最近妙にやる気が出ないオレだー。
サンダー。
というわけで、先週共謀罪についてちょっとだけよん触れたところ、またまたan_accusedさんよりコメントをもらったので、今日はそれについて書いていこうと思う。
コメントさんきゅー><
まずはコメント欄を引用。
前エントリーに投稿させていただいた私のコメントをお取り上げいただき、ありがとうございます。 2点ほど感想を述べさせていただきます。
まず、「特にこれは法律の問題であり政治の問題なんだから、それは感情論だけではどうしようもないし、法というものは他の法やルールなどとの整合性も非常に重要な要点であるのだから、それを無視した論などむしろ阻害にしかならないと。」とご指摘になっておられる点についてですが、我が国の共謀概念は、大判昭和36年5月28日以来、実務上拡大を繰り返し、最決平成15年5月1日に至り「概括的・確定的認識と認容、黙示的な意思の連絡という2つの主観的要件が充足されれば共謀が成立する」というところまで適用の範囲が広がっております。
原則として実行行為の存在を処罰の前提とする現行法では、確定した実行行為とそれに至る経緯という外形的な事実関係から遡って共謀の範囲をある程度限定し、刑事責任を負うべき者の範囲を認定することができますが、具体的な結果が発生していない段階で、まだ本当に生じるかどうか不確実な危険を生じさせたことを根拠として処罰することを目的とする「共謀罪」の場合は、そのような外形的な事実関係から刑事責任を負うべき者の範囲を確定することが困難です。そしてこの困難性は「他の法やルールなどとの整合性」の観点から無視することができないと私は考えていますので、前コメント欄において「導入には慎重な検討を要する」と申し上げた次第です。
前エントリーを拝見する限り、また本エントリー冒頭における「だからやっぱりちょっとぐらいはかじって取り扱うべきだったかなと思わなくもないんだが、やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、まだ無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」とのご発言を拝読する限り、貴サイトにおいて共謀罪と現行刑法との整合性について理論面・実務面ともに具体的な検討がなされた様子は見受けられないのですが、ご自身で具体的な検討をしていないのに「共謀罪法案は特に問題があるとは思えない」と言い切るのと、「訳も分からず共謀罪に反対する」との間にはどのような違いがあるのか、疑問を抱かざるを得ません。
次に、「この共謀罪に関して反対する人というのは、大きなものにばかり目がいって、政府の都合のいいように使うために作るんだと反権病だけでしかものが言えなくなってしまっている。」というご指摘ですが、他の方々は存じ上げませんが、私はまさにいま現在進行形で行なわれている共謀概念をめぐる刑事司法実務を踏まえたうえで、その恣意的運用の危険性について危惧を抱いております。また、前エントリー中で引き合いに出しておられた「住居(建造物)侵入罪の適用」についても、管理者に無断で防衛庁官舎に立ち入ったビラ配布者に対する逮捕・起訴は妥当であると考える一方、高校敷地外(正門前)でのビラ配布者に対して建造物侵入罪を適用し現行犯逮捕することは不当であると考えており、これに異議を唱えております。
共謀罪について疑問を抱いている者が、現在進行形で行なわれている法律の恣意的運用に関心を示していないとなぜ言い切れるのか不思議に感じました。
以上、雑駁な印象ですが、エントリーを拝読して感じたことをコメントさせていただきました。
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長いなっ。
ま、かなり大まかに省略を試みるのであれば
1.共謀という概念は徐々に拡大解釈されるようになってきているのに、他の法との整合性を考えるなら共謀罪法の方こそ問題があるのではないか
2.当サイトは細かく共謀罪について言及してないくせに適当な事を言うな
3.自衛隊官舎への無断立ち入りによるビラ捲きは違法だが、他の事例では不当であると考えられるものがある
4.法の恣意的運用に関心を持っている人はちゃんといるぞ
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こんなものであろうか。
もし意図してない省略の仕方をしていたらゴラァコメントちょーだい。
では、順番に述べていくことにしようか。
1.共謀という概念は徐々に拡大解釈されるようになってきているのに、他の法との整合性を考えるなら共謀罪法の方こそ問題があるのではないか
一週間前の更新でオレが言ったセリフ、「法というものは他の法やルールなどとの整合性も非常に重要な要点であるのだから、それを無視した論などむしろ阻害にしかならない」というのは、主に人権法の時に嫌になるほど議論し尽くした中の、例えば「人権委員の選定方法は大臣並みの厳しさだ→大臣すら信用できない」というような日本の国家的システムの全てが破綻するようなものの言い方についてのセリフである。
しかしこの共謀罪の場合でのan_accusedさんのおっしゃる整合性というのは、どうも概念的な、法の中身そのものを問うようなところに視点を置いているのではないだろうか。
つまり、簡単に言えば、共謀罪は実行してない形に表れていないのに罰する法律であって、今までの刑法は形に表れないと罰せないのであるから、これは整合性を欠いている、と、こう言いたいのであろうと読み取れるが、だがこれはオレの意図していた意味での整合性とは違う話になってしまう。
オレが言いたいのは、例えばこの共謀罪はで、本来なら死刑になるような罪とそうでない罪があってそれに共謀罪がかかってくることになるのだろうが、それなのになぜか共謀罪に関しては罪の重さが逆転してしまっているような場合、簡単に言えば人殺しの共謀の罰が二年以下の懲役で、強制わいせつ罪の共謀が五年以下の懲役のような事になってしまってる場合に対しては、これはシステム的に他の法との整合性が目に見えて崩れているので間違いである、というようなことが言いたいわけである。
人によっては「強制わいせつは死刑に値すると思うのでそうすべきだ」と言ってくるかもしれないが、しかしそれはまず先に共謀罪ではなく刑法の法を先に改正すべきで、それを共謀罪に求めるのはおかしいと、オレはそう言うのである。
言ってきたわけだ。
一方共謀罪の場合、この法律ができる事によって他の法律との差異という意味ではなく両立し得ない矛盾というものが生まれ他の法律の運用に支障を来してしまうような性質のものではなく、むしろ刑法的には全く新しい概念をつくるような法律になるのだから、それの是非の議論はあってしかるべきだとは思うが、他の法がこうだから作るべきではないというような比較論で語れるようなものではないと思う。
おそらく法学の世界ではそれを比較論で語るべき学問もあるとは思うので、それはそれで否定はしないが、オレ個人としてはそのような議論には興味無いし、法の専門家ではないオレの個人的意見を述べるのであれば、別に共謀罪はかまわないと思うと、こうなるわけだ。
整合性についてちょっと齟齬があるように思う。
ちなみに、解釈が年々拡大しているという点についてだが、これも人権法に似たような問題があって、人権の定義みたいにこういう概念はやっぱり時代によって変わってくるものだと思うので、ある程度は幅を持たせるようにしておくのも大切な事なのではないかと思う。
また、共謀罪、詳しく言えば「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律案」には、もともと存在している「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律」では規定されていない組織条項などがあることから、この点についてもやはり新しい概念だと言えるのだと思うので、また今までとは別の議論が必要になるのではないだろうか。
そもそも、確かに最高裁判例は法に準ずる効力を持つが、あくまで判例は判例であって法律の法が上位に来るものであるのだから、判例に全く反した法律を作るというのも考えものではあるが、それでも法律が出来ればそれが優先されるのではないかとオレは思う。
そして共謀罪に関しては、それらの今まで積み重ねてきた議論や判例などを踏まえた上で、ある程度の規定を法律で作るのであるから、これは特に問題であるとはオレには思えない。
an_accusedさんは「適用の範囲が広がっております」とおっしゃっているが、見方を変えればそれは国民の意識の変化であり、その時代に即した形への適応だと言えるのではないだろうか。
昔は差別ではなかったのに今では差別だと意識されるような例があるのと同じように、この辺の概念の問題は時代によって変わってきてもいい、変わってきてしまうものではないかと思う。
もちろん個別にそれが本当に正当かどうかは考えるべき点だとは思うが、ある程度含みを持たせておく必要もあるのではないだろうか。
ま、判例と法律の関係については、オレは法律の専門家ではないし、法学の教育すらまともに受けていないので詳しくないんだが、もしその辺についての定説や常識などあったら教えてもらえればうれしく思う。
2.当サイトは細かく共謀罪について言及してないくせに適当な事を言うな
前回言ったこのセリフ「だからやっぱりちょっとぐらいはかじって取り扱うべきだったかなと思わなくもないんだが、やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、また無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」というのは、本更新で取り扱うほどのことではない、もっと言えば、更新用の文章として書く、もしくはやえに書かせたところで、読んでいる人に(人権法の時と比べて)新しい面白さを提供できるものにはならないと判断した、という意味合いが強い。
だからこそ、「人権法の時のバカ騒ぎを〜〜」なんていう表現を使って、読んでいる人に共謀罪の問題点はどこにあるのか、そしてそれを当サイトはどう考えているのかということを、暗に提示しているのである。
全くオレが共謀罪の事について無関心で勉強していないというわけではない。
一応それなりの資料を集め、例えば自民党幹事長室から出された「犯罪の国際化、組織化、高度情報化に対処する刑法等改正案(条約刑法)について」というタイトルの資料を手に入れたりして、情報は仕入れているつもりではある。
そこには
[指摘]
■近代刑法は、行為があった者を罰するというのが前提なのに、初めて日本の法律の中に「内心を罰する」ことが導入される。殿様が「あいつは謀反を起こすんじゃないか」と思って首を斬るようなことができてしまう。これは近代刑法では絶対にやってはいけないことだ。
[反論]
共謀罪とは具体的かつ現実的な合意をする行為を言い、内心を処罰するものではないし、漠然とした相談では共謀に当たらない。
加えて、与党修正案では、共謀に加えて、犯罪の実行に資する行為(実行の段階に至ったことの現れとなる外部的な行為)が行われたことを条件としている。
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と書いてあり、これは与党修正案の「その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合において」の部分のことだろうなと、なるほどと思っていたりしている。
人権法もそうだったが、政府案がまず作られ、その後与党、というか自民党の議員が議論に加わると、さらに良い感じな法案になることが多いので、やはりこの辺の経緯も人権法の時と似たようなところがあるなと、さらに思っている次第だったりする。
ので、「貴サイトにおいて共謀罪と現行刑法との整合性について理論面・実務面ともに具体的な検討がなされた様子は見受けられないのですが、ご自身で具体的な検討をしていないのに「共謀罪法案は特に問題があるとは思えない」と言い切るのと、「訳も分からず共謀罪に反対する」との間にはどのような違いがあるのか、疑問を抱かざるを得ません」とおっしゃっているが、まぁこれでも一応それなりには、表に出さないだけで、全く考えてないわけではないんだよって事を表明しておこう。
あと、人権法の時と状況が違う点があるとすれば、オレや当サイトの興味。
当サイトは人権の問題、人間の尊厳の問題というのは、昔からとても関心を持っていて、人権法が世間で注目をされる全然昔からずっとこの手の問題は扱ってきた。
それは過去ログを読んでもらえれば一目瞭然で、そういう経緯もあって、人権法の時は1から10までじっくりと腰を据えてサイトにて扱ったのである。
これはいつも言っているのだが、当サイトはジャーナリズムをやっているのではないので、「当サイトが興味がある=読んでいる人に伝えるべき事案である」となるので、その辺の温度差が人権法と共謀罪の扱いの差につながっているわけだ。
人によっては、人権法も共謀罪も自分には関係ないと思う人もいるだろうし、人権法は関係ないけど共謀罪は関係してくるかもと思う人も当然いるだろう。
そういう感覚は全く否定しようと思わないし、人それぞれだと思うが、だから当サイト的には人権法には強い興味と関心を持った一方、共謀罪についてはどうでもいいやぐらいにしか興味を持っていない、よって詳しくは扱わなかったという感じなのである。
そしてそのような評価につながってしまった要因の大きなものに、前回述べた「やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、まだ無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」という感情が存在するわけなのである。
すまん、長くなってしまった。
次回後半へ続く。
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