☆やえニュース☆

 チベット問題と日本人の覚悟中国に関する様々な問題に対する考え方中国に関する様々な問題に対する考え方(下)福田メルマガレビュー世論の前に立ち当サイトの掲示板系について罪を裁くのは裁判所でありマスコミではない男女対立を煽る先福田メルマガレビュー人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

平成20年5月19日

 チベット問題と日本人の覚悟

 結局、日本人自身が日本の問題をどこまで正面から向き合えるのか、という問題なんです。
 突き詰めれば、なぜ外国の事情を自分の思いのままにしたいのかと言えば、それは日本にとって有利な状況にしたいからです。
 まさか、ただ単に中国が嫌いだからとか、気持ちがいいからという、そんな曖昧な適当な理由で言っているワケではないですよね。
 ですからチベットの問題も、ただ人権人権と言うだけでなく、そうするコトによって日本がどれだけメリットを享受できるか、そういう視点で考えなければなりません。
 
 しかし、チベット問題は、やはり外国の問題です。
 中国政府が「内政問題」と言っても言わなくても、チベットが日本の外国であるコトには変わりありません。
 まして北朝鮮の拉致問題とは違い、直接日本や日本人が関係している事件でもありません。
 これがもし日本国内の問題であれば、日本の法律を変えるなり、選挙で政権を変えるなりすればいいワケです。
 そして、それらの作業というのは、日本国内の憲法や法律で認められている正当な方法であるワケですから、言ってみればそう難しいコトではありません。
 それこそが「国家」であり、「国内」であるコトのメリットだと言えるでしょう。
 だけど「外国」は違います。
 自分たちではない、直接は関係のない人たちのお話であり、だからこその「外国」であるワケです。
 ここに口出しし、自分の思うように事を動かそうとする行為は、本来は越権行為であり、強引な行為なのです。
 忘れてはいけないのは、今回のチベット問題というのは、その上で、日本にとってよりよい状態に持って行こうとするという、そういう行為なワケなのです。
 
 やえは、このチベット問題に関しては、それでいいと思います。
 中国はトンデモナイ国ですから、もっと国力を下げるよう、そういう戦略を日本が主体となって取るというコトは、とても望ましいコトだと思います。
 すなわち、チベットや台湾、ウイグルなど、中国政府が武力で押さえつけている、民族や宗教や政治体制が違う地域を独立させ、あまよくば香港なんかも中国政府から切り離してしまえば、相当に中国の国力は小さくなるでしょうから、日本にとっては良い面が大きいと言えるでしょう。
 ですから、そこまで日本が画策するというのは、悪いコトでは無いと思います。
 
 だけど、ここが一番大切なのですが、日本はそういうコトをするような力を全くもって、持っていません。
 例えば、アメリカが起こしたイラク戦争ですが、あれは決してアメリカが100%の善意でイラクのためを思って起こした戦争では決してありません。
 アメリカが、アメリカのためを思って、アメリカの国益になると思って起こした戦争です。
 結果としてアメリカの国益になったかどうかはやえは知りませんが、少なくともブッシュ大統領や当時のアメリカ政府は、イラクのためを思ってではなく、アメリカの国益になるよう戦争をしたワケです。
 そしてアメリカは、実際に戦争をし、イラクに勝てるぐらいの実力を持っていたワケです。
 だからこそ、アメリカはそのようなアクションを、戦争を起こす前からずっと起こしていたのです。
 しかし日本にはその実力があるでしょうか。
 残念ながらありませんね。
 
 大東亜戦時中、チベットが日本に対して「同じ仏教国だから」という理由で、物資の禁輸をしなかったために戦後敗戦国として扱われてしまった、という話を最近よく聞きますが、それが本当の話かどうかはやえは確かめてないのでなんとも言えないところなのですけど、これはもちろん当時の戦争を辞さない雰囲気というのもありましたし、なにより日本は世界で最もぶいぶい言わせていた国だったというのはあります。
 当時日本は国際連盟の場で人種差別を禁止するよう提案しましたが、これも日本にそれだけの力が当時はあったからに他なりません。
 今考えれば人種差別禁止なんて当たり前ですが、当時は差別の方が当たり前で、植民地支配によって経済が成り立っていたのですから、これを禁止されると欧米列強は困るワケですから、当然のようにこの日本のこの提案は却下されました。
 でも、こういう提案が出来るのは、まぎれもなく当時の日本はそれだけの力を持っていた証なのです。
 奇跡とまで言われた日露戦争勝利後でもありますし、当時の世界は、日本が多少でかい顔をしていても、認めざるを得なかったワケです。
 しかし、一部では当時のチベットの恩を今こそ返すときだと勇ましく言っている人もいるようですが、その気持ちも分からなくもありませんけど、残念ながら日本には今そんな力はありません。
 
 ではどうしたらいいでしょうか。
 それはもう、憲法を改正し戦争できるよう形を整え、自衛隊を国軍として装備も調えて、また情報機関もしっかりと整備して、出来ればスパイとか非合法活動を海外で行うような組織もこっそりと作って、あらゆる意味で一流の国にならなければならないでしょう。
 そしてなにより、日本人自身がそういうコトが出来る国になるよう、戦争も手段のひとつでしかないと思えるぐらいの覚悟を持たなければなりません。
 日本の国益のために、時には外国の利益などつぶす覚悟で、最悪その国そのものをつぶす覚悟ぐらいを持たなければならないのです。
 ここがまずもっての絶対的な前提条件です。
 
 こういう目の前の問題をおざなりにして、一足二足も飛んで外国の問題に、しかも感情的に言うっていうのは、やえにはどうしても都合のいい口だけの姿にしか見えないのです。
 国民的盛り上がりや世論の中だけで中国を非難するっていうのなら、まだいいです。
 しかしそれを理由に、日本政府にまで非難をするというのは、飛びすぎです。
 なぜなら、日本政府にはその問題を解決するまでの力を持っていないからです。
 そしてその力を与えていないにのは、他ならない日本人日本国民自身なのです。
 自分たちで日本政府の手足を縛っておいて、それなのに「どうしてもっとやらないんだ」と言ってしまうのは、それはあまりにも自分勝手で都合の良すぎる主張なのではないでしょうか。
 
 日本人は、日本国民は、まず先にやるべきコトがあるハズです。
 頭を飛び越えて、最悪戦争沙汰になるような問題を、しかも政府に求めるようなコトを主張するのであれば、まずは自分たちの足下の問題を解決しなければならないのではないでしょうか。
 日本国民はもってやるべきコトがあるハズなのです。

 

平成20年5月20日

 中国に関する様々な問題に対する考え方

 >9.11以降、やえタソは政治論ばっかで、思想を語らなくなったね(´・ω・`)ショボーン
 
 とのコトですけど、うーん、ごめんなさい、あまり意識してネタや内容を選んでいるワケではないので、ちょっとどうなんでしょうか、まぁ自分でも、自覚がないワケでもないんですが、うーん、です。
 というか、9.11からここお読み下さっているというコトですよね。
 すごいですね(笑)
 いつもいつもご贔屓ありがとうございます〜。
 とりあえず、ひさしぶりにアンケートでも採ってみましょうか。
 とるだけとって放置してしまうコトの方が多い当サイトのアンケートですが(ごめんなさい)、でも参考にはいつもしているんですよ。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 何回か続いた胡錦涛中国国家主席来日に係る中国シリーズも、とりあえず今回で一区切りとしましょう。
 最後にいくつか具体的例を出して、ネットに流布している短絡的な考え方だけではなく、もっと別の考え方もあるというコトを提示したいと思います。
 
 まず、北京オリンピックの聖火ランナーが国内で走ったときなどの、日本の警察の警備に関するコトです。
 どうも一部ネットでは、中国を応援する方を優遇し、チベットの旗を持っている方を規制していたコトに対して、「どこの国の警察だ。長野県警は売国警察だ」とか言っている人がいるようですが、これはちょっと治安維持というモノを完全にはき違えているとしか言いようがありません。
 警察が、主義主張を理由に規制する相手を選んでしまうというのは、それこそ特高警察の再来なのではないでしょうか。
 中国に媚びるから福田総理が警察に指示してそういう規制をしたと陰謀論を唱えている人が案外多いのですが、ちょっとそれはあまりにも物事をよく考えた方がいいのではないかと思います。
 
 この件に関しては、玄倉川さんが綺麗に解説してなされているので、ぜひ読んでみていただきたいのですが、治安維持という仕事は、主義主張がどうであれ、そこは関係無しに、人が暴れたり破壊行動をするコトを未然に防ぎ押さえるコトです。
 となれば、常識的に考えて、この件の場合中国の旗を持っている人が率先して破壊行動に出る可能性というのはかなり低いと言えますので、ある程度の自由は与えて問題ないと判断するのが自然でしょう。
 中国の旗を振りながら北京オリンピックの聖火を消そうとするという行為は、それはそれでシュールなので不謹慎ながらも面白そうとは思いますが、まぁ普通はこういうコトはあり得ないワケです。
 しかし逆に、チベットの旗を持っている人は、暴れやすい人たちです。
 聖火を消そうとする人は反中国であるワケで、チベットの旗を持っている人反中であり聖火を消そうと企む側の陣営であって、玄倉川さんの言葉を借りれば「攻撃側」なのですから、よって治安維持の観点から、攻撃側を規制するというのは、ごくごく当たり前の合理的な考え方と言えるワケです。
 もし中国の旗を持っている人たちの中に破壊行動に出た人間がいれば、「警察なにやっているんだ」と言えるのかもしれませんが、実際はそうはならなかった結果もありますから、今回の件で言えば治安維持という観点から見て、「警察は本来の仕事を十分に全うした」と、特段必要以上に褒める必要はありませんが、貶す必要もない、通常業務お疲れ様というところだと言えるのではないでしょうか。
 
 そもそも勘違いしてはいけないのは、聖火を消すという行為などは、威力業務妨害であり、犯罪行為です。
 主義主張のためなら、犯罪を犯してもいいと言ってしまうのは、それはテロリストの理屈です。
 まず常識的に考えて、チベットの旗を持っている人たちを“野放し”にしておいても絶対に暴動が起きないとはとてもじゃないですけど思えませんし、もしそう“上”が判断したとしたら、それはあまりにも治安維持能力がない、為政者として能力が低いと断罪せざるを得ないでしょう。
 そもそもその前から小競り合いが起きてたというのは、テレビとかでも見た人が多いと思いますし、だからこその治安当局の判断だったと言えるでしょう。
 
 だいたいにして、デモ行為それ自体は、連日マスコミがとりあげ、あまり政治に普段興味を示さない人にも、中国のトンデモさというのは伝わったところでしょうから、それで十分だとも言えるのではないでしょうか。
 それとも、ただの象徴でしかない聖火をどうしても消さなければならない理由があるとでも言うのでしょうか。
 やえにはそれは無意味だと思います。
 別に聖火を消してもチベットの虐殺が無くなるワケでもなく、では一体なんのためにデモをしているのかと言えば、この問題を多くの人に知ってもっらって国内世論を、そして世界世論を高めるというコトなのですから、そこで自分までもテロリストに成り下がってしまうのは、結果的に「テロリストの戯言だ」と説得力を低下させるコトにしかならないでしょう。
 デモ嫌いなやえとしましても、今回は国内問題の、選挙等ではどうしようもない問題であり、よってデモもある程度の効果はあると言えますから、それである程度目的は達成されたと言えると思います。
 ですからそれ以上無駄に熱くならず、冷静な判断をしてほしいと思います。
 
 
 次にパンダいきましょうか。
 いろいろと情報をいただきましてありがとうございます。
 結果リンリンは日本籍のようなのですが、リンリン以外の日本にいる・いたパンダは中国籍なんだそうです。
 で、ウィキペディアによりますと、『現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている。生まれた子供もたとえ片方が中国籍でなくても「中国籍」となり、課金対象になってしまう。』とのコトなので、まぁ今回のコトも、タイミングはおいておいて、ごくごく普通の「取引」だったと言えるのでしょう。
 特別なコトは特になかったワケです。
 だから結局、どっちかと言えば、昔から「上野動物園=パンダ」みたいなイメージが出来ていて、上野駅にもパンダの、あれ剥製ですか? があって、普通にみんなから親しまれているパンダがいるワケですから、ことさらにそれを問題化させ大げさに扱うというのは、むしろその行為の方が中国に利するコトになるのではないかとやえは思うのです。
 いままでもこれからも、パンダを見るときに、「これも中国のおかげじゃあ」とか思いながらパンダ見てた人います?
 今回の取引も、別にただの契約更新だと大げさに取り上げずスルーしておけば、「今日も上野動物園にパンダがいるね」で終わっていたコトでしょう。
 この問題、言えば言うほど中国の宣伝になるだけのような気がしてなりません。
 石原都知事もほおっておけばたいした騒ぎにならずに、今日も平穏に上野動物園にパンダがいるという日常が待っていただけだったのではないでしょうか。
 中国が何言おうが、福田さんが何言おうが、パンダは所詮ただのパンダです。
 
 
 
 ごめんなさい、かなり長くなってしまいましたので、ここで一旦区切ります。
 また明日続きを書きます。
 
 (つづく)

 

平成20年5月21日

 中国に関する様々な問題に対する考え方(下)

 では最後に、この記事を紹介したいと思います。

 何のために「史上最大の警備体制」だったのか、さっぱり分からない。
 胡錦涛・国家主席の来日では、都内で6600人の警察官が動員され、道路、空港、ホテルの利用者は大迷惑をこうむった。反中世論に警備当局は神経を尖らせ、国賓では異例の「スケジュール非公表」措置がとられ、繁華街視察は中止された。
 もっとも、その「非公表スケジュール」は事前に記者クラブに配布され、あっという間にネットに流出した。取材記者たちの間では、最初から「公表できないのは警備上の理由ではなく、スケジュールが埋まらないから」と失笑が漏れていたのである。
 「配られたペーパーを見て唖然としましたよ。天皇陛下と総理は、それぞれ胡主席と3回ずつ会うことになっているし、その他は衆参議長、各党党首らとの形式的な会談だらけで、“よほど議題がないんだな”という印象でした。奈良観光や早稲田大学での講演、田中真紀子氏や池田大作氏ら親中派の“一般人”と会ったのも、何とか予定を埋めるためでしょう」(大手紙記者)
 宿泊先さえ「親中派ホテルへの挨拶回り」(警察幹部)と皮肉を言われるほど、表向きの歓迎ムードとは裏腹に、関係者は無内容な首脳会談にうんざりしていた。
 そうなったのも、日中友好を演出するために、チベットや毒ギョーザ、ガス田などの課題を棚上げしたからだ。直前に死亡したパンダのリンリンに「話題づくりのための暗殺説」が飛び交うほど、日程はスカスカだったのである。
 要するにセレモニーだけの来日だから、都内で4000人を集めた大規模な抗議デモが空振りに終わったのも仕方ない状況だった。対中政策を問う以前の問題として、こんな馬鹿げだ“偽装外交”に莫大な税金を使うことこそ厳しく批判されるべきだ。(『SAPIO』5/28号 3ページより)

 あっという間にネットに流出させるのはあまり褒められた行為ではないと思うのですが、それはともかく、これも考え方次第ではないのでしょうか。
 これ逆に言えば、本来接待する側である日本の方が、形はもちろんキチンとしなければいけないですが、形だけ作って後はほっといたとも言えると思います。
 つまり、ちょっと意味は違うかもしれませんが、中国に対して梯子を外した形です。
 顔はニコニコして、心の中では「何しに来たの?」と、暗に冷笑している形なワケです。
 
 むしろ、日本政府が胡錦涛氏のために一所懸命日程を作る姿の方が滑稽なんじゃないでしょうか。
 来ると言われた以上はさすがに来るなとは言えるハズもないですから、来る以上はお膳立てをするのが当然です。
 しかし形式的にはともかく、実質的にはなんの意味もない来日だったというのは、むしろ中国に対する侮辱行為とも、言葉は過激ですが言えるハズです。
 京都式に言えば、「ぶぶづけでもどうぞ」です。
 以前やえは、餃子の件に関して、胡錦涛氏が来日する前に何とか解決したという形にしたいと中国政府側が焦っているというコトをお伝えしましたが、結果的にそれはやっぱり日本政府が全部跳ね返したのでしょう、だからこんな「スカスカスケジュール」になったのですから、これは日本政府のそれに対する答えであり、二面性外交、ぶぶづけ外交と言ってもいいのではないかと思うのです。
 
 やえが一番気に入らないのは、そういう報道をしようとしないマスコミです。
 日本政府としては、当然外面はニコニコしておかなければならないですから、「ぶぶづけだった」とは言えないワケですから、それを専門家が読み取って国民に伝えるというコトがマスコミの本来の仕事のハズなのではないでしょうか。
 そうであるからこそ、本来非公開だった胡錦涛氏のスケジュールを事前に記者クラブに配ったという、そういうメッセージが込められていたような気がしてなりません。
 まぁ、餃子の件に関して、日中の交渉の経緯の裏舞台を全く伝えようとしないマスコミにそこまで期待する方が間違いなのかもしれませんけど。
 もしそうでなくても、この胡錦涛氏の「スカスカスケジュール」の話は、政府批判する場面ではなく、中国をあざ笑う場面として受け取る方がよっぽど適切なのではないでしょうか。
 やえには、「胡錦涛さんお疲れ様でした」と顔ではにっこりして言う場面だと感じました。
 
 これがまだ朝日系のマスコミならまだしもですが、ガチガチの右派雑誌の『SAPIO』でこれですからねぇ。
 そもそもこの手の問題というのは、本来は中国こそが批判の対象なハズです。
 日本政府は二次的な要因ばかりで、もちろんそれで批判されるコトがあれば批判されるべきですが、それでも諸悪は中国です。
 そしてこの記事は、絶好の諸悪・中国をあざ笑うコトのできるネタであるハズなのに、なぜか最後は日本政府批判になっています。
 本来は一体何がしたいのでしょうか。
 『SAPIO』は中国の悪しきところを指摘したいのではなく、ただただ中国さえも日本の政争の具にしたいだけなのでしょうか。
 一番するべきコトを忘れてしまっているのではないでしょうか。
 そしてこういう態度は、日本のそこらかしこ中で見れるワケです。
 
 例えばこういう記事もあるようですが、こういうコトこそを、特にテレビがちゃんと伝えて、中国とはどんな国なのかを伝えるべきハズです。
 しかし今の日本のマスコミは、やっぱり何かにおもねっているのか、こういう中国の「真の姿」を伝えようとはしません。
 そして国民も、そういうなにかのバイアスにかかったマスコミに乗っかかるだけでしかないのではないでしょうか。
 
 
 ちょっとだけ一行の書き込みにお返事をしてみます。
 「今の日本の力は金だろ。断交をほのめかせば軍事的圧力かけるよりよっぽど効果あるんじゃね?」という書き込みがありましたけど、日本人は経済力が実際の力にならないコトは身をもって知っているハズです。
 北朝鮮の拉致問題です。
 最近は、ハナから交渉の相手としては北はアメリカしか見ていません。
 特に六カ国協議の国の中では、日本が一番邪魔な存在だと思っているでしょう、できればいなくなってほしいと思っているハズです。
 もちろんそれだけでも日本が六カ国協議に参加している意味はあるのですが、しかし実際に北を動かす力という観点で考えれば、日本の経済力などあまり意味はなさないのです。
 やはり武力はどうしても必要なのです。
 時代は違いますが、この前も言いましたように、国際連盟時代にはブイブイ言わせていたのは、やはり武力に負うところが大きかったと言えるでしょう。
 やはり、「最後怒らせたらこわい」と思わせ、交渉を有利に運ばせるためには、武力の背景が必要だと言えるでしょう。
 最低でも、交渉のテーブルに着かせるという意味だけでも、武力が果たす役割は小さくないハズです。
 
 
 次に、これは簡単に終わりますが、イラク戦争についてですけど、当サイトは別にイラク戦争を支持していませんよ。
 アメリカが行う行為について、日本は絶好の恩を売るチャンスだというようなコトは言ったと思いますが、少なくとも日本を主体とした視点でもって積極的にイラクをぶっつぶせなんていうような、内政事にまで及ぶようなコトは言っていません。
 そして、もし日本がアメリカの行動を、全面に立って反対するというのであれば、自国だけで防衛や戦争ができる体勢を整えなければならないとも言っているハズです。
 この主張は、もうずーっと前からやえは言い続けています。
 一人前な口をききたいのであれば、まず自分が大人に成長してからにしなさいというコトです。
 主張の結論は、この前言いましたコトと全く同じです。
 
 
 最後にもう一つ、例えば「政府の太鼓持ち」とか言っている人いますけど、そんなコトしても当サイトのメリットなんてありはませんよ?
 むしろ、「中国は敵だー、韓国も敵だー、日本から出て行けー、福田は売国奴だー、すぐさま退陣しろー」とか言っている方が、よっぽどウケが良くてアクセスとかも増えるでしょう。
 批判側が大衆にウケるというのは、世の常ですからね。
 実際そういうスタンスで成功しているブログさん、いっぱいいます。
 でもやえには、例えばテロリズム的行為も、テロリズムはダメだけど反中や反韓、反日教組なんかだとOKみたいな、そんなコトはやっはり言えません。
 そう言った方がウケがいいのは分かっていても、やえには言えません。
 もっと分かりやすいコト言えば、人権擁護法も、反対した方がアクセスは増えます。
 でもやえなはそんなコトは出来なかったのです。
 
 当サイトの文章を読んでいただいて、その結果どう受け取るのかというコトはやえやあまおちさんが関知するコトではないので、結果としてそのように思うのでしたらそれはもう仕方ありませんが、少なくとも立場ありきの言葉にやえは意味を見いだせませんし、しがないバーチャルネットアイドルサイトが政府擁護のための擁護文章書いて風見鶏っても、何のメリットも降ってはきませんでしょう。
 そもそも100%政府擁護文章かと言われれば、そうでないモノもけっこうありますから、そういう層(というモノがあるのかどうか分かりませんが)に対するアクセス向上も見込まれません。
 さらに、やえの性格と言いましょうか、大勢がが同じように思っているような問題に対して、例えば最近の問題で言えばグリンピースの問題とかですね、あれもやえはグリンピースはどう考えても犯罪行為しかしていないと思っていますけど、そういう大勢が思っている通りの問題をそのまま更新をするよりも、他人があまりしないような内容の更新をしたいと思ってしまうのです。
 あまのじゃくと言われればそうかもしれませんが、そういうところにも価値があるのではないかとやえは信じています。
 
 だいたいにして、政府側だとか、右だとか左だとか、そういう立場から始まる言葉に、やえは意味があるようには感じません。
 一番大切なのは、問題の本質です。
 例えばさきほどの治安維持の話にしても、本質は「治安維持活動とは」というところが、問題の核心です。
 そこに時の政権の中身は関係ありません。
 ですから、仮に、警察が治安維持活動をせずに、チベットの旗側と中国の旗側が暴動になって聖火はもちろんランナーにも暴行が及び、さらに一般人にも多数の死傷者が出てしまうような結果になってしまったとすれば、やえは、時の総理が福田さんだろうが安倍さんだろうが小泉さんだろうが、批判するコトでしょう。
 よくよく想像してみてください。
 日本国内で、いつぞやの中国での「愛国無罪暴動」が起きたとして、それが政府として正しい行為だったと言えるのでしょうか。
 やえはそんな日本はイヤですし、成熟した法治国家としての姿とも全く思えません。
 やえは口が裂けても「よくやった日本政府」とは言えません。
 ですから逆に、今回の対応をした総理がもし小沢さんだったとしても、やはり今回と同じようなコトを言っていたコトでしょう。
 この問題の本質は、政権ではなく、総理ではなく、治安維持活動にあるですから。
 
 実際、当サイトでは、小泉さんの時の皇室典範改正問題の時は、完全に小泉さんに反対する論を主張し、小泉さんを批判しました。
 まだこの問題は決着していませんので、よかったらご覧になってみて下さい
 また、福田さんの時は、薬害肝炎の件はかなり批判したと記憶しています。
 まぁどっちかと言えば、原告団批判の方が強かったかもしれませんが。
 
 それから中国人暴行の件ですが、ちょっとここでは長くなってしまいますので、別の機会で整理してみたいと思います。
 簡単に言いますと、もちろん暴動があったのであれば罰するべきですし、それを取り締まらなかったとすれば問題です。
 ただ、これだけでは事実関係がよく分かりません。
 チベット関係者とのお互い様の小競り合いだったのかもしれませんし、まぁそれでも暴力を振るった人間に対しては思想がどうあれ取り締まらないといけませんけどね。
 ただそれは、前回の更新の主題であった「治安維持の観点から攻撃側を規制する行為は自然である」という部分とはまた別の問題です。
 前回の更新は、暴行があったからダメだった、なかったから良かったと言っているのではなく、攻撃側の方が危険と判断するのは当たり前じゃないですかって言っているだけに過ぎません。
 そして、聖火の消火という結果だけを求めても無意味なんじゃないですかって言っているだけです。
 まぁこれはまた今度詳しくお話ししましょう。
 
 結局、なんのために主張するのかというコトです。
 ただ単に、どんな問題でも持ち出して、パンダでも治安維持でもスカスカスケジュールでもなんでもかんでも全て、日本の政争のために主張していると言うのであれば、もはやそれは仕方ありません。
 あまり褒められるような姿勢ではないとは思いますけどね。
 でも本来はそうではなく、中国をどうにかしたいというのが本質のハズなのではないでしょうか。
 そのためには何を主張するのか、というコトなのです。
 時の政権を批判するコトが、目的が達成される方向に少しでも動くコトに繋がるのでしょうか。
 やえは決してそうは思えません。
 だから、実際に目的が少しでも達成される方向に進めるような、そういう主張をしていきたいと思っているのです。

 

平成20年5月22日

 福田メルマガレビュー

 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
       福田内閣メールマガジン(第32号 2008/05/22)
 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
 
 [だから消費者庁。福田康夫です。]
 だから消費者庁。福田康夫です。
 「10年前に同じ事故が起きていたのに」
 月曜日、ガス湯沸かし器の事故でお亡くなりになった上嶋浩幸さんのお母さん、こんにゃくゼリーがのどにつまってお亡くなりになった村田龍之介君のお母さんとお会いして、お話を伺いました。
 最初の事故があったときにすぐに役所や企業が動き出していれば、自分たちの子どもは被害を受けずにすんだ、との思いを持つのは、子を持つ親として当然です。
 「大切な家族をなくした心の傷は一生癒えることはないでしょう。」
 上嶋さんも、村田さんも、声を詰まらせながら訴えられました。このような悲劇を二度と繰り返してはならないと思わずにはいられませんでした。
 
 こんにちはやえです。
 今日は、最近マスコミでも賑わってきました消費者庁のお話ですね。
 で、ええと、なんでしょうか、こんにゃくゼリーの件は、正直どうなんでしょうかね。
 だって、お餅をのどに詰まらせて亡くなってしまう人っていうのは、年間で数十人ぐらいはいらっしゃってしまっているワケで、しかしこれをもって「お餅を全面禁止しろ」という議論にはならないですよね。
 まぁそれでも、企業や役所が出来るコトというのはある程度あるんでしょうけど、でもこんにゃくゼリーの件で役所や企業が出来るコトというのは食べ方に注意するよう喚起するぐらいなんじゃないんでしょうかね。
 お餅だって食べ方ですよねぇ。
 申し訳ないんですが、「最初の事故があったときにすぐに役所や企業が動き出していれば、自分たちの子どもは被害を受けずにすんだ、との思いを持つのは、子を持つ親として当然です」と、こんにゃくゼリーの方が言うのは、ちょっと違うような気がしてなりません。
 亡くなられてしまったコトは大変不幸で可哀想なコトだとは思いますが、それだけをもって全体の利益を損なうような行為に走るまでの根拠とはなり得ないのではないでしょうか。
 
 同じような事故が繰り返されてしまう背景には、役所が縦割りになっている中で、どの省庁が担当すべき問題かが明確でなかったり、事故の情報が担当部署にうまく伝達されなかったり、長い期間放置されたり、といった問題がありました。
 「死んだ息子のためにも、真に消費者のことを考えてくれる役所ができることを希望します。」
 役所の問題による犠牲者を、これ以上増やしてはなりません。消費者の立場に立って、消費者を守る新しい組織である「消費者庁」を、できるだけ早期につくりあげます。
 
 消費者庁については、やえも今まで何回か言及したコトがありますけど、基本的には賛成です。
 ひとつの省庁が出来るコトによって、それはつまりそれ専門のコト、その分野についての利益を最大限に得ようとする組織があるコトになりますから、仮に別の省庁では不利益になるような案件であっても、ひとつの省庁が独立して存在していれば真っ向からケンカできるようになるワケです。
 ここが実は非常に大きいのです。
 例えば、環境省なんていう省の分野というのは、産業を奨励する経済産業省とは、利害関係がぶつかる案件も少なくありません。
 もちろんこれからは環境を考えるコトが経済発展に繋がるよう努力していかなければなりませんが、中国などの例を見るまでもなく、環境よりも経済発展の方が大切だと、環境と経済がぶつかり合う場面は少なくないワケです。
 こういう場面において、一方の利益には専門の省庁が付いて、しかし一方にはまともについていないという形になっていたら、これでははじめからケンカにすらなりません。
 特に消費者問題というのは、利害の立場が分かれる問題であるにも関わらず、どちらも権限が同じ省庁にあるというコトが往々にしてあるワケで、これではどちらかの利益が一方的に阻害されてしまうコトになってしまうと言えるでしょう。
 そう言う観点から、消費者庁という省庁が出来る意味というのは少なくないと言えるのだと思います。
 これから、消費者庁の権限を、他の省庁からどれだけ取ってこれるかが大きな焦点となるでしょうけど、こここそ福田総理のリーダーシップに期待したいと思います。
 逆に言えば、ここが出来なければ、福田さんももう手詰まりだと言わざるを得なくなってしまいます。
 
 中国の四川大地震では、日本の国際緊急援助隊が、世界の先陣を切って、現地での活動を展開しました。今週は、中国の要請を受けて、医療チームを新たに派遣し、救命・治療活動を行います。
 こうしたわが国の救援活動は中国国内でも報じられ、中国の皆さんからたくさんの感謝の声が伝えられています。
 両国民の想いを背に、国際緊急援助隊・医療チームのメンバーには、一人でも多くの命を救うため全力でがんばってほしいと思います。
 
 なにやら救援隊は、中国のワケの分からない注文で途中中断になってしまったそうで。
 政府間の思惑はともかく、純粋に人命を救出しようと頑張っておられた現場の方々はさぞ残念な思いで一杯なのではないでしょうか。
 本当にお疲れ様でした。
 まぁ変な話、日本人が被害を被ったワケではないので、中国自身から助けなくていいと言うのでしたらもうそれは勝手にどうぞというしかなく、別に日本が不利益を被るワケではないですからいいんですけど、とにもかくにも中国という国はこういう国なんだというコトを、もっともっと知ってもらいたいですね。
 マスコミも、ただ「日本のチームが行った」というコトを伝えるだけでなく、現地でどんな活動をしているのか、現地では住民にどのように思われているのか言われているのか、そしてそれに対する中国政府の反応はどんなモノなのか、そういうコトもしっかりと伝えてもらいたいと思います。
 医療チームのみなさん、どうぞ頑張ってください。
 
 
 [この人に聞きたい]
 編集部注)28日から横浜で第4回アフリカ開発会議(TICADIV)が開催されます。同日、平成18年5月の小泉総理(当時)のアフリカ訪問及び野口英世博士没後80年を記念して、同年7月閣議決定により創設された野口英世アフリカ賞の、福田総理による第1回授賞式が行われます。今週は、過去40年間、生涯をアフリカに住む人々特に女性と子どもの保健と福祉の向上と、コミュニティにおける基礎医療サービスの提供に尽力して、同賞医療活動部門の受賞者に決まったケニア国家エイズ対策委員会のミリアム・ウェレ委員長にメッセージをお寄せいただきました。
 ※ 野口英世アフリカ賞についてはこちらをご覧ください。
 http://www.cao.go.jp/noguchisho/index.html
 
 ● 野口英世アフリカ賞の興奮!
 (ケニア国家エイズ対策委員会委員長 ミリアム・ウェレ)
 野口英世アフリカ賞によって、世界中が何と希望に満ちた興奮に包まれていることでしょう!多くのウェブサイトがこのことを伝えています。野口英世アフリカ賞の最初の受賞者としての決定を知らされ、私は世界中から激励
のメッセージを受け取っています。
 この興奮が最も大きいのがアフリカです。アフリカ大陸全体に保健分野の前向きな興奮の波を起こしています。「Slogging for people(人々の為に地道に努力する)」ということが新しい、積極的な意味を持つことになりました!何という喜びでしょう!!なぜアフリカがこんなに興奮しているのか、以下のような考えが浮かんできました。
 
 ひさしぶりに、「この人に聞きたい」のコーナーです。
 今日は、小泉総理が設立致しました「野口英世賞」の第一回の受賞者、ウェレ先生です。
 こんにちは、はじめまして、やえです。
 ところで、やたらテンションが高い感じの文章ですが、「※本原稿は内閣府による仮訳です。原文は英語でお寄せいただきました」という事情だそうです。
 たまに英訳の雑誌とか読んだら、こんな感じの文章が踊ってますよね(笑)
 
 第一に、この賞の授賞が、日本政府が十数年前に始めたアフリカ開発会議(TICAD)の開催と連携して行われることです。開発問題に携わっているアフリカ人は、日本政府が世界で最初に、アフリカの首脳を招いて開発問題に焦点をあてた会議を開催したということを、高い評価とともに記憶しています。
 TICADの開催に合わせて本賞を授賞することで、この賞及び保健分野双方の重要性と意義が増しています。このことは、アフリカ各国首脳が2007年に「アフリカ保健戦略」を採択することにより、アフリカの保健の重要性を認めたことと整合します。「アフリカ保健戦略」は、病による大きな苦しみがアフリカの発展を妨げていること、また病気の人は労働時間が減り、たとえ働いたとしても生産性が非常に低くなることを明らかにしています。このことは、保健が開発の基礎であるという1987年のアフリカ首脳の決議を思い起こさせます。それからこれまで何年もはびこっていた、保健は単に費用がかかるだけのものであるという誤解は解け、開発という経済活動の基礎であるということがはっきりしました。この誤解は永遠に過去のものとしなければなりません!
 
 日本人自身はあまり知らないですが、日本政府ってこういう地道な外交って実はかなり頑張ってやっているんですよね。
 今でも中東とかでも日本人気は高いようですが、それはもちろん大東亜戦争やそれ以前に白人社会をやっつけたというコトや、その後のボロボロの状態から奇跡の高度経済復興を遂げたというコトもあるのでしょうけど、地道な外交活動もしっかりと現地の人たちの心を掴んでいる要因であるのは間違いないでしょう。
 それにしても、日本人は潔癖性なぐらいきれい好きですが、ところ変われば考え方も変わるというところでしょうか、「保健は単に費用がかかるだけのものであるという誤解」がつい最近まで、もしかしたら今でもアフリカには普通にある考え方だったというのが、おどろきですよね。
 日本人なんて、いくらお金がかかっても綺麗さを求めてしまいますからね。
 で、もちろん、100%の善意で日本は接する必要はありません。
 下心があって当然です。
 アフリカが発展した後は、日本にとっても大きなメリットとなるような関係に優先的になってほしいと思いますし、今後ともそのような外交を日本も引き続きしていってほしいと思います。
 そういう意味で、恒久的に続いて行くであろう、そしてそれが日本人の偉人の名前を冠している野口英世賞を作ったという意味は、とても大きいと言えるのではないでしょうか。
 
 第二に、日本政府が野口博士のアフリカに関する業績を強調したことを、アフリカは感謝しています。アフリカに対するこの日本の心強い決意は、TICADIVの開催にあたりアフリカを「元気と機会の大陸」と呼んでいることにも表れています。これは今世紀の初め(わずか数年前)、ある主要な国際報告書がアフリカのことを「絶望の大陸」と述べたことと全く対照的です。日本がアフリカについての前向きな見方を発信していることを私達は深く感謝しています。私達アフリカ人はそれが現実になることを望んでおり、そのために懸命に努力しています。
 
 「絶望の大陸」とはまたすごいですね。
 正直、その辺が、白人の限界と言いましょうか、差別心が抜けきらない尊大さなんですよね。
 日本人は、自分のコトはともかく、相手を誉めるコトに関してはとても上手いですから、「元気と機会の大陸」というのも、なかなか上手い表現ですよね。
 実際のところはどうかなという問題はもちろんありますが、ただウェレ先生は、決してその言葉は現在のアフリカを的確に表現していないコトを承知で、その上で「それが現実になることを望んでおり」とおっしゃっていて、こういうやりとりは見ていても美しいですよね。
 そしてお互いに気持ちがいいワケです。
 一歩こちらが退けば、ズカズカと2歩も3歩も押してくるような国とは大違いですよね。
 
 第三に、この名誉ある野口英世アフリカ賞は、医学研究や保健サービス拡大による実際的な効果に焦点を当てており、既存の医学分野の名誉ある賞から抜け落ちている部分を補っています。既存の医学分野の賞は、その性質から、アフリカで活動する人を、授賞対象から多かれ少なかれ除外してしまいます。アフリカで活動する人がこういった賞を受賞できていないのも不思議ではありません。アフリカで医学研究と医療サービスの改善及び拡充の活動をする人にとって、アフリカの人々の生活の質の改善に重要な意味をもつ分野が顕彰対象となったことは素晴らしいことです。
 
 ウェレ先生は「医療活動部門」での受賞ですから、まさに現場で地道に活動されておられる方なのでしょう。
 やえは「現場こそが主である」とだけは思いませんし、研究はもちろん多くの人の命を救う結果になるワケですから尊いお仕事だと思いますが、しかし野口英世の現場で研究し続けたという精神から、「医療活動部門」でというのは「野口英世賞」にふさわしい賞ではないかと思います。
 最初のウェレ先生の言葉に、「「Slogging for people(人々の為に地道に努力する)」ということが新しい、積極的な意味を持つことになりました!」というのがありましたが、日本人にとってはごくごく当たり前の、しかし最近の日本人が忘れがちな価値観が、本当はとても大切なコト、人の道の真実だというコトを理解してくださるっていうのはうれしいですよね。
 
 最後に、私にとって2008年の野口英世アフリカ賞医療活動部門の受賞は大きな名誉です!この賞は、アフリカの保健の質の改善を超えて、アフリカと日本の人々の強い絆になると信じています。
 
 どうかこれからも頑張ってください。
 そして今後とも、日本とアフリカがよい関係でいられるよう、よろしくお願い致します。
 ウェレ先生、おめでとうございました。
 
 ※ 「野口英世アフリカ賞〜ドゥ!JAPAN」(政府インターネットテレビ)
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1649.html
 
 ※ 「受け継がれる不屈の精神〜野口英世アフリカ賞〜峰竜太のナッ得!ニッポン」(政府インターネットテレビ)
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1711.html
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 横浜で開催される第4回アフリカ開発会議(TICADIV)の初日の28日、アフリカに関する医学研究や医療活動で優れた功績をあげた方々を日本が表彰する野口英世アフリカ賞の授賞式が行われます。「この人に聞きたい」には、同賞医療活動部門の第1回受賞者ミリアム・ウェレ氏が登場。ウェレ氏のような、アフリカで基礎医療に貢献する方の存在を知っていただき、日本はアフリカのために何ができるか、皆さんもいま一度考えてみてください。(まつしげ)
 
 そうですね。
 ウェレ先生のような偉大な人がいるっていうコトだけではなく、日本はこのようないい関係をつくれる外交活動もしっかりとしているというコトも知ってもらいたいですね。
 こういうことも、自国を誇れる心に繋がるのではないでしょうか。
 アフリカといえば、次のサッカーW杯は南アフリカで開催されるようで、これには中国以上に心配な部分が多いワケですけど、どうぞ世界が安心できるような体制を早く作って欲しいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。

 

平成20年5月24日

 世論の前に立ち

 勘違いしてほしくないのは、やえは、批判行為そのものをダメだと言っているワケではないというコトです。
 批判という行為は、それによってその行為はダメだと、違う道を模索しなければならないと気付かせるためであり、それはそれで大変意味のある行為です。
 特に知識人や、そのおおもとの媒体であるマスコミというモノは、存在がまず言論媒体であるワケなのですから、批判や批評の対象であるのは当然の話です。
 そして政治も、まずは選挙というモノが先にきますけれども、やはり言葉によって議論によって意志と結果が決定されるモノであり、それはある意味言論の分野そのモノとも言えるワケですから、批判も時には必要だと言えるでしょう。
 政治に対して批判するコト、それ自体は間違った行為であるとは言いません。
 
 しかし、であるならば、民主主義国である日本においては政治の主体は国民なのですから、国民こそがどのように考えるべきかという部分が政治決定かにおいては最も重要な部分になってくるワケなのですから、もし世論すらも間違っていると考えるのであれば、やはり批判の対象になると、世論も間違ってい、違う考え方もあるのではないかと気づかせようとする行為は必要だと、そうやえは思っています。
 
 なぜ批判のための批判がダメなのかと言うと、それは中身を伴っていないからです。
 本来の批判の姿は「○○という理由があるからそれはダメ」という形ですが、批判のための批判は、まず批判をするコトが前提になっているので、理由が存在せず、だからダメなのです。
 やえの文章を読んでいただいて、その結論だけをとって「批判だけではないか」と言われるのは、甚だ心外です。
 必ずやえは、理由を言います、言っています。
 こういう理由があるからこそ、それはダメだと言っているんです。
 一番大切なのは中身です。
 いつも言ってますよね、政治信条がどうであれ、他人の命を盾に取るような行為はテロリズムであり、決して許してはならない行為ですと。
 ここに右も左も、保守も革新も、与党も野党もありません。
 テロリズムの結果として反中が達成できるならOK、しかし捕鯨反対運動ならNG、とそんな風に言ってしまうのは、それは中身を全く見ていない結果ありきの姿でしかありません。
 どんな結果が待ちかまえていたとしても、テロリズムという行為を犯す時点で、それは全て否定されるべきなのです。
 入り口ではなく、出口でもなく、中身で判断しなければならないのです。
 やえの文章をどう思われるかは人それぞれですが、せめて中身についてよくよく読んでいただき、理解してもらって、それでも納得いかないというのであれば、その中身について批判をしていただきたいと思います。
 「結果が政府擁護になっているからダメだ」ではなく、結論が結果として誰の擁護になっているか誰の批判になっているかではなく、中身について理由についてしっかりと考えてもらいたいです。
 
 政治の結果という場・意味においては、確かに国民の意思というモノが民主主義国家においては絶対です。
 少なくとも、「この法律は、自分は反対しているから従う必要はない」とは決して言えません。
 ですから、政治家という立場の人が、選挙などの結果に対してあれこれ言うのは適切ではないと言えるのかもしれません。
 しかしやえはそういう立場ではありません。
 世論に対して意見を言う批判をするという行為も、それもひとつの世論であるハズです。
 世論というレベルの中においては、世論を絶対正義だと定義する必要ないでしょう。
 結局世論というモノも、最初は個人個人の意見であり、その積み重ねが世論と呼ばれるモノを形成するワケで、その形成する中の段階において、自分の意見はこうだと、多くの人が言っている意見は違うんじゃないかと、そう苦言を呈し時には批判をするコトも、世論の形成には必要なコトだと思います。
 
 世論とは生き物みたいなモノで、勢いや方向性があります。
 時にはそれは、狂気じみたモノになるコトも、恐ろしいモンスターになるコトもあります。
 その中で、世論というモノを批判し、国民を批判するコトで、その流れや方向性を変えたり止めたりするコトも、言論や思想と呼ばれるモノの役割であるのではないでしょうか。
 それこそが、単に世論という生き物に吸収されるだけの意見ではなく、敢えてひとつの形として目に見える“個体”としての意見として公の場に晒して訴えて問う姿勢の意味であり、意義なのではないでしょうか。
 
 政治結果の前段階として、世論というモノは存在します。
 政治家は、その世論というモノをモトとして、現実論という技術を使って政治結果を生み出します。
 ですから、結果は世論より小さいモノにどうしてもなりますし、その間にこぼれ落ちてしまう意見というモノもいっぱい出てきてしまいます。
 しかし、それでも世論が政治結果のベースであるコトには変わりないワケで、やえはここにこそ自分の考えを主張を思想を訴えていきたいのです。
 むしろそれこそが、思想家を名乗っている者の使命なのではないのでしょうか。
 大げさかもしれませんが、やえはそう思うのです。
 
 言論家・有識者そしてマスコミの多くは、その本分は「権力や権力者の監視」と思っている人が多いですが、しかしに民主主義国家においては、政治の主体は国民であり、政治を根本から変えていくためには世論であり国民自身の考えに訴えるコトこそが本筋ではないのかとやえは思っています。
 しかしプロの言論家やマスコミは、国民批判をあまりしません。
 なぜなら、彼らにとって国民とは自分たちにお金を与えてくれるお客様ですから、お客様の機嫌を損なうようなコトは言いづらいでしょう。
 それで生活が出来なくなったら大変でしょうからね。
 でもやえはそういう意味ではプロではありません。
 文章を書くコトによって、考え方を示すコトによってお金をもらって生計を立てているワケではありません。
 だからこそ、国民におもねるコトなく、自分の心情に従った意見を主張できるのです。
 
 そもそもネットという媒体にまで国民に気を遣ってもしょうがないのではないでしょうか。
 そして、マスコミに変わる、最低でもマスコミと対等に渡り合える力をネットが持つためには、立場などのしがらみを気にせず、お客様という相手にも気にせず、しっかりと自分の意見を言える環境を作っていかなければならないのではないでしょうか。
 それこそがネットの本当のメリットなのではないのでしょうか。
 
 残念ながら、まだまだやえはそれほどのコトはできていません。
 人権擁護法案にしても薬害肝炎問題にしても、世論の流れを止めるコトはできませんでした。
 サイトをはじめてから、やえはいつもいつも負けっぱなしです。
 世論という得体の知れない巨大な生き物に対峙するには、やえはまだまだ小さすぎます。
 時にはため息ぐらいつきたくなる時はあります。
 人権擁護法案を巡る議論など、自分の考えなどはじめから放棄してお祭りに便乗するだけの人が、ものすごく多くてうんざりしていたりもします。
 しかもそういう人に限って、無自覚に他人を差別していたりしています。
 人権法なんて、やえも出来る限りのコトはもうしてきたつもりなので、そろそろ放っておいてもいいんじゃないかと思うコトもよくあります。
 でも、それでも、まだまだ出来るコトがあれば最後まで主張していこうと、やっぱり思うんですね。
 それが今までやってきたやえの当サイトのスタンスですから。
 世論という巨大なモンスターに立ち向かうにはやえはまだまだ小さすぎる存在ですが、だからといってそこであきらめず、ほんの僅かであっても出来るコトがあるんだと信じて、己の道を突き進んでいきたいと思っています。
 いつか出来るコトがもっともっと大きくなればいいなと願い信じながら。
 
 やえは、これからも自分の信念に従って、正しいと思うコトを訴えていきたいと思います。

 

平成20年5月26日

 当サイトの掲示板系について

 この度、一行メッセージボードの仕様を変更させて頂きました。
 いろいろとご意見をいただくのは大変ありがたいコトなのですが、あまりに長い書き込みを連投される方や、また完全に自作自演をした方などいらっしゃいますので、連投しにくい設定にさせて頂きました。
 多少書き込める文字数は増やしましたが、長文であれば、従来のご案内の通り議論板をご利用頂ければと思います。
 
 議論板に比べて一行はトップページにそのまま表示されるので、書き込まない方も多くあそこをご覧になっているのかと思いますが、それを逆手にとって、さも自分の意見に近いような意見の人が多いんだと印象操作していると言わざるを得ないような自作自演行為や、文体を変えたような連投行為は、やえだけが読んでいるならまだしも、そうでないところではちょっと適切な行為とは言えないでしょう。
 当サイトでは、いまではものすごく有名になってしまった「web拍手」をサービスの開始同時から導入しているのですが、正直あまりこれ当サイトには普段あまり拍手は頂けなかったりしているのですけど、ここ最近はいつもの4〜5倍ぐらいはいただいていいるんですね。
 とても励みになっています、ありがとうございます。
 考え方というモノは人それぞれであり、当サイトにもいろんな考え方を持つ方がいらっしゃっているというのは当たり前すぎる話ですが、だからこそトータルとしての当サイトの情報発信として、責任ある形に出来るだけしておきたいと思っています。
 どんな矛盾な発言があっても、不適切な発言があっても、それを指摘できないような形では、それは「主張」や「意見」とは呼べない代物だと言わざるを得ないのではないでしょうか。
 ですからせめて、意見を公の場で発信する以上は、最低でも署名をするなどの責任の所在が明らかになるような形で行って欲しいです。
 やえは匿名の発言を全否定するつもりはあません。
 つもりはありませんが、しかし一行は、あえて署名をしなくてもいいような設定にしていて、文字数もある程度で制限しているワケで、そこにはどのような意味が込められていて、その場にはどのような意義があるのか、そこを皆様にはちょっとだけ考えて頂ければうれしいです。
 今回の一行ボードの設定は、技術的なコトを言えば穴だらけではあるのでこれで万全とは言えませんが、とりあえずはこの辺で様子を見てみたいと思っています。
 やえも、この一行はそれなりに愛着がありますので、盛り上がる分には大歓迎なんですけどね、ですから節度ある責任あるご利用を、皆様のご理解ご協力、よろしくお願い致します。
 
 ところで、議論板なんですが、やえ読んでますよ、あそこ。
 少なくとも「sage」設定で、上に上がったのが気づかないっていうコトじゃない限り、全てのスレは更新されれば中身は読むようにしています。
 いろいろあって全てにレスが出来なくて申し訳ないのですが、更新内容議論スレを建ててくださいまして、もしそこが活用されるなら、もちろんやえはそこは新しい書き込みがあれば最低限必ず読むように、当然します。
 なんだか、とても古い文章まで引用してくださって、実はそんな昔からずっと来てくださる方がいらっしゃるとはかなり感動モノなんですが、今度いつから当サイトを読んで下さっているのかアンケートとってみたくなりました(笑)
 ともあれ、この前残念ながら終了させて頂きましたコメント欄も、あそこもトップページに表示されるモノではありませんでしたが、やはりやえは必ず更新されているのが気づけば読んでいましたし、そういう意味では議論板とそう性質が変わるモノではありませんから、長文は議論板に書き込んで頂ければ、やえ的には意識は全然変わりません。
 さっきも言いましたが、ご意見をいただくのはありがたいコトですが、自分の発言には責任を持つような形で発言をして頂きたいと思います。
 これは、当サイトに限らず、言論活動をするという普遍的な行為において万人に言えるコトだと、やえは思っています。
 
 というワケで、とうコトでもないんですが、試験的にアンケートボードを恒久的な形で設置してみました。
 常々言っているんですけど、やえはあまり他のサイトさんを巡回したりしないタチですので、リアルタイムでのトレンドを逃してしまう場合が多々あったりしますので、このアンケートボードによってそれが分かりやすくなればいいなぁと思っています。
 多くの方の興味がいまどの辺にあるのか、ぜひ教えて頂ければと思います。
 
 ただし、これも常々言っているのですが、やえや当サイトは、ジャーナリズムを掲げているワケではありませんから、必ずしも上位のモノを取り上げるというコトにはなりませんし、公平公正を心がけるつもりもありません。
 あくまで当サイトは個人サイトであり、やえが取り上げたいと思うモノをとりあげ、やえが正しいと思うコトを書くという、そういうサイトです。
 「右も左も逝ってよし!」とは、公平公正を期す・中庸であるという意味ではなく、立場にとらわれずに自分の意見を主張し通すという意思の表明なのです。
 当サイトはジャーナリストではないコトは、ご理解頂ければと思います。
 
 また、新聞とかなら関わる人がいっぱいいるので、オールジャンルでバランスよくとりあげるコトができるのでしょうけど、残念ながらやえにはどうしても得意なジャンルと不得手なジャンルとありますから、不得手なジャンルに対しては手を出そうと思えなかったりします。
 さらに言えば、モノによっては相当な調べ物をしなければキチンと責任ある更新が出来ないようなモノもあるワケで、例えば法律なんか扱うと、それこそ人権擁護法案の時のようなとんでもなく大変なコトになったりする場合もありますから、正直人権法はかなりうんざりしていますしね、どうしてもモノによっては及び腰になるモノもあります。
 ですから、注目度が高くてもやえがそう思ってしまうモノは扱わなかったりするでしょうけど、そこもご理解頂ければと思います。
 もし、そういうモノに一言あるというのであれば、むしろご自身でブログなりをしていただいて、やえに教えて頂いたき、またやえ以外の方にも読めるようにしていただいた方が、よっぽど有意義なのではないかと思います。
 やえもひとりの人間ですし、十四歳の若造です。
 いろいろと教えて頂ければとてもうれしいと思います。
 
 というワケで、これからもよろしくお願い致します。

 

平成20年5月27日

 罪を裁くのは裁判所でありマスコミではない

 なんだか、ものすごくたくさんの拍手をありがとうございます。
 そして、コメントを下さった方も本当にありがとうございます。
 普段から拍手自体が少ないのですが、となると当然コメントもほとんど無い状態でしたから、ほんとうに励みになります。
 ところで、「コメントに対してももっとレスしてほしい」というコメントをいただいたのですが、やっぱり拍手とかもやえが見てないと思われていたというコトなのかもしれませんが、全部見てますよ〜。
 というワケで、バシバシ拍手もコメントも下さい。
 そして、これからは出来るだけ、コメントレスを積極的にしていきたいと思います。
 日によっては、それだけの更新もいいかもしれませんね、ネタ切れの時とか(笑)
 どうぞよろしくお願いいたします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 今日は、ひさしぶりに永田町を離れて、こちらのニュースです。

 ストーカー容疑の地裁判事、「恋愛目的でない」と主張
 
 20歳代の女性に面会を迫るメールを繰り返し送ったとして、宇都宮地裁判事下山芳晴容疑者(55)(東京都文京区千石)がストーカー規制法違反容疑で逮捕された事件で、下山容疑者が「ストーカーのようなメールは送ったが、恋愛目的ではない」などと供述し、同法に抵触しない旨の主張をしていることが22日、わかった。
 山梨県警の捜査幹部が明らかにした。
 ストーカー規制法は、恋愛感情や、それが満たされないことに対する恨みの感情を満たす目的で、面会や交際を求める行為などを規制している。

 なんでこういう報道……報道と言っていいのか甚だ疑問であり、どうしてこういうコトを新聞に載せようとするんでしょうか。
 確かにですよ、こんなセリフを聞けば「なに言っているんだこいつ」とか「言い逃れしようとしているだけだろ」とか普通の感覚を持っていれば思うでしょう。
 そしておそらく、警察・検察サイドではそれを狙って、このようなネタをマスコミに流したんだと思います。
 
 しかし、その言葉をどう捉えて、どう判断するのかというコトは、それは裁判所がするコトです。
 被告が裁判の場でこのようなコトを言った結果、裁判官の心証が悪くなって、むしろ罰が重くなったとしてもそれは自業自得というか、被告はその結果を当然が受け止めなければならないでしょう。
 それが裁判というモノです。
 ですが、それはは裁判所の仕事ですです。
 決して警察や検察、そして国民が印象だけで罪人かどうかを判断するコトではありませんし、そんなコトは許されるコトではありません。
 
 そもそも本当に被告(まだ告訴はされてないようですが)自身がそのように思っているのであれば、恋愛目的以外の動機でメールを送りつけていたとするのであれば、そのように主張するコトが、むしろ正しい言動だとも言えるでしょう。
 もちろんウソではなく、本当にそう思っていたらですよ。
 真実を明らかにするのが裁判なのですから、いくら国民が悪印象を持とうとも、本当のコトを、真実を話すというのが裁判という場の正義です。
 もしこれが被告本人やその弁護士が自ら発表するというのなら、それはまぁどうぞご勝手にという話ですけど、そうではなくて、警察が強制権を持って公的な権限の上に知り得た捜査上の情報を、しかも本心かもしれない可能性が捨てきれない、裁判所ではない警察という段階で、わざわざそれをマスコミに流して一方的に被告に悪印象を与えようなんて行為は、明らかに公平性を欠く予断を与えるような情報を流すという行為でしかなく、裁判外で裁判を有利に運ぼうとする警察・検察の卑怯な手段でしかないとしか言いようがないのではないでしょうか。
 
 もし被告が恋愛目的でないと言い張るのでしたら、検察側は恋愛目的だったという証拠を集め、裁判の場においてそれを突きつけるコトが本道です。
 もしくは、論によって、被告の行為は十分にストーカー規制法に含まれる行為だと主張し、裁判官を納得させるよう努力するべきでもあるでしょう。
 しかしいま警察がやっているコトは、裁判が始まる前に世論を刺激して「被告=悪」だと決めつけるよう、しかも裁判以外の場で決めつけるように煽動しているだけとしか言いようがありません。
 最初にも言いましたように、被告が記事にあるような内容のセリフは、10人聞けば9.5人は「こいつバカだな」と思うような内容ですから、この内容を聞いて国民が「こいつは悪いヤツだ」と思うのは仕方ありません。
 例えば光市の例の事件では被告は「ドラえもんが助けてくれる」だとか「屍姦は生き返りの儀式だ」とか主張するのは、本当にバカ以外の何者でもないなと思います。
 そしてそれは被告とその弁護士が自ら公表したコトなんですから、その中身について批判を受けるのは当然でしょう。
 しかし今回のは、あくまで取り調べの段階での発言であり、感情論だけで話が進むワケではない裁判という場を想定しての発言なのですから、それを外に漏らすというのは、あまりにも法の公平性、裁判の公平性を欠いている行為としか言いようがないのです。
 
 なにより、そんな警察・検察の卑怯な行為を、何の考えもなく垂れ流しにするマスコミもいかがなモノでしょうか。
 いつも「権力の監視者」と公言しているクセに、今回のマスコミのやっているコトというのは、完全に警察・検察の手足でしかありません。
 これではただの権力の傀儡ですよね。
 もうちょっとマスコミは自分たちの役割というモノを考えてもらいたいと思います。
 
 あくまで裁判の最終的な判断が下るまでは、何人たりとも罪人ではありません。
 罪と罰を判断するのは、検察でも警察でもマスコミでもなく裁判所です。

 

平成20年5月28日

 男女対立を煽る先

 ひさしぶりに登場っとうっ。
 つーわけで、どういうわけか知らんが、今日はこの記事についてオレがコメントするぜい。

 JR車内で女性触る、乗客助けず 米原署、容疑で逮捕
 
 米原署は19日、強制わいせつの疑いで、大阪市平野区平野西5丁目、自称派遣工員安岡栄次容疑者(33)を逮捕した。
 調べでは、安岡容疑者は18日午後3時半ごろ、JR東海道線の大垣−関ケ原間(岐阜県)を走行中の米原行き快速電車内で、隣席の大阪市内の専門学校生の女性(19)の右腕や腹を殴り、「言うことを聞かなかったら殺したるぞ」などと脅し、服の上から胸を数回触った疑い。
 米原署によると、女性が車掌に被害を訴え、終点の米原駅で駆け付けた同署員に引き渡した。車両に乗客はおり、女性が「痴漢です」と助けを求めたが、通報する人はなかったという。調べに対し、安岡容疑者は「胸に手が触れただけで、故意でない」と容疑を否認している、という。

 もう結局さー、女性専用車両なんていう、男を全て犯罪者予備軍と位置づけて、本来犯罪は個人の問題であるのにも関わらず「男と女」というものすごいアバウトなカテゴライズして、問題を深く考えずに簡単で適当なこんな方法で解決させようとしたツケなんじゃないのか、これ。
 
 この記事の舞台となった電車の中の人々がどのような考えでそうしたのかそれはオレには分からないが、少なくとももしオレがその場に居合わせたとしても、やっぱり無視していただろうなと思う。
 なぜなら本当に痴漢があったのかどうか分からんもんな。
 世の中、痴漢をでっちあげて賠償金をふんだくろうとするバカ女が実際にいたり、自分が悪いのに逆ギレしていきなり「この人痴漢です」とか言い出すバカ女もいたりするような世の中において、女の証言だけで女の味方をすることが正義である客観的理由が存在しない。
 仮にもしこれで痴漢が冤罪だったとしたら、今度は自分がその冤罪に加担したことになってしまい、最悪賠償請求訴訟すらされてしまうか可能性だった否定できない。
 そんなリスク負ってまで見知らぬ女を助ける義理なんてねーわな。
 
 とは言ったが、これがちょっと前の出来事であれば、オレがそんな場に居合わせたら、義憤によって女をかばっていただろうとは思う。
 痴漢の場に居合わせたことはないが、酔っぱらいに絡まれていた女をかばったことなら何度かあることはある。
 だから、ちょっと前の出来事なら、痴漢に対して「なにやってんだてめー」ぐらいは言ってたかもしれない。
 
 だが、女性専用車両なんていうものが社会に認められてからというもの、無条件で女をかばう行為はリスクしか背負うものではないと言われているも同然なので、敢えて耳を塞いでスルーするのが一番賢いやり方だと言わざるを得なくなってしまった。
 結局この手の痴漢とかの問題を、社会が「男の問題」と「女の問題」という2つの視点しかない問題として見れなくなってしまったのが一番の原因である。
 「自分が乗れない車輌を作られてしまった」→「その上で更に女はウソをついて男を犯罪者に仕立て上げる」→「冤罪だとしても誰も助けてくれない」→「となれば自衛するしかない」→「やっかいごとには首輪突っ込まないのが一番」
 こうなるわな。
 もう完全に負の連鎖。
 嘘をつく女がいるからといって、それを全ての女に当てはめるのは不適切だが、人間の素直な感情として理由無く男というモノに対しての敵意むき出しの女性専用車両というものが存在する以上は、何を言っても証拠が無くとも女の意見が絶対だと言っているような社会の中では、それを女が悪用すれば女全体に対してその責を負わせようとしてしまうのは仕方のないことだと言わざるを得ないだろう。
 例えやってなかったとしても、女の「この人チカンです」の一言で人生が終わってしまうのである。
 それを防ぐには自分だけしか考えられない小さな範囲での自衛しか手はないし、それをもっとも簡単に防ぐ手段というのは、女を敵にまわして悪だと断じるか、最低でも関わらないよう自分から遠ざかるしかない。
 女が困っていようが、助けを求めていようが、他人にかまっている場合ではない。
 次の瞬間自分が犯罪者にされてしまうのだから。
 そしてさらにそれが女の男に対する新たな敵意を生み出すのだ。
 こうして負の連鎖は延々と続いていくのである。
 
 本来犯罪に対しては、男がどうだ女がどうだという大雑把な分け方で考えても、そんなものは無意味であるはずなのだが、ことこの問題に関してのみはそのような理知的な考え方ができない人間があまりにも多すぎるというのが悲しい現状である。
 しかしそのような無意味な対立論的な考え方では、このように社会の根底というか、人間の根底から、問題を安易に回避しようとする意識しか生み出さずに、いつの間にか歯車が狂ってしまう。
 こういう世の中では、痴漢を見過ごしたとしても、それを責めることなどだれにも出来はしないだろう。
 自分の罪ではないのに、自分とは全く関係のないことで、しかしただ男だからと責められるような社会風土が蔓延している世の中においては、結局は自分だけしか考えざるを得ないごくごく小さい範囲での自衛しか手は残されていないのだから。
 しかもそれは、そう意識して人を動かすのではなく、もっともやっかいなことに、人々の無意識な心にいつの間にか植え付けられてしまうのである。
 決して記事にある事件の現場にいた人間は、悪意があって無視を決め込んだわけではないのだろうが、しかし無意識にトラブルからは出来るだけ関わらないようにしようという自衛意識が働いたのだろう。
 社会がそれを無意識に行わせているのである。
 
 「他人に関わっていいことなどない」
 「自分に迷惑がかからなければ他人なんてどうでもいい」
 
 無意味にカテゴライズによって無実の人まで罪に着せるような物言いをやめ、そして推定無罪の原則を貫くこと。
 これを理解しなければ、今後ますますこの手の事件は増え続けるだろう。

 

平成20年5月29日

 福田メルマガレビュー

 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
       福田内閣メールマガジン(第33号 2008/05/29)
 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
 
 ★☆ 第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)に関する意見交換 ☆★
 福田総理が、国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長と女優でTICAD IV親善大使の鶴田真由さんと行った意見交換の様子を政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1860.html
 
 [元気なアフリカ。福田康夫です。]
 元気なアフリカ。福田康夫です。
 先日、アフリカで活動された青年海外協力隊の皆さんとお会いして、お話を伺いました。
 現地の方々とのふれあいなどを楽しそうに語る皆さんの姿からは、電気も水道もない不便な生活でも、一人一人が本当に充実した活動を行ってきたことが自然と伝わってきました。
 率直に言って、アフリカは、日本から見れば「遠い」存在であることは否めません。アフリカと言えば、紛争や貧困といったイメージを持っている方もいるでしょう。
 そういった問題があることもアフリカの現実です。ブルキナファソで、マラリア予防などのための衛生管理向上に努力された看護師の松野さんは、「命の重みは世界共通だと感じた」とおっしゃっていました。
 
 こんにちは、福田さん。
 今日はアフリカのお話ですね。
 アフリカは最近ニュースでよく聞く話題で、福田さん、なんか最近けっこうな無茶をしているそうですね。
 なんと3〜4日間だけで40人ものアフリカの大統領や首相らと首脳会談しまくるという、名付けて「マラソン首脳会談」なんてコトをされているようで。
 基本的に1首脳15分というコトらしいのですが、通訳を交えての会談でしょうし、15分なんて挨拶だけで終わってしまいそうですから、おそらく15分で終了なんてほとんどなさそうですし。
 そう考えたら、かなり無茶すぎる話ですよね。
 だれが企画したのか気になるところです。
 で、アフリカのイメージですが、まぁ正直あまりいいモノではないですよね。
 砂漠とか、貧困とか、戦争紛争内紛というイメージがどうしてもつきまとってしまいます。
 
 一方で、今、アフリカは、大きく変わりつつあります。
 「アフリカも学歴社会」と語ったのは、エチオピアで理数科教育に取り組んだ教師の永喜多さんです。一つの教室に100人近い学生がいるそうですが、生徒たちの「熱心すぎる」活気であふれているそうです。
 ルワンダで、水牛の角を細工する工房を立ち上げたソーシャルワーカーの加藤さんは、職業訓練を通じてそこで学ぶ人たちの「顔が輝いてくる」と話してくれました。
 
 まぁこういう近代の過渡期に最も尊ばれるのは教育ですからね。
 あまり学歴社会が過ぎると一時期の日本のように弊害も多々起きてしまいますが、しかし全体を発展させるという意味においても、上下の順列を決める最も分かりやすい手段という意味においても、勉学は優れている手段とは言えます。
 少なくとも、暴力で順列を決めるよりは、何千倍もマシでしょう。
 しかし、日本人が実はこうしていろんなところで活躍しているんですねぇ。
 
 アフリカは、今、いわば「成長の世紀」に向けた新たな飛躍を遂げようとしています。まさにこのような時期に、昨日から横浜で、40カ国以上のアフリカの首脳・閣僚が集まるアフリカ開発会議が始まりました。
 保健衛生をはじめとしたアフリカが抱える諸問題を解決するため、今後とも日本ができる限りの支援をすることは言うまでもありません。
 しかし、それと同時に、道路網などのインフラ整備や日本企業の進出支援など、アフリカの成長を後押しするための支援にも力を入れていきたいと考えています。
 
 前回のメルマガレビューでは、野口英世賞を受賞された方の寄稿もレビューしましたが、アフリカはこれからだっていう気概がすごい出てましたよね。
 そしてそれはその通りだと思いますし、日本がそれの手助けを出来ればいいですよね。
 もちろんですが、日本にとってもメリットがあるよう、お互いのメリットになるよう、共に歩んで行ければ一番いいですね。
 
 将来への希望と活気にあふれるアフリカを応援することは、アフリカのためになるだけでなく、日本にとっても大きなチャンスです。私も、この機会にできるだけ多くの首脳の皆さんと話し合い、アフリカの「成長の世紀」をともに歩んでいくパートナーシップを築いていきたいと考えています。
 アフリカで活動した青年海外協力隊員は、これまでに1万人を超えているそうです。特にアフリカで活動したいという希望が多いそうで、若者たちがアフリカに高い関心を持っていることは心強く感じています。
 今回のアフリカ開発会議が、さらに多くの皆さんがアフリカに関心を持ち、少しでも身近な存在と感じられるようなきっかけとなることを願っております。
 
 まぁ実際のところなかなか「身近な存在」とはなりにくいとは思いますが、それでも少しでも興味がもてれば、また違う視点でアフリカを見るコトができるようになるでしょう。
 確かに今はマイナスイメージの方が強いですが、逆に言えばこれからの可能性は相当に秘められているとも言えるのでしょう。
 また資源等、日本にはないモノもいっぱいアフリカにはあるでしょうから、これからもっともっと仲良くしておきたいですね。
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 昨日から、第4回アフリカ開発会議(TICADIV)が横浜で開催されています。この会議には、アフリカの40以上の国々や関係する国際機関などから、首脳をはじめとする代表が参加しており、これまでにないほど多くのアフリカの首脳が日本に集まっています。
 私自身、西アフリカのベナン共和国を2000年に訪問し、一昨年に総務副大臣に就任した際には、大統領からお祝いのメッセージをいただくなど、交流を続けています。この会議を通じて、ひとりでも多くの方にアフリカの国々に関心を持っていただくことを願っています。(まつしげ)
 
 めずらしく長文なまつしげ先生、こんにちは(笑)
 しかし官房副長官というお立場なら、それだけのお偉方が集まると、接待するだけでも大変なんでしょうね。
 サッカーのW杯も、かなり心配ですが南アフリカで開催されますし、これから徐々に関心も高くなっていくコトでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、これからの日本とアフリカの関係を応援しています。

 

平成20年5月31日

 人権擁護法案の自民党議論U 5 〜太田私案1〜

 5月29日、自民党党本部におきまして、かなりひさしぶりに「人権問題等調査会」が開かれました。
 今回は、これまでの調査会の流れから大きく転換する内容だったと伺っています。
 その辺も含めて、とりあえず今回は事実だけを挙げてレポートしたいと思います。
 やえの感想等は、日を改めて更新いたします。
 
 ではいつものです。
 
 以下のレポートは、直接やえが部会を聞いてきたワケではなく、聞いた人にやえがお話を聞いたという伝聞です。
 よってその場の雰囲気などはやえには分からないワケで、100%やえのレポートが正しいレポートである保証はありませんし、レポートと銘打つので出来るだけやえの私情を消して書こうと努力していますが、それでも私情が入っている可能性も否定できませんので、その辺はご了承下さい。
 また、いわゆるソースも明らかにするつもりは当サイトにはありません。
 もし以下のレポートが信じられないと言うのであれば、それで結構です。
 当サイトはジャーナリズムをしているワケではありませんので、内容の正当性については、今までやえが行ってきた言論活動を鑑みていただき、また他のジャーナリスト機関が出している記事などを照らし合わせて、読んでいる方ひとりひとりがご自分の判断で断じていただければと思います。
 その結果については、当サイトが保証するモノではありません。
 こういう事情ですので、ちょっと不自然でも敢えて「なんだそうです」とか「とのことです」といった文体を多用しています。
 読みにくい部分もあるかとは思いますが、汲んでいただければ幸いです。
 
 では行きましょう。
 
 まず大きな転換とは、人権問題等調査会の会長でおられる太田誠一先生が「私案」を出されたというところにあります。
 人権擁護法案の議論は平成17年からずっと続いているワケですが、その時からおとといまで、その議論の根本にあるのは、平成14年に衆議院に提出された法案でした。
 17年の自民党内の議論で法案は、一部修正され、手続きの面での変更はありましたが、基本的な内容は大きくその法案から変わらずに議論の的とされてきたワケですが、ついにここにきて内容についても大きく変更されると、そういう局面になったと言えるでしょう。
 
 法案名も一新されました。
 太田私案のタイトルは【「話し合い解決」等による人権救済法(案)】です。
 ただし、理由は後日触れる予定ですが、この太田私案も大まかな部分での変更点の列挙のようで、法律の形を成していませんので、正確には「法案」ではなさそうです。
 お話を詳しく聞きますと、おそらく今までの「旧法案」の上に太田私案を乗せて、法律(案)としての体裁を取るのではないかと、これはやえの推測ですが、そう感じています。
 
 では、今日はとりあえず、その太田私案の中身を、やえが伺った範囲で紹介させていただきます。
 
 一番大きな点は、この太田私案(以下法案。これまでの法案は「旧法案」と呼びます)で扱う人権侵害事件を明文化して限定しているところです。
 書き出しますと

 ・公務員及び事業者、雇用主が行う差別的取扱い
 ・公務員が行う虐待、児童虐待、施設内虐待他
 ・反復して行う差別的言動
 ・職務上の地位を利用して行う性的な言動のうち、被害者を畏怖困惑させるもの
 ・差別的取扱いを誘発する差別助長行為及び差別的取扱いの意思表示

 この以上です。
 これ以外ではこの法案では取り扱わないというコトになります。
 
 これらの条件というのは、旧法案では「特別救済手続き」に係る人権侵害事件の部分ですね。
 つまり旧法案では、もうちょっと範囲が広い人権侵害事件でも一般救済手続きとして法案の守備範囲内としていたワケですが、太田私案ではそこをすっぱり取り除いてしまったという形と言えるでしょう。
 また「差別的言動」も、「反復して行う」という条件が付きました。
 これは確か以前の調査会で有識者の方(お名前忘れてしまいましたごめんなさい)が指摘された形に合わせたというコトなのではないかと推測されます。
 
 またこれらの条件と共に、その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案を次のように定義しています。

 憲法14条が定める人種等による差別、障害疾病による差別、及び職務上の地位を利用して行う性的な言動、優越的な立場においてする虐待などの人権侵害、及び名誉毀損・プライバシー侵害に限定する。

 この条件というのは、人権の定義や人権侵害の定義を行わず、人権侵害の類型を列挙して、それらだけを救済の対象とする、という意図があるようです。
 つまり、「この法律に書いてあるコトをしたら救済手続きしちゃいますよ」というコトであり、逆を言えば「それは問題がある行為なのかもしれませんが、この法律には書いていませんから救済手続きは行いません」というコトでもあると言えるでしょう。
 さらにこの条件というのは、対等な立場同士の紛争は範囲に含まないという意図もあるようです。
 「近隣との紛争」のようにいずれか一方が優越的立場にあるとは言えない類型を除外した、とこのコトで、つまり簡単に言えばご近所間の紛争があったとしても、「先に訴えたもの勝ち」にはならないというコトなのでしょう。
 
 これらの条件の明示は、「定義があいまいだ」という反論に対しての答えでもあるでしょうし、大きな妥協案とも言えるでしょう。
 
 次に、「定義があいまいだ」という反論と共に、大きな批判の的となっていた「濫用の防止・訴えられた側の人権の保護」に対する私案です。
 まず旧法案から一番大きく変わっているのは、この法案で扱う事案を「不法行為」に限定したというところです。
 不法行為とは、これは法律用語でして、それなりに明確に定義が出来る事案のようで、正直やえもそこまで詳しくないのでここからここまでですとなかなか言いづらいのですが、例えばこちらとかでは詳しく説明していますし、法律家であればキチンと定義できる事案なのでしょう。
 また不法行為という言葉も、民法第709条で明記されている言葉でもあります。
 調査会での太田会長の説明によりますと、おおざっはに言えば「過去の判例によって導き出されている事案」というコトのようです。
 ですから例えばおそらく、「○○という行為は私の心を傷つけた、賠償しろ」とか主張しているだけで裁判では勝てなかったから人権委員会の方に訴えた、という場合は、相手にされないというコトなのでしょう。
 
 また、「特定の歴史観に基づく被害申し立て救済の対象から除外すべき類型を列挙する」という条件も付け加えるそうです。
 これは17年当時からから「不開始事由のアウトライン」として修正がなされていると当サイトが伝えてきたところであり、あまり大きな変更点はないかと思うのですが、おそらくこれをわざわざ明記しているというコトは、法律の方に不開始事由を列挙するというコトなのではないかと思われます。
 17年に提示されていた「アウトライン」は、これは委員会規則での内部規定で定めるというコトでしたから、より明確になると言えるでしょう。
 まぁ実質はあまり変わらないでしょうけどね。
 
 それからもう一点。
 ここもとても大きいのですが、申し立てられる側が、申し立て自体を不当として対抗措置をとれるコトとする制度を創設し、同一の救済手続きの中で処理するものとする、というシステムを新たに作るらしいのです。
 つまり「反訴」が出来るというコトでしょう。
 ここは大きいです。
 反訴が出来ないという点は、ずっとやえも問題だと指摘していたところですが、その不公平さが改善されるワケです。
 「不当に訴えられるコト自体が人権侵害じゃないか」という意見に対する、明確な答えがここに示されたと言えるでしょう。
 
 では最後に、その他として特に記されているコトを書き出します。

 1.「話し合い解決」等は、委員会の責任で行い、随時民間ADRを活用する
 2.差別的言動に対する調査については、科料の制裁を除く
 3.報道機関については特別な取扱いをせず法の下に平等な扱いとし、「話し合い解決」等の対象とするかについては、将来検討課題とする
 4.人権養護委員については現行制度を維持する

 色々と気になる部分もあるのですが、やえの感想はまた後日というコトで、説明の補足だけをします。
 
 1は、補足事項でかなり踏み込んでいまして、「調停仲裁については委員会の責任において民間弁護士に委託してもよいということ」だそうです。
 旧法案では、一般救済の際の調査について一部民間に嘱託できる制度はありましたが、決定にかかる部分においての嘱託や委託はありませんでしたから、この法案でそれを認めるというのは大きな変更点だと言えるでしょう。
 
 2も大きな変更点ですね。
 色々と大騒ぎになっていた過料に対し、「差別的言動」については無くしてしまうというコトです。
 これは「言論の自由を妨げるとする懸案に応えた」とのコトです。
 しかし全てにおいて過料を無くさないというのは、おそらく特に虐待などは間接強制をもってある程度の権限を与えないと解決に繋がらないから、という部分に配慮したというコトなのかと思われます。
 特に虐待などに対する権限の強化は、かなり多くの専門家から指摘されていたところですからね。
 
 3について、おそらく報道的にはここを大きな部分として報道しそうですが、太田会長の説明によれば、「マスコミだけを特別扱いしない」というコトなんだそうです。
 旧法案では、凍結部分ではありますが、いわゆるメディアスクラムなども人権侵害だと定義していたワケですが、この法案では、この法案で扱う事案というモノをかなり限定して定義してしまいましたので、その中にはメディアスクラムは入らないという解釈なのでしょう。
 それは、上で書き出しました「その前の前提として、この法案で扱う人権侵害事案の定義」を読み返して頂ければ、理解できるかと思います。
 ですから、マスコミと言えども、その立場を利用しての差別やセクハラなどを行えば、当然この法案の対象内となるでしょう。
 
 4については、特にありませんが、わざわざ「外国人は除外される」とされています。
 これは現行法(人権擁護委員法)では、その資格を「当該市町村の議会の議員の選挙権を有する住民」と定めているからです。
 これも、特定の思想に駆られた外国人が一方的に差別を断定するのではないか、というような批判に対する答えだと言えるでしょう。
 
 
 太田私案の紹介は、とりあえず以上です。
 補足説明や、補足資料、また旧法案とのからみはどうなのか、という部分について、もうちょっと言いたいコトがあるのですが、とりあえず今日はこれだけでかなり長くなってしまいましたので、それは次回に回したいと思います。