ちょっと日本の独自国防概念「専守防衛」についておさらいをしておきましょう。
専守防衛とは呼んで字のごとく「専ら(もっぱら)守る防衛」であり、言い換えれば「守り専門」「反撃せずに防御一辺倒」と言ってもいいでしょう。
武具で言えば、盾は持っていますが、矛は持っていないのです。
ちなみに公式的には
相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のために必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」(平成16年版防衛白書)
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となっています。
具体的には、敵攻撃機が日本の領域に入ってきたら打ち落とす、敵船が日本の領域に入ってきたら沈める、敵兵が上陸してきたら撃ち返す、という意味になります。
いま流行りのミサイルで言えば、ミサイルが日本に向かってきているのであればそれを打ち落とすコトはできます。
しかし敵機であろうと敵船であろうと敵兵であろうとミサイルであろうと日本に攻撃をしてきたとしても、それを理由に相手国に日本側が攻め込むコトは出来ませんし、盾の役割を超えるような反撃もするコトは出来ません。
それが専ら守る防衛、「専守防衛」です。
おそらく世界的に見てもこのような防衛概念はとても特殊でしょう。
そもそも人間的と言っていいでしょう、普通の感覚を持っていればこのような防衛概念というのはあり得ません。
だって、相手が殴ってきても、それを両手でガードしたりよけたりするのは出来るけど、こっちは殴ってはいけないと言っているワケですから、これはけっこう無茶な話なワケです。
ですから、日本人の中にも憲法はさすがに知ってるけど専守防衛の概念は知らなかったという人もけっこういるみたいで、だから安易に外国を攻めてしまえと言っている人もいるのでしょう。
でも日本という国は、何があっても、極論敵国が核兵器を撃ってきたとしても、その国を攻めるコトは出来ません。
それが日本の防衛概念「専守防衛」なのです。
この概念というのは、当然の話ですが自衛隊においても徹底されています。
局地的白兵戦でもそうです。
なんと自衛隊の隊員は、いくら目の前に守るべき民間人がいたとしても、それだけでは「敵と思わしき人物」を攻撃するコトはできません。
100%敵であると証明できるのであれば攻撃も出来ますが、普通そんなコトは不可能ですよね。
唯一それが出来るとしたら、相手が自分を攻撃した時です。
こうなれば100%その相手が敵と証明できますから、ここでやっと防衛行動が取れるようになるのです。
ですから自衛隊というのはそういう場面を想定して、「敵と思わしき人物」がいる場合にはまず自分を標的にして相手に先に発砲をさせてその後防衛行動をとる、というウソのような話を本当に訓練しているのです。
これが日本の「専守防衛」なのです。
なぜこのような概念が成り立ってしまっているのでしょうか。
もちろん大元は憲法9条です。
憲法9条では戦争と武力の放棄を謳っていますから、最低限「相手を攻撃する武力」は持てないと解釈されています。
さすがに「自分を守る盾」までを放棄する、相手が殴ってきたら黙って殴られろというところまでは放棄しているワケではないと解釈されていますが、だからこそ「相手を攻撃してはならない」とここのラインだけはハッキリと解釈されているワケです。
つまりそれが「専守防衛」という概念を生み出しているんですね。
まずこれが日本の防衛戦略の基本的前提です。
よって、いくら北が日本の、仮に今回のミサイルが領海に落ちていたとしても、直ちに日本が反撃できるというワケではありません。
国際法では反撃できるという可能性は出てきます(詳しくはこの前の更新を)が、日本の憲法内ではおそらくこれは難しいでしょう。
仮にミサイルが日本の領土に落ちていて人命が失われていたとしても、では陸上自衛隊を派兵して北朝鮮領土に攻め入りジョンイルを拘束する、という行為は出来ません。
世論は沸騰するでしょうけど、しかし専守防衛とはそういう概念なのです。
ただし、この辺はやはり概念という曖昧な存在ですから、どこまでハッキリと線引きが出来るのかという部分については議論が残るところもあります。
先ほどの「もしミサイルが日本の領土に落ちたら」という話で言えば、陸上自衛隊の派兵は出来ないでしょうけど、相手がミサイルを発射前にそのミサイルへの攻撃というコトなら出来るかもしれません。
というのも平成16年に「武力事態対処法」という法律が出来まして、この法の中には「先制的自衛権」という概念があり、「明らかに我が国を標的としているミサイルの燃料が注入されているのが確認出来たら、それを攻撃するコトは可能」になったのです。
平成16年3月25日の予算委員会で当時の防衛庁長官だった石破茂先生も次のように答弁していらっしゃいます。
例えて言えば、ある国が我が国に向けて、東京を火の海にしてやるというふうに宣言をし、東京に向けてミサイルを発射せよというような指令が下り、そしてミサイルが直立をし、燃料が注入をされたという状況を考えたときに、それは実行の着手というふうに評価を法的にされる場合があり得るということでございます。
そして、自衛権の発動というのはいつなのかといえば、それは、おそれでは足りない、しかし被害を受けてからでは遅い。いつなのかといえば、それは着手した時期である。
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これは「相手の国の領域には一切手を出せない」としていた専守防衛の概念を大きく変更する法律なんですね。
しかしこれも問題はあります。
というのも、この「先制的自衛権」を発動させるためには条件がありまして、それは何かと言えば、先ほども言いましたように「明らかに我が国を対象としている」場合に限って先制的に攻撃が出来るコトになっているという点です。
ハッキリ言ってこれは現実的には非常に難しいと言えるでしょう。
石破先生の言葉でも「東京を火の海にしてやるというふうに宣言をし、東京に向けてミサイルを発射せよというような指令が下り」とおっしゃっていますが、普通「東京を火の海にしてやるというふうに宣言」なんて敵を利するような宣言なんてしないワケですし、まして「東京に向けてミサイルを発射せよというような指令が下り」なんて、スパイや盗聴でもしていない限りこんな敵の最重要機密を知るコトなど出来るハズがありません。
今回の北のミサイルだって、結局は日本のEZすら入らなかったワケで、むしろ着弾地はロシアの方が近かったのですから、結果論的に言えば今回の北のミサイルは「明らかに我が国を対象としている」とは言えなかったと言えるでしょう。
これではいくら「先制的自衛権」が存在していたとしても、現実的には日本は北のミサイル基地を攻撃は出来ないのです。
ではどういう時に「先制的自衛権」が行使できるのか、「明らかに我が国を対象としている」と言える事態になるのかと言えば、これはやえの私感ですが、おそらく「明確に開戦している状態」の場合だと思います。
明確に開戦している場合において角度的に日本の方角を向いている敵のミサイルであれば、まぁ「明らかに我が国を対象としている」と言えるでしょうから、この場合に限って燃料注入の段階で日本がミサイル基地を攻撃するコトは出来ると思います。
しかし逆に言えば、このような状況以外では不可能だとやえは思っていますし、そもそも明確に開戦状態とはすでにミサイルが一発以上は打ち込まれている状況だと言えますので、やっぱりこの概念でもミサイルを完全に防ぐというコトは出来ないと思います。
もちろん日本国土が攻撃され人命が損なわれるような事態になれば、それはアメリカによって反撃がなされるでしょう。
そう日米安保条約に明記されている以上は、アメリカはそれを遂行する義務があります。
しかし、日本はそれが出来ない、少なくとも航空自衛隊が敵国の領空に潜入し敵基地の攻撃は出来ません(そもそもそんな能力は物理的に持ち合わせていませんし)し、陸上自衛隊が敵国に上陸して敵兵を撃ち敵の総大将を捕縛するという作戦をとるコトは出来ません。
それが日本の専守防衛なのです。
もうひとつ例外的なモノがあって、例外というのもアレですが、上の方で出しました白兵戦における自衛隊員の専守防衛的な防衛行動ですが、この場合は反撃は出来ます。
つまり、向こうが先に撃ってくれば、自衛隊員の方は発砲はできるコトになっています。
これはなぜかと言えば、この時の発砲というのは軍事的な防衛行動というよりも、ただの正当防衛にあたるからです。
いくら日本は憲法9条があるといっても、人間的には正当防衛は認められているワケで、そして正当防衛とはある程度の範囲内で敵に対して反撃をしていいとされているワケですから、この正当防衛に基づいて自衛隊員は白兵戦においては反撃ができるコトになっています。
これも石破長官がイラク派兵当時の国会委員会答弁で答えていらっしゃいます。
確かこの時のやりとりは、民主党のあまりにも理解力が無いというコトで当サイトでも取り上げた記憶があります。
このように、自衛隊員としては撃たれれば反撃は出来るコトにはなっています。
ただし一応確認しておきますが、正当防衛という言葉はあくまで人間に対して与えられている概念であって、これが国家になると正当防衛とは言わなくなります。
普通はそれは自衛権とか言うワケですが、日本はその自衛権をかなり抑制してしまっているんですね。
だから、自衛隊員という人間が正当防衛行為をするコトは出来ても、それがそのまま国家に当てはまるというコトではありません。
また、正当防衛という概念は行き過ぎた行為を禁じていますから、例えば相手が素手なのに防衛する方が刃物で相手を殺してしまったら過剰防衛ですね、このように過剰防衛にならないように自衛隊員が持つ銃器はどのぐらいの大きさまでに規制するか、どこまでが正当防衛でどこからが過剰防衛になってしまうかなんて話を真剣に国会で議論されていたりします。
拳銃はいいけど、機関銃は駄目だ、とかですね。
こんな、これほど机上の空論という言葉が当てはまる議論もないですが、それでもそれを行わなければならないのが日本の現状なワケです。
それが専守防衛なのです。
日本はこんな現状です。
ではこんな日本の現状は、一体だれの責任なのでしょうか。
それは日本国民全員です。
全ての日本国民が日本国民としていまの憲法を認証し、結局改正が出来なかったという現実に対し、全日本国民にこの現状の責任があるのです。
いま、政府に対して弱腰だ弱腰だだから駄目なんだと、はやく北を攻めろと勇ましく言っている人がけっこういますが、これはあまりにも無責任すぎ、責任転嫁しすぎだと思います。
日本政府はこういうコトしか出来ないと定められているワケで、手足を縛られているワケで、そしてのその手足を縛っているのが他でもない国民自身なのです。
自分で手足を縛っておいて「なんで手足を出さないんだ」と批判している姿というのは、どこまでも矛盾してしまっていると言えるでしょう。
もし本当に手足を出さなければならないと思うのであれば、やるべきコトは「では縛っている手足をほどく」という行為であるハズです。
そしてその行為とは憲法改正に他なりません。
やえは今回の件に対して決して思想的にも政府の行動が正しいんだと、絶対に北を攻めてはならないと言っているワケではありません。
やえは、もっと日本政府が出来る行動の選択肢を増やすべきだと思っていますが、それをするためにはまずは「縛っている手足をほどかなければならない」と言っているに過ぎなのです。
いくら思想と政治が別だとしても、しかし自分で手足を縛っておいて「なんで手足が縛られたままなんだ。もっと手足を出せ」という拷問じみた矛盾を言うのは、あまりにも身勝手すぎる行為でしかないのではないでしょうか。
この前やえは「怒りは必要です」とは言いましたが、同時に「冷静に物事を見なければならない」とも言いました。
怒りは行動原理のエネルギーとして必要であり、この怒りを忘れてはいけないと思いますが、しかしだからといって無茶苦茶を言ってもいいワケでは決してありません。
怒りを保ちつつ、しかし同時に冷静にいま日本が何が出来るのかを見極める必要があります。
そしてやえは今日本に一番必要なのは、憲法改正であり、自衛隊を国軍とするコトだと思います。
日本はまずそれをしなければ、日本は一歩どころか半歩すら前進できないのです。
日本政府は弱腰な態度しか示せない絶対に戦争できないと思われているから北になめられているんだ、なめられないために強気にでるべきだと主張する人がいますが、それは違います。
なめられているのは日本国民です。
それを忘れてはいけません。
日本人自身が専守防衛という鎖でもって日本を縛っている事実をまず見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
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