どっちが弱者か

 今日6時台のフジテレビのニュースの特集はあのチカン冤罪の事だった。
 このことは「チカン冤罪」という文章を載せているのでそちらを読んで欲しいのだが、しかし未だに無茶苦茶な道理がまかり通ってしまっている。
 最高裁でさえ証拠もなく被害者の主張だけをもって刑を確定させてしまっている。
 一方の主張だけで、見た目だけの“一見弱者”という理由だけで絶対正義となり、反対者は何があっても悪とされてしまう。
 警察のやり方も無茶苦茶。
 はじめから犯人扱いなのは普通のことで、ニュースの中で、任意同行なのに取調室に入ったとたん、体を椅子にロープで縛り付けられた、と言っていたが、これが事実なら本当に怖ろしい国になってしまっている。
 はっきりいって、仮に本当にチカンであったとしても、証拠がないのであれば有罪にすべきではない。
 こんなのはオレが言うまでもない初歩中の初歩ではないか。
 一方の主張だけを聞き入れ、また警察の裁量のみで刑が確定するなど、こんなのどこかの三流国か数十年前の特別警察のやり方ではないか。
 「疑わしきは罰せよ」か?
 なぜこのようなやり方が今の日本で復活してしまっているのか。
 証拠無き有罪など法治国家に対する挑戦ではないか!!

 同じ日の同じ時間帯のテレビ朝日での特集は、薬物依存症の少女の特集だった。
 タイトルからオレはイヤな予感がしたのだが、やはりというような内容だった。
 少女が薬物にハマったのは、悪い友達のせいであり社会のせいである、こんなことを遠回しに言っていた。
 少女の日記なるものを公開していたのだが、
 「ドラックにハマったのは確かに私が悪かったことです。でも苦しいんです。助けてください」
 こんな内容だった。
 前半と後半の文章が繋がっていない。
 一応自分が悪いと言うことは認めたみたいに言っておいて、でも自分を何とかして欲しいという他人任せで全く反省していないように見えたし、テレビ側も一応は本人が悪いと言うことは自覚していると見せかけ、それはさておきだから社会が何とかしなければ、という方向に持っていく。
 薬物依存症の人間を更正させる施設というものを紹介し、その職員も色々としゃべっていたのだが、結局は施設で更正させるのは難しいから、警察なりが対応して欲しい、でも薬物を持っていると言っても警察は動いてくれない、と言っていた。
 なんだそれわ。
 やっていないと主張しているチカンには自ら積極的に罪をねつ造しようとするくせに、薬物を持っているやっていると主張しているのに動かないとは、一体どういう矛盾なのか。
 しかしこの職員の言い方も扇動的で、自分達が頑張っても国は動いてくれない、国が悪いんだ、みたいな持って行き方をする。
 結局この少女は厚生省が介入することにより警察が動き、最後は依存症から抜けることが出来たらしい。
 それについてテレビ側や施設側は、もっと国がこの手の少年少女を更生させる施設や設備を作れ、という言い方をする。
 そしてこの少女も反省することなく、助かって良かった、ということしか言わない。
 「今は(悪い)友達が周りにいないから薬物は使っていません」みたいな事を言っていたが、未だに自分の責任という者を考えず罪を考えず、全ての悪は他人のせい。
 テレビ側もそれを責める言葉など全くない。
 やはりこの少女のような人間を助けるための施設を作れ、としか言わない。
 順番が違うだろう。
 麻薬を摘発するのが第一で、そしてそれを使わせないのが重要なのである。
 使った人間は悪の人間であり、罪の自覚をさせ反省させ償わさせなければならないはずだ。
 それなのに未成年だからだろうか、罪の存在をひた隠しにし助かって良かったもっと助けろ、国が悪い、というのを繰り返しているだけ。
 見た目だけの弱者を助けろ、と言い続けているのだ。

 一体どっちが真の弱者だろうか。
 少なくとも、薬物依存症少女が弱者なんかではない。
 なんで自ら悪の道を進んだものに対してわざわざ手を施してやらねばならないのだろうか。
 その前にしなければならない真の弱者がいるのではないだろうか。
 この手の報道を見る度にいい加減にしろと言いたくなる。
 不良が弱者か?暴走族が弱者か?薬物使用者が弱者か?
 その影で苦しむ人間の事は無視か?
 冤罪は無視か?
 法治国家最大の汚点である冤罪はマスコミの最大の敵なのではないのか?
 いい加減“見た目だけの弱者”を祭り上げようとするな。
 真の弱者に目を向け、そして犯罪者に正面から罪と罰を自覚させろ。
 うわっ面だけの正義などもうたくさんだ!!
2000/11/29

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