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平成23年9月16日

 失言問題の種類

 今回で最後にしようと思うのですが、最後にですね、失言問題についてこれだけは言っておきたいと思います。
 今回の様々な意見の中で「もう失言問題で大臣の首が変わってしまうようなコトはやめよう」というような趣旨の意見を見られた方はけっこういると思うのですが、それはどうですかね、どういう意図なんでしょうか。
 というのもですね、大臣が大臣として言ってはいけないコトを言えば、それは大臣としての資質の問題となり、大臣として相応しくないなら辞めてもらって当然でしょう。
 何か大失敗をされる前に、それで国益を損なう前に辞めるのが、それが国益に叶うコトです。
 たまに「失敗してから辞めさせればいい」とかいう趣旨のコトを言っている人がいますが、失敗するとはすなわち国益を失うコトであるのですから、そう簡単に言っていいコトではありません。
 例えば松本龍なんてやからをずっと大臣にしていても、あんな態度では地元との協力が進まずに具体的施策が前に進まないままズルズルと時間だけが経つハメになっていたコトでしょう。
 そうなる前に、手遅れになる前に大臣を変えるというコトは、それは国益に資するコトであり、必要なコトだと思っています。
 
 で、発言によって大臣の首を変えるコトは、時には必要なコトではありますが、ではそもそも何をもって「失言か」という部分は、これは国民がしっかりと考えるべき問題です。
 いままでのいわゆる「失言問題」を振り返ってみると、いくつかのパターンに分けられるでしょう。
 
 例えば森総理の「神の国発言」というモノは、これは別の解釈があるパターンです。
 これも多分にマスコミの切り貼りがあったモノではありますが、それでも「日本が神の国だ」(やえとしてば神々の国」が正しいと思ってますが)と言うのは、あながち間違いではありません。
 他の国と比べても、日本は先進国であるにも関わらず自然崇拝がとても残っている、残っていると言ったら失礼ですが、自然を崇拝する意識がとても強い国民性を持っており、日常的に山とか石とか木とかをご神体として祭っていますよね。
 付喪神(つくもがみ)という言葉もありますように、日本人は、ありとあらゆる物質に「神が宿る」という考え方や意識を持っており、また人だって動物だって神や仏になるという考え方ですから、それゆえに自然や物を大切にしようという心、世界にも珍しい「もったいない」の精神を持っているワケです。
 ですから日本ほど「神々の国」と表現するに相応しい言葉はないとやえは思います。
 
 でもこれ、共産主義にあこがれる人にとってはとんでもないと言えてしまうのでしょう。
 共産主義は、宗教を全否定する考え方ですから、「日本は神の国」なんて言ってしまうのは、自分達が目指す国とは真反対であり、とんでもないと思ってしまうようなのです。
 ここでマスコミが一気に吠えたんですね。
 そもそもあの時は、いまの民主党政権時なんか比べものにならないほど自民党に対してはなんとかしてダメージを与えてやろうと悪意丸出しのマスコミでしたから、そのような感情も合わさって、この森総理の発言を攻撃し始めたワケです。
 
 ここで考えてもらいたいのは、このように別の解釈や別の考え方がある発言であるというコトです。
 このパターンは、他にも例えば核武装に関する発言も当てはまります。
 過去に、日本の核武装に触れる発言をして辞任してしまった大臣もいるのですが、これも、可能性としての議論を本来は行うべき問題であるというのは、もはや言うまでもないコトですよね。
 例え自分が核武装に反対だとしても、そうでない意見を言ったからといって更迭すべきだと言うのは、それは言論弾圧そのものの思想でしかありません。
 もし防衛大臣がいまのままの憲法のままで核武装を作る指示を具体的に出したのであれば、これは憲法違反であり、また総理にも通さず閣議決定もせず独断で行ったのであればなおさら越権行為であって、こういうのでしたら更迭も止む無しですが、考え方の違いだけで更迭すべきと言うのは、むしろその考え方の方が危険だと言うしかありません。
 森総理の発言も、いくら自分が「日本が神の国」と言われるのがイヤだからといって、意見を言うコトを封じるようなコトは言ってはなりません。
 過去特に自民党政権の中で、このような「マスコミやサヨク思想を真っ向から相対する意見」を言ったばかりに辞任せざるを得なくなった大臣は数多くいますが、これからは国民こそが、それは言論弾圧だと声を上げるべきでしょう。
 もしまた何かで「失言問題」が出てきた時、「それは別解釈ができる発言ではないのか」という部分を考えてみてください。
 
 もう1つ多いのが、マスコミ自身の切り貼りによって、話した本人の本意とは全く別の解釈にしかできない発言に改変させられていた、というパターンです。
 「生む機械」発言なんかが、これに該当します。
 マスコミは、柳沢厚生労働大臣が「女性は生む機械だ」=「女性は何も考えずに機械のように子供を産んでいればよい」と言ったかのように伝えましたが、これは全然大臣の意図とは違う伝え方です。
 それは、菅直人のような自分だけにしか伝わらない「そういう意味で言ったのではない」というモノではなく、前後の文章を読めばだれだって理解できる文章でのお話です。
 前後の文章を引用します
 
 「今の女性が子供を一生の間にたくさん、あの、大体、この人口統計学ではですね、女性は15歳から50歳までが、まあ出産をしてくださる年齢なんですが、15歳から50歳の人の数を勘定すると、もう大体分かるわけですね。それ以外産まれようがない。急激に男が産むことはできないわけですから。特に今度我々が考えている2030年ということになりますと、その2030年に、例えば、まあ二十歳になる人を考えるとですね、今いくつ、もう7、8歳になっていなきゃいけないということなんです。生まれちゃってるんですよ、もう。30年のときに二十歳で頑張って産むぞってやってくれる人は。そういうことで、あとはじゃあ、産む機械っちゃあなんだけど、装置がもう数が決まっちゃったと。機械の数・装置の数っちゃあなんだかもしれないけれども、そういう決まっちゃったということになると、後は一つの、ま、装置って言ってごめんなさいね。別に、この産む役目の人が一人頭で頑張ってもらうしかないんですよね、みなさん」
 
 こう大臣は言っているんですね。
 決してこれ、女を貶めるような意図や、女を機械として見ている発言ではありません。
 どちらかと言えば例え話として、分かりやすいように比喩として機械を持ち出しているワケです。
 比喩って、あくまで比喩ですよね。
 やえもよく比喩表現は使いますが、比喩はその物事を構図や構造を別の分かりやすい事象をもって説明し直しているだけで、決して「前提=比喩対象」と言っているワケではありません。
 例えば、よくその組織や集団の中で偉くなりすぎて誰も文句が言えなくなってしまった人のコトを指して「○○はこの組織の天皇」という比喩表現(守屋武昌元防衛事務次官は「防衛省の天皇」と呼ばれ、これはマスコミもよく使っていました)がありますが、これをもって「○○は天皇ではない」と批判する人はいないでしょう。
 そんなコト言う人は、かなり日本語能力に支障がある人としか言いようがないワケで、普通に常識的な日本語能力を持っていれば、それは比喩表現であり、事象の構図を説明するものであるだけのコトだと分かるワケです。
 比喩は構図を説明するモノであって、出てくる名詞を同一視するモノでは決してありません。
 比喩はどこもでいっても比喩なんですね。
 だから、いくら柳沢大臣が機械を持ち出したとしても、それはあくまで比喩であり、「女=機械」と言っているワケではないのは明らかです。
 もしそのように捉えた人は、「マスコミは守屋元次官のコトを天皇と言っているぞ。事実と違うじゃないか」と憤っているコトと全く同じであり、やえとしましては、ちょっとその本気で憤っている人のコトを可哀想な目で見るしかなくなってしまうのです。
 
 切り貼りで多いのは、マスコミの取材によるモノではなく、なんらかの講演会などの発言である場合が多いです。
 ただ講演会での発言だからと言って、全てが問題ない発言というコトでもなく、民主党の柳田法務大臣のように、講演会で
 
 「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。 わからなかったらこれを言う。で、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。まあ、何回使ったことか」
 
 と、国会を馬鹿にしているとしか捉えられない発言をした人もいますので、これは大臣を辞めてもらうしかないパターンもありますが、ただ、前後の文章が大切なコトもありますので、ここも注意が必要でしょう。
 
 前後の発言や全文を確認するというコトと、解釈問題ではないのかというコトに気をつければ、たいていの「失言問題」は適切に考えられると思います。
 特に切り貼り系は悪意だけで作られた失言の場合がほとんどですから、ここは国民としてしっかりと判断すべき問題だと思います。
 
 鉢呂大臣の「放射能つけるぞ」は、この前から散々検証していますように、これは差別言動であって大臣として認められるモノではありません。
 昨日も言いましたが、どうもこれを差別問題だと気付いていない人が多いようなのですが、これは決して揚げ足取りとか解釈問題で済まされる問題ではないコトは、よくよく考えて貰いたいです。
 と同時に、理由がハッキリと説明できないのに大臣を辞任するというのは、国民に対する責任をまったく考えていない、国民の代表であるという意識がない表れであり、そこも批判されるべき点です。
 そこは他の失言問題とは分けて考えるべきでしょう。
 
 もちろん失言問題なんてくだらないコトで政治が止まってしまうのは良いコトではありません。
 期待できない野田内閣ですが、キチンと仕事ができるならしてほしいと思います。
 まぁ解散総選挙の方が国益のためになるとは思いますけどね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、批判されるマスコミのある社会を応援しています。
 



平成23年9月20日

 なんのためにその政策を実行するのか

 なにやら愛知県の花火大会で、復興のために福島等の花火を使おうとしたら、市民の抗議で中止したとかいうニュースがありますが、なんですかね、これ。
 これ、差別なんですよ。
 なんか原発ニュース的な扱いで今の日本国民は済ませている気がしてならないのですが、これ差別なんですよ。
 その昔、ハンセン病患者に対しての差別がありましたが、いま放射能をネタにして行われているのは、まさにこれと一緒なんですよ。
 いえ、ハンセン病はまだ医学が未発達だったというある意味致し方ない部分も無いとは言えない部分がありますが、放射能は違いますよね。
 放射能については人から人へ伝染らないと科学的に分かっているのですから、これはさらに性質が悪い差別なのです。
 本当にひどい差別なんですよ。
 この問題は差別問題だと、国民もマスコミも分かって理解して欲しいと思います。
 本当に悲しいです。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日はこちらのニュースです。
 
 大阪市長選、維新の会公約…現業職員大幅削減
 
 地域政党・大阪維新の会の大阪市議団は13日の市議団会議で、大阪市長選の公約(マニフェスト)の素案をまとめた。
 市交通局の地下鉄・バス事業やごみ収集業務の民営化による現業職員の大幅削減、市有未利用地の売却などで財源を確保し、中学校卒業までの医療費無償化や市立中学校給食の実現などを盛り込んだ。
 維新が各区で開いている「区民会議」での議論などを踏まえ、10月中に詳細版を作成する。
 素案では、市政の抜本的改革について「職員組織や既存政党としがらみがなく、保身がない市長によってしか実現できない」と断じ、維新が9月定例会に提出する「職員基本条例案」「教育基本条例案」に盛り込んだ年功序列廃止や幹部ポストの公募制など人事制度改革を実現するとした。
 市立病院、市立大学、市立動物園などは、それぞれ独立行政法人化。天下り根絶をうたい、72ある市の外郭団体は全廃し、市全体の人件費などの義務的経費を1年以内に約1割、将来的に3割以上削減する。
 教育関連では、校長、副校長の公募や中学校の学校選択制、小中学校教室のクーラー設置なども盛り込んだ。
 市役所で行われた会議には橋下知事も参加し、市議らに「給食導入やクーラー、医療費無償化はしっかり実現したい。(財源の)400億円をひねり出すため一致団結を」と呼びかけた。
 
 色々な意味で精力的に活動されている大阪府知事の橋下さんが党首を務めています「大阪維新の会」の、次の大阪市長選挙での公約についての記事です。
 ちょっとこれについて、というか、この維新の会の公約だけに限ったお話ではないのですが、最近流行りの経費削減とか福祉充実とかについて、ちょっと1つ立ち止まって考えてもらいたいのです。
 というのも、国も地方も、最近の政治は議員のお給料や公務員のお給料を削減する一方、医療費とか教育費とかその辺の福祉を拡充するのが無条件に正しい政策と思われていますよね、いま。
 議員歳費を削るのも、福祉を充実されるのも、議論無しで無批判に正義だというコトにいまされています。
 でもやえは、果たしてそれが本当に正義かどうかという点について、もう一度立ち止まって考えるべきなんじゃないかと思うのです。
 
 例えばこの大阪市長選挙の公約、「中学校卒業までの医療費無償化や市立中学校給食の実現」という公約を盛り込むようですが、そもそもこの政策というのは、何のためにこの政策を実行するのかという点が不明です。
 と、こう言うと、医療費無償や給食費の無償はいいコトじゃないかって言われそうですが、しかしそういう姿勢こそがまず疑うべき点であるワケなのです。
 つまりですね、そんなコトを言い出したら、というか“理由もなく”それが正しいとするのであれば、では中学生までだけではなく大人だって医療費を無償化しましょうとか、サラリーマンの昼食代も公費で賄いましょうとか、そういうお話になってしまいます。
 無償化が正しいと理由もなく言うのであれば、大人にだって拡大するコトは正しいコトになってしまいます。
 理由がなく、全てを税金で賄うコトが正しいとするのであれば、そうですよね。
 
 でもこれって、突き詰めれば共産主義の考え方です。
 
 だからやえは、この政策には懐疑的なのです。
 中学生までなら無償化は正しいと言うのであれば、ではなぜ中学生までなのかという部分を説明しなければならないハズです。
 義務教育だからというのはあまり関係がありません。
 給食費はまだしも、医療費は教育ではありませんからね。
 そもそも義務教育とは、日本国民が最低限学んでおかなければならない教育をその年齢までに施すという意味であって、人間をある程度の年齢まで国家や社会が育てよう、いえ「生きながらえさせよう」という意味では決してありません。
 だから義務教育という理由では、医療費を無償化させるのには理由にはならないのです。
 そういう意味からも給食費の無償化も、義務教育とは関係のない話であるハズです。
 あくまで国などの公共機関が面倒を見るのは教育の面だけであって、人間が生きるために必要なモノまでを何から何まで揃えてあげる面倒見てあげるという意味では全くないのですからね。
 
 衣食住まで国家が面倒を見るべきという考え方は、それはやっぱり共産主義の考え方です。
 
 まぁ最近は「食育」という考え方が広がってきましたから、この観点から、給食も教育の一環とシッカリと位置づけるのでしたら、給食費無償化は良いとは思います。
 つまりここなのです。
 これが「理由」「根拠」「論拠」なのです。
 これがあれば正しい政策と言えるでしょうし、これが無いのであればそれは疑うべき政策なのです。
 義務教育という制度は法律で定められている「正しい政策」であるワケで、これに沿う形で給食も教育の一環だと体系付けるのであれば、「義務教育=給食=無償」と結びつけられ、つまり論拠が存在するコトとなり、正しい政策になるワケですね。
 しかし、医療費についてはそれがやえには見いだせません。
 だから疑うのです。
 「何のために、どのような社会を目指すために、医療費を無償化するのか」  この理由を問う必要があるのです。
 
 民主党の子ども手当もそうなんです。
 国民は貰うコトばかり頭にあって、「ただで貰えるならなんでもいいや」とポピュリズムに走ってしまいますが、そもそも子ども手当という政策は「何のために、どのような社会を目指すために、子ども手当をするのか」という点がまずもって不明なのです。
 というか、それは共産主義だというお話をこの前しましたよね。
 また例えば、似たような政策で麻生内閣の時の定額給付金というモノがありましたが、あれにはキチンとした理由がありました。
 当サイトでも散々取り上げましたが、簡単に言えば、あの時のリーマンショックを乗り越えるための様々な経済対策の一環として、国民側からも出来る経済対策をしようという意味のモノでした。
 麻生総理のリーマンショック対策は、様々なモノがありましたよね。
 エコポイントもそうでしたし、様々な税金控除やローン控除など、民主党政権になってからも続けられている、素晴らしい政策が数多くありました。
 そして定額給付金は、そのウチの1つであったワケですね。
 だから定額給付金は意味があったのです。
 もし麻生総理が思いつきのように、ただ単にぽつんと定額給付金を実行するなんて言ったら、やえは反対したかもしれません。
 でもあの時の定額給付金はそのようなモノではなく、様々な経済対策がパッケージとして組まれていて、その複合的な効果の1つとしての位置付けだったからこそ意味があったワケなのです。
 そしてだからこそやえは、麻生総理の定額給付金には賛成をしたのです。
 納得できる理念がある政策だからこそです。
 ここが、子ども手当と定額給付金との、もっとも大きな違いなのです。
 
 政策には理念が必要です。
 
 政治は突き詰めれば、どのような社会を目指すのか実現させようとするのか、です。
 政策はその目的を達成するための手段でしかありません。
 もし、国民が支持するからという理由だけで政策を実行するのであれば、それはただのポピュリズムであって、お金をそのために使うのであればただのバラマキであって、そしてそれは「票をお金で買う行為」でしかないのです。
 やえは橋下知事の政策には賛同するモノもありますが、こういうポピュリズム的な、票をお金で買うような行為をするのであれば、橋下さんを全否定せざるを得ません。
 それは結局、県民国民のための政治ではなく、ただ単に自分が権力者でいたいがための政治の私物化でしかないと言わざるを得ないからです。
 そんなコトをしても結局は国民のため国家のためには全くなりませんし、それは民主党を見れば明らかですよね。
 ですから、もし橋下さんがそのような愚策に走るのであれば、そのように批判されなければならないと思います。
 
 ただ最初にも言いましたように、これは橋下さんに限ったお話ではなく、いま国政でもなんでも、ちょっとそのような風潮が強いですよね。
 理由はないけど国民が望むからそうするっていう政策。
 そりゃエゴに走れば誰だってお金がただで貰えれば貰いたいと思いますし、税金が安くなるならその方がいいと思うに決まっています。
 でもそこを超えたところに政治はあるのですから、エゴだけでない政治を実行していかなければならないのです。
 そしてその1つの指針として、理念があるのです。
 ぜひ、政治の政策を判断する際においては、「その政策実行によってどのような社会を目指しているのか」という「論拠」を考えてみてください。
 それがない政策は、まず全てを疑ってみてください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、理念のある政治を応援しています。
 



平成23年9月25日

 コメントレス

 ちょっと変則的ですが、今日はコメントレスをさせていただきます。
 連休が続くとうれしいですね。
 
 
 どうも団塊の世代は「とりあえず自民党は悪だ」って思想に染まってる気がします(ソースはウチの親)。自民党は悪、悪いことはすべて自民党のせい、自民党でさえなければ問題ない、みたいな。すでに政治とかじゃなくて宗教のような気がします。
 
 団塊の世代の特徴かどうかは分かりませんが、そういう人たちが一定数いるっていうのは確かでしょう。
 根拠が無いんですよね。
 根拠もなく思いこみが正しいと、なぜか信じ切っているワケです。
 そういう意味では、確かに宗教と言えなくもないかもしれません。
 世代論で言えば、あれかもしれませんね、共産主義にあこがれた世代ですから、自民党は共産主義の仇敵であるワケで、そういうところから理屈を超えた反自民論が染みついているのかもしれません。
 でも、自民党は確かに戦後の日本を牽引してきたワケですし、そしてそれは日本国憲法に基づいた公職選挙によって長年自民党が選ばれ続けてきた事実があるワケです。
 そういう事実から目を逸らしても、それは何にもなりませんよと、実体を無視して空想を信奉するのであれば、それはやっぱり宗教ですよというコトですね。
 
 
 
 そういえばVNIっていっぱいいらっしゃいましたねー、任意ラジヲの頃でしたっけ
 
 とてもとても昔のお話な気がします。
 みんなどこ行っちゃったんでしょうかねぇ。
 
 
 
 やえたんかわいいよぉ〜
 
 は、はぁ、ありがうとうございます(笑)
 
 
 
 今日の鉢呂経産大臣の発言を聞いたら、これは国会は開けないな、と思いました。国会議員としてではなく人間として最低です。こんな大臣を選んでしまった野田総理には、ますます期待ができなくなるばかりです。
 
 でもマスゴミフィルターを通したりミンス脳にかかると、邪魔をしてるのは自民党だ!自民党が悪いとか、復興が大事なのに暴力団との付き合いと不正献金みたいなつまらない問題で邪魔をするな、ってなるんですよねえ
 
 『死の町』『放射能をつけたぞw』鉢呂失言に「くだらない」の声。民主議員「揚げ足取りで国会がストップさせるな」
 まともな思考ができないんでしょうか、こいつら
 
 鉢呂大臣に限らず民主党の議員は野党時代に、どうしようもないような発言を見逃されて来ました。自民党の議員なら辞職を迫られかねないようなことも。そういう議員を当選回数と「グループ」均衡人事で選ぶから、こういう事になってしまったのだと思います。既に辞任するという報道がありますけれど。
 
 こんなに酷い人物ばかりが集まった民主党が政権を取ってしまったのは正に日本の危機、総理が漢字の読み間違いをしただのカップ麺の値段を知らないだのと言ったレベルの危機ではないのです。正に政権交代を求めなければならない事態なのですが、あれだけ麻生氏に罵詈雑言を浴びせたマスコミは知らん顔です。敢えて言いますが、こんな欠陥政権などとっとと葬り去るべきです。
 
 なんか、記者が誘導するようなことを言ったから、それが悪い。大臣は悪くないみたいなツイート多いですな、露骨な工作にしか見えませんが、記者の問いかけに対し小学生以下の低レベルな返しをしたのは変わらないというのに。あと、やっぱり被災地の足を引っ張るからくだらない揚げ足取り、みたいな論調出てきましたねえ
 
 散々本更新でやりましたので繰り返しは言いませんが、結局「記者が誘導するようなことを言ったから、それが悪い」というのは完全にデマだったコトが明らかになっているというコトは明記しておきたいと思います。
 1つハッキリさせておきたいコトは、過去の失言問題は、まだまだネットがいまほど発達していない時代であったにも関わらず、後からそれは失言ではないというコトが明らかになりましたが、でも今回の鉢呂大臣のこれは、そういう確定情報が一切出ていないという点です。
 森総理の神の国発言も、柳沢厚労大臣の生む機械発言も、批判する声がかなり大きく、ご本人達には致命傷になってしまったコトは大変に遺憾なコトでしたが、それでもその中でもキチンと事実の部分は調べるコトが出来ましたよね。
 でも、鉢呂氏は、この部分が結局出てきませんでした。
 こういう事実からも、この件は過去の件と同列には出来ないんですね。
 森さんや柳沢さん本人を擁護するのではなく、そういう事実があるからその批判は間違いではないのかと言うのが正しい反論であって、しかし今回の鉢呂擁護というのは、鉢呂擁護が先、もしくは反マスコミが先に来ているだけで、論拠の部分が全く出てこないのです。
 あるのは、「マスコミならやりかねない」という憶測、いえ陰謀論しかないワケです。
 ここは冷静に考えるべきでしょう。
 
 さらに鉢呂氏本人もその発言はしていないとハッキリと言えない以上、ぐだぐたの辞任劇は当然のように批判されるべきなのです。
 この辺を今回分かっていない人が多い気がしてなりません。
 敵の敵は味方論で、反マスコミのためなら理屈を置いてけぼりにしていいというコトには絶対にならないのですが、どうしても置いてけぼりにしてしまっている人が多いんですよね。
 でも、これもこの前言いましたけど、反論も批判も意見のひとつなのですから、やはりその中で一番大切なのは根拠であって論拠なのです。
 論拠のない意見も反論も批判も、それはただのレッテルであって、厳しいコトを言うのであれば、便所の落書きにしかならないのです。
 そこはキチッと弁えるべきだと思います。
 
 
 
 鉢呂氏の後釜として、あの枝野氏が後任したようですが、枝野氏は原発事故の時における「直ちに影響が出ることはありません」を連発していた方ですからね・・・。あの発言は捉え方によっては「すぐに影響は出ないけど、後々影響が出るかもしれないから、そんときはごめんなさ〜いね〜」と受け取ることも可能な言葉ですからね。そのせいで未だに影響が出るのか出ないのかで、ネットで騒がれているみたいですし・・・、(今は事故発生時と比べてやや沈静化しておりますが)さらにそのことに関して週刊現代と週刊ポストが「放射能は日本中に飛び散っているから、日本はもうおしまいだ(現代)」「いやいや、日本中に飛び散っていても、指して心配するような量ではないから大丈夫だ(ポスト)」と、原発を巡って激しいバトルを繰り広げ、余計に国民を混乱させましたからなぁ・・・。あの騒動は枝野氏のせいで起こったのに、その諸悪の根源が大臣の後任となるのは、どうも納得がいきません・・・。
 
 「直ちに」は、まぁ、学術的には間違いではない表現だったんだろうとは思うのですが、もうちょっと一般向けな説明も必要だったかとは思います。
 そのための政治家なワケですしね。
 
 で、その後もやえとしてはかなり不満が残るワケですよ。
 おとといの冒頭で紹介した花火の件もそうなのですが、放射能がインフルエンザの病原菌か何かのように誤解されて、差別の温床になっているにも関わらず、政府はキチンと対応が出来ていません。
 本来なら、学者を集めて正しい知識を一般人に啓蒙するというコトを政府がやらなければならないワケですし、その最も先頭に立つのが官房長官の役割のハズなのです。
 枝野さん、やえは優秀な方だとは思いますが、でもやっぱりその辺が民主党なんですよね。
 自分達の理屈が先攻して、国民が本当に望んでいるコトが想像できないんですね。
 
 というか民主党って、口先では「政治主導」とか言うクセに、結局それが何なのか分かっていないんです。
 いま国民が最も望んでいるコトは、実は除染ではなく「正しい知識」なんですよね。
 もちろん除染が完了すれば言うコトはないですし、国民も口ではそのように望んでいるのですが、しかしその前に正しい知識があればいたずらに不安になるコトもなく、除染除染とヒステリックになるコトもないワケです。
 除染するにしても、その前に「正しい知識」がなければ、やっぱり意味がないでしょう。
 政治家とはこういう口には出さない無意識下の国民の願いというモノをすくい上げる能力も必要であって、民主党はその能力が著しく低いのです。
 結局、そういう除染とか具体的な作業というのは官僚でも出来る、というか役所役人が実行部隊として動くモノですから、それにつられてそれしか頭に無いのであれば、政治家としては失格なのです。
 これこそ官僚政治なのです。
 民主党は、自らの能力がとてもとても低いので、結果として官僚政治の権化になっているんですね。
 ホント、もうちょっと頭を使って欲しいと切に願います。
 
 
 
 世界銀行の総裁のゼーリック氏が、「このままじゃ世界経済は崩壊するから、日本、アメリカ、ヨーロッパの先進各国がそれぞれ課題を克服していかなければならない」と言っているのですが、地震やら原発事故やらで日本は未だ大変なのに、どうやって他国と協力していけばいんだよと、この記事を読んでいて思いました。ただでさえ内閣自体が機能していないというのに・・・。さらにこのニュースを見て「第三次世界大戦キターーーー!!」「世界オワタ」と、ネットで無責任なことをほざく輩もいる始末・・・。もうこの先どこまで行っても闇しかないんじゃないかと、心が暗くなります・・・。
 
 なんて言いましょうか、逆に言えば脳天気でいられるのであれば、それはそこまで深刻ではないというコトなのかもしれません。
 あの民主党が政権の座にいても、一応は国の体裁が整っているワケですしね。
 民主党の場合は、民主党が積極的に国を壊そうとしているのが問題であって、無能のまま居続けるだけなら、東日本大震災や台風被害とかがなければ、なんとかなる国力とシステムは日本は創り上げているんですよね。
 だからまぁ、結局いつの時代でも無責任にしか考えられない人は一定数いるワケで、いまはネットで誰で自分の声を発信できるから、目立つだけでですね。
 その程度と思った方がいいと思いますよ。
 
 
 
 やえさんが引用した読みづらい文章ですけれど、野田政権と財務省の増税に対する方針も理解していません。復興増税は法人税と所得税で、社会保障と税の一体改革は消費税の増税でという方針なのですから。私はなんであれ増税には反対ですけれどね。
 
 記事書いた記者本人は主観を混ぜていることに気付いてない気もします。…それなら尚更に記者として記事を書くべきではないとも想いますが
 
 もし気付いていないのなら、日本語の教育をもう一度受け直した方がいいです。
 少なくとも、文章を書くコトでお金を貰うプロのレベルではないですね。
 マスコミって多分マスコミ自身が一番意識が低いんですよ、マスメディアって民主主義にとっての一番のライフラインであるってコトに。
 多分現場作業員の意識は、東京電力の方がよっぽど高いと思います。
 
 
 
 時事ドットコム:民主政権にチャンスを=樽床氏
 ・・・・・・・・
 
 一番選挙というモノを軽く見ていたのが民主党っていうオチですね。
 なにが「民主」党なんでしょうか。
 
 
 
 例えば公務員人員/給与削減という政策にしても、その意図として「有能な人材を公から民へ、民間で出来る仕事は民間へ、働く意欲はあるけど能力などの問題で民間へ就職できない人で安くてもいいからという人へ簡単で安い公の仕事を」というのがあればOKってこと?
 
 その理由に納得できるかどうかは、人それぞれでしょう。
 やえがこの前言いましたのは、理由や論拠も無く、ただただ結果だけを押しつけようとする行為や、またそれを絶対正義化させる行為はもっとも悪いの行為であるというコトです。
 例えば議員定数削減も、その論拠もなく、ただただ正しいコトだとされていますよね。
 でもこのお話はよくやえはするのですが、議員定数を減らすというコトは、民意が1人の人間に偏るという意味になるワケで、それは果たして民主主義として適切なのかどうかという点は考えるべき点であるのですけど、そういう点は全然議論されませんよね。
 給与削減の件も、そのように論拠を主張されれば、ではその反論がどこからか出てくるでしょうし、そうなれば議論になって、結果としてより良い結論が得られるようになるでしょう。
 また、議論せずに結論を決めてしまうと、ではなにか欠点があった場合も、それはそのまま放置してしまうコトになってしまいます。
 議論って、そうやって深めるモノですよね。
 論拠があるかないかでその主張が主張であるかどうかが決まりますが、しかし論拠の提示は出発点でしかありません。
 その先さらにどのようにより良い政策を求めていくか、それが議論なのです。
 
 
 
 やえちゃんはALL TOGETHER観に行きましたか? 次のALL TOGETHERでやえちゃんが観たいカードがあったら教えてください。私は井上雅央×飯塚高史が観たいです。雅央さんの「待てーっ!」がアイアンフィンガーフロムヘルに通用するかどうか。
 
 ネタふり、ありがとーございまーす(笑)  ALL TOGETHER、観に行きました。
 ちょっと高かったので、あまおちさんに連れて行ってもらいました〜。
 
 いやー、もう、なんか、雰囲気がいつもと違いましたね。
 お客さんの熱の入れようが全然違いました。
 多分、最近プロレス行ってないけど、チャリティーだし、記念に行ってみようかなっていう人が多かったんじゃないでしょうか。
 変な話、カードが悪くても、内容が悪くても、お客さんが盛り上がれば盛り上がるっていう、プロレスの客が占める割合の大きさを改めて感じました。
 もちろん内容が悪かったという意味じゃないんですけど、でも、出場レスラーが多かった分、タイトルマッチのような真剣な迫力は無かったワケで、それでもあの盛り上がりですから、やっぱりプロレスって奥が深いですよね。
 あの日の盛り上がりは、多分テレビで見ても伝わらないと思います。
 行って良かったですv
 
 あと、ノーフィアー復活の試合で、あまおちさんがやえの話を聞かなくなっちゃいました。
 何を言っても耳に入らないのか、ずっとリングの上を見つめていました。
 なにかこみ上げるモノがあったみたいですよ。
 
 次のALL TOGETHER、仙台でやるみたいですが、カードですか。
 どうですかね。

 望むカードはいくらでもありますけど、でもそれって、団体間の交渉が無理なカードばかりになりそうで。
 でも、これどうですか、そのギリギリのラインでいけそうな気もするんですが。
 「永田・天山・中西・小島 vs 秋山・大森・高山」
 ごめんなさい、あと1人誰がいいですかね。
 四天王・三銃士の下の世代、いわゆる「第三世代」の世代チーム同士の対決です。
 でも、秋山さんと大森さんが組むのが一番難しそうですね(汗)
 あと、「丸藤vs飯伏」なんて見たかったんですが、どちらも怪我してしまいました。
 
 やえの中で、不可能に近いけど今一番見たいカードって、「潮崎vs諏訪魔」です。
 この二人、戦ったコトないんですよね。
 共に新日の同世代とは戦ったコトありますけど、この二人が直接はないんですよね。
 まぁでも、難しいですよね〜。
 
 「井上雅央×飯塚高史」ですか。
 案外うまく噛み合うんじゃないですかね(笑)
 実は同世代な気がします、このふたり。
 まてー!は、なんかついつい止まっちゃいそうな気がします。
 でも一瞬とまって、その後何もなかったかのようにグーパンチされる雅央さん(笑)
 
 いやでもやっぱり、プロレスってこうやって夢のカードを想像するだけでも本当に楽しいですよね。
 これからもプロレスのネタ振りお願いしまーす。
 



平成23年9月26日

 放射能と差別

 この前、冒頭でチラッと花火の放射能騒ぎ、というか差別問題について触りましたところ、いくつかご意見を頂きましたので、それについてひとこと言っておこうと思います。
 
 花火の件とは、こちらのニュースでも報道されていますが、福島で作られた花火を上げようとしたら市民の抗議で中止にしたという事件です。
 中止にする理由は記事にもありますように、「放射能をまき散らすな」といった電話やメールが相次いだためです。
 そして行政がこの声に乗っかってしまって中止にしてしまったワケですが、結局中止したコトに対する抗議がなんと3000件を超したらしくて、そっちの方が大事になったというオチが付いた、本当にバカバカしい事件となりました。
 で、これをこの前やえは差別だと表現しましたが、これについて色々とご意見を頂きました。
 
ようは、我々が許容する汚染拡大の閾値(基準値)を何処に設定するかの問題だね。
これは科学の問題というより社会的なコンセンサスの問題だね。
「1年に1ミリシーベルト以下」だと安全と誤解している人も多いけど、
この数字は「リスクはあるけど交通事故程度のリスクだから許容すべき」という
社会的コンセンサスに基づいて決められた安全基準だと聞いているけどね。
 
やえさんは「差別」という言葉を安易に使っていないかな?
「差別」はいけないけど「区別」は必要だよね。
汚染が基準以下なのに拒否したなら差別だけど、基準以上のものを拒否したら区別だね。
 
花火の件は、その花火は汚染が基準以下だったのか?
「大丈夫だろう」で強行しようとしたら批判は当然でしょ?
そもそも、民主党政権は物の移動の際の汚染の許容値を決めたのかね?
 
 申し訳ありませんが、違います。
 「社会的コンセンサス」の問題ではありません。
 これはどこまでいっても科学の問題です。
 社会的コンセンサスとは、結局のところ国民の過半数がイヤだと言えばそこに理由も根拠もなくても基準になるというコトですから、放射能の問題ではそのような考え方は全く不適切です。
 あくまで放射能の問題は科学的に見て危険かどうかを判断し、それを基準にしなければなりません。
 百歩譲って社会的コンセンサスを基準にするのであっても、そこにはやっぱり理由が必要なハズです。
 では放射能の知識もなく、そもそも放射能に全く馴染みのない、例えば原発事故が起こる前から人は放射能を浴びていた、それはもちろん自然や宇宙から出る放射能ですが、こういう存在すら知らなかった人達が、なにをどう基準にして判断にしているのか全く不明な論を、それをどうやって基準にしろと言うのか、やえにはさっぱり理解が出来ません。
 原発事故直後では、マイクロシーベルトとミリシーベルトの区別が付かずに、ただ整数の部分の数字を見るだけでワーワー騒いでいた人もいるぐらいで、そんな人の判断はこの際一切切り捨てるべきと考える方が、むしろ社会のためになるとやえは思っています。
 
 で、その上で、さらに想像力を脹らませてください。
 花火ですよ?
 
 やえはこれまで食品への放射能問題については触れてきませんでした。
 それはなぜかと言えば、やえにはそこまでの科学的な知識が無いからです。
 食品の場合は、放射線を浴びるという以上に内部被曝の可能性が出てきますから、もうちょっと難しい問題となります。
 ですからそれはもう専門家に任せて、専門家が作る基準に従うのがモアベターだからと思っているからです。
 
 でも、食品とは違う問題は、それはある程度の経験や知識と常識に従えば判断できる問題もあります。
 例えばガソリンスタンドの拒否問題です。
 いいですか。
 広島の例を取っても、人から人に放射能が伝染ったという例はありません。
 二次被曝という言葉がありますが、これは、原爆が投下され爆発したその後、直接被爆(爆発の方ですね)したワケじゃないけど、その数日後までに一定地域に入ってしまった人が、その土地に残っていた放射能によって被曝してしまったコトを指します。
 広島市が発行している被爆者健康手帳、いわゆる原爆手帳も、その交付はそういう基準(直接被爆者と入市被爆者(広島市の場合、昭和20年8月20日までに次の区域内に入った者))で定められています。
 なにより、親から子への放射能の影響はいままで一例も確認されていません。
 すでに妊娠している人が被曝した例は別ですが、被爆者が結婚した後に子を産んだ場合(いわゆる原爆二世ですね)は、いままで放射能の影響は全くないのです。
 放射能は遺伝しないのはハッキリしているのに、なぜガソリンスタンドに行くぐらいで伝染すると思ってしまうのか、やえには全く理解できません。
 
 放射能、この場合正確には放射性物質なワケですが、これは様々な影響で拡散されます。
 多くは風で飛ばされます。
 変な話、自動車に放射性物質が付着していても、車を走らせればそれだけで飛ばされて拡散されるワケですね。
 そして拡散されればされるほど放射線の数は減り、人体に影響が出ないレベルになるワケです。
 
 もう一回言います。
 花火ですよ?
 
 もしかしたら花火が爆発したそれだけ放射性物質が大量に広範囲に散らばるとか思っている人がいるのかもしれませんが、当たり前ですが爆発して量が増えるなんてコトはあり得ませんし、そもそも広範囲に散らばるならそれならそれでむしろ影響は小さくなるだけですし、だいたいにして花火職人がフルアーマーを着て花火を作っているワケでもない、生身の人が作って持ち運んだモノを、さらに広範囲に散らばせたところでどう人体に影響が出るレベルになると言うのでしょうか。
 やえは、影響が出るという人の方が理解できません。
 どういう根拠で言っているのでしょうか。
 さらに言いますと、今回の花火業者はもともと避難区域外に事業所がある業者なワケで、ここで生身でずっと暮らしている人が今でもいるんですよ、これでどうして花火だけで人に影響が出るほどの放射性物質をまき散らすようなコトになってしまうと言うのでしょうか。
 検査しろっていうご意見もあるようですが、そもそも検査しなければならない根拠がどこにあるのか教えて欲しいです。
 それなら、日本中、いや世界中のありとあらゆるモノを検査すべきでしょう。
 だって事故が無くても地球上にいればどこだって放射線は浴び続けているんですからね。
 中国からの黄砂だって、相当の放射性物質を含んでいるんですよ。
 そういうコト分かって言っているのでしょうか。
 
 それともなんですか。
 いまの時代、福島と関連があれば全て検査しろと言うのでしょうか。
 ああ、なんてバカバカしいお話でしょうか。
 
 こういうお話をすると、「原爆とは総量が違う」という声が出てきますが、それももう少し冷静に考えてもらいたいです。
 
 
 (つづく)
 



平成23年9月27日

 放射能と差別 (下)

 (つづき)
 
 こういうお話をすると、「原爆とは総量が違う」という声が出てきますが、それももう少し冷静に考えてもらいたいです。
 福島原発が出した放射能の総量が、広島原爆より多いのは分かります。
 けど、放射性物質は拡散するという性質も考えてみてください。
 これ以前にもお話ししましたが、例えば福島でも東京でも色んなところで放射線量を毎日計測して公開しているワケですが、これいまどこでも全体的に減ってますよね。
 これなぜかって言うと、放射性物質が拡散しているからです。
 福島原発からの放射能漏れがもっと早く止まっていればもっと早い時期に放射線量が減っていたワケですが、ダラダラ垂れ流され続けたから長い時期にわたってダラダラと放射線量が高い時期が続いたワケです。
 つまり、原発からの総量が多いからと言って、イコールでその場所に放射性物質が雨をバケツに溜めるイメージで全てが留まって蓄積されていくワケではないのです。
 もしそうであれば、それこそ東京だってもしかしたら大変危険な量になっていたかもしれません。
 でも実際は違うのです。
 いまでも新宿や日野市で放射線量をずっと前から測定し続けていますが、いまはもはや原発事故以前と変わらないぐらいのレベルに落ち着いているんですね
 この結果を見れば、もし雨がバケツに溜まるようなイメージで放射能が溜まると考えるのは間違いで、総量が多いと期間が長くなってしまうのは憂慮すべき問題ではありますけど、しかしその場の「今その時間」にどれだけ放射性物質と放射線があるのかっていう点こそをよくよく考えなければならないと考えるべきというコトが読み取れるでしょう。
 そして放射線というのはある一定値であれば人体に影響がない、同じ量でも1時間ぐらいの短期間に浴びるのと、10年ぐらいにかけて長時間で浴び続けるのとでは全然意味合いが違う、短期間の方が危険だという放射線の特質も考慮すべきポイントとして知っておくべきでしょう。
 
 そういうコトを考慮した際、結局避難区域に指定されていない場所で作られた、しかも原発事故が起きる前に作られていたという花火に対して、広島原爆より総量が多い福島原発事故なんだからうんたらかんたらと言うのは適切ではないというコトです。
 発電所から漏れ出た放射性物質の全ての量を考えてもこの問題には全く関係が無く、もし考えるのであれば、その場のその時にどれだけ放射性物質があるのかという点だけが問題なのです。
 総量は関係ありません。
 
 その上で、生身の人間が生活している避難区域外で作られた花火に対して、どうして危険があると思うのかの方がやえには不思議でなりません。
 検査しろって言ってしまうその根拠が、どのような考えのもとに検査をするという発想になるのか、やえにはまるで分からないのです。
 食べろって言っているワケじゃないんですよ。
 これが食品でしたら、また問題が別、それは内部被曝の問題に繋がりますから、もうちょっと違う観点が考えるのかもしれません、それは最初に言いましたようにやえはそこまでの知識がないので今まで触れてきませんでしたので、これが食品でしたらもうちょっと違う視点もあったかと思います。
 でも違いますよね。
 避難区域外というだけで、その場所はコンセンサスという点についてはすでに科学的にも社会的にもコンセンサスが得られていると言える場所であって、ではわざわざ検査をしなければならない理屈はどこにあるのでしょうか。
 それが危険だと思う根拠はどこにあるのですか?  避難区域内の人だって、そこから移動してガソリンスタンドに入って、それで放射能が他人に伝染するなんて、どういう根拠で言っているのですか?  逆に教えて欲しいです。
 もし科学的根拠があるのであれば、ぜひ見せてください。
 ぜひ教えてください。
 やえは、広島出身としても言いますが、寡聞にして聞いたコトがありません。
 
 だからこういう科学的根拠の全くない状態で通常でない対応をするのは、それは差別だと言うのです。
 やえには、この花火の件にしてもガソリンスタンドの件にしても、拒否する人の言葉が「広島には60年前に原爆が落ちたんだから、この店に入りたければ検査をして証明書を貰ってこい。でないと入れない」と言っているようにしか聞こえないのです。
 「福島だから」「広島だから」という、まったく科学的根拠がない、非科学的な、オカルトの思いこみだけで、全く不要な負担と心の重しを押しつけようとしているのですよ?
 これが差別でなんてなんなんですか。
 そもとも「広島には60年前に原爆が落ちたんだから、この店に入りたければ検査をして証明書を貰ってこい。でないと入れない」すらも差別ではないと言いますか?
 やえは広島で、広島市で、当時の広島市であるいわゆる旧市内の生まれですが、そうだからという理由だけで、やえはどこに行くにしても放射能の証明書を提示しなければならないと言われなければならないのでしょうか。
 差別ではないんですか、これ?
 
 日本人は、もっと高いレベルの教育を施されていると思っています。
 もしこれが母国語の文字すら書けないような人がたくさんいる国での放射能恐いっていう反応でしたら、まだ無知によるモノと怒りも多少は逸らされるのかもしれませんが、違いますよね、日本は。
 世界で唯一原子爆弾が落とされた国であって、ずっと昔から識字率も教育水準もとても高い国民性を誇っている国なのに、どうしてこんな簡単なコトが分からず、差別に走ってしまうのでしょうか。
 他人の痛みなんてどうでもいいから知らないモノは全て排除しろって、どれだけレベルの低い考え方ですか。
 避難区域外で作られ、生身の人間が運んで、口の中に入れるワケでもなく、むしろ広範囲に散らばる形で爆発させるという花火という背景と性質を考えたら、どうして花火だけをもって人体に影響が出る放射線が一気に出るという発想になるのか、もうやえには全然まったく想像も付かないのです。
 仮にもし、こういう想像に至ったとしても、しかしそこは一歩踏みとどまって冷静に考えてくださいよ。
 そしたら、危険性を訴える方が滅茶苦茶な行為だと思い至るでしょう。
 どうしてそれが出来ないのですか。
 考えるコトを放棄して他人に痛みを押しつけるのは、それは差別ですよ。
 
 差別を差別として指摘しないのは、それは差別を増長させてしまいます。
 ネットでは「差別」という言葉に過剰に反応する傾向があります。
 
ハンセン病患者の差別の話だけど、そもそも「感染する」と信じられていた時に隔離されたのは差別なのでしょうか?どう思われます?
ハンセン病の場合問題なのは、「科学的に感染しない」と判明した後になお(無知によるものが多いけど)忌避されたコトや、ハンセン病の差別的法律がつい最近まで残っていたことが問題なのではないでしょうか?
 
福島原発事故が福島を汚染した以上、福島を隔離し閉じ込め、避難した人を福島に帰し、経済的交流を絶つなんてコトはできないので、ある程度の汚染は甘受するのが日本人の義務だと思います。
 
やえさんも含めて、放射性物質の汚染と、低量放射線被曝に関する基準値の意味について無知なことが、差別と区別の差をぼやかして、結果として差別を助長しているように思います。
 
 上で引用させて貰った方と同じ方なのですが、ハンセン病はただ単に感染するっていう理由だけで差別を受けたのではありません。
 もしそうであれば、労咳、いまで言えば結核も、これも現代医学なら不要な部分までの隔離を昔の日本では行っていましたから、ただの非合理な隔離政策を差別と言うのであれば、結核も差別と呼ばれてしまうかもしれません。
 でも実際は違いますよね。
 結核問題は一般的には差別問題と見なされていません。
 つまりそれは、科学や医学の限界を超えてまでのコトを全て差別と言うワケではないのというコトなのです。
 実際のところは、ハンセン病は、顔などの見た目がかなり変わってしまうという部分で、差別が広がってしまった部分が大きいのです。
 法の不作為もありました。
 だからこの前の更新でもやえは、「ハンセン病はまだ医学が未発達だったというある意味致し方ない部分も無いとは言えない部分がありますが」と書いたワケで、科学の限界までをも責任を取れと言っているワケではないのです。
 そうではなくてですね、今回の放射能騒ぎで言いたいのは、放射能の件はハンセン病の時と違い、知識がちゃんと仕入れられるのに過剰な反応によって差別に繋がってしまっているコトが、この点でハンセン病の時より酷い差別になっているんだと、あの時よりも酷い差別になってしまっているんじゃないですかと、それを指摘したいワケなのです。
 
 これは本来防げる差別のハズなのです。
 歴史を振り返れば十分に立ち止まれる差別のハズなのです。
 それなのにこうやって差別が生まれてしまっている。
 ここにとてつもない怒りを感じてしまうのです。
 
 もしかしたらどこかに「無知だから仕方ない」という部分があるのかもしれません、いまの風潮は。
 「一般人は放射能のコトなんて知らないんだから、結果として差別になっても仕方ないだろう」と、そういう甘えがあるんじゃないでしょうか。
 
 冗談じゃないです。
 
 差別というモノはいつも、そうやって差別する方の勝手な都合で弱者を虐げるのです。
 どうして学ばないのですか。
 過去の歴史として悲しいコトにそういう差別があったワケですが、人間はそれを振り返って教訓として、同じ轍を踏まないようにする知恵を持っているハズではないのですか。
 それこそが歴史が存在する意味ではないのですか。
 「知らないから」は理由になりません。
 現代の科学や医学の限界を超えてまでのコトはさすがに責任を問えるとは思えませんし、一般人に高いハードルを科そうとも思いません、やえだって知らないコトはたくさんあります。
 でも、少なくともガソリンスタンドやどっかの役所や今回の花火は、差別というモノの悲しさと、日本国民一般レベルの科学的常識をもってさえすれば、冷静な対応が出来たハズなのです。
 差別せずに済んだハズなのです。
 結局今回のコトは、「他人の痛みなんてどうでもいいから知らないモノは全て排除しろ」っていう甘えきった自分本位の勝手極まりない考えが生んだのです。
 それは差別なのです。
 区別ではありません。
 差別です。
 合理的な科学的な根拠がまったくなく、あるのはただ自分勝手な自分のコトしか考えていない浅はかで愚かさだけで、そしてそれをもって他人を虐げる行為は、差別そのものなのです。
 
 社会的コンセンサスだけで差別の問題を考えるコトは危険です。
 差別とは大多数が理由もなく少数の権利を蹂躙する行為であるのですから、被差別者は常に少数であって、多数決をとれば、つまりコンセンサスを得ようとすれば、かならず差別をする側の強者の理屈が通ってしまうという構図を持っています。
 弱者は少数だからこそ虐げられるという見本のような例が差別なのです。
 差別を社会的コンセンサスなんかで語ると、それはむしろ差別を助長し増長させるコトにしかなりません。
 ここは間違わないよう、よくよく考えて貰いたいです。
 
 差別の問題を取り扱うといつまでも話は尽きずに長くなってしまいますので、とりあえずこの辺でやめておきますが、この前言いましたように、この福島の放射能の問題は、やえからすれば「広島には60年前に原爆が落ちたんだから、この店に入りたければ検査をして証明書を貰ってこい。でないと入れない」と言っているようにしか聞こえないのです。
 やえはとても悲しいですし、怒りを禁じ得ません。
 これは明確に差別であり、だからやえはこれを差別と指摘します。
 でないと差別と気付かない人がたくさんいますし、なにより差別している人が一番差別だと理解していない可能性が高いからです。
 差別というモノはそういうモノなのです。
 だからこそ、差別というモノをキチッと考えて欲しいのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、差別を絶対に許しません。
 



平成23年9月28日

 原発事故調査委員会を国会内に設置せよ!

 ちょっと最近またアクセスが下がりまくってしまって、特にあまおちさんが悩んでいまして、ツイッターでいろいろとうめいたりアドバイスを頂いていたりしていたのですが、もしかしたらブログ化に踏み切るかもしれません。
 どうしてもやえって横の連携が苦手なモノでして、新規の方がこれられないのでしたら、それはもう自然にアクセスは下がり続けますよねぇ。
 というコトで、システム的に横の連携が取れやすいブログにするかもしれません。
 もし何かご意見があれば教えてください。
 よろしくお願いします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 これ、あまり一般的には知られていない、マスコミもほとんど伝えようとしないのですが、今回の原発事故においてはもっとも重要な対策だと思いますので、ご紹介します。
 
 自民党がもうすでに法案化して提出しているのですが、原発事故調査委員会を国会内に作ろうという動きがあります。
 原発事故調査委員会と言えばいま現在、政府の中には原発事故調査委員会が設置されていて調査をしているのだろうと思われますが、しかし設置元が政府という行政の中だという点には注意が必要です。
 
 自民が原発事故検証法案 証人喚問含む強い調査権
 
 自民党は8日、福島第1原発の事故原因と政府の対応を検証する調査委員会を国会に設置する法案をまとめた。罰則付きの証人喚問を含めた強い調査権を与え、議論は原則公開としている。
 9日に党「影の内閣」で正式決定。公明党やみんなの党のほか、民主党にも共同提出を呼び掛ける。枝野幸男官房長官は「国会の判断で検証することは否定しない」と述べている。民主、自民両党の大連立構想も絡み、提出時期は慎重に見極める。
 内閣の事故調査・検証委員会に対して自民党は独立性を問題視しており、菅直人首相や閣僚も検証の対象とする。
 2011/06/08 16:58 【共同通信】
 
 最近よく当サイトが言っていますように、立法府と行政府は別モノです。
 よって、この法案というのは、いまある政府の中にある原発事故調査委員会ではなく、国会の中に別の原発事故調査委員会を作ろうというモノです。
 
 まずなんのために政府の中だけに留まらず国会の方にも作るのかというコトですが、行政府に設置されているから悪いという意味ではなく、行政府の中にある委員会では限界があるという意味があります。
 事故調査とは色々な場面について検証するワケですが、そのウチのひとつに、当時の政府、菅内閣ですが、が本当に適切な対応をしたのかどうかという点についても、やはり検証する必要があるでしょう。
 しかしその時に、政府の対応を検証するのに、その検証する元が政府だというのでは、それはやはりちゃんと検証作業が出来るかどうか疑問に思わざるを得ないでしょう。
 これは、原発を推進する経産省の内部に原子力保安院があったために支障が色々と起きた問題と構図は一緒です。
 これはもう人間の性として、限界が出てしまうんですよ。
 だから、政府とは全く別組織である立法府の国会の中に原発事故調査委員会を作って、政府のミスも検証対象として指摘が出来るシステムを作り上げるべきというのが、今回のこの動きなのです。
 
 原発事故の問題は大きく分けて、なぜ事故が起きてしまったのかという問題と、事故が起きた後の対応はどうだったのか、という2つの問題に分けるコトが出来ます。
 なぜ事故が起きてしまったのかという部分は、過去の原子力行政や、原子力発電所の構造の問題やメンテナンスの問題などが中心になろうかと思います。
 当然ここの検証も重要です。
 しかし、やえとしましては、それよりも「事故が起きた後の対応」の方が、比べるのであればむしろ重要なのではないかと思うのです。
 
 人間はミスをします。
 ミスを0にするコトは出来ません。
 だからこそ、ミスが起きたときにどう対処するのかという備えを行っておくという行為が非常に重要になるワケです。
 例えば、避難訓練はそういうコトですよね。
 「絶対に火災なんて起きない」と過信するのではなく、当然技術的な部分で火災が起きにくい建築物を造るというのは重要なコトですが、一方で想定外の時が起きた時のために被害が拡大しないよう避難訓練などをして、まさかの時に備えるワケですよね。
 むしろ今回の事故もここの部分が大きいワケで、「安全神話の崩壊」なんて言われていますが、これはイザという時の備えを怠っていたというコトであるワケですから、やはり今回の件については、どちらかと言えば「事故が起きた後の対応」の検証に力を入れるべきなのです。
 
 その中で、例えば以前からマニュアルがしっかりしていなかったとか、そもそもイザという時の法整備が出来ていなかったという点もここの指摘に入るワケですが、同時に、その時の政府行政がどう動いたのかという点も、検証の中においてはかなり大きなウエイトを占めるモノと思われます。
 だからこそ、政府の中に設置される検証委員会だけではなく、別の場所に置かれる検証委員会、国会の中に置かれる検証委員会が必要なのです。
 その時の政府の対応を検証するのにその政府自身が調査していても、果たして第三者的な中立的な視点に本当に立てるかどうかは、どこまでいっても疑問に思われても仕方がないでしょう。
 構図的にはBPOなんか、そういう理由でよく批判されますよね。
 政府が調査対象なのですから、政府以外が調査する必要がありますと、言ってみれば、とても簡単なお話なワケです。
 
 もちろん政府の中にある調査委員会も、これは同時並行して行うべきです。
 それは得手不得手がありますからね、立法府と行政府はその役割も立場も目的も権限も手段も違うのですから、得手不得手がありますし、視点も違ってきます。
 決して政府の調査委員会が信用ならないから無くしてしまえ、国会の調査委員会だけあればいいんだというお話ではありません。
 国会の中の調査委員会だけではなく、もちろん政府の中の調査委員会も同時に調査を進めて、共に報告を上げればいいのです。
 セカンド・オピニオンのように、別の視点から検証するというのは大切なコトのハズですし、それは国民の利益に叶う行為でしょう。
 
 まず今回のお話は、国会の中にも原発事故調査委員会を設置する必要性があるというコトを知っておいてください。
 政府の原発事故調査委員会がダメだっていう意味ではありません。
 政府のも、国会のも、両方あってはじめて精度の高い調査結果を出すコトができるという意味です。
 
 そしてもう1つ知ってください。
 この国会内の原発事故調査委員会の設置法案は、最初の記事にありますように、なんと6月上旬の段階で自民党は用意しているんですね。
 それからどれだけ時間が経ったでしょうか。
 結局これまだ成立していません。
 野党は賛成している法案が、なぜ成立しないのか。
 理由は簡単ですね。
 
 なぜ与党民主党はこれに積極的にならないのでしょうか。
 もしかして、政府が調査されるのはマズイとでも思っているのでしょうか。
 つまり、後ろ暗い自覚があるというコトなのでしょうか。
 
 みなさん、行政から離れた国会の中に原発事故調査委員会が置かれる必要があるというコト、そしてその設置を民主党が渋っているという事実を知ってください。
 しかし日本の国益のためには、国会内の原発事故調査委員会が必要なのです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、国会内原発事故調査委員会を応援しています。
 



平成23年9月29日

 コメントレス

 今日は木曜日ですのでコメントレスの日です。
 と言っても、この前レスしたばかりですので、きょうはちょっと短めです。
 
 その前に。
 昨日更新で紹介しました国会内で原発事故調査委員会を設置すべきというお話ですが、なにやら今日いきなり衆議院の本会議でこの法案が取り扱われまして、なんと可決してしまいました。
 参議院はまだなので成立はしていませんが、明日参議院で本会議する予定なんだそうですから、これはもうほぼ成立する見通しです。
 あれだけ数ヶ月も民主党はしぶっていたクセに、ここにきて委員会審議もなく、国会閉会一日前になって急に成立の見通しになったというのは色々と勘ぐりたくなるワケですが、おそらく、国会会期の再延長を求める野党に対し、たった4日の衆参の予算委員会でもうボコボコにされていた野田内閣としては、1日とて国会が開いているのがイヤだったのでしょう、その取引として調査委員会の設置法案を与党は飲んだんじゃないかとやえは想像しているのですけど、まぁ原発事故の件だけに関して言えば良かったと言えるでしょう。
 あとは人選の問題ですが、この辺も含めて、もっとこの件は注目されなければならない問題だと思っています。
 
 
 
 花火の放射線量が問題であって人へ放射能がうつらないというのはこの件には関係ないではないでしょうか?数値を公表しろではなく単にばらまくなだけなので差別的な発言には変わりないと思いますがちょっと気になりました
 
 放射性物質の問題は大きく分けて、体外での被曝と、体内での被爆の問題に分けるコトが出来るでしょう。
 人体に直接付いたり土などに含まれている放射性物質から放射される放射線によって人体のダメージが与えられてしまう場合と、放射性物質が体内に入り込んでしまい体内からの放射線によって人体にダメージをあたえとしまう場合ですね。
 で、これ何か違うのかと言いますと、とっても簡単なコトなのですが、対外での被曝ですととりあえずその場から離れたりパタパタと払い落としたりすればそれで被曝は終わる一方、内部被曝だと放射性物質を取り出すコトが非常に難しいという違いがあるワケです。
 つまり体内に放射性物質が入り込んでしまうと、その時間ずーっと被曝し続けてしまう、逃げるコトが出来なくなってしまう状態になってしまうワケです。
 物質によっては便と共に排出されるコトもあるようですが、それだって、その場に離れれば被曝が終わる体外被曝と比べれば、格段に被曝時間が違うと言えるでしょう。
 つまり、体外被曝と内部被曝とでは、被曝時間が格段に違うワケなのです。
 ですから、体外被曝と内部被曝は分けて考える必要がある、同じ放射線量・放射性物質量であったとしても扱い方が違うというコトなんですね。
 
 その上で花火の問題はと言いますと、これは体外被曝の問題ですよね。
 だからやえとしましては、例えば広島においても被爆者に触れば放射能が伝染するなんて言われ無き差別が昔はされたワケですが、それと同じ理屈で、なぜ花火に触れたり、花火の爆発によって放射能がばらまかれて危険な状態になると言われなければならないのか、それは差別以外何者でもないと言っているのです。
 
 放射線を受けただけでは、その物質が放射線を放射するワケではないですからね。
 いまの段階では放射性物質が存在してこそ放射線を放出するワケで、そして日々放射性物質は拡散されて人体に影響のないレベルになってくのですから、この前も言いましたように東京ではすでに事故前の放射線量に戻っているのですから、そもそも「放射能が伝染る」なんて言葉自体を軽々しく言って欲しくないのです、やえは。
 その言葉を聞くたびに悲しくなってしまいます。
 
 
 放射性物質の飛散に神経質になっているのだろうという事を考慮しても馬鹿馬鹿しい話です。
 
 いやまったくです。
 これほど「バカバカしい」という言葉が相応しい問題もないでしょう。
 それにしてもクレームを付けた住民も低脳ですが、なにより中止を決定した行政が一番バカバカしいです。
 自ら科学的根拠に基づかない、オカルトによって行政を動かすと宣言したワケですからね。
 本当にバカバカしいです。
 
 
 話を聞いていると「不安」というところで思考停止していると感じますね、不安なのはとても良くわかるのですが。とりあえず放射能のことを調べれば不安を解消できると思うのですが、調べる余裕が無いのか、それとも何を信じればいいのかわからないのか・・・どちらにしても個人の問題とも政府の問題とも言えない気がします。
 
 まさに思考停止ですね。
 というか、自分の不安を取り除くだけではなく、その行為は他人を差別し虐げるという行為だという自覚を持って貰いたいモノです。
 自分の今の行為は、「他人の痛みなんてどうでもいいから知らないモノは全て排除しろ」という、子供以下の我が儘でしかないというコトを知って貰いたいです。
 クレームを付けた住人も、中止を決定した行政も、そのような浅はかな人間なのです。
 やえはこの人達を許せません。
 
 
 
 国会中継を観ていると答弁する大臣の理解力の無さに溜息をついてしまいます。今日も復興債の償還をどうして60年ではダメなのかという自民党礒崎議員の質問に安住財務大臣がまともに答えられませんでしたから。財務省は、きちんとレクチャーしているはずなのですけれどね。
 
 国会中継見れば、自民党の実力と民主党の実力は一目瞭然なんですけどねぇ。
 マスコミは都合のいいところばかりを切り貼りして流すので全然アテにならないのですが、生のそのままの中継を見れば、本当に一目瞭然です。
 特に、予算委員会などの注目が集まるような委員会ではなく、法案などを具体的に審議している他の委員会を見れば、さらにその地力の差が明らかに見えます。
 結局ですね、一日二日の一夜漬けレクチャーではどうしようもないんですよ。
 自民党の議員さんは、初当選の時からずーっと党の朝8時からの部会で何年も何年も勉強して続け、その上で議員になってから10年以上生活してから大臣になるワケですから、だからこその地力なワケです。
 勉強なんてせずに他人の足を引っ張るコトしかやってきていない民主党議員と比べる方がそもそも失礼なお話なのかもしれません。
 
 
 
 韓国人サポーター、やりやがりました。もう日本は韓国と縁を切ってもよいでしょう。チェンマイ・イニシアティブを脱退し、日韓スワップ協定を破棄しましょう。韓国経済に引導を渡すために。
 
 ああ、この問題ですね。
 
 ◇「日本の大地震を祝福する」日韓で違う報道
 
 韓国で行われたサッカーのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の、全北現代−C大阪戦で、韓国ファンが「日本の大地震を祝福する」という旗を掲げたとスポーツニッポンが28日に報道し、それを受けた韓国・国民日報が「周囲の観客の顔を露出させたのは特定の人格を毀損する素地がある」と反論報道を行った。
 
 もうね、本当にこれ、どこまで差別意識が国民意識の中に染みこんでしまっているのでしょうかと言わざるを得ません。
 しかも韓国のこの手のニュースって、極一部のちょっとアレな人間が起こしたのではなく、周りの人間も容認しているってところがスゴいんですよね。
 この横断幕にしたって普通こんなの日本国内で起きたら、周りの人がやめさせますよ。
 そして斜め上の擁護報道。
 これはもはや「一部の人間の暴動」とは言えませんし、「いい韓国人もいる」とかいうレベルではないです。
 いい韓国人がいるからって、悪い韓国人のコトをそれで相殺されるワケないですからね。
 ここまで堂々と差別意識を丸出しにしておいて、それで悪感情を持たない方がむしろ異常と言えるでしょう。
 本当に正気の沙汰とは思えません。
 
 だからですよ、こういうコトもキチッと日本国内でも報道してこそ、公平で平等で対等な関係というモノでしょう。
 悪いところに全部蓋をしておいて、それが友好だというのは頭の悪い考え方です。
 国同士の付き合いは、最後は人間同士の人間関係です。
 友人関係にしても、恋人関係にしても、夫婦関係にしても、自分の悪いところを隠し続けて、良い部分だけを見せて、「これが自分の全てだから付き合って欲しい」と言われても、どうせいつかボロが出ます。
 こんな薄っぺらい関係では、成田離婚以前の問題でしょう。
 悪い部分を知ってこその人間関係です。
 だから悪い部分もキチンと報道しなければならないのです。
 
 だってこれも事実なのですから。
 
 悪い部分を捏造して悪印象を与えろってワケじゃないんですよ。
 事実を事実として伝えなさいってだけです。
 その上で悪印象を抱いてしまうのであれば、それはもう仕方ないですよね。
 だって事実なのですから。
 それが出来ないウチは、真の友好なんて無理なんですよ。
 結局日本のマスコミは、口先だけで日韓友好と言いつつ、それは実は友好を望んでいるワケではないのです。
 ではどんな関係かと言うと、一方的な従属関係ですよね。
 悪い部分には蓋をして、その面は一方的に我慢しろっていうコトなのですからね。
 本当にいまのマスコミと民主党は日本を売ろうとしているようにしか思えません。
 
 そしてそれはこういう根拠もシッカリと揃っているからこその、そういう評価だというコトを忘れてはいけません。
 



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