☆ 過去ログ ☆

/ NOAH杉浦貴と鈴木みのるの災害復興に関する考え方の違い / 自民党は野党として何が出来るのか / 民主党は果たしてどこまで本気でやっているのか / これからの電力をどうするのか / 自民党と民主党の人材の差 / コメントレス / 自民党の提言の濃さ / 小さな政府では大災害は対応できない。 / 大きな政府と小さな政府の責任 / エロを売り物にするということ / コメントレス / なぜ自民党は提言だけにとどまり法案化しなかったのか


平成23年4月15日

 NOAH杉浦貴と鈴木みのるの災害復興に関する考え方の違い

 今日はプロレスネタになってしまうのを許してくれ。
 どうしても言っておきたいんだ。
 震災に関する話だし、まぁちょっと聞いてくれ。
 
 鈴木みのるというプロレスラーがいる。
 まぁまぁ有名なのでテレビで何度か見たことあるっていう人もいるかもしれないが、そのレスラーが、プロレス団体のNOAH(故三沢光晴さんの創立した団体)というところのチャンピオンに、試合後にこう吠えた。
 
 「『今、プロレスで(被災地に)元気を与えるとか言っても、それは自己満足』ってお前は言ったな!?
 確かに水や食いもんは必要だよ!
 でもそれはな、みんなが一生懸命届けようとしてるんだよ!
 
 東北のプロレスファンが以前『立て杉浦!』って何度も言ってくれてたんじゃないのか
 今度はお前が『立て!』ってプロレスで示す番なんじゃないのか!?」
 
 (ほぼ日刊プロレスリング・ノアより引用
 
 
 全文はユーチューブに音声としてアップされているので興味のある人は再生して聞いてもらいたいんだが、確かに鈴木みのるの熱い気持ちは伝わる。
 まぁプロレスラーだなぁという、ストレートな気持ちだ。
 実はオレ、この日の試合を見に行っていたので生で聞いたのだが、その時の会場の客の反応はアウェイの鈴木みのるなのに歓声を送っていたぐらいだった。
 正直プロレスとしては、プロレス外のことでマイクパフォーマンスを、しかもプロレス的打算のない、言わば「演説」のようなマイクパフォーマンスというのはかなり珍しいので、観客としても驚いたという感じの方が多かったようだが、それでも鈴木みのるがしゃべり終わった後は、結構な歓声が上がっていた。
 そうだ、その通りだと、プロレスが頑張らないでどうするんだと、そんな雰囲気で盛り上がっていた。
 
 しかし、鈴木みのるの相手であるNOAHの現チャンピオン杉浦貴は、果たして何が言いたかったのだろうかというところを考えると、事はそう単純なものではない事が分かる。
 鈴木みのるが噛みついた「それは自己満足」という杉浦のセリフは、この数日前にプロレス雑誌に掲載されたインタビューが元である。
 引用する。
 
 「オレはプロレスで元気づけるとかは自己満足だと思うから言わない。どうせやるなら夢のあるカードを組んでお客さんをいっぱい呼んで、その収益を義援金にする。
 生活が戻りつつあるときには勇気や元気だけど、今は物資。現実的かもしれないけど、経済を回すのも復興支援でしょう。
 (被災地が)娯楽を楽しめるぐらいまで余裕が出来たら行って楽しんでもらえたらいい」
 (『週刊プロレス』4月6日号 (株)ベースボール・マガジン社より)
 
 どうだろうか。
 ちなみにこの試合があったのは先月の27日だから、もう3週間近く前の話である。
 ここ数日になってやっとタレントが被災地に足を運んで激励したり、石原軍団が炊き出しをしたりとニュースになっているが、3週間前ともなると、まだまだそれすら復旧の邪魔になるんじゃないかと考えてしまう段階だった。
 この杉浦と鈴木みのるの発言は、そういう背景がまずあった中で出たものだ。
 
 ハッキリ言って、鈴木みのるの発言は筋肉バカの発言だ。
 さすがに厳しすぎるか、ではちょっとマイルドに言って、少年漫画の主人公の脳天気発言にしかなっていない。
 だからこれを子供が言うなら、まだ分かる。
 なぜなら、子供というのは、そもそも判断力や視野が幼いので直線的な思考しかできないし、また広い視野があったとしても実行力を伴わない、例えば募金するにしても子供が自由に使えるお金などたかが知れているので、実際に出来る事は限られているのだから、だから夢を語っても大人は大目に見えるわけだ。
 「子供だから言える」というのは、「子供はそれぐらいしか出来ないから」という意味を多分に含んでいる。
 
 結局大人には、その発言を裏付けするぐらいの実現可能な根拠を示してからでないと、夢や目標など語れないのだ。
 
 30過ぎのいい年こいた大人が「オレは社長になる」と言っても、まわりからは「何の会社?」「資本金は?」「長期展望計画は?」「家族には話をしたの?」「今の仕事やめてローンはどうするの?」「子供の養育費は?」などと、様々言われる事だろう。
 それは当然の事だ。
 夢だけを語っても誰も食べてはいけないし、生きてはいけない。
 まして他人に迷惑をかけることになるようでは、本末転倒になるだけだろう。
 「オレは海賊王になる!(どん)」と言えるのは、漫画の主人公だけの特権なのだ。
 
 NOAHの杉浦の発言は、そういった責任を伴った現実的な話をしている。
 「夢のあるカードを組んでお客さんをいっぱい呼んで、その収益を義援金にする」
 「経済を回すのも復興支援でしょう」
 その通りだ。
 プロレスとかスポーツとか、この手の興業とかのサービス産業は、基本的には娯楽であり、生活必需品ではない。
 そしてだからこそ経済をまわす原動力になるわけで、生活に余裕がある者がこういう娯楽にお金をつぎ込むことによって経済がまわり、ひいては税収が伸びて、それが復興のための基盤資金となるのだ。
 だからプロレスとか娯楽に携わる者達は、いつも通りこの娯楽の分野に客を集める事が何よりも大切なのである。
 逆に娯楽を自粛するようでは、いつまで経っても復興など為し得ないだろう。
 
 それに比べて鈴木みのるはなんだ。
 「オレは海賊王になる!(どん)」しか言ってないじゃないか。
 「オレはプロレスをやることで被災地の人が元気になっているだろう」と勝手に想像するだけなら、杉浦はそれこそ「自己満足になるから言わない」と言っているんだ。
 別にひとりで勝手に思うだけならいいよ。
 それこそ「自己満足」だから、ひとりで自分の心の中で思ってりゃいい。
 やってりゃいい。
 自分の心の中までを否定するつもりはないよ。
 でも、それを他人に押しつけるのはどうなんだ。
 そんなことをやっても、結局ガンバルガンバルって思うだけ、言うだけにしかならねぇじゃねぇか。
 
 それとも何か。
 鈴木みのるは普段の試合は手抜きをしているとでも言うのだろうか。
 こういう時だからこそ頑張るというのは、普段は手抜きをしているからという事に他ならないのではないのか?
 杉浦はこう言ってる。
 「どうせやるなら夢のあるカードを組んでお客さんをいっぱい呼んで」と。
 NOAHはな、普段から常にその時の最高と思うカードを全力でやってんだよ。
 そりゃ毎回チャンピオンシップやってたら結局飽きが来て団体自体の存続に関わるからそういうカードは組めないし、それはマラソンに対して100m走しろって言ってるようなものだから違うわけで、そういう意味の全力ではなく、「プロレスとして、プロレス団体として全力」を出しているわけで、NOAHはいつだって見ている人に「来て良かったな」と思ってもらうような試合を選手とスタッフが全力でやってんだよ。
 プロレスがそうやって全力でやってお客さんを集めたら、お金がまわるし、それは日本のためになるんだよ。
 そして、今だからこそ何かをやるっていうのなら、義援金を募るっていうのも一つの手だろうし、また、こういう時だからこそ団体の垣根やしがらみをといてドリームマッチをしようとか、そういう発想にならないのかね。
 普段はいろいろあるから出来ないだろうよ。
 人間社会だもん、色々あるよ、人間関係は。
 でも、今だからこそ、そういうものを越える事が出来るんじゃないのか。
 鈴木みのるよ、お前はNOAHの人間ではない、普段から定期的にNOAHの団体に上がっている選手ではない。
 だからこそこのタイミングでNOAHに上がる意味というのはあるのではないのか?
 普段見れないカードはお前が提供する事ができるのではないのか?
 お前がいまNOAHと杉浦から逃げて、それが復興の役に立つとでも本気で思っているのか?
 
 鈴木みのるよ、お前はこの3週間何をやった?
 プロレスで頑張っている姿は知ってる。
 お前が全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに出て戦っていたのも知ってる。
 というか、2回も会場に足を運んで見てやったわ。
 でも、杉浦が言った以上の事をお前はやったのか?
 被災地に行ってプロレスを行って元気づけたとか、そういう事が出来たのか?
 できねーだろ。
 それが現実なんだよ。
 お前は結局杉浦が言った事しかやってねぇんだよ。
 そしてそれでいいんだよ。
 同時にお前は杉浦を罵るようなことはできねぇんだよ。
 お前は杉浦と一緒だが、他人を罵ったことで、杉浦以下なんだよ!
 
 大人っていうのはいつも子供心にあこがれるから、ついつい「オレは海賊王になる!(どん)」というセリフに拍手喝采を送ってしまう。
 だから少年漫画はいつでも一番売れるのだ。
 対して現実的な「大人なセリフ」は、夢がないと否定しがちになってしまう。
 でも、実行に移した大人なセリフを本来は誰が否定できるというのだろうか。
 「オレは海賊王になる!(どん)」が実行できれば、それは拍手喝采を送ってもいいよ、でも出来ないならただの妄言じゃないか。
 妄言が許されるのは、実行力も責任もない子供だけだ。
 まして結局大人の行動しか出来なかった奴が、口だけでは夢を語っているようでは、あまりにも大人に失礼としか言いようがないだろう。
 
 もしオレがプロレスラーだったら、こう言うね。
 「おい鈴木! だったらオレと最高のカードを見せてやろうじゃないか! 次のシリーズ、お前NOAHに全部出ろ! そして全ての大会でオレとシングル対決しろ! そして勝ち越した方がチャンピオンに挑戦だ。その際オレが勝てばお前はオレのセコンドに付け! オレが負けたらお前のセコンドについてやる! どうだ! 夢のカードだろ! 地方の人にも普段は出来ない夢のカードを組んで、いつもよりも客を集めようじゃないか!」
 
 鈴木みのるの発言は、あまりに一直線で、頑張ればなんとかなるという精神論でしかない、筋肉バカの発言だ。
 だからある意味、ただのプロレスラーとしての意思表明なら、まだいいかもしれない。
 プロレスラーはある意味、超人的な、少年漫画の主人公に近いところがあるからな。
 しかし、それはプロレスの中だけの話だ。
 地震と津波を前にして、なお漫画の世界だけの閉じこもるのは、それは大人がする事ではない。
 まして鈴木みのるの発言というのは、杉浦の発言に対する反論だ。
 ただの鈴木みのるの意見表明ならプロレスラーらしくやれってところだが、今回の発言は、杉浦の発言を否定し反論するものである。
 よって、反論としてはあまりにも幼いとしか言いようがない。
 反論にはなっていない。
 
 オレはNOAHが好きだし、NOAHはいつも一所懸命だと感じているから、NOAHの試合を金を出して見に行く。
 だから「いつも通り」NOAHには頑張って欲しい。
 常に最高の試合を見せて欲しい。
 それが復興のため、東北のため、日本のためになるだろう。
 
 そしてだ。
 プロレス業界は、いまこそ、団体のしがらみを1日だけでもいいから解いて、夢の大大会をやらないか?
 武藤がいて、蝶野がいて、小橋もいて、田上もいて、NOAHのチャンピオン杉浦がいて、新日のチャンピオン棚橋がいて、全日のチャンピオン諏訪魔がいて、潮崎や中邑やTARUや高山や佐々木や中西や小島や秋山や、丸藤やKENTAや金本や獣神サンダー・ライガーやカズ・ハヤシや、またインディーからも、高木三四郎とか飯伏幸太や男色ディーノや、葛西順や関本大介や、もうプロレスファン以外はなんのことやら分からんだろうけど、もう全部出てもらって、すごい大会やってくれよ。
 オレこれなら、3万、いや5万出しても見に行くぞ!
 鈴木みのるも、でかい事を言うなら、こういう夢が実現するよう行動してみろよ。
 じゃないとお前はただの筋肉バカだ。
 体は大人、頭脳は子供の、逆コナン君だ。
 
 ひとりひとりが出来る事なんて限られている。
 しかし決して人は無力ではない。
 いまこの非常事態に出来る最低でそして最良のことは、皆が歯を食いしばってでも日常に戻ることだ。
 変な流言に惑わされることなく、デマを流すこともなく、怖がることなく、自粛することもなく、不安かも知れないがそれでも歯を食いしばって「日常をすること」だ。
 杉浦は胸を張って、今まで通りいつもの全力のNOAHを見せてほしい。
 



平成23年4月17日

 自民党は野党として何が出来るのか

 先日深夜に世界の中心で左右をヲチするノケモノのところのplummet宗匠(以下宗匠)と、ツイッターで議論というか深 い話になったのだが、これを埋もれさすのはもったいないので、ちょっと整理してここに載せようと思う。
 現在野党である自民党は、この災害を前にして、果たして何をすべきなのだろうかという議題だ。
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 「これはダメだ谷垣。まったくもってダメだ。 / 自民・谷垣総裁、政府の「復興本部」参加を拒否 (読売新聞)
 
 「1.そもそも菅総理を信頼できない。協力関係には信頼関係が必要不可欠。
 2.会議の権限が不明瞭。議員と言えども権限が無ければ何も出来ない。政府内会議乱発の中ではここにも信頼が置けず、まず権限の提示が先。
 3.2に関連して意見や提言をするだけなら自民党はすでに多くやってる(自民HP参照)し、それだけならすでに与野党協議の場はある。
 4.自民党は野党の立場でも出来るだけの事は物資提供等かなりやってる。マスコミは伝えないが実行力は証明済み。後は権限。協力を要請するならその実行力を存分に振るえる環境を整えるよう与党の責任の下でやるべき。だって与党だもん。責任を取りたくないなら与党からの退陣せよ。
 参考資料:自民党サイト 自民党が送った救援物資 会議乱立で権限の不明瞭による混乱 会議一覧

 
 「おまいもか( ゚Д゚) それで座したまま「政治」の舞台で自民党は何をすんのよ。何をしてるのよ、ってことが俺の巨大な疑問なのよね。」
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
注釈:後で分かったのだが、この時宗匠はオレ以外の何人かとツイッターで、この話題について議論をしていた。
 ツイッターの特性上、オレはそっちの議論は全く見えてなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 「力量の評価等々は特に異論はないのだけども( ゚Д゚) 方法論の問題なのだよね。俺は、この国難の時期には喩え最終的に(政局的な)「敵に塩」になるとしても、今は大同団結して国民の生命を少しでも速く・多く助けるべき時だと思ってる。その違いじゃね。
 個人的に、今は巧遅より拙速を重んじる時と思うので。」
 
 「座したままじゃないもん。野党の立場としては最大限やってると思うし、そもそも野党っていうのは与党の交代要員だから、何もしなくてもいいと思う。「もし自民党が与党ならどうするか」という提言は自民党はやってるから、それを国民が判断すべきでは。
 未曾有の大災害というのは分かるけど、それでも対応するのは与党の責任。未曾有だから大連立しなければならないのであれば、はじめからそのような法律でも作っておくべき。どんな事態があったとしても対応する責任が与党には初めから与えられてる。
 『今は大同団結して国民の生命を少しでも速く・多く助けるべき時だと思ってる』
 その通りだと思うけど、だからこそ権限をハッキリさせなければ何も出来ないよ。拙速を重んじるためにも大きな権限を与党が自民党に与えないと。権限を与えられるのは与党だけなんだから。」

 
 「つまりその「国民の判断」の部分で、今まさに俺は自民党をマイナス評価しているわけなのよね( ゚Д゚) もちろん民主党の方が与党として酷いけどさ、それを是正出来る可能性があるのは自民だけなんだよ、今。こうしている間にまた誰か死ぬんだよ。俺はそれが耐えられん。
 だからせめて会議に入れば野党でガーガー言ってるだけよりよほど枢要に近づくし、復興大臣だって引き受ければよかったんだよ……そっから救援と復興の体制を立て直して欲しかったんだよ。」
 
 「( ゚Д゚) なんか、永田町的な政治と、どぶ板の政治のギャップを強く感じるな……」
 
 「分かった、宗匠との意識の差は「権限」にあると思う。形式上は野党は何もしなくてもいいと思うけど、自民党には力があるからオレも協力した方がいいと思う。もし権限が十分にあるのに自民が断ったらオレも批判すると思う。 でも権限ないもの。ただの議員って本当に何も出来ないよ。
 政府内の会議で意見言っても、権限無いなら今と変わらないよ。どこまで会議内容が公開されるか分からないし、それなら国会で議論した方がマシだと思う。フルオープンだし、国会の場で大臣が明言したら、実質的な拘束力はかなりあるし。
 復興大臣にしても、それだけ自民がポストとっても権限無いよ。ここは前やえが書いたから、読んで頂ければ幸い
 結局権限を与えられるのは菅直人なんだから、全ては菅直人次第かと。」

 
 「よく分かる。そして俺は、その「権限」を取りにいってくれと思っているわけ。なぜなら、その方が結果として一人でも多く助かるし、少しでも速く希望を被災者に、国民に見せられると思うから。「ただの議員のままでいることを罪と思う」のが今の俺なのよ。」
 
 「多分それは自民党議員が一番思ってるんじゃないかなぁ。でも実際問題、権限をどう取ればいいのか考えたら、解散総選挙しかないかと。権限与えられるのは与党と総理だけだよ。権限取りに行けと言うより、権限を与えろと言う方が現実可能性としては筋じゃないかな。」
 
 「さすがに解散総選挙なんぞ無理な話なので( ゚Д゚) だから復興関係の大臣は受けといてもよかったんじゃないかなぁと。後から説得してその大臣職の権限を強化させることだって……。そんなことを俺は思うわけだよ……」
 
 「特命担当大臣の権限の話は単に大臣同士の縄張り争いの話じゃなくて、やえも書いてるように、法律の問題として法律執行権限が無いという話し合いだけでは済まない大きな問題。これを変えるには法改正などが必要で、これをいじるなら橋本内閣の時のような大規模な行政改革が必要なのよ」
 
 「宗匠との意識の違いは「ボールはどっちが持っているか」かな?」
 
 「合ってるような、微妙に違うような( ゚Д゚) ボールを「持つ」んじゃなく、「両方から支えて持ち上げてくれや」って感じかな俺は。」
 
 「自民が協力した方がいい、出来れば内閣に入った方がいいというのは同意。だから権限を明確にして自民が力を発揮できる場があれば協力すべきだし、それでも断るなら批判されるべき。ようはやっぱり総理がどれだけ権限を与えられるかの問題じゃないかなぁ」
 
 「前半中盤大いに同意( ゚Д゚) 最終盤「総理がどれだけ権限を……」のところだけ違うかな。俺『絡め手でも無駄撃ちでも何でもいいから獲りに行ってくれ』という。出血大サービスしてくれよと。」
 
 「分かった。自民党には必死さが足りない、ということかな?」
 
 「「必死さが足りない」いいかもしんない( ゚Д゚) もっと言うと、明日死ぬかもしれない人を助ける勢い、かな。多少勢い余るくらいの姿勢が見たい。そういうことだろうと思う。現場では寸刻を争う事態が続いている、という大前提の元に。その「時間の流れるスパン・早さ」の違いか。
 権限の薄さ故に最終決定は総理に任せねばならないとしても、的確なことを適切なスピードでまとめて決裁待ちまで持って行ければそれだけで( ゚Д゚) 前提として「総理はこの件に関して決裁マシンになれ」ということだけど。それにうんと言わせるのが自民党暗黒政治。←変な期待」
 
 「それをやるぐらいなら、はじめから実働部隊を持っている大臣した方が早いと思うけどね。まぁそこは宗匠的には、担当大臣を打診されたからそれを受けた上で努力しろって事なんだろうけど」
 
 「ああそうそう( ゚Д゚) 出来るんだったら防衛相だの国交相だの分捕ってもらっても。←虫がいい」
 
 「経産大臣、防衛大臣、国交大臣の全てのポストを打診されて断ったら、オレは自民党を批判するよ!」
 
 「自民擁護論でないのを確認した上で質問。自民が宗匠の言うように泥を被りまくって努力して、さらに菅からは責任を押しつけられて、結果的に助けられた人が増えたのかどうかは分からないけど、その結果自民が国民から見放されて解党する事になるとしても、それでもやるべきだと思う?」
 
 「思う( ゚Д゚) その政治家の政治的良心の有り様としてね。やってはいけない比較の仮定をあえてすると、無能政権を批判して、結果として政権交代を成し遂げはするが早期復興に資さなかった、という政局屋が、その後国民のために働けるなんて信じられないから。」
 
 「おおう。そこを言い切るのはすごいと思う。これ政治に限らず全ての人に言える事だから。あ、でも、特攻隊ってこういう気持ちなのかな。でも今の政治家にそこまで期待できるかなぁ。いや国民が主張するのはいいと思う。」
 
 「あ、補足( ゚Д゚) これはこの国難の緊急時だから言えることで、いちおう平時なのだとしたら、そんなこた言わない。あくまでも今この時限定で。だから、被災民や被災地の状況が変われば、それだけで今の意見は変わる可能性も含んでます。」
 
 「今がどれだけ非常事態かという政治家の中の意識の差はあると思う。今現在救出できれば救える命が無いとは言わないけど、そろそろ復興ムード。1刻1秒を争う感じではなくなってる。これが大津波直後なら担当大臣だけでもっていう打診の重みも違ったんじゃないかなぁ。」
 
 「そこは非常に同感( ゚Д゚) 初っぱないきなり野党を頼るってことはどんな与党もないだろうけどさ。だからそれをもって民主党を罵る気はないけど。でも改めて打診する時に権限内容まで提示して本気で協力願えよバカ、くらいのことは思うわー。」
 
 「意識の差と視点の差かな。オレからしたら民主の方が必死さが足りないし、権限持ってるのは民主だから、必死さがあれば自民に大きな権限を与えて早く一人でも助けろって思うもの。
 で、どっちも必死さが無い場合、しかし権限を持っているのは民主だから、助けるために批判するなら民主かなって。その方が実行可能性は高いと思うから。」

 
 「だいぶ摺り合わせが進んできた!( ゚Д゚) 分かる分かる。違うところは、俺に「既に民主党は必死」「しかし無能過ぎて必死さが明後日」「自民党が補正せんとどもならんのじゃ!?」という認識があることか。外部が批判して是正されるような程度の「足りなさ」じゃないというか。
 
 「『しかし無能過ぎて必死さが明後日』
 すごい納得(笑) オレにはこの視点は無かったなぁ。この視点だと宗匠の言ってる事分かるわぁ。
 後は方法論かな。「外部が批判して是正されるような程度の「足りなさ」じゃないというか」なら、では政府内会議で発言すれば是正されるのか。その場合民主は自民を「内部」と認識するかどうか。自民の担当大臣に対しても同様。政府内会議と国会での議論の違い等どっちが有効か、かな?」

 
 「有効かどうかが分からないなら「全部イケ」というのが俺の意見ね( ゚Д゚) 無駄玉撃っても今回はいい、と。結果として「中からでも無理だった」でもいいのよ。「分からない内にその手法を捨てるな」と思っているわけね。今んとこ。」
 
 「にゃるほどね。自民党も組織がでかいし背負っているものも大きいから、なかなか全てを捨てる勢いでっていうのは難しいだろうとは想像するけど。被災者にしてみればそんなの知ったこっちゃないとは思うだろうからねぇ。
 多分自民としては、長い政権担当経験があるから、「その手法はやらなくても出来ないと分かっている」と言いそうだけどね。もちろんこれを国民がどう評価するかは別問題だけど。」

 
 「うん( ゚Д゚) さっきは原理論的に「解党しても」にYesと答えたけども、実際には被災していない西の半分や被害軽微な北海道とかあるわけで、そこにいる人々を振り捨てて被災地にだけ注力することが出来ないことは分かっている。」
 
 「多分ね、結局国民の側でも、もうなんか政争になっているんだよね。この話題でオレmixiで日記書いたんだけど、他の奴の日記を見ても政争なんだよね。宗匠ぐらいまで深く考えている人いないと思う。もしかしたらこれ二大政党制のデメリットの部分かもしれない。」
 
 
 「( ゚Д゚) 軍事クラスタとは「意見のぶつけ合い」になることが多いが、純系の政治クラスタと言っていいだろうあまおち総統とは、互いに違う主張ながらもかなりの疎通と摺り合わせが出来た。その違いの根源がどこらへんなのかも興味湧くが、いくらなんでもまた別の機会にしとこう。」
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 読み返してから、だいぶ聞き手に回ったかなと思っているのだが、フェアさの観点もあるので、まずは今日はこれを読んでもらって、それで何か感想があれば聞かせて欲しい。
 オレとしても大変有意義な時間ではあったが、やっぱり慣れないツイッターという制限のある中での議論なので、後から読み返せば言い足りない部分がそれなりにあった。
 まぁまずはいろんな人の意見を聞いてみたいので、何かあれば是非聞かせて欲しい。
 よろしこ。
 



平成23年4月19日

 民主党は果たしてどこまで本気でやっているのか

 さてさて、昨日アップした世界の中心で左右をヲチするノケモノのところのplummet宗匠(以下宗匠)との議論についてである。
 オレも自分で読み返して、多少時間を置き、また各方面から色々と意見を頂いた事で、色々と論点が見えてきた気がする。
 それをまとめてみよう。
 
 宗匠との論点の違いはどこにあるだろうか。
 書き出してみると、以下になるのではないだろうか。
 
・民主党、特に菅直人に対する信頼度
・民主党はいまどれだけ本気で真剣に災害に立ち向かっているか
・野党という立場ではどれだけ仕事が出来るのか(自民党の力の評価の仕方)

 
 特に大きいのは2番目かな。
 結果としては滅茶苦茶にはなっているが、政府としては全力でやっているから、自民党も出来るだけの事はやれ、自民党こそがその滅茶苦茶を是正させる力を持っているのだから、政府の中に入って国民のために頑張って欲しい、というのが宗匠のざっくりとした意見かと思われる。
 
 しかし果たして民主党はどこまで本気なのか、オレの言い方だと、民主党は本当に必死なのか、ここに疑問が残るわけだ。
 
 例えば自民党が出来る事を10とすれば、オレは自民党は9以上はやっていると思う。
 でも民主党が出来る事を10とすれば、実際は5程度しかやってないように思える。
 
 なぜか。
 色々とあるんだろうとは思う。
 日々色々と流れてくるニュースを見ていると、本当にこいつら必死なのかと、結果だけでなく、取り組む姿勢自体も10を出しているのかと、疑問に思わざるを得ない。
 例えば昨日のweb拍手でコメントをもらったのだが、一昨日土曜日の菅直人の日程はこうだったらしい。
 
 首相動静(4月16日)
 
 午前8時現在、公邸。朝の来客なし。
 午前中は来客なく、公邸で過ごす。
 午後も来客なく、公邸で過ごす。(了)
 
 おい。
 と、つっこみたくなる。
 公邸でもある程度仕事は出来るとは言え、ずっと公邸とはどういう事やねん。
 果たしてこれで、菅直人は必死だと言えるのだろうか。
 
 これは「野党という立場ではどれだけ仕事が出来るのか」に関連するのだが、結局自民党の今の立場だと、自民党だけで出来る事というのはやり尽くした感がある。
 「自民党だけで出来る事」という点だけでその仕事を10とすれば、オレは自民党はもう10やっていると、下手すれば12ぐらいはやっていると認識している。
 それは、以前やえも書いたように、自民党は行政府には直接タッチできない野党の立場であるにも関わらず、個人的な繋がりで役人にコンタクトを取って行政を動かすという、言わば裏技まで使って災害に立ち向かっているからだ。
 まぁこれも自民党単独で出来ない事はないので、10の中に入れてもいいのかもしれないが、少なくとも共産党とかその辺の党では出来ない芸当であるのは確かである。
 これぐらい自民党はやっているのだ。
 
 対して民主党はどうだ。
 民主党は民主党だけで出来る事はまだまだある。
 それは、自民党に協力を求めて救国内閣として復興に共に立ち向かうための環境を整えるという事も、これは民主党単独で出来る事だ。
 いや、民主党が単独でやるべき事なのである。
 ツイッター上で説明したが、特命担当大臣だけでは直接的な権限はないし、法執行すら特命担当大臣では権限がないというのが現実的な法体系の中のシステムであって、それを取りに行けと言っても、法改正が必要なぐらいな案件なので、それは無理筋な話だ。
 話し合いで法律を越えろと言うのは憲法に触れる行為であるから、さすがにこれは無理。
 ここをさらに言うのは、酷だとかと言うよりも、憲法に違反するという、国家の利益を損なう行為だとすら言えてしまうわけだ。
 しかし憲法違反をしなくても、例えば防衛や国交の大臣を自民党に預けるとかすれば、それだけでいともあっさりと協力体制は築けるのである。
 そしてこれは、民主党単独で、民主党と菅直人が単独で決断すれば、それだけで出来る事なのである。
 今回の話の元ネタになった「復興会議」にしてもそうだ。
 キッチリと権限を明記する、例えば「この会議で決まった事は必ず実行する」とか「メンバーは同数にする」とか、そういう環境作りをシッカリしてからやれば良かったのだ。
 これは民主党だけで出来る事だ。
 権限のない自民党だけでは出来ない事だ。
 どうしてこんな簡単な、そんなに時間がかからない決断を菅直人は出来ないのだろうか。
 
 政府与党である民主党には、まだまだやれる事がたくさんあるのだ。
 
 こうした時に、ではどっちがどのように必死なのかと考えれば、自民党はもう出来る事はないのだから、後は民主党がやるしかないと、そう言うしかないのが現状なのではないだろうか。
 民主党がやれば簡単に出来る事を、敢えて自民党に対して「中に飛び込んで努力して実現しろ」と言ってしまうのは、それは筋が違う。
 決定権を持っているのは民主党なんだから、それを実現させたいと思うのであれば、民主党に言うのが筋であろう。
 というか当然の事なのではないだろうか。
 言い方の問題というのもあるが、自民党には民主党が情けないから是非頑張って欲しいという言い方ならまだしも、中に入ろうとしないのはダメだと言ってしまうのは、あまりにも酷すぎる話だ。
 無茶で、無理な話だ。
 決定権のある方には何も言わず、決定権の無い方を評価が下がるような言い方で批判するというのは、とてもじゃないが現実的な話ではないとオレは思う。
 
 例えるなら、目の前に最新鋭の戦闘機があるのに、零戦で敵機に玉砕して来いと言われているようなもんだろう。
 戦闘機があって、それを扱える技術を持つパイロットもいるのに、そのパイロットが「戦争に行くのがイヤだ」と言ってるから、「じゃあお前がこの旧式の零戦で特攻攻撃を仕掛けてこい」と、そう言われる。
 「お国のためなんだから、そのためにお前はこの職業に就いているのだから、玉砕しても当然だよな」と、そう言われているわけだ。
 オレはツイッター上で「特攻隊ってこういう気持ちなのかな」とは言ったが、状況をよく整理すれば、こんなのは人間として反発して当然の場面ではないだろうか。
 もし本当に手詰まりで、他に何も為す術がないから特攻するしかないというのであればまだ納得も出来るし、多くの特攻隊員とはそういう気持ちだったのだと思うのだが、しかし今の状況は明確に違う。
 目の前にその目標を達するためのもっとスマートな手段が用意されているのだ。
 しかもなぜその手段を用いないのかと言うと、「自分はやりたかない」というかなりワガママな理由だ。
 一方は「戦争したくない」と言いつつ、しかしでは自分には「死んでこい」と言われる。
 こんな理不尽はない。
 「まずは打てる手を打ってから言ってください」と、そう言うのは、人間として当然なのではないだろうか。
 
 結局全ては菅直人次第だ。
 宗匠はツイッター上で「総理はこの件に関して決裁マシンになれ」と言っていたが、これも結局菅直人次第としか言いようがない。
 こういうのは法律とかで縛れるわけがないんだから、もう菅直人の個人の資質によるものだけだ。
 ではその菅直人を信じられるかどうかと言えば、もはや民主党内でさえ見捨てられつつあるような人間を、果たしてどう他党の人間が信用しろというのかという話だ。
 このような現状の有様だと、いくらまず特命担当大臣になってから中から変えろと言われても、中に入ったはいいが、結局総理は一切耳を貸さず、権限が無いために大臣は何も出来ず、本当に形だけの大臣、しかも批判だけは受けるという大臣になってしまいかねない。
 それでも宗匠は、やらない前から諦めるのではなくとりあえずやれと言うのだろうが、しかしこれは信頼問題である。
 今までの菅直人だから信頼出来ないのであって、そして結局、信頼を得る事も菅直人次第なのである。
 菅直人がどうしても総理の座から降りたくないのであれば、では菅直人が「特命担当大臣が決定した事は自動的に自分の権限で決済する」と一筆したためればいいだけだ。
 こんなのは法改正など必要ない。
 難しい事ではない。
 5分間筆を持てば、それで済む話なのである。
 菅直人が災害に必死であれば、簡単な話であろう。
 
 入閣の話にしてもそうだ。
 谷垣自民党総裁を電話一本だけで一本釣りしようとしたその方法は、メディアをはじめとして多くの人から非難された。
 それはそうだ、いくら非常時と言えども、通すべき筋はある。
 もしかしたらあの菅の事である、この方法が間違っているとは思っていなかったのかもしれないが、しかし今なら間違いだったと流石に気付いているだろう。
 であるなら、自民党に協力と入閣を求めるなら、一日かけてでも説明と連立内閣の構想を相談して協議したらどうか。
 非常事態だから時間が無いとは言わせない。
 先週土曜日、菅直人は公邸(官邸ではない)から一歩も外に出なかったではないか。
 その時に官邸にでも谷垣総裁をはじめ自民党の幹部の方に来てもらって、じっくりと話し合う時間はあった筈だ。
 難しい話ではないはずだ。
 なぜこれをやらない。
 実は先週の土曜日も、時間はかなりあったらしい。
 
 首相動静―4月9日
 
 【午前】10時57分、公邸で作家の石川好氏。
 【午後】2時1分、官邸。3分、枝野官房長官。3時2分、細野首相補佐官。26分、福山官房副長官。40分、公邸。
 
 一体全体これはなんなんだ。
 自民党が協力すると言っても、主体は当然民主党だ。
 それが選挙の結果なのだから、それは国民の選択なのであり国民の責任の国民の決定だ。
 だからまずは民主党が政権にあるという責任から主体となって体制を作らなければ物事は動かない。
 なのにこれは本当に何なのだろうか。
 ここからも、オレにはさっぱり菅直人が本気で必死だとは思えないのである。
 
 宗匠は自民党の力を高く評価しているんだろうと思う。
 でもそれは、オレには過大評価だと思う。
 それは自民党がどうこうという事ではなく、その前にシステムとして野党はその程度の権限しか与えられていないというシステム論での話だ。
 逆に言えばいくら緊急時とはいえ野党が強い権限を与党無しで持てるようなシステムになっているのであれば、その方が民主主義としては危険であると言えるだろう。
 宗匠は別の人へのツイートで、「お膳立てがしっかりしてなきゃ何も仕事しないのが自民党なのか、と。
」と言っていたが、その答えとしては残念ながらYESである。
 ただしそれは「自民党が」ではなく「野党が」である。
 行政府と立法府は違うのだ。
 あくまで野党は立法府の人間でしかない。
 これを越えるなら、行政府の方から「お膳立て」をしなければならない。
 システムという壁は、個人の力量では越える事は出来ないのだ。
 
 今回の震災全体に関して、民主党はどうだったか、自民党はどうだったかという別々の評価であれば、また視点も違うだろうし、場面場面によっても評価は違ってくるだろう。
 ただ今回の「復興本部の参加拒否の是非」という点を主題と置いた評価という事であれば、菅直人民主党の所行を無視して自民だけを批判するというのは、かなりバランスが崩れた見方になってしまっているのではないだろうか。
 ツイッターでも言っているが、オレは自民党が連立する事には賛成だ。
 もちろん十分自民党が力を発揮できる環境があってこそだが、もしそれだけの環境を民主党が整えたのにも関わらずそれでも自民党が拒否するのであれば、オレは自民党を批判するだろう。
 宗匠の言う事はよく分かる。
 何よりも被災者の事を自分の事と思って考えているのだろう。
 そのためにはなんでもやれと言うセリフは、政党の立場なんて知ったこっちゃない国民からすれば当然と言えるのかもしれない。
 無駄打ちしろという必死の願いも心情的には分かる。
 でも、この最初の記事について言うのであれば、民主党と菅直人を言う方が、被災地のためになるのではないかとオレは思うのだ。
 この件で仮に自民党に対する批判のほうが大きくなれば、民主党はシメシメと思い、ますます本気から遠ざかってしまうのではないだろうか。
 オレはそう思うのだ。
 
 やはりこれは民主党次第、菅直人次第なのである。
 菅直人がもうちょっと必死になれば、政治は災害に対してもっと良い体制を築けるだろう。
 是非そうなって欲しい。
 



平成23年4月19日

 これからの電力をどうするのか

 なんだかお久しぶりになってしまいました。
 あまおちさん、たまに出てくるとすぐ居座るんですから。
 でも、なんか、あまおちさんが前言ってたチャリティーのための団体の垣根を越えたプロレス興業が本当に実現するようですから、なんだか、きゃー、楽しみですね。
 どんなカードが組まれるか、8月まで待ち遠しいです。
 
 たまにはあまおちさん、いいコトをします←違う
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
   さて。
 今日はちょっと問題提起をしておこうと思います。
 電力の問題です。
   言うまでもなく今日本の中での一番高い関心事と言えば、福島の原発事故でしょう。
 福島を中心として、多くの地域で放射性物質がまき散らされてしまい、避難生活を余儀なくされている人や、農作物に被害が出て出荷できない、作付けできない人、また関東でも水が飲めなくなるとか、中には過剰反応も多いですが不自由を感じている人も多いかと思います。
 また、他の地域から「福島の人はお断り」と言われる事件も多発しているようで、実害以上に風評被害や差別被害がかなり大きいと言わざるを得ない状況となってしまっています。
 中には行政までそんな差別を増長させる始末……。
 悲しい事態です。
 
 で、そういう様々な悲しい出来事はそれぞれ考えていかなければならないコトですが、まずはおおもとの問題を考えてみたいと思います。
 原子力発電についてです。
 今世の中は反原発の主張が多くなっているように見えますが、果たしてこれをどう考えるかです。
 
 考え方は色々あります。
 即時原発は全て止めるべきだという意見。
 とりあえず今動いているのは動かして、数年かけて全て止めるべきだという意見。
 原発はそれでも必要だから、安全性に配慮するのは当然として、今までの計画を進めるべきだという意見。
 元々自分は原子力には反対だったと言う人も、最近よく見えるようになりましたね。
 果たしてどうすべきなのでしょうか。
 
 いま原発を止めれば電力が足りなくなると、東京電力や政府は言ってますね。
 それは、関東などの東京電力管内で、電力を最も使う夏には電気が不足してしまい、また計画停電をせざるを得なくなるという話と合致します。
 福島原発などが動いていませんから、そこからの電力供給が出来ないワケで、まぁ足りないのでしょう。
 ただこの話にも懐疑的な人はいます。
 東京電力内の火力発電所や水力発電所の全てを100%稼働させれば足りるんだと計算している人もいて、それで出来るじゃないかと、原子力がなくてもやれるじゃないかと言っている人もいます。
 もちろんこれにも反論があって、全てを100%なんて出来るワケがない、点検なども必要だし、電気は貯めるのが難しいからこそ余裕を持っての発電をしなければ、何かあった時には大変なコトになってしまうという話です。
 やえはこの辺全然知識がないので分からないのですが、何が正解なのかは多分やってみないと分からないというところなんじゃないかなとは思っています。
 
 その中で1つの事実として、ドイツの例が挙げられると思います。
 ドイツは福島原発の事故を受けて全ての原子力発電所を止めたらしいのですが、しかし結局そのために電力が足りなくなってしまい、それを補うために他国から電力を輸入するようになってしまいました。
 しかもその主要取引国の一つはフランスで、そのフランスはなんと80%を原子力発電で電力を作っているという国なのです。
 ですから形上はドイツは国家国境としての原子力発電は0ですが、使用電力の中に占める原子力の割合は、依然として少なくない数を占めているワケなのです。
 果たしてこれは本当に「反原発」と呼べるのでしょうか。
 
 そして少なくとも、日本ではこれはモデルケースにはなりません。
 日本が電力を輸入するにしても、地理的に一番近い国は韓国でしょうが、それにしても遠すぎます。
 そもそも陸続きの国が無いのですから、事実上不可能ですよね。
 だいたい今のこの反原発の流れは「事故があったらどうしよう」という話ですから、隣国に原発があって、そこが事故になれば、外国だからという理由は全然意味を成しません。
 フランスのどこに原発があるのかは知りませんが、ドイツとの国境近くであれば、事故してしまえば結局ドイツの被害は甚大でしょう。
 果たしてこれは意味があるのかどうか、正直日本のコトと考えれば、先進国ではない韓国に任せるよりは、まだ自分たちの手で管理している方が安心だという考え方もあり得るでしょう。
 
 こういう考え方もあります。
 もちろん事故をしてしまった時にどうするかを考えるコトは大切で、日本はその視点がほぼ抜け落ちいてたコトは確かですから、これは大きな今後の課題ですが、それでも事故は無いに超したコトはありません。
 結局今回の福島原発で何が一番致命的だったのかと言えば、やはり予備電源が止まってしまったコトなのでしょう。
 それで冷却がうまく行かず、今のような有様になってしまったワケです。
 では今後はそこを中心に、日本全国の原発施設を早急に対応すれば、今回の大地震と大津波も耐えられた、今後も耐えられるのではないでしょうか。
 念には念を入れて、さらに大きな地震、さらに大きな津波が来てもなんとかなるよう対策するコトも、日本の技術力を持ってすれば出来ると思います。
 事実、女川原発は耐えきったワケですしね。
 ですから、地震や津波、台風や火事など、想定しうる災害のさらに悪い状況を想定して、それでも耐えきれる対策を取れば、そしてそのメンテナンスも十分にし、国民に公開するというのであれば、原発もこれまで通りやっていけばいいんじゃないかという、そういう考え方もあろうかと思います。
 
 ネットでは「原発利権」という言葉が流行っているようですが、やえはこの言葉嫌いです。
 どっちかと言えばこれは公務員叩きに近い、具体性のない言葉にしか思えないからです。
 どんなモノだって、人間とお金が集まれば「利権」と呼ばれるようなモノは生まれます。
 もちろん国益を阻害するだけの利権ならそれを守る必要はありませんが、どんなモノでも色んな面があるワケで、公務員もそうですし、単に一面だけを見て叩くというのは非現実的な話です。
 一番大切なのは、個別具体的にそれをどう考えるのかであり、利権という言葉の定義もあやふやなのに、今はとりあえず叩けという感じになっているようにしか見えないのです。
 もっと広く多角的に考えて、この原子力の話は見ていくべきなのです。
 利権という言葉にとらわれない、では現実論として今何をどう見て、どう考えるかに、真摯に向き合うべき時でしょう。
 
 原発を作ったのが罪なのか、それとも事故に(事前事後も併せて)対応出来なかったのが罪なのか、ここは冷静になって、分けて考えるべきところです。
 
 この問題はやえなりに色々と思うコトがまだまだたくさんあります。
 広島に生まれた運命もあるワケですしね。
 とりあえず今日は色々と事実を出して問題提起をしてこれで終わりますが、まだまだ長期的な視点に立って考えていきたいと思います。
 皆さんからも是非ご意見いただければと思います。
 



平成23年4月20日

 自民党と民主党の人材の差

 今日はちょっと簡単に。
 まずはこちらのブログさんをご覧ください。
 本来は記事を引用するところなのですが、レスがちょっとおもしろかったので、こちらをご紹介したいと思います。
 
 【政治】政府・民主党、復興基本法案提出先送り…岡田幹事長「連休前の提出にこだわるべきでない」
 
 政府・民主党は20日、東日本大震災からの復興に向けた基本方針や組織を定める復興基本法案について、4月中の国会提出を断念し、5月の大型連休後に先送りする 針を固めた。
 同党の岡田克也幹事長が党復旧・復興検討委員会で「体制をつくる話なので拙速であってはいけない。連休前の提出にこだわるべきでない」と述べた。
 岡田氏は、国民新党の亀井静香代表が復興の実行組織「復興実施本部」設置を提唱し、野党に参加を呼び掛けていることに触れ、「動きを見た方がいい」と語った。
 
 まぁ拙速であってはいけないというのは、復興案という法案の性格からしてその通りだとは思うのですが、それにしてもちょっと遅くないですかとやえは思います。
 もう1ヶ月もゆうに超しているワケですから、それまでに提出するぐらいの体裁ぐらいはとれなかったのかと思わざるを得ません。
 
 このように言うと、「政府はとりあえずの対策で手一杯だった」と言う人がいるかもしれませんが、しかし、それこそが民主党政権の最も愚鈍なところです。
 つまり、民主党には政府に入っている人ぐらいしか「使える人」がいないというコトなんですね。
 そしてその使える人がとりあえずの対策で手一杯なので、その他のコトが全然何も進まないと。
 だから法案提出すらままならないのです。
 民主党には政府に入っている人の他にも国会議員がワラワラといるハズなのですが、これらは全て何も出来ない烏合の衆だと、この事例はそう言っているに他ならないワケです。
 
 ここが自民党との違いです。
 自民党が与党であれば、自民党はそれぞれ適材適所の役割分担をして対応できていたでしょう。
 というか、いままでそのようにしてきました。
 おそらく今回のコトであれば、自民党政府なら政府としてはすぐに消防や自衛隊に指示を出すなど現場の対応をしさしあたっての救援活動に専念にするにしても、他には被災地が地元の国会議員は地元の生の声を聞いて、それをすぐに政府や役所に上げて、避難者等の細かいところまでの対応も可能にしていたでしょう。
 また、阪神大震災や中越地震や他の災害にあった経験のある国会議員も、例えば山古志村の元村長さんもいまは自民党の衆議院議員ですが、その経験を生かして、普通なら目の届かないような対策や対応、措置をとってくれるコトでしょう。
 さらに経済産業の分野、国土交通の分野、農林水産の分野などの専門の議員、いわゆる族議員なんて言われますが、そういう人たちは業界団体からの要望を集め、すぐに政府に上げるコトができたでしょう。
 そしてさらに、その他の国会議員も、これらの生の声を聞いてきた議員さんの意見を聞いて、いまどのような政策が必要なのか、立法措置が必要なのかを、すぐに部会にかけて方向性を示し、それを土台に役所に法案の案を作らせて、さらに議論をしていたコトでしょう。
 事実、ちょっと前にご紹介しましたように自民党の議員さんは救援物資だけでない様々な行動をしているように、また他の事例を見ても、例えば口蹄疫事件なんか見ても、地元の自民党の国会議員の獅子奮迅ぶりは記憶に新しいと思いますが、例え若手の国会議員であったとしても、一人でも十分に行動し結果を出すコトが出来るというのが自民党なのです。
 適材適所、それぞれの議員が自分で判断して、最も適切と思われる対応を自分で出来るのです、自民党は。
 
 そもそも民主党は、党内の政権側と敵対する側が一切無視を決め込むだけというのが醜悪すぎるのです。
 いまで言えば小沢一派ですね。
 小沢一郎をはじめとするこれらの議員は、批判を口にするだけで、政策の場には一切手を出そうとしません。
 何もしないのです。
 しかし自民党であれば、例え非主流派であったとしてもこのような場面では、部会などの場で、むしろ自分たちのアピールのために、自分たちの方が優秀だと示すために、積極的に政策に関わろうとします。
 当サイトが部会のレポートを出した人権擁護法案の時など見てみてください。
 どんな立場であっても部会の場に集まり、喧喧諤諤の議論をして、自分の意見を主張するのです。
 非主流派だから出ない、のではありません、非主流派だからむしろ前に出るのです。
 そしてそれは、日本の政治のためだと信じているからでしょう。
 自分だって国民から負託を受けた政治家なのだから、非主流派だとしても意見を言う権利がある、いえ意見を言わなければならな義務があると信じているのです。
 
 この2つの意味で、民主党は本当にダメな政党としか言いようがないのです。
 一部の議員しか使えない、後は烏合の衆でしかないし、さらにその半分は非主流派というコトで、政策の場にすら顔を出そうとしないのです。
 果たして民主党はいったいなんのために政治をしようとしているのでしょうか。
 結局自分の権力のコトしか頭にないのでしょうか。
 
 自民党はすでにいくつもの提言を出しています
 その中の一つに例えばこのようなモノもあります。
 
 東日本巨大地震・津波災害の復興再生に関する基本的考え方
 
 平成23年4月12日
 自由民主党
 
 基本的方向性
 (1)単なる復旧ではなく、21世紀半ばの日本のあるべき姿を被災地で先取りして実現
 (2)国が、地方公共団体と協力し、地域住民の意向を尊重しつつ、復興再生を推進
 (3)国・地方問わず官民の持ちうる能力を最大限に発揮し、総力を結集しての復興再生
 
 復興・再生の枠組み
 (1) 東日本巨大地震・津波災害の復興再生基本法(仮称)の議員立法による制定
 (2) 国会・内閣において、21世紀半ばの日本のあるべき姿の早急な取りまとめと国民理解への取り組み
 (3) 計画作りから実施に至るまで一元的に行う、国務大臣を長とした官(地方を含む)民の英知を集めた復興再生院(仮称)の早急な創設
 (4) 復興再生院の創設は10年間の時限措置とし、3〜5年を目途に、広域的な対応も視野に入れ、実施の中心を地方に段階的に移行
 (5) 国会において、衆参各々に復興再生特別委員会(仮称)の創設
 
 以下略
 
 自民党がここまでまとめているのであれば、おそらく何度も部会で議論した結果なのでしょう。
 そしてここまでまとめられれば、後はこれを基本にして、役所に「法案の案を作れ」と言えば、かなり形になるコトでしょう。
 それが出来上がれば、さらに部会で議論して、詰めていくワケですね。
 時々「自民党も何もしてないじゃないか」とか言ってる人がいますが、自民党はこのようにいろいろとやっています。
 ただ与党ではないので、与党しか出来ないコトがいまの自民党には出来ないだけなのです。
 当たり前ですね。
 例えば野党が自衛隊に対して具体的にどこどこにどれだけの人数を割けとか指示なんてシビリアンコントロールを破るようなマネが出来るハズがありませんし、法案にしても役所が手伝うコトは基本的にしません。
 権限が無いから野党なのであって、そしてその中で自民党は、あまおちさんも言ってましたように、出来るだけのコトはやっているのです。
 
 そしてこれらの国会議員や政党を選ぶのは、国民自身です。
 果たして今回のこの動きをどう評価するのか、よくよく考えてみるべきでしょう。
 少なくともやえは、連休前に復興基本法が提出すら出来ないというのは遅すぎると思いますし、自民党なら出来ていたと、いままでの実績を振り返れば、そう思うのです。
 



平成23年4月21日

 コメントレス

 今日は木曜恒例の頂いたコメントへのレスの日です。
 最近東京では地震もかなり減ってきましたが、みなさんどうお過ごしでしょうか。
 と言っても、まだまだ油断は出来ないようですから、慣れた時が一番こわいと思って、最低限自分に出来るコトはいまでもしているつもりです。
 電力の問題もまだまだこれからですからね。
 がんばりましょう。
 がんばってやるです!
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 満足な規制も出来ていなかった出版業界の体質こそ問われるべきなのに、盲目的に表現の自由を規制する石原は許せないとか、おかしいですよね。
 
 で、結局、例の条例はずっと施行されているワケですが、なにか大きく変わりましたかね?
 えっちな本をえっちな本として18歳以上の人にしか買わないよう規制するのは当然としても、一時期言われていましたようなジャンプまで規制されるとか、ドラえもんまで規制されるとか、そういうのはありましたでしょうか。
 あるワケないですね。
 自主規制についてはあくまで業界側の動きですからね。
 結局、民間側が賢くなるしかないワケです。
 
 
 都条例については条例自体が悪用されたりしないようにするしかないでしょうね。紀伊国屋事件みたいなことが起こったらまた騒ぎになりますから・・・。もちろん、我々も変に曲解したり拡大解釈したりせずに条例の内容を咀嚼しなければなりませんが。
 
 いまの日本は自由主義、資本主義の国ですから、法令で規制されない限り、必ず別の業者が販売などをしようとするでしょう。
 なぜなら、儲かるからです。
 大手が自主規制すればするほど、他の業者にとってはビジネスチャンスですよね。
 「紀伊国屋にはない商品がウチにはある」という状態なのですから。
 だから消費者が選択すればいいのです。
 紀伊国屋が売らないのは勝手ですし、その分だけ紀伊国屋は売り上げが落ちるのですから、自業自得なんですよ。
 ただそれだけのコトでしょう。
 
 
 石原都知事は、あれだけど、他に比べれば、という意見も表明できないのは問題だと思います。
 
 これから政令指定都市を除く市町村議会とその長の選挙があるワケですが、選挙とは、結局は主権者である国民が全員政治をしていた国家としては成り立たなくなるので、一部の人間に権限などを委任し、その委託先を決めるというモノですから、必ず妥協は必要です。
 白票とか棄権というのは、それは民主主義における選挙制度から逸脱した行為でしかありません。
 もしどうしても妥協したくないのであれば、自分で立候補すればいいだけの話です。
 そもそも政治とは全ての場面において妥協ですからね。
 政治とは、人間が複数人集まった中でいかに円滑に社会を営むかという方法論の話ですから、お互いがちょっとずつ我慢して全体として最良の方法を探すワケで、ここで妥協はあるワケです。
 たった一人だけで生きていけるなら妥協は必要ありませんが、人間が2人なった時点から妥協は生まれるのです。
 ですから選挙においても「○○よりはマシ」「他よりはマシ」という選択方法は、実は正しいんですね。
 どうしてもこれがイヤというのであれば、自分で立候補しましょう。
 政令市以外の市議会議員なら供託金は30万円、町村議員なら供託金はありませんから、難しくないですよね。
 
 
 すみません、プロレスに知識ないのでいまひとつよくわからないです。二人のキャラ付けとか位置づけとか
 
 ごめんなさい〜。
 あの日の更新は、もうなんかあまおちさんが勢いで書いたみたいで、ごめんなさい〜。
 プロレスって歴史を知って楽しめるみたいなところがありますから、ちょっと知らない人にとっては難しいかもしれないんですよね。
 でも、プロレス、すっごく面白いですから、機会がありました見てみてください。
 
 
 枝野氏、南相馬市を防護服で5分間車外視察…住民「こんなに遅く来て帰るのは早い」 http://t.co/xHWNLNc
 ただちに影響はないってのは、これぐらいの備えをして屋外は5分が限界だって身をもって伝えてくれたんですね(棒
 つか、こいつが不安を煽って風評被害そのものじゃないかと、ホントに安全なら。まあ、アホ丸出しですな
 
 今ネットで話題のフルアーマー枝野ですね(笑)
 せめて周りの人と同じ格好をすればいいのに、本当にこれはひどいです。
 口だけ政党の面目躍如と言ったところでしょうか。
 こんなコトされると、菅直人のムシャムシャパフォーマンスも、別の県の野菜なんじゃないかと勘ぐってしまいますよね。
 人災政党民主党です。
 
 
 原発は推進するべき。今は非常時で多めに見られてるけど環境問題がなくなったわけではない、五年経ち十年経った時に震災を言い訳に火力発電を使用するのは国際世論的に無理だと思う。自然エネルギーもそんな短期間で原発にとって変われるほどの技術革新が起こるとも思えないし、質を量でカバーしようにもそんな土地があるとも思えない。旧来の原発を使い続けるよりは今回の震災の教訓をフィードバックしたより安全な原発を新規に作っていくほうが結果的に安全性が高まるだろうしね。ただ原発の総数をどうするのかってのは議論の余地があると思う。
 
 他の発電方法を検討し増やすというコトになっても、それらのデメリットもあるワケですから、それもちゃんと考えなければならないですね。
 おっしゃるように火力の場合は、化石燃料を大量に使うコトや、それにともなうCO2の問題等です。
 やえのお勧めは水力なのですが、これももし雨が降らずに水不足になった時に困るというのもあるワケで、なかなか一長一短うまくいかないのが電力の問題と言えるでしょう。
 だからこそ、さまざまな方法によって電力を作っているワケで、ここのバランスについては、これからもっと考えていかなければならないです。
 なぜ原子力だけではなく、火力だけでもなく、水力だけでもない、様々な発電方法が同時に採られているのか、利権という言葉で思考停止しないよう考えていく必要があると思います。
 
 それはともかくやえちゃんおかえりチュッチュッ(´ε` )
 
   ∩___∩         |
   | ノ\     ヽ        |
  /  ●゛  ● |        |
  | ∪  ( _●_) ミ       j
 彡、   |∪|   |        J
/     ∩ノ ⊃  ヽ
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |
  \ /___ /
 
 
 違う違う、中松違う! 一応10%票取ってる共産党のあの人! ←四番手
 
 あ、そうでした。
 ま、そうだとしても特にコメントはありません(笑)
 
 
 各国から支援金貰う側なのにODAはあげたがる不思議について
 
 ODAについては、なんかやっぱりちょっと納得できないですよね。
 まずは少なくとも中国は0にして当然だと思うのですが、いまは緊急事態ですから、今年分ぐらいは全面0にしてもどの国も文句は言わないでしょう。
 ただ、どうですかね、ODAが必要な国って、例えばほとんど外国のニュースすら入らないような、日本っていう国があるというコトだけ知っている程度の状態が大半の国民という国もあるのかもしれません。
 そういうところの事情とかも考慮が必要なのかも知れませんが、まぁでも、それにしてもやっぱり自国優先ですよね。
 これからずっと無くすというのならまだしも、今年1回だけ中止にさせてもらうというだけで失うほどの国益なんてあるのでしょうか、やえには疑問です。
 
 
 俺は逆に、宗匠さんは民主に何の期待もしていないと感じた。だから自民に泥かぶっても動けと言ってるのかと
 
 やえも一連のツイートを読みまして、そうなんだろうとは思いました。
 ただ、民主には期待していなくても、与党は民主という事実は忘れてはならないハズです。
 つまり一義的には、やっぱり民主がまずは出来るコトがあればやれよと言うのが先でしょう。
 だって政権政党なのですから。
 そしてその手段を持っているのも与党ですからね。
 この辺があまおちさんとの意識の差として出ているのではないかと、やえは想像します。
 
 
 戦闘機の例えで言うなら、最新戦闘機でも素人で味方を撃つ危険がある民主より、熟練パイロットの自民のゼロ戦の方が強い
 
 この場合、ゼロ戦で戦えというよりも、玉砕しろと言われているという例えでしょうから、ちょっと違うと思います。
 他の手段がまだまだあるのに、自分の命を捨てて特攻してこいと言われれば、それはいくら自己犠牲の精神があったとしても職責としてあったとしても理不尽に思うでしょうという話かと思います。
 
 
 民主党のポッポは過去に「今こそ、麻生太郎首相は官邸で寝る間もなく対策に取り組むべきだ。」なんて言ったのになw
 
 「それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」by菅直人
 
 
 ところで、いただいた記事などにはあまおちさんがツイッターでコメントしているコトがよくありますので、もうちょっと下にあるツイッターのところも併せて読んでいただければと思います。
 やえもブックマークしているんですけど、はてなブックマークもツイッターと連動しているみたいですから、あまおちさんに任せようかなと思っているんですよね。
 
 さて、明日は福島原発の発電装置の対応について、一言書いておこうと思います。
 よろしくお願いします。
 



平成23年4月22日

 自民党の提言の濃さ

 今日は福島原発の発電装置の対応について一言書こうと思っていたのですが、ちょっと時間がなくて、簡単に2点言っておきたいと思います。
 
 まず最初に、例の都条例の話なのですが、どうも施行はまだだったようなのです。
 てっきりやえもあまおちさんも、条例成立と同時にかと思っていたんですが、そうでなかったみたいで、ごめんなさい、間違えてしまいました。
 お詫びして訂正します。
 
 ただ、結論については変わらないんですけどね。
 こちらのツイッターのまとめ、トゥギャッターをご覧下さい。
 
 東京都青少年治安対策本部の警察官僚が新・都条例で不健全指定予定の漫画名を発表  
 以下、ソースは文化通信。出版倫理懇話会で東京都青少年・治安対策本部の櫻井美香青少年課長は新条例による指定対象の可能性のあるコミックスを例示していたとのこと。
 都によると『恋人8号』、『彼氏シェアリング』(以上2点は強姦描写のため)、『碧の季節』(強姦と近親相姦描写)、『あきそら』(近親相姦)、『花日和』、『奥サマは小学生』(以上2点は反倫理的な性交場面)の7点は施行後重版すれば指定を検討。
 また「18禁マークが付いているコミックスは新たな指定対象にはならない。一切描くなということではない」とのこと。以上ソースは文化通信。
 
 もちろんポイントは、最後の一文「18禁マークが付いているコミックスは新たな指定対象にはならない。一切描くなということではない」です。
 読んだまんま、「えっちな本として扱えば問題はない」と東京都も認めている一文に他なりません。
 無制限に漫画を取り締まろうとか、そういうのはあり得ない妄想でしかありません。
 
 だから結局業界の取り組み次第なんですよね。
 コンシューマーゲーム業界もアダルトゲーム業界も、キチンと対応していますから、問題なく発売できているワケじゃないですか。
 それを出版業界だけが、法的にえっちなモノは自主規制して売りなさいとなっているのに無視し続けて、表現のジユウガーとか言うから、ややこしくなるだけで。
 「えっちなモノはえっちなモノとして売りなさい。従えないなら発売禁止にしますよ」
 というだけですよね。
 特に問題があるとは全然思えません。
 当たり前の対応だと思います。
 
 
 次です。
 この前自民党は、民主党と違って出来るだけのコトをいまやっている、人材も民主党と違って豊富であり、野党の立場だから立法化まではできないけど、いくつもの提言も行っている、という内容の更新をしたのですが、さらに調べていくウチに、自民党はここまでやっていたんだと改めて思い知らされた資料がありましたので、ご紹介しておこうと思います。
 もうここまでやったら、後は官僚に指示して法案の案、法案文を作らせるだけの段階です。
 もちろんいま自民党は野党ですから、これぐらい膨大な量を役所に頼むのは事実上不可能でしょうが、つまり政治家の段階での仕事は、かなりキチッとやっている証拠だと言えるでしょう。
 ちょっと見てみてください。
 
 『復興への道標』東日本巨大地震・津波災害及び原発事故対策に関する緊急提言[第2次](注:PDFファイル)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コピペが出来ない設定になってしましたので、ちょっと無理矢理画像ファイルにしたんですが、どうでしょうか、これとんでもないですよ。
 こんな内容のモノがギッシリとなんと47ページもあるんです。
 ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うぐらいの分量です。
 
 しかも感心したのが、前半にある提言だけにとどまらず、その提言がどうすれば実際に実行に移せるかと、そのための法律案の案まで書いているワケです。
 かなり具体的に。
 さらに言えば、既存の法律を変えればOKというモノに関しては、キチンと「改正案」になっています。
 つまりこれは、今ある法律を理解し、どのように運用できるのか知っていて、その上で今回の震災には対応しきれないと分かっているからこそ、ではこの法律を改正すれば対応できるようになると、そこまで理解しているコトに他なりません。
 ハッキリ言って、これはスゴいですよ。
 民主党なんて、口から出任せみたいにやりたいコトを実現可能かどうかなんて考えもせずに適当に言うだけで、それでいま困っているワケですが、自民党はここが違うワケです。
 そしてその能力もスゴいです。
 ここは素直に感心するしかありません。
 
 なんかここまでベタボメすると肩入れしすぎだと言われるかもしれませんが、まずはこれ実際に読んでみてください。
 正直すぐには理解できないほど濃密です。
 やえも全部読む気にはなれません(笑)
 ここまでされれば評価するしかないですよ。
 必要以上に持ち上げようとは思いませんが、しかしこれを評価しないのであれば、まずどのように評価しないのか、それを具体的に聞かせて欲しいです。
 
 ここまでやっているのに、野党だからという理由で実行できないのは、これは国民にとっても不幸なコトだと思います。
 民主党政権は未だに法律をまともに通せてないワケですからね。
 そして、なによりこの自民党案は、民主党がその気になればすぐに法律化させるコトができ、実行するコトが出来るのです。
 民主党が、本当に国民のためを思えば、自民党案を丸のみすればいいのですからね。
 もちろんよりよい案にするために議論するのはいいのでしょうけど、でも民主党はその案すらないのですから、無駄に時間を費やすのなら、国民のために丸のみしろと言いたくなります。
 その時間の分だけ、国民の生命財産国益がどんどん失われてしまっているのですから。
 
 自民党はこのように「実際に行動している」のです。
 



平成23年4月25日

 小さな政府では大災害は対応できない。

 最近めっきり聞かなくなりましたけど、ちょっと前までは「小さな政府」とか「大きな政府」とか言われ、果たしてこのどちらが日本にとっては良いのだろうかという議論がよく聞かれました。
 小さな政府とは、出来るだけ政府は民間に手を出さずに、政府しかできない国防とか外交とか警察とか最低限のコトだけを行って、その他基本的には民間の活力で国を成り立たせようという考え方です。
 対して大きな政府とは、公共事業とかそういモノをバンバンやって、政府主導で国家を運営しようという考え方です。
 福祉にしても、高福祉高負担は大きな政府の考え方ですね。
 今の日本がどういう状態なのかは議論の分かれるところではありますが、少なくとも「小さな政府」と呼べるほどでは無いとは言えるかと思います。
 年金にしても医療にしても、世界的に見ればかなり厚遇されていますからね、小さな政府とは言いづらいでしょう。
 
 この議論が話題になったのは、小泉純一郎さんが総理の時です。
 あの時小泉総理は「小さな政府」を掲げて様々な場面で主張していました。
 新自由主義とも言いましょうか、政府は出来るだけ民間に手を出さず、規制も出来るだけ緩和して、競争の原理に基づいて資本主義によって国を豊かにしようと、小泉さんの政策を全体的に見れば、そういう方向で行われてしましたよね。
 そしてその象徴が、郵政民営化だったワケです。
 郵政も政府が運営するのではなく、民営化して、市場の中で競争するコトによって無駄な部分が省けて、さらに上を目指して切磋琢磨して事業拡大すると同時に、国家にも税金を払うようになるのでますます国のためにもなるという、そういう説明を小泉さんはよくしていました。
 やえはよく覚えているのですが、その時国民も、多くの人がこれに賛同していたと記憶しています。
 やえは「小さな政府」には懐疑的で、当サイトでもよくそれを言っていましたから、なおさらよく覚えています。
 
 で、なんで今その話をするのかと言いますと、今回の原発の問題として、2点ほど「小さな政府」とは相容れない問題があるからです。
 1つは、小泉時代に共産党が国会で福島原発の耐震性をもう一度点検し直すべきだという質問をしたのに、結局何もされなかったという点です。
 
 まぁこれに対しては他にも色々と言いたいコトもあって、あまおちさんがこの前ツイッターでも言っていましたが、この問題を取り上げていた共産党本人であるならともかくとしても、当時原子力発電があるコトを知った上で電力を普通に使い、そしてこの指摘にも当時全く触れなかったような人、やえも含めてですが、そんな人が、いまになって共産党に尻馬に乗って批判するというのは、ちょっと都合がよすぎる気がしてなりません。
 まして原発が事故したコト自体を責めるならまだしも、原発の存在そのものを責めるかのように言う人は、ますます自分勝手すぎるのではないでしょうか。
 いまこれからをどうするのかという意味で議論するならいいのですが、過去にまでさかのぼって、自分を棚に上げて他人を批判するだけ批判するというのは、自分勝手だと思います。
 
 っと、ちょっと横路に逸れすぎましたが、小泉政権下での小さな政府を目指す立場では、まず基本的には政府は民間に手を出すべきではないという立場なのですから、耐震化免震化の作業というのも、当然民間主導でやるべきコト、東電が自らやるべきコトだと言えるという点です。
 というか、これ、いまでも基本的にはそうなんじゃないでしょうか。
 何度かやえも言っていますが、今回のコトは結局は福島原発が古かったコト、津波に耐えきれなかったコトが問題であって、しっかりと対応していれば今も普通に電気については不自由なく使えていた可能性が高いです。
 女川原発は耐えきったワケですしね。
 ですから、第一義的には当然として東電に責任があって、使用許可を出した政府にも無いとは言いませんが、「規制緩和」という流れの中であれば、やはり東電の見通しが悪すぎたとしか言いようがないのではないでしょうか。
 
 基本的に「小さな政府」というのは、かなり極端なコトを言えば「自己責任」の世界です。
 東電をはじめとする電力会社は、原発事故を起こさないようにするのは当然のコトであって、それは政府の許可があろうが無かろうが関係ない話でしかありません。
 そしてその責任は全て「自己」に帰すべきモノです。
 「大きな政府」として、全てを政府の許可制にして、認可制にして、役人もキッチリと立ち入るような、極端なところに行くと共産主義政府ですが、そういうのでしたら政府の責任も大ですが、「小さな政府」だと、そういう政府の労力も出来るだけ省いて民間に還元しようという流れですから、ここのところの責任というのは、実は大きな政府なのか小さな政府なのかでかなり変わってくるのです。
 そして小泉政権下では「小さな政府」を目指していて、国民もそれを後押ししていたのです。
 ここをいま意識している人というのは、どれぐらいいるのでしょうか。
 
 もう1点は、ほとんど同じコトなのですが、小さな政府だと、こういう大規模な天災が起こった場合のそのフォローが政府では出来なくなるというコトです。
 自分の身は自分で守れというのが小さな政府ですから、こういう時でさえ、基本的には自分で民間の保険会社の保険に入っていなければ何もフォローされないというコトになるでしょう。
 家が流され車が潰れ、何も手持ちに残らなかったとしても、保険に入っていなければ、それは流されたままになってしまうというのが、小さな政府の最終的な姿です。
 
 でも今回の日本のあり方を見たとき、やっぱり「小さな政府」は日本人には合わないと思います。
 
 義援金や救援物資を見ても、やっぱり日本人には助け合いの精神が強い国民性だと思いますし、またこういうときだからこそ政府に強いリーダーシップを発揮してもらいたいと願うのも、やはり日本人の国民性ではないかと思うのです。
 普段は「お上はお上、庶民は庶民」でも、いざとなれば「政府は何をやっているんだ」と言いますもんね。
 やえはそれを悪いコトだとは思いません。
 お上はいざという時にキチンと国民のフォローをするために存在すると言っても過言ではないワケですから、その時にお上に頼るのは悪いコトではないでしょう。
 しかしだからこそ、「小さな政府」ではダメなのです。
 小さいと対応しきれなくなります。
 平時でも非常時でも、日本は日本であるコトに変わらないのですから、平時の時は小さな政府で、非常時の時だけ大きな政府になれというのは、我が儘な主張でしかありません。
 「小さな政府」を目指すのであれば、非常時の時でもその程度の対応しか出来ないというコトを国民は自覚し理解した上で選択しなければならないのです。
 
 これから原発そのものをどうするのか、日本の電力事業をどうするのかは議論になると思いますが、その際、政府の立ち位置というモノは実はけっこう重要な問題になってくるのではないでしょうか。
 あまり議論されない問題ではありますが、よくよく考えてもらいたい問題だと思います。
 



平成23年4月26日

 大きな政府と小さな政府の責任

 今日は、御意見板でいただいたご意見へのレスが思ったより長くなってしまいましたので、今日はこれを本校心にさせてもらうコトにします。
 内容は、昨日の「大きな政府」と「小さな政府」のコトについてです。
 昨日の更新は自分でも、なかなか普段ではあまり議論されないコトを突っ込んで書けたなと思っていまして、それに対してまた深いご意見をいただきましたモノで、とても自分でも満足しているところです。
 ご意見いただきましたコトに感謝し、またご意見がありましたら書き込んでいただきたいと思います。
 
 あ、ちなみに、都条例の件に関して、これはあまおちさんがレスを書こうと思ったのですが、これまた長くなってしまったようで、本文に載せろと言っていましたから、本文に載せるかもしれません。
 しばらくお待ち下さい。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 ではまずは、せっかくですので、全文を引用させていただきます。
 
959 名前:nao:11/4/25 23:47 ID:LSffvDUvt.
>平時でも非常時でも、日本は日本であるコトに変わらないのですから、平時の時は小さな政府で、非常時の時だけ大きな政府になれというのは、我が儘な主張でしかありません。
 
ってのを実現しようと言うのが小さな政府論の要諦の一つでしてね。
要するに政府機能を危機管理に特化させましょうと。
 
第一「大きな政府」の下で起こった問題を、
「小さな政府」じゃ収束しきれないんじゃねとか言っちゃうのはアンフェアだと思うんですよね。
そもそも、各地域に電力一社の原則がなかった場合、
東電は危機発生時の賠償リスクは政府に頼れず全部負い、
稼働地への説明責任もすべて自社で負い、そのコストも自社持ちという前提で、
原発の稼働をするかしないかを決定し、稼働するなら
安全対策性能の優劣を含む熾烈な受注競争を勝ち残った原子力事業会社に発電所建設を依頼して、
原発を動かすことになるわけですよね?
ついでに言うなら消費者の方も原発製の電力を使いたくなきゃ別の電力会社を頼れるわけで、
んなあぶねー電力使いたくネーよと言われるような発電所の運用はできんわけですから、
より一層慎重な耐震評価をすることになるなんて事もありえるわけです。
 
というか
福島原発が→規制緩和によって→耐震、対津波の安全対策レベルを下げ→結果事故に繋がった
ってロジックを裏付けるデータは観たことがないのですがソースみせてもらえますか?
 
確かにこの震災をうけて、小さな政府主義者として考えるところはありました。
予期不能なリスクが顕在化した場合のためのセーフティネットの張り方はよくよく考える必要があります。
ですが同時に、「大きな政府」ってものが平時も危機対応時も、
場合によっちゃ管だの鳩山だの(及びアレらの指示が無ければ力を発揮できない官僚)がでかい権限を持つ、それなら君主制と大してかわんねーよという 政治体制だという印象が強くなったことも事実です。
 
>福島原発が→規制緩和によって→耐震、対津波の安全対策レベルを下げ→結果事故に繋がった
 
 原因がどこかっていうよりも、今回の話は責任の問題が主眼なんですね。
 前回の本文にもありますように、政府に責任が全く無いとは言っていません。
 原発という性格上政府にもある程度は責任はあるとは思います。
 が、その「ある程度」とはどの程度なのかという部分を考える際に、「大きな政府」とか「小さな政府」とかが指針になるのではないかという話です。
 
 今の電力会社は事実上独占企業ですし、原発も事故した時の影響は計り知れないですから、ある程度、政府が介入するのは間違いではないと思います。
 ただ原則として、東京電力が民間企業である事実は変わりないのですから、一義的な責任は東電にあるのは当然です。
 そして同時に、いくら政府の責任が大きくても、政府の責任は東電を越えるコトはないでしょう。
 国営化されていたり共産主義国でしたら責任は並ぶか国の方が大きくなるコトはあり得ますが、民間企業である以上は、一義的な責任は絶対に東電にあるワケです。
 
 で、それを踏まえた上で、小泉政権時での国のあり方を見れば、これは誰もが認めざるを得ないぐらい小さな政府に傾いていたワケで、その時勢を考慮した上での責任はどうなのかというのは、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があるんじゃないでしょうかというお話です。
 原発というのは大変な問題ですから政府が介入するのは当然としても、その程度の差というのは、「大きな政府」と「小さな政府」とでは変わってくるハズです。
 
 民間企業でも「政府が介入しないから安全管理は適当でいいや」なんて思っていいワケがありません。
 例えば食品業界とかも同じですよね。
 食中毒を起こした業者が「政府が介入しないからいけないんだ」とか言っても、通用する話ではありません。
 介入があろうと無かろうと、国民の生命や健康に直接影響を与えるような内容であっても、それが民間会社であったとしても、安全性を確保し担保する責任は民間会社にあります。
 これは全ての企業に等しく言えるワケです。
 ですから当然東電にしても、原発の安全性を確保し担保するのは基本的には全て東電に責任があってしかるべきで、政府に責任を転嫁させるかのような言い方はどうなのかとやえは思っています。
 そして、その介入度が下がるであろう「小さな政府」であるなら、なおさらなんじゃないですかって思うのです。
 
 だからやえは、この点に関しては「小さな政府」だからダメだとか、小さな政府だから事故が起きたんだとか、そういうコトを言うつもりはありません。
 ただ、「小さな政府」であれば、こういう事故が起きた時に政府に責任を求めるようなコトは難しくなるんじゃないですかと言いたいのです。
 補償に関しても同様です。
 例えば、銀行が倒産しても基本的には今は1千万円までしか補償されません、後は全部戻ってこなくなってしまうワケで、どんな企業だって倒産するようなハメになってしまえば、その顧客が被った被害は、その被害額とほぼ同額を必ず補償されるという保障は無いワケですね。
 自己破産したら借金は返さなくて済むのと同じような構図です。
 こういう構図が基本ですから、仮に東電が倒産してしまった場合、放射能によって被った被害と同等の補償は受けられないとなるのが原則のハズなのです。
 ですから、もし倒産してでもキッチリと補償しろと言い、それを政府にまで求めるというのでしたら、これは一般論からは逸脱した特例となるワケです。
 ここに「小さな政府」と「大きな政府」とで、考え方が変わってくるのではないのかと思うのです。
 もし「小さな政府」が徹底されていたら、自己責任の原則、倒産してしまえば最低限の補償しか受けられないという原則は守られるでしょう。
 というかそうしてこそ「小さな政府」のハズですよね。
 あとは民間の損害保険会社に入っていればなんとかなるだろっていうのが、「小さな政府」のあり方だと思います。
 このように、責任にしても補償にしても、「小さな政府」だと政府にはそれを求めるコトは難しくなります。
 もし「政府がなんとかしろ」と言うのであれば、ある程度「大きな政府」である必要があるのではないでしょうか。
 
 こう考えたとき、いまの国民の声を見ていると、やはり日本国民には「小さな政府」は性に合わないんじゃないかと思うのです。
 
 大きな政府であったとしても事故が起きなかったとはいいません、そこは歴史のifなので言い出したらきりがないですので言いませんが、責任や保証についてはやっぱり変わってくるコトでしょう。
 民間会社が起こしたモノにでも政府に補償を求めるのであれば、ある程度の政府の大きさは必要なハズです。
 そしてそれは国民性というところに大きく影響する問題だと思うのです。
 例えば一昔前に事故米の問題があって、あの時国民は農水省ばかりを叩いていましたが、やえは農水省よりも先に業者に責任を求めるべきだという趣旨をここに載せました。
 日本人は食に関してはすぐに頭に血が上りますから、あの時はだいぶ批判をやえも受けましたが、でも検査があろうがなかろうが米の安全性を確保するのは、一義的には業者が受けるのが当然ですよね。
 その上で農水省の検査が適切かどうかは、それはそれで考えるべき問題ですが、農水省が全部悪いんだとか、農水省が全て補償すべきだとかいうのは、どう考えても過度な要求と言わざるを得ないでしょう。
 でもそれが日本人の国民性なんですね。
 こういう時はやっぱりお上に頼るというのが日本人なんだと思います。
 その上で「大きな政府」か「小さな政府」か、考えなければならないんだと思うのです。
 
 
>ですが同時に、「大きな政府」ってものが平時も危機対応時も、
>場合によっちゃ管だの鳩山だの(及びアレらの指示が無ければ力を発揮できない官僚)がでかい権限を持つ、
>それなら君主制と大してかわんねーよという政治体制だという印象が強くなったことも事実です。

 
 まぁこれはそう思わなくもないのですが、ただこれは、原則論として国民が責任を負うべきモノですからね。
 共産主義国なんてこれなんですが、そこは選挙がないので全ての責任を政府が負う、失敗しても国民にはどうしようもできないワケですが、民主主義の場合は最終責任者は国民なので、政府が無茶しても、その政治家を選んだのは国民だという事実からは逃れられません。
 民主党政権を選んだのは日本国民なのです。
 反省しなければなりません。
 選挙前からずっとこのような民主党のあり方を指摘して糾弾してきた身としては大変にくやしいとは思っていますが、国民の一人として責任は感じなければならないと思っています。
 
 まぁそれはともかく、ですから、ここの部分においてはあまり「小さな政府」とか「大きな政府」は関係ないんじゃないですかね。
 というか、選択の際の考慮の材料にはならないかと。
 どんな政府でもトップが有能であるべきですし、それを選択するのは国民である以上、ここを求めるのであれば、制度の問題ではなく、国民の問題として考えるべきかと思います。
 
 
 レスありがとうございましたー。
 



平成23年4月27日

 エロを売り物にするということ

 今日は、例の都東京都の表現に関する条例について、あまおちさんがどうしても本更新に載せておきたいと言うので、こちらをご覧頂きたいと思います。
 きっかけは、御意見板にいただいたご意見です。
 まずは引用をさせていただいて、あまおちさんにバトンタッチします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 既に「度の過ぎたエロ」を排除するシステム(審議会による判定と大手の取り扱い拒否)が存在し、
審議会に駄目だし食らってない以上、市場に出回っているのは「主題が別で効果としてエロがあるもの」
であるはずですが?それらに対してすら「小手先の屁理屈」と断じてしまうところに違和感を感じます。
必要なレベルの「自主規制」は既に存在していると私は考えています。天堕さんの言うところの「自主規制
していない業界団体」とはどこを指しているのですか?
(今回引き合いに出された例の中で、よく話題にされている「REDいちご」に掲載されたものは「あきそら」
と「奥サマは小学生」ですが、「あきそら」は「近親相姦」の部分が問題視されており、「奥サマは小学生」
は「反倫理的な性交場面」とありますが、実際のところ行為に及ぶ場面はほとんど有りません。)
 
それと時代背景という点について言えば、今現在(2000年からこっち)のあり方こそが「今」に適応しているので
あり(漫画を潰してもネット等、エロを探す手段は十分に残されているため)、1970年辺りの頃に戻るのは既に不可能
だと思うのですが。
 
 システムがあっても、それが適切に機能しているかどうかは別問題で、結局いまはそれが適切に機能していないと判断されているからこうなってるんだろ。
 何度も言うが、コンシューマーゲーム業界やアダルトゲーム業界はきちんと対応していて、今回のやり玉にも上がっていない。
 都条例の中身的にはエロであれグロであれ、ここは同じステージの問題だろ。
 エロとかいうのは言葉による明確な線引きは難しい問題だから、どうしても主観の部分は入ってくるが、この辺はオレが最初に書いた「本音と建前」あたりの話だな、ネットや2chまとめを読んでも、「REDいちご」あたりは「18禁でやれ」という意見も少なくない。
 そっちの意見が尊重されるべきだという意味ではないが、しかし主観の問題が多分にある以上は、一定数の人が「これは18禁並のエロだ」と感じれば、それは対応すべき問題として認識するのが妥当なのではないか?
 自分はエロとは思わないから規制すべきではないと言ってしまうのはワガママの部類だろう。
 
 特に「奥サマは小学生」について、性表現はないと強弁する意見が散見されるが、小学生みたいな屁理屈こねるのはやめようや。
 バナナだが練乳だが知らないが、それが何を連想されるものか分かった上で成り立っている本であるのは、口でいくら違うといっても、本音のところが安易に透けている以上は、言い訳にしかならない。
 買ってる方も、それが目的で買ってんだろ?  そして売る方こそが、そういう意図で売ってるんじゃないか。
 むしろオレが言いたいのは、こういう小手先の餓鬼みたいな屁理屈をこねるから、行政がさらに強硬手段に出てしまうんだということだ。
 自分の首を自分で締めている。
 「サッカー禁止」の場所で学校の先生に「ここはサッカーは禁止でしょ」と言われたら、「これはフットサルでーす」と言い返す小学生みたいなもんで、そんなこと言ったらますます大人に怒られるだけだ。
 逆撫でする効果しかない。
 
 エロゲだって「主題が別で効果としてエロがあるもの」はいっぱいあるよ。
 一部「泣きゲー」なんて呼ばれているモノもあるが、泣きとエロなんて同時に満たす事はあり得んわけだから、結局この手のゲームのエロは、泣きを効果的に表すための手段でしかないんだけれども、まぁそれでもエロの部分はエロとして18禁に分類しているわけじゃないか。
 主題でないにしても、エロが売り物の一つとして成り立っているから業界がキチンと線引きしているんだろ。
 んで、コンシューマーに移植する時は、それに併せてエロをカットしているんじゃん。
 エロがなくても作品は成り立っているわけじゃん。
 じゃあエロがなくても作品成り立つんなら、18歳未満にも売る場合は無しにしようや。
 どうしてもエロが書きたければ18禁にすればいいじゃん。
 
 なんで18禁にすることにそんなに抵抗するの?
 
 書くなって言っているんじゃないんだよ。
 18禁にしろって言っているんだよ。
 性行為を生々しく書くんなら18禁にしなさいな。
 セックスの存在がなければ成り立たない作品はあるかもしれないが、セックスを生々しく表現しなければ成り立たない作品は、そうはないぞ。
 仮にそれがあったとしても、18禁にして、大人に読んでもらおうや。
 崇高な目的があればどんなエロでも子供に見せてもいいんだと言ってしまうのは、それは過激な性教育を推進するサヨク過激派と何ら代わりがなくなってしまうぞ。
 
 また流通の問題とか言うのもあるようだが、経済は理由にならんて。
 麻薬だって需要はあるし経済利益はあるが、それでもダメなんだからダメだって。
 で、麻薬が禁止されているから仕方なく非合法手段を使う輩が出て、それは法律が禁止しているせいだってそっちに責任を転嫁するの?
 そんなバカな。
 経済は、法律とか倫理とか、そういうのが全部クリアされた後に考慮される理由でしかなく、経済が最優先される事は無い。
 じゃあ聞きたいけど、エロゲーも全部規制排除して18禁はやめるべきって言うの?
 もう滅茶苦茶だよそれ。
 
 
>それと時代背景という点について言えば、今現在(2000年からこっち)のあり方こそが「今」に適応しているので
>あり(漫画を潰してもネット等、エロを探す手段は十分に残されているため)、
>1970年辺りの頃に戻るのは既に不可能だと思うのですが。

 
 子供にエロを見せるなっていう部分まで背負えって言ってるわけじゃないんだよ。
 「漫画を潰してもネット等、エロを探す手段は十分に残されているため」なんて事まで考える必要はない、責任を負う必要はない。
 ガキはこっそりとエロを探してシコシコしてればいいんだよ。
 それを大人がいちいち、ベッドの下に隠しているエロ本をわざわざ机の上にこれ見よがしに置いておく母親のように暴こうとしなくてもいいんだって。
 だって自分だって、大人の目から隠れながら必死にエロ本を買ってきてシコシコしてきたんだから。
 でもだからって、大人が率先してエロをオープンにする必要はない。
 建前として隠すべきものは隠すよう努力すればいい。
 でも暴くこともない。
 その一環として、最近目に余るぐらいオープンにしすぎてしまった出版業界にある程度の規制を書けようっていうの。
 
 それに今だってネットだけはエロが法令的にフルオープンされているわけじゃないよ。
 ネットのフィルタリングだって完璧じゃないけど、まぁ対応しているっていう「建前」になっているだろ。
 それなりの技術があればフィルタリングなんて外してエロをみる事は可能。
 その辺は今も昔も漫画もネットも一緒だよ。
 漫画を18禁にしたところでそれを手に入れる方法はいくらでもあるけど、まぁ対応しているっていう「建前」にはなる。
 こっそりと買う分には、そこまでいちいちオレ達が目くじら立てる事じゃない。
 公的立場では子供がネットでエロを見るのは禁止だけど、大人の目から隠れながらこっそりと見るんだよ。
 本音と建前を大切にしようや。
 
 エロを売り物にするんだったら18禁にしなさいっていうだけの話なんだがな。
 どうしてこの建前すら破ろうとするんだろうか。
 しかしこの建前を破ろうとするなら、もはや行政としては強行と呼ばれても手を出さざるを得なくなってしまう。
 それはオレも含めたサブカル好きにはデメリットしかないよ。
 やめてよホント迷惑だからさ。
 
 もうね、本当にすごい基本的な事なんだよ。
 エロを売り物にしているから18禁にしようって言っているだけなのに、なぜここまで話がいろんなところにふくらむのって。
 「REDいちご」系の漫画ってエロを売り物にしているだろ?
 ここも認めないの?
 認めないっていうのは、それはもう無理がありすぎるよ。
 別にエロを売り物にするのは良くない事ですと学級委員長みたいなことを言うつもりは毛頭ない。
 オレはエロ大好きだからな。
 かもんエロ。
 でも、売り物にする相手は大人だけですよっていう建前を守りましょってだけの話よ。
 酒は20歳からですっていうのと一緒。
 20歳からっていうのを律儀に守っている奴がどれぐらいいるか知らないし、完全に肉体的に発達した19歳が酒を飲んで悪影響がでるとは思えないけど、でもまぁ20歳からって建前なんだから、売る方もそれを建前として守ろうとしているんじゃん。
 本音は別で、酒を売っている人が自分の19歳の息子と一緒に晩酌しているかもしれないが、売るときに「オレの19歳の息子にも酒飲ませているんだから、子供にもバンバン売っちゃうよ」とか、「酒瓶に入ってないからお酒じゃないもん」とか言ったら、そりゃダメだろ。
 そんな些細なことだけど、この些細が大切なんだよ。
 
 建前を見た目だけでも整えれば、それで全てがうまくいくわけでね。
 頼むからエロを売り物にしているんだから18禁にしようや。
 そうしないと、サブカル事態が壊されかねないよ。
 勘弁してくれや。
 なんで18禁にそこまで抵抗するんだ。
 それとも本気で「REDいちご」はエロを売り物にしていないとでも言うのだろうか。
 これでか?
 それはもう、サブカルを破壊するための行為としかオレには思わないよ。
 
 最後に。
 エロ自体をもう規制をかけるべきではないというのなら、これはもう今回の都条例の範疇を越えている。
 そして今回の一連の議論からも逸脱している。
 だってそれは、青少年保護育成条例や、そもそも「エロは子供に見せるべきではない」という常識に対する反論だからだ。
 オレは今のところここの議論に参加する気はない。
 オレの今回の都条例に関する議論は、まずこの常識が正しいという前提に立っているからだ。
 この常識が正しいかどうかは、それは異論を唱えるのは自由だし議論したいなら議論してもいいと思うが、少なくとも今のオレはこれに今参加する気は起きない。
 それはもう都条例とは関係ないところでやってくれってね。
 
 だから、まずこの常識が正しいものとして日本の世の中に浸透していて、だからコンシューマーゲーム業界もアダルトゲーム業界もその建前を守っていて、その立場に立脚して今回の都条例があって、って形だ。
 まず自分は何を主張したいのか、それを整理した方がいいよ。
 都条例に反対したいのか。
 それとも「エロは子供に見せるな」っていう主張をしたいのか。
 前者なら今まで言ってきたような理由で、ちょっと無理があるだろと言いたい。
 後者なら、都条例とはまず切り離した論で主張して欲しい。
 ただオレはその議論には参加しないから。
 
 その辺ちょっと整理して議論した方がいいと思う。
 



平成23年4月28日

 コメントレス

 今日は木曜日ですのでコメントレスの日です。
 なんだか急に暖かくなりましたね。
 
 
 管総理の福島訪問が報道されてますが、この時期に避難所にノコノコ顔をだしたらどうなるか子供でもわかりそうなもんですが、報道にあるように、あらかじめ決められた相手としゃべるだけと仕込んでるから大丈夫だと思ってたんでしょうか? まさか、歓迎されて人気が出るとかお花畑なわけないですよね、まさか
 
 なんか、もう、あの人何がしたいのか全然分かりません。
 そもそも視察なのか慰問なのか意見を聞きに行ったのか、何の目的で行ったのか全然分からないんですね。
 そしてだからこそ、中途半端に顔を出すだけになってしまって、被災者に怒鳴られると。
 なんと言いましょうか、民主党そのものです。
 例えばやえは思ったのですが、風評被害をぶっ飛ばそうと福島だったと思うのですが、地元で農作物などの即売会イベントを行っていたというニュースを見ましたが、どうせ総理が行くなら、ここに行ってバクバク食べた方がよっぽど地元のためになりますよね。
 風評被害を減らし、ニュースも大きく取り上げるでしょうから地元の農産物のアピールにも繋がるし、さらに農家の人たちなどもその場にいるのでしょうから意見交換だって出来るワケです。
 どうしてこういうコトに頭が回らないのでしょうか。
 もしかしたら本当に、歓迎されて人気が出るとかお花畑なのかもしれません。
 日本は本当に総理のせいで不幸ですね。
 
 
 首相動静(4月23日)  午前8時現在、公邸。朝の来客なし。  午前中は来客なく、公邸で過ごす。  午後1時3分、福山哲郎官房副長官、細野豪志首相補佐官が入った。(了)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000019-jij-pol

はぁ……。
 
 
 モナと不倫しておいて、自分を信じてくれってなんかのギャグですかね
 
 このお話ですね。
 
 統合本部共同会見 細野補佐官「私を信じて」
 
 福島原子力発電所事故対策統合本部(=統合本部)が25日、初の共同記者会見を開催した。会見に出席した細野豪志首相補佐官は「今後、原則として、全ての情報を公開する」と、宣言。
 「みなさんにご理解を賜りたい。ぜひ、透明性に関する統合本部の方針、私を信じていただきたい」と、訴えた。
 細野氏は、統合本部の事務局長として原発事故の対応と官邸との調整役となってきた。原発事故の収拾に向けた道筋は開いたものの、今後の収束ためには、国民に安心を発信することが重要と考えた。
 
 なんで民主党の議員って、信じて信じてって言うんでしょうかね。
 政治家って結果責任ですから、行動で示すんですよ。
 信じてもらいたければ、自らの行動で信じさせるワケですよ。
 でも民主党はそれが出来ないから、口先で信じて信じてトラストミーって言うんでしょうね。
 そんなコトしても一番信じられないというのが分からないんでしょうね。
 
 まぁ山本モナは、まぁ(笑)
 
 
 ところで、民主党で元広島県議会議員の梶川とかいうおばちゃんに関するコメントをたくさんいただいているのですが、それは広島だからというのもあるのかもしれませんが、やえ、こんな人知りません(笑)
 そもそも広島県議会って自民党がものすごく強くて、自民党内で会派がいくつにも分かれていて、県議会の中での第一与党は自民党で、第一野党も自民党なんて、そんな状況なんですね。
 この度の選挙で色々ありまして、なんとか分裂状態を解消しようといま色々と動いているみたいですが、まだまだ見通しは立っていません。
 で、そんな広島県議会ですから、やえとしましても、民主党で旧市内の選挙区でもないので地元とは言いづらく、さらにデンパなこんな人知りません。
 というか知りたくもありません(笑)
 まぁ今回の選挙で落選したようですが、デンパ具合が有権者にも伝わったってコトなのではないでしょうか。
 
 ですから、なんかけっこう「民主党議員」って紹介している人が多いですが、この人いまは議員ではないですから、そこはシッカリと明記しておく必要があるんじゃないでしょうか。
 というかこの人本人も未だに「広島県議会議員」って書いてますが、これ確実に詐称ですね。
 
 
 制限無視の千葉ホウレンソウの出荷先  東京都内でしたhttp://watch2ch.2chblog.jp/archives/3712778.html こういうことするから風評被害ひろがるんだよなと。というか、制限野菜売ってんだからもう風評じゃなくて実害っすよね
 
 そうですね。
 このニュースはちょっとどうなんだって思います。
 実際そのホウレンソウを食べて実害があるかどうかは別ですが、とりあえず政府が規制しているのですから、まずはそれに従わないと、それこそ消費者の方が何を信じていいか分からなくなりますからね。
 非常時こそ規律正しい行動が求められるのに、どうしてこういうコトしちゃうんですかねぇ。
 自分で自分の首を絞めているようにしか見えません。
 
 
 やえちゃんは旧全日オタか、新日オタの俺とは仲良くなれそうにないな
 
 そうです(笑)
 武藤全日ではなく、王道を引き継いでいる全日派です。
 ただ、やえは新日も好きですよ。
 もちろん武藤全日も。
 その中で一番好きなのがNOAHってだけで、プロレスはやっぱりいいですよね。
 メジャー3団体の合同興業は、何が何でも行きたいと思っています。
 だから仲良くしましょう(笑)
 
 
 広島は原爆100個落とされても復興したのかな つhttp://okwave.jp/qa/q6632419.html
 
 これについてはあまおちさんがツイッターで書いてましたので、そのまま引用します。
 
 放射線の人体に与える影響は短期に浴びる方がとてつもなく影響が大きい。広島と比べれば、福島の方が総量としては多いのかもしれないが、時間をかけて出ているので、徐々に拡散されて人体に影響という意味では和らげられている。
 原発から垂れ流されている状態なら待避するのは当然だが、垂れ流しが止まった時点でその場にどれぐらいの量の放射性物質が残っているかが、「その土地に住めるかどうか」の基準。昨日降ってきた放射性物質も時間と共に拡散するので、数字だけを合計しても意味がない。
 よって、原発から出てきた放射性物質の総量というものを比べても全く意味がない。その土地にその時どれぐらい放射性物質があるのかが住めるかどうかのポイント。瞬間最大風速が一番の問題。
 今のところ公開されている数字が正しいとすれば、福島はまだまだ広島よりも悲惨な状況とは言い難い。そんなのは即死者や二次被曝者が出た広島と、今でも原発で作業している人がいる福島との違いを考えれば明らか。原爆100個分? 数字に騙されるな。福島は復興できる。
 日本の原発がある事を知らなかったのならまだしも、そんな奴はまずいないわけで、知った上で豊富な電力を享受していたのに、今になって「原発推進してた奴は許さん」なんて手のひら替えしもいいところだろ。主権者は国民だという事が理解できないのなら政治に口出すな。
 福島はもうダメだとか今言っている奴は、それを言って何がしたいんだ? 他人に何を伝えようとしているんだ? 今は原発周辺は避難しているのだから、仮に後に検査して人が住めない有様だったとしても、それはその時に対応を考えればいいだろ。
 可能性の段階で今「ダメだダメだ」と言って、一体何の意味があるんだ? 今言わなければならない意味はどこにある? 後に検査して問題無かった場合、しかし今のその行為は風評被害をまき散らしているだけで害悪にしかならない。何がしたいんだ?
 
 
 “なりすまし被災者”
 こういう奴が居るから、本当に困ってる人に支援が行き届かなくなる。
 
 本当悪質ですよね。
 火事場泥棒もいいところです。
 でも「火事場泥棒」という言葉があるように、日本でも昔から人の不幸のドサクサに紛れて自分の利益を得ようとする輩はいるワケで、ここはキチンと対処していかなければならないでしょう。
 美談ばかりでは現実は生きていけないですからね。
 本当に残念なコトですが、しかしこういう連中は本当許せないワケで、もっともっとこの手の問題は報道されて、大勢に知られるべきでしょう。
 
 
 母乳から放射性ヨウ素検出…市民団体が検査
 コメントお願いします
 
 ごめんなさい、記事がもう削除されていまして、同じ内容の別の記事をリンクしています。
 母乳の中から放射性ヨウ素が検出されたというお話ですが、この手の問題は以前にお話ししましたように、出たが出なかったかだけで判断するのではなく、何がどれぐらいの量出たのかというのが考えるべきポイントです。
 放射線は原発事故が起きていない普通の時でも人間は自然に一定量は浴びている、そしてその量は人間が浴びてよいギリギリの量ではないという事実は冷静に知っておくべきコトです。
 
 で、今回の場合ですが、記事によると母乳に含まれていた放射性ヨウ素の量は「最大1キログラム当たり36.3ベクレル」とのコトです。
 よって、人体や赤ちゃんにとって危険かどうかは、この量がどうなのかというコトを考える必要があります。
 例えばIAEAでは、非常時における場合の水の中に含まれる摂取制限量は「3,000Bq/kg」と定めています(PDFファイル)。
 ごめんなさい、以前日本語のファイルを見つけたと思っていたんですが、見つけられないので英語のファイルです。
 で、これは非常時のモノではありますが、それでも摂取しても問題ないというコトには変わりないのでしょうし、この値をこれから一生涯とるというワケでもないですから、母乳から出た放射性ヨウ素がいかに少ないかが分かると思います。
 ちなみに日本政府の規制値は、さらに厳しくて300Bq/kgです。
 乳幼児ですとこれが100Bq/kgになります。
 
 やえは専門家ではありませんから、これが危険だとか安全だとかは言いません。
 この事実を知った上で各自がそれぞれ考えて解釈して判断すればいいでしょう。
 ただやえならどうするかと考えれば、まぁ気にしないでしょうね。
 この検査がどの時期に採取して、どこで検査したのかよく分かりませんが、この程度なら、気にしても仕方ないというレベルです。
 むしろ中国産の食品を食べないように気にした方が、よっぽど健康のためになるでしょう。
 
 やえはまだ母乳は出ませんけどね。
 



平成23年4月30日

 なぜ自民党は提言だけにとどまり法案化しなかったのか

 震災に当たって自民党はかなり膨大で具体的で効果的だと思われる提言を、かなり早い段階で出しているというお話をこの前しましたが、では自民党が提言だけにとどまらず、なぜ法案という形にしないのか、というお話をしておきたいと思います。
 
 これを考える際には、法案というモノをよく知らなければなりません。
 というのも、法案というのはとてもややこしくて難しくて専門性のあるモノです。
 法案というか法律ですね。
 それを読むコトも解釈するコトも、なかなか一般常識だけでは難しい面が多くあります。
 だからこそ弁護士なんて職業が成り立つワケでして、当然さらにそれを作るという作業においては、ますます難しいワケですね。
 同じ日本語であったとしても、法案・法律を書く場合というのは、独特なルールや、表現の仕方、また他の法律と矛盾しないような書き方など、専門性が高いのです。
 楽譜を読んで楽器を演奏するコトは出来ても、交響曲を作曲するコトは非常に難しいというコトと似ているかもしれません。
 人権擁護法案の時に散々やりましたように、法案分を読むコト自体もけっこう大変なコトで読み違いをしてしまっている人がかなり出ていましたように、さらにこれを作るなんていうのは一朝一夕で行うのは難しいのです。
 
 それは政治家も例外ではありません。
 政治家は法案文を書く技術を持っていません。
 もちろん国会議員の第一の仕事は法律を作るコトですが、しかし「法律を作るコト」=「法案文を書くコト」ではありません。
 国会議員の役割は、方向性を示すコトです。
 言わば「計画書」を作るのが仕事なんですね。
 例えば、プログラム自体を組む人はプログラマーですが、その前に、どのようなブログラムを組むのか、もっと言えば「どのようなソフトを作るのか」という設計をするのが政治家なのです。
 それは、ある程度はプログラムの知識があった方がいいですが、必ずしも本人が優秀なプログラマーである必要はないのと同じなのです。
 プログラマーは優秀でもそうでなくても、時間等の差は出るでしょうが、計画書の元にプログラムすれば誰がプログラミングしても同じモノが出来ます。
 もっと簡単に言えば、1+1は誰が計算しても2になるようなモノです。
 数学に強ければ瞬時に出ますが、苦手なら時間がかかるでしょう、でも答えは誰が計算しても同じです。
 しかし計画書は、違う人が作れば全然違うソフトが出来上がるでしょう。
 世の中には家計簿ソフトと一言で言っても、メーカーによってそれぞれ別のモノがいっぱいあるようにですね。
 ここの違いは大きいワケで、政治家とは、ここの違いを司るワケなんですね。
 
 では、その法律におけるプログラマーの役割は誰が担っているのでしょうか。
 そうですね、それが官僚です。
 官僚は、政治家が作った計画書を元に、実際に法案文をプログラミングしていく仕事を担っています。
 だから、基本的には法案化させるためには、官僚の力というのは必要なのです。
 
 もうちょっと詳しく言えば、中央省庁の他にも衆議院と参議院の中にも法案文を作る部署というモノはあります。
 ですから、野党が法案を出す場合、議員立法になるワケですが、この場合は衆参のこれらの部署に任せるコトになります。
 よく「内閣法制局」なんて言葉を聞くと思いますが、これは内閣の中にあるその手の部署で、これと同じような部署が「衆議院法制局」「参議院法制局」と、それぞれあるんですね。
 ですから、これらの部署の力を借りて野党が法案化させて議員立法を提出するコトは可能です。
 
 しかし今回の状況を鑑みると、やっぱり人手というのは中央省庁に比べれば格段に少ないワケで、たまに出される議員立法ぐらいなら対応できますが、今回自民党が出した提言を見れば分かりますように(PDF)、これを実現するにはかなりの数の法律を作る、または改正しなければならないワケで、これは流石に衆参の法制局では限界があると思われます。
 この量を衆議院と参議院だけでは、とてもじゃないですけど法案化させるコトは、人手が足りないというかなり物理的な問題で出来ないでしょう。
 よって、野党である自民党は、この提言を法案化させるのは、事実上不可能だと思われます。
 こういう事情から、今回自民党は法案化までの作業をせず、提言という形にとどめておいたのではないかと思われます。
 
 また、無理に法案化させる必要もあまりないでしょう。
 だって、ここを無理矢理法案化させて提出したところで、まず成立しないワケですからね。
 もし野党の立場でも無理に役所に頼んで法案化させたとしても、それで成立しないのですから、結局その役人の労力は無駄になりますし、また役人の仕事は法案化だけではないのですから、この未曾有の事態に役人にそのような無駄骨をさせるというのは、災害対応という面においてもマイナスにしかならないでしょう。
 さらに言えば、法案化させても、国民に対する説明やアピールにはなりません。
 だって法案文って難しいですから。
 それを読んでも理解できる人は少ないでしょう。
 それならまだ提言の段階の計画書を示した方がよっぽど意味のあるコトだと思います。
 
 そしてなりより、この自民党の提言が正しいモノとして与党にも理解されれば、そこで改めて役所に法案化させればそれで済むワケですから、その段階で法案化させても遅くないワケです。
 この場合は必ず成立するワケですから、役所に作業させるのは、むしろ必要な作業と言えますからね。
 ですからやっぱりこの場合も、与党民主党がどう対応するかの問題なのです。
 民主党も、法案文を読むよりは、この自民党の提言書を読んだ方が中身を理解しやすいでしょう。
 そしてその内容がどうなのか、正しいかどうかを民主党が判断すればいいだけで、自民党としては無理して法案化させる必要は無いんですね。
 お客さん相手に計画書や企画書を見せるのは普通ですが、いちいちプログラムをすでに作った上でプレゼンする人なんていないのと同じです。
 むしろプレゼンの段階では計画書を見せなければ、後で修正する可能性もあるのですから、意味がないのです。
 
 よって、今の段階で野党自民党が法案化させる必要はないとやえは思います。
 国民も民主党も、自民党の計画書を読んで、それが適切かどうかを判断すればいいでしょう。
 法案化させる必要性はあまり高くなく、そして提言で十分中身が適切がどうか判断できるのですから、あとは与党がそれにどう反応するかだけです。
 もし政局や権力欲ではなく、国民のため国家のためにと思うのであれば、これを取り入れるのが当然のコトだとやえは思います。
 



メールフォーム作りました♪
ご意見・ご感想などはこちらから


誤字指摘はこちらまで
お願いします〜

 ■御意見ご感想等は「御意見板」へ
   (自分の主張や議論をする場合は一般的なルールやマナーを守って、署名をしましょう)
 ■やえちゃんにメールを送りたい場合は、「メールフォーム」へ
 ■短文をトップページへ公開する形で送りたい場合は、「一行メッセージボード」へ
   (同じ内容を何度も書き込むのはやめましょう)
 ■短文をやえちゃんに非公開で送りたい場合は、「web拍手」からどうぞ

TB跡地