☆やえニュース☆

平成17年1月10日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(1)

 
 YO!!
 
 なんですか、その出だしは。それはともかく、TricksteRさんがリンクしてくださったそうですよ。
 
 OH!!
 
 だからなんなんですかそれ。それはともかく、こんなコメントいただきました。

 「軍隊所持支持派のやえ先生。敵も多そうなこういうサイトも好き。」

 えーと、敵が多いのはあまおちさんであり、やえじゃないです。特に女性や幼女の敵です。危険です。ヤバイです。誤解無きようそこのところよろしくお願いします。
 
 Ouch!!
 
 
 
 では今日の話題行きましょうか。「フィギュア萌え族」についてです。
 
 この話題ならばオレが出ないわけにいかんだろう。やえだけで扱える代物ではないからな。
 
 それはあまおちさんがフィギュア萌え族だからですか?
 
 そうそう。わたおに萌え〜〜〜・・・って何言わせるんじゃい。
 
 最近ノリツッコミ好きですね。
 
 ・・・。
 
 
 
 さて、ここで何を考察するかと言えば、この「フィギュア萌え族」と楓ちゃん事件の犯人とををどうしてもイコールで結びつけたい人や風潮に対して、それはどうなのかという事を考えていきたいと思う。前置きしておくが、楓ちゃん事件は一般的に奈良小1女児殺害事件と呼ばれているが、正直言って昨今似たような事件が多すぎで、地名だけで事件を呼んでいたらどれがどれだか分からなくなってしまうので、敢えて「楓ちゃん事件」と呼ばさせてもらう。 
 では、まずはこの「フィギュア萌え族」という妙ちくりんな言葉を生み出した、ジャーナリストの大谷昭宏氏の話を見てみることにしよう。

 対話も感情もない「萌え」のむなしさ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―
 
 もちろんいまの段階で犯人の動機は不明である。だが、私はこれらの状況からどうしても最近気になっていた「萌え」という現象を思い起こしてしまう。
 
 なぜ萌えというのかは、諸説あって不明だが、要は若者たちが生身の人間ではなく、パソコンの中に出てくる美少女たちとだけ架空の恋愛をして行くというのだ。そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。自分の意に沿わない答えや、気に入らない少女の心の動きは完全に拒否する。(中略)
 
 もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。その上でフィギュアになった少女の写真を母親に送りつけ、ここでもまるでモノをやり取りするかのように「娘はもらった」という言葉を使っている。これまでの誘拐犯なら「娘はあずかった」だ。
 
 もう一点、犯人は少女を浴槽のような水を張ったところで水死させている。この殺害方法だと、少女をまったく傷のつかないフィギュアにできる。いや、少女の体には無数の傷があったではないか、という反論があるかも知れないが、それこそが犯人の異常性。少女を水死させることで無傷の状態でフィギュア化し、思いのまま傷つけるのは、自分でなければ気がすまなかったはずなのだ。
 
 まさにそこには、人間としての対話も心の動きもまったくない、無機質なモノしか存在しない。そんな犯人がつかまったところで、その犯人に両親の悲しみ、世間の怒りが通じるだろうか。

 ちょっと引用が長くなってしまうのが申し訳ないが、大谷氏が抱いている「フィギュア萌え族」の印象を知っもらうためには、その部分は全て読んでもらわんといかんから、長い引用にせざるを得ないのはご了承願いたい。
 
 しかし、これ、「フィギュア萌え族」でないやえから見てもスゴイですよ。なんて言いましょうか、見事な偏見のお手本というか、憎悪の固まりというか、白人が見た“未文化人”の感想みたいな感じを受けますね。
 
 『そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。少女に無垢であってほしいのなら「キスしたい」という呼びかけに「ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない」と答えさせ、その答えに満足するのだ。』これなんて印象操作も甚だしいんだよな。「キスしたい」云々の話からどうなれば『人間の対話と感情をまったく拒絶している』に繋がるのか分からんのだが、これゲームとか同人誌の事を多分言っているのだろうが、しかしそういう物を否定するのであれば、全てのフィクションとそれを嗜好する人間は『人間の対話と感情をまったく拒絶している』事になるだろ。
 
 
そうですね。フィクションなんですから、そこに顕れる人物のセリフは、結局は作者や読者が望むような行動やセリフを口にするワケですからね。そうするコトによって、「おもしろい」とか「感動した」とか、気持ちいい感情を引き起こすモノがフィクション創作物なのですから。読んでいて気持ち悪いだけなら誰も買いませんからね。
 
 そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。探偵に有能であってほしいのなら「犯人はお前だ」という呼びかけに「な!!・・・どうして私が犯人なのだ。そう言うのであれば証拠を出せ」と答えさせ、「もちろん証拠はそろっている。順を追ってみなさんにお見せしようではないか」というやりとりに満足するのだ。
 
 フィクションの人物に感情移入したらそれは全て「人間の対話と感情をまったく拒絶している」コトになっちゃうんですね。
 
 大谷氏がフィギュア萌え族を差別したいのか、それとも犯罪の“真犯人”を作り出したいだけなのか知らんが、一見するともっともらしい事を言いながら、デタラメな理屈を並び立てるのはやめてほしいところである。
 もう一つ、大谷氏の「フィギュア萌え族」に対する偏見記事があるので引用しよう。

 趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき― 「フィギュアマニア」に改めて思う ―
 
 この欄でも私は事件について再々、怨恨などではなく、異常な少女性愛者による犯行ではないかと書いて、近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた。
 
 逮捕された小林容疑者もやはり携帯電話には、幼女の裸体の写真や動画が数十枚も入っていたと言われるし、その類のビデオも多数押収されている。ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。
 
 ただ、私が事件直後からそうした性愛を容認するどころか助長するような社会に歯止めをかけるべきだとコメントしてきたところ、その手の嗜好を持つ方たちから事務所あてに抗議の電話やメールが殺到。加えて配達証明つきの公開質問状まで送りつけられてきた。この点についてはっきりさせておきたい。
 
 もとより私は人の趣味は自由だと思っている。だが、公開質問状での「その類の嗜好についてきちんと取材したのか」という指摘を待つまでもなく、実際に大阪の日本橋など、マニアが集う場所も取材してみたし、インターネット上でのやり取りも見せてもらった。そこにあったのはここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いものだった。(中略)
 
 だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。もし、欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。
 
 今回の事件で被害にあった女児は一体、自分に対して何が目的で、あのような目にあわされたのか、まったくわからないまま亡くなって行ったのではなかろうか。社会がそんな被害を未然に防ぐために努力するのは、いわば当然のことではないのか。
 
 それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか。
 
 利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっているとしか私には思えない。
 

 さらに長くなってしまった事をお詫びしつつ、ではいろいろと問題点を指摘していこうか。
 
 はいはーい。あまおち先生。多分この人『ほら、言った通りだ、と言いたいのではない。』と言いつつ、そう言っているとしか思えないんですが。
 
 オレもそう思うぞ(笑)多分大谷氏は手柄を立てたいんじゃないのか。「フィギュア萌え族」という言葉を作って、犯罪者を「萌え族」に仕立てれば、自分は「萌え族犯罪」の権威になれる、とでも思っているのだろう。
 
 そのために必死になって「萌え族」と小林容疑者を結びつけようとしているんですね。
 
 こいつ全然フィギュア持ってなかったのにな。
 
 そういうこじつけがこのような矛盾を生んでいたりします。大谷氏は上の引用の方で、『解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。』と、長井秀和バリに間違いないと断定されておられるんですが、実際のところは、楓ちゃんを誘拐しその後いたずらしようとしたけど噛みつかれて抵抗されたから殺した、というコトらしいのです。これでは相手が女児だっただけで、普通の婦女暴行の末の殺人事件となんら変わりませんね。
 
 フィギュアも持っとらん。少女をフィギュア化しようとしていたわけでもない。これのどこが「フィギュア萌え族」の犯行なのかね?シッカリと説明してもらいたいものだ。
 
 この調子では、どんな婦女暴行殺人事件でも、被害者が未成年者ならなんでもフィギュア萌え族のせいにされそうですよね。
 
 もう一つ大谷氏の矛盾を指摘しておこう。と言うか、そもそも「フィギュア萌え族」などと訳の分からないグループを作ってカテゴライズするのも乱暴な話なワケだし、さらにそれを犯罪予備軍なような言い方をするのも、これはとんでもない暴力的な話だ。
 大谷氏の発言をまとめると、「フィギュア萌え族」は『ここで書くのもはばかれるような幼女や少女を性的に弄ぶというよりは、加虐的、嗜虐的な傾向の強いもの』を嗜好する人間であり、『みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない』から、『なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか』と言う。そしてそれに反論しようものなら『それでも彼らは人の趣味趣向に言いがかりをつけるなと言い張るのだろうか。警告を発する者には一方的に質問状を送りつけるのだろうか』と言いがかりとか一方的だとかレッテルを貼り、『利己と、自己しか彼らの目には映らないようになっている』と決めつけのような批判をしているのだ。
 この論理の乱暴さはなんだと言いたい。
 
 つまり、フィギュア萌え族の趣味というのは、とてもじゃないけど公の場では書けないような変態的なモノばかりで、現実と非現実を区別できない人間がいるから弾圧するコトが必要である、と言っているんですね。それに反対するコトは「ワガママ」でしかない、と。ものスゴイコト言いますね。この人。
 
 でも、これがな、ふと大谷氏の昔の記事を読んでみると、全く矛盾した事を言っていたりするんだよ。ちょっとこれ見てみ。

 小6殺人の原因探しにメディアが行きついた先
 
 なんだかメディアは意味のない“犯人探し”をしているように思えてならない。長崎県佐世保市で起きた小学生女児殺害事件で私も駆け足で現場を取材してきた。
 
 これまでメディアは特異な少年事件が起きる度に「法律」か「病気」か「社会」か「家族」に責任を負っかぶせて、なんとなく納得してきた。だが今回、私も加害少女の周囲を取材したが、自宅はウグイスが鳴く静かな山間の集落。両親も祖母も、ともに働き者のごくごく普通の家庭の女の子だ。さあ、原因探しのメディアは困ってしまった。(中略)
 
 そこでメディアが一斉にとびついたのが少女を取り巻く社会環境、とりわけインターネットの社会だ。たしかに今度の事件では少女同士がネット上でいがみ合い、相手のネット上のキャラクター、アバターを消したり「アラシにあった」などの書き込みをしている。毎日の6月3日付朝刊「子供社会をネット侵食」をはじめ各紙がこれでもかとばかりに書いた通り、事件の背景にネットがあったことは確かだろう。
 
 しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。
 
 さあ、そこでいよいよ困ったメディアが行きついた先がお得意の家族、それも母親に責任をかぶせた、母性に原因を求める母源である。母親が強引にミニバスケット部をやめさせたことが原因だというのだ。「部活巡り思い込み 言動荒れる契機に」(6月7日付読売朝刊ほか)。バスケ部をやめさせられたからといってなぜ同級生殺しになるのか。どう考えたって無理がある。こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる。
 

 この大谷って人は、オレが記憶しているだけでは左巻きの人物だと思っていたんだが、ここに書いてある記事は、全く持って異を唱えるところがない、まさに「その通りだ」と言うべき論である。この記事には全く反論は無いんだが、しかしそれに比べて「フィギュア萌え族論」のくだらなさはどうだ。それこそ『こうしたメディアの強引な犯人探し≠ヘむしろ滑稽に見えてくる』のではないのか?
 
 犯人探し論で語っているような冷静な分析をされていれば、フィギュア萌え族論なんて出てこないハズですよね。だって『しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。同じ紙面で毎日は「国のe-Japan計画により、'02年度には99.5%の公立学校にパソコンが設置された」と報じている。もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。』という論と全く同じで、フィギュア萌え族が一般のワイドショーなんかで取り上げられるぐらいになっているのですから、同種事件はもっと頻発していなければおかしいコトになるのではないでしょうか。しかし、えっちでよくないビデオとかDVDとかを押収したという話ならよく聞きますが、未だにわたおに等のようなフィギュアが押収されたという話は全く聞いていません。
 
 そもそも男の部屋を家宅捜索したら、エロビデオやエロDVDなんて絶対出てくるってーの。確か植草教授の時にも言ったが、こんな事言い出したらな、オレの知り合いに、家にエロDVDが大量にありすぎて置けなくなったからコレクションの一部を中古屋に売って、そのお金でさらに新しいエロDVDを買っているなんていうふざけたヤツがいるんだが、こいつ捕まったら「エロビ萌え族」なんて言われるのか(笑)大谷氏はもうご老齢だからもはやエロには興味なくなってしまったかもしれんが、どうせ若い頃には多かれ少なかれエログッツ持ってただろうに。まさに滑稽極まる。
 
 『だけど世の中にはさまざまな人がいる。みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない。そうである以上、なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか。』とおっしゃるのであれば、これはなんにだって言えるワケですよね。そのえっちでよくないビデオとかもそうですし、例えばお酒でも同じコトが言えるワケです。「えっちでよくないビデオを1本買うためには住所氏名を届け出なければならない」とかですね、「居酒屋にはお店の規模に応じて飲酒監視員をおかなければならない」とかですね、すればいいんですよ。「お酒10杯以上飲んだ人は、監視員詰め所に連絡して帰るまで監視員が同行しなければならない」とかすれば、お酒による犯罪も相当数減るんじゃないでしょうか。
 
 大谷氏は、組織的犯罪対策法、いわゆる盗聴法にものすごく反対している人なんだが、しかし「フィギュア萌え族」であるというだけで規制が必要と主張するんだったら、盗聴なんてバンバン賛成しろっての。それで犯罪が減るなら問題ないだろって。
 
 どうしてココまで見境がなくなってしまっているんでしょうね、大谷さんは。
 
 
 (つづく)
 

平成17年1月12日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(2)

 
 いやあ、いい買い物したよー。おかげでサイフの中がうぎゃーなんだが、心は潤ったどー。
 
 はぁ。なに買いました?またフィギュアですか?
 
 NOー。偏見(・A・)イクナイ。これ買ったんだ。これ。
 

 天野喜孝画集<空> ― THE ART OF FINAL FANTASY
 
 本画集は4冊分冊+フリップブックを、天野氏の書き下ろし作品を使用したレザー張りのケースに収納した豪華仕様となります。
 画集として、「ファイナルファンタジー」のタイトル順に作品を3冊に分けて収録。
 そして天野氏へのインタビュー、ニューヨーク・東京のアトリエ紹介、バイオグラフィーなどの読み物・資料を1冊にまとめた、計4冊で構成されています。
 さらに、書き下ろしのフリップブック(ぱらぱらマンガ)付き。ページをめくるたびに、天野喜孝のイマジネ[ションが無限の『空』へと広がります。

 
 おー。これ(・∀・)イイですね。あまおちさんのくせに
 
 なんだそののび太のクセにのような言い方はー。しかしこれ(・∀・)イイだろ。しかもだな、上のリンクのアマゾンによると、すでに新品は完売していて、中古のプレミアがついていて39,800円にもなっているんだ。
 
 おー。一万円も高くなっているんですね。
 
 しかもしかも、オレはアキバのアソビットでたまたま見つけたんだが、そこでは2万3千500円で売ってたんだよ。買った時はこの本がプレミアついていたなんて知らなくて、天野さん&ファイナルファンタジーっていうコトだけで即買いしたんだけど、もうね、大満足だったよ。こんないい買い物もそうはないぞ。
 
 はー。それはそれは、なんかオチのつけようのないぐらいいい話ですね。
 
 ・・・なんだオレの話は必ずオチが無いといかんのか・・・。
 
 
 
 さて。では話を「フィギュア萌え族」にもどしましょうか。
 そもそも「フィギュア萌え族」なんてひとつに括ってしまうというのもどうかと思うんですが。
 
 犯罪なんつーものは、ある程度の人数がそろっている上での少数に押しつけるのが一番やりやすいからな。しかも一般的認知度が低くて、どこかあやしいとか危険とかいう先入観があるような集団が最適。大谷氏が自分で言っていたように、ネットとかバトルロワイヤル愛読者とかな。
 
 一昔前は「全部社会のせいダー。盗んだバイクで走るんダー」というのが流行っていましたけど、フィギュア萌え族とかネットとかというのはちょっとだけ具体的になっただけで、しかし基本的にはほとんど変わってないですよね。
 
 いやあ、こっちの方がタチがわりぃよ。社会のせいだーって言うだけなら誰にも迷惑かけないけど、まぁ問題をうやむやにするという意味では果てしなく迷惑だが、しかしネットとかフィギュア萌え族とか曲がりなりにも固有名詞出すんだから、そのカテゴリに属してしまうような人間にとっては迷惑きわまりない。
 
 自分に関わらなければ、他人なんていくらでも攻撃できちゃいますしね。
 
 だいたいにして、オウム真理教に対して破防法をかけようとしたときに、なんか知識人達の間で大反対キャンペーンが貼られて、結局破防法はかけられなかったわけだが、しかし大谷氏の言うように「フィギュア萌え族」に対して規制しようという事は、それは破防法よりもさらに厳しい弾圧をしようという事なんだから、これは本来凄い事なんだよ。大谷氏だってオウムへの破防法適用は反対だったクチのはずなんだがな。
 
 あまおちさんはオウムへの破防法適用は賛成でしたよね。その辺のかねあいはどうお考えでしょうか?
 
 まず、「フィギュア萌え族」なるものが、オウムとかと同じような「団体」と言えるのかどうか、まず言えないわな。別に名簿作って会費集めて集会開いているわけじゃねぇんだから。ただ趣味が似通っているという人たちを適当にまとめてそう呼んでいるだけだ。酒を飲む人のことをまとめて「飲酒族」とか言ってるようもんでな。
 
 オウムは明確に団体ですね。出家までして集団生活しているんですから、これほど明確な団体もないんじゃないでしょうかと言えるぐらい団体ですね。
 
 そう。しかもサリン事件はオウムが団体として犯した犯罪であるわけで、団体そのものが犯罪のために存在していたと言っても過言ではない。もちろん発足した当時の目的は違ったんだろうが、団体のために団体単位で犯罪を犯した時点で、その団体は犯罪団体である。これは日本赤軍とかと変わらないな。日本赤軍だって、そもそもの目標とするところはテロルにあるんじゃなくて、共産革命家なんかにあったわけだからな。そういう意味で、犯罪団体は団体としての罰を受ける必要がある。ハッキリ言えばその団体は解散すべきだ。犯罪を犯すために団体を作ることなど認められる事ではないからな。
 
 だからオウムへの破防法は必要だったんですよね。
 
 当時の有識者共は、「将来にわたっての危険性はもうない」とかぬかしとったが、んなもん分かる人間なんているわけねーだろって。お前はノストラダムスかって話だからな。将来の危険性のために破防法をかけるんじゃなくて、すでに犯罪団体になった団体を解散させるために必要だったんだよ。将来のためではなく、起こした事件に対しての破防法だったわけだ。
 
 なるほど。つまりフィギュア萌え族に対して「規制が必要」と言う発言は2つの点において問題があるワケですね。一つはフィギュア萌え族は明確な団体ではないのにその全てに規制をかけようとしている点。もう一つは、将来の危険性に対して規制をかけようとしている点、ですね。
 
 その通りだ。可能性だけで人の言動を規制するというのは、民主主義においては最もやってはならない事の一つのはずだが、ジャーナリストであるはずの大谷氏にはそれも分からなくなってしまっているようだ。そして自分には全く関係ない適当な集団をでっち上げて罪を全部なすりつけて問題を解決しようとしているその態度は、都合が悪ければなんでも全部「右翼」と言って済ませようとする連中となんら変わらないのではないのか。おっとこれでは左巻きの大谷氏に対しては批判にならないかな。
 
 正直言いまして、マスコミっていうカテゴリでくくった方が、人間性が出ていそうですけどね。そしてろくでもない人間が多いのも確かですし。
 
 報道被害を無くすためにつくろうとしたメディア規制法には、バカみたいに血眼になって反対するくせにな。
 
 それこそ『みんながみんな、きちんと境界を設けられるものではない』から『なんらかの歯止めをかけることが必要なのではないか』ですよね。
 
 言い出したらきりがないんだよな。タクシーなんつーのも無くせば事故無くなるぞ。でもこんなこと言ったらタクシー運転手や関係者に文句言われるから誰も言わないんだろ。タイムリーな話でいけば、新聞配達員も相当危険なんじゃないのか?拡張員なんてヤクザそのものだしな。外人だってそうだ。中国韓国人あたりを全部国外退去させれば犯罪は減るぞ。どうしてこう主張しないんだ?
 
 結局「可能性だけで規制する」というコトがいかにあやういコトなのか、みんなわかっているんですよね。
 
 そして、こんな事を言い出したら、いつか自分にも同じような言いがかりがかかってくるという事ぐらい、普通の人でもわかるわな。可能性は無限大なんだからな。
 
 しかし大谷氏は、フィギュア萌え族と勝手に呼んでいる人たちを可能性だけで規制しろと言うワケです。これはオウム真理教に対する処遇よりもさらに酷い弾圧をしろって言っているワケですから、ひどい話ですね。
 
 フィギュアが好きなだけで、麻原信奉以下と言われるんだから、世も末だな。
 
 
 
 (つづく)
 
 

平成17年1月14日

 「フィギュア萌え族」とやらを考える(3)

 なんだか、NHKに安倍さんとかが圧力かけたとかで問題になってますが。
 
 それって、いつの話だよって言いたくなるんだがな。だって2001年の話だろ?オレ覚えているけど、当時も同じように言いがかりつけられてたぞ、安倍さん。で、結局事実無根だったって結論が出たのに、なにまたいまさら難癖つけているんだっての。
 
 しかもNHK自身が否定しているのに、アサヒだけが騒いでいるんですよね。みっともなったらありませんね。
 
 しかもいつものように野党が尻馬に乗っているだろ。もうアホかと。管かと。
 
 担当プロデューサーという人も、泣けば理屈が通るとでも思っているんでしょうかね。小学生じゃあるまいに。
 
 結局このアホ、NHKの会長を攻撃したいだけなんだろ。こんな事いっとるし。しかしその手法がウソだらけというのは、むしろマスコミ人としてどうなんだ。これこそ「報道テロ」だよな。
 
 そもそもお金を着服していたのは会長じゃなくて職員ですしね。これがNHKの体質なんでしょうね。 
 
 
 
 では最後に、「フィギュア萌え族」というか、オタクと呼ばれる人や界隈に対して、コメントをお願いします。例えばこちらの方では、「大谷氏なんて無視しておけばいいのに、噛みつくから騒ぎが大きくなるんだ」なんて言っておられたりしていますが。
 
 まぁ、論拠薄弱な誹謗中傷はスルーっていうは、ネットでは常識になっている手段ではあるがな。そういう自衛策もあるんだろうが、しかしそれはちょっと受け身過ぎるからな。成功するればいいんだろうが、失敗したら後悔しか残らんよな。
 
 つまり、黙っているだけでなく、自ら行動し、批判に対して反論すべし、というコトですか?
 
 やらないで後悔するよりはやって後悔した方が気持ち的にも違うと思うしな。まぁそれよりもだな、オレは思うんだが、そろそろオタク的にはな、決断の時が迫られているんじゃないかとオレは思うんだよ。
 
 と言いますと。
 
 例えばさっきのサイト、この人有名人だから名指しするけど、唐沢俊一氏は『有効な戦法はただひとつ、ゲリラしかない。地下にもぐれ。世間に自分の正しさをいいつのるな。こっそり隠れて、地道に密かに、自分たちの萌えを満足させろ。表ではそしらぬフリをしろ。そして、風を読め。吹きすさぶ向かい風のときは腰をかがめろ。追い風になってはじめて、帆を広げろ』と言っているんだがな、しかし果たして地下に潜ることは可能なのか、そして追い風が吹く時が来るのか、その辺は疑問だな。だからな、オタクは決断すべきなだよ。ここまで一般的なメディアに秋葉原の様子とか映し出されて、注目されはじめている。多分この傾向は加速するだろう。オタク自身の数も増えるはずだ。だから、一般と交わる覚悟が必要なんだと思うんだよ。
 
 唐沢俊一氏と全く反対の考え方ですね。
 
 つーか、地下に潜れるんだったらそれでもいいんだけどな。でももう無理だと思うんだよ。特にオタク文化というのは一過性の流行だけでなく、もう何十年も続くサブカルチャーだからな。だからオタク文化も一般的な文化と同じように、日本の社会として共存するような形を取る必要があるのではないかと。
 
 共存するためには、やっぱり事を荒立てない方がいいという意見もあるんじゃないんです?
 
 もちろんオタク側(と言うのもなんかアレだが)から事を荒立てる必要は無いんだろうが、しかし差別に対してはキチンとNOと行っておく必要はあるんじゃないのか。それで騒ぎが大きくなって、偏見を持っていない人にもさらに偏見が拡大するというおそれも確かにあるが、しかしその時点で偏見を持つヤツは、やっぱりいつかは偏見を持つような人なんだよ。それだったらな、それよりもちゃんと正論を言って、それを理解できる人に理解された方がよっぽどかプラスなんじゃないのか。理解できないヤツはどうやっても理解できないんだから、理解される人がいるんじゃないかっていう可能性を捨ててまで説明をしないという方法をとるのではなく、理解できないヤツらの事はいないモノと考えてだな、理解できる人を一人でも増やす努力をした方が建設的なのではないだろうかと思うわけよ。
 
 確かに「事を荒立てるな」と言って裏に消えてしまったら、「やっぱりあいつらは異常だから逃げたんだ」と言われてしまうかもしれないですよね。
 
 まぁ、そう言うヤツはどうやっても言うんだがな。だからもう言うヤツはほっとくと。−1が−5になろうともマイナスには変わりないからもういいと。それよりはプラスの人を一人でも多く増やした方がオタクのためになるだろうと。地下に潜ってしまっては、プラスになりそうな人がいたとしても、何も反論がないんじゃプラスになりようがないからな。
 
 なんか情報戦みたいですよね。南京虐殺問題とか従軍慰安婦問題とかがあったとかなかったとか、結局声の大きい方が勝ってしまうみたいな。
 
 村崎氏は『今は耐えろ、大丈夫、世間というものの最大の弱点は飽きっぽさと記憶力の無さだ。嵐はそういつまでも続かない』と言っているが、それこそ楽天的すぎるとオレは思う。反論しない事は認めると同意義にとられてしまう。例えばさっきやえが言ったように国際的な情報戦とかな。それから国内でも例えるならば、「官僚」。もう今の日本では官僚のイメージはどうしようもないところまで来てしまっているのは説明するまでもない事だと思うが、しかし本来は非常に有能な人たちが大部分を占めるんだよな、官僚って。でもマスコミとかの官僚叩きには反論しなかったために、というより本来手足にすぎない官僚という存在は、世に向かって反論出来るシステムにはなっていないために、もはや官僚のイメージは地に落ちてしまった。今オレは「本来は非常に有能な人たちが大部分を占めるのだが」と言ったが、おそらくこれに猛反発する人がほとんどではないだろうか。このように、まさに批判に対して反論しなかったために起きてしまった悪イメージのお手本のような形になってしまったわけだ。
 
 政治家は反論できますもんね。でも官僚は本来は判断というコトをしてはいけない存在ですから、官僚だけが反論することはまずないと。政治家さんが反論してあげればいいんでしょうけど、逆に政治家までが官僚を批判してしまって人気取りに利用する始末ですからね。
 
 オタクのイメージがここまで落ちてしまってもいいのかと。いくら官僚がどれだけ一生懸命働いているかいろいろな事例を出しながら説明しても、もはや「官僚が有能なわけないだろ」の一言で、事例や説明など全て吹っ飛ばして、ほとんどの人が納得してしまような有様になっているのと同じように、「小林何某というアホの犯罪者と一緒にするな。ヤツは全然オタクではないじゃないか」と言っても、「はっ。オタクが何やったって犯罪予備軍だろうが」と一蹴されてしまうような風潮になりたいのかと。
 
 そうなってしまったら終わりですよね。
 
 しかし、今ならまだ間に合う。いま世に広く伝わらなくとも、反論しておけばいつかそれが実を結ぶ時も来るだろう。今回のは確かに所詮性欲がすでに失われてしまっているもうろくしたジジイの戯言でしかない。だからこそ、今回の騒ぎに対してはキチンと反論しておき、今後また似たような事件が起きた時のために抵抗力を付けておくのが良いだろう。いざという時にノーガードだと致命傷になるからな。
 
 こういうのは積み重ねという部分もありますしね。
 
 そうそう。理解できるヤツは理解できるんだから、声を挙げておく必要も意味もあるだろうよ。
 
 まぁ、唐沢俊一さんのおっしゃるコトも一理あるとも思うんですけどね。
 
 ただな、オレは思うんだが、やっぱり「正論を言っても無駄なんだから言うな」って言ってしまうのは、ネット思想家を名乗っているオレからしたらな、やっぱり肯定は出来ないわな。唐沢氏だって言論を生業としているんだから、堂々と正論言えって。「無駄だから言わない方がいい」って言ってしまうのは、言論の人間が言うセリフじゃないだろって。
 
 ああ、それは、そうですね。どんなに伝わらないと思っても、自分の誠を主張するのが思想家であり言論家ですからね。北朝鮮問題も沖縄の問題もアメリカの問題にも、独自軍隊を持てば大きく改善できると、いくらやえは主張してもなかなか世間には伝わらないですけど、でもやえはそれが正しいと信じているからこそ、そう主張しているワケですしね。もちろん伝えようとする努力は必要ですが、あきらめてしまっては何もならないですからね。
 
 思想家や言論家が正論言えなくなったら終わりだろうにな。世の中には何言ったって理解できないおつむの弱い人がいるっていうのは、この手の事をやっていればどうしてもぶち当たる壁であり、理解しておかなければならない事ではあるんだが、だからといって正論をやめたら、今まで自分がやってきた事はなんだったんだって事になるだろ。そうではなくてな、ちゃんと理解してくれる人もいると信じて、常に正論を言うと。
 
 そうですね。ほとんど事実無根の言いがかりな誹謗中傷には正論で反論するコトが一番ですよね。逃げ回ってなし崩しに一般の人に理解を得てもらうのでは、それではいつまでたってもシコリは残り続けるでしょうから、言うべきコトは言うべきですね。
 
 だから今回の騒動でここまでシッカリと反論出来たのは良かったんじゃないかとオレは思う。大谷だって言論家としての良心はあるだろうから、表ではいくら強がってもだな、本心では「さすがにまずかったな」ぐらいに思っているんじゃないんだろうか。逆に言えば、そう思っているから逆ギレしているワケでな。だから「オタク達よ一致団結せよ」なんてする必要はないだろうが、声を挙げ続けるという行動は決して無駄ではないだろう。また同じようなことがあれば、それぞれ信じる行動をすればいいんじゃないのか。
 
 そうですね。完全に大谷氏の言い分が論破されているというのは、良識のある人が見れば一目瞭然ですしね。
 
 
 
 
 以上で今回のお話は終わりなのですが、次回は、この関連でミーガン法について語ろうと思います。
 
 さすがにこの問題も、オレがいないとアレだからな。やえはアレでも女だから、なかなか感情的な部分もあるからな。
 
 ミーガン法については一回だけで終わる予定ですので、あまおちさんが出てくるのがどうしても耐えられない方も、もうちょっと我慢してください(笑)
 
 ・・・そこまでしてオチつけたいのかああああぁぁぁぁぁ
 

平成17年1月17日

 ミーガン法に疑問(上)

 このニュース見てくださいよ。ダメダメですよ。
 
 うはっ。ダメダメだ。限りなくダメダメだ。
 
 これって「政治の圧力」なんじゃないんですか?
 
 うむ。断じて違うぞ。だって共産党ごときでは「圧力」にならないからな(笑)だからフジも突っぱねて、共産党も裁判という非革命的手段に訴えているだろ(笑)
 
 つまり、安倍さんの件で共産党がしつこく問題にしようとしているのは、圧力を持ち得ていた安倍さんに対する嫉妬なんですね。共産党だと抗議だけど、安倍さんだと圧力だ。不公平ニダ。差別ニダ。と。
 
 わはははは。さすが共産党だ。だいたい共産党が拉致問題をむしろもみ消そうとしていたのは、言うまでもない事なんだがなぁ。拉致被害家族が言っているのにな。いつぞやウチにイチャモン付けてきたアカの人も、どうしてもこの部分を認めようとしなかったよな。まったく。そういう精神構造って、サリン事件を認めようとしないオウム信者と全く同じなのに、それに気づかないんかいな。
 
 彼らはいつでも、不当な権力から差別される可哀想な人たちなんですよ。そういう自分が大好きなんですよ
 
 わははははは。可哀想だから、その辺にしておいてやれ(笑)
 
 
 
 
 うむ。では今日は、シリーズ「幼年者犯罪被害を考える」の締めくくり、ミーガン法についだ。
 
 はい。いつの間にシリーズ化していたのか知らなかったのですが、とにかく今日はミーガン法についてですね。
 
 ではまず、ミーガン法について軽く説明しようか。
 
 はい。この「ミーガン法」という名前の法律はアメリカの法律です。法名の由来は、性的虐待で二度の逮捕歴のあった男に誘拐・殺害されたミーガン・カンカという実在の人物、7歳の女の子の名前からきています。今言いましたように、ミーガンちゃんは、性犯罪の前歴のある犯人に誘拐殺害されまして、この事件は全米で大きな衝撃を与えたのですが、それがキッカケでこの法律が出来ました。中身ですが、アメリカは州によって法律が違ったりしていますので一概には言えないのですが、大まかに言えば、性犯罪で捕まった犯人が刑期を終えて出所した後も、その前科者がどこに住んでいて名前はどうでこんな顔をしていると、ビラやインターネット等で公開するという法律です。これにより、その前科者に対して近隣住人が注意をするコトが出来るので、犯罪に巻き込まれにくくなるという効果を狙った法律です。簡単に例えますと、「5年前に幼女誘拐した天堕 輪っていう人間が○○市の○○町に出所して住み始めるのでみなさん注意しましょう」とビラやネット等で公開する、というワケですね。
 
 ・・・こら。
 
 この問題に対しては様々な議論がありますが、賛成派の意見としては「性犯罪は再犯率が高いので防犯につながる」というモノが主流です。一方反対派としては「あまりに人権を侵害しすぎている」というモノがよく言われています。
 
 まずはじめに言っておくが、オレはミーガン法については疑問を持たざるを得ない。今のところ反対と言ってもいいかもしれん。
 
 その理由は?
 
 オレは「加害者の人権」とやらをどうこう言うつもりはない。他人の人権を蹂躙した人間が自分の人権をとやかく言える権利なんて無いと思っているからな。ただ、端的に言えば、この法律はあまりにも感情的すぎると思うんだよな。
 
 でも、性犯罪、しかも幼年の子供が被害者の場合、その衝撃は考えられないモノだと思いますから、少しでも可能性を無くすためには致し方ない気もするんですが・・・。
 
 ただな、可能性云々の話をしてしまうと、前の更新で扱った「フィギュア萌え族」の大谷と同じ理論になっちまうんだよ。だったら盗聴もやりまくって、夜は外出禁止令を出して、密告制度を徹底的に浸透させると、外人も全部国外退去させると、こうすれば確かに犯罪はぐっと減るんだろうよ。しかしその方法が正しいとはオレには言えないな。
 
 うー、そうですねぇ。
 
 それから、確かに女からすればレイプというのは、もうほとんど殺人に近いような感覚の犯罪なんだろうが、しかしそれだったら殺人にも適応すべきなんだと思うんだよな。なぜレイプ犯だけこのような重い罰を与え、殺人犯には与えないのか、と。
 
 うーん、じゃあ殺人犯にも適用すればいいんじゃないですか?
 
 では放火犯はどうだ。放火も罰には死刑がある重大犯罪だ。しかも放火も再犯率が高いと言われていなかったか?
 
 うー、そうですねぇ・・・。確かに言いだしたらキリがないかもしれません。
 
 法は人間の感情が元になって出来るモノだ。もし窃盗されても笑って終わらせられるような人間ばかりだと、窃盗罪は刑法には含まれなかっただろう。だから感情論がまずはじめにあるという事を否定するつもりはない。ただ、感情論だけで全てを決めてしまうのも良くない。人間が集団社会を形成している以上、一定の共通認識を作る必要がある。それがルールであり法であるわけで、それらのルールは人間の数が多ければ多いほど必要であるのは仕方のないことであり、そしてそのルール達が矛盾しないようにしなければならないのも言うまでもないことでな、そこに感情だけでルールをつくっていては上手くいかなくなるっていうのも、ちょっと考えれば分かるだろ。
 
 はい。確かにミーガン法では、具体的な防犯の方法は示されておらず、ただ「前科者から逃げる」という点だけが主な項目であり、これでは性犯罪者だけではなく、全ての犯罪において同じコトが言えるでしょうからね。
 
 そうだ。殺人犯でも窃盗犯でも、ミーガン法の手法だけで考えれば、前科者を監視するという行為しかしないわけだから、これは性犯罪者だけに対する防犯法ではない。つまり性犯罪者だけにこの方法を当てはめる合理性がないのだ。
 
 うーん、ただ、性犯罪は再犯率が高いと言われていますよね。むしろこの点こそが最もミーガン法を肯定するためのもっとも大きな根拠となってなってます。
 
 うむ。その点なんだがな、実は、性犯罪の再犯率が高いという話は、これは根拠のない話なんだ。
 
 え?と言いますと?
 
 ひらたく言えば、ウソだ。そんな事実はどこにもないんだよ。警察庁がまとめている、平成15年の犯罪統計の中に、「前科等(注PFDファイル)」という資料があるんだが、その中の3ページ目「罪種別前科数別」というのを見て欲しい。この資料によれば、強姦を犯した1100人中、前科があった者は387人。しかしこの前科の中には、“強姦以外の犯罪を犯した者”も含まれているので、これを除いた数が「同種再犯率」となるわけだが、すると、「(平成15年の内に)強姦の前歴がある者がまた強姦した人数」は41人だ。よって「強姦罪を犯した総数の内、同種再犯者が占める割合」は、3.72%しかないんだよ。
 
 え!?・・少ないですね・・・。
 
 下の方に「わいせつ罪」があるので、これも性犯罪に含まれるのだろうが、わいせつ罪を犯した人間が強姦罪を犯した数が分からないので、数字を出せない。ちなみに「わいせつ罪を犯した人間がまたわいせつ罪を犯した数」は272人。わいせつ罪総数が3769人だから、率は7.21%だな。
 
 ちょっと高くなりましたが。
 
 じゃあ、どっかの話で再犯率が高いと聞いた傷害罪を見てみよう。「同種再犯者数」は1723人。率を出すと8.24%
 
 わいせつ罪より高いんですね。
 
 ほらな。これから見ると、決して性犯罪者が再び性犯罪を犯す可能性というのは、他の犯罪と変わらないんだよ。強姦に関しては傷害罪に比べて半分ぐらいだしな。ちなみにさっきオレは「放火も再犯率が高いと言われていなかったか?」と言ったが、これも実は誤りで、まぁ絶対数が少ないというのもあるんだろうが、なんと同種再犯者割合は1.71%。話にならん数字だな。ちなみにちなみに全犯罪(交通犯罪は除く)の同種再犯者割合は5.88%だ。
 
 うーん、これは確かに性犯罪の再犯率が高いとは言えませんねぇ。
 
 全然言えないだろ。
 
 ではどうして「性犯罪者が再び性犯罪を犯す確率が高い」という話が出回っているのでしょうか。
 
 多分、この資料を見て、深く考えずに計算してしまったんじゃないか。どっかのテレビ番組で40%ぐらいと数字を出していたらしいが、それは「性犯罪を犯した人間が初犯でない割合」を計算して出した数字だと思われる。例えば強姦の場合、総数が1100人。そのうち再犯者は387人。率は35%だ。
 
 これは高いように見えますね。
 
 しかしこの「初犯でない」という中には、強姦以外の罪の前科も含まれる数字なのだ。
 
 つまり35%の数字の中には、元窃盗犯が強姦した場合も含まれている、というコトですよね。
 
 そういう事だ。だがミーガン法というのは「性犯罪前歴者から性犯罪をされないように身を守る」法律であるので、ミーガン法の議論の場合には35%という数字は全くの無意味なんだよ。
 
 そうですね。
 
 まぁオレが今出している「同種再犯者数率」が、科学的統計学的に正しいのかちょっと自身はないんだが、しかし10%にも満たないような数字を持ってな、ミーガン法なんていう「二重罰」を与えていいのかと、オレは思うわけだ。
 
 二重罰・・・ですか?
 
 そう。オレがミーガン法に反対する理由として、今まで述べたような理由もあるんだが、オレはそれよりも、次に述べる「二重罰−法の矛盾」に大きく疑問を持つのだよ。
 
 
 
 
 
 というワケで、予想以上に長くなってしまいましたので、続きはまた明日に持ち越したいと思います。
 
 いやいやスマンな。計算していたら長くなりすぎてしもーた。ま、全国8769万人のおにゃのこ達にすれば、オレが出る方がいいんだろうが。
 
 はいはい。
 
 うわっ、せめてなんかつっこんでくれー。
 
 はいはい。
 
 
 

平成17年1月18日

 ミーガン法に疑問(下)

 広島の誇り・・・プロ野球界はこの話を忘れてはいけない。[Walkin' Around増刊号](→おふらいんver2さんより)
 
 
 
 
 
 
 
 
 では昨日の続きだ。で、ミーガン法はだな、二重罰なんだよ。
 
 と言いますと、裁判によって課された禁固刑や罰金などの罰と、ミーガン法による罰と、この二つのことでしょうか。
 
 そうだ。昨日も言ったが、オレは人権などというよく意味の分からん言葉でもって、この問題に反対しようとは思わない。別にミーガン法によって元犯罪者が白い目で見られたところで、それは自業自得だと思う。ただ、ミーガン法とは白い目で見られるようにするためのモノだから、これは明らかに罰だ。
 
 はい。しかし、人権うんぬんって言わないって言うんだったら、別に罰を与えてもいいんじゃないんですか?
 
 だがな、ここに大きな矛盾が生まれるんだよ。法の矛盾という看破できない問題が持ち上がるのだ。と言うのもな、では聞くが、刑法に定められている刑事罰は、死刑を除いてどうして期限が定められてると思う?簡単に言えば、禁固5年とか、罰金10万円とか、その罰が終わったら、その人はどういう扱いになるんだ?
 
 ・・・あ!!・・そういうコトですか。そうですね。確かに問題ですね・・・。つまり、少なくとも法的にはその刑量が終われば「罪は償った」というコトになるワケですから、それなのにその後にもさらに罰を与えるというのは、これは「最初の刑罰はなんだったのか」という問題になるってコトですね。
 
 そうだ。「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」という事は、少なくとも法的に言えば15年の禁固刑を受ければ、「それでこの犯罪については終わり」という事に他ならないわけだ。死刑だって、死刑という刑罰を与えれば、その罪は償ったと言うようになるわけでな。それなのに、さらにシステム的に“元”犯罪者に対して罰を与えるというのは、言ってみれば「禁固刑などの罰は無意味だった」と言ってしまっているようなものなんだよ。こんなんで法の権威を守ることが出来るのかと、オレは問いたい。
 
 確かにそうですね。それだったらはじめから終身刑にしてしまえって言いたくなっちゃいますよね。
 
 人間の感情からして、元犯罪者を白い目で見るのは別に変な事ではない。また、「罪を償った」というのも、被害者側の感情からすればいつまでたっても刑を終えても消えない部分はあるだろう。それは分かるし、否定もしない。だが、システム−法の問題はそれとは別問題である。刑事罰があって、一定期限が区切られている以上、その後システム的には、その犯罪に対しては何ら関与してはならないはずだ。法自身が罰の期限を区切っているんだからな。
 
 一方ではその犯罪は終わっていると法によって裁いているのに、一方では法によって犯罪が続いているから注意しろと言っている、と。矛盾ですね。
 
 結局この矛盾が、全ての問題点にかかってくるんだよ。昨日言ったように、性犯罪者が再び性犯罪を犯す確立というのは極めて低い上に、数的にも他の犯罪と変わらないのにも関わらず、しかしミーガン法があると、性犯罪はある意味殺人罰よりも重い罰を処せられるという事になるわけで、こうなればますます法の矛盾というか、外患誘致罪が一番重くて次に殺人や放火や内乱罪・・・こういう法の体系的な順列すら破壊してしまいかねない。
 
 そうですね。これだと仮に性犯罪者再犯率が高いと仮定しても、やっぱり矛盾ですね。もしミーガン法を制定するのであれば、もう刑法そのものを見直すぐらいの議論が必要になるでしょうね。
 
 結局、現行の刑法の罰とは一体なんなのか。それを議論し直す必要があるんだよ。もしね、禁固刑は想定上全て無期刑であると、しかし10年ぐらいで“仮出所”させられることもできるようになっていると、それが「懲役10年」の本当意味であると、つまり10年で出獄してもそれは死ぬまで「仮出獄」であるとう意味であるならば、まぁミーガン法も矛盾ではなくなるだろう。しかし、少なくとも現行法は、こんなことはないわな。
 
 やっぱり現行法では「刑期を終えれば罪は償った」とシステム上では考えるのが妥当ですね。でなければ、禁固刑の意味すら無くなってきますしね。
 
 なんらかの方法によってたまたま近隣住人が元受刑者の過去の前歴を知ってしまい、それによって白い目で見られてしまった、というのであれば、それはもう受刑者の自業自得であるわけだが、しかし「罪は償った」と認定しているシステム側から「こいつは犯罪を犯す可能性がある人間だ」と言ってしまうのは、自己矛盾以外何者でもないんだよ。
 
 システムがシステムであるためにも、それは絶対に尊重しなければならないですよね。
 
 システム内に自己矛盾をはらんでいたら、そのシステムは信用できなくなるからな。
 
 結局、ミーガン法とは、どう考えるべきなのでしょうか。
 
 ミーガン法自体に法の矛盾をはらんでいる上に、性犯罪者は再犯率が高いという根拠も全くデタラメである以上、この法律を肯定する材料は全く無い。やるだけ無駄、だけでなく、やれば法の崩壊にもつながりかねん。やってはならないと言うべきだな。
 
 百害あって一理無しと。
 
 まぁ一理もないのかどうかは分からないが、しかしアメリカや韓国などで同様の法律が施行されているんだけど、これによって性犯罪が減ったという科学的データは全く出されていないからな。
 
 では、性犯罪を減らすには別の方向から考える必要があるというワケですね。
 
 そうだな。でも刑法云々で犯罪が減らすことができるのかどうか、ちょっと疑問ではあるがな。幼年者強姦は必ず死刑、とかやれば多少は変わるかもしれんが、それが限界だろうよ。
 
 んー、ナニをちょん切るとかですね。
 
 ・・・・ううっブルブル。
 
 子供を虐待する母親は子宮を取ってしまうとかですね。
 
 ・・・・ううっ女はこわいなぁ。まぁそれはやっぱり法の体系的な順列を壊しかねないから難しいとしても、とりあえずな、どっかでも話したような気がするんだが、禁固刑というものをもう一度考え直す必要があると思う。
 
 刑務所の中でやっているコトは、単に罰を与えているだけなのか、それとも更正させるためのプログラムの一環なのか、というコトですね。
 
 罰を与えるだけなら死刑と終身刑を並立させた上でのますますの厳罰化も致し方ないだろう。更正されるのであれば、理想は、禁固の期限を設けず、専門家が「更正した」と判断するまで更正プログラムを実施させ続けるようにすべきだろうな。
 
 どっちにしてもいろいろとむずかしそうですね。
 
 そうだな。いくら国家的な統制を引いても犯罪は無くならないというのは実証されているわけだから、監視強化するだけでは決して犯罪は減らないと。ではどうやったら犯罪を減らすために一番いいのか、難しいところだな。
 

平成17年1月25日

 議論せずして感情だけで進んでいくのか〜ミーガン法を考える〜(1)


 火曜日だからオレの出番だぞ、と。
 
 ああ・・・、そんな設定ありましたね。最近出ずっぱりですからスッカリ忘れていました。
 
 はっはっはー、なんなら毎日出てやろうか。
 
 サイトの品位が落ちるのでやめてください。
 
 ・・・ううっ、ここはオレのサイトなのに・・・。
 
 
 
 さて、では、今日もミーガン法について語ろうと思う。タイムリーなコトに今日の読売新聞朝刊で特集も組まれていたしな。
 
 やえは思うんですが、この手の話の議論とかを見ていたらですね、やっぱりちょっとズレているんじゃないかと感じるんです。というのは、やはりステレオタイプな意見ばかり見かけるんです。ミーガン法に賛成の人は「加害者の人権ばかり重視されて、被害者の人権はどうなんだ。被害者こそが弱者だ」という立場でしか意見を言ってませんし、逆にミーガン法反対の人というのは「人権」だとか「差別」だとか「犯罪者の自立・支援」みたいな立場でモノを言っているんです。でもこれって違いますよね。
 
 そう。違う。こんな議論したところで、いつまでたっても結論が出るわけがねぇんだよ。犯罪加害者と被害者とが理解し合えるハズなんてねぇんだからな。
 
 そして、お互いにそういう立場を取っている以上感情論しか出てこないんですよね。
 
 そうそう。なかなか分かってきたな。加害者の立場でものを言えば「これからの人生」という視点を主として見るのは当然の話だし、被害者の立場でものを言えば「同じような犯罪を繰り返さない」というのが絶対になるからなりふりかまわなくなってしまう。
 
 ミーガン法の本家であるアメリカでは、はじめは被害者の家族が運動してこの法律を作ったワケですから、やはりこの法律は被害者の感情がとても強く込められている法律なんですよね。
 
 アメリカのある州では性犯罪の前歴をインターネットで公開しているところもあるらしくて、さすがに今日の読売の「賛成派」の人も「行き過ぎ」とは言っているんだが、こんな、どこにも住めないようにしてしまうとだな、どこに行っても迫害されるしこれでは自分の居場所は刑務所しかないんだから犯罪を起こしてしまえ、とか思ってしまって、新たな犯罪を引き起こしかねない。そうなれば本末転倒だろ。
 
 はじめからずっと刑務所に入れていた方が犯罪を1つ減らすコトが出来ますね。
 
 まぁ今の例は極論ではあるし、自分が犯した罪は、法的には償っても、道義的には一生背負っていくべきものではあると思うから、ある程度社会的に迫害を受けても自業自得だとは思うんだが、しかしやはり法というシステムが積極的に迫害に荷担するというのは違うと思うんだよな。
 
 今日の読売の特集にもありますように、また前回の更新でも言及しましたが、やはり刑罰というモノを、ただの応報と見るのか、それとも更正プログラムの一環と見るのかで変わってくるんでしょうね。
 
 まぁこの議論が混沌としてしまう原因はそこにあるんだろうけどな。ただ、最近の世論なんか見ていたらだな、どうも性犯罪者をというか、性犯罪というものに対して、妙な偏見を持っているような気がしてならない。今日はむしろそこを強く指摘しておきたいと思う。

 性犯罪者の保護観察を強化=再犯防止へ指導プログラム−法務省
 
 法務省は23日、性犯罪で服役して仮出所した出所者の保護観察を強化する方針を固めた。奈良の女児誘拐殺害事件の容疑者に性犯罪の前歴があったことを重視し、仮出所中の性犯罪者に対しては保護観察官が直接指導を行うことにした。
 保護観察官は家庭訪問や面談を通じて、仮出所者の精神状態が不安定になっていないか把握するように努める。仮出所者が悩みを抱えていれば、性犯罪を再び犯すことがないようにカウンセリングを行う。
 また法務省は保護観察官や保護司に対する研修を充実させる。性犯罪者向けの指導プログラムの研究・開発に向けて、専門家の意見を聞くための有識者会議の設置も検討する。

 なんつーか、「仮出所者の精神状態が不安定になっていないか把握するように努める。仮出所者が悩みを抱えていれば、性犯罪を再び犯すことがないようにカウンセリングを行う」って、病気かおい性犯罪衝動は病気かと精神病かとロリコンは不治の病かと
 
 ロリコンは病気じゃないんですか?
 
 ばッ馬鹿を言うなああああああああ。って、まぁ真面目話の時あまり冗談を言うと本気にされるのでこれぐらいにしてだな、ロリコンはとりあえずおいといて、少なくとも性犯罪というものを「精神的な病気によって引き起こされる犯罪」とするのは絶対に間違っている。まぁ犯罪そのものを病気的行動と位置づけられてしまえば何も言うコトがなくなってしまうんだが、しかし物取りや殺人なんかは“普通”の犯罪で、性犯罪は病気であると言ってしまうのは間違いであり、その認識でいれば重大な過ちを犯してしまうだろう。
 
 でも多分、性犯罪は病気だって言う人多いと思いますよ。人を人と思わないその所行は狂っているとしか思えない悪魔の所行だって。
 
 でも病気ではない。なぜか。では“普通”の犯罪である物取りと比べてみようか。なぜ物取りは他人の物や金を取ろうとするのか。それはその物や金が「欲しい」からだ。物取りという犯罪は物欲や金銭欲という欲求を合法的手段では抑えきれなくなってしまい犯罪を犯してその欲求を満たそうとするわけだ。では性犯罪はどうだ。どうして性犯罪を犯すか。ちょっとエグいが分かりやすく書くぞ。それは女(まぁ逆のパターンもあるし同性の場合もあるが)と「セックスしたい」からだ。つまり性欲という欲求があって、合法的な手段では我慢できなくなり、犯罪という手段によって欲求を満たそうとしてしまうのが性犯罪である。物も金も働くなりなんなりして合法的に手に入れる方法はあるわけで、同じようにセックスするのも恋人を作るなり風俗いくなりして合法的に欲求を満たす方法はあるわけだが、しかしその合法的な手段では満足できないぐらいの欲求が起こり、それを満たそうとした時に犯罪というものは起きることになる。つまり両者とも根底は欲求というものがあるわけであり、そして物欲も金銭欲も性欲も普通の人間ならだれでもある欲求である。性犯罪も、普通の人間が持っている欲求を非合法的手段によって満たそうとするから犯罪なのであって、合法的手段で満たせば問題ないわけで、それは物取りと一緒だよな、その欲求衝動そのものは病気でもなんでもないんだよ。
 
 なるほど。対して、病的犯罪というモノは、快楽殺人のような殺人そのものに快感を受けるようになってしまっていたり、発作的に人を刺したりと、つまり犯罪行為が目的となっている場合が多いですね。
 
 性欲が無い人からすれば、犯罪を犯してまでセックスしようとする行為は異常に見えるだろうが、しかし普通の人は性欲あるわな。性欲ある人間が性犯罪を病気って言ってたらダメだろってお前のその性衝動も犯罪ということになるぞと。犯罪的手段というのはもちろん責められるべき行為だが、それは他の犯罪と同じように病的行動ではないのだから、もし性犯罪を病気と言うのであれば、それは欲求や衝動を病気と言っていることになるわけで、しかしそんなわきゃーないと。
 
 本当に性欲が無いんじゃないかと思ってしまうような人いますけどね。タジ…先生とかですね。
 
 そっちの方が病気だと思うぞ(笑)
 
 ま。まぁ、それは冗談としましても、女の立場から言えば「そこまでしてセックスしたいのか」という意見もあるとは思うんですけどね。
 
 お前は、女の子に対して性欲があるだろーがー。
 
 ・・・バキッ
 
 あぐあ・・・・。ええと、まぁ、なんだ、金払ってでもセックスしたいと思うのが男なんだよ。女にはそれが無いと言ったところで、男にはあるんだから否定できん。どんなに否定したって「性欲」ってちゃんと科学的にもあるわけなんだからな。
 
 はい。で、その上で、病気でも無いのに病気だと言ってしまうと・・・
 
 異常だ、病気だって認識してしまうと、他の犯罪と区別・差別してしまい、ミーガン法なんていうモノが出来てしまうわけだ。さらに言えば、性犯罪は再犯率が高いというデマが流れてしまうし、信じてしまう人間がいっぱい出てきてしまうわけだ。つまりミーガン法やこの手の議論の根底にあるのは、こういう事実を事実として冷静に見れなくなってしまっている差別的認識なんだよ。
 
 性犯罪に限らず、本来なら誰もが持っているような欲求的犯罪を、病気的な異常犯罪と決めつけてしまうと、とにかく防げばそれでいいんだと、データが間違っていてもいいんだと、二重罰になってもかまわないと、とにかく異常者をなんとかすればいいんだって、話がそういう方向に行っちゃうんですね。
 
 だいたいな、さっきの記事で「仮出所者が悩みを抱えていれば、性犯罪を再び犯すことがないようにカウンセリングを行う」ってあるけど、なんだよこれ。「ぼぼぼ、ぼく、とっとってもセックスしたいんです。も、もうセックスしたくてしたくて人を襲いそうなんです。とにかくセックスしたいんです」とかいう悩みを聞くわけか?
 
 う・・・。
 
 男子中学生はみんな病気だなおい(笑)
 
 ・・・そうなんですか?
 
 盗みにしても何にしても「依存症」っつーものはあるわけでな、性犯罪者全てが依存症なわけねぇんだから、やっぱり性犯罪だけに、そういう枠をはめて考えるのはおかしいわけだ。そういう風に「指導プログラムの研究・開発」をするんだったら、全ての犯罪者にしろって言うんだよ。前にも言ったが、このままだと、法が法によって矛盾してしまうぞ。
 
 異常犯罪として隔離するだけでは、決して犯罪減らすコトにはつながらないでしょうしね。
 
 全くだ。
 
 
 
 って、いかん、読売の特集に全く触れることができんかったぞ。
 
 語りすぎですよ。しかも熱く
 
 うーむ、なぜだ(笑)仕方ない、もうちょっとこの話は続けることにしよう。
 

平成17年2月1日

 議論せずして感情だけで進んでいくのか〜ミーガン法を考える〜(2)


 さてワシだ。今日もミーガン法や性犯罪について考えていこうかの。
 
 最近はだいぶこの議論も落ち着いてきましたね。
 
 まぁ所詮なにか大きな事件が無いと世論は盛り上がらんのだよ。でも警察なんかでは、過去の性犯罪者のリストなんかを共有化させるとかなんとかやるらしいから、議論は収まっても事は進んでしまっているんだよな。
 
 実際、議論されたというよりは、雰囲気だけで話が進んでしまったような感もありますしね。
 
 うむ。だから、声は挙げ続けておかないとな。
 
 
 ところで、オレはこの問題、ミーガン法に関する問題を取り扱ってきた中では、特に明記しない限り「性犯罪」という範囲で語ってきた。しかしだな、この問題を「幼年被害者犯罪」つまりロリコン犯罪だけに限った話で議論を進めているような人がけっこう多い。また、いくつかのサイトで反応ももらったんだが、やはりロリコンにだけ限っているような話しぶりが多かった。
 
 あまおちさんがロリコンだからそうなっちゃったんじゃないですか?
 
 くわっ。
 
 な、なんですかそれは。新しいムーブメントですか?
 
 いやまぁ自分でもよく分からんが、いや、そうじゃなくてだな、性犯罪だけでも感情的になりやすいのに、これをさらに幼年者だけを見てしまうと、さらに感情的になりやすいから注意が必要なんだよ。でも、敢えて幼年者の議論にもっていこうとしている人は、ますます感情論で突っ走ってしまっとるんだよな。
 
 フィギュア萌え族なんていうのは、まさにヒステリーとしか言いようのない発言ですよね。
 
 おもしろいのがな、この前のサンデープロジェクトで、いきなり冒頭で田原さんが謝りだしたんだよ。どうもその前の回で問題発言をしたらしくて、よく聞いてみるとだな、田原さんが被差別部落の人たちをもって犯罪を起こしやすいというような、部落と犯罪とを結びつけるような発言をしたらしいんだ。実際その犯罪についてはオレはよく知らんから、この件に関しては本当はどうなのかここでは言わんが、しかしある集団を直接犯罪者グループだと決めつけるような、またあの集団だから犯罪が起きても当然みたいな偏見を持つことは基本的に許されない事であるというのは、言うまでもない事だよな。
 
 オウムのような集団単位で集団そのものが犯罪を犯した場合は別ですけどね。
 
 うむ。でだな、だから田原さん自身が言うように「部落を犯罪と結びつけるような発言」をしたのであれば、謝罪は当然だろう。しかし、であるならば、フィギュア萌え族もそうなんじゃないのか。その日のサンプロにはあの大谷昭宏がちょうど出ていたワケだが、もし大谷が田原さんの謝罪を聞いて、その謝罪が間違いではないと思うのであれば、大谷はいますぐ謝罪すべきなのではないか。大谷は罪もない人間を犯罪者呼ばわりしているわけだからな。
 
 大谷氏はこの件に関して謝罪しない限り、永遠に、ウソつきであり人権侵害者であり差別者であるというコトですね
 
 したり顔してテレビ出る資格なんてないんだよ。あいつには。
 
 
 ところで、今日はかなり逆説的なことを言ってみようと思う。どうか感情的にならないように注意して読んで欲しい。
 
 お、あまおちさんにしてはめずらしく慎重ですね。
 
 うむ。だって、本当に性犯罪は人間失格とまで言えるような犯罪と断言出来るのか、と言ってしまうんだぞ。
 
 言ってしまうんだぞって言われても、言いましたよ今。
 
 なにっ。誘導尋問にひっかかってしまったっ。
 
 してませんよ、そんなの。どっちにしても言うつもりだったんじゃないんですか。
 
 ああ、そうだ。うむ。冷静に聞いてくれ。というのもな、物取りとか殺人(同族殺し)というのは、ほとんど人類発祥時から犯罪であったのは想像にたやすいわけなんだが、しかし例えばロリコンというか、低年齢の女の子とセックスするという事、それに対する抵抗感が人類発祥時からあったのかと、そういう点を見てみると、必ずしもそれを犯罪と言い切れるとは言えないと思うんだよな。
 
 もしかして平安時代とか、そういう時代のお話ですか。
 
 そう。あの時代、10〜15歳ぐらいの女の子とセックスする事は異常でも何でもなかったわけだし、その年で結婚もしていたわけだから、若くしてセックスするというのは全く普通の事であってな、犯罪なんて言う方がおかしいって話だ。
 
 衆道っていう風習も日本にはありましたよね。主に戦国時代から江戸時代にかけての、男の人同士の恋愛のコトですが、当時は特に偏見も禁忌の念も無く、ごく普通の、それこそ個人の趣味の問題程度の話でした。さらに言えば、衆道は武士道の華とも言われ、女と男の間にある子を作るという外的な契約とは違って、魂が惹かれあうことによって結びつくのが衆道であり、だからこそより神聖であると考えられていた時期もありました。
 
 そもそも日本という国は性に関しておおらかな文化を持っていたわけだから、こういう例ならけっこう出てくる。村で年に一度行われる祭りでは、表的には普通の祭りだが、裏の意味では男と女が自由にセックスをする日である、という意味の祭りも日本には各地であった。それは文字通りに自由で、結婚していても別の相手とセックスする方が普通。むしろ男の方が女をいきなり引っ張り込んでその辺でおっぱじめていたりするっていうのが祭り独特の営みだったからな。
 
 性器をご神体にしている神社とかいっぱいありますしね。
 
 日本書紀には、天照大神を岩戸から呼び戻すために、男も女もほとんど全裸に近いような格好で踊り狂って騒いだ、という記述もあるしな。ここまでくると、もうなにがモラルで何が犯罪で何が正常なのか分からなくなってくるよなー。
 
 昔のお寺ではお稚児趣味という、ショタコンな風俗もありましたしね。日本はなんでもアリですよねぇ。あ、レズはないんですかね。女の子同士が愛し合ってもいいじゃないですか。なんでですか。謝罪とばいしょ・・
 
 あー、ごほん。で、日本以外での話で言えば、逆に日本人にはビックリするような話もある。スマトラ沖での大震災は今世界中で大きく話題になっているところだが、実はその裏で、現地人による子供の誘拐や売買、そしてレイプが氾濫してしまっているそうなんだ。そして、あの辺の、ある部族の常識では、レイプする事よりされた事の方が罪が重いというか、レイプされた人の方が悪いだろっていう常識があるところもあるんだそうだ。
 
 ええっ。それはまた酷いというか、すごい話ですね・・・。
 
 まぁなんだ、レイプは間違っていないという事を言いたいんじゃなくてな、つまり性に関する常識というのは、人間的というような一概には決して言えないという事なんだよ。時代によっても地域によっても人によってもバラバラなんだから、どれが本当に悪いことなのかとか、普遍的な価値なんて見いだせないということだ。
 
 というコトは、性犯罪の犯罪たる所以というのは、法でしばられているかどうか、というところだけというコトなのでしょうか。
 
 極論言えばそうだな。まぁもちろんその法が成立した時代において犯罪とされた行為は常識においても禁忌だったから犯罪と定めれたんだろうから、決して性犯罪は犯罪ではないと言うつもりは全く無い。ただし、時代や地域によって性嗜好というのはまちまちであるのだから、普遍的禁忌とか、この性嗜好は人間的犯罪行為であるとか、病気であるとか、そういう事は決して言えないということなんだよ。
 
 つまり、幼女性行為にしても、今は確かに犯罪であり忌むべき行為ではありますが、しかしその行為自体が病的な行為であるとか、人間的欠陥行動であるとか、そうは言えないってコトですね。
 
 そうそう。人間的欠陥行動と言ってしまうと、平安時代の日本人は全て異常人だと言わなきゃいけんくなるからな。だから、性犯罪とはむしろ社会性の上で成り立つ犯罪という事を念頭に置いて考える必要があるんじゃないかと思うわけだ。決して病気だからとか言って切り捨てても、それは全然性犯罪の解明にも減少にも繋がらないだろうよ。
 
 世界的に見ても日本人のロリコン率というか、そういうモノって高いとされていますが、それも歴史的文化に基づいた結果なんでしょうしね。
 
 今東京都はなんとかポルノっぽい本とか撲滅したいみたいだけど、エロ本文化は江戸時代にも花開いていたんだから、なにをもって保守化しているなんて言えるんだろうかとね。江戸時代の長屋の子供なんて両親の夜の営みなんて隣で見ていたような感じだったんだし、色町にも体は売らないけど「かむろ」って言う少女が下働きしていたわけだし。エロ文化を無くすことが古き良き日本の倫理を復活させる事につながるとは、ちょっと思えないよな。
 
 今の性に対する閉鎖的とも言える風潮がどこから来たのかちょと分かりませんが、しかし今だけの感情に流されて、全てを否定するのはちょっとアレですよね。
 
 性はもっとも人間らしい部分と言えるんだから、全否定するんじゃなくて、それを理解し踏まえた上で、今の常識と照らし合わせ、どう防ぐべきなのか考える必要があるんじゃないかと、そうしないと性犯罪を防ぐなんてできないんじゃないかと思うわけだ。
 
 変な例えですが、外人からしたら日本人の多くがどうしてロリコンなんだろうと首を傾げるのと同じように、あの可愛い鯨を食べるなんてオカシイ奴らだなんて思っているワケでして、でも日本人からすれば鯨を食べるのは普通の文化ですし、ロリコンも日本文化に根付いている部分はありますと。そういうのは外人には決して理解できないんだから、いちいち口を出すなと、そういうコトなんですよね。
 
 そそ。理解できないから全否定、全切り捨て、とやっていたら、白人のヒステリックな捕鯨反対と変わらんぞと、そういう事だな。
 

平成17年3月5日

 感情論はデータすらも捏造す

 
 まてまてまてまてええええええええええ。
 こんなミスリードが許されるのだろうか。
 これが朝日ならともかく、天下の読売新聞が行うのだから、いかに今国民が感情だけでしかこの問題を考えていないのか、これは非常におそろしいことである。。
 
 まずは記事を読んでくれ。

 女児暴行の2割が再び性犯罪
 
同庁の科学警察研究所は、82―97年に摘発した女児(13歳未満)対象強姦事件の容疑者527人のうち、死亡や行方不明の21人を除く506人の昨年6月末までの状況を追跡調査した。強姦や強制わいせつで摘発された103人の内訳は強姦が47人、強制わいせつが76人で、両容疑で摘発された容疑者も20人いた。半数近い47人は、13歳未満の子どもを再び襲っていた。
 また、暴力的性犯罪の前歴を2回以上持つ容疑者144人の場合、35・4%(51人)が再び強姦または強制わいせつで摘発されていたのに対し、1度しか前歴のない容疑者の再犯者率は14・4%で、再犯性の高さを統計的にも裏付けた。

 これ読んだら、もう中身の記事読む事もなく、「ぬおっ、やっぱりロリコンは非人道的だ。どんどん罰しなければならんな」と思う事必至である。
 そりゃ「女児暴行の2割が再び性犯罪」なんて言われたら、なんかもの凄い非人道的な犯罪が横行しとると思わずにいられんだろう。
 しかししかしよく本文を読んでくれ。
 これらの記事の根拠は、まったくデタラメである事が分かるだろう。
 
 まずタイトルにもあるこの2割という数字。
 もの凄いデタラメなのである。
 この2割とは『「82―97年に摘発した女児(13歳未満)対象強姦事件の容疑者506人」中の「昨年6月末までに強姦や強制わいせつ容疑で再び摘発されたのは103人」の割合』であり、つまり、「103/506」という計算式から20.35%という数字がはじき出されているわけであるのだが、しかし実はこの数式、分母と分子の内容が違うのである
 よくさっきの引用文『』の中を読んでみてくれ。
 分母である「506人」の内容は「女児(13歳未満)対象強姦事件の容疑者」となっているな。
 しかし分子である「103人」は「強姦や強制わいせつ容疑で再び摘発された」人間なのである。
 つまり、分母は「対象が13歳未満」であるのに対し、分子は年齢制限がなく無制限なのである
 しかも分母を「強姦」に限定ていながら、分子は「強制わいせつ」も含まれているのである
 これでは公正な科学的なデータとは言えない。
 
 以前にも書いたように、分母と分子の内容が違うと、とんでもない数字が出てしまう。
 どこかのテレビで性犯罪者の再犯率が4割とか出していた報道があったが、これは『「性犯罪前歴者」が犯した「全ての犯罪」の再犯率』であった。
 つまり、性犯罪で捕まった事のある人間が、次に窃盗で捕まってたとしても、カウントされるという数字である。
 これでは再犯率という意味において正確な数字とは言えないし、また4割という数字が高いかどうかも言えない
 4割という数字が高いかどうかを比べるなら、『「傷害罪前歴者」が犯した「全ての犯罪」の再犯率』や、『「窃盗罪前歴者」が犯した「全ての犯罪」の再犯率』で比べる必要があるだろう。
 そしてこの数字を分析する限り、性犯罪が特別高いという結果は出なかった
 
 同じ値の分子に対して、分母の数字を低くすれば、当然出てくる割合の数字は大きい物になる。
 数学上当然の話だ。
 よって正確な「再犯率」を出すのであれば、『「性犯罪前歴者」中「性犯罪」』で計算するか、『「13歳未満対象性犯罪前歴者」中「13歳未満対象性犯罪」』の計算をするべきなのである。
 
 結局、この記事にあるような計算方法で出された「2割」という数字は、悪意を持って“作られた”数字としか言いようがないのだ
 
 また、驚くことに「半数近い47人は、13歳未満の子どもを再び襲っていた」なんて一文も同じ記事も書いてあったりする。
 つまり、この記事を書いた記者は、「無意識のうちに分子と分母の内容を変えて計算をしてしまった」のではなく、意識的に悪意を持って数字を作り替えているとしか思えないのである。
 結局分子も分母も「13歳未満」に揃えるのであれば、再犯率は「47/506」で、9.28%という数字でしかないのだ
 だいたいにして、これでもまだ分母の「強姦のみ」に対して、分子は「強制わいせつも含む」なのだからどうしようもない。
 どうしようもない上に、なんだこの低い数字は
 こんなんで他の犯罪から特別視するほど高い数字と言えるのか。
 冷静な判断力を持つ人間なら、この数字をどう考えるか、敢えて言うまでもないだろう。
 
 
 読売の情報操作はまだ続く。

 一方、全国の警察が昨年、子どもを対象にした暴力的性犯罪で摘発した466人を見ると、同種の前歴を持っていた容疑者は15・9%(74人)で、傷害(20・4%)や窃盗(19・0%)を下回った。ただ、過去に何らかの犯歴のある193人に限れば、同種前歴の容疑者は38・3%を占めた。

 この記者はこの記事を書きながら気づいてしまっているのだ。
 決して性犯罪が他の犯罪と比べて特段再犯率が高いというわけではない事を。
 なんとかかんとか、性犯罪者の再犯率を高く見せるカラクリを、かなり卑怯な手で、しかも過去16年間という長いスパンで出された数字を使って出したのに、一番最新の数字を見てみると、記者の思惑には見事に答えてくれず、傷害や窃盗よりも大幅に再犯率が下回ってしまっているという皮肉な結果が出てしまっているのだ。
 しかも、またしても分母を「子どもを対象にした」としているのに対して、分子を「同種の前歴を持っていた容疑者」と年齢無制限としている可能性が高いのである。
 それでもこの数字だ。
 
 さすがにこれには記者も焦ったのだろう。
 一生懸命になんとか有利な数字を作り出そうと、「過去に何らかの犯歴のある193人に限れば」なんて数字を提示して印象操作しようとしているようだが、しかし、これまでこの問題について当サイトを読んでくれとる人なら、もうカラクリは一目瞭然だろう。
 『過去に何らかの犯歴のある人間が子どもを対象にした暴力的性犯罪を犯した割合』は38.3%かもしれないが、『過去に何らかの犯歴のある人間が傷害罪を犯した割合』は、この資料によると(注PDFファイル)39.1%である。
 ちなみにこれが詐欺罪になると、45.8%という驚異のアベレージを記録する。
 もうお話にならんな。
 
 もはや読売は先に結論を決めてしまい、その後から理由を付けているという構造になってしまっている。
 朝日のいつものパターンとそっくりそのままだ
 この記事は4日の夕刊一面に出た物で、その23面にもこの件についての解説が載っているのだが

 「女児対象強姦事件」は、最も悪質な性犯罪の一つだ。その前歴者の5人に1人が、再び強姦や強制わいせつを犯しているという調査結果は、諸外国に比べ10年は遅れているとされる性犯罪の再犯防止策の現状を物語っている。

 とか

 米国では、子ども対象の暴力的性犯罪者の再犯率は25%程度と言われている。去年一年間の日本の統計は米国より低く感じるが、軽視は出来ない。長期にわたる強姦事件容疑者の追跡調査では、20%以上が再犯を犯しており、米国の同種調査の17%程度と比べ、状況は深刻だ。

 とか、数字を無視して「遅れている」とか「軽視は出来ない」とかいう言葉だけをもって印象操作でカタを付けようとしているのである。
 しかし、数字をシッカリと読み取り、客観的冷静に考えるのであれば、性犯罪者だけを特別視するのは間違っていると結論が出るはずだろう。
 オレは、犯罪者の人権とかなんとかよくわからんような概念持ち出してああだこうだと言うつもりはないが、ただ性犯罪だけを特別視する空気は間違っとると言わざるを得ない。
 もしこれが、犯罪者全てにミーガン法のような法律を当てはめるなら、それならそれでいいんだが、そうでないのなら、それなりの根拠を示す必要がある。
 そして今それを出せないでいるのである。
 
 感情だけで物事を進めても、ロクな事はないというのは言うまでもない事であるのだ。
 その辺をよーく考えてもらいたいものである。
 

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