イジメと自殺

 人間の命が地球より重いと言うのであれば、その人間の命を賭けた訴えに最大限耳を傾けなくてはならないのではないだろうか。
 いじめによる人間の自殺はメッセージであり抗議であり訴えなのである。

 「命をそんな簡単に無駄にするな」「生きていれば必ず良いことはある」「自殺をしても意味は無い」
 これらほど無意味な言葉もないだろう。
 最近少年犯罪が増え、命に対する意識が低下していると言われ、それら犯罪と自殺を混同して考える輩がよくいるが、バカなことを言うな。
 確かに“他人の命”の価値観は確実に低下している。
 しかし“自分の命”ほど執着している時代もめずらしいだろう。
 他人の命を救ってまで自分を殺したくない、とか、自分だけはどんなことをしてでもみっともなくても生き延びる、とかそんなような命の価値が現在の状況である。
 他人を一人でも殺した人間が(今の日本では一人殺した“ぐらい”では死刑にならないが)もし死刑宣告されたら最大限のあがきをするだろう。
 死刑でなくても、殺人犯がプライバシーとかの“人権”を主張できる世の中である。
 これほど「他人の命」が安い時代も珍しい。
 他人はいくら殺せても、自分の命だけはどこまでも大切なのである。

 そんな時代でそれでも自殺するということはどういうことなのかが分からないのだろうか。
 自殺するのである。やろうと思えばいじめたヤツを殺すぐらい出来なくもない。
 しかし、相手を殺してその命を自分が背負うなんて、こんなバカげたことがあるか。
 もう耐えられないのである。これ以上しようがないのである。
 この苦しみを逃れるには、自分を殺すしかないのである。
 自分をこの世から消滅させるしかないのである。
 自分を苦しめた他人の命を背負ってさらに生き地獄を味わうなんて本末転倒、自分を殺した方がどれだけ救われるだろうか。
 それしか自分が救われる道はないのである。

 「こんなことぐらいで死ぬなんて」という言葉もまるで意味をなさない。
 所詮は他人。他人のことなど分かりようもないのだ。
 同じ立場でも人間によって感じ方は全く違うのである。
 オレなら別に何も感じないから、お前も感じるな、なんて無責任で、最悪の奢り以外何者であろうか。
 不幸合戦をしても意味がない。この世で最も不幸な人間など見つけられるはずもない。

 いじめられて自殺する人間は確実に怨んでいる。
 遺書などにそれらしき事が書いていなくても怨んでいる。
 でないと自殺などするものか。
 自殺はメッセージなのである。
 自分はこいつに殺されました、というメッセージなのである。
 暴力で受けた傷と、精神的に受けた傷どっちが痛いのかなんて比べられるはずがない。
 言葉で殺される可能性だってある。
 言葉での殺人である。
 自殺は殺された者の訴えなのである。
 自殺するしか他にはなかったのだということを分からせるためなのである。
 お前がオレを殺したのだということを分からせる手段なのである。
 殺した者に対して自分の命を一生背負わせて生きて生かすための手段なのである。
 それだけのことをしたのだという罪と罰。
 そうしなければ訴えが届かなくなっているのが現状なのである。

 だからもしオレがいじめを受け自殺するのであればこうするだろう。
 いじめた相手の名前を全て遺書に書き綴り、一生オレの命を背負って生きていかなければならない、オレはお前らに殺されたのだ、と書き、そして主犯格の家の庭で首を吊るだろう。
 学生であれば、その主犯格の机を踏み台にして、そのちょうど真上からロープを吊して首を括るだろう。
 永遠に怨む、とも書くだろう。
 自殺は命を賭けた復讐でもある。

 今の日本では、自殺すれば大きなメッセージとなる。
 地球より重いものを燃やしての、命からの訴えなのである。
 これを正面から受け止めろ。
 命は大切なものだとか、自殺はいけない、とかそんなことを言っているヒマがあったらいじめについて考えろ。
 命の重さを考えるために自殺したのではない。
 いじめに耐えられなくて自殺したのだ。いじめをどうにかしてほしいから自殺したのだ。
 この訴えは結局自殺しなければ届かなかったのである。
 自殺して初めてやっと届いたのである。
 「自殺する前に相談すれば」「自殺の前に気づいてやれれば」、全て無意味。
 そんなこと言っている時点で、どうして自殺したかを考えていない。
 今はまだ自殺をすれば多くの人にメッセージを送ることが出来る。
 だから、自殺が日常化してしまい訴える力が弱くなってしまう前に、
 自殺にまだ力があるうちにどうにかしなければならないのである。
 今の「キレる殺人」と同じような感覚で、「無意味に自殺」なんて事になる前になんとかしなければならないのである。
 苦しみ抜いた結果の自殺であるのだ。
 自分の命の価値が軽くなったのではない。しかし自殺しなければならなかった。
 この意味を正面から考えなければならないのである。

 自殺を推奨するわけではないが、ここまでしなければならなくなってしまっているのが現状だ。
 どちらにせよ、だれかに自殺しろと言われて、ハイそうですか、と素直に自殺するほど「自分の命」は軽くない世の中だ。
 どうしてもいじめに耐えられなくなったら自殺すればいい。
 そしてメッセージを伝えるのだ。
 できれば文字として明確に残し、行動としても残す方がいい。
 “強者の理論”がまだ生き残り、自殺するのは自分の弱さのせいだ、と安全なところから、さらには弱者を虐げながら言っているヤツを地獄に落としてやらなければならない。
 人間は生きる意味を考えられると同時に死ぬ意味をも考えることが出来るのである。
 自殺は動物の中で唯一哲学を持っている人間に与えられた特権なのである。

 命を賭けて世の中にメッセージを送らなければ、いじめを正面から見ることができなくなっているのもさみしい現状である…。
2000/11/4

NEXTHOMEBACK