☆やえニュース☆

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平成20年10月1日

 いろいろレス

 今日はせっかくですので、いろいろくださっているコメント等にレスをしたいと思います。
 
 まず、これは色んなところからかなりいただいたご感想なのですが、中山先生の発言について、「むしろ国民は日教組批判の発言は肯定していて、批判しているのはマスコミだけだ」というお叱りです。
 やえはむしろ、そうであってほしいと願っています。
 更新を書いている時に、やえは、マスコミを非難するような書き方にするか、それとも国民向けの書き方にするか、ちょっと迷ったのですが、この前は国民に訴えかけるような書き方をしました。
 なぜかと言いますと、それでもやっぱりマスコミに煽られる国民はまだまだ少なくないからです。
 前回の更新のタイトルは「気持ち悪い空気再びか」ですが、この「気持ち悪い空気」という表現は、当サイトでは安倍総理の末期の日本の雰囲気を表していた言葉として、当時かなり多用した表現です。
 そしてやえが危惧しているのは、最近の麻生さんに対する最近の雰囲気が、安倍さんの時の「気持ち悪い空気」になりつつあるんじゃないかと感じています。
 マスコミ批判は必要です。
 というか当サイトはよくしていますよね。
 でも、それに煽られない、確立した国民というモノも絶対に必要です。
 前回の更新は、広島の実情を説明すると共に、マスコミがどう言おうが、煽られずに、シッカリと自分の考えて判断して欲しいと、そういう意味合いが強い更新でもありました。
 
 また日教組の問題というのは、まだまだ知名度が低い問題であるというのも、ポイントのひとつではないかと思います。
 というのも、そもそも「日教組」というモノがなんなのかを知らない一般の人って、けっこういるんですよね。
 実際やえも何人もの人から、「日教組ってなんなの?」って聞かれまくりました。
 そういう人にとっては、やっぱりマスコミが「あの発言はけしからん」と言ってしまうと、「ふーん、やっぱり変な人が大臣になっちゃったのね」と思ってしまうワケです。
 マスコミも当然非難されるべき案件ですが、同じように、国民はそんな煽動に簡単に乗らないよう普段から心がけてほしいと思っています。
 
 はじめからこの問題について、マスコミに煽動されていないっていう人は、やえの更新は気にかける必要はないかと思います。
 一方で、でも煽動されてしまう人もいるっていう事実を認識していただいて、できるだけそういう国民が少なくなるよう願ってほしいと思います。
 
 
 次に「公権力による選挙妨害と捉えられても仕方のない」とのコトですが、公立学校での教師は公務員ですから、選挙活動は出来ません。
 少なくとも「教師である」という立場を利用しての政治・選挙運動は禁止ですから、「教師の組合である」と謳っている「日本教職員組合」という名前を利用しての選挙運動は禁止されていると解釈するのが常識的な解釈だろうと思います
 ですから、これを取り締まるという立場を公権力がとるのは、妥当な行為であると考えられます。
 
 ただ、中山先生、どんどん話が広がっていって、大阪の話とかもしはじめて、ちょっとやり過ぎ感や、支離滅裂感がなくもありませんので、中山先生の発言を全てフォローできるモノでありませんし、するつもりもありません。
 やえは前回広島のお話をしましたが、やえは日教組の件に関してはそれ以外の場所のお話をする気はありません。
 なぜなら、よく分からないからです。
 前回も言いましたように、日教組の問題は地域によってけっこうバラツキがある問題ですし、数字だけ見ても実情がそれで必ずしも計れるというモノでもありませんから、その土地に暮らしていたのではないなら、語るには難しい問題でないかと思います。
 中山先生は、そういうコトをスルーしてしまったのか、頭に血が上ってしまっているのかは分かりませんが、ちょっと話を広げすぎてしまっているようにしか思えず、そうなるとツッコミどころが出てきてしまって、色んな人から色んな方向に批判されているのでしょう。
 ちょっと賢い方法とは言えません。
 日教組をどうにかしたいのであれば、やるならば一点突破で集中したモノの言い方をすべきだったでしょう。
 その辺は残念でなりません。
 
 
 中山先生へのレスで最後になりますが、「憲法21条」の件ですが、まぁこれはなんて言いましょうか、言い出したら小泉さんの「自民党をぶっつぶす」発言だってひっかかるゾと言えてしまうワケですから、そこまで目くじらたてて言うほどのコトではないかと。
 ようは問題がある組織かどうかでしょう。
 組織自体に問題があると認定できるのであれば、それを放置するのもやっぱり行政の不作為だと言えますから、問題はその中身だと思います。
 
 
 次に成田の件ですが、まぁお互いに言い分は当然あるんだとは思いますよ。
 ただやえはそれ以上深く追求するつもりはありませんので、お友達に聞いた話を紹介して、やえとしては空港の利用者の立場でどうしたらいいのかというのを発言しただけです。
 成田で運動があろうとなかろうと、やえは成田空港の機能を全て羽田に持ってきた方が絶対に日本全体としても有益だと思っています。
 やえの中では、それ以上もそれ以下もありません。
 
 ただひとつ、ある事実を紹介しますと、千葉県の知事には今でもSPがついていたりします。
 警察の警護課の人たちですね。
 ふつう知事にはSPはつかないのですが、特に危険が高いと思われる知事さんにはつくコトになっています。
 いまのところやえが知っている中では、東京都知事と大阪府知事です。
 まぁこれはなんとなく理由が分かりますよね。
 その中で、千葉県知事にも今現在SPがついているワケで、これはやはり成田の過激派に注意してのコトなんだそうです。
 ふーんってやえは思いますね。
 
 
 自治労とかの労組の話を簡単にしておきたいと思います。
 詳しく話と長くなりそうですから、また後日機会がありましたら更新したいと思います。
 
 管理側、つまり大臣や与党の責任と、労組と民主党の責任の話をしていますが、これはそのまま民間の、経営者側と労組側の関係と比べるのが妥当です。
 つまりですね、経営者と言えども、労組を簡単にはどうこうできないというのが現実であるワケであり、これは公務員の組織でも同じなワケです。
 よく経団連と連合(日本労働組合総連合会)が対立している図式を見かけますが、これこそまさしく、経営者だからこそ何でも出来るというワケではない象徴とも言えるのではないでしょうか。
 
 そういう図式であるコトを前提として、では実際に問題行動を起こしたのは誰かというのが本来は最も重要な点になるモノだと思いますが、しかしどうもコト公務員に関しては、なぜかそうなりません。
 社保庁の件など、明らかに現場の社保庁職員が仕事をサボっていたために起きた問題はたくさんあるのに、なぜか「キチンと監督しなかったせいだ」という理由で、上が批判されています。
 大臣や与党に対しては監督責任という意味では確かに全く責任は無いとは言いませんが、でもやっぱり、普通はサボった人間が悪いと言うのが常識なのではないでしょうか。
 でも社保庁の問題の構図は、サボった当事者が支持政党である民主党に「自分達はこんなにサボっていた」と恥知らずにも情報をリークし、民主党がそれを批判をはじめて、いつのまにかなぜか「監督責任」にすり替わっていると、そういう構図になってしまっているワケです。
 なにかおかしいですよね。
 まじめな人が批判され、ふまじめな人が得をしているワケです。
 素直に考えて、歪んだ構図ではないでしょうか。
 
 でも実際「自分達はこんなにサボっていた」と宣伝するコトによって、自分達の力が増すのですから、こんなにおいしいコトはないでしょうね。
 こんな構図が続けば、ますますサボるコトを推進するでしょう。
 
 いくら経営者でも、与党でも、そう簡単には手を出さないモノはどうしてもあります。
 これは現実論です。
 もちろん労組がいつもいつも自分勝手な主張ばかりしていると言うつもりは毛頭ありません。
 時には、そうですね、いつぞやのプロ野球の古田選手会長のように、労組が正論を以て力を振るう場面というのもあるでしょう。
 でもだからこそ、そう簡単には、経営者だから監督者だからという理由だけで何でも出来るというコトではないのです。
 
 やはり一番大切なのは、誰が何をやったか、その結果に対してストレートに評価するというコトなのではないでしょうか。
 社保庁の問題は、本来はもっと単純なのです。
 現場の職員がサボらなければ、こんな大問題にはならなかったハズなのです。
 となれば、サボった職員が一番悪いのであって、批判されるべき処分されるべきは、サボった職員だと言うのが普通でしょう。
 現場を正常化させようとして改革に努力したけど、しかし現場から激しい抵抗にあって、現場のメチャクチャさを世には示すコトはできたけれども、職場から追放されたのは結局トップである改革者だった、というのはあまりにも皮肉すぎる話なのではないでしょうか。
 
 
 最後にこのレスで締めましょう。
 
 名無しサン<09/29 12:49>ちょwwwタイトルだぶってる
 名無しサン<09/29 18:29>ばっきゃろい、カープが日本一になる過程が大切だってことだろ!
 
 ちがいます(笑)
 カープが日本一にさえなれば、過程や…方法なぞ…! どうでもよいのだァーッ!
 

平成20年10月2日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン創刊準備号   ■○■○■ 
  □●□●□                2008/10/02   □●□●□ 
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 ★☆麻生内閣メールマガジン創刊にあたり、読者の皆様を対象に、麻生総理
   へのインタビュー動画のコーナー「太郎ちゃんねる」を開始!!☆★
 
 はい。
 というワケで、めでたく麻生さんもメルマガを発行していただけるというコトなので、小泉さん時代からずっとレビューし続けている由緒正しい(?)やえが、麻生さんのメルマガもシッカリとレビューいたしたいと思います。
 どうぞ末永いお付き合いが出来ればと願っております。
 
 今週は準備号です。
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [総理の使命]
 麻生太郎です。平成20年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任しました。メルマガ読者の皆さん、よろしくお願いいたします。
 
 よろしくお願いしますっ。
 
 総理としての重責をになうこととなり、その責任の重さを改めて感じています。特に、景気への不安、国民の生活と将来への不安、そしてそれらに対して手を打てない政治への不満の危機にあることを厳しく受け止めています。
 日本の元気を取り戻す、強くて明るい日本をつくることこそが、私の使命であると思っています。
 緊急な上にも緊急の課題は、日本経済を立て直し、生活を少しでも豊かにすることです。すぐさま景気対策、物価高対策に着手します。日本経済は全治3年。3年で日本は脱皮せねばなりません。
 
 麻生さん、総裁選挙の時もずっと「日本経済は全治3年」と言い続けていましたね。
 解散解散と言われている今日この頃、やえもいつ解散となるのかとても気になるところですが、やはり麻生さんとしては景気対策を何よりも先に優先させたいというお気持ちなのでしょうか。
 つまり、その第一歩としての補正予算の成立は、どうしても譲れないところなのかもしれません。
 となれば、予算委員会での審議がどうなるのか、キチッと中身ある具体的な経済に関する議論になるのか、注目です。
 
 私は、日本の底力を信じています。
 勤勉な国民であり、優れた技術をもっています。日本経済は、幾度となく厳しい試練に果敢に応じ、その都度、強くなってきました。悲観しなければならない理由など一つもありません。
 
 日本人って自分に対して自信が無いと言いましょうか、控えめな態度をとるコトが美徳ではありますが、それが行き過ぎて、正しい評価が出来なくなってしまっているんですよね。
 こんなに住みやすい国はなかなか他にはありません。
 日本にいれば、たいがいなんでも出来てしまいます。
 なにより歴史があります。
 歴史の中には数々の苦難がありましたが、しかし日本と日本人は、いつもそこに立ち向かい、はい上がって、今以上の成果を結果を出してきたのです。
 麻生さんのこの「悲観しなければならない理由など一つもありません」は、とても素晴らしい言葉ですね。
 
 私は、逃げない政治、責任をもって実行する政治の実現に一身を賭します。そして、強くて明るい日本、私たちが国民として誇りをもてる日本をつくりあげていきます。
 私はこの1年間、直接、地域に住む皆さんの声を聞くべく、全国161ヶ所を回ってきました。
 このメルマガでも、私の考えをお伝えするだけでなく、皆さんの生の声を聞かせて頂き、国政に活かしていきたいと思います。
 どうぞ、麻生内閣の一員になったおつもりで、忌憚のないご意見をお送り頂き、私と一緒に、日本を元気にしていきましょう。
 
 安倍総理や福田総理と、麻生さんは何が一番違うのかと言えば、やえは“発信力”が一番違うのではないかと思っています。
 世に物事を伝える力、大きさ、うまさが、過去2代の総理とは一線を画すぐらい違うのではないかと思います。
 そしてそれは、小泉さんとはまた違う力です。
 小泉さんも確かに発信力は上手かったですが、それはまさに上手さであり、巧さであったと思います。
 やえは、麻生さんの発信力には“深さ”があるように思います。
 小泉さんの発信力はピストルに撃たれたような瞬間的な衝撃が強いですが、麻生さんの発信力は大砲を撃たれたようなズシーンとした衝撃があるような気がします。
 しかし麻生さんの発信力は小泉さんと違って、ある程度噛みしめないと理解できない部分もありますから、ぜひ麻生さんの言葉を多くの人はシッカリじっくり読んで聞いて噛みしめてほしいと思います。
 
 麻生さんの国会の所信演説はすごく良くて、それこそズシーンとくる演説だったのですが、マスコミなんかはまともに取り上げようとしません。
 取り上げるとしたら、「私」を何回言った、「民主党」を何回言ったとか、そういうとてつもなくくだらなく、低俗な、印象操作ばかりです。
 ぜひ国民には、そんな低俗なマスコミに騙されないようにしてほしいと思いますし、しっかりと麻生さんや政治家の言葉を正面から受け止めてほしいと思います。
 もちろんその上で民主党を支持するというのでしたら人それぞれの結果ですし、そして自民党や麻生さんを支持するという人もいっぱいいるとやえは思っています。
 
 □第170回国会における麻生内閣総理大臣所信表明演説(08/09/29)
  (政府インターネットテレビ)
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2166.html
 
 
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 ●「太郎ちゃんねる」
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 麻生内閣メールマガジン創刊にあたり、メルマガ読者の皆様を対象に、麻生総理へのインタビュー動画のコーナー「太郎ちゃんねる」を開始しました。

 
 今週のお題:
 「Q:メルマガの創刊にあたりまして、読者の皆様に一言、メッセージをお願いいたします。」
 
 ええと、けっこうニュースでも流れていますが、今回あらたに官邸では「太郎ちゃんねる」という総理の動画コーナーを新設されておられるのですが、このアドレス等は、官邸のバックナンバーのページで「※メールマガジンの登録者が対象です」となっていますので、リンクするのは控えさせていただきます。
 ので、やえの感想だけ書きますね(笑)
 
 わー、麻生閣下先生こんにちはー。
 微妙にやる気があるのか無いのかちょっと分からないですが(笑)、これから動画でもバシバシと国民に発信をしてください。
 まだ総理になられて数日しか経っていないのに、その風格はさすがです。
 どうぞよろしくお願いしまーす。
 
 どうぞみなさんメルマガに登録されて、「太郎ちゃんねる」をお楽しみください。
 
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 官房副長官の松本純です。麻生内閣メールマガジンの編集長を務めます。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 松本先生、こんにちはー。
 
 えーと、松本純先生は、麻生ファンの間では有名ですが、ずっと麻生さんにくっついてきている議員さんです(笑)
 あと、カメラ好きで有名な先生です。
 会議とかでも、会議そっちのけ(!)で、自分でカメラをもって写真を撮っているという、ちょっと変わった方です。
 あいや、真面目に会議してないっていうワケじゃないんですよ(笑)
 とっても個性的な先生というコトです。
 通称「まつじゅん」先生です。
 これからどうぞよろしくお願いします。
 
 「日本は、強くあらねばなりません。」
 「日本は、明るくなければなりません。」
 月曜日の所信表明演説において、総理は国会議員、そして国民の皆さんにこう呼びかけました。その思いは、このメルマガでも、「麻生太郎の『強く明るく』」というタイトルに表れています。
 就任早々0泊3日の強行日程でのぞんだ国連総会では、ユーモアも交えた演説を行い、多くの聴衆を引きつけました。そんな元気で陽気な総理には、明るいメルマガが似合います。総理が動画で皆さんに語りかける「太郎ちゃんねる」にもご期待ください。
 
 そうそう、国連総会での演説もとてもよかったですね。
 内容も当然ですが、トラブルの際のとっさの切り替えも最高でした。
 小泉さんもそうでしたが、やはり麻生さんも、外交こそで最も力を発揮するタイプなのかもしれません。
 国連総会での演説の詳しい情報はこちらです
 
 総理とは、総務大臣と総務大臣政務官だったこともあり、何でも話せる気心の知れた間柄だと自負しています。総理の考えや人となりが直接皆さんに伝わり、読んだ方が元気の出るメルマガを目指していきます。ご意見、ご感想をどんどんお寄せください。(松純)
 
 おっと、仲の良い宣言です(笑)
 まぁでも、そんなまつじゅん先生ですから、麻生さんの発信力を十二分に発揮してくださるコトでしょう。
 期待しています。
 って、最後の名前の略を自分で「松純」にしちゃったんですね。
 というワケで、これからは正式に松純先生というコトでよろしくお願いします。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成20年10月6日

 なにがどう世襲なのか

 カープ\(^o^)/オワタ
 まぁいいんです。
 今年はひさしぶりに最後まで夢を見させてもらいました。
 ありがとうブラウン!
 ありがとうカープ!
 ありがとう市民球場!!
 この成績は来年に繋がる成績です。
 来年こそは是非とも優勝、そして日本一に輝くよう、やえも精一杯応援していきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さてでは今日は、国会議員のいわゆる世襲批判に対して、ちょっと疑問を呈してみたいと思います。
 
 まず世襲とはそもそもなにを指し示す言葉であり、そしてそれがなぜ批判されるべき事柄なのか、考え直してみましょう。
 世襲とは、親の地位を子供が無条件に受け継ぐコトです。
 例えば王制です。
 王制は、王様というその国の最高権力者が、その権力権限財政財産その他全てのモノや地位を、なんら条件を設けず、子供や親族に無条件に受け継がせるというのが、権力委譲の基本的なあり方です。
 日本の幕府の将軍などは、まさにその通りです。
 時と場合によっては後継者同士で争いが起こるコトはありますが、しかし先代将軍から次の将軍にという上から下という関係においては、ほぼ無条件で権力の全てが委譲されていました。
 ですから江戸幕府なら「徳川家」、室町幕府なら「足利家」と、将軍の全ては名字が同じなワケです。
 
 では、なぜ世襲は批判される事柄なのでしょうか。
 いろいろな観点があるでしょうが、大きなモノとしては
 
 ・その地位に就くほどの能力が後継者にあるかどうかを見極めるコトが出来ない
 ・他にもっと能力がある人間がいるかもしれないが、そういう人間がその地位に就くコトが出来ない
 
 この二点が挙げられるでしょう。
 簡単に言えば、バカ殿が生まれる可能性があるし、それを止めるコトが出来ないから、というコトですね。
 
 外国、特にヨーロッパにおいては、この世襲的王制という制度が以上のような原因となって滅亡した国はたくさんありますが、日本においては世襲制度こそが長年の平和を保ってきた大きな一因であると言えますし、もちろん世襲も良い面はたくさんあります。
 が、こういうコトを語っていたらとても長くなって、本題に入れなくなっちゃいますから、今日はおいてきます。
 
 ではこれを、現代の日本の国会議員に当てはめて考えてみましょう。
 果たして今の国会議員は、そしてその子供は、親の地位その他をそのまま受け継いでいると言えるでしょうか。
 答えはNOですね。
 現代日本の国会議員になるためには、必ず衆議院選挙もしくは参議院選挙に当選する必要がありますので、少なくとも、その地位が「無条件に」委譲されるコトは絶対にありません。
 親が国会議員でも、そうでなくても、だれでも国会議員になるためには選挙に当選する必要があります。
 つまりこの時点で、現代日本の国会議員に対して「世襲」という言葉を使うのは適切ではないと言えるのです。
 
 よく国会議員には、3つの「バン」が必要なんて話をします。
 「カバン」「カンバン」「ジバン」です。
 カバンとは鞄、すなわちお金のコトです。
 カンバンとは看板、すなわち知名度です。
 ジバンとは地盤、すなわち後援者や後援会、名簿などのコトを指し示します。
 そして世襲議員は、この3つのバンを親から無条件に受け継いでいるじゃないか、だからけしからん、という批判が起きます。
 
 確かにこの中には引き継ぎやすいモノもあります。
 お金は一般国民と同じく相続税などの条件がありますから特別優遇されているワケではありませんが、知名度や地盤は確かに無条件に受け継ぎやすい面はあります。
 そしてこれらを受け継ぐには特に条件はありません。
 ただちゃんと現実的に考えてもらいたいのは、知名度も地盤も、自分だけでどうこうできるモノなのではなく、相手があるコトであるというコトです。
 つまり、特に後援者や後援会なんて、自分が応援していた先生の子供だからというだけで本当に引き続き応援するかどうかなんていうのは、まさしく後援者自身が決めるコトですから、国会議員やその子供が絶対的に無条件に受け継ぐとは必ずしも言えないワケで、相手次第である以上、それを「引き継ぐ」というのは必ずしも適切な言葉とは言えないのではないでしょうか。
 後援者の判断材料の1つとはなりますが。
 
 そもそもこの「3つのバン」は、これが揃えば必ず国会議員になれるという絶対条件なのではなく、あくまで国会議員になりやすくなるための環境作りでしかないというコトです。
 これらがなくても国会議員になれるコトだってよくあります。
 だいたいにして、日本の国会議員になるための要件とは「選挙に当選するコト」だけであり、逆に言えばこれ以外の要件や条件などは、国籍や年齢などを除いて全くないワケで、「3つのバン」がいくら世襲できたとしても、それでもって「国会議員を世襲した」とは言えないでしょう。
 もし国会議員になる条件として「Aランク大学を卒業しており選挙に当選した者のみ」というモノがあって、しかし国会議員の子供はその条件に当てはまる必要がない、となっているのでしたら、これは世襲ですし、今の民主主義日本の制度にもそぐわないと言えるでしょう。
 でもそうではないのです。
 結局国会議員になるための唯一にして絶対の条件は「選挙」だけであり、その条件をその人がクリアしたかどうかだけが国会議員たる資格の有無であって、それ以外の条件を言ったところで正当性にはなんら揺るがないと言えるでしょう。
 
 それでも「3つのバン」を無条件に受け継ぐコトがけしからん、と言う人もいるかもしれません。
 公職なのだからもっと高い倫理性をなんたらかんたらとか言う人もいるかもしれません。
 であるならば、やえは思うのですが、これは「親子関係」に限らない話なのではないのでしょうか。
 
 民主党の小沢代表が、今までの選挙区からではなく、今回の選挙では東京で出馬すると噂されているところですが、そうなれば元々の小沢さんの選挙区からは、当然小沢さんの公認候補が立候補するコトでしょう。
 民主党としても小沢さん個人としても、自分の都合で国替えしておいて、その元の地盤をほったらかしにして、さらに今まで小沢王国だったところで急に自民党の議席を奪われるようなコトになってしまえば、これはかなりダメージだと言わざるを得ません。
 ですから、国替えした小沢さん同様、元々の選挙区も、小沢民主党としては最重要選挙区になると言えます。
 となれば、やはり当然、「3つのバン」は、小沢さんから新人候補に受け継がれるでしょう。
 
 カバンはどうなるのか分かりませんが、少なくとも民主党から手厚い保護は受けると思われます。
 選挙事務所の確保やスタッフの融通など、やはり他の人よりは優遇されるでしょう。
 看板や地盤なんてなおさらです。
 「小沢さんの後継者だ」というコトで、何もない一般人よりも遙かに高い知名度と、強力な後援会を無条件に手に入れるコトが出来るでしょう。
 これらは候補者本人の資質ではなく、全て「小沢さんの後継者だから」という理由だけです。
 
 これは世襲ではないのでしょうか。
 確かに、おそらく小沢さんと後継者の間には血縁関係はない人を持ってくるのでしょうけど、でも実質的には世襲批判の要件に当てはまる形になるのではないでしょうか。
 なぜ世襲が批判されるのかと言えば、それは無条件に地位や権限が渡るからです。
 「親子だから」という理由そのものは批判の理由ではありません。
 親子関係という親密な関係をもとに、無条件に地位や権限が受け継がれるからこそ批判されるのであって、批判の対象は「無条件に地位や権限が受け継がれる」という部分です。
 となればやはり、小沢さんの後継者指名は、世襲と同じような批判がされてしかるべきなのではないでしょうか。
 
 まぁ、やえは、いわゆる世襲議員が悪いとは思いませんから、小沢さんの選挙区でも他の選挙区でも、親が国会議員でもおじいさんが総理大臣でも、それだけをもって批判しようとは思いません。
 さっきも言いましたように、国会議員とは選挙によって選ばれる存在であり、その選挙さえクリアすれば誰がなろうとも問題ないワケですから、もちろんその人の公約や主義主張に対しては批判するコトは当然ありますが、少なくとも親が国会議員だからという理由だけで批判されるいわれはないと思っています。
 国会議員の子だろうと、華族の血を引いていようと、軍人の孫だろうと、その人が立派と思うなら投票すればいいですし、そうでないと思うなら違う人に投票すればいいのです。
 当たり前すぎる話ですが、一番大切なのは本人の資質であって、それに関係ないコトであれこれ言うのはフェアではないだけでなく、有能な人なのに違う部分で批判される可能性もあるという、日本にとっても不利益にしかならないでしょう。
 
 中身をシッカリと見て投票する。
 それが民主主義国家日本国国民としての義務であり責務ではないのでしょうか。
 

平成20年10月7日

 なんか法曹界の内側だけの視点になってません?

 今日はこちらのニュースです。

 「表現の自由、考えを改める」…橋下知事、神妙に謝罪
 
 橋下徹・大阪府知事がタレントとして出演したテレビ番組で、多くの視聴者に弁護人への懲戒請求を呼びかけた行為を不法とした2日の広島地裁判決は、発言の責任を厳しく問う結果となった。弁護士でもある橋下知事は「司法の判断は重い」「表現の自由に対する(自分の)考えを改める必要がある」と謝罪。過激発言を飛ばす〈橋下節〉は影を潜め、神妙な表情でとつとつと語った。
 原告側代理人の児玉浩生弁護士は「懲戒請求をした人たちから、『理解が足りませんでした。請求を取り下げます』との手紙が、今枝弁護士に4、5通届いた。(橋下知事が)屋根に上げて、はしごを外した形だ。(請求したのは)視聴者の自由意思とするのは責任転嫁の発言」と批判した。
 日本弁護士連合会などによると、原告の4人を含む、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の被告弁護団22人に対しては、全国の10弁護士会に計8095件の懲戒請求が出されたが、いずれの弁護士会も、懲戒処分をしない決定を出している。

 この問題、橋下知事の発言そのものについては詳しく取り扱っていませんが、弁護団のトンデモ発言については何度か取り上げていますし、かなり注目を集めている事件ですから、ご存じの方も多いかと思います。
 現在は大阪府知事ですが、当時はまだタレント兼弁護士だった橋下さんの、光市事件の弁護団に対する発言の裁判の件です。
 どうも控訴する予定のようですから判決は確定ではないですが、いまのところのやえの思いを簡単に述べておきたいと思います。
 
 この裁判の詳しい判決はこちらにありますので、まずこちらを読んでみて下さい
 この中で、やえが一番違和感があるのがこの部分です。

 マスメディアを通じて特定の弁護士への懲戒請求を呼び掛け、弁護士に不必要な負担を負わせることは、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に該当する。原告らは極めて多くの懲戒請求を申し立てられ、精神的、経済的な損害を受けたと認められ、被告の発言は不法行為に当たる。

 この「膨大な懲戒請求によって通常業務に支障が出るほどの多大な負担となった」という部分は、安田氏を始めとする原告である光市事件被告の弁護団も特に強調していた部分です。
 
 まずこの判決は要約すると
 
 1.「生き返らせの儀式をしたという主張は弁護団が作り上げたんだ」という、正確性を欠く発言を橋下氏がした
 2.弁護士懲戒制度は、弁護士の活動に正当性があるかどうか、請求する側に立証責任がある
 3.しかし原告(光市事件被告の弁護団)の発言を「作り上げた」と言えるほど、橋下氏は立証をしていない
 4.それなのに膨大な懲戒請求が来てしまい、通常業務に支障をきたした
 5.よって橋下氏の発言は不法行為である
 
 こういう流れです。
 確かに橋下氏は、原告の発言について、本当に創作をしたのかどうかという点は裁判で争っていませんので、創作をしたとは断言はできません。
 当サイトでも繰り返していますが、原告の弁護団の発言はあまりにも不自然な点が多すぎるので、かなり疑ってはいますが、こういう問題は裁判でもしない限り断言は出来ませんから、確かにその点は橋下氏に落ち度はあったとは言えるでしょう。
 言い方の問題とも言えますが、もし橋下氏が断言するような形で発言していたのでしたら、ここは橋下氏に落ち度があると言わざるを得ません。
 
 しかし2については、やえは疑問です。
 裁判所の判決はちょっとズレている気がしてなりません。
 そもそも、これは確か橋下氏も言っていたと思うのですが、今回の懲戒請求は「高い倫理性と、社会的地位の高い弁護士という職にある者の“品位”」というモノを問うた騒動であったハズなのではないでしょうか。
 つまり、弁護士という人種が、まさか「屍姦は生き返りの事実だ」だの、「ちょうちょ結びをしようとしたら弾みで首がしまっただけだ」だの、「押し入れに死体を放り投げたらドラえもんが助けてくれる」だの、荒唐無稽にもほどがある発言をするとは思わなかった、なんて弁護士とは馬鹿な人たちなんだろうと、国民にそう思われないための品位を問うたのが橋下氏の発言だったと記憶しています。
 やえもそう思います。
 これらの主張は完全に常軌を逸しています。
 常識を持ち合わす人間であれば、ほとんどの人はそう思うでしょう。
 「弁護士の品位」というところを論点にするのであれば、これは常識の問題です。
 橋下氏の本趣旨は、常識的に品位ある発言をしているのかどうかが問題であって、この判決はそこがちょっとズレている気がしてなりません。
 
 これは以前も言ったコトあるのですが、もし弁護団が裁判の中だけの発言であれば、懲戒請求ほどの大騒ぎには発展しなかったでしょうし、少なくともやえはここまで非難はしなかったでしょう。
 多分こういう類の主張であっても法廷での主張なら弁護活動の一環だと、番外戦も当然であると、おそらく法曹界の中では心底信じられているのでしょうから、「ああ、弁護士っていうのは、法廷の中ではどんなコトをしても勝つコトだけに主点を置くような、真実は二の次の、なりふり構わない下品な人たちなんですねぇ」とやえは思うかもしれませんが、それを公の場で責任をとらせようという行為にまでは発展しないと思います。
 でもこの事件の弁護団は違います。
 今回の原告団の行為は、裁判の場以外で、もしろ自ら積極的に持論を天下に問うているワケです。
 そしてその内容はあまりにも常識外れであり、そんな持論を示された国民としては、「品位がない」と判断するのも当然だと言うしかないのではないでしょうか。
 自分の行為には責任を持て、という、社会人として当然の注文を付けられただけにしかやえには見えません。
 
 まして、この光市事件の犯人は、ドラえもん発言の前から、常識はずれな荒唐無稽の発言が漏れ聞こえていました。

 「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。…でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」
 
 「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
 
 「オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。 へへ」
 
 「犬がある日かわいい犬と出合った。…そのまま「やっちゃった」、…これは罪でしょうか」
 
 「五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」

 これは一審の無期懲役判決後、知人に宛てた手紙の内容の一部ですが、中にはレイプを認めているとしか読めない一文もあります。
 今の弁護団は、「一審等では当時の弁護士が被告に対して『裁判上不利になるから、ドラえもん等の発言はするな』と言われていたから、今までの裁判ではそのような主張はしなかった」と言っているようですが、もうここからすでに矛盾しているワケです。
 一審の段階で、裁判外の発言ではありますが、被告はレイプをほのめかしているワケで、これは完全に「生き返りの儀式」とは始めから矛盾していますし、もし被告が本心から儀式で屍姦していたのであれば、このフリーダムな被告のコトです、どこかでドラえもんや儀式やちょうちょ結びと言ったトンデモ論をどこかで発言していたのではないかと考えるのが自然なのではないでしょうか。
 でも実際、ドラえもん論等は、なぜか今の弁護団が弁護人として就任してから飛び出してきた主張です。
 いまの弁護団は、ドラえもん論が正しいと信じるのであれば、まずこの疑問と整合性を説明するべきです。
 少なくとも、裁判外で公の場で国民に向かってドラえもん論の正当性を主張するのであれば、キチンとこの国民の疑問を解き、矛盾をひもとき、正当性を示すべきです。
 それをせずに、弁護士は自分の考えを一切示さず、ただただ被告の主張を垂れ流すスピーカーに過ぎないとあくまで主張するのであれば、やっぱり一般常識的におかしな人たちだと、アレな人たちだと思われても仕方ないのではないでしょうか。
 
 判決趣旨では

 被告は、原告らが差し戻し前に主張しなかったことを主張するようになった経緯や理由を、一般市民や被害者遺族に説明すべきだったと非難するが、訴訟手続きの場以外で事件について発言した結果を予測することは困難であり、説明しなかったことも最善の弁護活動の使命を果たすため必要だったといえ、懲戒に当たらない。

 とあるのですが、ちょっと難しい言い回ししているのですけど、簡単に言いますと、「裁判の場以外での発言をした結果として、どのような反応が返ってくるのかは予測困難であるから、仕方ない」という意味なのでしょう。
 つまり、「(安田氏ら)弁護士は馬鹿だ」と言っているワケです。
 なぜなら、「生き返り儀式のために死体をレイプした」と国民に主張しても、どのような反応が返ってくるのか弁護士は分かるハズがない、と言っているワケなんですからね。
 うーん、ますます法曹界の人間は常識外れだと言っているようなモノです。
 これだけでも十分、弁護士の品格を貶めていると言えるではないでしょうか。
 
 しかも、弁護団がドラえもん論を唱えてから、橋下氏がテレビで発言するまで、それなりに時間はあったとやえは記憶しています。
 つまり、仮に弁護士らの想像能力が著しく低くてそれは仕方ないというコトにしたとしても、反応が返ってきてからその後に、経緯や理由を説明する時間は十分にあったワケです。
 裁判所はこの観点がスッぱり抜け落ちいています。
 決してドラえもん論を唱えた直後に、懲戒請求問題が起きたワケではありません。
 
 そして最後の一文も、これは矛盾が孕んだ一文です。
 「最善の弁護活動の使命を果たすため必要だった」主張が、一般市民から見て常識的に下品だったと非難されているのですから、これは判決文とは呼べない代物の一文だと言わざるを得ません。
 今回の騒動の発展の根底には、「弁護士と名が付けば何をやっても何を主張してもいいのか」という国民の不信感や怒りから来ているのですが、結局広島地裁はそれについて正面から受け止めようとはしなかったというコトなのでしょう。
 
 
 
 ごめんなさい。
 最初、簡単に触れるなんて言っておいたにも関わらず、もんのスゴく長くなってしまいましたので、いったんここで切ります。
 
 (つづく)
 

平成20年10月8日

 なんか法曹界の内側だけの視点になってません? (下)

 今回の橋下氏の発言に対する裁判の判決を正当性あるモノとして考えるならば、弁護士というモノ、法曹界関係者というモノは、とんでもなく身勝手な存在なんだなぁと思わざるを得ません。
 日本弁護士連合会のサイトには以下のように懲戒請求制度について説明しています

 弁護士および弁護士法人(以下「弁護士等」といいます。)は、弁護士法や所属弁護士会・日弁連の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序・信用を害したり、その他職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」があったときに、懲戒を受けます(弁護士法56条)。

 あれ?
 広島地裁は「請求する者は請求を受ける者の利益が不当に侵害されないよう、根拠を調査、検討すべき義務を負う」と、請求者に立証責任を求める趣旨の判決を出していますが、少なくともここの日弁連の説明にはそのようなコトは書いていません。
 むしろ「職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」があったとき」と書いています。
 安田氏を始めとした弁護団の記者会見等が法的に法曹界的に職務の内なのか外なのかはやえには分かりませんが、しかし仮に外であったとしても、それでも「品位を失うべき非行」があったと思われるなら懲戒請求できると、この説明書きを読めばそう判断するのが普通でしょう。
 そして、上でも言いましたように、弁護団は明らかに下品な行為を繰り返したのです。
 今回の件は、そういう弁護団の言動に対して、「あいつらは弁護士という職にあるにも関わらず下品な行為をしているのではないか」と国民が懲戒請求したのですから、これはまったく正当的な行為であるとしかやえには思えません。
 ここに、被請求者(つまり原告団です)の発言を立証させる必要性は、少なくとも請求者にあるとは解釈できないのではないでしょうか。
 
 ここでまず裁判所の視点がズレているとしか言いようがないのです。
 もしこれが、仮に日弁連が懲戒請求に対して是とし原告団に処分を下したとして、その処分が不服だと弁護団が裁判を起こしたのであれば、裁判所の判決はまっとうな言い分になります。
 つまり、「日弁連は弁護団の主張が本当にデタラメかを立証していないのに処分を下した。それはダメだ」と裁判所が言うのなら、それが正しいかどうかは別としても、スジは通ります。
 でも実際は違うワケです。
 実際裁判所は、「あいつら下品ではないのか」と疑問を呈した人間に対して、立証責任を求めているワケです。
 これはちょっとスジ違いです。
 今回の懲戒請求の最終的な判断は日弁連が行うワケで、請求者が処分を下すワケではないのですから、請求者に立証責任を求めるのは筋違いとしか言いようがありません。
 まして今回は「あいつら下品ではないか」という部分での請求ですから、立証責任を行えと言っている事柄の論点指摘そのものが、裁判所の視点はズレています。
 ドラえもん論が弁護団のでっち上げであっても、そうでなくても、どっちにしても下品なのには変わりないのですから、懲戒請求の動機としては成り立っているのですから。
 
 そしてなにより、「通常業務に支障をきたしたから不法行為だ」という主張は、甚だ勝手すぎる主張にしか聞こえません。
 だったら始めから懲戒請求制度なんて作らなければいいんです。
 と言ってもこの制度は弁護士法によって成り立っているので、作らないワケにはいかないのでしょう。
 でしたらなおさら、「通常業務に支障をきたしたから不法行為だ」という主張は、メチャクチャすぎるとしか言いようがありません。
 
 懲戒請求を受けるコトも、法で定められている以上、通常業務です。
 「不必要な負担」ではありません。
 ここを、弁護団も裁判所も頭から抜け落ちてしまっています。
 それともなんでしょうか、弁護士や裁判官というモノは、批判されてはいけない聖域とでも思っているのでしょうか。
 弁護士が下品な発言をして、それはいかがなものかと国民から批判が押し寄せた。
 しかも法や規則に則ってです。
 ただこれだけのコトであるにも関わらず、それを処理するコトが「不必要」と断じ、仰々しく不法行為というのです。
 法曹界という世界は、本当に内側にしか目が向かないのでしょうか。
 
 もしこれが不法行為であるなら、首長や地方議会に対するリコール(解職・議会解散請求)や、例えば「人権擁護法案に賛成する議員を落とそう」と主張するコトすら不法行為と言えてしまうでしょう。
 特に人権擁護法案に強固に反対する人の同法案に対する解釈は、全てと言っていいぐらいデタラメ揃いです。
 つまり今回のこの件と同じように、「真実でない主張によって通常業務に支障をきたすぐらいの批判か寄せられた」という形なのですから、この件で裁判をしたら、裁判所は呼びかけ人の行為を不法行為と認定してくれるというコトですよね。
 
 確かに公に向かって主張するのであれば最低限の責任を持つべきだというのは、当サイトも口が酸っぱくなるぐらい言っているコトですが、しかしそれは、決して主張するなとか行動自体をヤメさせるように言っているワケではありません。
 つまり、例えバカバカしい理由で仮に地方議会に対するリコール行為があったとしても、バカバカしい理由そのものについてはやえは批判するかもしれませんが、決して「理由がバカバカしいのだからリコール行為など無視して地方議会解散を問う住民投票なんてする必要ない」と言っているワケではないのです。
 むしろそんなコト、口が裂けても言わないでしょう。
 結果に対する「批判」と「否定」は、これは全く別モノです。
 いくら理由がバカバカしくても、法に定められている以上は要件を満たせばリコールの手順を粛々と進めていかなければなりませんし、ましてそれを「不必要な負担」だとか「通常業務に支障をきたす障害だ」だとかなどと言っていいモノではありません。
 ここに、動機が不純だとかバカバカしいだとか虚偽だとかは関係ないのです。
 もし政治家がそのようなコトを言ったとしたら、勘違いも甚だしい、法をなんだと思っているんだと批判されるでしょうし、その批判はもっともです。
 しかしこの原告団と、なんと裁判所まで、法で定められている懲戒請求という制度を利用するコト自体を、「不必要な負担」だと、まるでヤクザの難癖かのように切って捨てたのです。
 こんなの法の番人の言うコトではありません。
 法で定められている以上、その用件を法的に満たすのであれば粛々とそれを進めるのが法治国家のあるべき姿であり、少なくとも法曹界に生きる人間なら、それを積極的に履行する義務があると言えるでしょう。
 それをなんですか、よりによって「不必要な負担」です。
 こんな見識、最初にも言いましたように、やえは今回ここが一番問題のある部分だと思っていますし、それこそ今回の騒動の言動の中で一番下品な主張だ言わざるを得ません。
 広島地方裁は画期的な判決を下したモノです。
 
 弁護団の主張はでっち上げであるという主張と、弁護団の主張は下品であるという主張は別モノです。
 ここを裁判所はごっちゃにしているようですが、しかし日弁連の説明に寄れば、懲戒請求は「下品だ」というコトでも請求できるコトになっているのですから、それを不法行為だと言ってしまうのは筋違いでしょう。
 自分の発言や行動には責任を持てというのはまさしくその通りですから、懲戒請求を実際に行った人にも社会人としての責任とそれなりの立証行為は必要かとは思います。
 しかし少なくとも当サイト的には、「下品だ」という部分に関しては立証できると思っていますし、過去何度も主張してきました
 これを不法行為だと言われてしまえば、なんのための懲戒請求制度なのか、法の存在そのものに疑問を持たざるを得ないとしか言いようがありません。
 
 やえは、橋下氏の原告団に対する「発言はでっち上げだ」という部分に対する名誉毀損の判決は、その通りだと思います。
 言い方の問題でもあるのですけど、現段階においては多くの疑問や疑惑は残るところですが、でっち上げとは確かに断定できません。
 ですから、名誉毀損に関しては橋下氏は謝罪すべきでしょうし、もしでっち上げを理由に懲戒請求したのであれば、それは稚拙だったと言わざるを得ないでしょう。
 そしてそれを煽ってしまった橋下氏は責任をとらなければなりません。
 そうですね、同じ番組で橋下氏本人が「でっち上げと言ってしまったコトは事実とは異なります。これを理由に懲戒請求してしまった方は、請求を取り下げるよう求めます」ぐらいを言えと、裁判所は命令してもいいと思います。
 
 しかし、「下品だ」という理由からの懲戒請求に対する問題には、原告である弁護団も広島地方裁判所も、正面から受け止めようとしませんでした。
 あったのは「弁護士は一般常識から考えて下品であっても良い」「ドラえもんが実在すると発言しても批判されると想像も付かないぐらいの思考能力しか持って無くても弁護士は仕方ない」と認定したというコトでしょうか。
 もしくは、「弁護士は一般人から批判などされない聖域だ」と思い上がっているかです。
 もしそうであるなら、まぁ広島地裁はそう言っているワケですが、これからは弁護士に対してはそのように認識を改めるしかないですね。
 
 最初にも言いましたように、まだ橋下氏が控訴する可能性もありますから、裁判所としての最終判断ではありませんが、これからは弁護士に対する認識を変えなければならない可能性が出てきた裁判だったと言うところでしょう。
 

平成20年10月9日

 竹島は日本の領土です

 アーーーーーーーーーーーッ!!!
 
 ごめんなさい。
 今日は麻生メルマガレビューの日なんですが、USBメモリを友達の家に忘れてきちゃいました。
 てへっ☆
 
 
 
 というワケで、今日は簡単に更新したいと思います。
 一日に二度更新文を書くのは、けっこうしんどいです(笑)
 
 今日はタイトル通り、竹島領有権問題なのですが、この度外務省が竹島に関するパンフレットを作成したとのコトです。

 竹島問題
 
 竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場
 1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
 2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
 ※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

 もうこれでもかってぐらい、バッサリと切り捨てています。
 ちょっと前に、政府公文書かなんかで、ヒダリ方面からは「北方領土と竹島を同列に扱うなんてけしからん」、ミギ方面からは「北方領土は固有の領土と行ってるのに、竹島には固有の領土と明言しなかった、けしからん」とどっちも難癖レベルの言葉尻捉え合戦がありましたけど、このパンフレットはそれらを全てを一蹴するかのように明確に竹島は固有の領土と明記しました。
 また韓国に対しても、その行為を「不法占拠」と非難し、さらにその行為を「根拠レス」と断じています。
 
 さらにやえが今回感心したのは、国際司法裁判所の件についても明言しているところが、あの外務省がどうしたんでしょうかと疑ってしまうぐらいの気合いの入りようなのです。

 9.国際司法裁判所への提訴の提案
 
 1954(昭和29)年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10月、韓国はこの提案を拒否しました。また、1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対し、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。

 もちろんこれは、当サイトも過去何度も指摘している通りの事実なのですが、この事実をこの段階で政府機関が明言しているのが、覚悟の表れだと思います。
 なぜかと言いますと、「日本政府はいつでも、今すぐでも国際司法裁判所で争う用意は出来ているぞ」と韓国や外国に対して表明しているコトに他ならないからです。
 過去日本政府が何度か韓国に国際司法裁判所で決着を付けようと持ちかけたのは事実ですが、しかし今の政府がそこまでする気概があるのかどうかというところが正直ちょっと微妙だと言わざるを得なかったここ十数年の流れだったワケで、その「失われた十数年」によって様々な不利益を日本は被ってきたワケですから、そういう過去を見ると、本当に本気でこの問題で韓国と争う覚悟が日本政府にはあるのか、どうしても疑問を持たざるを得ませんでした。
 これは、多くの方も同感ではないかと思います。
 でもこの今回の外務省の表明により、そういう懸念を一蹴し、いつでもやってやるぞコノヤローと日本政府は内外に示しているのです。
 頼もしいですよね。
 
 リンク先は全て外務省のサイトですが、そのサイトからパンフレットのPDFもダウンロードできますので、一回見てみて下さい。
 けっこうかっこよく且つ分かりやすいパンフレットになっています。
 具体的にどのように竹島が日本の領土なのか、識を得たいという人は、まずこのパンフレットを読んで覚えれば、だいたい十分な感じぐらいの作りになっています。
 パンフレットはこちらです(注意:PDFファイル)
 
 まぁと言っても、実はこれ、結構前から発表されていたようなんですよね。
 パンフの日付も、今年の3月になっています。
 今年の3月と言えば、まだ福田政権だったワケで、麻生さんが総理になってからこういうパンフが出されたというのならなんとなく納得できそうではありますが、福田さんの時代でもキチンとこういうコトはやっていたのです。
 こういうところは、ちゃんと評価したいですね。
 

平成20年10月10日

 これは「法廷内」だけの話ではない

 ちょっと思うところがありますので、もうちょっとこの話題を続けます。
 光市事件にかかる、大阪府知事(当時は違いますが)の弁護団への懲戒請求の件です。
 
 前回の更新で書いた文章は、主に3つの視点によって分けるコトが出ます。
 
 1.原告団がドラえもん論等を創作したかどうかの事実確認の件
 2.原告団の発言は下品であるという主張の件
 3.懲戒請求そのものを「不必要な負担」と切り捨てている是非の件
 
 これら3つは、ひとつの問題から発展して生まれてきた問題ではありますが、基本的にお互いに内容に影響を与えるモノではありません。
 例えば、原告団が供述を創作していると断言する橋下氏の言い方は事実誤認であり不適切だ(1)という結論が出たとしても、それによって原告団の発言が下品である/ない(2)の結果には影響しませんし、同じように、原告団の発言が仮に上品だと認められた(2)としても、懲戒請求を「不必要な負担」と言ったコト(3)が正当化されるワケでもありません。
 1、2、3の結果がどうであっても、それぞれは個別の問題であって、結果が他に影響を与えるコトはありません。
 
 そして前回言いましたように、今回の広島高等裁判所が出した判決について、やえは3こそを最も問題だと思っています。
 仮に1や2がどうであったとしても、これは決して許される考え方ではないと思っています。
 
 で。
 この辺いつものようによく誤解されるところですが、やえは別に橋下知事の部下でもありませんし、府庁職員でもありません。
 後援会員でもありませんし、ファンでもありませんし、橋下氏に投票した支持者でもありませんし、そもそも府民ですらありません。
 やえは橋下氏のために更新をしているワケではありませんし、橋下氏を弁護しているつもりも毛頭ありません。
 やえにとって橋下氏は、こういう言い方はちょっと不適切かもしれませんが、ワリとどうでもいい存在でしかありません。
 ですから、確かに橋下氏は広島地裁の内容について、控訴する可能性を含みながらも全面的に認める発言をしていますが、それはやえにとっては何ら関係のない話でしかないのです。
 橋下氏が判決をどのように受け止めようともやえには関係ない話で、やえはやえが疑問に思ったから、こうやって更新として文章を書いてサイトにアップしているだけなのです。
 橋下氏がいくら内容を認めようと、やえは橋下氏のためにやっているのではないのですから、それは全く関係のない話でしかなく、やえはやえが内容に納得できないという理由だけで、文章を書いているのです。
 特に3についてはです。
 まずここを誤解しないで読んで頂ければと思います。
 
 その上で、今回は2について、もうちょっとかみ砕いて話をしてみようと思います。
 前回はワリと理論的に、判決趣旨に反論するような形で説明してみましたが、今回はもっと分かりやすく、裁判よりもっと前の段階に視点を戻して話を致します。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 2については、さらに視点が2つあります。
 1つは、法廷内、つまり検察vs弁護人(vs裁判官)の争いという視点。
 もう1つは、国民vs原告団の争いという視点です。
 
 中には橋下氏の行為について、弁護士という仕事を理解しておらず、弁護団の訴えはもっともで、懲戒請求は甚だ不当なモノだ、と言っておられるサイトやブログさんがいらっしゃいます。
 多分そういう方というのは、おそらく、この法廷内での視点で今回の話を語っておられるんだろうと想像します。
 そして、もしこれが法廷内の世界だけの話でしたら、それはまぁそうだと思います。
 基本的に弁護人は、被告の言い分を全て信じて肯定して、出来るだけ罪が軽くなるようあらゆる手をつくすというのが、第一職務なんだろうと思います。
 ですから今回の話が法廷内だけの話であれば、やえはここまで批判しなかったでしょう。
 そしてこのコトは、前回の更新も含めて、過去何度も繰り返し言っています。
 どんな世界にだってその世界の独特のルールというものは、時間が経つに連れて形成されていくモノですから、それに従うコトもある意味、社会の秩序を保つという意味になると思いますから、まぁそれはそうだと思います。
 特に、国選弁護人に指名された場合など、それはもうプロなんですから、個人的感情なんて全て捨てて割り切って、仕事に徹するのが大人の仕事というモノでしょう。
 ですから、これが法廷内の世界のお話でしたら、弁護人の仕事とは云々という主張は、その通りだと思います。
 
 繰り返しますが、やえは、これはもう何度もそうだと言っています。
 しかし今回のこの騒動というのは、決してこの視点だけでは語れない問題なのです。
 
 安田氏ら光市事件の被告の弁護団は、「屍姦は生き返りの事実だ」だの、「ちょうちょ結びをしようとしたら弾みで首がしまっただけだ」だの、「押し入れに死体を放り投げたらドラえもんが助けてくれる」だのという見解を、法廷内で裁判官に向かって主張しただけではなく、記者会見等を使って天下に国民に向かって主張しているのです。
 この時点でもう「法廷内の世界」だけの話ではなくなっているのです。
 自らが進んで積極的に国民に向かって話しかけたのですから、弁護団の相手は裁判官ではなく国民です。
 この時点で「法廷内だけの常識」は通用しなくなっているのです。
 
 よく考えて下さい。
 なぜ弁護団はわざわざ記者会見や雑誌やなんやらで、広く、天下に向かって、自分たちの主張を繰り返し述べたのでしょうか。
 何が目的だったのでしょうか。
 それは、被告が有利になるからと信じて、すなわち、被告を有利にさせるために世論を喚起しようと、世論の力によって法廷という世界、裁判の行方を、自分達に有利な方向に進めようとしたワケです。
 やえは、安田氏らが死刑反対の政治運動の場にこの裁判を利用しているという見方はとりません。
 あくまで安田氏らは、被告のためを思ってずっと行動していたんだと好意的に解釈します。
 ですから、安田氏らの「屍姦は生き返りの事実だ」だの、「ちょうちょ結びをしようとしたら弾みで首がしまっただけだ」だの、「押し入れに死体を放り投げたらドラえもんが助けてくれる」だのという主張は、全て世論を喚起し裁判を被告に有利にさせるための戦術として取ったモノだと解釈します。
 
 そうであるからこそ、弁護団の相手は、もちろん最終的には裁判法廷ですが、今回の騒動では、相手は国民なワケです。
 弁護団の活動は、全て世論が動かせるかどうかがポイントなワケです。
 
 そう見た場合、では弁護団の主張を聞いて国民はどのような反応を示したのでしょうか。
 そうですね。
 嫌悪感です。
 弁護団は、これで世論が被告の味方になるだろう、いやちょっとでもいいので有利な方向に動くだろうと、おそらく心底信じて、死体レイプ論やドラえもん論を唱えたのでしょうけど、しかし国民はむしろ逆に、被告に対してさらにマイナスな感情しか持たなかったのです。
 
 やえは、これは自然な感情だと思います。
 常識的に考えて下品なんですもん。
 「偶発的に死んでしまったのは不幸だけど自分は生き返らせようと善意で死体をレイプしたんだ。だからボクは悪くないんだ」という主張を聞いて、「ああ、そうなんだ。それは苦労したね。キミは悪くないよ」と思うような人がいれば、ちょっとやえはその人と距離を置くコトでしょう。
 もし友達でしたら、今後の付き合いを考え直すかもしれません。
 
 だからこそ、安田氏ら弁護団は大批判を受けたのです。
 そして「こいつら本当にまっとうな常識を持った弁護士なのか」という思いが沸き起こり、懲戒請求運動に発展したワケです。
 これは、完全に弁護団の作戦ミスです。
 もしかしたら弁護団は、「これが法廷なら」とか「法曹界の常識でなら納得してもらえたハズだ」とか思っているのかもしれませんが、それは全然独りよがりでしかありません。
 相手は国民です。
 訴えた場所も法廷ではありません。
 であるならば、国民は国民の常識で行動するのか当然であり、国民を法曹界の常識で縛ろうと考える方が常識外れなのです。
 しかも弁護団自らが進んで国民を相手にしたのであって、自ら国民のフィールドに立ったのです。
 そこで「法曹界の常識で考えてくれよ」なんて言ってしまうのは、甘えでしかなく、独りよがりでしかなく、駄々っ子の理論でしかありません。
 
 安田氏ら弁護団と、「弁護士の仕事を勘違いしている」と言っている方々は、ここを思い違いしているのではないでしょうか。
 弁護士の仕事は確かに依頼人の権利を擁護するコトですが、擁護したからといって100%結果が保証されるモノでは、決してありません。
 こんなコトは言うまでもないコトですが、そしてそれが弁護士の言動全てを正当化されるモノでもないワケです。
 端的に言いますが、弁護団は国民との戦いにおいて敗れたのです。
 それはもう、戦う前より悪い状態になるぐらい、完膚無きまでに大敗北を喫したのです。
 弁護団が自ら国民に向かって「死体レイプは生き返りの儀式だ」と発言した結果として、国民が「あいつら馬鹿だ」と思い、批判が弁護団に集まったというのが経緯であり、そう国民が思うコトは当然でしょうし、それは誰にも止められません。
 しかしそれに対して「弁護士という職務であればそういうのは当たり前で批判するべきではない」と言うのは、あまりにも勝手な話でしかありません。
 批判されるのがイヤなら、はじめから論戦を挑まないコトです。
 弁護人である以上法廷では論戦を挑むのが仕事ですが、記者会見などを通じて国民に論戦を挑むのは義務でもなんでもありません。
 ですから、国民に向かって論戦を挑んだ以上は、批判は受けるべきです。
 「弁護人だから」というのは免罪符にはなりません。
 
 記者会見等で天下に向かって持論を説いた時点で、その場は法廷ではなくなっているのです。
 法廷内の争いを横で見ていた国民が茶々を入れた、のではないのです。
 ここを勘違いしてはいけません。
 弁護団が自ら進んで国民を相手にしようとして、受けて立った国民がその結果として、実際に施行されている法を利用した行為でもって結論を得ようとしたのです。
 結果的に懲戒請求は却下されたようですが、やえはそれそのものには特に意見を言おうとは思いません。
 ただ、国民の行為としては、請求したという段階までにおいて、なんら不自然なところはないと考えています。
 法廷だけのルールの中で、「弁護人は被告の利益を擁護するのが仕事だ」というルールの中だけで、弁護団は自らの主張がしたいのだったら、法廷の中から、法曹界の中から出てこようとはしないコトです。
 法曹界の中だけで初めからやっていればよかったのです。
 
 繰り返しますが、そもそものこの騒動のきっかけは、安田氏ら弁護団が自らの意志で、国民を利用し、世論を喚起して、光市事件被告にとって有利になるよう裁判所に働きかけようとした、というところから始まっているのです。
 今回の弁護団の行為は盤外戦です。
 盤外戦のフィールドは国民のフィールドであったワケで、その国民は国民のフィールドで結論を得ようとしただけです。
 これのどこに問題があると言うのでしょうか。
 むしろ盤外戦をしかけたにも関わらず、「自分のフィールドの常識だけで考えるべき」と言ってしまう方が常識外れとしか言いようがありません。
 「弁護人は被告のスピーカーだから仕方ない」と言うのであれば、始めから法廷から出ず、法廷の中だけで戦っていればよかったのです。
 しかし今回はそうではなく、それを一歩踏み出した国民に向かって声を発し、国民を利用しようとしたのですから、単に「自分はスピーカー」という言い訳だけでは通用しません。
 もっと主体的な責任が発生するというのが当然です。
 そして、国民主権である民主主義国家が国家としてその身分を認定し保証し、それにより社会的地位が高く責任も重い弁護士という職に就いている人間として、その見識と認識、人間性などが、国民的常識によって問われる可能性があるというのは、国民の場に立つ以上は当たり前の話です。
 安田弁護士ら弁護団は、この認識があまりにも甘すぎたと言うしかありませんし、その社会的責任を軽く見ていたとしか思えません。
 
 どのような理由があったとしても、責任ある大人が公の場で発言をしたのです。
 その行為には絶対に責任は伴います。
 やえには、弁護団の面々はその責任の大きさを、法曹界という非常に内向きな世界の中だけで捉えて、取り違いをしていたとしか見えません。
 法廷から主体的に一歩踏み出したと、自らの意志があってこその公の場で発言したという責任を、もう一度よくよく考えてもらいたいです。
 

平成20年10月12日

 麻生メルマガレビュー

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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [日本の底力]
 今年のノーベル物理学賞を、南部陽一郎さん、益川敏英さん、小林誠さんが受賞されることになりました。さらに、昨夜、ノーベル化学賞を、下村脩さんが受賞される、とのニュースが飛び込んできました。
 日本人によるノーベル賞の受賞は、6年ぶりの快挙。明るいニュースに、さっそく、お祝いと感謝の電話を差し上げました。
 
 こんにちは、麻生さん。
 数日遅れになりましたが、メルマガをレビューさせて頂きます。
 なんだか急にノーベル賞ラッシュになっちゃいましたね。
 正直言いまして、やえはあまりノーベル賞というモノに興味がありませんもので、もちろんノーベル賞は世界的権威なんでしょうし、受賞された方は素晴らしい方とは思いますが、ごめんなさい、やえとしてはそんな感想ぐらいしか思いつきません。
 多分気付かないところでやえの生活にも影響があるぐらい素晴らしい発見とかされているのでしょうけど、なんか実感が湧かないんですよね。
 ただひとつ言えるコトは、こういうノーベル物理学賞とか化学賞はいいんですが、文学賞とか平和賞はいらないと思います。
 そういうの、全然基準がハッキリしませんし、例えばノーベル文学賞受賞作品と、とんでもなく全世界で売れている『ハリーポッター』シリーズと、どっちが文学として優れているかなんて、考え方は人それぞれですよね。
 ノーベル賞は世界で最も権威の高い「賞」なのですから、「優れている」という基準が全然バラバラなモノは、ノーベル賞のためにも取り扱わない方がいいんじゃないでしょうか。
 もともとノーベルさんの功績を考えても、科学技術系の分野だけに留めておくのがいいのではないかと思います。
 
 「科学にロマンを持つことが非常に重要だと思う。あこがれを持っていれば、勉強しやすいと思うんですね。」
 益川先生からは、今の若い人たちへの力強いメッセージをいただきました。何事にも、明るく、前向きに、取り組む姿勢。日本人の強さの源は、ここにあるんじゃないかと思います。
 日本人は、その底力にもっと自信を持っていい。日本は、「強く明るく」あらねばなりません。メルマガは、正式には今日が創刊号ですが、そうした私の思いを、毎週皆さんに発信していきたいと思います。
 
 そういえば前回のノーベル賞騒ぎでは、大学教授とかではないただのサラリーマン研究者の田中耕一さんがノーベル賞を受賞されて注目を集めましたが、こういうコトこそ、日本の底力ですよね。
 そして、ノーベル賞という輝かしい賞を取らなくても、本当に素晴らしい技術や力を日本人は持っています。
 でもこの「科学にロマンを持つことが重要」っていう言葉はいいですよね。
 だって日本の科学者なんて、鉄腕アトムを、ガンダムを、ドラえもんを作るコトを夢見て科学者になったという人がいっぱいいるんですからね。
 こういうロマンって絶対に人間には必要だと思います。
 
 他方で、経済に目を向ければ、地方をはじめ、景気は大変厳しさを増しています。何よりも、国民の生活に対する不安を取り除きたい。まずは、先般とりまとめた「緊急総合対策」をすぐに実現しなければなりません。
 そのための補正予算が、昨日、衆議院を通過しました。次は、参議院での審議ですが、一刻も早い成立を目指します。
 
 なんだかあっさりと補正予算が通ってしまいましたね。
 民主党も抵抗しなかったですから、拍子抜けです。
 なんか民主党は早く解散してほしいので、とにかく自民党の要求通りに話をすすめて、頼むから解散してくれっていう状態なんだとか。
 ただ、どうなんでしょうかね。
 アメリカ発の金融危機が日本にどれぐらいの期間どの程度影響を与えるか分からないですから、一ヶ月半ぐらいは政治空白が出来てしまう選挙というのも、ちょっと考え物ですよね。
 やえは、前回の郵政選挙が3年近く前になっているのでこの辺で選挙をして信を問うというのもいいとは思いますが、何が何でも選挙をどうしてもしなければならないとは思っていません。
 どっちにしても衆議院の任期は4年と決まっているのですから、前回の投票では少なくとも4年は任せますという意味なのであり、必ず解散しなければならないという意味ではないワケですからね。
 
 今週、日経平均株価が4年10ヶ月ぶりに1万円を切りました。1ドル100円を切るような円高も進んでいます。
 海外に比べると、日本の金融システムは健全ですが、アメリカの深刻な金融危機に端を発し、今後、実体経済への影響も大変懸念されます。経済情勢の推移を注視しながら、適切な対策をしっかりと講じてまいります。
 この他にも、重要な政策課題がたくさんあります。国会の場で、正々堂々と議論を行い、スピーディーに結論を出していきます。
 
 やえにはよく分からないのですが、ようはあまり騒ぎすぎず冷静に見ておけばいいんじゃないかと思います。
 特に、株とかやってない人は、ニュースを見ただけで被害はないのに大変だ大変だと言っても何にも意味はないのですから、不安に煽られずに冷静にしておくコトが大切なんじゃないでしょうか。
 もうなんて言いましょうか、これだけ世界的な規模での金融危機ですし、そしてそれはやっぱり市場が自ら生み出したモノなのですから、日本一国が政府の力でどうこうしようとしても、あまりどうにもならない気がします。
 むしろこういうのは危機が訪れたときに対策を打つというのではなく、危機が来る前にしっかりとした基盤を作っておくというコトの方が大切で、日本はバブルがはじけてからの反省に立ったと言えるのか、とりあえず今のところ他国よりは全然米国初の金融危機の影響を受けていないワケですから、あとはいかに冷静に対処できるかなのではないでしょうか。
 とりあえずまだそこまで他国よりひどくなっていない日本の現状というのは、ここはキチンと誇っていい、評価していい部分だと思います。
 
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 先週の創刊準備号に約2000件ものご意見をいただき、ありがとうございました。ご意見も踏まえて、よりよい政策の実現、よりよいメルマガ作りに向け全力で取り組んでいこうと、思いを新たにしています。
 
 ○続きを読む。
 http://www.mmz.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2008/1009se/1009matsumoto.html
 
 ……あれ?
 表示方法変えちゃったんですね。
 レビューにやさしくない方法です(笑)
 
 国会では補正予算の審議が行われています。官房副長官として私は今、政府と国会の連絡調整に奔走しています。そのため、就任以来、首相官邸と国会を往復する毎日ですが、晴れた日の移動中に高く澄み渡った秋空を見上げると、疲れを一瞬忘れさせてくれます。気力も体力も充実させて日々の仕事に邁進します。(松純)
 
 えー。
 官邸と国会って、車で30秒じゃないですか(笑)
 それとも松純先生は車を使わず、歩きながら青空をフォーカスしているんでしょうか。
 ちょっとその姿は見てみたい気がします(笑)
 就任以来、かなり濃い毎日を送られていると思いますが、どうぞ頑張ってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成20年10月14日

 自主規制から法規制へというだけの話

 この話題は、ニュースが上がった直後にあまおちさんがmixiの方で記事引用の形で言及していたのですが、こっちでも取り上げるろと言われて、やえもちょっと勉強しました。
 こんにゃくゼリーの件です。
 
 まずはこの件を考える際、決して感情論にならないように注意しなければなりません。
 固定概念から、政府が悪い自民党が悪い政治家が悪いと頭から決めつけていては、問題の本質は見えてこないでしょう。
 どんな問題でもそうですが、冷静に客観的に問題を考えてみてほしいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 こんにゃくゼリーに関する記事はいくつか出ているのですが、まずはよーくその記事を読んでいただきたいと思います。

 <こんにゃくゼリー>法規制を検討…形状、マークの表示など
 
 自民党の消費者問題調査会(会長・岸田文雄前消費者行政担当相)は10日午前の会合で、窒息死亡事故が相次ぐこんにゃくゼリーについて、形状などを規制する議員立法の策定に向け検討に入った。のどに詰まりやすい形状のほか、子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの表示方法などについて規制する方針。
 同ゼリーをめぐっては、兵庫県内で1歳10カ月の男児が9月に死亡していたことが明らかになり、窒息死事故は95年以来、計17件に上る。厚生労働、農林水産の両省は業界団体などに形状と警告表示の改善を指導しているが、規制する法律はなく業界団体やメーカーの自主規制に任されているのが実情だ。
 こんにゃく加工品メーカー「マンナンライフ」(本社・群馬県)は7日、男児の窒息死事故を受け、ミニカップ入りこんにゃくゼリー「蒟蒻(こんにゃく)畑」の製造中止を決めたが、他メーカーにはこうした動きは広がっていない。

 まず、多くの人が誤解しているようなのですが、この自民党の動きというのは、製造禁止や流通禁止の立法化では無いというところに注意してください。
 「法規制」なんて記事のタイトルに書いているので、それだけを読んで「規制=販売禁止」だと思ってしまっている人が、これが本当に多かったとあまおちさんも言っていましたけど、実際は「形を規定する」法案です。
 記事にもちゃんとこう書いてありますよね。
 
 『形状などを規制する議員立法』
 『子供や高齢者が食べないよう警告する外袋のマークの表示方法などについて規制』
 
 ですから、この法案が立法化されたら蒟蒻畑等のこんにゃくゼリーが食べられなくなると言っている人がけっこういますが、これは逆でしょう。
 むしろこの法案は、形を法によって規定するコトによって、こんにゃくゼリーを市場に復活させようという方向に向かっている法案だと言えるのです。
 なぜなら、「立法化された規定をクリアすれば問題なく売っても良いよ」という法律になるワケだからです。
 法律というモノを性質をちゃんと考えれば、法律が出来た後、その法律に沿う形状や表示をして製造すればこんにゃくゼリーは売れるように、当然なるワケですからね。
 よってこれは、ゼリーバッシングでも、業界叩きでも、マンナンライフ社いじめでもない、こんにゃくゼリーが食べられなくなる立法化の動きではなく、むしろ逆に、キチンとルールを定めて適切に市場に出しましょうという立法化の動きなのです。
 あるコトないコト陰謀論まで色々とメチャクチャ言っている人がけっこういますが、それらはかなり的外れな批判であり、むしろ中傷だと言わざるを得ない意見が多く、記事の書き方が確かにちょっとアレかなぁと思わなくもないですけど、まずはキチンと記事を読んで、また固定概念にとらわれずに、冷静に考えてほしいと思います。
 
 この問題が議論されると、いつも「モチはどうなんだ」という話が出てきます。
 おモチをのどに詰まらせて亡くなってしまう方は、特にお正月時期に合わせて、年間かなりの方が亡くなってしまっているそうなので、「のどに詰まる」というくくりで問題を考えると、こんにゃくゼリーとおモチとを比較したくなるかもしれません。
 でもここもちょっと冷静に考えてもらいたいのです。
 おモチと今回のこんにゃくゼリーと、そもそも「のどに詰まる原因」がまず違います。
 おモチはおそらくあのねばねばした粘着性が主な原因なのでしょうけど、こんにゃくゼリーの場合は、まずは形が問題視されているワケです。
 自民党の立法化の話も、成分云々ではなく、形状を問題にしていますよね。
 しかしおモチは形状のせいでのどに詰まってしまうワケではありません。
 ですから、ここでまず、今回の動きでこんにゃくゼリーとおモチとを、単純に比較するコトはちょっとできないワケなのです。
 
 こんにゃくゼリーが最初に問題になった時というのは、こんにゃくゼリーそのものの形と、手のひらサイズの大きさだったというコトがあって、カップを指でつまんで口元に添えて、ツルンッと直接口の中に飛ばすように食べるコトが出来てしまったために、そのままのどに詰まって死亡してしまったというのが事件の発端だったと記憶しています。
 こう書くと、そんな食べ方しなければいいのにとは思いますが、しかしそれはあくまで結果論です。
 確かに、何かをしながらとか、妙にテンションが高い時とかなら、その場のノリでそんな食べ方してしまうかもしれませんし、そもそもあまり物事を深く考えない小さな子供なら、面白い楽しいという理由だけでそんな食べ方してしまうかもしれません。
 それにお菓子なんて、よく普通ではない食べ方をなぜか考えてしまうワケで、例えばポッキーをチョコだけ削いで食べるとか、とんがりコーンを指にはめて食べるとか、昔ポップコーンなどを手のひらにおいて腕を叩いて口に飛ばして食べるなんて食べ方も流行ったりしましたよね。
 ですから、いくら想定していなかった食べ方だったと言ったとしても、それでももし人の命に直結するようなコトでしたら、お菓子の形状を見直すというコトは必要なコトと言えるのではないでしょうか。
 
 こういう視点からも、おモチとは今回の件では別問題なワケです。
 もし新商品で、おモチのお菓子みたいなのがあって、さらにのどに詰まりやすいような形で販売されていたら、それはそれで新たに形などを規定する必要があるのでしょうけど、それは今回とは別件です。
 もちろん別件ですから、もし世論が「おモチにもデカデカと注意事項を記載するよう法規定すべきだ」と言うのでしたら、やえはそれでもいいと思います。
 その方向に政府や与党が動いても、やえはそれを問題とは思いません。
 ただ、それは、今回の件とは別問題というところだけは注意しなければなりません。
 モチの規定をしなければこんにゃくゼリーの規定をしてはならないというコトにはなりませんし、逆もそうです。
 この両者の問題は、単純に比較できる問題ではないのです。
 
 中には、「立法化」という動きそのものに忌避感を持っている人がいるようですが、これは改めなければならないでしょう。
 そもそも日本の中で、物品が商品化され市場に流通して消費者が買えるコトの出来るという商品の多くは、様々な理由によって法規制がかかっています。
 パッと思いつくだけでも、食品であれば成分などを規制する食品安全法ですとか、表示に関する法律ですとか、工業品でも、例えば自動車なんて「必ずクラクションはつけなければならない」とか様々な法規制がかかっていますよね。
 パソコンにもネットにも様々な法規制があって、そしてまだまだこの分野は法整備が遅れているとよく言われているところです。
 このように法律の網をかけるコトそれ自体は、決して悪い行為とは言えません。
 法律の中身を議論するコトは大切なコトですが、立法化そのものを悪とは絶対に言えないのです。
 
 そもそも形状等を規定するという意味においては、今までも業界団体が自主規制をしていたワケです。
 ここから、マンナンライフ社は努力しているし、立法化は必要ないという意見もあるようですが、もちろんそれを否定する気はありませんけど、しかしだからといって立法化がダメだという意見にもならないハズです。
 むしろ、業界団体だけの自主規制よりも、キチンと開かれた国会という場で審議された法律で規定する方が、民主的である=民主主義国家においては正義である、と言えるワケですから、自主規制があるから立法化は必要ないとは言えないでしょう。
 もちろん自主規制も法律も、現状にあわせて見直していく必要はあります。
 そういう中で、まずキッチリと法律によって規定するコトによって、むしろこんにゃくゼリー業界にお墨付きを与えるという意味も、この立法化の動きには含まれているとも言えるのではないでしょうか。
 「立法化の動き=それは悪いコトだ」と思い込んで騒いでいる人も少なくないみたいですが、決して立法化そのものは悪いコトとは言えないのです。
 
 やえは今回の自民党の法規定の話は、立法化してもしなくても、どっちでもいいと思っています。
 が、少なくともこの件に対して、こういう中身を見ないまま、もしくは勘違いしたままワーワー騒ぐのは、これは完全に勇み足ですし、政治に対する責任ある国民の姿勢ではありません。
 こういう姿勢というのは、肝炎訴訟の問題でワーワー騒いでいた人とか、後期高齢者医療制度でワーワー騒いでいる人とか、人権擁護法案でワーワー騒いでいる人とかと同じく、中身を見ずに印象だけで固定概念だけで、そして誰かのデマに踊らされているだけの姿勢でしかないと言えるでしょう。
 まだまだこの問題はどういう方向に進むのか、むしろ国会があまり正常に動いていない状況ですので、どうなっていくのか全く見通しが付かない状況ですからなんとも言えませんが、少なくとも今は、ちゃんと物事を冷静に受け止めて分析するコトが大切なのではないでしょうか。
 少なくともワーワー騒いでいるだけではその結果国民にどういう利益がもたらせるのか疑問でなりません。
 どうすれば国民に最も利益が生まれるのか、そこをキチンと考えなければならないのでしょう。
 
 
 この件に関して、ちょっと別の視点からも次回語ってみたいと思います。
 

平成20年10月15日

 情報と実感の違い

 ちょっとこれは、形状の法規定のお話とはまた別のお話なのですが、こんにゃくゼリーに関するというコトで、簡単に触れておきたいと思います。
 
 この問題でよく出てくる主張として、「国民の意識としてはおモチとこんにゃくゼリーとどれぐらい詰まりやすいと認識されているのか?」という話がよく聞かれるところです。
 そしてネットの上では、おモチもこんにゃくゼリーもどっちも変わらないし、蒟蒻畑のパッケージにはちゃんと注意書きが書いてあったじゃないか、という意見がよく書かれているところです。
 
 でもやえはふと思うのですが、果たしてそれは本当に「国民の中の常識」と言えるぐらいのモノなのでしょうか。
 蒟蒻畑を小さな子供が食べたら危険だというコトがそんなに国民の大部分に対して浸透していたのかと、冷静に考えた時に、そこまで常識が形成されていたのかはやえにはちょっと疑問なのです。
 
 というのも、ネットというのは情報の行き来がとてつもなく早いですから、一度ワッと話題になれば、それが昔からの常識だったかのように感じてしまうコトが多々あったりします。
 まぁこれはネットだけに関わらず一般的にも、例えば拉致問題のように昔の空気をコロッと忘れてしまうコトはよくあるコトですが、ネットは情報のスピードがとてつもなく速いだけに、それがもっと顕著に表れたりします。
 そして蒟蒻畑のパッケージの件も、なにかいつの間にやら常識的な話のように、冷静に考えたら、語られている気がしてならないのです。
 
 情報としては確かにここ数ヶ月から一年の間で、こんにゃくゼリーは子供やお年寄りによって危険なモノだと、少なくともネットの上では共有されてきました。
 そして蒟蒻畑のパッケージには注意書きが書いてあったというコトもネット上では常識になっています。
 しかしそういうコトを知っている人の中には、実は「ネットにそう書いてあったからそうなんだろう」と考えている人も少なくないんじゃないでしょうか。
 このような情報はネット上ではとんでもなく早いスピードで行き来しているので、蒟蒻畑には昔から注意書きがあってこんにゃくゼリーを子供やお年寄りが食べると危険だと多くの人間に昔から認識されているんだと、はじめは情報の中の話だけだったのに、いつの間にか全体の常識になっていると錯覚してしまっている部分というのはけっこうあるコトだと思います。
 もちろんその事実は間違いではありませんし、もちろん他人から仕入れた情報でも、それが生きれば言うコトはないでしょう。
 でもそれはやっぱり「情報」でしかないのです。
 情報と実感は違います。
 パソコンの前に座れば情報は常識かもしれませんが、パソコンから離れれば、情報はただのマメ知識程度になってしまいます。
 それでは、実感として常識としては、“何気ない日常”の中で役に立たないコトの方が多いワケです。
 そもそも消費量の絶対量からして違うワケで、おモチを食べたコトが無いという人は多分そうはいないと思いますが、蒟蒻畑を食べたコトが無いという人はそれなりにいるでしょうから、「情報」ではともかく、「実感」としては、果たして事故が起きて立法化されるまでの大問題になる以前にはどうだったかというのは、議論が残るところなのではないでしょうか。
 
 ちょっと話はズレますが、この問題には、絶対的にデータが不足しているとやえは思っています。
 おモチとこんにゃくゼリーを比較する話題がよく出ますが、もし本当にこの両者を比較するのであれば、キチンと科学的にデータをとらなければなりません。
 例えば、さっきも言いましたように、そもそもおモチとこんにゃくゼリーの消費量の絶対量が違います。
 絶対量が違う以上は、事故発生率は当然変わってきます。
 また、消費量だけでなく、消費者人数もかなり違うのではないでしょうか。
 つまり、おモチはもう国民食ですから全国民が食べていると言っても過言ではないワケですが、こんにゃくゼリーの場合はワリとターゲットがしぼられる食品ですので、人数割合を見ても、結構消費者分布は変わってくる気がします。
 また、のどに詰まってしまった状況も分析する必要があるでしょう。
 どういう食べ方をしたのか、どれぐらいの大きさで食べたのか、何をつけて食べたのか、別の食品を食べながら(食事中に)食べたのか、むせた時は食品が詰まってむせたのか、それとも別の原因でむせてその結果として食品が詰まってしまったのか等々、集めなければならないデータはたくさんあるハズです。
 でも、今はそれらのデータが全く集まっていないワケで、ここが一番問題なんじゃないかとやえは思っています。
 
 やえは、これらの作業をするためにも、消費者庁という役所は必要じゃないかなとは思います。
 今の段階で消費者庁がこのようなデータ集めをする役所なのかどうかはちょっとやえには分からないのですが、どうせ作るのであれば、こういうコトもする役所にしてほしい、するべきだと思っています。
 そしてこういうデータをキッチリ公表して、国民は冷静に議論をするというのが、本来あるべき姿なのではないでしょうか。
 
 話を戻しますが、さすがに3歳の子供におモチを与える親はいないと思います。
 でも、3歳の子供にゼリーを食べさせる親ならいるかもしれません。
 それがこんにゃくゼリーなのかどうかはともかくとしてもですね、ですから、こういう下地があるワケですから、ちょっと「おモチと同じぐらい子供に与えるのは危険だと認識されている」と言ってしまうのは、やえにはどうしても違和感を覚えてしまいます。
 確かにこんにゃくゼリーの事件はそれなりに報道されましたし、パッケージに注意書きがあったのは事実ですから、他の食品よりもそれなりに多くの人が危険だと認識していたというのは確かでしょう。
 でも「おモチと同じくらい」というレベルはちょっと言い過ぎだと思うのです。
 ネット上では常識だったとしても、それが一般レベルでも常識と呼べるほどなのかどうかというのは、議論が残るところでしょう。
 
 その上で、これらを周知徹底するという意味からも、形状や表示に関する問題を、単に業界団体の自主規制ではなく、国会審議を経た立法化するというのは、決して間違いではない動きなのではないでしょうか。
 
 
 さて、このお話は、もうちょっとトコトンやってみようと思っていますので、これからも引き続き取り扱っていきたいと思います。
 昨日からずいぶん多くのご意見を御意見板にいただいてうれしい限りですが、今度はそちらのご意見を引用する形でも更新したいと思っていますので、どうぞもっとバシバシとご意見を頂ければうれしいです。