村伸吾が総理大臣になったとしても、絶対に今言ったような理想は現実とはならない。
 つまり、今の時点ではどうやったって日本はそうはならないのだ。
 そして日本を目覚めさせる唯一の手段が、国民の目を覚ませる事だけなのである。
 だからこそオレは思想家として思想を語る場合には人々に語る。
 国民を変える事でしか日本を変える事は出来ないのだから。
 
 役割が違うと言いながらも政治家を批判せずにいられない人間は、そうでしか言葉を紡ぐ事ができないのだろうし、裏を返せば政治家に自分の言葉を読んでもらいたいのだろう。
 結局政治に嫉妬しているのだ。
 政治家御用達とか他人を批判しながら、しかし自分といえば、国民に媚を売って人気を稼ぎ、政治家に嫉妬して批判する事で自分はそれより上なんだと錯覚しているだけなのではないのか。
 本当に日本を憂いているのであれば、国民に向かって語るべきなのではないのか。
 頬をひっぱたいてでも、目を覚まさせるべきなのではないのか。
 
 政治家を批判しなければ理想を語れないなら、思想を語らない方が無難であろうよ。
 

平成18年1月16日

 ポスト小泉

 ソ連は書記長だってツッコミ来てますよ。
 
 あ。。。そうか、そうだったな。もうえらい昔のような感じがするなぁ。
 
 まぁあまおちさんが小学生のころって、50年ぐらい前ですか?
 
 ま、まぁその時は確かにもうソ連はあったけどな・・・。
 
 
 
 今日はポスト小泉ついて語ってみたいと思います。というのも、最近「小泉さんの次って誰? やっぱり安倍さんなの?」とか聞かれるコトが多いんですよね。
 
 ヴァー。オレも嫌になるほど聞かれるな。でも、いつもオレはこう答える。「分からん」
 
 そうなんですよねぇ。実際わかんないですよね。国民はいまのところ安倍さんを推しているような感じですが、それについてはどうですか?
 
 どうなんだろうな。あまり期待が高すぎても大変だと思うんだがな。総理大臣っていう役は、日本国民全ての総意であって、つまり簡単に言えば、全ての意見の真ん中に立たなければいけない立場である。だからどうしてもほとんどの人間の不満を受ける形になってしまう。国民は自分の100%を求めるが、全ての意見を取り入れたら少しずつはどうしてもズレが生じるからな。だから自分が思った通りじゃないって不満が出てしまうと。
 
 期待が高ければ高いほど、そのズレが体感的に大きく感じてしまい、それが失望に変わってしまうというコトですね。
 
 そうそう。保守の立場の意見から見れば、安倍さんなら8/15に靖国に参拝してくれるだろうと期待しているかもしれない。しかしこれが小泉総理のようにその日以外に参拝するとする。そしたら小泉さん以上にバッシングを受ける事になるだろうな。
 

 小泉さんなら「まぁ小泉だしな」で終わっていたものが、安倍さんだと期待していただけに「なんでなんだよ。オレを裏切るなよ」と過剰反応してしまうワケですね。
 
 そういうことだわな。だからあまり期待が高すぎても、本人にとっては気の毒になっちまうんじゃねぇかと思っているんだよな。
 
 おそらくそういうところも踏まえて、森前総理も温存論を唱えているのかもしれませんね。
 
 あの人は気配りの人というか、気づかいの人だなぁ。まぁ同じ派閥で先代にもお世話になったんだろうし、小泉さんと同じように、それ以上に安倍さんには大総理になってもらいたいという気持ちがあるんだろうけどな。
 
 
 
 ところで、話を少し変えまして、今の段階でポスト小泉が話題になるコトについて何かありますか?
 
 はやいっ。
 
 まだ通常国会も始まってないですね。
 
 それだけに話題がないからそういうところに話を持って行きたがるんだろうけどな、マスコミは。
 
 今年の通常国会は荒れそうですから、始まったらそっちに話題が行くんでしょうけどね。
 
 そもそもなんで今の時点で「わからん」と断言してしまうのかと言えば、だって自民党の総裁選挙の選挙方法がまだ決まってねぇんだから、分かりようがないんだよな。試合相手が決まってもないのに「先発は誰になるでしょうか、やはりエースの安倍さんでしょうか」とか言われているようなもんだ。
 
 
 ここで総裁選についておさらいしておきましょうか。
 
 うむ。たまに誤解しとるヤツがおるが、日本の総理大臣には任期というものは存在しない。100年続けようが法的には問題はないわけだ。しかしなぜ今小泉総理が9月で任期が切れると言われているのかと言えば、それは自民党の総裁に任期があるからなのだ。だから変な話、総裁任期が切れても総理としては続けられることは続けられるわけだが
 
 ただその場合、もう総裁じゃないですから党議拘束がなくなっちゃって、もし不信任案出されたから、あっさりと可決しちゃうってコトなんですよね。
 
 そうそう。そうなると自民党はどうなっているんだという事になるから、やはり自民党総裁でなくなれば総理も辞すると。
 
 森さんの言う「任期延長論」は、この自民党総裁の任期延長論なんですよね。
 
 例え人気があろうとも、それだけの理由で法律まで変えるわけにはいかねーからなー。でも、総裁任期なら自民党の党則を変えるだけでいいわけだから、これはわりと簡単にできると。
 
 で、その総裁選ですが、今までの自民党の歴史を振り返れば大きく分けて「議員選挙」「党員選挙」「話し合い決着」の3つに分けられると思います。「議員選挙」とは自民党の国会議員さんだけで選挙をして決めるっていう方式。「党員選挙」とは自民党の国会議員さん+全国の一般党員・党友の全てで選挙する方式。そして「話し合い決着」とは議員さん同士で話し合いをして立候補者を一人に絞って選挙は信任投票のような形にするっていう方式です。今回はどれになるんでしょうか。
 
 まぁ話し合いはねぇんじゃねぇのかなぁという気はする。大衆が「密室政治だ密室政治だ」とバカのひとつ覚えに叫ぶからな。しかし交渉だって立派な政治のひとつなんだから「選挙=善、それ以外=悪」なんてなぜ決めつけられるのかさっぱり分からんよな。
 
 国民の手で選ばれるような、少なくとも国民の見えるところで決めるべきだと思っているんでしょう。
 
 それも大きな勘違いなんだよな。これは自由民主党の総裁選挙なんだから、国民は関係無いっつったら関係ねぇんだよ。自民党の内輪の問題だから、自民党員が自分たちも参加させろっつーならまだ理屈は通るが、党員でもねぇ奴が何を他人の人事に口を出すのかってんだ。
 
 実質的には総理大臣を決めるからだっていう意見が大勢を占めると思いますが。
 
 それを決めるのは国会。そして国会は国会議員選挙でそれが決まる。それが法律で定められている規則なんだから、自民党の総裁を自民党内で話し合いで決めて何が悪いっていうだって話だ。
 
 もしかしたら、小泉総裁の元での自民党に投票したのだから、総裁が変われば選挙も違う結果になるというような意見が出るかもしれませんが。
 
 んな事言ってたらキリないやん。だったら民主党だって共産党だってやり直さないと。政党のトップが変わる度に選挙し直すわけ? 政党政治ってそんなもんじゃねぇだろって。大統領制じゃないんだからな。
 
 まぁそれでも「話し合い決着」ではしないでしょうね。あの小泉さんがそれを許すハズないですからね。
 
 そうだな。それと同じで国会議員のみの選挙もやらねーだろーなー。
 
 先日、小泉さんが、総裁選挙に一般国民も参加できるようにしたいとかおっしゃっておられました。その後いろいろと反論も出たようですが、それについてはどうお考えですか?
 
 そりゃ滅茶苦茶だよな。さっき言ったように、これは自民党内部の問題なんだから、外部が口を出す事じゃない。株主総会に株持ってないのに出席できないのと同じように、自民党員じゃなければ総裁選に関わる事は出来ないのは当然だろ。そこまでポピュりってどうすんだっての。共産党に投票した人まで自民党総裁を選ぶ権利があるって、もうわけわからんよな。
 
 じゃあ、議員・党員党友選挙になった場合には、どのような結果が考えられますか?
 
 党員投票と、議員投票との比率の問題がクリアされないとその予測は難しいだろう。変な話、議員投票よりも党員投票の方に大きなウエイトを置いてしまうと、ほぼ安倍さんに決まりだろう。もちろん安倍さんが出ればの話だが。しかし逆に党員投票があまり影響がでないようなウエイトになれば、議員同士の駆け引きが行われる事となり、こうなれば今の時点ではどうだとは言えなくなるな。
 
 小泉さん時の党員投票の結果は、大部分の都道府県で小泉さん支持の結果をだしていましたよね。ああぐらいにまでなれば議員投票もあまり重要でなくなってしまうというコトですね。
 
 そうそう。そいやー広島では全国で一番最初に結果を出して、広島選出の亀井静香支持を出していたが、ありゃ確か党員投票してないんだよな。記憶が正しければ、自民党の広島県連(支部のようなもの)の幹部の決定によりそう決めたよな。
 
 党員投票って言っても、一都道府県に3票ある票を誰にどのように投票するかはその選出方法は県連に一任されていたんですよね。アメリカの選挙人方式である大統領選挙みたいな感じで。
 
 いまポスト小泉と言われている人たちの顔ぶれを見てみると、麻垣康三だっけ? 麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・安倍晋三、まぁ他にも実力者いると思うんだけど、どちらにしてもネームバリューは断然に、一歩も二歩も三歩も安部晋三が先に行ってしまっている。人気投票になりかねない党員投票では、これはもう有無を言わさず安倍さんが勝っちゃうんじゃないのか。
 
 そういえば山崎拓先生も出馬したいとかおっしゃっておられましたが。
 
 党員投票でこの人が勝てるわけないやん。
 
 そ、そうですねぇ。
 
 だから、総裁選の第一ラウンドは選挙制度をどうするかだな。それによって結果が大きく変わってくるだろう。
 
 まぁ安倍先生が出られるかどうかは分からないですけどね。
 
 小泉総理の後だからなぁ。小泉総理は存在感で言えば田中角栄以来と言ってもいいぐらいの大総理になってしまったから、その直後は陰に隠れてしまうのは否めないし、さらに言えば比べられるのも仕方ない。小泉さんだって、森前総理と比べられたっていうのが大きかったわけだしな。普通に考えたら割にあわんよなー。
 
 
 では話をちょっと変えまして、仮に党員投票が無かった場合、もしくはかなり限定された場合、つまり議員投票に大きくウエイトがかかっている場合はどうなるでしょうか。
 
 こうなれば話は全然変わって、候補者がいかに議員を集められるかになるんだが、まぁ普通は派閥だわな。派閥で考えると、安倍さんは清和会(森派)だから、どうかいな、森−小泉ときて3連続同派閥というのは、ちょっと難しいんじゃないのか。仮に安倍さんがそれでも出た場合、反清和連合が出来そうな気がする。建前的にはともかく実質的には小泉さんが総理の座を使って清和会が大きくなっているというのは否定できない事実だからな。他の派閥からすればこんなの許してなるものかとなるわけだ。
 
 その場合は他に誰が出てきますかね。
 
 そーだなー、山拓も可能性がない事もないだろう。麻生さんと谷垣さんはどっちも小派閥だからどこと手を組むのかが問題になる。この二人はどっちも宏池会系なので、もし一本にまとめられたら、つまり麻生か谷垣のどっちかに決めて大宏池会(旧堀内派・谷垣派・河野派)でまとまれるんなら、これは強い。永田町界隈では割と待望論も多い大宏池会構想だな。ただまぁ宏池会系の長老組にはやはりいろいろわだかまりがあるから現実は不可能と見る向きも少なくない。
 
 平成研(旧橋本派、現津島派)と志帥会(旧亀井派、現伊吹派)はどうなるでしょうか。
 
 志帥会はちょっとダメなんじゃないかと思う。タマがいない。平成研は額賀福志郎という希望がある。ちょっと前の小泉最終改造人事では防衛庁長官という大臣に据えられた。これは小泉自身もいいタマとして認めているという事に他ならないだろう。平成研と志帥会が手を結んだら清和会より・・・あら、それでも清和会の方が僅差で多いのか。なんなんだこの成長ぶり。
 
 まぁそれでも、こうなれば、清和会と宏池会と平成志帥会の3つどもえになりますね。
 
 あとは、他の派閥、高村派とか二階派がどう動くか、あー、山拓はどうすんのかな、意外と小泉チルドレンまとめたりな。偉大なるイエスマン幹事長武部さんは山拓派だし。そしたら4つどもえか。こわいなー(笑)
 
 こわいですねー。
 
 
 
 結局、ポスト小泉は誰かって話しなんですが、分からないという結論でよろしいでしょうか?(笑)
 
 よろしいんじゃなくて?
 
 きもいですよ。
 
 おほほほほほほ。わかるかこんちくしょー。もしかしたらすごいダークホースが出てくるかもしれないしな。
 
 まぁ冒頭にも言いましたように、まだまだ通常国会も始まっていませんしね。国会で新たな動きがあるかもしれませんし、今の段階ではなんとも言えないですよね。
 
 そうそう。
 
 なんだかいろいろと言い忘れたようなコトがある気もするんですが、長くなりましたから今日はこの辺にしておきましょうか。
 
 ま、オレが総理になれば一番なんだがなー。
 
 そしたらすぐに週刊誌に書かれますよ。「あまおち総理、禁断の恋か、過去の過ちか!? 15歳年下の少女と一晩の夢!!」
 
 がー。そんなうらやましいコトはまだしてなーい。
 
 ・・・ふーん。
 

平成18年1月18日

 男系を捨てるというコト

 天皇の男系女系についてのお話です。
 
 一般国民にとっては男系と女系の違いがいまいち分かっていない人が多く、またその場で説明しても、日本が男系として今まで続いてきたというコトの意義をしっかりと理解させるコトはなかなか難しく、結局「まぁいいんじゃない」程度で終わってしまっている人がほとんどというのが現状だと思われます。
 このあたり、人権法の関係での「素人なんだから深く理解する必要なんて無い」とか「ただ反対するだけでいいじゃないか。理解できる人が理屈を後付してくれればいいじゃないか」とかといったあまりにも無責任すぎるバカ理論の弊害が出てしまっているとしか言いようがないと言えるでしょう。
 理解できないならしゃべらないでいてほしいと願わずにいられません。
  
 それはまぁとりあえず置いておきまして。
 中には男系と女系をそれなりに理解した上で、やはり女系でもいいじゃないかと意見する人もいらっしゃいます。
 「そんな実利のないものに固執しても意味がないじゃないか」とか「今の国民の生活にあった制度にすべきだ」とかという理由ですね。
 これを最後まで突き詰めれば、唯物論の共産主義になってしまうので、決して交われない意見の相違と言えばそう言えてしまうのかもしれませんが、しかし、この段階においてはまだまだ天皇というモノを正しく見れていない可能性もありますので、まずはキチッと理解してほしいと思います。
 
 そう難しい話ではありません。
 
 ・・・というわけで、「蕎処あまおち庵」は「木村屋」に変更してもらうコトになりました。
 ええっ。そ、そんな、どうしても名前を変えないといけないんですか?
 まぁしょうがないじゃいなか。世の中の流れっていうか、仕方ないんだからさ。
 
で、でも、ウチは300年つづく老舗なんですよ。
 まぁまぁ、別に店の場所を変えろって言っているワケじゃないんだしさ。
 で、でも、ウチは江戸前の昆布でダシを300年やってきたのに、それを輸入物に変えろっていうのもちょっと・・・。
 まぁまぁ、昆布には変わりないって。今や輸入物は常識よ? 大丈夫だって、なにも変わりはしないよ。
 「伝統300年」という看板ももう使えないんですか?
 まぁそれはあきらめてくれや。なーに、味も変わりはしないし、働いている従業員もそのままでいいからさ。ちょっと名前を変えるだけで全てが丸くおさまるんだ。それでいいじゃないか。
 ・・・・・うーん・・・・・・・・・・・。
 
 こう言われて素直に納得する人はそうはいないでしょう。
 歴史や伝統というモノは、目に見えないだけに、身近な問題にならないとどこまでも無責任に言い放ってしまえるモノですが、しかしいざ身近な問題になるとその態度が180度変わったりするモノです。
 そうでなくても、多くの日本人にとっては伝統とは意味の無いモノではなく、価値を見いだせるモノとして認識しています。
 その証拠が「伝統300年の味」という看板です。
 もし伝統価値を見いだせない人ばかりであるなら、このようなキャッチフレーズは看板としての存在し得なかったでしょう。
 
 看板を捨てるコトは、今までの歴史を捨てるコトです。
 今までの男系で続いてきた神武天皇家を変えてしまえば、当然今までの2600年の歴史を捨て去るというコトに他なりません
 これはどうやっても変えようのない、曲げようのない事実です
 女系天皇、というか、神武天皇家以外の天皇を新設するというコトは、今まで日本という国が2600年前から続いてきた歴史を一度全て捨て去り、新しい歴史を作り出そうとしているコトなのです。
 
 聖徳太子がシナの国に対して「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と冊封体制の脱却を明言した歴史も、武家が興って実権を武士に握られつつも天皇は存続しあの織田信長でさえも結果的には手出しできなかったという歴史も、多くの武士が立ち上がり尊皇攘夷のもと革命ではない支配階級の武士が新しい時代を作り出した明治維新という歴史も、白人列強の世界を有色人種である日本が一泡も二泡も吹かせ有色人国家に大きな勇気を与えた歴史も、そして「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と未来の日本のために停戦に応じたあの日の歴史も、全て「神武天皇家の日本」で築かれてきた歴史です。
 ですから、神武天皇家ではない天皇を新設するというコトは、これらを全て“別の国家の歴史”としてしまうという意味なのです
 日本神話でさえ、別国家での我々とは違う人たちのものである神話、という位置づけになってしまいます。
 この大きさが果たしてどれだけの人が理解しているというのでしょうか。
 
 シナの国は、今は中国共産党が支配する中華人民共和国という国です。
 ですから、現在の国家を指すときは中国と呼び、歴史的にあの大陸辺りに興った国を総称する時は「シナの国」と呼びます。
 もっと厳密に言えば「シナ地方に昔から興った国」ですね。
 つまり「昔の中国」という言葉は適切ではありません。
 シナの国々は、どれもこれも関連性が全くないからです。
 ただ、同じ地方に興ったというだけで、支配民族さえ全く違っているのがシナの国々です。
 
 あの“ラストエンペラー”清朝の溥儀は、女真族という満州地方の満州民族であって、現在の中国共産党の執行部やあの辺に住む人々の多くの割合を占める漢民族ではありません。
 当然、清朝の前の明朝との関連性もありません。
 ラストエンペラーのコトを「中国王朝最後の皇帝」と思っている人がほとんどでしょうけど、これは間違いであって、中国王朝なんてものは存在しないために、溥儀は清王朝だけのラストエンペラー以上でも以下でもないのです。
 
 そもそも元王朝なんて、どう見てもモンゴル民族です。本当にありがとうございました。
 
 神武天皇家が変わるというコトはこういうコトです。
 いろいろ書いてきましたが、結局2600年の歴史、どうしても神話がイヤだという唯物論的な人には、じゃあ聖徳太子からでもいいですよ、シナの冊封体制を抜け出した日本1400年の歴史を、自分のモノとして将来に受け継ぐか、はたまたここで放棄するか、これはそのどっちなのかという話なのです。
 仮に女系の天皇が即位されても、それはそれで新しい歴史の国民として敬愛するというのは当然の話ですし、新たにまた長く歴史を築いていこうと努力するコトもやぶさかではありません。
 しかし今までの2600年もの間日本国として積み重ねてきたモノがとてももったいないなぁと思うワケです。
 聖徳太子も源頼朝も織田信長も幕末の維新志士や新選組達も、今ならば「我らが国の先人・先輩」と呼べますが、しかし神武天皇家が終わればそうは言えなくなってしまうのです。
 せいぜい同じようなこの列島に生まれてきた人たちとぐらいにしか言えなくなってしまいますので、それは悲しいなぁ残念だなぁと思うワケです。
 世界最古の物語『竹取物語』も、世界的に見てもかなり古い部類に入る『古事記』も、世界に誇れる日本の様々な文化も、全て「我らが国の文化」とは言えなくなってしまうのです。
 とてもとても残念でなりませんし、とてもとても悲しく思います。
 
 シナの国には歴史はあっても、国史は100年もありません。
 いくら清や元を中国の歴史だと言い張っても、緒戦は虚構であるというのは少し考えれば簡単に理解できるコトです。
 しかしそれは笑い話でも他人事でもなくなってしまうという恐ろしい事態に陥りかねません。
 もしかしたら日本は、今までの2600年の国史がただの歴史に変わり、国史が0年になってしまうのかもしれないのです
 
 その上でもまだそれでも別にどうでもいいと思うような人は、おそらく今さえ自分だけよければ良いと思うような人なのでしょう。
 ああこの人は、過去も未来もどうでもよく、ただただ自分だけが良ければそれでいいんだなぁと思うしかないのでしょうか。
 
 とても悲しいお話です。
 

平成18年1月19日

 小泉メルマガレビュー


 小泉内閣メールマガジン 第218号 ========================== 2006/01/19
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 通常国会に臨む
 小泉純一郎です。
 昨年12月から各地では例年にない大雪に見舞われたため、年末の12月28日には、政府与党の寒波・雪害対策の会合を開きました。
 その後、各地で深刻な被害が生じたことを受けて、先週金曜日、トルコから帰国後直ちに官邸にもどり、真っ先に大雪の被害についての状況報告を受けました。高齢者の方々、保育園の園児をはじめ、この雪で多くの貴重な命が犠牲となっていることに心を痛めております。
 
 やえです。
 今度は気温が上がって雪崩が発生なんですよね。
 でも気温が上がらないと雪は無くならないし。
 ジレンマですね。
 と思ったら、関東は今日は寒すぎですよー。
 
 政府としては、道路の除雪、高齢者宅の雪下ろしや雪で道路を閉ざされた地域への物資輸送に自衛隊を派遣するとともに、災害救助法の適用や道路除雪費用の緊急配分など、引き続き地方団体と協力して、総力で取り組みます。
 雪国の降雪はまだ続くと見込まれますので、地元のみならず、警察、消防、自衛隊も含めて、今後とも迅速な対応ができるよう常に備えておくよう指示しました。
 
 まだまだ1月ですからね。
 関東だって大雪が降る可能性も十分にあるでしょう。
 みなさん気をつけましょうね。
 
 昨日の午後、都内の中小企業を視察しました。一つは墨田区の従業員6人の金属加工の町工場。独自の技術で先端の直径0.2ミリという極細の痛くない注射針を開発して生産しているというので、私も試しにその注射針を腕に刺してみましたが、全然痛くない。これなら、痛みに耐えることなく、安心して注射を打ってもらえると思います。
 
 これテレビで見ましたよ。
 最初針打つときけっこうおっかなびっくりでしたけど、いざ打ってみると「これで刺さってるのか? 全然いたくないじゃないか」とかご満悦でしたね。
 
  おい、全然痛くねぇじゃねーか
 
 しかも「これで痛みに耐えなくてもいいのか」とか、お得意のキャッチフレーズ、ああ、ここでも言ってますね(笑)
 この極細針、実際の痛みは「蚊に刺されたぐらい」なんだそうで、他のコトしてたら気づかないでしょうね。
 これなら安心です。
 
 もう一つは、台東区にあるリボン・メーカーのショールーム。4万種類もあるという鮮やかで多彩なリボンは、パリやニューヨークはじめ世界の一流デザイナーの関心をひきつけ、最先端のファッションに使用されるという、世界が注目する会社です。
 
 Σ(・Д・ )り、りぼん・・・?
 しかも最先端ファッション・・・!?
 こ、これは、猛烈に気になります。
 りぼんと聞いて黙ってはいられません。
 ただ問題なのが、これは頭につけるりぼんなのか、それとも贈り物などを包むときに使うりぼんなのか、どっちかというコトです。
 えーと・・・、あ、ありました。これですね。
 
 
 
 がーん。
 包みモノ用のりぼんでした。
 「世界の一流デザイナーの関心をひきつけ」とおっしゃるのでかなり期待したんですが、でもまぁ普通考えたらそうですよね。
 (´・ω・`)ショボーン
 
 日本の中小企業が、ものづくりの技術や美しいデザインの力で、日本の経済や社会の活力を支えてくれていること、そして世界を舞台に活躍していることを目の当たりにし、心強く、そして誇りに思いました。
 
 極細針なんて、日本人の得意分野ですよね。
 またりぼんのデザインも、小さなモノをいかに個性化するかという、日本人の得意な作業ですね。
 り、りぼん・・・
 あ、いや、こういう普段は注目されないけど実は世界第一線で活躍しておられる中小企業っていうのは、日本にはかなりいっぱいあります。
 そういう企業も日本を支えているんですね。
 
 いよいよ明日から通常国会が始まります。ようやく回復の兆しを見せてきた日本経済を本格的な回復の軌道に乗せ、改革の芽を大きな木に育てることが小泉内閣の最大の課題だと思います。
 
 このフレーズは就任時からずっと使い続けてきましたよね。
 最初は「改革の種をまく時期だ」とおっしゃっておられましたが、ついに芽を木に育てるまでにこぎ着けました。
 小泉さん、いや小泉総理にとっては最後の国会ですね。
 もはや敵無し小泉さん。
 最後はどのような暴れっぷりを見せてくれるのでしょうか。
 
 まずは、災害、アスベスト、新型インフルエンザ、耐震強度偽装問題などへの対応を盛り込んだ17年度補正予算と18年度予算の早期成立に全力をあげてまいります。
 
 おそらくまずは耐震強度偽装問題でしょうね。
 野党が頑張って自民党攻撃のネタにしようとしていますが、安部さんの秘書さんの名前が出たところで、しかし秘書さんって窓口なんですから、どんな話だってとりあえずは聞くのは当然なんですよね。
 それをどうするのかは後で判断するワケで、結局安倍さんもその秘書さんも何か動いたという話は今のところ出ていないワケで、それで批判するというのはどう考えてもおかしいワケです。
 野党にもちゃんと秘書さんいるワケで、どうしてこんな初歩中の初歩が分からないのか、それともやっぱりお仕事全くせずに秘書さんのお給料をピンハネしているんでしょうかね。
 
 ところでなんでこの問題国会でやっているんですか?
 普通に犯罪だと思うので、警察や裁判所のお仕事だと思うのですが。
 一応永田町界隈には詳しいと自負しているつもりなんですが、どうしてこの問題が国会で行われているのかさっぱり理解できません。
 証人喚問も大安売り中ですしね。
 誰か教えてください。
 ありがちな答えは、やっぱり野党の自民党攻撃のネタ作りなんでしょうけど、本当にこれが理由なら、もう終わってますよね。
 
 一昨日、円覚寺の足立管長から中国の古い句「欲窮千里目 更上一層楼(千里の目を窮(きわ)めんと欲せば更に一層楼(ろう)に上がれ)」と書かれた額をいただきました。「大局的な観点が必要で地上の些末(さまつ)にとらわれず、全体を見ることが大事だ。」というこの言葉を胸に政治に当たらなければならないと思いました。
 
 これには「信教の自由を侵されたニダ」とか言わないんでしょうか?
 こんなのなんてまさに些末なコトですよね。
 指揮官は大局的な見地からの指揮をとるモノです。
 いろいろと些末なコトでうるさい人も多いでしょうが、最後の国会どうぞ頑張ってください。
 
 
 
 [特別寄稿]
 ● 日本で一番小さな村の駐在所
  (八丈島警察署青ヶ島駐在所巡査部長 野口弘二)
 青ヶ島は、東京から南へ365kmの大海原にポツンと浮かぶ島です。周囲約9km、高さ200mの断崖に囲まれた要塞のような島に200人足らずの人が暮らしています。この青ヶ島に、たった1人の警察官として勤務を始めて1年5ヶ月になります。
 
 おや、これはまた、たった一人の警察官さんのご寄稿です。
 
  毎朝、生徒数25人の村立青ヶ島小中学校の正門に立つことから仕事が始まります。私は、子どもたちが事件事故に遭わないようにするのと同時に、節度のある敬礼と挨拶で迎えてあげたいのです。いまや挨拶一つで、その子の体調や親に叱られてきたな、などが分かるようになってきました。
 
 なんだかご年配の方でしょうか。
 しかし古き良き時代って感じですね。
 
 毎日の仕事は島の玄関である定期便のヘリコプターや船の警戒、運転免許証の手続きや色々な相談の受け付け、行事への参加など、まるで小さな警察署のようです。
 
 ま、まぁ、実際お一人しかおられないのなら、確かに動く警察署ですよね。
 事件は現場で動いてるんだっておっしゃる警察署です。
 
 島の生活は、全て定期船頼りです。夏は台風、冬は低気圧のため、一週間欠航することはざらで、野菜が不足になりがちです。しかし、魚は豊富です。初めは、魚の大きさや種類に歓声を上げていた私の子どもたちも、今では、少々の魚では感動しなくなってしまいました。妻は「転勤してからスーパーで売られているパックの魚を見たら何と言うのかしらね」と心配しています。
 
 あら、ご家族と共に移られたんですか。
 それはそれは大変そうですね。
 でも住めば都というか、これも子ども達にとってはいい体験、懐かしい思い出になるんでしょう。
 そしてお魚美味しそうですね。
 じゅる
 
 駐在所勤務は駅伝のようなものだと思っています。私は、第79代です。余力、悔いを残さず、全力で駆け抜け、次の80区の走者にたすきを渡さなければいけません。警視庁の代表として、島民の期待と信頼に応えたいと考えています。
 
 それはそれは歴史を感じますね。
 究極的には警察官が活躍しない方が平和なワケですが、もちろんそうも言ってられないですからね、これからもどうぞ頑張って次に繋いでください。
 こういう警察官ばかりだったら日本ももうちょっと良くなるんでしょうけどねぇ。
 
 
 
 [編集後記]
 明日からいよいよ通常国会が始まります。デフレ脱却、経済活性化、行政改革の着実な推進や安全・安心の確保など、今後の日本のあり方を左右する重要な予算・法律を審議していただく大事な国会です。予算の早期成立を期すとともに、円滑できちんとした議論が行われるよう努めます。
 
 ついに始まっちゃうんですねー。
 小泉内閣最後の総仕上げとして、しっかりとやっていただければと思います。
 がんばってください。
 
 今年もまた、インフルエンザの流行する季節となりました。インフルエンザ予防は、まず、できることから。皆さんもマスクの着用、うがい、手洗いを心がけましょう。私も健康に気をつけて長丁場の国会をがんばって乗り切っていこうと思います。(じんえん)
 
 なにはともあれ、うがいと手洗いに勝るモノはないそうですからね。
 と言いつつ、死んでいたあまおちさんがいたりしますけど。
 議員の先生方も風邪をひいても簡単にはお仕事休めないでしょうから、どうぞご自愛ください。
 さあ、明日から国会です。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成18年1月20日

 男系天皇問題プチQ&A

 議論板で、この前のやえの天皇問題の更新に関して意見をもらったので、今日はそれについて書いてみたい。
 なんでオレがするのかと言えば、その書き込みの人がオレをご指名だからだ。
 5番テーブルご指名入りましたー
 なんでオレを指名なのかよく分からんが、まぁ指名されたのでオレが書いてみよう。
 
 また、女系反対に対する反論としては、わりとオーソドックスのように感じられたので、ひな形的に使えるかなと思って、本更新で反応する事にした。
 つーわけで、その反論の詳しい文章はここを見られたまえ
 
 全文引用すると長すぎるから、要点を箇条書きに書き出す事にする。
 
 ・人間宣言や民間からの皇后であっても天皇家は天皇家だった
 ・男系は意図して作られたルールではなく、男児に困らなかったためのたまたまな要因だっただけ
 ・さらに成文として明記されたのは明治に入ってからでしかない
 ・イギリスの例など、女系になっても揺らぐことはなかった
 
 とりあえず、ひな形的なものはこれぐらいかな。
 この前の更新に関する個別的な意見はまた後ほど書くことにする。
 では、一つ一つ見ていこうか。
 
 
 ・人間宣言や民間からの皇后であっても天皇家は天皇家だった
 
 天皇の立場というのは、もう時代によってかなり様々だったりする。
 これは世界的に見て非常に稀、というか、非常に理解しがたいものなのではないだろうか。
 なにしろ王や皇帝と名の付く者がいるのに、実権は別の人間が握っているのだ。
 皇后や一時の家臣が越権するというのであれば例外的な存在として存在するだろうが、しかし実権を世襲しそれを認めているという天皇の存在、もちろん武士の時代の話だな、など、外人からしたら「What?」ってなもんだろう。
 細かいツッコミが面倒だから一応言っとくが、確かに幕府は建前的には天皇の下だったが、実質的にはこれは何ら意味のない形でしかなかった。
 そしてこれも時代によって変わるもので、幕末は天皇が上じゃないかと言い出して勤王の志士の原動力にもなった訳だが、少なし徳川幕府全盛期に天皇が意見を言えるような実権は皆無だったと言える。
 で、このように、天皇というのは時代によって立場が違うものであるという事が歴史的に見て取れるわけで、それでも天皇を滅ぼそうとした日本人はほとんど無く、もう数人ぐらいと言ってもいいだろうな、つまりどんな立場でも人々から敬愛されていたという存在であるのだから、立場が変わったという事で天皇家が天皇家で無くなるという意見は違うと思うし、よって男系賛否の意見とは全然別次元の意見だろう
 確かに戦後の人間宣言は多くの日本人に衝撃を与えたかもしれないが、しかしそれと神武天皇家の存在がどうだという話とは全く別の話という事なのである。
 
 さらに、皇后が民間からでも問題無かったと考えるその日本人の思考方法は、逆に男系にこだわっている深層心理の表れなのではないだろうか
 だって「男系であれば神武天皇家」であるのだから、男が神武天皇系なら皇后の血がどこ出身であろうが神武天皇家はどうやっても神武天皇家だからだ。
 皇后の血がどうであろうが、男系であればそれで問題がないという証明なんじゃないのか?
 まぁ外国から嫁がれたら抵抗感があるのは否めないがな。
 しかしやはり昔から伝統的にそこまで皇后側の血筋は重要視されなかったのではないだろうか。
 側室の子だって天皇になれた訳だし。
 もちろん正室の子の方が尊ばれるのは当然だが、側室も禁止されなかったという点に置いて、重要視されなかったと言えるだろう。
 
 
 ・男系は意図して作られたルールではなく、男児に困らなかったためのたまたまな要因だっただけ
 
 これはかなり無理がある。
 当サイトでくさるほど言っとるが、もう言うのも疲れるから、やえの言葉を引用すれば

 47代淳仁天皇から見て46代天皇孝謙天皇は、もはや一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」ですし、さらにまた47代には孝謙天皇が重祚され48代称徳天皇に即位されています。
 さらに、その次の49代の光仁天皇など、48代称徳天皇から見ればこれは一般感覚からすればほとんど「他人」と言って差し支えないぐらい離れている間柄と言えるでしょう。

 一般的感覚からすれば「他人」の間柄なのに、それでも天皇という座を継承させている。
 このような実例があるのにも関わらず、「意図して作られたものではない」と言うのはちょっと無理があるんじゃないのか?
 言っておくが、いや言うまでもない事だが、当時だって日本人はいっぱいいて、そのような天皇継承の問題があがったときには、それぞれの立場の人たちがそれぞれ議論したことだろう。
 決してサイコロを転がしてこの人を天皇に決めたとしたのではなく、必ずなんらかの根拠・理由があってその天皇が選ばれた訳だ
 その理由はどこにあるのかと考えたら、やはり「男系だから」と考えるのが自然であり合理的だろう。
 これをたまたまと言う方がよっぽど非合理的じゃないのか。
 
 実際に2600年男系で続いてきた現実はこれは否定できない事実として存在するわけで、どうしてそれを無視できると言えるのだろうか。
 これもやえが今まで散々言ったと思うんだが、古代や中世においていくら例外と言えども女性が家長を務めるなどあり得ない事であった。
 いいか?
 いかに例外であったとしても、いかに緊急措置だったとしてもだ。
 武家の継承時、いくら男子がもうけられなかったといって、じゃあ女子に家長を譲りますので今回だけですのでどうぞそれでお見逃し下さい、と言ったところで、こんなのは絶対に認められなかった。
 もしこのような事態になったら有無を言わさず断続である。
 一切の例外は認められない。
 しかし天皇家は違った。
 緊急事態の際には女性が家長に付くのが認められているのだ。
 これは何を示すのかと言えば、やはり継承のルールは「男系であるという点だけだった」という証拠なのではないだろうか
 「男系女性」であるなら男系なのだからまぁ認められる、という意識ではないか。
 ぶっちゃければ、男系ならなんでもありであり、男系意外ならなんでもダメだったと考えるのが、よっぽど自然ではないか
 そして2600年間もの間、一人として女系は存在しない。
 この事実は大きい。
 
 
 ・さらに成文として明記されたのは明治に入ってからでしかない
 
 そりゃまぁ成文法は明治に入ってから整備されたからなぁ。
 確かに十七条憲法や武家諸法度などはあったけど、ありゃ大局論であって、個別法じゃないからなぁ。
 そして明文されてないからそのような常識はなかったと言うのは、それは違うだろ。
 むしろ常識であればあるほど明文する必要は無かったわけだ
 さらに言えば、天皇家の継承のルールを明文するなんてあまりにも畏れ多すぎるよ。
 お前何様だって話でな。
 だからこれはかなり違うだろう。
 
 
 ・イギリスの例など、女系になっても揺らぐことはなかった
 
 これも関係ねーなー。
 外国だもん。知らないって。
 別に当サイトは「全ての王家は男系であるべきだ」って言っているわけじゃねーんだよ。
 おそらくここを勘違いしている奴が多いんだろうが、そうでなくてな、別に代々女系だったら女系でいいと思うし、代々双系で継承されてきたものだったらそれでいいんだよ、別にその場合には男系にこだわらないよ。
 そうでなくてな、一番大切なことは、事実として今まで2600年続いてきた日本の天皇という存在は、代々男系で続いてきた「神武天皇家」であるという、この一点も陰りも無い事実なんだよ
 分かるか?
 ウチは王家としてのあるべき姿を指し示している訳でも、男根主義を主張している訳でも全くない
 ただ「今までのルールを守りましょう」と言っているだけだ。
 
 もしね、男系という伝統が無ければ、別のルール、例えば長男だけとか直系だけとか、こういうのが伝統であればそれを守れと主張するだろう。
 眞子さまではだめだ。愛子さまでないと伝統的天皇が天皇でなくなる、新しい王朝の新しい天皇に眞子天皇家になってしまうと、そう主張するだろう。
 しかし、今回の問題はそうではない。
 「他人」を即位させてまで男系にこだわっている「神武天皇家」が今の、そして2600年前からの日本と天皇家なのである。
 男系こそが「神武天皇家」なのである
 
 一度でも男系でなくなれば、「神武天皇家」が「神武天皇家」で無くなるのだ
 仮に「愛子天皇家」になったとしたら、それはそれでオレは敬愛するだろう、新しい天皇家に。
 そしてその「愛子天皇家」の継承のルールは、新しく考えればいいだろう、オレはその場合には男系にこだわらない。
 多くの国民が議論して納得する形で決めればいいと思う。
 しかしそれは事実として「神武天皇家」ではないという事なのである。
 そして、まぁ明治までは憲法というくくりがあるので今の日本とのつながりはできるだろう、しかし、明治以前と現代の日本を、いかな理由で「同じ国家」と呼ぶというのであろうか
 もちろん思い込む事は出来る。
 同時代の人間ならなおさらである。
 しかし100年後200年後千年後、“日本人”がその事実を知ったとき、どのように思うだろうか。
 果たして「実子が後を継いでいるから問題ないということを大多数の国民がそれで納得してしまう」だろうか。
 オレは未来の“日本人”から後ろ指を指されはしないだろうかと、そして偉大なる先人達に理解してもらえるのだろうか、疑問でしかない。
 
 
 
 すまん。
 最近やえが苦労して短めの文章に仕立て上げてくれていたのに、オレがあっさりと長文にしてしまった。
 というわけなので、当サイト独自の問題の指摘に対する回答は、また後日にしたいと思う。
 

平成18年1月22日

 神武天皇家

 いやー、ついに関東でも大雪が降りましたねぇ。
 まぁ大雪と言っても、東北などにくらべれば全然ですけどね。
 また幸いなことに土曜日でしたから、それほど影響も少なかったのではないでしょうか。
 何度もこけそうになりましたけどね(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 本来ならあまおちさんが更新すべきところだと思うのですが、あまりあまおちさんばかり出ていても皆さん的にはあまりつまらないでしょうから、みんなアイドルやえちゃんが今日はお相手をさせていただきます。
 
 細かいツッコミは無しです(笑)
 
 
 さて。
 今日はですね、なぜ「神武天皇家」でなくてはならないのか、というところに焦点を当ててお話をしたいと思います。
 御意見板の方にもそのような書き込みがありましてですね、一応この問題は今までの更新で触れてきたつもりではあったのですが、今一度この話題にだけ特化してお話をしておく必要があると感じました。
 つまり、「男系でなくても神武天皇家じゃないのか?」もしくは「神武天皇家でなくても天皇家には変わりない」という意見についての整理です。
 言わば、天皇後継問題の最も核となるお話だとも言えるでしょう。
 
 これらの根拠としては、「今の国民はそんなことにこだわらない」というモノがあります。
 かなりかみ砕いて言ってしまうと、「日本国民の大部分が天皇を天皇として認めれば、昔も今も未来も同じように天皇じゃないか。それでいいじゃないか」というコトです。
 まぁ分かりやすいと言えば分かりやすい理屈ではあるでしょう。
 
 しかし、これはあまりにも現代人のエゴなのではないかとやえは思います。
 この理屈というのは、結局は「今の人たちだけの考えであれば、今さえ良ければなんでも良いんだ」という考え方に他ならないのではないでしょうか。
 確かに現代人の感覚からすれば、男系というよく分からないルールよりも、直系的なルールの方が遙かに分かりやすいでしょう。
 特に現代は核家族化が進んでおり、親戚付き合いも希薄になってきていると言われていますから、ますます直系にこだわるというのも、ある意味当然の流れなのかもしれません。
 しかしやえは、だからこそますますそれは現代人のエゴでしかないと思わざるを得ないワケです。
 
 人権擁護法の時にやえは散々言いましたけど、人間の価値観なんて、時代によって場所によって場合によっていくらでも変わるモノです
 今でこそ「これからは血のつながりを大切にして直系でいきましょう」と思っている人が多いとされていますが、例えばもしかしたら100年後ぐらい経った後の世では「天皇はその時代に最も徳の高い人が就けばいい」という考えが圧倒的多数になるかもしれません。
 そんな馬鹿な、そんなコトが許されるワケない、と思う方もいるかもしれませんが、しかしそんな保証はどこにもありません。
 その時代の流行の考え方が反映されるべきだという意見が正しいのであれば、人間の価値観なんて50年も経てばあっさりと変わるモノでしかない以上、後々どんなコトが起きるかなんて、今に生きる人が想像するコトなんて出来ないでしょう
 果たして幕末から100年前の江戸時代の日本人が、江戸幕府が崩れ、民主主義の国家に日本がなるなんて、一体何人が予想できたでしょうか、誰が予想できたというのでしょうか。
 
 「決してそんなコトにはならない」と言い張るというのは、完全に現代人のエゴです。
 「今の日本国民の大部分がそう思う」というあやふやな論拠を主張する限り、将来において禍根を遺すのは間違いありません。
 なぜ天皇家が天皇家として続いているのかと言えば、言うまでもなく天皇という座が過去より継承されてきたからです。
 「今が良ければいい」という考え方は、それは現代だけを追認している考え方でしかなく、過去から続いているという事実を完全に無視した考え方と言えるのではないでしょうか。
 
 「神武天皇家」の価値は、当然天皇という存在自体に価値があるのは当然ですが、それと同じぐらい2600年続いてきた歴史というモノもあります。
 ひとつの家として継承し続けているという観点からは世界でもかなり稀ですし、これが王族ともなればさらに稀、そして現在も王族としてという意味なら間違いなくぶっちぎりで世界最古です。
 歴史と伝統は人の心に重みを持たせます。
 これも散々今まで言ってきましたね。
 これだけでも十分に価値があるといえるでしょう。
 
 またもう一点大切な意味があります。
 神武天皇家は「過去の日本」と「現在の日本」をつなぐ唯一の橋なのです
 
 
 
 (つづく)
 

平成18年1月23日

 神武天皇家(中)

 またもう一点大切な意味があります。
 神武天皇家は「過去の日本」と「現在の日本」をつなぐ唯一の橋なのです。
 明治以降は、日本を憲法という共通の概念のもとでの国家という意味において現在まで続いていると言えるでしょうけど、しかしそれ明治以前の江戸時代までの日本というモノは、残念ながらそのような概念では結べません。
 法的に言っても、江戸時代までは律令制という制度のもとでの日本でした。
 日本での律令制の正式な制定を大宝律令とすると、それが制定されたのが西暦701年であり、時代で言えば飛鳥時代ですから、この時代はまだ貴族制の世の中でした。
 その後鎌倉幕府のもとでの武士の時代が訪れますが、しかし律令制自体は江戸時代まで形式的とはいえ残るワケで、大まかに分ければ日本の歴史は、飛鳥時代も江戸時代も一つの区切りとしてカテゴライズできるワケなのです。
 しかし、明治時代は違います
 明治政府は、律令制を破棄して明治憲法を制定したのですから、江戸以前と明治以後の日本は全く国家として連続性の無いモノなのです。
 この見地から、日本の歴史を大きく分ければ、「律令制以前の日本(???〜701年)−律令制制定から王政復古が行われた江戸時代まで(701年〜1868年)−明治時代から現代まで(1868年〜)」とこの3つに分けられるのです。
 第二期の最後を明治憲法公布までとする方が正しいと言えるかもしれませんが、どちらにしても、この3つのカテゴリーの間には、本来なら国家的な連続性は存在しないのです
 
 しかしそれを結びつけるのが天皇家、もっと具体的に言えば「神武天皇家」なのです
 神武天皇家がどの時代にあっても日本を象徴する存在としていらっしゃったからこそ、日本は2600年の歴史を紡いでいる国家だと言うコトが出来るのです
 神武天皇に繋がるコトの出来る一つの家である神武天皇家が存在するコトが、日本の国家としての2600年の歴史を証明しているのです
 
 ちょっと蛇足になりますが、象徴天皇という言葉は、戦後憲法ではじめて用いられた言葉だと思っている人が多いのではないかと思うのですが、言葉としてはその通りなのでしょうけど、しかしやえは、観念的にはそもそも天皇ははじめから日本の象徴としての存在だったのと思っています。
 それは武士の時代もその通りですし、まだまだ豪族だった時ぐらいの時代はともかく、少なくとも聖徳太子の時代においても天皇という存在は西洋のような絶対王政のような集中権力の存在ではなかったと言えます。
 あの十七条の憲法の第一条には「和を以て貴しとし」とあるのですが、こけは何よりも「和」が大切だと説いているワケです。
 天皇については3番目にやっと書き出すぐらいで、言ってみれば、天皇よりも「和」の方が大切だと、聖徳太子は公布したのです。
 もちろん天皇としての実権はこの時代においては強力なモノとしてあったでしょうけど、しかしそれだけでは無かったというのもここから事実として読み取れます。
 今の言葉で言うなら「議長」のような存在とでも言えばいいのでしょうか。
 これは明治憲法下でも同じであり、いつの時代も決して天皇はワンパワーな存在だったのではなく、日本全体をまとめる象徴的な存在だったというコトが、一番の存在意義としてあったのではないかと言えるのではないでしょうか。
 
 
 現代の日本人は「歴史」という概念はあっても、「国史」という概念があまりにも希薄すぎます。
 神武天皇家でなければ過去の国史は国史でなくなり、ただの歴史となります。
 他の天皇家では歴史を国史には出来ません。
 神武天皇家だけが日本の歴史を国史として紡ぐコトができるのです
 
 国史という概念を軽視するような発言をする人に対して、やえは「とても悲しいお話」と言うのです。
 そして「今さえ自分だけよければ良いと思うような人」だと言うのです。
 先人達が日本のもとで大成してきた文化や、血を流しても守り続けてきた日本という歴史と価値、聖徳太子が決死の覚悟で「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と冊封体制を打破し、幕末の志士たちが血を流して守り、そして「天皇陛下万歳」と散華していった多くの先輩達の努力を、ここで全て無に帰してしまうのでしょうか。
 それはとても悲しいお話なのです。
 
 
 天皇は継承します。
 継承するからこそ2600年の歴史があると言えるワケであり、そこに価値があり、そして過去から現代そして未来に時代を結んでいくワケです。
 では、常識的に考えて、なにをもって「継承する」と呼ぶのでしょうか。
 
 家の継承は家によって方法が違うというのは言うまでもないことですが、一番大切なのは、その「方法」なのではないでしょうか。
 どのような形で継承されるのかという決まり、跡継ぎにはどのような条件を課すのかというコトこそが、継承時において最も大切なコトでしょう。
 そもそもこれが決まっていないコトには、継承などしようがないですよね。
 
 例えば、それがおそば屋さんの継承であるなら、味を引き継ぐ人という条件を挙げる場合もあるかもしれません。
 もしくは、味を引き継ぐ人&自分の息子、という条件にするところもあるかもしれません。
 逆に、味を引き継げば自分の親族でなくても誰でもいいとするところもあるかもしれません。
 これは人それぞれ、家それぞれと言えます。
 一子相伝と決めた家の場合、仮に弟子の腕がどんなに素晴らしくても、子どもがいない限りはもうそこで断絶すると決める場合だってあるでしょう。
 もし弟子が新たに看板を掲げたとしても、やはり「本家」は断絶したと常識的には見ますよね。
 さらにこれが、先代の親族でもない、味も全く違う、しかもその店で修行すらしたことの無いような人が看板だけ受け継いだとしても、果たしてそれでその店が継承されたと言えるのかと考えたら、それは常識的に考えてとても難しいと言わざるを得ないでしょう。
 結局、その家が継承したとするためには、なにかルールが必要なワケです。
 それが実利的なモノなのか、はたまた人間の血筋的なモノなのか、それは家それぞれで違うでしょうが、しかしそのようなルールとは、その家の伝統や歴史によってなんとなく、しかしハッキリと形作られているモノです。
 成文化されなくても、例え他人に理解されなくても、その家の人間がその家にとっても最大の価値観を歴史から感じ取り、それを伝統としていくのです
 
 伝統がなければ、継承なんて言葉は使われません。
 伝統というルールがあるからこそ、過去の歴史を未来に受け継いでいくコトが出来るのです。
 そうして家は、そのルールに則る限り、家として未来にわたり継承されていくのです。
 
 では、天皇家とは、神武天皇家とは、日本の中でどのように伝統を継承してきたのでしょうか。
 
 
 (つづく)
 

平成18年1月26日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第219号 ========================== 2006/01/26
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 施政方針演説
 小泉純一郎です。
 20日の金曜日、通常国会の初日に、衆議院と参議院の本会議場で、私にとっては最後となる施政方針演説を行いました。
 
 やえです。
 小泉さん、やはり今期でお辞めになるという決心は固いようですね。
 
 国会での演説ですが、国民のみなさんが注目している、テレビで見ている方も大勢いらっしゃいますから、できるだけわかりやすく、そして、なるべく短くなるように心がけながら、これから9月までに取り組むべき課題についての方針をていねいに演説しました。
 政府全体の政策を網羅しますので、もともとの演説案は1万5000字ぐらいありましたが、思い切って5000字ぐらいカット。そして、わかりやすくするために、身近なエピソードなどをたくさん盛り込んだつもりです。
 
 全文はこちらです
 小泉さんの最大の功績のひとつに政治を身近にしたというモノがあったと思うのですが、施政方針演説などはその象徴とも言えるかもしれません。
 今までは、官僚さんの作った、意味はないとは言いませんが、面白味という面で見れば3点ぐらいしか与えられないような文章を丸読みしていた総理大臣が多かったですが、小泉さんは、仮に下書きが官僚さんか秘書さんが書いていたとしても必ず自分の言葉にしている点において、結果が全く違うワケです。
 言葉というモノは相手に伝えてコトこそ最も価値があるのですから、もし内容が同じだったとしても、小泉流の果たした役割というのはとても大きいと言えるのではないでしょうか。
 
 本会議場の演壇に立つと、身も心も引き締まります。大きな声で、一語一語力をこめて約40分の演説を終えると、脇の下など汗びっしょりになりました。
 
 批判第一の人は、小泉さんの「世に訴える力」を、劇場型とかワンフレーズだけだとか、表面の薄っぺらい部分だけしか見ようとしませんが、しかし実際の小泉さんの力をよく分析するのであれば、それは「気迫」だとやえは思っています。
 気持ちは込めれば他人に伝わるのです。
 文字だけの世界と、面をあわてしゃべる世界と、全く内容が同じならどちらがより気持ちが伝わるでしょうか。
 言うまでもなく面をあわせた方に決まっていますよね。
 すなわち、伝える人が本気で伝えようと思っているのであれば、それだけ受ける方も受けやすくなるというコトなのです。
 それが分からず薄っぺらい批判しかできない人は、自分の言葉も薄くしか相手に伝わらないんですけどね。
 
 5年前「改革なくして成長なし」という方針を掲げて改革に着手したとき、逆に改革よりまず成長を優先させる「成長なくして改革なし」ではないか、という議論がありました。揺らぐことなく改革の方針を貫き、成長が実現してきた結果、ようやく「やはり『改革なくして成長なし』なんだ。」ということで、この論争は決着がついたと思います。
 
 小泉さんの登場の前までは、世論は散々「対処療法に終始するだけでなく、思い切った大手術が必要だ」と言ってたモノですけどね。
 ま、3日前の空気すら忘れるのが世論ではありますが。
 
 チャップリンでしたか、映画ライムライトの中で、「人生において大事なことは、夢と勇気とサム・マネー(*)」と言っています。いい言葉だと思います。みんな、夢と希望を持って、あとはビッグ・マネーでなくてもよい、生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい。そういうことが大切だという気持ちで演説の想を練りました。
 
 な、なんだか、タイムリーな話題にかすっているような気がしないコトもないのですが、まぁあえてふれないコトにしておきます(笑)
 まぁでも、「勝ち組、負け組」とか、「お金さえあれば…」とか言うような考え方は、どっちかと言えば国民の方が喜んで使っていたような気がするんですけどね。
 なにやら今はなんでもかんでも小泉さんに責任を押しつければ済むような空気、すませるような物言いをしている人がいっぱいいますが、「お金さえ儲けられれば勝ち組になれる」と言って喜んでいたのはむしろ世論大衆だったのではないでしょうか。
 やえは、もちろんお金はいっぱあった方がいいに決まっていますが、それよりもお金をいかに上手く使うかが大切だと思っています。
 
 演説の結びでは、幕末の志士、吉田松陰の「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という言葉を紹介しました。これは私が学生時代に読んで感銘を受けた言葉ですが、難しい言葉です。特に、溝や谷という意味の「溝壑(こうがく)」という言葉は、知らない人が多いと思います。
 幕末の時代、国のため、明治維新のため、改革のために奔走する志士たちに対し、吉田松陰は、「志を遂げるためには、たとえ自らの屍(しかばね)を溝や谷にさらそうとも構わないという気持ちで国事に臨まなくてはならない」という覚悟が必要なことを説きました。
 すべての国会議員に、こういう志をもって国事に当たってもらいたい、改革を進めてもらいたいという気持ちをこめて、そして、自分にもそう言い聞かせる気持ちで、これを結びの言葉にいたしました。
 
 吉田松陰はともかく、末端の方になるとこの教えを曲解して、死を覚悟すればなにをしてもいいと行動していたような輩もいたようですけどね。
 どこに信念をおくか、信念のためになにが出来るか、行動した結果なにが訪れるのか、やはりいろいろなコトを総合的に考える必要があるでしょう。
 なにがなんでもガムシャラにというだけでは何も生まれはしません。
 小泉さんは、ひとつの方向しか見てないように見せて、そうでもなかったりしますからね。
 この辺のバランスが無いとなかなかトップには立てないんだとは思います。
 
 先週末、輸入が再開されたばかりの米国産牛肉に、除去されなければならない危険部位が混入していたことを成田空港の動物検疫所が発見しました。政府は直ちに米国産牛肉全ての輸入を停止しました。食の安全と安心の確保は何ものにも代え難いものです。アメリカに対しては、原因究明と二度とこういうことが起きることのないようチェック体制を抜本的に見直し、再発を防止することを強く申し入れました。納得できる説明と対策がとられるまで輸入は再開しない考えです。
 
 この問題、またおバカな人たちが、おバカな批判をしていましたね。
 なにがあっても、雨が降るのもポストが赤いのも坊主の袈裟まで全て小泉さんが悪いと言わないと気が済まないのでしょう。
 米国追随だとかポチだとか言っているワリには、この問題で最も悪いアメリカとその農家を批判していなかったりするんですよね。
 こんなの、ルールを守らなかったアメリカ側が一番悪いに決まってるじゃないですか。
 それなのにどうしてそれを批判しないのでしょうか。
 それとも批判できないんでしょうかね。
 
 来月10日に、イタリアのトリノで冬季オリンピックが開幕します。ウィンター・スポーツというと、私もスキーが大好きですが、総理大臣である間は、なかなか行くことができませんので、もっぱら見る方で楽しんでいます。22日に、都内で行われた日本選手団の壮行会で、選手たちを激励しました。みなさん、恵まれた才能に加え、人一倍の厳しい練習を積んでこられた方ばかり。トリノで持てる力を存分に発揮していただきたいと思います。
 
 小泉さんはスキーが大スキーだそうです。
 ・・・
 ・・・
 ・・・
 ・・・
 ・・・ごめんなさい。
 9月に任期が切れて総理をお辞めになられたらスキーにまた行かれるのでしょうか。
 ここ数年、冬のスポーツもずいぶん注目されるようになりましたよね。
 やえはあの地味スポーツの代名詞かのようなカーリングが好きだったりするんですが、冬のスポーツってほとんどが個人競技なのがちょっと物足りないんですよね。
 はやく雪合戦がオリンピック競技にならないですかね。
 あと、スキージャンプペア
 やえも日本選手団を応援しています。
 
 
 
 [編集後記]
 通常国会が始まりました。冒頭に行われた小泉総理の最後の施政方針演説では、改革を止めてはならないという小泉総理の強い決意、最後の通常国会に対する大変な気合を感じました。私も予算の早期成立、重要法案の成立に全力を集中してまいります。
 
 じんえん先生も、官房副長官としてのはじめての国会、どうでしょうか。
 胃が痛くなってないでしょうか(笑)
 
 先週号、青ヶ島駐在所の野口巡査部長からの特別寄稿は大変好評でした。太平洋に浮かぶ絶海の孤島で、がんばっておられる野口さんの姿に共感を覚えられたのだと思います。
 これからも、現場で額に汗して働く方々の声をこのメルマガでは取り上げていきたいと思います。(じんえん)
 
 ああ、あれはとても良かったですね。
 もう全ての警官は孤島に一回は派遣されろと言いたくなります(笑)
 ああいう人たちをもっとピックアップしてもらいたいですね。
 なにせ世界一の読者数を誇るメルマガなのですから。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成18年1月27日

 神武天皇家(下)

 では、天皇家とは、神武天皇家とは、日本の中でどのように伝統を継承してきたのでしょうか。
 
 神武天皇家は男系を自らの家の継承のルールとして天皇という位を受け継いできました。
 天皇125代のウチ、直系継承はたった69回だけです。
 また側室の子の即位は55例にものぼり、さらに兄弟間の継承や、これは何度も言ってますように一言では言い表せない程度の関係の間での継承も数回は行われています(例:48代称徳天皇→49代光仁天皇)
 普通の感覚では、これではルールが全然無いのではと思ってしまうでしょうけど、しかしそう思うコトこそが、男系が明確なルールであった証拠とも言えるでしょう
 この神武天皇家の複雑すぎる家系図は、直系主義をとらず男系主義を貫いてきた何よりの証拠なのです
 逆に男系を否定するのであれば、ではなにをもって神武天皇家は神武天皇家なのか、今まで続いてきたのはどのような理由から「続いてきた」と言っているのか、それらの全く理由が無くなってしまいます。
 
 家の相続は、その家の伝統によってルールが決められます。
 決してその方法は一種類とは限りません。
 また、それを他人がとやかく言うコトは出来ませんし、さらに言えば当事者たる相続させる人もされる人も、安易に個人的理由を唱えるコトはできないでしょう。
 一子相伝の家に向かって、養子を認めてきた家がそれを批判をしたところで、なんの意味のないコトです。
 一子相伝と決めているのは自分の家だけであって、これを行っているからといって他人の家のルールまでを押しつけているワケでは全くないのですから、それはその家の価値観の問題であって、仮に無理矢理一子相伝を形だけでもやめさせたとしても、心の中では「途絶えた」と一子相伝の家の者は思うでしょう。
 それだけで十分一子相伝家は断絶なのです。
 形だけで強弁しても無意味意外何者でもありません。
 また、継承のルールは歴史という時間の流れによって形作られるモノですから、今の一瞬の個人的意見だけでもっても、それを安易に変えるコトは許されません。
 継承は受け継ぐというコトであり、すなわち「歴史を作る」というコトに他ならないのですから、なにより歴史という伝統を重んじる必要があるのです。
 今の一瞬の時間だけで物事を決めるのであれば、それは歴史でもなければ、継承でもありません。
 “継承する”のであれば、点ではなく線で物事を考えなければならないハズです
 もし継承しないと決めるのであればもはや個人の勝手と言えるのかもしれませんが、しかし線を点で途切ってしまったのにも関わらず、それを線だと、継承したと強要するのは、これは全く筋が通らない話でしかないのです。
 
 繰り返しますが、なにも直系だと歴史が作られないと言っているのではありません。
 ただ、男系を崩すと「神武天皇家が終わってしまう」というコトをやえは言っているのです。
 もし直系主義にするというのであれば、それは新しい天皇家のはじまりであり、それはそれで日本の天皇として日本国民が敬愛するというのは当然の話ですが、しかし天皇家の歴史は0からのはじまりだというコトなのです。
 これから直系主義でいくというのであれば、少なくとも直系で結ばれない118代後桃園天皇以前は別の天皇家として考えざるを得ないでしょう。
 
 そしてこれは、日本の国史の終わりなのです
 平安時代も江戸時代も平成時代も、日本が一つの国家として国史を受け継いでこれているのは、いつの時代も神武天皇家を象徴として日本が戴いているからに他なりません
 いくら皇帝と名乗り、自らの国史だと主張しても、所詮シナの国は国史のない国です。
 そもそも国名からして違いますし、その国と国との関連性も全くありません。
 確かに政治的または思想的には、なんらかの理由をつけて歴史を国史だと強弁することは可能かもしれません。
 しかし科学的に、というか、冷静な目で厳密に事実を事実として見るのであれば、それはやはり所詮は強弁でしかないのです。
 その点からしても、神武天皇家を戴く日本という存在は、世界で唯一の政治的にも思想的にも科学的にも国家として1000年以上続いているという尊い国家なのです
 
 2月8日付の『SAPIO』で、神武天皇家男系を受け継ぐ武田恒泰氏はこうおっしゃっています。

 長く続いている王室や皇室は、それだけで国際社会から尊敬されるからです。世界中の貴賓が集まる結婚式などの式典で、「陛下」と呼ばれる国王や天皇が、「閣下」である大統領や首相より上座に座るのも、その表れでしょう。ちなみに「陛下」同士が並ぶ場合は、より王朝の歴史が長い方か、より在位期間の長い方が上座に座るのが外交上の慣習です。そのため、いずれの面でも「世界最長」だった晩年の昭和天皇は、世界の誰と同席しても常に上座にお座りになりました。それは、日本の天皇が「偉い」からでも「強い」からでも「豊か」だからでもありません。その価値は「尊い」としか形容できないものです。「偉い」「強い」「豊か」といった価値は後から生み出すことができるのに対して、「尊いもの」はつくろうと思ってもつくれない。それは、長い歴史の中で淘汰されずに受け継がれてきたものだけが持つ価値なのです。

 この尊い神武天皇家と、それを戴く尊い日本は、まさに国史を根拠としているワケです。
 男系を捨てるというコトは、神武天皇家を捨てるというコトであり、同時に国史を捨てるというコトなのです。
 そして世界で最も尊い存在を捨てるというコトに他ならないのです。
 
 もちろん男系を捨てたところで、日本の社会が大きく変わるコトはないでしょう。
 気にしなければ一般人にとってはなんら影響の無い話です。
 だから過去の歴史をかえりみない、また未来の日本を背負わないという人であれば、神武天皇家がどうなっても関係ないと思うでしょう。
 しかしそれは、やえから言わせていただければ「今だけがよければいいだけの人」なのです。
 今まで流血の努力で日本を培ってきた先人達に感謝もせず、今の日本が日本であるその理由も知らずに、美しく尊い日本を未来にわたって受け渡す責任すら放棄しているような人たちなんだと、そう思うのです
 それはとても悲しいお話なのです。
 
 神武天皇家は男系というルールで歴史を作ってきました。
 このルールを捨てるというコトは、神武天皇家が断絶するというコトに他ならず、そしてそれは日本の国史が断絶するというコトです。
 問題を矮小化させてたいしたコトではないとうそぶく人がとても多い最近ですが、この問題は国家そのもののアイディンティティに直接関わるというコトをまず知ってもらいたいと思います。
 
 なぜ世界を見渡しても日本だけが、1000年以上も前から今にわたって日本という国号を使い続けているのでしょうかか、使い続けられているのでしょうか。
 その歴史と伝統はけっして軽いものではありません。
 やえは、その重みを受け継ぎ、そして未来に託す義務があるのだと、ひとりの日本人として思うのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、僭越ながら神武天皇家を応援しています。
 

平成18年1月29日

 男性差別と黒人差別

 ある「このスペースは女性もしくは女性同伴の方のみのスペースになっています」という表示のある店について議論となった。
 議論といっても、それを見かけた時に一緒に歩いていた女とだから、ちょっとした会話程度だが。
 
 
 天堕「あれって男性差別だよなー」
 
 女「別にあなたは恩恵をあずかるんだからいいじゃないの。」
 
 天堕「いや、そういう問題じゃねぇだろ。むしろそういう考えが差別を拡大させるわけでな。」
 
 女「でも、ガラス張りのところに男性がずらっと並ぶよりは、女性が並んだ方が見栄えがいいじゃない。お店にとってもその方が得じゃないの?」
 
 天堕「その理屈を許すと、黒人差別も是認する事になるぞ。」
 
 女「え? どういうこと?」
 
 天堕「だからな、見栄えが良いという理由はあくまで主観・価値観の問題であって、「黒人が店の中にいると見栄えが悪いから白人のみ入店可能」でもOKという事になっちまう。」
 
 女「ああ、そっか。」
 
 
 問題は、原理原則があるならそれを貫かなければならないという事だ。
 オレの個人的な意見からすれば、差別も区別もシャレではないが区別しにくい部分が当然あって、何が何でも差別がいかんとするのはやはり難しい事だろうとは思う。
 また、特に外国人がらみの問題になると、どうしても感情的にムカッと来ることもある。
 例えば、接客業にも関わらず四六時中ムしかめっ面の奴とか、自分のミスを絶対に認めようとしない奴、果ては言い訳までしはじめる極東アジア系の外国人には、さすがに「これだから中国人(韓国人)は」と思ってしまう。
 しかし冷静に考えれば、このような輩は日本人にもいるわけで、さすがに公に向かって「だからあいつらはダメなんだ」とは言えない。
 
 差別は難しい。
 結局のところ、差別は差別されなければそれが差別とは気づかない事が多い
 オレは男だから実際に女性で職業差別された時の気持ちは分からないし、オレは部落出身ではないから部落での職業差別や結婚差別をされた時の気持ちは分からない。
 だから知らんふりしようと思えばいくらでも出来てしまう。
 また、反動の反動で人権問題と言えば全てに反発する輩や、人権侵害をしても開き直るような輩まで出てしまうというのも現実問題。
 差別は難しい。
 
 しかしだからこそオレはこの問題こそ原理原則を貫く必要があると思っている。
 
 差別にはいろんな定義があるだろうが、「その事象に直接関係ない属性をもって行動等に制限を加える」という行為は差別であろう。
 つまり、プログラムの能力には直接部落出身という属性は何ら関係がないので採用の際に差別してはならないし、同じ年数同じ内容の仕事をしたのであれば男女は同じように出世や給金を与えるべきだろう。
 食事をするのに黒人も白人も黄色人も関係なかろう。
 だからこれらを制限するような行為は差別と認定し是正させる必要があるわけだ。
 
 となれば、やはり男性禁止区域や女性専用車両などといった存在も、原理原則に照らし合わせてこれを差別だと言わなければならないのである。
 いくら男性の方からそれを認める声が挙がったとしても、問題はそこにあるのではなく、差別の原則からしてそれを認めれば差別を是認する事になるから差別としなければならないのである。
 女性専用車両など、一部の女性からは「男が近くにいるだけで嫌だから」という理由を挙げるブスもいるようだが、こんなのまで認めていれば、それは主観に他ならないのだから、やはり黒人差別にも繋がる重大な人権侵害なのである。
 「男性だから」というそれだけで一般的に嫌う理由にならない属性だけで行動を制限するのであれば、黒人差別は昔の白人は本心から黒人を嫌っていた下に見ていたのだから、これを肯定することに他ならないだろう。
 キリスト教という宗教ですら黒人を人間と認めていなかったのだから。
 
 まして女性専用車両などは、無実の人間を犯罪予備軍と断定し推定無罪のまま行動に制限を加えているのだから、一体差別とはなんなのか根底から覆されてしまうような話でしかない。
 
 差別という問題は観念的な問題だから、男性立入禁止スペースも、オレを納得させるような理由が存在するのであればかまわないと思う。
 しかし未だにオレを納得させるような理由は聞かないし、そしてそれらの理由は他の差別にも同じように当てはまる理由しかないのだ。
 どうして男性には禁止が許されて黒人には差別だとされるのか、このような矛盾を放置していればいずれ差別は拡大してしまうだろう。
 
 過去に差別は存在した。
 差別に苦しんだ人間が実際にいるのに、「自分がいま差別を受けていないからどうでもいい」と考えるのであればそれは明らかに差別主義である。
 将来自分がもし差別を受ける側になったときに、それにどのような理由を持って抗うのか、自分の子や孫が差別された時にどのような理由で解放を望むのか、矛盾に目をつむって、自分が差別を放置した罪に目を向けぬままに差別と戦うというのであろうか。
 こうして差別は拡大するのである。
 
 オレにはとてもではないがそのような事は出来ない。
 

平成18年1月30日

 ニュース3

 NHKではありません。
 ごめんなさい、ちょっと今日は立て込んでしまいまして、簡易更新です。
 ニュースを3本ご紹介いたします。
 
 
 一本目。
 

 小泉首相、女系天皇反対に反論
 
 小泉純一郎首相は27日夕、女系天皇を容認する皇室典範改正案への反対論について「女系天皇を認めないということは、仮に愛子さまが天皇になられた場合、そのお子さまが男でも認めないということだ。それを分かって反対しているのか」と反論した。

 これはいただけませんねぇ。
 今までいろいろと物議を醸し出し、国民的な大議論をいくつも巻き起こしてきた小泉さんですが、それでも一応は自説を正当化させる内容の主張はしてきました。
 もちろん賛否両論あるのは当然ですが、それでも賛成できる人には賛成できる説得力を、小泉さんはどんな問題でも提示してきたと、やえも思っています。
 今までやえは、小泉さんがブチ上げてきた様々な改革の全てに賛成してきたワケではありません、例えば大きいモノで言えば、高速道路の民営化については、民営化するなら万年渋滞の首都高は市場原理に当てはめるなら値上げするのが当然でしょうし、また道路というインフラはその地方の事情があって、採算という人間の絶対数に起因するだけの理由で作る作らないを決めるのではなく、地元の住民が望むのであれば赤字でも作るべきだというようなコトなどを言ってきましたが、しかしやえの主張はむなしく、小泉さんは道路公団を民営化させました。
 だけどそれでも、道路公団のお役所仕事の改革や採算性を考慮すべきという一応の理屈の通った主張を小泉さんは用意してくれていました。
 郵政民営化もそうです。
 小泉さんは最初の主張を100%なにがなんでも押し通すという人ではなくて、ユニバーサルサービスは保つなどと明言したりして、必ず筋は通る主張は用意してくれていたのです。
 
 しかし、今回ばかりはいただけません。
 
 「仮に愛子さまが天皇になられた場合、そのお子さまが男でも認めないということだ。それを分かって反対しているのか」
 この主張はただの感情論であり、さらにタブーを盾に反対論を封じ込めようとしている議論においてはもっともやってはならない手法の最たるモノです。
 「部落に対して補助金が大きすぎる」という意見に対して「お前は部落民をさらに差別するのか」というような、本来の議論の内容から全く関係のないタブーだけで反論を封じ込める卑怯なやり方です。
 
 いままで一応は筋の通る意見を常に出してこられた小泉さん。
 どうして今回に限ってこのようなモノの言い方をなされたのでしょうか。
 普通であれば、女系反対論に対してまともな意見が出来ないからこんな言い方をしたんだ、と捉えられても仕方のない手法です。
 正直、とても残念です。
 
 いくら自民党総裁がひとつの方針を打ち出したとしても、最終的には自民党の部会・政調・総務会を通らないと党議拘束はかかりませんから、最後までやえなりに動いていきたいと思います。
 やえは小泉さんの最後の国会でついに抵抗勢力とならせていただくコトとなりそうです。
 
 
 
 二本目です。
 

 フセイン、弁護人全員と退廷…裁判長の訴訟指揮に反発
 
 冒頭、フセインらと弁護団はラウフ・アブデルラフマン暫定裁判長の強硬な訴訟指揮に反発して退席。同裁判長は新弁護団任命の対抗措置に出て、大荒れの公判となった。
 この日の混乱は、裁判長命令に従わない被告は退廷させると言明した同裁判長に対し、フセイン異父弟のバルザン・イブラヒム被告が反発したのがきっかけ。
 同被告が退廷させられると、フセインと弁護団が「くたばれ、米国」などと合唱。アブデルラフマン暫定裁判長は、政治的発言は認めないとして、今度は弁護団の1人に退廷を命じると、フセインと弁護人全員が自ら退廷した。同裁判長は即座に4人の新弁護団を任命。この措置に抗議し、ラマダン元副大統領ら被告2人が退廷した。

 はぁ。
 こういう法廷戦術もあるんですねぇ。
 つまり、自分で退席させられるような騒ぎを起こし、まんまと退席させられたら弁護団も一緒に退席し、後から「公平な裁判が出来ない」と主張する。
 いやー、うまいコトを考えるモノです。
 ちゃんと裁判を進めたいなら最初から騒がなければいいんですが、その当たり前の正論を無視して「公平な」とか言うんですから、完全に狙ってやってますよね。
 日本でもサヨクが使いそうですよね。
 
 こっちの記事にはこんなコトが書かれています

 その後、フセイン被告は「退出したい」と申し出、裁判長もこれを認めた。同被告は「悲劇だ。私はあなたたちを35年間率いてきたのに、なぜ私を法廷から連れ出すことができるのか」と質問を投げ掛け、裁判長が「あなたが退出したがったからです」と答えると、フセイン被告はその場を去ったという。

 もうギャグの世界です。
 
 フセイン君「退席したいです」
 さいばんちょ「どうぞ」
 フセイン君「なんで退席させるんだ」
 さいばんちょ「さっき自分で言ったじゃん」
 
 ごめんなさい。
 オチてませんね
 やえはフセインが正しいか正しくないかというコトはあまり興味ないんですが、しかしこの法廷はあまりにバカらしいとしか言いようがありません。
 なんて言いましょうか、オウムの麻原レベルですよね。
 そう言えば一時期イラクのコトを戦前の日本にリンクさせて自説を主張していた一派が日本にいまして、あの時やえは散々「イラクなんかと一緒にしないでください。先人達をバカにするのはいい加減にしてください」と言ったモノですから、もうこれでハッキリしましたよね。
 極東裁判では日本軍人達は最後まで毅然と裁判に立ち向かい正義を訴え続けましたが、フセインはどうでしょうか、自分が生き延びるためには見苦しいまでになんでもしています。
 そう言えば、かの麻原ショーコーはお金と抱きしめて穴蔵から発見されましたが、フセインも全く同じ状況で発見されましたよね。
 当時あれだけイラクを日本にリンクさせた方々、何か言ったらどうなんでしょうか。
 
 
 
 最後です。
 

 日本のリボン、世界を席巻 伝統と相違、ブランド刺激
 
 フェミニン、ナチュラル……。ここ数シーズンそんなトレンドが続き、パリやミラノなどのコレクションでは、特にリボンの多用が目立つ。あまり知られていないが、世界の一流ブランドが使うリボンの多くは日本の同じメーカーの製品だ。品質の高さや美しさに加えて、種類の豊富さや納期の短さなどが評価されている。大企業でなくても、日本の伝統と創意工夫を生かせば世界で勝負できる好例の一つだろう。
 このメーカーは67年創業の「木馬」(本社・東京都台東区、渡辺正一社長、従業員180人)。85年に渡辺社長の長女敬子さんが入社、デザイナーとして製品作りにかかわってから急成長した。「その頃、リボンを使うヘアスタイルが流行したため」と敬子さんは謙遜(けんそん)するが、その後、欧米のデザイナーに選ばれるようになったのは、多様で独自なデザインと品質の向上に力を注いだからだ。

 *・゜゚・*:.。.(*´▽`)パァァ.。.:*・゜゚・*:
 ちょっと前の小泉メルマガでりぼんの話題を出しまして、その時は包装用のりぼんかと思っていたのですが、どうやらやえの早とちりのようでした。
 りぼんはいいですよね。
 しかもこの会社は「今では世界の高級リボン市場の大半を木馬の製品が占める」んだそうで、素晴らしいです。
 どうでしょうか、木馬さん、やえをイメージキャラクターにしてみませんか?
 やえほどりぼんを愛し愛用している人はいませんよ?(笑)
 
 
 というか、りぼんが本体じゃねぇ
 
 ちがいますっ(ばぎッ)
 
 ぎゃーまたオチ要員かーーー
 

平成18年1月31日

 差別は科学ではない

  引き続き差別について語ろうか。
 
 有り難いことに、この前の更新について一行ボードでいくつか反応をいただいた。
 「女人禁制の山」や「女は上がれない相撲の土俵」などは差別ではないのか、という意見だ。
 なるほど、よく聞く意見な上に、差別反対と声高らかに叫ぶ人たちがよく主張する意見である。
 しかもその辺の人たちというのは大概サヨクだったりするから、保守系と思われる当サイトにしては、また伝統を大切にする当サイトにしては、これはどうなのかと言説を取りたくなるのだろう。
 いやもっともだ。
 
 だが別にオレは矛盾した事は言っていない。
 当然オレは、これからも女人禁制の山は女人禁制にすべきだと思っているし、今でも土俵に女を上げてはならないと思っている。
 しかしそれは差別ではない。
 この前言った差別の定義のひとつである「その事象に直接関係ない属性をもって行動等に制限を加える」だが、ではこれを女人禁制の山を当てはめた場合、果たしてどう考えるべきなのだろうか。
 
 まず女人禁制の山は、どのような理由で女性の入山を禁止しているかを考える必要があるだろう。
 つまりその理由が差別の定義「その事象」となり、もし「その事象」と「属性」である女性の間に因果関係がなければそれは差別だと言える訳だ。
 逆に言えば、その間に因果関係があれば差別ではないことになる。
 
 ではなぜ大峰山などの山は女性の入山を禁止しているのかと言えば、それは「穢れる」からである
 
 穢れ、それは神聖であると考えられている場において最も忌むべき存在だ。
 それを避けるため神聖な山には女性の入山を禁止している訳だが、ではなぜ女性が入山すると穢れるかと言えば、それは女性は生理という月に一回必ず血を流す行為をするからなのである。
 日本の「穢れ信仰」の中でも、もっとも穢れとされているものに血がある。
 血は穢れそのものであり、神聖なものを犯す存在だと信じられている訳だ。
 そのために神聖な場においては、それが山だったり土俵だったりする訳だが、血を流す女性には入山を遠慮してもらっている訳で、それが女人禁制の理由なのである。
 誤解してはならないのだが、決して女性そのものが穢れていると信じているのではなく、血というものに対して穢れを感じているのである。
 
 それならば一律女性を全て禁止にする必要はないじゃないかと言うかもしれないが、この先が穢れ信仰の難しいところ。
 穢れとは「伝染るもの」だったりするのだ。
 驚くことではない。
 血と同じように最も忌むべき穢れであるものに「死」という概念があるが、人が死の近くに来れば死から発生する穢れが人に伝染るのである。
 だから葬儀の後、参列者が家等に入るときには塩をまく
 これは穢れを祓っているのである。
 逆に、塩をまかずに穢れを祓わずに家に入ってしまうとその家にさらに穢れが伝染ってしまい、さらにさらにその家に入っている人間に穢れが伝染ってしまい、と、どんどん穢れが拡大してしまうのだ。
 これを避けるために塩でもって穢れを祓う訳だ。
 このように穢れは伝染る訳である。
 
 生理は女性の象徴である。
 それだけに、どうしても穢れが祓いきれないと穢れ信仰の中では認識してしまうのだろう。
 もちろん神聖の山の関係者や相撲に関わる人が、普段から女性を穢れた存在だと思い続けている訳ではない事は言うまでもない事だが、しかし特に神聖である特別な場所においては、ほんのわずかな穢れであっても避けなければならないという概念があるために、どうしても女性は遠慮してもらわなければならないという事になってしまうのだろう
 穢れ信仰における神聖とはとても脆いものなのだ。
 ほんのちょっとの穢れでもいとも簡単に犯されてしまうのが、穢れ信仰における神聖なのだ。
 
 話を戻そう。
 差別とは「その事象に直接関係ない属性をもって行動等に制限を加える」という事も含まれるが、すなわち神聖な山や土俵上は女性禁止であるという考え方は、その事象に直接関係ある属性つまり「穢れ」が、女性と切っても切れない関係にあるために遠慮してもらっているのだから、これは差別とは言えないのである
 おそらく「そんな非科学的な話を」という人もいるんだろうが、しかし差別は必ず科学的に考えなければならないという事でもないだろう。
 証明するまでもなく、葬式の後の塩の事例を見れば一目瞭然、未だに日本人は穢れ信仰を信じているのだから、それが理由で行動を制限しても全く合理的だと言えるだろう。
 さらに言えば、そのような行為をしている場所は極めて宗教的な意味合いの強い場所なのだから、宗教上の理由が十分に説得力を持つのも当然の話だ。
 これは差別ではない。
 
 かなり根源的な話になるのだが、そもそも差別とは被差別人を蔑む心がまずあって差別が生まれるものである。
 黒人差別でも、部落差別でも、女性差別でも、基本的には侮蔑の心が差別を生んでいる訳だ。
 だからその蔑む心を克服すれば差別は消えると言えるのだが、その話は今回はとりあえずおいといて、つまり女性の入山禁止や土俵への禁止は別に女性を蔑んでいるから禁止しているという訳ではないのは普通に考えれば分かる事で、それをとやかく必要以上に騒ぎ立てる方が秩序の破壊者と言えるのではないだろうか。
 そしてだからこそ、蔑む心を持って禁止しているのではないのだから、入山禁止にはちゃんとした合理的な理由が存在するのである。
 
 差別という問題は観念的な問題だからこそ、その理由というものをしっかりと考える必要があるだろう。
 

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