さて、今日は人権擁護法案についての続きをしようと思うのですが、本日の朝、自民党の方で人権擁護法案の議論が行われたというお話をお伺いしました。
それなりに普通のメディアでも取り扱われていますのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
前回の2年前の議論においては、当サイトはその議論の内容についてレポートしてきたワケですが、今回もお話をお伺いできるかもしれませんので、可能でしたらまたレポートしていきたいと思っています。
というワケで、確約は出来ませんが、ちょっとだけ期待しておいてください。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
さて、いきましょーか。
Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
A.人権を守らなくて良いと言ってるのではありません。問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ、その人選の不透明・曖昧さ、人数です。
なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか
なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか
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まず《問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ》ですが、これは何でも言えるコトで、単に「強い」と表現するだけでは批判の材料になりません。
強い弱いという言葉は必ず何かと比較している言葉ですので、一体この場合の「強い」とは何と比べて強いと言っているのかが問題になります。
残念ながらそれが書かれていませんので、この有様では「問題」と言うコトは出来ないでしょう。
ちなみに当サイト的には、他の既存法律や、他の既存委員会・組織などと比べて、特段際だって人権委員会の権限が「強い」とは判断できません。
次に《その人選の不透明・曖昧さ》ですが、人権擁護法案の人選は、ぜんぜん不透明ではありません。
決定権限のある人権委員についてはこちらに詳しく書いていますが、少なくとも民間大臣と遜色ない人選方法が規定されています。
むしろ、なにをもって「曖昧」だと言っているのか、その方が曖昧ではないのでしょうか。
また《人数》が問題とも書かれていますが、これはおそらく人権擁護委員のコトなのでしょうけど、しかしこの法案が施行されていない現在においても、人権擁護委員の方々というのはいらっしゃって活動しています。
これで「人数が問題」とは、ちょっと言えないのではないでしょうか。
次に《なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか》ですが、別にこれ、法案の中身には関係ありませんね。
この理由を持って法案に反対する理由にはならないでしょう。
この法案に限らす全ての法案というモノは、廃案になるとかならないというのは国会や政治や選挙の影響によるところが大きいワケで、ですから中身の議論には関係ない話です。
こんなコト言い出したら、もし民主党が与党になったとしても、野党時代に廃案にされた法案は提出できなくなってしまい、民主党は何も出来なくなるでしょう。
だいたいこの人権擁護法案は、けっこうな修正が加えられているのですから、それだけでも再提出する理由にはなります。
最後に《なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか》ですが、これは可決という言葉の使い方が間違っているんだと思われます。
数年前に大騒ぎになったあの話というのは、自民党の内部規定による議論のお話でしたので、仮にあそこで賛成多数になっていたとしても、法律として成立するワケではなく、単に自民党だけのお話でしかありません。
ですから、これを持って公的な意味での「可決」とは普通言いません。
法案は当たり前ですが国会に提出され、本会議と多くの場合委員会で議論されます。
そして国会で「可決」されれば、法律として成立するワケで、つまり全ての法案は国会に法案が提出された時に「おおやけになる」と公的には言えるようになるのです。
ですから、まだ自民党の議論の段階で「なぜおおやけに公表されないのか」と言われても、ちょっとズレているんですね。
少なくとも「公開されずに法案が成立する」とは全くならないワケです。
実際の法案に対して公の場で意見を言うのでしたら、国会の仕組みぐらい勉強してからにした方がいいんじゃないでしょうか。
では、ここのQ&Aを正しく書き直します。
と言っても、質問の内容からして直しようがないんですが…。
Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?
A.なぜでしょう。デマによって煽られた人たちが、自分で調べようともせずウソの内容をそのまま信じてしまっているからではないかと思います。
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次の設問です。
Q.何が問題なんですか?
A.問題の一つに、差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です、被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります。人権擁護法案よりも人権委員会の発足が危険視されています。
被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ
たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。
差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い
実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない
北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。
そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされかねない。これでは、言論および表現の
自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。
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まず《差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です》ですが、完全に大嘘です。
人権委員会の決定が不服なら、裁判所で裁判を起こすコトは可能であり、最終的には裁判所の決定が公的な決定となります。
こんなの言うまでもないコトのハズなんですが……。
次に《被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります》ですが、これもデタラメですね。
というか、何度も言ってますが、人権擁護法案が成立してもそれによって新たな概念が生まれるワケではなく、何が差別で何が差別ではないかという部分は現行と変わらないワケですから、もし現在「正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧」されているような現実がある場合、もちろんこれは裁判をしても「正当な批判ではなく差別だ」と裁判所が認定するという場合ですが、それは人権委員会でも差別だと認定されるでしょうし、そうでなければそうはなりません。
すなわち、人権擁護法案が施行されると、急に新たに弾圧されるようになるコトはあり得ません。
不服なら裁判という手段があるワケですし。
そもそも「なにをもって正当か」という問題がまずあるワケです。
この世の中に絶対正義的に認定される「正当」なんて存在しないワケで、一方が「正当」と思っても、もう一方は「不当」だと感じるコトなんて多々あり、むしろ紛争は、だからこそ起きえるモノです。
そしてこれを解決する手段として人間社会では裁判所などが生み出されたワケで、人権委員会もそのひとつとなるコトになります。
ですから、この設問の段階で絶対正義的に「正当な批判」と言ってしまうのは、適切ではありません。
本当にそれが「正当かどうか」を審議するのが人権委員会の職務の一つだからです。
そして最終的には、裁判所が正当と認めるモノが公的には正当であり、判断基準はそこになりますし、それは原稿制度下でも変わらないワケで、繰り返しになりますが今の段階で「不当なモノ」は成立後も不当ですし、「正当なモノ」は成立後も正当となるのです。
《被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。
被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ
たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。》
この辺は以下同文ですね。
《差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い》ですが、ええと、これ、なんか別のところで言いませんでしたっけ?
まぁ、ここは確かに問題ではあるとやえも思っています。
が、これは公的機関の全体の性格として議論しなければならない問題だと思っていまして、例えば冤罪が起きても裁判所や検察や警察がどこまで謝罪するかというのは、現行でもちょっと疑問が残るところです。
ですからここは全体として変えていきたいところです。
ただし、ひとつだけ言っておくなら、もし冤罪が起きた場合は、国家賠償法に基づく訴訟を行政に対して起こすコトは可能です。
決して泣き寝入りしかできないというワケではありません。
《実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、常任に至っては二人しか居ない人権委員では許可発行にも十分な審議ができるとは考えられない》
ええと、行政府の最高意志決定機関である内閣は、現在たった18人で日本の舵取りをしています。
あらゆる分野の日本の舵取りをする人数としては、まぁ数字だけ挙げてしまえば少ないですかね。
ただ、そのための官僚組織なワケで、人権委員会も同様です。
それから、他の三条委員会も、トップの委員数はだいたいこんな感じのようです。
《北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン) 大統領を批判したとする。
そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされ ねない。これでは、言論および表現の
自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。 》
キムジョンイル本人が訴えるならまだしも、それを理由に第三者が訴えるコトが可能とはちょっと考えられません。
飛躍しすぎな気がしますが。
また、「不開始事由のアウトライン」の中にも、「専ら公共を図る目的で、公共の利害に関する事実について、意見を述べ、又は論評するものであるとき」という項目がありますので、この辺はまずあり得ないと言っていいでしょう。
この辺も、現行法下において裁判で「差別ではない」とされる類の言説であれば、人権擁護法案が施行されても差別ではないとされるのは当然の話です。
では、ここのQ&Aを正しく書き直します。
Q.何が問題なんですか?
A.一番の問題は、法案文を読まずに雰囲気だけで反対反対と言っている人でしょうね。
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