愚民思想1

 さて、話をマスメディアと民衆に戻そう。
 日本最大のマスコミに惑わされた事件というのは、あの関東大震災時における朝鮮人への殺人暴行事件であろう。
 この事件、噂によって起こされた事件だと思われている人も多いようだが、実は新聞報道によって起こされた事件なのである。
 政府が軍を使って云々、とかよく反政府思想に駆られた輩が言うが、実は全く逆で、新聞報道が発端なのだ。
 これから見ても決して権力を持った上部の人間の悪政ではなく、何故か日本的の「和」「公」を見失ってしまっているマスコミが民衆を煽動しているのだ。

 マスコミに惑わされたもう一つの例を挙げよう。
 この例もよく愚民思想を指摘するときに使われる例だが、そう、大東亜戦争時に於ける民衆の戦意の高まりである。
 まだバカみたいに「むかし、わるい王さまがいてみんしゅうを苦しめていました〜〜」なんて言っている輩は無視するとして、最近の空気として「民衆は戦争をしたかった。政府上層部や天皇は戦争をしたくなかった。しかし軍部が暴走して手の届かないところまで戦場を広げてしまったから大東亜戦争は負けた」という意見が占めるようになっている。
 ここで指摘される悪は2つあり、「戦争をしなかったら民衆が暴動を起こしていた」という民衆と、「暴走した」軍部である。
 ここでよく考えてみて欲しいのだが、登場人物のもう一人「政府上層部」というのはごく少数(天皇に限っては一人)であり、他の民衆も軍部も大多数である。
 軍部にも上層部はいるが、しかし文字通り命を張って戦う前線現場の兵士や指揮官の意見は、政治のそれ以上に反映されると言うことは簡単に想像できるだろう。
 つまり、民衆も軍部も「民衆である」のだ。
 よって軍も「マスメディアによって煽動されることもあり得る」のだ。
 当時の新聞をはじめとするマスメディアの戦争への熱狂度はものすごかった。
 「100人斬り競争」等という全くのデタラメをでっち上げてでもオセオセのイケイケだった。未だに戦争時は政府による検閲があったなんていう輩があるが、そんな事実は日本に於いては存在しない。
 マスコミのオセオセイケイケの精神は、今でも反戦だとか反政府だとかに空気が一気に流れるのを見れば分かると思う。今も昔も思想のベクトルが180度変わっただけで、精神構造そのものは変わっていない。
 昭和戦時時代は民衆より熱狂的だったのがマスコミで、それに影響を受けた民衆がさらに後押しをする、という形になってしまっていた。
 全くの悪循環である。
 そして先に言ったように「民衆の一部である軍部」もその影響を受け、オセオセのイケイケになっていくのだ。
 もちろん戦時についての“冷静な”研究は最近始まったばかりと言えるので、オレなどがこれだけの判断材料を持ってコレが全てだ、と言うつもりは毛頭ないが、しかしこの様な事実があったことも確かだ。

 戦後、特にバブルからの時代、ついに政府上層部にまでマスメディアの影響が及ぶようになってしまった。
 マスコミの報道をそのままに、政治にまで影響を与えてしまっている。
 今までの日本の長い歴史から、コレは本当に杞憂すべき事である。
 もし日本が現在民主制でなく、一部の人間による王権的な制度だったら、実際こんなひどい世の中ではなかったかもしれない。
 民主制こそが民衆への正しい政治体制だ、という主張は民主制に必要不可欠とされているマスメディアの存在のせいで、少なくとも日本では悪い方向に向かっていると言わざるを得ない。

 愚民思想批判よりマスコミ批判の強くなってしまったのだが、結局今の思想改革を進めるためにはマスメディアをまずはじめに改革しなければならない。
 そして「民意が低いから、愚民だから、マスコミに踊らされて政治も悪くなる」というセリフは陳腐極まりなく、愚かな発言であることが分かってもらえただろうか。
 マスメディアに踊らされたくなければ民衆は賢くなればいい。しかしそうなるとマスメディアというものそのものの存在意義が無くなるので消滅への道をたどることになるだろう。そしてそれは第四の権力機関の消滅ということなので民主制そのものの存在意義にも関わる。結局は民主制が間違っているということになる。
 元々日本には民主制などという明文化の制度・法律は必要ないのだ。
 かの聖徳太子が制定した十七条の憲法で、初めの一条には「和を以て貴しとなし」とあるが、仏教のことや天皇のことよりも先に書いていることから、日本人にとって最も大切なことは「和」である、と説いている。
 「和」は二人から始まり、それが大きくなって家族やムラ、クニに発展し「公」となる。そう、「和」から形作られたモノが「公」である。
 日本では圧制が行われたことはないと書いたが、それは一部の人間だけが特権階級となり政治を支配したところで、日本の「和」と「公」の精神を持ち続けている限り、「和」と「公」の理論からは逃れられないからだ。必ず見えない力である末端の民衆の意識=「公」が上部の政治にまで影響を及ぼしているからなのである。
 だから西洋的な明文化された制度や法律、そしてマスメディアは実際には必要ない。
 そんなモノ無くても日本には「和」と「公」という優れた世論を反映する媒体が存在しているのだ。

 民衆を愚民だと卑下している輩は、所詮は自分も愚民なのだ。
 自分だけ高い位置にいるのだと錯覚している姿はサル並だし、「民意を上げよう」なんて言うセリフはそもそも民衆をバカにしている。
 本当に愚かなのは誰か、本当の扇動者は誰なのか、まず愚民を疑うより先に疑うべきモノがあるのではないだろうか。
2001/2/12

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