☆ 過去ログ ☆

/ 制度からして中国という国家は異常 / 国会議員の年収は3000万円以上!? / 政治家小沢一郎の罪 / 日中問題は、友好問題だけではない / 欺瞞だらけの蓮舫議員 / これでどう警察を信用しろと言うのか / 国民の法意識 / 歴代女性天皇は立派だったから女系を認めるべきという論理飛躍論 / 歴代女性天皇は立派だったから女系を認めるべきという論理飛躍論(下)


平成22年10月1日

 制度からして中国という国家は異常

 当サイトとしては昔から言い続けているのですが、今こそもう一度、中国という国は危険な国だというコトを再認識するべきなのです。
 
 あんな国とは友好関係など結べはしません。
 もちろんこちらから表立って敵対関係になる必要はありませんが、しかし今回のようなあからさまな敵意を向けられたときには、それを平然と撥ね付けるぐらいの気概を持っておくべきでしょう。
 少なくとも「日中友好の阻害になるから」なんていう漠然とした実のないセールストークだけで弱腰になるような考え方だけは捨てるべきです。
 そもそも世界的に見ても、隣国と必ずしも仲がいい国ばかりではありません。
 むしろ利害関係が複雑に絡み合う分、微妙な関係の関係の砲が多いのではないでしょうか。
 日本はまずは自分たちの国益こそを優先させるべきです。
 
 また同時に、隣国というだけではなく、中国という国家の性格も考慮すべきです。
 中国は共産主義国であり、事実上の一党独裁体制であり、そのあり方は、トップが世襲しないだけで北朝鮮と同じです。
 民主主義国よりも、王政国の方が性格は近いです。
 例えば三権分立という概念も中国にはありませんから、法律はあっても、それを解釈するのも中国共産党、裁くのも中国共産党、執行するのも中国共産党です。
 こんな体制ですから、尖閣諸島沖の件でトバッチリ的に逮捕されてしまった日本人4人の件も、これが日本であればその撮影したとされる場所が法令上軍事施設でないなら、行政からは独立している裁判所としては無罪を出すのでしょうけど、しかし中国の場合はその場が軍事施設でなかったとしても、共産党が「軍事施設だ」と言うだけですぐに軍事施設になり、裁判でも共産党の指示が最優先されて軍事施設を撮影した罪が適応されてしまうワケなのです。
 法律なんてあって無いような国が中国という国家です。
 まして中国の憲法によると、中国国家は共産党の指示を仰ぐと明記されているワケで、つまり国家機関である行政府や司法府よりも中国共産党の方が上なのですから、法律なんてあってないようなモノ、後付けの理由なんてコトも共産党の思うがままなのです。
 
 果たしてこんな国とまともな関係が作れるでしょうか。
 よく「アメリカと中国、どっちと仲良くなるべきか」という問題が提起されますが、そもそも中国はさっき言いましたように法治国家ですらない、共産党の独裁政治であり、その気になれば法も憲法も人間の命も思いのままに出来る国家です。
 一方アメリカはと言うと、アメリカのやるコトが気に入らない人も多いかと思いますが、もちろんやえもアメリカの行為の全てを肯定するつもりは毛頭ありませんが、それでも法治国家であり民主主義国家ですから、日本との価値が共有できるワケで、例えばさすがに日本人がいきなり逮捕されるコトもありませんし、行政と独立した司法もあるので裁判を受けるコトが出来るワケですから、そういう意味では中国に比べれば何百万倍もマシと言えるでしょう。
 国家制度が日本に近いので、考えやすい親しみやすい国であると言えるワケです。
 アメリカとどう付き合うのかという命題は常に日本としても考えるべき問題ですが、しかしこれを「中国とどうか」という比較として考えるのであれば、そんなのは考えるまでもなく「アメリカの方がマシだ」と言うべき命題なのです。
 
 もう何十年も前から言われていたコトですが、いまこそ日本国民は、中国という国家を危険な国だと認識すべきです。
 さすがに今の国際情勢を見れば、国交断絶しろというのは非現実的すぎますが、しかし友好一辺倒が正しいと思うのも同じぐらい危険な考え方です。
 中国は今回のような常軌を逸したとんでもないコトを平気でしてくる国、約束や契約などいつでも破って平然とする国だというコトを認識した上で、それなりの付き合い方をすべきなのです。
 



平成22年10月4日

 国会議員の年収は3000万円以上!?

 今日はちょっと趣向を変えて、このまとめスレのネタを扱おうと思います。
 
年収3000万超える職業
 
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 12:26:56.17 ID:QUul5CLe0
 
医者、弁護士、官僚、政治家、外資系のほかにあるかな?


2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 12:27:50.02 ID:wwmiXel60
 
農家

>>2 
 
それはない
 

12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 12:30:12.36 ID:kv22nmfo0
 
北海道の農家"平均"収入1000万だぞ
 

69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 12:56:59.11 ID:OZD0Y7/Q0
 
農家は"平均"だから、絶対に食えないだろ=違う本職あります、
って人も含んでるから、専業は結構すごいと思う。
3000万オーバーとなると、税理士・会計士の事務所もちとか、企業経営者くらいだろうな。
外資系金融のアナリストとかで居るんだろうけど、単年契約で野球選手みたいなもんだろ。
 
 
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 12:36:04.93 ID:WOAIFKqa0

>>1
正確に言うと「開業医」「有能弁護士」「出世官僚」

「トップクラス議員」「有能外資系営業」って感じかな
可能性が高い、でいいのなら、フジテレビ社員とかじゃないか?
 
 
109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 13:49:15.37 ID:BFKfpaItO
 
首相ってたしか約3000万くらいだったような
 
 
111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/02(土) 13:55:36.84 ID:8inA3Nz50
 
>>109
政治家は他からの方がでかいだろ
首相経験者だともうね…
 
 
 まぁ一般に思われている国会議員の年収のイメージというモノは、こんなモノなのでしょう。
 政治家に支払われる給料、正式には「歳費」と言うのですが、これは大変に多く、またさらに献金やパーティーなどでさらにお金を稼いで、政治家なんて左うちわでうわっはっはーって思っている人は少なくないと思われます。
 
 しかし、そもそもこれは間違った見方です。
 どこが違うかと言いますと、普通「年収」と言いますと「仕事用ではない、ほぼ自分の自由に出来るお金」という意味になりますが、議員の歳費やその他の収入というのは、議員の個人的なお給料ではなく、仕事上で使うお金という部分も多分に含まれていますので、ここを単純比較できないのです。
 つまり議員の歳費などは、一般で言う「事業収入」と言った方が適切なワケです。
 
 例えばレスの31で3000万円以上の年収の例として「開業医」「有能弁護士」というのが挙げられていますが、このような人たちの「年収3000万円以上」といのは、やはりスタッフなどの人件費や事務所経費など差し引いた上での、弁護士本人のみの自由に使えるお金、弁護士や医者本人への給料、という意味でしょう。
 よもやスタッフや事務所費全て込みで3000万円で、結果的に個人本人への給料は月10万円しかありませんでした、なんてイメージも含めて「年収3000万超える職業」と言っているワケはまずあり得ないでしょう。
 そもそも開業医の場合どう考えても諸経費だけも3000万円はゆうに超えそうですから、やはり「年収」と言えば、「経費を抜いた個人が自由に使えるお金」と考えるべきです。
 
 その上で、政治家の場合の歳費などは、果たして一般的な「年収」と考えてよいのかどうかを考慮しなければなりません。
 
 国会議員の活動にはお金がかかります。
 まず秘書に対する人件費がかかります。
 こちらに議員の歳費について詳しい情報が載っていますが、衆議院議員の場合だいたい秘書は10〜15人、そのうち3人までは公設秘書として国からお金が出る仕組みになっていますけど、逆に言えばあと7〜12人は議員が給料を支払わなければならないというコトです。
 7人もの人を雇うといくらお金がかかるのか、しかも国政に直結する仕事なのですからアルバイトを雇うというワケにはいきません、しっかりと身元を確認した上で、激務に相応する対価と福利厚生を用意しなければならないでしょう。
 まぁ実際のところ、私設秘書さんはあまり給料はよくないなんて聞きますが、それでも7人をまともに雇用しようと思えばそれなりのお金がかかるというのは、考えるまでもありません。
 また事務所の家賃も、永田町には無料で使える事務所がありますが、地元の事務所にはお金が一切出ませんので、これを借りる必要があります。
 この辺どれぐらいのお金がかかるのかは選挙区にもよるので、例えば東京一区なんて千代田区新宿区港区が選挙区ですから、どこをどう借りても相当お金がかかるわけで、この維持も大変です。
 もちろんこれだけでなく、政治家には人付き合いなどもあるワケで、交際費や移動費(議員本人には一定額飛行機代など公費からでますが、当然秘書にはそのような手当はありません)など考えれば、相当お金がかかるというのは、ちょっと想像力を働かせば分かるコトでしょう。
 
 先ほど紹介しましたサイトによりますと、国会議員に直接支払われる収入は
 
 歳費・約2200万円+文書通信交通滞在費・1200万円/年
 
 となっています。
 このサイトでは「立法事務費」というモノも書かれていますが、これは文中にもありますように会派に支払われるモノですから、直接議員に支払われるモノではありません。
 似たようなモノに政党助成金というモノもあって、これも議員にではなく政党に出されるお金であって、この立法事務所費も、会派(≒政党)によっては議員に払っていないところもあるかもしれませんので、ここでは取り扱わないコトにします。
 よって、国会議員に直接支払われるお金は、年で約3400万円というコトになります。
 ただし、歳費については課税対象なので、もう少し少なくなるかもしれません。
 
 果たしてこれだけで、秘書の人件費や事務所費や諸々の諸経費を含めた政治活動費を全てまかなえるでしょうか。
 それを含めて、本当に国会議員に対して「年収3000万円を超える職業」と言えるでしょうか。
 もしこの事実を含めた上で「3000万円を超える職業だ」と言うのであれば、それは零細企業や個人商店だってそのように言えるようになってしまうのではないでしょうか。
 普通はこれでは呼べないでしょうね。
 下手すれば年収1000万円あるかどうか、無いと言った方が適切かもしれません。
 
 政治家の場合、献金やパーティーなどによっての収入もあるじゃないかという指摘もスレにはありました。
 ここまで説明すれば、これらの収入源は必要な措置だというコトが分かるでしょう。
 歳費などだけでは賄えない政治活動費を捻出するために、献金を受けたり、パーティーを開いたりしているワケです。
 ただし、ここで1つ間違えてはいけないコトは、これらの方法で得た資金は、あくまで「政治資金」であって、自分が好き勝手使えるお金である「年収」には含まれない、というコトです。
 
 これは建前だけの話ではありません。
 法律によってキチッと区別されています。
 献金やパーティーなどで収入があった際には、政治資金規正法によって国会議員は政治資金収支報告書を提出しなければならない規則になっており、これは全て公開されるコトになっています。
 最近は全然聞かれなくなりましたが、一時期「1円の領収書から公開すべきだ」とか言ってたのは、これのコトです。
 つまり、歳費以外のパーティーなどの収入があった場合、これを「政治資金」と明確に規定し、政治活動以外のコトに使用してはならないと、こう定められています。
 例えば、民主党の荒井“キャミソール”大臣の問題は、まさにここで、キャミソールなんかどう政治活動と関係があるのかと問われたのがこの問題であって、当然議員個人の趣味代とか家族での食事代とか夫婦だけの旅行費などといった「年収」に含まれるような支出は、このパーティーなどからの収入からは出せなコトになっているのです。
 
 ですから、献金やパーティーなどの収入の場合は、これを個人のお金という意味での「年収」には一切含めるコトは出来ません。
 これらは全て、人件費や家賃、その他の経費のために使われるお金なのです。
 
 もしパーティーや献金だけでそれら政治活動の経費で賄われるのであれば、議員個人の「年収」は、イコール歳費というコトで約2200万円となるでしょう。
 さらに大臣等になった場合、またプラスで報酬が付きますから、その場合には3000万円を超えるのでしょう。
 しかし政治活動費としてパーティーとかだけでは賄えない場合は、ここからどんどん「年収」が減っていきます。
 昔、元社民党辻本議員が公設秘書の給与をピンハネしていた事件がありましたが、あれも政治活動が資金的に困難であるから、そのような行為に出てしまったワケです。
 パーティーなどで賄えない議員は、歳費などから政治活動費を捻出しなければならないのです。
 決して全ての国会議員が年収2200万円のお金をそのまま無条件に自分のためだけにまるまる使え、そして政治活動費も別で支給されているというワケではないコトは知っておくべき事実だと思います。
 
 さらに言うなら、国家国民の代表である国会議員の給与として「2200万円」という額が、果たして多いのかどうかも考えるべきコトなのではないでしょうか。
 安易に比べられるコトではありませんが、一流プロ野球選手は1億以上収入があるワケですからね。
 日本という経済大国の代表者に見合う対価を本当にこれで支払って言えるのかどうか、主権者たる国民は、妬みなどではなく、真摯に真剣に考えてみるべきではないでしょうか。
 



平成22年10月5日

 政治家小沢一郎の罪

 今日は小沢一郎のニュースです。
 ご存じのように昨日、検察審査会は小沢一郎を起訴すべきと決定しました。
 これで2回目の起訴すべきという決定ですから、これで法令により小沢一郎は検察の意志に関わらず強制的に起訴されるコトになります。
 
 小沢氏強制起訴へ 進退問題も避けられぬ
 
 小沢一郎民主党元幹事長が「一般の素人」と見なした市民たちが、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治とカネの疑惑に厳しい結論を下した。
 2004〜05年分の収支報告書に購入費4億円の虚偽記入をしたとされる事件で、東京第5検察審査会が出した2回目の起訴相当の議決である。
 昨年5月に施行された改正検察審査会法により、小沢氏は強制起訴される。政治家では初めてだ。自らの関与をただ否定するばかりで、国会で説明責任を果たすことをあくまで避けてきた小沢氏。政治資金規正法違反の罪に問われる被告人として、いや応なく法廷に立たされる。
 
 検察審査会とは、検察と名が付いていますが構成員は一般国民であり法律の専門家ではありません。
 これは裁判員と同じように、ほぼ誰でもこれに任命される可能性があるというモノです。
 そして検察当局のとある判断に誰かが不服があると申し立てをすれば、この検察審査会が開かれ、選ばれた一般国民がその検察当局の判断が妥当かどうか審査して、決定を下します。
 つまり今回のこの小沢一郎事件では、検察当局としては起訴猶予という実際は起訴しないという判断を下しましたけど、一般国民からなる検察審査会ではそれは間違いの判断であると、起訴すべきだという決定を下したというコトです。
 
 これについては様々な反応があります。
 推定無罪の原則に成り立ち、まだ裁判で判決が下っていないのだから小沢一郎を犯罪者のように扱うべきではないという意見も民主党やマスコミとかでよく聞かれます。
 まぁそれはそうですね。
 原則論としては間違っていません。
 ただやえが思いますに、それは小沢一郎だけでなく、もっと昔から言うべきコトだったでしょう。
 推定無罪の段階で大犯罪者のように書き立てて、大臣や議員の役職から引きずり下ろされた自民党の国会議員は過去にいっぱいいます。
 しかも「道義的な問題」とか「政治的責任」とか、そんなあやふやな理由でです。
 これは過去当サイトも何回も指摘したところですが、しかし今回小沢一郎になってからこんなモノを持ち出すというのは、なかなかフェアじゃないと言えるでしょう。
 特に民主党自身には、この他人に厳しく自分に甘いというダブルスタンダードは許せない態度だと言えるでしょう。
 
 まぁそれでも推定無罪は推定無罪です。
 小沢一郎自身の法的な責任は、今後の裁判によって明らかになるコトでしょう。
 ただし、その上で1つ指摘しておかなければならないコトがあります。
 
 この事件に関して、なにかマスコミも国民も、政治家としての小沢一郎という人間にはまったく問題がない、少なくとも今の段階ではそれを証明する証拠がないと言っている、思っている人が多い気がしてなりません。
 裁判で無罪が明らかになれば、やはり小沢一郎は清廉潔白な政治家だったと、そう言わんばかりです。
 しかし果たして「政治家・小沢一郎」という存在は、清廉潔白な正しい政治家と言えるのでしょうか。
 
 その判断の1つとして、当然本人の裁判の判決というモノもありますが、もう1つやはり秘書がどのような判決を受けるのかという点は注目すべきではないでしょうか。
 特に今回の件で小沢一郎は、逮捕されたのにも関わらず民主党が党ぐるみでかばって国会での議員辞職勧告決議案の審議すらを拒否している石川知裕衆議院議員を含め、当時の秘書が3人も逮捕されています。
 小沢一郎本人が逮捕されなかったのは、検察としては小沢自身が虚偽記載を指示してもなく把握もしていなかった、というかその証拠を挙げられなかったからですが、しかしそれはそれとしても、だからといって政治家としての小沢一郎が全く問題がないとはこれでは言えないでしょう。  自身の秘書が3人も逮捕されているのですから。
 そして仮に3人の秘書が有罪になった場合、小沢一郎個人ではなく、政治家としての小沢一郎という存在を考えるべきです。
 
 例えばある会社において、副社長・専務・常務・その他取締役全員が相談し結託して不正をはたらいていたとしましょう。
 社長だけはその不正に荷担していたという証拠があがらなかったとして裁判では無罪となったとしても、確かにこの場合その社長個人を収監したり罰金させたりは出来ませんが、ではだからといって「その会社そのもの」にも全く責任は無いのかと言われれば、それは違うでしょう。
 ここまでくれば、もはやその会社は会社として犯罪を犯したと言うべき事態です。
 いくら社長だけ清廉潔白だと言い張っても、会社としては腐り果てていたと言われても仕方ありませんし、会社としてその責任を償う必要も当然出てくるでしょう。
 
 「政治家」とは、その本人個人だけで成り立つ職業ではありません。
 その陰で支えるスタッフがいるからこそ、国会議員は国会議員としての職業が成り立つのです。
 ですから、小沢一郎という個人を好きかどうか清廉潔白かどうかは、それは小沢一郎個人の裁判の結果を見ればいいでしょう。
 しかし、「政治家小沢一郎」という場合は、秘書の判決も重要な判断材料になるのは当然なのです。
 まして今回は、1人の秘書が独断で犯した個人的犯罪なのではなく、3人もの秘書が連携して不正をはたらいたとされる、これが有罪なら「衆議院議員小沢一郎事務所」としての組織的な犯罪になるワケです。
 小沢一郎という政治家が政治活動を行う上で、その組織が組織的に不正をはたらいたのです。
 この場合、やはり「政治家小沢一郎」としての評価はどう評価すべきか、やえはとてもじゃないですけど、清廉潔白な政治家であるとは言い難いと思います。
 
 小沢一郎本人の裁判も、その秘書達の裁判もまだ確定していませんので、いまのところは当然推定無罪です。
 小沢一郎の政策に対する評価はともかく、政治家としての最低限守らなければならない部分に関する評価は、まだ出来ません。
 ただしこの小沢一郎の事件は、今までの政治家汚職の事件と違い、秘書が複数人にわたって事務所として組織的に行った可能性のある事件という特異性があり、この事実を前にした上で、政治家小沢一郎の評価は下さなければなりません。
 決して小沢個人の裁判が仮に無罪だったとしても、それだけでは完全無実だ清廉潔白だとは言えないと思います。
 



平成22年10月7日

 日中問題は、友好問題だけではない

 日に日に仙谷官房長官の売国っぷりが明らかになっているところですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 国家戦略上、中国への友好が国益に繋がるという信念を持っている、あくまでそれが国益にかなう戦略だと割り切って日中友好を推し進めるというのでしたらまだしも、この人は、頭の随から中国様が宗主国だと思い込んでいるとしか思えない言動の毎日です。
 例えばこんなのです。
 
 【尖閣衝突事件】仙谷氏「日本が中国に迷惑」対中観で不一致
 
 戦前の日本が「侵略によって中国に迷惑をかけた」ことを理由に中国を擁護した。
 仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」と中国の文化的優位性を強調した。
 さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野発言を否定。「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」と中国の近代史に同情してみせた。
 
 よく中国や韓国から出る「文化の川上論」ですが、別に川上だからと言ってエラいワケでもなんでもないですし、文化なんて言うモノは世界中で巡るモノで、大切なのはそれを独自の文化に熟成させるかどうかであって、韓国のように全く独自文化に昇華できない、シナ文化そのままの方が素晴らしいんだとただただコピーしているだけというのは、とても情けないコトだと思います。
 さらに言えば、別に中国が全世界の文化の発信源ではなく、多くの文化はインドやインダスあたりが「川上」のモノも多いワケで、これだって本当にそうなのかどうか断定するコトは難しいでしょうし、こうやって交わり合って融合しあって変化するからこそ文化というモノには意味があるというコトは忘れてはいけません。
 最も高い川上を捜し当てるコトは、少なくとも文化そのものに対しては全く意味のない行為です。
 そもそも文化に優劣などありはしませんしね。
 ですから、日本は地理的に、特に古代はですね、日本が川上になるコトが少ないだけであって、それを恥じるコトはありませんし、川上だからという理由だけで敬意を持たなければならないというコトもないでしょう。
 文化は著作物とは違います。
 仮にシナ文化に似た話があったとしても、すでに桃太郎という物語は日本と日本人の文化や気質、倫理観に沿った話になっているのであって、日本人のためのお話になっているのであって、それは日本文化そのものなのです。
 比較文化論の学問上のコトならまだしも、そうでない場合に、ここをいちいち他国と比較する必要はありません。
 少なくとも仙谷官房長官のように、精神的奴隷に成り下がる必要は一切無いでしょう。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて、前振りが長くなりました。
 まぁ中国の例のお話なのですが、先日の菅直人総理が中国の温家宝首相と会談したりして、また拘束されていた日本人の4人のうち3人が解放されたりして、日本国内ではこの話題はあまり報道されなくなったせいか、だいぶ中国や民主党に対する批判がトークダウンしています。
 中には、結果的にまた友好関係が築けそうだから良かったじゃないか、なんて言う人がいる始末。
 先日衆議院本会議で自民党はこの件についても激しく追求していましたが、総理はしどろもどろの答弁になっていない答弁に終始していたにも関わらず、マスコミはあまり大きく報道しません。
 下手をすればもはやこの事件は忘れ去られてしまっていると言える日も遠くないかもしれません。
 
 しかし忘れてはならないコトは、決してこの件は、日中友好だけが問題であり障害ではないというコトです。
 もしかしたら今多くの日本人は、この事件が起こって日中の関係がギクシャクしたから問題だと、これを解決するのが政府と総理の役目だと思っている人がいるかもしれませんが、もし本当にそう思っていたらとんでもないコトです。
 今回の件で日本が失った国益は、日中友好なんて毒にも薬にもならないお題目だけが問題ではないのです。
 
 例えばこの問題の弊害を具体的に挙げるのであれば、領土の問題、主権の問題、国民の命に直結する問題と人権問題、そしてガス田の問題や漁業の問題など、大きいモノだけを考えても、国家が国家たる所以に帰結するような問題ばかりです。
 そしてなにより、日本があっさりと引いたコトが、今後の外交そのもののパワーバランスに直結する、無制限に国益を損ない続ける可能性のある、大変な弊害なのです。
 これらの問題は、むしろ日中友好を賭けてでも守らなければならない問題だったのです。
 そして結果は、これらをほぼ全て中国に売り払ってしまったという結果になってしまいました。
 こんな有様は、中国と仲良くなったから良かったね、では済まない問題なのです。
 
 中国だって、友好という観点だけ見れば、日本と険悪な仲になるのはデメリットの大きいコトです。
 それは小泉総理が靖国神社に参拝を続けて、中国は半ば意地で政府間協議を打ち切りましたが、その間の中国の焦り方は尋常ではなかったコトからも伺えます。
 経済問題などの実利的な問題から、中国国民のプライドの問題まで、日本と険悪なムードままなのは中国としても避けたい事態なのです。
 しかし今回の今の様相は、それなのに日本の方から菅総理とか仙谷官房長官がへらへらと頭を下げてこっちから友好してくださいとお願いするのですから、中国にとってはこんなにいい話はないですよね。
 だって、半ば暴力を持って尖閣諸島のコトを世界中に「領土問題だ」と喧伝でき、またガス田なども開発のキッカケを与えて、領土拡大の野望の一歩を達成できたという大きな実利を、日中友好の後退というたったこれだけの唯一のカードを切るだけで得られたのですから、本来これだけでも中国の大勝利なのです。
 まして、その捨てカードすらも向こうからノシ付きで差し出してきたのですから、中国は何も失わずに全てを手に入れたと言っても過言ではありません。
 こんなおいしい話はありません。
 中国共産党の上層部は、いまごろニンマリしているコトでしょう。
 もしかしたら民主党が政権を取った時点でニンマリしていたのかもしれませんが。
 
 よって、いま日本政府が成すべきコトは、日中友好ではなく、当然拘束されているあと1人の解放が最優先ですが、尖閣の問題やガス田の問題、そして地に落ちた外交のパワーバランスをどうするかです。
 日中友好なんて毒にも薬にもならないセールストークなんて、どうでもいいのです。
 中国はこれで、困ったコトがあれば日本を脅そう、そうすれば労せずして益を得られると、まんまと味を占めたのです。
 こんなバカバカしい外交はありません。
 本当に民主党はやってくれたモノです。
 
 日中友好友好と言っていれば外交問題の全てが解決するかのように思い込んでいる人がいますが、そんなのは子供の学級会レベルの陳腐な考えでしかないコトを認識し直すべきでしょう。
 今回起きてしまったこの問題は、もっと根の深い、そして取り戻すためにはものすごく時間のかかる大問題だというコトを認識しなければならないのです。
 



平成22年10月8日

 欺瞞だらけの蓮舫議員

 これ、中身についてはとんでもなくくだらない問題です。
 こんなのここで真面目に語っても全く意味のない話だと思います。
 ので、これを今後どうするかなんてコトは語りませんし、この行為自体に対する蓮舫大臣の評価も言いません。
 
 ただ、この問題で一番まずいのは、子供じみている謝罪になっていない謝罪しかしない、欺瞞に満ちた蓮舫大臣の態度にあります。
 
 蓮舫氏が国会内の雑誌撮影に「率直におわびする」と陳謝も、「取材に応えることは大切だ」
 
 蓮舫行政刷新担当相は8日午前の記者会見で、ファッション雑誌の写真撮影に国会議事堂内で応じたことについて「撮影場所が不適切であるとか懸念を抱かせてしまったとしたら率直におわび申し上げる」と陳謝した。
 ただ、雑誌取材そのものについては「国会議員はさまざまな手段で情報を発信しているが、その一つの手段として雑誌の取材に応えることは大切だ」と述べた。
 西岡武夫参院議長から7日に口頭で注意されたことには「個人的な立場で、心配をされているという先輩議員としてのアドバイスをいただいた」と説明した。
 国会内で撮影された写真は、雑誌「VOGUE NIPPON」11月号の巻頭特集として掲載されている。
 
 昨日今日とちょくちょく報道されているのでご存じの方も多いと思いますが、記事にありますように、蓮舫大臣が国会内でファッション雑誌に掲載するためにモデルになって撮影を行った件について、それは参議院院内規定に違反するのではないか、という問題です。
 まぁくだらない話ですね。
 ただ、さっきも言いましたように、この蓮舫大臣の謝罪、まったく謝罪になっていない上に、かなり悪質な欺瞞が詰め込まれたモノになっています。
 
 まず「不適切であるとか懸念を抱かせてしまった」ですが、これはもう誰の目にも明かな欺瞞ですよね。
 つまりこの表現だと、謝罪した理由は「不適切じゃないかって疑われたコト」という意味になり、あくまで「疑惑を持たれたコト」に対してですから、蓮舫大臣自身はこの行為が「不適切だった」とは認めていないワケです。
 全然謝罪になってませんし、取りようによっては逆ギレと言われても仕方ありません。
 
 しかし実際のところは、参議院の長であり、三権の長でもある、日本国内において最も責任の重い立場にある参議院議長が直接呼び出して注意しているのですから、この事実は真摯に受け止めるというのが国会議員として社会人としての努めでしょう。
 もし事実と違うというのであれば、その場で反論すべきです。
 しかしそれをせずしてその場では受け入れ、しかし後になってからマスコミ向けにパフォーマンス的に逆ギレするというのは、あまりにも勝手すぎる言い分です。
 それなのに蓮舫大臣のこの言いぐさでは、議長の注意すら無視しているとしか言いようがないワケで、では一体参議院議長は何を注意したのかという話になってしまいます。
 
 さらにまして、参議院議長の注意すらも、蓮舫大臣にかかれば全く別のモノに変質してしまうようです。
 記事にもありますように、議長が蓮舫大臣に行ったのは「注意」であるハズなのに、蓮舫大臣はそれをなぜか「先輩議員としてのアドバイス」と受け取っているのです。
 注意とアドバイスでは全然意味が違います。
 では実際はどっちの言い分が正しいのか、本当にアドバイスなのか、それとも注意なのか、どっちでしょうか。
 こちらの記事をご覧下さい。
 
 西岡参院議長、蓮舫大臣が国会議事堂内でファッション誌の撮影に応じたことに注意
 
 参議院の西岡議長は7日、蓮舫行政刷新担当相を国会内で呼び、蓮舫大臣が国会議事堂内でファッション雑誌の撮影に応じたことは不適切だと注意した。
 参議院事務局によると、蓮舫氏側は、撮影の目的を「議員の政治活動に関するもの」として申請し、許可を得ていたが、写真を見た事務局は、「話が違う」と蓮舫氏の事務所に注意したという。
 
 実際はこのように、議長は蓮舫大臣に対して「不適切だと注意した」のです。
 アドバイスではありません。
 しかも「不適切」と言っての注意です。
 疑惑だとかそういうレベルではないのです。
 例えば先輩議員から「あなたは目立つんだから、疑われるような行為は自ら察して控えた方がいいよ」と言われるのでしたら、これはまさに「アドバイス」と呼ばれるに相応しい内容なのでしょうけど、しかしこれは、そんなレベルではないのは明かですよね。
 議長は「その行為は不適切だ」と言ったのであり、これは明確に注意であって、付け加えるなら「反省しなさい」という意味が込められているワケです。
 しかし蓮舫大臣は、子供でも分かるこの理屈を全く理解せず、しかもなぜか注意をアドバイスだとどこかのルーピー総理のように読み違えているワケで、これでは果たして蓮舫大臣にはキチンと日本語を理解する能力があるのかどうか疑問に思わざるを得ません。
 
 まして議長のこの注意を「個人的な立場で」と言うのは、あまりにも自分勝手すぎる、我が儘な解釈です。
 こちらの記事にもありますように
 
 蓮舫担当相:議事堂で雑誌のモデル 参院議長にしかられる
 
 西岡武夫参院議長は7日、蓮舫行政刷新担当相を国会内に呼び、ファッション雑誌のため国会議事堂内で写真撮影に応じたのは不適切だとして口頭で注意した。7日の参院議院運営委員会理事会でもこの問題が取り上げられ、野党は「撮影許可の基準を満たしていない」と批判した。
 
 議長は蓮舫大臣を「国会内」に呼んだのです。
 ほぼ参議院の「議長室」に呼んだのだろうと思われます。
 どうしてこれを「個人的な立場」と捉えるコトができるのでしょうか。
 仮にこれを本当に「個人的な立場」だとしましょう。
 ではどうでしょうか、その場合、議長は「個人の用事」つまり「私用」のために議長室を使ったと言えるワケで、最低でも私用で国会議事堂を使ったと言わざるを得なくなってしまうワケです。
 言い換えるなら、議長室の私的利用です。
 こんなの許されるワケありませんね。
 これが政党本部や、まだ議員会館の議員事務所ならまだしも、国会議事堂内を使っておいて「個人的な立場」は無いです。
 まして(今回「まして」を使いまくりですね……)記事にもありますように、議院運営委員会理事会という国会の正式な会議の中で動議された議題であって、議長はそれを受けて注意を行ったのですから、これを個人の立場と考える方がどうかしています。
 日本的常識で考えるのであれば、参議院議長が参議院院内で、しかもわざわざ大臣を呼び出してまで行った注意は、それは「公的な議長の立場で」と捉えるのが普通でしょう。
 蓮舫大臣は、パブリックとプライベートの区別が付かないのでしょうか。
 
 さらに言えば、いまの参議院議長である西岡武夫議員は、民主党出身の議長です。
 蓮舫議員は同じ党の先輩議員を貶めてまで自分だけは助かりたいと思っているのでしょうか。
 人間として最低です。
 
 たったこれだけの記事ですが、蓮舫大臣の欺瞞はまだあります。
 最初の産経の記事の中で蓮舫大臣はこう言っています。
 
 ただ、雑誌取材そのものについては「国会議員はさまざまな手段で情報を発信しているが、その一つの手段として雑誌の取材に応えることは大切だ」と述べた。
 
 まぁそれはそうでしょう。
 一般論的に言えばそうです。
 というか、この問題に関連して、誰も蓮舫大臣に雑誌の取材を受けるなと言っているワケではありません。
 問題をすり替えてはダメです。
 今回問題なのは、その取材の中で国会議事堂を私的に利用したというその行為に対してであって、取材を受けたコトそれ自体を問題にしているのでありません。
 蓮舫大臣としての政策、もしくは議員としての政治信条を語るという公的な立場での取材であれば、いくらでも受ければいいでしょう。
 しかし今回問題なのは、その媒体がファッション雑誌であり、ファッションを注目するような写真を国会議事堂内で行ったのが問題なのです。
 3番目の毎日新聞の記事によると
 
 同誌のホームページでは「国会議事堂でのファッション撮影を敢行!」などと記されている。
 
 と題されていたようですし、政治家が政治活動をイメージしての国会議事堂をバックとした絵ではなく、メインはファッションだったというのは、雑誌も認めているところです。
 またテレビの情報では、その写真には、いま蓮舫大臣が着ている服はお値段がいくらなのかという情報も付いているらしく、これでは完全に政治活動とは関係ない話ですよね。
 それなのに、取材自体は受ける自由があるんだみたいな言い方をして、問題の本質から目をそらせようとする行為は、欺瞞にもほどがある行為です。
 
 それを裏付ける、こんな記事もあります。
 
 ファッションリーダーをPR?
 
 ただ、蓮舫氏が着たブランド服は、とても庶民的とは言えないものだ。
白のスーツは、イタリアのブランド「ヴァレンティノ」製で、ブーツなどを含めて、総額131万2500円という値段だ。赤の「アルマーニ」ジャケットなどを着たファッションは、67万2000円。すべてトータルすると、300万円近いブランド服だった。
 
 やえは国会議員に安っぽい格好をしろとは言いません。
 庶民的な格好しかしてはならないなんて、バカバカしいコトを言うつもりは毛頭ありません。
 麻生総理の時にマスコミはこぞって総理の着ている服が高級だとバカバカしい叩きをしていましたが、麻生総理は自他共に認める資産家であり、その常識の範囲内のモノでした。
 しかし蓮舫大臣はどうでしょうか。
 トータル300万円。
 これを「常識の範囲内」と見るかどうかは、かなり疑問に残るところでしょう。
 少なくともこれが、蓮舫大臣が毎日国会に登庁する時の「いつもの格好」でしたら、まだ納得の余地もありますが、ちょっとそれは考えにくいでしょう。
 であるなら、これはこの撮影のためだけに特別あつらえた服であり、普段の政治活動とは何ら関係ないと言えるでしょう。
 
 さらに言えば、もしこれが、雑誌社側が用意した衣装であれば、完全にアウトです。
 これは、ファッションを見せるための写真が、衣装がメインであり蓮舫大臣はモデルだという位置付けの写真だったというコトであり、そんなの全く政治活動に関係がない、完全に国会議事堂の私的利用としか言いようがありません。
 実際のところ、これが出版社側が用意した衣装かどうかはこの記事だけでは分かりませんが、まぁ普通に考えたら、ファッション雑誌の取材でグラビア写真をとるのであれば、衣装は用意されたと普通は思いますよね。
 実際のところはどうなのか分かりませんが。
 
 こちらの記事などでは、「ただ撮影自体については「正式な手続きを経て行われた」と強調した」と言っていたようですが、しかし参議院議長本人が「不適切だ」と言い、また参議院の事務局も「写真を見た事務局は、「話が違う」と蓮舫氏の事務所に注意した」という対応を取っているのですから、これは蓮舫大臣がなんと言おうとも不適切な行為だったと言うしかないのです。
 例えば犯罪者が自らの罪を認めなければ犯罪行為を認定できない、というワケではありませんからね。
 蓮舫大臣がいくらなんと言おうとも、今回のこの行為は、不適切な行為だったのです。
 
 蓮舫大臣の行為に対する云々は本当にくだらない、どうでもいい話です。
 こんなところで目くじらを立てても、まぁ議院内の規律に関わる問題ですから関係者にとっては大切であるのはそうなのでしょうけど、他人から見ればわりとどうでもいい話です。
 しかし、だからこそ蓮舫大臣も自分の非を素直に認めて、正面から謝罪すれば良かったのです。
 この程度のコト、蓮舫大臣の政治活動に傷になるコトはないでしょうし、そもそも傷になろうがなるまいが、非は非として素直に認めるというのが日本人の美徳です。
 すぐに非を認めて謝罪すれば、ここまで大きな問題にはならなかったでしょう。
 それなのに、どうしても自分の非を認められないのか、ワケの分からない理屈をこねくり回して、自分は悪くないんだと言い張るのは、大変にみっともないですし、その態度は欺瞞に満ちあふれていると言われても仕方ないでしょう。
 しかも議長に対して「個人的な立場で」とか、注意のコトをアドバイスだとか、そんな大ウソまで付いてまで、先輩議員を貶めてまで自分の行為を正当化するのですから、もはや人としてあきれ果てるとしか言いようがありません。
 
 やっぱりこの人は自分のコトしか考えてないのでしょうね。
 またこの態度というのは、事業仕分けと一緒で、その場だけの場当たり的な行き当たりばったりな言葉しかこの人は吐かないのだろうなという査証とも言えるでしょう。
 こんな程度の人が日本の大臣をやっているコトに大変危険を国民として感じてしまいます。
 
 本当にこの人は本当にみっともない人ですね。
 



平成22年10月8日

 欺瞞だらけの蓮舫議員

 今日の更新は、あまおちさんの方が内容的には詳しいのでしょうが、あまおちさんに書かせると過激な内容、というか、暴言の嵐になるような気がしますので、やえが書きたいと思います。
 そうです。
 大阪府警による取調中に一般人への脅迫暴行をした件です。
 
 「取り調べで自白強要」 大阪府警の警部補ら告訴へ
 
 大阪府警東署の警察官が同府内の30代の会社員男性を任意で取り調べた際、暴言や暴行で自白を強要したとして男性の弁護団が7日、大阪市内で記者会見し、同署の警部補(34)と巡査部長(31)を特別公務員暴行陵虐や証拠隠滅容疑などで大阪地検に告訴すると発表した。
 弁護団は男性が取り調べをICレコーダーで録音した内容を公表。警部補らが「おまえの家も全部ガサ(捜索)行くぞ」「おまえなめんなよ、こら。だまるな。何か言え。殴るぞ」などと大声で脅し、自白を迫るやりとりを明らかにした。
 告訴状では、取り調べで自白を得ようとし暴言や、男性の肩、太ももをたたくなどの暴行をしたと主張。録音に気付くとレコーダーの録音ファイルを消去させ、証拠を隠滅したとしている。男性はファイルを消去したつもりだったが、データが一時保管フォルダー「ごみ箱」に残っていた。
 
 もうなにからなにまでデタラメです。
 ドラマなんかではよく見る光景かもしれませんが、事実は小説より奇なりっていうレベルではありません。
 だれがどう聞いても、これは脅迫です。
 暴力をちらつかせて自らの利益を計ろうとする。
 本人の身以外のものへの危険をちらつかせて、人質にとって自らの利益を計ろうとする。
 これは完全に脅迫です。
 ヤクザのやり方です。
 この警官二人は、警官としてというより、人間として終わっていると言えるでしょう。
 
 この事件は、単に個人的な犯罪とは思えません。
 この事件が重大だと思うのは、果たしてこれが特殊な例だったかどうかが、かなり疑問な点です。
 
 色々とその疑いの点があるのですが、まずこれが、「任意での捜査」だったという点がまずあります。
 つまり法的に強制権を持たない、言ってみればこの捜査というのは被害者の善意によって成り立っている、警察としてはいつでもこの人を自由にしなければならないし、この人は何もしゃべる義務も何もないという、任意の捜査の中で発生したという点です。
 これが逮捕状が出た上での捜査であれば、もちろん脅迫は許されませんが、まだ「今回の件が特殊かも」と思われる事情にはなります。
 未だに事件が解決しておらず、リアルタイムで被害が発生している、例えば誘拐事件とかですね、そういう場合があれば、被害者を守るために焦りから容疑者に対してある意味の手段を問わない方法に出てしまったという可能性は考えられるでしょう。
 しかし今回のこの件は違います。
 あくまで任意の捜査での上です。
 善意で警察に協力しているのに、なぜ警察から高圧的な態度を取られなければならないのでしょうか。
 脅迫なんて言語道断ですが、最低でも敬語を使って、全くの他人と話す時と同じように人としての礼節をわきまえた会話をするというのが当然の話でしょう。
 ここでもこのバカ警官が人として終わっている理由にもなります。
 
 また、この暴行脅迫という犯罪行為を行った警官が、複数人存在するというのも、今回の件が特殊ではないと思われる大きな点としてあります。
 もし今回の件が特殊であれば、普通なら他の警官が止めますよね。
 簡単な理屈です。
 しかも、当然の話ですが、このバカ警官らは、生涯でこの事件だけを担当しているワケでは絶対にないのですから、他の捜査をしてきた中でたまたまこの2人が担当になって、しかもその両方が暴行脅迫を行って誰も止めなかったというのは、これはもう警察の中でこのような捜査が蔓延していると見る方が自然だと言えるでしょう。
 34歳と31歳という、いい年した大人がです。
 
 まだまだそう思われても仕方ない、疑わしき点があります。
 こちらに記事にあるのですが、このバカ警官は、この被害者の方がICレコードで録音されているのに気付いて、その内容を消させるよう強要しました。
 
 取り調べで暴言、暴行と会社員が警察官告訴へ…大阪府警も捜査
 
 男性の代理人弁護士によると、男性は財布を盗んだこと、メールを送信したことともに否認。しかし警部補らは自白を強要するため、大声を浴びせ続けたという。「殴るぞ、お前! お前なめとったらアカンぞ、こら!!」「明らかにシャブ中(覚せい剤中毒)以上のウソつきやんけ!」「悪いけど、嫌がらせはするで!!」「留置場入ったら分かるんちゃう、報道も喜ぶでこんな話…」。どう喝とともに、男性の肩や太ももを叩き、パイプいすを蹴るなどの暴行もあったという。
 男性は取り調べ開始から4時間ほどの内容を、自身の判断でICレコーダーに録音していた。録音に気づいた警部補は「そういうことをしていること自体、お前クロ(犯人)や」と、ファイルを消去するよう命じたという。しかし、会話の内容はICレコーダーの一時保管フォルダー「ごみ箱」に残っており、男性は数日後、弁護士に相談。9月下旬、府警本部長と東署長あてに苦情を申し立てた。
 
 やえ、ここの様子の録音を流したテレビをたまたま見たのですが、ひどかったですよ。
 記事にもありますように、「そういうことをしていること自体、お前クロ(犯人)や」ですよ。
 考えるまでもなく、ICコーダーの件と今回の捜査の内容については関係ないのに、それを結びつけて、しかも消させるように強要させるというのは、これはもう、警官自らが自分の行為は「外」に知られてはマズいと自覚していたからに他ならないからでしょう。
 というか、他の警官がいた中で行われていたのですから、つまり結局このバカ警官2人は、自分たちが法律に違反すると理解していながらそれを確信犯として行っていたというワケです。
 そして逆に言えば、「内部」だけなら全く問題ないと理解してたというコトです。
 人として最低です。
 
 ここまでくると、なぜ捜査の可視化を警察が拒むのかの理由が、ここにあるようにしか思えません。
 つまり、普段からこのような捜査をしているから、それを一般に知られてはまずいと思っているのでしょう。
 もしくは、普段からこのような捜査しかしてないから、こんな手法しかとれないのかもしれません。
 
 10年ぐらい前でしょうか、神奈川県警などの警察の事件が複数発覚して大騒ぎになったコトがありましたが、結局ここから警察という組織は全く進歩していないんですね。
 というか是正する気もないのかもしれません。
 自分さえバレなければ何をやってもいいんだと、警官ひとりひとりがそう思っているのかもしれません。
 そしてそのような空気を作りだしている警察という組織も、それを疑わないのでしょう。
 
 検察は証拠を改竄し、警察は暴力と脅迫によって自白を強要する。
 これでどうやって警察や検察を信じろと言うのでしょうか。
 しかもこれらの組織というのは、ある程度政治から独立している存在であり、これはつまり国民の手からの離れていると言えるワケです。
 例えば年金を取り扱っていた社会保険庁の組合による労働放棄問題がありましたが、あれは政治が関与する余地がありましたので、国民の声の後押しによって当時の自民党政権が社保庁を解体し、不逞な組合員を解雇させるコトができました。
 しかし警察や検察に対しては、それは政治の力ではなかなか難しいのです。
 「政治から距離を取っている」と言ったら、なんとなく良いイメージがあるような気がしてしまいますが、しかしそれは「国民の手からも離れている」という意味も含まれているコトを正しく認識しなければならないでしょう。
 そしてだからこそ、何年経っても何十年経っても、警察は組織改革するコト無く、時間が経つにつれてどんどん腐っていっているのです。
 
 さっきの記事での警官の暴言を書き出しておきましょうか。
 
 「お前の人生ムチャクチャにしたるわ!!」
 「殴るぞ、お前! お前なめとったらアカンぞ、こら!!」
 「明らかにシャブ中(覚せい剤中毒)以上のウソつきやんけ!」
 「悪いけど、嫌がらせはするで!!」
 「留置場入ったら分かるんちゃう、報道も喜ぶでこんな話…」
 「そういうことをしていること自体、お前クロ(犯人)や」
 
 よくここまでのコトを他人に対して向けられますよね。
 人として異常だと言わざるを得ません。
 これが警察の本性なのです。
 
 そしてなにより、マスコミも警察に対してはいつも及び腰で、のど元過ぎればなんとやらのようにいつもなってしまっています。
 警察もそれを待っているのでしょう。
 どんな組織だって時間が経てば大なり小なり腐っていくのです。
 それが警察というとても強い権限をもっている組織ならなおさらです。
 この問題は、国民こそが強い意識を持って警察という組織を改革させるぐらいに思って、関心を持っておかなければならないのではないでしょうか。
 他人事と思っていたら、次の日警察に不当に拘束され、暴言を吐かれて暴行されるかもしれないのですから。
 



平成22年10月13日

 国民の法意識

 この前あまおちさんがツイッターで言ってましたけど、小沢一郎が強制起訴された件に対して「小沢が無罪になれば検察審査会の委員(一般市民)は小沢によって名誉毀損できそれるかもね」なんて書き込みがありましたが、これはあまりにも法律やその成り立ちを知らないままに法律を語ってしまった、法意識がものすごく低い悪例です。
 検察審査会は、あくまで検察の出した結果に対して、それを審査するのが役目です。
 検察はその人を起訴するかどうかを審議して決める「対人」の役目を負っていますが、検察審査会の審査する対象は、検察の結果に対して議決を行うという「対組織」なのです。
 システム的に見ても、検察審査会の行うコトはこれは「議決」であって、起訴そのものではなく、起訴自体は「裁判所が指定した検察官役となる弁護士」が行うコトになるワケで、つまり検察審査会やその審査員が起訴するワケではないコトからも、検察審議会が小沢などの個人に対してどうこうするモノではないというコトが分かるでしょう。
 検察審査会は小沢を不起訴処分とした検察に対して「それは違うんじゃないか」と言っただけであって、小沢そのものに「お前は起訴だ」と言っているワケではないのです。
 よって、小沢側が国家賠償の裁判を起こすコトは可能でしょうが(それが通るかどうかは別ですが)、検察審査会の審査員という個人を名指ししての名誉毀損は成り立たないでしょう。
 参考までに、裁判所のサイトを載せておきますね。
 
 検察審査会の概要
 
 選挙権を有する国民の中からくじで選ばれた11人の検察審査員が,検察官が被疑者(犯罪の嫌疑を受けている者)を裁判にかけなかったことのよしあしを審査しています。
 
 こういう法律とか国家システムとかを理解していない場合、パッと見れば検察審査会が小沢を直接起訴しているように見えるのかもしれませんが、それは全くの間違いであり、法意識の低い表れと言うしかないのです。
 
 さて、前置きが長くなりました。
 やえが今回、やっぱり法意識が低いなぁと思ったコトがありまして、それは例の中国の漁船が領海侵犯した件です。
 これ、今のところ検察は日中友好を鑑みて中国船の船長を解放したと言っているワケですが、しかしこの前も言いましたように、本来検察がそんな外交問題を扱う権限はないワケです。
 外務省ならまだしも、それもあくまで政治家が判断した上のコトならまだしも、全く外交とは関係ない検察という組織の、さらに那覇地検という地方の検察組織程度が、国家全体の案件である外交問題を取り扱うなんていうコトは言語道断の蛮行だったハズなのです。
 しかし未だにそれに対して民主党政府は罰も何も与えず、非難さえせず、まぁ実際のところはどうせ民主党が指示したコトを検察のせいにしているから罰を与えられないというところなのでしょうけど、それでも政府がそう言い続けているのでしたら、それはそれで法の上ではこれは大問題のハズなのです。
 言わば法治国家を覆すほどの大問題と言えるでしょう。
 
 これは特に人権擁護法案の時に大騒ぎしていた人にこそ考えてもらいたい問題です。
 
 やえは人権擁護法案を説明する時、よくこういうコトを言っていました。
 「公務員は法律に書いてあるコトしか出来ませんから、人権委員会が行えるコトは法律を読めば全て分かりますし、法律に書いていないコトなのに「○○が出来る」なんて書くのはデマでしかない」と。
 こんなのは法治国家として当然です。
 例えばいくら警官に拳銃の所持が認められているからと言って、むやみやたらに発砲していいというワケではありませんね。
 発砲する時にも、法律に沿って、法律根拠に基づいて発砲しなければならいのです。
 ですから、どういう時に警官が発砲するのかというコトも法律を見れば全て分かるワケで、これと同じで、人権委員会がどのような行動が出来るのかというコトも法案を見れば全て分かるワケで、そこに書いていないコトなのに「こんなコトが出来るんだ」と言ってしまうのは、悪質なデマであると、そうやえは批判してきました。
 これは公務員全てに当てはまるコトです。
 
 しかし今回の那覇地方検察庁の行為は、この前提を全て打ち壊す暴挙以外何者でもないのです。
 
 検察が外交案件を取り扱っていいとは、やえは寡聞にして知りません。
 どこに法的根拠があるのか、具体的にどの法律にそう記載されているのか、やえには全く分かりません。
 というか、あるワケがないですね。
 検察の仕事は犯罪と容疑者に対して、それを起訴して裁判を行うのが役目であって、検察という組織の存在意義そのものが外交案件とはまるで関係のないセクションです。
 そんな組織が、法律を無視して、扱ってはならない案件を扱うというコトは、それは法律全てを否定する行為に他なりません。
 
 民主党政権は未だにこの行為を、否定すらしていません。
 となれば、もし人権擁護法案に対しても「法律には書いていないが、人権委員会が擁護委員を使って令状無しの家宅捜索を行い、書類やパソコンなどを没収するかもしれない」と批判しても、それが絶対にあり得ないとは言えなくなってしまうのです。
 法案にはそれが出来るなんて書いていません。
 しかし法律に書いていないコトも独断で公務員が勝手に行うコトを許してしまう政権であれば、それを否定する根拠も無くなってしまうでしょう。
 少なくとも今の民主党政権下では、公務員が何をしでかすか分からないとしか言いようがないのです。
 
 中国の領海侵犯問題は様々な問題を巻き起こしましたが、民主党のウソがこのような副産物的な、しかし法治国家として相当に深刻な問題すら引き起こしてしまいました。
 これは一般国民からしてそうだと思いますが、法律に興味があったり、いままで法律の問題で何らかのアクションを起こした人であれば、本来無関心ではいられない問題のハズです。
 「法案に書いて無くても、人権委員会や人権擁護委員がそうするかもしれないじゃないか」とは、当時良く聞かれたセリフですが、少なくとも民主党政権の間は、やえはそれを否定する言葉を持てなくなったのです。
 
 この問題、もっと怒っていい、怒るべき問題だと思います。
 そして、政策的にもメチャクチャな民主党ではありますが、法的にも民主党はメチャクチャだと知って欲しいです。
 これを放置していれば、法治国家とは名ばかりの、中国のようなメチャクチャな国家になりかねないのですから。
 



平成22年10月14日

 歴代女性天皇は立派だったから女系を認めるべきという論理飛躍論

 よしりん先生、相変わらずかっ飛ばしていますねぇ。
 というか、なんかもう最近『SAPIO』を買わなくなっちゃいまして、その分アイスクリーム代に消えて……ごほん、いえ、なんというかどうもそろそろよしりん先生も年ですかね、結論が先にあってそれに固執して、そのために理屈を作りだしているような感が否めません。
 完全に年寄りの思考回路です。
 天皇の皇統問題のお話です。
 
 『SAPIO』の10/13・20号に掲載されている小林よしのり先生の『天皇論 追撃篇』ですが、もはや理屈がメチャクチャになってしまっています。
 どうメチャクチャかと言いますと、この週では主に「これまでの歴代女性天皇は、男系皇統を繋ぐための中継ぎだった」という論に対しての反論を行っているのですが、それに対する答えとしてよしりん先生は、「歴史をよく見ると女性天皇は有能な方ばかりで、決して中継ぎではない」と言っています。
 そして、「だから昔から日本は女性だからという理由で否定したことはない」と言い、「女系も認められる」「そもそも男系しか認められていなかったという歴史なんて無かった」と言うワケです。
 
 
 
 (『SAPIO』10/13・20号『天皇論 追撃篇』小林よしのり著(以下同))
 
 しかしこれ、やえも今自分でまとめを書いて思ったのですが、理論が成り立っていませんよね。
 歴代の女性天皇が優秀だったからと言って、なぜそれが女系をも認める証明と成り得るのでしょうか。
 女性天皇は認められます。
 これは歴史が証明しています。
 でも、これはよしりん先生自らがおっしゃっているコトですが、天皇の資質とは決して政治的や人間的に優れているかどうかではなく、歴代天皇の中にはちょっとアレな天皇もいらっしゃるコトは歴史をかえりみればすぐ分かるコトで、結局女性が優秀だったと紙面をいっぱい使って説明しても、それはなんら女系天皇が認められるという証明にはならないのです。
 
 特に政治などに関する場合において、「中継ぎ」という言葉を、イコールで「無能な人」とか「お飾り」「傀儡」と理解する人というのは、政治オンチな人と言わざるを得ません。
 この場合の「中継ぎ」という意味は、「緊急的にその立場に立った」という言葉通りの意味以上の意味を持ちません。
 緊急だから能力が低いと判断するにはあまりにも材料がなさ過ぎますし、そもそもその本人にも失礼です。
 
 もちろん中には周りの人に利用されての「中継ぎ」の人もいるでしょう。
 しかしだからといって、その本人が唯々諾々として必ずそれに素直に従うというコトもありません。
 これがコト政治に関し、さらに相当に権力が大きな立場ならなおさらです。
 結局権力は握ったモノ勝ちなところがありますから、いかに中継ぎと思われる人が天皇や総理大臣になったところで、その立場に立ってしまえば、その権力をフルに使って自らの立場を確立し、また無能と呼ばれないような働きをしようとします。
 例えば、実際無能かどうかはともかくとして、いまの総理大臣の菅直人なんて良い例です。
 鳩山前総理が政権を投げ出してから、菅直人は完全に繋ぎとしての総理だと最初は見られていましたが、下手すれば2ヶ月程度の最短政権に終わるんじゃないかと見られていましたが、当然菅直人自身はそれで終わるなんて思いたくないでしょう、結局民主党代表選で小沢一郎を破って未だに総理の座に居座っています。
 こんな例はたくさんあります。
 森喜朗総理だって、やえは決して無能だとは思いません。
 その座についた経緯を見れば「中継ぎ」かもしれませんが、しかしこの言葉の意味の中には「お飾り」なんて意味は最初から含まれてはいないのです。
 お飾りかどうかは結局その人がその権力の座についていた時に何をしたかによって決まるだけで、そこに中継ぎであるかどうかは関係ありませんし、そして中継ぎと呼ぶ場合というのは、単にその座についたときの経緯でそう呼ぶだけの話でしかないのです。
 ですから、女性天皇の中に優秀な方がいらっしゃっても不思議ではありませんし、しかしそれを中継ぎと呼んでも同時に不思議ではないのです。
 これが分からないよしりん先生は、相変わらずの政治オンチだと言わざるを得ないでしょう。
 
 歴代の女性天皇の中に優秀な方がたくさんいらっしゃったというのは否定しません。
 それを否定したコトは一度もありません。
 しかしそれと女系が容認されるなんていう話は、まったくまるで関係のない話です。
 いくら女性天皇が優秀だったと紙面をダラダラと使って説明して、理屈抜きで感情だけで納得させようとしても、しかし歴史的に見て女系天皇が存在しなかったという事実は変えようがありません。
 よしりん先生はここ数年こうやってダラダラと女系容認論を書き流しているようですが、残念ながら今まで一度も「歴史的に女系天皇が存在しなかった」という事実を真っ向から反論できる論を言ったコトがないのです。
 女性天皇はいいですよ。
 歴史を振り返れば存在するのですから、これを否定しません。
 でも女系はいないんですよ。
 この事実をどう説明するか、女系容認論者はなにはともあれまずここを説明しなければならないのです。
 
 皇統譜を見てみてください。
 例えば46代天皇孝謙天皇から次の47代淳仁天皇の間柄は、もはや一言で言い表す単語が無いぐらいの「ただの親戚」でしかない間柄の間で践祚が行われています。
 孝謙天皇は女性天皇で、この方、48代天皇の称徳天皇でもあるのですが、その次の49代光仁天皇も、48代との間からはかなり遠い血縁関係です。
 よしりん先生は称徳天皇についてこのように書いています。
 
 
       
 
 これ普通に解釈したら、かなり不可解ですよね。
 だって称徳天皇は女性というだけでなく男性の天皇と比べてもかなり力を持った天皇だったというコトがよしりん先生の分析からも分かると思うのですが、だったらなぜ称徳天皇は自らの子を天皇にしなかったのでしょうか。
 称徳天皇には子はいませんでしたが、しかしこれは子が出来なかったからではなく、婚姻をされていなかったからです。
 ですから言い換えるのであれば、「なぜ称徳天皇は婚姻されなかったのでしょうか」と言えるワケです。
 
 もし男系とか女系とかの概念が無く、「天皇の子」であれば誰でも天皇に即位できる資格を持っているとされているのであれば、称徳天皇は当時の有力貴族と婚姻し、子をなして、その子を天皇に即位させれば、自らの立場も安泰させるコトができるし、その方が世の中としても安定していたかもしれません。
 まして、これは天皇の問題でよく言われるコトでよしりん先生もおっしゃっていますが、称徳天皇の次の光仁天皇は久しぶりの「天智系皇統」であり、そうでない先代称徳天皇はそのような事態を出来るだけ避けたかったハズです。
 であるなら、なおさら自らの子供に後を託す方が「確実」だったと言えるでしょう。
 でも称徳天皇は婚姻すらしなかった。
 この事実をどう解釈すべきなのでしょうか。
 
 
 (つづく)
 



平成22年10月15日

 歴代女性天皇は立派だったから女系を認めるべきという論理飛躍論(下)

 歴代天皇には女系……というか「男系として連なっている神武天皇系」以外の天皇は存在しません。
 女性天皇はいて、中には大変に優秀な方もいらっしゃったかもしれませんが、しかし全ての女性天皇は男系をさかのぼれば初代神武天皇に繋がる男系の血統でいらっしゃるというのは事実です。
 それ以外の天皇は事実として存在しないのです。
 今回のよしりん先生の漫画の中で、ウソとは言いませんが、かなり恣意的な誤魔化しの個所が1つあります。
 
   
 
 いつから天皇の継承のルールが「親から子」になったのですか?
 勝手にルールをねじ曲げて解釈してはなりません。
 あくまで天皇に即位される方の資質というのは、「男系を遡れば神武天皇に連なる」というモノだけです。
 親が天皇かどうかは関係がありません。
 いくら第43代と第44代の間の間柄が母子だったからといって、それで「男系が崩れた」と言うのは、理論飛躍にも程があります。
 親と子でない間柄で天皇の継承があった例は、もう挙げるまでもなく、ものすごくたくさんあります。
 民間や武家の家継承のルールである、(養子であっても)親から子でなければならないというモノとは、天皇の場合は違うというコトを正しく理解しなければなりません。
 今の皇室典範で言っても、甥から叔父に継承するという可能性だってある(三笠宮崇仁親王は現在皇位継承順位第5位)ワケで、このような天皇継承のルールを前にして、「母から娘に継承されたから女系継承であり男系は崩れた」なんて言うのは理論飛躍間甚だしいメチャクチャな言い分でしかないのです。
 
 繰り返しますが、親が天皇である必要もありません。
 よしりん先生が何をわめいたところで、第44代元正天皇は、まぎれもなく父親が神武天皇に連なる男系の血統の持ち主です。
 元正天皇の場合は「神武天皇系の血筋が即位した」という事実が重要なのであって、「母から継承した」というコトは、天皇継承の場合に大した意味を持ちません。
 ですから言うなれば、確かに第43代と第44代の間は母子間で継承が行われましたが、しかし同時に「男系も維持されている」のであって、むしろこちらの方が重要な点なのです。
 むしろなぜいきなりよしりん先生が親子間の継承ルールだけを持ち出したのか、そうでない例はたくさんあるコトぐらいご存じのハズなのに、不自然です。
 おそらく、よしりん先生はこのような意味を持たない「たまたま出てきた」、毒にも薬にもならない副産物なんかで、本来例にはならない例示を持ち出して、ホラ見たことかとミスリードしようとしたのでしょう。
 卑怯なやり方ですね。
 あくまで天皇の継承に際するルールとは「男系を遡れば神武天皇に連なる方」という点だけだという事実を、まずは正面からシッカリと見据えて欲しいモノです。
 
 最後によしりん先生に苦言を呈しておきます。
 
 論敵にレッテル張りで対抗するようでは、よしりん先生も終わりです。
 神武天皇に連なる男系こそが皇統の正当な継承者だという論のどこが「男尊女卑感情」なのでしょうか。
 天皇が神武系の男系でなければならないのは、思想や哲学や、まして感情などではなく、それがただの「事実」だからです。
 もし仮に天皇の皇統が「母の母の母の……が神武天皇」という女系で繋がっていたとしたら、やえは「女系でなければならない」と言っていたコトでしょう。
 男がエライとか女がエライとか、そんなの関係ありません。
 事実を事実として言っているだけなのです。
 こんな下品な理由でしか男系論を見られないのは、それはよしりん先生自身が差別根性を隠せない表れじゃないのでしょうか。
 
 あくまで男系でなければならないと言うのは「歴史的事実に基づいての“確認”」でしかないのです。
 よしりん先生がいかにダラダラと女系でもいいじゃないかという盲論を書いても、この事実を覆す論は未だにひとつも出てきていません。
 むしろ感情を動かして理を無視する、言ってみれば「無理が通れば道理が引っ込む」なようなやり方をしている方が、カルトの手法ではないのでしょうか。
 いくらそれっぽいコトを言っても、事実を変えるコトが出来ない、新しい事実を見つけてこれないのであれば、全てそれは「自分だけの考え方」でしかありません。
 赤い林檎を指して、「この眼鏡をかけたらオレンジ色の蜜柑に見えるから、それは蜜柑だ」と言ったとしても、林檎が林檎である事実は変わらず、そんな論は自分だけしか理解できない盲言としか言いようがありません。
 林檎を林檎でないとどうしても言いたいのであれば、眼鏡がどうこう言う前に、林檎でないという証明を林檎に対して行うべきでしょう。
 よしりん先生は必死に「この眼鏡は良い眼鏡だ」と言い張って何かと戦っていますが、いくら眼鏡を褒めてもまるで意味がありません。
 まずは現実と戦いましょう。
 事実を正面から見ましょう。
 事実から逃げても無意味です。
 逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだというシンジ君並です。
 どうしても林檎が林檎でないと言いたいのであれば、まず林檎が林檎である事実に対してモノを言うべきです。
 
 やえは別に、男の人の方がエライから天皇も男系でなければならないと思っているワケではありません。
 確かにこんな風に思っている人がいるのであれば、ものすごく気持ち悪いと思います。
 でもそうではなくて、ただ単に歴史を見ればそうなっているから、その歴史を続けるべきだと言っているだけです。
 歴史から逃げているのはどっちでしょうか。
 そしてもし、この歴史が間違っていたという新しい事実が見つかれば、またやえの知らない事実があるのであれば、是非それを見せてください。
 もし女系の天皇が即位したという歴史的事実が見つかれば、やえはすぐにでも女系を容認します。
 そこに男女論とかシナ思想とか、そういうモノは全く関係ありません。
 ただの事実を事実として述べているだけなのです。
 
 よしりん先生は、シナの妄執に取り憑かれすぎです。
 みっともないですよ。
 そして未だに、理屈的に正しい女系容認論を見たコトがありません。
 やえも是非望みますので、それを見せて欲しいと思います。
 



メールフォーム作りました♪
ご意見・ご感想などはこちらから


誤字指摘はこちらまで
お願いします〜

 ■御意見ご感想等は「御意見板」へ
   (自分の主張や議論をする場合は一般的なルールやマナーを守って、署名をしましょう)
 ■やえちゃんにメールを送りたい場合は、「メールフォーム」へ
 ■短文をトップページへ公開する形で送りたい場合は、「一行メッセージボード」へ
   (同じ内容を何度も書き込むのはやめましょう)
 ■短文をやえちゃんに非公開で送りたい場合は、「web拍手」からどうぞ

TB跡地