だいぶ前の話になってしまいましたが、佐世保で起きました銃乱射事件について、その銃の扱いの件を今日は取り上げたいと思います。
この事件、犯人が自殺してしまったコトもあり、いまだに真相が解明されていないようで、なぜこのような事件が起きたのか、そしてどうすればこのような事件を起こさないようにするか、その辺の議論が先に進めていないようです。
そういう事情ですので、この佐世保の件を個別にどう考えるかというコメントは出来ませんので差し控えますが、そもそも銃の扱いについて、特に日本はおそらく世界一、銃所持についてはきびしい国ですから、これをどう考えるのかというところを考えてみたいと思います。
もっとも簡単な方法は、銃の規制をもっと厳しくするコトです。
極端なコトを言えば、もう民間人が銃をどのような理由があっても一切所持してはいけないという風にすれば、少なくとも銃による事件は、警官かヤクザが起こすモノぐらいしかなくなるでしょう。
数自体は激減するのは確実です。
しかしこれはやっぱり極論でしかありません。
国民の大多数である銃を持っていない人からすればその方が安心になるとは思いますが、だからといって少数者の文化や嗜好・趣味などを踏みにじってはいいとはなりません。
こんなコトをしていたら、いつか自分にも同じような理由で、今まで享受できていた自分の権利を理不尽にも取り上げられてしまうかもしれません。
人間誰しも人と変わった特徴というモノはあると思います。
自分こそはまったくの平坦人間だと言い切れる人はいないでしょう。
だからこそ人間が文化を生み出す力を持っているワケであり、なんでもかんでも均一に平坦に、異端は切り捨ててしまうのは人間そのものを否定してしまうコトになりかねないでしょう。
でも、特に最近は衆愚政治が益々浸食してきていて、それを利用しようとする勢力もあるワケで、やえは大変残念に思っているところです。
銃刀法改正案:「銃の保管場を自宅外に」 民主が提出へ
民主党は、長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件を受け、銃規制を強化する銃刀法改正案を次期通常国会で提出する方針を固めた。銃を射撃場や警察署で共同保管して犯罪の抑止を図るほか、所持許可を柔軟に取り消せるように法律を見直す。
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残念ながらというか、相変わらずの民主党というか、非常に短絡的でバカバカしい改正案です。
これについて詳しくは、玄倉川さんのこちらのエントリーに賛成します。
特に
その昔、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件のときにヒステリックなホラー作品バッシングが起きた。今にして思えば、いや当時から物のわかった人は呆れていたが、実にくだらない空騒ぎである。
「目立つ」「危険そうな」なにかをとりあえず叩く。表現の自由も市民の権利も忘れて、思い込みと不安感に突き動かされて叫ぶ。
浅はかで馬鹿げた行動パターンだ。
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との部分はまさにおっしゃる通りです。
当サイトにおきましても、似たような事例はよく取り扱ってきました。
例えばフィギュア萌え族についての議論等ですね。
こういう方法論こそ「臭い物には蓋」でしかなく、こんなコトを繰り返しているといつか必ず自分にしっぺ返しが帰ってくるでしょう。
自分も他人から「犯罪者だ」と指さされてしまうのです。
ところで、銃規制について、やえはひとつ思うところがあります。
今回警察や公安委員会がなぜ今回の事件の犯人のような、周りから危険視されているような人間に対して適切な処置が出来なかったのかと言うと、それはもはや銃規制の手続きが形骸化してしまっているからではないかと思うのです。
警察や公安などはその仕事の範囲が多岐にわたるワケで、銃規制の手続きだけを行っているワケではありません。
むしろ警察なんかは実際に起こっている事件の方が大切に思ってしまうコトは仕方のないコトで、この手の手続きなどの書類上の仕事なんていうのは、どうしてもおざなりになってしまう、良い言い方をしても人手が足りなくなってしまうのでしょう。
ですから、もちろん警察の責任が無いとは全く言えませんが、ある程度の部分において仕方なかったと言えるところもあるでしょうし、それに対して「しっかりとやれ」と言うのは簡単ですが、実際現場で働いている人にはそれなりの事情があるコトだとは思います。
そしてそれを是正するためには、実際に今回の事件では警察の通常業務だけでは対応しきれなかったのですから、警察をどうこうすると言うよりは、制度を見直すというコトの方が現実論としては適切なのではないでしょうか。
ではどのように変えるかですが、この事件を教訓にするならば、一番の原因は「警察や公安が、その個人の資質について知るコトが出来なかった」というところに行き着くと思います。
今回の事件については、警察がよくよく犯人についての人柄を把握していれば、少なくとも銃乱射という最悪の事態だけは免れていたかもしれません。
となると、一番分かりやすい対処法は、警察や公安の人員の増強ですが、これはさっきも言いましたように、あまり現実的ではないと思います。
そもそも銃問題だけが人不足ではないのが現状なので、銃問題だけに人員を特別に割くというのは、むしろ現場を混乱させるだけではないでしょうか。
ですからやえは、いまある組織を上手く活用すればいいのではないかと思っています。
例えば、猟友会という団体があります。
猟を生業、または趣味としている人が所属する団体ですが、となれば自動的に銃を持っている人たちの団体となります。
つまり猟友会は銃の専門家であるワケで、猟銃に限って言えば警察よりも詳しい知識を持っている人たちとも言えるでしょう。
例えば、この猟友会に、銃所持申請の審査を一部委託するというのはどうでしょうか。
最終的な結論は公が持つべきですから、許可自体は今まで通り公安が出すようにすべきですが、その前段階である人柄などの審査は、猟友会に任せるという形にするのです。
猟銃を持つためには猟友会に入会するコトを法によって必須とし、例えば仮入会期間などを設けて猟友会全体でその人の人柄を知り、その後面接や銃知識の試験などを課して、猟友会の許可を警察や公安に上げるという仕組みです。
この方が警察に任せるよりも遙かに人柄を詳しく知るコトができるでしょうし、また警察のおざなりな書類審査よりも、猟友会としても世間の目がありますから自分達のためにも一所懸命に審査するでしょう。
さらに、許可の取り消し申請も、猟友会の判断で出来るようにすれば、病気などの入会時と事情が変わってしまったような時にも柔軟に対応できるのではないでしょうか。
これにより、今までより深く具体的で現実的な事前審査ができるようになりますし、いざという時も迅速に柔軟に対処できるようになると思いますし、今回の事件でも猟友会が警察に所持取り消し申請をして即座に許可されていたら、もしかしたら最悪のコトにはならなかったかもしれません。
もちろん、猟友会の決定に異議があるのであれば、警察や公安が再審査する等の権限はあってしかるべきですし、また定期的に警察は猟友会と意見交換や書類などの提出を義務づけるよう権限を持っておくべきです。
大切なのは、より具体的に人柄を知る方法と、警察も団体も個人も、お互いに情報公開・交換できるシステムを構築しておくコトと、そのシステムが形骸化しないようお互いに監視できる仕組みを作っておくコトだと思います。
そういう意味において、役所ではない民間団体がその業務を一部委託するというのは、一方だけではどうしても形だけにこだわってしまいがちな組織というモノに対して、それなりの効果を期待できるのではないでしょうか。
事件が起きた直後の感情だけで一過性の対処療法だけで議論するのではなく、もっと大局的な視点で冷静に議論して、よりよりシステムを作ってもらいたいと思います。
銃が身近でない社会は、決して手放してはならない日本の最も優れているところなのですから。
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