☆やえニュース☆

  ホームドア安倍メルマガレビュー日本とアメリカにおけるスポーツ経済の差大無責任時代

平成19年2月21日

 ホームドア

 はうううぅぅぅぅぅ
 ごめんなさい。
 いつにもまして長い期間お休みしてしまいました。
 おかげさまで風邪はほとんど回復いたしまして、今日はいつも通り過ごしているところです。
 まぁノロでもインフルでもないただの風邪でしたので、寝ていれば治るのでしょうけど、そういう時に限っていろいろと火急の用というモノが発生したりするんですよね。
 はぅ(笑)
 
 では、ひさしぶりにいってみましょー
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて、今日は病み上がりというコトで、ライトな感じでいってみたいと思います。
 ライトな感じと言っても、右翼っぽいという意味ではありません(聞いてない
 
 この前ちょっとこわい経験したんです。
 というのもですね、ちょっと用事があって遅い時間に電車に乗らなければならなくなっちゃって、ある電車のホームにいた時の話なんですが、けっこう酔っぱらいとかいてびくびくしていたら、いきなりダダダダダタッて音がして、なんと人がすごい勢いで走ってきて、そして倒れてしまったのです。
 いやなんて言いましょうか、いきなり倒れ込むのだったらまだ気持ち悪くなったのかなと思いますけど、いきなり走ってきて倒れ込むなんて日常ではまず無い光景ですから、とってもビックリしてしまったんですね。
 
 でもなんでそんなコトになっちゃったのかなと思ったら、どうもこの倒れた人、いやすぐに立ち上がってたいしたコトなさそうだったんですが、どうもホームで電車を待っている人を避けようとして、ジグザグに走ってしまい、足がもつれてしまって、バランスを崩して倒れてしまったようなのです。
 
 そう考えたとき、やえはものすごいこわくなったんです。
 つまりこの酔っぱらいの人は、自分が他の人ににあたって線路に落ちてしまわないようにとフラフラの頭で考えて、必死に避けて自分が倒れてしまったワケですが、もしこの人がもっと酔っぱらっていて、他人のコトも考えられないぐらいの酔っぱらい度だったら、一体どうなってしまっていたでしょうか。
 タイミング悪く電車が通過していたりしたら、最悪そこで人生が終わってしまいます。
 しかも被害者は、一体何が起きたか分からないまま死んでしまうコトになるでしょう。
 酔っぱらいに押され線路に落ちてタイミング悪く電車に下敷きになる・・・
 不運と言ってしまえばそれまでですが、そうとは割り切れるハズもない事故です。
 
 何がこわいって、それが実はワリと日常的な出来事なんじゃないかと思うからです。
 都心部になればどんな時間だって駅には人がいっぱいですし、夜になればホームで電車を待っている人の半数以上は酔っぱらっている人だと言えるでしょう。
 となれば、ちょっとしたきっかけでそんな大惨事になるのも、そう低くない確率なのではないでしょうか。
 たまに電車の構内放送で「人身事故によりダイヤが乱れています」なんて聞いて、ああだれかがまた身投げしたんだな迷惑だなぁなんて思ってしまいがちですが、もしかしたらそうではないのかもしれません。
 誰かが意図せず線路に落ちてしまっただけかもしれません。
 
 そう思った時、やえはホームの真ん中に移動し、辺りを見回して、走り込んでくる人がいないかと警戒してしまいました。
 
 最近ホームドアをつけはじめている路線があります。
 あれを見たときやえは、これは駆け込み乗車を防ぐモノとばかり思っていました。
 でもそのワリには、ホームドアが閉じるタイミング遅くて、あれでは意味がないように思っていたんですが、実はそうではなかったんですね。
 ホームドアとは、電車が止まって乗降車する前に人が線路に落ちてしまわないようにするためのモノだったんですね。
 
 自動車は走る凶器だとは言いますが、電車の方が人との距離も近いですし、破壊力も比べものになりません。
 恐怖を感じながら、やえははやく全ての電車のホームにホームドアが早く設置されるよう願ったのでした。
 

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平成19年2月23日

 安倍メルマガレビュー

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       安倍内閣メールマガジン(第18号 2007/02/22)
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 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 「SONG FOR MEGUMI」
 こんにちは、安倍晋三です。
 みなさんは、ピーター・ポール&マリーというアメリカのフォークグループを知っていますか?「花はどこへ行った」「パフ」などのヒット曲で60年代に一世を風靡したグループです。私も中高時代によく聴きました。今の若い人たちにはなじみがうすい名前かもしれませんね。
 
 こんにちは、やえです。
 一日遅れのメルマガレビューです。
 ところで、「ピーター・ポール&マリー」さんは、やえは聞いたこともないぐらい知りません、ごめんなさい。
 歴代総理の中でも抜群に若い安倍さんですが、さすがに十四歳と比べるとジェネレーションギャップです(笑)
 
 20日、そのメンバーのひとり、ノエル・ポール・ストゥーキーさんとお会いしました。ポールさんは、最近、「SONG FOR MEGUMI」という曲を書きました。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんに捧げる歌です。
 ポールさんは、13才の少女が連れ去られた事実にショックを受け、娘をとり戻そうとするご両親の何十年もの活動に胸をうたれ、この曲を作ったそうです。この曲のCD売上げによる収益は、ご両親の活動資金に寄付されるそうです。
 
 そのような活動もあったのですか。
 ごめんなさい、知りませんでした。
 これですね
 
 この日、めぐみさんのご両親と一緒に、ポールさんが演奏するこの曲を聴きました。生ギターから爪弾かれる静かなメロディー、少女に語りかけるような優しい歌声を聴きながら、家族とともに幸せそうなめぐみさんの写真がまぶたに浮かんできました。ご両親には、めぐみさんの肉声やぬくもりがよみがえっていたことでしょう。
 音楽は、ときとして言葉以上に人の心の奥に響きます。13才で両親と引き離された少女はどんなに怖かっただろう、さびしかっただろう、かわいいわが子を連れ去られたご両親の心の傷は、どんなに深く大きいだろう。一日も早くこの問題を解決して、めぐみさんと再会していただきたい。美しい曲に包まれながら、こうした思いがこみ上げてきて、胸がしめつけられるようでした。
 
 まともな人間ならそのように思うのは当然なんですけどね、しかし残念ながら世界にはまともでない人間もたくさんいるという悲しい現実があるワケです。
 しかし、歌で伝えるというのはいいですね。
 「音楽に国境はない」
 気持ちを音楽に乗せて、少しでも多くの人が、この悲しい事実を知るきっかけになればいいですね。
 
 外国の方に拉致問題に関心をもっていただき、世界の人々に呼びかけていただくことは、本当にうれしく心強いことです。昨晩お会いしたアメリカのチェイニー副大統領も、拉致問題に対する日本の立場を理解し、支持することを明確にされました。
 こうしたいろいろな人の応援をバックに、これからも国際社会と協力しながら拉致問題の解決と地域の平和と安定を何としてもとり戻すべく全力をつくします。
 
 六カ国協議でも、日本はかなり独自路線で突っぱねたみたいですよね。
 マスコミとかはまたそれを叩きの材料にしてるみたいですが、もしこれが逆だったら絶対に「弱腰だ」とか「アメリカ追随だ」とか言ってたハズですから、なんとも勝手な話です。
 そういえば小泉さんが安倍さんに対して「目先のことに鈍感になれ。鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下がったりするのをいちいち気にするな」とか言ったらしいですが、確かに何やっても叩かれるなら気にしないようにするしかないと言わざるを得ないでしょう。
 もしくは何もしないという選択肢もありますが、そういうワケにもいかないですしね。
 
 先週末、太宰府天満宮から「梅の使節」の訪問を受けました。
 きれいな紅白の梅の花をいただきました。梅の香りをかいでいると和やかな気持ちになります。この日は快晴、豊かな陽光が官邸内にも差し込んでいて、
 「梅一輪 いちりんほどの暖かさ」という服部嵐雪(らんせつ)の句が自然と口をつきました。
 「梅は百花のさきがけ」と言いますが、寒さのきびしい時期に梅がほころび、桜が咲けばもう春です。春になれば新しい年度が始まります。来年度の予算の審議が、梅の開花とともに始まりました。みなさんの生活に直結した予算が一日も早く成立するよう、国会で議論をたたかわせてまいります。(晋)
 
 近年、日本の花は桜というのが定着しましたが、昔は花と言えば梅でした。
 今年はなんだかとっても暖かい日が続きますが、やはりこういう季節のモノに触れると日本の四季を感じますよね。
 予算の審議に向けて、野党も相変わらずの時間稼ぎを続けているみたいですが、そんなモノに屈することなく頑張ってください。
 
 
 
 [ホワイエの誓い]
 ● 裁判員制度施行まであと2年少し(法務大臣 長勢甚遠)
 こんにちは、法務大臣の長勢甚遠です。
 昨今残虐な忌まわしい事件が頻発しており世界一安全な国・日本の復活に全力をあげています。治安の問題だけでなく、不法滞在外国人問題、代理懐胎問題、戸籍をめぐる問題などなどたくさんの悩ましい問題に取り組んでいます。
 加えて、あと2年少しで施行となる裁判員制度をいかに円滑に実施するかが大きな課題です。国民の皆さんに理解され参加してもらってこそ裁判員制度は機能します。
 
 おひさしぶりです、じんせん先生。
 お元気でいらっしゃいますでしょうか。
 さて今日は、昔当サイトでもプチ特集をしていました裁判員制度についてのお話のようです。
 
 ところが、内閣府の世論調査では裁判員制度を知っている人が8割を超え制度の認知度は高くなったのですが、裁判員に選ばれた場合に裁判員になるかというとまだまだです。裁判員として刑事裁判に「参加したい」6%、「参加してもよい」15%、「義務であるから参加せざるをえない」45%、「義務であっても参加したくない」34%という結果です。
 裁判員になりたくないのは、「仕事に支障が出る」ということもありますが、それ以上に裁判員の職務について「責任が重い」、「難しい」という不安が大きいからのようです。これはアメリカの陪審員のイメージが影響しているように思います。
 
 やえは年齢の問題で裁判員はまだ出来ませんが、やはり身近に自分のコトに直結するようになると、尻込みしてしまいがちですよね。
 ただこの制度がなぜ導入されたのかと言うと、裁判の場では勉強ばかりして世間のことをあまり知らない裁判官だけが裁いているから一般常識が抜け落ちているんだ、という批判が多かったから導入されたワケです。
 その際にはアメリカの陪審員制度も、優れているという観点からよく紹介されていましたし、こういう事情を考えたら、自分だけはイヤだと言ってしまうのはワガママなんじゃないかと思うワケです。
 
 裁判員制度は裁判官と裁判員が一緒に裁判を行う制度であり、裁判官抜きで陪審員だけで有罪無罪を決める陪審制度とは根本的に違うものです。裁判員制度では法律専門家である裁判官が一緒ですから裁判員には難しい法律の知識は必要ありません。むしろ法律に詳しくないから裁判員をお願いするのです。一般常識さえあればよいのですから「難しい」としり込みしないでもらいたいものです。
 
 この辺は実際の運営次第になるんじゃないかと思っています。
 裁判官の中には「法律の知識がないんだからだまっておけ」とか言う輩も出てくる可能性も否定できませんし。
 もちろんそういう場合には、それを明らかにして厳正に対処して、適切に裁判員制度が運用されるようにしなければいけないのは言うまでもありません。
 ただ、裁判は当然ですが法の下に行われるモノですから、例えば危険運転致死罪の被告に対して死刑すべきだと言うのは、さすがに無茶な話だと言わざるを得ないでしょう。
 そういうコトも含めて、この辺は実際に運用してみないと分からない点だと思います。
 
 また、裁判員の職責は軽いものではありませんが、判決は裁判官3名と裁判員6名で決定するものですし、裁判員が参加するのは地方裁判所の裁判だけで、高等裁判所の裁判は裁判官だけで行うことになります。ですので、裁判員になることの責任を必要以上に重く感じる必要はないと思います。
 
 たまにやえも裁判員のコトについて他の人から話を聞かれるコトがあるのですが、まだ全然理解していない人が大半だと言えます。
 中でも「裁判員が参加するのは地方裁判所の裁判だけ」というコトを知っている人はほとんどいないというのが現状のようです。
 ただやえも「裁判員は一審だけ」というちょっと間違った覚え方をしていたのでえらそうには言えないのですが(一審には家庭裁判所という場もあるので、必ずしも一審だけという表現は適切ではないのです)、自分が決めた判決が即確定するワケではない、まだ裁判官だけが裁く上級審もあるというコトは、知っておいた方がいいでしょう。
 また、この制度が適用されるのは刑事事件だけですし。
 もちろんだからと言っていい加減にするのは許されないコトですが、この辺は大臣のお言葉通り「必要以上」に感じるコトはないでしょう。
 
 こんなことをわかってもらい、裁判員になってもそんなに心配することはないと思ってもらいたいと願っています。実施まであと2年少しに迫っており、国民の皆様の参加意欲が高まるようにさらに大車輪で取り組んでいます。皆様のご理解をよろしくお願いします。
 
 ※ 法務省ホームページ(あなたも裁判員!)
 http://www.moj.go.jp/SAIBANIN/index.html
 
 やえは正直とても興味があるのでやってみたいとは思うんですけどね。
 まぁそれも、学生という自由がきく身分だからなのかもしれませんが。
 自分が裁判員に選ばれる可能性があるのですから、早い段階から正しい知識を身につけておくコトは大切だと思いますので、まだ時間はありますから、ゆっくりでもいいので勉強しておきたいですね。
 
 
 
 [東奔西走]
 先日、このコーナーでも取り上げたデフリンピックでは、日本選手団はアルペンスノーボードで金メダル3つ、スノーボードハーフパイプで銅メダル1つという素晴らしい成績をおさめました。
 全日本ろうあ連盟のHPには、選手の皆さんの写真がたくさん掲載されています。安倍総理直筆の応援メッセージの入った日の丸をもった選手の皆さんの充実した笑顔はとても印象的です。「4年後を目指してまた頑張る」といった選手の皆さんの力強い言葉に、今後ますますの活躍を確信しています。(せこう)
 
 ※ 第16回冬季デフリンピック(全日本ろうあ連盟HP)
 http://www.jfd.or.jp/sports/dwg16/index.html
 
 おめでとーございまーす。
 どんな人でもスポーツを楽しみ、また競技を通じて自分を高める場があるというのは、素晴らしいコトだと思います。
 ある意味こういうコトも自立支援のひとつだと思いますから、政府も出来るコトは色々とやってもらいたいですね。
 しかしせこう先生、もうちょっと国政のコトも語ってください(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

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平成19年2月26日

 日本とアメリカにおけるスポーツ経済の差

 今朝のニュースで、近鉄をクビになってしまった中村紀洋選手、通称ノリさんが、すったもんだのあげく1/50まで年棒を減らしての中日への入団が決まったと報じていました。
 やえ的にはカープに関係ないのでけっこうスルーな話題だったのですが、ただひとつ、野球協定に定められている以上の減額を球団側が提示したというのは、これではその協定はなんの意味をなすのか全く分からないという疑問がやえの中では残りました。
 法あるけど守る必要がないという、そういう類のモノなんでしょうか。
 存在している意味がよく分かりません。
 だれか野球協定に詳しい人教えてください。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 今日はそんな野球のお話なんです。
 野球というかスポーツ全般と言ってもいいでしょう。
 
 やえはずっと疑問に思っていたコトがあるんです。
 それは、日本のスポーツとアメリカのスポーツの規模の違いです。
 正直言って、この差はちょっと離れすぎなんじゃないかと日々思っています。
 例えば野球で言えば、ちょっとデータが古いですが、アメリカ大リーグに所属する選手の平均年俸は2億9,600万円、日本のプロ野球は6,055万円なんだそうで(参考:たむ・たむページさん)、その差はおよそ5倍もの開きがあるコトになります。
 
 もちろんこれだけをもって日本はダメだとは言えません。
 その国における人口や経済状況を考慮する必要があります。
 しかし、日本とアメリカの人口と経済の差というモノは、どちらもだいたい3倍ぐらいの差でしかないんです。
 つまり、日本プロ野球とアメリカ大リーグの差が3倍程度であるならこれは仕方ないなぁと言えるかもしれませんが、そうではなくて5倍もの差があるのは大きすぎるんじゃないのかなと思ってしまうところなんです。
 さらに言いますと、アメリカのプロ野球の場合、球団自体の数も違います。
 日本でいう一軍であるメジャーの球団は30球団もありますし、マイナーリーグも、日本では二軍しかないところ、アメリカではAAA〜Aまであるワケですから、これらを全て考えると、日本のプロ野球とアメリカのプロ野球の総経済力は3倍ではおさまならい差であるのではないかと思われるワケです。
 
 どうしてここまで差がついてしまっているのでしょうか。
 やはり一番考えられるのは、野球に対する国民の熱狂度が違うというのがあると言えるかもしれません。
 例えばサッカーが盛んな南米では、サッカーの試合の結果が引き金となって始まってしまった戦争というモノがあります。
 またヨーロッパでもサッカーでの暴動がよくニュースによって伝わってきますよね。
 あれだけ熱狂できるのであれば、何はともあれサッカーにお金をつぎ込もうとするでしょうから、結果的にそのスポーツの経済力は大きくなるのも分かります。
 
 しかしここで気になるのか、果たしてアメリカにおける野球は、欧州や南米におけるサッカーほど熱狂的なモノとして本当に存在しているのかどうかというコトです。
 テレビなどで大リーグファン、特にけっこう熱狂的なファンを伝えるコトはありますが、しかしあれぐらいの熱狂的なファンでしたら、日本にも大阪や広島にいるワケで、テレビに映る人というのはむしろ特別なぐらいな人を敢えて写すワケですから、そう考えればやはり国民に対する野球の地位というモノは、日本もアメリカもそう変わらないのではないかと思います。
 しかもですね、さらに日本にとってマイナスなデータになりますが、アメリカには野球以外にもアメリカンフットボール・バスケットボール・アイスホッケーといった、アメリカ4大スポーツと呼ばれるスポーツがあり、簡単に言えば日本の野球の人気と同レベルのスポーツがあと3つもあったりするんです。
 日本では野球に次ぐ人気スポーツリーグはサッカーですが、しかし規模はまだまだと言わざるを得ない上に、一応アメリカにもサッカーのプロリーグはあるというコトも考えますと、スポーツ経済の日米の差はさらに大きいと言えるのでしょう。
 また、一昔前、アメリカバスケットの神様マイケル・ジョーダンさんが有名になりましたが、彼の年俸は40億円なんて言われていましたし、また実は、アメリカでは野球よりもアメリカンフットボールの方が人気という事実もあって、ますますその差は開く一方だと言わざるを得ません。
 これでは単に熱狂的という一言ではこの差を説明するコトはできないのではないでしょうか。
 
 結局これらのコトを考えると、日本人とアメリカ人とは、娯楽に対するお金のかけ方が違うという風にしか言えないのかもしれません。
 国民一人あたりがショービジネスに払う金額が、日本人とアメリカ人では差があるのでしょう。
 またスポーツと他の経済との結びつきも、アメリカは日本より強いモノがあるのではないかと思うのです。
 例えばプロスポーツ選手の看板(キャラクター)として価値が、ゴルフのタイガーウッズ選手などを見れば、日本よりもアメリカの方がとても大きいんだと思われます。
 それらがうまくかみ合って、アメリカのスポーツビジネスは、日米間で単純な経済以上に差が広がってしまっているのではないでしょうか。
 
 やっぱりうらやましいですよね。
 野球ひとつとってみても、近鉄が経営破綻して楽天が出来た時の騒動なんか見ていると、どうしてここまで日本のスポーツは貧弱なんだろうと思わずにはいられません。
 もちろん個々の問題があるので具体的にどうこうは言いませんが、高校野球も国民的人気があり、未だに草野球が盛んな日本においてプロ球団がJリーグ並に増える土壌は十分にあるのではないかとやえは思うだけに、やっぱり残念に思ってしまいます。
 そして、日米における環境の違いが、日本の有力選手のアメリカへの流出という事態を引き起こしているのも否定できない事実でしょう。
 サッカーの場合は海外の方がレベルが高いという事情があるので一概には言えませんが、野球の場合は必ずしも「挑戦」とは言えず、やはり環境の違い、つまりアメリカの方が野球をする環境が良いと言えるワケで、日本人としてはとても残念に思うワケです。
 
 思ってるより日本人はスポーツに対して身近ではないのかもしれません。
 ちょっとでもいいのでスポーツを見る目が変われば、ガラッと雰囲気が変わってよい方向に行くのかもしれませんけどね。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、日本のスポーツビジネスを応援しています。
 

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平成19年2月27日

 大無責任時代

 植木等さんのスーダラ節が流行ったのはもう何十年も前の話ですが、最近無責任な人が増えている気がしてなりません。
 

 国籍確認で、フィリピン人女性の子が逆転敗訴 東京高裁
 
 9組のフィリピン人女性と日本人男性の間に生まれ、両親が法律上の婚姻関係にないことを理由に日本国籍取得を拒まれた子9人が、国を相手に国籍確認を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。宗宮英俊裁判長は「国籍を取得できるとする規定は存在しない」と述べ、子に国籍を認めた一審の東京地裁判決を取り消した。原告側は上告する方針。
 母が外国人で日本人の父が出生後に認知した子について、国籍取得には父母の婚姻が必要と定めた国籍法3条の規定が争点となった。宗宮裁判長は「だれが国籍を有するか決めるのは国家の権限。法律を厳密に解釈するべきだ」と指摘。国籍法に定めのない国籍取得の要件を法解釈から導き出すのは立法権限に属し、裁判所には許されないとした。

 結構前に扱って、この前厚生労働省が認めて、安倍総理が難色を示している、例の「赤ちゃんポスト」もそうなんですけど、あまりにも無責任な人間が野放しにされてしまっている気がしてなりません。
 このフィリピン人の問題は夕方のテレビのニュースでも扱っていたのでやえも見ていたんですが、決して国は子供に対してどうやっても国籍を認めないとしているワケではないのです。
 記事にもありますが、両親が結婚していれば、何ら問題なく子供達に日本国籍が与えられるのです。
 しかし親が、理由はよく知りませんが、ちゃんと子供を認知しなかったために国籍が与えられなかったワケで、親が子供が出来たと気付いた時点でちゃんと婚姻届を出していればこのような問題は起きなかったワケなのです。
 
 無責任ですよね。
 テレビではなにやら、「子供は親を選べないんだから、子供を差別するような制度はゆるさない」とかなんとか言ってましたが、本当に子供を差別的な扱いしたのは一体だれなのでしょうか。
 子供が出来たと分かっていて、その上で認知をしなかったのはだれなのでしょうか。
 自分で子供を差別的に扱っておいて、その責任を国に押しつけるとは、厚顔無恥も甚だしいと言わざるを得ません。
 
 国は基本的に全ての国民に対して平等であるべきです。
 出来るだけ多くの国民が幸せになるようなルールを作り、そしてそれを国民が守ってこそ、国家は国家として成り立つのです。
 すなわち、ルールを守らなかった者までを無制限に甘やかすコトは、それは平等とは言えないのです。
 この問題で言えば、もしどうしても仕方のない理由があるなら、それは例外的に認めてもいいかもしれませんが、しかし当然のコトながら原則は原則として守るべきです。
 もしこの辺がなぁなぁになってしまうと、むしろこの制度を悪用してしまう人が出てきかねないですし、なにより真面目にルールを守っている人が馬鹿を見る結果になってしまうでしょう。
 それこそ不平等な社会になってしまいます。
 まずは、他人(国も含めて)に向かってどうこう言うのではなく、自分が起こしてしまった結果を受け止め、その上で精一杯生きていく努力をすべきなのではないでしょうか。
 
 人間は社会を形成する生き物ですし、女は子供を産む機械ではないのですから、親の行動がある程度子に影響するのはある意味当然の話です。
 自分が何をしたらどういう結果が待っているのか、そこを考えていない人、考えられない人が増えている気がしてなりません。
 まずは自分の無責任さを、自分が犯してしまった罪を知るべきだと思います。
 

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