全日分裂!!

全日本プロレスの三沢光晴が新団体を設立した。
プロレスのコーナーを始めようとした矢先にこの事件が起こってしまい、オレ的にかなり予定狂わせな事になってしまった。
まぁ起きてしまったことは仕方ないので、この回を0番として書き始めようと思う。

詳しい内容は次の「全日と新日の住み分け」で書くが、つまり全日本プロレスと新日本プロレスの日本の両メジャープロレス団体は、昔は対立関係にあったが、現在は完全に住み分けが出来上がっていて、対立関係も無くなっていた。
「全日本流プロレス」と「新日本流プロレス」というものが確立していたのだ。

三沢光晴は全日本の社長だった。
つまり「全日流プロレス」の責任者だった。
報道では、三沢と全日前社長の馬場さんの奥さんである元子氏との対立があったとされている。
馬場さんが死んでから、全日の興行収入は結構厳しいものだったらしく、それを打破すべく新社長となった三沢が色々と「改革」を進めていったのだが、それを「全日らしくない」「馬場さんのプロレスではない」という理由で元子氏が三沢を批判していたらしい。
オレはこの批判は変だと思う。
「全日らしくない」という具体例として、今までシリーズ(*1)最後の試合は必ずタイトルマッチを行っていたのだが、三沢はタイトル戦ではない「五大シングルマッチ」などの新しい試みを行ったのだ。
これが「全日らしくない」と元子氏は言う。
しかし「全日らしさ」というものは、こんな外見だけのものではない。
全日は、
「マットの上で激しい技の応酬を、その試合しか見ていない人でも心に響くような試合をする」
のが全日なのだ。
少なくともオレはそう見ているし、違うという人もいるだろうが、
しかし、シリーズ最後にタイトルマッチを必ずすることが全日だ、と信念を持っているファンはそうはいないだろう。
どんな企画の試合でも、その試合の内容を見ると、
「これぞ全日のプロレスだ」
と感じられるプロレスを三沢はずっと行ってきた。
それを元子氏は分からなかったのだろうか・・・。

全日以外も含めて全てのレスラーは、全日本プロレスというものの重要さ、歴史、重みは分かっているはず。
それを一番分かっているのは三沢だということは言うまでもないだろう。
三沢は自分の理想と全日らしさの間で、苦悩し考え、また会社経営も考えながらその答えをこの一年間出してきた。
オレには全てがうまくいってたように見えた。
斬新な時代の流れに沿ったアイデアと、未だ変わらぬ全日らしさ。
馬場さんだって、全日を旗揚げした直後からずっと今のスタイルだったわけではない。
時代が流れるのと共に全日プロレスも変わっていった。
それが分からなかったのか、変化を否定してしまった元子氏には残念というしか他にない。

これからメジャー団体とよばれる団体は新日本プロレスだけになるだろう。
もしかしたら三沢新団体もメジャーと呼ばれる時がくるかもしれないが、しばらくは新日のみになるはず。
「リング上での試合を魅せるプロレス」と「レスラー個人個人のストーリーを魅せるプロレス」と住み分けられてきたプロレス界は、全て新日流に塗り替えられてしまうのだろうか。
全日の方が好きだったオレとしては全日流の存続と三沢新団体の動向が気になるところだ。

(*1)プロレスは一年を何回かに「シリーズ」に分けて興行する。相撲の名古屋場所とか九州場所とかに分かれているのと同じ。
2000/06/20

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