真の金メダリストは篠原だ

オレは認めない。
オリンピック柔道男子100Kg超級の決勝
篠原信一対フランスのドゥイエの試合で
審判の誤審によりドゥイエの勝ちとなり金メダルとなった。

色々と言いたいことはあるのだが、やはり外人なんかに日本の武道の一翼でも任せたのは間違いだったのだろうか。
この試合を見ていない人にはなんのことやら分からないだろうからちょっと説明すると、ドゥイエが放った内股を篠原がうまくすかし、内股すかしで完全にドゥイエは背中を打ってそのまま回転した。
どう見たって、例えひいき目で見たって篠原の一本だった。
しかし主審と副審の一人は、ドゥイエに有効の判定を下した。
もう一人の副審は篠原の一本だったのだが。
確かに篠原の体も有効な態勢で畳に落ちていた。
しかし明らかに篠原が内股すかしを決め相手が背中を付いているのである。
掛けた方の態勢は関係ない。
もし関係あるのだったら、巴投げは技を掛けた方が一本取られてしまうだろう。
それなのにドゥイエに有効の判定を下し、結局篠原は負けてしまった。

この審判はクズである。
名前が分からないのが残念だが、なぜこんなヤツが審判をしているのか不思議である。
試合の流れで同体気味に両選手が倒れた場合、審判はどっちにポイントがあるか手で示す必要があるのだが、この主審はそれをやらなかった。
つまりこの審判はおそらく同体と見えてなかったのだろう。
どういうことかと言えば、内股すかしという技はその名の通り内股という技をすかす技である。
ということはまず相手が内股を先に出す必要がある。
なので先に技を出したのはドゥイエなのだ。
多分この主審(と副審の一人)はドゥイエが技を出した時点で掛けられた篠原がどのような態勢で落ちるかということしか見ておらず、技を掛けたドゥイエは目に入っていなかったのだろう。
結果畳に倒れた篠原だけを見て、その倒れた態勢が有効だったから、何の疑いもなく有効の判定を出したのだ。
だからドゥイエは技を出した反動で倒れたと審判は思っており、どっちにポイントがあるか、なんという裁定をする必要が無かったと思っていたのだろう。
クズ審判である。
どっちが技を出したのか、どっちの技が優れていたかも分からない、試合全てを見極めなければならないのにそれすらできない人間に、よく審判の資格を与えたものだ。
今これを読んでいる人で、ものすごい一方的に書いているな、と思っている人がいれば、その試合のビデオでも見て貰いたい。
どう見ても篠原の一本勝ちなのである。
断言できるほど素晴らしく綺麗な技だったのである。

オレは篠原の負けを認めない。
ルールというものはルールブックにある文章をこそ最も守らなくてはならなく、審判が間違えた場合は審判が悪い。 何者もルールブックには逆らえないのである。
だからこそスポーツというものが存在できるのである。
ルール無きスポーツはスポーツではないのだ。
ここで変なことを言っている人がいるので反論する。
柔道の国際ルールでは、審判が畳から降りた時点で勝敗が確定する、というのがある。
だから篠原の負けが確定、らしいのだ。
国際レフリー部長という人も、篠原の技が一本だ、と認めておきながらこのルールを持ち出して篠原の負けという見識を日本側に伝えたらしい。
変なことを言うもんだ。
篠原の一本勝ちを認めたということは、その時点で試合は終わっており、その後に行われていたことは全て無効、試合でも何でもなくただ遊んでいたと言ってもいいのである。
だからその遊びの時に審判が畳から降りたところで何にもならない。
さらに言うとこの審判、篠原の一本の宣告・試合終了の宣告をするという義務を果たさず放棄したのだから、職場放棄で審判の資格は剥奪されるほどの行為を行ったわけである。
無茶苦茶な判定、意味不明な裁定。
ルール無きスポーツ、これはスポーツとはとても呼べないシロモノである。

誤審判定のために負けてしまったのにも関わらず、試合後礼儀通り一歩引いて「礼」を行い、表彰式にもちゃんと出て「礼儀」を忘れずしっかり果たした篠原と日本柔道側は本当に素晴らしい。
それに対して、こんなレベルの低い審判をオリンピックに出した国際柔道協会(正式名称に自信無し)も、一度は完全に投げられて「やられたー」といった表情をしたのにも関わらず、試合後や表彰式で目一杯思いっきり心から喜んでいたドゥイエ。
一体「柔”道”」はどこにいったのだろうか。
心を重点に置いている日本武道が、勝つためだけの西洋格闘技に毒されている。
勝てば官軍、スポーツでもなんでもルールを無視してでも勝てばそれでよし、とする外人なんかに、心を中心とする日本武道の一翼でも任せたのは間違いだったのだろうか。
2000/09/22

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