植木等さんのスーダラ節が流行ったのはもう何十年も前の話ですが、最近無責任な人が増えている気がしてなりません。
国籍確認で、フィリピン人女性の子が逆転敗訴 東京高裁
9組のフィリピン人女性と日本人男性の間に生まれ、両親が法律上の婚姻関係にないことを理由に日本国籍取得を拒まれた子9人が、国を相手に国籍確認を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。宗宮英俊裁判長は「国籍を取得できるとする規定は存在しない」と述べ、子に国籍を認めた一審の東京地裁判決を取り消した。原告側は上告する方針。
母が外国人で日本人の父が出生後に認知した子について、国籍取得には父母の婚姻が必要と定めた国籍法3条の規定が争点となった。宗宮裁判長は「だれが国籍を有するか決めるのは国家の権限。法律を厳密に解釈するべきだ」と指摘。国籍法に定めのない国籍取得の要件を法解釈から導き出すのは立法権限に属し、裁判所には許されないとした。
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結構前に扱って、この前厚生労働省が認めて、安倍総理が難色を示している、例の「赤ちゃんポスト」もそうなんですけど、あまりにも無責任な人間が野放しにされてしまっている気がしてなりません。
このフィリピン人の問題は夕方のテレビのニュースでも扱っていたのでやえも見ていたんですが、決して国は子供に対してどうやっても国籍を認めないとしているワケではないのです。
記事にもありますが、両親が結婚していれば、何ら問題なく子供達に日本国籍が与えられるのです。
しかし親が、理由はよく知りませんが、ちゃんと子供を認知しなかったために国籍が与えられなかったワケで、親が子供が出来たと気付いた時点でちゃんと婚姻届を出していればこのような問題は起きなかったワケなのです。
無責任ですよね。
テレビではなにやら、「子供は親を選べないんだから、子供を差別するような制度はゆるさない」とかなんとか言ってましたが、本当に子供を差別的な扱いしたのは一体だれなのでしょうか。
子供が出来たと分かっていて、その上で認知をしなかったのはだれなのでしょうか。
自分で子供を差別的に扱っておいて、その責任を国に押しつけるとは、厚顔無恥も甚だしいと言わざるを得ません。
国は基本的に全ての国民に対して平等であるべきです。
出来るだけ多くの国民が幸せになるようなルールを作り、そしてそれを国民が守ってこそ、国家は国家として成り立つのです。
すなわち、ルールを守らなかった者までを無制限に甘やかすコトは、それは平等とは言えないのです。
この問題で言えば、もしどうしても仕方のない理由があるなら、それは例外的に認めてもいいかもしれませんが、しかし当然のコトながら原則は原則として守るべきです。
もしこの辺がなぁなぁになってしまうと、むしろこの制度を悪用してしまう人が出てきかねないですし、なにより真面目にルールを守っている人が馬鹿を見る結果になってしまうでしょう。
それこそ不平等な社会になってしまいます。
まずは、他人(国も含めて)に向かってどうこう言うのではなく、自分が起こしてしまった結果を受け止め、その上で精一杯生きていく努力をすべきなのではないでしょうか。
人間は社会を形成する生き物ですし、女は子供を産む機械ではないのですから、親の行動がある程度子に影響するのはある意味当然の話です。
自分が何をしたらどういう結果が待っているのか、そこを考えていない人、考えられない人が増えている気がしてなりません。
まずは自分の無責任さを、自分が犯してしまった罪を知るべきだと思います。
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