☆ 過去ログ ☆

 全ての意見は主観です。 / 鳩山総理辞任! / 新しい総理はだれに? / 菅首相誕生 / 菅内閣発足前夜 / 政調復活夜 / タレント候補と二世候補 / 選挙のコトしか頭にない民主党 / ロマンチストな日本人 / 予算委員会すら拒否し、ひたすら「菅隠し」「キャミソール隠し」する民主党


平成22年6月1日

 全ての意見は主観です。

 ごめんなさい、今日はさらに時間がないので、ちょっとだけ。
 
 全ての意見は主観です。
 誰の意見だって、それはその人の様々な解釈によって生み出されたモノなのですから、主観です。
 主観でない意見などありはしません。
 
 逆に、事実だけを述べている客観的な文章や言葉というのは、それは意見ではなく、記録と言った方が適切でしょう。
 事実の羅列という作業は、誰が行おうと基本的には同じモノしか生み出さない作業であり、当然主観は入り込む余地はありません。
 議事録や委員会の動画など、別にやえが速記録を起こそうが、やえがビデオカメラを回そうが、その内容は全く違いはありませんよね。
 だからこその客観性なのです。
 そしてそれを記録と呼ぶのです。
 これを意見と呼ぶ人はいないでしょう。
 
 その一方、意見の正当性とは、主観が入り込んでいるかどうかではありません。
 さきほど言いましたように、主観のない意見などありはしませんからね。
 一番大切なのは、論拠があるかどうかです。
 論拠がみなを納得させる材料であれば、その意見は多くの人に認められやすい意見になると言えるワケです。
 結論が自分には納得できないモノであっても、論拠が納得できるなら、結論も納得せざるを得ないというのが主張というモノなのです。
 
 論拠については、時に客観性が必要な場合があります。
 「自民党議員と民主党議員、どちらが優秀か」という議題に対し、もし論拠もなしに「自民はダメだ」とだけ結論を言うのであれば、それは論拠のない、言わばただの放言や暴言の域を出ないモノになってしまいます。
 もしくは悪口ですね。
 しかしここに論拠を示せば、それは意見になります。
 「この議事録を読めば、自民党議員の見識の深さが明らかであり、また民主党の大臣の答弁の稚拙さが浮き彫りになっている」と言えば、ひとつの誰でも検証可能な客観性のある材料が提示されるコトによって、結論の説得力を増すワケです。
 意見とは、結論が大切なのではなく、論拠が大切なのです。
 
 こんなのは難しく言うまでもない、ごくごく基本的なお話です。
 「ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、どっちが強いのか」という命題があるとします。
 もしこれを「猪木の方が強いに決まっているだろバーカ」とか言ってしまうと、それは全く論拠のない、ただの暴言でしかなくなります。
 しかし、「○○年○月○日、実際にこの二人が戦い、馬場が勝っている。そのときの映像も残っている」と論拠を示せば、とても説得力を持つ意見となるでしょう。
 さらに言えば、こう論拠を示すコトで、「いやしかし、翌年にも戦っているがそのときはドローだった。その試合だけで勝敗を決めるのは早計だ」とさらなる反論を誘発するコトもでき、有益な議論が期待できるワケです。
 議論とはこうやって続けていくモノです。
 
 議論において大切なのは、結論ではありません。
 議論とは、結論に反論するモノではなくて、論拠に対して反論してこそ、議論は議論として存在し得るのです。
 結論だけの言いっぱなしは、ただの放言です。
 それに論拠を加えれば、主張となります。
 しかしそれをさらに発展させるために議論するのであれば、論拠に対して反論してこそ議論たり得るのです。
 
 やえの「これくらい自民党議員なら誰でもできる」というのは主張です。
 主観です。
 しかし、これはやえの主張に限らず誰の主張だって当たり前の話であって、主張が主観だからと言って、その中身の正当性、論拠の妥当さが崩れるというコトにはなりません。
 つまり、「やえの主張は主観です」と書いたところで、それがイコールで「やえの主張は間違っている」とつながるワケではないのです。
 なにやら「主観」という言葉だけですべてが決まったかのように言葉尻をとらえて喜んでいる人が一部いるようですが、残念ながら主観であるというコトが「これくらい自民党議員なら誰でもできる」という主張を否定する材料にはさっぱりならず、それはあまりにも滑稽すぎる姿としか言いようがありません。
 むしろ「これくらい自民党議員なら誰でもできるワケないだろ」という意見も、これもやっぱり主観ですよね。
 やえの主張を主観だという理由だけで否定できるのであれば、その意見だって主観でしかないのですから、やはり全く無意味な意見でしかありません。
 つまり主張の正当性は主観かどうかではないのです。
 大切なのは論拠があるかどうか、その論拠がシッカリしているかどうかであって、もしやえの主張をどうしても否定したいなら論拠に対してそこを論破する必要があるのです。
 いくら主観だ主観だと言っても、やえの言葉は日本語だ日本語だと言ってるのと同じぐらい、当たり前すぎる意味のない論拠にはまるで関係ない戯れ言でしかないのです。
 
 やえは論拠をキチンと述べています。
 それに対し、もしやえの主張に反論するのであれば、論拠に対して反論しなければまるで意味がないのです。
 自民党には部会などのシステムがあって、多くの議員が、しかも官僚の力を借りずにとても具体的な申し入れ文書を作って政府に提出したという事実や、その申し入れ文書そのものの完成度、またそもそも江藤拓先生が「自民党No1と呼ぶのに本当に違和感はないのか」というコトや、委員会の答弁を見れば明らかに自民党と民主党の議員に力の差があるというコトについて今まで述べてきたワケですが、反論するのであればここに反論しなければ意味がありません。
 主張が主観であるのは当たり前です。
 そうではなく、論拠に説得力があるかどうかが主張の価値になるのです。
 もし主張に価値が無いと思い、それを本人や第三者に広く示したいのであれば、ただ「違う」というだけではなく、論拠に対して具体的に反論しなければなりません。
 論拠こそが主張の柱なのですから。
 それ以外は全てレッテルとしか言いようがありませんし、言いっぱなしの放言でしかありません。
 
 別にやえは自民党が民主党がと言うつもりはありません。
 もし民主党が本当に素晴らしい議員ばかりで、日本のために働いている、それが実際に力になっているというのでしたら、やえとしても大歓迎です。
 ぜひそうなってほしいです。
 でも現実は残念なコトにそうではないと、やえは断じざるを得ないのです。
 もしどうしても「民主党の議員は素晴らしいんだ」とか、せめて「自民党議員と同レベルだ」と言いたいのであれば、やえの「これくらい自民党議員なら誰でもできる」という言葉を否定したいのであれば、どれぐらい民主党議員のレベルがあるのかを、具体的かつ客観的な論拠を話してほしいです。
 結論だけの言いっぱなしな主観丸出しの主張はもういりません。
 論拠を早く示してください。
 やえは是非、民主党のすばらしさを聞いてみたいです。
 その論拠を聞かせてください。
 本当に民主党が素晴らしい政党である、それはパフォーマンスではなく政治の実効性の部分で素晴らしいのであれば、ぜひ教えてください。
 やえはとても期待しています。
 よろしくお願いします。


平成22年6月2日

 鳩山総理辞任!

 というワケで、みなさんもうご存じかと思いますが、鳩山総理が民主党の両院議員総会内で総理大臣の職を辞任すると表明しました。
 正直やえは、鳩山総理の鈍感力をもってすれば、参議院選挙までは総理を続ける、選挙に負けてやっと自分の無能さに気付くと思っていたので、ちょっと意外でした。
 さらに小沢民主党幹事長も辞任を求め、それに成功したというコトですので、自らの職をも賭けた自爆テロが成功したというコトになるのでしょう。
 
 今後は「次の総理は誰か」というコトに注目が集まるかと思いますが、しかしその前にキチンと言っておかなければならない、国民も認識しておかなければならないコトがあります。
 それは、いくら鳩山氏個人が総理の座から退いても、鳩山氏が総理の時に決定したコトは、次の総理も履行する義務があるというコトです。
 総理という職は、個人がどうこうではなく、それは「日本国として」という意味を持ちます。
 よって、いくら総理が代わろうとも、政権政党が代わろうとも、総理が総理として決定したコトは、日本国として決めたコトであって、それをずっと履行していかなければならないというコトなのです。
 
 例えば、鳩山イニシアティブと言われているCO2を25%削減するという国連での宣言や、言わずもがな、沖縄の米軍基地問題など、「負の遺産」を鳩山総理はたくさん作りました。
 鳩山総理は辞任表明の際に、「これらかも県外移設を目指していかなければならない」とか言ってましたが、自民党原案では2014年に普天間基地の返還は日米で合意されていたワケで、それをひっちゃかめっちゃかしておいて混乱させただけで、これをどう修正していくのか、ただただ鳩山総理は将来に禍根を残しただけとしか言いようがありません。
 今後もこの問題も米国政府、そして地元の方々と厳しい折衝を続けていかなければならないワケで、このメチャクチャにしてしまった責任は、総理の職を退いたとしても、決して拭えるモノではないでしょう。
 鳩山イニシアティブもどうするのでしょうか。
 前に進むにしても、撤回するにしても、日本にとって大きな負債になるのは確実です。
 史上最低の総理大臣だった鳩山総理が辞任してくれたコトは、これ以上傷口が広がらないという意味で歓迎すべきコトですが、この負債をどう返済していくのか、国民は今こそ考えなければならないでしょう。
 
 そしてもう1つ。
 これは民主党政権が出来た直後にも言いましたが、そもそも民主党は、自民党政権時に「衆議院選挙を経ていない総理は認められない」と主張していたワケですから、よもや新しい総理は普通に総理としてやっていくつもりはないですよね。
 民主党が主張した通りであれば、新しい総理は選挙管理内閣というコトで、国会閉会後即刻衆議院を解散し、総選挙を実施しなければなりません。
 でなければ、「政権のたらい回し」は民主党自身というコトになります。
 
 もちろん、議院内閣制の原則から言えば、総理大臣が衆議院選挙を経なければならないというコトはありません。
 本来このような主張は、まったく根拠のない、バカバカしいモノでしかありません。
 しかし民主党は、そんなバカバカしい主張を大まじめで言っていたのですから、それは自分たちは当然守らなければ、無責任と言われても仕方ないコトでしょう。
 ですからやえは、これから総理になる人が民主党議員であれば、その立場に正当性は無いと言うしかありません。
 ウソの上に成り立っている、ウソ総理だと言うのが妥当でしょう。
 
 政権交代という言葉に踊らされて負ってしまったツケを、国民はまだまだ払い続けなければならないのです。


平成22年6月3日

 新しい総理はだれに?

 早くも明日新しい総理が決まるようですが、誰がなるのかやえにはよく分かりません。
 順当に行けば菅直人副総理なんでしょうけど、ここにきて小沢一郎が「管はダメだ」とか言いだしたとかいう情報もあり、今日一日の動きでどうなったのか、なかなか読めないところです。
 
 ただひとつ言えるコトは、幹事長職を退いたとは言え、小沢議員の影響力は無視できないほどあるというのが、民主党の事情であるというコトです。
 つまりですね、今回の民主党代表選は、いったい誰が代表そして総理になるのかではなく、小沢議員がどの程度影響力を発揮出来る“位置”に居座るのか、がポイントだと言えるワケです。
 小沢議員個人としても、こんな半端なところで半ば引退のような羽田元首相のような形になるのは不本意でしょうから、まだまだ力を発揮すべく策謀を張り巡らせるコトでしょう。
 他の民主党議員は、それをいかにかわすか、もしくはいかに利用するか、ここにかかっていると言えます。
 小沢議員がどの位置に居座るコトが出来るのか、それにより誰が民主代表そして総理大臣になれるのかが、見えてくるワケです。
 
 小沢権謀術の一端は、今回の民主党代表選の日程に垣間見れます。
 昨日鳩山総理が辞任を表明し、民主党代表選挙は明日ですから、実質「選挙戦」は2日しかないという超スピード選挙なワケで、この日程では当然党員投票も出来ません。
 つまり純粋な議員投票のみで代表と総理が決まるワケです。
 そしてここがポイントなのですが、たった2日しかない短い時間の中では、いかに普段から自派閥をまとめきっているかがポイントになると言えるでしょう。
 普段からゆるいグループ活動しかしていない派閥は、それをまとめるのにある程度の時間を要します。
 人数もそれなりに多いですからね。
 しかし普段から固めきっている派閥であれば、短期間でまとめきれるので、このスピード選挙に有利になると言えるワケです。
 小沢議員の狙いはひとつここにあるのでしょう。
 小沢派は自他共に認める小沢独裁派閥なのですから、小沢が一言「誰だれで行く」と鶴の一声をかければ、それで全て決定します。
 このアドバンテージはかなり大きいのです。
 
 さらにその時間的有利を活用し、他派閥への切り込みや揺さぶりをかけられるワケです。
 ゆるいグループであれば自派閥をまとめるだけで時間が費やされますが、きつい派閥なら、さらに他派閥へのアクションをかけられるますからね。
 そして小沢一郎という政治家は、この揺さぶりが大変に上手い政治家です。
 自派閥をまとめるのは当然、さらに先の数も見越して、すでにアクションを起こしているのでしょう。
 このスピード選挙には、このような思惑があると思われるワケです。
 
 衆院選挙のチルドレン達がいるからという不安定要素の多い数頼みだけでは、なかなか盤石な基盤というのは築けません。
 小沢一郎という政治家は、もっと確実な手段をとる政治家です。
 小沢派が一番多いから小沢は安泰、というだけでは小沢王国を築くまででには至らなかったでしょう。
 このスピード選挙の日程を決めたり、さらにその先の切り崩しまで計算しているからこそ、小沢一郎は小沢一郎たり得るのです。
 
 「管ではダメだ」というセリフも、一種のブラフであるという見方も出来ます。
 つまり、菅直人はそれでもなかなかの党内基盤を持っている人ですから、もしかすれば小沢議員からある程度の距離を保つコトができる可能性があります。
 少なくとも鳩山総理よりは距離は遠くなるでしょう。
 小沢一郎の「管はダメだ」というセリフは、それを牽制する狙いがあると見られます。
 つまり、「オレの力がないと当選するモノも当選しないぞ」と、暗に脅しているワケです。
 自分の力で当選させてやったと相手に思い込ますコトによって、その影響力を誇示しようとしているのです。
 
 小沢一郎という政治家はこんな風にあの手この手を使って自分の「力」を得てきた政治家です。
 
 もちろん民主党の他の議員が、ただそれを指をくわえて待っているというだけではないでしょう。
 中には小沢一郎をなんとかして影響力を排除したいと思う議員もいるんだとは思います。
 今回の代表戦で、そのような議員が巻き返しを図り、完全な反小沢民主党ができあがる可能性も否定はできません。
 ただどちらにしても、やはり代表選挙の中心は小沢一郎であるというコトです。
 小沢一郎の支配下にある議員が代表・総理になるのか、それとも小沢から脱した代表・総理になるのか、すべては小沢一郎の動向にかかっていると言えるでしょう。
 
 さてあと数時間で新しい総理が決まるワケですが、果たして誰が総理になるのでしょうか。
 日本のためを思う人が総理になっていただければと思うのですが。


平成22年6月4日

 菅首相誕生

 あー、ついに、と言ってしまいますが、ついに菅直人が首相になってしまいましたねぇ。
 まさかこんな日が来てしまうとは思いもしませんでした。
 なにやらマスコミは早くもよいしょの嵐ですが、菅直人が過去にどのようなコトをしてきたのか、どんな主張をしてきたのかを振り返れば、とてもじゃないですけど日本という強国のリーダーという器ではないコトは明らかなハズなのですけどね、まぁ仕方ないですね。
 これも国民の選択なワケです。
 いつまでこのツケを払い続けるのか分かりませんが、これ以上日本の国益を損なわないで欲しいと願うばかりです。
 
 まぁ、いきなり菅総理が目覚めて、まともになる可能性も否定できません。
 そうなればそれでいいので、そうなってほしいとは思いますが、まぁねぇ、いきなり人間変わるとは思えませんしねぇ。
 また、普通なら政治政策の結果はしばらく時間が経たなければ出ませんから、その評価もしばらくは出来ませんので、新総理に対してはそれなりの長い目で見るべきというところなのですが、しかし今回の場合はそれもちょっと難しいです。
 というのも、もう国会の会期末が目の前で、日程的に見ても、この後は、施政方針演説と代表質問が衆参のどちらともでやらなければならず、6月16日までの国会では全く時間がありません。
 新しい総理、新しい内閣なのですから、代表質問が終わった後は予算委員会で全体的な議論もするのが当然ですからね。
 そうすると法案の審議はほぼ出来ないワケで、もしかしたら郵政は強引に強行採決するかもしれませんが、他にもネット選挙解禁法案とか、鳩山イニシアティブ法案とか、放送法改正法案とか、民主党が各委員会においてたった数時間の審議時間で強行採決しまくった法案が、結局参議院にかけられるコトなく廃案となってしまうコトになりそうなのです。
 今のところの情報で、2週間ほどの国会会期延長を検討するという話があるようで、場合によっては他の法案も通るかもしれませんが、どちらにしてもキツキツの国会日程を強いられるコトとなり、特に参議院での十分な議論は期待できないと言えるでしょう。
 ましてこれらの法案は鳩山内閣が作った法案でありますから、菅内閣としてはなにもしていない中での参議院選挙となるワケです。
 これではいったい菅内閣の何を評価しろと言うのでしょうか。
 この辺を考えれば、この選挙ギリギリでの鳩山内閣総辞職というのは、ちょっといただけない選択だったと言わざるを得ません。
 
 ところで今回の民主党の代表選挙を見ていて改めて思ったのですが、相変わらず民主党もマスコミも口先三寸のダブルスタンダードだというコトです。
 菅副総理は民主党代表選挙に立候補すると表明して、その後まずどのような行動をとったでしょうか。
 まず菅氏は、岡田克也外相、前原国交相、野田副大臣、横路衆院議長などを訪れ、代表選挙の協力を要請したのです。
 これらの人たちは、言うまでもなく民主党内の派閥の領袖達です。
 つまり、派閥の長に協力を要請して票をとりまとめるという、これはそのまま派閥政治ですよね。
 議員も派閥単位で動くので、候補者としては、派閥のトップに仁義をまず切って協力をとりつける。
 派閥内の議員も、トップが「菅直人をやる」と指示をが出ればその通りに行動する。
 これはまさに派閥政治ですよね。
 やえは派閥政治を絶対悪だとは思っていませんから、これ自体を非難するつもりはありませんが、しかしマスコミも民主党自身も、こういう自民党的な派閥政治を思いっきり否定していました。
 ですから本来は、民主党はこのような選挙戦を戦ってはいけないハズです。
 それなのに公然と民主党は今回、派閥政治によって代表戦を戦ったのです。
 他人の派閥政治は否定しつつ、しかし自分の派閥政治は肯定する。
 完全にダブルスタンダード以外何者でもありません。
 それを指摘しないマスコミもやっぱり民主贔屓と言われても仕方ない態度であり、すなわち多分今後も口先だけで「自民党とは違う」という自民党が存在しなければ自分の証明をするコトすら出来ない「ジミンガー政治」は続くというコトなのでしょう。
 
 民主党と鳩山前総理の姿勢についてはもうひとつ言っておきたいコトがあります。
 日本の総理大臣には衆議院の解散権を持っていますし、もちろん総辞職の権利も持っています。
 ですからそれを行使するコト自体は否定しません、批判もしません。
 しかしやはりその時期については、やはりもうちょっと考える必要があるのではないでしょうか。
 
 つまり、民主党はこの政権交代を「歴史的な政権交代」とか「明治維新以来の大改革」とか言い、そして鳩山内閣に対しても「オールスター内閣」と言って、民主党結党以来の最大の仕事を成し遂げたワケなのですから、その結果に対する評価を1回ぐらいは国政選挙で国民に問うべきだったのではないのでしょうか。
 先の衆議院選挙は自民党政権下での選挙だったワケで、民主党そのものを評価した選挙ではありませんでした。
 しかし今回行われる参議院選挙は、初めての民主党政権の鳩山政権を評価する選挙になるハズだったのです。
 「歴史的な政権交代」であり「オールスター内閣」であったのであれば、民主党の総力を集結した内閣だったハズなのですから、それは「結党以来の民主党」を評価するという意味で、今回の参議院選挙を鳩山内閣で受けるべきだったのではないでしょうか。
 そういう意味で、“民主党で初めての民主党総理である鳩山総理”が、“一度も国民の信を問うコトがなかった”というのは、ちょっと無責任だったのではないかと言わざるを得ません。
 
 まぁ民主党議員の無責任さはいまさらのコトではあります。
 過去に言った発言を、いとも簡単に覆すコトは、もはや珍しくないです。
 前々回も言いましたように、民主党は自民党政権時に「政権のたらい回しだ」とか「衆議院選挙を経ていない総理は認められない」とか言っていたのですから、菅総理だって政権のたらい回しの上に衆議院選挙を経ていない正当性のない総理大臣と言うべきところです。
 しかし民主党はそれを無視し続け、ウソの吐きっぱなし状態を続けるのでしょう。
 そもそも菅直人氏自体、過去何度も無責任発言を連発した実績のある人です。
 詳しくは菅氏が民主党代表だった時代にいっぱい当サイトでも取り上げていると思いますが、総理になってからどれだけのブーメランを発射するのか、心配でなりません。
 
 
 
 民主党の迷走はどこまで続いてしまうのでしょうか。



平成22年6月7日

 菅内閣発足前夜

 菅内閣の顔ぶれが見えてきました。
 天皇に任命&認証されての正式な菅内閣発足は明日の予定ですが、方向性は見えましたので、いまのところのやえの感想を書いておきます。
 
 まず、今回の党内人事も含めた菅内閣の顔ぶれというのは、一言で言い表すなら「派閥均衡型内閣」と言ったところでしょうか。
 幹事長に枝野幸男議員を充てて脱小沢色を演出しようとしていますが、しかし鳩山内閣の閣僚11人を再任しているところを見れば、完全に脱小沢とは言い難いと言えるでしょう。
 もちろんその中には岡田外相や前原国交相なども入っていますが、基本的に鳩山内閣は小沢内閣と言っていい顔ぶれだったのは言うまでもありません。
 「緊急事態だから閣僚人事は小幅にとどめる」という言い訳をするのでしょうが、しかし元々金曜日に組閣する予定だったモノを日本国内閣を数日不在にしてまで火曜日にズラして人事を考えているのですから、「緊急事態だから」というのはちょっと言い訳としては立たないでしょう。
 これはやはり、民主党内最大派閥である「小沢派」に最大限配慮した結果と見るのが自然だと思います。
 
 もうひとつポイントがあります。
 新たに幹事長代理に就いた細野豪志議員と、国対委員長に就いた樽床伸二議員です。
 樽床議員はご存じのように今回菅代表と民主党代表選挙を戦った人で、細野豪志議員はあれです、タレントの山本モナさんと路上ちゅーをしてフライデーされた人です。
 この二人はかなり親小沢色が強い人です。
 特に細野議員は、小沢一郎の側近中の側近と評する人もいるぐらい、親小沢な人です。
 そしてなにより、この親小沢派が就いた役職が、幹事長代理と国対委員長という、一般的には目立たないけど実は永田町的にはすごく権力を持っている役職であるという点が、注目すべきポイントなのです。
 幹事長代理は幹事長に次ぐ党内を取り仕切る役ですし、国対委員長は国会内で起こるほぼ全ての事柄について党内の一切の最終決定権を持っている役です。
 鳩山内閣では幹事長代理は輿石民主党参議院議員会長、国対委員長はよくテレビに出てた小沢派の山岡賢次議員だったというコトも、このふたつの役が大きな力を持っているというコトが分かると思います。
 ここに親小沢の人を充てたという意味は、大変に大きいと言わざるを得ません。
 時間があったのにも関わらず菅新内閣の閣僚の大部分を鳩山内閣のままにしたコト、そして幹事長代理と国対委員長という党内に権力のある役に親小沢議員を充てたコトは、それはつまり、口先だけでは脱小沢と言いながら、実質的にはかなり小沢一郎に配慮しているという、まやかし人事を菅新総理は施したと言えるワケなのです。
 
 これから菅内閣がどのような政策を打ち出すかは分かりませんが、しかし前にも言いましたように、民主党は衆議院選挙で国民の信を問うてなければ総理大臣としては認めないと言っていた以上、菅総理にも正当性はないハズなのですから、なにをするにしてもまず解散しなければ信用できないとしか言いようがありません。
 しかもその上、口だけのでまかせを言って国民を誤魔化そうとしているのですからどうしようもありません。
 民主党にとって小沢一郎は必要な人材だというのは分かりますが、逆に言えばそれが民主党の限界と言えてしまうかもしれません。
 これから徐々に脱皮するのかもしれませんけど、少なくとも今はまだムリというコトでしょう。
 
 またマスコミも相変わらずですよね。
 マスコミこそが自民党政権時に「政権を投げ出した」とか「政権のたらい回しだ」とか言っていたクセに、なぜか今回に限ってはそんな声がほとんど聞こえてきません。
 この二枚舌はいったいなんなのでしょうか。
 まして民主党の場合、前回の衆議院選挙の前に西松建設などの事件で選挙直前で小沢代表が辞任し、なんとなく「クリーンな民主党になった」と根拠無くイメージ操作しておいて、選挙で勝ったら過去を忘れたかのように小沢一郎が幹事長に就任して二重権力構造を作りだしたのに、今回もそれと同じコトをまたやろうとしているのでしょうか。
 一回騙されればもう二度と騙されないよう気をつけるのが当たり前だと思いますが、やっぱりマスコミは2回目の今回も「これでクリーンに戻った」と擁護の大合唱です。
 それに騙される国民もどうかと思うのですが、よくよく過去何があったのか、そして実質的にどうなのかを見てもらいたいです。
 「選挙直前に辞任」というのは二番煎じ以外何者でもないと思うのですが、また騙されてしまうのでしょうか。
 
 あとここ数日いきなりテレビなんかが言いだした、「親小沢か反小沢かという議論は不要だ不毛だ論」も、相変わらずいい加減だなぁと思わずにはいられません。
 そもそも鳩山前総理が総理の職を投げ出した理由を鳩山本人が、「自分や小沢幹事長の不祥事にある」と言ったのですから、次の民主党政権のポイントは当然「脱小沢」であるのが当たり前です。
 正確に言えば「脱鳩山・脱小沢」ですが、誰しも鳩山総理は小沢幹事長の傀儡だったと認めるところですから、実質「脱小沢」と表現するワケですね。
 例えば小泉長期政権が終わったとき、次の政権の課題は、脱小泉にするのか、それとも続小泉にするのかという議論が大変にありました。  もしかしたら今でもそれは続いていると言えるでしょう。
 鳩山総理が小泉総理に比べて全然影響力が無かったとは言え、少なくとも党内的には鳩山政権投げ出しの理由を小沢幹事長に認めている以上は、次の政権の争点に小沢が挙げられるのは当然なのです。
 ですからマスコミも、真実事実を伝える上では、上っ面の綺麗事しか言わない菅新総理の言葉だけを丸呑み鵜呑み垂れ流しするのではなく、キチンと事実を見て伝える姿勢を取るのが、マスコミのマスコミたる所以といえるでしょう。
 そうでなくてはマスコミの存在意義がないハズなのです。
 
 菅新内閣が今後どのような行動をとっていくかは、まだ未知数です。
 しかし今まで鳩山政権が行ってきた国会での暴虐無人な振る舞い、たった数時間の審議でまともな議論が始まる前に強行採決するというメチャクチャな行為や、また米軍基地問題に見られる自己満足しか満たされない無責任体質のツケをどう総括し、反省するのか、ここもキチンと菅総理は考えてもらいたいです。
 新しい新しいと言い、前政権が生み出したツケを自分は関係ないと切り捨てるコトは許されない行為です。
 菅総理はキチンとそこを総括して、その上で自分のカラーを出せるのか、それとも参議院選挙まで何もせずに潜って「変わった」という幻想だけで選挙に臨もうとするのか、この辺はキチンと国民として注目していかなければならないでしょう。



平成22年6月8日

 政調復活

 自民党では政務調査会、民主党では政策調査会、いわゆる「政調」について、ネット上では最も取り上げていると思われる当サイトとしては、この話題を扱わないワケにはいかないでしょう。
 
 政調復活、試行錯誤も 政府との役割分担課題
 
 民主党は鳩山政権下で廃止した政策調査会を復活し、党内の政策論議を活発化させて内閣へ反映させる方針だ。族議員による癒着を排除するとして「政策決定の内閣一元化」方針も堅持。ただ政調会長の閣僚兼務は「日本の政党史上初の試み」(玄葉光一郎政調会長)だけに、役割分担など試行錯誤もありそうだ。
 玄葉氏は政調会長に就任した7日の記者会見などで「全員が参加する政調」を旗印に「新人議員も含め生き生きと活動できる党としたい」と力説し、党の政策立案を強化する意向を強調した。小沢一郎前幹事長が主導した旧政権下の党活動は選挙最優先で、政策への関与を望む議員の不満が高まっていた経緯を踏まえた対応ともいえる。
 
 これまで民主党は、政権を取ってからというモノ、小沢幹事長の下、政策調査会を廃止していました。
 これは、政府だけが政策を作り、政府の中に入っていない一般議員は全く政策に関われないというコトであり、民主党内でもポツポツと不満が出ていたモノです。
 政治主導と言いながら、結局官僚が作り上げた政策しか実行されず、国会議員が入る余地があまりにも少なすぎるというコトで、当サイトでもこの民主党の対応にはよく批判してきたところです。
 それが菅体制になって、ようやく改善されたというニュースですね。
 
 これについてはテレビとかでも大きく取り扱われています。
 なにやら「開かれた政治を実現できるようになる」とか言って、民主党議員やコメンテーターが褒めちぎっていますが、しかしなんのコトはないですよね、これ自民党は何十年もずーっと続けてきたコトです。
 よくある政治批判で「日本は議員立法が少なすぎる。官僚しか法律を作っていない」というモノがありますが、これは全くのデタラメというか、批判のための批判文句でしかなく、実際自民党政権下では、全ての政府提出法案と与党議員による議員立法は、自民党の政調の機関である部会において多くの議員によって議論審議され、チェックが行われていたというのは、当サイトがいつも伝えてきたところです。
 これがあったからこそ、政府提出法案であったにも関わらず人権擁護法案は自民党の部会の段階で大揉めし、結局提出されるコトが出来なかったワケですよね。
 もし小沢支配体制下の民主党政権の時であれば、人権擁護法案はいとも簡単に可決成立していたコトでしょう。
 
 ですから、この民主党の政調復活を評価するのであれば、まず先に、自民党政権時の自民党の制度こそを評価しなければならないハズです。
 自民党はとてもオープンで、一年生議員でも議論に参加できるとても民主的な制度を、何十年も前から実践してきたとキチンと伝えるのが順番としては先なのではないでしょうか。
 今まで独裁的に暴虐無人に振る舞ってきた政調廃止を自ら取っていた民主党が、ここにきて復活させたからと言ってそれが評価されるというのは、万引きで捕まった犯罪者が刑期を終えて出てきて初めてコンビニで普通に買い物をしたところ「よく万引きしなかったね、えらかったね」と褒められてしまうぐらい、ものすごく気持ち悪い違和感のある対応だと言わざるを得ないでしょう。
 
 まぁですから、民主党が政調を復活させたコトは一定の評価は出来るとは思います。
 当たり前の話でしかないので評価と言ってしまうのはちょっと違和感があるのですが、まぁ無いよりはマシです。
 しかしそれは自民党の方が遙かに優れた対応だったんですよと枕として付け加えた上での民主党の評価というコトは、一言公平性を期すという意味でも付け加えておきたいと思います。
 
 その上で、この記事にひとつ気になる部分があったので、言っておきたいと思います。
 
 ただ党と政府の役割分担や力関係など課題も残る。玄葉氏は7日の会見で「党側が承認しないと絶対に政策にならないという仕組みでは駄目だ。それでは一元化でなくなる。癒着を伴わない専門議員をつくることが大切だ」と指摘。自民党の政策決定で採用したような厳格な事前承認制を否定する一方、学識経験者の意見も参考に「できる限り分かりやすい制度にしたい」と述べたが、具体的な指針は定まっていない。
 
 どうも民主党と所属議員は、この辺をちょっと勘違いしているんですよね。
 民主党はしゃかりきに政府と党の一元化というモノを実現しようとしていますが、しかし政府と党はそもそも存在自体が基本的には別モノです。
 政府は行政府であり、党は基本的に立法府に所属するウエイトが大きい存在です。
 議院内閣制の日本においては立法府と行政府の距離はけっこう近いとは言えますが、それでも違う存在だというコトは言うまでもないコトです。
 そしてこれも国会議員に言うのは釈迦に説法すぎるのですが、法律を作るところは立法府である国会です。
 ですから、「党側が承認しないと絶対に政策にならないという仕組みでは駄目だ」というのは、この仕組みを正しく理解していないとしか思えない発言なワケです。
 党という立法府側がダメと言えば、どこの誰が何を言おうと立法化はされない、むしろしてはならないというのが三権分立の原則だからです。
 
 党は政府の下部機関ではありませんし、一般議員は「大臣予備軍」でもありません。
 自民党はそこをキチンとわきまえていて、なぜ自民党は党側の承認が厳格化されているのかと言えば、立法府と行政府は別モノだというコトを正しく履行していたからなのです。
 党から政府に注文を付ける時も「要望」ですし、政府が党に法案を説明する時には「お願い」をしていました。
 大臣が党に無条件で法案に賛成しろと命令したコトはありませんし、幹事長が大臣にその政策を押し通せと圧力をかけたコトもありません。
 お互いがお互いの立場を重んじた上で、調整を図っていたのです。
 いくら政府が望んでも、立法府の中がダメと言えば立法化はダメなワケで、むしろそうでなくては立法府の意味が全く無くなってしまいます。
 仮にも立法府は「国権の最高機関」なのですから、もし民主党がそういう立法府としての存在を捨てるというのであれば、それは自らの存在を否定するコトに他ならず、いますぐ全ての国会議員はその職を辞めてもらいたいと言わざるを得ません。
 
 宮崎の口蹄疫事件は、まさにこの勘違いから生まれた悲劇と見るコトも出来ます。
 つまり政府と党が一体だと勘違いしているせいで、民主党に批判的だった宮崎県は多少見殺しにしてもいいんだという意識が民主党にはあったのではないかと指摘されているところですよね。
 「民主党に批判的だったのに都合のいい時だけ国に頼るな」とか、メチャクチャなコトを言っている書き込みもネットではよく見られましたし、そもそも民主党の議員、しかも当時選対委員長という民主党の幹部だった石井一議員が「長崎県民が知事選でそういう選択するなら…民主党政権は長崎にそれなりの姿勢取る」と公然と言うぐらいですから、民主党は権力というモノをはき違えているとしか言いようがありません。
 少なくとも「自民党の要望は選挙目当てだからほっとけ」と口蹄疫事件の際に民主党が思っていたというのはほぼ確実だと以前の更新でもお伝えした通りでして、このように民主党は、権力のあり方、国家の制度の基本というモノをかなり勘違いしているとしか言いようがないのです。
 
 結局民主党という政党、というか民主党に所属している議員というのは、大なり小なり独裁政治が行いたいと心の中では切望しているのでしょう。
 小沢一郎はかなりミエミエでしたが、いまの新体制も、やっぱり一部の限られた人間だけで権力を独占したいと思っているだけなのです。
 なぜなら、「党側が承認しないと絶対に政策にならないという仕組みでは駄目だ」というのは、言い換えれば「場合によっては党を無視して政策を押し通す」というコトに他ならないからです。
 例えば、民主党の上の方がどうしても外国人参政権付与法案を通したいと思えば、今回は政調は無視すると言ってしまえば、この制度上ではそれで通ってしまうんですね。
 自民党の場合はいくら上がやりたいと思っても、一般議員の理解を得られなければ法案提出はできませんが、民主党は場合によってはこれが出来るという含みを持たせたのです。
 結局、あまり重要でない法案は一般議員にも議論させて不満のガス抜きをさせ、しかし上が通したいモノは意見する場すら与えず無理矢理通すというやり方を、民主党は党内システムとして作り上げたというワケです。
 こんなのは、昨日の話と同じように、口先だけの、見栄えのいいところだけクローズアップさせておいて、しかし実は都合の悪い部分は隠しているという、まやかし政治でしかないのです。
 
 民主党のコトをクリーンクリーンと言う人が多いですが、少なくとも政治の本質である権力という部分に関してはとてつもなくブラックだと言うしかありません。
 権力を渇望する欲望と、その使い方は、まったくもってクリーンではありません。
 とても汚いのです。



平成22年6月10日

 タレント候補と二世候補

 柔道の田村亮子さんが民主党から参議院選挙に立候補すると表明され、また各党から多くのいわゆる「タレント候補」という人たちが表明をして、テレビをはじめとしてネットまで様々な人がいろいろなコトを言っています。
 その多くは、政治のコトをよく分かっていないのに政治以外で得た知名度で選挙に勝つというのはどうなんだ、という論調でしょう。
 これは今回に限らず、毎回タレント候補が出るたびに言われるコトですよね。
 
 しかしこの論調にはやえはいつも違和感を覚えます。
 これはいつもやえは言っているんですけど、議員の選挙に立候補するコト自体に何らかの制限(もちろん低年齢と国籍の制限や犯罪歴などはあってしかるべきです)をかけるコトは、やえは反対です。
 ある一定の年齢を超え、もちろん自国籍を持って、公民権停止処分などが無ければ、どんな職業な人でもどんな立場の人でも被選挙権はあるべきです。
 それは結局、当落を判断するのは国民だからです。
 どんな立場の人だって、その立場が国民にNOと言われれば国会議員になれないワケで、立場だけで自動的に国会議員になれる人なんていないのです。
 むしろ最終的に判断しなければならないのは国民であって、その前段階で規制をかけるというのは、国民主権の精神に反するコトとも言え、やえは反対なのです。
 
 また、そもそもタレント候補に対して「政治をよく分かっていないのに」という批判も、やえはどうも矛盾を感じます。
 では、政治をよく分かっている候補者なら国民は大歓迎というコトなのでしょうか。
 それなら、いわゆる「二世候補・議員」は、特に歓迎される人たちと言えるのではないでしょうか。
 
 例えば、国会議員の家に生まれ、幼い頃から選挙が身近にあり、親から政治とは何かというコトを日常的に聞きながら育ち、時に選挙を手伝いながら、大学卒業後は銀行などの企業に就職し、後に秘書になって、親が引退した後に立候補する、という人であれば、これはもう政治のエキスパートと言えるでしょう。
 小泉純一郎総理の実子であられる小泉進次郎衆議院議員さんなんて、あんなに若いのに、キチンと政治からの広い目線から物事を見て、そして演説や委員会での質問なども要点を押さえて切れ味も良く、大変立派に国会議員を務められていますよね。
 実際こういう人は、特に自民党の議員さんには少なくないワケで、やはりタレント候補が議員になるよりは、こういう即戦力で活躍できる政治家が期待できるのではないでしょうか。
 もし「政治がよく分かっている人かどうか」で立候補者を選ぶのであれば、二世候補ほど優れた候補者はいないと言えるでしょう。
 
 でも国民は、二世議員は二世議員で批判するんですよね。
 二世候補の方は、地盤を無条件で受け継ぐからという理由の批判でもありますから、タレント候補がダメなら二世はいいんじゃないかと単純に言うつもりはありません。
 しかし「政治を知らないからダメ」と言うのであれば、少なくとも二世候補の資質についてある程度評価する態度も見せなければ矛盾になってしまうのではないでしょうか。
 
 田村亮子さんの、柔道のオリンピックを目指しながら国会議員もやるっていう発言は、さすがにちょっとどうなのかなと思わずにはいられません。
 国会議員の仕事も、そして柔道でオリンピックを目指すコトも、そんなに片手間で出来る楽なコトなのかなぁと思ってしまいます。
 
 ただし、そこも含めて、最終的に判断するのは有権者たる国民です。
 オリンピックを目指しながらの国会議員が日本にひとりぐらい居て良いと思えるなら、別にそれはそれで国民の判断の1つでしょう。
 もし知名度だけでと思うなら投票しないコトです。
 もし地盤を受け継ぐのがダメだと思うなら投票しないコトです。
 そもそもタレントのファンも、地盤の有権者も、強制的に投票される義務を有しているのではなく、最後は自分の意志で投票しているのですから、候補者自体を規制する必要は全くないと言えるでしょう。
 繰り返しになりますが、イヤなら投票しなければいいのです。
 簡単です。
 しかしそれで当選する立候補者というのは、自分と同じ1票という権利を持っている人が、いっぱい投票したから結果であるというだけなのです。
 それは立候補者の選択なのではなく、国民の選択なのです。
 
 どのような判断材料を持ってその人が国会議員として選択して投票するのかというのは、人それぞれです。
 確かに「有名だから」とか「顔がいいから」だけで選ぶような人に対しては文句を言いたくなりますし、当サイトでも政治の本来のあり方とか関わり方というモノはよく取り扱いますので、やはり国民には政治をキチンと見てもらい、そしてよくよく考えて投票行動を決めてもらいたいと思っています。
 しかしそれが、立候補者の制限に繋がるというのは違うと思います。
 投票する側が誰に投票するのか自由であるのであれば、同時に、誰が立候補するのかというコトも自由である必要があるでしょう。
 そして立候補者の考え方などに批判する自由があるのと同じように、投票行動の理由に対し批判があるというのも自由なワケです。
 それぞれの立場がそれぞれ自由に意見が言える上で、立候補も投票先も自由であるというのが、民主主義の基本だと思います。
 
 参議院選挙がいつ行われるのか、いまだに国会を延長するかしないかが民主党内で意見が分かれているため、選挙の日程が不明のままです。
 しかしどちらにしても、「日本のために働いてくださる方はだれなのか」という視点で、投票行動を決めてもらいたいと思っています。
 国民の判断という部分を、国民こそが一番重く感じなければならないでしょう。



平成22年6月12日

 選挙のコトしか頭にない民主党

 亀井静香ちゃん郵政担当大臣が辞任しました。
 鳩山総理が辞任すると表明し、菅内閣が発足してからというモノ、あれだけ緊急事態緊急事態と連発していたクセに、今日まで実に10日近く本会議を開こうとしなかった民主党の対応もあって、鳩山内閣時代に数時間審議の末に委員会で強行採決しまくった法案が、軒並み審議ストップとなってしまっています。
 その内の一つに、亀井静香ちゃん大臣が押しに押していた郵政改革法案も含まれているワケで、これを成立させないと連立離脱だーと最近国民新党は息巻いていました。
 しかし、菅内閣の支持率が高いウチに選挙をしたいとたくらむ民主党は、国会延長しなければ行えないこれらの法案審議には消極的で、ここに民主党と国民新党との間に亀裂が入っていたのです。
 そして昨日の夜、突然亀井静香ちゃん大臣が辞任を表明してしまったワケです。
 
 この問題、様々なところにツッコミどころ満載な問題です。
 どこからどうツッコんでよいのやら困るぐらいです。
 それはおそらく、これに関連する人や政党は全て、自分のコトしか考えてない上の行動だからだと思います。
 
 まず、そもそもの郵政改革法案についてなのですが、これさっきも言いましたし以前もお伝えしたと思いますけど、まったくまともに国会で審議されていないモノなのです。
 衆議院の委員会においては10時間程度の議論で、野党が採決そのものに反対する中、与党が強引に強行採決をして衆議院ではとりあえず通過した法案です。
 ちなみに小泉さんの郵政法案は100時間以上の審議時間をかけて議論された法律だったのですが、それを改革する法案が10時間。
 どう考えてもおかしいですよね。
 というか、普通の法案ですらこの審議時間は短い方と言えますが、さらにまして郵政改革法案というのはわざわざ担当大臣を新設してまで行おうとしている時の内閣の最重要課題、例えば福田さんの時の消費者庁法案(消費者行政推進担当大臣)のような、それぐらい重い法案なのですから、たった10時間程度というのは自らの内閣自体を軽く見ているとしか言いようが無く、つまり国民をバカにしているとしか言いようが無いのです。
 
 ですから、これは選挙とかなんとか関係なく、まず十分な審議時間をとって議論されるというのが、まずもっての前提条件となるハズです。
 最低でも半分の50時間以上は審議するべきでしょう。
 それをたった数時間で終わらせて、とにかく成立させてしまえとしたのは、鳩山総理と菅総理と民主党、そして国民新党と亀井静香ちゃん大臣、これら全てが自分都合しか考えてない自分勝手なデタラメとしか言いようがない対応でしかないのです。
 
 次に国会の延長論ですが、これそもそも延長して当然の話なんですよね。
 というのも、鳩山総理が政権を投げ出して、つい数日前に菅内閣が新たに発足したのですから、所信表明演説だけでなく本会議での代表質問と、最低でも予算委員会をそれなりの時間を割いて開催し、菅内閣の政策に対する全般的な質疑を行うのが当然と言えます。
 なんかここ数日全然顔が見えてこない菅総理ですが、記者会見はあくまで私企業であるマスコミに向けての会見でしか無く、日本の中で最も公的な場である国会で自らの理念や政策を語り、また独りよがりにならないよう民主主義の証明の存在でもある野党からの質問にもキッチリと答えるというのが、新総理としての最低限の仕事と言えるでしょう。
 まして今回はすぐそこに参議院選挙が控えているワケで、国民が参議院選挙で菅内閣をどう評価したらいいのか、その指針を作るためにも、ギリギリの日程ではあると思いますがその中でも最大の努力をして時間をとって、予算委員会で質疑をして国民に信を問わなければならないハズなのです。
 
 一応予算委員会は1〜2日(おそらく衆参で一日ずつ)は開かれるそうですが、しかしそもそも貯まっている法案審議のために2週間国会を延長しようとしていたのですから、つまり2週間の猶予はあるワケで、それなのにたったこれだけの予算委員会で終わらせようとする態度というのは、菅総理が国民から逃げている態度としか言いようがありません。
 これはもうどう考えてもご祝儀支持率で選挙をしようと、支持率が落ちてしまう前に選挙をしてしまおうという、完全に選挙目当ての態度なワケです。
 一般的には「小沢隠し」なんて言われていますが、これはもはや「菅隠し」としか言いようがありません。
 
 しかしこれよくよく考えれば、民主党や菅総理はよほど自分に自信がないんでしょうね。
 つまりこれは、予算委員会が開かれ、自民党などに質問をされると、菅総理はすぐにボロを出してしまうと自ら認めているワケですよね。
 だから菅総理を隠して、できるだけしゃべらせないようにしようと。
 菅総理と民主党は国会の中で堂々と国民に向かって政策を語り、また矛盾などがないのか野党からの質問も答えるべきで、本来はその上で支持されてこそ総理大臣と内閣というモノでしょう。
 それなのに出来るだけ議論をしないようにしようというその態度は、まさに民主主義を否定する行為とも言えるのではないでしょうか。
 法案の審議が出来なくても、予算委員会を即時に開いて時間の揺る限りじっくりと議論をはじめるべきです。
 菅総理という人の政策、そして菅内閣がこれから行おうとしている政策を、時間をかけてじっくりと、そして堂々と語ってこそ選挙に入れるというモノでしょう。
 
 そしてなにより、亀井静香ちゃん大臣の辞任そのものですが、しかし国民新党自体は連立の枠組みを維持し、さらに後任の大臣は国民新党の自見幹事長というコトで、中途半端感が半端ないです。
 そもそも国民新党は郵政問題こそがアイデンティティ、というか国民新党のアイディンティティは郵政問題しかないと言っても過言ではないのですが、こんな中途半端な腰砕けでいいのでしょうか。
 やえは不思議でならないのですが、いつもいつも様々な問題で鳩山内閣の中で亀井静香ちゃん大臣はビックな態度で口を出しまくっていたくせに、どうして1月の国会開会の早い段階で特別委員会を開いてじっくりと審議するようさせなかったのでしょうか。
 「自分が閣内にいる間は絶対に夫婦別姓の法案は通させない」と豪語していたぐらいなのですから、審議を進めさせるコトぐらい簡単だったハズです。
 少なくとも、強行採決させるよりは、筋が通っている分、国会の中でも国民の間にも理解が得られたでしょう。
 それなのになぜ、強行採決という手段をとってしまったのでしょうか。
 それともじっくりと審議されては困る何かがあったのでしょうか。
 
 だいたいにして、国民新党と民主党は、菅さんが総理に指名されてから即時に政権合意を結び、速やかに郵政法案を成立させると約束していたところから、なにか間違っている気がしてなりません。
 その約束、政権合意ですね、これはたった数日前の話なんですよ。
 菅代表が総理に指名された直後の話ですからね。
 それをたった数日でいとも簡単に破られたのです。
 当然今回も約束を破ったのは民主党の側です。
 
 いつも民主党はこうですよね。
 
 なぜ菅代表と民主党は、出来もしない約束をこうも簡単に結ぶのでしょうか。
 普通交渉というモノはあらゆる可能性を想定しながら、その中で結べる可能性の中でお互いに譲歩できるモノを認めて合意するワケです。
 しかし民主党のやり方は、現実可能かどうかはほっておいて、とりあえず約束しようという態度です。
 いつもいつもその場だけの耳障りのいい、つまり都合のいい適当な返事しかしないのです。
 
 沖縄の基地問題なんて、その最たるモノですよね。
 鳩山総理は、アメリカ政府に対しても、沖縄の人たちに対しても、社民党に対しても、そして国民に対しても、まるで検証をしていない現実可能かどうかなど二の次のその場限りの口約束だけをそれぞれ連発し、結局現実不可能になって手詰まりになりました。
 唯一出した結果は「総理辞任」です。
 社民党なんて、民主党が「最低でも県外」と言うからこそ政権合意して連立に入ったのに、いざとなるとあっさりと裏切られて、連立解消するハメになったワケで、もう完全に今回の郵政と構図が一緒ですね。
 アメリカも沖縄も、信じて信じてトラストミーだけ言われて、最後は結局裏切られるだけであり、ホントもう、鳩山総理に限らず今回の件や他の件を見ても、民主党という政党は体質として「適当なコトしか言わない&最後は裏切る」という政党なんですねと思うしかないワケです。
 
 この問題まだまだつっこみどころ満載なのですが、キリがないのでこの辺にしておきます。
 それにしてもヒドイとしか言いようがありません。
 政策やビジョンではなく、ただただのその場限りの人気取りに終始すれば、政治がいったいどうなってしまうのか、そのツケは国民こそが払うというコトをよくよく考えなければならないでしょう。



平成22年6月14日

 ロマンチストな日本人

 サッカーワールドカップが開幕したのは知っていたのですが、いま話題爆発中の小惑星探査機「はやぶさ」については、その名前も含めて一切知らなかった、バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 W杯は今回は日本には特に期待していないので、しかも試合が日本時間の夜中の3時ぐらいとかいう話ですから、俄然興味が失せてきているのですが、はやぶさはあれですね、知れば知るほど、なるほど多くの人が興味を引かれるというのが分かります。
 なんて言いましょうか、はやぶさのそれまでの道のりなどが日本人の琴線にジャストフィットに触れる感じなんですよね。
 もちろんそれだけでなく、日本の科学技術、そして世界の科学技術・宇宙開発にとって、とても大きなプロジェクトであるというのも、注目されるに値する点として特筆すべきコトでしょう。
 そしてそれをなし得たというのは、大喝采に当たる偉業と言えるでしょう。
 
 奇跡生んだ粘りと技術…「はやぶさ」帰還
 
 満身創痍(そうい)になりながらも、三つの危機を乗り越え、地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。
 月より遠い天体に着陸して戻るという快挙を可能にしたのは、一人旅を続ける「同志」を励まし続けた研究者の粘りと日本の技術だった。
 
 でもやっぱり、日本人ってロマンチストですよね。
 
 科学万能の今の世の中にあっても、日本人はその科学の中で独自の物語を構築して、それを紡ぎ出すんですよね。
 やえはさっきも言いましたようにはやぶさについては今日まで知らなかったですから、あまり詳しくは知らないのですが、はやぶさは途中大きなトラブルが何度もあって、時にエンジンが止まり、時に燃料が漏れ、時に通信が途絶えて行方不明になるなど、様々なトラブルが発生したらしいのです。
 そしてその度に奇跡の復活を遂げてきたワケですが、日常的な感覚では、そんな最新鋭の日本の科学の粋が集まった技術とは思えない事態が度々起こったところが「人間的」と映るのでしょう。
 また探査機にはある程度の自律性があったようで、これも人間くささを感じる一端になっているのかもしれません。
 さらに極めつけは、はやぶさの最後です。
 7年の旅を終え地球近くまで戻ってきたはやぶさは、一番の目的だったとてもとても遠い星のかけらを採取したカプセルを自らの体から切り離して地球に飛ばし、しかし自らは大気圏内で燃え尽きたというのです。
 しかもそれだけでなく、カプセルを切り離した後、あとわずかしか残されていない「命」が尽きるわずかな時間の間に、はやぶさは最後の力で地球の姿を写してデータを日本に送ったのです。
 その後自らは星になったと。
 日本人が大好きな「最後まで諦めない心」と「自己犠牲愛」が、ますます日本人の心を掴んで離さないワケです。
 やえもちょっときゅーんときちゃいました(笑)
 
 でも、当たり前ですけど、機械であるはやぶさには命の概念なんてありませんし、大気圏で燃え尽きたのもそういうプログラムを受けたからであって、自己犠牲の精神からでもなんでもありません。
 古代の世界ならまだしも、月に人類が到達する現代において、もはや宇宙は完全に科学の分野です。
 ましてはやぶさなどのプロジェクトは、科学的専門知識のない一般人や宗教家が行っているのではなく、科学者が科学の探究として科学的に行っているモノなのですから、どこをどう見ても100%これは科学の分野です。
 本来なら、冷静に科学的に考えれば、人間の感情などは入り込む余地はないハズなのです。
 
 でも日本人は、そこに物語を創造するコトが出来るのです。
 しかも、全くの非科学的な感情や、あるいは神などの宗教っぽい想像も、なぜか日本人は科学と矛盾しない形で物語を紡ぎ出すコトが出来るのです。
 例えばイスラム教は先進的なモノは拒絶する傾向にありますし、キリスト教だって未だに進化論を受け付けない部分が少なくないと言えます。
 しかし日本人の想像力はいくら科学が進歩しても、感情的に心情的に、科学と矛盾しない形で科学と宗教や想像力が共存できるのです。
 やえはこれは素晴らしいコトだと思っています。
 
 ある意味これが日本人の宗教観です。
 宗教と言うとどうしてもキリスト教とかイスラム教のように、教義や儀式などがカッチリと形として出来ているモノを思い浮かべてしまいますが、それはある意味「宗教」という言葉が作りだした日本的でない定義による結果によるモノだと言えます。
 もともと日本人にはそのような宗教観は無かったのに、海外の宗教の知識が入ってきたために、日本語で言う「宗教」がイコールで教義や儀式などがカッチリと形作られているモノとして認識されるようになってしまっただけなのです。
 すなわち、日本的な宗教というのは、本来はこれを宗教とカチッと定義できるようなモノではなく、歴史や伝統、文化や風俗など、それぞれが互いに影響し合い、また重なり合う部分がたくさんあるモノの中で、人の力を超えた部分を想像し、時に創造する行為こそが、日本の宗教と言えるモノなのです。
 日本の宗教とは、歴史であり伝統であり文化であり風俗であるのです。
 
 この穏やかな宗教観は日本人の宝と言えるでしょう。
 今後科学がますます発達しても、日本人ならこれからも科学と矛盾せずに自然な宗教観を持ち続けるコトができると思います。
 そしてこれは、ただ単に宗教というだけでなく、倫理観もそうですし、文化や風俗にも影響を与え続け、延々と日本を日本たらしめる素材となるでしょう。
 
 「はやぶさ」大気圏突入前、地球撮影に挑戦
 
 小惑星探査機「はやぶさ」が日本時間13日午後10時51分に大気圏へ突入する。
 その直前、地球の撮影に挑む。大気圏突入で燃え尽きるはやぶさ。「7年ぶりに戻ってきた故郷の姿を最後に撮らせてやりたい」という研究者らの思いは通じるか。
 はやぶさは同午前9時には地球から27万6000キロ・メートルの距離に迫る。そこから見る地球は地上から見る月の約5倍の大きさになっているはずだ。
 しかし、はやぶさの最後の重要任務は、小惑星の試料を納めた可能性がある内蔵カプセルを機体の前面から地球に向けて放出する作業。それに必要な姿勢を保つため、底面のカメラは地球が見えない方向に向けている。
 相次ぐ故障を乗り越えて帰ってきたはやぶさに、その「目」で、もう一度地球を見せたい――。はやぶさ計画を率いる宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授らが撮影を思い立った。カプセル放出から大気圏突入までの約3時間、残るエンジンなどの力を振り絞ってカメラを地球に向ける。
 うまくいけば、放出したカプセルも地球の手前に写るとみられている。カプセルは、はやぶさが大気圏に突入してから約20分後、ウーメラの砂漠に落下する見込みだ。
 
 そして……
 
 はやぶさ 地球の撮影が最後の仕事に…JAXA、画像公開
 
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は13日、はやぶさがカプセルを切り離した後、地上との交信を終える約25分前に撮影した地球の画像を公開した。はやぶさはこの後、大気圏で燃え尽きた。最後の仕事だ。
 
 今回のこういう試みも、そういう日本人の豊かな想像力が発揮された好例と言えるでしょう。
 こういう感性は大切にしたいですね。
 科学者達こそが「はやぶさに最後に地球を見せたかった」と非科学的なコトを言っているというとんでもないロマンチシズムがあるからこそ、日本は科学大国なのではないのでしょうか。
 それだけ機械に愛着を持てたからこそ、様々なトラブルにも負けずに、最後までミッションを完遂できたのだと思います。
 科学と非科学が矛盾せずに共存できる日本人だからこその科学大国なのです。
 
 ご、ごめんなさい、目から汗が出てきてしまいましたので、今日はここまでというコトで。 



平成22年6月15日

 予算委員会すら拒否し、ひたすら「菅隠し」「キャミソール隠し」する民主党

 最近テレビでこんなコトを言っている人がいます。
 
 「菅直人は演説が上手いので、自民党が党首討論を避けている」
 
 民主党が今国会で党首討論を持ちかけたのに、自民党の方からそれを拒否したと、そう主張している人がテレビでちらほらいるようです。
 「テレビでこう言っているけどどうなの」ってよく聞かれてますし、実際やえもフジテレビかなんかで森永卓郎氏が言っていたのを直接見ました。
 やっぱりテレビで、特に有名な人がこんなコトを言ったら、信じちゃう人多いですよね。
 
 でもこれ、完全にウソっぱちです。
 
 実際のところは、自民党をはじめとする全ての野党は、それなりの期間を延長しろというコトと、予算委員会を開けというコトをまず与党に主張しているだけ、そこで菅新総理の姿勢や政策、ビジョンなどを問おうとしているだけです。
 またもちろん、小沢民主党前幹事長や鳩山前総理のカネの問題や、荒井聡キャミソール大臣などの問題も、これは選挙前後に関わらずキチッと取り上げるべき問題でしょうから、そこも野党としては追及するつもりだったのだろうとは思います。
 つまり、自民党としてはまず予算委員会を開くのが前提として考えていたワケで、しかし予算委員会はやらないのに党首討論だけしてくれと言った民主党の要求は、それはちょっと自分勝手すぎるだろうと拒否したというのが正しいところなのです。
 
 これは当たり前すぎる話です。
 
 この前も言いましたように、新政権が出来ればまず予算委員会を開いて、全体的な議論をするというのが国会のあり方としての常です。
 というか国会の慣習という意味だけではなく、実質的に考えても、新政権になれば新しい総理や内閣の基本的な考え方を国民に広く知らせるという意味において、それを委員会で具体的に審議するというのは当たり前です。
 予算委員会は予算と名は付いていますが、「広く全体的な議論をする委員会」という意味合いが強い委員会なので予算委員会を開こうと言っているだけで、別にその手の委員会があればそうしているだけでしかないのですから、ここに矛盾はありません。
 よって、新政権が出来たら、またその国会が召集されたはじめの方は、予算委員会で広い範囲の議論が行われるというのが、普通に考えれば実質的にも必要な行為だと言えるでしょう。
 自民党や他の野党はこれを普通に求めているだけなのです。
 
 民主党の「党首討論だけ開こう」と言っているのは、これはむしろ「予算委員会から逃げている行為」でしかないのです。
 
 そもそもよく考えてみてください。
 党首討論って公明党の時間を合わせても1時間しかやりませんよね。
 しかも国会の党首討論は衆議院と参議院の合同でやりますから、まだ予算委員会を一日でもやるのであれば衆参で計2日という計算になりますが、党首討論の場合は本当に1時間しか議論がされません。
 そんな程度の議論で、いったい新内閣の何が議論できるというのでしょうか。
 
 もし「党首討論を1週間ずっと毎日3時間行う」というのでしたら、それはそれでいいと思います。
 ちょっと党首だけに偏りすぎて、内閣制や政党制の意味が薄らぎすぎと思いますが、それならそれでおもしいろいとは思います。
 ですからもし民主党がそう提案し、自民党がそれを拒否したのであれば、やえは自民党を批判していたコトでしょう。
 でもそうではないのです。
 「議論をたった1時間で終わらせたい」というのが民主党の目論見であり、自民党や野党は普通にそれを拒否したという話でしかないのです。  この前も言いましたが、ちょっと前まで民主党は国会を2週間ほど延長して法案審議したいと言っていたのですから、2週間は延長が出来るワケで、であるなら2週間延長して菅新内閣の姿勢や政策、ビジョンを広く示してもらって、そうしてこそ選挙に臨むというのが、民主主義制度である日本の選挙としては正しいあり方なのではないでしょうか。
 
 逃げているのは民主党なのです。
 
 テレビに出ているコメンテーターがどういうつもりで大ウソをつきまくっているのか知りませんが、ホント悪質としか言いようがありません。
 ここまで事実とかけ離れているコトを堂々と言うぐらいですから、民主党から何かもらっているのか、それとも何かされているのかと勘ぐりたくなってしまいます。
 そもそもこれはもう何回も言ってますが、民主党は自らの口で安部内閣の時から「政権のたらい回し」だとか「民意を受けていない内閣」だとか言っていた口で鳩山から菅に政権のたらい回しをしているのですから、これと同じコトを菅内閣に言わないのであれば、その人や組織は菅内閣と民主党を理由もなく擁護している、太鼓持ちしていると言うしかありません。
 つまり多くのマスコミは、公平性という原則を忘れて、必死に民主党擁護を毎日のようにしているのです。
 本当にひどい有様です。
 
 そして必死に「イラ菅隠し」「キャミソール大臣隠し」「小鳩隠し」をしている民主党という政党には、政治家としての良心がないのか、政治に対する誠意はないのか、みっともないとしか言いようがないのです。 


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