☆やえニュース☆

 バーチャルネットローゼンメイデン真紅586920時間ぶりチベットのデモ・暴動の中国政府自作自演説について福田メルマガレビュー映画『靖国』の騒動について人権擁護法案を巡る議論でのある雰囲気について雑記福田メルマガレビュー政治圧力とは何か

平成20年4月1日

 バーチャルネットローゼンメイデン真紅586920時間ぶり

 あら、見ない顔ね。わたし?わたしは誇り高きローゼンメイデン第五ドールの真紅よ。一体こんなところに来てどうしたのかしら?
 
 真紅ぅ、ちょっと待つですよ、ひとりでさっさと行くなですよぉ。
 
 早く来なさい。……ところで翠星石、今日はなにをするんだったかしら?
 
 真紅ぅ。相変わらずたまにボケボケですねぇ。今日は告知をしに来たですよ。CMですよしぃえむぅ。
 
 はっ、そうだったわ。そんなのはじめから分かってたのだわ。
 
 ……ま、いいですけどねぇ。ところで真紅、上の占いの「かしらかしらご存じかしら」っていうのは、金糸雀ではなくて「少女革命ウテナ」だと思うのですが、いいのですか?
 
 悠久の時の流れの中において、そんな違いは些細なことでしかないのよ。
 
 ……よくわからんですが、まぁいいです。さっさとしぃえむするですよ、真紅。
 
 そうね。早く終わらせて、ジュンに紅茶を煎れさせるのだわ。
 
 ではしぃえむするでよ。ええと、なんとですね、ながらく連載休止していたローゼンメイデンの本作が、ついに連載復帰するですよ!!
 
 多くの方に心配をかけてしまったことはお詫びするわ。でもまた私たちローゼンメイデンの運命を貴方達に見届けてもらうために、またアリスゲームに挑むことにしたのだわ。
 
 ま、可憐でお淑やかで才色兼備な翠星石がアリスになるのは当然のことですけどねぇ。
 
 ふふっ。がんばるのだわ、翠星石。
 
 あ〜らぁ、翠星石ごときがなにいってるのかしらぁ?
 
 ひっ、な、いきなり後ろから出てくるなですぅ。そもそもここに来るなんて聞いてないですよぉ。
 
 真紅ぅ、ついに決着をつける時がきたようねぇ。
 
 わたしはそんなつもりないけど、貴方がどうしてもと言うなら受けて立つわ。
 
 ふぅ〜ん。いい度胸じゃなぁい。貴方のローザミスティカは必ず貰うからねぇ。覚えてなさぁい。
 
 ……う、水銀燈はもう帰ったですか?
 
 もう大丈夫よ。
 
 うう、水銀燈はいったい何しに来たですか。
 
 多分、出たかっただけよ。ああ見えて寂しがり屋なのだわ。
 
 うう、迷惑なヤツですぅ。もう二度と来るなですぅ。
 
 ふふ、姉妹に対してそう言うものではないわ。
 
 そ、そうですけどぉ。
 
 じゃあ、もうひとつのCMをして帰りましょう。
 
 そ、そうですぅ。さっさとしぃえむするですよ、真紅。
 
 あまり急かすものではないのだわ。……ごほん。色々と忙しい私たちだけど、妙なことに、こんな世界にまでお邪魔して冒険したのよ
 
 いわゆるTRPGというヤツですね。この本では翠星石の大活躍が見どころですぅ。翠星石のストーンブラストが炸裂して、ローザミスティカゲットするですよ。
 
 翠星石、ちょっとそれはお話が違うわよ。今回の冒険は、わたしとくんくんのラブストーリーだったハズよ。
 
 ……それも絶対違うですぅ。むしろ真紅は、くんくん人形釣りにまたしても填められたじゃないですか。
 
 なっ、そ、そんなことはないのだわ。わたしとくんくんの絆は永遠なのよっ。
 
 全然意味が分からないですぅ。
 
 ま、とにかく、是非私たちのいつもと一風変わった冒険を見てほしいのだわ。
 
 そうそう。おバカ苺は大福に釣られ、金糸雀はカラスに負け、水銀燈もくんくんにメロメロになって、蒼星石はツッコミで大忙しですぅ……って、いつも通りな気がしますね……。
 
 でも貴方のボケぶりが一番いつも通りだった気がするけど?
 
 だれがボケですかぁ。
 
 ふふ、まぁちょっとでも気が向いたら読んでちょうだい。おそらく4月27日のゲームマーケットでは確実に置いているハズよ。
 
 夏コミにも申し込みしているらしいですから、受かったらそっちにも出るハズですよ。
 
 詳しい情報はこちらのサイトをチェックするのよ。さ、これでCMは終わったわね。翠星石、帰るわよ。
 
 あ、ちょっと、待つですよ真紅。そこの人間、必ず翠星石の活躍を見るですよー!!
 

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水銀燈のバーチャルネットアンニュ〜イ
 
 このコーナーでは、わざわざこんなサイトを紹介してくれた方々にお礼を言うコーナーよ。
 ホントはめんどくさいんだけどぉ、どーしてもやってくれーって真紅が土下座して頼むから、仕方なくやってあげるわ。
 ありがたく思うのね。
 
バーチャルネットヤンデレ若奥様・ちゆ19歳
 ひっ
 な、なんなのぉこれぇ〜?
 ちょ、ちょっとびっくりしちゃったじゃなぁ〜い。
 ま、まぁ、ちゆ御大もしぶとく生きているみたいだからぁ、これからもせいぜい頑張るがいいわ。
 
あくまちゃん店
 …これじゃ、もともと誰のサイトか分からないじゃなぁ〜い。
 ま、いつも情報量が豊富だから、私もたまに利用させてもらってるわ。
 これからもせいぜい頑張るがいいわ。
 
脳内新聞(ソース版)
 真紅はメリーさんじゃないのよぉ。
 似たようなものかもしれないけどねぇ。
 まぁ、とにかく、原作はちゃんと連載再開するから安心して、私の活躍を応援しなさぁ〜い。
 
ねこあれぶろぐ
 VNIめざしているそうだけど、まぁせいぜい頑張るがいいわぁ〜。
 紹介ありがと。
 
 
 え? これだけ?
 なによっ、ちょっと少なすぎじゃない!?
 なんだか、これだけでわざわざ呼び出されたと思ったら腹が立つわ。
 ほら、私が直々にここでお礼を言ってあげるから、サイト持ちはどんどん紹介しなさい。
 紹介しない人は、ジャンクにするわよっ。

平成20年4月2日

 チベットのデモ・暴動の中国政府自作自演説について

 当然と言えば当然なのでしょうけど、やはりチベットの件は関心が高いですね。
 というワケで、今日はこの件に関して、もしかしたらとりとめがなくなってしまあうかもしれませんが、語っていきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 たまにこれ言わないと、忘れられそうですよね(笑)
 
 今日はまず、中国の自作自演説についてなのですが、正直言いましたら、その真偽を確かめる術は当サイトにはありませんから、もし全てが自作自演だったと証明されたら、ごめんなさいとしか言いようがありません。
 事実を伝えた後にそれをどう受け止めるかという部分に関しては新聞等の既存メディアはあまりアテになりませんが、事実を伝えるという部分だけに関して言えば、やはり専業の職業としてのプロであるコトはとても大きいので、そこはプロに頼らざるを得ず、信用せざるを得ないというのが実際のところです。
 ですから、チベットでチベット側から暴動が起きたという報道が大勢を占めている現在、当サイト的にはそれを信じるしかないというのが本音であり、それが間違いだった場合もどうしようもないと言うしかありません。
 
 その上でもうちょっと考えてみるとですね、中国政府が仮に自作自演をするとしたらそのメリットはどこにあるのかと考えると、おそらく「チベットはこのような暴力的な集団だ」という印象を内外に植え付けるためだと想像できます。
 しかし、実際はどうでしょうか。
 今の中国政府は、日本のみならず、世界各国から非難を浴びているだけで、チベットが暴力集団であると印象を与えることに成功しているとはとても言えないでしょう。
 しかもこの時期に暴動というのは、オリンピックを意識したモノであるというのは言うまでもないコトで、と考えればむしろ中国政府からしたら、今はオリンピックを主催できる力があるコトを見せつけるコトこそが最も重要なコトであって無難にオリンピックを終わらせるコトが最重要課題であるワケですから、わざわざこの時期に自作自演などして下手に注目を浴びるというのは普通は逆効果としか考えないでしょう。
 そして実際にそうなったのですから、本当にこれが自作自演なら稚拙としか言いようが無く、いつものしたたかな中国政府からしたらあり得ない話なのではないかと、やえは思います。
 こちらの記事を見ても、中国政府はかなり苛立っているみたいですから、やはりここまでのリスクを負ってまで自作自演をするとは考えられないのではないでしょうか。
 
 ただ、やはりあの辺の人々です。
 組織ではなく、個人的にチベット人になりすまして商店などを略奪した可能性というのは捨てきれません。
 残念ながら、シナ大陸に住んでいる人々というのは、そういうコトをする民族性があると過去の歴史から見えてきているワケですから、それは否定できません。
 ですから、暴徒の中にチベット人ではなく漢民族が紛れていた可能性はありますが、しかしそれは、中国政府の自作自演とはまた別の問題と考えるべきでしょう。
 
 中国政府は今この暴動に対してダライ・ラマの首謀によるモノと主張していますが、これはもう中国政府としてはそうとしか言いようがないから言っているだけだと言えます。
 あの辺でこの手の問題が起きると、中国政府はもはや武力でもって制圧するしか手段を持っていませんし、思考回路もそれしか導き出せないようですから、ある意味一連の中国政府の言動は予想通りと言えるでしょう。
 そもそもダライ・ラマの非暴力主義は有名ですから、事情を知っていれば中国政府のこの言動はメチャクチャだと一発でバレるウソです。
 ですからここをもってしても、暴動自体が自作自演だとは言えないと思います。
 
 結局やえの考える真相とは、なんらかのきっかけでデモが起こり、騒ぎが大きくなるにつれて、ダライ・ラマと直接縁がない人やチベット仏教そのものともあまり関係ない人、さらには騒ぎに便乗しようと悪ノリした中国人もいつの間にか飲み込んでの大暴走になったと、そういうところなのではないかと思っています。
 一部では警官が制服を脱いで暴動に加わった、という話も出ているようですが、あの辺の人たちに対して高い職業意識を期待する方が無理な話で、日本が世界で一番職業意識が高い警察であるコトを日本人自身が一番認識していないだけで、あの辺の人たちは所詮はそれぐらいのコトは簡単にやってしまいのける民族性を残念ながら持っているという、個人の犯罪であるというのが真相なんじゃないかとやえは思います。
 
 もちろん最初に言いましたように、本当に全てが中国政府の自作自演だと証明されたのであれば、ごめんなさいと言うしかないのですが。
 
 
 チベットの問題に関してはもうちょっと語っていきたいと思います。
 

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平成20年4月3日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第25号 2008/04/03)      
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 [政治の責任。福田康夫です。]
 政治の責任。福田康夫です。
 ガソリン税などの道路特定財源のあり方については、先週のメルマガで、政府の考え方に固執することなく、見直すべきは大胆に見直す、と申し上げました。
 それは、野党の皆さんとの話し合いの機会をつくり、3月末までに話をつけて、国民生活や地方財政に大きな混乱をもたらさないように、と考えたからです。
 そして、メルマガを皆さんに送った日の夜に、私は、緊急に記者会見を開いて、道路財源改革のための新たな提案を行いました。
 
 こんにちは福田さん。
 結局なんだかガソリンの目先の値段に国中が一喜一憂してしまっていますよね。
 本来税金とは、個人の思惑や感情から離れたところにある、国家全体を考えなければならないモノす。
 だれだって税金なんて低い方が、払わない方がいいと思うに決まってますが、しかしなくてはならないモノであるのは言うまでもありません。
 だからこそ、個人の感情とは全く切り離して考えなければならないハズなのに、なぜかガソリン25円が最も焦点と今の政治はなっている、そんな感情的な問題を政治の場に持っていってしまっているというのは、ちょっとどうなのかなと思わずにはいられません。
 
 内容は、第一に、無駄使いの根絶のお約束です。娯楽用品を買うなどといった不適切な支出はもってのほかです。さらに、道路予算に大きく依存している公益法人の廃止・民営化を進め、不透明な天下りも徹底的に排除することです。
 
 まぁ確かにバットとかを特定財源から買っていたというのは、さすがにどうかなとは思いますけどね。
 ただ、単にレクリエーションがダメと言ってしまうのは、それはまた別の問題だと思います。
 公務員だって人間なワケで、人が肉体的にも精神的にも充実して仕事が出来るよう環境を整えるというコトはやっぱり必要ですから、その観点からレクリエーションもその手段の一つである場合もあるハズです。
 社員旅行とかはその際たるモノと言えるでしょう。
 ですから、そういうのが必要であるなら、公務員の場合当然その費用の全部もしくは一部は税金から出されるべきで、それは国民も理解しなければならないコトだと思います。
 もちろん道路特定財源から出すのはちょっと外れているでしょうから、一般財源からでしょうけどね。
 
 第二に、ガソリン税を、地球温暖化対策や救急医療体制の整備、少子化対策など、様々な政策にも使えるようにすることです。このために、道路特定財源制度を今年かぎりで廃止し、21年度からガソリン税などの使い途を道路整備に特定しない「一般財源」とします。
 第三に、10年間にも及ぶ道路整備計画を5年間に短縮し、本当に必要な道路に限定するため、新たなデータを用いて計画内容を見直すこととしました。
 
 結局税金なのですから、やえからすればあまりこだわる必要はないんじゃないかとは思っています。
 ただし、一般財源にするからといって道路をおざなりにするようなコトだけはやめてほしいと思います。
 もはや日本には道路は必要ないと言う主張は、ハッキリ言って都市部の傲慢以外何者でもありません。
 まだまだ道路が必要なところはいっぱいあって、そしていつも言っていますように、決して採算だけで計れない価値というモノは道路にあるワケですから、「一般財源化=道路整備はもう必要ない」という短絡的な考え方にはならないようお願いしたいと思います。
 
 これらの提案は、いずれも国会審議の中で明らかとなった問題への回答であり、民主党をはじめ野党の皆さんにも、話し合いのテーブルについていただけるものと考えました。
 残念ながら、民主党との話し合いはつかず、結局、野党が多数を占める参議院では、ガソリン税にかかる法案審議が3月中に一度も行われないまま、ついに時間切れとなりました。
 
 民主党も一般財源化に対する発言が変なんですよね。
 最近やたらと、「一般財源化は小泉総理が決定していたことで、それを破るとは何事だ」とか言ってますけど、民主党は小泉さんに対して反対していたのですから、もし福田さんが小泉さんとは違うコトやっているなら歓迎すべきコトなんじゃないんですかね?
 まぁそうじゃなくても、民主党が小泉さんを引き合いに出す筋合いは無いんじゃないかと思います。
 ちょっと勝手すぎるんじゃないでしょうか。
 
 食品をはじめとした物の値上がりで家計への負担が増大するなかでは、税金が少しでも安い方が、国民の皆さんにとっていいことは間違いありません。
 「税金を引き下げます」と申し上げることは、とても楽なことです。
 しかし、ガソリン税が引き下げられたままになると、消費税1パーセントに相当する2兆6千億円もの財源が失われます。地方の自治体によっては、福祉や教育など幅広い住民サービスの見直しにつながりかねません。
 今後、温暖化対策でも、医療でも、福祉でも、政府がやるべきことは山積しており、しっかりとした財源の確保が不可欠です。
 
 これ最初に言ったコトですね。
 そもそも日本のガソリンは外国に比べればけっこう安い部類らしいですから、その辺の整合性も考える必要はあるかもしれません。
 
 一方で、現在、国・地方の財政はともに大きな借金を抱えています。見通しもなく安易に税金を引き下げ、子どもや孫たちのツケを大きくしてしまうようでは、政治の責任を果たしたとは言えません。
 人気取りに走るのではなく、必要なことであれば国民の皆さんにご負担をお願いするのが、国民の生活と経済を守るべき政治の責任であると考えました。
 
 これからまだ数年、数十年の日本は、人口減少の中でやっていかなければいけません。
 これを誰のせいとかと言う必要はありませんが、しかしやはりこれは国民全員の責任のもとで背負っていかなければならない背景であり、よって一人あたりの負担率が多くなるのも、ひとりひとりが自覚を持って責任を持つべき事柄でしょう。
 日本は民主主義国家であり、国民ひとりひとりが国家を支えているという自覚を持たなければなりません。
 
 繰り返しとなりますが、そのための大前提として、皆さんからお預かりした税金に、一円たりとも無駄があってはならないことは、言うまでもありません。
 道路財源に限らず、すべての支出について「ムダ・ゼロ」を目指し、公益法人のあり方や不透明な天下りを徹底的に是正します。
 民主党をはじめ野党の皆さんとの話し合いの努力も、ねばり強く続けてまいります。野党の皆さんには、一日も早く、参議院で審議に入っていただき、結論を出していただきたいと願っています。
 
 無駄については、まず「なにを無駄と定義するか」という部分が全然議論されていないのが気になるところです。
 さっきのレクリエーションの話とかですね。
 また、やもすれば、都市部の人間が地方の道路に対して「無駄」と言ってしまうコトも多々あるワケで、この辺はキチンと整理して議論しなければならないコトなのではないでしょうか。
 
 あと、民主党は仕事してくださいね。
 
 
 
 ● 消費者・生活者が主役となる社会の実現へ
 (内閣府特命担当大臣 岸田文雄)
 明治以来、わが国の諸制度は、生産者やサービスの提供者を中心とした発想を起点に形成されてきた、といっても過言ではありません。消費者・生活者はこれよりも一段弱い立場、すなわち事前規制などにより「保護されるもの」と位置づけられてきました。消費者政策の基本理念を定めた法律も、消費者保護基本法という名称だったのです。
 
 岸田先生こんにちはーーーーーっ。
 というワケで、今日は、やえの出身広島の選出でいらっしゃる、岸田大臣のご登場です。
 いつもより気合い入ります(笑)
 
 しかしながら、経済社会の複雑化・多様化に伴い、従来型の事前規制が時代に合わなくなると同時に、消費者・生活者は、「自立した主体」として、積極的に自らの利益を確保することが求められています。こうした変化を反映するため、消費者保護基本法も、平成16年、議員立法により消費者基本法へと改正しました
 
 企業と個人を比べたら、様々な意味でどうしても個人の方が弱いワケで、だからこそ今まで「保護」というコトで、個人・消費者が規定されていたワケです。
 しかしこれでは、精神的な部分でも、いつまでも披保護者として抜けきれません。
 例えば、ある企業とトラブルになった場合、なかなか個人一人では企業相手に裁判しにくいというのが現実です。
 これまではそれを補う意味で、行政が行政処分などを行使していました。
 例えば赤福の件も、消費者が赤福を裁判所に訴えたという形ではなく、行政が営業停止などの処分によって消費者の利益を代弁し守っていたワケですね。
 それに対し、16年に消費者基本法を改正した際に「団体訴訟制度」というモノが新設されまして、個人に代わって消費者団体が企業に対し訴訟を行えるようになりました。
 個人一人ではいろいろとつらい訴訟というモノを、専門知識を持った消費者団体が代行してくれるワケです。
 つまり主体的に消費者個人が考えられるようになったんですね。
 もちろんだからといって行政処分などが無くてもいいとはなりません。
 手段はたくさんある方がいいワケで、その中で、消費者が今後主体的にどう国家の中であるべきか、考えていかなければならないでしょう。
 
 最近では、「消費者市民社会(Consumer Citizenship)」という考え方が提唱されています。消費者・生活者は、自らの利益を追求するのみならず、地球環境、将来世代、倫理などに考慮した消費活動などを通じて、社会経済の発展に貢献すべきだという考え方です。すなわち、消費者・生活者が自らの権利と責任を社会の主役として果たしていくことが求められているのです。
 
 基本的に民主主義国家とは本来こうあるべきなんですけどね。
 いつもいつも受け身で、ただ待っていれば権利だけが降って湧いて出るという意識は、これから変えていかなければならないでしょう。
 なんでもかんでもお上に頼るのではなく、自分がどう考えるのか、自分の頭で考えるのです。
 そうしてこそ、本当の意味で消費者の権利が守られるのではないでしょうか。
 
 福田内閣が現在進めている「生活安心プロジェクト」。消費者・生活者が主役となる社会を実現するために、国民生活に関係する法律、制度、事業を幅広く総点検しようというプロジェクトです。本日は、「食べる」「働く」「作る」「守る」「暮らす」の5つの分野の行政のあり方についてご議論いただいた、国民生活審議会からの提言が福田総理に提出されます。
 この提言を基に、政府として実施すべきことについてのアクションプランを早急に作成し、消費者・生活者が主役となる社会の実現に向けた改革を進めてまいります。
 
 消費者庁はどうなっているのか気になるところです。
 その辺、この前にも言いましたっけ? 各省庁の権限を奪い取るコトになるので抵抗がそれなりに予想されますから、頑張っていただきたいところです。
 そして、それも含めて、自分たちのためにも国民が後押ししたいところですね。
 岸田先生、これからもがんばってください。
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 先週28日、平成20年度予算が成立しました。課題が山積するなかで政策の停滞は許されないことであり、新予算のもとで、成長力の強化、国民生活の安全・安心、地域の活性化など、ひとつひとつの政策を引き続き着実に進めていきます。
 一方で、歳入のうちガソリン関係の税制改正法案がまだ成立していないことは極めて残念です。政府としては、総理が表明した平成21年度以降の道路特定財源の一般財源化などを進める一方で、ガソリン税の暫定税率の期限切れに伴う国民生活の混乱を一日も早く払拭するため、全力を尽くします。
 
 税について一言言えば、税とは富の再配分という性格があるワケで、税金を減らせば格差はますます拡大するワケです。
 それでもいいと国民が言うのならそれでもいいのかもしれませんが、しかし格差問題というのは、いまや国論として議論されているところですよね。
 このように整合性の取れない議論というのは、所詮自分の懐が見た目的に温かくなれば他なんてどうでもいいと言い放っているコトに他ならないのではないかと言わざるを得ません。
 おそらく、また4月いっぱいでガソリン税の税率は元に戻るのでしょうけど、これがいい機会とも言えますから、キチンとみんながそれぞれ、単に25円がどうこうではなく、税金というモノを考えてもらいたいところですね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。
 

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平成20年4月4日

 映画『靖国』の騒動について

 ご存じの方もいらっしゃると思うのですが、中国人監督が作成した『靖国』という映画について、永田町をも巻き込んで騒動になっています。
 この騒動を簡単に説明しますと、まず、『靖国』という映画が作られて、ある映画祭で賞を取ったらしく日本でももちろん上映する予定だったらしいのですが、実はこの映画制作には文化庁所管の独立行政法人から助成金が出ているコトが判明します。
 次に、この映画、まだ上映されていないのでやえは内容を知らないのですが、まぁタイトルと監督の国籍からなんとなくどんな映画か想像されるワケで、そこに稲田朋美先生をはじめとする保守系議員さんが噛み付いて、「なんでこの映画に助成金が投入されているのか」と疑問の声を上げます。
 そして、それら議員さんの要請でまず議員さん向けの試写会が開かれて、色々と意見がだされたようなのですが、騒動はこの辺から大きくなって、なんと今度は、映画館の方がこの映画の上映を中止すると発表してしまったのです。
 それで「言論の自由の侵害だ」とか、そういう問題に発展してしまったワケなんですね。
 一応新聞記事もリンクしておきます。
 
 この問題についていろいろな人が様々な立場で発言しているところですが、どうもやえが思うに、問題をごちゃ混ぜにしすぎている、乱暴な議論が行われていると感じています。
 多くのこの問題に対する議論は、その本題を「表現の自由」というところに置いて、誰がどう表現の自由を侵害しているのか、こいつが悪い、こうすべきだったと、ひとつの出口を目指して意見を主張しているワケですが、しかし、実はこの問題は、様々な問題が複合的に合わさっている問題であると、やえは思っています。
 
 整理しますと以下のようになります。
 
 まず、『靖国』という映画の中身そのものについての議論があるでしょう。
 次に、この映画に対して公的な助成金が出るコトに対する是非の議論があります。
 また、国会議員がそれについて意見や上映を求めたコトへの議論。
 そして、映画館が上映を中止したコトに対しての議論です。
 
 大きく分けても、実はこの問題の中には4つの論点があるのです。
 
 まず最初に映画の中身についての議論ですが、これはやえは今現在それを判断する材料を持ち合わせていませんので、なんとも言えません。
 『靖国』というタイトルと、それを作った監督が中国人籍というところで、いろいろと想像がかき立てられるところではありますが、それだけで判断するというのはあまりにも乱暴すぎます。
 そもそも内容がどうであれ、それを主張し表現するコト自体は何人たりとも自由であり、もし靖国神社を冒涜するような内容ならやえはけしからんと思うかもしれませんが、そう主張するコトだけは、自由を保障しなければなりません。
 ですから、今の段階で、やえは映画の内容についてどうこう言うつもりはありませんし、今のところ議員さんなど一部の先行試写会を見たわずかな人しかどうこう言えないコトでしょう。
 
 次に助成金の是非ですが、結論から言いますと、文化庁というか、日本芸術文化振興会という独立行政法人の判断ミスだったのではないかとやえは思います。
 なぜなら、『靖国』というタイトルからして、これはもう政治問題に発展するのが目に見えて明らかだと常識的に考えて判断するのが妥当だからです。
 靖国神社を今後どうするかというのは永田町でもよく議論されていて、また一部のちょっとアレな人たちが裁判所に訴えたりしているコトはよく報道されているところであり、残念なコトですが、靖国が大きな問題になってしまっているというのは、ちょっと政治などに興味を持っていれば常識的に知っているコトです。
 まさか日本芸術文化振興会の人間が一人残らずそのような認識を持っていなかったというコトはあり得ないでしょう、もしそうならそれはそれで問題と言えるでしょうけど、ともかく、そのような背景があるのが分かっているのにも関わらず、公平公正であるべき公的な助成金制度を使ってお金を投入してしまったという事実に対して、これはやはり問題だったとやえは判断します。
 これがもし、全ての国内制作映画についてこの独立行政法人から助成金が出ているというのなら話は別です。
 しかし実際はそうではないワケで、よって「なぜこの映画に助成金を出したのか」という部分を合理的に説明できる材料は見あたりません。
 そもそも助成金制度の要綱には「宗教的又は政治的な宣伝意図を有しないものとします」とあります(注pdfファイル)から、ここれからも、これはさすがにちょっと、やはり勇み足なのか他の理由があったのかは分かりませんが、日本芸術文化振興会の判断ミスだと言わざるを得ないところでしょう。
 
 おそらく、稲田先生をはじめとする国会議員の先生方も、この辺を問題にしておられたんだと思います。
 「国会議員がそれについて意見や上映を求めたコトへの議論」の中身になるのですが、やえが今回の議論を見ていて乱暴だなと思う理由のひとつは、そういう議員さんが意見を言ったり上映を求めたりしたコトそれ事態に対して「言論の自由の侵害だ」と言ってしまっているような議論が存在するところです。
 しかし実際の議員の先生方の意見というのは、政治的議論がまだ決着を見ていないモノを題材にした映画に対して公的な支援の是非であり、その意見や議論です。
 公的機関は言うまでもなく特定の思想に偏るのではなく公平校正中立の立場であるのが建前であるのですから、特定の思想や政治活動に偏った映画に公的資金を投入するのは問題と言えるワケで、議員さん達はそこを指摘して、独立行政法人はいったいどういう理由で助成金を出したのかと問いただしているワケです。
 そしてそれはむしろ、行政を監視するという国会議員の本来の役目であるハズで、それに対して「言論自由の侵害だ」と言ってしまうのは、甚だしい勘違いと言わざるを得ません。
 
 国会議員さんが「まず映画の中身を見せろ」と言ったコトに対して「表現の自由の侵害だ」と言っている人が案外多いのですが、それはむしろ自らが表現の自由を侵害する行為をしてしまっていると言えます。
 今回の助成金は独立行政法人の権限で行われているワケで、それは行政行為のひとつであるワケですから、最近の「行政の無駄を無くす」という国論と同じように、この映画への助成金は妥当なのかどうかの判断は、行政の惰性的な仕事を監視する指導する行為であり、これこそ国会議員の仕事です。
 そもそも国会議員は国民から直接選ばれている代議員であり、言わば「国民そのもの」であるのですから、助成金を受けておいて、「表現者たる映画監督の自由な創作活動を精神的に圧迫していることは明らか(前出の記事より)」なんて言い放ってしまうのは、国民軽視の発言であり、むしろ自分こそが「言論の自由」を阻害している勘違い甚だしい発言だと断じざるを得ません。
 
 また仮に映画の内容について踏み込んだ発言を国会議員の先生が行っていても、それは自由な思想活動・政治活動です。
 もちろん「だから上映するな」というのは言ってはならないコトですが、そうではなく映画の中身について「反日的だ」とか言うのは、それは国益を擁護する国会議員として、日本にとって利になるかどうかという観点からの発言であり、それを主張するコトは仕事のひとつと言えるでしょう。
 「特定の地位にある人だからこそ内容についてしゃべるな」なんて言ってしまうのは、それは日本国家そのものの表現の自由規定にすら及ぶような主張であり、もっとも行ってはならない「表現の自由」への侵害なのではないでしょうか。
 国会議員こそ自由な主張と議論により、それを元に選挙によって国民の審判を受けるべき存在なのですから。
 
 最後に、映画館が上映を中止したコトに対してですが、これはなんて言いますか、映画館が悪いとしか言いようがありません。
 もし、「上映するな」という抗議の電話や街宣車などによる威圧行為があったのなら、それはそれらが一番悪いというコトは言うまでもないコトですが、それにしても映画館も気概が無いとしか言いようがありません。
 表現者こそが最も率先して言論の自由を擁護する責務を負っているハズであり、言われたらすぐにひっこめるのではなく、まず努力をするというコトは必要な責務です。
 その辺も含めて、以前書いたプリンスホテルの件と構造が全く同様です。
 どうも最近、右も左も自分の主張の出口・結果ばかりを求めて、その間のプロセスを全く無視してしまっている人が非常に多く辟易してしまうのですが、暴力的な妨害によって上映が中止されたコトを喜ぶ行為というのは、チベットの問題に対して口を閉ざしてしまっている左翼系反戦団体とやっているコトは同じです。
 本来筋道を通すというのは日本人的な美徳であったとやえは思うのですが、どうして出口だけを追い求めて、悪行でもいいのでとにかく結果だけを出させる方向にばかり向いてしまっているのでしょうか。
 日本の文化を否定したがるサヨク系ならまだしも、保守系がそれを忘れてしまっているコトに、憤りを感じずにはいられません。
 
 もうひとつ言っておきますが、なにやら国会議員が上映しろなどと言ったコトが騒動の発端となって、それが結果的に上映の中止になった、つまり国会議員が上映中止の直接のキッカケとなった、などと言っている人もいるようですが、これはあまりにも的外れというか、言いがかりとしか言いようがないでしょう。
 国会議員が助成金の妥当性を議論するコトは正当な仕事なのですから、もし本当にそれを理由に上映が中止となったとしたら、それは勝手な夢想的な強迫観念による賜物であるとしか言いようがありません。
 「交通違反取り締まりを強化します」に対して「こわくて車を運転するコトが出来なくなった、責任取れ」と言うぐらい、的外れな主張です。
 もうちょっと自分の頭で考えて、主体的に行動して欲しいと、やえは思います。
 
 だいぶ長くなってしまいましたが、ひとことに「映画『靖国』の問題」と言っても、これだけ多くの問題が内在しているワケです。
 それをひとことに「表現の自由の侵害だ」と言っても、なんら本質を突いていないと言えるでしょう。
 
 映画の中身の議論については、まずは映画を全部見て、自由の主張のもと、それぞれが議論すればいいでしょう。
 行政の助成金については、国会議員の先生方をはじめとして、適切な運用を行政にさせるよう努力していただきたいところです。
 同時に国民は、自らの代弁者である国会議員に行政の監視をするよう、その行為を後押しするコトが行政改革の柱と言えるでしょう。
 そして、国民は自らの努力でもって表現の自由を擁護しなければなりません。「上映するな」と言うのは論外ですし、またそう言われても行政や警察などと相談・連携して対処するのが筋でしょう。
 
 これら全てをごちゃ混ぜにして強引に議論しても、決して問題の本質にはたどり着けず、問題の解決には繋がりません。
 おそらく、また上映に向けていろいろな情報が出てくると思いますが、基本的にはそれらひとつひとつ丁寧に精査し、議論して、結論を得るべきでしょう。
 右も左も、出口や結果だけにこだわらず、冷静な議論をしてほしい、本質的な議論をしてもらいたいと思います。
 

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平成20年4月7日

 人権擁護法案を巡る議論でのある雰囲気について

 最近の自民党人権等調査会での議論の様子をうかがっていて、どうしても気になると言いましょうか、どうしてそんな考え方になってしまっているのでしょうかと首をかしげたくなる議論の方向性があります。
 例えば、「ある種の意見を持っている人が人権問題を訴えると、精査無しにそれが社会的正義として認められ決定してしまう」という意見です。
 簡単に言えば、「部落の人が「差別だ」と訴えれば、必ずそれが差別だと社会的に認定される」というような感じの意見です。
 ここから、「人権擁護法案が出来たら、それを根拠に解同などが「差別だ」を連発し、合法的に部落でない人の人権を侵害できるようになる」というような考え方に繋がるワケです。
 
 まぁ言っているコトは分からなくもないです。
 社会的に見れば、実際過去にそのようなコトが無かったとは言い難いですから、それを警戒するのも理解できます。
 ただし、それはあくまで社会的な問題であり、むしろ国民意識の問題であって、法律の問題ではありません。
 実際、何度も指摘していますが、東京都の幹部職員に外国人がなれないのは差別だと司法に訴えたけど却下されたという事案もありますように、決して法の世界では「被差別者が正義」ではないコトは理解しなければならないでしょう。
 人権擁護法案の中身をキチンと読めば、決して特定の考え方の人だけが優遇されるような条文ではないのは明かであり、一体「解同や朝鮮人だけが優遇される法律」と言っている人はなにを根拠にそう言っているのか、説明して貰いたいぐらいです。
 
 こういう決めつけ的議論が、最近の人権等調査会に蔓延っている気がしてなりません。
 
 以前の調査会で、過去の人権問題事案を具体的に50例ぐらい出して資料として配った調査会がありましたが、あの時の説明で、一言で人権問題と言っても、事例によって事情は様々であり、今でも個別具体的に状況に応じて現場の人間は対応している、という法務省からの説明がありました。
 正直こんなの改めて国会議員にそう説明するのもおかしい話だと思うのですが、それでもそれを理解していないんじゃないかと思わざるを得ない議員がいらっしゃったりします。
 法務省が出した50個近くの例示の中には、人権侵害だと訴え出があったけど精査した結果そうではないと法務省が判断した事例があるのにも関わらずです。
 なんでも個別具体的に運営をするというのは当たり前のハズなのですが、どうしても「被差別の人が訴えればそれが正義」という固定観念が頭のこびりついて、そこから脱却できない人が多いという、残念な現状になってしまっているのです。
 
 政治には知性が必要なのは言うまでもなく多くの人が理解できるところでしょうけど、同時に情も必要であるとやえは思います。
 知ばかりが先走ると、どうしても冷たい政治になってしまいます。
 しかし政治とは人間があってこそ成り立つモノで、むしろ人間のために政治があるワケで、そして人間とは情がある生き物、情があるからこそ人間なのですから、政治に情は必ず必要です。
 
 もちろん何事もバランスは大切ですが、人によっては情よりも知を重んじる人がいますし、逆に知よりも情を重んじる人もいます。
 傾向的に言えば、リベラルと呼ばれる人が前者で、保守派と呼ばれる人が後者の傾向が強いと言えるでしょう。
 永田町的に言えば、宏池会(古賀・谷垣派)などの旧自由党系の議員さんが前者で、清和会(町村派)などの旧民主党系の伝統重視派的な議員さんが後者と言えます。
 派閥だけでひとくくりにすると、中にはそれに当てはまらない人、例えば福田さんはその筆頭みたいな人ですし、麻生閣下先生は元々は宏池会系でやっぱりちょっと例外的だったりするので、一概には言えないのですが、大まかに言えばこのような傾向にあります。
 そして今、人権問題等調査会に出席して反対論を毎回唱えていらっしゃる先生方は、ほとんどが知よりも情を重んじる先生方なワケです。
 
 もともと差別心というモノは人間の感情から生まれてくるモノですから、それを乗り越えようという考え方である「平等主義」は極めて知性的な考え方であると言えます。
 しかしそれが行き過ぎて、糾弾会などのような例を生み出したのも事実です。
 ですからそこに情を重んじる考え方が知を抑止するよう努力するというのも、これもやはり人間らしい政治のあり方だと思います。
 
 だけど、情が行き過ぎるのもよくありません。
 人権問題等調査会で、やもすれば「もはや日本には人権問題など存在しない」「逆差別しか存在しない」と言わんばかりの議員さんがいたりするのですが、それは情の行き過ぎです。
 どうも解同を敵視しすぎて、解同のやること成すこと全て悪だと言わんばかりの主張がありますが、そんな見方では現状を正しく見ているとは言えないでしょう。
 つい近い過去に大きな人権侵害問題が日本にもあったのは確かですし、それは当サイトでも取り上げてきたところですし、またネットを見れば「○○は部落だ」なんて書き込みを目にするコトも珍しくないぐらいです。
 さらに、当サイトのような「法案は冷静に見ましょう」と言っているだけなのに、「あそこの管理人は日本人ではない」などと、極めて人権に関わる侮辱を実際にされていたりもしていたりします。
 確かに部落問題のような分かりやすい大がかりな人権問題の例は昔に比べれば減っているのでしょうけど、実は日本人の奥底に流れる差別心というのはここにきてむしろ顕著になっているのではないかとやえは感じています。
 いじめひとつとっても、年々人間の根源に関わるような陰湿的なモノが増えてきているというのは広く認識されているコトですよね。
 それはなぜなのか、ネットの普及のためなのか、それとも教育のせいなのか、もしくは他の理由によるものなのか、それはなかなか様々な理由があるのでしょうけど、やはり総じて、最近は差別心を押さえる知のタガが簡単に外れやすくなってしまっていると言えるのではないでしょうか。
 これこそが情が行き過ぎている現状であると言えるでしょう。
 そして情を重んじすぎている議員さんは、その現状が見えなくなってしまっているのでしょう。
 
 自民党という党は、旧自由党系の知と旧民主党系の情がうまくバランスをとって機能している党です。
 しかし、いまの人権問題等調査会では、情を重んじる意見で支配されており、バランスを失っていると言わざるを得ません。
 ネットの世界では、間違った情報やデマが横行し、その後理性的な判断をしようといくつかのサイトが立ち上がった、当サイトのその中のひとつと言えるのでしょうけど、そういう流れがあるワケですが、自民党は今後どうなるのか、やえはちょっと気になるところなのです。
 

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平成20年4月8日

 雑記

 ■コメント覧について
 
 先日、ブログのように機能していたコメント覧とトラックバック機能を終了させていただきました。
 これは、当サイトのページ表示がとんでもなく重くなっていたための措置であり、外してみたらものすごく軽くなってやえ自身もびっくりしているのですが、こんなに変わるのであればこれは致し方ないと判断しました。
 昔から当サイトは重い重いと言われ続けていたのですが、これでおそらく史上最も軽い状態になったのではないかと思っています。
 一応過去ログの方にはコメント欄は残しているので、過去ログは重いままですが、あれはあれで記録として残しておこうとは思っています。
 人権擁護法案などの特設ページは、見やすさ重視で全部外しましたけど。
 というワケで、けっこう長い期間つけていて、やえもちょっとさみしいのですが、やはりページ表示が遅いとそれだけで中身を見てもらえずに帰ってしまう方もいらっしゃるでしょうから、こういうコトに致しました。
 軽いっていいですね。
 
 ただ、やはり記事ごとのコメント覧があるというのは便利です。
 今でも当サイトには、トップページから直接閲覧できる「一行メッセージボード」と、記事一覧が表示されているスレッド式掲示板「御意見板」があるのですが、やはりその記事だけのコメントページが作成されるというのはご意見をいただくという意味ではとても便利ですので、それっぽいサービスやCGIがあれば、またコメント欄を付けたいと思っています。
 できればトラックバックの受け取りだけでもやりたいです。
 ただ、埋め込み式のコメントCGIというのはけっこうあって、当サイトでも一行ボードはそういうコトではあるんですが、これを記事ごとに付けようと思ったら、CGIを記事ごとに設置しなければならなくなるので、あまり現実的ではないんですよね。
 まぁ普通のサイトでブログのような機能を付けようとする方がムチャなんでしょうけど、もしいいCGIがありましたら教えてください。
 
 
 ■チベット問題とオリンピック
 
 最近聖火ランナーの火を消し回る騒ぎが流行っているみたいですね。
 正直こういう行為は感心しないので、もっとやれとか言う気は全く起きないのですが、案外ヨーロッパでも中国のコトは知られているんですねぇとは思います。
 ただ、こういう事件が起きたとしても、それは一部の過激な人が騒いでいるだけで、これをもってヨーロッパ人の日常常識的に中国がヤバイという認識を持っているかどうかは分かりません。
 こういう犯罪的行為はいかがなモノかとは思いますが、中国に対する認識が広くヨーロッパにも伝わっているのでしたら、日本としても良いコトだとは言えるでしょう。
 
 それはそれとしまして、しかし結局今回のこの一連の行為というのは、言ってしまえば「スポーツを政治問題に利用する」という行為です。
 やえは、それ自体に対してはいけないコトとは思っていません。
 結局スポーツなんていうものは、国家機構が正常に機能していてこそ楽しめる娯楽でしか無く、政治状況によってスポーツが左右されるコトというのは普通にあり得ますから、やえの意見としてはそれは正しいと思っています。
 
 しかし一般的にはそう解されていません。
 スポーツを政治に巻き込むなという意見はよく聞くところです。
 ですから今回の件も、もし国家ぐるみで中国が金メダルを獲得するためにスタジアムに公平でない仕掛けをつくったり、審判を買収したりするのでしたらそれは非難を浴びて当然ですが、しかしチベット問題は直接はスポーツとは関係ないので、「スポーツと政治は無関係」の原則を貫くのであれば「オリンピックはオリンピックとしてチベット問題とは切り離して考えるべきだ」と言うコトの方が筋は通っていると思います。
 でも現状は、中国びいきの日本のマスコミでさえ、そうハッキリとは言えない状況であり、どうしてもチベットの問題が酷すぎるので、スポーツ/オリンピックに絡めたような言い方でも否定しきれない状況にあるのでしょう。
 それはつもり、今回の件を見れば、「スポーツと政治は別問題」という論は理想論でしかなかったのかなというところでしょう。
 やっぱり選手にとっては可哀想と言えるかもしれませんが、スポーツは政治によって振り回される運命にあるのです。
 
 
 ■マウンドのラブシーン
 
 ちょっと気になったこのニュースです。
 どう気になったのかは皆さんのご想像にお任せします(笑)
 
 この“キス”に関して、「それぐらいいいじゃないか、高野連も相変わらず頭が固いなぁ」と言っている人もいるようですが、やえは禁止で妥当だと思います。
 なぜかと言えば、やはり日本的文化から言えば、キスは人前でするモノではないからです。
 
 この二人がどういう関係なのか、やえは別に深入りしようとは思いませ……思いませんけど、どういう関係であれ、こういう公の場でキスをするのは非難されても仕方ないコトかと思います。
 もしそのキスが本気であれば以ての外ですし、本当に冗談的な「おまじない」だとしても、人前でするようなおまじないではないですよね。
 しかしあれですね、最近はもはや男の子同士……男の子同士でもおまじないと称してこんなコト出来ちゃうんですねぇー!! ねぇーー!!
 
 
 
 
 
 
 えっと、日本人的美徳は大切にしたいですね。
 日本の倫理は世界で最も優れたモノだとやえは思ってますから。
 
 あ、画像みつけたので置いておきますね
 きゃーーーーーーーーーーーーっ。


平成20年4月10日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第26号 2008/04/10)      
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 ★☆ 国会における党首討論(4月9日) ☆★
 4月9日に行われた党首討論の様子は、政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1783.html
 
 [ねじれ国会。福田康夫です。]
 ねじれ国会。福田康夫です。
 しばらく空席が続いていた日本銀行総裁に、昨日、白川方明さんが就任しました。白川さんは、先月副総裁についていただき、総裁代行をつとめておられましたが、日銀の生え抜きとして、金融界や市場の信認も厚い優秀な方です。
 さっそく明日から、先進7カ国の財務大臣・中央銀行総裁が集まる会議がワシントンで開かれます。サブプライム問題などに各国が協力してどのように対応していくか、日本銀行のトップとして、しっかりと議論してきてほしいと思います。
 
 こんにちは、福田さん。
 すったもんだの挙げ句、やっと決まりましたねぇ。
 でも副総裁として決まっていた人が、数日後に総裁だなんて、ドタバタにもほとがある一連の騒動でした。
 変に外国に「日本には人材はいないのか」と思われなければいいんですが……。
 
 一方で、白川さんの後の副総裁候補として提示した、渡辺博史さんについては、民主党が第一党をしめている参議院の同意が得られませんでした。
 
 そして副総裁は未だ決まらずですね。
 
 渡辺さんは、各国と協力し、世界経済の発展と金融マーケットの安定を図る責任者である、財務官を3年間にわたってつとめられた方です。国際金融を担当する部署の経験も長く、識見のみならず、国際的な人脈も豊富な適材です。
 「財務省出身だから」という理由で、民主党は不同意を決定したそうです。
 最も重要なことは、日銀副総裁としての資質を備えているかどうかであって、経歴ではないはずです。世界中の市場の人々も、この決定にまたも驚いたことでしょう。
 
 思い違いをしている人も多いんじゃないかと思いますが、日本銀行だって公的な機関なのですから、そこに今まで公的な立場の人が就くコトは全然不自然ではないハズです。
 厳密に言えば、確かに日銀は政府からは独立していますし、資本も公のモノだけではありませんが、その立場を考えれば極めて公的な立場にあるのですから、公的な立場にいた人が総裁になるというのは、ある意味合理的とも言えるでしょう。
 多くの人や民主党は誤解、民主党の場合は意図的ですが、中央省庁は決して私利私欲、省益などというモノで動いてはいません。
 たまに一部変な人が出てきて捕まったりしますが、おそらく割合からしたら、変な人が出てくる率は民間と変わらない、もしかしたら民間の方が多いかもしれません。
 となれば、変な人ではない、キッチリした人格の人であれば、財務省出身だろうが官僚出身であれば、それまでの公的な立場で働いてきた経験と目線を日銀総裁として十分に発揮していただけるコトでしょう。
 なんでもかんでも官僚は悪だと官僚を叩けばそれで済む話なんてありはしません。
 むしろ民間人というのは、極端に言えば自社の利益しか考えない、考える必要がないワケで、極論日本がつぶれても自社が生き残ればそれで言いという世界なのですから、日銀総裁には民間人が必ずいいとは、もちろんケースバイケース場面によっては民間の知恵が有益な場合だってあるでしょうけど、必ずしもそうは言えないと思います。
 結局はその人の資質のハズです。
 
 例えば、国会でも、公務員出身の議員の皆さんが、たくさんご活躍されています。これは、有権者が、単に候補者の経歴だけではなく、自分たちの代表として適切かをしっかりと見極めた結果に違いありません。
 国会であれ、中央銀行であれ、国民生活に責任を持つポストは、人物本位を貫くべきであり、経歴だけを見て適・不適を決めるやり方は納得できません。
 

 民主党にもいっぱい官僚出身の議員さんいらっしゃるんですけどねぇ。
 官僚はダメだと言われて、そういう議員さんは怒らないのでしょうか?
 だいたい出身でどうこう言うのでしたら民主党にはけっこうすごい人もいて、例えば社保庁職員の「50分仕事して15分休む」や「一日のキータッチ数は5000回まで」などいった覚書を作らせた自治労の幹部を務めていた人がこの前の参議院選挙の民主党の比例代表でトップ当選していたり、例えば帰化したにも関わらず日本の国会議員として当選しているのにも関わらず「我々韓国人にとって…」などと言う民主党の議員さんとか、議員になる前に問題があるのではないか、議員になった後もそれはちょっと問題的な発言なんじゃないかと思われる人がいたりします。
 出身云々だけでモノを言うなら、民主党はもっと足元を見なければならないのではないハズです。
 
 昨日午後、民主党の小沢代表との党首討論の機会に、この点について、私から小沢代表に真意を尋ねましたが、やはり「財務省だからダメ」という拒否理由をただ繰り返されるだけでした。
 現在、民主党は、参議院の第一党です。参議院で意思決定することで、国民生活に大きな責任を負っているはずです。
 
 これ大原則だと思うのですが、キチンと手続きを踏んで、議論をして、その結果可決したモノ/否決したモノであれば、それが自民党が賛成したモノであれ、民主党が賛成したモノであれ、国会としての決定には変わりないワケですから、国民は尊重しなければならないでしょう。
 しかし民主党が今やっているコトというのは、参議院を数の暴力でストップさせ、議論をしないまま、うやむやのままに議題を闇に葬ろうとしているとしか言いようがありません。
 
 新テロ特措法をめぐる審議では、民主党は、約2ヶ月にわたって参議院の結論を出しませんでした。道路財源を含む今年度の歳入法案についても、参議院では1ヶ月余審議を行わず、4月中旬になった今でも結論が出ていません。
 物事が決まらない時間切れの政治。拒否権を振りかざすだけの政治。
 目先の政局ばかりを意識して、国民不在の政治闘争を続けることは、参議院の第一党という権力の濫用にほかなりません。
 
 この前の参議院選挙が行われる前、民主党はなんと言っていたでしょうか。
 「数の暴力だ」とか、「審議はまだ不十分だ」とか、「国民を向いた議論をしろ」とか言ってましたよね。
 今の民主党は何をしているのでしょうか。
 議論してくださいよ。
 国会での一番大きな仕事って、国会での議論のハズなのではないでしょうか。
 
 しかし、国民から見れば、「ねじれ国会」だからといって、政治を停滞させる理由にはなりません。
 私は、いかなる課題についても、野党の皆さんと話し合う用意があります。そして、「ねじれ国会」のもとでも、国民にとって最善の結論を得られるよう、今後ともねばり強く、できる限りの努力をしていく覚悟です。
 
 福田さん、正直、国会対策に追われて、独自色出せてないですよね。
 まぁそれが国民にとって良いコトなのか、悪いコトなのかは分かりませんが。
 どちらにしても中々物事が決まらない停滞しまくりな国会ではありますが、それは結局は国民が選んだ選択なワケなのですから、その結果にも責任を国民が持たなければならないんでしょう。
 それは、総理が誰であろうと、麻生さんだったとしても、このねじれた状況は変わらないですから、一緒の結果だったと思います。
 やはり政治には何が一番大切なのかと言えば、「安定」なのかもしれません。
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 5日、北海道洞爺湖町で行われた地球温暖化問題に関する懇談会に出席しました。総理も出席して議論が交わされ、予定の時間はあっという間に過ぎてしまいました。3ヶ月後に迫ったサミットで日本がこの問題に対してリーダーシップを発揮できるよう、政府として取組を加速させていきます。
 
 こんにちは、まつしげ先生。
 日本では、サミットの前にガソリンの税率を下げてしまっているという醜態をさらしていますが、その辺のコトは大丈夫だったのでしょうか。
 っと、その懇談会って、国内の懇談会というコトなんですかね。
 まぁどちらにしてもあと3ヶ月、お忙しい日々が続くんだと思われます。
 頑張ってください。
 
 今年の選抜高校野球大会は、沖縄尚学高校の9年ぶりの優勝で幕を閉じました。初出場ながら準優勝した聖望学園高校の健闘も見事でした。今回出場した36校の選手の皆さんはじめ、全国の高校球児の皆さんには、甲子園を目指して、一層の精進と飛躍を願っています。(まつしげ)
 
 まぁいろいろとあったセンバツだったみたいですが(笑)
 最近は高校野球も、ハンカチ王子が活躍してから、また人気が沸騰中ですから、ぜひ次の夏の甲子園も楽しませていただければと思います。
 沖縄尚学高校、おめでとうございました。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。


平成20年4月14日

 政治圧力とは何か

 VNIの始祖ちゆちゃんが、昨日付で更新をしています。
 その前の更新が3月30日ですから、なんと半月という短いスパンで更新をしているんです。
 すごいです……と言ったら失礼でしょうか(笑)
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 映画「靖国」の件で、最近政治圧力がなんだかんだといろいろ言われているところですが、ではいったい「政治圧力」とは何なのか、具体的になんのことを指して言っているのか、よくよく考えたコトのある人はどれだけいるでしょうか。
 
 中には、国会議員がただものをしゃべるだけで「圧力だ」とか言ってしまう人もいるようです。
 しかしそれでは、むしろいったい何のために国会議員が存在するのか分からなくなってしまいます。
 というのも、国会議員は国民の代表であり、国民そのものと言ってもいい存在なのですから、国会議員は国民の声を代弁するコトが本来の仕事だからです。
 ここを最近は忘れている、勘違いしている人が多いようですが、国会議員とは国民から切り離された存在ではなく、国民から直接選挙によって選ばれた、政治を代行するために国民から特に選ばれた代表である代議員なのですから、国会議員は国民そのものであるワケです。
 ですから、その国民に変わって国会議員が、政治や思想や社会などを語るというのは、むしろ本来業務であるとも言えるワケで、その口を封じるコトは国民の口を封じのコトと同義であり、仮に今回の件で「上映すべきでない」と国会議員さんが発言をしていたとしても、それは正当な政治活動であり、国民の声を代弁したモノと捉えるべきだと考えるべきなのです。
 
 そもそも「圧力」とは何なのでしょうか。
 一般的に考えれば、本人の意に反するようなコトを無理矢理やらせる、というところなのでしょうけど、けっこうこれは線引きが難しい概念です。
 例えばやえが学校の先生に「今日は宿題を出さないようにして下さい」と言ったとしたら、これは圧力と呼べるでしょうか。
 普通言えませんね。
 というか、こんなコトぐらい毎日のように言っているワケで(笑)、これを圧力だなんて言われたらたまったもんじゃなくなってしまいます。
 
 では、「宿題が出ないよう校長先生に直談判します」はどうでしょうか。
 さらに、「先生に言ってもラチがあかないから教育委員会に直接訴えます」と言うのはどうでしょうか。
 このぐらいまでいくと、もしかしたらこれらは圧力だと感じる人もいるかもしれません。
 それはおそらく、学校の先生よりも、校長先生や教育委員会の方が立場が上だからでしょう。
 しかしやえは、この程度のコトまで圧力と言ってしまっていいのかという疑問もあります。
 なぜなら、宿題を出すコトは教育上正当なコト必要なコトであり、またその裁量権は現場の先生にあるワケで、仮にやえが本当に校長先生や教育委員会に訴えたところで、校長先生などがそれを受け入れるかどうかを考えれば相当に効果は薄いとしか言いようが無く、ですから現場の先生としても「どうぞご勝手に」とぐらい言って文字通り子供をあしらうかのようにあしらえればいいだけの話ですから、それをことさら「圧力だ」なんて言う必要もないからです。
 
 また、現場の先生が、自分の仕事に対する誇りにかけて行動をやり通すかどうかという部分もあるでしょう。
 それだけの宿題を出したのは、自分なりの正当性や理由、教育上の裏付けがあってのコトなのでしょうから、それをキチンと説明できるかどうかという部分もあろうかと思います。
 また逆に、正当な主張であれば圧力ではなく正当な意見と表現されるワケですから、やはり線引きが非常に難しく、そう簡単に人の主張を圧力だとかなんとか形容していい問題ではないと言えるのではないでしょうか。
 
 ただ、上の立場から言われれば、自分が正当と思っていても中々主張しづらいというのも、現実としてはあろうかと思います。
 直接的な権限を持たれていた場合、いくら正論を主張しても有無を言わさず権力によって意に反する行為を取らざるを得なくなってしまうというようなコトも、現実としてはあるでしょう。
 しかし今回の場合、いくら国会議員であろうとも、直接的に映画の上映を辞めさせる権限を持っているワケではありませんから、果たしてそれを「圧力」と呼べるのかどうかというのは、疑問と言わざるを得ません。
 
 そもそも公的な権力が介入する場合というのは、必ず公的な正当性が必要なワケで、仮にいくら国会議員の一人に映画の上映を辞めさせられる権限があったとしても、「自分が嫌いだから」という理由だけでは決してその権限を実行するコトはできないでしょう。
 それは民主主義というシステムが担保してるワケで、もし上映を中止させたいのであれば、それに見合う正統的な理由が必要であり、結局それは上映中止の理由が正当であるかどうかが根拠のポイントになるワケで、圧力があるかどうかというのは争点ではないのです。
 まして、実際には国会議員という立場だけでは映画の上映を中止させる権限などありはしないワケで、そういう実権が無い立場の人間が意見を言うコトまでを「圧力だ」と形容してしまうのは、ちょっと適切とは言えないのではないでしょうか。
 
 もともと稲田先生が主張されていた内容というのは、「その映画に助成金を出すコトに公的な正当性があるかどうか」であって、映画の上映そのものについてではありません。
 映画の中身の批評でですらないワケです。
 反日映画だとは言ってますが、だからといって存在そのものがけしからんと言っているのではなく、あくまで公的資金が投入されているのはいかがなものかというのが主論ですから、もし政策者サイドが助成金を返還すれば、少なくとも今回おっしゃられていた稲田先生の主張はそこで終わるワケで、これは上映云々とは関係のない話でしかないのです。
 それなのに、その発言を持って「圧力だ」と形容し、さも行ってはならない行為だと言ってしまうのは、それはある意味それこそ「圧力だ」と呼べてしまう行為なのではないでしょうか。
 国民には選挙権が国会議員に対してあるワケですからね。
 
 むしろ国会議員こそに、どんな問題に対しても自由に発言をする権利を保障しなければならないハズです。
 国会議員は国民の代表であり、国民の声を代弁している存在なのであり、議論によって国の形をつくっていくのが仕事なのですから。
 そしてもし、国会議員の代弁が国民の声と乖離していると思うのであれば、選挙によって落とせばいいだけの話です。
 国会議員には自由に発言をしてもらってこそ、国民がそれを根拠に選挙によって選択できるというモノなのではないでしょうか。
 
 国会議員の主張に対して「圧力だ」と発言そのものを封じるような言い方の方こそ圧力だとやえは思いますし、むしろそれをことさらに強調するような言い方は逆に権力を利用して自分の主張を通そうとしているようにしかやえには見えません。
 権力の強さを悪のベクトルに持っていき、自分はこんな巨悪と戦っている正義の味方だという位置づけに自らをしているワケですが、それは巨悪が存在してこそ自分の立ち位置が説明できるようになるからです。