皇室典範に関する有識者会議が報告書を小泉総理大臣に提出したというニュースは既に報道されているところですが、その全容が首相官邸のホームページに公開されていますので、今日はこれについて異議を申し立てたいと思います。
この報告書、さすが偉い先生方が書かれているだけあって、読めばそれなりの説得力があるように感じてしまうのですが、しかしよくよく冷静に考えながら読んでみると、やっぱりとても納得できるような代物ではないコトが分かります。
今日はそれをひとつずつ暴いていきたいと思います。
右も左も逝ってよし!!
バーチャルネット思想アイドルのやえです。
おはろーございます。
いま皇室問題で何が問題なのかと言いますと、簡単に言えば「男系」を維持するのか、それとも「女系」を容認するのか、この一点だけと言えるでしょう。
もはや女性天皇に関しては議論するまでもなく反対している人はいないと言ってもいいと思います。
少なくとも、過去の歴史において女性天皇(もちろん男系)が存在しているという事実がある限り、女性天皇を否定する材料など存在しないと言っても過言ではないはずです。
ので、女性天皇についてはもはや議論する必要もなく、あえて触れる必要もないコトとします。
さて、けっこうな分量になるこの報告書ですが、全体的な方向付けとして、やえが読む限りこのような方向を意識して書いていると感じました。
○男系の維持はもはや不可能である
○よって女系天皇を認めるべきである
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報告書にも書いてあるように、この会議は17回ほど会議を開き議論が行われたとされているのですが、やえからすれば17回も会合を開いたワリには内容が薄っぺらいと言わざるを得ません。
なぜかと言いますと、いま言った結論がすでにはじめから出されていたとしか思えないような内容しかこの報告書には書かれていないからです。
この報告書には歴史を鑑みるという行為を全くしていません。
なぜいま後継者問題が起こってしまったのかと言えば、それは皇太子さまに男の子が生まれなかったからであり、また今上天皇のもう一人の子供である秋篠宮様にも男の子が生まれなかったというのもあるでしょう。
しかしこの程度の危機というのは、今までの歴史の中でも何度も直面してきた危機でしかなく、つまりそれは何度もその危機を回避してきた歴史があるというコトの裏返しでもあります。
よって、今回の事態も歴史に倣って回避する方策をとるというのが最も適切であり正道である方法と言えるワケですが、しかし今回のこの有識者会議の報告書は、それらの方法を全く取ろうとしない、どうすればその方策を具体的にとれるのかという議論が成されていないのです。
このような報告書になっているから、結論ありきではないかと言われてしまう、思わざるを得ないところなのです。
そもそも、この有識者会議は天皇家に対する認識がかなり間違っていると言わざるを得ません。
報告書には天皇の継承方法として次のように記されています。
上記の皇位継承資格者の要件のうち、1)「皇統に属すること」及び4)「皇族の身分を有すること」は、制度の趣旨から当然の要請であり、また、2)「嫡出であること」は、国民の意識等から今後とも維持することが適当であるため、皇位継承資格者の安定的な存在を確保するための方策を考えるに当たっては、3)の男系男子という要件が焦点となる。
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有識者会議が考える継承資格の優先順位はつまり
1.皇統に属すること・皇族の身分を有すること
2.嫡出であること
3.男系男子であること
すでにこの時点で間違っているのです。
なぜ「嫡出であること」、つまり天皇と皇后の間に生まれた子供であるコトの方が「男系男子であること」より上位の条件であるのか、さっぱり分からないのです。
歴史的に見ても、これは正しい認識ではありません。
かなりの数の天皇は、親から子に受け継がれた天皇の位ではないのが史実であり事実です。
申し訳程度に「国民の意識等から今後とも維持することが適当である」なんて理由を取って付けていますが、いつの間にこのような国民世論が形成されているのか、やえはとんと存じません。
そもそも男系女系という区別すら多くの国民がついていない現在、「男系の方が大切か、もしくは嫡出の方が大切か」なんていう議論が巻き起こるワケもなく、話題にすらならないのですから、ここで嫡出を上位にするというのは、それは有識者会議の個人的な感想でしかないワケです。
それなのに以下報告書はこれを前提に続けてられているのですから、もはや結論ありきの報告書であり、結論ありきの会議だった言わざるを得ないワケなのです。
さすがにそれだけではまずいと思ったのか、この報告書には、男系についての考察も一応してるコトはしています。
しかし、やっぱり結論ありきの内容と言わざるを得ない内容なんですね。
イ. 男系継承の意義についての考え方
男系継承の意義等については、今日においても、
・ これが我が国の皇位継承における確立された原理であり、それ以上に実質的な意義を求めること自体が無意味であるとする見解
・ 女系になった場合には皇統が配偶者の家系に移ったと観念されるため、これを避けてきたものであるとする見解〔参考13〕
・ 律令や儒教など中国の影響により形成されたものであり、必ずしも我が国社会固有の観念とは合致せず、また現実に、女系の血統が皇位継承において相応の役割を果たしてきた事実もあるとする見解
・ 武力等を背景とした伝統的な男性優位の観念の結果によるものであり、男系継承自体に固有の原理が存在するわけではないとする見解
など、種々の議論があるが、これらは個人の歴史観や国家観に関わるものであり、それぞれの見解の当否を判断することから皇位継承資格の検討に取り組むことは適当ではない。したがって、ここでは、これまで男系継承が一貫してきたという事実を認識した上で、過去どのような条件の下に男系継承が維持されてきたのか、その条件が今後とも維持され得るのか、を考察することとする。
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特に次の一文はかなり悪意があるとしか思えない書き方になっています。
これが我が国の皇位継承における確立された原理であり、それ以上に実質的な意義を求めること自体が無意味であるとする見解
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確かに、そう言われればその通りです。
男系という伝統には、実質的な意義はありません。
しかし男系という意義とは、伝統や歴史という目に見えない重みという点から見れば決して「無意味である」とは言えないハズです。
そもそも歴史とはそういうモノですよね。
歴史の積み重ねには実質的な意味はなく、2000年前にも日本人が存在したというコトだけでは実質的にはなんら現代人に利益を与えるモノはないでしょう。
だけどそれがあるコトによって、歴史を感じ、日本としてのアイディンティティを感じるコトはできます。
誇りを持つコトはできます。
それと同じで、合理的な意味は特にありませんが、しかし「男系というルールによって2600年という長きにわたって積み重ねてきた歴史の体現者である天皇家」という意義をどうして「無意味」と言えるのか、やえには全く理解できません。
こんなコトを言い出したら、全ての歴史が無意味になってしまうワケで、いったい歴史をどのように見ているのか考えているのか、有識者会議に聞いてみたいところです。
この辺が目に見えるモノしか信じられない工学博士という人が座長である弊害が出ているのかもしれません。
律令や儒教など中国の影響により形成されたものであり、必ずしも我が国社会固有の観念とは合致せず、また現実に、女系の血統が皇位継承において相応の役割を果たしてきた事実もあるとする見解
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これも歴史を知らなさすぎです。
日本の歴史を大きく分けると実は2つに分けられるのですが、どこで分けるのかと言えば、明治維新以前と以後です。
なぜかと言えば、明治以後は明治憲法下の国家制度(今でも明治憲法時代の法律で生きてる法律は多数あります)であり、それ以前は律令制度という憲法の下での国家制度だったからです。
これはあまり知られていない事実なのですが、西暦600年あたりにできた日本の律令制は、実は幕末まで生き続けていた、というか正式に廃止と公布されないままになっていたのです。
徳川最後の将軍である徳川慶喜は、実質的には日本を動かす立場にはありましたが、しかし正式には天皇の家来という身分でありまして、となれば当然官位というモノがあるワケですが、その官位は「従一位内大臣」です。
これは律令制で定められている官位なんですね。
また、新選組のスポンサーであった松平容保は、会津藩の藩主であったのにも関わらず、官位は肥後守であり左近衛権中将でした。
なぜ会津藩主なのに肥後守なのかと言えば、別に肥後という場所が問題なのではなく、肥後守という役職が存在していたから容保をその役所につけただけの話であってそれ以上の意味はないんですが、それはともかく、この左近衛権中将という官位もやっぱり律令制における官位なのです。
もちろん実質的には律令制などあってないようなモノではありましたが、しかしここまで自然に空気のように定着していた律令制を「我が国社会固有の観念とは合致せず」と言ってしまうのは、あまりにも歴史的無知であるとしか言いようが無いワケです。
そもそも、本場というか、中国の律令制には、当然ですが天皇という概念はありませんでした。
もちろん、日本人が輸入物である律令制を日本風にアレンジして、日本の風土に合致するよう改造して、本場の律令制を日本のモノとしたワケです。
この手の作業は日本人の最も得意な作業であって、古くは仏教や漢字・ひらがな、新しくは鉄砲や戦艦技術など、挙げればキリがないぐらい「日本のモノ」としたモノは数多くあります。
果たしてそれらを「我が国社会固有の観念とは合致せず」と言えるのでしょうか。
では「我が国社会固有の観念」とは一体なんなんでしょうか。
他国文化に影響されない文化など、韓国の中国丸ごとコピーは例外としても、それは中国などにおいてもあり得るのでしょうか。
日本は、様々なところからの文化の影響を受けながら、その中で日本らしさというモノを形成してきた文化であり民族であります。
またこのようなコトは、大なり小なり、どこの国の文化でも同様でしょう。
それなのに、それを認めないというのは、もはや日本人・日本文化を認めないと言っているのと同義だと言えるでしょう。
やえは、日本仏教や漢字やひらがななども立派な日本文化だと誇るコトができますし、多くの日本人もそう思うと想像していますが、しかし有識者会議はそれも日本固有の文化ではないと否定しているワケです。
これはあまりに歴史的無知ですし、国民感情からあまりにもかけ離れている存在なのではないのでしょうか。
こんな無知者がなにをもって天皇の後継問題に口を出すというのでしょうか。
そもそもここの項目は『(1) 男系継承の意義等』を受けての『ア. 皇室典範制定時における男系男子限定の論拠』と並列する形での『イ.
男系継承の意義についての考え方』なのですから、つまりは「今まで男系で続いてきたコトにおけるメリット」という部分について書く必要があるワケです。
今まで2600年男系で続いてきたという事実はこれは何人たりとも否定できない事実なのですから、それを踏まえた上で、どうして続いてきたのか、続いてきたコトについてどのような意義があったのかをここでは問うているワケですよね。
それなのに、『イ. 男系継承の意義についての考え方』に書かれている項目は、そのほとんどが否定的意見で占められてしまっています。
こんなアンフェアな話はない上に、『ア. 皇室典範制定時における男系男子限定の論拠』『イ.
男系継承の意義についての考え方』と歴史的な客観的事実を列挙するかのようなタイトルを並べておきつつ、しかしその内容は有識者会議が今どう考えているかといったあまりに個人的な意見しか述べられていないという、巧妙なミスリードをしているワケです。
つまり、有識者会議の個人的見解があたかも歴史的事実かのようにだましているワケです。
これは、文章のサブリミナル効果と言えるような、あまりに卑怯な方法であるのです。
だいたいにして、おおもとの問題として「男系継承の意義等」と項目を謳っているのであれば、少なくとも「天皇家2600年の歴史と伝統その重み」とか、あくまで科学的な歴史事実を重んじたとしても「崇神天皇から続く男系2100年の歴史と伝統」ぐらいは明記すべきなのではないでしょうか。
誰がなんと言おうと、天皇家の世界に誇る価値の中には2000年近い同一のルールの下で続いている王家であり法王であるという事実には否定できないのですから、その大きな価値を明記しないでどうして天皇家の存続にかかる問題を議論できると言うのでしょうか。
男系存続論者とはここを最も重要視しているのですから、ここを無視して話を進めようとしているコト自体が、やはり結論ありきの会議であったのではないかと言わざるを得ないワケなのです。
(つづく)
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