民主党の政策、正式なマニフェストなのかどうなのかよくわからないマニフェストの中でも、最も無責任で見耳障りのいい口だけな政策は、やはり防衛政策と言えるでしょう。
民主党がサイトなどですでに発表している「民主党の政権政策Manifesto2009」には、次のように書かれています。
主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくります
日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす。
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おそらくこの一文だけをパッと見たら、誰でもどんな立場でもその通りだと言うでしょう。
それぐらいこの文言は耳障りのいい言葉です。
しかしよく考えて見てください。
では「対等な日米同盟関係」と言ってますが、果たしてその「対等」とは、どういう状態を指し示しているのでしょうか。
アメリカと対等になるためには、アメリカと文字通り同じぐらいの軍事力を持たなければ、それを対等と呼ぶコトは出来ないでしょう。
例えば日本はアメリカと日米安保条約という軍事同盟を結んでいるワケですが、その内容は、「日本が他国に攻められたらアメリカはそれを助けるが、アメリカが他国に攻撃されても日本は軍隊を出す義務を負わない」というかなり歪んだモノであり、これは果たして本当に対等と言えるのかどうかはとても疑問なところでしょう。
ですからつまり、本当に対等な日米関係を構築するのであれば、日本はまずアメリカ並みの軍事力を整え、また核兵器の保持も含めた議論が必要になろうと思います。
民主党は本当にその覚悟があるのでしょうか。
やえには全くその様には思えません。
だって民主党は、フランスやドイツすら賛成し、国連決議も出た上で制定されたテロ特措法にすら反対している有様なのですから、それでどの口が「アメリカと対等外交」と言うのか、理解に苦しむとしか言いようがありません。
アメリカという国家は、自国の国益のためなら軍隊を外国に派遣し、他国をつぶすという行為すら厭わない、ある意味覚悟を決めている国家です。
これは基本的にはどんな国だって、それぐらいの気概を持っていて当然と言えるでしょう。
日本だけが変なだけで。
そんな国家と比べて、いまの日本というのは、軍隊というよりも、憲法というしばりが存在しているのですから、いくら口だけで「対等対等」と言っても、そんなのは夢想でしかないとしか言いようがないワケです。
先日広島の原爆忌である8月6日を迎え、今日は長崎の原爆忌の8月9日です。
やえはいつも言っていますように、まだ今の日本では核兵器を持つ段階では無いと考えています。
それは、日本はまともな軍隊すらもっていないのに、なぜ核兵器だけ持ってしまうのか、それは無責任にも拳銃にあこがれるガキの考え方と同じではないかと考えているからです。
刀で人を斬れば最悪死に至ります。
銃で人を撃てば高確率で死んでしまいます。
核兵器を落とせば人が死ぬだけでなく、生きながらにして人を人でないものに変えてしまいます。
どれも場合によっては必要な道具でありますが、しかしそれを使うためには、その責任と覚悟は絶対に必要です。
それを使えばどのような結果が待っているのか、それを踏まえた上で、責任をと覚悟を持って使用しなければなりません。
そして今の日本には、核兵器を使う責任も覚悟もまだまだ持ち得ていません。
日本の主権者は国民であるのですから、それは国民全ての責任であり覚悟であるのです。
民主党はその覚悟があるのでしょうか。
民主党はその覚悟を国民に持たすよう説得する覚悟があるのでしょうか。
民主党の今までの主張や言動を見ていれば、やえには全くそのつもりがあるようには思えません。
民主党は憲法改正のために国民投票法にすら難色を示し、本気で憲法改正する気があるのかないのか、その程度の政党が、どうして「アメリカと対等」と言えてしまうのか、やえにはまったく理解できないのです。
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