霊を信じますか?1
アナタは霊の存在を信じますか?
どっちかといえばオレは信じてもイイと思っている。
超能力もそうだ。
だって、そう思った方が面白いと思うし、想像の幅も広がるし、信じて別に損することはないと思うからだ。
霊を信じているから幽霊に会う、というわけでもなさそうだし、実際オレは生まれてこの方幽霊を見たことがない。
金縛りは一回だけあったことがあるが、しかしその時のオレは精神的にも肉体的にもかなり疲労していたときだったから、いわゆる科学的な金縛りだったと思う。
よく聞く心霊的な金縛りは、体が動かなくなって幽霊の類を見た、もしくは幽霊の類を見て体が動かなくなった、という話だが、オレの場合はそういうものもなかった。
とはいうものの、やはり幽霊に会うということは怖い。
でも霊を信じているからには、幽霊と会うことも想像しているわけなので、オレは対幽霊をも想定している。
とにかくオレはこういうものは精神力がモノをいうと思っているので、オレはいつ何時幽霊に会っても幽霊に負けないほどの強靱な精神力を持って対決しようと思っている。
幽霊に気迫負けしたらオシマイだと思っている。
さっき述べた金縛りのことだって、後になってみれば科学的な金縛りだったと分析出来ても、金縛りにかかっている最中はそんなに冷静にいられるものでもない。
何度も金縛りに会うような人はそれなりに慣れるそうだが、しかしオレはその時初体験だったためにけっこう焦った。
それでも焦りはしたが、パニくることはなかった。
オレは精神を集中させて、気合いを入れて、力任せに体を動かそうとした。
瞬間、金縛りは解けて、力任せに伸ばした腕はその余ったエネルギーによって、そのままベッドの横の壁に激突してしまった。
その時オレは腕をさすりながら思った。
「金縛りは気合いで解ける」
まぁ、心霊的な金縛りの場合はどうか分からないが、ともかくオレは日頃こんな感じだから、いつ幽霊にあっても「やってやるぞ」とは思っている。
しかし怖いことは怖いのでできるだけ会いたくはないが。
先にも言ったが、オレは幽霊に会ったことがない。
しかし、もしからしたら、このことはオレの日頃の心構えのせいかもしれない。
つまり「日頃から幽霊に対してオドオドせず、いざというときの心構えを持っている」からこそ、その気合いとパワーで幽霊が寄ってこないのではないだろうか。
「ワタシ、よく金縛りにあったり、幽霊を見るの」と言う女と一晩を共にしても、やはりオレもその女もオレと一緒にいるときはそのような目に遭わないのである。
オレのパワーは、他人の霊を引き寄せる霊感をも凌駕しているらしい。
幽霊を見たことがないのに霊を信じるというのも珍しいかもしれないが、特に率先して見たいとも思わないし、霊感が強いと思われる人間と一緒にいても幽霊と会えないので、まぁそれはそれでいいだろう。
だいたいこれはこれで使える。
「オレと夜一緒にいれば、金縛りも幽霊もあわないよ」
さて、幽霊を見たこと無いのに霊を信じるのも珍しい、と言ったが、それには冒頭に書いた理由とは別にもう一つ理由がある。
簡単に言えばアンチズムである。
なんのアンチかと言えば、大槻教授へのアンチだ。
あの有名な、超常現象は全てプラズマのせいだ、みたいなことを言っている早稲田大学理工学部教授だ。
この男、はっきりいって全く面白味がない。
こいつは全ての物事を結論から理屈に入って発言するし、これだけテレビに出て一種タレントとも言っていいぐらいなのにエンターテイナーとしての自覚が無いし、けっこう理論が穴だらけだったりしている。
穴が開いている理論は、結論から入っているからこそなんだろう。
『たけしのTVタックル』でノストラダムスの大予言について肯定派と否定派が討論をしていたコーナーで、ある肯定派が「この本(ノストラダムスの予言についての解釈本)を読まなければ宇宙人によって誘拐される。
それがノストラダムスの予言だ」みたいな、言ってみればかなりトンチンカンな事を言ったことに対して、大槻教授は「そんなことを言って、お前の言ってることはオウム真理教と一緒じゃないか」と怒鳴り散らしていた。
はっきり言って、その本の著者はその肯定派の人間だし「その本を買わないれば〜」というのはかなりノストラダムスを無視していると言えなくもないような無茶苦茶な理論なのだが、それに対して顔を真っ赤にして本気で怒る方も怒る方である。
まぁ、両者そういう役を演じていたのかもしれないが、それならエンターテイナーの素質はあるのかもしれないが、理論がなっていない。
このような終末思想はほとんどの宗教でも存在している。
キリスト教でも重要な教えの一つである。
「もうすぐ世界が滅びる。
我らが神に祈った人間だけ救われる。
だから入信しなさい」というのは宗教の常套句である。
それなのに「オウム真理教」という悪の象徴みたいなものを持ち出してレッテルを貼った批判は全く持って筋違いで卑怯とも言える。
オウムを擁護するつもりは毛頭ないが、ポア思想などの教義の善悪はおいておくにしても、オウムが悪なのは大量殺人を実行したから悪なのである。
もし大槻教授が「お前の言っていることは宗教と同じじゃないか」というのならその通りだが、終末思想だけを持ってして「オウムと一緒じゃないか」というのは筋違いも甚だしいのである。
また、さっきとは違うある番組で、大槻教授がスプーン曲げの元祖ユリ・ゲラーと対決した時、ユリが超能力で時計を壊したのを見て大槻教授は、「超能力で時計を壊せるのだったら、超能力で直すことも出来るだろう。
さぁやれ」と言っていた。
これもかなり無茶苦茶な理論である。
オレだって超能力ではないが時計ぐらい壊せる。
もちろん腕力で。
でも粉々にしてしまったらオレではそれを直すことは出来ない。
それを超能力だから出来るはず、という理由で片づけられるモノではない。
ユリが時計を壊したということは、(ユリが本当の超能力者だとして)ユリが何らかの力を発して物理的に時計を壊したのである。
ユリの見えない力はおいておくにしても、時計が壊れたというその事実一点のみを見れば、物理学上特に異常ではない事象のはずだ。
つまりオレが手で壊したとのと全く同じ物理学の理論でもって時計が壊れたのであって、この事象はユリのパワーが見えない事と、オレの手が見える事の違いでしかないのだ。
実はオレは、超能力や心霊現象などの超常現象は全てこのような理論で成り立っているのではないかと考えている。
超能力は人間がパワーを発するというもなので、その人間がトリックやウソを付いている可能性がありその真偽を確かめることは難しいが、もし本当の超能力者がいたとしても、やはり自然の法則(物理学上の法則)に則った現象でしか起こせないはずである。
さっきの時計の例もそうだし、空中浮遊でも能力者の何らかのパワーで自らを持ち上げているのだろう。
決して重力という科学的なモノを無視しているのではない。
飛行機も鳥も飛べるのだから。
透視にしたって、昔から「虫の知らせ」とかその類の言葉や言い伝えはたくさんあるし、親族が死の間際に夢枕に立ったとか、そういう経験をしている人はたくさんいる。
また双子の間にはテレパシーのようなものが存在しているというし、決してこのような能力は「超常的」なものではなく、人間に基本的に備わっている能力と考えられる。
動物はこの能力が人間より優れていると言うし、たまにその能力が優れている人間がいても特に不思議ではない。
『電波少年』の地球防衛軍の透視実験をみた大槻教授は、その結果にただ呆然とするしかなかったようだが、ただそれらは現代の科学ではメカニズムを立証出来ないだけなのであろう。
2001/2/12
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