☆国会議員のいわゆる「世襲」問題☆

  世襲批判への批判なにがどう世襲なのか亡国への議論

平成21年5月20日

 世襲批判への批判

 政治家に対する世襲制という批判、批判と言うよりももはやただの叩きだと思っているのですが、今日は分かりやすく世襲批判のデタラメさを書いていきたいと思います。
 なお、世襲批判批判はこれまでも何度か行っていますので、例えばこちらですとか、この辺も併せて読んでいただくと幸いです。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 では本題です。
 
1.そもそも国会議員は“世襲”ではない
 
 マスコミは世襲世襲と言い散らしていますが、果たしてそれは本当に世襲と呼べるべきモノなのかどうかという、根本的な問題がまずあります。
 いわゆる国会議員の世襲問題と言われている事案は、国会議員の親もしくは親族が国会議員を勤めていたというコトと、そして多くの場合、親もしくは親族の国会議員と二世と呼ばれる国会議員の選挙区がほぼ同じであるというコトの、この両方の要件を満たしている場合によく呼ばれる事案です。
 例えば麻生太郎さんや小泉純一郎さんがこの例に含まれる一方、石原伸晃さんなんかは、ご実父の現東京都知事の石原慎太郎さんが国会議員時代に地元にしていた選挙区とは別の選挙区から立候補し選出されていますので、世襲議員とは呼ばれない場合もあります。
 
 しかしよく考えてもらいたいのは、そもそも世襲という言葉は一体どういうコトを指し示す言葉であるか、というところがあります。
 
 本来「世襲」とは、親や親族から、その権力や地位や財産などをほぼ無条件に受け継ぐコトを指し示す言葉です。
 例えば日本で言えば昔の江戸幕府の征夷大将軍であったり、武家の家だったりです。
 武家の家を継承するためには、その家の男子の子供が必ず必要とされており(ちなみに必ずしも実子である必要性は無かったようです)、その家にもし男子の子供がいなかった場合、その家はお取り潰しとなってしまっていました。
 そして子がいれば、その家の地位や財産はそのまま親のモノを継承するコトになり、例えばそれが征夷大将軍の家であるなら、いくらまだまだ青年の将軍であったとしても、下の地位から上り詰めるコト無く、その他の武家の人間は、ははぁと頭を下げなければならない征夷大将軍に就任するコトになるワケです。
 これが世襲です。
 その子の才能や能力や下積み経験は全く関係なく、親などの権力や財産や地位を、試験などの条件が無く、無条件に継承するコトが世襲と呼ばれるのです。
 
 現代でも、中小企業であるなら、この世襲は行われるコトがまだまだたくさんありますね。
 普通の新入社員ならそれなりの年月勤めなければ上の方に昇進できませんが、経営者の子であるというだけで数年で上の立場が与えられ、そして親が引退、もしくは亡くなった際には、その子供が経営者になるという形です。
 特に有限会社や、親族が株式の大部分を保有している中小企業では、よく見られる形です。
 
 では国会議員の場合はどうでしょうか。
 もし本当に、親が衆議院議員をしていて、その親が引退もしくは死亡した際に、自動的に子供が衆議院議員になるというのでしたら、これは世襲でしょう。
 子供が複数人いた場合、今も昔も良くあるように、その中で指名争いが起こる可能性はあるかもしれませんが、しかし権力や地位自体は親から子に自動的に移るので、この場合は世襲と呼ぶのが適切な状態だと言えると思います。
 でも実際はどうでしょうか。
 果たして本当に国会議員の子供は、なにもしなくても自動的に国会議員になれるでしょうか。
 違いますね。
 親が誰であろうと、総理大臣であろうと、元勲大久保利通であろうと、国会議員になるためには選挙に当選する必要があります。
 つまり、自動的に地位が子に継承されるワケではないのです。
 よってこの時点でこの条件がある以上、これを世襲とは普通呼ばないのです。
 
 よく考えてみてください。
 むしろ国会議員になるためには、一体どんな条件があるでしょうか。
 普通の企業であるなら試験や面接など様々な条件をクリアしていく必要がありますが、政治家の場合ただ1点、選挙に当選するというコトだけが絶対の条件です。
 端的に言えば、人柄とか学歴とか実績とか全く関係なく、選挙に受かりさえすれば正義なのです。
 田中角栄元総理は、今で言う中卒で総理大臣まで上り詰めた人です。
 有罪にはなっていませんが逮捕歴もありますが、それでもそんな経歴に関係なく、ただ「選挙に当選した」というただ1点の理由だけをもって、衆議院議員を務め、そして総理大臣になったのです。
 これはつまり、それだけ選挙が重いというコトでもあります。
 
 では、いわゆる世襲議員・二世議員の場合はどうでしょうか。
 こんなの言うまでもなく、全ての現職議員は選挙に当選してている方々ばかりです。
 ひとりとして、親や親族の地位を自動的に受け継いでいる方はいません。
 全ての国会議員は、憲法や法律に規定されている選挙によって、規定通りの当選の資格を得ている方だけです。
 そこに年齢も性別も政党も主義主張も何も関係ありません。
 こういう意味において、日本にはひとりとして世襲議員なんて人は存在しないのです。
 
 どんな立場の人であっても、国籍と年齢の制限さえクリアしていれば立候補するコトができ、それに当選すれば誰でも国会議員になれるというのが、日本の制度です。
 この制度を通らず裏口で国会議員になっているのであればそれは不正としか言いようがありませんが、そのような人は日本には存在しません。
 親が国会議員だろうと、その人本人もキチッと唯一且つ絶対の条件である選挙を通っている時点で、他の人と何ら代わりのない国会議員です。
 そこに批判される謂われは全くないでしょう。
 いわゆる世襲批判というモノは、根拠のないただ単に国会議員を叩くための造語だとしかやえには思えないのです。
 
 
2.世襲批判は憲法違反であり、また個人の権利を踏みにじる行為である
 
 よく言われる言葉に「子は親を選べない」というモノがあります。
 まぁこれはその通りでしょう、どんな家のどんな親のもとに生まれるのかというのは、誰にも選べないコトです。
 ですから、もしかしたら経済力の乏しい家庭に生まれるかもしれませんし、大企業の社長の家に生まれるかもしれませんし、アラブの王族の家に生まれるかもしれませんし、国会議員の家に生まれるかもしれません。
 そのコト自体は誰にも責められるモノではありませんし、卑屈に思うコトもありません。
 必ずしも裕福な家に生まれるコトが良いコトとは一概には言えませんが、どの家に生まれるのかというのは運不運の問題であって、自分で選べるモノではなく、ある種の才能と言い換えるコトもできるかもしれません。
 自分で選べるワケではないですからね。
 どの家に生まれたかは運命であって、自分の力ではどうしようもできないコトです。
 
 その上で、たまたま国会議員の家に生まれたからというだけで、国会議員の選挙に立候補出来ないとするというのは、あまりにもその人の人間としての権利を踏みにじる行為であるとしか言いようがありません。
 これは憲法違反でもあります。
 特に選挙というモノは水物でして、タイミングとかも重要な要素の一つとなります。
 その場合、国会議員の家に生まれたという理由だけで、そのタイミングで自分の生まれ育った町からの立候補が制限されるというのは、あまりにも理不尽としか言いようがなく、あまり好きな言葉ではありませんが、人権を無視しているとしか言いようがない行為です。
 ひとりの子供の、ひとりの人間の可能性を、強権を持ってしてつみ取ってしまうのは、国家が最もやってはならない行為の一つだと、やえは思います。
 
 それから、ちょっと話は変わりますが、いま自民党が主張しているような「内規なら憲法違反とは別問題だろう」という言い方も、これもとても勘違い甚だしい主張だと言わざるを得ません。
 例えばこういうのはどうでしょうか。
 
 「憲法では差別を禁止しているが、法律ではなく内規なら『女性は一律男性の給料の半分』と定めても問題ない」
 
 こういう行為は法律でも禁止しているのでダメではありますが、このように「憲法ではダメだけど内規なら良いだろう」という言い方は、そもそも憲法や法律をないがしろにする主張でしかありません。
 憲法で定められているコトは、どんな立場であれどんな組織であれ全ての国民が遵守すべき決まり事です。
 私法であり内規だから何をやっても良い、とは決してなりません。
 憲法で職業選択の自由が定められている以上、ただ「政治家の家に生まれた」という本人にとってはどうしようもない事柄だけで制限するというのは、憲法・法律・内規すべてにおいて、全ての日本人が遵守すべきコトだと思います。
 
 
3.才能を潰すことは日本にためにもならない
 
 自分で選ぶコトが出来ず生まれたコトでその能力を持っていると言う意味では、生まれた家の事情というモノもある意味才能です。
 その家の事情を活用せずに生きてきた人なんて、おそらくほとんどいないでしょう。
 仮に生まれた家では何らかの諸事情で生活できなかったという人であっても、育った場所というモノがあって、そこから受けた影響というのは人間なら大なり小なり必ずあります。
 これを無視するコトは出来ません。
 
 才能というモノが比較的目に見えやすいスポーツの分野でいえば、例えばイチローさんも、やはりあのお父様の存在があったからこそ、スーパースタになり得たと言えるでしょう。
 それはお父様から頂いたDNAという才能のおかげかもしれませんし、環境のおかげかもしれませんし、もちろん本人の努力もあったでしょう。
 これら全ては、やっぱりイチローさんがあの家に生まれたからこそ、あのお父様の子供に生まれたからこそ、鈴木一郎ではなくイチローというスーパースターになれたのです。
 本人が選択して才能を得たワケでも、努力できる環境を選んだワケでもないのです。
 
 また野球はまだ日本では人口が多いのでプレイする機会も多いですが、これが他のマイナースポーツであれば、ますます親や家の存在は大きくなります。
 「どうしてこのマイナーなスポーツを始めようと思ったのですか」という質問に対して、親や親戚がやっていたからという答えはよく聞くところです。
 そして、イチローさんもそうですが、その才能を十二分に開花し発揮させて、親以上に大成した人も多くいるワケです。
 
 国会議員という職業は、知名度は高いですが、職業としてはかなり特殊でマイナーな世界です。
 なかなか親が国会議員だという知人はあまりいないと思います。
 その中で、政治家に家に生まれ育った子供が、政治的な才能を持って生まれた可能性というのは決して無視できるほど小さくないワケですし、ましてそういう環境で育った人間が政治の才能を開花させる可能性というのは、おそらく一般の家庭よりもとても大きいと言えるのではないでしょうか。
 もちろん政治家の家に生まれた子供の全員が政治の才能が高い子供だとは言いませんが、親から受け継がれたDNA的な才能と、幼少期の環境という意味での才能というモノを考えれば、これを否定する方がむしろ不自然ではないかと思います。
 
 イチローさんの環境を嫉妬しても詮無いコトです。
 もしこの環境を嫉妬して、イチローさんはWBCとかの出場をさせないとか法改正したとしても、そんなモノは日本の損失にしかなりません。
 親が野球に熱心な家庭に生まれたとしても、逆に親が野球なんて大嫌いだという家庭に生まれたとしても、結局最後は、本人がどう結果を出すかだけで判断されます。
 それこそがフェアーであり、全体の利益に繋がります。
 全体のレベルを上げるために、導入しやすい環境を整えるコトはとてもその分野にとって有益ですが、恵まれた環境にいる人間の足を引っ張るようなコトをしても、まるで無意味というだけでなく、その分野を損なう結果にしかなりません。
 足を引っ張るぐらいなら、環境を整え裾野を広げる努力をした方が数万倍マシでしょう。
 政治だって同じではないでしょうか。
 恵まれた環境の中でその才能が開花した人物が国会議員になるコトは、それは日本の国益に適います。
 恵まれた環境にいるからその才能には制限しましょうと言ったところで、日本にとっていったい何の特になると言うのでしょうか。
 もちろん多くの人が国会議員になりたいと思えるような環境を整えるコトは大切なコトだとは思いますが、それと、恵まれた環境の人の足を引っ張るというのは全然別問題でしかありません。
 足を引っ張ってもそれは国益を損なう行為以上の意味を見いだせないでしょう。
 
 やえは優れた人物であれば、その生まれに関係なく是非とも国会議員に、そして総理大臣になってもらいたいと思います。
 
 
4.政治資金管理団体は相続税がかからない、というウソ
 
 政治資金管理団体を親から子に受け継がせたら相続税がかからない、という批判が最近よく聞かれます。
 しかしこれは悪質なデマです。
 
 この政治資金管理団体のお金の受け渡しというのは、政治資金管理団体間の寄附によって行われますので、確かにここに税金はかかりません。
 ですから、政治家の親から立候補予定の子への政治資金管理団体の寄附のやりとりが仮にあったとして、その場合そこの政治資金管理団体間だけを見れば、「相続税がかからない」と表現するのは、まぁ言葉上では間違いではありません。
 一応間違いなく「相続税」という名前の税金はかかりませんからね。
 しかし、間違ってはならない点が2つありまして、まず1つはそもそもこれは政治資金管理団体間の寄付行為であって相続ではありませんので、「相続税がかかる」という言い方が全く適切ではないというコト。
 そしてもう1つは、別にこれが「親から子」という関係に限った話ではないというコトです。
 
 例えば、「親から子への相続には消費税がかからない」という表現があったら、どう思うどうでしょうか。
 こんなのうよく考えたらメチャクチャな言い方ですよね。
 こんなのもうちょっとよく税法の基本というか常識を知ってから話をしてくださいとしか言いようがない表現の仕方ですが、つまり「政治資金管理団体間の寄附には相続税はかからない」という批判はこれと全く同じの、的外れもいいところの、正直常識人としては恥ずかしい言い方でしかないのです。
 また、このお金のやりとりは別に「親から子」とか「親族から親族」という間柄は全く関係ない話でしかなく、他人同士でも政治資金管理団体間であれば寄付が出来る、すなわち無税でお金のやりとりが出来る行為です。
 変な話、小沢一郎の政治資金団体から麻生太郎の政治資金団体へ無税で寄付行為も簡単にできます。
 ここに「親から子」とか「世襲」とかは、全く関係ない話なのです。
 それなのに、この問題を「親から子」だけの関係に矮小化し、いかにも世襲的特権制度かのように印象づけるのは、悪質なミスリードであり、ウソであり、デマそのものです。
 このように、少なくとも世襲批判という言説の中で行われる「相続税がかからない」と批判は、全くデタラメと言った方が適切なデマなのです。
 
 もちろんこれは政治資金管理団体間の寄附に税金がかからないコトに対する是非の議論とは別問題です。
 それが問題だと声を挙げるコトは、主張としては尊重されるべき主張です。
 ですからそのような議論をするのであれば勝手だと思いますが、しかし少なくとも「世襲」の問題とは全く別問題で議論しなければならない話ですし、まして暗に「親と子の関係だけにおいて特権的に相続税がかからない」などというような恣意的で悪意に満ちた批判は、これはまるでスジの通らない、中傷と言っていいレベルの言い方なのです。
 
 それからこれは今回の分では蛇足になりますが、やえは政治資金管理団体間の寄附に関して税金がかからないというのは、適切な処置だと思っています。
 政治資金は政治活動のための資金であって、生活費や娯楽費ではありません。
 つまり政治資金は、本来であれば税金で賄われるべきお金です。
 現実問題として、いまの国会議員は政治活動の全てを税金で賄われていないので個人や団体からの献金やパーティーなどで資金を集めるようになっていますが、やえはこれらを全て禁止して、政治資金は全て税金で賄うようにするコトの方が正しいと思っていますし、透明性も確保できると思っています。
 いま国会議員の歳費を減らす方向にばかり世論は向かっていますが、これではむしろパーティーや献金集めが上手な人ほど有利になるシステムになってしまっています。
 いくら政策に優れている人でも、金集めが下手なら活動に制限を来すだけになりますからね。
 そしてその結果、政治とは全く関係ない不動産投資でお金を儲けているどっかの民主党の前代表が、そういう事情を背景に絶大な力を集めてしまっているワケです。
 ですから、本来税金で賄われるべきお金に対して、それに税金をかけても、まるで意味がありません。
 意味がないというより、むしろ政治を悪くしていると言っても過言ではないでしょう。
 税金によって差し引かれて足りなくなってしまった資金は、結局は本来税金で賄われるべきお金なのですから、そのお金に税金をかけても変なロンダリング状態になってしまうだけで全く意味のない行為でしかないでしょう。
 ですから、政治資金管理団体間の寄附への税金は無意味なのでやらない方がいいと思っています。
 
 以上、政治資金管理団体において、少なくとも親子関係だけにおける特権的な何かがあるワケではありません。
 いわゆる世襲批判というモノにおいては、これは全く意味を成さない中傷でしかないのです。
 
 
5.いわゆる世襲制限というモノは、「国民はバカです」と言っているようなモノ
 
 国会議員は選挙を経て国会議員になります。
 つまり全ての国会議員は、国民の選択、国民の判断によって国会議員になっているワケです。
 どんな悪人であろうとも、国民が国会議員として相応しいと判断すれば国会議員になれるのです。
 どの人が国会議員になるかは、それは全て国民の判断に委ねられているのです。
 
 しかし、この国民の判断の前の段階で、何かの制限を加えるというコトは、それは国民の判断に疑問を呈しているコトに他なりません。
 言い換えるなら
 
 「国民は自分で判断できないバカだから、バカが判断する前に制限を加えておこう」
 
 というコトなワケです。
 これは果たして民主主義として正しいあり方なのでしょうか。
 
 国民ひとりひとりが自分の投票行動の際に「親が国会議員だった候補への投票はやめよう」と思うのは、それは勝手です。
 やえ個人としては、そんな理由で政治に関わるのはどうなんでしょうかと思うところではありますが、まぁ個人としてどのような理由を持って投票行動するかは、それは個人の自由です。
 ですから、もし本当に「親が国会議員だった候補」はダメだと思うのであれば、制限を加えるコトもなく、選挙の場で当選させなければいいだけの話です。
 それこそが適切な民主主義における政治と選挙のあり方です。
 
 その候補者がどのような生まれで、どのような才能を持っていて、どう日本のために政治を行ってくれるか、ここを期待して国民は投票をします。
 やえは、もし投票できるなら、どう日本のために政治を行ってくれるかという部分をもって投票しようと思います。
 そこに生まれや育ちは関係ありません。
 生まれや育ちがどうであれ、日本のために良い政治を行ってくれるのであれば、その人に投票をし、国会議員になって、総理大臣を目指してほしいと思います。
 簡単なコトです。
 親が国会議員だった候補者が必ず100%科学的根拠を持って無能であると証明されるのであればまだ別ですが、そうではないのですから、国民は日本のためにという理由で選挙に投票し国会議員を選ぶコトが日本に益になるコトなのではないでしょうか。
 二世議員だからという全然政治家の能力として関係ない理由でダメだと言ってしまうのは、ちょっと無意味というか、中身を全く見ようとしない、むしろ利益を損なう言論だと思います。
 
 結局、国会議員は全て国民の判断、選挙によって選ばれるのですから、選挙の場において選べばいいだけなのです。
 選ぶ前の段階で制限を加えるのは、民主主義として甚だ不適切です。
 それは国民をバカだと言っているのと同じです。
 二世だ世襲だと口汚く言ったところで、しかし全ての国会議員は選挙によって選ばれた、国民の判断によって国会議員になった人たちばかりだという、紛れもない事実を忘れてはいけないでしょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、どんな生まれだろうと育ちだろうと優秀な政治家を応援しています。
 

平成20年10月6日

 なにがどう世襲なのか

 カープ\(^o^)/オワタ
 まぁいいんです。
 今年はひさしぶりに最後まで夢を見させてもらいました。
 ありがとうブラウン!
 ありがとうカープ!
 ありがとう市民球場!!
 この成績は来年に繋がる成績です。
 来年こそは是非とも優勝、そして日本一に輝くよう、やえも精一杯応援していきたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さてでは今日は、国会議員のいわゆる世襲批判に対して、ちょっと疑問を呈してみたいと思います。
 
 まず世襲とはそもそもなにを指し示す言葉であり、そしてそれがなぜ批判されるべき事柄なのか、考え直してみましょう。
 世襲とは、親の地位を子供が無条件に受け継ぐコトです。
 例えば王制です。
 王制は、王様というその国の最高権力者が、その権力権限財政財産その他全てのモノや地位を、なんら条件を設けず、子供や親族に無条件に受け継がせるというのが、権力委譲の基本的なあり方です。
 日本の幕府の将軍などは、まさにその通りです。
 時と場合によっては後継者同士で争いが起こるコトはありますが、しかし先代将軍から次の将軍にという上から下という関係においては、ほぼ無条件で権力の全てが委譲されていました。
 ですから江戸幕府なら「徳川家」、室町幕府なら「足利家」と、将軍の全ては名字が同じなワケです。
 
 では、なぜ世襲は批判される事柄なのでしょうか。
 いろいろな観点があるでしょうが、大きなモノとしては
 
 ・その地位に就くほどの能力が後継者にあるかどうかを見極めるコトが出来ない
 ・他にもっと能力がある人間がいるかもしれないが、そういう人間がその地位に就くコトが出来ない
 
 この二点が挙げられるでしょう。
 簡単に言えば、バカ殿が生まれる可能性があるし、それを止めるコトが出来ないから、というコトですね。
 
 外国、特にヨーロッパにおいては、この世襲的王制という制度が以上のような原因となって滅亡した国はたくさんありますが、日本においては世襲制度こそが長年の平和を保ってきた大きな一因であると言えますし、もちろん世襲も良い面はたくさんあります。
 が、こういうコトを語っていたらとても長くなって、本題に入れなくなっちゃいますから、今日はおいてきます。
 
 ではこれを、現代の日本の国会議員に当てはめて考えてみましょう。
 果たして今の国会議員は、そしてその子供は、親の地位その他をそのまま受け継いでいると言えるでしょうか。
 答えはNOですね。
 現代日本の国会議員になるためには、必ず衆議院選挙もしくは参議院選挙に当選する必要がありますので、少なくとも、その地位が「無条件に」委譲されるコトは絶対にありません。
 親が国会議員でも、そうでなくても、だれでも国会議員になるためには選挙に当選する必要があります。
 つまりこの時点で、現代日本の国会議員に対して「世襲」という言葉を使うのは適切ではないと言えるのです。
 
 よく国会議員には、3つの「バン」が必要なんて話をします。
 「カバン」「カンバン」「ジバン」です。
 カバンとは鞄、すなわちお金のコトです。
 カンバンとは看板、すなわち知名度です。
 ジバンとは地盤、すなわち後援者や後援会、名簿などのコトを指し示します。
 そして世襲議員は、この3つのバンを親から無条件に受け継いでいるじゃないか、だからけしからん、という批判が起きます。
 
 確かにこの中には引き継ぎやすいモノもあります。
 お金は一般国民と同じく相続税などの条件がありますから特別優遇されているワケではありませんが、知名度や地盤は確かに無条件に受け継ぎやすい面はあります。
 そしてこれらを受け継ぐには特に条件はありません。
 ただちゃんと現実的に考えてもらいたいのは、知名度も地盤も、自分だけでどうこうできるモノなのではなく、相手があるコトであるというコトです。
 つまり、特に後援者や後援会なんて、自分が応援していた先生の子供だからというだけで本当に引き続き応援するかどうかなんていうのは、まさしく後援者自身が決めるコトですから、国会議員やその子供が絶対的に無条件に受け継ぐとは必ずしも言えないワケで、相手次第である以上、それを「引き継ぐ」というのは必ずしも適切な言葉とは言えないのではないでしょうか。
 後援者の判断材料の1つとはなりますが。
 
 そもそもこの「3つのバン」は、これが揃えば必ず国会議員になれるという絶対条件なのではなく、あくまで国会議員になりやすくなるための環境作りでしかないというコトです。
 これらがなくても国会議員になれるコトだってよくあります。
 だいたいにして、日本の国会議員になるための要件とは「選挙に当選するコト」だけであり、逆に言えばこれ以外の要件や条件などは、国籍や年齢などを除いて全くないワケで、「3つのバン」がいくら世襲できたとしても、それでもって「国会議員を世襲した」とは言えないでしょう。
 もし国会議員になる条件として「Aランク大学を卒業しており選挙に当選した者のみ」というモノがあって、しかし国会議員の子供はその条件に当てはまる必要がない、となっているのでしたら、これは世襲ですし、今の民主主義日本の制度にもそぐわないと言えるでしょう。
 でもそうではないのです。
 結局国会議員になるための唯一にして絶対の条件は「選挙」だけであり、その条件をその人がクリアしたかどうかだけが国会議員たる資格の有無であって、それ以外の条件を言ったところで正当性にはなんら揺るがないと言えるでしょう。
 
 それでも「3つのバン」を無条件に受け継ぐコトがけしからん、と言う人もいるかもしれません。
 公職なのだからもっと高い倫理性をなんたらかんたらとか言う人もいるかもしれません。
 であるならば、やえは思うのですが、これは「親子関係」に限らない話なのではないのでしょうか。
 
 民主党の小沢代表が、今までの選挙区からではなく、今回の選挙では東京で出馬すると噂されているところですが、そうなれば元々の小沢さんの選挙区からは、当然小沢さんの公認候補が立候補するコトでしょう。
 民主党としても小沢さん個人としても、自分の都合で国替えしておいて、その元の地盤をほったらかしにして、さらに今まで小沢王国だったところで急に自民党の議席を奪われるようなコトになってしまえば、これはかなりダメージだと言わざるを得ません。
 ですから、国替えした小沢さん同様、元々の選挙区も、小沢民主党としては最重要選挙区になると言えます。
 となれば、やはり当然、「3つのバン」は、小沢さんから新人候補に受け継がれるでしょう。
 
 カバンはどうなるのか分かりませんが、少なくとも民主党から手厚い保護は受けると思われます。
 選挙事務所の確保やスタッフの融通など、やはり他の人よりは優遇されるでしょう。
 看板や地盤なんてなおさらです。
 「小沢さんの後継者だ」というコトで、何もない一般人よりも遙かに高い知名度と、強力な後援会を無条件に手に入れるコトが出来るでしょう。
 これらは候補者本人の資質ではなく、全て「小沢さんの後継者だから」という理由だけです。
 
 これは世襲ではないのでしょうか。
 確かに、おそらく小沢さんと後継者の間には血縁関係はない人を持ってくるのでしょうけど、でも実質的には世襲批判の要件に当てはまる形になるのではないでしょうか。
 なぜ世襲が批判されるのかと言えば、それは無条件に地位や権限が渡るからです。
 「親子だから」という理由そのものは批判の理由ではありません。
 親子関係という親密な関係をもとに、無条件に地位や権限が受け継がれるからこそ批判されるのであって、批判の対象は「無条件に地位や権限が受け継がれる」という部分です。
 となればやはり、小沢さんの後継者指名は、世襲と同じような批判がされてしかるべきなのではないでしょうか。
 
 まぁ、やえは、いわゆる世襲議員が悪いとは思いませんから、小沢さんの選挙区でも他の選挙区でも、親が国会議員でもおじいさんが総理大臣でも、それだけをもって批判しようとは思いません。
 さっきも言いましたように、国会議員とは選挙によって選ばれる存在であり、その選挙さえクリアすれば誰がなろうとも問題ないワケですから、もちろんその人の公約や主義主張に対しては批判するコトは当然ありますが、少なくとも親が国会議員だからという理由だけで批判されるいわれはないと思っています。
 国会議員の子だろうと、華族の血を引いていようと、軍人の孫だろうと、その人が立派と思うなら投票すればいいですし、そうでないと思うなら違う人に投票すればいいのです。
 当たり前すぎる話ですが、一番大切なのは本人の資質であって、それに関係ないコトであれこれ言うのはフェアではないだけでなく、有能な人なのに違う部分で批判される可能性もあるという、日本にとっても不利益にしかならないでしょう。
 
 中身をシッカリと見て投票する。
 それが民主主義国家日本国国民としての義務であり責務ではないのでしょうか。
 

平成21年6月3日

 亡国への議論

 ハッキリ言って、国会議員に対するいわゆる「世襲」批判というのは、国を滅ぼす亡国への議論でしかありません。
 こんなのいくら議論しても、全く政治が良くなるワケもなく、むしろ政治に対する信頼感や正しく見る目を失わせるだけで、ただただ無駄な時間を費やして、本来しなければならない議論を妨げるだけの、日本の国益を損なわせるだけの議論にしかなりません。
 やればやるほど日本の国益は失われます。
 
 こういう議論はたまに出てきます。
 例えば、数年前の年金問題に関する国会議員の未納問題などは、亡国への議論の最たるモノです。
 全ての国会議員の年金記録を労働組合の役人がのぞき見て、議員になる前から議員になったその途中のバタバタしがちなちょっとの間に支払っていなかったとか、重箱の隅のもほどがあるような揚げ足取りをして国会議員を批判して、こんなコトで本当に年金問題が良くなると思っているのでしょうか。
 まして当時の小泉総理なんて、学生の頃の任意加入の時期なのに入っていなかったとか言って批判している人もいて、もはや政治家叩き・政治家中傷にしかなっていなかったとしか言いようがありませんでした。
 あの時の日本の雰囲気は異常で、年金問題だけで国が潰れるんじゃないかぐらいの論調と、国会議員へのあら探しだけでニュースの全てが埋め尽くされていたと言っても過言ではないぐらいひどいモノでした。
 無駄に時間を費やすだけの、国益を損なわせる議論です。
 
 最近のいわゆる「世襲」批判というモノは、まず前提として
 
 「世襲議員が増えたから政治が悪くなった」
 
 という前提条件が付きます。
 こうだから世襲はダメだと、無くせば良くなると、そういう理屈で批判するワケです。
 しかしそもそもこの前提がおかしいのです。
 
 まず、果たして昔に比べて本当に政治は悪くなったのでしょうか。
 そもそも、なにをもってどういう基準で「悪い」と表現しているのでしょうか。
 ここが具体的に全然ハッキリしません。
 多くの国民は、ただ雰囲気的に、もっと言うと「みんが言うから」悪くなったと思い込んでしまっているのではないでしょうか。
 まず何がどう何と比べて悪くなったのか具体的に指摘しなければ、この議論は始まりません。
 
 次に、仮に本当に日本の政治が悪くなったとしましょう。
 では、その悪くなったコトと、2世議員が増えたコトに、どう因果関係があるのかこれを証明しない限り、やはり世襲批判は成り立ちません。
 しかしここを説明している人も皆無です。
 世襲議員がいるコトで、日本の政治にどのような影響を与えているのかすら説明せずに、ただただ世襲はケシカランと言ってしまっているのが、いまの状況です。
 でもそんなのは、ただの誹謗中傷レッテル張りでしかなく、政治論とはかけ離れた存在でしかありません。
 
 たとえ話をしましょう。
 日本の憲政史上、国会内でもっとも下品でくだらなかった騒動と言えば、元衆議院議員の故永田寿康氏の偽メール問題が1つ挙げられると思いますが、永田氏は世襲議員ではありません。
 国会の外で騒動を起こす議員はまぁいろいろといらっしゃいますが、日本の中で最も厳格でなくてはならない場所に、誰が送ってきたのか分からない裏の取れないメールを国会論争の中心に置いて、しかも他人を名指しして濡れ衣を着せて貶めた上に、国政を大いに混乱させたというのは、文字通り前代未聞のバカバカしい出来事だったと言えるでしょう。
 でも、それだけの「悪い」騒動を起こした議員は、世襲議員ではありません。
 もちろんこれをもって「世襲でない議員だから騒動を起こしたんだ」と言えるワケがないワケで、結局、はじめから良い悪いを、親族に議員がいるかどうかで判断するコトなど不可能なのです。
 
 ちょっと蛇足になりますが、安倍さんと福田さんが政権を投げ出したコトについて、「世襲議員だからホネが無かったんだ」と言う人もいますが、これもちょっと違うとやえは思っています。
 どっちかと言えば、お二人ともまだ議員としては勤続年数が短く、いつの間にかまわりの状況から総理に担ぎ出されたという感じで総理にあれよあれよとなってしまったので、土壇場で弱い部分が出てしまったのだのではないかとやえは思っています。
 つまり、議員として権力闘争を長年続けていれば自ずと胆力も出るモノですが、安倍さんは5期目であり大臣も官房長官ぐらいしか務めていませんでしたし、福田さんなんか元々総理になるような位置にいた人ではなかったのに特殊な状況下で総理になった人です。
 簡単に言えば、「永田町で十分に鍛えられていなかった」というワケです。
 安倍さんも、8期ぐらい務めていればもっと長期政権が出来たかもしれないですが、そこはとても残念でなりません。
 
 日本人は基本的にネガティブなので、そして懐古主義なところがありますので、どうしても今は良くない、昔の方が良かったと、特に根拠もなくなんとなくそう思いがちですが、そんなロマンチズムを政治の世界まで持ってくるのは適切ではありません。
 なんとなく昔の方が良かったからというとんでもなく曖昧な理由で世襲批判という国会議員叩きをするのは、どうしようもなく国益を損なう行為でしかありません。
 結局世襲批判とは、理由もないけど政治が良くなるという、血液型占い以下の根拠しかないごまかしの議論であり、国民にゴマをするだけの、ポピュリズムの中のポピュリズム、ベストオブポピュリズムの議論なのです。
 
 この議論に乗っかかる国会議員も、そしてそれを望む国民も、情けないなぁとしかやえには思えません。
 この議論はすればするほど国益を損なうコトにしかならないというコトを認識してもらいたいです。