プロ精神持たぬ巨人

 「プロスポーツとは何か?」
 オレはプロレスという素晴らしいスポーツを通してこの問いにいつもこう答えている。
 「プロスポーツとはお客様を喜ばせること、満足させること、感動させることである」と。
 これは全ての「プロ」に共通するものである。
 八百屋は野菜を売ることでお客様を満足させ、喫茶店ではお茶や休む場を提供することでお客様を満足させ、歌手は歌うことでお客様に感動を与え、風俗では文字通りお客様を満足させる。
 サラリーマンだって相手が企業であろうと個人あろうと、お客様に喜んで貰うために、満足して貰うために仕事をしている。
 もちろん「自分のため」と思っている人もいるだろうし、そういう側面も存在はするが、しかしお客様を満足させずに自分だけ満足しているようでは、それは商売として成り立っているとは言えない。
 どんな仕事だっていい。
自分がやっている仕事をそういう意味で振り返ってみて欲しい。
 学生ならバイトのことを考えればいい。
 自分のため、金のため、という理由はむしろ自分が仕事をする動機であり、仕事そのものの存在理由、またはなぜこの仕事をすることができるのだろうかと考えてみると、全て「お客様のため」という理由にたどり着くだろう。
 「お客様は神様だ」という言葉はこのことを指しているのであり、何事も神髄まで昇華させてしまう日本人が生んだ名言であると言える。
 客無きプロなど存在しないのである。

 しかしプロスポーツだけはしばしばこの「お客様のため」という理由を忘れてしまいがちになってしまう。
 それは「プロスポーツとは勝つことである」という間違った考えが蔓延しているからである。
 もちろん勝つことを目指してはいけないとは言っていない。
 しかし勝つことだけを目指して客を置いてけぼりにしてしまったら本末転倒になってしまうのだ。
 もし勝ちだけを目指してしまって客など目もふれぬようなスポーツをしていたら、それはいつかプロとして商売として成り立たなくなってしまうだろう。
 客無きプロなど存在しない、と言ったが、具体的に想像すれば簡単で、プロ野球を見に行ったは良いが自分以外に客が一人もいなかったら、それがずっと続けば、球団も持たないし、結果選手の年俸も払えず選手は食えなくなってしまい、野球を続けることは出来なくなるだろう。

 プロスポーツの多くは勝ちというものを目指して行われている。
 しかしこれは「プロスポーツ=勝つ」ということではなく、「プロスポーツ=客を喜ばせること」→「客が喜ぶこと=勝つこと」であるから勝ちを目指して選手はプレイしているのである。
 逆に言えば「客が喜ぶこと=負けること」なら、プロとしては負けなければプロフェッショナルな選手とは呼べないだろう。
 その辺がプロレスは徹底しており、勝ち負けにこだわらない、常に客のために興行をしプロレスリングをしているのである。

 この基本を頭から理解できないプロスポーツのオーナーがいる。
 ご存じ読売オーナー渡辺恒夫、ナベツネである。
 この男、こともあろうか、オリンピックの野球チームにプロを派遣しても良い。
しかし条件として高校生の逆指名も認めろ、と言い出したのである。
 以前IOCの接待問題で世論が沸いていたときにナベツネは「サマランチなんかのためにウチの選手は出さない」などと的外れなことを言っていたが、今回はドラフトとオリンピックと全く関係ないものを結びつけて、完全にプロ野球界を私物化してしまっている。
 サマランチ云々にしてみても、オリンピックのプロ出場というのはファンの願望なわけであり、それを全く考えられない、まさに私物化してしまっている証明でもあり、また自分がプロ野球を私物化しているという自覚があるからこそ、オリンピックはサマランチの私物とカンチガイしているとも言える。
 オリンピックのプロ選手の出場の問題と、ドラフトの問題は全く関連性のないもので、こんな闇取引に等しいものでプロスポーツを汚して欲しくないものである。

 一部巨人ファンの中には、シドニーオリンピックの時のプロ選手出場問題ではダンマリを決め込んでいたのに、今回のナベツネ発言から急に「ファンのため」という大義名分を持って賛成している連中がいる。
 また「プロ野球界に入ってくる選手のため」というもっともらしい理由を言う連中もいる。
 しかしもし自民党が「消費税を無くすから自民党の有利な選挙制度にしよう」と言ったらどうなることか。
 今回のナベツネ案に賛成の人間は読売新聞を含めこれに反対することは出来ないはずである。
 読売新聞も巨人ファンも、このナベツネの裏取引に隠されている危険性をしっかりと自覚しなければならないはずである。

 少し横道に逸れたので本題に戻す。
 巨人の言うファンのためというセリフは「巨人ファン限定のため」という意味である。
 ドラフト制度も元々戦力の偏りがないように作られたものであるが、それが崩壊すると言うことはそのまま球団の戦力の偏りが生まれると言うことである。
 巨人ファンの人数は膨大な数なので、数の暴力によって巨人の意見がまかり通ってしまう場合が多いのだが、巨人ファンもよく考え直してみた方がいい。
 確かにドラフト制を無くせば(完全逆指名制度も含む)巨人はより一層強くなり(他球団が弱くもなる)巨人ファンだけは嬉しいだろうし楽しいだろう。
 巨人ファンが楽しい限りは商売としても、日本球界全体を見ても、成り立つかもしれない。
 しかしこの戦力の偏りがどんどん進むと他の球団が全く巨人にかなわなくなってしまう可能性もある。
 こうなった場合、果たして巨人ファンも楽しめるだろうか。
 例えば「巨人対草野球チーム」  こんな試合誰が見たがるだろうか。
 スポーツでなければライバル会社は邪魔な存在だが、プロスポーツにおいては相手がいないと成り立たない商売である。
 そう言う意味で、一つの球団が一つの会社というワケではないと言える。
 他球団が相手としても成り立たなくなってしまった時、それはプロ野球の崩壊の時である。
 巨人一党体制・巨人ファンだけ楽しめればいい、こういう考え方は結局は自分の首を自分で絞めていることになるのである。
 勝つためだけのプロスポーツという考え方が間違っているということが、とても分かりやすい例でもある。

 「自分の行きたい球団がある新しく入ってくる選手のため」  こういう理由もあるが、これはかなりファンをバカにした話なのである。
 こんな事を言うヤツは、はじめから自分のためだけにしか商売を考えていない人間で、何度も言っているが、それは商売として成り立たないのである。
 客の方向を向いていない商売人。
 商売人の都合を客に押し付けているのである。
 全くもって「プロになる」という自覚を持っていないし、意味も分かっていない。
 プロスポーツ選手は、軍人にように勝つためだけに存在する兵隊ではなく、客を喜ばせるエンターテイナーなのである。
 プロになったその瞬間、選手という立場から商売人の立場になるのである。
 自分が自分が、というわがままを言って客のことを考えない人間はプロではないのである。

 球界の番長清原もドラフトに文字通り泣いた男である。
 しかしそれはそれでファンとしてはそのドラマに感動したものである。
 それは本人にしてみればたまったものではないのかもしれないが、それで野球が盛り上がるのであればプロ冥利に尽きるはずなのである。
 自分の身を削ってドラマを売るのが、ショービジネスであるプロスポーツである。

 多くの人がそうであるように、オレもプロ野球では勝つことを楽しみとしている。
 だからこそメイドドラマ(made drama)なんてまっぴらごめんだ。
 プロというモノの本質は何かということを真剣に考えていかなければ、将来の日本プロ野球界は暗いかもしれない。
2001/1/23

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