☆やえニュース☆

 日本の課題日本の課題 〜マスコミ編〜自民党人権問題等調査会開催されず!?福田メルマガレビュー

平成20年8月18日

 日本の課題

 靖国神社のお話ですが、これ、小泉さんが総理の時に散々お話をしましたので、もし気になる方がいらっしゃいましたら、ご面倒ですが、過去ログを読んでください。
 この問題というのは、日本国総理大臣という立場の人が、靖国神社をどう考え、どう参拝するのかという問題です。
 福田さん個人が云々というお話ではありません。
 ですから、総理が誰になろうと、この問題の本質や、やえがどう考えるのかという問題は全く変わらないワケで、基本的には小泉さんの時に書いたモノと、今と、主張が変わるモノでもありません。
 今のところ、あの時から考え方が変わったとも、自分では思っていませんし。
 ですから、申し訳ないのですが、今までかなりの数、この問題をとりあげているハズですので、そちらをご覧頂ければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 ごめんなさい、ここ数日、自サイトや掲示板を全然見ていませんでしたモノで、御意見板が活発になっていたコトに気付いていませんでした。
 ので、今日はちょっと、これから日本の外交力を上げるためにはどうしたらいいのか、簡単に触れておきたいと思います。
 
 この問題、実はやえはことある毎に、ひとつの方法を提案し続けてきています。
 それは、
 
 憲法を改正しソフトの面で戦争が出来る状態にし、その後速やかに装備を整え自衛隊を国軍としてハードの面でも戦争が出来る状態にするコト
 
 です。
 やえは、日本の戦争できない状態でいるコトが、今のあらゆる分野における多くの問題に対して、歩みを遅らせる「つまずきの石ころ」になっていると考えています。
 一行ボードの方で

 おっしゃる通り、戦争も外交のうち。だけど、最初からそれを封印してたら外交なんて威力半減もいいところです。外交はパワーでは無かったのか?と。

 とおっしゃっている方がいらっしゃいますが、やえもその通りだと思います。
 
 外交問題と一言で言っても様々な問題がありますが、しかし外交問題のありとあらゆる面で交渉の大きな力となるのが軍事力です。
 外交のパワーバランスは国力に大きく依存されますが、その国力とは、経済力と、やはり軍事力が両輪だと言っても差し支えないでしょう。
 経済力はいまいちでも強大な軍事力を持っているロシアは大国と呼べるでしょうし、逆に軍事力はいまいちでも世界No2の経済力を持っている日本も強国と言えるでしょう。
 そしてその両方において世界No1の強さを見せつけているのがアメリカであり、だからこそ唯一の超大国と呼ばれているワケです。
 
 経済力も当然あなどるコトは出来ませんが、軍事力は即効性のある力です。
 例えばグルジアの戦争の問題で、アメリカは当たり前のようにブッシュ大統領がロシアの行動に懸念を表明し、アメリカ全体としても一種脅しとも言えるぐらいのコトを言っています
 この光景、いつも世界のどこかで紛争が起きると当たり前のような光景になってしまっていますが、しかしアメリカが他国同士の紛争に介入するコトについて、本来は権限も法的根拠も実際は持ってはいません。
 国際法で、アメリカに警察のような役割を担ってもらう、なんてコトは一切書いてませんからね。
 でもアメリカは、いつもいつも当たり前のような顔をして、第三国への介入を口出しするのです。
 
 これは分かりやすい軍事力を背景とした外交の例と言えるでしょう。
 当然これは、軍事力に相当の自信がないと出来ない芸当です。
 法的根拠があるならまだしも、それがないのですからもし逆に、「お前はだまっとれ。それともついでにつぶしたろか」と逆ギレされたら、後に待っているのは普通に二国間同士の戦争であり、やられるのは自分です。
 つまりもし仮に日本がアメリカのようなコトを言っても、逆効果もいいところでしょう。
 その国だけでなく、周辺国にも逆恨みされ、戦争にも負けて、ボロボロにされるのがオチです。
 でもアメリカは、例え逆ギレされても、それをはねのける軍事力があるという自信があるからこそ、次々と紛争に介入しようとするのです。
 
 どこまで日本が軍事力を誇るべきなのか、これは議論しなければならない点です。
 もし日本に直接関係ない国や地域の紛争にまで口出すほど“強い日本”を示したいのであれば、アメリカに台頭するぐらいの、世界大国となる必要があるでしょう。
 経済力はその資格があるので、やろうと思えばできないコトもないのでしょうけど、その場合アメリカがとてつもなく強い警戒心を持つコトになるでしょうけど。
 そうではなく、自らに降りかかる火の粉を振り払うぐらいの力を持つべきだと言うのであれば、どうでしょう、やはり日本の周辺国に合わせた軍事力は必要なのかもしれません。
 目安は中国でしょうか。
 “強い外交”“強う日本”を期待するなら、こういった議論は今後絶対に必要です。
 
 しかしなりよりも、日本国民が自身で国軍化に向けた議論をしなければ、“強い日本”など実現しません。
 だけど実際は、国軍化への議論など、全く聞こえてきません。
 あるのは、あるひとつの問題に対する直接的な不満だけです。
 残念ながらそれらだけでは、ではどうすればよいのか、その解決策は見えてこないのです。
 
 分かりやすい問題で例えるなら、よく「アメリカ追随外交」なんて言われる日本ですが、イラク戦争の時にアメリカの方針に真っ向から反するのであれば、では日本だけで動けるほど自信が持てるほどの軍事力を持たなければならないハズ、そういう議論をしなければならないハズなのではないでしょうか。
 北朝鮮に対してだって、アメリカや中国と違う独自の方針を打ち出したいなら、日本だけで北朝鮮をなんとかする力を持つべきです。
 保守…というか、一部プチ保守なんかは、北朝鮮と戦争して拉致被害者を救出しろと言う人がいて、弱腰な日本政府を批判する言説を書いている人もけっこういますけど、しかしそれならまず先に、政府批判ではなく、戦争が出来るようにするための憲法改正なりを行うよう、国民こそを批判しなければならないのではないでしょうか。
 いくら「戦争しろ戦争しろ」と言っても、政府にはその権限すらないワケで、一番その権限に近いところにいるのが国民自身なのですから、政府批判は文字通り筋違いでしかないのです。
 ここを分かってない人が多すぎる気がしてなりません。
 
 もちろん政府を批判するコトそれ自体がダメと言うつもりは、やえには毛頭ありません。
 でも批判する意味をよく考えてもらいたいのです。
 批判するというコトは、問題を前進させ、もっとよい状態にしたいと願うからこそ批判をするのが本来の目的のハズです。
 ですから、批判するならそのための批判をしてほしい、良い方向に向かうための批判をしてほしい、責任ある主権者たる国民であるならそうしなければならないのではないかと、やえは思うのです。
 
 今の日本において何が一番必要なのか、そこを考えてもらいたいと思います。
 
 
 次回、この問題でマスコミについても一言言いたいと思います。
 

平成20年8月20日

 日本の課題 〜マスコミ編〜

 前回の更新をふまえてです。
 
 これも結局は、国民が許容しているから、国民(消費者)がそういう報道を望んでいるからと言えてしまうのですが、少なくともやえは、報道や有識者や公の場で意見を言う人の半分は、政府や政治に対して評価する方向の意見が示されているというのが、日本にとってよい姿なのではないかなと思っています。
 
 ご意見板にも紹介されていました、こちらのブログさんですが、

 麻生さんはその「繁栄の弧」の上にある国々を回って、「今の価値観でもっと一緒にやろう」という話をして大成功した。そこで、それを「自由と繁栄の弧」と発表した。しかし、日本ではそのことを誰も褒めていない。
 中国やロシアはそれを脅威に思っているはずだ。「自由と繁栄の弧」に囲まれたら勝ち目がない。中国やロシアには、国内にそういう価値がまったくないのだから。
 (中略)
 石平さんによれば、 北京に行ってみると、もうみんな「日本に負けた。完全に日本にグリップされた。我々はそれに対して戦う手段がない」と言っているそうだ。
 それを聞いた麻生さんは、「たしかに、外務大臣として北京へ行ったとき、中国の胡錦濤国家主席はもう困り果てていた。本当に立ち往生していた」と言っていた。
 「これからいったい誰が総裁になるのでしょうか、やはり安倍晋三がなるのでしょうか」「おそらくなるでしょう」「では安倍晋三に対して、我が中国はどうすればいいでしょうか。教えてください」――というやり取りがあったそうだ。そこで、安倍晋三さんが中国へ来たとき「まずは全面屈服してください」 と言ったら、本当にそうしたらしい。
 それなのに日本の新聞やテレビは、「北京詣をした」と報道した。「安倍はさっそく北京詣をした」というふうに、悪口ばかり言う。しかし、中国側はもう反日的なことをまったくしなくなって、ただ静観しているだけであった。あれは完全に安倍外交に屈服していたのだろう。

 こういう話は日本のほとんどの人は知らない、考えもしないお話だと思います。
 でも、この文章読みますと、なるほど〜と思いますよね。
 この文章が100%正しいかどうか、それは分かりませんが、少なくとも「こういう考え方もあるのか」というぐらいは思うでしょう。
 
 それが大切なのです。
 少なくともこの文章を読む前と読んだ後では、全く視野の広さが違ってくるワケです。
 この文章に書いてあるコトを信じる/信じない、どこまで信じるのか、そして評価する/評価しないは、読む人、人それぞれです。
 それを書き手が強制するコトは出来ません。
 しかし、だからこそ、選択肢は多い方がいいに決まっているのです。
 今の日本には、あまりにも政府批判、政治批判の言説ばかりが満ちあふれてしまっています。
 こんな状態だと、何をやっても批判され、どう説明しても批判され、最後に残るのは失望感しかありません。
 これでは決して日本の政治がよい方向に向かおうとはしないでしょう。
 よい方向に向かわせるためには、前回言いましたように、正しい場所に対する指摘と、やはり評価の声も必要です。
 評価があるからこそ、その方向に自信を持って政治が進んでいけるようになるワケですし、国民だって何が正しくて何が間違っているのか、その判断すら批判ばかりだと正しく出来なくなってしまうのではないでしょうか。
 
 政府擁護が過ぎるとか、関係者だろとか、太鼓持ちだろとか、当サイトもよく言われますが、むしろ日本の世の中の方が、ちょっとでも政府与党に利があるようなコトを言うと過剰に反応しすぎるとしかやえには思えません。
 判官贔屓が日本人の気質とはいえ、最近はいきすぎている気がします。
 政治は、とりあえず批判しておけば語った気になれる、こんな空気が蔓延してしまっているのではないでしょうか。
 しかし本来の政治への評論の在り方は、ある政党に利があるから/与党に有利だから/野党に有利だから、というところで左右されるモノではないハズです。
 政治が動くコトによってどのような結果がもたらされたのか、それをどう評価するのかが、本来の政治への評論の在り方ではないのでしょうか。
 少なくとも当サイトは、そのような基準で文章を書いているつもりです。
 結果的に与党が利するようなコトになっている場合が多いとは思いますが、それはあくまで副産物的なモノでしかありません。
 
 国民にとって、考える幅を広げるコト、選択肢を増やすコトは、大切なコトですし、必要なコトです。
 そして数ある選択肢のウチ、ひとりひとりが自分の中で考えて、その上で判断を下すコトが、本来の政治へのアプローチの仕方でしょう。
 批判ばかりの中に身を置いて考えるのではなく、評価すべき声も聞いて、視野を広げてから、自分の考えを決める、そして投票するというのが、理想的な民主主義政治の在り方なのではないでしょうか。
 
 やえは前々からよく言っていますように、安倍前総理は高く評価しています。
 本来ならひとつの国会で最も重要となるような法案、例えば公務員制度改革法案や教育基本法の改正、そして年金・保険制度改革や社保庁の解体など、これらはまさに一国会で最初から最後まで議論の中心に置かれるようなとてもとても重い法案であるワケですが、安倍総理は一度に全て通して見せました。
 また外交も、安倍総理のもともとのスタンスから見ても、とても期待できるモノと思っていました。
 でも結局、参議院選挙では安倍総理はボロ負けしてしまいましたね。
 やえは未だに、安倍総理の具体的に何がダメで国民から不支持を突きつけられたのか理解できません。
 あるのは「なんとなくダメだ」とか、「自民党のお灸を」とか、そんな全く不明瞭な雰囲気だけの選挙が行われたとしか思えません。
 あの時の雰囲気の中で、果たして本当にキッチリと、施策の中身を理解して、正否を判断した人はどれだけてるのかとても疑問です。
 こんな選挙で本当に日本は良くなるのでしょうか。
 
 少なくとも、「権力の太鼓持ちだ」なんていう、政策評価そのものを封じ込めるようなレッテル張りが蔓延しているようでは、政治を語った気にはなれても、政治を良くする方向には全くならないでしょう。
 情報を受け止めて判断するのは、国民ひとりひとりです。
 その前の段階での、情報を発信する側、特にマスコミは、政治批判病に陥るのではなく、もっと評価すべきところは評価するような報道をすべきなのではないでしょうか。
 そうしてこそ、主権者たる“責任ある国民”の姿に近づけるのではないかと、やえは思います。
 

平成20年8月27日

 自民党人権問題等調査会開催されず!?

 ひさしぶりに人権擁護法案についての更新です。
 と言っても、どっちかと言えば、永田町ウォッチの意味合いの方が強そうですが。
 
 先日福田改造内閣が新たに組閣され、永田町では9月に開催されるであろう臨時国会と、来年の予算に向けてあわただしくなっています。
 そしてこの時期、内閣改造されると、衆参の委員長や、自民党でも役員が改正されるというのがいつものパターンでして、目立つのは党4役とかが注目されるワケですけど、その他にも○○局長とか、部会長とか、それから調査会長など、人事が行われるコトになっています。
 そんな中、自民党の調査会長人事がほぼ決定したようです。
 
 自民党の調査会とは、自民党の政策部門である政務調査会の中に置かれている、法案等をかなり具体的に議員さん達が議論する場です。
 これとほぼ同義の部門に「部会」というモノがあるのですが、こちらは衆議院や参議院の常任委員会とほぼ構成が同じで、例えば国土交通部会ですとか、厚生労働部会などが設置されています。
 一方調査会というのは、特に専門的な議論が必要な議題に対しておかれる会議でして、例えば福田改造内閣の目玉である消費者庁の問題に対しては、自民党では「消費者問題調査会」というものが置かれ、ここで議論がされるコトになっています。
 消費者行政問題を分類すれば、衆参の委員会や自民党の部会では、内閣委員会や内閣部会に類するコトになるのですが、このように特に専門性が必要な議題に対しては、自民党では調査会で議論されるコトになっているワケなのです。
 
 で、人権擁護法案も、大きく分類すれば法務委員会や法務部会になるのですが、自民党では特に人権問題等調査会で議論がされていました。
 その会長に、以前は太田誠一先生で、その前の前が古賀誠先生が就いていらしてました。
 しかし古賀先生は福田内閣発足時に党の選挙対策委員長という4役に就任し、調査会長などの人事からは外れます。
 その後任として太田誠一先生が調査会長に就いたのですが、今回の改造内閣発足にともない、今度は太田先生は農林水産大臣に就任され、調査会長からは外れるコトになっていました。
 政府の役職に就くと党の役は外れる、という慣習になっているんですね。
 
 ですから、後任の調査会長には誰がなるのか、ちょっと注目だったワケですが、なんとかなり予想外な展開になっていましました。
 
 こちらをご覧下さい

 自民党の調査会長の一覧なのですが、なんと、人権問題等調査会長だけ空欄になっています。
 他の調査会長は全て埋まっているのに、人権問題等調査会だけ空欄です。
 うーん、これは、会長のなり手がいなかったというコトなんでしょうか。
 
 推測するなら、人権擁護法案に対して、法案の中身をじっくり見た結果問題ないと判断している議員さんはそれなりにいると思いますが、でも積極的に推進して、政治生命をかけてまで法律を作ろうと思うほどの議員さんはいなかったというコトなんじゃないでしょうか。
 やえ自身のスタンスも、別に人権法成立に積極的に賛成しようとは思いませんけど、別に反対する理由もなく、しかしそれ以上に反対する人の反対理由がメチャクチャなので、それに苦言を呈しているという立場であるワケですが、議員さんの中にもそういう人はけっこういらっしゃるように見ています。
 ですから、わざわざ波風を立ててまで強行に可決成立に向かおうとするほどの情熱をかける議員さんが見つからなかったというコトなのでしょう。
 また、これはよく知られているところですが、この法案、もともとは野中広務元自民党幹事長が力を入れていた法案で、野中さんが議員を引退した時に個人的につながりが強かった古賀誠先生にバトンタッチ、さらに次の調査会長の太田誠一先生は古賀先生と同じ派閥というつながりでのバトンタッチという経緯でしたから、そもそもが政策的に繋がっているつながりではなく、よってこの個人的なバトンが今とぎれてしまい、次の会長が決まらないというコトなのではないかと見ています。
 
 また、今までの調査会の議論の流れでは、太田先生が調査会長になってから、「太田私案」というモノを出していましたから、他の人に調査会長をバトンタッチしづらいというのもあるんだと思います。
 太田私案はあくまで私の案ですから、他の人に引き継がせるというのは、ちょっと筋が立たないワケです。
 しかし太田私案を捨てるとなると、また議論が振り出しに戻って、大変なコトになってしまう。
 こういうコトからも、次の調査会長が決まらないままなんじゃないかと推測されるワケです。
 
 まぁ経緯はともかく、今の段階で人権問題等調査会長が決まっていないのは確かですから、このままでは調査会を開くコトは出来ないでしょう。
 となれば自動的に、人権擁護法案も審議されないコトになります。
 一応法務部会で審議するコトは出来ますが、どうでしょうかね、さっきも言いましたように、太田私案の扱い方が難しいですし、さらに臨時国会は70日程度のようですから、とてもじゃないですけどまとまりそうにないでしょうから、人権法は今年の秋の臨時国会には扱われないのではないかとやえは予想しています。
 いままで人権問題等調査会が扱っていた法案を、今回に限り法務部会だけで扱うというのも強引な話な気がしますし。
 よって、今後調査会長が決まってくればまた分からないですが、とりあえず今の段階では、少なくとも秋の臨時国会での成立はまず無いと言っても差し支えないでしょう。
 
 やえも、秋の臨時国会はこの点だけはちょっと安心して見ていられるかもしれません。
 おっかけるのけっこう大変なんですよね(笑)
 ま、気になる方は、さきほどの自民党のページをよくよくチェックするのがいいんじゃないでしょうか。 
 

平成20年8月28日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第45号 2008/08/28)      
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 [一枚のうろこ。福田康夫です。]
 一枚のうろこ。福田康夫です。
 私の好きな言葉に「龍蛇無鱗(りゅうにへびのいろこなし)」があります。
 「龍には数十万枚ものうろこがある。しかし、その中にたった一枚でもヘビのうろこがあれば、それは本物の龍ではなく、ヘビが龍に化けたニセの龍である。」
 つまり、いくら立派にみえる政策でも、そこにひとつの嘘があれば、国民の目をごまかすことはできない、ということです。
 政治家は、常に、この鋭い国民目線を意識し、さらには、恐れるべきだと思っています。
 
 こんにちは、福田さん。
 おひさしぶりです。
 民主主義国の政治家としての立場で言えばこの考え方は間違いではありませんが、国民の目線だけで見てしまうと、それはそれで政治大局的な場面で失敗を招いてしまう危険性も否定できません。
 一時的には国民の不利益になったとしても、長い目で見たときに、国家のために利益になるような施策を講じるコトも時には大切でしょう。
 また国民も、政治を長い視点で見るように心がける必要もあるんじゃないかと思います。
 
 国民の皆さんは、政治に安全が確認できなければ安心できません。安全と安心が実感できれば、次には必ず政治を信頼してくれると思います。
 安全と安心と信頼、これをどう国民の皆さんと共有できるか、私の国民目線にもとづく数々の政策は、きっと国民の皆さんのご理解をいただけると考えています。
 
 安全と安心の実感、って、すごく難しいと思うんですよね。
 これは景気にも言えるんですが、なまじ日本人は、景気も安全もとんでもなく高い時期を経験してしまっているので、そこぐらいの水準にならないと実感できない体質になってしまっていると言えます。
 また、例えば少年犯罪を例に挙げれば、少年犯罪の発生件数自体は実はここ数年減少傾向にありますが、おそらく実感的には少年犯罪が増えていると思っている人は少なくないと思います。
 これは、絶対数は減っていても凶悪事件は増えているというコトと、マスコミが昔に比べて大げさに報道しているというコトが関係しているのではないかと思われます。
 このように、実情と実感とは、必ずしも結びつかないコトも多々ありますので、特に政治のレベルで実感を求めるというのはなかなか難しいんじゃないかとやえは思っています。
 
 来月には、いよいよ国会が始まります。消費者庁をつくるための法案や、物価高などに直面する国民生活の安心を実現するための経済対策など、安全・安心を守るための政策や国際協力のあり方についてしっかりと議論し、すみやかに実施に移します。
 安全と安心があってこそ将来への確信を持つことができます。派手さはなくとも、一つひとつ着実に結果を出してまいります。そうした地道な積み重ねだけが、政治や行政への信頼を取り戻す唯一の道であると信じています。
 
 まずは「安全」の方なのでしょう。
 消費者庁にしてみても、新しい省庁が出来たら急に国民が「安心」を感じるかと言えば、決してそうはならないでしょう。
 ですからまずはシステム的に安全を確立して、それなりの時間をかけて安心を感じてもらう、政治側から見たらそういう流れになるのでしょうし、それしか政治には出来ないでしょう。
 政治は魔法ではありませんから、着実に積み重ねるしかないんですね。
 
 アフガニスタンで発生した日本人の誘拐事件で伊藤和也さんが犠牲となりました。事件発生以来、情報収集につとめてまいりましたが、このような結果となり大変残念です。
 NGOの一員として4年以上にわたって農業指導にたずさわり、現地の子どもたちからも慕われていたという伊藤さん。自らの身の危険もかえりみずアフガニスタンの人たちのために努力してきた若い命を奪った非道な行為に対して、本当に強い怒りを感じています。
 伊藤さんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族の方々に対して心からのお悔やみを申し上げます。
 
 この件に関しては、やえも色々と思うところはあるんですが、まず大前提として、日本人が殺されたという事実に対して、日本人としてやえは強い憤りを感じます。
 あるテレビの番組でコメンテーターが、「伊藤さんはアフガンのためにやっていたのに、どうしてアフガンの人間に殺されなければならないのか、全く理解できない」というような主旨を言っていましたが、しかしそもそもあちらの方の自爆テロは、外国人だけでなく、時には同国人をもターゲットにしてテロル行為をしかけて人間を殺害するのですから、「アフガンのために働いていた」なんて全くターゲットの除外理由にはハナからならないのです。
 この辺の感覚は、日本人には理解できません。
 テロルをしていれば国がよくなると思っているコト自体が理解できないのですから、日本人が理解できるような動機を探す方が無茶なのでしょう。
 そしてそんなあちらの人間に対して、日本人のやえは日本人の発想からして、バカな発想と行為をするんですねとしか言いようがないのです。
 
 世界では、今この瞬間も、さまざまな地域で争いがつづき、貧困などでたくさんの人たちが苦しんでいます。そういう地域や人たちに、少しでも手を差しのべていくことが、伊藤さんの遺志にもこたえ、また、平和協力国家としての日本の役割でもあります。
 
 なぜか日本では、「危険な地域だからこそ民間人を派遣すべきだ」とかいう、全く常識的に理解できない論が一部で横行してしまっていますが、そろそろこんな平和ボケ丸出しの論は恥ずかしいモノと認識しなければならない時期に来ていると言えるのではないでしょうか。
 経済大国である日本が、貧困国に援助をするという意味は、外交の面からも大きな意義があるコトだとは思いますが、だからといって無計画にとりあえずただやればいいというモノでは決してありません。
 全ては国益のためにするモノであって、その観点から見た時に、アフガニスタン支援はこれでもうやめるとする選択肢もありだと思います。
 もしそれでも支援をするというのであれば、アフガンの状況を鑑みて、今の日本で出来る最善の手、それは自衛隊の派兵も含めてです、を打つ必要があるのではないでしょうか。
 日本のお金と、時によっては日本人の血と命さえ賭けて、アフガニスタンの支援が日本の国益に適うと判断するなら、です。
 日本国民は、そういう議論もしっかりと考えなければならないのではないでしょうか。
 
 
 [編集長のひとこと]
 北京オリンピックが終わりました。その道一筋に精進してきた各選手の奮闘ぶりと、そこに至るまでの物語は、多くの方々に感動を与えたことと思います。選手と関係者の皆さん、本当にありがとう。
 
 ええと、はじめましてですよね。
 新たに官房副長官に就任され、メルマガの担当となられた、塩谷立先生です。
 塩谷はしおのや、立はりゅうと読みます。
 しおのやりゅう先生です。
 
 せっかくですので、ご挨拶を紹介できませんでした、前編集長のまつしげ先生のメッセージを、バックナンバーから引用します。
 
 安倍内閣の改造時に引き続いて福田内閣の発足時から務めてきた官房副長官を辞し、福田内閣メールマガジンの編集長を塩谷新編集長に引き継ぎました。昨年10月の創刊以来、編集長という大役を果たしてきましたが、思い返せば、あっという間の10ヶ月間でした。
 皆さんから寄せられたたくさんのご意見は、厳しいものから温かいものまでいろいろありましたが、どれも貴重なものばかりでした。改めてお礼申し上げるとともに、これからも福田内閣メールマガジンをよろしくお願いいたします。(まつしげ)
 
 福田内閣は10ヶ月だったんですね。
 長いような短いような、でも総理はともかく、他の大臣さんは1年未満では結果を出すのもちょっと期間としては短かったかもしれません。
 ともあれ、まつしげ先生も、はじめてのねじれ国会での官房副長官という大役、お疲れ様でした。
 これからも頑張ってくださいね。
 
 大野前編集長の思いを受け継ぎ、このメールマガジンを、福田内閣と皆さんの対話の場としてよりよいものとしていきたいと思います。(立)
 
 りゅう先生、これからよろしくお願いします。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。