脱・ボランティア

オレはボランティアが嫌いだ。
なぜ嫌いかと問われれば色々と理由はあるのだが、とにかくその名を聞くだけでもイヤだ。
はっきりいって無償で何かのために働く人間、というものが信じられない。
別にオレは人間諸悪説論者ではないのだが、純粋にその無償の仕事をやることだけに対して喜びを感じている人間がいるとは思えないのだ。
どうしてオレがこんなにボランティアが嫌いなのか順に説明することにしよう。

オレが幼い頃、オレはとんでもないひねくれ者で天の邪鬼だった。
友人などにオレの昔の話をしてもやはりかなりのひねくれ者と言われる。
で、今でもあるが当時もボーイスカウトというものがあった。
あの青い服は目立つのでよく見かけた。
まずオレのボランティア嫌いの第一段階はここで、この段階では単純にひねくれ精神からくる、
「ボランティア?他人のために奉仕?なにそれ、アホちゃうん」と考えていた。

第二段階は、戦争か事故かなんかで石油まみれになっている鳥を助けよう、と言って現場に飛んでいく人のニュースを見たときだった。
「この人達は仕事を休んで何をやっているんだろうか」
「どうやって生活しているんだろうか」
と、こんなことを思い、またそれを最高の美談のように報道するテレビに対しても違和感を覚えた。
この時もひねくれ精神が多分に働いていたこともあるのだろうが。
「専門の業者に頼んだ方が効率的で、業者も儲かるんじゃないかな〜」
なんてことも考えていたが、よく考えると海に流れた石油を専門に回収する業者なんて存在するのかどうか現在でも謎である(笑)

第三段階はゴーマニズム宣言の中の、あの有名な薬害エイズ問題の所である。
時期的に第四段階とクロスする部分もあるのだが、決定打になっているのはこの後に書くことなので、それを第四段階とさせてもらう。
知らない人のために簡単に説明すると、
多くの学生が中心のボランティア団体が、エイズウイルス入りの輸血用血液を危険と承知で売っていたという事実と責任を国とミドリ十字と関係医師に追及し、そして成功したのだが、
しかし国がその責任を認めた後も、そのボランティア団体は(従軍慰安婦問題などの)違う問題まで取り上げ糾弾しようという団体として方向転換しようとしたため、その団体の代表でゴー宣の作者でもあるよしりん(小林よしのり)がそれを阻止したという事件。
詳しく知りたい方はよしりん著書の「脱・正義論」を読んでもらいたい。
第一、第二段階でボランティアというものに対してあった懐疑心が、これによりより高くなる。

第四段階はコミックマーケットである。
これは知らない人が多いだろうから説明するが、
まずコミックマーケットとは個人や複数人が作った漫画や小説などのいわゆる同人誌を、1つの会場に集まり売ったり買ったりする、というイベントである。
説明的にはこう書いてあまり差し支えないのだが、コミックマーケットという言葉は厳密には、この業界最大手のイベントの固有名である。
で、このコミックマーケット(以下コミケット)は、上層部(どの辺までがそうなのか謎なのだが)を除いてほとんどのスタッフがボランティアなのである。
ボランティア・・・金銭報酬を貰わないという一点のみでボランティアと公言しているのだが、実体は、色々な利権にしがみつくため、だったり、自分がこのイベントを動かしているのだと思うための自己陶酔、だったり、無意味に参加者を怒鳴ってストレス解消するため、だったりする。
はっきりいってコミケットのスタッフの態度は悪い。
初対面の人間に向かってタメ口は当然で、態度は横柄・高圧的、自分が一番エライと信じ、それを他人に強要している。
もちろんこれらに当てはまらない人間もいるが、目立っているということはそれなりに数が多いと言うことである。 また、コミケット代表の米沢氏は「ボランティア至上主義」のようで、
「資本主義はダメだ。金のために働く奴は責任を負わないからダメだ」と発言しておられる。
この人未だに学生運動が抜けきれないようで、マルクス信者なのだと思う。
タブン。
こんな状況を目の当たりにしているので、ボランティアというものを信じることが出来なくなった。

ちなみに天堕が発行している同人誌は、このような同人界の間違った部分を修正しようという内容の同人誌を発行しています。
ご興味のある方は是非、当HPの「同人誌」のコーナーまで。

さっきも書いたが、目のあたりにしている分、第四段階のことが一番影響している。
はっきり言って、ボランティアの末路の代表がこのコミケットスタッフで、最後は全員このようになると思っている。
ボランティアだという建前は「金銭的報酬が無い」という一点だけで、実際は別の利益を望んでいたり、自己陶酔・自己満足のためである。
初めは純粋でも結局はこうなる。
特に自己陶酔・自己満足が問題で、こうなると「ボランティア様だからエライ」とカンチガイし始め、権力を持った気になり、実際ボランティア団体の中で権力を持つと外部の人間に対しても同様の権力があると思いだし、それを他人に強要し、ボランティアの基本中の基本である「他人のために奉仕」ではなくなり、「仕事のために仕事」をし始める。
こうなると作業の効率がかなり落ち、利権争い・権力闘争が起きそれが中心となり、また純粋に働きたい人間のやる気を失わせ、阻害にすらなる。
さらにボランティアされる側にも被害が及ぶ場合もあり、もう本末転倒以外何者でもなくなってくる。
なぜこうなるかと言えば、ボランティアではなくプロフェッショナル(ここでは単純に金銭的報酬があるという意味。バイト等も含まれる)なら、金という身に感じやすい責任があるのでここまで陥ることは少ないのだが、ボランティアの場合はなまじボランティアという名前が付くために、責任を負おうとしない、責任というものが存在していないと勘違いし、
「自分の好きな時に、好きなだけやり、好きなときにやめる」
という自己中な考え方をしてしまい、上記のような結果をもたらすのだ。

まだ単発なら良い。
最悪の状況に陥る前に目的を達成し解散するからである。
しかし恒久的に活動を行おうとする場合、相当上層部が目的意識をはっきりとさせておかないと、絶対に目の届かない下部から腐っていく。
団体の存在は恒久的なので、はじめ腐っていたのは下だけでも、いつかは下層部の人間が中間部になるから、真ん中が腐る。
そしてそのまま上まで腐り全部腐る、という寸法である。
正常な状態から腐らせるのは簡単だが、腐ってから正常に戻すのは簡単なことではない。

このボランティア政策を国レベルでやろうというのが共産主義であろう。
しかし、全員がボランティアなので外部の人間というものが存在せず自己陶酔もできない。
もちろん責任も生まれないし、報酬も無いためやる気も出ない。
だから共産主義が失敗したのだろう。

というわけでオレは原則的にボランティアというものは存在しなくていいと思っている。
もし金銭的報酬を与える場合の活動なら、責任というものを自覚しない人間に対しても「金に対する責任」というはっきりとしたものがあるので責任を負わせやすいし、外部の人間はお客様なので自己陶酔・自己満足できないし、報酬があるのでそれなりにやる気は出るし、それが本業となるのでそれに全力投球することが出来る。
しかしオレのボランティア無用論にも例外がある。
それは、その人間が「ボランティアの”天才”」の場合だ。
言葉通りキリストのような人間で、本当に心から純粋にいつまでも他人のために働きたい、と思える人間が時々存在する。
ただし、そのような人間は例外中の例外と思わなければならない。
これはどんな種類の天才にも言えることだが、凡人に天才の模倣など不可能だし、無理に行おうとすれば必ず支障をきたす。
それは本人のためにならないだろうし、さらに他人に迷惑をかけかねない。
天才とそれに付き慕う人間のみが「本当のボランティア」を唯一実践できる人間である。
また、付き慕う人間もその天才の目が届く範囲でしか意味をなさないので、必然的に少数の団体となる。
そして当然天才はごく希にしか生まれない。
天才に関しては今まで書いてきたことが全て当てはまらない。

オレは、この唯一の例外を除いてボランティアというものは存在しなくていいと思っている。
そして例外以外のボランティアは有害にしかならないとも思っている。
2000/09/24

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