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平成19年9月3日

 民主党は政権交代の夢を見るのか

 今日はこちらのニュースです。

 民主・小沢氏、テロ特措法延長に改めて反対・独首相に表明
 
 民主党の小沢一郎代表は30日午前、都内のホテルでドイツのメルケル首相と会談した。小沢氏は11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法の延長問題について「議論が深まっていないことが根本的な問題だ」と指摘。延長に反対の意向を改めて表明した。
 そのうえで、小沢氏は「国連にオーソライズされた活動には積極的に参加すべきで、インド洋の活動もそういう観点から考えるべきだ」と述べ、国連承認の有無が自衛隊派遣の基準になるべきだとの立場を示した。
 メルケル首相は「アフガニスタンへの対応は、できるだけ多くの国が関与すべきだ」と発言。「議論が必要なのは理解するが、日本がこれから国際社会でさらに活動しようとするなら、より重い責任を負わないといけないのではないか」との考えを示した。

 まさか小沢さん自身が勘違いしているとは思わないのですが、おそらくけっこう思い違いをしている人が多いんじゃないかと思いますこの問題です。
 なにが思い違いかといいますと、この「テロ特措法」は、イラクの問題ではないというコトです。
 イラクは全く、関連が全く無いとは言いませんが、法律自体は関係のない話です。
 ではテロ特措法は何の法律かと言えば、これはアフガニスタンへの法律なのです。
 
 ここは重要です。
 なにが重要かと言えば、よく思い出してみてください、確かにイラク戦争の是非については世界を二分するかのような大議論が巻き起こり、日本でもどうしたらいいのか、主にアメリカとの関係という点において大議論が巻き起こりましたが、アフガニスタンにおいてはあまりそのような議論は起きませんでした。
 議論が起きなかったというのは適切ではないかもしれませんが、少なくとも公的な立場での各国の対応というのは、ほぼ戦争や派兵には賛成という立場を示しました。
 ついついイラク戦争の方が印象が強いので、フランスやドイツをはじめとした国々がイラク戦争に反対し、この手の派遣に対しては世界の意見が二分されたかのようなイメージを持ちかねないのですが、しかし実際のところ、アフガニスタンにはフランスもドイツも軍隊を派遣して、アメリカと共に戦っていますように、ほとんどの国はアフガニスタン戦争には賛成しているのです。
 つまり、アフガニスタンへの自衛隊派兵というのは、世界が一致したテロルへの撲滅活動と言っても差し支えないワケです。
 ですから、イラク戦争の時には反対の立場を取っていたドイツですが、今回の件はアフガニスタンの件であり、イラクとは関係のないテロ特措法の話ですから、わざわざ小沢さんに説得をしているというコトなのです。
 
 まず、この問題を考える際には、ここを考えなければなりません。
 イラクとアフガニスタンの問題は別物として、法律も別物(イラクの方は通称「イラク特措法」です)なのですから、キッチリ分けて考える必要があるのです。
 単に情緒的に「派兵はダメだ」と言っているのでは、これは子供の駄々と同じとしか言いようがないでしょう。
 
 それなのに小沢さんは反対するの一点張り。
 しかもその反対する理由がよく分かりません。
 仮に「〜〜という理由で自衛隊派遣には反対します」と言ってくださるのでしたら、納得、もしくは議論などができるモノなのですが、この問題に対して小沢さんは「国連が認めてないから」というコトだけを理由にしてしまっていて、肝心のアフガニスタンやテロル等について具体的な中身については全く触れていません。
 これでは小沢さんや民主党はどう考えているのか、どのようなスタンスでこの問題について関わっていくつもりなのか、という部分が全く分からないのです。
 あるのはただただ「国連の決定を待つばかり」という姿勢だけです。
 
 これはつまり小沢さんは、「日本は国連の奴隷」というコトでいいというコトなのでしょうか。
 国連が、もっと具体的に言うと(日本が入っていない)安保理で議決が得られたのなら、例え日本の国益に適わなくても理由もなく全て賛成であり、また日本の国益になるとしても安保理が否決したら全ての思考を停止して反対しなければならない、と小沢さんと民主党は思っているとしか、これでは取りようがありません。
 簡単に言うと、さらにいまは日本は安保理にも入っていませんから、「中身の意見・議論は他人に全て任せよう、自分はむずかしいコトは考える必要はない、いえ考えたくないんだと、他人に言われるがまま行動します」と、そう主張しているコトに他ならないでしょう。
 やえにはそう聞こえてなりません。
 
 仮に、憲法や法律で、自衛隊派遣は国連の安保理決議が無ければ行ってはならない、と書いてあるならまだ小沢さんの姿勢には一定の理解は示せます。
 しかし実際はそうではないのですから、派遣するしないは、国益や様々な観点から総合的に考えるべきです。
 安保理決議はキッカケにはなるかもしれませんが理由にはなりません。
 一体小沢さんはどのような理由で、「日本は(「民主党は」ではありません)派遣すべきではない」と思っているのか、それをまずハッキリと表明していただきたいと思います。
 それを明言しないのであれば、それは所詮「自民党に勝つための戦術」としてしかこの問題を見ていないのだとしか言いようがありませんし、選挙や国内問題だけではない日本という国の舵取りをするという政権担当能力があるとはとてもじゃないですけど思えません。
 さらに言えばこのような姿勢は議論をするという姿勢すら拒否をしてしまっているワケで、こんなの参議院という国権の最高機関のひとつを任せられるハズなどないでしょう。
 参議院を政争の具としてしか見てない証拠です。
 
 もしそうでないと言うのであれば、ぜひ責任政党としての、具体的なこの問題に対する反対する理由をお聞かせ願えればと思います。
 

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平成19年9月4日

 司法も国民主権

 普段は、あまり世論やマスコミが思っていないようなコトを取り上げるようにしているのですが、今日は敢えてこのニュースを取り上げてみます。

 光・母子殺害:弁護人への懲戒処分請求、全国で3900件
 
 山口県光市で99年4月に起きた母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた当時18歳の元少年(26)の弁護人に対し、懲戒処分を求める請求が、全国で少なくとも3900件出されていることが分かった。06年の全国の請求総数約1300件の3倍に上る。
 広島高裁での差し戻し審では、死刑に反対する全国10弁護士会の22人が弁護団を編成。「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」と殺害の背景を主張するなど、強姦目的や殺意を否認している。日弁連などによると、この事件の弁護人らが所属する弁護士会への懲戒請求が激増したのは今年5月末ごろ。橋下(はしもと)徹弁護士(38)がバラエティー番組で懲戒請求を促すような発言をした時期と一致する。橋下弁護士は個人ブログで「弁護士というのはこんなふざけた主張をするものなんだと印象付けた今回の活動は、完全に懲戒事由にあたる」と持論を展開している。
 日弁連や各地の弁護士会は、刑事弁護に理解を求める声明を出したが、既に調査を始めたものだけで請求は3900件(3日正午現在)に達した。「裁判の遅延」を批判する内容が多いという。日弁連は「請求の是非についてコメントは控えるが、異常な数字だ」としている。

 前から司法関係者は一般人から感覚が離れてすぎているのではないかと言われているところですが、これはその最たるモノと言ってよいでしょう。
 それを是正するために裁判員制度を導入するワケですが、今日は裁判員制度の話はちょっと横に置いておいて、日本の制度全体からみた司法というモノを考えてみたいと思います。
 
 日本の制度は原則的に言えば三権分立という考えのもとに制度が成り立っています。
 三権とは立法・行政・司法の三つであり、それぞれ国会・政府・裁判所が担当しています。
 そしてそれぞれは基本的に独立の存在であり、またそれぞれに少しずつ干渉し合って、どれかが突出しないよう牽制し合っています。
 例えば政府の長つまり総理大臣は国会から指名されるコトになっていますし、また国会は政府の権限で解散などが行われますし、国務大臣の半数は国会議員で占めなければならないコトになっているなど、色々な形によって干渉・牽制をお互いにしているワケです。
 中でも立法府と行政府はけっこう強いつながりを持っていて、これは人によっては近すぎると言う人もいますが、やえはここまで干渉し合うコトはむしろ良いコトだと思っています。
 なぜかと言えば、立法府である国会は三権の中でも一番国民が直接干渉できる機関であり、よって国会に近ければそれは国民が関与できる部分が大きいというコトに他ならないワケで、国会に近づけば近づくほど国民から近いと言えるからです。
 簡単に言えば小泉さんなんかはそこを上手く利用したワケですし、安倍さんはそこで今失敗をしているワケです。
 
 しかしそれに対し、司法府である裁判所はどうでしょうか。
 確かに制度的には、裁判所は国会に対しては違憲立法審査権があり、政府に対しては行政事件裁判権がありますし、また逆に、国会は裁判所に対し裁判官弾劾裁判所を設置できる権限を有しており、また政府は最高裁の裁判官を指名するなどの権利を持っていますように、お互いに干渉し合うようにはなっています。
 だけどこれは実質的に考えたら、果たして本当にキチンと機能しているのかどうかという部分について、大きく疑問を持たざるを得ないところです。
 国会の権限である弾劾裁判所は現行憲法下ではたった7回しか罷免訴追が行われていませんし、政府の権限である最高裁裁判官の指名もこれは完全に形骸化してしまっています。
 立法府と行政府の関係から比べると、司法府である裁判所はまたちょっと違った関係を持っていると言えるでしょう。
 
 それについて何が問題なのかと言えば、この三権分立は、最終的には全て国民の基に成り立ち、そして最終的に国民が責任を負うという、民主主義の大前提が履行されにくいというところです。
 みなさん社会科の勉強で習ったと思いますが、三権分立を説明するときに、それぞれの機関を正三角形の角に持ってきて、それぞれが影響し牽制し合っているという図を見たコトがあると思います。
 そしてその図には、真ん中に「国民」と書いてあったハズです。
 現代の日本は民主主義国家であり、国民主権であって、それはつまり全ては国民から始まり、最終的には国民が全ての責任を負うというのが建前であり原則です。
 つまり、立法も行政もそして当然司法も、全ては国民の最終的には責任が帰されなければならないワケなのです。
 よって三権がそれぞれ独立し、また牽制し合って影響し合うコトはもちろん大切ですが、それ以上に国民がそれぞれにいかに関わってくるかが一番大切なコトなのです。
 
 立法府である国会は、基本的に平等である三権の中でも、憲法によって特に「国権の最高機関」と定められていますが、これはなぜかと言えば三権の中でも直接国民に選ばれる議員によって構成されているからです。
 国会は国民と直接繋がっている、国民そのものの存在であるからこそ、三権の中でも特に「最高機関」と謳われているワケです。
 そういう意味においても、三権の中でも裁判所は一番国民との距離が遠い機関と言えるでしょう。
 実は三権の間での距離感で言えば、わりと行政府と司法府は近い関係にあります。
 裁判所の判事が法務省に出向し行政事務を行い、また検事(法務省の所属になります)が裁判所に出向し判事として裁判を司ったりと、判検交流と呼ばれる近しい関係が行われているからです。
 だけどこれは、かなり国民とは遠い存在のお話です。
 いくら行政府である法務省のトップが国会議員(民間大臣でもなれるコトはなれますが)であると言っても、かなり事務的すぎるそのような交流は、実質的に国民の手からは遠いと言うのは当然の話でしょうし、そもそも国民の直接の代弁者である国会ではなく、国会が承認した内閣の一部(法務省)がさらに交流するという形ですから、ちょっと間接的すぎてそこからも国民から遠すぎるのではないでしょうか。
 このように裁判所はシステム上においても実質的にも国民から一番遠い存在になってしまっていて、これでは国民主権という、三権分立のシステムにおいても日本の制度においても最も大切な部分が欠落していると言わざるを得ないのです。
 
 
 
 (つづく)

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平成19年9月5日

 司法も国民主権(中)

 かなり前置きが長くなりましたが、今回の問題はこの辺のシステムのゆがみがあるんじゃないかと思うのです。
 三権はどれも最終的に国民に責任が帰されるべき存在であるハズなのに、裁判所だけが国民からかなり遠く離れた存在になっています。
 今回の問題は、裁判所の問題ではなく弁護士の話なので、厳密に言えばこのようなシステムの話から外れるのですが、弁護士も検事も裁判官も初めは同じ司法試験からはじまるモノであり、また重大刑事裁判には必ず弁護人が就かなければならないと規定されていて、それはシステムの一部と言えますので、ここは敢えて言わせていただきます。
 民主主義の観点からももっと弁護士は国民から影響を与えられる存在になるべきだと思います。
 
 確かにそう簡単に法知識のない一般人が司法の場に口出ししまくると色々と問題が出てきますので程度の問題というのは言うまでもないコトです。
 ですが、法律を作るという国会に対してはかなり国民の口が出せているというのが現状であるのに、法律を司る方の今の法曹界というのは、あまりにも浮世離れしすぎていて、むしろ法曹界から一般の世界とは分離すべきだと考えていて、特権的意識を持ちすぎているのではないのでしょうか。
 それが如実に表れたのが今回の問題であり、さらにこのニュースでもあると思います。

 橋下弁護士を提訴…TVで懲戒扇動と光市事件の弁護団
 
 大阪弁護士会所属の橋下徹弁護士がテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の被告(26)弁護団に対する懲戒請求を扇動したとして、このうち今枝仁弁護士ら4人が3日、橋下弁護士を相手に、一人当たり300万円の損害賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。
 訴状などによると、橋下弁護士は5月27日に放送された民放番組の中で、同弁護団の弁護活動に触れ、「もし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求掛けてもらいたい」などと発言し、視聴者を扇動した。
 放映後、4人それぞれに300件を超える請求が広島弁護士会に届いた。このため弁明書や資料の提出などの負担を強いられ、弁護活動に不当な重圧を受けたなどと主張している。

 裁判という制度は、これは全て公的な存在です。
 民事であったとしても、やはり公的な存在です。
 完全に私的な問題であったとしたら、当事者同士で取っ組み合いでもさせればいいだけであり、しかしそれでは治安上とても問題になってしまいますので、現代法の制度の下ではどのような争いであれそれは全て公的機関が裁くというコトになっているワケです。
 明治以前までは公然と認められていた「仇討ち」という制度が禁止されたのも、この観点からです。
 そして民事だろうとなんだろうと、裁きの基本にあるのは法律であり、法律は国家の最大の公的な存在であるワケです。
 まして今回の問題は刑事裁判であり、かなり公的な側面が強い問題です。
 決して弁護士が私物化していい問題ではありません。
 
 そういう意味で、国民が納得できないならある程度弁護士に干渉できる権利を持っているのは、ある意味当然と言えるのではないでしょうか。
 それに対し、その権利を行使するコト自体がまかりならんと言っている、この弁護士達の認識は、民主主義国家の制度化において、とてもとても疑問でしかありません。
 懲戒請求をかけろと訴えた橋下弁護士や直接動いた国民の主張に対し、事実とは違うと中身によって正面から反論するのであればそれは正当な言動だと思いますが、しかし被告の弁護団は「活動妨害」という訴えるという行為そのものを否定する理由によって橋下弁護士を提訴しているのですから、ここまで国民を無視した主張というのも珍しいのではないでしょうか。
 実在する制度を利用したコトによって「弁明書や資料の提出などの負担」が生じるからダメだと言うのであれば、地方議会などに対するリコールや、衆議院の解散だって大きな負担になるからダメというコトになってしまいます。
 また橋下弁護委の言動が「煽動」であり許されざる行為であるのなら、今民主党が行っている安倍下ろしや衆議院解散にむけた画策は全て認められない行為と言えてしまうでしょう。
 国権の中で活動している弁護士という身分の人間であるにも関わらず、あまりにも国民を無視した主張です。
 変な例えですが、民主主義を否定している日本共産党の方がまだよっぽど国民の方を向いていると言えるでしょう。
 
 裁判の中身の話に及ぶのですが、まだ被告が最初から“バカげた自己正当化的主張”をしていたのなら理解も出来ます。
 弁護士として、弁護を受けた以上はどのような主張であれ最後まで依頼人を信じるというのは弁護士の基本行動なのでしょうし、そうしなければ裁判など行えないでしょう。
 しかし今回のこの事件はそうではありません。
 この“バカげた自己正当化的主張”は最高裁という場に来て初めて出てたモノです。
 また、それだけならまだしも、その前になぜか裁判が最高裁という場に移ってから新たに弁護士が付き大弁護団が結成されましたというコトも、バカバカしさをいっそう引き立てています。
 この一連の流れ、「一審二審で無期刑→最高裁で口頭弁論を開くと決定(死刑の可能性が出てくる)→安田弁護士が主任弁護人に就任し大弁護団を結成→被告の主張が一転し常識を逸したモノになる」、これがあまりにもバカげた死刑廃止運動劇に見えるからこそ、国民は怒っているワケです。
 例えば、初めから被告の主張が首尾一貫しているのであれば、いくら凶悪な犯罪者でもやえは三審を受ける権利はあると認めますし、理不尽な世論があればやえは当サイトで取り上げるでしょう。
 それを受ける弁護士に対しても、裁判に弁護士が必要不可欠である以上は、それを受けたコトや被告の主張を代弁するコト自体を問題視しようとは思いません。
 それが国選弁護人であるならなおさらです。
 しかし今回のこの事件の一連の動きは、それとはかなり性質を異にします。
 安田弁護士が、真にこの事件の真実を世に明らかにし、本気で被告が無罪だと信じて主張しているのであれば、やえはその行動自体は間違いではないと言うでしょう。
 だけど残念ながら、この人の今回の行動は、「死刑に反対」という理由だけで動いているようにしか見えません。
 そして「死刑に反対できるのであればなんだってやる」という行為、それは法や制度すら悪用し時には無視してまで行う姿勢に対して、そしてなりよりも人の道を踏み外しすぎている言動に対し、それは人と民主主義を冒涜しているようにしか映らないワケです。
 弁護士という立場は民主主義国家日本だからこそ保障されている身分であるのにも関わらず。
 
 裁判は公的な存在であり、それは真実こそが正しいというコトに他なりません。
 裁判は、突き詰めれば結果はどうでもいいのです。
 真実がまず存在し、その真実に対し法的な結論が与えられる場だけに過ぎないのです。
 別の言い方をするのであれば、今回の事件について被告が死刑になるかどうかは、本来、弁護士とか検事とか裁判官がどのような言葉を言ってどのような行動をした結果によって死刑になるかどうかが決まるのではなく、あくまで被告が犯した犯罪の真実はすでに存在しているワケですから、その段階ですでに死刑になるかどうかは決まっているのです。
 そのためには全てを映し出す神の目が必要にはなりますが。
 つまりですね、犯罪はもう起きているコトなのですから、真実も事実も1つしかなく、よってそれによって導き出される罰という結果も1つしかないワケで、結局裁判というモノは「神の目を持っていない人間がいかに真実・事実に近づけるかを努力する場」でしかないのです。
 罰や結果を出す場ではないのです。
 それは二次的な副産物でしかないのです。
 
 それにも関わらず、ただただ結果だけを追い求める安田弁護士以下の弁護団という存在は、それは依頼者であるハズの被告すら自分の主張のコマとしか見ていない証拠であり、所詮は死刑廃止運動という政治運動を裁判の場で行っている、公的な裁判を私物化しているトンデモナイ人物だと言わざるを得ません。
 それは民主主義の否定とも言えるでしょう。
 
 
 
 (つづく)

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平成19年9月6日

 現代の魔女狩り

 裁判所のお話の途中で申し訳ないのですが、いい加減うんざりを通り越して気持ち悪いという表現の方が適切になってきたので、一度取り上げておこうと思います。
 ただ、おそらくこの気持ち悪い空気はしばらく続きそうなので、これからもこの手の問題は、ちょくちょく取り上げるコトになると思います・・・

 若林農水相の政治団体代表、補助金団体代表も兼任
 
 若林正俊農林水産相(参院長野選挙区)の政治団体の代表に、農水省の補助金の交付を受けている団体のトップが就任していることが5日、分かった。この代表者個人が若林氏の政治団体に献金をしたり、代表者が役員だった団体がパーティー券を購入したりしていたことも判明。補助金を出す側の大臣が受給側から資金提供を受けていたことについて、若林氏の事務所は「不適切との指摘があれば、大臣在任中は献金の辞退を検討したい」としている。

 もっともらしいコトを書いていますが、しかしよくよく読んでみるとこの“問題”、若林先生のパーティー券を2万円買ったというコトと、個人献金を年平均4万円ほどしていたという程度のコトです。
 逆に問いますが、これのどこが問題で、なにがいけないのでしょうか?
 この記事にも書いてありますが、法的には何の問題もありません。
 最近この手の記事を読んで、「法律の問題じゃない。倫理の問題だ」とか言う人いますけど、しかしそんなコトで人を裁くのは、それは人治国家のやるコトです。
 人治国家とは、人を裁くのに基準というモノを設けず、雰囲気だけで人を裁く、法治国家の真逆の治め方で、 「こいつ気に入らないからダメ」という、なんともいい加減な裁き方です。
 日本をそんな国にしてしまっていいというのでしょうか。
 
 もうちょっと、しっかりと記事を読んで、事実を知って、そしてよくよく考えてから、この手の問題について発言をしてほしいと思います。
 「金額の問題じゃない」と言う人もいるかもしれませんが、しかしこういうのは金額の問題です。
 なぜ補助金をもらっている団体からのパーティー券の購入や献金が問題だと感じるのかと言えば、それは政治家に献金するコトによって不当に補助金をもらおうとする行為、いわゆる賄賂金のように感じるからです。
 確かにそれなら多いに問題です。
 だけどですね、よくよく考えて下さい、若林先生がまだ大臣になる前の一参議院議員時代に、たった2万円のパーティー券を一枚買っただけで、もしくは4万円の献金を受けただけで、そう簡単に16億円もの補助金が下りるモノでしょうか。
 もしそのように本当に思うのであれば、やえはその人のバランス感覚を疑います。
 そしてそれが本当にそうであるなら、日本にはとんでもない数の補助金受給団体がふくれあがっているコトでしょう。
 もしこの程度のお金で16億円も補助金が下りるのだったら、やえも今すぐ献金しに行きますよ。
 
 普通に考えれば、この献金した人の行為は「お付き合い」「ご挨拶」という程度のモノなのでしょう。
 そしてささやかな「応援」ですね。
 若林先生からの視点で言えば、仲の良い人がそれなりの地位に就いたのだから、そのご縁・ツテをたどって、パーティーをするので是非出席して欲しいと思い、パーティー券を渡したのでしょう。
 そしてそのパーティー券をもらった方も、無下に断るのは悪いしお金を払わずに出席するのも非常識なので1枚買ったと、おそらくこういうコトだと思われます。
 こういう「お付き合い」は、ある程度の地位と身分がある社会なら大なり小なりあるモノです。
 短期的には全く意味のない、もししたら長期的に見ても無駄な出費になりかねないけど、でもこの人に頼まれたからには断れないなというコトは、どんな世界でも、もちろん民間でもよくあるコトです。
 自分が勤めていらっしゃる会社でも、「儲けにはならない出費」というモノは大なり小なりおそらくあるでしょう。
 それは人間社会なのですから、横のつながりとか、付き合いとかは、誰が始めたのでもなく昔からあるモノなのです。
 人間である以上否定できないモノです。
 
 本来やえはこの言い方は好きではないのですが、今回敢えて言います。
 政治家の世界は上流社会です。
 最近流行りの言葉で「庶民感覚」というモノがありますが、もちろんそれが必要な場面というのはあるでしょうけど、その感覚と政治家が居るべき世界とはまた別物です。
 品格が必要で品位を持っていて責任が重く求められるモノが大きいという人は、結果的にそういう世界の住人になります。
 労働組合だって、連合のトップぐらいになればやはり上流社会の住人ですし、あれだけ「政治とは生活である」とかなんとか言っている小沢さんや鳩山さんも、上の上と言っていいぐらいの世界の住人です。
 どんなに建前で綺麗事を言ったところで、組織であれば結果的に上と下が出来て、民間会社で言えば社長と平社員ですね、それぞれにはそれぞれの世界が形成されるのが、それが人間社会というモノです。
 そしてそのそれぞれの社会の中には、それぞれのマナーやルールや決まり事が生まれます。
 上流社会の「お付き合い」とはそういうコトなのです。
 
 そういう意味においても、若林先生に献金された方というのは、どちらかと言えば逆につつましすぎるぐらいの行為だったと言えると思います。
 買おうと思えば20万円分ぐらいは買える権限を持っていながら、最小口である2万円だけしか買わなかったのですからね。
 違法性が無い上に、下心も考えにくく、儀礼的お付き合いの意味合いが強そうなこの行為を、どのような理屈で問題だと言うのでしょうか。
 この行為がどのように問題なのか、マスコミには具体的に教えていただきたいモノです。
 
 ましてこの献金をされた方、その団体の理事長を務められていた時期は「02〜04年ごろ」のようですが、しかし団体が補助金を受給したのは記事によりますと「06年度に16億円余、07年度には14億円」です。
 時期がズレてますよね。
 なんと理事長は、自らがいなくなる後のコトを考えて、自分には全く利がないのに無理してでもパーティー券購入を押し切って決定し、2万円もの大金を動かして、補助金をゲットしたのです。
 なんと組織愛にあふれた人なのでしょうかっ。
 
 ・・・と、冗談はさておき、この記事においてマスコミが本当に為すべきコトは、この農水省所管の財団法人「魚価安定基金」が本当に16億円分の仕事をしているかどうか、補助金を得るだけの公的な働きをしているかどうかなのではないでしょうか。
 もしそれだけの仕事を「魚価安定基金」がしていないのであれば、それは責められるコトであり、それこそ無駄遣いを減らすという日本のために良い報道であると言えるでしょう。
 たった2万円程度のコトで大臣の足を引っ張り、いま国政の中でも最も重要な課題のひとつである農業行政の足を引っ張るコトが、果たして日本のためになると言うのでしょうか。
 
 政治献金や政治資金パーティーのコトはまた後日詳しく取り上げようと思いますが、いまの魔女狩り的空気は、所詮他人のコトを妬み他人を攻撃してちょっとした満足感と快感を得ているだけの行為に過ぎないのではないかと、やえは思わざるを得ないのです。
 

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平成19年9月10日

 司法も国民主権(下)

 話を制度に戻しますが、裁判には、特に重大犯罪裁判には弁護人が必ずつかなければならないと法で定められている以上は、弁護士は決して私的な個人的な存在ではなく、裁判所という司法府のシステムの一部だと言えますので、そこには高い意識と、民主主義の担保が必要不可欠だと言えるのではないかと思います。
 確かに法律の世界は難解ですし、そこに国民が一定以上介入するコトによって弊害が生まれてしまうというのは否定できない事実ではあると思います。
 やえも人権法を扱ったとき、マトモに法文すら読めないような人が法案についての意見を展開し、まして読めないことを堂々と誇らしげに語り、さらに「反対する理由すらいらない。なんとなくダメと思ったからダメという結果を求めているだけで、理由は誰かがつけてくれるだろう」と臆面もなく言い放ってしまう人が少なくないという事実の前に、驚愕を通り越してため息しか出なかった経験がありますから、安易に一般人が法律の世界に入り込めてしまうコトには全面的には賛成しかねます。
 だからこそ、本来は弁護士の自助努力によって三権分立の一翼を担う責任を負ったという、国民の負託を背負っているという自覚を持って職に当たっていただくのが本筋であると思います。
 
 しかし今はそれが出来ていない人も少なくないのではと言わざるを得ません。
 さらに言えば今の法曹界は、国民の方向を向いていない、やもすれば「むしろ国民のような低いレベルを気にしてはいけない」とすら考えているフシがあるのではないかと思うのです。
 今や参議院議員になった丸山弁護士も、「懲戒請求は厳格なもの。十分な判定をせずに、請求をしたら制度が崩壊する」などと、これもかなり法曹界に向かっての内向きな発言をしてしまっています。
 懲戒するかどうかの判別はもちろん厳格にやっていただいて結構なのですが、請求するコトそれ自体は法律で定められている国民の権利なのですから、それに歯止めをかけようというような方向への物言いはちょっと違うと言わざるを得ません。
 むしろ橋下弁護士の発言は、懲戒請求という法に則った制度があるというコトを国民に知らしめたという点において、弁護士としての責務をある意味果たしていると言えるハズです。
 だいたい国民が納得いかなかったからこそ懲戒請求が前代未聞な数出されたワケで、決して橋下弁護士に国民がマインドコントロールされたワケではないのですから、さも橋下弁護士に扇動されたかのように言うのは、それは橋下弁護士にも、そしてなにより国民に対して失礼な話でしょう。
 もし一言言うのであれば、弁護士会が懲戒要求の中身をじっくりと精査し、まともでないモノはまともでないとハッキリと国民に言いもっと法知識を身につけてほしいと訴え、しかし理に適っている請求があるのであればそれを今後の弁護士会と弁護士に活かせるように公表するなりして努力をするべきだと、国民を代表して国会議員として言うべきなのではないでしょうか。
 
 極論的に言ってしまえば、民主主義においては一番「正しい」コトは、システムが存続するコトではなく、「国民の意見によって物事が動くコト」です。
 結果ではなく、経過こそが民主主義にとっては一番大切なのです。
 民主主義という言葉が表している通り、国民が主として関わっているかどうか、ですね。
 それは政治においては「衆愚政治」と呼ばれる現象もありますが、これも突き詰めれば国民が選択した結果なのですから、民主主義においては「正しい」と言えるワケなのです。
 よって、その民主主義の制度下によって存在している裁判という制度も、結局は国民がそれで良しと言うのであればどんな悪しき結果が訪れようと、少なくとも民主主義下においては“正しい”と言えてしまうのです。
 決して司法・裁判所という存在は国家を超越した普遍的な存在なのではなく、所詮日本国憲法下の日本という国家システムに組み込まれた歯車のひとつでしかありません。
 そしてその日本国家のシステムの中での一番の基本はと言えば、それはやはり「民主主義」すなわち「国民主権」なのです。
 国民がどのように考え、どのように行動したのか、それは弁護士だろうと司法だろうと、基本的には尊重をしなければならないハズなのです。
 
 ちろん今のは極論であるのは言うまでもないコトなのですが、民主主義の一番の基本はこうであります。
 ですので、そういう意味において、この国民の声である懲戒請求を弁護士会がどう扱うか注目であると言えるでしょう。
 国民のための弁護士制度か、もしくは弁護士個人が自己利益を追求するためだけの職業でしかないのか。
 
 思いもよらず、大変な長文になってしまって、ちょっと自分でもビックリしているところなのですが、繰り返しになりますが民主主義においては最終的には国民に責任があるワケで、どこまで国民が高い見識を持って国家システムに当たるかというのが一番のポイントとなるのです。
 いつもは国民批判をよくする当サイトの中で、今回はちょっと毛色が違う文章になりましたが、基本は国民であるというのは民主主義国家においては基本であり当然なんですよね。
 今回の話はもちろん程度の問題であり、何でもかんでも司法の場に国民がしゃしゃり出て、無知のまま、また公のことなど考えたコトもないような私的な感情だけで場を荒らされたのでは、国家運営などまともに出来なくなるでしょうし、もちろんそれは立法や行政の場でも同じコトが言えるワケです。
 ですからどこまでも「程度の問題」でしかないのですが、今回の件についてはあまりにも「基本」を忘れてすぎているのではなのか法曹界と思いましたので、原則論を述べさせていただきました。
 
 また、やえも不勉強で恥ずかしい限りなのですが、弁護士への懲戒請求制度というモノがあるとは今まで知りませんでした。
 こういう制度がちゃんと法律によって確立されているのは、キッチリと民主主義を担保している証拠とも言えますので、もちろんこれだけで十分とはちょっと思えませんが、やはり後は国民の意識次第でしょう。
 民主主義は、国民は寝っ転がっていれば何でも与えられる、国民が一番偉いんだから何言っても何しても何もしなくても構わない、誰かが自分のために何かやってくれるだろう、というような制度ではありません。
 一人一人が高い意識を持って、自らの責任の下で運用するコトが本質です。
 やえも含めて、この問題をキッカケに、また裁判員制度もはじまるコトですし、司法に対してももっと国民の意識が高まってほしいと思っています。
 

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平成19年9月11日

 性犯罪に関するあまおち一問一答 1

 ちょっと前・・・と言ってももう1年半ぐらい前になってしまうのか、フィギュア萌え族だとか、性犯罪、特に幼年者に対する犯罪について日本中が騒ぎになったコトがあったが、その際オレは当時の世論というモノに真っ向から対する更新を書いた。
 
 あの時はそれなりに取り上げられて、注目を集めましたよね。
 
 うむ。しかしだ、未だに性犯罪に関しては間違った知識や偏見でしかモノを見られない奴が多すぎる。つい先日も同様の更新を書いたが、当サイトにおいてもそんな間違った知識でのコメントがつけられていた。
 
 まぁもう1年半も立つのですから、その頃からずっと読み続けてくださっている方っていうのも、むしろ珍しいかもしれませんしね。
 
 よって、今日は、おそらく長くなるから何回かに分かれてしまうことになるだろうが、性犯罪について分かりやすく問題点を明らかにしていきたいと思う。
 

 はい。では今回は、ちっちゃいおにゃのこへの性犯罪が専門の、プロフェッサーあまおち先生にお越し頂きました。先生よろしくお願いします。
 
 ・・・とても誤解されるような言い方はやめなさい。
 
 
 
 ■「性犯罪は再犯率が高いから特別な刑があって当然だ」
 
 これはマスコミが流したデマゴーグである。全くデタラメな根拠のない流言だ。
 
 未だにこれを信じている人は多いですよね。
 
 全く困ったもんだ。ではどうデタラメかを説明しよう。まず「再犯率」という言葉なのだが、これは非常に曖昧な言葉と言わざるを得ない。何を持って「再犯率」と言うのか、この定義がよく定まってないからだ。
 まず再犯率と「率」と言うからには、これは確率の数字であるということが伺える。確率の数字ということは、何かから何かを割り、100を掛けた数字であるのは確かだ。算数の問題だな。
 簡単な例を用いよう。ここにあるどこにでも売ってる変哲のないジュースだが、このジュースの缶には「果汁30%」と書いてある。これはどういうことを示しているのかな?
 
 はい。それはですね、この缶に入っている液体の内、30%が果汁で構成されているというコトを示しているんだと思います。
 
 その通り。では次の問題だ。ここに水が100mgある。その中に食塩を20mg入れました。さてこの食塩水には何パーセントの食塩が含まれているでしょうか?
 
 な、なんだか、数学の問題みたいですね。
 
 数学ってレベルじゃねーだろ、こんなの算数だ算数、いいからさっさと答えろ。
 
 ええと・・・・17%です(ドキドキ
 
 ドキドキすんな(笑) 正解だ。ではお前はどのように17%という数字を弾き出したか言ってみろ。
 
 ええとですね、20÷120×100です。
 
 そうだ。100mgから食塩の20mgを足して、その中から食塩20を割って、パーセント表記だからさらに100を掛けるわけだな。パーセント表記でなければ20/120という言い方でも間違いではない。
 
 (ひさしぶりに緊張しました)
 
 おめー、算数苦手か?
 
 い、いや、そ、そんなコトないですよ。
 
 まぁいいけどな。つまりだな、率を出す場合、「全体」から「抽出する物事」を割って最後に100で掛けるという計算をするわけだ。分数表記の場合は、全体が分母、抽出する物事が分子と表現するな。
 では「再犯率」を出す場合、どのような計算が求められるだろうか。例えば、「全犯罪における性犯罪の割合」はどうかな?
 
 警察庁が出している資料を見ると、平成15年に前科者数に関する資料(注:pdfファイル)を発表しているのですが、まず交通業務過失以外の刑法犯総数235,198件となっています。で、そのうち性犯罪(強姦とわいせつ)は1,100件+3,769件=4,869件ですから、つまり15年に起きた犯罪のうち性犯罪の占める割合は「4,869÷235,198×100」で2.07%ですね。
 
 おめー、急に計算が素早くなったな。
 
 いや、なんだか教科書的な問題になるとドキドキしちゃいまして。現実的な問題だと頭が働くようです。
 
 ・・・変わった奴だ。まぁいいけど、その通りだ。
 
 (ほっ)
 
 では本題だ。性犯罪の再犯率を算出しててみろ。
 
 ええと、再犯率とは、「一度罪を犯した人」の中から「もう一度(もしくは二度三度)また罪を犯した人」を抽出するワケですね。
 
 そうだな。
 
 この場合性犯罪の再犯率ですから、「二度目以降の性犯罪を犯した人/この年の全ての性犯罪者」を出せばいいワケですね。
 
 やってみろ。
 
 さきほどの資料によりますと、3ページ目の「44 罪種別前科数別」に、「同一罪種の前科なし注2)」という覧があります。注目は「註2」です。註2は次の4ページの下にありまして、引用しますと「注2 「同一の罪種の前科」とは、例えば、放火の被疑者が放火の前科を有していた場合のように、被疑者が犯した罪と同一の罪種に属する前科を言う。」となっています。つまりこれが再犯者の数と言っていいでしょう。
 
 ほっといても話が進んでいくな(笑)
 
 よって、例えば「強姦」という犯罪の再犯率は、1犯や2犯を合わせると「(23+15+3)/1100」で0.037…ですから、約3.7%となります。
 
 同様に計算すると、わいせつは7.2%となるな。
 
 10%いきませんね。
 
 そう。でだな、昔ミーガン法とか騒がれた時期にマスコミが「性犯罪の再犯率は5割」なんて見出しでニュースを流しまくっていた。記憶している人も多いのではないだろうか。
 
 でも実際は数パーセントですよね。
 
 そう。ではなんで5割だとか滅茶苦茶な数字が出たのかと言えば、おそらくさっきの資料の1ページ目にある「再犯者」という項目から出された数字だと思われる。強姦の場合、総数が1342件で、その中の「再犯者」数は666だ。なんと5割に近い数字がここから導き出されてしまう。おそらくマスコミはここから「性犯罪者の再犯率は4割」と書いたのだろう。
 
 でも待ってください。「再犯者」のところに「註1」っていうのがありますよね。そこには「注1 「再犯者」とは、刑法犯、特別法犯(道路交通法違反を除く。)の別を問わず、前科又は前歴を有するものをいう。」と書いてありますように、実際の性犯罪の再犯率とは違いますよね。
 
 そうなんだよ。つまりこの数字は「性犯罪数/今まで性犯罪に関わらず何らかの犯罪を今まで犯した人間」の数なんだよ。だから例えば「殺人犯の5割は再犯を犯す!!」なんて書いて、確かに殺人総数1,456件のうち再犯者の数は724人だから、さっきのロジックならそうなんだろうが、しかしこの中の前回の犯罪の種類は当然殺人だけでなく、窃盗とか詐欺とかもしくは性犯罪もあるかもしれない。
 
 そんなのもはや再犯率とは言えない気がしますね。
 
 結局だな、こんなごった煮な数字なんか出されても、少なくとも「性犯罪の特殊性」を語る際には、クソの役にも立たない数字でしかないわけだ。
 
 ここでまたおかしい事実が判明しました。同じような計算式を使って出されたハズなのに、その出た数字そのものはともかく、強姦も殺人も5割という同じような数字が出てしまいました。それなのに、なぜ性犯罪だけ“再犯率”が「高い」と言われてしまっているのでしょうか。
 
 ここが二つ目のポイント。本来、高いとか低いとかという表現を使う場合、必ず何かと比べなければこの表現は使えない。例えば身長2mの人がいるとして、この人は高いか低いかと言われたら、いま自分と比べたら多くの人は「高い」と言うかもしれないが、ガリバー旅行記の巨人の国で考えたら「低い」ということになるだろう。もし世界にこの人ひとりしかいないのなら、2mだろうが10mだろうが30cmだろうか、高いも低いもへったくれもないわな。よって出された数字である5割が高いか低いかは他の“再犯率”と比べなければ高いも低いも本当は言えないんだよな。
 
 でも実際比べてみると、性犯罪が特別高いとは言えないようですね。
 
 ここがマスコミのいやらしさというか、意図的なデマゴーグであると言わざるを得ないところだ。敢えて「5割」もしくは「5割」というなんとなく高そうな数字を出すだけ出しておいて、しかし比べる対象は出さない。
 
 つまりイメージだけで、想像だけで性犯罪の再犯率が高いと国民に思わせようとしたんですね。
 
 そう。トンデモ再犯率の方はもやは科学的データには全く使えないので捨てておくにしても、資料3頁にあるデータで出された再犯率で比べてみたところで、さっきやえが出した強姦3.7%、わいせつ7.2%に比べ、傷害は8.2%だし、窃盗は8.5%なのである。よくよく見てみると実は傷害や窃盗の方が再犯率が高いではないかと。
 
 あらら。これでは「性犯罪者の再犯率が高い」と記事にする前に、「傷害犯罪者の再犯率が高い」という記事を書かなければウソになってしまいますね。
 
 しかしマスコミはそれをしなかった。警視庁の資料を見れば間違いするわけのないデタラメな計算式を使い、意図的に数字を改ざんし、5割という「なんとなく大きそうな数字」を持ち出してデマを創り出したのだ。
 
 だけど実際は、5割という数字は全く意味を成さない数字であり、なおかつそれをもってしても性犯罪だけが異常に高いとは全く言えないと。二重の意味で意図的にマスコミはデマを広めたというワケですね。
 
 そうだ。以上のことから、いま手に入れられるデータによれば、性犯罪の再犯率が高いというのはまったくのデタラメであるとしか言いようがない。
 
 もちろん性犯罪だけが特異的に再犯率が高いと立証できるデータが出されればそれは認めますけど、今の段階では高いとは言えませんよね。
 
 うむ。であるのだから「性犯罪は再犯率が高いから、特別な刑が必要だ」という論法は間違いである。再犯率は特に高くないから、この理屈による特別な刑を執行する理由が見あたらない。
 
 性犯罪だけを特別視する必要性がないワケですね。
 
 というわけで、これを読んだ人は、もう「性犯罪は再犯率が高い」というデマは口にしないようにしてほしい。決して性犯罪は他の犯罪と比べて再犯率に特異性があるとは認められないのである。
 

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平成19年9月12日

 安倍さん辞任に対するやえメモ

■なぜこのタイミングで辞められたのか、戸惑いしかありません。憤りもなくもありません。先日臨時国会がはじまったばかりなのに、今辞められるのはちょっと理解できません。
 
■それはそれとして、あれだけヤメロヤメロと大合唱していたマスコミや野党は、辞めたら辞めたでやっぱり批判するワケで、今更ですが勝手だなぁと改めて思いました。
 
■安倍さんの辞任の理由のひとつである、小沢代表の言い分「安倍総理は民意を受けていない」・・・これって小沢さんが民意総代みたいな言い方ですよね。偉くなられたモノです。
 →そもそも先の参議院選挙の結果は、「民主への信任」ではなく、「反自民」だったことというのは、マスコミをはじめ、多くの国民が認めるところであり、それこそ民意だったはずです。日に日に民主党と小沢代表の参議院選挙の結果が自分たちに有利なような解釈に変わっていってますね。
 →先の参議院選挙の争点に、テロ特措法の問題って言われてましたっけ? それなのに小沢さんがテロ特に対して党首討論を拒否する理由などないハズです。まして「民意を受けていない」などという理由は、決して民主党小沢代表が言えた口ではないでしょう。
 
■そもそも先の参議院選挙の争点はなんだったのでしょうか。「消えた2000万件」のキャッチフレーズは選挙終わってからピタッと止まってしまい、選挙に勝ったとされる民主党も何も道筋を示していません。
 →結局安倍総理に対する「政策的な批判」はほとんど聞かれませんでした。イメージだけの批判に終始し、イメージだけで辞職するに至ったと言わざるを得ないでしょう。
 →民主党もマスコミも国民も、安倍総理のどの政策がどのようにダメだったのか、明確に示していただきたいモノです。安倍さん個人云々について特に言うコトはないのですが、このような政策無き政治決定は今後の日本のためにはならないでしょう。
 
■そういう意味から、やえは安倍さんには、中身を伴わないくだらない批判など完全無視して、粛々と中身ある政策を進めていってほしいと思います。
 →ただし、テロ特措法をはじめ、粛々と進めるにしても法案が通らないのでは何もならないというコトは大いにあるのでしょう。参議院選挙前までは、何を言われても粛々と、審議妨害(いわゆる強行採決)にもめげずやっていたので、それができないという点において、安倍さんの手段が尽きたという見方はできるのかもしれません。
 
■安倍さんを振り返った時ひとつ言えるのは、教育基本法を改正したという実績は、これは本来一内閣の一番の重要政策として挙げ、時代が時代なら改正をして総辞職という流れても不思議ではないぐらいの大業だったと言えるモノだと思います。
 →安倍さんは何もやってないと言っている人が多いコトにはびっくりするしかありません。まぁ小泉さんが辞められたときも「郵政しか記憶にない」とか言ってる人がいるぐらいですから、いかに政策の中身を見ている国民が少ないかというコトなのでしょう。
 
 
 
■ 安倍さんについて「お坊ちゃん育ちですし、庶民感覚のない総理だったのがこの結果なのでしょう」的なコトをテレビで誰かが言ってました。が、しかし安倍さんの政策というモノは総理就任直後、いえその前から分かっていたコトです。それは、憲法改正が一番の柱であり、また戦後レジュームからの脱却や美しい国の再建など大局的な政策といった、経済政策などの実質的ないわゆる生活的な政策とは違う、国家思想的な部分を追い求めるようなところを目指した総理でした。
 ここに生まれ育ちは関係ない話でしょうし、「憲法改正」が「庶民感覚」とかけ離れていてダメだと言うのなら、いつまで経ってもそれは政策課題に挙がらないコトとなってしまいます。いつもいつも憲法は日本の基本だとマスコミをはじめ多くの人は言っているハズなのに、しかし政治政策課題にはならないとは全く不思議な話です。
 → これで一番喜んでいるのは、未だにマスコミに巣くっているサヨク連中でしょうね。安倍さんの失敗で、これでもう数年は憲法改正が政策課題に上がるコトはなくなったのですから。
 
■ 総理のメルマガをレビューしているからでしょうか、けっこう当サイトのコトを政府・自民党寄りと言われるコトも多々あるようなのですけど、まぁ結果的に言えばそれも否定しないのですが、それでもやえ自身は特に小泉さんに対しては苦言もかなりしてきたと思っています。
 だけど安倍さんに対してはそれをする機会もありませんでした。憲法改正や教育基本法改正は大賛成でしたし、またそれ以外の政策は結局表に出すコトができないままでしたからね。
 → 特に「戦後レジュームからの脱却」は、保守系言論人においては何よりも追い求めるべき目標だったハズです。本来なら「戦後民主主義のどこの部分が間違いでどう正すべきか」という点をよくよく議論し、さらに突っ込んで議論できるならば「戦前、さらにその前の日本のどの部分は素晴らしくて、それは現代にまたよみがえらせるべきか」というコトも議論すべきだったと思います。やえはそんな議論を待ち望んでいました。
 
■ しかしやっぱり気持ち悪いのはマスコミです。小泉さんの時にさんざんマスコミを利用したワンフレーズ政治を批判していたのに、今度はマスコミが主導で安倍下ろしです。結局政治の大衆化が良い悪いと言うのではなく、マスコミ自身が自らの思惑に沿うか沿わないかだけが善し悪しの論点でしかないのでしょう。
 → 保守陣営も含めた言論人も同様です。よしりん先生など小泉さんの時に国民にオウムバリのヘッドギアをつけたような絵を載せ、マインドコントロールされている、日本には人民しかないとか言っていたくせに、風向きが逆になったときには何も言わないワケです。もしマインドコントロール自体が悪だと言うのでしたら、今ほど危機を募らせる時期はないと思うのですが。
 → 国民もヘッドギアを外して、自らの脳で考えられるようになってほしいモノです。
 
■ これは「政策政治」の敗北とも言えるかもしれません。次の内閣はいかにマスコミと国民に媚びを売るかを考えなければならないのでしょうか。
 → 今考えると、民主党の前の代表の前原さんが可哀想な気がします。メール事件では不味すぎる対応しかしなかったので、それはかばいきれないところですが、政策論争対案主義がつぶされたのは、やはり国民が支持しないからなのでしょう。民主党から人気取りを取ったら何も残らないですからね。国民は政策論争にはついていけないのでしょう。
 
■ 今思えば、小泉さんの時代には自由に政策論議が出来たように思えます。当時は当サイトを含めて、だれもが活発に論議を繰り広げていました。靖国の問題から、対外対米政策や、皇室のお話まで。
 またこのような雰囲気が日本に戻ってくるのかどうか、さみしい限りです。
 → 安倍さんの政策についても、じっくり中身について当サイトでも賛否両論意見を出したかったのですが、つくづく残念です。
 

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平成19年9月13日

 安倍さん辞任表明に対するやえメモ2

 ■ 一行ボードに頂いたコメントで「国益しか考えない安倍さんと、政争しか考えない小沢さん、駆け引き合いさせたら小沢さんに分がある罠」というのがありましたが、なかなか核心を突いているように思います。
 安倍さんは足下が見えてなかったというのはどうしてもあるでしょうね。先の国会でも強行採決という名の審議妨害が連発されましたが、これも国益のみを考えた結果なのでしょう。いつもいつもくだらない邪魔が入り国会ごとに失敗に終わっていた社保庁の解体も、あそこまで強引でないとなし得なかったでしょうし、これは確実に日本にとって有益な決断だったと断言できます。
 → それにしても参議院選挙で比例一位で自治労の幹部が当選したという民主党は、いったいどういう形で社保庁を正常化させるのでしょうか。お得意の「説明責任」を果たしてほしいと思います。
 
 ■ 結局安倍さんの何が良くなかったのかという理由について、どうも「お坊ちゃん育ちで庶民感情が理解できなかったから」という結論に落ち着きそうな雰囲気です。意味不明です。
 先日も言いましたように、もしそういうのであれば「生活に密着していない政策ばかりだと」総理大臣就任時に言うべきであって、今になって言ったところで説得力を持ちません。
 → 結局雰囲気だけで進んだ安倍政権に対する評価ですが、最後まで雰囲気に飲まれた感想なのでしょう。具体的にどの政策がまずかったのかと聞かれても中々答えられなくて困るワケで、では安倍さんの特徴はと言うと、「岸信介元総理のお孫さんであり三代続く政治家の家」というのが前々からのウリでしたから、ここを捉えて「お坊ちゃん」とネガティブな感想を誰となく言い始めて、そう言っておけばとりあえず間違いではないやと“差し障りのない”言葉をみんなが使い始めたという経緯なんでしょう。そんな適当に政治を語られても困るのですが。
 
 ■ また「格差」を理由に挙げている人もいるようです。これはやえの感想なのですが、この「格差是正」を主張している人って、「自分の所得が上がる」コトと同義に考えてしまっているような気がしてなりません。格差を是正した結果、自分の所得が下がる場合だってあり得ます。極論的に言えば、全ての国民の賃金を月10万円と一律としてしまえば、格差だけ見れば是正されているワケです。確かにこれは暴論ですが、しかし「格差是正」と言いつつも、自分が上を妬んでいるだけなのかもしれませんし、実は中流なのに高望みしてもしくは自虐的に自分が下流だと勘違いしているだけなのかもしれないってコトを含めて、実は「格差是正」とは具体的にどういう結果を望んでいるのかというコトを考え直した方がいいと思います。
 → ちなみにやえは自分がどの層にいるかなんて気になりません。まぁそんな年でもないんですが、他人を妬んだところで何かが変わるワケではありませんし、それを政府のせいにしても詮無いだけですし、本当にステップアップしたいなら自分で努力するしかないと思いますから。
 
 ■ あるところで面白い書き込みを見つけましたのでご紹介します。
 
 妥協して落しどころを探ると・・・・・・・・・・・法案は骨抜きだ
 政治に民意を反映させ法案を押し通すと・・一方的だ、独裁だ
 
 部下に大きな権限を与えて任せると・・・・丸投げで無責任だ
 官邸主導で進めると・・・・・・・・・・・・・・・・・独裁政治は許せない
 
 決断を下すと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なぜ急ぐのか、慎重に議論すべき
 保留すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また先送りか
 
 支持率上がると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人気取りの政策
 支持率下がると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もっと国民の声に耳を傾けよ
 
 靖国に行くと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・近隣諸国の許可を得たのか?
 靖国に行かないと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国民との公約を破った
 
 閣僚人事の予想があたると・・・・・・・・・・・・新鮮味がない、地味
 閣僚人事の予想がはずれると・・・・・・・・・・またサプライズの手法、実務派を使え
 
 拉致問題に取り組む前・・・・・・・・・・・・・・・・北朝鮮との友好を壊すな、拉致は政治的捏造だ
 拉致問題に取り組み後・・・・・・・・・・・・・・・・なぜもっと早くやらなかったのだ
 
 北朝鮮に強い態度取ると・・・・・・・・・・・・・・なぜ話し合いで解決しようと努力しないのだ
 北朝鮮と協調すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・弱腰外交はやめろ
 
 規制緩和すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・競争が激しくなり格差社会を助長する
 規制緩和しないと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・既得権益にメス入れろ
 
 株価下がると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・景気悪くなった、なんとかしろ
 株価上がると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・格差広がった、すぐに是正しろ
 
 景気が良くなると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・企業優遇税制をやめろ、格差社会を是正しろ
 景気が悪くなると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・景気対策がなおざりだ、社会保障を充実しろ
 
 
 ■ コメントを頂きました。
 
 「追加しなきゃ。
  辞めないと……責任とって辞めろ
  辞めると………無責任だ」
  
 そうですね(笑)
 
 
 ■ これもよく聞く言葉に、「小泉さんに比べて安倍さんはマスコミの使い方が下手だった。演出を考えて上手くマスコミを使わないと国民には伝わらない」というモノがあります。やえはこの言葉にも脱力するしかありません。
 国民はどこまで受け身なのでしょうか、どこまで受け身が許されると思っているのでしょうか。自分で知ろうという気概は無いのでしょうか、努力をしようとはしないのでしょうか。
 政治家は政治を行うのか仕事です。国民にその内容を知らせるのが仕事ではないとは言いませんが、しかしそれは第一ではありません。そもそも国民から知ろうとするコトは出来るワケで、「政治家の方から知らせようとしなかったから知れなかったんだ」と言ってしまうのはもはや開き直りなのではないでしょうか。何もしなくても全てが手にはいると思っているような態度には疑問しか出てきません。本当に政治を良くしたと思うのであれば、国民こそが自ら能動的に動くべきだと思います。
 パフォーマンスだけで政策をしない政治家と、政策を行うけどパフォーマンス下手な政治家、どっちがいいのか考えてみて欲しいです。
 → 国民は、気になるなら自分で調べればいいだけです。自分が知らなくても政治は動いています。むしろパフォーマンスなんて捨ててもらい、本業に全力投球してもらった方が日本のためでしょう。その上で気になる人は自分で政治を見に行くと、これこそ理想の形なのではないでしょうか。全ての国民が努力するコトが民主主義の原点のハズです。
 → そういえば小泉さんに対してはパフォーマンスだけだとか言ってましたよね。でも小泉さんはどっちも天才的にこなしていました。しかしこれは小泉さんがまさに天才的な才能を有していたからにすぎず、それを他人に求めるのは酷ですし無責任です。
 

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平成19年9月13日

 安倍メールマガジンレビューファイナル!?

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       安倍内閣メールマガジン(第46号 2007/09/13)
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 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 改革、テロとの闘いを前に進めるために
 
 こんにちは、安倍晋三です。
 内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。
 
 こかにちは、安倍さん。
 まさかこの時期にこのような内容のメルマガをレビューするコトになるとは夢にも思いませんでした。
 さすがに最初は、「え? なんで? 意味が分かりません。ここで投げ出しちゃうんですか!?」と思ったモノですが、しかしなんだかマスコミとか野党とかが「無責任だ」とか言っているのを聞いてると、そんな安倍さんに対する負の感情もどこかに行ってしまいました。
 だって、まだ政策論争によって安倍さんを追いつめていたのなら「無責任だ」というのはごく真っ当な言い分だと思いますが、ただただイメージ戦略だけで「何が悪い」という理由もなく総理の座から引きずり下ろそうというのが100%目的でしかなかった人にそう言われたところで、それはあなた達が望んでいたコトで無責任なんてどの口が言っているんですか、としか思えないからです。
 はじめから小泉さんの後で絶対損をするなとは思っていましたが、ここまで不遇な総理になってしまうとは、つくづく残念です。
 
 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。
 
 昨日も言いましたが、「戦後レジームからの脱却」については、やえも大いに語りたいところでした。
 戦後民主主義が歪みまくってしまっているというのは言うまでもないコトで、これの是正は、ある意味憲法改正と同等ぐらいの価値を有する大業だったと思います。
 これでもうあと何年かは、ここまでキッパリと戦後民主主義の是正を唱えられる総理は、出てこないでしょうね。
 
 また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と申し上げました。
 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。
 
 また取り上げようと思っていますが、安倍さんは外交においても大きな功績を残しました。
 まずインドとの距離をグッと近くしたコトです。
 言うまでもなくインドは世界で二番目の人口を有する国であり、その市場規模はとてつもなく期待感が持てる国です。
 そして、どこかの国と違って信頼が出来ます。
 多神教で、数学が強く、人当たりがいい国民性というのも日本人としては親近感を覚えますよね。
 そんな国と今後強固なパートナーシップをとれるというのは日本にとって大きな国益となるでしょう。
 これに一番焦っているのが中国です。
 そしてその国の機関誌ではないのかと疑いたくなるような日本の新聞は、論理も良識もかなぐり捨ててインドとの友好にケチを付ける社説を載せています
 
 もうひとつは、日米豪の友好です。
 環太平洋の3大国が手を結ぶことによって、様々な面で世界的な戦略が立てやすくなります。
 また、月並みですが、3国とも自由と民主主義によって国家システムが成り立っており、共産国やイスラム国よりは意志と価値観を共有しやすく、そういう面においても国益と国家戦略を立てやすいと言えるでしょう。
 そしてこれも一番焦ったのが中国です。
 この中国の記者の慌てッぷりがそれを如実に表しています
 
 危険な国中国を牽制する意味において、安倍外交は大きな功績を残し、確実に日本を良い方向に導いていた道半ばだったのです。
 残念です。
 
 テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりについても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。
 そのために、私は何をすべきか。
 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考えました。
 
 もしかしたら安倍さんの中では、あの湾岸戦争のコトが頭にあったのかもしれません。
 戦後日本史の中でももっとも情けない姿を世界にさらしてしまった、あのコトです。
 安倍さんは二度とあんな姿を世界にさらしたくないと考え、金だけの国にしてはならないと努力しようとしたのではないでしょうか。
 今の多くの国民は、あの時日本がどれだけ惨めな思いをしたのか、すっかり忘れてしまっているようですけどね。
 
 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました。
 新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。
 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなければならない、と判断いたしました。
 
 安倍さんは、これを何よりも第一と考えたのでしょう。
 「テロ特措法をやるだけやって、失敗したならその後に退陣すれば良かったのに」と言う人は多いのですが、それはあくまで国内政治論でしかなく、安倍さんの思いというのは、何よりも自衛隊が海外で活動できるという結果だけをどこまでも追い求めて、そしてそれが叶う確率が一番高い方法、つまり自らの辞任という方法を選んだのだと思われます。
 安倍さんの辞任の理由は、健康問題も含めて色々あるのでしょうけど、テロ特の話だけで考えれば、どこもでも結果だけを追い求めた結論なんでしょう。
 
 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。
 
 全く無責任ではない、とは言えません。
 しかしそれを理由に責める気もやえは失せてしまいました。
 いま安倍さんが近々入院するというニュースが入ってきましたが、健康を害したまま総理という職務を続けるのも、日本のためにはならないかもしれません。
 投げやりに言いますが、野党もマスコミも安倍さんを理由もなく下ろしたがっていたのですからこれで満足でしょう、次からはちゃんと日本のためを思う政策論争や報道をお願いしたいと思います。
 
 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうございました。
 この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私は決して忘れません。
 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これからも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)
 
 あああああああ、やっぱり最終回宣言ですか。
 本当に、本当にお疲れ様でした。
 いまはゆっくりと休養をとって体を休めてください。
 ありがとうございました。
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 昨日、安倍総理が辞意を表明しました。総理は、記者会見で発言されていたように、各国が高く評価し、我が国の国際公約となっている、テロとの闘いのための活動を続けることができるよう、総理の職を辞してまでも、局面の転換を図るべし、との決意を表明されました。是非とも、継続を実現したいと考えます。
 また、このほかにも、年金制度に対する国民の皆さんからの信頼の回復、地域の活性化による国全体にわたる繁栄の実現など、重要な課題は山積しています。行政の停滞が生ずることのないよう、全力を挙げてまいります。
 読者の皆さんには、このメルマガを愛読頂き、貴重なご意見を頂いていること、深く感謝申し上げます。(まつしげ)
 
 内閣改造を行ってから、まだメルマガレビューをしていなかったので、結局紹介もできませんでした、新しい編集長の大野松茂先生です。
 はじめまして。
 そして・・・さようなら?
 なんともコメントしづらいのですが、ま、まぁまつしげ先生も、しばらくお忙しいでしょうから、体調には本当に気をつけてがんばってください。
 ではまた会える日を楽しみにして、いったんお別れしたいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援していますっ。
 

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平成19年9月14日

 福田総理総裁誕生か!?

 なんだか一日で一気に流れが変わりましたね。
 やえは当初、「この国難をを前にして党内が一致し強固な連携を持ってこれを乗り切る」として、国民人気が高くまた現幹事長という現在では実質的に自民党のトップに立っている麻生太郎先生閣下にほぼ無投票のような形で新総裁が決まると思っていたのですが、まさかまさかこうなるとは。
 一部でも、「ついにローゼン閣下の時代が来た」と喜んでいたのではないかと思うのですが、このままの情勢ではそれも適いそうもありません。
 まぁまだあと一週間以上あり、百戦錬磨魑魅魍魎の自民党において、党内最大の祭りである総裁選挙においてこのまますんなり事が進むとは思いませんし、麻生閣下本人もこのままでは絶対に終われないでしょうから、まだ何があるか予断は許さないとは思います。
 
 なんですが、とりあえず今日は新総理総裁目前の福田さんを中心に、自民党と派閥などのお話をしてみたいと思います。
 
 今回の流れを、一部では「昔の自民党の派閥政治が復活した」と言っている人もいるみたいですが、やえは昔の派閥力学と今回の動きはまた違う部分が大きいのではないかと思っています。
 話は結構さかのぼって、小泉時代のお話ですが、小泉さんが自民党総裁になってからというモノ、ご自身の「自民党をぶっ壊す」のキャッチフレーズを本当に実行され、自民党の派閥は今までの自民党からかなり様変わりしてしまいました。
 小泉さんが最初に行ったのは、田中角栄以来自民党の中心に居座り続けた経世会のぶっ壊しです。
 小泉さんは経世会(当時は平成研究会、いわゆる橋本派)を「抵抗勢力」と名付け、単純な善悪の構図を作り出すコトによって、経世会をガタガタにしてしまいました。
 その影響は一般的に思われている以上に大きく、常に党内では最大勢力だった経世会も今では清和会(町村派、前森派)に次ぐ2番目の座に落とされてしまっています。
 また派内的にも、もはや「鉄の結束」と言われた時代の面影はなく、橋本元総理が亡くなってからはしっかりとしたリーダーさえ決めかね、今回も額賀さんが総裁選に出馬すると表明したにも関わらず、派内の一部は福田支持を表明し、麻生支持の議員もいれば、参議院などはまったく額賀さんを支持しないという、ガタガタバラバラの状況の上、結局額賀さんは立候補を断念してしまいました。
 
 次に小泉さんが標的にしたのが、志帥会(伊吹派、前亀井派)です。
 ここも抵抗勢力と小泉さんが位置づけ、またその代表格のような風貌の亀井静香ちゃん先生がいらっしゃったコトから、国民からの風当たりが一層強くなり、結果的に志帥会創立者の一人である亀井静香ちゃん先生は自民党を去ってしまいました。
 また志帥会の大幹部である大勲位中曽根元総理まで小泉さんに引退させられ、またそれぞれ派閥領袖をつとめた村上元参議院議員、江藤元衆議院議員などはもう政界を去っており、このように派内には志帥会創立者達がすでにいなくなってしまっている状況です。
 そもそも派閥というモノは、一部の強引なリーダーシップを持った議員さんがそれまで所属していた派閥を抜けて新しく作るという形がほとんどですので、しばらくはワンマン的になりやすい性格があります。
 そういう意味で若い派閥である志帥会は、このように早くからワンマンリーダーを無くしてしまっており(ちなみに同時期に誕生した近未来(山崎派)は今でも領袖が変わらず山崎先生です)、現在の志帥会は結局議員もズルズル少なくなってしまい、存在感を示せなくなってしまいました。
 
 当時の小泉総理は、一番の党内的な敵だったこの二派をガタガタにするコトで、今までの自民党的な力学を文字通りぶっ壊しました。
 そして自らが会長を務めていた清和会は、今では党内ダントツの議員数を誇る大派閥へと成長を遂げました。
 そもそも小泉さんの敵という表現を使いましたが、派閥的に言っても清和会は昔から非主流派にずっと立たされていた歴史があり、この一連の興亡史は小泉さん率いる清和会の党内クーデターと言ってもいい流れなのです。
 
 このような流れがあり、現在の自民党の最大派閥は清和会なのですが、それでも一派だけで党内を掌握できるほどには大きくありませんから、総裁を選出しようとするならどこかと手を結ばなければなりません。
 そして、今回ここで宏池会と手を結んだというところが、これまでの自民党の派閥力学とは違う点であるのです。
 
 宏池会はいま3派に分かれています。
 最も数の多い古賀派、加藤の乱で分裂した谷垣さん率いる谷垣派、宮沢元総理から派閥を加藤先生に引き継ぐ時にそれに不満で離脱した河野洋平率いる大勇会からそのまま麻生閣下が引き継いだ為公会の3つです。
 宏池会は池田勇人元総理を創立者とし、ほぼ宮沢総理の時代までは大きな分裂をせず、最も長い歴史を持つ派閥として池田勇人・大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と四人の総理を輩出した自民党保守本流の王道を歩んできた名門派閥です。
 古賀派も谷垣派も麻生派も、辿れればここにたどり着く同じ派閥であり、また党内3位の勢力を誇る古賀派を含めれば党内二位にまでなれる有力勢力でもあるワケです。
 よって、普通に考えれば特に現在有力な総裁候補を出せない古賀派などは麻生派を支援してもよさそうなのですが、しかし今回古賀派はもともと同じ流れをくむ麻生閣下を支持するのではなく、清和会の福田さんを支持してしまいました。
 
 よくよく考えれば、もしここで福田さんが総理総裁になれば、森−小泉−安倍−福田と、なんと4代続けて清和会から出るという、普通では考えられない事態になります。
 よって、今までの派閥力学や派閥感情から考えれば、それだけは阻止しなければと考えるのが普通です。
 そう考えれば、旧来ならば、もともと同じ宏池会だった麻生閣下に、もしくは谷垣さんに、古賀派やそれぞれの派閥がついて、森派包囲網が作られていたのではないかと思います。
 しかし今回こうなったというのは、今までの派閥哲学とは違う動きだと、すなわち政策などを中心にして候補者に支持を決めたと言えるワケなのです。
 
 もともと清和会というのは、森さんの神の国発言や小泉さんの靖国問題など、そして安倍さんは言うまでもなく、こういうタカ派色の強い派閥でして、むしろ福田さんのような人はめずらしいと言えます。
 一方宏池会というのはもともとリベラル派ですから、安倍さんとは合いませんが福田さんとは合うワケです。
 ここはちょっとしたねじれ現象と言っていいでしょう、リベラル的な宏池会の流れをくむ麻生閣下はタカ派で、タカ派的な清和会の福田さんがリベラルという形なのですから。
 
 やはりこの現象というのは、旧来の自民党の派閥の興亡だけをかけた権力闘争ではなく、むしろ政策を中心とした総裁選挙となっていると言えるのではないかと思います。
 正直、派閥力学での政争だけを見る分には、例えば宏池会が麻生さんを推し、清和会が福田さん、そして経世会が額賀さんを推してという三つどもえの形になれば一番面白いワケなんですけど、今回は清和会が4代続こうとも政策こそを中心にして総裁を決めるという形になりました。
 きっかけは小泉さんですが、それを支持しない方達にとっても、もはや自民党の流れは変わったと言うコトなのでしょう。
 この流れというのは、なかなか面白いですし興味深いですね。
 
 さて、23日まで何が起きるのか楽しみですね。
 
 

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