■もう一度、各発電方法の震災前の現状を確認する
ここでもう一度、各発電方法の震災前の現状を確認しましょう。
火力発電はすでに60%を超え、またCO2削減が正義であり国是である雰囲気の中では、もはやこれ以上割合を増やすコトは不可能と言っても過言ではなかったでしょう。
また水力発電は「ダム=悪」論によって、それ以上増やすコトは国民の意思として不可能でした。
その他の新エネルギーは、割合を増やすコトは希望としては持っていましたが、現実可能性のある案ではなく、計画として立案するコトはまだまだ難しい段階です。
となれば、結局原子力しか選択肢がなかったのです。
そしてそれは、けっこうな割合で国民の選択でもあったのです。
■現状で原発を全て廃止したらどうなるか
まだまだ世の中には、「いますぐ原発を全て止めて廃棄しろ」というコトを言う人がいます。
原発はなだらかに使わない方向にしていくという意見ではなく、いますぐ即刻止めろと言う人です。
果たしてそんなコトが可能なのでしょうか。
電力が足りるか足りないかの問題は言いません。
電力会社がいくら足りないと言っても、菅直人のような人間が「資料を隠している」「埋蔵電力があるハズだ」とか言いますから、もはや陰謀論では議論になりませんので、ここでは言いません。
では割合で見てみたらどうなるのかを考えてみましょう。
現状では、「火力:原子力:水力:その他」は、「60:30:9:1」です。
よってこれをそのまま原子力が無くなってしまえば、80%以上は火力発電に頼るコトになりますよね。
ではその際、例えばオイルショックとか起きたらどうなるでしょうか。
石油だけでなく、全ての化石燃料が値上がりするコトでしょう。
その時日本の電気料金がどうなってしまうのか、想像するだけでこわいです。
そもそも、日本が大東亜戦争・太平洋戦争に突入した大きな理由の1つが、エネルギー問題・石油問題だったハズです。
欧米列強に石油を止められて、日本はエネルギーを求めて南方に進出したのです。
そしてその結果どうなってしまったかは、言うまでもないですね。
ですから、こういうエネルギーとかは一極集中させてはならないのです。
様々な選択肢があるからこそ、一方でトラブルがあっても、他がカバーするコトで、全体を安定させるコトが出来るのです。
つまり、火力発電一極集中にするなんていう行為は、むざむざと日本の弱点を晒しているコトにしかなりません。
それは大変危険な行為なのです。
■原子力は人が完全に制御できるのか、という疑問、というか憤慨
「原子力は人が完全に制御できるモノではない。100%の安全は絶対に出来ない。だからやめるべき」と言う人がいます。
まぁ反動なのでしょう。
いままで散々電力会社は「絶対大丈夫。事故なんて絶対起きない」と言ってきたのですから、事故が起きれば怒りたくもなります。
しかし感情だけで物事を考えてはいけません。
よく考えてみましょう。
そもそも「人間が完全に制御をできるモノ」「100%安全のモノ」というモノは、この世の中に存在するのでしょうか。
■交通事故死者数、年間約5000人
日本国内における交通事故の死者数ってご存じでしょうか。
こちらの「交通安全白書」に具体的なデータがあるのですが、タイトルにも書きましたように、平成22年で4,863人です。
負傷者に至っては、なんと896,208人という、とんでもない数字が出ています。
89万人ですよ。
下手な市の人口よりも多いワケです。
毎年これだけの人が交通事故に遭ってしまっているのです。
果たして人間は、自動車というテクノロジーを「完全に制御」しているのでしょうか。
果たして人間は、自動車というテクノロジーは「100%安全」なのでしょうか。
日本で初めて商業用稼働した原子力発電所は茨城県にあります東海発電所ですが、これが初臨界したのが昭和40年のコトです。
いまから約50年も前の話ですね。
さて、ではその昭和40年から統計が確定している平成22年まで、交通事故で亡くなった人は何人いるでしょうか。
計算しましたら、なんと465,845人です。
約46万人です。
負傷者も計算しましょうか。
昭和40年から平成22年までの負傷者の累計は、38,471,136人、約3847万人です。
死んだら2度目はない死者数と違い、こちらは負傷者ですから、2度も3度も事故に遭ってしまった人も重複して含まれているでしょうけど、それにしてもすごい数字です。
もう一度言いましょう。
果たして人間は、自動車というテクノロジーを「完全に制御」しているのでしょうか。
果たして人間は、自動車というテクノロジーは「100%安全」なのでしょうか。
■自殺者数、年間約3万人。殺人件数約1000件
自殺する人すら年間約3万人(PDF)もいます。
また21年の殺人事件の警察の認知件数は1094件、傷害致死は128件ですから、年間1200件ぐらいは人が殺される事件が起き(PDF)、そして一件で複数人の犠牲者がいる事件もあるでしょうから、ここからもうちょっと多い数字だけの人間が殺されてしまっているワケです。
くどくなりますから昭和40年からの累計は書きませんが、どれぐらいの数字になるのか、想像はつくでしょう。
そもそも人間は人間ですら「完全に制御」出来ていないのです。
結局人間は、生きているだけで死ぬリスクを常に負っていて、実際年間たくさんの人が様々な事情で死んでしまっているのです。
人類が発祥して歴史を手に入れてから、人類は1度たりとも「死因は病気・老衰で100%」という社会を実現したコトなどないのです。
人間は常に、人間自身が生み出したテクノロジーか、もしくは人間自身の手によって怪我を負う、そして死亡してしまうリスクを負っているのです。
人間自らがそれを創り出しているのです。
それが人間の性であり業なのでしょう。
■「完全に制御」「100%安全」とは?
この世の中に、人間社会の中において、「完全に制御」「100%安全」なんてモノは果たして存在するのでしょうか。
残念ながら、存在しないのです。
もちろんこれを追い求めるコトは正しいコトですし、必要なコトです。
そしてこれこそが人間がやらないければならないコトです。
しかし忘れてはならないのは、未だ「完全に制御」「100%安全」という境地には人類は達成していないという事実です。
それはいまデータを示して証明しました。
00%を目指すコトは正しいコトですが、しかし「100%でないからダメ」「完全に制御できないから完全排除」とは決してなっていないというコトを忘れてはなりません。
自動車はどうでしょうか。
年間5000人が死に、46万人も負傷しているのにも関わらず、自動車は廃止しようという声は一切聞かれません。
いままで自動車が発明され普及してから果たして何人が死んだか分からない、少なくとも50万人以上は死んでしまっているのにも関わらず、そのような議論には全くなりませんでしたよね。
自動車は「完全に制御」も「100%安全」でもありません。
でも廃止しようという議論にはならないのです。
(つづく)
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