ビバ外国

 どうも、お久しぶりでございます。
 最後の更新日が3月21日ですから、なんと半年以上も更新をしていなかったようですね。
 あまりここで言い訳をしても見苦しいだけなので、『空白の半年』と言うことで許してください(笑)
 ただ、これからも以前のように頻繁な更新は出来ないと思いますが、長い目で見てやって下さい。また、時期によってはままたた空白期間が出来る可能性も無きにしろアラずんばなので、何とぞご容赦下さい。
 
 
 さて、見苦しい言い訳はこの辺にして、本題に行きます。
 

 先日、劇団四季の『オペラ座の怪人』を見に行ってきた。
 オレはミュージカルというヤツは見たこと無かったが、貰い物のチケットだったし、ちょっくら覗いてみようかなという気になり、いってみることにした。
 と、こう書くとあまり期待してなさそうに思えるかもしれないが、その通りあまり期待していなかったのだ。
 しかししかし、見てみるとこれがよかった。ホントに。
 どの辺が良かったということはココでの趣旨ではないので置いておくとして、しかしオレの悪いクセは、いったんハマってしまうとしばらく熱が冷めないことで、今もオペラ座の怪人の曲を聴きながらコレ書いてたりする(^^;
 そして単純なオレはその手のサイトを色々と探してまわっている最中だったりしてる。
 そんな中で巡っていたサイトの一部で、このような「意見」をよく見かけた。
 
 「やっぱり日本人はダメ。ミュージカルは本場のアメリカやイギリスじゃないと。アメリカ人に比べれば日本人は演技も歌も下手だし、とても見てられないよ」
 
 まぁ、ミュージカルや映画なんかではよくある「意見」ではあるが。
 もちろんこんなことを言う人は当然それなりに色んなミュージカルを見て、当然“本場”アメリカやイギリスの舞台も見て勉強しているようだし、英語も出来るようだ。
 しかしオレにはこの手の意見には違和感を覚えてならない。
 言ってみれば、
 「隣の芝生は青く見える」「欧米に追いつけ追い越せ」「外人ステータス主義」「ビバアメリカ」「ギブミーチョコレート」
 なんじゃないのだろうか。
 つまり「外人だから」という理由だけで全て良いように見えてしまっているんじゃないのだろうか。
 もちろん「本場アメリカ」というようなことを言う人は英語は出来る。しかし出来るからと言ってアメリカ人の感覚が感性が自分の体で感じられるようになるわけではない。
 そのような感覚は子供の時にその国の空気に触れていなければ絶対に身に付かない。駅前留学して英語が使えるようになった程度では絶対に無理である。
 そんな人間が果たして外国に対して、ミュージカルや映画などの文化を評価することが出来るのだろうか。
 
 日本の感覚を持っている日本人なら、日本の役者に対してアレコレ批判も出来るだろう。
 しかし日本人がアメリカ人に対する場合はどうだろうか。
 よくこんな事を言うではないか。「アメリカ人はオーバーリアクションだ」と。
 オレもよくNHKでやってる米製コメディー番組を見てたらそういう風に思ってしまう。
 もし日本人があのような演技をしていたらどのように言われるだろうか。
 「オーバーリアクション」「演技臭い」「下手くそ」
 そのような評価を下され、そして顔だけの役者と言われるようになるだろう。
 
 では逆のパターンを考えてみる。
 今、台湾や韓国では日本の文化がブームである。そう、漫画やアニメといったサブカルや、日本ミュージック等である。
 これらは日本の近隣諸国だけでなく、アメリカやヨーロッパにまで広がってブームになっているという。
 特に音楽の方に目を向けるとその流行している音楽の内容は、「モー娘。」だったり「ジャニーズ系」だったりと、歌や曲以外の部分でもウケる要素を持った歌手が大部分を占めている。
 これらの音楽は日本では一部の“本格派指向”の人間にとって「本物のミュージックではない」と批判の対象になっているモノである。
 その批判についてはオレは別の考え方があるので深くは触れないが、とにかく日本でそのような批判がある音楽こそがもっとも外国で流行しているということが事実として存在している。
つまり乱暴な言い方をすれば、所詮外人には日本の歌手の善し悪しなど分かるはずもないということだ。
 
 このようなことを言うと反論が来そうな気がするので、本題からは横道に逸れてしまうがちょっと付け加えをしておこう。
 特にアメリカ人のプロデューサーが日本人の日本向けの音楽を手がけることがあるようなので、だから外人は日本の音楽が分かる、と言われるかもしれない。
 しかしオレはそうは思わない。
 外人が日本向けの音楽を手がける際に色々アドバイスや注意をするだろうその事柄は、やはり自国の文化則したモノでしかないのではないだろうか。
 アメリカ人なら「アメリカではこうだからこうしない」と直接口には出さないだろうが、意識下では必ずそのようなことが考えられているはずだ。
 特にアメリカなどは、外国語の歌など全く相手にされず、「正しい英語」での歌しか売れないという排他的な文化なので、より一層上記のような傾向が顕著だと言わざるを得ない。
 だから日本で活躍している外人も、やはり自国の文化に根ざした活動でしかないと言えるだろう。
 
 結局、所詮日本人は外人の演技を評価することは出来ないし、外人は日本人の歌唱力を評価することも出来ないだろう。
 極端な言い方をすれば、国が違えば同じジャンルでも同じ土俵には上れないのだ。
 日本人が、アメリカ人同士の歌手をどちらが上かという評価は出来るだろうが、日本人とアメリカ人とどちらが上かを評価することなど出来ないのだ。
 そしてそれは日本人だけではなく、どの国の人間でも同じだといえる。
 ただやっかいなのが、日本人特有だといえる「外国(特に欧米)至上主義思想」である。
 こいつのせいで本来なら同じ土俵に上げられないモノでも、無条件で外国が上位にランク付けされてしまうのだ。
 
 だいたいにして、歌やミュージカルや映画など、使っている言語が違うのだから、その言語特有の良い部分悪い部分があるだろうし、やはり自国語民にしかわからない情緒もあるだろうし、妙な特徴やクセもあるだろう。
 「この場面は日本の方がいいけど、この場面はアメリカの方がいい」なんていう評価も言ってみれば思い上がりも甚だしい行為である。
 英語を100%理解しているのか、それすら不明(たぶんそんなことは不可能だろう)であるし、たまたまその言い回しが日本語では綺麗な言い方があって英語には無かっただけの場合だって多々あるだろう。
 どうやったって文化論も含めて、他国の文化を100%理解することは出来ないのだ。
 そういう視点から見ても、同じジャンルといえどもそれを同じ土俵に上げることは無意味なのである。
 
 ミュージカルに限らず、この手の無意味で見苦しい評価はいろんなジャンルで見受けられる。
 “本格派”ぶって外国のモノをひたすら褒めちぎる「ビバ外国精神」というマインドコントロールはいつになったら解けるのだろうか。
2001/8/22

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