☆やえニュース☆

小泉メルマガレビュー「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 2なにが差別か考える 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 3観音様「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 4皇室典範に関する有識者会議の報告書に対する異議申し立てまとめ

平成17年12月1日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第213号 ========================== 2005/12/01
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 祝7場所連続優勝
 小泉純一郎です。
 先月24日、横浜にある海上保安庁の防災基地と水際を取り締まる税関、入国管理の現場を視察しました。
 日本は、海に囲まれた島国。海は私たちに多くの恵みをもたらしますが、同時に、広い海を守るのは大変なことです。海上交通の安全確保と、海難救助や海洋環境の保全、領海を犯す不審船への対応などを担当しているのが海上保安庁。アクション映画さながらの警備訓練や水中での遭難者の救助訓練などを見せてもらいました。

 
 やえです。
 未だに領海侵犯するようなならず者国家が日本近辺に存在する中、やはり自分の国は自分で守ると強い心構えで物事に当たる必要があるでしょう。
 最近『海猿』ですとか『某国のイージス』ですとか『男たちの大和』ですとか、ちょっとした軍艦ブームですよね。
 やっぱり素直にこういうのはカッコイイですからねー。
 
 海を渡ってくる人や貨物のチェックをしているのが税関、検疫、そして入国管理の仕事です。港ではいろいろな役所が協力して、不審な動きや、伝染病の侵入などに目を光らせています。
 テロも事故も、いつ起こるか分かりません。私たちの目に見えないところで、厳しい訓練、努力を積み重ね、不断の監視を続けている人たちがいるからこそ、災害や犯罪に対応できるのだと感じました。
 
 平和なときこそ気を引き締める必要がありますからね。
 海上保安庁は、軍隊ではなく自衛隊でもなく、また警察でもない、国土交通省が所管する独立した海上を守る組織です。
 今も平和に暮らしていられるのも、こうした方々の努力のおかげです。
 感謝です。
 
 今週日曜日の大相撲九州場所の千秋楽、横綱朝青龍関が前人未踏の7場所連続優勝、そして、初場所から九州場所まで一年間を通じての連続優勝、さらに、年間84勝の最多勝記録という大記録を達成しました。
 実は、昨年朝青龍関が官邸に来られたとき、「優勝杯を総理自身からいただきたい」と横綱から話があって、「初場所から九州場所まで一年間通して全部優勝したらいきますよ。」と約束していたんです。今回、見事に全部優勝した。ですから、私は、その約束を果たすために、福岡に飛び、表彰式で、「新記録、大記録、見事だ。おめでとう。」と声をかけ、内閣総理大臣杯を朝青龍関に手渡しました。歴史に残る大横綱になったんではないかと思います。
 
 なんと、朝青龍関の桁外れの強さは小泉さんにヒミツがあったのですね(笑)
 しかし、そうお願いする朝青龍関も朝青龍関ですが、無理難題言う小泉さんも小泉さんで、さらにそれを本当に達成してしまう朝青龍関も朝青龍関で、こうなれば意地でも小泉さんは約束を守らなけばならないですよね(笑)
 朝青龍関も一時は落ち着きのない横綱でしたが、いまではすっかりと大横綱の貫目です。
 逆に言えば他の力士さん、特に元々の日本人である力士さんの不甲斐なさは、ちょっと見ていて情けないものすら感じてしまいます。
 日本人でないからというコトでもないのでしょう、例えばこれは一代年寄りを許された若乃花親方にも言えたのですが、勝負に対する気迫が朝青龍関と他の力士とでは全然違うんです。
 この九州場所、朝青龍関は琴欧州関に負けましたが、その際の朝青龍関の土俵際の粘りなんて最後の最後まで凄い気迫で踏ん張っていたんですね。
 一緒に琴欧州関が浴びせ倒して一緒にしたまで落ちるぐらいの。
 しかし最近の力士さんは、土俵際に追い込まれたら、すぐにあきらめてしまうような感じです。
 確かに論理的に言えば、どうやっても逆転できないような体勢になればいくらあがいても無駄なのでしょうが、それでもギリギリまで踏ん張るという気迫を常にもっていれば、いざという時にそれが発揮されますし、また普段の勝負に対する心構えも変わってくるというモノです。
 精神論と言われればその通りかもしれませんが、しかし朝青龍関の勝負に対する鬼気迫る気迫は、やはり見習わなければならないのではないかと、一相撲ファンとして思いました。
 やっぱりですね、千秋楽の横綱同志の意地と意地をかけた戦いは、仮に優勝がかかっていない取り組みだしてもとても興奮するモノがありますから、ぜひ朝青龍関以外の力士さんには今以上に頑張ってもらいたいと思っています。
 
 この強い横綱朝青龍関に今場所勝ったただ一人の力士がブルガリア出身で、昨日大関に昇進した琴欧州関。すばらしいですね。スポーツの世界も国際化して、野球やサッカーでは日本人選手が世界でプレーし、逆に日本の伝統的な国技である相撲の世界で外国人力士が活躍している。開かれた日本。世界に大相撲を知ってもらえて、いいことだと思います。ただ、もう少し日本人力士も頑張ってもらいたいと思います。
 
 まったくやえも同感です。
 こういう言い方もアレですが、外国出身の力士さんだけで盛り上がってしまうのは、それは物珍しさが先行してしまっていると言わざるを得ないところがありまして、まぁこれは高見盛関にも言えるのかもしれませんが、それでは人気も長続きしません。
 やはり、じわじわとくるあの間合いからの緊張感とそこから弾き出される一瞬の迫力こそ相撲の魅力であり、それでファンを魅了して欲しいですよね。
 
 今週は、懸案だった政府系金融機関の改革、「国から地方へ」の三位一体の改革、医療制度改革について、方針の決定までこぎつけることができました。国民のみなさんの大きな支持によって「改革の本丸」である郵政民営化が実現したからこそ、二の丸や三の丸、あるいは出城で抵抗していた勢力も抵抗をあきらめた。これで、改革を一気に進めることができるようになったのです。
 これから、年末の予算編成作業に向けて、さらに改革を進めていきたいと思います。
 
 これらひとつひとつは一昔前なら議題に挙げるだけで大変な案件ばかりなのですが、しかし小泉マジックの前には形無しです。
 特に三位一体に関しては今年の税制議論の中心になっているようで、しかも粛々と進んでいるようです。
 小泉さん、来年の任期満了に向けて、まさにラストスパート、独走中です。
 
 マンションやホテルなどの耐震強度偽装は、国民の安全と安心にかかわる重大問題です。入居者や利用者、建物の周辺住民の安全確保を最優先に考えながら、まず、実態把握をしっかり行い、どのような対応ができるのか考えていかなければいけません。どういう点が不備だったのか、反省点は何なのか徹底的に検証し、再発防止策を考えていかなければならないと考えています。
 
 あー、これには言いたいコトがいっぱいあるんですよね。
 とりあえず一言だけ言うとしましたら、今回は髪型も偽造のあねは建築士という象徴がいたからこそここまでマスコミが取り上げて盛り上がっただけであって、手抜き工事なら今までも家とかマンションで散々嫌になるほど指摘されてきたワケで、もし国が補償するのであれば日本の中で手抜き工事された被害者全てに補償しなければ不公平になってしまうコトになるでしょう。
 この問題、決してあねは建築士あたりの人たちだけの問題ではなく、根は深い問題ですから、それを改善していく、それは国民全員の意識レベルからの改善が必要でしょう、コトは必要ですが、しかしそれと不公平が許されるというのは別問題ですから、この辺の整合性の議論も必要でしょう。
 当事者達が逃げ腰ですからさらにややこしいのですが、この辺はシッカリと冷静に議論していくべきだと思っています。
 
 
 
 [政府インターネットテレビ番組ガイド]
 ●新着情報(05/11/24〜30)
 <1CH>らいおんウィークリー(05/11/21〜27)
   日露首脳会談、イラク外相表敬、皇室典範有識者会議など
 <2CH>ビデオで見る総理
   日露首脳会談、横浜港「水際対策及び防災基地」視察
 <3CH>総理記者会見
   日露首脳会談後の共同記者会見
 
 ついに番宣まではじめましたよ(笑)
 しかし「皇室典範有識者会議」が気になりますね。
 ちょっと今動画までを見る環境にないので、後で見てみるコトにします。
 
 ●お知らせ
 12月から「大臣のほんね」を開設予定。トップバッターは安倍官房長官。
 聞いてみたいことをお寄せください。
・ 「テーマ」欄に「安倍長官に質問」とご記入ください。
・ 100字以内で、12月5日(月)までにお願いします。
 ご記入はこちら http://www.kantei.go.jp/jp/forms/dokusha.html
 ※ 政府インターネットテレビ http://nettv.gov-online.go.jp/
 
 おっと、これはなんでしょう。
 動画で質問に答えてくれるというコトなのでしょうか。
 しかもトップは安倍先生です。
 多分かなりの数応募があるでしょうけど、この際に質問がある方は送ってみたらどうでしょうか。
 もしかしたら官邸に御招待されるか・も!?
 
 
 
 [編集後記]
 今日から師走。今年も残すところひと月となりました。官邸では連日、年末の平成18年度予算編成に向けて、政府部内、また、与党との間で白熱した議論をしています。この平成18年度予算は、小泉構造改革の総仕上げとなるもので、三位一体の改革、政府系金融機関の改革、医療制度改革など、小泉総理の改革へのなみなみならぬ熱意、決意が感じられます。私も安倍官房長官を補佐して、休日を返上して夜遅くまで調整に走り回っています。
 
 それはそれは大変でしたね。
 まぁあと2週間程度でしょうから、もっと大変になりますね(笑)
 
 小泉内閣が始まって以来、変わらず大切にしているのが「国民との対話」。インターネットテレビ新番組「大臣のほんね」のトップバッターはメルマガ初代編集長の安倍官房長官。読者の皆さんからの質問をぶつけます。どうぞご期待ください。(じんえん)
 
 いやホントよくやられると感心します。
 今日流行語大賞が発表されて「小泉劇場」なんて言葉が選ばれていましたが、もちろん小泉さんの仕掛けが抜群に上手いのは言うまでもないでしょうけど、でもこういう地道というか、常に国民の声に傾ける姿勢がいつもあるっていうのも人気の秘訣なんじゃないでしょうかね。
 ま、それが政治的に手放しにいいのかどうかというのはまた意見の分かれるところではあると思いますが、しかし小泉さんは最初に掲げた目標を最後まで貫くという姿勢を保ち続けていますから、ここは素直に評価されるべき点でしょう。
 今年もあと一ヶ月です。
 急に寒くなってきましたが、みなさん体調に気をつけてがんばってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

平成17年12月5日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 2

 年末ですねぇ・・・。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 
 次は『(2) 男系継承維持の条件と社会の変化』という項目を見てみたいと思うのですが、これもまた実に巧妙にミスリードしようと文章が組まれています。
 やえが何度も言っていますように、庶民の常識と天皇家の常識を並列に論じるコトは適切ではありません。
 天皇は天皇の世界の中のルールを守ってきた中で2600年の歴史を作ったのですから、それを尊重するのは当たり前の話で、歴史そのものが天皇の存在なのですから、それらの歴史を否定しては天皇すら否定するコトになりかねません。
 しかし、この報告書は巧妙に巧妙に論点をずらそうとしています。

 (2) 男系継承維持の条件と社会の変化
 男系による継承は、基本的には、歴代の天皇・皇族男子から必ず男子が誕生することを前提にして初めて成り立つものである。
 過去において、長期間これが維持されてきた背景としては、まず、非嫡系による皇位継承が広く認められていたことが挙げられる。これが男系継承の上で大きな役割を果たしてきたことは、歴代天皇の半数近くが非嫡系であったことにも示されている。また、若年での結婚が一般的で、皇室においても傾向としては出生数が多かったことも重要な条件の一つと考えられる。
 しかしながら、昭和22年に現行典範が制定されたとき、まず、社会倫理等の観点から、皇位継承資格を有するのは嫡出子に限られ、制約の厳しい制度となった。実際に、現行典範の制定の際の帝国議会では、皇籍離脱の範囲を拡大するとともに、非嫡出子を認めないこととすれば、皇統の維持に不安が生じかねないため、女性天皇を可能とすべきではないかとの指摘もあった。
 近年、我が国社会では急速に少子化が進んでおり、現行典範が制定された昭和20年代前半には4を超えていた合計特殊出生率(一人の女性が、一生の間に産む子供の数)が、平成16年には1.29まで低下している。
(中略)

 このまま読むと、なんだか嫡出子が正道であり、また少子化は現在社会問題なので説得力があるかのように感じてしまいがちです。
 しかし、今回の天皇後継問題での最も重要な焦点は、男系を存続させるか放棄するかの二択の問題であり、ここを一番議論しなければならない点なのです。
 それなのにこの報告書はたった「社会倫理等の観点から、皇位継承資格を有するのは嫡出子に限られ」と一文だけで嫡出子の問題を終わらせ、さもはじめから嫡出子に何も問題など存在しないと言わんばかりにしてしまっています。
 こんな馬鹿な話はありません。
 天皇後継の最大の問題である男系かそれ以外かという問題をたった一言で終わらせてしまって、ではいったいこの報告書はなにを報告しているつもりなのでしょうか。
 
 そのつもりが、この項目で言えば出生率の問題なのでしょう。
 嫡出子問題をたった一言で終わらせた一方、出生率の問題は長々と実に15行も使って説得力を出そうとしています。
 確かに出生率の問題は、民間のそれと皇室のそれとリンクするというのは否定できないモノです。
 ですから、これだけを読めば、科学的なデータも出されていて、かなり説得力のあるように思えてしまうワケです。
 しかし本来の議論としてはこれは傍論でしかなく、特に「平均的には、一組の夫婦からの出生数が2人を下回れば、男系男子の数は世代を追うごとに減少し続けることとなる」という話をするのであれば、ここから導かれる議案とは「ではどうやって男系男子の数を減らさず増える方向にもっていくか」という話をしなければならないワケであって、決してここから男系を否定しうる材料には全くもってならないのです。
 それなのになぜか強引に女系賛成の方向に持って行こうとしているあたり、やっぱり結論ありきの会議ではないかと疑いを持たざるを得ないワケです。
 
 
 さて、この報告書、一応旧皇族の皇籍復帰についても触れていたりします。
 しかしこの扱いも相当に失礼な感じになっています。

 (補論)旧皇族の皇籍復帰等の方策
 
 男系男子という要件を維持しようとする観点から、そのための当面の方法として、昭和22年に皇籍を離れたいわゆる旧皇族やその男系男子子孫を皇族とする方策を主張する見解があるが、これについては、上に述べた、男系男子による安定的な皇位継承自体が困難になっているという問題に加え、以下のように、国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点があり、採用することは極めて困難である。

 はじめから「補論」なワケです。
 つまり、「語るほどでもないけど、なんかうるさい人がいるから一応触れておきますよ」と言っているワケです。
 もはや、結論ありきここに極まれりです。

 旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。

 60年がなんだというのでしょうか。
 天皇家2600年の伝統の前には小さすぎる話です
 また、「今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される」とか「このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる」とか言ってますが、「懸念」や「考えられる」は有識者会議が勝手に懸念して考えているだけの話であって、別に国民がそうであると結論づけられているワケではありませんから、全く全然これっぽっちも旧皇族の皇族復帰が難しいという説得材料にはなりません
 ただの有識者の予想です
 予想屋の予想は予想でしかなく、予想だけで結論づけられるのであれば、「それでも国民は新しい男系天皇を敬愛することができるでしょう」とやえが言っても問題ないコトになります。
 そもそも敬愛されるかされないかが問題であるなら、男系でない天皇が就くことによって敬愛されない可能性だって含まれるワケで、やっぱりそれは予想の範囲を超えない話でしかないワケです。
 この話はそうではなくて、天皇が古代から2600年続いた伝統に基づく権威を今現在捨てるのかどうかという話なのですから、まったくもって筋違いも甚だしいのです。
 
 また、むしろ600年前までさかのぼっても神武天皇に繋がるという事実の方が、天皇家の悠久の歴史を感じられるよい材料になるのではないでしょうか。
 なぜ有識者会議ははじめから否定ありきの結論を出すのか、それこそまずは国民に議論してもらえばいいだけなのに、甚だ疑問でしかありません。

 皇籍への復帰・編入を行う場合、当事者の意思を尊重する必要があるため、この方策によって実際に皇位継承資格者の存在が確保されるのか、また、確保されるとしてそれが何人程度になるのか、といった問題は、最終的には個々の当事者の意思に依存することとなり、不安定さを内包するものである。このことは、見方を変えれば、制度の運用如何によっては、皇族となることを当事者に事実上強制したり、当事者以外の第三者が影響を及ぼしたりすることになりかねないことを意味するものである。

 こんなの一言で終わります。
 やってみないコトにはどうしようもありません
 そもそも天皇の子供に生まれれば天皇に強制される運命にあるのですから、はじめからこんなコトを言い出してもキリがありません。
 元々は天皇家に生まれた運命を背負い、また戦後に強制的に天皇家から離脱させられた人たちではありますが、しかし今でも天皇家の血筋を、神武天皇家を継承している事実からはどうやっても逃げられないワケであって、この事実から目をそらして、ここだけ都合良く「個人の自由」なんて言葉を振りかざすのは、あまりにも的はずれなのではないでしょうか。

 いったん皇族の身分を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりすることは、これまでの歴史の中で極めて異例なことであり、さらにそのような者が皇位に即いたのは平安時代の二例しかない(この二例は、短期間の皇籍離脱であり、また、天皇の近親者(皇子)であった点などで、いわゆる旧皇族の事例とは異なる。)。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分等をめぐる各種の混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統であり、この点には現在でも十分な配慮が必要である。

 今回の事態は、皇室の中に男系がいなくなるという天皇家始まって以来の異例中の異例事態と呼べるモノなのですから、一例でも例があれば問題はないと考えられます。
 また、混乱が生じることを避ける配慮が必要であるなら、そう配慮すればいいだけの話です。
 簡単に言えば、今回のは異例事態を受けての特例措置であり、基本的に後続復帰は今回のみとして、通常の場合や本人が望むだけの理由では受け付けないコトにすればいいだけでしょう。
 また今回復帰していただく方々の皇位継承順位も、じっくりと時間をかけて議論すればいいだけの話です。
 1、2年以内に決めなければならないぐらい急ぐ必要性は全くないですからね。
 これだけのコトで、ことさら混乱が起きると決めつけるのはいささか強引なのではないでしょうか。
 
 そもそも、女系の方が全く前例が無いのですから、それをさしおいてなぜ一例でもある前例を例外扱いし、前例のない方法を正道かのように言うのでしょうか
 理論的にもう破綻しているというか、わざと無茶苦茶にうやむやにしようとしているようにしか思えません
 女系天皇よりも、皇族復帰の方が遙かに確実に伝統を守った方策です
 議論の順番としては、まずは前例が1つでもある皇族復帰の方策を検討して議論し、それでもどうしても不可能であると言う場合にのみ、新しい方策を考えるというのがスジなのではないでしょうか。
 なぜわざわざ伝統にない女系にこだわって、伝統にある方策を頭ごなしに否定するのか、理解に苦しむというか、やはり結論ありきの意図があるとしか思えません。
 
 
 (つづく)

 

平成17年12月6日

 なにが差別か考える

 しばらくフォーーーー。あまおち総統である。なにやらいろいろな推測が流れとるようだが、決してハートブレイクだからといって某人の暗殺を企んでいたらそれがやえにバレて堕天使の槍で胸を刺されてリアルハートブレイクだよとかよく生きてるなふはははは実はオレの核は腹にあるんだよどぐしゃあバカめ自分で弱点を言ってどうするひ卑怯な奴め悪が栄えたためしはないぞふふふならばワシがその第一号となってやるぬははははは勇者よあ後は頼むガクッとかいうバトルを繰り広げていた訳ではない。ごきげんよう。
 
 あらあまおちさん。意外とお元気そうですね。
 
 と、とりあえずその槍をしまいなさい。
 
 ぶおんっ
 
 いつからそれライトセイバーになったんだ・・・。
 
 
 
 で、今日はなんのお話でしょうか。
 
 う、うむ。今日はだな、差別について考えようと思う。何が差別なのか、どうすれば差別になるか、そういう事を考える。
 
 それは人権擁護法についてですか?
 
 いや、今日はそれは全く関係ない。法律とは関係なくてな、差別とはどういうものなのか、自分の中では差別をどう定義しているのか、そういうあたりを考えてもらいたい訳だ。
 
 つまり、人権法のところにも書きましたように、差別や人権なんていうものは曖昧なモノでしかないので、その都度議論する必要があるワケで、人権法にも議論する場が設けられていますしね、今日はそういう自分なりの定義の議論をしてみようというワケですね。
 
 うむ。飲み込みが早いな。
 
 リハビリ中のあまおちおじいちゃんのためにテンポ良く進めようとしているんです。
 
 えー・・・。
 
 
 
 で、今日の題材はなんですか?
 
 これ。広島の例の事件。もはや説明するまでも無いと思うが、小学生の女の子が殺されて段ボールに捨てられいて、捕まった犯人はペルー人だったという事件だ。
 
 やっぱり地名聞くだけでどこだか分かるところで大きな事件が起こると気味が悪いですよね。
 
 そうだな。でだな、犯人が外国人であるペルー人だった訳だが、これに対して「ペルー人はロクでもない奴らだ。小学生を殺すような鬼畜だ。ペルー人はみな即刻国外退出させるべきだ」という主張をしたとしたら、これは差別と言えるかどうか、どう考えるべきだろうか。
 
 はい・・・。それはちょっと・・微妙ですね。どうなんでしょうか。ちょっと言っているコトが過激なような気はしますし、本当にペルー人が全てロクでもない人たちかどうかも微妙ですから、あまりほめられた発言でもない気がします。公の場では堂々と言うべきではないのではないでしょうか。
 
 これが「中国人なんてルールもマナーもモラルもない下品でロクでもない奴らだ」と言ったらどうだろうか。
 
 ああ、これはこう言っている人多いでしょうね。そして同意する人も多そうですね。
 
 これら2つの発言はどこが違うのかと言えば、ただ単に対象が違うだけだ。ペルー人か中国人かだけだな。まぁ中国人の方がペルー人よりかは接する機会が多いというのもあるんだろうが。しかし差別かどうかという話において、その基準が対象人物によって変わってしまうというのは、それは良くない。人によって善し悪しが変わるという事こそが差別そのものだからな。
 
 内容にもよるんでしょうけど、ただ今回の事件だをもってペルー人全てをロクでもないヤツだと言ってしまうのは問題なのではないでしょうか。
 
 中国人は?
 
 それは・・・、やっぱり全体的にマナーやモラルを守らないという点に関しては否めないような気がするんですが・・・。
 
 それにしても所詮統計学的に科学的にデータがあるという訳ではなかろう。
 
 そうですね。
 
 ただな、やっぱり民族とか人種とか、その他のカテゴリーと呼ばれるモノである程度の性格というのは一般論的に言えてしまうというのは事実だろう。例えば女は車の運転が下手だとか、タクシーは自分のことしか考えてなくてマナー無視運転ばかりしているだとか、トラック等大型車は遅いんだから左ベタで走れよとかだな。
 
 なんかかなり個人的事情ですね。しかも最後は違うと思います。
 
 む。細かい事は気にするな。ともかく、そういう一般論的な事はやっぱり言えてしまう訳だ。これを否定して全てを差別だと言い出したら、何も話が出来なくなってしまうだろう。
 
 つまり、一般論としての全体論を言う場合においては差別ではないというコトですね。
 
 そうだな。もちろんそのようなコトを言う際にはある程度論拠を言うべきだろうな。「外国人はアホだからみんな死ね」とだけ言ったとしても、それはただの視野の狭い差別主義者だなぁと他人は思うだろうからな。
 
 発言には責任を持ちましょうねというコトですね。
 
 この辺は差別が云々のグレーゾーンというか曖昧な部分だろうからな。さらに個別の議論が必要だし、曖昧な分それだけに発言に責任を持てという話だ。
 
 
 
 では、「殺人犯であるピサロ・ヤギは日本から出て行け。二度と日本に来るな」と言うのはどうだろうか。
 
 これは差別とは言えないでしょうね。まぁまだ容疑者の段階ですからそういう意味ではアレですが、それはとりあえず置いておいて、ピサロ・ヤギが殺人犯だと確定できれば、それは紛れもない事実なワケですから、それに対する因果として日本から出て行けと主張するのは間違いではないと言えるのではないでしょうか。
 
 そうだな。事実を言うだけで差別と言われてしまうのは危険な考え方だからな。もちろん殺人の因果として国外退去などが相当かどうかという議論はあってしかるべきだが、差別であるからそんなことを言ってはならないとするのは適切ではないだろう。
 
 こんなコトまで差別だと言い始めたら、これこそ思想弾圧言論弾圧になっちゃいますもんね。
 
 
 
 「ペルー人が殺人を犯した。外国人労働者は危険だから全て解雇処分にする」としてしまうのはどうだろうか。
 
 これは・・・差別なんじゃないでしょうか。ピサロ・ヤギと他の外国人労働者は関係がないですからね。こんなこと言われても、真面目に働いている外国人労働者にしてみれば「自分が何をしたんだ。何もしてないじゃないか」と思うでしょうから。
 
 そうだな。当サイトでは差別の大まかな定義のひとつとして「一部の人間の行動をカテゴリー全てに拡大解釈して当てはめ行動を制限させたり不快にさせたりする言動」を差別だと言っている。つまり、幼女を殺害した人間がたまたまフィギュアが好きだったという理由だけでフィギュア愛好者全てを犯罪者呼ばわりしたり、2chに殺人予告が書かれたからという理由だけでネット全てを犯罪の巣窟呼ばわりしたり、痴漢をする人間がいるという理由だけで全ての男を痴漢呼ばわりして車両に乗せないとしたり、こういう行為が差別なのであると言っているな。フィギュア愛好者もネット利用者も電車に乗る男も、個人本人はなにも犯罪的行為などしていないのだから、他人が起こした行為にまで責任を取らせるような言動をされてもとばっちりもいいところなんだよな。このような拡大解釈が許されていると、いつ自分が何ら関係のない話で差別を受けるか分かったもんじゃなくなってしまう。
 
 ポイントは、個人の行動を全体に拡大させるというコトですかね。
 
 そうだな。難しいのは、自分が拡大解釈の範囲に含まれない場合、自分とは全然関係のない話だと思ってしまうところにある。つまり、散々一部の韓国人犯罪者を批判して韓国人なんて全員バカだアホだ死んでしまえと言っているクセに、しかしいざネットが批判されるとそれは差別だと言いだすという人間が、これが実に多すぎる。どっちも一部の人間の行動だけでもって全体を批判している事には変わらないんだが、結局自分が被害を被るかどうかだけで善し悪しを決めてしまっている訳だ。
 
 まぁある程度は全体的な総論としては言える部分もあるのでしょうけど、最初の方にもそう言いましたよね、でも犯罪を犯したのはあくまでその個人が犯したのであって、その罪と罰を勝手にカテゴリーまで拡大解釈して当てはめてるというのは、飛躍しすぎですよね。
 
 自分がされたらどう思うかという想像力が欠如している人間が多いんだろうな。
 
 
 
 例えば、外国人労働者は全て登録制にして指紋等を記録しておかなければならないコトにしよう、と言うのはどうなのでしょうか。
 
 結局な、言い方の問題であるという部分も差別の問題の場合には否定できない要素なんだよ。今の例えで言えば、『つまり外国人と本国人との間には純然たる違いがある訳で、それは国家という明確な枠があって国籍という枠があるのだから、どうやっても外国人と本国人とは違うのだから区別することは妥当なのである。で、その上で、外国人というのは違う国に国籍を持っていて、そしてその違う国には違う国の制度やシステムや文化があって、警察なども基本的には外国で捜査や様々な権利は行使できない。だから本国人よりは遙かに安易に外国に逃亡できる外国人に対してある程度の規制を設けるというのは妥当である』という言い方なら、これは差別ではないと言えるのではないだろうかな。
 
 しかし、『ピサロ・ヤギが犯罪を犯したから外国人は全て指紋を登録しろ』と言ってしまうと、これは差別になってしまうというコトでしょうか。
 
 有り体に言えばそうだな。外国人の家の賃貸問題もそうなんだが、『前の借り主の韓国人が滅茶苦茶をして補償金すら払わなかった。だから外国人は禁止だ』と言ってしまうのは差別なんだよ。滅茶苦茶な韓国人と他の外国人は関係のない話だからな。
 
 でも、『外国人の場合は日本と文化や宗教が違って生活スタイルが違うし、日本でも敷金という一時預かり金制度があるのだから、行方をくらませたら本国人より遙かに見つけにくい外国人に対しては、入居の際には本国人より厳しい審査や、本国人の確かな保証人が必要である』という説明をするのであればそれは差別ではない、というコトですね。
 
 そういう事だ。
 
 でもそれだと、「言い方の問題だけなのかよ」とか言われません?
 
 いや実際その通りだしな。そもそも差別なんてものは概念的な存在でしかない訳だろ。傷害なんかは殴ったという事実と身体的な傷が目に見えて表れるが、差別はそうではない。極端な話、差別的な事をしてもそれを本人が嫌だと思わなければ差別として存在しないと言えてしまう訳だ。だからといって本人が言えばなんでも差別になるという訳でもないが、まぁこの辺が差別問題の難しさと言えるんだろう、だからそれは言い方の問題でもあるし、つまり本人がどういう考え方を持っているかによって外への出方が分かってきて、差別意識を持っているかどうかという話になるんだろうよ。
 
 ああ、だから、理由もなく外国人が嫌いなのか、それとも合理的理由を持って外国人を区別しているのか、言い方によって本人の考え方・哲学が分かるというコトですね。
 
 そういう事だ。差別問題はやはりそのように一人一人がしっかりと高い意識を持って考えなければ前に進まない話なのだろうと思う。寝た子を起こすな議論があるが、いくら寝た子を起こさないようにしても、自分の意志とは関係なく寝た子が起きてしまう可能性もある。その時になだめ方を知らないまま今までやってきていたら、いざその時になってみると、怒りつけたり乱暴に扱ったりしてしまい、結局子供はさらに泣き叫んでしまい前よりも状況が悪化してしまうという事になりかねないだろう。個別の事例を教えるかどうかはともかく、しかし少なくとも考えるという行為を放棄しては何もならない以上に、より事態を悪化させてしまう事だろうよ。
 
 まずはなにが差別か考えてもらいたいですね。
 

平成17年12月7日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 3

 ここまでで十分この報告書がダメダメなコトがお分かりになったのではないかと思います。
 結局最初から結論を出していたとしか思えない会議の内容であり、本当に議論をしたのかすら疑問にしか思えない内容にしかなっていません。
 「総理の私的諮問会議で議論をして結論を出した」というお墨付きを付けるためだけにこの会議か結成されたのではないかと思わざるを得ないです。
 
 報告書は、なぜ男系をこの段階においてあきらめるのか、そして女系の正当性はどこに存在するのか、全く説明をしないまま、女系の皇位継承資格の拡大に話を進めています。

 (3) 女子や女系の皇族への皇位継承資格の拡大の検討
 皇位継承制度の在り方を考察するに際し、世襲による継承を安定的に維持するという基本的な目的に立ち返れば、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが考えられる。これは、内親王・女王やその子孫も皇位継承資格を有することとするものである。

 いつから「皇位継承制度の在り方を考察」の中身が「安定的な皇位継承」の議論になってしまっているのでしょうか。
 ここまで露骨なミスリードもないです。
 今の議論というモノは「皇位継承者が途切れそう」であるという事態を受けて「ではどうするのか」という議論をしているワケであって、極論すれば、正当な皇位継承者が一人でも存在できるのであれば安定的な制度を整備する必要はないと言えるのです。
 もちろん安定的な制度になっていた方がいいには決まっていますが、しかしそれはまた別議論であって、今すぐ結論を出さなければならない議論では全くありません
 繰り返しますが、今すべき議論とは、皇太子さまの次の天皇を誰にするかという議論であって、また女性天皇という意味だけなら誰も反対している国民はいないと言える状況において女性天皇を認める部分だけを改正すれば、愛子様の次の天皇をどうするかという議論になり得るワケですから、ますます100年も先の問題を今すぐに出す必要はないと言えるワケです。
 それなのに、有識者会議は「安定的に皇位継承」という議論に中身をすり替えようとしているワケであり、もはや明らかに悪意を持って議論をミスリードしていると言わざるを得ないのです。
 

 女性天皇に関しては、明治典範や現行典範の制定時にもこれを可能にすべきであるという議論があった〔参考11、12〕。現行典範制定の際の当時の帝国議会においては、歴史上も女性天皇の例があること、親等の遠い皇族男子より近親の女性を優先する方が自然の感情に合致すること、皇統の安泰のために必要であることなどの理由から、女性天皇を可能にすべきではないかとの質疑が行われた。その時点では、男系男子の皇族が相当数存在しており、皇位継承に不安がなかったことなどもあり、男系継承の意義や女性天皇を可能とした場合の皇位継承順位などの在り方に関して、なお研究を行った上で結論を得るべきものとされた。男系男子の皇位継承資格者の不在が懸念される状況となっている現在、女性天皇や女系の天皇について、まさに真剣な検討を行うことが求められていると言わなければならない。

 本来なら、このような文章は報告書などというモノに載せるべきではないモノだと言えます。
 なぜなら、仮に女性天皇の検討が明治時代に行われていたとしても、結局は反対された意見でしかなく、男性であるべきだという意見もあったからこその結論なのですから、もしこの意見を報告書に載せるのであれば、同じように男性天皇に限るという意見をも併記する必要があるハズだからです。
 ただの一部にだけにポツンと述べられた意見程度を列挙したところで、そこに説得力は生まれはしませんからね。
 また、天皇家の歴史は2600年も続いているワケなのですから、たった100年ほど前の議論の意見を載せただけでは全然不十分なのであって、もし明治時代の議論を報告書に載せるというのであれば、それより前に議論された天皇家のあり方の意見というモノもやはり載せる必要があるでしょう。
 この辺からもやはり有識者会議の歴史観の浅はかさが見て取れるというモノです。
 この部分は、男性主義の明治時代においても女性天皇の議論が行われたんだぞ、というお墨付きを得ようとしている、まさに論拠をすっ飛ばした強引な手法であり卑怯であり、逆に言えばそれが論拠薄弱である証拠とも言えるでしょう。
 
 有識者会議のミスリードはこれだけにとどまりません。
 この部分は「明治時代の議論」と「有識者会議の意見」の2つのパートに別れているのですが、実は前半の「明治時代の議論」と後半の「有識者会議の意見」は、女系天皇の議論に関しては全く繋がっていないのです。
 前半は『女性天皇に関しては、明治典範や現行典範の制定時にもこれを可能にすべきであるという議論があった』から始まって『なお研究を行った上で結論を得るべきものとされた』で終わっているワケなのですが、よーく文字を見てください。
 前半の部分には一言も「女系」という文字は存在しないのです
 よくよく該当部分を読めば分かるのですが、明治時代に行われた議論とは「女性天皇」の是非であって、「女系天皇」の是非ではないのです。
 しかしそれにも関わらず、なぜか後半部分には『女性天皇や女系の天皇について、まさに真剣な検討を行うことが求められていると言わなければならない』と「女系」の文字がどこからか湧き出てしまっているのです。
 文脈的にも明治時代の議論とは「明治時代には女性天皇の議論が行われて、今後もさらに研究をする必要がある」という意味しかないハズであり、一言も「女系天皇について研究する必要がある」とは書かれていないのですが、それなのに有識者会議の意見にはなぜか「女系天皇について検討を行うことが求められている」と、さも女系天皇の議論が明治時代から求められていたかのように書いているのです。
 まさに悪意の固まりの曲解としか言いようがありません。
 もしくは日本語能力が極端に低いかです。
 日本の総理大臣の私的諮問機関が、このような犯罪的とも言えるミスリードを犯すコトがどう許されると言うのでしょうか。
 
 何度も言いますが、女系天皇に関しては、2600年の歴史の中、一度たりとも行われたコトはありません。
 前例は存在しないのです。
 もしそれを行おうとするのであれば、2600年の中で初めてのコトをしようとしているワケであり、歴史も伝統も全くない0からの出発であると言えるコトなのです。
 少なくとも明治時代には「女系」の議論は行われていませんでしたし、またおそらく過去においてもそのような議論は行われなかったのでしょう。
 それは、男系による直系でない一般的には他人とも言えてしまうほどの間柄であっても天皇の位が継承されていた事実が何度もあったコトを考えれば、安易に想像がつくのではないでしょうか。
 むしろこの事実は、男系であるというコトこそが天皇家の唯一のルールである証明であると言えるのですから、天皇家の議論をする場合にはまずここに主眼を置かなければならないハズなのです。
 
 
 (つづく)
 

平成17年12月8日

 観音様

 

 地上デジタルに視聴者困惑 問い合わせ相次ぐ 東北
 
 東北6県のNHKと宮城、山形両県の民放5局で1日始まった地上デジタル放送をめぐり、受信・視聴方法に関する問い合わせが各テレビ局や総務省東北総合通信局に相次いでいる。アンテナ調整の必要性が周知不徹底のせいか「テレビを買ったのに映らない」と怒り出す相談者もいるという。
 地上デジタルを見るには(1)発信される電波を受信できる(2)アナログテレビに専用チューナーを接続するか、チューナー内蔵テレビを購入する(3)UHFアンテナがある―という条件がある。
 「せっかく薄型大画面テレビを買ったのに、地上デジタルが見られない」。仙台市泉区にある仙台大観音(高さ100メートル)の背後地域の住民から、こんな不満がテレビ局や大観音を管理する寺院に寄せられた。
 この地域では、アナログ放送の難視聴対策として約5000戸がパラボラアンテナを設置。大観音の頭上にあるミニ放送局のアンテナから再送信される放送を受信している。
 地上デジタルを受信するには、各家庭でUHFアンテナを設置し、デジタル用の電波が発信される大年寺山(太白区)の方向に向ける必要がある。

 ははぁ、それはそれは大変ですね。
 せっかく買ったテレビとアンテナなのに、いざ接続してみたら全然つかなかったとなると、それは憤慨してしまいますよね。
 安くなったとはいえ、まだまだ地上デジタル用のテレビとかって高いですからね。
 特にハイビジョンはちょっと簡単には手が出せません。
 
 やえもですね・・・・ん?
 
 
 
 

この地域では、アナログ放送の難視聴対策として約5000戸がパラボラアンテナを設置。大観音の頭上にあるミニ放送局のアンテナから再送信される放送を受信している。

 
 
 
 
 

 んん??
 
 
 

大観音の頭上にあるミニ放送局のアンテナから再送信される放送を受信している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 !?!?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、し、神罰だけはお許しを〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

平成17年12月12日

 「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に異議を申し立てる 4

 イ . 国民の理解と支持
 国民が、象徴としての天皇に期待するものは、自然な血統に加え、皇位とともに伝えられてきた古来の伝統や、現行憲法下の60年近くの間に築かれてきた象徴天皇としての在り方を含め、皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくことであろう。このような観点から皇位継承資格者の在り方を考えた場合、今日、重要な意味を持つのは、男女の別や男系・女系の別ではなく、むしろ、皇族として生まれたことや皇室の中で成長されたことであると考えられる。

 出ました。
 根拠無き妄言
 こんなのただの有識者会議の予想でしかありません。
 しかもお得意の「60年の歴史」です。
 どこまで浅はかなのでしょうか
 結局こんなのは「今さえよければいい」という歴史を全く無視した歴史も未来も何ら考えていない今だけ主義でしかありません。
 今は天皇としてなんとなくふさわしい人が就けば問題ない、過去や未来についてはどうでもいい、それぐらいしか思っていない、底の浅い薄っぺらいどうしようもない意見です。
 しかし本来の天皇家の問題とは、古代2600年前から続き歴史と伝統を、どう次の世代に、どう1000年先2000年先に受け継いでいくのかという問題なのです。
 それなのに、今だけよければいいだなんて、よくもまぁこの程度の人間が有識者を名乗るモノかとあきれ果ててしまいます。
 
 また、文脈からも普通に反論出来てしまう内容だったりしています。
 有識者会議はなぜ直系に重きを置くかと言えば、それは『皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくこと』が最も大切だと思っているからと言っています。
 つまり、生まれたときから皇族であり皇室に入っている人間であるならば天皇に即位する条件を満たしているコトになると言っているワケですね。
 それならば、なにも直系にこだわる必要性などどこにもないんですね。
 生まれたときから皇室に属しており、『皇室の文化や皇族としての心構え』の教育を受けていれば、なにも直系である必要はなく、傍系の男系でも問題ないと有識者会議も言っているワケです。
 もしかしたら「しかし現在は男系男子の皇族がいないじゃないか」という意見があるかもしれませんが、愛子様が即位されるコトはなんら問題がないワケであって、つまり愛子様の次の世代の皇太子をどうするかという問題が今の問題であるのですから、時間はたっぷりあるワケで、具体的に言えば、神武天皇男系が続いている旧皇族家にいま皇族に復帰していただければ、愛子様の次の世代の皇族の方は、生まれたときから皇族に属しているコトになるのです。
 よって、愛子様の次の世代の皇族の方は『皇室の文化や皇族としての心構えが確実に受け継がれていくこと』は十分に可能なのです。
 ですから、男系男子を存続させるコトは全くもって可能な話なのです。
 
 この部分は、女系を認めるコト、直系でなければならないというコトの説得力を見いだすコトは全く出来ない上に、むしろ有識者会議の考え方からしても男系男子が存続できる理由になってしまっているという、もはや議論はここまでと言ってもいいぐらいの大変な意見なのです。
 

 皇位が男系で継承されてきた歴史等を背景として、天皇は当然に男性であるとの観念が国民の間に存在してきたことは事実であろう。それは、男子による家督の継承を重んじた明治の民法の制度や一般社会における家の観念、社会における男性の優位の観念とも結び付いていたと思われる。しかし、他面、現行典範が制定された昭和22年以降、我が国では、家族観や社会における男女の役割分担などをめぐって、国民の意識や制度に様々な変化が生じてきていることも考慮する必要がある。

 はい。
 ここはあくまで「男性天皇」と「女性天皇」の話であり、「女系」とは全く関係のない話です。
 女性天皇については何ら言うことはありませんから、「だからなに?」で全てが終わってしまう部分です。
 
 さらにツっこむとすれば、さも国民での風習が天皇家にも影響されるかのようにここでは言っていますが、天皇家の長い歴史からすれば、明治時代の皇室典範の方がイレギュラーな存在だと言えるのです。
 なぜかと言えば、確かに明治時代には「男子による家督の継承を重んじた」風習がありましたが、しかしそれはなにも明治時代だけの話ではありません。
 江戸時代だってそうでしたし、いえ、江戸時代の方が顕著で、女性の家督相続は幕府によって認められていませんでした。
 というか、江戸時代以前はずっとそうだったと言っても過言ではありません。
 庶民であれば、例えそれが将軍家であろうとも、家督を継ぐ男子がいない場合は有無を言わさずお家断絶となっていたでしょう。
 また庶民には養子が認められており、長子であれば血が繋がっていなくてもお家は継続されていくコトが認められてました。
 さらに言えば、家を継ぐためには、養子であれ嫡出子であれ必ず長男である、というか、直系であるという条件が付けられていました。
 つまり「親から子へ」が絶対条件だったワケですね。
 これが庶民のルールですが、しかし天皇家にはそのようなルールはありません。
 緊急避難といえども女性天皇が存在した事実はありますし、また養子も認められていません。
 その代わりと言ったらなんですが、男系であれば親から子でもなくても、例え一言で言い表せるような間柄でなくても、問題なく皇位は継承されていったのです。
 このように、庶民と天皇家の文化というモノは、どの時代においても一線が画されていたのです
 もちろんこれは明治時代においても全く同様の話です。
 よって、明治典範に「男子のみ」と定められていたとしても、それが必ずしも「天皇は庶民の風俗に準ずるべきだ」という論拠には全然なりませんし、また明治典範だけを正しい天皇家のあり方だとする論拠にもさっぱりなりません
 むしろ明治典範の方が今までの天皇家の風習から外れているイレギュラーな存在なのです。
 すなわち、現代においても庶民の風習から天皇家が何かを鑑みる必要など全くないのです
 この部分は全てが破綻している文章なのです。
 
 長い歴史や伝統を背景とする天皇の制度と、一般社会における家族観や男女の役割分担についての意識とを直ちに結び付けることはできない。しかし、最近の各種世論調査で、多数の国民が女性天皇を支持する結果となっていることの背景には、このような国民の意識や制度の変化も存在すると考えられる。天皇の制度において、固有の伝統や慣習が重要な意義を有することは当然であるが、他方、象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが、重要な条件となることも忘れてはならない。
 
 まず、天皇は「長い歴史や伝統を背景とする」のではありません。
 天皇は歴史や伝統そのものです。
 この部分は『直ちに結び付けることはできない』と理解のあるところを示しているように見せかけて、しかし結論的には全くそのような配慮は見られません。
 天皇は歴史そのものであり、日本そのものであります。
 これは今「象徴天皇」とされているからそう言えるのではなく、はじめから天皇とは日本を象徴するような存在であり、日本の代表であり、日本そのものであり、では昔と今と何が違うのかと言えば、それは政治に対して実権があるかどうかぐらいの違いしかないと言えるでしょう。
 決して政治に対して実権があるから天皇が日本の代表であり象徴であるというモノではないのです。
 それは、武士の時代において天皇家は実質的な政治の実権が無かったのにも関わらず、しかしそれでも日本の頂点に位置していたという事実と認識が紛れもなく存在してたコトからも分かるでしょう。
 これこそ象徴天皇の姿であったのです。
 当然武士の時代には「象徴天皇」などという言葉はありませんでしたが、しかし誰しもが日本を表す存在として、例えば国旗や国家のような象徴的な存在として、天皇を戴いていたのです。
 また、天皇に実権があった時代、すなわち平安時代や明治時代ですが、その際においても天皇は絶対王権的な、トップ1の存在ではありませんでした。
 必ず合議制のような「和を尊ぶ」精神に基づいた、どちらかといえは議長的な存在として天皇がいらっしゃったのであって、よってここからも、政治的トップだから天皇は日本を代表し象徴しているのではないというコトがハッキリしていると言えるでしょう。
 天皇は、実権があるなしにかかわらず、いつでもどんな時でも日本の象徴であり、いま単に言葉の上で「象徴天皇」と定められているからといって、国民の姿を鏡のように写さなければならないという理由には全くならないのです。
 
 相変わらず有識者会議は歴史というモノをたった60年の短さでしか計れず、象徴天皇という言葉を文字通り文字の上だけの意味でしか読み取るコトしか出来ず、今だけが良ければそれでいい程度しか考えられないようですが、しかし天皇とは今まで2600年続き、これからも数千年と続いていく存在である以上、それらの歴史や文化や国家の全てを象徴させる存在でなくてはならないのです
 それが本当の意味の象徴天皇であるのです。
 「象徴天皇」の本当の意味を読み違えてはなりません。
 そこに政治的実権があるのかないのかなんてちっぽけなコトは問題ではないのです。
 今だけのほんの数年だけの国民の文化の真似ごとをすれば、それが象徴という意味になると思っていたら大間違いなのです。
 

 ウ. 伝統
 我が国では、これまで、一貫して男系により皇位が継承されてきた伝統があり、女子が皇位に即き、更に女系の天皇が誕生する場合、こうした伝統的な皇位継承の在り方に変容をもたらすこととなる。
 皇位の継承における最も基本的な伝統が、世襲、すなわち天皇の血統に属する皇族による継承であることは、憲法において、皇位継承に関しては世襲の原則のみが明記されていることにも表れており、また、多くの国民の合意するところであると考えられる。
 男系男子の皇位継承資格者の不在が懸念され、また、歴史的に男系継承を支えてきた条件の変化により、男系継承自体が不安定化している現状を考えると、男系による継承を貫こうとすることは、最も基本的な伝統としての世襲そのものを危うくする結果をもたらすものであると考えなければならない。
 換言すれば、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することは、社会の変化に対応しながら、世襲という天皇の制度にとって最も基本的な伝統を、将来にわたって安定的に維持するという意義を有するものである。

 意味が分かりません。
 『皇位の継承における最も基本的な伝統が、世襲、すなわち天皇の血統に属する皇族による継承である』と考えているのであるならば、いかに男系継続を存続させていく方法を考えるか、安定させる方法を考えるか、それをまずはじめにすべき議論なのではないでしょうか
 『意義』とは言いますが、天皇家とそれを戴く日本にとっての意義とは、決して制度の安定化なんて問題ではなく、神武天皇家が現代にも後世にも続いていくコトこそなのではないでしょうか。
 そして、その手段があるにもかかわらず見て見ぬふりをして、また議論すらもしようともせず、ただただ結論だけを女系の方向に進めようとしているその手法は、あまりに悪意の固まりだと感じずにはいられないのです。
 

 (4) 今後の望ましい皇位継承資格の在り方
 これまで見てきたような皇位継承制度をめぐる国民意識や社会環境の変化は、我が国社会の長期的な変化に伴うものである。女性天皇や女系の天皇を可能とすることは、社会の変化に対応しながら、多くの国民が支持する象徴天皇の制度の安定的継続を可能とする上で、大きな意義を有するものである。

 もはやお話になりませんとしか言いようが無くなってきています。
 結局、女性についてはともかく、女系についてはなんら説明をせず、女性天皇と混合させてミスリードによって強引に容認させようとしているだけに過ぎませんでした
 また、『我が国社会の長期的な変化に伴うものである』なんて言ってますが、最近の国民意識や社会環境の変化は、まったくもって『長期的』と呼べるシロモノではありません。
 ごくごく十数年、長く見ても50年程度での変化です。
 こんなの天皇家2600年の歴史に比べればちっぽけなモノです。
 こんなのでよく『大きな意義を有するものである』と言えるモノだなぁと思ってしまいます。
 
 女性天皇や女系の天皇はその正統性に疑問が生じるという見解もあるが、現在の象徴天皇の制度においては、皇統による皇位継承が維持され、幅広い国民の積極的な支持が得られる制度である限り、正統性が揺らぐことはない。
 
 そもそも正当性というモノは、支持が得られるかどうかで決められるのではなく、歴史を正しく受け継いできたかどうかによって認められるモノです
 この論拠で言えば、別に天皇家の人間で無かろうとも、国民の支持さえ得られれば天皇になれ得てしまうという危険な考え方になってしまいます。
 そうではなくて、天皇家としての正統的な伝統に則って継承されるコトが第一であり、それを国民が支持するという順序であるハズです。
 積極的な支持が得られる制度であればいいというだけでは、シナの国の易姓革命をも容認する、反日本的な考え方でしかなくなってしまうのです。
 そして最後もお得意の予想妄想幻想だけで結論づけてしまっています。
 最初から最後まで説得力のない、根拠のない、あるのは決められていた結論だけの、どうしようもない報告書でした。
 
 
 報告書は、この後『皇位継承順位』や『皇族の範囲』など、新しい制度作りについて言及しています。
 しかし、いままでの報告書から女系がいままでの天皇家としてふさわしいかどうか、その根拠を全く示すコトは出来ていません。
 よって以降の報告書は全く無意味なのです。
 いくらもっともらしい制度作りをしたとしても、なぜその新しい制度を作る必要があるのか根拠を示さない限り、それは全く無意味です。
 そして、今までやえが示してきましたように、この報告書はまったくもって女系天皇を認める論拠は示されませんでした。
 示されていた事実とは、この有識者会議は今までの天皇家をどう継承し今後の天皇家をどう存続されるかを議論するモノではなく、ただ単に女系天皇を強引に認めるだけの権威付けの会議でしかなかったという事実でしょう。
 
 次回、この報告書について最後のまとめを書きたいと思います。
 

平成17年12月14日

 皇室典範に関する有識者会議の報告書に対する異議申し立てまとめ

 結局この報告書は、次の2点だけを論拠としています。
 
 ・安定的な制度であること
 ・国民の支持が得られるであろうという予測
 
 この報告書には長々といろいろ書かれていますが、時には歴史とかという文字も見え隠れしていますが、結局はこの2点が結論として出てくる仕組みになっています。
 そしてこの2点がそろっているからこそ、女系も継承のルールとして正しいものだと言っているワケです。
 
 しかし果たしてそうでしょうか。
 「安定的な制度」と言えば、確かに聞こえはいいです。
 その通りだと思いますし、安定しているにこしたコトはないのは確かです。
 だけど、本来「安定」とは手段であって、目的ではないハズなのです。
 
 繰り返しますが、安定であるにこしたコトはありません。
 安定していれば、未来にわたって憂い無く天皇が日本の象徴として存在し続ける安心感を国民は得られるコトができるでしょう。
 しかし、極端な言い方をすれば、天皇さえ存在し続ければ、皇室というモノは無くても問題はないのです。
 皇室は天皇を安定的に存続させるためのシステムに過ぎないワケで、天皇を存続させるためにあるだけのモノとも言っても過言ではなく、天皇が継承されるための道具にすぎないとも言えてしまうワケです。
 よって「安定的な制度」とは皇室というシステムに課せられた手段のひとつであって、天皇が絶えず存続していくための絶対条件では決してないのです。
 皇室が無くても天皇が存続していければ、皇室はなくても問題はないと言えてしまうのです。
 
 つまりですね、「安定的な制度」を目的としたシステム作りというのは、本来は皇室の役目をどのように果たしていくかという問題ではあっても、次の天皇はどうするかという問題の目的には決してならないのです。
 
 ここを混同してしまっているので、議論がややこしくなってしまっているのです。
 いま直面している問題の中には、確かに安定性が損なわれている皇室のシステムとしてのあり方というモノもありますが、しかしいま本当に議論しなければならないもっとも大切な問題とは、愛子様の次の天皇がいらっしゃらないという問題の方なのです。
 天皇継承の問題こそが本道の問題なのです。
 皇室のあり方の問題ではないのです
 
 本来両者は別々に議論すべき問題です
 まずは愛子様の次はどなたに天皇に即位していただくのかという問題を考えなければなりません。
 この問題を考えたときに、ではいままでの天皇とはいったいどのようなルールに基づいて即位していたのかというコトを考え、そして神武天皇家である男系の後続の方が即位されていたという事実を確認して、ではこの条件に見合う方を探しましょう、という、本来ならこういう順番になるワケです。
 ですから、ここの問題において「安定するから女系がふさわしい」という意見は全くの筋違いとなります
 だって、愛子様の次の天皇にはどなたがふさわしいかという疑問に対し、「安定しているから」という回答は、日本語として全く成り立ちませんからね。
 
 また、愛子様の次の天皇に、「安定している背景を持っている方」が必ず就かなければならないという理由もどこにも見あたりません。
 いったい誰がそんなルールを決めたのでしょうか。
 ついぞやえは聞いたコトがありません。
 
 何度も言いますが、「安定している」という条件が必要なモノとは、「皇室というシステム」に求められているモノです。
 「愛子様の次の天皇」と「皇室のシステム」とは、似て非なるモノです。
 これらの議論は別々に行わなければならないモノであり、そして「安定している」という条件は「皇室というシステム」に必要な条件です
 つまり、次の天皇のため(だけ)に存在している皇室という性格を考えれば、順番的には、「次の天皇」の条件を満たしつつ、そしてその上で安定している制度を構築させるというのが重要度の順序です。
 よって、「男系である」という天皇に即位するための条件を「安定する」という条件では決して打ち消すコトはできないのです。
 
 
 もうひとつの有識者会議の論拠のよりどころとしている「国民の支持」ですが、これもミスリードの固まりだと言えるでしょう。
 では、いま果たしていったいどれだけの国民が皇室というモノを理解していると言えるのでしょうか。
 男系女系すら理解していない人が大部分のようですし、神武天皇家という男系が持つ意味なんてコトまでいけば、もうごくごく一部の国民しか理解していないと言えるでしょう
 さらに、今までの天皇家の歴史を紐解けば決して直系だけで続いているというワケではないという事実も、今の状況がずっと続いていると錯覚しがちの現代人には、なかなか理解しているとは言える状況にはないでしょう。
 
 このような状況で、なにをもって「国民の理解が得られる」と言えるのでしょうか。
 今の議論の仕方とは、コトの本質には全く触れずに、ただただ「女性天皇は男女平等的」という甘い言葉だけをぶら下げているだけだと言えるのではないでしょうか。
 下世話な例えで申し訳ないのですが、「必ず儲かる」とか書いて、実はリスクがものすごく高い投資だった広告のようなモノだと言えるのではないのでしょうか。
 天皇とはなんなのか、皇室とはなんなのか、日本の歴史や文化はどのようなモノで、そして天皇はそれとどのように歩んできたのか、このようなコトをまず理解しなければ、天皇について意見を言うコトは難しいと言えるでしょう。
 だからこそ今は国民がそれを知る段階であって考える段階であって、一部の有識者のようなよく訳のわからない人たちが勝手に結論を出す段階ではないのです。
 
 
 結局、有識者会議が拠り所にしている女系肯定論の論拠は、しかし全く筋違いでしかないというコトがハッキリしているワケなのです。
 このような根拠が全く存在しない報告書のような独り言なんかで日本の歴史をいじられるのはたまったものじゃありません。
 少なくとも、国民が本当の意味での男系を理解し、本質の議論をするまでは、急いで結論を出す必要は全くないでしょう。
 なんとしてでも、この報告書だけで結論が出てしまうような事態だけは避けなければならないと思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、皇室典範に関する有識者会議の報告書を全く応援できません。
 

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