☆やえニュース☆

 公共の福祉と個人の権利麻生太郎内閣総理大臣誕生麻生内閣発足過程を大切にした議論を気持ち悪い空気再びか

平成20年9月18日

 公共の福祉と個人の権利

 前回で終わりにしようかと思っていたのですが、今回も汚染米のお話です。
 ただ今日のお話は、直接的には汚染米の話とは関係ありません。
 
 なんだか日々新しい話が出てきて、どんどん話が大きくなるこの事件ですが、先日農林水産省が、三笠フーズから汚染米が違法流出した可能性のある企業名のリストを公表しました。
 その数なんと数百社というコトで、これだけでもトンデモナイ規模の違法流出事件と言えるでしょう。
 今回のこの措置は、一部国民の間からを強く求める声が出ていたので、それに呼応する形での公表だと言えます。
 
 しかしやえは、この措置にちょっと違和感を覚えます。
 
 というのもこのリスト、どっちかと言えば、三笠フーズにだまされた企業の方が多いと言えるからです。
 この問題が発覚した直後、ある有名焼酎メーカーが汚染米と知らずに三笠フーズから原料米を買ってしまっていたコトが判明して、結局自主回収に追い込まれて多大な損害が出ていましたが、このような多くの企業はむしろ被害者なワケです。
 この焼酎メーカーも、公表された企業の多くも、自分たちは全く悪いコトをしていない、普通に商売をしていただけなのに、多大な損害を出してしまう結果になってしまったのであり、これは完全に被害者というしかありません。
 でもそれでも、農水省は無実の、むしろ被害者の側の企業のリストを公表しているワケで、これはある意味「被害者にさらにムチ打つ形」とも言えてしまうのではないでしょうか。
 こういう構図に対して、やえはどうなんだと思うのです。
 
 もちろん、これは最終的に口に入る消費者を第一に考えての措置です。
 もしかしたら自分が口にしたお米が三笠フーズが下ろしたお米かもしれない、そんな消費者の不安を和らげる、もしくはこれ以上の被害を食い止めるという意味では、最も効果的な措置だと言えます。
 ですからやえは、今回のこの農水省の措置に、断固反対絶対阻止、なんてコトは言うつもりありません。
 
 ただ、その上でしっかりと国民は、公共の福祉という名の下に個人の権利を踏みにじっているという事実を知っておいてもらいたいのです。
 ただ単に自分の身を守りたいからという理由だけで他人の権利を踏みにじるという行為は、弱肉強食の私人間の争いであるならまだしも、おおやけの政(まつりごと)の上では、あまり正当化できる行為ではありません。
 こうれが高じると、数億という単位のために数千万という、確かに比べれば少ないけど絶対数だけ見ればとんでもない数の人命すらあっさりと投げてしまうような中国のような行為になってしまうワケで、特に現代国家というのは、最大限個人の権利を尊重するという精神が内在しているのですから、ここに目をそらさずに、もしかしたら「企業名を公表しろ」というセリフにそこまでの覚悟や深い意味を考えていないだけの人の方が多いのかもしれませんが、でもちゃんと個人の権利の尊重という概念もしっかりと考えてもらいたいのです。
 現に、残念なコトに、この件でひとり自殺してしまった方が出てしました。
 もちろん言うまでもなく一番悪いのは違法行為をした三笠フーズですが、一方ではこの自殺してしまった方というのは「世間に殺された」という一面も否定は出来ないと言うしかないでしょう。
 この件については、「企業vs個人」という見方になってしまうかもしれませんが、しかし企業側だって個人の集合体であり、その人達にも多くの家族がいるんだというコトは絶対に否定できない事実なのです。
 公共の福祉という名の下に個人の権利が踏みにじられるコトは往々にあって、多くの場合公共の福祉の方が正義だとされがちですが、必ずどっちかだけが正しいとは言えないというコトは知っておいた方がいいでしょう。
 
 自殺者が出てしまった結果を受け止めるのであれば、今回の農水省の行為は稚拙だったと言わざるを得ません。
 確かに口に入る食品の問題ですからある程度スピードも大切になってきますが、しかしもう少し公表する以前に、非公表の形で流通だけを止める方法は無かったのでしょうか。
 少なくともやえは、公表する前に、まず被害者である企業の救済策を打ち出してから社名を公表するという方法もあったのではないかと思います。
 
 特に今回被害に遭っている企業の中には、三笠フーズと直接取引していない企業もあり、もしかしたら三笠フーズという社名すら今回の件以前には聞いたコトないというところだってあったかもしれません、そう考えたら、いつ自分が企業側の人間になるのか、今回はたまたまそっち側にいなかっただけとも言えるのではないでしょうか。
 そう考えれば、結果的に多くの人間の不安を取り除けたという結果も大切ですが、その間の様々な事情もきちんと考えておく必要性もあるのではないかと思います。
 

平成20年9月24日

 麻生太郎内閣総理大臣誕生

 おそらくこの更新がアップされている時は、すでに臨時国会が召集され、首班指名が行われて、麻生太郎閣下先生が内閣総理大臣に指名されているコトと思われます。
 麻生さんに関しては、そもそもご本人自身の経歴からして話題に事欠かない人ですし、さらにネットの上こそ人気爆発中ですから、今さら当サイトがご紹介するまでもないでしょう。
 多分すぐに総選挙となって、下手したら自民党が下野する可能性もありますから、どこまで麻生さんが総理として手腕を振るえるかは分かりませんが、出来るだけ頑張って欲しいとやえは思っています。
 
 麻生さんは、政治思想的には保守系の政治家さんです。
 それは自民党の保守政党という意味の保守ではなく、いわゆる思想的に右寄りだと言える考え方です。
 小泉さんが右側かどうかというところは議論の分かれるところだろうと思うのですが、その後の安倍さんは右寄り、次の福田さんは左寄りでしたから、ゆらゆらと振り子が揺れるよう、また右寄りに戻ってきたと麻生さんの登場は表現できるでしょう。
 麻生さんが、はじめから選挙にまず勝つコトに重きを置いているのか、それともしっかりと政府運営をしてその結果を国民に判断してもらおうとしているのかは、今の段階ではよく分かりませんが、もし後者だとしたら、保守政治家としての仕事の内容にやえは大変に期待しています。
 ここ数年でやっとまともな方向に日本は歩み始めていますから、ここでつまづくワケにはいきません。
 教育基本法の改正や防衛省の省昇格、憲法改正のための国民投票法の成立など、保守思想においても大変の重要な課題であったモノを次々と通したのにも関わらず、保守側からもNoを突きつけられた安倍元総理のようにはなってほしくないな、保守系の人たちは是非仕事の内容を評価するようにしてほしいなと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 その麻生さんですが、やえは、おそらくこれで最後の「大物然とした内閣総理大臣」になるのではないかと思っています。
 大物然というのはどういう政治家と言えば、庶民派の反対であり、上段から構える政治家であり、悪い言い方をすれば上から目線、良い言い方をすれば広い視野を持っている、という感じです。
 ご存じの通り麻生さんは、さかのぼれば祖父も吉田茂という大総理大臣、さらに戻れば現代日本の礎となった政治家大久保利通にもつながり、さらにさらに辿れば天皇家にまでたどり着いてしまうという、日本でも有数の家柄であり、また代々地元の名家・大店の家系でもあって、自身も麻生セメントという大会社の経営者であった経歴を持ち、とてもじゃないですけど庶民とは言い難い生まれであります。
 かの田中角栄は高校を卒業していない身でありながら総理大臣にまで上り詰めたコトから「今太閤」と呼ばれましたが、麻生さんはその真逆、「今征夷大将軍」とでも言いましょうか、まさに天下人に生まれた人が天下をとったと表現できるでしょう。
 
 おそらくこういう総理大臣はこれで最後になるのではないかとやえは思っています。
 最近は政治家さん自身も庶民的な人が増えましたし、また元々家柄の良い人であっても、そういう背景はむしろマイナスだと思われるので、選挙のコトも考えて、あまり前面に出さない政治家が増えてしまいました。
 あの「ミスター自民党」の小沢さん自身でさえ、最近は「生活が政治だ」とか言ってしまっている始末ですから、最近の政治というのはいかに庶民の目線でというのがポイントになってしまっています。
 
 しかしやえは、むしろ麻生さんには庶民の視点なんて気にせず、ぜひとも上からの目線で、広い視点で政治を行って欲しいなぁと期待しています。
 「庶民の目線で」と言えば確かに聞こえはいいですが、これを突き詰めれば、国民エゴ・庶民エゴの積み重ね、極めて悪質なポピュリズムでしかなくなってしまいます。
 そもそも政治とは、むしろ庶民には届かない視点・目線・バランスというモノが国家にはあるからこそ、その総合調整を図り、全体としての利益が出るよう指揮を執るためにあるモノであり、庶民一人一人の要望をひとつひとつ全て叶えるモノでは決してありません。
 時に庶民の要望を叶えるコトによって全体のバランスが崩れ、結果的に国民国家全体に悪影響が出てしまうコトだってよくあるワケですから、国民の庶民の要望が目線がいつもいつも正しいとは言えないワケで、ですから政治とは、むしろ上から権力でもって強引に国民を動かして全体の利益を図るよう力を奮うコトが正道政治であるとも言えるワケです。
 
 もちろん国家とは国民のためにある側面もありますから、国民がいま何を考え、何を求めるかを知るコトはとても大切なコトです。
 しかしそれは、大臣や総理が庶民の中に立って同じ目線で物事を考えろという意味では無いと思います。
 総理大臣というリーダーの立場にある人にとって一番大切なコトは、庶民が何を望んでいるかを知るコトではなく、それをいかに現実可能な方法で、そして公平な方法で、バランスを取りながら実現していくコトではないのでしょうか。
 それを行うためには、下からの目線ではなく、やはり上からの目線で、全体を見渡せる視野こそが、そしてそれを達成するための決断力こそが、最も大切になるのだとやえは思います。
 
 安倍さんも福田さんも、身近な人に総理大臣がいたのにも関わらず、変に国民の気遣いをしすぎたコトも、いらぬ心労を貯めてしまった一因、そして失敗してしまった原因のひとつだと思います。
 安倍さんも福田さんも、国民視点に手足を縛られて、広い視野も決断力も封じられてしまったと言えるのではないでしょうか。
 ですからやえは、その生まれも育ちも大物然としている政治家麻生太郎さんに、今こそ「本物の政治」を実現して欲しいなと期待します。
 ぜひとも「日本のため」の政治を行って欲しいです。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、麻生さんの『鈍感力』を応援しています。
 

平成20年9月25日

 麻生内閣発足

 なんか思い違いされたままというのもイヤなんで、いちおう言っておきますが、やえの中では汚染米の話題で都合が悪くなったとか、そんなコトは微塵にも思っていません。
 次の機会にでも詳しく書いてもいいんですが、そもそもやえは、政府が悪いor政府は悪くない、なんていう二元論で物事を語ったコトはありません。
 ですから、何を書いてもそういう結論ばかりで読まれてしまうコトには、やえはその程度にしか読まれないコトに悲しさを覚え、そして表現の仕方がまだ足りないところがあるのかなぁと反省するだけです。
 ただ、例えば前々回の話で言えば、あれは汚染米の話は導入でしかなく、話の骨子は
 
 「時に権力というモノは個人の権利尊厳を踏みにじるコトもあるし、特に民主主義国家であるなら国民自身がその他の国民の権利尊厳を踏みにじるコトもある。それを求めるコトもある。すなわちそれは、もしかしたら明日突然自分が、被害者であるにも関わらず国民自身からさらに理不尽にムチを打たれる事態に陥る可能性も否定できない。いまの国民はその覚悟が出来ているのか」
 
 という問題提起なのですから、前々回の話をもって「汚染米問題を国民のせいにして、政府擁護している」などと言われても、やえにはやえの言っているコトと全く趣旨の違うコトを言われているとしか言いようがないので、何も答えようがないのです。
 誰が悪いとか、政府批判とか擁護とか、まるで次元の違う話でしかありません。
 最近政治の話になると、誰が悪いのか、誰を責めればいいのかという、安易な二元論に簡単になってしまいがちに、日本全体がなっている気がしてならないのですが、まぁこれもまた機会を見て語ってみたいと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 昨日、麻生内閣が発足しましたので、なんだか恒例になってきつつあります、新閣僚さんのご紹介をしようと思います。
 まず一覧です。

総理大臣 麻生太郎
総務大臣 鳩山邦夫
法務大臣 森 英介
外務大臣 中曽根弘文
財務・金融大臣 中川昭一
文部科学大臣 塩谷 立
厚生労働大臣 舛添要一
農林水産大臣 石破 茂
経済産業大臣 二階俊博
国土交通大臣 中山成彬
環境大臣 斉藤鉄夫
防衛大臣 浜田靖一
官房長官 河村建夫
国家公安・沖北大臣 佐藤 勉
経済財政担当大臣 与謝野 馨
行政改革担当大臣 甘利 明
消費者行政担当大臣 野田聖子
少子化担当大臣 小渕優子

 上からコメントしていきます。
 
 まずビックリしたのが、鳩山総務大臣です。
 鳩山さんの麻生大好きはもはや有名で、今回の総裁選でも選対本部長を務めていらっしゃいましたが、それでも大臣に登用するとは思いませんでした。
 だって、選挙のコトを考えたらどうなのかなと思うからです。
 だって、鳩山さんですよ?(笑)
 もしかしたらもはや鳩山さんはそういうキャラとして、むしろ親しみを国民から持たれてしまっていっているのかもしれません………ん〜?(笑)
 もちろん、例えば「死刑を法務大臣がいちいちサインするのではなく、自動的に執行されるよう方法はないものか」という考え方など、確固たる信念をお持ちの政治家でもいらっしゃいます。
 また自由闊達な記者会見を待っています。
 
 法務大臣の森英介さんですが、やえはあまり馴染みのない先生なんですよね。
 派閥は麻生派で、あの見た目で60歳と案外若い(ごめんなさい)ですから、実務能力を買われてのコトかもしれません。
 法務大臣と言えばネットでは人権擁護法案が関心事かと思いますが、麻生さんが総理ですから、おそらく麻生内閣の間は立法化されないと思われます。
 そもそも自民党の人権問題等調査会の会長も空位のままですしね。
 
 外務大臣の中曽根弘文さんは、テレビとかでもいっぱい紹介されていましたが、元総理大臣の中曽根康文大勲位の息子さんです。
 ですが、国会では参議院で通しています。
 中曽根先生と言えば、小泉さんの郵政の時に反対票を投じると表明し、参議院否決の流れを決定づけたキーマンというのが、一番印象深い人も多いでしょう。
 
 財務大臣と金融担当大臣を兼任される中川昭一先生は紹介するまでもないですね。
 通称、中川(酒)先生です。
 中川先生はとても有能な方ですから、その役職もあわせて麻生内閣のキーマンとなりそうです。
 
 文部科学大臣の塩谷立先生は、当サイトではおなじみの先生ですね。
 福田メールマガジの編集長として、毎回りゅう先生のお名前をやえは紹介していました。
 やはり実務能力に長けている方なので、教育の立て直しに期待したいところです。
 
 厚生労働大臣には、もはやおなじみ、舛添さんです。
 お顔を拝見する度に頭の方がさみしくやつれていってる気がしてならないので、ちょっと心配です。
 でも今のところ、厚生労働大臣をお任せするのは舛添さんしかいないんですよねぇ。
 異例の3内閣連続留任です。
 
 石破さんは、やえは実は外務大臣になるんじゃないかと密かに予想していたのですが、農林水産大臣にこの度は就任です。
 と言っても、農政の専門家としての一面も案外有名で、総裁選でもたびたび農政のコトについては触れておられました。
 農水大臣と言えば、毎度なんらかの問題が出てくる役職ですが、石破さんならそういうコトもないでしょうし、そのいやらしい目つきとネチネチしたしゃべり方(褒め言葉)で、防衛省を立て直した時のように、農水省も立て直してほしいと思います。
 
 二階経済産業大臣、留任でしたね。
 確か二階派は麻生支持でしたから、まぁそういうコトなのでしょう。
 
 国土交通大臣の中山成彬さんは、これまたテレビ等でよく言われている通り、前拉致担当大臣の中山恭子さんのダンナさんです。
 元々文教族ですが、今回は国交大臣というコトで、でも最近国交大臣はあまり目立たなくなってしまっていますから、淡々と仕事をされるイメージのある中山さんにお任せしたというコトなのでしょう。
 やえ的には、恭子先生も留任されて、夫婦大臣だと面白いのになぁ、お家でどんな会話をされるのか興味津々だったのですが、残念です(笑)
 
 環境大臣の斉藤鉄夫さんは、公明党で再任です。
 広島出身の方で、こう言ってはなんですが、公明党にしておくにはもったいないぐらいの良い方です。
 
 防衛大臣の浜田靖一さんは、これまたよくテレビ等で言われていますように、ハマコーさんの実子さんです。
 でもあの顔をして、実はかなり温厚な方なんですよ。
 ついでにお酒も苦手という、ますますもって風貌に似合いません(笑)
 根っからの防衛族で、安全保障委員長や、自民党の国防部会長などを歴任されており、外交に一言ある麻生さんのもと、どのような防衛政策をされるのか、注目です。
 
 今回閣僚名簿発表を麻生総理自らされたので、いまいち目立たなかった、官房長官の河村建夫さんは、自他共に認める文教族です。
 そういえばこの内閣、文教族が多いですね。
 また最近、被爆者認定の件でも尽力されているので、広島でも名前を知っているという人はそれなりにいるんじゃないでしょうか。
 という印象だったので、官房長官というのはちょっと意外でした。
 そもそも官房長官は総理大臣と同じ派閥の人がされるコトが多く、しかし河村さんは町村派ですから、そこからも意外です。
 もしかしたら個人的な繋がりがあるのかもしれません。
 
 国家公安委員長や沖縄及び北方対策担当大臣の佐藤勉先生ですが、いつもニコニコして人柄の良い方という印象がやえにはあります。
 と言ってもそれぐらいしか存じ上げないです、ごめんなさい。
 通称「さとべん」先生です。
 
 経済財政担当大臣に再任された与謝野馨さんは、紹介するまでもないですね。
 今回の内閣、身内に有名人が多いみたいですが、与謝野さんの場合は、あの歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫にあたります。
 総裁選の時にも書きましたように、与謝野さんには健康問題がありますから、総裁選の時も倒れないかドキドキしてたんですが、引き続き、経済問題を重要視する麻生内閣の要として手腕を振るわれるコトを期待しています。
 お体に気をつけて頑張ってください。
 
 行政改革担当大臣に、元経済産業大臣の甘利明さんです。
 行政改革担当大臣には今までわりと当選回数の若い先生が就かれるコトが多かったのですが、今回は大物をあてています。
 ここから、麻生さんはかなり行政改革に力をいれてくるのではないかと、予想されます。
 また今度詳しく書こうと思っていますが、公務員組織というのはむしろ労組の方が強くて、労組は民主党を支持していますから、中身を本当にいじろうとする行革をしようとすると、その労組と民主党の方が激しく抵抗するという図式があります。
 安倍さんの時にその一端が見えましたね。
 ですから、麻生さんはここを狙って、行革をより一層推進していこうという思いがあるのかもしれません。
 期待しています。
 
 消費者行政推進担当大臣には、野田聖子さんが留任です。
 まぁこの人の仕事の大部分は吼えるコトですから、これからも、選挙中も、ずっと吼えてほしいところです(笑)
 
 最後に、少子化担当大臣の小渕優子さんです。
 ご存じ、小渕恵三元総理の娘さんです。
 似てないですね(失礼)
 戦後最も若い閣僚になるんだそうですが、そもそも少子化担当は全然目立たない役職です。
 少子化対策は大切だとみんな言うんですが、まぁ、なかなかこれといった有効な対策を打ち立てにくい問題ですから、難しいですねぇ。
 こう言ってはなんですが、女性国会議員の中では、かなりアクが薄い先生です。
 というか、濃い議員さん多すぎなんですよね(笑)
 
 以上、簡単ですが、閣僚の紹介でした。
 やえは組閣前、やはり選挙を中心に見据えて、もっと派手な内閣になる、例えば、総裁選に立候補した人すべてを閣僚に据えて、また谷垣先生とか(そういえば麻垣康三の中で谷垣さん以外は全員総理になってしまいましたね)、有名な人を据えて、オールスター内閣だ、自民党はこんなに人材が抱負なんだ、という戦略で来るかと思ったのですが、今こうやってながめると、なかなか実務的な人がそろったという印象です。
 これはむしろ、まわりに実務的な人で固めて、麻生さん自身が唯一の顔として、一点集中型で選挙をするとにらんでいるのかもしれません。
 それがどういう結果を生み出すかは分かりませんが、麻生さんは安倍さんや福田さんにない、強い発信力をお持ちですから、そこをどう活用できるかがポイントになるコトでしょう。
 
 麻生さんには、ぜひとも選挙後も総理でいらっしゃるコトをやえは望んでいます。
 

平成20年9月27日

 過程を大切にした議論を

 なんだかいつになくweb拍手のメッセージとかメールとかもいっぱい来てて、応援メッセージも多くてうれしいのですが、この話題はもういいというご意見もけっこうありますので、とりあえず今回で締めというコトにしたいと思っています。
 というか、おそらくもうほとんどこの話題をしても同じ内容の繰り返しになってしまうでしょうし、多分今日も以前言ったコトの繰り返しばかりになりそうですから、何度この話題を続けても同じ内容になってしまうコトでしょう。
 あとはもう、しっかりと内容を読んで意味を理解してくださいとしか言いようがありません。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 で、汚染米の話ですが、誰が悪いという話をするなら、最初にも言いましたように、三笠フーズなどの契約違反をした会社が悪いのです。
 だって契約違反をしなければ、このような事態にはならなかったワケですからね。
 もし契約通り履行していて、それなのに流出したという事態になっていたのであれば、その契約を作った方の責任は問われてしかるべきですが、「こうしたらダメ」と決めていたコトを破ったのであれば、破った人間が悪いのは当然です。
 
 まずそれが前提で、その上で、もっとより良い方法が無かったのかと後から検証するのであれば、農水省を改善する必要性というのは、たくさんあるとは思います。
 そもそも汚染されたコメを輸入する必要性からはじまって、検査態勢も再検証する必要があるでしょう、内部告発に対する対応の仕方とか、いま言われている問題の中には改善するのが当然と思われるモノはたくさんあると思います。
 
 ただし、これらが直接的に農水省に責任を全てを負わせるような言説に変わってしまうのは、やはりちょっと違うのではないかと思います。
 やえはそういうのは、殺人事件が起きたときに「秋葉原のせいだ」とか「歩行者天国のせいだ」とか「ナイフが買いやすい状態にあるせいだ」とか「ゲームが流行りすぎて現実感がなくなってしまっているせいだ」とか、そういう責任のすげ替えに近い、嫌な感じの議論に聞こえてなりません。
 確かにですよ、例の秋葉原の事件にしても、ナイフが一般人には売れない状態だったら、全国の歩行者天国が全て禁止だったら、あのような事件は起こらなかったかもしれません。
 最近変に流行ってしまっているネットでの殺人予告も、極論すれば、ネットさえなければこのような犯罪は絶対に起こらないワケです。
 でもやっぱり、犯罪というモノは、起こした人間が悪いとしか言いようがなく、むしろその道具にされたモノは被害者とも言えるワケです。
 もちろん犯罪が起きにくいように方策をとるコトは大切で、ですから普段では使わないようなナイフの規制強化や銃規制の強化、またネットの年齢制限やフィルタリングの導入など、これらはこれからも議論されていくべきでしょう。
 場合によっては実行していく必要があるかもしれません。
 しかし、これらは対策の問題であって、誰が悪いとか誰が責任をとれとか、そういう次元の話ではないんですね。
 
 農水省が悪いんだとかなんとか言って叩けば、それで問題は全て解決するのでしょうか。
 太田大臣が辞任しましたが、それで問題は解決するのですか?
 やえはむしろ、つい数週間前に大臣になったばかりの人が辞めるという形で中途半端な形になるよりは、徹底した原因究明を進め、再発防止策を打ち出すコトによってこそ、その役職に対する責任を果たしたと言えるようになったのではなかと思っています。
 「これらが出来ないから辞任」であれば、まぁ一応筋は通るでしょう、無責任だとは思いますが。
 でもそうではなく、「混乱させてしまったから辞任」では、まるで大臣が大臣である理由がなくなってしまいます。
 なんのために役人の上に、役人ではない選挙という儀式を通って国民の代表としての政治家が大臣として就くのか、その意味を考えたら、辞めればいいとしてしまうのは、その方が無責任なのではないのかとやえは思うのです。
 
 叩くだけでは全く持って改善には繋がらない、太田大臣の辞任は、その最たる例と言えるのではないでしょうか。
 
 もうひとつ言っておかなければならないコトは、再発防止策をとるにしても、安易な方法に逃げるようなコトはしてはならないというコトです。
 ひとつの制度は、ひとつだけで完結しているワケではありません。
 これは前にも言いましたように、汚染米を今後国内でどう扱うか、今回の件で輸入も輸出も流通も禁止とするのはいまの空気なら簡単でしょうけど、でもそれによってもしかしたら大変な不都合、例えばある工業用品の原材料が全くなくなってしまうなどの不都合が、もしかしたら起きる可能性もあるかもしれないというコトを考えなければならないというコトです。
 まぁ実際のところはコメがノリの原料として使われる場面はほとんどないとかいう話なので、ないならそれでいいんですが、大切なコトは、感情に身を任せて安易な方法に飛びつくのではなく、キチッと他に影響がないか調べてから議論してから決定をしなければならないというコトです。
 可能性としては、世界的に見ても使い道がない汚染米だとしても、日本の高い技術力によってなんらかの加工方法があって、それが高い付加価値に繋がるのであれば、大きなメリットを享受できる可能性も、もしかしたらあるかもしれません。
 その場合、管理の方法をもう一度検証し直すコトは当然必要ですが、こういう可能性も捨てずに検証して議論するコトが何よりも大切なのではないかとやえは思います。
 
 誤解されたくないので念のために書いておきますが、やえが、そういう可能性があるから米の輸入をし続けるべきだと考えている、というコトではありません。
 結果としてこれらが現実不可能であれば、またこの他にも他の制度等に影響が出ないのであれば、それはもう輸入禁止の措置をとるのが妥当でしょう。
 結果を言っているのではありません。
 安易に「危険なコメがある→輸入禁止」と飛びつくのではなく、その結果として他に本当に影響が無いのかどうか、キチンと検証して議論するコトが大切なんですと言っているのです。
 過程というモノはとても大切なモノなのです。
 安易な方法に飛びつくコトによって、自分はいいコトをした、いいコトを言ったと思っていても、実は知らないところで大きな損害が出てしまう可能性も往々にしてあるワケで、そこはシッカリと考えなければならない、そう言っているワケなのです。
 
 検査方法についても同じです。
 これも前言ったばかりだと思うのですが、立ち入り検査の方法ひとつとっても、これをどうこうするという話は農水省だけの話に限りません。
 農水省は言うまでもなく中央省庁で、であるならば当然その権限は法律によって定められているワケで、逆に言えば法律を越える行為は許されるモノではありませんから、であるならば、他の法律との整合性は必ず考えなければなりません。
 これは制度全体の話になります。
 人権法の時にあれだけ「立ち入り調査は令状主義に反して違憲だ」とか言っている人が多いのに、それはそれとしてこれはこれ、と言ってしまうのは、法律や制度の議論としては不適切です。
 また、権限を大きくするのであれば、予算や人員の話は切っても切れない話で、今は注目を浴びているのでこの問題に対しては他の部署から増員してでも徹底してやれるでしょうけど、本来的に検査とかの話であれば、これは恒久的に続けなければ意味がありません。
 となれば、やはり人員の話、そしてなにより予算の議論は絶対に必要でしょう。
 
 予算の話や権限の話を突き詰めると、これは基本的な国家のあり方の議論に繋がります。
 簡単に言えば「大きな政府か小さな政府か」という議論です。
 この議論というのは、この度国会議員の引退を表明された小泉さんが総理の時に大いに議論された話題ですが、あの時は小さな政府が是とされました。
 政府の仕事は出来るだけ小さくして、出来るだけ少なくして、民間で出来るコトは民間にまかせよう、そうして国家の負担と支出を下げよう、というのが小泉さんの主張であり、大部分のそれに賛成した国民の意見でした。
 しかし今回の問題での議論では、契約はキチンと結んでいましたが、その契約だけでは物足りない、もっと農水省が管理監督して見張っておけばよかったんだ、なぜそうしなかったんだ、という方向に行っていいるワケで、そうであるなら、つまり公的機関の権利権限を拡大して強化させる方向に行けという議論だと言うコトになります。
 これらは基本的に「小さな政府構想」とは対立する考え方です。
 ですから、そういう議論をするのであれば、この不整合性はどうやって埋めるべきなのか、小さな政府という方針はもうやめるべきなのかどうかという議論を今後はしていかなければならないのではないかと言っているワケなのです。
 これなんて、もう2、3回ぐらいは、前に言いましたよね。
 
 ちなみにやえは、小泉さんの時の「小さな政府議論」に対しては、当時反対の意見を書いています。
 
 最初にも言いましたように、農水省の権限や手法に対しては、もっと改善すべき点は少なくないと思っています。
 落ち度もあったでしょう。
 特にやえは、例の会社名の公開については、やはり稚拙であったと言わざるを得ません。
 これなんていうのは、まさに整合性やバランスを考えずに、感情にまかせて短絡的にとった対策でしかないと言えます。
 実際、大変な歪みが生じてしまいましたね。
 しかし一方、これは国民が強く望んだコトでもあります。
 民主主義国において主権者が望むコトは実現をしなければならないというのが建前である以上、もちろんそれを決断した政治家に責任は無いとは言いませんが、国民に責任が無いとも決して言えないでしょう。
 議論する以上は国民もキチッと責任を持って発言しなければなりません。
 
 接待の問題も、感情だけで考えるのではなく、社会通念上の常識なども考慮する必要はあるでしょう。
 公務員だから絶対に民間人とお酒を飲んではいけない、飲むなら割り勘にすべきだとガチガチに固めてしまうのも手かもしれませんが、実際その場にいる立場になってしまうとなかなか難しいというのも現実です。
 もちろん便宜供与があれば言語道断ですし、法に触れるコトがあるのであれば厳しく罰するのが当然です。
 今回の件でそういうコトがあったのであれば、粛々と法に照らして処罰すべきでしょう。
 しかし世の中にはそれだけでない付き合いというモノもたくさんあるワケです。
 いつもガチガチの正論を言う人間が常に周りの人間から尊敬されるというワケではないコトは、普通に人付き合いしてきた経験のある人間ならだれでも分かるコトだと思いますが、そういう常識というモノもやはり考えながら、制度というモノに対しては議論していかなければならないハズでなのではないでしょうか。
 
 今後はそういうところをシッカリと精査しながら、改善していくべきところは改善していかなければなりません。
 農水省も意識改革は必要でしょう。
 
 長くなりましたが、最後にもうひとつ今回の件の問題点・改善点の例を挙げておこうと思います。
 内部告発の件です。
 今回の汚染米のお話は、どうも昔から何度も告発があったらしいですが、でも農水省は動かなかった、だからどんどん規模が拡大してしまったという経緯があるようです。
 これは大変にけしからん話です。
 農水省は非難されて当然です。
 
 ただ最近こういう話を聞くと、やえはいつも思うんですよね。
 数年前、公益通報者保護法というモノが出来て、公共のために告発する人はしっかりと法で守りましょうと制度が整ったのですが、しかし法律が成立する前後には国民はえらい反発していたとやえには記憶があります。
 曰く「仲間を売るコトを法律が認めた」とか、「密告奨励だ」とか、「仲間内でお互いを監視させる法律」だとか、さんざんに言われていました。
 そのせいでちょっと使いにくい法律になっていった記憶があるのですが、ともかくあの時は、いまの後期高齢者医療制度の扱いかのように、とても嫌われた法律だったと覚えています。
 でもいまは、そんなコトを言う人もほとんどいなくなり、むしろ内部告発は勇気ある行為だ、正義の行為だと、尊敬の対象になる行為に思われるようになりました。
 おそらく今後もこの手の告発は増えていくでしょうし、国家にとっても国民にとっても、これは必要な行為にますますなっていくだろうと思います。
 しかしそうなればなるほど、あの時のあの議論はなんだったのかなぁと、やえには疑問がいつも頭をかすめるのです。
 
 その一方、受ける側の役所というのは、どうしても及び腰というか、腰が重い状態がいまでも続いています。
 もともと役所は事なかれ主義が前提ですから、証拠が乏しい証言だけで決断するコトは大の苦手なワケで、さらに言えば、公益通報者保護法の時の議論がありましたから、ますます役所は慎重に慎重を期すようになってしまっていると言えるワケです。
 結果として今回の汚染米の話は大きく国民の注目をひくコトになり完全な「クロ」であったワケですが、これはやっぱり結果論であって、おそらくいまでもどこかで告発自体は行われているでしょう、その全てが「クロ」とはやっぱり内部告発だけで役所では断定できないワケです。
 だからこその立ち入り調査ではあるんですが、しかしどうしても「疑ってないのに捜査するワケないだろ。犯人だと決めつけているんだろ」と思うのは人間の真理です。
 刑事ドラマなんかにはよく出てくるセリフですよね。
 公益通報者保護法の時の「仲間を売る法律」云々という批判も、基本的にはこういう人間の真理から出てくるセリフなのでしょう。
 そんな中で、結果論としてなんとか国民は学びましたが、それでも腰が重い方がデフォルトのいまの日本の役所の体質では、内部通報に対してあまり多くを期待する方が間違いだとも言えてしまうのです。
 
 ではどうするのかと言えば、やはり国家の権限の増大の議論が必要ではないかと思います。
 タイムリーな話題で言えば、やえはここにこそ消費者庁に期待するところがあるんじゃないかと思っています。
 他の省庁と違って、消費者庁は始めから立ち位置が違います。
 極端なコトを言えば、ひとつの企業がつぶれようとも消費者の保護の方が大切、というのが消費者庁の立ち位置です。
 他の省庁はこの天秤のおもりが逆なワケですが、もし消費者庁が存在していて内部告発を受け入れる体制になっていたとしたら、今回の件はもっと早く露呈していた可能性は十分にあります。
 まだ消費者庁の構想は全容がハッキリしませんのでなんとも言えませんが、やえはこうなるコトを望んでいます。
 
 ただ、来年度の消費者庁にかかる予算要求は182億円、組織定員は208人とのコトなので、なんだかこの程度で本当に大丈夫なのでしょうかと心配な面もあります。
 ひとつの省庁には数万人規模の役人さん達が働いている中で、ちょっと208人というのは少なすぎると言わざるを得ません。
 協力や権限を有するためには、もっと大きな組織を作る必要があるのではないでしょうか。
 
 しかしこれも、ある意味国民の意志が反映している結果とも言えます。
 最近はなんでもなんでも「税金の無駄遣いだ」とか「天下り先を増やすだけだ」とか、中身を見ずに税金を使うだけでそう批判する風潮が強くなってきてしまっていますが、この消費者庁の最初の規模の小ささは、こういう批判をされないために、ビクビクしながら設計された賜だと言わざるを得ないのではないでしょうか。
 中には「消費者庁をつくることが税金の無駄遣いだ」と言ってしまう人もいるワケですが、重要なのはその組織が必要かどうかであり、もしかしたら消費者庁があれば今回の事件ももっと早く対応できていたかもしれない、いえそうさせるためにも消費者庁は必要だと、そういう結論が得られれば、税金を使うコトそれ事態は無駄遣いでもなんでもありません。
 この話も前しましたよね。
 使うコト事態が無駄遣いと言ってしまうのは完全に間違いで、本来しなければならない議論というのは、税金を使う対象が本当に必要かどうかを議論しなければなりません。
 
 このように、ある議論が違う議論に影響してしまうコトというのはたくさんあるワケで、だからこそ整合性やバランスはいつも大切にしなければならないのです。
 特に法律や国家のシステムを議論する時はなおさらです。
 最近はなんでもかんでもお上バッシングの材料に、物事を深い考えずにインパクトのあるワンフレーズだけが聞こえがいいならそれだけでバッシングの材料にしてしまう風潮がありますが、その場だけの言葉だけでは後々大きな欠陥を引き起こしてしまいかねません。
 
 やえは、さっきも言いましたように、本来「小さな政府」というモノには懐疑的です。
 国家は大きな力を持って強い影響力を持ち、今回のような不正には目を光らせて、事前に予防するコトこそが、国家の本義のハズです。
 今回の件の議論によって、小さな政府議論から国民が脱却し、大きな政府に転換するのであれば、やえは歓迎します。
 ぜひそのような議論になって欲しいと思います。
 
 でも残念ながら、いまの国民の議論は、そこまでに考えが至ってはいないと言わざるを得ないです。
 
 農水省が悪いとか、責任取れとか、こんなコトだけの話をしていてもダメなんです。
 責任論だけの話だと、前には進まないのです。
 一番大切なのは、今後このような問題が二度と起きないように、制度を改善させていく方法の議論です。
 そしてその議論は、農水省だけをどうにかいようという視点だけでは、すぐに行き詰まってしまうコトでしょう。
 まして農水省を、どんな方法でもどんな理由でもとりあえず叩いておけというような態度では、絶対に先は見えてこないでしょう。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、責任ある国民の議論を応援しています。
 

平成20年9月28日

 ありがとう広島市民球場

 ありがとう広島市民球場。
 さあ、クライマックスシリーズです!!

平成20年9月29日

 気持ち悪い空気再びか

 やえは「日本人って○○だ」という言い方はあまり好きじゃないんですが、こういう空気になってくるとどうしても思わざるを得ません。
 日本人ってやっぱり“右向け右”の悪癖が抜けきれないのでしょうか。
 事件が起きればお上のせいにし、大臣が発言すれば言葉狩りをし、立候補者が発表されると世襲だ世襲だと騒ぐ。
 程度の差はあれ、テレビのどのチャンネルを回してもベクトルは全く同じ方向に批判を口にするコメンテーターばかりで、やえは朝からゲップが出そうでした。
 違う方向からシッカリと検証しようという気概がないのか、それともみんなと同じ方向にしゃべられないと不安なのか、実際のところはどうなのか知りませんけど、こういう全体主義空気は本当にイヤですね。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 やえはVNIなのでゲップはしません。
 
 今日は日教組のお話をするコトにします。
 前拉致問題担当大臣の中山恭子先生のダンナさんで、国土交通大臣になられた中山成彬先生が、失言をしたとかいうコトで辞任に追い込まれました。

 「学力低い」「ごね得」中山国交相の発言に与野党から批判
 
 「大分県の教育委員会の体たらくなんて、日教組(が原因)ですよ。日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い。日教組の強いところは学力が低い」
 「日本は随分内向きな単一民族といいますか」
 「(成田空港の滑走路拡張問題は)ごね得というか、戦後教育が悪かったと思いますが、自分さえ良ければという風潮の中で、空港拡張も出来なかった」 

 後に中山先生は、「単一民族」と「ごね得」に関しては撤回されましたが、「日教組問題」に関しては今でも信念を持って発言を続けられておられます。
 
 まず撤回された2つについて、簡単に触れておきましょう。
 「単一民族」に関しては、まぁこれは事実誤認と言わざるを得ませんね。
 日本においては、いゆよる大和民族と他民族との割合がものすごく大きいので、時に単一民族国家と感じてしまうコトもあるワケですが、とりあえず事実としては違うとしか言いようがありません。
 ただ、広い意味で、国内においてひとつの言葉でどこでも通用したり、ある程度の部分まで常識が共有できたりするのは、たいへんなメリットです。
 こういう国は日本以外ではなかなかないモノだったりします。
 と、この辺については議論は色々とあるとは思いますが、とりあえず事実としてはやはり単一民族国家ではないですから、事実誤認は事実誤認です。
 
 次に「ごね得」ですが、やえは成田問題はあまり詳しくないので、あの辺の出身の人に話を聞いてみたのですけど、「大臣の言うとおりだ」という返事が返ってきました。
 ああいうのはヤクザや利権屋のような連中ばかりで、むしろ地元民は迷惑だ、だそうで。
 まぁなんとなく、すでに運動自体が目的化してしまっているちょっとアレな人たちなんじゃないかなっていう印象はありますよね。
 利用者からの視点で言えば、成田はちょっと都心から遠すぎですから、そう言うならさっさと羽田空港を成田並みの国際空港にしちゃえばいいんじゃないかと、素直に思います。
 その方が日本全体としてメリットはとても大きいと思うので、ぜひその方向で国土交通省は検討していただきたいですね。
 
 さてでは、本題の日教組問題です。
 やはり広島出身の身としましては、日教組への批判というのは納得するところが多いというのが個人的感想です。
 中山先生は大分県のお話をされていますが、広島についてのお話をするのであれば、どうしても日教組はガンだとしか言いようがありません。
 一昔前の話になりますが、広島の教育は、日教組と部落解放同盟と、解同出身の小森龍邦当時衆議院議員と民主党の菅川健二当時参議院議員にメチャクチャにされたという歴史を持っています。
 例の世羅高校の校長先生の自殺にも発展した「八者懇談会合意文書」っていうのも、広島の教職員組合の存在があったからこそです。
 「日教組はガン」と言う言葉に、こういう実情を知っている身としては、深く頷くしかありません。
 
 中山先生が具体的にどのような発言をしたのか、この記事だけでは分かりませんし、テレビや新聞の報道を見てもハッキリとは分かりません。
 マスコミは時に切り貼りをして、自分たちの都合のいいように解釈できるような言葉に改変するコトはよくありますから、中山先生の真意を知るためには全文を読まなければ判断できないでしょう。
 特に日教組の問題というのは、都道府県によって偏りが出る問題です。
 県によっては、組織率がとても高くても、学力が全国でもトップレベルというところもあります。
 ですから必ずしも「組合の組織率が高い=学力が低い」とは言い切れません。
 また、組織活動そのものの温度差もあります。
 さらに言えば、単純に組織率だけではなく、その学校で権力を持っている教員が組合員かどうかという点もあるでしょう。
 組織率が低くても、その学校の中核を担っている教員が熱心であれば、結果的に全体としてそういう方向に行かざるを得ない場合というのもあるワケです。
 学校の先生の中にも陣列があるというコトぐらいは、そしてそういう先生に多くの先生が従っていたというコトに、子供心にもなんとなく気づいていた人は多いと思います。
 ですから単純に「組織率が高い=学力が低い」とは言えません。
 組織率が低くても日教組の影響力が強かったり、また組合に関係ないところでの学力の問題も、当然場所によってはあるでしょう。
 
 そういうコトを差し引いて考えた場合、紋切り型に全国的に日教組の存在そのものを断じるコトはなかなか難しいと言わざるを得ませんが、しかし少なくとも、山中先生が名指ししたのは大分県であり、やえは大分の教育がどうなのか分かりませんが、これが広島ならやえは大いに納得するでしょう。
 正しいコトを言っていると思いますし、大臣を辞任する必要など全くない発言ですし、これを非難する人はおかしい人だなぁとしか思えません。
 そしておそらく、いろんな人の言説を聞くに、大分県も日教組の弊害がとても出ている土地なんだと思われます。
 ですからこれはやっぱりマスコミなどによる言葉狩りではないかとやえは今のところ感じています。
 
 単一民族発言にしても、成田ごね得発言にしても、全文を読んでいませんので、実はまた違う意図が中山先生にはあった可能性はあります。
 特に単一民族発言は、「単一民族国家のように内向きになってはいけない」というような趣旨の発言だったという話もありますので、そうであればやっぱりこんなの言葉狩りでしかないとしか言いようがないでしょう。
 ですから中山先生の発言そのものに対する評価はいまのところちょっと難しいですが、しかしここまで大騒ぎして、連日連夜非難囂々責め続けるほどの発言ではないというのが、実情にあった評価なのではないでしょうか。
 
 なによりもイヤなのが、こういう雰囲気です。
 特に日教組の発言というのは、少なくとも大分の件に関しては、事実誤認ではなく中山先生のご意見です。
 意見に対して反論するコトは普通の議論ですが、意見に対して辞任を求めるというのは、これは一種の言論弾圧です。
 最近はやっとなくなりましたが、一昔前では、朝鮮半島や中国に批判的なコトを言えばクビを切られたり、核武装の意見を言うだけで、憲法改正の可能性を言うだけでクビを切られるようなコトが昔はありましたが、今回の構図はこれらと同じなワケです。
 日教組という組織に対する功罪への評価はあってしかるべきです。
 今回山中先生は国土交通大臣という立場だったのでちょっとズレてる感は否めませんが、政治家として、日本の行政府である内閣を構成する閣僚の一人として、日本を良くしようという考えで意見を言ったコトそれ自体は、決して誰にも止められるコトは出来ないでしょう。
 事実広島の教育は、日教組とはよく対立する中央の文部科学省から直接キャリア官僚を4代続けて教育長として送り込むという異例の措置を執り、なんとか立て直して来つつあるという状況でして、つまりは日教組の弊害が形として見えているとも言えるワケですから、こういう風にキチンと功罪の評価をし、批判すべきところは批判して、広島のため日本のためにより良くしていこうという議論は大いにやるべきです。
 しかし大臣を辞めろというのは、その議論そのものを否定し、議論自体すべきでないと言っているようなモノで、言葉狩りであり、言論弾圧そのものだとしか言いようがありません。
 
 日本と日本人は、北朝鮮の件で、こういう言葉狩りや言論弾圧のバカバカしさ愚かしさ、むしろ日本を悪くするコトにしかならないというコトに気づいたハズですが、実はそうではなかったのでしょうか。
 北朝鮮の問題は、国民自身が朝鮮半島をタブー化してしまったコトによって、手遅れと言ってもしかたないぐらいの状況を作ってしまったのです。
 日本はまた同じようなコトを繰り返してしまうのでしょうか。