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「表現の自由、考えを改める」…橋下知事、神妙に謝罪
橋下徹・大阪府知事がタレントとして出演したテレビ番組で、多くの視聴者に弁護人への懲戒請求を呼びかけた行為を不法とした2日の広島地裁判決は、発言の責任を厳しく問う結果となった。弁護士でもある橋下知事は「司法の判断は重い」「表現の自由に対する(自分の)考えを改める必要がある」と謝罪。過激発言を飛ばす〈橋下節〉は影を潜め、神妙な表情でとつとつと語った。
原告側代理人の児玉浩生弁護士は「懲戒請求をした人たちから、『理解が足りませんでした。請求を取り下げます』との手紙が、今枝弁護士に4、5通届いた。(橋下知事が)屋根に上げて、はしごを外した形だ。(請求したのは)視聴者の自由意思とするのは責任転嫁の発言」と批判した。
日本弁護士連合会などによると、原告の4人を含む、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の被告弁護団22人に対しては、全国の10弁護士会に計8095件の懲戒請求が出されたが、いずれの弁護士会も、懲戒処分をしない決定を出している。
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この問題、橋下知事の発言そのものについては詳しく取り扱っていませんが、弁護団のトンデモ発言については何度か取り上げていますし、かなり注目を集めている事件ですから、ご存じの方も多いかと思います。
現在は大阪府知事ですが、当時はまだタレント兼弁護士だった橋下さんの、光市事件の弁護団に対する発言の裁判の件です。
どうも控訴する予定のようですから判決は確定ではないですが、いまのところのやえの思いを簡単に述べておきたいと思います。
この裁判の詳しい判決はこちらにありますので、まずこちらを読んでみて下さい。
この中で、やえが一番違和感があるのがこの部分です。
マスメディアを通じて特定の弁護士への懲戒請求を呼び掛け、弁護士に不必要な負担を負わせることは、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に該当する。原告らは極めて多くの懲戒請求を申し立てられ、精神的、経済的な損害を受けたと認められ、被告の発言は不法行為に当たる。
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この「膨大な懲戒請求によって通常業務に支障が出るほどの多大な負担となった」という部分は、安田氏を始めとする原告である光市事件被告の弁護団も特に強調していた部分です。
まずこの判決は要約すると
1.「生き返らせの儀式をしたという主張は弁護団が作り上げたんだ」という、正確性を欠く発言を橋下氏がした
2.弁護士懲戒制度は、弁護士の活動に正当性があるかどうか、請求する側に立証責任がある
3.しかし原告(光市事件被告の弁護団)の発言を「作り上げた」と言えるほど、橋下氏は立証をしていない
4.それなのに膨大な懲戒請求が来てしまい、通常業務に支障をきたした
5.よって橋下氏の発言は不法行為である
こういう流れです。
確かに橋下氏は、原告の発言について、本当に創作をしたのかどうかという点は裁判で争っていませんので、創作をしたとは断言はできません。
当サイトでも繰り返していますが、原告の弁護団の発言はあまりにも不自然な点が多すぎるので、かなり疑ってはいますが、こういう問題は裁判でもしない限り断言は出来ませんから、確かにその点は橋下氏に落ち度はあったとは言えるでしょう。
言い方の問題とも言えますが、もし橋下氏が断言するような形で発言していたのでしたら、ここは橋下氏に落ち度があると言わざるを得ません。
しかし2については、やえは疑問です。
裁判所の判決はちょっとズレている気がしてなりません。
そもそも、これは確か橋下氏も言っていたと思うのですが、今回の懲戒請求は「高い倫理性と、社会的地位の高い弁護士という職にある者の“品位”」というモノを問うた騒動であったハズなのではないでしょうか。
つまり、弁護士という人種が、まさか「屍姦は生き返りの事実だ」だの、「ちょうちょ結びをしようとしたら弾みで首がしまっただけだ」だの、「押し入れに死体を放り投げたらドラえもんが助けてくれる」だの、荒唐無稽にもほどがある発言をするとは思わなかった、なんて弁護士とは馬鹿な人たちなんだろうと、国民にそう思われないための品位を問うたのが橋下氏の発言だったと記憶しています。
やえもそう思います。
これらの主張は完全に常軌を逸しています。
常識を持ち合わす人間であれば、ほとんどの人はそう思うでしょう。
「弁護士の品位」というところを論点にするのであれば、これは常識の問題です。
橋下氏の本趣旨は、常識的に品位ある発言をしているのかどうかが問題であって、この判決はそこがちょっとズレている気がしてなりません。
これは以前も言ったコトあるのですが、もし弁護団が裁判の中だけの発言であれば、懲戒請求ほどの大騒ぎには発展しなかったでしょうし、少なくともやえはここまで非難はしなかったでしょう。
多分こういう類の主張であっても法廷での主張なら弁護活動の一環だと、番外戦も当然であると、おそらく法曹界の中では心底信じられているのでしょうから、「ああ、弁護士っていうのは、法廷の中ではどんなコトをしても勝つコトだけに主点を置くような、真実は二の次の、なりふり構わない下品な人たちなんですねぇ」とやえは思うかもしれませんが、それを公の場で責任をとらせようという行為にまでは発展しないと思います。
でもこの事件の弁護団は違います。
今回の原告団の行為は、裁判の場以外で、もしろ自ら積極的に持論を天下に問うているワケです。
そしてその内容はあまりにも常識外れであり、そんな持論を示された国民としては、「品位がない」と判断するのも当然だと言うしかないのではないでしょうか。
自分の行為には責任を持て、という、社会人として当然の注文を付けられただけにしかやえには見えません。
まして、この光市事件の犯人は、ドラえもん発言の前から、常識はずれな荒唐無稽の発言が漏れ聞こえていました。
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。…でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
「オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。 へへ」
「犬がある日かわいい犬と出合った。…そのまま「やっちゃった」、…これは罪でしょうか」
「五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」
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これは一審の無期懲役判決後、知人に宛てた手紙の内容の一部ですが、中にはレイプを認めているとしか読めない一文もあります。
今の弁護団は、「一審等では当時の弁護士が被告に対して『裁判上不利になるから、ドラえもん等の発言はするな』と言われていたから、今までの裁判ではそのような主張はしなかった」と言っているようですが、もうここからすでに矛盾しているワケです。
一審の段階で、裁判外の発言ではありますが、被告はレイプをほのめかしているワケで、これは完全に「生き返りの儀式」とは始めから矛盾していますし、もし被告が本心から儀式で屍姦していたのであれば、このフリーダムな被告のコトです、どこかでドラえもんや儀式やちょうちょ結びと言ったトンデモ論をどこかで発言していたのではないかと考えるのが自然なのではないでしょうか。
でも実際、ドラえもん論等は、なぜか今の弁護団が弁護人として就任してから飛び出してきた主張です。
いまの弁護団は、ドラえもん論が正しいと信じるのであれば、まずこの疑問と整合性を説明するべきです。
少なくとも、裁判外で公の場で国民に向かってドラえもん論の正当性を主張するのであれば、キチンとこの国民の疑問を解き、矛盾をひもとき、正当性を示すべきです。
それをせずに、弁護士は自分の考えを一切示さず、ただただ被告の主張を垂れ流すスピーカーに過ぎないとあくまで主張するのであれば、やっぱり一般常識的におかしな人たちだと、アレな人たちだと思われても仕方ないのではないでしょうか。
判決趣旨では
被告は、原告らが差し戻し前に主張しなかったことを主張するようになった経緯や理由を、一般市民や被害者遺族に説明すべきだったと非難するが、訴訟手続きの場以外で事件について発言した結果を予測することは困難であり、説明しなかったことも最善の弁護活動の使命を果たすため必要だったといえ、懲戒に当たらない。
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とあるのですが、ちょっと難しい言い回ししているのですけど、簡単に言いますと、「裁判の場以外での発言をした結果として、どのような反応が返ってくるのかは予測困難であるから、仕方ない」という意味なのでしょう。
つまり、「(安田氏ら)弁護士は馬鹿だ」と言っているワケです。
なぜなら、「生き返り儀式のために死体をレイプした」と国民に主張しても、どのような反応が返ってくるのか弁護士は分かるハズがない、と言っているワケなんですからね。
うーん、ますます法曹界の人間は常識外れだと言っているようなモノです。
これだけでも十分、弁護士の品格を貶めていると言えるではないでしょうか。
しかも、弁護団がドラえもん論を唱えてから、橋下氏がテレビで発言するまで、それなりに時間はあったとやえは記憶しています。
つまり、仮に弁護士らの想像能力が著しく低くてそれは仕方ないというコトにしたとしても、反応が返ってきてからその後に、経緯や理由を説明する時間は十分にあったワケです。
裁判所はこの観点がスッぱり抜け落ちいています。
決してドラえもん論を唱えた直後に、懲戒請求問題が起きたワケではありません。
そして最後の一文も、これは矛盾が孕んだ一文です。
「最善の弁護活動の使命を果たすため必要だった」主張が、一般市民から見て常識的に下品だったと非難されているのですから、これは判決文とは呼べない代物の一文だと言わざるを得ません。
今回の騒動の発展の根底には、「弁護士と名が付けば何をやっても何を主張してもいいのか」という国民の不信感や怒りから来ているのですが、結局広島地裁はそれについて正面から受け止めようとはしなかったというコトなのでしょう。
ごめんなさい。
最初、簡単に触れるなんて言っておいたにも関わらず、もんのスゴく長くなってしまいましたので、いったんここで切ります。
(つづく)