☆やえニュース☆

  田母神さんのお話マスコミ主権選挙真の民主党の姿を具体的に麻生さんが何をしたのか公平性についての考え方麻生メルマガレビュー都議選の結果について簡単に /

平成21年7月1日

 田母神さんのお話

 田母神さん、人気ですね(笑)
 というワケで、予想以上に反響がありますもので、もうちょっとやえの感想でも書いてみたいと思います。
 
 「日程は主催者に言え」という意見をいっぱいいただいていますが、まぁそうですね。
 主催者にも言うべきコトなんだろうと思います。
 主催者、日本会議でしたっけ?
 あの団体、やえあんまり好きじゃないんですよね。
 理由は特にないんですけど、なんのために存在している団体なのか、思想や言論だけの集団でしたら、それはある意味宗教みたいな実体のない団体としか言いようがないので、どうしても好きになれないんですよね。
 似たような考え方を持っている人の作家集団とかでしたら、また別の印象も持つのかもしれませんが。
 と、まぁ今回の件についてはそれは蛇足ですが、それも併せて今回のコトについては、主催者も込みでやえは悪印象を持っているのかもしれません。
 
 ただやっぱり最初にどうしても田母神氏に対する悪印象が強いので、それは退任騒ぎのアレですが、だからこそ「この人なら広島を踏み台ぐらいにしか思ってないんじゃないか」という不信感が余計に出てしまうというのは、否めないところです。
 別のところのご感想で「北陸人としては気にしすぎと感じましたぜ。いつも理論的なのに今回は感情的じゃないですか?」というのをいただいたのですが、そうです、今回のは完全に感情論なんですよね。
 広島の人間としての感情と、さらにプラス、田母神氏に対する感情が、相乗効果で強い嫌悪感に繋がっているんだろうと思っています。
 
 しかし感情論だからと一言で切り捨てられない問題だとも思っています。
 例えば、天皇誕生日に皇居の目の前にあるパレスホテル(今は閉鎖されてますが)で「天皇制反対集会」とかしたら気分悪くする人いっぱいいると思いますし、結婚式やってる隣で「結婚制度は無意味でバカがやるモノだ集会」とかしたら多くの人は怒ると思いますし、葬式している正面で「死ねば人間も全てゴミでしかなく葬式など金の無駄でなんの意味もないくだらいなモノだ集会」してたら遺族なんかは殴りかかるかもしれません。
 当事者になって考え見ればどれも怒って当然だと思うかもしれませんが、でもこれはやっぱり全て感情論ですよね。
 しかも人によって、レベルによって、ケースによって、感じ方も代わってくるワケです。
 結婚式の例なんて、こんな小競り合いしてても、関係ない人は野次馬で「もっとやれやれ」なんて言う人もいるかもしれません。
 感情なワケですから、人それぞれあって当然です。
 だけど、これらは決して感情論だという一言で切り捨てられる問題ではないでしょう。
 とても人間としては大切な感情だと思います。
 
 今回はそこをどう考えるかという問題もはらんでいるんだろうと思います。
 例えば、さっきの例で言っても、それでもやっぱり言論の自由は守らなければなりませんから、葬式している前の変な集会を暴力でもって排除するというのは、民主主義国家の国民としてはやってはならないコトでしょう。
 やえも、田母神氏に対して、そこまでを要求しようとは思っていません。
 ただですね、やえの中で田母神氏というのは、「そういうコトをする人だ」と、改めて認識を持ったというコトです。
 やえは常々広島出身の人間として、広島人のゆがんだ平和観や核兵器観は変えていかなければならないと思っていますが、それは正しいコトを正しい場で堂々と主張するコトで成されていくべきであって、広島の人間に喧嘩を売って切り捨てて踏み台にして達成していくモノではないハズだと思っています。
 言論は正々堂々と言葉や文章によって成されるべきであり、それを勘違いして、主張が相容れない人間は暴力や様々な力によって人間ごと排除すればいいとしてしまうのは、それはただの全体主義でしかないでしょう。
 失敗した社会主義でしかないハズです。
 よくよく考えてもらいたいのです。
 果たして広島の人間は、保守系の思想にとって敵なのでしょうか。
 そして敵なら、どんなコトをしてもいい、気持ちを踏みにじって、売名行為のエサにしてもいいと、そう言えてしまえるモノなのでしょうか。
 この辺をやえは“人として”疑問に思うワケです。
 
 御意見板にも書いてありますが、やえもはじめはほっとこうかなと思っていました。
 取り上げれば、それは結局田母神氏の売名行為に加担するコトになってしまいますからね。
 ですから一番いいのは、冷たい目で放っておくのが一番だったと思います。
 ただ今回やえが言いたかった、いえ、知ってもらいたかったのは、こういう広島の人の思いの存在です。
 敢えて言いますが、広島の人間の“特殊な”思いです。
 おそらくこういう思いが他県…他市の人には理解されないだろうなぁというのはやえは分かっています。
 それは今は広島を離れているやえが、一番よく分かっていると言ってもいいかもしれません。
 ただ今回は、その上で敢えて「知ってもらう」ために書いてみました。
 
 例えばですね、原爆のコトをたまに「ピカドン」と言う人がいますが、これやえからしたら、すごく気に障るんですね。
 なぜかと理由を尋ねられても理論的な答えは出来ないのですが、それでもすごく気に障ります。
 しかしこれを突き詰めて「原爆をピカドンと呼ぶな」とか言ってしまうと、それは言葉狩りや差別の問題にまでつながってしまいますのでそんなコトは言うつもりありませんし、特に「ピカドン」という表現についてはどれだけ嫌悪感を持つ人が広島の人間でもいるのか分かりませんので、ここは完全にやえのひとりよがりかもしれません。
 また、前回は違うとは書きましたが、やえの中で広島の原爆を神聖不可侵化したいという思いというのは確実にあるというのも事実です。
 核の問題を書くときは、極力こういう根拠に基づかない感情をやえの中では排除しようと意識しながら書いていますが、やえの中にそれが無いとは否定できません。
 そしてこの感情を、他人に理解してもらおうとも思いません。
 だって理解しろと言っても、それは他人にとっては理不尽でしかないですからね。
 理論的な根拠もないですし。
 でもまぁ、なんと言いましょうか、こういう人もいるんですと、そう言いたかった伝えたかったというのがあります。
 
 人間って、感情を理解した上で理屈を並べられるっていうところもあるのではないでしょうか。
 やえは前回も言いましたように、機が熟せば核武装も必要だろうとは思っていますが、しかし核兵器の恐ろしさもものすごく分かっているつもりです。
 人を人でないものに変えてしまうのが核兵器です。
 ただ殺されるとか、そういうモノとはまた別の次元にあるのが核兵器です。
 この辺よく分からない人はぜひ一回広島の原爆資料館に足を運んでいただきたいと思いますが、そんなやえでも、核兵器保持の可能性を一切否定しようとは思いません。
 そんな中で、いま日本の中でも核保有論の議論がちょくちょく起きていますが、でもなんか、やえからしたら、反対にせよ賛成にせよ、どうしても議論の質が軽いと感じてしまうのです。
 それは多分、言葉を発している人に実感がこもってないからじゃないかなと、感じています。
 九条を宗教のように祀っている反対の人も、ただ核兵器を持てば大国になれるとある意味北朝鮮のように盲信している賛成の人も、やえには全然その言葉から実感を感じないのです。
 田母神氏もそうです。
 前回「芸人のように」と表現しましたが、注目されるのがまずありきで、言論の中身は手段でしかないという感じを受けて仕方ないのです。
 もし今回の件、本当に広島と原爆のコトを分かっている人が8月6日に広島で核保有の講演をするというのでしたら、また印象が変わっていたかもしれません。
 これは感情論と言えばそれまでですが、でも言論って、相手に受け止められてナンボですから、それはそれで大切なコトなのではないでしょうか。
 
 人間なのですから、人間の感情を理解した上で言葉を発しないと、それはただの独りよがりにしかならないでしょう。
 田母神氏の言動はいつも、ここが欠けているようにしか感じないのです。
 
 ごめんなさい、かなりとりとめのない文章になってしまいましたが、今回のやえの更新を読んでいただいて、なにか感じられたのであれば、やえはそれで十分です。
 今回の更新についていっぱい反応をくださりまして、とても感謝しています。
 たまにはこういう感情的な更新をした方が、反応がいいのかもしれませんね(笑)
 

平成21年7月3日

 マスコミ主権選挙

 なんかもう末期としか言いようがないですね。
 次の総選挙の呼び名をなんて呼ぶか、これもまたマスコミが勝手に名付けるのでしょうけど、やえ的には「マスコミ主権選挙」と呼ぶのが相応しい選挙になると思っています。
 
 もし民主党鳩山代表がいま抱えているスキャンダルと同じようなスキャンダルが閣僚に発覚していたとしたら、いったいマスコミはどれだけ大騒ぎしていたコトでしょうか。
 それはいままでの過去のコトを考えれば、想像に容易いでしょう。
 しかし今はどうでしょうか。
 次の総理に今のところもっと可能性が高い人間にも関わらず、ほとんどマスコミは鳩山代表のスキャンダルはスルー状態です。
 たまに扱うとしても、同時に麻生さんへの悪口を付け加えて、そちらの方を大きく大げさに取り扱って、印象操作をしています。
 
 例えば昨日の衆議院の「政治倫理」を扱う委員会が開催されたのですが、なんと民主党議員は全て欠席したのです。
 なぜ欠席したのか理由は不明ですが、あまりにも分かりやすいこの行動、でもこれを取り上げているマスコミほんの少しではないでしょうか。
 このニュース、むしろ知らない人の方が多い気がします。
 しかも、欠席のニュースを流すと同時に、麻生さんに対する自民党内の動き、また人事を行わなかったコトに触れ、政治のニュースとしては「麻生総理の指導力が低下しています」と言って、締めるワケです。
 一体政治とはなんなのでしょうか。
 国会審議こそが政治の中心のハズなのではないのでしょうか。
 
 結局、どんな政策も政局もスキャンダルも、マスコミの胸三寸でどうにでもなるのです。
 
 ちょっと前に、佐藤総務大臣に次のようなスキャンダルが舞い込んできました。

 談合会社が佐藤総務相側に献金か 1100万円、返金を指示
 
 25日の参院総務委員会で共産党の山下芳生議員は、佐藤勉総務相が代表を務める自民党栃木県第4選挙区支部に、談合で公正取引委員会から排除勧告を受けた建設会社など6社から計1142万円の献金があったと指摘した。
 公取委は2005年10月、宇都宮市発注工事をめぐり41社に排除勧告し、01年以降の談合を認定。山下氏によると、うち渡辺建設など宇都宮市内の5社は01〜07年、1社につき年10万円から50万円を同支部に献金していた。

 よく読んでもらいたいのですが、公取が排除命令を出していた会社から献金を受けていたというのがこの問題の本質であり、もし佐藤大臣側に非があると敢えて言うのであれば、それは「この会社が排除勧告を受けていたと知っていなければならなかった」という意味になります。
 しかしそんなの、ちょっと現実的な批判と言えるでしょうか。
 正直、年10万円から50万円という額は大きい方とは決して言えませんし、そもそも政治家というのは民間企業と違ってお金のやりとりが本業ではない以上、いちいち時間と手間をかけて政治家側が会社の内情なんて調べるでしょうか。
 もし、小沢民主党前代表の問題のように、政治家側が知っていた証拠がある、もしくはむしろ政治家側が主導して会社と結託してやっていたというのでしたら相当に悪質ですが、そうでないなら、むしろ政治家側は被害者と言っても良いでしょう。
 でなければ、これを利用して貶めようと出来ないコトもないですからね。
 「政治家なんだから注意しろ」と言われたら、政治家側としては「その通りでございます」としか言えないでしょうけど、しかしそういうのは、問題の本質はどこにあるのかというところを国民がしっかり見るべきだと思います。
 
 しかし鳩山代表の問題は、こんな甘いモノではないようです。
 今判明しているだけでも、献金していない人の名前を勝手に使って報告書に記載していたという問題があり、そしてその中には既に亡くなっている方の名前すらあるというのですから、これは明確に政治資金規正法違反と言えるでしょう。
 また、まだ疑惑段階ではありますが、こちらの記事にありますように、匿名献金の総額が鳩山代表は突出しているという問題があります。
 これは、献金額によっては収支報告書に支出者の名前を書かなくてもいいという規定が政治資金法にはあるのですが、それは「ひとりにつき5万円以下」などのルールがあるだけで、総額については規定が無く、つまり5万円の献金が100人いれば、匿名献金が500万円という仕組みになっています。
 つまりですね、本当はある団体からたくさんお金をもらっているのに、その名前を出したくないので、少額匿名献金扱いをたくさん書いてごまかしているのではないか、という疑惑なのです。
 もちろん本当に数千人から5万円以下ずつ献金してもらっていたら問題がないので、そうであれば「さすが友愛の政治家」と言えるところなのでしょうけど、しかしまだまだ疑惑段階ではありますが、勝手に名前を使っての献金や、「故人献金」している鳩山代表ですから、疑いの目がますます厳しいくなるのが自然だと言えるでしょう。(テレビキャプチャ画面ですが、参考というコトで
 さらにさらに、北海道の地方議員などに機械的に献金されているという問題もあり、いまのところ疑惑のデパート状態になっていると言えます。
 小沢前代表の問題もそうなのですが、鳩山代表の問題も、本来なら大問題として扱うべき内容をはらんでいる問題なのではないでしょうか。
 
 でもマスコミの扱いは、この程度です。
 このどうしようのない差、えこひいきの差はなんなのでしょうか。
 
 そもそも麻生さんはご自身の口から一言も人事を変えるなんて言っていませんでした。
 兼任が多い大臣については補充すべきだと前々から言ってましたが、改造するとか人事を変えるとか、麻生さん本人の口からは言っていません。
 それなのになぜ、麻生さんが人事をしなかったコトについて、他人に責められる筋があると言うのでしょうか。
 自民党の中に麻生下ろしの動きがあるのは事実です。
 それを報道するのもいいですが、マスコミは順番を間違えいるのではないでしょうか。
 
 国会をサボる、しかも政治倫理に関する委員会を「なぜか」サボる問題よりも、自民党の一部の若手議員の動きの方が重要なのですか?
 次期総理と目されている民主党代表のお金の問題よりも、言ってもいない人事について静違いにも総理を責め立てる方が日本にとって重要なのですか?
 それらはスジが通っている批判ですか?
 言いがかりのレベルではないのですか?
 
 次の選挙は、政治ではなく、ワイドショー的な見た目による選挙となりそうです。
 いくら補正予算を次々に組んで、その効果かどうかはともかくとしても、株価は1万円台を回復したのにも関わらず、ただ郵政公社の社長のクビの問題だけ、それも西川社長が良いか悪いかというコトすら議論されずに「麻生総理の求心力が落ちた」というレッテルだけで、政治の全てが否定されるかのような報道をされ、そしてそれが選挙の結果に直結するのです。
 ワイドショー選挙以外なにものでもないでしょう。
 本来的な意味で言えば、国民がもっと賢くなって本質を見る力を得るべきですが、それにしてもこのマスコミのなりふり構わない態度は、もう末期としか言いようがありません。
 
 いよいよ「国民主権」ではなく「マスコミ主権」が達成される選挙となりそうです。
 

平成21年7月6日

 真の民主党の姿を

 世の中いろんな人がいますから、支持する政党、投票する政党というのは様々あって当たり前です。
 自民党を応援する人もいれば、民主党を応援する人、公明党や社民共産だって、一定数の支持層がいるからこそ国会議員が存在しているというのは紛れもない事実です。
 そして次の衆議院総選挙が間近と言われるこの頃は、このままいけば民主党が勝利する雰囲気になっていると言えるでしょう。
 
 しかしやえが気になるのが、果たして民主党という政党を正しく把握している人が、国民の中でいったいどれだけいるのだろうかというコトです。
 
 例えば自民党の中で、保守系の人には賛成できないような政策を推し進める最たる議員は誰かと聞けば、おそらくちょっとでも政治が詳しければ、普通に何人か名前が挙がるコトでしょう。
 河野洋平衆院議長とか、加藤紘一元幹事長とか、人によっては河野太郎さんの名前を挙げる人もいるでしょう。
 河野太郎さんなんて、前の国籍法改正の時のネットのバカ騒ぎで完全な濡れ衣を着せられて、それが広く知られてからもネットではほとんど謝罪がされないままイメージだけで批判されましたが、どちらにしても、自民党の議員の場合は政治信条や法案に対する言動というのは、けっこう国民の知られるような環境になっていたりします。
 やえが言うのもなんですが、人権擁護法案の時だって、本来クローズドであるハズの自民党内の議論なのに、だれがどのように発言して、誰が賛成なのか反対なのか、そんなコトまで簡単に分かってしまうのが自民党であるワケです。
 
 しかし民主党はどうでしょうか。
 先日の更新でも触れましたように、明らかにマスコミの報道の仕方が偏りすぎています。
 よく思い出してみてください。
 小沢民主党前代表の問題は、あの時から全く事態は変わっていないというのに、代表から代表代行になっただけで報道がピタッと止まってしまいました。
 そもそも民主党の「国策操作だ」というセリフ自体が、民主主義国家日本を冒涜するセリフ以外何者でもないのに、まして一部のマスコミはそれに迎合して、一緒になって「国策操作だ」と合唱する有り様です。
 本来、小沢前代表の問題よりも「国策操作だ」というセリフの方が危険な問題であり、そっちの方で民主党という政党が解党してもおかしくないぐらいの大問題だと思うのですが、しかし実際は、もはや無かったコトかのようにこの問題が取り上げられなくなってしまいました。
 今の鳩山代表の問題もそうですが、こういう民主党の体質、そしてマスコミの体質を、どれだけの国民が正しい把握しているでしょうか。
 
 民主党にはこんな国会議員もいます。

 白眞勲
 
 白 真勲(白 眞勲、はく しんくん/ペク・チンフン(原語読みでは連音化してペク・チヌン)、1958年12月8日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
 元朝鮮日報日本支社長。
 
 帰化後の発言
 「(石原人気は)我々韓国国民にとって、不思議な現象にしか見えない」(2003.11.2 TBS サンデージャポン)
 「我々韓国人は『東海』を『日本海』とは呼べない」(2003 朝鮮日報)

 やえは、帰化した日本人は日本人として認識すべきであると思っていますし、外国人参政権付与法案に対しても、それに賛成しているからと言って「議員失格」とまでは言いません。
 政治信条はそれぞれありますから、そういう立場の議員もいても不思議ではありません。
 もちろんやえからしたらその立場や主張を肯定するつもりはさらさらありませんが、それでも立場や主張の存在自体は尊重します。
 言論の自由や思想の自由は、自分とは違う立場であっても尊重してこそ守られる自由ですからね、ですから主張だけで議員の存在をどうこう言おうとは思いません。
 
 しかしこのハク議員は、そういう立場を越えてしまっているとしか言いようがありません。
 この人は、日本に帰化しているのに、まだまだ韓国人であるという意識で日本の国会議員をしているとしか思えない言動を繰り返しています。
 詳しくはいろいろと検索していただければと思いますが、これがまだ日本に滞在する外国人の意見でしたらまだしも、日本に帰化し、まして日本の国会議員としての発言なのですから、トンデモナイとしか言いようがありません。
 さっきも言いましたように、ハク議員が日本人として日本のために議員活動しているというのでしたら、ここまで言いません。
 また外国人参政権付与法案に賛成しているだけでも、ここまでは言いません。
 例えば民主党には元フィンランド人のツルネン議員もいらっしゃいますが、やえはそこまでこの人のコト知りませんけど、チラッと検索しただけでもこの人は日本のコトが大好きなんだなぁと感じられる人であり、こういう人なら応援とまではいいませんが、こういう人も国会議員の中にいていいんじゃないかぐらいは思います。
 しかしハク議員はそうではありません。
 国家とは、最悪外国と戦争する場合だって可能性があり、政治家はそれを決断する立場にあるワケですが、それなのに、日本の国会議員として韓国の利益のために動いている議員がいるというのは、あまりにも危険すぎると言いようがありません。
 果たして、ハク議員が竹島の問題などをどのように考えているのか、“東海”の問題を見るまでもなく、とてもじゃないですけど日本の利益を擁護する責務を負う日本の国会議員の考え方であるとは思えません。
 
 こういう危険な人が民主党の中にいるってコトを、果たして国民の中で何割の人が正しく把握しているでしょうか。
 もしですね、国民がこの問題をキチンと正しく把握していて、その上でハク議員のような人がいる民主党を応援すると言うのでしたら、それはそれでひとつの尊重すべき主張かもしれません。
 やえはその考え方を肯定できませんが、韓国のために働く日本の国会議員の存在が正しいと、韓国の利益のために日本の力の全てを使うべきだと、本当に日本の国民の多くが思うのでしたら、それはひとつの考え方であり、尊重すべき選挙の結果だと言えると思います。
 しかし実際はさすがにそうではないでしょう。
 こういうハク議員のような国会議員が民主党にいるってコト自体、知らない人の方が多いのではないでしょうか。
 年金の時の、職員の怠惰勤務態度を主導した労働組合の幹部が民主党の立候補者になっていたという事実を知らないままに、年金問題の責任の全てを自民党に着せようとした日本の雰囲気と同じ構図ですが、果たしてこのような「基本的で正しい情報」が無いままに投票行動に影響を与える報道の仕方というのは、本当にフェアと言えるのでしょうか。
 
 全てを知った上で民主党を支持するという人は、それはそれで構わないと思います。
 ひとつの主義主張としては尊重されるべき考え方です。
 しかし本当のコトを知らないままに、ただ相手がダメだからという理由で結果的に闇を抱えたままの政党を利する行動をするというのは、あまりにも浅はかな行為だとしか思えません。
 反自民票といくら言っても、それは民主党を肯定している行動以外何者でもないというコトを、ちゃんと自覚した上で、責任を持って投票して欲しいなと思います。
 

平成21年7月7日

 具体的に麻生さんが何をしたのか

 一行ボードにもご指摘いただいておりますように、最近民主党関連の更新が増えています。
 実は自分でも、ちょっと最近たたみかけるように多いなぁとは思っているところではあるのですけど、それでもですね、やっぱり最近の空気というのはとてつもなく気持ち悪いモノがありますので、まだしばらくこの手の更新はしていこうと思っています。
 気持ち悪い空気です。
 この表現は、やえは過去安倍さんが総理の時によく使った表現ですが、本当に気持ち悪いと思いませんか?
 政策がどうこうではないのです。
 ただ「引きずり下ろそう」というそれだけのために、なんのために引きずり下ろすか理由すら存在せず、ただ引きずり下ろすために、敵意剥き出しの悪意を一国の総理に、マスコミとそして国民が向けているのです。
 理由があれば納得できるかどうかの検討はできるのに、理由すらなくただ悪意だけを向けるのですから、それは気持ち悪いとしか表現しようがありません。
 
 一言で言います。
 一体麻生さんは何をしたのと言うのでしょうか?
 誰か麻生さんが総理に向いていない理由を、合理的に、そして政治なのですから政策的に、キチンと説明してもらいたいです。
 
 いま世間は反麻生ムードです。
 支持率は20%を切り、選挙では敗北が普通にささやかれ、自民党に対しても「お灸を据えるべきだ」と何か重大なコトをやらかしたかのように、普通に言われています。
 しかしやえにはどうしても分かりません。
 麻生さんが何をしたと言うのでしょうか。
 ついでに自民党も、果たして本当に具体的に致命的な政治的ミスを犯したと言うのでしょうか。
 それはただの雰囲気、印象だけなのではないでしょうか。
 
 もちろん具体的に指摘できる政治的事象があれば、そしてそれに納得すれば、ああ麻生さんはけしからん、自民党はけしからんとやえも言うコトでしょう。
 そもそもやえは、政策的に納得できないコトがあれば、そうだと指摘してきたつもりです。
 皇室問題や道路公団の問題には時の総理の方針を真っ向から反対しましたし、郵政についても当時からやえはそこまで熱心にやるべき問題ではないぐらいの、ドライな見方を表明していました。
 また他にもいろいろと、特にメルマガではよく時の総理の意見に疑問を呈するようなコトも言ってきましたし、つまり意見として、政治的心情として自分の意見とは違うのであれば、やえはそれを堂々と示してきましたし、国民もそのようにすべきだと思っています。
 それこそが政治を良くしていく最も正しい方法でしょう。
 
 しかしいまはどうでしょうか。
 本当に、麻生さんに対する批判、自民党に対する批判が、具体的に、また論理的理性的にいま行われていると言えるでしょうか。
 麻生さんが総理としてダメな理由を示してもらいたいです。
 
 こんなコピペを見つけました。

 自民党支持者よ、これだけは覚えておけ。
 民主の評価が下がっただけで、自民の評価が上がったわけじゃない。
 
 ・漢字の読み間違い
 ・カップラーメン
 ・ホッケの煮付け
 ・ボールペンのキャップ
 ・バー通い
 ・酒
 ・絆創膏
 ・給付金
 ・母親の命日に墓参り←New!
 ※すべてテレビで放送された事実です
 
 どれひとつとして、我ら国民は決して忘れていない
 国民は、絶対に麻生を許さない、絶対にだ!

 言うまでもなく皮肉のコピペですが、現状を上手く表現しているコピペなのではないでしょうか。
 つまり、麻生さんに対する不支持票というのは、こういう本来政治でもなんでもない、ただの中傷レベルのやっかみをマスコミが喧伝するコトによって、ただ雰囲気だけで反麻生の空気となって、さらにそれをいくつも積み重ねるコトによって、いつの間にか「麻生はもうダメだ」と空気が事実化されてしまっているのが現状なワケです。
 でも、これらは全て、ひとつとして具体的な中身は存在しません。
 嘘を百回言えば事実となる、ではないですが、雰囲気の積み重ねによって、いつの間にか「反麻生」が事実化してしまっているワケなのです。
 
 政治を見るとき、総理大臣を評価する時、果たして本当にこんなレベルで見てしまっていいのでしょうか。
 何度も言いますが、いま株価はかなり回復しました。
 麻生さんは総理になってから一番何をすべきと言ってたでしょうか。
 それは経済対策です。
 アメリカ発の世界同時大恐慌に見舞われた日本の中で、もちろん日本のせいでも麻生さんのせいでも自民党のせいでもないこの不況をどう対処するのか、それを麻生さんは第一に考えて様々な手を打ってきました。
 その中で、国会では野党の無意味な審議拒否で足を引っ張られて大きな時間のロスもありましたが、それでも着実に経済対策を打って、ついに回復の兆しが見えてきました。
 先日日銀も、まだまだ「厳しさ続く」としながらも、景気悪化は「下げ止まりつつある」と発表しました
 これが麻生さんの経済対策によるモノなのかどうかは分かりませんが、しかし政治は結果責任である以上、これは評価するというのが正しい姿であるべきです。
 結果を出しつつある以上、麻生さんがもっとも力を入れている経済対策は評価すべきなのではないのでしょうか。
 
 今の日本の空気は異常です。
 気持ち悪いです。
 本来は、正しいコトを正しいと評価してこそ、間違ったコトは理性的に論理的に間違っていると指摘してこそ、正しい政治が達成されるハズです。
 しかしいま日本で行われているコトは、ただの政治ゲーム、権力ゲームでしかありません。
 そしてなにより、それを主導しているのが、マスコミであり国民であるというコトに、いまの日本にとって一番危惧すべき事柄なのではないかと思います。
 結局それは、政治ゲームに終わるだけではなく、国民ひとりひとりが全て負の遺産として背負わなければならなくなるというコトを認識して欲しいです。
 

平成21年7月8日

 公平性についての考え方

 今日は御意見をいただいております皆様にレスをしたいと思います。
 
 まず、これ定期的に出るのですが、公平性についての問題です。
 マスコミの問題や政治の問題を取り上げると、なぜか当サイトに対しても「公平であるべきだ」という意見が出るのですが、ここでよく考えてもらいたいのは、その公平性とは実のところは何を指し示している言葉なのかが、いまいちあやふやなのではないかと思わざるを得ないというところです。
 
 確かに最近民主党を批判する更新が続いていますが、これだけをもって果たして「公平でない」と言えるモノなのかどうか、考える余地があると思います。
 例えば、人権擁護法案がネットで大騒ぎになったとき、当サイトはほぼ毎日この話題ばかりで更新をしていました。
 おそらくうんざりしてしまわれた方も結構いたと思うのですが、それでもバカバカしいバカ騒ぎに一石でも投じられればと、やえは人権擁護法案の更新をし続けました。
 では果たして、この態度は「公平ではない」と言える態度なのでしょうか。
 もしかしたら人権擁護法案強行反対派の人は、やえのこの態度を「公平でない」と批判していたのかもしれませんが、それはやえからしたら、まるで的外れの批判としか思えません。
 やえにしてみれば、やえはやえの正しいと思う信念を、具体的かつ論理的に、そして出来るだけ分かりやすく書き連ねただけであって、その中身について間違いなどがあればいつでも反論していただいて結構ですけど、時間と分量を多く割いたというだけで「公平でない」と言われるのは、こんなのやえにはどうしようも出来ない批判でしかありません。
 じゃあどうしろと言うのでしょうか。
 もしかして「反対批判をする分量と同じだけ法案反対論を書け」とでも言うのでしょうか。
 こんなの無茶苦茶ですよね。
 ある意味、かけっこのゴール手前で止まって全員で一斉にゴールしましょうというような悪平等と同じ考え方でしかありません。
 当サイトはあくまでやえやあまおちさんが個人的に考えるコト、思想、言論を表明するサイトで、事実だけを伝えるジャーナリズム的情報サイトではありませんので、「考えを曲げてでも分量的公平性を保て」と言われても困るとしか言いようがありません。
 一体「公平性」とは何を指し示している言葉なのでしょうか。
 
 これは「公平性の問題」というよりも「主張の一貫性の問題」と言えますが、やえのマスコミに対する批判の仕方というモノも、よくよく考えて読んでもらいたいところもあります。
 例えば最近の鳩山民主党代表に対するマスコミの批判というモノに対して、どういう構図でやえが批判しているのかを構造的に考えてみてください。
 やえが言っているコトは、「マスコミは自民党の議員の時はこれぐらいの報道をしていたのだから、鳩山代表の時にも同じ扱いをするべきではないのか」というコトであり、基準はやえではなく、マスコミ自身にある問題なのです。
 
 ちょっと前に農水大臣になってマスコミに引きずり下ろされた赤城さんという自民党の議員さんがいらっしゃいますが、絆創膏の人ですね、この人なぜ批判されたのかと言えば、政治資金収支報告書への記載が不適切だからという理由でした。
 主に大きく取り上げられたのは、事務所費の項目が常識的でない数字になっていたからという理由でしたね。
 でもこの“不祥事”って、いま鳩山代表にもほぼ同じ疑惑が持たれているハズです。
 であるならば、マスコミは赤城さんに行ったバッシングと同じぐらいのバッシングを鳩山代表にするのが当然であろうと、職を辞任するまでネチネチしつこくマスコミはバッシングしたのだから、誰に対してもそうすべきではないのかと、そうやえは主張しているワケです。
 例えば、ほぼ同じ状況によって起こされた2つの殺人事件に対して、一方は死刑判決が出たのに、もう一方は懲役20年という判決が出たという問題があったとしたら、どうしてそんなに差が出ているのか、両方死刑にすべきではないのか、もしくは両方懲役刑にすべきではないのか、というコトを言っているに過ぎないワケです。
 基準はやえの感想ではなく、裁判所にあると言えるでしょう。
 これを逆に言えば、過去に行われたマスコミの自民党議員に対してのバッシングが、いまの鳩山代表程度のバッシングであったら、やえはマスコミに対して最近の一連の更新のような批判はしていないでしょう。
 
 例えば政治家のお金の問題でよく報道されるモノの中に、「事件を起こした企業から過去献金やパーティー券を購入してもらっていた」というモノがありますが、これはやえは政治家の不祥事とは思っていませんので、自民党議員であれ民主党議員であれ別政党の議員であれ、この問題でやえは議員さんを批判したコトはないハズです。
 この前も言いましたように、こんなの過去にまでさかのぼって罪をかぶせるようなものであり、またこれは企業側が気をつけるべき問題であって、こんなコトで政治家が責められるのであれば、その政治家を罠に落とそうとするコトすら出来てしまうので、この問題で政治家を責めてはむしろならないとやえは思っています。
 ですから、やえはこのような問題が民主党議員に“発覚”した場合であっても、やえがことさら取り上げて批判したコトはないと思います。
 マスコミの態度をどうこう言ったとしても、民主党議員に対して、けしからんとか辞任しろとか、やえが過去言った覚えはありません。
 もしこういう構図がやえの中にもあったとしたら、その時は遠慮無く、具体的にその箇所を指し示してご批判いただければと思いますが、これは公平性の問題と言うよりも、マスコミの主張の一貫性の問題と言えるでしょう。
 時と場合によって言っているコトが変わってしまっているワケです。
 主張の一貫性というモノは、メディアだけの問題ではなく、公の場に意見を表明する人全員が守らなければならない大切なモノだと思っています。
 こここそがその人の主張の信頼に関わる問題ですから。
 
 話をマスコミの公平性の問題に戻します。
 公平性の問題は、実は立場によってその見方というのは変わってきます。
 当サイトにお越しになっている方々というのは、多くはわりと保守系の考え方を持っている方だと思います。
 最近は時代の変化というかネットの変化というか、全体的にけっこう右に大きく傾いていますので、いつの間にかやえもリベラル側の保守あたりな位置にいるっぽくて、ですから相対的にリベラルの人も当サイトにお越しになって下さっているかもしれませんけど、とにかくやはり保守系の人が多いと思いますし、やえもどちらかと言えば保守系の方に分類されるんだろうなと、当サイトもそういう立ち位置にされるんだろうなとは思っています。
 では果たして、そんな“保守に偏っているサイト”に対して、リベラル〜レフトな方が「公平ではない」と批判してきたら、これをどう考えるべきなのでしょうか。
 確かに、「平和憲法堅持」とか「自衛隊は解体すべき」とか「世界同時革命を実行せよ」とか主張している人にとっては、当サイトは公平とはとてもじゃないですけど言えるバランスではありません。
 では当サイトは、このような批判がされたら、「公平にすべき」なのでしょうか。
 もししろと言われても、やえにはちょっと無理です。
 個人の考えというモノは、結局だれだってある程度は偏っているモノですから。
 そして当サイトは、どこまでいっても当サイトはやえやあまおちさんの個人の思想を発信するサイトでしかなく、当サイトのメインコンテンツは「個人が考えているコト」である以上、そこに公平性という概念は必要不可欠なモノではないのです。
 では果たしてやえに対して「公平であるべき」と言っている人は、自信を持って自分は公平な存在だと断言できるのでしょうか。
 
 情報を発信するジャーナリズムというモノは、これは元々公平性があってこそ存在が成り立つモノでありますので、ここに公平性を求めるのは当然です。
 やえはジャーナリストではありませんが、新聞社はジャーナリストです。
 この差はとてつもなく大きいです。
 
 例えば『しんぶん赤旗』に対して「公平であれ」と言う人はあまりいないでしょう。
 また自民党の機関紙である『自由民主』や民主党の機関紙である『プレス民主』に対して「公平であれ」と言う人はまずいないと思います。
 必ずしも全てのメディアが公平である必要はありません
 もちろんそういうメディアがジャーナリズムであるとは言えませんけどね。
 しかしでは、ジャーナリズムと同じように公平性が求められるべき公教育の場において、『赤旗』ですとか『自由民主』や『プレス民主』を教材として使うというのでしたら、どうでしょうか。
 こんなの当然、批判されてしかるべきです。
 でもその場合、果たしてそれを批判する人が必ずしも公平的な立場であるべきかどうか、例えばそう批判する人に対して「そういうお前は『自由民主』を定期購読しているじゃないか」と別の人がさらに批判するコトが正当かどうかは、また別の問題でしょう。
 公教育の場は公平であるという建前がある以上、それは守られるべきですし、それが守られていない場合はどんな立場の人だって批判するコトは間違いではないでしょう。
 個人的には『自由民主』を購読していても、しかしそれとは関係なく公教育は公平であるべきとされているのですから、その精神に基づいての、というかその精神に基づいていないコトを批判するコトは、誰にだって出来るコトです。
 ここに自分の立場というのはあまり関係ないのです。
 
 新聞やテレビなどは、公平な立場で情報を発信するという建前があるからこそ、その存在を広く認められているのであって、また同時に様々な一般人にはない特権が与えられているワケです。
 例えば記者は国会議事堂の中を自由に歩けますし、望めば議員に対して記者会見を求められますし、国会の中に部屋まで用意されていたりします。
 これらは、情報を歪めず正しく伝えるというコトがあってこそ成り立つ民主主義国家である日本が、民主主義であるからこその担保的な意味で、ジャーナリストに様々な特権を与えているワケであり、そしてそれは正確な情報の提供のためであって、つまりは公平が絶対条件なのです。
 公平でない情報では、民主主義を担保できませんからね。
 たまに「記者クラブは独占的で公平でないので解体しろ」という意見がありますが、その是非はともかく、こう主張する人やサイトが必ず公平な存在でなくてはならないのでしょうか。
 しかし公平であるという建前の大新聞ではこのような主張はいっさいされませんから、むしろやえはこのような主張を公平であるところで見たコトがありません。
 ジャーナリズムという立場がまずどのような立場として存在しているかを考える必要があるでしょう。
 
 ジャーナリズムは公平性があるからこそジャーナリズムとして成り立っていますし、公教育も公平性があるからこそ公教育として成り立っているのであって、まずこの事実は忘れてはなりません。
 そしてそうだからこそ、民主主義国である日本という国家が成り立っているというコトも忘れてはなりません。
 様々な立場で様々な自論を持っているやえやあまおちさんも含めた多くの個人が民主主義のもとで暮らせていけるためにも、ジャーナリズムには公平性が不可欠なのです。
 ジャーナリズムに公平性を求めるのは、実はそれは、公平でない様々な考え方を持っている個人の立場を守るためでもあるのです。
 これはある意味、システムの問題なのです。
 やえはジャーナリストは不要とは決して言いませんし、だからこそ、ジャーナリストである新聞やテレビには公平であるべきだと批判すべき時はしているのです。
 それが民主主義制度の必要不可欠な条件の1つであるからです。
 そしてジャーナリズムが自ら公平な存在であると自認しているという事実は、とても大切なコトであり、それは国家のために国民こそが守らせていかなければならない問題なのです。
 
 意見を表明する、主張する、思想言論というモノは、決して「公平」が「正義」ではありません。
 公平という概念は、何かを他人に伝えるためのひとつの手段であり、それはとても有効な手段ではありますが、しかしこれがなければ公の場に影響を与えるコトが不可能になってしまうかのような絶対条件ではありません。
 ジャーナリズムであると自認し公表しなければ、公平性を担保しない形で何かを他人に伝えるコトは間違ったコトではありません。
 『しんぶん赤旗』も『自由民主』も『プレス民主』も、そしてネット上に数多くあるサイトやブログも、全てそういう存在です。
 そして人間ひとりひとりの考え方はみな違うのが当然なのですから、ここに公平性を求めても無意味です。
 個人の主張と、民主主義の根幹であるジャーナリズムとは、全く次元の違う問題でしかないのです。
 「他人に言うなら自分もそうしろ」というのはパッと見は正しいように思えますが、しかし実のところは根拠のない無意味な空論虚論でしかないのです。
 どちらかと言うと一番の問題は、ジャーナリズムのフリをして公平でない情報を伝えようとする態度であり、それは例えば、公教育の場に『赤旗』を教材として持ち込むような、そんな一部の教員のような存在こそが、民主主義の敵であるとしか言いようがないワケです。
 
 当サイトが公平でないから、やえの言っているコトが公平でないから信じられないとおっしゃるのであれば、それはまぁ仕方ありません。
 その考え方では、公教育への批判は新聞やテレビなどのメディアでないと批判できないというコトになりますから、考え方としてはどうなのかなと思いますが、しかしそれが信念ならそれ以上どうこうしようとはやえは思いません。
 やえは公平性を担保にして、それを売りにしてサイトをやっているワケではありませんので、公平でなければ信じられない読む気がしないとおっしゃるなら、それはもう残念ですねそれで結構ですと言うしかありません。
 当サイトが公平だとは思っていませんし、そうするつもりも全くありませんから、信じられないのであれば残念ですと言うだけです。
 しかし公平性と、主張の一貫性とは、全然違う問題であるというコトは、まず正しく認識してもらいたいです。
 ここを勘違いしていないでしょうか。
 やえはこれからも、主張の一貫性は大切にしていきたいと思っていますが、公平性は、それがなくても思想の主張は出来ますので、「右も左も逝ってよし!」という、立場にとらわずに自分の主張をまずしていくんだという宣言どおりに、つまり公平性というモノにもとらわれないという、そういうスタンスでやっていこうと思っています。
 ここを読んでくださっている方には、その上でやえやあまおちさんの考え方を、それぞれご自分で判断していただければと思います。
 
 今日は御意見板の方にもレスしようと思ったのですが、思いの外長くなりまくったので、そっちの方はまた別の機会にレスさせていただきます。
 

平成21年7月9日

 麻生メルマガレビュー

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  ■○■○■   麻生内閣メールマガジン第38号    ■○■○■ 
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 ▲△麻生内閣の主な政策体系「私の目指す日本」がご覧いただけます。▽▼
 http://www.kantei.go.jp/jp/seisaku/aso/index.html
 
 ★☆今週号では、新任大臣2人と塩谷大臣が登場します。
 また、出井伸之氏に美しい森林づくりについて語っていただきました。☆★
 
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 ●麻生太郎の「強く明るく」
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 [ラクイラ・サミットにて]
 いま、サミットが開催されている、イタリア・ラクイラに来ています。ここ、ラクイラは、今年4月、地震に見舞われ、多数の尊い人命が失われ、地域が甚大な被害を受けました。
 私も現場を目のあたりにして、あらためて被害の大きさを痛感しました。日本は、有数の地震国です。被災地が1日も早い回復を遂げ、被災された方々が通常の生活を取り戻せるよう、我々の経験とノウハウを活かした、さまざまな協力策を、ベルルスコーニ首相とチャレンテ市長にお伝えしました。このサミットが、少しでも復興のきっかけになればと、思わずにはいられません。
 
 こんにちは麻生さん。
 なんだかそろそろいろいろと不穏な感じになってきましたが、麻生さんはG8のためにイタリアですね。
 ところでイタリアも世界有数の火山国であり地震国なんですよね。
 でもおそらく日本ほど地震に対するノウハウや技術を持っている国はないと思いますので、この際出来る限りの支援を日本としてはしたいところです。
 キチンと恩を恩と感じる国に対しては特にですね。
 
 今晩のワーキング・ディナーでは、国際政治の問題を議論する予定です。わが国からは、北朝鮮によるミサイル発射や核開発について、G8として、これを強く非難するとともに、北朝鮮に対し、解決に向けた具体的な行動を求める、強いメッセージを出すよう、呼びかけるつもりです。
 先週の弾道ミサイルの発射は、国際社会の安全保障への重大な挑発行為です。安保理決議に明らかに違反する行為であり、断じて許されません。
 わが国は、国連安保理決議1874号をうけて、北朝鮮の武器の輸出入の防止のための船舶検査を可能とするため、船舶検査法案を閣議決定し、国会に提出したところです。引き続き、国際社会と一致協力して、北朝鮮に対する圧力、措置の強化を進めていきます。
 
 ニュースに出ていました。

 G8 北を強く非難 サミット首脳宣言 拉致解決にも言及
 
 主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)は8日夜(日本時間9日未明)、主要8カ国(G8)が政治・安全保障問題を討議し、北朝鮮の核・弾道ミサイル発射実験を強く非難、国連安全保障理事会決議1874号の制裁規定を「完全かつ透明性をもって履行することを国際社会に要請する」とした首脳宣言を取りまとめた。核不拡散では、6日の米露首脳会談での核軍縮に関する合意を歓迎、「核兵器のない世界の状況を作ることを約束する」とした。
 北朝鮮問題では、麻生太郎首相が核・ミサイル実験に対し「国際社会の声を無視するものだ。断固とした立場で臨むべきだ」と主張。各国首脳からは「北朝鮮の問題はアジアだけの問題ではない」と首相を支持する発言が相次いだ。
 首相は拉致問題も取り上げ、首脳宣言には「北朝鮮が、拉致問題を含む人道上の問題に対する国際社会の懸念に直ちに取り組むことを要請する」との文言が盛り込まれた。

 ロシアが強い表現には懸念を示していたという報道もありましたが、しかしロシア以外の国がそれを許さなかったので、一国では押し切れなかったのでしょう。
 またそこでの麻生さんの存在も、決して小さくない役割を果たしたと思います。
 そしてG8という会合も、日本にとってはとても有意義な場であると言えるでしょう。
 国連の安保理での日本は常任理事国ではありませんが、G8では核となる国です。
 自分のコトを卑下しないと気が済まない日本人が少なくありませんが、なんだかんだ言ってもキチンとこういう結果を出しているのですから、誇るべきところは誇るべきだと思います。
 むしろ、これは前も言いましたが、日本としては常任理事国でない国連安保理よりも、G8もしくはG7こそに力を入れて取り組む方が国益となるのではないでしょうか。
 
 ところで、サミットに先立ち、バチカンを訪問し、法王ベネディクト16世に謁見させていただきました。世界でカトリックの信者の方は11億人。バチカンとの関係強化は、外交力につながります。
 日本の首相で、戦後、初めて法王に謁見したのが、私の祖父の吉田茂。私自身もカトリックです。法王とお会いするのは、あらためて身の引き締まる思いがしました。
 
 麻生さん、一部では有名ですが、実はクリスチャンなんですよね。
 ですから、なんかこう、失礼ですが、実は麻生さん今回はサミットよりもローマ法王に謁見される方が目的としては強いんじゃないかと、勝手に想像していたりしています。
 カトリックとしてこれ以上の栄誉はないでしょうからね。
 しかし法王も、キリスト教国でない日本の総理が会いに行って、しかし総理自身はカトリックと、これをどのように受け止められたのか、ちょっと興味があります。
 
 1975年、第1回サミットがフランスのランブイエで開催されたのは、世界経済に深刻な影響を与えた、第一次オイルショックが契機でした。
 経済問題の重要性は、35回目となる今回のラクイラ・サミットでも、変わりません。昨年後半からの世界金融・経済危機の克服が大きなテーマとなりました。
 各国の懸命な努力、集中的な対策の実施により、世界経済にも、一部に持ち直しの動きがでるなど、少しずつ明るい兆しが見えてきています。
 
 経済問題も環境問題も、そして安全保障問題も、むしろ国連よりサミットの方が果たした役割は大きかったのではないかと思うのは言い過ぎでしょうか。
 前回は北海道の洞爺湖でサミットが開催されましたが、あの時から世界状況は、得に経済の分野で急激な変化がありました。
 サミットは年に一回開催されていますが、いま世界の動きというのは、年一回でもなかなか追いつかない状況になっていると言えるのかもしれません。
 そういう意味でもやはり、これからますますサミットが果たす役割、国連ではないところでの国と国との会議の役割が大きくなっているといえるのではないでしょうか。
 
 我が国でも、今年3月から、鉱工業生産が3カ月連続で大幅な伸びを示しています。定額給付金を始め、エコカー減税や、省エネ家電向けのエコポイントの導入が、国内消費の下支え効果を発揮しはじめています。株価も、3〜4割くらい上がりました。
 しかし、雇用を始めとして、まだまだ深刻な状況です。G8として、引き続き、景気対策に全力で取り組み、9月にピッツバーグで開催される金融サミットで、その成果を報告することで合意しました。
 
 結局、国連とそうでない会議とは何が違うのかと言うと、国連はまず国連ありきの枠組みで動くコトになっていますが、一方サミットなどの会議というのは比較的行動の自由度が高いと言えるでしょう。
 つまりサミットなどでは、まず自国の足下を見て、その上で出来るコト出来ないコトを決められるので、結果的にフットワークがよくなり、また効果的に物事を前進させられるのではないかと思います。
 それは自分本位という意味だけではありません。
 例えば、世界第二位の経済大国の日本と、日本の一地方よりも遙かにGDPが少ない小国とでは、出来るコトなんていうのは全然違うワケで、そうなれば視点も考え方も違って当然なのですが、しかしでも国連だと最終的には同じ一票という同等の権利しかないワケです。
 ですから汚い例えをすれば、簡単に金で表を買えてしまうのが、国連のある意味真実の姿です。
 よって、ある程度同じレベルで物事を見て考えられる国同士が集まって議論すれば、それはそれなりに有意義な会議となるでしょう。
 この違いはけっこう大きいのではないかとやえは思っています。
 
 これからサミットは山場を迎えます。日本、ひいてはアジアを代表して、国際社会が抱える諸課題の解決に向け、積極的に議論をリードしていきます。
 
 そういう意味において、サミット唯一の白人国でない日本、キリスト教国でない日本の果たす役割は大きいと言えます。
 すぐに日本人は、サミットも、そしてサミットにおける日本の存在を矮小化させて安心を得ようと変なクセを見せたりしますが、しっかりと自信を持って誇りを持って世界に向かっていく必要があるのではないでしょうか。
 そうしてこそ、本当の意味で日本の元気が回復するんじゃないかと思います。
 麻生さん、がんばってください。
 
 
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 ●編集長のひとこと
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 G8サミットに出席する麻生総理に同行しているため、イタリアからメッセージを送っています。今回のサミットには、G8のメンバーに加えて、中国やブラジルなどの新興国も参加しています。ここイタリアでも、会議の合間を縫って、各国首脳と精力的に話し合う、元気いっぱいの力強い麻生外交です。昨日も、スタッフは、各国首脳とのサミット開催地であるラクイラでの会談の調整に飛び回り、総理も今日からの各種の会談の準備につとめながら、ローマ法王への謁見、日・イタリアの文化交流行事でのスピーチ、イタリアのベルルスコーニ首相との夕食を挟んだ首脳会談など、慌しい日程を力強くこなしました。
 
 こんにちは松純先生。
 やっぱりついて行ってますね(笑)
 ところで、やえはさっきも言いましたコトに関連して、サミットに新興国を入れるのは反対です。
 確かに中国やブラジル、インドなどの新興国の力は増していますので、そういう国の意見や、またそういう国にも責任を負わせるという意味で、国際会議に出席してもらうというのは大切なコトだとは思いますが、しかしそれはまた別の会議でやるべきで、G7はG7としてやり、またさらにG10とかG20とか別に作って会議した方がいいと思います。
 特に、経済大国というだけでなく、民主主義国であり自由主義であるという意味でも目線が近いG7の会議というのは必要な部分がでしょう。
 いまはサミットはG8となっていますが、ロシアはちょっと民主主義国とはまだ言えない状況ですから、やえはG7に戻した方がいいと思います。
 その上で、ロシアや中国やブラジルやインドを入れた、G11でも作った方がいいのではないでしょうか。
 
 今日、既にG8サミットの本番が始まりましたが、今後も拡大会合など重要な会合が控えており、そのいくつかについては、私が同行記者の皆さんに結果のご説明をする予定です。総理の活躍ぶり、各国の反応など、臨場感をもって記者の皆さんに説明したいと思います。(松純)
 
 来週は様々な意味で大変な一週間となるでしょう。
 日本はとても暑くなってきました。
 松純先生も麻生さんも、お体に気をつけてお仕事してください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ローゼン閣下を応援しています。
 

平成21年7月13日

 都議選の結果について簡単に

 東京都議会議員選挙の結果について、やえの感じたところを簡単に述べたいと思います。
 
 マスコミは民主大勝、与党大敗などと言っていますが、しかし実のところ、自民公明の与党は61、それ以外が66ですから、言うほど大勝とは呼べないのではないでしょうか。
 もちろん民主が勝ったというのは事実です。
 政党だけで見れば次点の自民より10議席以上差を付けているのですから、勝利は勝利です。
 しかしその一方、民主だけでは過半数を取れていませんので、大勝と言うべきかどうかは微妙な気がしてなりません。
 この構図というのは参議院と同じような感じですね。
 
 それから、まぁもちろん、地方選挙と国政選挙、これは別物でありますし、また選挙制度も違いますので一概には言えませんが、ここまで自民党ボロボロに言われておいて、この程度の差だったというのは、ちょっと意外でした。
 マスコミも、そしてお茶の間世論も、完全に麻生さんや自民党にそっぽを向いてしまっていますから、変な話自民党が半減するぐらいあっておかしくないなぁと思っていましたので、そう考えれば案外自民党は善戦したと言えるのではないでしょうか。
 まぁ大きく議席を減らしましたし、自民党にとって厳しい風向きであるというのは言うまでもないコトですけどね。
 
 この都議選の結果が国政にどういう影響を与えるかは分かりません。
 ついに選挙の日程が決まったようで、8月30日投開票というコトになりましたが、あと一ヶ月半、世論という気まぐれな、そして誘導されやすい「風」が、どこに吹いていくのか、なかなか読みづらいと言えるでしょう。
 ただ、これは前にも言いましたように、あまりに主体性のない考えのない雰囲気だけでの国民の投票行動には、やえは強い違和感を感じずにはいられません。
 日本の未来を決める大切な選挙に、果たしてこんな程度の雰囲気だけで決めてしまうような選挙で果たして良いのでしょうか。
 
 正直やえとしましたら二大政党制というのはあまり好きではなく、本当ならキチンとある程度の少数意見も汲み取れられる中選挙区制のそれなりの政党が乱立している状態の方が正しい政治の在り方だと思っています。
 だけどそれでも今は小選挙区制で二大政党制なんて言われていますから、どちらの政党が良いのかという視点で政治を見るのも良いでしょう。
 しかし、であるならば、選挙の場合はどちらの政党の政策がより日本のためになるのか、という視点で政党を選ぶべきなのではないかと思います。
 与党の立場にいたからこうなんだ、野党だから仕方ないじゃないか、なんていう視点ではなく、普段はそれでも許される部分というのはあろうかと思いますが、選挙の際には立場ではなく、イーブンな平場においてまず政策を見て、どちらの政策が正しい政策なのかを国民が見極めなければならないと思います。
 
 やえは、民主党の政策が自民党のより優れているというのでしたら、民主党を応援すればいいと思いますし、やえも本当にそうであれば民主党が政権を担当すればいいと思います。
 しかし少なくとも「政権交代」が目的であり目標でありスローガンであるというのは、選挙の際に考慮すべき政策のポイントでは全くないと思います。
 政策はどうでもいいから、とりあえず政権交代というのは、決して日本のためにはならないでしょう。
 今回の衆議院選挙、民主党が勝つ可能性が非常に高いようですが、しかし政治は決してままごとではなく、現実的に起こる現実問題です。
 国民はまず民主党の政策を見て、果たして本当にそれで日本が良くなるのかよく考えて投票してもらいたいと思います。
 「自民がイヤだから」という理由で民主に投票したとして、その結果として民主党政権がとんでもなくひどいコトになったら、それは投票した国民こそにもっとも大きな責任があるのだというコトを認識しておかなければならないでしょう。