☆やえニュース☆

 福田メルマガレビュー無駄というモノについて新幹線は無駄!?中国と付き合うメリット・デメリットパンダ一億円福田メルマガレビュー

平成20年5月1日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第29号 2008/05/01)
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 ★☆ 福田内閣総理大臣 記者会見(4月30日) ☆★
 歳入法案の再可決、ガソリンの暫定税率などに関する福田内閣総理大臣の記者会見は、政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1824.html
 
 [生活者財源。福田康夫です。]
 生活者財源。福田康夫です。
 新年度が始まって、ちょうど1か月が経ちました。
 すでに新年度予算の執行は始まっていますが、その裏付けとなる歳入法案は、賛否を決することも、修正することもないまま、参議院審議が始まってから2か月もの時間が経過したことは、誠に残念です。
 
 こんにちは、福田さん。
 というワケで、今日は予算の件です。
 やえも昨日の更新と合わせて、もうちょっと付け加えたいと思いますので、今日のレビューは変則的な形にさせていただこうと思います。
 
 で、相変わらずの参議院です。
 議論するコト、結論を出すコトが仕事の国会において、なんら話が前進しないまま2ヶ月も放置されているというこの体たらくはいったい何なんでしょうか。
 確かどこかの政党は「審議時間が足りない。もっと審議しろ。採決反対」とか言って騒ぐのが常套手段だったハズですが、その参議院比較第一党は何をしているのか、しっかりと仕事をしてもらいたいモノです。
 
 国・地方を合わせて800兆円もの借金を抱える中で、この1か月間で、すでに1800億円の歳入が失われました。この状態が続けば、1日あたり60億円もの歳入が失われます。
 自治体によっては、すでに教育や福祉といった住民サービスにまで支障が生じており、地域経済への悪影響も懸念されます。
 国全体の財政を預かり、国民の福祉、地方の景気にも責任を有する者として、歳入不足の状態が継続するという無責任な状態を解消することが必要と判断し、昨日、衆議院で歳入法案を再可決し、成立させることとしました。
 
 これって、歳入法が可決しなかったから、税金を取るコトが出来なかったというコトなのでしょうか?
 それはまた、えらい額が宙に浮いてしまったんですね。
 まぁその分、儲かってしまった人がいるというコトなのでしょうけど。
 
 ところで、まぁこう言ってしまうのは、これは政治家としてはとても無責任なコトですから、誰も言わないのでしょうけど、今回やえは敢えて言ってみます。
 やえは政治家ではないですしね。
 一回、トコトンこれ放置して、歳入法も参議院にまかせて、ほっといてみたらいいんです。
 だって、歳入法が決まらなければ、まぁさっき言いましたように、儲かっちゃう人もいるのでしょうから、国民は税金が取られずに目先のお金が入ってきますから喜ぶワケで、ならそれでいいじゃないですかと思うワケです。
 結果的に、目先ではないところでの公共サービス等の不都合があっても、それは国民の選択なんでしょうから文句言っても責任転嫁でしょうし、そもそも参議院の第一党である民主党がおそらく責任を取ってくださるのでしょうから、それでいいんじゃないんですか?
 
 でもまぁ、こう言ってしまうと政治家として、特に長年政権を担当してきた自民党の議員さんとしては、出来ないのでしょう。
 
 本日から、ガソリンの暫定税率が復活します。1か月前の税率に戻すだけとは言え、その結果、再びガソリン価格が上がることとなります。
 諸物価が値上がりするという厳しい環境の中で、国民の皆さんお一人お一人が家計のやりくりに苦労しているとき、再び負担をお願いするということは、本当に苦しい判断でありました。
 
 税金とは、富の再配分という性格があるワケですが、つまり税金をとらないというコトは、格差拡大を認めるというワケです。
 アメリカなんかは、こんな形です。
 あまり税金取らずに、サービスは各有料で、それを使うかどうかは個人次第という形です。
 それがいいって言うなら、それは国民の選択なんでしょうから、いいんじゃないでしょうか。
 ちょっと前と言っているコトと違いますけどね。
 
 この1か月の間に、一度下がったガソリン価格を再び引き上げる事態となり、結果的に政治の混乱のツケを国民生活に及ぼすこととなりましたが、私はこれを、いわゆる「ねじれ国会」の一言で片づけるつもりはありません。
 
 で、ガソリン税の話です。
 というか、税金のお話です。
 
 今回なんでガソリン税がピックアップされているのかと言いますと、それはたまたま参議院で民主党が勝った……民主党だけでは過半数取ってないので勝ったとは言い難いところはありますが……からであって、その副産物として暫定税率を一時的に止めるコトが出来たからです。
 別に参議院選挙でガソリン税が争点になったワケではありません。
 これは副産物的に、たまたまガソリン税が都合良くピックアップされただけの話です。
 
 昨日も言いましたように、今のガソリン税の議論には、全く論点がありません。
 あるのは、25円がおしいかどうかです。
 となれば、これは別のガソリン税でなくてもいいワケです。
 国民の言っているコトは、「ガソリン税を安くしてほしい」ではなく「税金を安くしてほしい」なのですから。
 
 しかしこんなコトを言い出したら、というか、聞き出したらキリがありません。
 当然個人的な私事で言えば、やえだって税金が無い方がいいに決まってます。
 今は消費税がありますから、税金がなくなればもっとリボンとか安く買えるワケですから、本当に自分のコトしか考えないのであれば、税金が無くなった方がいいに決まっています。
 でも、これでは国家を運営するコトは出来ません。
 だからやえは、個人的な思いは別にして、公的な場で発言する以上は、そんな無責任なコトは言いたくありません。
 言うつもりはありません。
 税金を値上げする総理や大臣や議員はとんでもないヤツだ、なんて言ってたら、突き詰めれば「為政者は絶対悪」なんていう、子供のファンタジー物語に出てくるような悪の帝国にしかなりません。
 しかしこんなのは、空絵事でしかないワケです。
 
 おそらく、参議院において「ねじれ現象」が起きなければ、こんな騒ぎにならずに、普通に、もしかしたら国民にとっては「いつの間にか」法案は通っていたコトでしょう。
 ガソリン税の議論で、一行ボードにもありましたが、「今の生活がキツキツだ。庶民のことを考えろ」なんて言うのがありますけど、もしそうであるなら、その改善策としてはガソリン税である必要性は全くありません。
 こういうコトを言い出したら、多分ガソリン税を払っていない人でも「生活がきつい」と言う人がいると思いますが、ガソリン税云々ではそういう人は完全においてけぼりでしかないのですけど、それでいいのでしょうか。
 「税の公平性」を考えるなら、生活者のコトを本当に考えるなら、これではダメですよね。
 ですから、もしそういう理由で税について議論するのであれば、もっと税制度全体を考える必要があります。
 例えば所得税を昔みたいに高所得者に50%とか60%とかトンデモナイ数字をかけろとかですね、そしてそれに対して「税の公平性」というモノはそれで本当に担保されていると言えるのか等、こういうコトを丁寧にキチンと議論しなければなりません。
 しかし今行われているモノというのは、降って湧いたかのような棚ぼたのガソリン税に対して「25円ほしい25円ほしい」とうめいているだけです。
 こんなのはただの私事のボヤキであって、政治でも思想でもないのです。
 
 政治を語るなら、政治をキチンと語らなければならないのではないでしょうか。

 

平成20年5月7日

 無駄というモノについて

 今日は胡錦涛中国国家主席の来日について一言語ろうかと思っていたのですが、なんとなく気分がのらなかったので、別の話題にします。
 なんか前回とかの話題と、根本的には同じような話になっちゃいましたしね。
 それはまた後日アップしたいと思います。
 
 ところで皆さん、無駄っていうモノについてどう思いますか?
 無駄って言うからには無駄なのでしょうから無い方がいいに決まっていると思われるでしょう。
 やえもそう思います。
 どんなコトにだって無駄というモノは極力無い方がいいに決まっています。
 ですから人はなんとかして無駄を無くそうとします。
 
 しかしこれが、自分一人だけの話であればいいんですが、人間が複数集まれば段々と難しくなってきます。
 自分だけだと自分の考えで全てを決めるコトが出来ますから、無駄と思えばそれを無くすコトはすぐ行動できて簡単に無駄がな無くなります。
 だけどここに他人が介在すると、それだけで自分の考えだけで行動が出来なくなってしまうので、ちょっとずつ動きが鈍くなってしまいます。
 ここに無駄が発生する余地が生まれるワケです。
 「あれは無駄だと思うけど、それを指摘するコトでいらない軋轢が生まれて、結果的にさらなる無駄を生んでしまうからやめよう」
 こういうことは往々にしてあります。
 
 また、実は自分も他人から見れば無駄を見逃しているだけなのかもしれません。
 自分一人だと視点が自分だけですから、自分が無駄と思わなければ無駄は無駄と認識されませんが、しかしそれは文字通りただ単に自分が認識してないだけなのかもしれないのです。
 しかしそれは他人から見れば、それは大きな無駄の可能性もあります。
 自分と他人とでは、それが必要なモノか、はたまた無駄なモノか、価値観として分かれる場合もあるワケなのです。
 
 ルールなんかはその最たるモノと言えるでしょう。
 時速50kmの制限速度が付いている広くてまっすぐな道路に対して、人によってはこれを大変に無駄と思うかもしれません。
 もっと早く走れれば、仕事も速く済ませられるかもしれないので、この時間的ロスは大きな無駄です。
 だからこれは無駄なルールだと、そう思うかもしれません。
 しかしそれは、必ずしも万人に対して言えるモノではありません。
 世の中には、そんなに運転が上手でない人もいます。
 そういう人にとって、もしこの道路が時速80kmだと、すごく恐い思いをしなければならなくなるかもしれません。
 事故を起こすかもしれません。
 また、自分は80kmでも大丈夫だと思っていても、例えばF1レーサーのような人から見れば、それでも遅いと、無駄だと、そう思うかもしれません。
 結局、自分だけの視点では、それが無駄かどうかは判断できないのです。
 
 これらはとてもわかりやすい例ですが、実際にはかなりわかりにくい無駄も存在します。
 
 お金というモノに対して人はとても過敏で、特に日本人はですね、1円でも無駄があれば決して許さないと思うような気質を持っています。
 もちろん人にもよるんですが、お金の管理をキチッキチッと毎日のように付けている人も少なくないでしょう。
 これもまだ自分ひとりだけならいいです。
 1円も無駄がないと自分が思える形に、理想の形に持って行くコトは、自分だけなら比較的簡単に、時間さえかければほぼ必ず達成するコトは出来ます。
 しかしこれが、組織として関わる人が増えれば増えるほど、だんだんと難しくなっていってしまいます。
 学校でも会社でも、これって無駄なコトじゃないかなって思うコトあると思います。
 それが大企業とかになるとなおさらでしょう。
 おそらく家族企業や零細企業のやり方や視点で大企業を見ると、とてもいっぱい無駄があるように思うかもしれません。
 実際、個人の視点や、そういう視点で「それは無駄だ」と指摘されるコトもたまりあります。
 
 しかしそれは果たして本当に「無駄」と呼べるモノなのでしょうか。
 
 もしかしてそれは、組織として大きくなってしまった身体を潤滑に動かすための潤滑油としての役割を果たしているのかもしれません。
 組織というモノは、結局は人間の集合体です。
 決して大きな機械のような無機質の存在ではありません。
 人間には色々な感情があって、それは時に合理的とは真反対の行動をさせるコトもありますし、そんな人間が複数人集まればさらに複雑な行動をさせる原動力になります。
 ロボットであればぴっちり隙間無く整列させるコトも出来るでしょうが、人間がそんなにぴっちり寸分の隙間もなく整列は出来ません。
 気持ち悪いだけです。
 でもその気持ち悪いという感情はとても不合理なモノです。
 それでも結局人間という感情を持っている生き物にとっては、多少隙間があるぐらいで整列した方が、余計な感情を生まない「無駄のない」整列の方法だったりするのです。
 
 無駄を無くすよう努力するコトは必要なコトだと思います。
 目に見えて改善できるような無駄であれば、それを無くす努力はすべきでしょう。
 体が大きな組織であればあるほど、無駄を無くす努力は常に行わなければ、ほっとけばどんどん勝手に無駄が生まれてしまうモノですら、常に意識して無駄が生まれないよう努力しなければなりません。
 しかしそれでも無駄はおそらく生まれ続けるでしょう。
 なぜなら、組織は所詮、不完全な人間が主体なのですから。
 ですから、無駄なモノは無く努力をしつつも、常に無駄が生まれるかもしれないけど前進していくコトも忘れてはならないのです。
 
 無駄を省くコトだけに目を奪われては、結局はその行為そのものが無駄と形容するしかない行為になってしまうコトでしょう。

 

平成20年5月8日

 新幹線は無駄!?

 今日は、いつもネタを提供して下さっているのですが、なかなか使う機会が少ない、「やえちゃんの役に立ちそうな情報を集めるスレ」から、このニュースについて、簡単に述べたいと思います。
 情報ありがとーございまーす。

 たった26分短縮に2600億円 九州新幹線・長崎「壮大なるムダ遣い」
 
 2008年4月28日、佐賀県嬉野市で九州新幹線・長崎ルートの武雄温泉(佐賀県)−諫早(長崎県)間45キロの着工式が華やかに執り行われた。この日、長崎市では長崎「新幹線」の建設中止を求める県民の会が「不要不急の公共事業」のチラシを手に行った街頭署名に列ができた。
長崎「新幹線」の建設中止を求める県民の会は、長崎県や佐賀県、JR九州が説明する長崎−博多間の短縮時間「26分」には「粉飾がある」と指摘。長崎ルートの建設に反対していた佐賀県鹿島市も、「巨額を投じる新幹線建設から生まれる時間短縮効果はその半分程度」と批判している。

 まぁ確かにこれでは、やえも、無駄かなぁと思わなくもありません。
 やえはちょっと九州新幹線のコトをよく知らないのですが、これって佐賀までなんですか? 確かにこれで26分しか違わないなら、確かにコストパフォーマンスが合わないと思うのも仕方ないと思います。
 
 ただ、考え方として、違う考え方もあろうかとは思います。
 
 ひとつは、もし将来的に九州全県をめぐるように新幹線のルートが作られるのであれば、それは「長崎−佐賀」だけの問題ではなくなるので、それなりに意義は見いだせるのではないかというコトです。
 この区間だけ新幹線が無いというのは、けっこうなロスとなるでしょうからね。
 またその場合、おそらく九州だけでなく、山口から山陽新幹線が乗り入れするようになるのだと思いますので、そういう二重の意味で「長い目」で見れば、全く意味はないとは言えないと思います。
 よくJRもCMなんかで、「東京−広島間が○○分短縮されます」なんて言ってますけど、これが今まで4時間10分だったものが、3時間55分になろうものなら、とんでもなく大騒ぎに、革新的技術が投入されたかのごとく大騒ぎしますから、そういう中での「26分」なら、それなりに意味はあると言ってもいいのではないでしょうか。
 
 もうひとつ言うとすれば、結局この「26分」というのは、技術的な問題に過ぎませんから、将来にわたってはまだ分からないというコトです。
 もしかしたらリニアモーターカーが実用化されたら、この数字はおそらく変わってくるのではないでしょうか。
 また、さらに技術が発展すれば、さらにそれ以上というコトも考えられなくはありません。
 未来というのは分からないモノですから、安易にガリレオを笑うようなコトはしない方がいいと思います。
 昔は宇宙に行くコトなんて、魔法を使うよりも難しいと思われていたワケですしね。
 ですから、もしかしたら将来40分・50分・1時間と短縮される可能性だってあるワケで、しかしレールを引かなければそういう可能性すら無くなってしまうのですから、まずレールを引くという意味もそれなりにあると言えるのではないでしょうか。
 
 まぁもちろん技術的な問題とか、やっぱり地元の人の感情もあるワケですから、やえが今回こう言ったからといって、やえが「絶対無駄ではない」と思っているというコトではありません。
 ただ、可能性というか、考え方としてはまた別の考え方もあるのではないでしょうかと思うワケなのです。
 ただ単に無駄だ無駄だと言うだけでは、別の可能性もつぶしてしまうコトになりかねないというコトです。
 結局、この問題、確かに地元の人たちの感情はとても大切だとは思いますが、しかし同時に、日本全国の人が利用する可能性もあるワケで、外の人が感じる利便性も加味しなければならない問題でもありますからね。
 本当に良い方向に向かうために議論をするのであれば、あらゆる可能性は考えなければならないでしょう。

 

平成20年5月12日

 中国と付き合うメリット・デメリット

 この話題避けてるって言われれば、避けてます(笑)
 だって、なんかどう言っても、理解されなさそうですしって、まぁこう思ったらいけないんですけど、どうしてもそう思ってしまうからです。
 まぁでも、今日はせっかくですから、もしかしたらとりとめのない文章になってしまうかもしれませんが、中国のコトに関してしゃべっていきたいと思います。
 
 だいたいにして、やえから言わせていただければ、人権擁護法案であれだけ「人権」という言葉だけに過剰反応して、論も何も捨てて、ただただ反対運動にハマっているような人種が、こと中国とチベットの問題に関しては今度は「人権」を御旗の印に掲げているんですから、なんとも滑稽にしか見えません。
 もちろん中国がチベットに対して行っているコトは民族浄化ですから、決して許してはならないコトではありますが、少なくとも「人権」という言葉を使うのであれば、もうちょっと真剣に人権について考えて貰いたいモノです。
 都合のいいときにだけ人権という旗を掲げて絶対の盾にするというのは、それはどっかの団体と同じ行為と言えるのではないでしょうか。
 
 そういえば、人権問題で言えば、今ミャンマーも大変なコトになっていますが、「人権問題」というくくりで声を上げるのであれば、同じようにミャンマー問題にも声を上げなければならないのではないでしょうか。
 軍事政権だけならまだしも、アウン・サン・スー・チーさんの軟禁や、政治犯の弾圧、デモの武力弾圧や、そしてなにより軍事政権に日本人が殺されているという事件までありました。
 まぁ人権問題を比べるというのもあまり適切ではありませんが、人権問題というくくりであるなら、ミャンマーにももっと目を向けるべきだとやえは思います。
 
 まぁ人権問題は今日はこのぐらいにして、話を中国に戻します。
 すごく分かりやすい対比になるのですが、小泉さんが総理の時というのは、日中の間で国交が樹立されてからもっとも政治の上では関係が冷え切った時期と言えるでしょう。
 しかし世論はわりと、日中間を正常化させろという声が強くなって、だから小泉さんの次の総理である安倍さんは、おそらく自身の考えでは小泉さんよりも中国に対しては厳しい考え方をもっているであろうと思われますけど、それでも正常化に向けて動きました。
 福田さんは、その流れに沿っているとも言えます。
 
 しかしやえはそんな小泉さんの日中間の時代に、政治の上での日中間の関係が悪くなろうともあまりそれで影響があるようには思えない、本当に大切なモノはお互いに途切れられないし、むしろどっちかと言えば中国の方が日本との関係を改善させたがっているのだから、日本の方から浮き足立つようなコトは言うだけ損だ、というようなコトを書きました。
 こういう視点で見たとき、では今、今の政府は、過去の流れもあって日中友好の方向に向かっていますが、それでなにか具体的に今までと変わるコトがあるでしょうか、というコトです。
 餃子問題にしても、今でも結局日本政府としては、まだ解決していない問題だからちゃんと解決するよう努力しなさいよと胡錦涛中国国家主席に直接福田さんが言いましたし、そしてなにより、実際いま中国の冷凍食品なんてほとんど駆逐されてしまって、政治が友好であろうとそうでなかろうと実質的な結果は同じだったと言えるでしょう。
 冷凍食品だけでなく、中国産というブランドは、毒物に匹敵するぐらいのマイナスブランドが燦然と輝いている状態です。
 中国という国は言論統制情報統制の国ですから、まぁ最近はだいぶ効力も落ちているみたいですが、お上が言えば、それがすんなり通る国ですから、逆に立場なら中国共産党が「もう大丈夫」と言えば消費も回復するのでしょう。
 でも日本はそうではありません。
 お上がどんな態度を取ろうとも、少なくともお上の統制はないワケですから、政治上の友好はあまり影響がないワケです。
 仮に福田さんが中国のためだけという極端な行動にもし出たとしても、いまのこういう現状は変わりはしないでしょう。
 
 小泉さんの時もそうです。
 小泉・ブッシュ間の友好は説明するまでもありませんが、あの時もBSE問題がありました。
 そして小泉さんの“親米政策”だから、強く言えないんだという批判が巻き起こりました。
 でも、これもやえは当時書きましたけど、全頭検査なんていうモノはあまり科学的ではなく感情論の方が強くて、そこまで意味のあるモノではありません。
 だからおそらく、あの時の総理が小泉さんでなくても、あまり結果は変わらなかったと思います。
 そしてやっぱり、日本の消費者にはアメリカ産牛肉を選ぶか選ばないかは自由が認められているワケで、政府がどう動こうが、別にアメリカ産が食べたくないのであれば、無理矢理食べさせられるコトはありません。
 禁輸になれば食べたいと思っても食べれませんが、少なくとも食べたくないのに無理矢理食べさせられるというコトは決してないワケです。
 
 ただ、アメリカの場合は、影響力が文字通り世界一ですので、特に外交問題では考えなければならないコトも多いのは確かです。
 そしてそれは、結局は軍事力の問題である部分が多く、この部分が日本の最も弱いところであるというのは、改めて言うコトではありません。
 
 やっぱりとりとめがなくなってますけど、こういうコトを考えれば結果として、政治上の国同士の友好かそうでないかというのは、直接的にはあまり意味をなさないんじゃないかと思うのです。
 いまの日本の状況を見れば、特に中国との問題は、小泉さんが総理の時と福田さんが総理の時と、そんなに違いがあるようには思えません。
 少なくとも、今すぐ国交断絶しなければならないと必死になって言うほどの影響はないでしょう。
 チベット問題だけをとって国交断絶なんて、それはさすがに愚直すぎるとしか言いようがありません。
 
 何度も言ってますが、中国はトンデモナイ国ですし、それはまだ日本人が中国に対して遠慮していた時期から当サイトは言い続けていたコトですから、その化けの皮がはがれてきたのは良いコトだと思っています。
 食糧問題にしても、これをキッカケに、中国のような国に頼るのではなく、なんとかして国内自給率を上げる努力をしなければならないでしょう。
 これからは日本人が自ら努力する番です。
 ただし、それ以上に感情的になって、中国を責めるばかりか、日本政府まで必死になって責めても、あまり意味のあるコトとは思えません。
 
 チベット問題に関しては、これは外国に干渉するというコトです。
 中国の言う「内政問題だ」というコトではありません。
 チベットも日本から見たら外国であるのは確かなのですから、どっちにしてもこの問題に手を出すというコトは「外国に干渉する」というコトなのです。
 これは日本人がターゲットになった北朝鮮による拉致問題とは、根本的に違う問題です。
 よって、これに手を出すなら、それだけの覚悟が必要なのです。
 
 というワケで、次回は日本から見たチベット問題というテーマでお話ししたいと思います。

 

平成20年5月13日

 パンダ一億円

 ごめんなさい、今日ちょっと時間が全然なくて、ちょこっとだけ更新です。
 
 というのも、パンダです。
 パンダ。
 この前、胡錦涛中国国家主席が来日されていて、その前に上野動物園にいたリンリンという名のパンダが死んでしまったので、代わりというコトではないのでしょうけど、新たに中国からまたパンダを貸そうというコトで日中は合意しました。
 しかし、無償提供ではありません。
 パンダ一頭に付き年間一億円を日本側は支払わなければならないのです。
 
 これに異を唱える声が、日本ににわかに起こっています。
 おそらく根底には、「中国なんかにびた一文払いたくない」というのがあるのでしょう。
 まぁ中国はトンデモナイ国ですから、そういう感情も分からなくもありません。
 
 でもやえはふと思ったのですが、パンダに支払うお金って、前からやってませんでしたっけ?
 もしこれやえの思い違いだったら申し訳ないのですが、なんかそんな記憶があるんですよね。
 違っていたら今日の更新は無かったコトにしてほしいのですが(笑)、前からこういうシステムだったら、今このタイミングで大騒ぎするというのは、なんか違う気がするんですね。
 
 そもそもリンリンが死んでしまったのは誰のせいでもないワケで、偶然以外何者でもないワケで、言ってみれば今回のコトは、今までと変わらず継続契約したに過ぎないと言えるワケです。
 こういうとだいぶ冷たいように感じるかもしれませんが、日本の上野動物園に必要なのはリンリンではなく、パンダです。
 とりあえずパンダがいればいいだけですから、中国にお金云々という理由では、リンリンが死んだという今回の事情すらも議論のキッカケとはならないハズです。
 それをことさらに大げさに反中の象徴にしてしまうというのは、まして政権批判の具にするというのは、違和感しかやえには感じません。
 
 まぁ、中国が好感度アップの宣伝になるようなコトの尻馬に乗るようなコトをしたくないというのは、根底の感情としてあるんだとは思います。
 それは分かるんですが、ただどうなんでしょうね。
 パンダが再び日本に来ても、「ありがとうございます中国様」なんて思う人、いますかね?
 そもそも上野動物園とか行ってパンダ見て、「ああ、こうしてパンダを見れるのも、中国のおかげだー」なんて思いながら見ている人がいるとは、ちょっとやえには思えません。
 政治的に見ても、この程度が日本側の貸しになるとも思えませんしね。
 お金払うワケですし。
 
 むしろ、パンダ程度で中国に過大な利があると思って批判している人は、ちょっとパンダを過大評価しすぎなんじゃないでしょうか。
 そしてそういう主張が、逆にパンダの価値を高めてしまう結果になってしまっていないでしょうか。
 騒ぎすぎだとやえは思います。

 

平成20年5月15日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第31号 2008/05/15)
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 ★☆ 日中首脳会談 ☆★
 
 福田総理が、胡錦濤国家主席と行った日中首脳会談などの様子を政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1848.html
 
 ごめんなさい、今日のメルマガ、あんまり面白くないんですけど、とりあえずレビューです。
 福田さん、たまにおもしろくない内容のメルマガになっちゃうんですよね。
 正直本来おそらくあまりこういうの向いてないんだとは思います。
 
 [困っているときこそ。福田康夫です。]
 今月に入って、ミャンマーでのサイクロンや、中国四川省における地震など、史上まれにみる大規模な自然災害が続いています。
 ミャンマーでは、サイクロンによって、2万人を超える死者が出るなど甚大な被害が発生しました。さらに、多くの方々が避難生活を強いられていると聞いています。
 四川大地震でも、すでに死者が1万人を超え、多くの建物が倒壊して2万人を超える方々が今も行方不明となっています。学校が崩れてたくさんの子どもたちが被害を受けるなど現地からの情報に接するたび、胸がつまる思いです。
 現地では懸命の救出作業が行われていると聞きます。わが国としても、すでに両国に対して、テントなど物資面での第一弾の支援を行っていますが、今後もできるかぎりの支援を行うことを伝えています。
 
 最近中国の地震の話が話題の中心になっていますが、ミャンマーもけっこう大変なコトになっているんですよね。
 しかもミャンマーは国民投票中なんでしたっけ?
 しかしサイクロンはあまり日本にはなじみがありませんが、地震なんて日本でもよくあるワケで、それで2万人近い死者が出ているというのは、とんでもない数字です。
 地震が起きたタイミングや場所にもよるのでしょうけど、やはり日本は地震に強いのか、それとも中国があまりにも無防備すぎたのか、両方と言った方がいいかもしれませんが、中々想像もつかない規模です。
 こういうコトが外国で起きるといつもやえは心配するコトがあって、それは暴動や略奪などが起きていなければいいなぁと思うのです。
 あと、レイプ系ですね。
 日本ではこういうのが無い、素晴らしく公共心の高い国なのですが、しかしむしろ日本の方が珍しいと言える方ですから、ちょっとその辺が心配な中国とか、大丈夫なのでしょうか。
 しかもそういうニュースって、日本ではほとんど報道されないですしね。
 
 大規模な災害では、人的な面での協力も重要です。緊急医療チームの派遣も含めて、それぞれの国から要請があれば、人的支援も積極的に行う用意があることも申し入れています。
 
 中国は人的救援を受けると決めたようですが、かたやミャンマーは人的救援を拒否しています
 おそらく、外国の人間が入ってきてそれに伴って情報等が国内に流入するコト、そして国内の情報が世界に出て行くコトを恐れているのでしょう、軍事政権は。
 こういう、とてもレベルの低い国もあるんだというコトを知っておかなければならないでしょう。
 まぁでも、言ってしまえば、所詮他国のコト、他人事です。
 善意で救援しようと言っているんですから、いらないと言われれば「ああそうですか」程度でもいいんだと思います。
 救援しましょうと申し出るのは礼儀ですが、嫌がられてでもするようなコトでもないですしね。
 
 阪神淡路大震災のときには、世界各国から支援の申し入れがありましたが、自然災害による困難は、他人事ではありません。困ったときに助け合ってこそ、真の友です。
 救助が終わった後も、多くの被災された方々の生活確保やその後の復興など、災害から再び立ち上がるまでの道のりは長いものとなりますが、国際社会とともに、わが国もできるかぎりの協力をしてまいります。
 
 この件でも中国に対して色々言っている人はいますが、少なくとも無視は出来ないでしょう。
 それはさすがにナイです。
 こういう支援は、災害の規模とか、その国の経済力とか、災害地からの距離というのもどうしても考えなければならないファクターですから、この件に関しては、あまり熱くならずに冷めすぎずに、適度に災害に対する復興を、国際社会の目に注意しながらやっていけばいいんじゃないかと思います。
 
 先般、私がお約束した、道路特定財源を来年度から道路以外に医療や少子化対策などにも使えるようにする「一般財源化」は、すでに政府・与党で決定した方針ですが、13日、閣議決定を行って、この方針を改めて確認しました。
 今後は、生活者の目線に立って何が必要か、といった使い道の議論をはじめ、必要な法改正など、「一般財源化」の中身を具体化するための作業を進めます。
 ぜひ野党の皆さんにも加わっていただいて、より良い一般財源化の仕組みを作りたいと願っています。
 
 一般化するのかどうかというお話ですが、いつも言っていますように、やえはどっちでもいいです。
 よって、この話題あまり興味ありません。
 とりあえずやえが気になるのは、約一ヶ月半、この法律が執行されなかったために、どれだけ税金が失われたのかというところです。
 かなりきているんじゃないでしょうか。
 そのしわ寄せはどこにいって、その責任は誰が取るのでしょうか。
 
 道路特定財源制度は、これまで半世紀にわたって続いてきたものですが、政府・与党全体で全力を挙げ、「来年度から廃止し一般財源化する」とのお約束を必ず実現してまいります。
 
 道路が必要なところは日本にはまだまだいっぱいあるというコトだけは、議員さんも国民も、忘れないようにしてもらいたいと思います。
 
 
 [編集長のひとこと]
 13日、道路財源特例法案が成立しました。政府としては、道路特定財源制度を平成21年度から一般財源化するという閣議決定に基づき、その具体化を着実に進めていきます。
 お預かりした税金を一円たりとも無駄にしない「ムダ・ゼロ」を目指して、徹底した改革が不可欠。これまでの反省と国土交通省が取り組むべき改革について、冬柴大臣が語っています。総理のリーダーシップのもと、引き続き政府一体となって全力で取り組んでいきます。(まつしげ)
 
 実際現実は不可能でしょうけど、意気込みとしてはそれぐらいでいいんじゃないでしょうか、「ムダ・ゼロ」
 ただ、ムダがゼロになるまでそれだけに取りかかればいいってワケではないですから、やるべきコトはちゃんとやってくださいね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。