どうも知的財産のお話をすると長くなってしまうようです。
というワケで今日の前置きは省略です。
長いですからお覚悟を(笑)
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
さて。
今日は9日にお話ししました知的財産の件についてお話ししたいと思います。
簡単なことのあらましは9日の更新をご覧下さい。
で、この問題なんですが、二つの問題がからみあっています。
というより、やえが絡ませて語ってしまったと言えるのですが・・・。
ええと、つまり中山先生が憤っていらっしゃる最も大きな理由は、「政府は自分の発言を聞いてくれない」という事です。
それに対して9日の更新でやえが言いたかったのは、「様々な立場でのモノの見方があるのだからそれを踏まえて議論して欲しい」という事でした。
つまり、中山先生の憤りは議論の技術論であり、やえが主に言いたかったのは議論の中身についてです。
もちろん両者とも議論論や議論の中身についても触れているのでちょっとややこしくなってしまったんですね。
というワケで、このままこの二つを絡めたままお話を進めると、多分混乱してしまうでしょうから、今回は議論の技術論的な部分にピックアップしてお話ししたいと思います。
そもそもの発端は、この議事録を見て、多くの人が「事務局が独善的に動き、事務局だけの意見を無理矢理通そうとしている。事務局は中山先生をはじめとした非政府の人たちは飾り程度にしか扱っていない」と思ったことにはじまるんだと思います。。
この議事録を見る限り、あまりにも知財の権威である中山先生を無下に扱っているように見えてしまうので、今のような問題に発展しているんだと思います。
しかしやえはたんな単純な紋切り型でのモノの見方に疑問を感じます。
一番の問題は、知的財産の問題を議論している場がこの内閣府の知的財産戦略本部でしか行われていない、と思われがちだと言うことです。
イメージ的には、「戦略本部の委員を決め、何月何日に集まってと通達が来て、その日に委員が揃って会議や議論をする」っていう、まぁありきたりといえばありきたりのイメージなんだと思います。
しかし実際は、政府が主催する会議ですから、そんな単純なモノでもありません。
この会議には、小泉総理を本部長とし、委員に閣僚が揃っているという、なんとも豪華なメンバーで構成されています。
当然有識者の方々も、日本を代表する方々ばかりです。
みなさん超多忙な上に、独自の考え方が確立されていらっしゃる方ばかりです。
そんな人たちに集まってもらうだけでも大変なのに、いきなりその場だけで急に議論をしろと言っても、それはなかなか難しいというのが現実なのではないでしょうか。
そこにクッション剤として登場するのか役所と官僚さんです。
いくら最近批判が強いとは言え、官僚さんは日本トップレベルの頭脳を持っている人たちの集まりです。
大学の先生に勝るとも劣らない専門知識を持っている官僚さんもいらっしゃるでしょう。
また、小泉さんなら知的財産の他にも山のように仕事がありますし、中山先生は研究や大学にて教鞭を振るわなければならないでしょう、御手洗冨士夫キヤノン社長さんもご自分の会社のお仕事があります。
この問題だけに専念することはかなり難しい方々ばかりです。
しかし官僚さんというのは、法律を作ったり意見を取りまとめたりするのが専門でそれが仕事ですから、この問題だけに専念出来るんですね。
そういった意味合いからも、官僚さんが意見のとりまとめや素案を作るというのは、合理的な流れになると思います。
この辺のことは、現役官僚でいらっしゃるこちらの方がお詳しく説明していらっしゃいます。
ちょっと引用させてもらいます。
役所がものを考えているということの他に、しっかり「根回し」し、その際に意見を収集していることが挙げられる。重要な審議会の開催前には、事務局案を各委員に「ご説明」に伺い、その際にあらかじめ反論の芽を摘んでおく。またこの際委員から重要な指摘がされることもあり、それを踏まえて修正がなされることもある。根回しは一般に悪いことのように思われるが、会議の時間も限られており(出席委員は多忙だ)、議論の焦点を絞るために重要な手法である。
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「反論の芽を摘んでおく」と言うとかなり物騒な感じを受けるのですが、簡単に言えば、そこで議論をするということです。
つまり官僚さんが委員さんのところに出向いて役所案を提示し、それについて議論しているワケです。
これを「根回し」と言うんですね。
もし仮にここでこの素案を議論もせずに強引に遠そうとするのであれば、それはもう「官僚政治」としか言いようがない批判されるべき政治手法ですが、しかし実際はそうではありません。
このように「根回し」を、つまりちゃんと説明に行って、そこで訂正すべき箇所があれば訂正しているんですね。
つまりこの時点でちゃんと民意を反映させているのです。
ちょっと脱線になるんですが、この手法はなにもこの知財の会議だけに限った話ではありません。
ほとんどの法案についてこの手法が用いられています。
役所が作った素案を、その案件に力を入れていらっしゃる国会議員の先生方のところに持っていって説明をし、もし議員から訂正が入れば訂正し、その繰り返しを経て「役所作成の法律案」が出来るのです。
このように国民を代表する国会議員の意見というモノは「役所法案」にもちゃんと入っているワケで、いくら議員立法が少ないからといっても、それだけで「官僚主導政治」と批判するのは違うと思います。
話を戻しまして、ではなぜ中山先生が「発言の場がない」と言ってしまったのか、ですが、原因は二つあるのではとやえは思っています。
一つ目は、先程説明した「根回し手法」に中山先生が馴染んでなかった、ということです。
もしかしたらこの手法は中山先生から見ればあまり納得のいく手法ではなかったのかもしれません。
もう一つは、「根回しの場」でも納得のいく議論が出来なかったから、という可能性です。
ここからはやえの想像になるんですが、これにも二つ理由があって、一つは中山先生からしてみれば「自分の議論の相手は小泉さんや閣僚であって役人ではない」という意識があったのかもしれません。
だからこそ小泉さんが出席しての会議で、やもすれば不規則発言に相当するような“場違い”な発言を強行したのではと想像します。
もう一つは、これもさっきのと似たようなことではあるんですが、官僚さんの態度が気に入らなかった、ということがあったのかもしれません。
中央官庁というところは完全な縦社会です。
いくら先に入省したところで、年が上だったところで、ノンキャリアとキャリアとの差は埋められない差があります。
若造に敬語を使わなければならないという場面は日常茶飯事と言ってもいいのかもしれません。
そんな縦社会に生きている官僚さん達ですから、確かにちょっと勘違いしている人もいます。
「自分は日本を動かしている官僚なんだから、民間の人間に対して媚びへつらう必要など無い」と思ってしまい、民間の人に対して態度が尊大になってしまう人もいるようです。
だから中山先生に対しても、あまり敬意を払わないような態度を取ってしまったのかもしれません。
また、ここが文字だけでない対面した時の人間の心情というモノなんでしょうけど、素案を持ってきて説明をしている人が自分より尊大にふるまっていると、ついつい疑問があったとしても言いづらい雰囲気というモノが出てきます。
さらには、疑問を口に出したとしても、「だからそれは今説明したじゃないですか。いいですか、これはこうなってこうで・・・」と強く言われてしまうと、そのまま押し切られてしまったりするかもしれません。
特権意識が高い官僚さんと、どうしても「呼んでもらった」という意識がどこかに残っている民間の人とでは、そんな関係になってしまう事もあるんじゃないかと思います。
そんな関係に不満を募らせた結果が、小泉さんに直接不満を伝えたという行為に中山先生を走らせたのかもしれません。
また脱線するんですが、この縦社会の弊害は、逆に目上の者に対しては素直に従うという副産物も生んでいます。
官僚さんより上の人っていうと、そうです、議員さんです。
官僚さんが議員さんに尊大な態度を取るということは決してありません。
むしろ官僚さんは血気盛んな議員さんによく怒鳴られていたりするというのが現実です。
たまに雑誌の匿名インタビューかなんかで、「官僚は国会議員なんか見向きもしていない」なんていう事が書かれていますが、そんな記事は「官僚政治」の証拠にしたいが為の誘導の記事か、もしくは官僚さんの仕事人としての「自分たちが法律案を作っている」という心の奥底にしまってあるプライドをチラッと愚痴のように出してしまったか、まぁ両者が合わさって出てきた言葉なんでしょう、しかし現場では決してそんなことはあり得ないんですね。
官僚さんは議員さんに対しては決して反抗出来ません。
訂正しろといわれたら素直に訂正するしかありません。
そして、素案を作った人間に対して上からモノを言える、という格好は、議論する上では有効な形なのかもしれません。
素案を強行されることはまず無いですからね。
だから実際の現場では、何度も何度も官僚さんは議員の先生のところに足繁く通い、議論を重ね、議員さんがおっしゃるように訂正をくわえて法案を作っていくのです。
国会に提出される法案のほとんどをしめる「役所作成法案」ですが、このように役所が作った法律案も十分に民意を反映させていると言え、決して「官僚政治」ではないことが言えるでしょう。
話は戻りまして、これを「官僚(事務局)主導」と見るかどうかは個人の判断に委ねられるところでしょう。
主導権を握っているかどうかはともかく、“先行車”が官僚であるのは事実ですからね。
だからその先行車が選考の役割を果たせなかったという事実においては中山先生の苦言も理解出来るのかもしれません。
ただ、この中山先生の発言を、「民間人の発言の場が全く無い」と取ってしまうのは違うと思います。
今まで説明しまとたように、この議事録にある場だけが知財に関する議論の場ではありませんので、他でも十分に発言の機会がありましたでしょうし、自分の意見を反映させるチャンスがあったと思います。
決して中山先生の発言の機会が今まで全く与えられなかったと解釈してしまうのは、全くの誤解だと思います。
さらに言えば、与党自民党の中にも、例えば「著作権に関するワーキングチーム」とか、最近発足した「コンテンツ振興議員連盟」とかあって、そこではもっと自由な議論が活発に行われています。
これらは国民が選んだ国会議員が主体となって議論の場を開き、時には役所から、時には民間からヒアリング等を実施していますので、これらを含めますと、決して民意が反映されないという批判は全く当てはまらないと思います。
中山先生がどのような真意を持って苦言を呈せられたのかはやえには分かりません。
そこに至るまでにどのような事情があったのかももはや本人にしか分からないのかもしれません。
ただ、中山先生はもっと多く意見を述べたいのでいらっしゃるのでしょうから、知財に関しては権威でいらっしゃるようですし、その辺は十分に政府等は考慮すべきだと思います。
もうすでにしているのかもしれません。
議事録で中山先生の発言を福田官房長官が押さえてしまっているような形になっているので、「政府=悪」と単純に捉えてしまう人が多くなってしまってる井のでしょうけど、しかしこの会議だけが知財問題の発言の場ではないと言うことは理解してもらいたいと思います。
だから中山先生が苦言を呈したことも、もうすでに別の機会で話し合いが成されている可能性もあると思います。
決して事務局が、事務局長が独断専行で自分たちが考えた素案を通そうとしているワケではないんですね。
今回はこのように両者の意識のズレが問題を生んでしまいましたが、もともとは両者とも日本の知的財産問題についてより良くしていこうと高い理想を持って当たっていると思います。
その手法が違っていただけの話なんですね。
だから、これは9日の更新のお話に戻るんですが、この問題に注目している人も、ただ政府批判をするのではなく、中身の議論こそをして欲しいとやえは思っています。
次回は知財の中身のお話をしたいと思います。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、知的財産立国日本を応援しています。
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