☆やえニュース☆

 皇統問題 −ここまでのまとめ−皇統問題 −旧皇族の復帰問題−ひとりが出来るコト、出来ないコト皇統問題 −旧皇族の復帰案−谷垣自民党法的に決まってない

平成22年3月17

 皇統問題 −ここまでのまとめ−

◆いま何が問題なの?
 
 この問題、よく後継者の問題と思われがちですが、実はそれは本題ではありません。
 広義ではもちろん後継者問題ですが、本質的には「神武天皇家が存続できるかどうか」が、この度の騒動の一番のポイントなのです。
 よって、「天皇の後継者を誰にするか」とか「後継者の資格はどうすべきか」とかいう議論はまるで意味のない議論でしかありません。
 まずは「神武天皇家とはなにか」というコトを知り、「どう継承してきたのか」を知るコトが、この問題を議論をする上で最も大切なポイントであり、そしてはじまりなのです。
 
◆男系とは?
 
 一言で言えば「神武天皇家の継承のルール」です。
 このルールは唯一のモノであり、絶対のモノです。
 なぜなら、それは歴史が証明しているからです。
 神武天皇家の家系図である皇統譜を見れば一目瞭然、必ずしも親から子に天皇が継承されているワケではなく、時に「他人と言えてしまうぐらいの遠い親戚の間柄」でも天皇が継承されていますことから見て取れます。
 よって、「神武天皇家の天皇は男系でなければならない」と言え、同時に「男系であれば神武天皇家の天皇に誰でも即位できる」とも言えるでしょう。
 
 ちなみに神武天皇家の男系とは、お父さんのお父さんのお父さんの…が神武天皇とつながるコトができる血筋のコトを言います。
 
◆敬宮愛子内親王殿下(愛子さま)ではダメなの?
 
 現在の法律(皇室典範)では女性が天皇に即位するコトはできないコトになっていますが、神武天皇家のルールで言えば、愛子内親王殿下は男系の血筋となりますので、即位されるコトに問題はありません。
 いわゆる「男系女子」の天皇というコトになります。
 歴史を見ても、過去8人(10代)の女性天皇(もちろん男系です)が存在していますから、前例もあるワケで、まったく問題ありません。
 
 ただし、愛子内親王殿下の子供がお生まれになった場合が問題で、その方は男系の血筋とはなりませんから、神武天皇家の天皇には即位できないコトになります。
 その子は、お母さん(愛子名親王殿下)のお父さんのお父さん…が神武天皇となりますからね。
 ここがひとつ問題なのです。
 
◆なぜ神武天皇家にこだわるの?
 
 日本は世界で一番1つの国家としての歴史が長い国です。
 中国は、中華人民共和国と中華民国は別の国家であり歴史が断絶している国ですが、日本は平成も昭和も明治も江戸時代も戦国時代も平安時代もずーっと同じ1つの国家なのです。
 なぜなら、どの時代も常に日本は神武天皇家を戴く国家だからです。
 日本という国家は、いつも神武天皇家と共にあり、神武天皇家は日本そのものであり続けているのです。
 だからこそ、支配者や政治体制や憲法法律が別のモノになったとしても、日本は常に1つの同じ国家であり続けられているのです。
 
 つまり「神武天皇家を守ろう」というコトは、「世界で最も歴史の長い日本という国家を守ろう」と同義なのです。
 逆に言えば、もし歴史の長さなんてどうでもいいんだと言うのでしたら、ここにこだわる必要はないでしょう。
 やえとしましたら、とてもさみしいコトだと思いますけどね。
 
◆これらは解釈ではなく、動かしようのない事実だというコト
 
 以上のコトは全て事実であり、やえの独自解釈ではありません。
 歴史に裏打ちされた変えようのない事実です。
 ですから、これらと違えるような意見は全てその人の独自解釈です。
 
 もちろん意見を言うコト、解釈をするコトは自由であり、議論においてはもっとも大切なコトではあります。
 しかし事実と全く相反するような意見の場合は、当然事実を優先させるべきでしょう。
 例えば「女系でも天皇は天皇だ」という意見がありますが、その答えとしては「少なくとも神武天皇家の天皇とは呼べない」という答えになります。
 いくら「皇室という聖域に育ってこそ天皇だ」という理屈をこねたとしても、男系でなければ「神武天皇家の天皇」ではないのです。
 これは誰にも変えるコトのできない事実なのです。
 そして同時に、「千年以上続いた神武天皇家の断絶を意味し、日本国家の歴史も一端途絶えてしまう」と言うしかなくなるのです。
 
 繰り返しますが、これはやえの解釈による反論ではありません。
 事実です。
 仮にやえが女系天皇を容認していたとしても、この事実が覆るコトはなく、神武天皇家は断絶してしまいます。
 「やえの解釈上では断絶する」のではないのですから。
 
 
 神武天皇家の皇統問題の基本であり中心である本題は以上です。
 では次回から、どうすれば神武天皇家が継承できるようになるのかというコトを、ここからはやえの意見というコトで述べていきたいと思います。
 
 
 (つづく)
 

平成22年3月19

 皇統問題 −旧皇族の復帰問題−

 男系断絶の危機の今、それを打開する方法として1つの案がクローズアップされています。
 それは、旧皇族の方々に、皇族に復帰していただくという案です。
 今回はこの案について考えてみます。
 
■旧皇族とは
 
 旧皇族とは、それまで皇族であったのにも関わらず、ある理由で民間人になった人や家のコトです。
 当然ですが、その家の男子と当主の子女は神武天皇家の男系となります。
 簡単に言いますと、もし皇籍離脱していなければ、秋篠宮家や三笠宮家と同じように、皇族(皇后・太皇太后・皇太后・親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王(皇室典範5条より))に数えられる存在だった人たちです。
 
 ではなぜ皇族でなくなったのでしょうか。
 それはGHQの命令があったからです。
 
 なぜそのような命令が出たのかというのは、ここでは詳しく説明しません。
 ご興味のある方は調べていただきたいと思いますが、ここで重要なのは、終戦までの明治憲法下では皇族であった方々が、いまは民間人として暮らしている人たちがいる、もしくは民間に下った後に生まれた神武天皇の男系を受け継いでいる方がいるという事実です。
 この方々は、もしGHQが命令しなければ、今でも皇族だった、もしくは皇族として生まれていた方達なのです。
 
 ですから、男系という意味では天皇に即位する資格を持っているワケで、皇統の危機の今、この方々に皇族に復帰してもらい、皇室にもっと厚みを持たせようというのが、旧皇族の復帰問題の意味なのです。
 
■旧皇族が皇族に復帰したらどうなるの?
 
 いまなぜ皇統問題が話題になっているかと言えば、というか正確には悠仁親王殿下がお誕生される前に大騒ぎになったワケですが、なぜなら東宮殿下の次の世代の男系男子が皇室内にいなくなってしまうから、つまり神武天皇家の天皇がいなくなってしまうからという理由でした。
 いまは悠仁親王がいらっしゃいますから、すぐに断絶するというコトはないのですが、しかしもし仮に悠仁親王に男子の子供がお生まれにならなかったら、またこの問題が起きてしまいます。
 ですからここを早い段階で安定的なモノにしようと、いま議論しなければならないのです。
 
 そもそもこの綱渡り状態を無くすために、安定的に皇統を繋いでいくために宮家があるのです。
 一般の家なら養子をとるという手段が使えますが、神武天皇家にはそれは使えません。
 ですから宮家があるワケで、言い方は悪いですが、宮家というのは天皇家のスペアなのです。
 もし天皇ご自身に男の子供がお生まれにならなかった時は、宮家の男子(当然男系の血を継いでいます)に天皇に即位していただき皇統を繋ぐと、天皇の歴史は時にこのような宮家で神武天皇の血を受け継ぎながら千年以上も続いてきたのです。
 ですから、皇統を安定的なモノにしようとするのであれば、宮家をたくさん備えておくというコトが一番であるワケです。
 
 いま、東宮殿下の世代の宮家は、いよいよ秋篠宮家だけになってしまっています。
 これではスペアとしては不安が大きいと言わざるを得ません。
 しかも悠仁親王殿下が天皇に即位される時代が来た時は、同世代の宮家は0になってしまいます。
 これは大変に不安定です。
 ですから、戦前は皇族だった家に、今一度皇族に戻っていただき、有事の際には天皇のスペアとして機能していただくと、こういう考えが旧皇族の復帰の案なのです。
 宮家が多ければ多いほどよいワケで、例えば悠仁親王殿下に男の子の子供がお生まれにならなかったとしても、宮家の男が天皇を継承できるので、神武天皇家は安泰だと言えるようになるワケなのです。
 
■600年も遡らなければならない問題
 
 以前とりあげました「バイパス論」は、この旧皇族の復帰問題にからむ問題です。
 先ほど述べました「旧皇族」は、具体的には(皇籍離脱後断絶した家をあわせて)11家あるのですが、これらの宮家は、実は今上陛下と共通の祖先をたどるには600年もさかのぼらなければつながらないのです。
 どういうコトかと言いますと、以前に継体天皇の例を出しましたが、継体天皇はご自身の父君もそのまた父君も天皇ではなく、継体天皇とその先代である武烈天皇との共通する祖先は4世代前の応神天皇までさかのぼるというお話をしました。
 これと同じように、今上陛下と旧宮家の方々の共通の祖先は、600年前の皇族である伏見宮貞成親王という方になるワケなのです。
 伏見宮貞成親王の子供がそれぞれ宮家をつくり、そのまま別れて時代が下っていって、今上天皇家と旧皇族家とが続いているというコトです。
 そしてバイパス論を唱える人は、こんなにも離れていては天皇に即位する正当性はないと、そう主張しているワケです。
 
 しかしこれを唱える人は、ある大きな事実をひとつ忘れています。
 それは、戦前の明治憲法下では、これらの方々にも皇位継承権があったという事実です。
 つまり、600年離れようがなにしようが、つい60年前の戦前の日本では、これらの方々も天皇に即位する可能性はあった、正当に権利を有していた、皇位継承権を持っていたというコトなのです。
 それは明治時代での皇室典範を見れば明らかです。
 
 その上で、明治憲法下での皇室と、GHQが作り上げた今の皇室、果たしてどちらが伝統的な日本もしくは皇室に近いと言えるでしょうか。
 こんなの考えるまでもなく、明治憲法下の皇室のあり方が、伝統的な日本のあり方ですよね。
 600年離れていようと男系である以上は天皇に即位できる資格を持っていると、明治時代やそれ以前の日本においては、皇室の方々や政府高官、そして日本国民もそのように認識していたと考えるのが自然でしょう。
 つまりGHQにいじられた現代が日本の歴史で言えば変なのです。
 エラーなのです。
 逆に言えば、このバイパス論をもって批判している人というのは、明治時代の日本人の考え方をも否定する解釈と言わざるを得ません。
 600年離れていては権利はないと言っている人は、千年以上の歴史の中のたった60年だけの常識だけで断じようとしてしまっているのです。
 これに違和感を覚えないのでしょうか。
 
 そしてこの人達に聞きたいのですが、なにをもって、どのような論拠で「600年前にさかのぼるコトはダメだ」と主張するのか、まるで分かりません。
 まだ江戸自体の風潮を色濃く残していた明治自体には問題ないとされていた、もちろんそれ以前の時代でも問題ないとされていたコトを、どのような理由で今になってダメだと言っているのか、600年なんて数字の上だけの印象論以外でキチッと説明してもらいたいモノです。
 
 歴史を紐解けば、かなりの年月をさかのぼらなければならない間柄でも継承された天皇の例はたくさんあります。
 それを考えるなら、前例のない女系という方法を採るよりも前例のある方を採る方が、まったくもって自然だと言えるハズなのです。
 前にも言いましたが、前例のない女系を容認させるために前例のある方法を批判しても、女系容認の説得力なんてまるでありません。
 この「バイパス論」も、もはや言いがかり程度のメチャクチャな話でしかないのです。
 
■君臣の分義
 
 昔は宮家だったけど今は一般人として生活している、こういう人たちを簡単に皇族にしたら臣君の分義、皇族と一般人との違いが曖昧になってしまう。
 こういう意見があります。
 確かにこれは考えなければならない問題です。
 あまりにも簡単に一般人が皇族になってしまえば、では皇族とはいったいなんなのかという根本的な問題に当たってしまいますから、ここの差と言いましょうか違いというモノは、明確に線を引いておくべきだというのは確かです。
 
 しかしこれも、前例が無いというコトではありません。
 過去の歴史を紐解けば、一度臣籍降下した後にまた皇族に復帰したという例は、けっこうあります
 もちろん原則は禁止にすべきですし、それを簡単に許しては、臣君の境界線があいまいになってしまいかねません。
 ただし考えなければならないコトは、今は神武天皇家のピンチだという特殊すぎる事情です。
 そしてそもそもいまの旧皇族家達はGHQの命令という、日本の歴史とは関係の無い外部の圧力によって降下させられたという事情を鑑みれば、特例として復帰させるに十分な説得力があるのではないでしょうか。
 やえはそもそも日本が主権を回復した当時にすぐに復帰させるべきだったとは思いますが、今更それをいってもはじまりませんから、神武天皇家のピンチの今こそ、復帰させる時期が来ていると言えるのではないかと思います。
 
 ただし、旧皇族の人たちは、生まれた時にはすでに一般人だったという人も、いま多くいます。
 ですから、こういう人たちがいきなり天皇に即位するというのは、やはりどうしても違和感は拭いきれないでしょう。
 過去には継体天皇のようにいきなり天皇に即位した人もいらっしゃいますが、まぁ違和感があると言えばあります。
 
 ですからやえは、以上のコトを踏まえて、次のような旧皇族の復帰を提案したいと思います。
 
 
 (つづく)
 

平成22年3月23

 ひとりが出来るコト、出来ないコト

 ちょっと気になりましたので、今日は御意見板のレスに対して、やえの思いを述べておきたいと思います。
 それはですね、皇統の問題について「ここで出来るコトはない」というような書き込みがありましたモノで
、気になったワケなのです。
 ここで議論しても何も現実は変わらないんじゃないか、または、やえがいくらサイトで主張しても結局どうにもならなかったじゃないか、というような感じです。
 そしてこれは、皇統の問題に限らず、思想や政治の問題においても、よく出てくる話ではあります。
 
 特に政治の問題においては、日本は民主主義政治ですから、国民ひとり一人が主権者であり当事者であり決定権者です。
 ですから、成人さえしていれば(もちろん日本国籍の人に限るのは当然です)誰だって政治を変えられる権利は持っているワケです。
 しかし実際のところ、それを実感するコトは少ないと言えるでしょう
 それはなぜかと言いますと、自分だけの一票では、劇的に政治関わるコトはまずないからです。
 例えば先の衆議院選挙で、仮に自分が投票に行かなくても、例えみんなの党辺りに入れていたとしても、その程度の違いで民主党の勝利は変わらなかっただろうと、自分だけのレベルで考えるなら、そのように思うコトでしょう。
 そしてそれはあながち間違いではありません。
 もちろん選挙は一票一票の積み重ねですから、それを言い出したら制度そのものが崩壊してしまいますが、ミクロの話で言えばこの考え方は完全に間違いとは言えないモノがあります。
 だから自分一人の力では政治を動かすコトはできないと、そう思ってしまうワケです。
 
 しかしこれはある意味当たり前の話です。
 基本的に民主主義政治は年齢と国籍の条件が合えば誰でも政治の権利を有するという制度ですから、誰かに多くの権利があって、誰かの権利は少ないというのは、これは不公平でしょう。
 例えば試験とかがあって、結果によって権利の大小を決めるという制度があるのであればある程度納得できるかもしれませんが(それを民主制普通選挙と呼ぶかどうかはともかく)、いまはそのような制度はないですから、それで権利の大小があるのは理由がつきません。
 ですから結局「みんなに一票」となり、結果として「自分一人では何かが出来る実感がない」となってしまうワケです。
 これは制度上仕方のないコトです。
 
 基本的には自分ひとりの力というのは、選挙の一票しかあり得ません。
 そしてそれは民主政治である以上、それに満足するのが民主主義国家の国民としてはあるべき姿だと言えるでしょう。
 
 その上でもし、それ以上の力と言いましょうか影響力を持ちたいのであれば、ある程度の覚悟や責任やリスクを負う必要があります。
 例えば選挙に立候補するコトです。
 国会議員になれば、一国民よりも大きな影響力を持つコトが出来ますが、同時に一国民よりも大きな責任や覚悟やリスクを負わなければなりません。
 またテレビに出るとか本を出すとかいう方法でも、一国民以上の影響力を持てる可能性もあります。
 しかしやっぱりこの場合でも、多くの人に意見を言うコトへのリスクを伴いますし、それでお金を得るというコトは生計を立てなければならないというリスクでもあるワケです。
 また議員になるにしても有識者になるにしても、ある程度の実力や努力そして運なども必要なワケで、そういうコトも併せてリスクを負っているからこその影響力と言えるでしょう。
 
 やえなんかもある程度のリスクは負っていると言えます。
 サイトを開いて思想を主張している以上、誰からの批判でも受ける可能性はありますし、その覚悟は持っています。
 実際いままで多くの人やサイトさんに批判され、議論になったコトがあります。
 もちろんネットのサイトですから、その気になれば逃げるコトは出来ますが、掲示板で名無しさんのまま議論するよりは責任をとるべき立場とは言えるでしょう。
 そう考えたとき、そのぐらいのリスクを負っているから、そのぐらいの影響力だと言えるのではないでしょうか。
 言うまでもなくやえには政治家並みの影響力はありませんし、テレビにより出る人やよしりん先生や文筆家などと比べるまでもなく影響力はありません。
 それは、やえの様々な実力が足りない結果でありますし、そしてリスクを負っていない結果でもあります。
 でも、ネットの中でほどほどの影響は与えられる、少なくとも過去においては人権擁護法案の時のように結構な影響を与えうるぐらいの活動はしてきているつもりですし、いまはそれなりの人数に当サイトは見てもらっていますから、それだけの人数分は影響力があると言ってもいいんだと思っています。
 昨日今日はじめたブログよりは影響力はあると言っていいでしょう。
 この辺人間社会とはなかなかバランスがとれているなぁと思わなくもありません。
 
 当然当サイトもサイトを始めた時はとても少ない人数しか訪問者はありませんでした。
 しかしそれなりに努力とリスクを負ったから、それなりの影響力を持つコトが出来たのです。
 自分がどの立場で何をどこまで成し遂げたいのかというのは、人それぞれ考え方があると思います。
 ただ、全くリスクを負わないのに影響力だけ持ちたいというのは、勝手我が儘な願望でしかないのではないでしょうか。
 名無しのまま批判されればすぐ逃げられるネットの海の中のさらに便所の落書きとも言えるところで自作自演に明け暮れるだけで具体的に現実の政治を動かそうなんていうのは、とても身勝手な願望だと思いますし、民主主義政治にとっては危険とも言えると思います。
 そういう活動がダメとは言いませんし、それが楽しいという人もいるというのば事実ですから否定しようと思いませんが(もちろん犯罪はダメですよ)、いつでも逃げられるようなリスク0の状態で政治をも動かしたいと思うのは勝手すぎると思います。
 良質な思想や言論は、それなりの責任があってこそ生まれるモノです。
 匿名が可能なネットだって、影響力に見合う責任とリスクがあってこそではないでしょうか。
 
 ネットは、いままでになかったチャンスを得られる媒体です。
 もしネットがなければ、やえはいまのような主張すら公の場で出来なかったのですから、0と1という比べものにならないほどの開きがあるのです。
 だからもっともっとネットを、責任ある使い方をして、発展させるべきではないかとやえは思います。
 
 結局政治を動かす最も大きな力というのは世論です。
 しかし世論というのはある意味生き物であり、何かをしたら簡単に操作できるような簡単なシロモノではありません。
 そしてそれは邪道です。
 もし世論を動かすなら、キチンとひとりひとりが政治を理解した上で、自立的に判断する、中身を把握してから、それぞれが行動してほしいと思っています。
 そのための思想なのです。
 皇室典範でも法案でも、もしかしたらやえが望むような結果にはならないかもしれません。
 それはやえの力不足という面は否定しません。
 しかしだからといって強引な手を使おうとは思いません。
 それが高じればただのテロルになりますからね。
 あくまでやえは、自分が正しいと思う思想を世に問い、それを読んでもらって納得し理解してもらう。
 そしてその人数を増やしていくコトが、もっとも正しい影響の与え方だと思っています。
 だからその方法から外れようとは思いません。
 
 思想を書いて、読んでもらって、理解してもらう。
 これこそが当サイトの存在意義です。
 人によっては意味のないコトに映るかもしれませんが、しかしひとりでも当サイトを読んでくださる方がいるのであれば、それは全く意味のないコトではありません。
 誰か他人に影響を与えられるというのは、とても素晴らしく、すごいコトだと思います。
 
 そしてやえが望むのは、もっともっと良質なサイトやブログが生まれるコトです。
 もし当サイトの掲示板の議論が意味のないコトだと感じるのであれば、ぜひ自ら固定のハンドルネームをつけて自分のサイトでもブログでも作って、自分の理想とする思想を語ってください。
 それを読んでくれる人に影響を与えてください。
 それはとてもとても価値のあるコトだと思います。
 

平成22年3月25

 皇統問題 −旧皇族の復帰案−

■旧皇族復帰の問題点の整理
 
 旧皇族の方に皇族に復帰していただく場合の問題点をここで整理しておきます。
 主に以下の3点が中心だと思われます。
 
1.旧皇族の人たちは今上天皇との血縁上の縁が遠いので、もしこの血縁の方が天皇に即位しても違和感がある。
2.60年近く民間人として暮らしてきた人、また生まれたときにはもう民間人だった人が、天皇に即位するのは、臣君の分義が崩れてしまう。
3.復帰を受け入れてもらえないかもしれない/強制はできないのではないのか。
 
■強制はできないでしょう
 
 まず3についてですが、これについては納得してもらう努力をするしかないとしか言いようがありません。
 仮にもし1人も復帰に同意しないとなれば、これは手がもう無くなってしまいます。
 いまのところ悠仁親王殿下がおいでですから、即断絶の危機はありませんし、もし悠仁親王殿下に男の子がたくさん誕生されればそれはそれで安定化に向けた一歩だと言えますから、まだ悲観する場面ではありません。
 もちろん宮家が増えるコトが望ましいですが、しかしもし断られたら、それを法律などで強制するコトはさすがに難しいでしょう、ここで手はなくなってしまいます。
 やえの案ですと、もし3がダメなら手詰まりです。
 
 よって、3はクリアできるモノと仮定して話を進めていきたいと思います。
 
■旧皇族の方に復帰してもらい、皇族内で婚姻していただく
 
 1と2を同時に解決するために、やえはこのようなシナリオを考えています。
 すなわち、旧皇族の方に皇族になっていただき、そしていま皇族の方の内親王、愛子殿下や眞子殿下佳子殿下ですね、とご成婚していただくのです。
 そして同時に、今現在の旧皇族の方には皇位継承権は与えない、もしくは後に方にしてもらって、こちらの男系血族から天皇に即位していただく場合は、その子供からなっていただく、というシナリオです。
 こうするコトで、今上陛下との血筋が遠いという、これは単にイメージの問題ですから(男系的にはいくら離れていても問題はないですからね)ここが解決され、また民間で長く生活していた人が天皇に即位するコトはなくなりますし、さらにそのまだ見ぬ新しい親王殿下は皇室生まれ皇室育ちですから「聖域」で育つことにもなって、臣君の分義もキチンと分かれれるようになります。
 これで全ての問題は解決したと言えるのではないでしょうか。
 
 ちょっと分かりにくいかもしれませんので、具体的な例を挙げてみましょう。
 まず、旧皇族の方が皇族に復帰したとしても、悠仁親王が東宮殿下の次の世代の皇位継承権1位というのは変わりません。
 そして、悠仁親王に男の子供がお生まれになれば、その子が次代の東宮や天皇に即位され、これがずっと続ければそのまま直系で繋がればいいでしょう。
 ただし、問題なのは悠仁親王に男の子供がお生まれにならなかった場合です。
 この場合を危惧して旧皇族の方に復帰していただくワケですが、しかし世代的に見て、相当先のお話になるのは言うまでもないコトです。
 ですから、皇族復帰が果たされても、タイミング的に今民間人でいらっしゃる旧皇族の方が天皇に即位するコトはあり得ません。
 あり得るとしたら、旧皇族の方と愛子殿下や眞子佳子殿下とのお子様か、さらにその下の世代になるでしょう。
 つまりそのまだ見ぬ親王殿下は、生まれも育ちも皇室皇族なワケで、現代の天皇に相応しい方達と言えるワケなのです。
 そしてもちろん、天皇のスペアとして、旧皇族の方と愛子殿下や眞子佳子殿下とのお子様には、新しい宮家として天皇をお支えしていただきたいと思います。
 
 まずこれをキッカケとして宮家を増やし、その後子供が増え世代が増えれば、確率上は子供を3人産んでいただければ宮家は増え続けるコトになり、イコールで皇室の安定に繋がるというワケなのです。
 
■側室制度について
 
 例えば側室制度の復活の話はよく出るところですが、やえ個人としてはそれでもいいと思いますけど、さすがに現代ではこれはかなり難しいでしょう。
 ただ、側室制度はあくまで手段であって目的ではありませんから、ここを達成できるかどうか、またここの国民的理解がどうだとかいう話は、本題ではありません。
 側室制度は国民の理解が得られないから復活できない、という論は、男系で繋ぐという意味において国民の理解は必要ないという論とは矛盾しません。
 手段と目的をごっちゃにしてはいけません。
 
 ですから、この辺、どうしても「頑張って男の子を産んでいただく」としか言いようのないところではあります。
 いつの世も、こういう立場の方はお世継ぎを生むのも仕事の一つですし、そのお立場にはおかわいそうだと同情を禁じ得ませんが、しかしそういう立場だとしか言いようがありませんので、子だくさんになっていただくか、確度の高い産み分けをしていただくか、国民の立場としてはお願いするしかないでしょう。
 
 
 以上、いまのところやえが考えている皇統の問題と解決案です。
 最初にも言いましたように、この問題は、神武天皇家をいかに存続させるかという点のみが問題です。
 天皇という制度をどうするか、また天皇という存在はそもそも必要なのかという点は、まったく議論には関係のない話であり、別議論です。
 やえはまずは神武天皇家の存続が議論の第一であると考え、それが達成させられるためには、前例に基づいて、岩にかじり付いてでも存続させるべきだと思っています。
 
 みなさんの意見や疑問があれば是非お聞かせ下さい。
 

平成22年3月29

 谷垣自民党

 鳩山弟さんの一連の行動は、誰がどう見ても独り相撲で、はじめから自民党の誰からも相手にされていなくて、相手をしていたのはマスコミだけでしたというオチでしたが、しかし「自民党の存在感がない」という話はあちこちでよく聞きます。
 それはだいたいにして、鳩山内閣の支持率が落ちまくっているのに、対する自民党の支持率が上がるワケでもない、という感じで語られますね。
 鳩山弟さんなんていうのは、それに煽らせすぎで焦りすぎて自爆してしまったのでしょう。
 
 しかしやえは思うのです。
 それはさすがに早急すぎる気がします。
 郵政解散の後の民主党も散々で、しばらくは空気のごとく存在感がありませんでした。
 それでもいま政権をとっているワケですが、その間には実に4年の年月もかかったワケです。
 それに対し今の自民党は、選挙に負けてまだ半年です。
 確かにあと3ヶ月ほどで参議院選挙がありますが、この段階で「存在感がない」とか言ってしまうのはさすがに早すぎるのではないでしょうか。
 
 まぁ政党に対する評価は人それぞれですから、それに対してやえがこれ以上どうこう言おうとは思いません。
 結局政党の価値というのは政策にかかっているワケですから、やえは中身こそをじっくり見て判断するべきだと思います。
 そういう意味で、いまの鳩山内閣はマイナス点をいくらつけていいのか分からないぐらい最低最悪な内閣ですし、民主党支持者や民主党所属議員の、自民党を叩けば支持率が回復すると思い込んでいるような批判というのは、見るに堪えません。
 どちらかと言えば「自民党に存在感がない」というセリフも、この一環にしかやえには見えないワケで、むしろ自民党には存在感が無くなってほしいと願う民主党側の願望なのではないかと感じてしまいます。
 
 政策については個別具体的に、政党に関わらず今後もやえは取り扱っていきたいと思います。
 ただ、存在感がないと言われている自民党総裁の谷垣さんの姿勢について、やえは1つ素直に評価したい部分があります。
 それは、民主党のように、なんでもかんでも難癖をつけて罵詈雑言与党に対して批判をして自らをアピールするという手法を用いていないところです。
 
 郵政選挙で負けてから、民主党の批判の姿勢は本当にひどいモノでした。
 それはおそらく存在感の喪失に焦り、とりあえずなんでもいいからマスコミに取り上げられようとした結果なのでしょうけど、その結果として出てきたモノと言えば、麻生さんに対するカップラーメンの値段の質問とか、漢字クイズとか、全く政治に関係のない批判にすらなっていないイチャモンでした。
 しかしそれでもマスコミは民主党をピックアップして応援してしまい、それで民主党はどんな程度の批判でも、批判すればマスコミが取り上げてくれると味を占め、どんどんエスカレートして最終的にはこんなコトになってしまったワケです。
 それに同調した国民も少なくないというのも、大きな問題ではあるワケですが。
 
 結果的に民主党はこんなひどい手法で政権をとったワケですけど、しかし谷垣自民党はこの手法をいまのところとっていません。
 これはやえは評価していいポイントだと思います。
 結果として自民党自体の存在感が薄くなっているというのは否めませんが、キチンと政治を真面目に見るのでしたら、これは素晴らしい姿勢だと思います。
 また谷垣総裁だけでなく、国会の委員会等を見れば、自民党の議員さんの質問はとてもレベルが高く、大臣達は官僚に頼りっきりだというのがとても表れています。
 本来国民は、政治に対してこういうところをしっかり見て評価すべきなのではないでしょうか。
 
 繰り返しますが、政策についてはそれぞれ個別具体的にこれからもやえは政党を問わず扱っていきたいと思っています。
 ただ、いままでの民主党のあまりにもひどい政治に対する姿勢を批判していた身としては、当然もし同じ態度を自民党がとるのでしたら批判すべきですし、するつもりですが、しかし今のところ谷垣自民党はそれをしていないのですから、これは評価するのがフェアだと思ったので、それを表明しておこうと思いました。
 谷垣さんは地味だ地味だと言われますが、本来政治は目立つコトが目的なのではありませんから、むしろ特に民主政治は国民が自らの能動的に政治に参加すべきなのですから、政治家が政治を行っている様を自らの意志で見ようとしてその結果を評価するのが正しい姿でしょう。
 地味だとか、存在感がないだとか言うのは、本来政治に対する批判ではないハズなのです。
 

平成22年3月30

 法的に決まってない

 この発言1つだけでも十分「歴代最低総理」と呼んでも差し支えないと思います。
 というか、ぶっちぎりです。

 普天間「『今月中』と法的に決まってない」29日の首相
 
 ――政府案をそろそろしっかりまとめたいというのは一つの政府案を今月中にまとめるという考えでよろしいか。
 
 「まあ、今月中じゃなきゃならないとかいう、そういう、ことは別に法的に決まっているわけじゃありません。ただこの、あと2カ月という時期でありますから、そのような判断の中でまとめていきたいと思っていますし、そのような時期になってきていると思います」

 ここまで開き直れるというのは、ある意味人生を楽しんでいると言えるのかもしれません。
 周りを不幸にしても、自分だけは幸せになれるワケですからね。
 やえとしては絶対に友達になりたくないタイプですが。
 
 それにしてもすごいです。
 自分で「今月中にまとめる」と言っておいて、ギリギリになってそれを問い詰められると、「法的に決まっているワケじゃない」と言っているワケです。
 確かに、確かにですよ、確かに法的に決まっているワケではありません。
 しかしなぜ今月中だったかと言えば、それは鳩山総理が自ら自分でそう言ったからに他なりません。
 それを今になってなんですか。
 守れないからと言って「法的に決まっていない」なんて、三沢が川田に放った3連発投げっぱなしジャーマンスープレックスより責任を投げ飛ばしてしまっています。
 
 そもそも言ってて恥ずかしくないんですかね、鳩山総理は。
 どうして人間の発する言葉が即法律になってしまうのでしょうか。
 ……えーと、自分で書いてて何を言っているのかよく分からなくなってしまいましたが、そもそも鳩山総理の発想がそもそもよく分からないので、こんなコトになってしまっています。
 鳩山総理の言い分を飲むのであれば、「法的に決まっていなければ何をしてもいい、何をやぶってもいい」というコトになりますが、となれば、人間が発する言葉に対する責任は、その言葉が即法律になるか、全く責任など考えなくていいのか、このどちらかしか考えられません。
 
 いやー、やっぱり自分で書いてて、何を言っているのか自分でもよく分からなくなっちゃいます(^^;
 
 民主党は麻生さんが総理の時に、定額給付金を受け取るかどうかでブレたブレたと大騒ぎしました。
 しかし当時もやえは書きましたが、そんなの非常にどうでもいい話です。
 少なくとも、麻生さんが定額給付金を受け取っても、受け取らなくても、国政にはなんら影響のでない非常に小さな問題、くだらない問題です。
 一方今回の鳩山総理のこれはどうでしょうか。
 説明するまでもなく米軍基地問題は日米同盟に直結する問題であり、国益に直撃ドキュンなとてもとても大きすぎる問題です。
 というか、ここまで国益に直結する問題というのも珍しいと言えるぐらいでしょう。
 このように同じ「ブレた」と言っても、その内容は天と地との差があります。
 「法的に決まっていない」などと、もはや人間的にブレていると言っても過言ではない鳩山総理ですが、いったいマスコミと国民はいつまでこのような人間を総理にしているつもりなのでしょうか。
 
 おそらくこれは、民主党はマニフェストなど守るつもりはないというコトなのでしょう。
 だってマニフェストも法的に決められているワケではありませんからね。
 もしかしたら今回の鳩山総理のこの発言は、その前置きだったのかもしれません。
 だとしたら相当策士と言えるかもしれません。
 
 最悪の方向のですが。