原爆

 よく言っているが、オレは広島出身である。
 広島で生まれ広島で育った。
 広島という土地はやはり反戦教育が盛んで、もちろん反核についても同様である。
 反戦については特に語ることはない。
 オレは大東亜戦争を肯定しているし、戦争が無い人間社会というものは永遠に訪れないだろう。
 戦争こそが人類を発展させる要因、というのも真理である。

 核兵器、原子爆弾。
 この存在についても様々な意見はあるだろうが、しかし原爆について安易な「原爆絶対悪論」や「あるから無くならない論」をするつもりはない。
 先にも言ったがオレは広島出身だ。
 長年にわたり反核教育を受けてきた。
 だから、というのでも無いが、オレは原爆に対して反対する。
 反核教育に洗脳されている、と言われても構わない。実状を知っている人間と知らない人間とでは、絶対に埋まることのない溝があるのだから。
 ただし安易に、「反対だ〜無くせ〜」とは言わない。
 無くなるとは思っていないからだ。
 確かに戦争と平和への抑止力にもなる。それは認める。
 拳銃を突き付けられた状態での平和というのも、人間に置き換えれば何とも情けない姿なのだが、しかし否定できるものでもないから仕方ない。
 それに仮に一時期でも原爆を無くし、設計図さえもこの世から消滅させたところで、人間が一度作ったものなのだから、絶対にまた作ることは可能だろう。
 人間とは一度持った暴力なり権力なりは二度と離したくないと思うものだ。業であり性であろう。

 無くなることは出来ない。だから持っていても仕方ないと思う。
 しかし、使ってはならない。
 これは絶対だ。
 あの悪魔の爆弾は、人間を非人間に変えてしまうものなのである。
 大げさでも何でもない。
 まだ死んだ方がマシではないかという位の姿と痛み。
 皮膚がただれ、腕の皮が指先まで剥がれ、指から下に向かって皮膚が垂れる。
 一瞬にして人間が蒸発し、影のみがその場所の焦げ残る。
 そして悪魔の根元である放射能。
 あれは癌やエイズ宣告されるようなものである。
 そして治ることは無い。待っているのは死である。
 ペストなどの病原菌を散布する生物兵器の使用は国際法によって禁じられているが、放射能も似たようなものである。
 人間が人間のままでいたいのであれば、放射能を伴う原爆は使ってはならない。
 そして、戦争が軍隊だけでやり合う、民間人は殺してはならないという国際法を遵守するのであれば、原爆は使えない。
 あれほどの広範囲で、しかも放射能を伴うのだから、軍用基地だけに投下し効果を出すのは不可能である。
 少々蛇足気味だが、放射能という物質は自然界でもごく微量ながら存在している。
 しかし広島は未だに他の地域より放射能の値が大きいらしい。
 もちろん人体には全く影響ない大きさだが。

 原爆は使ってはならない。抑止力の効果しか期待してはいけない。
 では、なぜ原爆が抑止力となり得るのだろうか。
 よく考えてみて欲しい。
 軍隊だけで抑止力となるのかどうかはオレには分からないし、もしそうであるなら原爆は必要無いだろう。
 しかし、実際に原爆が抑止力になってはいる。
 ではなぜ原爆が抑止力になり得るのだろうか。
 そう、それは原爆が恐ろしい兵器ということを人間が知っているからである。
 拳銃ぐらいだと、それが蔓延しているアメリカでも全く犯罪に対して抑止力になっていないが、原爆は世界で数ヶ国持っているのにも関わらず抑止力になっている。
 大多数の国が核を持っていても抑止力になるだろう。
 それは原爆の恐ろしさを知っているからである。
 恐ろしさを知らなくなってしまえば、乱発してしまう可能性だってある。
 オレが前半でよく巷に氾濫している反核の決まり文句をウダウダと言ったワケはここにあるのだ。
 もし世界中の人間が「核兵器なんて絶対無くならないよ。所詮人間が作り出した兵器の一種じゃないか」みたいな認識にでしか無くなった場合、それはもう抑止力にはならず、人間の破滅が待っているのではないだろうか。
 また、原爆の恐ろしさを知っているからこそ、原爆以上の兵器への恐ろしさにもなっていると言える。
 それは原爆が実際に使われたからだ。
 もし、ヨーロッパ全土を吹っ飛ばせる兵器が開発されたら、その兵器が抑止力になるかもしれないが、その場合原爆の立場はどうなるのだろうか。
 原爆に対する恐れが無く抑止力の効果さえなくなってしまえば、人間の悲しい性からして、「原爆ぐらい使ってもいいだろう」と思ってしまわないだろうか。
 原爆は人間というのものを根本から破壊し、人類を滅亡させる危険性のある兵器である。
 待っているのは、人類の絶滅・・・。
 原爆こそが最悪の兵器である抑止力の防波堤になっておかなければならないのである。
 現在の原爆の恐ろしさの存在が、戦争への抑止力となり、使う事への抑止力にもなり、それ以上の兵器への恐ろしさの想像力と抑止力になっているのだ。

 現在の日本の進みつつある「戦争は絶対悪ではない」という思想とくっついて「原爆はただの兵器である」みたいな考え方を持つ人間が増えているようであるが、両者は切り離して考える必要がある。
 このような人間は、戦争については深く考えているが、原爆については考えていない場合が多い。
 戦争と原爆がイコールで繋がってしまっているために、戦争を肯定することにより何の考えないまま原爆をも肯定してしまっているのだ。
 よく考えろ。
 恐ろしさという抑止力なしの原爆など戦争の抑止力にはならない。
 抑止力を語りたいのなら、まず抑止力というものの本質を考えろ。
 安易に原爆に賛成する声が、逆に抑止力の効果の低下を促しているのだ。
 そう言う意味で、オレは反核に賛成し、ここまでの考えを持っていないだろうが、そのような運動を肯定する。
 オレは原爆の恐ろしさを世に知らしめることが、広島人の義務だと思っている。

 オレは警鐘する。
 原爆は、核兵器は、人間を非人間に変える最も恐ろしい悪魔の兵器だということを。
 安直に“右思想”に乗っかり、本質を考えないまま核に賛成する愚かさと恐ろしさを。
2000/11/17

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