昨日の続きというワケでもないんですが、今日はスポーツ省というモノについて考えてみたいと思います。
というのも、昨日の更新を受けて一行ボードでこんな書き込みをいただきました。
前に麻生がスポーツ省(庁)の新設を訴えて、ボロクソに叩かれてたのを思い出した。→リンク
|
なかなか当時の空気というのは覚えづらいモノで、確かに当時あまり好意的には受け止められなかったような記憶がありましたけど、ここまでひどかったとは正直びっくりしました。
もちろんこの記事だけで世論の全てがそうだったとは言えないのでしょうが、でも確かに麻生さんの時の世論のひどさを鑑みれば、これぐらいのバッシングはあったかもしれません。
そしてここのまとめスレを見る限り、あまり建設的な意見というモノも見られないのが残念です。
ので、ちょっとスポーツ省というモノを真面目に考えてみます。
そもそもいまの中央省庁でスポーツというと、どこが担当省なのか皆さんご存じでしょうか?
実は、というほどでもないですけど、文部科学省です。
さらに言いますと、文部省と科学技術庁が合併する前までは文部省の所管でした。
つまり日本においては伝統的にスポーツとは、教育の一環として捉えられていた面が強いと言えるでしょう。
そんな日本の省庁の在り方において、スポーツ省もしくはスポーツ庁でもいいんですが、これを新設する意味というのは、ここに1つあると言えるでしょう。
スポーツという分野が、いまの日本の省庁ではキチンと位置づけられていない、過去においては確かに教育の一環でしかなかったスポーツが、いまでは世界大会も盛んで、見方を変えれば大きな産業・ビジネスの1つでもあるワケですから、この観点からだけを見ても文部科学省が所管するのはある意味得策ではない、専門外の部分が大きいとも言えるワケです。
文部科学省の役人さんは、普段「どうすれば儲けられるか」なんてコトは考えていないでしょうからね。
スポーツを単に体を動かすゲームだけではなく、あらゆる面から総合的に考えるための方策として、スポーツ省というのは検討するに値する案ではないかと思います。
スポーツを発展させるコトはどういうコトなのか。
ここを考えなければなりません。
単に日本のスポーツが強くなり、オリンピックで金メダルを量産して、野球ではWBCで連戦連勝、サッカーW杯も決勝戦の常連になったとしても、それで良かったねだけではあまり意味がありません。
まぁ、国民の盛り上がりを考えれば全く意味が無いとは言いませんが、しかしどうせならこれをもっと活用したいところでしょう。
スポーツはとても裾野の広い分野と言えます。
先ほども言いましたように、スポーツは今ではもはや一大産業です。
オリンピックやサッカーW杯では何百億円というお金が動くように、スポーツほど世界規模で同時にお金が動く産業も無いと言っても過言ではないでしょう。
スポーツは産業の面で捉えられる部分も少なくありません。
また、やはり教育の面もあるというのは言うまでもありませんね。
学校などにおいてスポーツは、子供の成長にとってなくてはならない教育の1つです。
スポーツを通じて人間としての健康の問題とも切っても切れない問題でしょう。
適度な運動こそが肉体的にも、そして精神的にも、健全で健康な人間を作るというコトは誰にも否定できないと思います。
最近は生涯スポーツなんて言う言葉もありますように、年齢を問わず生涯にわたって運動をしようと思っている人は少なくありません。
リハビリの現場や介護の現場でもスポーツは重要な要素の1つです。
さらに、大部分のスポーツは道具を必要としますから、それらに携わる産業もありますし、同じようにスポーツによっては特殊な施設を必要とするモノもありますから、建設や建築の面も無縁ではない分野です。
やえは昔から大好きなんですが、決勝まで残れなかったカーリングにしてみても、日本国内では数カ所しか専用のリンクがないというのは、ちょっと前までよくテレビなんかで伝えられていたところです。
時にスポーツは外交の役割を負うコトもあります。
それは相撲やプロレスのように直接スポーツ自体が外国におもむく場合もありますし、スポーツを通じて人的交流や資金・技術交流が生まれる場合もあります。
話のキッカケになるというのも大きなメリットでしょう。
小泉・ブッシュの野球ですとか、フランスのシラク元大統領は大の相撲ファン(もともと日本通な人ではありますが)だったというのは、やは日本にとってはメリットになったハズです。
時にスポーツがきっかけで戦争になるコトもありましたけどね。
このように、パッと思いつくだけでも、複数の省庁にまたがるようなとても幅広い分野に、スポーツは関わっているというのが分かるコトでしょう。
こういうスポーツの全ての面を見据えて、日本にとってプラスになる戦略を考えて戦術を実行する役割を負った省庁というモノは、決して頭ごなしに否定できるほど軽い存在ではないのではないでしょうか。
うまくいけば大変にメリットが大きな省庁と成り得ると思います。
もちろんこういうのは最もうまくいったときの理想論ですから、これを現実化させるのはいくつもの問題があるのはその通りです。
さっきのスレでは天下りの問題や官僚組織の肥大化の問題が指摘されていましたが、やはりひとつの組織を作り上げれば、組織を運営するための部署が必ず必要になりますから、これだけでも新たな人員は必要になるんだろうと思いますので、そこも含めて考える必要はあるでしょう。
決していま日本がスポーツに対して力を入れているとは言えない状況にありますから、これからもっともっと力を入れるんだというコトになれば、予算の人員も今以上に必要になると言うのは言うまでもないコトです。
また、人間の悲しいサガとして、ある程度の人間が集まれば一定確立でエラーが出る、つまり犯罪などを起こしてしまう人間が必ずと言っていいほど出てきてしまいますから、汚職や無駄などが出てきてしまう可能性は否定できません。
それを0にするコトは、もはや人間には不可能でしょう。
いくら政権交代を繰り返しても、現状を言うまでもなく不可能なのです。
マイナス面も、やっぱり考えればいくらでも出てくるコトは出てきます。
しかし大切なのは、その上で人間が努力してそれらを小さくして行きつつ、本来の目的をどれだけ達成できるかというコトです。
無駄があるからというだけで全てを否定し、結果的に大きなメリットを捨ててしまうのは、あまりにもそれこそ無駄な話なのではないでしょうか。
無駄撲滅こそが全てに優先させられる事項であるなら、官僚組織だけでなく民間も含めたあらゆる人間組織が全てダメな存在になってしまいます。
無駄の撲滅は必要な作業です。
しかし、何が無駄なのかという議論をしつつそれを実行していくのと同時に、というか無駄撲滅とは別で、新しく組織を作れば何が達成させられるのか、どんなメリットがあるのかというところは、シッカリと冷静に議論しなければならないでしょう。
そしてそれが大きなメリットと結論づけられれば、無駄を産まないよう配慮しつつ、そして同時に新たな組織を作るべきなのではないでしょうか。
予算の使い方ひとつとっても、いま複数の省庁にまたがっている予算が1つに集中するだけでも、これは大きな効果が期待できるかと思います。
また今は「文部科学の1つとして」とか「国土交通行政の一環として」とかという付随的にしか考えられていないスポーツ行政が、一元化されるコトによって、本当にスポーツのためにという意識に変えるコトが出来るというのも大きいでしょう。
このように、スポーツ省というのは頭ごなしに否定できるモノではなく、メリットも大きいというコトはキチンと把握する必要があるのではないでしょうか。
そして議論するなら、キチンとメリットも考慮して議論すべきだと思います。
|