☆やえニュース☆

  この思考回路が自らを滅ぼしたというのに伝統のコンボ炸裂反権病共謀罪に思う小泉メルマガレビュー教育基本法改正について思うコトをちょっと共謀罪に思う 2共謀罪に思う 2(下)

平成18年5月16日

 この思考回路が自らを滅ぼしたというのに

 今日はちょっと短いかもしれませんが、ものすごくずっこけてしまったコトがありまして、それをみなさんにご紹介したいと思います。
 
 というのもですね、とりあえず、みなさんは『週刊金曜日』っていう雑誌をご存じでしょうか。
 ある程度は有名な雑誌ですのでご存じの方も多いかと思いますが、簡単に説明しますと、左巻き系雑誌です
 …だけだと怒られそうなんで、参考までに編集委員の方々の名前を挙げますとですね、石坂啓・落合恵子・佐高信・椎名誠・筑紫哲也・本田勝一と、まぁこれだけでどういう雑誌なのかお分かりになるんじゃないかと思われる雑誌です。
 
 で、こんな雑誌ですからやえもそう滅多に買わない、というより、雑誌名は知っていましたが今まで買ったことも、下手したら見たことも無かったかもしれません、やえにとってはその程度の雑誌だったために今まで気にもしなかったのですが、たまたま何かのキッカケでこの雑誌の表紙が目にとまってしまいまして、ついでに足が止まり、さらに頭まで止まってしまいそうになったのです。
 さすがに今時これはないんじゃないでしょうか。
 
 
 「国民投票で勝つために」って・・・。
 
 いったい彼らは何と誰と戦っているのでしょうか?
 どこに敵は存在しているのでしょうか?
 
 まぁもしかしたら彼らは彼らだけで本当に戦っているつもりなのかもしれません。
 ですから100歩譲って戦っているとしましょう、そしてその敵というのも、例えば今流行りのネット右翼とかかもしれません。
 彼らはそういう虚構の敵と必死に戦っているとしましょう
 
 しかしそれにしても、「国民投票で勝つために」って、国民投票はいつから勝負の場になってしまっていたのでしょうか。
 つまり、彼らにとっては普段主張している思想とか言論とかそういうモノは、勝ち負けのためにやっていたというコトになりますね。
 全ては相手に勝つため、相手をやりこめるため、相手より上位に立つために、日々彼らは雑誌の上で戦っているワケです。
 はぁ、それはそれは、毎日が勝負の連続で大変でしょうねぇ。
 
 
 なんだか真面目に突っ込むのもアレですけど、思想や言論ってそういうモノではありませんよね。
 少なくともやえは、相手がどうこうというコトを考えて思想をしているのではなく、まず自分の考えはどうなのかというコトを世に出して、そしてその次に出来るだけそれが支持されればいいなと思いながらやっているワケです。
 別に特定の相手を見つけて、その人に勝つために思想をしているワケではありません。
 全体の流れとしての世論というモノが、少しでもやえの望む方向に行けば、それが一番のやえの目的なのです。
 
 これも完全に手段が目的化している好例と言えるでしょう。
 確かに思想や言論において、議論をして相手を負かせてしまうという手段は、分かりやすいと言えば分かりやすい手段ではあります。
 しかしそもそも思想というものには勝ち負けなんていう概念などありはせず、例え議論に勝ったとしても、それはあくまでその人に勝っただけの話であって、思想の中身が勝ったのかどうかというのは実際には判断できません
 やえは、その議論が他人の意見を聞くことによってより思想の質を上げるためのモノであれば全然構わないと思いますし、むしろそれは思想にとっても素晴らしいコトだとは思いますが、しかし相手に勝つためだけにする議論になんの意味があるのか、全く理解が出来ません。
 いくら特定の相手を見つけ、勝つための議論を続けたとしても、それでは結局局地的な戦いにしかならないワケで、大勢的な世論の流れにはあまり影響を与えられないままに時代に取り残されてしまうコトになると思います。
 
 むしろ、これはやえの基本的スタンスですが、同じように文章を書くのであれば同じ労力を使うのであれば、特定の相手たった一人のために書くのではなく、大勢の人にとって有効になるような文章を書こうと思います。
 特定の相手だけに向けた文章を書いても、それは結果的には影響を与えられる対象というのはその議論に勝った相手だけぐらいになってしまうでしょう、これはあまりにも非効率でもあるのです。
 そうであるならば、やはり多くの人のために文章を書こうと思いますし、より多くの人の琴線に触れるような文章を書きたいと思っています
 やえはそれこそが思想の役割だと思っています。
 
 もちろん特定の相手を批判するなと言っているワケではありません。
 場合によっては、その人の思想を批判するコトで、それがいい材料となってよりよい文章が書けるコトもあるのはよくあるコトです。
 ある意味今回のこの更新もそうですね。
 しかし勘違いしちゃいけないのは、決してその人だけに向けたような、相手をやりこめるためだけの文章にしてはいけないというコトです。
 そんなモノにやえは意味も価値も見いだせません。
 
 そしてその最たるモノがこの「国民投票で勝つために」ですね。
 この国民投票は憲法改正のためのモノについてなのでしょうけど、そこで一番大切なコトとは、どうすれば日本のためになるのかと考えるコトであって、そしてそうなるためにはどのように憲法を考えるかが最も大切なのです。
 そして、改正に至るまでに、日本人がどのように憲法と向き合うのか、議論をしていくのかが一番重要なコトでしょう。
 日本をよくするための手段として憲法改正をするのです。
 または日本をよくするために憲法を改正しないという結論もあるかもしれません。
 しかし決して憲法改正が目的なのではありません
 「憲法が変わった負けたー」とか「憲法を変えさせなかったばんざーい」とか、そんなところに出口はありはしないのです。
 
 左巻きな人たちというのは、こういう手法をとり続けていたからこそ、現在のような没落があったのではないでしょうか。
 全ての面において、手段が目的化してしまっているのです。
 それは昨日挙げた例のようなコトもありますし、また左巻きの人たち特有の分かりやすい例としては、デモも挙げられるでしょう。
 多くの左巻き系のデモとは「明日のデモには○○人集めるぞー」というコトにばかり執着してしまって、では何のためにデモをしているのか、どのような思想を世に主張しようとしてデモをしているか、こういう意識がスッパリ抜け落ちている人が本当に多いんですね。
 学生運動なんて、後期はこのようなところばかりになって、今ではすっかりと見られなくなったワケです。
 
 そして今もそのような手法によってどんどんその手の人たちの言葉は一般の人たちから見放されていっているのです。
 
 どうしてそんな失敗をこういう人たちは省みて反省して次に活かしていこうと思わないのでしょうか。
 こういうコトをしていたからこそ没落していったのに、いまだに『週刊金曜日』というそっちの人たちにとってはそれなりのクオリティーペーパーこそがますますその道を突き進んでいるワケです。
 先頭に立つような人たちが率先して破滅の道を突き進んでいるのです
 やえは残念ながら良質な左翼思想というモノをやえは見たことがありません。
 それはたまたまなのかもしれませんが、しかしかの『週間金曜日』においても未だにこのような闘争史観にとらわれたままであるこの事実には、やえは何とも言えない驚きしか感じませんでした
 
 結局なんだかいつも通りの長さになってしまいましたが、やえは本屋でたまたまこの表紙を見たときに、こりようなコトが走馬燈のように駆けめぐり、そしてずっこけてしまったのでした。
 

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平成18年5月17日

 伝統のコンボ炸裂

 さて、本日予定通り衆議院厚生労働委員会にて、いわゆる強行採決と呼ばれるようなドタバタ劇が執り行われました。
 
 以前やえは、厚生労働委員会はいつか必ず強行採決が行われるとふんでいるという趣旨の更新をしたコトがありましたが、おかげさまで見事的中させていただいたコトになります。
 ありがとうございます。
 
 そもそもこういうの一般的には「強行採決」と言って、なにやら与党の方が強行に裁決を取ろうとしているんだという印象を与えようとしていますけれども、でも実際は、野党が委員長に襲いかかるというただの暴力行為以外何者でもないハズなんですよね。
 国会という場は、物事を議論しひとつの結論を出そうとするワケですから、意見の対立が必ずあります。
 ですので、ギリギリまではお互いに歩み寄れるよう話し合いをするコトになりますけど、しかしそれでもその溝が埋まらない時もあります。
 ではその時はどうするのかと言えば、それはもう民主主義のルールに則って多数決をとるしかありません。
 議事進行日程にしても、これは委員会の理事会にて協議されるワケで、そこでもしお互いに歩み寄りが出来なかったら、やはり多数決で決めるしかないでしょう。
 で、この強行採決と呼ばれるモノは、つまり野党がその多数決の結果に異を唱え、実力・暴力をもってそれを変えてしまおうという行為です。
 ですから、こんなのどこにも正当性などありはしないのです。
 どうしてこんな凶行が許されるんでしょうか。
 しかもそれがなぜ与党のせいかのように言われるんでしょうかね。
 これは本来野党のただの我が儘であり、暴力行為でであるハズなんですけどね
 
 で、強行採決を仕掛けた野党は次のように言い訳をしています。

 医療法案を与党が強行可決 衆院厚労委混乱
 
 衆院厚生労働委員会は17日、高齢者の負担増や入院日数の短縮で医療給付費の抑制を図る医療制度改革関連法案について、小泉純一郎首相の出席を求め質疑を行った後、与党側が採決を強行。自民、公明両党の賛成多数で可決した。これに対し、野党議員が採決阻止のため委員長席に詰め寄り一時、混乱した。
 与党側は、18日に衆院本会議を開き、同法案を採決し、参院に送る方針だが、野党は「委員会の審議時間は短すぎて質疑が尽くされていない」として反発を強めている。

 野党は「委員会の審議時間は短すぎて質疑が尽くされていない」として反発を強めている・・・?
 へー、審議時間が短かったんですかー。
 でも民主党はちょっと前にこんなコトやってませんでしたっけ?

 はや小沢流、対決色鮮明 審議拒否戦術、がん法案めぐり攻防
 
 民主党は十二日、衆院厚生労働委員会への出席を終日拒否する“審議拒否戦術”に打って出た。同日は、政府提出の医療制度改革関連法案が審議入りしたが、民主党は議員立法で今国会に提出した「がん対策基本法案」の早期審議入りを主張。与党側がこれを拒否したため、社民党などとともに審議を拒否した。小沢一郎代表の就任早々、与党との対決姿勢を示した形だ。 

 審議時間が短いって、自分たちで短くしたんじゃないですかっ
 なに言ってるんでしょうか。
 支離滅裂です
 
 ついでにこの前のやえの記事です

 どうも民主党側は前々から色々と駄々をこねていたようで、例えばなんとかの資料をいつまでに出さないと委員会開催は許さないぞとか、分かりましたその資料を出しますから了承をくださいと報告しようとしたら今度は音信不通になって連絡が取れないようにして時間稼ぎとか、まぁなんか幼稚なコトをしているようなんです。
 本来与党の方は強行採決なんてしたくないワケですが、しかし今日採決を逃してしまうと日程の関係から国会閉会→廃案となってしまう、それだけは避けなければならないというコトで、やむを得ず強行採決に踏み切るワケなんですね。
 ですから、民主党としては、強行採決という“晴れの舞台”を作り出すためには、前もってその余裕削っておくという準備段階が必要になってくるワケです。
 おそらく今日の審議拒否なんてテレビなんかでは報道されない小さな出来事でしかないワケで、今日が目的ではないのは明らかです。
 つまり全ては強行採決に向けた下準備であって、そしてその準備が完成されれば、Xデーに強行採決、そして自分で審議拒否を前からしておいて自分たちは了承してないという自作自演を理由に、本会議でも審議拒否をするという、なんとも無茶苦茶なだだっ子作戦にでるのでしょう。
 いまは準備段階なワケです。

 自分たちでコツコツと審議時間を削っておいて、よく「審議時間が足りない」なんて言えますよね
 ものすごい自作自演と言いましょうか、自分たちが過去に何を言って何をやったのか本気で覚えてないのでしょうか。 
 もしそうであるなら、医療改革法案を審議する前に、医療現場に行って治療してもらった方がいいんじゃないですか?
 
 相変わらずやることなすこと全てがぶっ飛んでいる民主党でした。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、暴力政党民主党を応援しません。
 

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平成18年5月22日

 反権病

 しばらく留守にしててごめんなさい。
 なんだか最近なぜかプチ忙しくて、プチプチって感じです。
 よく意味が分かりませんが、ニュアンスで感じ取って下さい(笑)
 
 ところで、今週の週末のニュースなどを見ていたらですね、やっぱりと言いますかなんと言いますか、野党贔屓の報道ばっかりなんですよね。
 この前更新しました強行採決もそうですし、民主党代表になってからの初めての小沢さんと小泉さんの党首討論にしても、普通に見ればこんなの勝ち負けのない穏やかな党首討論としか言いようがないようなモノだったと思いますが、それでもマスコミバイアスがかかるとあれで小沢大勝利になるようなのです。
 マスコミなんかは、小泉さんが登場してから日本がおかしくなったとよく言いますが、一番おかしくなったのは他でもないマスコミなんじゃないかと、小泉さんに一番踊らされているのは国民ではなくマスコミではないのかとやえは最近特に思うワケです。
 
 連続になって申し訳ないのですが、例えばこの前の強行採決を伝える報道でこのようなシーンがありました。
 
 
 
 これ報道ステーションなんですけどね、この丸の中の議員さんを名指しし、「両手を広げて野党議員を排除している」なんて音声をつけ、さらにその後この議員さんにインタビューをして、いかにも言い訳をしているかのような編集をしているワケです。
 しかし、この前も言いましたように、はじめに議長席に突進し暴力を働こうとしたのはまぎれもなく民主党の議員です
 民主党が暴動を起こさなければこのような騒動にはならなかったワケです
 それなのにどうして報道ステーションはそれを阻止しようとした人にだけ話を聞こうとするのでしょうか。
 話の筋からすれば、まずは議事を妨害しようと暴れ始めた人を問いただすべきなのではないでしょうか。
 例えばあまおちさんが古館さんに殴りかかったとして、それに古館さんが抵抗しようとしたら、テレビは古館さんに「なぜ暴力をふるったのですか?」と聞くのでしょうか。
 全くワケが分かりません。
 
 これでもまだ「マスコミは小泉と官邸に操作されている」などと言うのでしょうか。
 そう言っている人がいまだに多いというのがやえには全く信じられません。
 こういう人たちの平衡感覚というのは一体どうなっているのでしょうか。
 
 決して「公平中立」という言葉は、自らの意志で振れている振り子を戻そうと一方に力を入れるような行為ではありません。
 現在衆議院では完全に自民党の圧倒的多数を占めていますが、公平中立という立場は、その圧倒的多数をくじき弱者に肩入れをするという意味ではありません。
 公平中立の意味をはき違えている人が多すぎです。
 本当の公平中立とは、今ある結果がどうであろうと、事実を事実として淡々と伝えていくコトです。
 いくら結果が(自分の考えと)偏っていると言っても、それを戻そうとバイアスをかけた時点でそれは公平中立ではなくなります
 肩入れしているだけです。
 結果を作るのはマスコミではありません。
 結果は文字通り結果的に表れるモノでしかなく、振り子が結果的にどう振れようと公平中立のあり方というのは変わらない立場のハズではないのでしょうか。
 
 小林よしりん先生が編集長を務めている雑誌『わしズム』の2006年春号の中で、このような記述があります。

  今回はその関岡氏が本誌初登場だ。政治家を評価するというリスクを背負い、なおかつ、喜怒哀楽をさらけ出し、『わしズム』読者に訴えることとは何か。

 この部分の後に続くコーナーは、ノンフィクション作家の関岡さんのご寄稿であり、そしてこの文章は読んでいただくと分かると思いますが、関岡さんの簡単な紹介、前振りと言えばいいのでしょうか、「今月の特集は○○で、特に詳しい××さんにお話を伺いました」というような感じの前文の文章です。
 ので、おそらく書いたのは編集部でしょう。
 ですから関岡さんにどうこう言うつもりはありませんが、しかし「政治家を評価するというリスクを背負い」とは一体全体どういうつもりなのでしょうか。
 つまり政治家を評価するコトそれ自体が悪の行為であると言っているワケですよね
 本来、自分の考える中で評価すべきのコトは評価し、断罪すべきコトは断罪する、それが政治や思想などの文章を書く人にとっては当たり前の態度だと思っていましたが、現実はそうではなかったというコトなのでしょうか。
 おそらく関岡さんはそのような態度でもって文章を書かれていらっしゃるのでしょう。
 だからこそ「政治家を評価している」と紹介されるのだと思います。
 しかしそれはまったくもって普通のコトであり、わざわざ前文で紹介され評価を得るような事柄ではないハズです。
 政治家の行為の結果を良かったと評価するというのは悪なのでしょうか。
 政治家へは批判するコトがスタンダードでありデフォルトなのでしょうか。
 一体『わしズム』編集部はどういう感覚をしているのでしょうか。
 それとも最近のマスコミは、いや元々かもしれませんが、やはりこういう感覚にとらわれてしまって、むしろこういう感覚こそが普通なのでしょうか。
 はじめから反権力が普通である、反権力こそが公平中立だ、それが義務だなんて考えている人は、それはもはや病気だとやえは思います
 反権病です
 
 もちろんやえは、全ての人が公平中立になれとは言いません。
 当サイト自身、なんども言ってますように公平中立を旨としているワケではありません。
 ですから、自分の意見を述べるという場においては、自分の意見こそを主張すればいいと思います。
 しかし事実をゆがめて伝えるというコトは、どんな立場だってやってはならないハズです。
 自分の意見が通りやすいように事実をゆがめて伝えるというのは、最もやってはならない行為のハズです。
 目的のために手段を選ばないというのであれば、それはテロリズムと一緒になってしまいます。
 いくら主張している内容が正しくても、だからといって何をやってもいいとは決してなりません。
 暴力行為こそ日本ではあまり見られませんが、しかし同じような精神体質の人が最近増えてきているような気がするのはやえだけでしょうか。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、反権病を応援しません。
 

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平成18年5月23日

 共謀罪に思う

 この前やえが書いた共謀罪に関する更新は、いつも以上に大きな反響をもらって、やはりこの法案は関心が高いんだなぁと思った。
 だからやっぱりちょっとぐらいはかじって取り扱うべきだったかなと思わなくもないんだが、やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、まだ無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよねと。
 
 で、コメント欄同志きぐつ師のおっしゃられたコメントがちょっと気になった。

 ずっと前に拙blogでも書いたんですが、人権擁護法案同様、賛成反対どっちも支持できない、どっちもイヤ、という気持ちですね。 気持ちとしては反対してるヤツのメンツとトンデモ理屈が気に食わないから賛成だーい、と言ってるヒトの気持ちもわからないでもないけど、やはり曖昧な点は否めないのでなんか好かん。 でもって、「曖昧だから権力濫用につながる」ってな一見まっとうに見える批判も、実は落とし穴があるんでないの?というのが下の元検事の弁護士さんのお話です。 http://www.yabelab.net/blog/2006/05/14-131607.php 「権力濫用ってアナタ、今の法制でもいくらでもやれますがそれが何か?それ言い出したらキリないんじゃないですか?」(乱暴な要約)

 そうそう、気持はね、それは反対したい気持ちも分かるんだよね。
 オレも以前は盗聴法に反対表明をした身だから、そういう気持もよく分かる。
 ただ、やはり理性的にね、特にこれは法律の問題であり政治の問題なんだから、それは感情論だけではどうしようもないし、法というものは他の法やルールなどとの整合性も非常に重要な要点であるのだから、それを無視した論などむしろ阻害にしかならないと。
 
 んで、その次のan_accusedさんのコメント。

 矢部弁護士は「権力濫用の危険を言い出したらキリがない」(超訳)とのみ主張しておられるわけではなく、「国家権力を信頼に足る存在たらしめるには国民各自が権力への監視の眼を常に向けておく必要がある」という、極めて真っ当な主権者論を仰っておられるのではないでしょうか。我が国の刑事法体系をガラリと塗り替えることになるかも知れない「共謀罪の導入」にあたっては、それが濫用される危険性について慎重に検討すべきことは言うまでもないことでしょう。

 まぁ当サイト的には「国民各自が権力への監視の眼」という表現ではなくて、国民が自らの責任をもっと自覚し高い意識を持って国政に当たるべき、という表現になるんだけどね。
 「監視の目」なんて言うと、国民は変につけあがって「オレ達は偉い。国民主権だ。だからオレ達の言うことを全て聞け」というところまでぶっ飛んでしまうアホが量産されるから。
 
 でね、「反対したい気持ち」も「もしかしたら濫用されるかもしれない」というのも、まぁ分かると。
 ただ、それは法案自体を批判してもこれは意味がないというコトは人権法の時にも言ってきた。
 ではどうするのかと言えば、まぁだから「国民が高い意識を」と言うことにはなるんだが、もっと具体的に言うと、やっぱりオレは警察だと思うんだよ。
 
 例えばね、共謀罪の例でテレビかなんかで言っているものとして、沖縄の基地を建設する際の反対デモなんかを引き合いに出して「ああいう市民運動が出来なくなる」などと言ってるけど、でもああいう大規模なモノは結局は国民の審判が下されるようになるわけだろ、最終的に
 特に基地の問題だから、外交の問題や国防の問題も絡んでくる事で、だからこそこういう国策としての政府レベルの話であれば、最終的には国民の目にとまることになり評価は国家レベルでの国民的審判のもとにさらされるわけだ。
 となれば、さっきも言ったように「国民が高い意識」を持てば問題は無いと言えるのではないか。
 国民が高い意識を持ち、その上で共謀罪などの法律を国家レベルで恣意的に運用していると思うのであれば、選挙等によってその意思を反映させればよい。
 何も難しい話ではないはずだ。
 
 だが、これが警察だけで話が済んでしまうような運用の場合にはまた話が違ってきてしまう。
 
 職務質問などこれは今現在進行形で悪質な拡大解釈・違法運用がされているわけだが、しかしこれを多くの国民は知ってか知らずかほとんど問題にされないままスルーされている。
 公務執行妨害という法律もかなり悪質に使っているし、警官の犯罪をかなり軽く扱う身内に甘い体質というのもこれもかなり悪質な法令違反を犯していると言えよう。
 また、取り調べの時に未だに日本は弁護士の出席をほとんどのケースで認めていないが、これも本来は法令の悪質な曲解なのではないだろうか。
 
 このように警察レベルでは法律を恣意的運用をしても全くそれらが問題にならない現実があってしまっている。
 よって、共謀罪が出来れば、この違法警官によって悪質な拡大解釈違法捜査が行われるかもしれない。
 実際に法の恣意的運用がなされている以上、国策的な恣意的運用よりもこっちの方がよっぽど可能性は高いだろう。
 警官個人の胸の内ひとつで、逮捕されてしまうされないが決まってしまうという現実が待っているかもしれない。
 
 これを防ぐには、警察の動きというモノを、もっと国民が関心を持って監視していかなければならない、それしか手段がないと言えるのだが、しかし残念ながら国民の目は警察に対してはザルだ。
 この共謀罪に関して反対する人というのは、大きなものにばかり目がいって、政府の都合のいいように使うために作るんだと反権病だけでしかものが言えなくなってしまっている。
 非常に滑稽だ。
 いったい何のために反対しているのか、法律の恣意的運用を防ごうという気持からではないのか。
 それとも国家に力を与えたくないだけなのか。
 やはりそれはただの反権病だ。
 
 法治国家にとって民主主義国家にとって、権力側の法律の恣意的運用は非常に危険な行為である。
 それはいずれ自らの首を真綿で絞めるかのような自殺行為に等しい。
 だからいま現在進行形で行われているそのような行為をしっかりと国民は見張っていなければいけないのではないか
 法律は法律としての問題の解決に当たらなければならないし、だから共謀罪法案は特に問題があるとは思えない、しかし恣意的運用の可能性もあって、それは警察の体質によるものであるのだから、恣意的運用を防ぐためには普段から警察に対して国民がチェックの目を光らせなければならないのである。
 そんなことも分からず、分かろうともせず、法案だけを潰せばこの世の中には法律の恣意的運用が無くなると思っている阿呆が多すぎる。
 なぜ妄想の方を拡大させて可能性の低い未知なる危険性ばかりに怯え、実際にある問題には関心を持とうとしないのか
 権力は幸いなことにと言っていいのか、現在の日本ならすげ替えが可能であるが、しかし警察はそれが出来ない。
 出来ないからこそ、国民が関心を持って目を光らせるしか手段がないのである。
 
 訳も分からず共謀罪に反対する者、法案文すら読まずにシュプレヒコールと叫ぶ者、反権病という病気に侵され常に妄想と戦う者。
 日本はバカが増えているのだろうか。
 それこそ国家の危機である。
 

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平成18年5月25日

 小泉メルマガレビュー

 小泉内閣メールマガジン 第235号 ========================== 2006/05/25
 
 [らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
 ● 北陸視察
 小泉純一郎です。
 先週末、石川県の能登半島と金沢、そして富山県の高岡市を訪ねました。
 3年前の1月、もっとたくさんの人が外国から日本を訪れるようになって欲しい、日本をもっと多くの外国人が訪れたくなるような国にしていきたい、そういう思いで、「2010年までに日本を訪れる外国人を倍増させる」という目標を打ち出しました。
 
 こんにちは、やえです。
 「ようこそJAPAN」計画ですね。
 
 以来、「住んでよし、訪れてよしの国づくり」ということで、全国各地の観光地で頑張っている方々を「観光カリスマ」としてお願いし、「一地域一観光」などを進めてもらっています。
 
 カ、カリスマですか〜。
 最近聞かない言葉ですねー(笑)
 でも最近よく「ようこそJAPAN」ののぼりとか見るようになりましたし、各地域がやる気を出すいいキッカケには確実になっていると思いますよ。
 
 日本には、歴史や伝統、文化、自然など、魅力的なところがたくさんあります。こういうところをわかりやすく紹介すれば、日本人にも外国人にも楽しんでもらえるのではないか。フランスのシラク大統領もそう言っていました。
 
 日本の文化は世界のどこにもない、アジアや中国とも全く違うほどの独自の文化がありますからね。
 日本人は奥ゆかしいですから、自分の文化を自慢するかのような他国にアピールするっていうのはなかなかやりにくい部分があったと思うので、だからこそこうやってリーダーシップを取ってもらうといいキッカケとなったでしょう。
 今まではやらなかっただけで、決して資源が無いワケではないのですから、あとは国民のやる気だけです。
 この計画は必ず一定の成功をするとやえは思っています。
 
 この思いを昨年、河合隼雄文化庁長官に話し、早速、全国の旅の好きな人などから、これはいいですよというおすすめの旅を公募し、いろいろと提案してもらったところ、800件近いアイデアが寄せられた。その中からよいものを選んで「わたしの旅100選」と題して文化庁が紹介している。いつか是非、私自身も訪ねてみたいものだと思っていました。
 
 え!?
 そんなモノがあったなんて、ごめんなさい、知りませんでした。
 まぁ人のせいにするつもりはありませんが、こういうコトこそマスコミはちゃんと大々的に伝えてほしいですよね。
 調べましたら、すぐ出てきました。
 http://www.bunka.go.jp/1tabi/tabi.html
 これですね。
 
 今回は、その中でも大賞に選ばれたところを中心に、訪問することができました。
 
 ほほう。
 
 旅のはじめは輪島市。能登空港ができたおかげで、東京から直行便を利用して1時間半ほどで行くことができました。
 
 輪島市というと、あの輪島塗の輪島でしょうか。
 
 市内で、世界に誇る輪島塗とキリコというお祭りにかつぐ巨大な灯籠を視察。
 
 あたりー。
 と、さわぐほどのコトではありませんが(笑)
 しかしキリコというのはやえは存じ上げません。
 キリコと言えば手塚先生の『ブラックジャック』を真っ先に思い出してしまいますが、あの、よくテレビとかでやってる、頭とか肩とかにちょーちょー巨大な灯籠をいっぱいつけて担ぐアレのコトでしょうか?
 
 陶器のことを英語で「チャイナ」ということは知っていましたが、漆や漆器を「ジャパン」ということは知りませんでした。日本の漆芸、日本の文化、たいしたものです。いい勉強になりました。
 
 え?
 そうなんですか?
 やえも全然知りませんでした。
 ちょっと調べてみましょうか。

 japan 
 [名][U]漆;[C]漆器(japan ware). ━━[形]漆の;漆器の. ━━[動](〜ned, 〜・ning)(他)…に漆を塗る. ⇒CHINA ja・pan・ner [名]漆工. .. [さらに]
 
 Japan
 [名]日本(国)

 おー。
 頭文字が大文字の場合は国のコトを指して、小文字だと名詞で漆器、動詞で漆を塗るという意味になるんですねぇ。
 「あい じゃぱにーど あ じゃばん」と言えば、「私は漆器に漆を塗る」という意味になるのでしょうか。
 やえも勉強になりましたー(笑)
 
 そして、以前から見てみたかった白米(しろよね)町の千枚田(せんまいだ)、日本の棚田百選にも選ばれているところです。日本海に面した急斜面に、地形に沿って階段状に見事に整備された1000枚以上の田んぼ。小さなものはたたみ半畳分ぐらいしかありません。その一枚一枚に水が引かれ、青々とした苗が植えられている。田んぼにはオタマジャクシが泳ぎ、タニシもいる。久しぶりに見た懐かしい景色に、なんだか嬉しくなりました。
 
 目を閉じれば浮かんできそうな日本の古き良き風景ですね。
 小泉さんは横須賀生まれだったと思うのですが、それでも小泉さん今年で62歳ですから、50年も前だと日本中がこんな風景だったのでしょう。
 心安らぐ一場面ですね。
 
 景観の美しさもさることながら、急な斜面でもあきらめず、苦労して田んぼを切り開いた先人たちの努力に頭が下がりました。現在は4軒の農家が耕しているそうですが、大変な作業だと思います。こういう美しいものを私たちは守っていかなければならないと思いました。
 
 そうですね。
 もともと日本という国土は平野が少ない地域ですから、はじめから大規模な農業には不向きなんですよね。
 また、お米という稲という植物は、もともとは暖かいところで育つ植物なんだそうで、今では米所というと東北の方がイメージされますが、しかし本来はその辺では寒くて育たない植物らしいんですね。
 でも日本人には知恵があって、苦労して工夫して、東北地方でも育つように品種改良し、そして今では世界一のお米を作っているワケです。
 先人達の偉大さは今につながっているんですね。
 
 その晩は、全国から温泉客を集めている和倉温泉で一泊。最近は台湾からの観光客も多いそうです。温泉につかり、輪島塗の素晴らしい器に盛られた海の幸を堪能することができました。
 
 おー、なんだかとっても贅沢してますねー。
 うらやましいです。
 やえも連れてってください(笑)
 
 翌日は、金沢に移動し、旧制四高の校舎だった赤煉瓦の建物にある近代文学館で、学生時代ここで柔道に明け暮れたという井上靖の作品に思いをはせ、兼六園、武家屋敷跡、九谷焼の窯元(かまもと)をまわりました。
 高岡市では、土蔵造りの町家、そして江戸時代に北海道と北陸、関西などの間を結び昆布や反物、米などを運んだ北前船の廻船問屋の屋敷など、歴史的な建物や街並みを視察しました。
 
 まわりまくる小泉さん(笑)
 いろいろなところに行かれるのはいいですが、じっくりと見るコトが出来たでしょうか。
 まぁあまり時間がないですしね。
 いつかの国会答弁で、「国会議員を辞めた後なにをするかというコトは、辞めた時に考えます」なんておっしゃっておられましたが、いつか総理も国会議員も辞められた時、またじっくりと観光されてみてください。
 広島にも来てみてくださいね。
 
 今回は、いずれも駆け足で見てまわっただけでしたが、見所は盛りだくさん。日本には、観光資源がいっぱい眠っていると実感しました。
 
 やっぱりじっくりとはできませんでしたか。
 仕方ないですね。
 
 日本中、それぞれの地域にそれぞれいいところがあります。もっとPRすべきことがたくさんあります。日本の歴史や伝統、文化、自然を大切にしながら、日本人にも外国人にも楽しめる、そして地域振興の役に立つ街づくりを考えていただきたいと思います。
 
 しっかりと環境を整えたら絶対に日本の観光立国は成功すると思います。
 それだけのモノが日本にはあると、日本人として自信を持って言えますから。
 
 「街づくりで大切なのは、女性にやさしく、高齢者に安全で、そして外国人にわかりやすいこと」とおっしゃるのは、木村尚三郎先生。私も、美しく、やさしく、安全で、わかりやすい国づくりを進めたいと思います。
 
 そうですね。
 逆にやえが外国に行こうと思うとき、やはり何が一番心配かと言えば、言葉が通じないコト、文字が読めないコト、安心できないコトだと思います。
 ですからここさえクリアすれば、もっともっと観光客は増えるでしょう。
 幸いなコトに、国内では色々と言われていますが、それでも外国に比べれば格段に安全な国です。
 夜に女が一人歩きしても、よほどのコトが無い限り安全に歩くコトができます。
 こういう日本にもともとある素材を上手く活用して、観光につなげていきたいですね。
 
 
 
 [官邸こぼれ話]
 ● カルガモ
 
 この季節になると官邸にはどこからともなくカルガモの親子がやってきます。官邸周辺は隙あらば子ガモを連れ去ろうとするカラスや官邸に出入りする車など、カルガモ親子にとっては危険がいっぱいです。
 
 カ、カモー−−!!
 かわいーですねー!!
 
 先日はいつも泳ぎまわっている北西角にある池から官邸正面の池を目指して約200mの長い坂を登る大冒険に挑戦。VIP待遇で官邸の門をくぐり、ひとしきり官邸前庭の池で泳ぎまわった後は、官邸職員に誘導され、西門側の池に戻っていきました。
 カルガモ親子は、子ガモが少し成長するとまたどこへともなく姿を消していきます。ここで生まれた子ガモがいつかまた成鳥となって訪れてくれることもあるかもしれません。初夏を告げるかわいいお客さんは、官邸であわただしく働く職員の心を和ませています。
 
 しょ、職員さんはなにをしているのでしょうか。
 カルガモ係なんでしょうか(笑)
 しかし官邸は、サクラが満開になったり、<s>あやしい</s>キノコが生えたり、カルガモ親子がやってきたりと、自然がいっぱいなんですねぇ。
 また来年もカルガモ親子が来てくれればいいですね。
 
 
 
 [編集後記]
 総理の仕事は激務です。国会での答弁、定例の閣議・経済財政諮問会議等の連日の重要会議、重要事案の説明聴取、外国首脳との会談、内外要人の応接等、朝から分刻みの日程です。さらに、就任以来5年間の外国訪問は、総飛行距離72万7,900キロ、地球18周分に相当し、歴代総理の中で一番です。
 
 じんえん先生、こんにちは。
 小泉さんは、やっぱりなにはともあれ外交がお好きで、そして得意でいらっしゃいますから、これも当然の結果でしょう。
 このご努力は必ず近い将来日本にとってよい結果をもたらすと思います。
 しかしそれにしても地球18週分とはスゴイですね。
 
 ここ数日の主な日程を見ても、土、日曜に、文化庁が紹介している「わたしの旅100選」の大賞に選ばれた石川・富山両県を視察。月曜日の朝9時から第1回の財政・経済一体改革会議、午後は医療制度改革法案等を審議する参議院本会議で答弁。昨日は、9時から13時まで教育基本法案の委員会審議、引き続きマレーシアのアブドラ首相、インドネシアのカッラ副大統領との会談。今日は、丸1日参議院で行政改革関連法案の委員会審議に出席。明日は、朝の閣議後、沖縄県に出かけ17の国・地域が参加する太平洋・島サミットで共同議長を務めます。
 このような激務を精力的にこなされる小泉総理の強靭な気力と体力に頭が下がる思いです。(じん
えん)
 
 基本的に国会議員さんの体力と気力はバケモノですからね。
 じんえん先生だって負けず劣らずかなりタイトなスケジュールだと思います。
 小泉さんも、就任当初に比べればもうかなり白髪が増えていますし、というか今はほとんど真っ白ですよね、相当な激務なのが想像されます。
 大好きな観劇等もいつもよりは全然出来ていないでしょうし、みさなん本当に日本のためにありがとうございます。
 どうぞ、あと残すところ4ヶ月となってきましたが、最後までお体に気をつけて頑張ってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、らいおんはーとを応援しています。
 

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平成18年5月29日

 教育基本法改正について思うコトをちょっと

 今日は、教育基本法改正についての動きについて、ちょっとだけお話をさせていただきたいと思います。
 
 先日、衆議院にて特別委員会が設置されまして、過去にもずっと教育基本法の改正については話題に上がっていましたが、これによって改正が俄然現実味を帯びてきました。
 それに伴い、やはり国民の間でも関心の高い問題ですから、色々と話題になり大きく議論になっていますね。
 しかしやえはそんな動きの中でひとつ気になるコトがあるのです。
 
 というのも、まぁもちろん議論されるというコトは良いコトだと思いますけど、でもなんだか最近の議論は、国会に上げられる法案の法文そのものに対する議論ばかりが目立っているような気がするのです。
 自民党が出した法案はどうだ、民主党が出した法案はどうだ、あそこの条文はこう書いた方がいい、この条文はいかがなものだろうか。
 最近はこういう議論ばかりな気がしてなりません。
 しかしですね、やえは果たしてそんな議論は本当に国民のレベルでやるべきコトなのかと、ちょっと疑問に思うんですね。
 もちろん「やってはならない、そんなコトは全くの無意味だ」と言うつもりは全然ありませんけど、それでもそれだけに終始するというのもどうかと思うのです。
 教育基本法はあくまで基本的な法です。
 それだけに大切だという考え方もその通りでしょうけど、でも具体的にどうするのかというコトまでをそこまで細かく定めているワケでもありません。
 やえは大切なのは現場で子供達に何を教えるかだと思います。
 しかし基本法だけでは、そこまでを具体的にどうするのかというコトを定めているモノではありません。
 ですから、政治家の議論では法文こそがもっとも大切ですが、一方国民レベルでは国民こそが法文だけの議論に留まらない総合的な教育というモノに対しての議論こそを今すべきなのではないかと思うのです。
 
 例えば愛国心の問題が一番よく取りざたされていますが、変な話、別に今までの改正前教育基本法の下でも愛国心を教えようと思えば教えられたハズです。
 というか、本来なら、国際的な平均値などを鑑みて、ある程度の愛国心教育・郷土愛教育・国史的な見地からの教育というモノを実施しておかなければならなかったハズです。
 別に今の教育基本法が悪いモノだからこれらが行われなかったのではありません
 ではなぜそれが今までなされなかったのかと言えば、それは現場が悪かったのです。
 一昔前の、地域によっては現在進行形での、日教組や全教などの教師が、むしろ反日的な教育を意図を持って子供達に教え込もうとしたからです。
 これらはもう言うまでもないコトですよね。
 しかし、教育基本法はそのような教育を目指して作られた法律ではありません。
 ただ、それらを禁止はしていないというだけで日教組的な教育がはびこってしまっただけです。
 つまり、逆に言えば、今の基本法でも世界標準的な愛国教育をする分には、十分に行えるワケなのです。
 
 その上でどうして今のような教育現場になってしまったのかと言えば、もちろん日教組などの悪意ある反日的教育のせいでもあるのですが、さらに言えば、そのような現場をある程度是認黙認してきた国民というのも、これは無視できない点だと思います。
 今でこそ日教組的な教育は問題だと議論されるようにはなりましたが、十数年前までは異論の声を挙げるだけでも大変だったという状況だったワケで、そんな状況の下で長年日教組的教育が行われてきたという歴史があるワケです。
 ちょっと前までの広島なんていうのは、これはあまおちさんの方が詳しいでしょうけど、それはもう散々たるモノがあったと聞いています。
 そしてその影響をモロに受けた子供達が今、社会の中でそれなりの地位を占めている、段階の世代がそろそろ引退の時期、次の世代はこの日教組的教育を受けた世代が担ってくるようになってきていますよね。
 こういう時期が少なからずあったというコトは、それは国民もある程度是認していたと言っても、否定は出来ない事実だと言えるでしょう
 
 現在の教育基本法の改正の動きに対して、政治家が口を出すようなコトじゃないとかそういう主張をしている人もいますけど、しかし今の動きというのは、一昔前までのそういう常軌を逸してしまっていた教育を正すための致し方ない介入という側面が非常に強いと言えるのではないかと思うのです。
 一部の悪意ある人たちが教育を歪め、国民がそれを完全に阻止できなかった、その事実を前に、政治家としてはそれを正さなければならないと、大局的に言えばそのような動きになったんだとやえは思います。
 もはや教育基本法を改正しなければならないところまで国民全体として追い込んでしまった、この一連の動きはそのツケだと言えるのではないでしょうか。
 
 教育基本法が改正されれば、こういう事情も合わせて、ある程度の方向付けはされると思います。
 そうしないと改正の意味を成さないのでこれは仕方ないと言えますが、しかしそれでもあくまで基本法は基本的なモノです。
 ですから、国会で議論される法文の議論をするのはそれはそれで結構だとは思いますが、しかし一番大切なのは、やはり現場でどのような教育を施すのか、そしてこれからどのような方向に日本の教育は進めていくべきなのか、そういう思想的な議論こそが最も大切だと思います。
 むしろ、そういう思想的な議論が行われ方向付けがなされないと、いくら基本法を変えても意味がありません。
 愛国心の議論ひとつとっても、基本法の条文の書き方をいちいちあげつらうかのように論じるのではなく、賛成にしても反対にしても、例えば外国はどのような愛国教育を行っていて、結果的にどのようになっているのか、教科書はどのような記述で、また選定の方法はどうなっているのか、このようなコトを議論すべきなのではないでしょうか。
 そしてそれらの議論の積み重ねによって、国民が世論として一定の方向を向くようになって、はじめて現場としての教育が動いていくのではないかと思うのです。
 
 教育は大切だと全ての人が言います。
 しかし具体的な話になるととたんに興味が薄れ、他の話に目が映ってしまいがちだったりします。
 ですから、この基本法改正というのは、よいキッカケだと思って、実質的に基本法改正は教育改革の出口なのではなく入り口なのですから、これを良い国民的な議論のキッカケにしていくコトが大切なのではないかと、やえは思っています。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、大局的な見地からのしっかりした教育議論を応援しています。
 

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平成18年5月30日

 共謀罪に思う 2

 最近妙にやる気が出ないオレだー。
 サンダー。
 
 というわけで、先週共謀罪についてちょっとだけよん触れたところ、またまたan_accusedさんよりコメントをもらったので、今日はそれについて書いていこうと思う。
 コメントさんきゅー><
 まずはコメント欄を引用。

 前エントリーに投稿させていただいた私のコメントをお取り上げいただき、ありがとうございます。 2点ほど感想を述べさせていただきます。
 
 まず、「特にこれは法律の問題であり政治の問題なんだから、それは感情論だけではどうしようもないし、法というものは他の法やルールなどとの整合性も非常に重要な要点であるのだから、それを無視した論などむしろ阻害にしかならないと。」とご指摘になっておられる点についてですが、我が国の共謀概念は、大判昭和36年5月28日以来、実務上拡大を繰り返し、最決平成15年5月1日に至り「概括的・確定的認識と認容、黙示的な意思の連絡という2つの主観的要件が充足されれば共謀が成立する」というところまで適用の範囲が広がっております。
 原則として実行行為の存在を処罰の前提とする現行法では、確定した実行行為とそれに至る経緯という外形的な事実関係から遡って共謀の範囲をある程度限定し、刑事責任を負うべき者の範囲を認定することができますが、具体的な結果が発生していない段階で、まだ本当に生じるかどうか不確実な危険を生じさせたことを根拠として処罰することを目的とする「共謀罪」の場合は、そのような外形的な事実関係から刑事責任を負うべき者の範囲を確定することが困難です。そしてこの困難性は「他の法やルールなどとの整合性」の観点から無視することができないと私は考えていますので、前コメント欄において「導入には慎重な検討を要する」と申し上げた次第です。
 前エントリーを拝見する限り、また本エントリー冒頭における「だからやっぱりちょっとぐらいはかじって取り扱うべきだったかなと思わなくもないんだが、やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、まだ無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」とのご発言を拝読する限り、貴サイトにおいて共謀罪と現行刑法との整合性について理論面・実務面ともに具体的な検討がなされた様子は見受けられないのですが、ご自身で具体的な検討をしていないのに「共謀罪法案は特に問題があるとは思えない」と言い切るのと、「訳も分からず共謀罪に反対する」との間にはどのような違いがあるのか、疑問を抱かざるを得ません。
 
 次に、「この共謀罪に関して反対する人というのは、大きなものにばかり目がいって、政府の都合のいいように使うために作るんだと反権病だけでしかものが言えなくなってしまっている。」というご指摘ですが、他の方々は存じ上げませんが、私はまさにいま現在進行形で行なわれている共謀概念をめぐる刑事司法実務を踏まえたうえで、その恣意的運用の危険性について危惧を抱いております。また、前エントリー中で引き合いに出しておられた「住居(建造物)侵入罪の適用」についても、管理者に無断で防衛庁官舎に立ち入ったビラ配布者に対する逮捕・起訴は妥当であると考える一方、高校敷地外(正門前)でのビラ配布者に対して建造物侵入罪を適用し現行犯逮捕することは不当であると考えており、これに異議を唱えております。
 共謀罪について疑問を抱いている者が、現在進行形で行なわれている法律の恣意的運用に関心を示していないとなぜ言い切れるのか不思議に感じました。
 
 以上、雑駁な印象ですが、エントリーを拝読して感じたことをコメントさせていただきました。

 長いなっ。
 ま、かなり大まかに省略を試みるのであれば

 1.共謀という概念は徐々に拡大解釈されるようになってきているのに、他の法との整合性を考えるなら共謀罪法の方こそ問題があるのではないか
 2.当サイトは細かく共謀罪について言及してないくせに適当な事を言うな
 3.自衛隊官舎への無断立ち入りによるビラ捲きは違法だが、他の事例では不当であると考えられるものがある
 4.法の恣意的運用に関心を持っている人はちゃんといるぞ

 こんなものであろうか。
 もし意図してない省略の仕方をしていたらゴラァコメントちょーだい。
 
 
 では、順番に述べていくことにしようか。
 
 1.共謀という概念は徐々に拡大解釈されるようになってきているのに、他の法との整合性を考えるなら共謀罪法の方こそ問題があるのではないか
 
 一週間前の更新でオレが言ったセリフ、「法というものは他の法やルールなどとの整合性も非常に重要な要点であるのだから、それを無視した論などむしろ阻害にしかならない」というのは、主に人権法の時に嫌になるほど議論し尽くした中の、例えば「人権委員の選定方法は大臣並みの厳しさだ→大臣すら信用できない」というような日本の国家的システムの全てが破綻するようなものの言い方についてのセリフである。
 しかしこの共謀罪の場合でのan_accusedさんのおっしゃる整合性というのは、どうも概念的な、法の中身そのものを問うようなところに視点を置いているのではないだろうか。
 つまり、簡単に言えば、共謀罪は実行してない形に表れていないのに罰する法律であって、今までの刑法は形に表れないと罰せないのであるから、これは整合性を欠いている、と、こう言いたいのであろうと読み取れるが、だがこれはオレの意図していた意味での整合性とは違う話になってしまう。
 オレが言いたいのは、例えばこの共謀罪はで、本来なら死刑になるような罪とそうでない罪があってそれに共謀罪がかかってくることになるのだろうが、それなのになぜか共謀罪に関しては罪の重さが逆転してしまっているような場合、簡単に言えば人殺しの共謀の罰が二年以下の懲役で、強制わいせつ罪の共謀が五年以下の懲役のような事になってしまってる場合に対しては、これはシステム的に他の法との整合性が目に見えて崩れているので間違いである、というようなことが言いたいわけである。
 人によっては「強制わいせつは死刑に値すると思うのでそうすべきだ」と言ってくるかもしれないが、しかしそれはまず先に共謀罪ではなく刑法の法を先に改正すべきで、それを共謀罪に求めるのはおかしいと、オレはそう言うのである。
 言ってきたわけだ。
 一方共謀罪の場合、この法律ができる事によって他の法律との差異という意味ではなく両立し得ない矛盾というものが生まれ他の法律の運用に支障を来してしまうような性質のものではなく、むしろ刑法的には全く新しい概念をつくるような法律になるのだから、それの是非の議論はあってしかるべきだとは思うが、他の法がこうだから作るべきではないというような比較論で語れるようなものではないと思う。
 おそらく法学の世界ではそれを比較論で語るべき学問もあるとは思うので、それはそれで否定はしないが、オレ個人としてはそのような議論には興味無いし、法の専門家ではないオレの個人的意見を述べるのであれば、別に共謀罪はかまわないと思うと、こうなるわけだ。
 整合性についてちょっと齟齬があるように思う。
 
 ちなみに、解釈が年々拡大しているという点についてだが、これも人権法に似たような問題があって、人権の定義みたいにこういう概念はやっぱり時代によって変わってくるものだと思うので、ある程度は幅を持たせるようにしておくのも大切な事なのではないかと思う
 また、共謀罪、詳しく言えば「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律案」には、もともと存在している「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律」では規定されていない組織条項などがあることから、この点についてもやはり新しい概念だと言えるのだと思うので、また今までとは別の議論が必要になるのではないだろうか。
 そもそも、確かに最高裁判例は法に準ずる効力を持つが、あくまで判例は判例であって法律の法が上位に来るものであるのだから、判例に全く反した法律を作るというのも考えものではあるが、それでも法律が出来ればそれが優先されるのではないかとオレは思う。
 そして共謀罪に関しては、それらの今まで積み重ねてきた議論や判例などを踏まえた上で、ある程度の規定を法律で作るのであるから、これは特に問題であるとはオレには思えない。
 an_accusedさんは「適用の範囲が広がっております」とおっしゃっているが、見方を変えればそれは国民の意識の変化であり、その時代に即した形への適応だと言えるのではないだろうか
 昔は差別ではなかったのに今では差別だと意識されるような例があるのと同じように、この辺の概念の問題は時代によって変わってきてもいい、変わってきてしまうものではないかと思う。
 もちろん個別にそれが本当に正当かどうかは考えるべき点だとは思うが、ある程度含みを持たせておく必要もあるのではないだろうか。
 
 ま、判例と法律の関係については、オレは法律の専門家ではないし、法学の教育すらまともに受けていないので詳しくないんだが、もしその辺についての定説や常識などあったら教えてもらえればうれしく思う。
 
 
 2.当サイトは細かく共謀罪について言及してないくせに適当な事を言うな
 
 前回言ったこのセリフ「だからやっぱりちょっとぐらいはかじって取り扱うべきだったかなと思わなくもないんだが、やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、また無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」というのは、本更新で取り扱うほどのことではない、もっと言えば、更新用の文章として書く、もしくはやえに書かせたところで、読んでいる人に(人権法の時と比べて)新しい面白さを提供できるものにはならないと判断した、という意味合いが強い
 だからこそ、「人権法の時のバカ騒ぎを〜〜」なんていう表現を使って、読んでいる人に共謀罪の問題点はどこにあるのか、そしてそれを当サイトはどう考えているのかということを、暗に提示しているのである。
 全くオレが共謀罪の事について無関心で勉強していないというわけではない。
 一応それなりの資料を集め、例えば自民党幹事長室から出された「犯罪の国際化、組織化、高度情報化に対処する刑法等改正案(条約刑法)について」というタイトルの資料を手に入れたりして、情報は仕入れているつもりではある。
 そこには

  [指摘]
 ■近代刑法は、行為があった者を罰するというのが前提なのに、初めて日本の法律の中に「内心を罰する」ことが導入される。殿様が「あいつは謀反を起こすんじゃないか」と思って首を斬るようなことができてしまう。これは近代刑法では絶対にやってはいけないことだ。
 
 [反論]
 共謀罪とは具体的かつ現実的な合意をする行為を言い、内心を処罰するものではないし、漠然とした相談では共謀に当たらない。
 加えて、与党修正案では、共謀に加えて、犯罪の実行に資する行為(実行の段階に至ったことの現れとなる外部的な行為)が行われたことを条件としている。

 と書いてあり、これは与党修正案の「その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合において」の部分のことだろうなと、なるほどと思っていたりしている。
 人権法もそうだったが、政府案がまず作られ、その後与党、というか自民党の議員が議論に加わると、さらに良い感じな法案になることが多いので、やはりこの辺の経緯も人権法の時と似たようなところがあるなと、さらに思っている次第だったりする。
 ので、「貴サイトにおいて共謀罪と現行刑法との整合性について理論面・実務面ともに具体的な検討がなされた様子は見受けられないのですが、ご自身で具体的な検討をしていないのに「共謀罪法案は特に問題があるとは思えない」と言い切るのと、「訳も分からず共謀罪に反対する」との間にはどのような違いがあるのか、疑問を抱かざるを得ません」とおっしゃっているが、まぁこれでも一応それなりには、表に出さないだけで、全く考えてないわけではないんだよって事を表明しておこう。
 
 あと、人権法の時と状況が違う点があるとすれば、オレや当サイトの興味。
 当サイトは人権の問題、人間の尊厳の問題というのは、昔からとても関心を持っていて、人権法が世間で注目をされる全然昔からずっとこの手の問題は扱ってきた。
 それは過去ログを読んでもらえれば一目瞭然で、そういう経緯もあって、人権法の時は1から10までじっくりと腰を据えてサイトにて扱ったのである。
 これはいつも言っているのだが、当サイトはジャーナリズムをやっているのではないので、「当サイトが興味がある=読んでいる人に伝えるべき事案である」となるので、その辺の温度差が人権法と共謀罪の扱いの差につながっているわけだ。
 人によっては、人権法も共謀罪も自分には関係ないと思う人もいるだろうし、人権法は関係ないけど共謀罪は関係してくるかもと思う人も当然いるだろう。
 そういう感覚は全く否定しようと思わないし、人それぞれだと思うが、だから当サイト的には人権法には強い興味と関心を持った一方、共謀罪についてはどうでもいいやぐらいにしか興味を持っていない、よって詳しくは扱わなかったという感じなのである。
 
 そしてそのような評価につながってしまった要因の大きなものに、前回述べた「やはり人権法の時のバカ騒ぎを渦中で感じるとね、まだ無駄に疲れるだけかなと安易に想像できるので及び腰になるよね」という感情が存在するわけなのである。
 
 
 
 すまん、長くなってしまった。
 次回後半へ続く。
 

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平成18年5月31日

 共謀罪に思う 2(下)

 続きダー。
 
 3.自衛隊官舎への無断立ち入りによるビラ捲きは違法だが、他の事例では不当であると考えられるものがある
 
 他の事例とは、「高校敷地外(正門前)でのビラ配布者に対して建造物侵入罪を適用し現行犯逮捕する」という件らしい。
 うーむ、残念ながらオレはこれ知らないなぁ。
 この情報量だけではなんとも言えない部分もあるんだが、仮にこれだけが情報の全てであるのであれば、確かにこれはかなり問題な行為だと言えるだろう。
 ま、未成年者をターゲットにする気満々で、そんな子供に自らの政治信条を刷り込もうとするような下劣な手法をとろうとする馬鹿も大概に阿呆だとは思うし、おそらくこういう阿呆は自分がやっている行為を政治とは露程も思っていないような大馬鹿なんだろうが、それはまた別の話であって、確かに建造物に進入してないのに建造物侵入で逮捕したのであれば、かなりな不当行為、不法行為だろう。
 というか、拡大解釈とかそういうレベルではない気がするが。
 だから、こういうのはどんどん世に知らしめて、どんどん問題化させるのがいいと思う。
 いつぞややえに書かせたかなんかしたように、この手の事で一番の問題は、国民が関心を持たない事であり、結果的に黙認してしまっているような状態こそが一番危険なのだから、それは職質もそうだし、極論すれば小泉訪朝前の拉致問題だったそうだったわけで、これは是非問題にしていってほしいな。
 
 後でオレも調べておくか。
 
 
 4.法の恣意的運用に関心を持っている人はちゃんといるぞ
 
 おそらくan_accusedさんは、今回ここを一番訴えたかったのではないかと思う。
 少なくとも自分は違うぞ、と。
 
 ただ、これはなんと言ったらいいのか、はっきり言ってしまえば、そんなことをいちいち気にすんなよと言いたい。
 というのも、自分がそうでないと信じ、自信を持って、外に向かって言葉を発信し続ければ、読んでくれる人というのはキチンと正しい評価をしてくれる
 それでいいじゃないかと思うわけだ。
 
 これは今回の事に限った話ではない。
 例えば最近ネット右翼なる言葉が流行ってるようだが、どのような根拠でネット右翼と選定するのかオレにはよく分からないのだけれども、おそらく人によっては当サイトもネット右翼と分類する奴もいるだろう。
 しかしだ、いくら他人がネット右翼ネット右翼と馬鹿の一つ覚えのようにレッテルを貼って自分を安心させようとほざいたところで、オレはそんな浅はかなレッテルなど気にもしないし、当サイトはそんなチンケな言葉だけで表現されるほど安易な存在ではないと評価してくれる人はちゃんといるのだと、オレは自信を持って断言できる
 反人権法案活動に反対する奴は工作員だとか、ミーガン法に反対する奴は異常ロリコン犯罪者だとか、可愛そうなぐらい脳みそが軽いんじゃないかと思わざるを得ないようなこういうものの言い方をする奴なんざごまんといるわけだが、しかしオレはそんなに気にしない。
 なぜなら、そんな空気よりも軽い脳みそから作られたレッテルなんぞ屁の役にも立たないぐらい、当サイトは内容が充実していると自信があるし、そう評価してくれている人が少なからずいると確信しているからだ。
 発信者として何が一番重要なのかと言えば、それは発信する内容である。
 決して人の評価ではない。
 人の評価は発信者が決めるものなのではなく、結果としてついてくるものに過ぎない。
 であるならば、他人の評価など吹き飛ばすほどの勢いと覚悟とで日々良質の内容の文章を創り出そうとするのが発信者としての本道なのではないかと、オレは思っているわけだ。
 
 もちろん、名指しされた場合はそうとも言えないこともあるだろう。
 当サイトも人権法の時など、全くの筋違いの訳分からん言いがかりを名指しでされたこともそれなりにある。
 その場合には、まぁ付き合って反論したこともある。
 それはそれで致し方ない場合もあるだろう。
 ま、今でもたまに、脳みそがわいているとしか思えない言いがかりをつけられることもあって、あまりのわき具合に相手にする気力も起きないような阿呆もいたりするから、放置することもままあるんだがな。
 それはともかく、だから一週間前のオレの更新は決してan_accusedさんを名指しして「現在進行形で行なわれている法律の恣意的運用に関心を示していない」と、導入のために引用はさせてもらったが、そう言っているつもりは全くないので、むしろan_accusedさんにおかれては、こういう事例もあるぞと、こういう問題もあるぞと、ちゃんと主張している人間はここにいるんだぞと、堂々と胸を張って自信を持って活動していただきたいと思う。
 いくら「自分は違う」と主張したところで内容が駄目なら読者から「やっぱり同じやん」と思われるだけだろうし、「自分は違う」と言わなくても内容がしっかりしているなら読者から「この人は他とは違う」と評価されるだろう
 ここが一番大切なのである。
 
 なんでもそうだが、例外をいちいち抜き出して、○○と△△以外の××は〜〜なんだ、とか言い出したらきりがないので、やはり抽象的な総論的にはどのような傾向が見えてくるのかという表現の仕方はせざるを得ない場面も出てきてしまう・
 本気で当サイトは共謀罪については人権法の時の馬鹿騒ぎが嫌で取り扱わなかったという事情があるし、そして共謀罪に反対している者の中の多くはそのような馬鹿騒ぎ組がいるというのも否めない事実だとan_accusedさんも思われるのではないかと推測されるので、このような表現は大目に見て欲しい。
 そして自分は違うんだと自信を持って主張を続けて欲しい。
 
 少なくとも、当サイトは人権法の時には他のサイトやブログとあまり連携することもなく、孤軍奮闘、己の信じる道を突き進み、そして一定の効果を出すことが出来たであろうと思っている。
 それは、他人がどう当サイトのことを言おうと、どうレッテルを貼ろうと、自分が正しいと信じる主張を自分の信じる方法で発信し続けた結果なのだと思う
 そして当サイトを読んでくれている方々は、それを理解しているとオレは胸を張って言えるであろう。
 自分を信じて自信と誇りを持って主張し続ければ、必ず理解してくれる人はいるはずなのである。
 

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