新世紀始め

 今月末に引っ越しすることになり、最近ドタバタしてしていまして、かなり久しぶりの更新になってしまいました。
 一月という、ただでさえ忙しい時期に引っ越しとなると、忙しさ倍増です。
 なんかオレの「メイン」での文章で、このような書き出しはかなり珍しいし、丁寧な語り口も珍しいのですが、今回はこれで、今まであったことを少しずつピックアップして書いていこうと思います。

 さて、ほとんどの人が知っていることですが、新成人が成人式で暴れたようです。
 高松市で数人が告訴され逮捕された事に続き、那覇でも十数人の新成人を告訴したようです。
 なんでも閉鎖していた門扉を、車を入れようとして破壊したらしいのです。
 すごいですなぁ。
蹴ったりして壊したとはいえ、一昔前の学園闘争のようです。
 ただし、その理由はアホの一言ですが。
 もちろん世論もマスコミもこのアホ共に鉄槌を下せというものなんですが、世論はともかくマスコミはどうなんでしょうかね。
 こういうアホ共をのさばらせないためにも、実名写真入り報道をするべきなんじゃないでしょうか。
 実名報道はしていたみたいですが、普通の犯罪者のように専用画面での顔写真の陳列をしているところをオレは見たことがありません。
 やはり「少年」ということで遠慮しているのでしょうか。
 まぁ大体にして、戦後一貫してマスコミ主導により行われてきた、脱公共・倫理・常識の結果がこれなんですから、その辺をマスコミは自覚すべきです。
 この報道を見たとき、オレはやはり「自由の森学園」を思い出しました。
 自由をはき違えた“ユートピア学園”です。
 自由という言葉を無制限に一人歩きさせた結果がどうなるかなんて、この学園を見れば火を見るより明らかなのですが、マスコミは自分で放火しやすい状況を作っておいて、放火魔だけを糾弾し、点けられた火には全く無批判無自覚でいようとします。
 かなりぶっ飛んでしまって申し訳済みませんが、煽動したヒトラーと踊らされた(と言っている)旧ドイツ民衆とどっちが悪かったとおっしゃっているんでしょうかね?
 マスコミさん。

 戦争と言えば、我らが森総理がなにやらマスコミのネタにしやすそうなことを言ったようです。
 ヨハネスブルク市内で開かれた在留邦人会レセプションにて「大東亜戦争」や「支那事変」と発言したらしいのです。
 最近、従軍慰安婦や南京大虐殺等デリケートな問題は昼間やゴールデンタイムにはあまり扱わないようにしているらしいのですが、この森総理の発言についても同じ時間帯でも放送局によって扱わなかったり、また同じ放送局でも別の時間帯なら大きく扱ったりと、やはり微妙な扱いになっているようです。
 そんな中、ある放送局の番組でかなり墓穴を掘ったものがありました。
 「『大東亜戦争』とは『太平洋戦争』の当時の呼び方で〜云々〜」
 こんな説明をしていたのですが、やはり大東亜戦争という呼べ方には否定的。
 しかしおかしいですよね。
 最近、地名や人物、様々な名称や呼び方は、現地の言葉や当時の呼び名で呼ぼう、というのが国際的なマナーとなりつつあります。
 教科書でもシーザーはカエサルに直されつつありますし、最近のテレビでも元ボクサーのモハメド・アリをムハマドと呼んでいます。
 それに倣えば大東亜戦争と呼ぶ方が寧ろ自然のはずです。
 また太平洋戦争と言ってしまうと、なんかハワイの争奪戦みたいな感じがして、言ってしまえば(日本人の原罪と思わされている)真珠湾攻撃を連想してしまうので、この戦争の意味や意義を考える上でもよろしくありません。
 米国がそう思わせるために太平洋戦争と呼ばしたと言っても過言ではないでしょう。
 日米戦争もアメリカだけと戦ったわけではないので適切ではないですし、亜細亜戦争も範囲が広くなりすぎてよろしくありません。
 東亜細亜戦争だと、ハワイやグアム辺りが含まれなくなってしまうので該当しません。
 よって大東亜戦争と呼ぶのが最も適切なのです。

 次に「支那事変」なのですが、これは教科書で言う日中戦争のことです。
 オレは太平洋戦争のことを普通に大東亜戦争と呼ぶのですが、日中戦争のことは支那事変とは呼んでいません。
 なぜかというと勉強不足だからです。
 オレは(最も勉強していたと思われる高校生時代に)漢字が苦手という理由一点のみで世界史を選択したため、自主的に勉強した部分以外の日本史はあまり得意ではないのです。
 もちろん今ではかなり後悔しているのですが。
 だから支那事変・日中戦争も教科書的な部分部分しか分からないのです。
 盧溝橋事件がきっかけで起き、それから大東亜戦争に繋がっていく〜云々〜。
 オレの知識はこんなものです。
 それだけではお話にならないので、とりあえず「事変」という言葉の意味を調べてみました。

 じへん 【事変】  (1)異常な出来事。
天災や騒動など。
 (2)国家にとって治安を乱すような騒乱。
 (3)宣戦布告なしに行われる、国と国との武力行為。
                            『大辞林 第二版』より
 支那事変は1には該当しないでしょう。
2も国内ではないので当てはまりません。
 ということは3でしょう。
 確かに(色々な説があるにせよ)盧溝橋事件は偶発的なものとなっているので宣戦布告は必要なかった、できなかったようです。
 さらに、日本も中華民国の方もお互いに国際法上の戦争宣言を行わず「事変(Incident)」として処理したということらしいのです。
 これも当時の呼び名を尊重するのであれば事変の方が適切でしょう。
 では「支那」というのはどうでしょうか。
 けっこうこれは今最もホットな話題もしれません。
 とりあえずオレは、今の中華人民共和国自体や政府、その国民については、中国とか中国人と呼んでいます。
 しかし「昔の中国人」という言葉はかなり変です。
 中華人民共和国が出来た当初の国民、もしくは「中華民国人」のことを「昔の中国人」と言っているのであれば変ではないのですが、それ以前のあの大陸に住んでいた人のことを指しているのであれば、それは間違っています。
 当然ですが昔は中国ではないからです。
 よって「中国大陸」と呼ぶのも変でしょう。
 あのあたりは国家も人間も歴史も全く全てが変わっていっている地域です。
 例えば日本なら、戦国時代も明治維新も「日本のため」「日本を存続させるため」に行ってきたものです。
 この大義名分はかなり大きい意味を持っています。
 そう言う意味で日本は「日本の歴史」を長年継承してきています。
 また、純粋度はともかく、全く別の民族が日本を支配したことはなく、ずっと日本人が日本を支配し続けています。
 そういう意味でもここは日本国ですし、オレは日本人です。
 そういえばこの辺の日本の土地ってなんて呼ぶんですかね。
日本島?  日本島でも日本大陸でもいいですが、そう呼ぶ資格はあります。
 しかし現中国政府が支配しているあの辺の地域は、時代によって全く別の民族が支配したり、一回一回の王朝で歴史が断絶していたりしています。
 今の中国人を漢民族と呼ぶのも適切ではありません。
あそこはけっこうな多民族国家ですから。
 だから(そういう人がいるのかどうかは分からないが)古来からあの辺に住み付けている人に対して「古来からの中国人」と呼ぶのは適切ではないですし、寧ろ失礼なのではないでしょうか。
 そのような理由からオレはあの辺を支那と呼びます。
 支那の語源は「秦王朝」の秦からきているようですし、秦の「“始”皇帝」と呼ばれていることからもわかるように、昔は周は幻の国家と考えられてきていたため、支那という言葉が出来た当時は、あの辺の大陸の初めの国家は秦だと思われていたのでしょう。
 秦大陸と呼ぶのはやはり変ですから、それが語源であり、また語源との意味合いが薄れている「支那」というちょうどいい言葉があるのでこれを使っているのです。
 よってあの辺を呼ぶ言葉で「支那」以上に適切な言葉があればそっちに変えます。
 なんか長くなりましたが、オレはこんな理由です。
 だから今の中国政府のことを支那国とは呼びません。
 でも本当はどうかと思うんですけどね、中華っていう言葉。
 「世界中心国」っていう国があったらどう思います?  「世界はみんなのモノ」「人類皆兄弟」とか言っている輩はこんな言葉をほっといて良いんでしょうかねぇ。

 こう考えると「支那事変」も普通ですね。
 歴史的にはやはり「支那事変」と言った方が適切でしょう。
 まぁ当時は中華民国だったので、日中というのも間違ってはいないので「日中事変」でも良さそうですが、どうせ事変と呼ぶのであれば当時呼んでいたように「支那事変」とするほうがルールに則っていますね。
 それとも事変の場合はその土地の名前を付けるのがルールなのかな。
満州事変のように。

 ところで支那っていうと異様に怒る人がいます。
 いるからこそ、なんでもない発言が失言まがいになってしまうのですが。
 そのような人の言い分の中に「支那という言葉には相手を蔑んだ意味合いがある」ということを言います。
 まぁこれも浅はかな言い分ですけどね。
 「バカ」っていう言葉一つとっても、もちろん相手を蔑む意味の時もありますし、愛情のある言葉に変わったりもします。
 それよりなにより、韓国の「日王」をどうにかしてほしいものです。
 日本の天皇のことを指している言葉なのですが、この言葉は明らかに「中国皇帝の下の王」という意味の言葉です。
 作られた意味からして恣意的なモノなので、あきらかに差別的な言葉です。
 愛情を込めて日王、というレベルの話ではありません。

 韓国と言えば、またというかなんというか、相変わらずものすごいことを言っているようです。
 日本語で書かれた(そういう意味では日本国内向け)W杯の入場券購入申込書などに書かれた「2002FIFAワールドカップ日本・韓国」を、「韓国・日本にしろ」と言ってきたらしいのです。
 なんか正式名称が「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」らしいのですが、なんでこれも韓国が先なんでしょうかね。
 あ、確か、開会式が韓国で行われ、決勝戦・閉会式が日本で行われるから、という理由だったような。
 しかし日本語で書かれた日本向けのものにまで干渉して欲しくありませんね。
 それぐらい許せって感じです。
別に強制権があるわけでもないし。
 懐が狭いっていうか、ケツの穴が小さいっていうか、こういうこと言うから韓国は嫌いなのです。
 もし逆の立場だったらどうなることか。
おそろしや。
 両国親善は日本がいつも卑屈になると言う意味では決してないはずです。
 時には韓国も妥協してほしいものです。
太陽政策じゃなかったんですかね。
 もうちょっと言わせてもらえれば、確か金がないからW杯開催のために金貸してくれって言ってましたよねぇ。
韓国。
 で、けっこうな金貸したみたいなんですけど、自分とこだけで(しかも共催なので金も半分ぐらいですむはずなのに)出来ないのによくもまぁ立候補したものです。
 これでもし韓国だけでW杯が行われていたら、全く金足りなかったはずですが、やはりその時も日本に金貸せって言ってくるんでしょうか。
 そしてやはり日本は貸してしまうんでしょうか。
 それに関して韓国には、感謝も何もないんですかねぇ。
 太陽政策って自分の都合の悪いときは友好的な態度をちらつかせて、自分が優位に立てるような立場の的はとことん攻撃しまくることだったんですね。
 太陽も乾期ならきびしい存在ですが、雨期なら待望されるという、場面によっては在り方が変わるという存在ですが、太陽政策と言う言葉にそこまでの深い意味があったとは思いませんでしたよ。
 変わり身の早さはスゴイです。

 変わり身と言えば、先日電車に乗った時、オレの目の前の座席は優先席だったのですが、そこに20後半ぐらいのお姉さんが駆け込み乗車をしてきたのです。
 で、なんのためないもなくお姉さんはオレの目の前の優先席に座りました。
 もうこの時点でオレは良い印象を持たなかったのですが、それでも目の前に座っているのでそのお姉さんの顔は見てしまいます。
 個人的にはあまり好みではない、多くの人も好みではないと思われる顔立ちでした。
 そんなことを思っていたら、おもむろにお姉さんはカバンの中から化粧道具をとりだして化粧をし始めました。
 しかも化粧直しではなく、完全に初めからの化粧です。
 寝坊か何かしたから時間に遅れて、それで走って駆け込み乗車で電車に乗ってきて、だから化粧もする時間がなかったんだな、なんて合点がいきながら、それでもやはり電車の中で化粧をするなんて全く最近の若いモンは、なんて思っていました。
 繰り返しますがオレの正面に座っているので、女の化粧姿を見るなんて無粋なマネはしたくないのですが、どうしても見てしまいます。
 まぁ本当は電車の中で化粧する方が悪いので見ても何の問題も無いんですが、しかし向こうも堂々としています。
 見るなら見やがれって感じです。
 特急に乗っていたので次の停車駅まで後15分ぐらいでした。
 じっくりとではなく、所々チラッチラッと見る感じでいたのですが、時間が経つにつれてあれよあれよという間にお姉さんは変わっていくのです。
 停車駅に止まる少し前には完全に化粧も終わっていたのですが、その顔は初めのショボイ顔から結構な美人に変身していました。
 いやー、化粧って言うモノはやっぱり変わるものだなぁ、なんて思うと同時に、  あれなら電車の中でも化粧をしたくなるのも分かる気がするなぁ  と、思いました。

 なんかちょっとだけのことをさらっと何個か取り上げる予定だったのですが、けっこうな量になってしまいましたね。
 話題も4つだけだし。
 まぁでも、内容が薄いよりはいいかな、と前向きに思い、今年新世紀の書き始めとさせていただきます。
 できれば来世紀の頭までは続けたいと思っています(!)ので、今世紀もよろしくお願いします。
2001/1/19

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