加藤紘一の乱〜政治論〜1

 一言で言えば、非常に残念である。
 何はともあれ、森内閣を不信任し、内閣総辞職にしろ衆議院解散にしろ、そうなればこれから政治が面白くなるだろうと思っていたのだが、本当に残念だ。
 ついつい深夜にまでNHKを見てしまい、また保守党の某議員が野党に水ぶっかけたりとそれはそれで面白かったのだが、この面白い政治がここで終わってしまうのはやはり残念だ。
 説明するのが面倒なので、これを読んで何のことか分からない人はYahoo!や新聞でも読んでほしい。

 確かに加藤氏に裏切られたという見方もあるだろう。
 オレも応援していたので、裏切られた。
 でも、なんか見ていたらこの人が可哀想になってきた。
 野中幹事長なんか「総理になりたいだけだろう」なんて当初言っていたが、加藤氏は幹事長を務めた政治家である。総理になりたかったらしばらく静かにしていれば必ず総理の椅子が巡ってきただろう。
 そこへ、敢えて荒波を立てることを起こした。
 加藤氏の本心は本人しか分からないだろうが、しかしこれが成功していれば少なからず加藤氏が言っていたように「政治に対して自由に発言できる空気」が出来ていたことは確かだ。

 オレは一般人が政治を見るときに、全ての人間が難しいことを考える必要など無い、と思っている。
 そのことは「選挙に行こう」という文章で、政治が難しければ難しいことを考えなくていい、誰が首相になったら見てて気持ち良いか、ということだけを考えて投票すればいい、と選挙に特筆した書き方で書いた。
 選挙に限らず政治自体も、どうやったら見てて政治が面白いだろう、ぐらいに思えればいいと思っている。
 そういう意味ではこの加藤氏の行動は政治を面白くした。
 なにやらしたり顔をしたマスコミ人とかが、「政策が表に出ないからダメだ」みたいなことを言っていたが、そんなこと言っても分からんヤツには分からないし、そういう堅いことばかり言っているから国民が政治に背を向けているのだ。
 単純でいい。
 加藤氏と自民党がケンカしてる様を面白可笑しく国民は見ればいいのだ。
 野中幹事長の異様に興奮した顔を見るのも面白いし、山崎氏と加藤氏の友情物語を見るのも面白いし、気持ちよさそうに不信任案の趣旨説明の大演説していた民主党の鳩山党首を見ているのも面白い。
 不信任案反対討論をしていた自由党の議員が水をぶっかけて国会が大混乱していたときにオレは「この混乱ついでに議長の不信任案も出してしまえ」なんて言っていたら、本当に出したのでゲラゲラ笑ったものだ。
 これでもし総選挙に出もなったら、森内閣不支持率65%での結果がものすごく気になるところだったのに残念で仕方ない。
 こんなもんでいいと思う。
 政治が見た目で面白ければいい。考える人は考えるし、もし興味を持てば自分で調べるなり、政治に詳しい人に聞けばいいと思う。
 一緒に国会テレビを見ていたヤツなんて政治にあまり明るくないが、しかしオレの影響で面白く政治を見れるようになってしまっており、さっきの「この混乱ついでに…」で一緒に大爆笑したものだ。
 こいつは政治やその他で分からないことがあればオレに聞いてくるし、たまにオレに意見を言うし、それなのにオレがかなり突っ込んだ政治のことを言おうものなら右耳から左耳に音を流して聞いているフリしかしないというとんでもないヤツなのだ。
 詳しく考えたく無い人間はこの程度でいいと思う。
 選挙だってたかが一票だが、それでも投票すれば政治に“参加した気になれる”のでそれでいいと思う。なんとなく気持ちがイイものだ。

 さて、オレは今回のこの乱で、敢えて何も考えずに加藤氏を応援した。
 加藤氏の考えがオレに考えに近いのか遠いのかよく知らないのだが、それでも応援した。
 それはなぜかというと、自民党が割れた方が面白いからだ。
 どんどん数か少なくなっているとはいえ、まだまだ自民党の議員は多い。
 せめて単純に連立すれば自民党政権が立ってしまわないぐらいが好ましい。
 いや、まさか公明党が連立するとは思わなかったためにまだこのような状況になっているのだが、加藤氏がもし独立したら、それこそ現状の打破が出来ただろう。
 オレの望むところは、10〜20人ぐらいの政党がどっちかにつけば過半数をとれるぐらいのバランスがいいと思っている。
 つまり国会運用は、政策ごとに協力したりしなかったりとすればいいと思う。
 そうなると、政策の質も当然上がるし、政治家や政党の引き抜き合戦が始まるので、見ている方も楽しい。
 どっかのテレビで今回の騒動を、加藤山崎両氏二人の盟友小泉氏の苦悩や、政界の黒幕(笑)小沢一郎氏の動向などをフィクションで描いていたが、これはこれで面白かった。
 こんな感じで日本の政治が動いていくと、もっと国民の政治への関心が高まるだろうし、そして投票率も上がるだろう。
 単純に面白いだけで関心を持ってもそれは導入であり、その中からもっと詳しく知りたいと思う人間が必ず出てくるだろうから、そうなれば質も高くなると思う。
 国民全員が全員詳しくなるのは無理だろうし、だからピラミッド型のように、詳しく無い人→ちょっと詳しい人→政党に参加している人→知識人→議員、みたいになればいいのだ。
 これこそが現実を見据えた現実的な理想の市民政治なのではないだろうか。

 ところで冒頭に「加藤氏は可哀想」と書いたが、それはなぜかと言えば、かなり縛られての行動しか出来なかったからだ。
 それは加藤氏本人ではなく加藤派の賛成か反対かで揺れ動いていた議員が選挙区内の支持者によって縛られていたからである。
 よくマスコミなんかは、「組織ぐるみの縛られた選挙はダメだ。そんな時代はもう終わった」なんて言っているが、一番それに縛られていたのは議員だった。
 加藤派の議員は地元選挙区に行き支持者と会合を持ってこれからの行動を相談していたが、テレビに映るそれはほとんど「自民党から出てはダメだ」とかそんなことしか言わない支持者がほとんどだった。
 それもほとんどがジジイ。
 オレも広島という自民党が強い田舎の出だから分かるのだが、こういう年寄りは「なにはともあれ自民党」なのである。
 そこに理念や理論など全くなく、ただ自民党の名前を支持しているのである。
 自民党から出馬した人間を支持、というのも分からないこともないが、しかし参議院の比例当選議員ならともかく、衆議院の小選挙区から当選した議員である。
 事務所員などはまず議員個人を支持するのが第一ではないのだろうか。
 それなのに政党に固執し議員を縛り、その行動は結局は政治ではなくリベートを求めているように見えてしまう。
 首都圏あたりの地域は実際に組織ぐるみ選挙が無効化しつつあるようだが、まだ田舎のあたりでは組織力が生きているだろうし、選ばれる方の立場からすれば組織ほど頼りになるものはいないので、結局はこのような組織人に縛られ議員としての行動が出来なくなってしまっている。
 だから政党からの除名が怖い。次の選挙に勝てるかどうか心配してしまう。
 どこかで聞いた話だが、今回の自民主流派の多数派工作とやらは、議員そのものに圧力をかけるより、地方の自民党組織に強い圧力をかけることの方がかなり有効だったため、切り崩しが成功したらしい。
 まさに、名前だけに固執する頑固支持者が選挙時の組織力を背景に議員個人の決断を妨害したと言えるだろう。
 政党の名前に固執することは、オレから見れば浅はかな行動だと思うが、しかしそれは強制されることも非難されることでもないだろうが、しかし小選挙区で直接選ばれるような議員を政党の名前だけで支持しているようでは、間違っていると言わざるを得ない。
 こういう人間ははじめから比例などの立候補者を支持するべきであって、個人を選ぶ議員を支持するのであれば、最後まで個人を支持するべきだ。
 もちろん全く政党を考えるなとは言わない。だから離党とかそのような場面では会合を持つことは良い事だろうが、しかし名前だけに固執した考えで議員を縛るのは間違っている。
 理念があってこの議員はこの政党でこそ理念を実現できるのだろうからこの政党にいた方がいい、という建設的な意見でもって説得するのであれば何者にも文句を言われる筋合いではないだろう。
 しかし、一部的な報道しかされていないとはいえそのような意見しか聞くことはなかったし、オレの個人的な経験則からも特に田舎は「頑固政党固執者」が多いと感じており、今回の多くの加藤派議員はこれに縛られ苦しんだのだと予測される。
 マスコミは「組織ぐるみ選挙は悪だ」と言うのであれば、いつも目に見える簡単に糾弾できる政治家や官僚ばかり責めるのではなく、このような根本的なところからこそ責めるべきなのではないだろうか。
 いつもいつも市民は正義ではない。
2000/11/29

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