☆やえニュース☆

  誘惑フランス大統領選挙強固な同盟を結ぶためには安倍メルマガレビュー危険な国中国「教育者運動禁止」と「最低投票率」は国民投票法案反対の理由にならない赤ちゃんポストに3歳児卑怯漢・古舘伊知郎立てこもり事件について一言発泡酒はビールではないっ!!憲法を守るシステムは守るためにある民主党は変わらない安倍メルマガレビュー「教育者運動禁止」と「最低投票率」は国民投票法案反対の理由にならない 2国民は政治に何を期待するのか火事場泥棒はどこにでもいるやえに教えてください

平成19年5月2日

 誘惑

 (今日の夕食はサラダっと・・・)
 
 いらっしゃいませー
 
 ええと、この「1日分の緑黄色野菜120g! ヘルシーカラフルサラダ」と「しっとり湯葉と こんにゃくのオクラサラダ」をください。
 
 はい、かしこまりました
 
 (量はしっかりとって空腹感対策です)
 
 お客様、ただいまタイムサービス中で、ハンバーグが100円引きになっておりますが、ごいっしょにいかがでしょうか。
 
 ・・・・・・・
 
 ・・・・・・・
 
 ・・・・・・・ゆ、
 
 ゆ?
 
 ・・・・・・・ゆ、誘惑しないでください・・・。
 
 ・・・・・・・
 
 ・・・・・・・
 
 ・・・・・・・合計530円になります。
 
 ・・・はい。
 
 ありがとうございましたー、またお越しください。
 
  。。 。 。 + ヽヽ ゜ 。・ 。 +゜ 。・゚(。´Д⊂) ウワァァァン!!

 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月7日

 フランス大統領選挙

 皆さん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。
 やえはちょっとした旅行に行ってきまして、けっこう楽しんできたんですが、あ、あの、なんて言いましょうか、やっぱり旅行に行くと美味しいモノが多いじゃないですか。
 ですから、あの、なんと言いましょうか、いろいろと美味しかったです。
   ・
   ・
   ・
   ・
 ・・・今日からまたサラダ生活ですね。
 
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 さて。
 いつの間にかフランス大統領が新しくなっていたようです。

 仏大統領にサルコジ氏=「変革」訴え、さらに右旋回へ−左派のロワイヤル氏涙のむ
 
 フランス大統領選挙の決選投票が6日行われ、即日開票の結果、右派与党・国民運動連合(UMP)総裁のニコラ・サルコジ前内相(52)が当選した。2期12年務めたジャック・シラク大統領に続く右派の3連勝で、サルコジ氏は今後5年の任期中、停滞する社会の「変革」を目指し、不法移民対策強化、労働時間制限の緩和などさらに右寄りの政策を打ち出すとみられる。女性初の大統領を目指した左派の野党社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相(53)は涙をのんだ。
 仏内務省が7日未明(日本時間同日午前)に発表した開票結果(在外投票分を除く)によると、サルコジ氏の得票率は53.06%、ロワイヤル氏46.94%。左右両陣営の戦後生まれの新人同士の対決となった今回選挙への国民の関心は高く、投票率は約84%に達した。

 「さらに右旋回へ」っていうタイトルはどうなのかと思わなくもないんですが、フランス国民というのは自国大好きっ子ばかりですから、右寄りが強いのかもしれません。
 特にいまのフランスというのは移民問題がけっこう大変だと聞いてますから、さらにそんな風潮が強いのかもしれませんね。
 
 ただ、日本にとって残念なのは、大の親日家として有名なシラク大統領が引退なさるというコトです。
 特に、新しい大統領となられるサルコジさんは、以前「相撲は知的なスポーツではない」とか「日本より中国の方が好き」とか言っているらしくて、その辺が今後どのような影響を日仏関係に与えるのか心配な面ではあります。
 もちろん大統領になったからにはその辺はある程度配慮するでしょうし、これらの発言は親日家として有名なシラク大統領に対抗しての一種のリップサービス的なモノなのでしょうから、今後それなりの日仏両首脳の対応によってどうとでもなるコトだとは思います。
 選挙になると多少口が過激になるのはどこも一緒というコトでしょう。
 
 また、逆に言えば、フランス的にも日本を標的にすればそれなりに国内に影響力が出るという、これは裏付けなのですから、日本人ももっと自信を持っていいひとつの事案だと思います。
 例えば日本の選挙の場合、「私はスリランカが好きだ(嫌いだ)」と言ったとしても、それは全く影響を及ぼさないでしょう。
 しかし「私はアメリカが好きだ」と言えばやはり影響が出るワケで、こういう時に日本が名指しされるというコトは、国際的に見て日本もそれなりの存在感があるというコトに他ならないと言えるワケです。
 これはもっと誇っていいコトでしょう。
 おそらくこういうコトは日本人自身が一番分かってないんでしょうけどね。
 
 ただやえが思いますに、せっかく世界的にも希に見るぐらいの日本知識を持つ親日家のシラクさんが大統領だったのですから、その時にしっかりと日仏関係を強固なモノにしておけばよかったんじゃないかと思うのです。
 首脳同士の個人的な関係も外交においては大きな力になるというコトは、小泉−ブッシュの例を見るまでもなくいコトでして、だからこそシラクさんが大統領のうちに、もっともっと日仏関係を発展させておくべきだったのではないでしょうか。
 そうすれば日本もアメリカ一辺倒だけじゃなく、もっと外交の輪が広がったかもしれません。
 いまさら遅いと言えば遅いですが、せっかくのチャンスだったのにと思わずにはいられません。
 
 というか日本はあまりヨーロッパの国々と積極的な親密な外交をしませんよね。
 事実上世界トップの影響力を持つG8にしてみても、8カ国中ヨーロッパの国は5カ国と半数以上を占めているコトからも、ヨーロッパの国々は世界的に強い影響力を持っています。
 ですから、日本もアメリカと同じぐらい、ヨーロッパの主要国とは外交上強い絆を持っておく必要があるのではないかと思うのです。
 しかし今まで戦後日本はどうしてもアメリカ一辺倒となってしまい、ヨーロッパの国とは結果的に距離を置いてしまっています。
 戦前では日英同盟や日独伊三国同盟や、また日本の近代憲法(明治憲法)もドイツの憲法を参考にしてつくられたなど、日本は当時の方が世界的な視野を持っていたと言えるのではないでしょうか。
 世界や外国とは、アメリカや中国だけではないワケで、ましてヨーロッパは中国韓国などよりも色々な面で強いワケで、さらにヨーロッパの方が友好関係は築きやすいと思いますから、緊密な関係を築いていくコトはヨーロッパの方が簡単だと言えると思います。
 それらの国々ともっと密接な関係になれれば、経済面でも軍事面でも世界の中の政治という意味においても、日本はもっともっと強い立場、責任ある立場になれるでしょうし、それは当然日本にとってよいコトです。
 
 時期サミットは北海道の洞爺湖に決まったコトですし、ここでまた新たな外交が展開されればいいですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ヨーロッパ友好を応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月9日

 強固な同盟を結ぶためには

 先日の更新で、日本はアメリカ以外の国とはあまり強い友好関係・同盟関係を築いていないコトについて、それはもったいないんじゃないかっていうお話をしました。
 特にフランスのシラク元大統領なんて、世界有数の親日派の人であり、その知識は日本人以上と言われていて、どうもよくよく調べてみたらシラク大統領の訪日回数は45回にも上り、これは世界の首脳ではかなり異例の回数なんだそうで、それぐらいの人がいながらあまり日仏関係がいつもより強固になったとかそういう感じを受けなかったというのが非常に残念でなりません、というお話をしました。
 
 もちろんシラク大統領だからこそできた日仏関係というモノもあったでしょう。
 一番分かりやすい例で言えば、シラク大統領の大好きな大相撲との関係です。
 今では幕内優勝者に「ジャック・シラク杯」と呼ばれる仏大統領杯を授与しているぐらい、その関係は深くなっています。
 おそらくこの他にも、シラク大統領との間に親密な関係を作った国内の文化団体は少なくないんじゃないかと思われます。
 
 しかしやっぱりそれらは、言わば公的とは言えない、私的な関係で終わってしまっているんですね。
 正直やえもシラクさんが45回も訪日されていたなんて知りませんでしたし、日本のマスコミも毎回毎回訪日されていると大きく取り上げていませんでした。
 アメリカの大統領が訪日されるとそれは大きなニュースになるのと対照的です。
 つまり結局それらの事実が示すコトは、公的な政府間の関係が、悪く言えば所詮それぐらい、良く言っても他のヨーロッパ主要国、イギリスやドイツなどと全く変わらない関係でしかなかったと、そう言えると思います。
 
 なぜなんでしょうか。
 
 逆に考えてみます。
 なぜ日本はアメリカとだけ強固な同盟関係→友好関係を築いているのでしょうか、アメリカとその他の国とは何が違うのでしょうか、どこが違うのでしょうか。
 考えられる相違点がひとつだけあります。
 それは軍事です。
 
 経済的な条約は日本ももちろん各国と結んでいます。
 特に最近はFTA(自由貿易協定)というのが流行っているみたいで、どの国もこぞってFATの締結を競っている状況です。
 しかしやはり所詮経済は経済。
 経済の条約の場合は、どっちがどっちというのではなく、ただ単に「商売をする際のルールを整備する」というレベルで終わるワケで、その基本的精神は「どっちも一方的な不利にはならないようなフェアなルールを作りましょう」というモノです。
 もちろん経済を通じて友好関係が築ける場合も多々ありますが、条約自体には決して相手の懐に飛び込むようなモノではありません。
 「金の切れ目が縁の切れ目」ということわざもありますしね。
 
 つまり、相手の国家全体としてがっちりとスクラムを組むという関係を築くための条約とは、やはり軍事同盟なのです。
 軍事同盟とは基本的に「相手が困っている時には自分の身を犠牲にしてでも助ける」というモノです。
 それは当然お互いに言えるので、中長期的には自分のためにもなるからというのはあるワケですが、しかしその場その場では、自分が損をしてでも相手を助けるという精神を内在しているワケです。
 ルールを整備するだけで終わる経済同盟とはこの辺で全く異にします。
 相手のために自分の身も削るという点において、軍事同盟とはお互いに本当に信頼関係が築ける、いや築かなければならない同盟関係なのです。
 
 そう考えたとき、やはり日本はどうしてもアメリカとしか強固な同盟関係を築くコトが出来ないというコトに気付かされます。
 なぜかと言えば、日本は軍事力を持っていないからです。
 日本の自衛隊は確かに世界有数の装備を持っていて規模もかなり大きなモノですが、しかしそれは自国防衛だけに限った話でしかありません。
 現行憲法下では、自衛隊が外国のために兵を出して一緒に敵国と戦うというコトは出来ませんから、それでは普通は軍事同盟なんて結べませんよね。
 
 その唯一の例外がアメリカなのです。
 日米安保は、日本が敵国から攻撃された場合はアメリカ軍が助けるコトになっていますが、アメリカが攻撃されても自衛隊がアメリカを助ける必要はありません。
 つまり一方的に日本はアメリカに庇護されているのが日米安保で、これは普通の軍事同盟では考えられない形です。
 常識で考えてみてください。
 「あなたが攻撃されても手は出さないが、わたしが攻撃されたら助けてください、そんな同盟を結びましょう」と言って、承諾されるでしょうか。
 そんなお人好しはまずいませんよね。
 日米安保の場合は歴史的な事情もありましたのでこのような形であり、しかしそれはそれでやえはまた改善していかなければならないと思っていますが、やはりアメリカ以外で考えれば、日本が軍事力を持たないからこそ、結局日本はアメリカぐらいの強固な関係を築けるような同盟を他の国と結べないと言えるのではないかと思うのです。
 
 現在日本とアメリカの関係はすこぶる良好ですが、これは言うまでもなく小泉−ブッシュ間の功績です。
 しかし決してこれが、小泉さんとブッシュさんの完全な個人的な付き合いだけかと言えば、それは違うでしょう。
 ブッシュさんが一番小泉さんに感謝しているのは、やはりイラク戦争でのコトがあったからではないでしょうか。
 日本はいままでの一方的なアメリカ庇護下の関係から一歩踏み出して、堂々と支持を打ち出し自衛隊を派兵しました。
 その判断やイラク戦争そのモノの是非は置いておくにしても、そういった日本の「相手が困っている時には自分の身を犠牲にしても助ける」という精神が、同盟関係・信頼関係を寄り強固なモノにしたのです。
 やはり国家間の信頼関係は軍事関係こそが最も重要だと言えるでしょう。
 
 ですから、現在の日本のシステムでは、日本は他の国とは強固な同盟・確かな信頼関係を結べないのです。
 先日の更新でやえは、フランスとかドイツとかと、アメリカ並みの強固な同盟関係が出来ないモノなのでしょうかと嘆きましたが、もしそうしたいのであれば、日本がソフトの面でもハードの面でも外国並みの軍事力を持ち無ければならないワケです。
 日本が普通の国並みの軍隊を持って、そしてお互いにピンチの時は身を犠牲にしてでも助け合いましょうと約束し合ってこそ、はじめて真の信頼関係が生まれるコトでしょう。
 日本がもし普通の国並みの軍事力を持っていれば、いまごろフランスとはもっともっと近い友人になれたかもしれないと考えたら、せっかくのチャンスだったのに、残念で仕方ありません。
 
 いまいちど日本人は外交と同盟と軍事について考え直さなければならないのではないでしょうか。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月10日

 強固な同盟を結ぶためには

 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
       安倍内閣メールマガジン(第28号 2007/05/10)
 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
 
 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● アメリカと中東5カ国を訪ねて
 こんにちは、安倍晋三です。
 4月26日から5月3日まで、アメリカ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、カタール、エジプトを訪問しました。
 出発の日にお送りしたメールマガジンで、ブッシュ大統領との会談に臨む心境をお伝えしましたが、大統領との友情と信頼関係を深められたこと、お互いをジョージ、シンゾウと呼び合う仲になったことを、今週号で報告できるのは大変うれしいことです。
 
 こんにちは、安倍さん。
 GWの期間を削っての世界一周、お疲れ様でした。
 ブッシュ大統領との会談もそこそこの成果をあげられたと聞いていますし、有意義な世界一周になったようで、よかったですね。
 
 大統領ご夫妻との家族ぐるみの夕食会、数々の歴史を刻んできたキャンプ・デービッドでの首脳会談、そして昼食会(メニューは、いかにもアメリカらしい大きなチーズバーガー)。
 2日間計6時間にわたり、お互いの外交観、北朝鮮の問題、経済の問題、エネルギーや環境問題、大リーグで活躍する日本人選手の話まで、実に幅広いテーマをリラックスした雰囲気の中でじっくり話し合うことができました。
 
 大きなチーズバーガーって、最近話題になっているアメリカ人大肥満シンドロームの原因とされているアレですね。
 なんでも最近のアメリカは、ハンバーガーに限らず、ありとあらゆる外食食品が巨大化しているらしくて、しかもそれはアメリカ人だからという理由だけでは片付けられないほどの規格外な大きさらしいのです。
 どうしてアメリカがそんなになっちゃったのか、サービス競争の産物なのか分かりませんが、やえに言えるコトは、いまのやえにはつらいお話だというコトです(笑)
 
 夕食会の際には、大統領ご夫妻にホワイトハウスのプライベイトエリアをご案内いただき、ペリー提督が日本から贈られたという家具を見せていただきました。この家具は、幕末から今日に至るまで150年余にわたり、日米関係の変遷を見守ってきたのだと思うと、感慨深いものがありました。
 
 そんなモノもあるんですねぇ。
 と言っても、日本人からしたらペリー提督は無理矢理開国を迫った内政干渉者としか言いようがないんですが。
 ただまぁ、それがあったからこそ、日本は結果的には欧米列強の植民地にされなかったというのも事実ですから、歴史というモノは一面だけで判断できないですよね。
 
 アメリカの議会との対話も極めて重要です。党派を越えた上院、下院のリーダーたちと会談し、日米同盟をさらに強化し、日米がともに世界の課題に取り組んでいくことが重要だと意見が一致しました。
 ブッシュ大統領や議会のリーダーたちと、かけがえのない日米同盟をゆるぎない同盟として、広く深く進化させようと合意したことは、大きな成果だと思っています。
 
 日本ではこの辺いわゆる従軍慰安婦問題ばかり報道されていて、他にどのような交流があったのかよく伝わってこないのですが、どうだったんでしょうか。
 まぁこれは民主主義のシステムを採用している国ならどこでもいっしょなのですが、議員は議会と数と選挙というモノにはどうやっても抗えないですから、慰安婦問題にしてみても向こうの議員さんもいろいろと思うところもあるんだと思います。
 自分の国だって、戦争の時は慰安所を建ててたワケですし、昔のコトを言い出したら、黒人狩りを行い奴隷制度を合法化していた国だったりするのですから、本来他人の昔のコトをとやかく言えたもんじゃないハズです。
 この問題はむしろ日本人自身がどう考えるかの問題だと思います。
 保守の側があれこれ言って政治家を責める言説ばかりしていますが、国民自身がほぼ100%「あんなのは中韓のでっち上げだ」と認識すれば当然政治だってそのようになるんですから、ものを言う相手は本来国民なのです。
 むしろ言論家思想家が政治家に頼っている姿は、情けない姿と言えるのではないでしょうか。
 
 中東も日本にとって重要な地域です。日本は石油のほとんどをこの地域から輸入しています。しかし、それだけではありません。中東地域の平和と安定は、国際社会の安定と発展に欠かせません。
 中東の各国は、エネルギーだけに依存する国家経済のあり方に危機感を抱いています。将来を見据えた人材育成や教育を重視しています。UAEは、日本の教育に憧れを持ち、日本人学校に現地の子弟を入れることに熱心です。カタールでも、日本の教育方式を導入しようとしています。これまでの石油中心の関係のみならず、文化、教育、産業など重層的な関係を築くことが、お互いの発展につながります。
 
 中東はなんだか日本へのあこがれが強いみたいですからね。
 それがどれだけ現実の日本を見ているのか分かりませんが、まぁ友好的なのは変わりないですから、この前の一連の更新ではないですけど、強い友好関係を築きたいですよね。
 また、日本が本当の意味での軍事力を身につけたあかつきには、中東の国々を保護してあげるぐらいになってもいいんじゃないかと思います。
 特に日本はエネルギーがとれないですから、それは大きなメリットになるでしょう。
 
 今回の訪問には、エネルギー産業の方々だけではなく、IT、金融など幅広い業界から史上最大規模の180名に及ぶ日本の経済界の方々に同行いただきました。
 「日本・中東新時代」を築こうとする私の考えと、日本の経済界の中東への強い関心は、行く先々で支持、歓迎され、日本に対する期待の高さを感じました。こうしたアプローチが、日本と中東諸国との関係の多様化と深化への起爆剤になると手ごたえを感じています。
 
 あ、いつの間にか日本もこういうコトするようになってたんですね。
 外国では、首脳の外遊の際には経済界の人を連れて行って、いろいろとコネクションをつくる機会を与えるっていうのは普通に行われていて、日本もこういうコトをすべきだとかいう議論が結構前ですけどありましたが、良い方向に進んでいたんですね。
 どんどんこういう交流は続けていってほしいと思います。
 当然それは日本全体の将来にとってプラスになるんですからね。
 
 それにしても、3年ぶりに訪れたサウジアラビアの高速道路の発達ぶり、高層ビルの建設が進むアラブ首長国連邦やカタールの活気に目を見はりました。ドバイでの昼食会は、地上321メートルと世界一の高さをほこる半円形のホテル。エメラルド色の海と開発が盛んな湾岸都市を一望できました。
 
 安倍さん、3年前にもサウジアラビアに行かれてたんですね。
 しかしやっぱり発展している勢いのある国は、見ても行っても楽しいんでしょうねぇ。
 エメラルドの海ざぱーん
 
 アブダビとクウェートでは、海外で活動を続ける自衛隊員を激励しました。
 テロ対策の一環として、インド洋上で各国艦船への燃料補給作業を行っている海上自衛隊員。イラクへの輸送業務に携わる航空自衛隊員。一糸乱れぬきびきびとした動きから、隊員たちの士気と規律の高さがうかがえ、頼もしさを感じました。
 現地で活動する自衛隊員一人ひとりの努力の積み重ねが、国際社会からの日本の高い評価へとつながっています。家族と離れ、厳しい環境下で、困難な任務に励む隊員たちに心から敬意を表します。
 
 こういう人たちの活動こそが、現地の国と日本との友好の架け橋になっているというコトを、国民は知るべきではないでしょうか。
 大変な環境の中、本当にご苦労様です。
 
 5泊8日(機中3泊)の駆け足でしたが、実り多い旅となりました。
 この達成感を力の糧として、国会での重要法案審議を始めとする内外の諸課題に全力をそそぎます。(晋)
 
 はい。
 参議院選挙に向けて、またいろいろと駆け引きが出てきて、なかなか法案の中身だけをじっくり審議できなくなるかもしれませんが、頑張ってください。
 提出法案の充実性だけを見れば、安倍さんは小泉さんより上なんじゃないかと思うんですが、それでも支持率も人気も小泉さんの方が上なのですから、その辺がいろいろと考えなければならないところですね。
 
 
 
 [この人に聞きたい]
 ● 税関における銃器に係る水際対策
  (横浜税関監視部特別監視官 村瀬清見)
 「気を付け!敬礼!」
 税関事務室の一隅に整列した職員が現場に出かける前に行なう朝の点呼の光景。
 横浜港のほぼ中央に位置する人工島の大黒ふ頭に私の勤務する横浜税関の監視部取締本部がある。点呼で任務を確認した職員は、ここからそれぞれの取締り現場に向かい、翌朝までの24時間勤務が始まる。
 
 びしっ
 はじめまして、やえですっ。
 税関ってコトは、警察ではなく、防衛省自衛隊でもなく、また国土交通省海上保安庁でもなく、法務省の方ですね。
 
 私たち監視部の任務は、外国貿易船が入港し、積載された貨物が船から取卸され、その貨物が倉庫に搬入され、倉庫から国内へ引取られるまでの一連の流れの中で、銃器や麻薬、覚せい剤などの社会悪物品の密輸入等を水際で阻止することが第一である。
 私たちが取り締まる横浜港には年間1万隻を超える外国貿易船が入港する。入港隻数は日本一で船の種類もコンテナ船、貨物船、タンカー、自動車専用船、そして客船など多種にわたる。社会悪物品がこれら船舶の乗組員、旅客や世界各国から輸入される貨物により密輸されるリスクは高く、我々税関職員は船内検査、張り込み、貨物検査等状況に応じて工夫を凝らした水際での密輸取締りに全力を挙げて取り組んでいる。
 
 なんだかんだ言って、日本の治安の高さ、またこの手の犯罪物が日本では手に入りにくいのも、日本が四方を海囲まれている島国だという利点が大きいワケです。
 特にまだ航空機では大量の物品を一度に運ぶコトは難しく、またテロル対策などで検査も一段と厳しいワケですから、陸路が取れない日本において海路こそがほぼ唯一の密輸のルートになります。
 そしてその最前線で食い止める役割をしている方が、この方々ですね。
 
 また、水際における取締りは入港する外国貿易船だけではない。海に囲まれた日本は海上のどこからでも密輸入の可能性がある。洋上取引はもとよりマリーナや小さな漁港にも目を光らせなければならない。
 
 そうですね。
 これは密輸とは関係ありませんが、北朝鮮の工作員なんかは、ゴムボートで潜入したという例もあるらしいですから、陸路が取れないメリットもある一方、なかなか監視が届きにくい場所が出来てしまうというデメリットも出てくるワケです。
 それを全て監視しなければならないのは大変でしょう。
 
 昨年、横浜税関において、銃砲12丁、実包223個、爆薬6本を摘発した。これらは、種々の検査・取締機器や監視艇、税関の取締ノウハウをフルに活用し、更に警察、海上保安庁等関係取締機関との緊密な連携の下で摘発に至ったものであり、改めて連携の重要性を強く認識したところである。
 最近の銃器を使用した凶悪事件は極めて憂慮すべき事態であり、その水際阻止に職員一丸となって取り組むことを心に誓い、今日も見えざる敵と対峙して港のそこここで目を光らせている。
 
 「見えざる敵と対峙して」ってなんだかカッコイイですね。
 どうぞ日本の安全のため頑張ってください。
 時には危険なコトもあるかと思いますが、よろしくお願いします。
 
 
 
 [東奔西走]
 私はゴールデンウィーク中、安倍総理の米国・中東歴訪に同行し、3日の夕方に帰国しました。乾いた砂嵐の吹く中東に長くいたため、羽田空港に到着し、新緑の香りに包まれたときには、少しほっとしました。
 
 旅行に行って帰ってきたらやっぱり「お家が一番だね」って言いますもんね。
 せこう先生もお疲れ様でした。
 
 ワシントンから始まって、リヤド、アブダビ、クウェート、ドーハ、カイロと続いた今回の外国訪問は、私にとっては今年2回目の世界一周。カイロを除き各都市1泊、機中泊3泊という日程はとてもきつかったですが、それだけの価値があるものでした。また、これだけの日程と緊張感のある首脳会談を連続でこなしても、全く疲れを見せない総理のタフさにも驚きました。
 
 政治家の方って総じてタフなんですよね。
 おそらく、実際に活動している時間より移動時間の方が長かったと思います。
 こう文字にするとなんでもないようなコトに見えますが、実際はものすごく大変だったと思います。
 
 今回安倍総理の発案で中東歴訪に同行してもらった御手洗日本経団連会長を団長とする180名もの経済ミッションは、日本経済界の中東への関心の強さを示すこととなり、各地で大歓迎を受けました。少しでも自分の訪問の価値を高めようという、総理の真摯な姿勢が今回の歴訪でも垣間見られました。(せこう)
 
 さっきも言いましたけど、いいですよね、こういう活動は。
 中東も日本の経済力の高さにあこがれていますから、その日本経済のトップの人と会えるというのは、向こうの人たちにはとても喜ばしいコトだったでしょう。
 もちろん日本にとっても重要なエネルギー供給の相手ですから、こうやってもっともっと絆を深めてほしいと思います。
 安倍さんも、せこう先生も、そして帯同されたスタッフのみなさんも、本当にお疲れ様でした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月12日

 危険な国中国

 一昔前、そうですね、時期的には小泉さんが総理に就任するもうちょっと前ぐらいでしょうか、それぐらいの日本というのは、まだまだ日本はサヨク的な空気が支配してしました。
 簡単に言えば、北朝鮮や韓国に対する、論を示したキチッとした批判であっても、それを口にするだけで「友好の敵だ」とか「右翼だ」とか「売国奴だ」とか、そう言われる時代でした。
 いまでは考えられないでしょうけど、韓国北朝鮮批判はタブー視さていたのです。
 しかし数少ない保守系の考え方を持つ人たちは、韓国はどう考えても変な国だと認識していました。
 今では、特にネットの世論では常識になっていますし、正しい批判であるならどんな場だって今では出来るようになっていますが、これはつい数年前までは考えられないコトだったのです。
 
 しかし過去に置ける保守論断の中でも、韓国北朝鮮以上に危険視されていたのはむしろ中国の方です。
 今では韓国の異常性の方がピックアップされていますが、本来もっとも危険なのは中国の方だというのは、昔からの保守系の思想を持っている人なら常識的なコトでした。
 むしろ韓国などという国は、確かに嫉妬心に駆られているちょっとアレな国民性と言えますが、それは最近「火病」とかとも言われているように、所詮は病気程度、見た目だけを異常に気にするだけで、もしかしたら治る可能性もなくはないと言えるんじゃないかと思われる程度のモノでしかありません。
 一方中国は、これはもう正直、こういう人たちとしか言いようがない程、変わった国民性です。
 根っからこうなのか、それとも4000年の歴史によってすでに手遅れまでなってしまっているか、それは分かりませんが、あまりにも世界の常識と中国だけの常識が違ってしまっています。

 【北京春秋】ニセ札天国
 
 いくらコピー王国、中国だとはいっても、携帯電話メールで堂々と「ニセ札売ります」の宣伝が入ってくるのにはさすがにあきれてしまう。こんな事件が最近、あった。
 出稼ぎ仕事の手配師2人が出稼ぎ農民らへの給料用にとニセ札を買うことにし、安徽省のニセ札屋から20万元で100万元分のニセ札を買った。だが、帰って札束を確認してみると、束の最初の数枚と最後の数枚だけが本モノのニセ札で、中は白紙。途方にくれた2人が「20万元詐取された」と警察に届けたところ、2人ともお縄に…。ニセのニセ札をつかまされたドジな悪人は笑えるにしても、銀行のATM(現金自動預払機)からもニセ札が出てくるとなれば笑いごとではすまない。
 南方都市報によれば、広州市の農業銀行のATMで、男性が5000元を引き出したところ、100元札20枚分のニセ札が出てきたので、銀行にかけ合ったところ、「ATMでニセ札が出てくる可能性はゼロに近い」と取り換えに応じてくれなかった。ATMから偽札が出てくるのは、私自身も体験ずみなので、男性には大いに同情したよ。
 こんな状況で金融市場の国際化をうたう中国っていい度胸。

 もうどこからツッコんでいいのか分かりません。
 労働者に支払うためのお金をニセ札で払おうとする精神がまずおかしいですし、さらに買ったモノが「ニセ札のニセモノ」というところでなんでそんなモノすらあるのかと思わずにいられませんし、そもそも簡単にニセ札を買おうと思って買えるところがスゴイです。
 それを警察に通報しようという根性もよく分かりません。
 さらに銀行からニセ札が出てくるという話が存在するだけで、日本では考えられませんよね。
 普通そんな話があれば、本当にニセ札が出てきていなかったとしても、常識的に考えて銀行の窓口で一蹴されるコトはまずないですし、どちらにしても日本では一気に全国ニュースモノです。
 また、「ニセ札のニセモノ」が存在しているというコトは、つまり「ニセ札需要が中国には相当に多い」というコトなのでしょう。
 これだけですでに日本の常識をものスゴイ勢いで通り越しています。
 
 ツッコミだけでこんなにあります。
 もうなんで中国ではこんなコトになってしまっているのか、形容のしようがありません。
 あえて言うとしても「変な国だ」としか言いようがないですよね。
 さらに、こんなニュースまであります。

 【中国】給料袋の中身は「偽札」、怒る作業員を工場が解雇
 
 広東省仏山市の順徳区にある染物工場で9日、作業員約20人に支給された4月分の給料が偽札だったことが判明した。作業員が会社側に抗議したところ、逆に解雇処分となった。10日付で広州日報が伝えた。
 事件が発覚したのは作業員2人が紙幣が偽物ではないかと気づいたため。近くのスーパーマーケットにある検査機でチェックしたところ、偽札と判明した。
 2人が仲間に伝えたところ約20人が偽札を支給されていたことが分かった。作業員らの抗議に会社側は「銀行のミスだ。本当の紙幣と交換するかどうかは銀行と交渉して決める」と回答、作業員に現場に戻るよう命じた。怒った作業員は就業を拒否したが、会社側は「職務放棄」を口実に解雇を言い渡した。
 近所で工場を営む男性が騒ぎの一部始終を目撃し、警察に通報した。この男性によると、同工場で偽札が作業員に支給されたのは今回が初めてではないという。同工場は広州日報の取材に対して「我々も被害者だ」と釈明した。

 どこからツッコみましょうか。
 やっぱりお給料にニセ札を使うコトが、中国では日常茶飯事とは言いませんが、それなりにあるコトと言えてしまうのかもしれません。
 しかもこの記事でも「銀行からニセ札が出てくる可能性」も否定できないようで、そもそも銀行がそう疑われるコト自体どうかと思うワケです。
 そして、まともに給料を払っていないのにもかかわらず、逆ギレして解雇。
 もう全てが狂ってますね。
 
 中国人の一番スゴイところは、自分が悪いと思わないところです。
 罪悪感が無いところです。
 悪事をはたらいても、「バラしたヤツが悪い」と、中国人はそう思うワケです。
 
 メンツばかりを気にする韓国人は所詮メンツだけですが、中国人は悪事に対する根底的な考え方がこうなので、全体としてはさらにアレな方向に行ってしまうのでしょう。
 中国国営遊園地において大々的にディズニーキャラやドラえもんなどのパクりキャラを堂々と使用したり中国国内の動物園においてポニーちゃんに縞を塗ってそれがシマウマだと強弁したり、またそれを指摘しても完全に開き直って「指摘する方が悪い」と言わんばかりの態度を見せます。
 特にシマウマの言い訳としての「このシマウマはアフリカから来た。アフリカから来たのがシマウマじゃなければ、なんだっていうんだ」という言葉は、もはや日本人には理解できないところまでイッちゃっているとしかいいようがありません。
 国家としてはそれが時としてクレバーになったり、またしたたかになったり、超現実的になったりするので、上手くいく場合もありますが、基本的には中国はこういう国民性だというコトを日本人は忘れてはならないと思います。
 
 そう言えば、日本の中で最初に韓国に対して悪印象を大々的に植え付けた、言い換えれば真実をやっと日本人に伝えたキッカケは日韓共催サッカーワールドカップでしたが、今度は北京オリンピックがキッカケとなって中国の異常性の真実を知るコトになるかもしれません。
 本当の友好とは、お互いのコトをよく知るコトだ、という言葉は言い得て妙ですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日中友好を応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月14日

 「教育者運動禁止」と「最低投票率」は国民投票法案反対の理由にならない

 おそらくこの記事がアップされている頃には、参議院でも国民投票法案が可決され、成立しているのではないかと思うのですが、ここで改めてもう一度この問題について取り上げておきたいと思います。
 以前の更新で国民投票法案を取り上げましたが、その際には主に民主党案についてを取り上げ、それは反対の理由にならないと書きました
 投票年齢を18歳とするのは他の法案制度に合わせて総合的に考えるべきで国民投票だけを変えるべきではない、というコトと、そもそも憲法改正の手続きが今まで整備されていないのがおかしいのであって今回はそれを是正させるのが目的なんであってだから他のコトまで国民投票で変えられるようにするのではなく憲法改正だけを取り扱うべきだ、というコトでしたね。
 
 今回は、国民投票法案の反対の理由として挙げられている、「教育者運動禁止」と「最低投票率」について取り上げようと思います。
 
 まず「教育者の運動の禁止」についてです。
 法案では、公務員や教職者の運動は禁止するとなっています。
 しかし法案に反対する人は、これを「言論の自由を妨げる」と主張し、反対しているワケです。

 第百三条 2
 国若しくは地方公共団体の公務員若しくは特定独立行政法人若しくは特定地方独立行政法人の役員若しくは職員又は公職選挙法第百三十六条の二第一項第二号に規定する公庫の役職員は、その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して、国民投票運動をすることができない。

 しかしふつう常識的に考えて、教職者が積極的に政治運動するっていうのはおかしい話ですよね。
 選挙運動もそうなんですが、教職者がその地位を利用して政治活動をしていいワケがありません。
 学校の先生という、ものを人に教える立場の人が「誰々に投票した方がいい」「今回は賛成した方がいい/反対した方がいい」と言ってしまうのは、それは公平な投票を阻害するコトになるでしょう。
 教育とは「こうするコトが正しい」というのが基本的なスタンスであって、つまり教職員が政治運動するというコトは「学校の先生が言ったんだから正しいに決まっている」と、そう思わせるコトに結果的になってしまいます。
 しかしあくまで政治への自分の意見は個人の見識でしかないのですから、学校の先生という肩書きの上で政治活動をするというコトは、それは肩書きを私的利用している行為に他ならないのではないでしょうか。
 
 むしろ学術の徒である教職者であるなら、積極的に政治活動は自粛すべきだと思います。
 今ではすっかり言われなくなりましたが、昔学校の先生は「聖職」と呼ばれていたコトがありました。
 それだけ教師には重い社会的責任がありましたし、それは人にものを教えるという一段高い立場にあるからに他なりません。
 だからこそ、一方に傾くような公平さを欠くようなコトになりかねないのでしたら、自ら率先して自らを律しし、そうならないよう自粛すべきなのではないでしょうか。
 そうしてこそ、教職者としての正しい姿なのではないかとやえは思います。
 
 反対者は「言論の自由」などというコトを言っていますが、もしどうしてもと言うなら、教職者は教職者というコトを名乗らずに、ただの個人として言論すればいいだけの話です。
 言論の自由は個人に与えられている権利であって、立場によってはその立場に沿った制限がかかるのも仕方ない話です。
 例えば公務員には一生涯の守秘義務がかかりますように、その立場で得たコトはその立場に沿って制限がかかるワケです。
 ですから、教職者とはものを教える立場なのですから、その立場を利用しての政治活動は制限されてしかるべきでしょう。
 もしどうしても個人として政治活動したければ、自分が教職者と絶対に分からないような立場においてやればいいのです。
 そこまでは法律は禁止していません。
 
 むしろそれなのにわざわざこれに反対するというのは、敢えて意図的に教職者という立場を私的に利用して政治活動したいと言っているようにしか聞こえません。
 これは、教職者というものを教える立場だと主張し、聞き手にある種のプレッシャーを与えて、公的な立場で聞き手に説得力を持たせようという戦法なのではないでしょうか。
 こんなのあまりにも卑怯です。
 そしてもはや個人に与えられている言論の自由という権利を逸脱していると言えるでしょう。
 
 日教組やその支援をもらっている政党あたりが、自分たちの都合の良い主張をしたいがために、そんなようなコトを言っているのでしょうけど、教育者であるならもうちょっと教育者としての自覚を持ってもらいたいです。
 自分たちは「聖職」であるという自覚を持ってもらいたいです。
 さっきも言いましたように、近年教育者のコトを「聖職」と呼ばなくなってますが、これは教育者自身がその地位を貶めているからなのではないでしょうか。
 そんな気がしてなりません。
 
 
 では次に、「最低投票率」についてです。
 
 
 
 (つづく)
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月15日

 赤ちゃんポストに3歳児

 以前も取り上げたコトがありますので同じコトの繰り返しになるのですが、やはりと言うべきか、それとも想定外の事態が起きたと言うべきか、赤ちゃんポストに3歳の子供が“捨てられ”ましたので、もう一度取り上げておきたいと思います。

 <赤ちゃんポスト>初日に「3歳」男児が預けられる 熊本
 
 さまざまな事情で親が育てられない新生児を匿名で預かるとして、今月10日に国内で初めて熊本市の慈恵病院(蓮田太二理事長)で運用が始まった「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」に、運用開始初日の同日午後3時ごろ、3歳とみられる男児が預けられていたことが分かった。
 関係者の話によると、男児は自分の名前と、年齢を「3歳」と答えており「新幹線に乗って、お父さんと(病院に)来た」と話している。健康状態は良好だという。
預けられた男児は今後、児童相談所が一時保護したうえで、親元に帰すか、施設などで育てるかを決める。3歳児の場合、預かる施設は乳児院か児童養護施設になる。国は家庭に近い環境での子育てを目指し里親の拡充を進める方針だが、05年の調査では、里親に預けられる子供は1〜2歳が最も多く、年が上がるにつれ委託数は下がってくる。

 この「赤ちゃんポスト」、なにが問題なのかと言いますと、捨てる側の親の責任を一切無視しているという点です。
 どんな理由があれ、子供を捨てるという行為は、社会的にも人道的にも、そして法的にも許される行為ではありません。
 分かりやすいので法的な責任で言えば、おそらくこの行為に一番当てはまる罪状は「保護責任者遺棄罪」でしょうけど、この罪には「3ヶ月以上5年以下の懲役」という罰が定められている罪です。
 この罪は決して軽くありません。
 これと同じ罰が定められている罪としては、例えば人身売買などがありますが、つまり赤ちゃんを捨てるという行為は、人身売買するぐらいと同じぐらい重い罪なのです。
 しかしこの赤ちゃんポストというのは、この重い重い罪を一切顧みない、責任から完全に逃れている存在としか言いようがなく、この点において決して認められるべきモノではないとやえは考えています。
 
 中には「虐待されるよりはいい」と言う人もいます。
 しかし、やえにはこの言い訳は、あまりにも都合の良すぎるというか、勝手すぎる言い分にしか聞こえません。
 例えば、「このままでは一家心中するしかなかったのでお金を盗んだ。仕方なかった」と言えば、それで許されるとでも言うのでしょうか。
 決してそんなコトはありませんよね。
 ひとつの罪を起こさないために、別の罪を犯しても、どっちにしても罪は罪、犯罪は犯罪です。
 子供を捨てるコトも、子供を虐待するコトも、言うまでもなくどちらも犯罪です。
 どっちも犯してはならないコトです。
 両者を比べて天秤に乗せ片方だけを取ればいいという問題では全くありません。
 「子供を殴らない代わりに捨てさせろ」
 罪を盾にして罪を許せだなんて、それは一種のテロルと言えてしまうような、卑怯すぎる言い訳なのではないでしょうか。
 
 もし本当に子供のコトを思うのであれば、親はその罪を人生全てを使って償う覚悟で“捨てる”べきです。
 当然法的な罰を受け、社会的な罰も受けて、社会に土下座しながら生きるというのであれば、まだ「赤ちゃんポスト」に子供を捨てるのも致し方ないと言わざるを得ない気がしないコトもありません。
 そして子供がある程度判断能力がつく時期に来たら、事実を明かして子供がどうしたいか自分で決めればいいでしょう。
 親にあって一発殴るのもよし、それともまた親と共に暮らすのもよしです。
 百歩譲って親の育児放棄を黙認したとしても、最低限こうするコトが必要なのであり、そしてそれが“捨てられる子供にとっては一番良いこと”なのではないでしょうか。
 
 もう一度言いますが、どんな形であろうと、子供を“捨てる”コトは罪です。
 決してあってはならないコトです。
 そして当然ですが、暴力を振るうのも罪です。
 やってはならないコトです。
 どちらも犯してはならない犯罪です。
 どっちがどっちではありません。
 どっちも犯してはならないコトです。
 決して「虐待されるよりは」という言葉は子供を捨てる免罪符にはなりません。
 
 この問題はなによりまずそこを考えなければならないのではないでしょうか。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月16日

 卑怯漢・古舘伊知郎

 やえは少々腹が立ちました。
 昨日放送されたテレビ朝日の「報道ステーション」の、赤ちゃんポストを巡る一幕です。
 
 昨日当サイトでも取り上げました、熊本の病院に設置されている「赤ちゃん捨て所」(通称赤ちゃんポスト)に、3三歳児が捨てられたという件に関して、報道ステーションは次のような伝え方をしていました。

 古館「(赤ちゃんポスト問題について)私は政治家の言葉に疑問に思います」
 
 VTRで
 
 柳澤厚労大臣あってはならないこと。そういうことが大前提だが、あった上は児童相談所などでしっかり後のお世話をしなければならない
 
 塩崎官房長官あってはならないことだ。親は子どもを育てる義務もある。大変遺憾だ
 
 安倍総理大臣子どもを置く前に児童相談所などの態勢があるので、悩みがあれば相談してもらいたい
 
 VTRが終わり
 
 古館「政治家の発言はみな型どおりなんですよね」
 
 加藤朝日新聞編集委員「どうして三歳児の親は児童相談所なりに一度事前に相談しなかったのでしょうか」

 えーと、だれのなにが型どおりの発言なんですか?
 どうして古館という人は、揚げ足取りにもならない、脳みそでモノを考えているのかどうかすら疑問に思えてしまうような発言ばかりするのでしょうか。
 だいたいにしてこの問題は政治の問題ではなく、むしろ社会の問題です。
 政治に丸投げするのではなく、ひとりひとりが、責任とは何か育児とは何か人間とは何かというコトを考えなければならない問題なのではないでしょうか。
 むしろ責任のある政治家さん達は、まだまだ情報が集まっていない今の段階では、それぐらいの発言しか実際のところ出来ないのが現実でしょう。
 一方なんですか、加藤さんの発言は。
 古館さんが「型どおり」と批判した矢先に、安倍さんと何ら変わらない発言しか出来ていません。
 古館さん、早く「型どおり」と批判してください。
 
 この人は、命の問題すら政権批判の具にしてしまうんですね。
 
 古館という人は、さらに言葉を続けます。

 古館「政治家は『あってはならないこと』と言いますが、いま実際あってしまったことなんです。政治家は型どおりの言葉を言うのではなく、具体的にどうするのかを行動しなければならないのではないでしょうか」

 結局古館さんは、他人にばかり発言を求め、それを責めるだけで、自分はどう考えているのか全く言いませんでした。
 そもそも「どうするのか」という言い方は卑怯です。
 「どうにかしろ」という言い方なら、そんなの誰にでも何にでも言えます。
 何も考えて無くても言えます。
 しかし少なくとも報道に関わるのであれば、言論によってご飯を食べているプロであるならば、最低限「これこれこういう方法があるのだからこうするべき」などと言うのが当然なのではないでしょうか。
 その上でもし政治が動かなければ、不当な理由がちゃんとあるのであれば、その時点で正々堂々と正面から批判すればいいのです。
 だけど古館さんは、結局熊本の「赤ちゃん捨て所」が賛成なのか反対なのかすら述べませんでした。
 おそらく、どっちを言ってもその反対の人からの批判がくるのでそれがこわかったのでしょうが、こんな卑怯なコトはないのではないでしょうか。
 少なくとも政治家の方は「赤ちゃん捨て所」に対する自分のスタンスは明言されています。
 一方自分は立場を明らかにせず、意見すら言わず、それなのに批判だけはする。
 こんな卑怯な話はないのではないでしょうか。
 
 こんな大切な問題を茶化し、何も考えてないのに文句だけは言って、政治批判の具にしか考えない古舘伊知郎。
 こんな人がテレビでしゃべってしまっているコトを、むしろどうにかしてほしいモノです。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月18日

 立てこもり事件について一言

 まだもしかしたらリアルタイムで続いているのかもしれません、愛知県で起きている立てこもり発砲事件について、ちょっとだけ言及しておきます。
 
 まず、亡くなった警官には、「前途有望な青年だったそうで非常に残念です。でもよく頑張りました。ありがとうございます」、と言いたいです。
 SATという常に危険と隣り合わせの職に就いていたので、どこか覚悟はしていたかもしれませんが、結果的にはその時一般人には全く危害が及ばなかったという点において、十分に職責を果たしたと言えるでしょう。
 胸を張って下さい。
 今後、装備や配置の仕方や訓練等においてさらなる創意工夫が必要だという点がこれで明らかになったと思いますので、警察はこれを教訓にしていただければと思います。
 ご冥福をお祈りします。
 
 この件に関して、いろいろな言説が飛び交っています。
 中でも「なぜ早く突入しないのか」とか「犯人を早く射殺すればいい」とかいうモノが多いように見受けられます。
 おそらくこの手の事件に対しては、自首してこない限り最終的には突入しか解決策は無いと言えますので、なるだけ早く突入した方がいいと思うのは自然なコトと言えるかもしれません。
 しかし、決して一概に早ければ早い方がいいとはやえは思いません。
 一番こわいのは犯人が逆上して人質を撃ってしまうコトです。
 犯人にしてみれば人質こそが自分の命の綱ですから、相手(警察)が襲ってこない限りは人質を丁重に扱おうとします。
 ですから、一番大切な一般人の命を守るという観点を考えれば、いつ突入するかというのはなかなか一概には言えません。
 確かに緊張状態で何時間も膠着状態が続けば人質だって心身共に相当の負担にはなるでしょうけど、しかしこう言ってはなんですが、撃たれて重傷を負うもしくは死んでしまうよりかは、数日にわたったとしても人質になった方がマシと言えるでしょう。
 そう考えれば、犯人の体力を消耗するのを待って、機が熟してから突入するというのも戦略としてはアリだと思います。
 
 また、犯人を射殺というのも、ちょっとどうかなと思います。
 結果的にそうせざるを得ない場合はもちろん仕方ありませんが、しかし出来るならどんな犯罪人だとしても、正式な法の裁きによって罰は与えられるべきです。
 大切なのは、基本です。
 あくまで射殺は致し方ない場合、アクシデントの場合であって、はじめから射殺を狙うというのは法治国家としてはどうなんだと思います。
 結果的に死刑になろうとも、裁判所による裁判が存在するのとしないのとでは大きな違いです。
 さっきも言いましたが、人質が多少の消耗をするぐらいの場合であれば、機が熟すのを待って確実に身柄が拘束できる方法を模索するべきだとやえは思います。
 
 もちろんこれは一般論ですから、全てそうしろという意味ではありません。
 例えば人質が子供だったり高齢者だったり病人だったりする場合などの長時間の緊張が命に関わるような場合には、早い決断が必要でしょう。
 こういう場合には、もはや警官が自らの命を盾にしてでも人質を助けるという、早急な突入が必要になってくるかもしれません。
 確実だと判断出来るのであれば、射殺もひとつの手段でしょう。
 
 言うまでもなく警察はそういうプロなのですから、その場その場での適切な判断をしてほしいと思います。
 そして出来るだけ国民にも説明をしてもらいたいです。
 正直、国民が色々言ってしまうのも、情報の無さと専門知識の無さによるモノですから、いつもいつも「適正な職務執行だった」だけではなく、「これこれこういう自体だからこう判断した」と説明して欲しいところです。
 もし言えない部分があるのなら、どうして言えないのかぐらいは説明をすべきではないでしょうか。
 結局そういういつでも「適正な職務執行だった」という態度が、警官犯罪の際の警察のマズイ態度に繋がっているのではないかと思います。
 警察は無くてはならない存在なのですから、その辺の意識をもっと高くもってもらいたいです。
 
 
 もう2点、この事件にからんだ動きで言いたいコトがあります。
 ひとつは、事件を拳銃のせいにするような言説です。

 銃器対策、罰則強化検討へ=政府チームが初会合
 
 警察官が射殺された愛知県長久手町の立てこもり事件に触れ、「日本各地で拳銃による悲しい事件が起きている」と強調、「銃刀法の罰則強化など法令見直しの必要性や可能性について十分に議論してほしい」と指示した。出席者全員で黙とうし、殉職した林一歩巡査部長の冥福を祈った。

 もちろん銃器の取り締まりを強化されるのはいいんですが、しかし今回の件で言えば、銃があったから起きた犯罪ではなく、もし犯人が銃を持っていなくても、家族内の口論からはじまったコトなどを考えれば、包丁かなんかで同じようなコトをしていたんじゃないかと思われます。
 ですから、安易に銃器の拡大だけを今回の件と結びつけるのは適切ではないと思います。
 地域の人たちへの負担を考えれば銃がコトを大きくしたのはその通りだと思いますが、なぜ事件が起きたのかというコトを考える場合には、銃は動機とはなり得ませんので、そこはキッチリと分けて考えるべきでしょう。
 
 もう1点。
 マスコミの問題です。
 この事件がはじまってから、マスコミは陸から空から、警官が配置されている様子をリアルタイムで流していました。
 これ、明らかに犯人に利する行為ですよね。
 犯人にしてみれば、テレビをつけるだけで敵(警官)の位置が分かるのですから。
 例えば戦場では、装備とか兵士数とかよりも、なにより情報こそが最も大切な武器になります。
 装備が劣っていても数が劣っていても、相手の位置は分かるけど自分の位置は知られていないのであれば、十分に勝機はあります。
 そしてそういう状況を今回はマスコミが作っていたワケです。
 犯人がどのような理由で直接救出をしていなかった警官に向かって発砲したのか分かりませんが、テレビさえ見れば相手の位置が丸わかりという状況を作り出していたマスコミは、いったい何を考えているのか理解できません。
 それとも本当に視聴率やスクープのコトしか考えてないのでしょうか。
 もし犯人が「テレビで警官の位置を知った」と言ったらどう責任をとるのか分かりませんが、少なくともああいう報道がどう国民に利益をもたらすのかやえには全く理解できません。
 
 
 それぞれの立場で、いろいろと考えるべきところが多い事件です。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月20日

 発泡酒はビールではないっ!!

 おりゃー思うんだがなっ
 
 あ、はいはい、あまおちさん、ここに来るのもひさしぶりですね。
 
 おう。対談式は読みやすいと評判で、やってくれとよく言われているんだがなっ
 
 はぁ、そうだったんですか。
 
 それはそうとなっ
 
 はいはい、今日はずいぶん息巻いてどうしましたか?
 
 最近ちょっと多い気がするんだよな。おめービール知ってるだろ?
 
 まぁ知ってるコトは知ってますが。
 
 発泡酒も知ってるけ?
 
 そりゃまぁ一応。
 
 何が違うか知ってるか?
 
 知識としては知ってますよ。麦芽の割合と税率が違うんですよね。
 
 そうそう。いわゆる「第三のビール」もそれが違う。しかしな、もっと違う部分があるんだよ。
 
 え、そうなんですか? えーと、アルコール度数が違うとか?
 
 もっと簡単だ。それはな、味が違うんだよ。
 
 え!? 味が違うんですか? だって発泡酒って、ビールの味がするけど値段が安いっていうのがウリなんじゃないんですか?
 
 実際は「ビールの味がする」んじゃなくて、「ビールっぽい味がする」んだよ。厳密には味はけっこう違う。
 
 ははぁ、そういうもんですか。
 
 まぁオレはグルメさんだから気づくわけだがな。中にはどっちも変わらないっていうヤツもけっこういるが。
 
 それはそれは、あまおちさん、損してるっぽくないですか?
 
 ・・・。それでだなっ
 
 はいはい。
 
 ビールと発泡酒は味が違う。味が違うわけだから、もしビールと思って飲んだものが発泡酒だったら大変じゃないか。
 
 まぁそうですね。でもちゃんと売ってるモノには、ビールにはビールと、発泡酒には発泡酒と、第三のビールには雑酒などと書いてありますから、買い間違えない限り大丈夫じゃないですか。
 
 自分で買う場合にはな。それがな、最近一部の居酒屋とかでは、メニューにはビールと書いてあるくせに、発泡酒を出しやがるところがあるんだよっ
 
 えー、それはひどいですね。
 
 そう。「生ビールくれ」って頼んだのに発泡酒が出てくるんだっ。飲んだらビックリ発泡酒だっ。マギー審司のマジックよりビックリするわっ
 
 ・・・微妙に否定できないところが・・・じゃなくて、まぁそれなら、言えばいいじゃないですか、これ発泡酒ですよねって。
 
 いやー、断定できるほど味が違うわけじゃねぇからなぁ。なかなかそこまで言えないんだよね。特に見た目的には全く変わらないから、店の奥からビールのケースとか出されたら、こっちは証拠の出しようが無いし。
 
 はぁ、そんなもんですか。
 
 ほら、おめー、例えば「烏骨鶏(うこっけい)の焼き鳥」を頼んでのにただのブロイラーが出てきたとして、そこで確実にそれが烏骨鶏ではないブロイラーだと言えるほど自信持てるか?
 
 ああ、それはちょっと、海原雄山先生ぐらいじゃないと言えないでしょうね。
 
 
 
 これならお店も反省するかもしれませんが、さすがにあまおちさんが言ってもダメかもしれませんね。
 
 というか、海原雄山が居酒屋行くとは思えないけどな。
 
 まぁ海原先生はともかく、しかし発泡酒をビールとして売るなんて、それは不当表示防止法違反もしくは詐欺罪にも当たる可能性のある犯罪じゃないですか。
 
 そーなんだよなー。もし、酒屋で売ってるビール、例えばスーパードライとか一番搾りとかだな、それに発泡酒入れて売ってたら、おそらく大問題になると思うんだが、なぜか一部の居酒屋がやってる詐欺行為は黙認されてしまっているんだよなー。
 
 やっぱり指摘しにくいっていうのがあるんでしょうけどね。
 
 しかし味が違うんだから、ちゃんとビールとメニューに書くなら書けと。発泡酒なら発泡酒と書いて安くしろと。オレなら発泡酒しか無い居酒屋なんていかねーし。
 
 本来、そうしてこその自由競争でしょうしね。
 
 そもそもビールと発泡酒というのは、法的にも明確に違うものであるのだから、それを偽って金を取るというのは詐欺だ。りぼんをつけてないやえを出してやえだって言うようなもんだっ
 
 ・・・ばぎっ
 
 ぎゃあああああ
 
 人によっては大差ないと思うかもしれませんし、やえはお酒飲みませんから関係ないんですが、しかし悪行は悪行ですからね、こういうの国民生活センターとか行政とか動いてくれないモノなのでしょうか。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月21日

 憲法を守る

 日本語能力がここまで欠如している人もなかなか珍しいと思います。

 「首相に憲法変える権利ない」=社民・土井氏が痛烈批判
 
 社民党の土井たか子前党首は20日、テレビ朝日の番組に出演し、安倍晋三首相が憲法改正を参院選の争点にすると表明していることについて「首相には憲法99条に(規定される)尊重・擁護の義務があり、変える権利はない」と痛烈に批判した。

 はぁ。
 憲法に限らず法律だって、公務員であるならば、いえ日本人であるならば尊重・擁護の義務があると思うんですが、でも法律はバンバン変わってますよね。
 土井さんだって国会議員としてそれに関わってきましたよね。
 衆議院の議長まで務められましたよね。
 土井さんの主張が正しいのであれば、土井さんも法律を破った犯罪人になると思うのですが、違うのでしょうか?
 それとも法律は破って良いけど、憲法はダメという、よく分からない理屈でも持ってらっしゃるのでしょうか。
 
 なんて言いましょうか、「破る」コトと、「変える」コトの区別がつかない人が日本の中に存在するとは思いませんでした。
 法律も憲法も、書いてあるコトに背けば、それは破ったコトになり罰せられますが、書いてあるコトを変えるというコトは、決して書いてあるコトに背くワケではないですよね。
 例えば日本では基本的にはギャンブルは禁止ですが、それは刑法第185条に「賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する」と書いてあるからです。
 つまりこの法に書いてあるコトに触れる行為をしたら罰せられます。
 しかし、この法律を変えるコトそれ自体は、決してこの法律に書かれてある行為に触れるワケではありませんので、罰せられるコトはありません。
 「破る」と「変える」はこのように違うのです。
 
 まぁしかし普通はいちいちこんな説明しなくても分かってますよね。
 一般常識で「法律を守る」「憲法を守る」と言えば「法に違反しない」という意味であって、「変えない」コトではありません。
 土井さんはどうしてこんな小学生でも分かるようなコトを理解できないのでしょうか。
 それとも本気で法律は尊重・擁護する必要は無いと思っているのでしょうか。
 そして土井さんは、自分の持論には、憲法の中に改正要項があるコトで矛盾が生じているコトに気づいていないのでしょうか。
 
 こんな人が国会議員、さらには衆議院議長をやっていたなんて、恥ずかしい話ですね。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月23日

 システムは守るためにある

 ヤクザ崩れの男が立てこもった事件に関して、ある人がこんなコトを言いました。
 
 「あれだけのコトをやったのに、射殺もされずにこの事件は終わってしまうのか」
 
 残念ながら、やえにはこのセリフはよく理解できません。
 そもそも「あれだけのコト」とは、なにを基準に「あれだけ」と言っているのでしょうか。
 人を殺してしまったコトでしょうか。
 拳銃を持ち、撃ったコトでしょうか。
 それとも人質を取り監禁をし、籠城をしたコトでしょうか。
 はたまた多くの人に迷惑をかけたコトでしょうか。
 もしかしたらここまで日本中を騒がせたコトでしょうか。
 どれに対して「あれだけのコト」と言ったのかやえには分かりませんが、つまりこれらのコトは射殺に相当するという意識のもとにさっきの言葉を発したのだと思われます。
 
 しかし、いったいぜんたい何を基準に「射殺に相当する」と思ったのでしょうか。
 これが「死刑に相当する」と言うのであればまだ分かります。
 日本の刑法に沿って、殺人罪であるならば最高刑は死刑ですから、「このヤクザ崩れは死刑になるのが相当だ」と言うのでしたら分かります。
 だけど「射殺に相当する」というのは、やえは寡聞にしてそのような基準を知りません。
 いったいどういう意味を持って「あれだけのコトをしたのに射殺されなかったのか」と言ったのでしょうか。
 
 近代日本史上もっとも凶悪な犯罪者は誰かと問われると、おそらくトップに挙げられるであろう罪人は麻原彰晃だと思います。
 まだ裁判は終わっていませんが、いまのところの裁判によると、麻原が殺した人間はひとりふたりでは済みません。
 つまりこのヤクザ崩れよりよっぽど人間を殺してしまっています。
 しかし果たして麻原は「射殺相当」と言えるのでしょうか。
 すなわち、裁判とかすっとばして、寝込みを襲ってとかして射殺をするってコトが、果たして本当に正しいコトだと言えるのでしょうか。
 
 残念ながら、そうしたいと思う人間は数多くいるかもしれませんが、実際それを行うコトは犯罪行為です。
 つまり社会的には認められない行為です。
 なぜかと言えば、いまの日本という国は、人を裁くには法とシステムによって行われると定められているからです。
 どんな罪人でも、死刑にするためには、裁判などのキチッとした手順を踏まなければならないコトになっているのです。
 ですから、麻原であろうがなんであろうが、法に基づいた手続きによって刑の確定の手順を今踏んでいるのです。
 
 やえはこの前言いました
 このヤクザ崩れを裁くのであれば、それは法でもって裁かれるべきですと。
 それはなぜかと言えば、やえは決して人権などという得体の知れないモノを擁護するためではなく、日本国家の在り方・システムを守るために言っているのです。
 日本のシステムとしてどんな犯罪人だとしても、裁判を受けそれが確定するまでは刑も執行されないとされているからこそ、もっと言えば、日本国家は立法・行政・司法の三権が分立していると謳っているからこそ、この原理原則を守れと言っているのです。
 射殺という行為は裁判を経ずして死刑を与えるようなモノであり、本来それは日本のシステム上警察が行う行為ではありません。
 前も言いましたように致し方ない場合は文字通り致し方ありませんが、しかし警察の判断で射殺を“狙う”という行為は、日本のシステムや三権分立の観点からしてもそれらを破綻しかねない行為だとやえは思います。
 刑は裁判によって確定させるべきです。
 この基本は守るべきです。
 
 これは犯人のためではありません。
 日本のためにそう主張するのです。
 
 「あれだけのことをやっておいて、もしかしたら裁判で精神鑑定とか背景とかなんかで情状酌量されて死刑にならないかもしれないんだから、射殺すればよかった」
 こんな発言すらする人がいます。
 正直、危険な発言です。
 まさに裁判をないがしろにする、日本のシステムを破壊しかねない発言です。
 精神鑑定も情状酌量も、それはシステムが認めているモノであり、システム上それによって刑が軽減されているとシステムによって定められているワケです。
 一部これらを悪用している弁護士も確かにいますが、しかしだからといって警察というレベルでそれを踏みにじって良いコトには決してなりません。
 刑を判断するのはあくまで裁判所という原則は守らなければなりません。
 
 どうしてもこの犯人を殺したいのであれば、それは警察に言うのではなく、法律に言うべきです。
 つまり、「どんな事情があっても人を殺せば死刑。精神病によるものであっても死刑。どんな不幸な事情があったとしても死刑」というように、刑法を変えるよう主張をするべきでしょう。
 それとも、「拳銃を向けたら死刑」「銃刀法違反は全て死刑」とでも言うべきでしょうか。
 それとも、「世間を大いに騒がせるような立てこもりをした人間は死刑」、こう主張するのも手かもしれません。
 やえはどれもあまり賛成できませんが、どうしてもあの手の犯人を殺したいのであれば、まずはそのように法律を変えるべきです。
 そしてそれは国民こそが世論をもり立てコンセンサスを形成し、国会を動かして法改正をする、というのが筋です。
 
 少なくとも警察に対して「射殺しろ」と言うのは、国民自身が国家システムを破壊する行為でしかないというコトをやえは言っておきたいと思います。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月24日

 民主党は変わらない

 やえの聞いた話によりますと、どうも明日の衆議院厚生労働委員会にて、長らく国民の話題をさらっていました年金の問題・社会保険庁の問題についての政府改革法案が可決されるとのことです。
 もしかしたら強行採決になるんじゃないかという話もあるみたいなんですが、それはともかく、やえは相変わらず昔から何も変わっていない民主党にあきれ果てるしかありません。
 
 というのも、今回の政府社保庁改革法案と、民主党が対案として出していた法案を見比べたら、どう考えても政府提出の法案の方が明らかに踏み込んだ形になっていて、それについての民主党の言い訳があまりにも定型通りだからです。

 社保庁法案審議入り・解体巡り与野党対決
 
 政府提出法案は、2010年に社保庁を廃止して日本年金機構を創設。保険料の徴収など業務の民間委託を進め、効率化をめざす。悪質な保険料滞納者については国税庁に強制徴収を委託する。民間委託する業務の範囲などは、政府が第三者機関を設置して検討する。
 
 一方、民主党が7日に提出した対案は、国税庁と社保庁を統合して新たに歳入庁を設ける内容。基礎年金の財源を税で賄う「税方式」への転換など公的年金制度の在り方そのものについて論戦を挑む。

 簡単に言えば、政府案は、今までの社保庁を解体し、新しい機構を作って、業務の大部分を民間業者に委託してしまおうという案です。
 一方民主党の案は、社保庁を国税庁に吸収させるという案ですね。
 
 政府案はイメージしやすく言うと、郵政民営化法案のようなモノです。
 年金機構という公団にするという点で完全に民営化というワケではありませんが、ひとつの省庁をなくして民間業者にその大部分を委託するというのですから、そうとう踏み込んだ、これ以上ないと言えるほどの改革です。
 また、むしろこっちの方がこの法案のキモだと思うのですが、まずは社保庁の職員は全て公務員ではなくし、かつ社保庁から変わる年金機構への移行の際、職員ひりとひとりを審査して、もし不的確と認められたら「(本人の意思にかかわらず退職させることができる)分限免職処分を行う」ワケで、つまり、ダメな職員はクビにするワケですから、これはやはり公務員改革としてはそうとうに重い改革だと言えます。
 
 おそらく民主党はこれを見てビックリしてしまったんでしょうね。
 民主党は自民党よりもより踏み込まれた上に、本来民主党はどっちにしてもここまで踏み込むコトが出来ないからです。
 なぜかと言えば、これは郵政民営化法案の時も全く一緒だったのですが、民主党の有力票田には公務員で作る郎党組合がついているからです。
 公務員の労組ですから、もちろんその最大のアイディンティティは公務員であるというコトです。
 よって、郵政民営化法案でもこの社保庁改革法案でも、公務員から非公務員にされるという案については、民主党は絶対に提案できないし賛成も出来ないのです。
 そして苦渋の末出した結論がおそらく公務員という身分を保障した国税庁との統合という案なのでしょう。
 
 さらに言い訳がましいところが、そんな政府案と民主党案とを比べて民主党や一部民主党を応援するマスコミが、政府案に対して「それでは今までの責任があいまいになるだけだ」と言い「年金責任逃げ切り法案」だと主張し批判しているところです。
 全く意味が分かりません。
 社保庁は問題の多い職員が存在するのは確かです。
 様々な不祥事を出し、つい先日も過去の掛け金のデータを紛失してしまったというとんでもないコトをやらかしてしまったというコトが明らかになりましたように、もはや信用しろという方が無茶だと言わざるを得ないところまできてしまっています。
 しかしだからこそ、そういう不的確な職員をクビにするっていうのが政府案です。
 これほど明確な責任の取らせ方はありません。
 トップの首だけをすげ替えてそれで責任を取ったと言うだけよりも、本当に問題のある部分を出し尽くす、問題を起こした職員をクビにて、ウミを出すコトこそが本当の責任の取らせ方、問題の解決になるのではないでしょうか。
 やえは、社保庁の職員をそのまま公務員の身分を保障し国税庁に移して終わりにしてしまうコトの方が、よっぽど責任をうやむやにする「責任逃げ切り法案」だと思います。
 
 民主党は郵政選挙でやらかした大失態を全く省みてないんですね。
 民主党が守るのは国民の生活ではなく、支持団体の利益だけのようです。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月25日

 安倍メルマガレビュー

 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
       安倍内閣メールマガジン(第30号 2007/05/24)
 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
 
 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 教育は人なり
 こんにちは、安倍晋三です。
 愛知県長久手町で、発砲立てこもり事件が起きました。事件解決にあたった、将来ある警察官が殉職したことは本当に断腸の思いです。心からご冥福をお祈り申し上げます。暴力、そして、不法な銃の使用、所持の撲滅に全力をつくす決意です。
 
 こんにちは安倍さん。
 一日遅れのメルマガレビューです。
 で、政府としてはもちろんそれらの規制等、全力でお願いします。
 また、警官の配備や、特に負傷した最初に飛び出してしまった警官の判断というのは全体としてどうだったのか、またマスコミ対策など、それらももう一度検討し直してほしいと思います。
 
 安倍内閣の最重要課題は教育再生。このメルマガでも幾度か私の教育観についてお伝えしてきました。昨年末、60年ぶりに改正した教育基本法を受け、これを具体化するため、3つの法律案を提出しました。
 子どもたちのモラルや学ぶ意欲の低下が指摘され、いじめや未履修問題が表面化する中で、これらの問題に対し、学校や教育委員会が適切に対応できなかったことは、子どもの命や安全、教育を受ける権利の侵害について責任をもつ国として反省しなければなりません。
 
 やえは、もっとこの教育基本法改正をなし得たというコトについて評価されて良いと思うんですが、保守系の方でもあまり聞かれませんね。
 理想を追い求めるコトはもちろん良いコトですし、それこそ思想家の仕事ではありますが、しかしだからといって理想に至らないという理由で政治を批判するのはよくありません。
 物事を動かすというコトは思っているよりも難しく、教育基本法なんて60年も改正されなかったのですから、それを改正したという事実だけでも一定の評価はしないとフェアではないでしょう。
 批判だけしていれば物事がうまくいくというモノではないのですから。
 
 「教育は人なり」という言葉がありますが、すばらしい先生にめぐりあえるかどうかは、子どもたちに将来にわたって影響を与えます。私自身、小学校から学生時代を通じて、すばらしい先生方に出会えたことは、本当に恵まれていたと思います。
 
 人格形成に、時には親以上に影響を与えるのが先生ですからね。
 最近の教師にこの自覚があるのかどうかが疑問符がついてしまうところではありますが。
 
 今もいい先生が大勢がんばっています。しかし、中には、人を教えることに向かない、能力が及ばない先生がいることも事実です。時代の変化、技術の進歩が著しい今、一旦教員になったら生涯身分が保障され、各人の適性にかかわらず先生を続けるというやり方で果たしていいのでしょうか。
 私は、先生には、自信と誇りをもって教壇に立っていただきたい。常に自己研鑽を怠ることなく責任感と緊張感をもって指導にあたってもらいたい。
 今国会で提出している案は、10年に一度、研修を受けることによって新たな能力を身につけてもらうというものです。どうしても向かない先生には、教壇を去ってもらう。これは、子どもたちにとっても、その先生にとっても、いい結果をもたらすに違いない。私はそう信じています。
 
 この改革に対して日教組などは、「免許更新にばかり目がいってしまい、結果的に子ども達のためにならない」などと言っているようですが、こういう考えがすでに甘いんですよね。
 だいたいどんな仕事だって、お客様に対する業績と、自分が所属する組織への評価と、常に両方査定されていると言えます。
 内向きな評価ばかりに目を取られるような人は、結局は組織からも評価されないワケで、むしろ免許更新制になったぐらいでそればかりに目を奪われるような人ははじめから教師になんてなってほしくありません。
 今一番大切なのは、教師のこういう甘ったれた精神の意識改革でしょう。
 
 他方で、教育指導以外の管理業務、事務作業など先生の負担が増えています。忙しい中で、子どもたちの指導に専念するのは大変なことだと思います。学校事務を効率的に処理し、先生が生徒と向き合う時間を確保し、増やしていかねばなりません。
 
 それはそれ、これはこれですから、しっかりとした環境をつくっていきましょう。
 
 学校では、新米先生もベテラン先生も平等な立場ですが、それぞれが役割を分担し、経験のある人が経験の浅い人を指導する本来組織がもつ力を発揮できれば、こうした問題も乗り越えられるのではないでしょうか。
 主幹教諭、指導教諭といった職を学校内につくれるようにして、組織の力で教育を支えていく環境を整えていく考えです。
 
 立場というか、身分は平等だけど立場は違うっていうのは、どこの社会でも同じコトです。
 マルクス主義的な理想主義での平等を言うのではなく、それぞれの立場をそれそれが理解した上での上司部下や先輩後輩のような対等な関係を築くのが社会というモノなのではないでしょうか。
 
 このように教育の現場において、全ての子どもの才能を伸ばせる組織づくり、いじめなどの問題にしっかり向き合える組織づくり、そして、国がその責任を果たすことができる体制を整えることが、教育3法案の目的です。
 
 日教組とか勘違いしていますが、国家というモノ、政府というモノは、国民の代表です。
 国民が選挙によって選んだ代議員が政府を構成しているのです。
 試験をクリアしただけの教員よりもよっぽど政府は国民を代表しているワケで、つまり最後は国が責任を持って指導に当たるというのは、民主主義国家においては当然の話なのです。
 
 「人々貴き物の己に存在するを認めんことを要す」
 私の尊敬する吉田松陰先生は、述べています。人には、それぞれに、すばらしいものがある、それを発見しながら、そのよさを認めることだと。
 自分にも優れたものがあると自覚すれば、それが自尊心となり、克己心にもつながっていきます。才能を見つけ、認めてくれる先生、私は、全ての子どもが、そうした先生に出会ってもらいたいと思います。
 
 人生に広く影響を与えられるような素晴らしい先生もいらっしゃいますからね。
 やえはどうかと言うと、まぁ進行形でいろいろあるのでノーコメントで(笑)
 
 問題を抱えているから、学校の授業についていけないからといって、その子たちを置いていく、捨てていくということを私は絶対に認めません。
 学校だけでなく、家庭や地域が当事者意識をもって、社会総がかりで教育再生に取り組まなければなりません。教育新時代を拓いて、全ての子どもたちに高い水準の規範意識と学力を身につける機会を保障する、この責務を果たしていきます。(晋)
 
 教育改革、まずは法案でも制度でもなく、教師の意識改革が一番大切だと思います。
 いろいろと妨害等あると思いますが、どうか頑張ってください。
 
 
 
 [この人に聞きたい]
 ● 歌だから伝わるメッセージ(歌手 谷村新司)
 
 編集部注)薬物乱用防止キャンペーンソングを制作された谷村新司さんに歌にこめられた思いなどについてお話をうかがいました。
 
−キャンペーンソングのタイトル「ギーター」は聞きなれない言葉ですが?
 
 たぶん皆さん最初に「ギター」かなと思ったと思うんですけど、実はこの「ギーター」というのは古代インドのマハーバーラタという叙事詩の中でバガヴァッド・ギーターと表現するんですけれども、これはダンテが書いた「神曲」、神の曲という意味なんですね。
 僕は、そのギーターというのを神の歌というふうに表現したいなと思って、その神の歌っていうのは、僕は、実は自分を生んで育ててくれた両親が歌ってくれる子守唄のことだろう、そういう詩を書いたんです。
 歌詞の中にもギーターという言葉は出てこないんですけど、feel metouch me もっと感じて自分に触れて欲しいという思い、子どもたちの思いを伝えたいと思いました。
 
 「さらい」の谷村さん、こんにちはー。
 と、熱い意気込みを語っておられますが、やえにはちょっと難しすぎてよく分かりません(笑)
 
 −この歌にはどのような思いが込められているのでしょうか?
 
 今世界中はモノの時代からココロの時代にどんどん移っています。我々もモノや数字に振り回されて生きてきた時間が長かったものですから、だんだんとモノに囲まれていても本当に幸せと感じるかどうかを考え始めました。
 そこでやっぱりココロというのが一番大切なものだとみんなが気付き始めたとき、特に薬物を乱用し始めるとココロ自体がなくなってしまうという。だから子どもたちが大人の私利私欲によってそのように侵されていくことは一番避けなくてはいけないことだと思いました。
 子どもたちは我々の未来であって、地球の未来でもある。だから、今自分たちが大人としてやれることはなんだろう、そういう歌を作ること、そしてそれを歌って広めていくというふうに感じて、そういう作品をつくりました。
 
 ええと、はい、そうですね。
 ま、まぁ、薬物に手を出すコトは、それは大人の私利私欲だけでなく、手を出す本人の責任もあると思うんですけどね。
 
 −薬物乱用防止キャンペーンに参加された思いをお聞かせいただけますか?
 
 薬物のルーツをたどっていけば、やっぱり大人たちの私利私欲であったり、名誉欲であったり金銭欲であったり、そういうことに全部つながっていくと感じてますし、そのために子どもたちが被害を受けることは絶対に避けなくちゃいけないと常々思っておりました。
 僕は自分達が音楽でできることは、とっても大切なことだとずっと思っていますし、音楽がやっぱり素晴らしいなと長年やっていて感じるのは、歌を歌った瞬間に国とか主義とか民族とかそういうことを超えていけるんですね。一緒に一つの歌を歌っているという心のつながり感、他のものではなしえないことが音楽では可能になると感じていましたから、音楽を通じて今回のキャンペーンにご協力できることは一番嬉しいと思います。
 
 音楽は国境を越えると言いますけど、確かにそういう部分はあると思います。
 言葉では無理でも歌によって人が変われるコトもあると思います。
 それで救われる人がいるならそれもいいと思いますが、本人の責任というモノも忘れないでくださいね。
 
 
 
 [東奔西走]
 既に報道等でご存知の方も多いかと思いますが、先週18日、安倍内閣としての大臣と国民との直接対話を行うに当たっての基本方針が決定され、同日、塩崎官房長官から発表がありました。
 新たな直接対話を行うに当たっての名称は「政策ライブトーク〜言いたい、聞きたい これからの日本」。この場で国民の皆さまと大臣とがまさに直接、ライブの形でこれからの日本について議論することにより、より良い日本を作り上げていきたいとの思いが込められています。
 7月にも開催が予定される第1回まで残された時間はあるようでないものです。じっくりと、漏れがないように準備を進めていきたいと思います。(せこう)
 
 ごめんなさい、正直、この話題についてはもう特にコメントがありません(笑)
 良い方向に向かうよう頑張ってください。
 
 あ、ああ、やっぱり厚生労働委員会で強行採決されたみたいですね。
 最後は暴力に訴える民主党。
 その党名は恥ずかしくないんでしょうかね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月28日

 「教育者運動禁止」と「最低投票率」は国民投票法案反対の理由にならない 2

 松岡大臣の突然の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。
 
 
 さて、ちょっと間が開いてしまいましたが、国民投票法案に対しての批判である、「最低投票率」について書いていきたいと思います。
 
 「最低投票率」とは、簡単に言えば「○○%以上の投票が無ければ否決」とする制度です。
 おそらく基本的には「50%」が基準になるんじゃないかと思われます。
 例えば現在の衆議院の選挙区においては、投票率が何パーセントだろうが、投票総数のうち一番得票を得れば当選という形になっていて、仮にその選挙区の有権者が1万人だとして、投票率が40%だとすると投票総数は4千人で、トップを確実にするためにはその過半数である2001票をとれば当選というコトになります。
 一方「最低投票率」の理屈を組み入れた場合には、投票率に対する得票率に関係なく、まず投票率が40%の段階で否決になってしまうワケです。
 
 この考え方は、さっきの現行制度化での例で言うと「1万人のたった1/5でしかない2001票だけを得ただけでは本当の世論を反映していない」という理屈からきています。
 朝日新聞も、「国のおおもとを定める憲法の改正では、主権者である国民の意思をどれだけ正確に測れるかが重要な論点のはずだ。憲法96条は国民投票で過半数の賛成による承認が必要としているが、あまりにも少数の意見で改正される恐れを排除するには最低投票率制は有効だ、と私たちも考える」と、最低投票率の重要性を説いています
 確かにそう言われると、この理屈、正道のように見えます。
 しかしこれは、本来選挙とは公平な制度を持ちいらなければならない原則に反していると言わざるを得ないのです。
 
 とても簡単な理屈なんですが、投票をしていない人というのは、賛成か反対か分かりません。
 本来こんなの言うまでもないコトなのですが、最低投票率の理屈で言えば、この点を全く無視してしまっているのです。
 例えば現行制度で、賛成票が8割、反対票が2割の場合、もちろんぶっちぎりで可決ですが、もし投票率が49%だったら、それがひっくり返って否決となっています。
 有権者数1万の数で考えてみると、49%の投票総数は4900票、その賛成8割は3920票、反対2割は980票というコトになりますが、最低投票率制度を導入するとこの場合否決というコトになるワケですから、賛成3920票、反対6080票という扱いになるのでしょう。
 これは投票していない51%の5100票は全て反対票にまわすというコトになりますよね。
 つまり、賛成か反対か分からない人たちの票を無理矢理反対票にまわすというのが最低投票率制度なのです。
 
 こんなの公平ではないですよね。
 仮に10割が賛成票を投じる圧倒的な結果が出たとしても、投票率が49%なら否決になるのですから、そんなむちゃくちゃな話はありません。
 少し前に毎日新聞紙上で、サイレントマジョリティーと称してアンケート結果を完全に無視して逆の結論を出した、作家としてのジャーナリストとしての良心はどこに行ったのかと聞きたくなるようなコラムを書いた人がいましたが、最低投票率制度はこれと精神は同じと言わざるを得ないでしょう。
 最低投票率制度の建前は「本当の民意を測る」というモノですが、これでは民意無視もいいところです。
 分からないモノは分からないとして、投票していない人の票は賛成にも反対にも作用しないようにするコトこそが、公平な選挙制度と言うべきモノなのではないでしょうか。
 
 また、本来「投票しない人」というのは、国民の義務を果たしていない無責任な人と言えます。
 投票しないという行為は、本来責められるべき行為です。
 なのに最低投票率制度を用いると、投票しないという行為が意味を持ってしまい、ある意味無投票を制度として正当化してしまうというコトになってしまいます。
 こんなコトは許してはなりません。
 無投票の人は責任と義務を放棄したのであり、その結果どうなろうと、出た結論には全て享受しなければならないというのが本来の姿のハズです。
 自ら選ぶ行為を放棄したのだから当然です。
 責任と義務を放棄したクセに、それに対してあれこれ言う権利など存在しません。
 無投票に意味を持たせるような最低投票率制度は、選挙や投票のルールとしてふさわしくないのです。
 
 さっきも紹介しましたように、朝日新聞などは熱心に最低投票率制度を推進しようとしています。
 しかし本来のマスコミの役割とは、国民に換気を促して投票率を上げるのか本来の役割のハズです。
 それなのにその責任を放棄し、投票しない人に意味を与えるような制度を推進するとは何事でしょうか。
 マスコミとして社会への責任を自覚するのであれば、投票に行かないような人を批判し責任を追及して、少しでも投票率を上げる努力をすべきでしょう。
 むしろやえは、無投票という行為は出た結果に対して一切文句の言えないそういう行為だというコトを周知させる方が、投票率向上に繋がるのではないかと思います。
 義務を果たさない人間がなにを無責任に発言するのか、そんなコト、社会なら当然のルールですよね。
 そういうコトからマスコミや一部国民は一切目を背け、まして無投票を認め、推進してしまうかのごとき主張するとは、一体どれだけ無責任かと言いたいです。
 
 この「最低投票率」という制度は、民主主義の公平性を壊し、さらに無責任な義務を放棄するという行為である無投票すら黙認してしまう、最低のシステムと言えるでしょう。
 こんなモノ日本には必要ありません。
 
 以上により、「教育者の運動禁止」も「最低投票率」も、国民投票法案に対する反対論としては全く説得力を持ちません。
 民主党をはじめ、もはやこの法案に対しては反対のための反対になっているのでしょう、あまりにも反対論がおそまつな法案だったと言えます。
 結局なにがどう言おうが、憲法改正が出来ると言うコトは憲法に定められていて、憲法を変える変えないは国民が決めるコトなのですから、憲法を変えないために国民投票法案に反対するというのは、あまりにも利己的自己中心的な発想であり、むしろ憲法違反的だと言えるのではないでしょうか。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月29日

 国民は政治に何を期待するのか

 たまには適当にだべってみようか。
 
 はいはい、仕方ないですから付き合ってあげます。
 
 仕方ないってなんだー、ここはオレのサイトだー
 
 はいはい
 
 (´・ω・`)ショボーン
 
 で、なにをしゃべるんですか?
 
 一体国民は政治に何を期待しているんだと思うか?
 

 え、ええっと、そう言われると答えにちょっと困りますね。
 
 別に松岡大臣がどうこうというのもどうしようもねぇ話なんだがな、国民も野党もマスコミも「責任を追及する、真実を明らかにしろ」とばかり言って、具体的にはどうしてほしいのか全然分からないじゃないか。
 
 松岡さんと言えば例の「ナントカ還元水」になると思うんですが、本当にそのナントカ還元水を買っていたかどうかでしょうか。
 
 ナントカ還元水を本当に買ってたら国民は納得するのか? それともまぁ還元水は嘘で、でも一般的には言えないような政治的な金が必要だったのか、それを公言することで結果的に国民に不利益にならないのかとか、考えたら実際キリがないんだよな。
 
 説明責任とか最近よく聞きますけど、結局は国民が納得したいというコトなんだと思いますが。
 
 よく「政治と金」なんて言うじゃないか。それを透明にすることが正義みたいな風潮になっているが、じゃあ国民は政治を分かっているのかと。金がどれぐらい必要で、どうすれば上手くいくのかそれが本当に分かっているのかと。
 
 そうなんですよね。これ多分一昔前に秘書給与の問題が出てきた時にも言ったと思うんですが、この手の問題は政治家にお金が足りないから仕方なく起きてしまう問題であって、決して私利私欲のためだけにやったのではないんですよね。
 
 金の流れを透明にしても、足りないもんは足りねぇしな。
 
 政治家で「ギャンブルのために使い込みました」なんてコトはさすがに聞きませんし。
 
 秘書給与と言えば、一番簡単な話でな、いま秘書の給料は国から3人まで出てる、政策秘書と第一秘書、第二秘書だな、この3人まで出てることになっているんだが、調べりゃ簡単に出てくるから見てみろよ、3人しか秘書がいない国会議員の事務所なんてどこにあんのかと、この事実ひとつだけとってみても、すでに国会議員の仕事が公費だけで賄えない現実を表しているんだよな。
 
 でも国会議員への公費を増やそうとすると国民が批判をすると。
 
 結局ジリ貧になってしまって、仕方なく違法的な行為に手を染めてしまう。おりゃ辻元なんて大嫌いだが、あんなの人の揚げ足をとるしか出来ないような人間なんだから、自分こそは潔白でいたかっただろうが、それでも秘書の金に手を付けないとやっていけなかったわけだ。
 
 辻元さんがパーティーとかしてもお金が集まるワケないですしね。
 
 パーティーもね、勘違いしているヤツ多いんだが、政治家がやりゃー簡単に金集まるもんじゃねぇんだよな。常識で考えろと言いたいんだが、誰が好きこのんで自分に利益もないのに他人に金を出すんだと。パーティーにせよ献金にせよ、会社でも個人でも自分に利益があるor不利益にならないために金出すわけだよ。
 
 まぁよっぽど物好きなお金持ちの道楽さんは別なんでしょうけどね。
 
 そんな道楽ばかり、つーか私利私欲なしに金を出してくれる人ばかりだと政治も本当にクリーンになるかもしれんけどな。でもそんなやつぁー滅多にいないと。そして政治家の方はやはり金を出してもらっているんだから、ふんぞり返るわけにゃいかねーだろ。
 
 王様なワケじゃないですからね。
 
 つまり政治家の方にしてみても、金集めるのに苦心しているわけだ。逆に言えばやりたくてやっているわけじゃないと。しないで済むならしたくないと思っているんだよ。企業にわざわざ借りを作らなきゃいけないんだからな。
 
 お金を作ることがどんなに大変かなんて言うまでもないコトですしね。
 
 そう。だからいっぱい集めようと思ったらより苦労しなければならないし、本来政治家は金を集めるのが仕事ではないんだから、できるだけ楽に集まるようになるならそうしたいと思う。その分本業が出来るからな。
 
 まぁあの鈴木宗男さんだって、お金を集めて力を持って、北方領土問題という他の人がやらない仕事、お金にならない仕事を熱心にされていたワケですしね。
 
 昔書いたことあるが、北方領土問題は彼は本気だったよなー。彼が失脚してこの分野は日本的にはかなり後退してしまったし。
 
 ああ、まさに、「公言することで結果的に不利益になってしまう」という例と言えるのかもしれませんね。
 
 そして、その政治家の金集めの最たる例が、いわゆる田中角栄式錬金術だ。
 
 そう考えると根が深いですよね。
 
 そうなんだよ。国民はただ単に「金が欲しいから」という理由のもとだけでこういう政治の金のシステムを批判するが、実はそうではない。政治にとって金は所詮手段でしかないから、それ自体が目的には成り得ないワケでね、だからそういう錬金術とか秘書給与とか一部だけを取り出して批判したところで真実は見えてこねぇんだよ。全体としてこういう「政治と金」の流れを見なければ全く意味がない。
 
 結局どうすればいいんでしょうか。
 
 まずな、国民は政治に一体なにを求めているのかというところがある。
 
 おお、いきなり本筋ですね。
 
 うむ。つまりな、政治家に“仕事”をしてもらいたいのか、それとも金の流れを透明化してもらいたいのか、はたまた政治家には金を渡したくないのか、どうしたいんだって話だ。
 
 でも国民的にはこの全てを求めているんじゃないんですか?
 
 一番分かりやすいから秘書の話するが、さっきも言ったように秘書が3人の事務所なんてまず存在しないという意味においてこれは全くお金が足りていない。しかしちゃんと仕事するためにはもっと秘書が必要。だから私設という議員が私費で雇う秘書が出てくるわけだが、これだと歳費以上の収入を得る必要があるので政治家は“商売”をしなければならない。しかしそうすると透明化は難しい。透明化するためには公費で賄うようにする。そうすれば透明化しやすい。しかし公費とはつまり税金なので政治家に金は渡したくない。秘書を増やすなんてとんでもない。しかしちゃんと仕事するためにはもっと秘書が必要・・・うーん。
 
 ループしましたね。
 
 この考え方は基本中の基本、基礎中の基礎だからな。でも基礎中の基礎だけでもこんな簡単に矛盾が出てきてしまう。
 
 なんかこれだけで国民が抱える「政治と金」アレルギーの原因が見えたような気もしますが、まだまだ基礎ですか。
 
 そう。政治家に金を渡したくないという理由もなんだか真面目に語るのもいやなんだが、他にも「透明化」と一言で言ってもいろいろ問題点はある。すでにムネヲの例でも出てきたよな。あと、政治家の“仕事”とは一体なんなのかというのも、国民が政治に何を求めているのかが、その大きなポイントになるわな。
 
 では、今日はこの辺にして、続きは次回に持ち越しましょう。
 
 あれ、そうなのか。
 
 はい。あまおちさんが出ていい時間はこれぐらいですから。
 
 ちょっとまてー、ここはオレのサイトだー
 
 はいはい
 
 つд
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月30日

 火事場泥棒はどこにでもいる

 ごめんなさい。
 当サイトの名物一行メッセージボードに最近スクリプト荒らしがやってきているようで、無意味なアドレス貼りや、一部コメントが消えてしまったりしています。
 やえもこのシステム好きだったんですが、ちょっとひどいようなら一度外さなければならないかもしれません。
 いつもご愛用下さっている方には感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、ご了承いただければと想います。
 
 いっそのコト、ブログに移行してしまうっていうのも手かもしれませんが・・・。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 やえは昔から年金の問題はよく分からないので具体的な話をしてきませんでしたし、これからもやっぱりよく分からないので具体的な話はする気がないのですが、最近の例の「○○件の消えた年金」問題についてちょっとだけ一言言いたいと思います。
 
 この問題、おそらく一番のポイントは、「救済するのは当然だけど、このドサクサにまぎれて払ってもないのに年金をもらおうとする人が出てくるのではないか」という点だと思います。
 昔、輸入牛肉を国産と偽装して販売した西友が発覚後レシート無しでも返金するとしたところ、なんと販売額の3.5倍もの払い戻し額になってしまったという事件がありました。

 北海道西友が社長ら処分
 
 北海道西友の元町店(札幌市東区)が輸入肉を国産と偽装表示して販売した問題で、同社は22日、偽装表示をした同店の担当者1人を諭旨解雇し、富沢司郎社長と小原敬次専務を給与の10分の1を3カ月間減給とするなど、計10人を処分した。
 元町店は昨年9月から今年9月までカナダ産豚ロースと米国産牛タンを 国産と表示して販売した。
 この問題では、同社がレシート無しで返金の申し出に応じたが、返金を求める人が殺到。返金額が対象商品の販売額の約3・5倍に達して支払いを中止した。 若者らとトラブルも起こり、暴行や恐喝未遂の疑いで3人が北海道警に逮捕された。
 (ごめんなさい、記事が古くてリンク切れしてます)

 残念ながら、人間はそこまで綺麗ではありません。
 もし証明無しで、自己申告だけでこの手の問題をあたってしまうと、どうしてもこのような事態になってしまうのです。
 これはとてもさみしいコトですが、現実として受け止めなければならないでしょう。
 まして年金の場合、もはや信頼など地に落ちて地下にまで潜ってしまっている感のある社会保険庁に対する請求です。
 3.5倍以上になってしまうのは火を見るより明らかです。
 人を信じるコトは日本人の美徳ではありますが、現実論的に考えたら、どうしてもまずここをよく考えなければならないでしょう。
 
 そしてもし、なんの証明もなく言うだけで請求できるというコトになってしまったら、おそらくその補填は税金から出されるコトになるでしょう。
 それはつまり、保険料を払っていない人の分まで税金によって年金として支払われるというコトですから、結局結果的に、全体的に見れば国民の利益を失うというコトになるワケです。
 
 政府与党は、ここを心配しているワケです。
 一方野党やマスコミは、この問題を鑑みずに、ただただ「消えた消えた」と騒ぎ立て、与党が少しでも問題が起きないよう慎重な仕組みを作ろうと主張すると「国民無視だ」とか「社保庁をかばっている」とか、全くの筋違いなコトばかり言いますが、でも実際は、社保庁がトンデモナイというのは自民党の方こそ思っていて怒っていて、だから解体という最終手段をとっているのです。
 むしろ公務員という身分にしがみつき、その利権を守ろうとしているのは民主党のクセなのにです。
 
 今日の党首討論で面白いやりとりがありました。

 もう一度私は小沢代表に確認したいのですが、小沢代表は国民の方々から申請があれば自動的にそれに対して給付をせよと、そうおっしゃっているんですか?
 
 今私が申し上げましたように、基本的に国民の側の申し立てを採用するという前提に立って、私は第三者機関というものを、自動的にと言うつもりはありませんが、そういう国民の主張を尊重するという立場に立って、その前提で運営されなければ意味がないんじゃないかということを申し上げております。
 
 (衆議院TV 国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)より、約32分あたり

 小沢さんの歯切れが悪すぎです。
 いつもいつも政府に対して「YESかNOでお答えください」と責め立てる民主党の勢いはどこへやら、「自動的になのか」という問いに、YESかNOかどっちなのか分からない、あいまいな答えしか出せてしません。
 まぁいくら無責任政党民主党と言えども、言われるがままに年金を払うという制度はどうなんだと正面から筋立てて聞かれると、さすがにそれはできないと言うしかないみたいです。
 結局言っているコトは自民党と変わらないワケで、口先だけ社保庁を批判し国民側の主張だけで年金を返せ的なコトを都合の悪い部分を隠し隠し騙し騙ししながら主張して、パフォーマンスとして騒ぎ立てているだけなんですね。
 つまり民主党は国民を盾にして政府与党批判をしたいだけだとしか言いようがないのです。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、一般的なセリフで締めますが、ぜひ建設的な議論でこの問題にあたってもらいたいと思っています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)

平成19年5月31日

 やえに教えてください

 理解できないやえに、どなたか教えてください。
 マスコミは「けしからん、けしからん」ばかりしか言いません。
 野党民主党は「きょーこーさいけつ、きょーこーさいけつ」ばかりしか言いません。
 ではどうやったら正しくシステムが機能するようになるのか、誰も言ってくれません。
 おそらく自民党が出した法案を読めば書いてあるのでしょうけど、でも我こそは国民の立場であると公言してはばからないマスコミと民主党は、ではどうすれば消えた年金が戻ってくるのか全く言ってくれません。
 どなたか、理解できないやえに教えてください。
 
 民主党は言います。
 真面目に年金を払った人の立場に立って考えなければいけないと。
 では国民が言えば自動的に全て年金が払えるようなシステムにするのかと問うと、それはそうではないと言います。
 それならば具体的にはどうするのでしょうか?
 「国民の立場に立て、立場に立て」と言うだけでは、全く解決しないと思うのですが、どなたか理解できないやえに教えてください。
 
 民主党は言います。
 責任を明らかにしろと。
 しかしこの問題、誰が一番トラブルを引き起こしたのかと言えば、現場の職員です。
 もちろん部下の責任は上司の責任ですから、上の方も責任を取らなければならないのは当然ですが、だからこそ上も下も等しく平等に全ての社保庁職員全体に責任を取らすような「社保庁解体」という手段を自民党はとっているのです。
 一方民主党は、どうも上の方だけに責任を取らせるようなコトを言い、社保庁解体は責任の取り方ではないかのごとき言説を繰り返しています。
 よく理解できません。
 やはりアレでしょうか、民主党は自分の票田である労働組合の構成員である一般職員だけはなんとかして公務員の座に居座らせ続け、労組でない上の方だけの首を取ろうと頑張っているのでしょうか。
 トラブルを引き起こした、また過去のずさんな業務を直接行っていた一般職員の責任を無視して。
 さらに必死になって自民党案を「公務員と一緒だからダメ」と民主党は言ってますが、だったらそのまま100%公務員である民主党案はもっとダメだと思うのですが、その理屈がよく理解できません。
 どなたかやえに教えてください。
 
 民主党は言います。
 「この問題を政争の具にすべきではない」と。
 しかし民主党は、貴重な時間をつぶして、順々に3人の委員長・大臣の不信任案等を提出し、今日は深夜まで国会が続けられています。
 これって政争なんじゃないんでしょうか?
 まして厚生労働大臣の不信任案の際には、民主党の長妻議員が趣旨説明に1時間半以上にもわたる長時間しゃべり続けるという全く理解に苦しむ行動に出ます。
 議長が注意をしても全くその態度を改めず、わざとゆっくりしゃべりつづけて時間をかせぎまくりました。
 内容も、厚生労働大臣の不信任案のハズなのに、なぜか年金の法案の中身についてです。
 これって政争なんじゃないでしょうか?
 どなたかやえに教えてください。
 
 社保庁がトンデモナいコトはもはや言うまでもないコトです。
 しかしそれと同時に、年金を払っていない多くの国民がいるコトも事実ですし、そして火事場泥棒が出てきてしまうコトもさみしい現実です。
 そしてこれらは同時に成り立つコトで、それを指摘したからといって社保庁をかばっているとか、責任から逃げているとかなんて言うのは、全くの的外れであり、日本語として成り立っていないと言えるでしょう。
 でも、これらの問題をどうすれば解決されるのか、全然具体的には何も聞こえてきません。
 どなたかやえに教えてください。
 ではどうしたら社保庁に対して責任を取ったと言える状態になるのか、ではどうしたら未滞納国民がいなくなるのか、ではどうしたら火事場泥棒を防ぐコトができるのか、国民のために本当に議論しているのは誰なのか、どうか分からないやえに教えてください。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)