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 敗戦の弁独裁者民主党政冷経熱から政暖経熱へ!?東国原知事の災難安倍メルマガレビューそれは憲法改正論議に関係ないのではオービスの正当性と警官の態度推定無罪安倍メルマガレビュー

平成19年4月1日

 敗戦の弁

 この度は、多くの方に応援していただいたにも関わらず、残念な結果に終わってしまいまして、大変申し訳ございません。
 はじめから、厳しい戦いになると予想されていましたが、正直ここまで厳しい戦いになるとは思いませんでした。
 あと一歩というところでしたが、結果は結果です。
 慢心があったのかもしれません。
 全ては私の不徳の致すところです。
 私を応援してくださった方、激励してくだった方、期待してくださった方、本当にたくさんいらっしゃいましたが、それに応えられなかったこと、誠に申し訳なく思います。
 また一から出直します。
 これからも一日一日を勉強の時間と思い、その時間を大切にし、捲土重来を期して初心に返って頑張っていきたいと思います。
 皆様の変わらぬご支援をよろしくお願いいたします。
 重ねてこの度の結果についてお詫び申し上げます。
 有り難うございました。
 
 あまおち りん
 
 
 
 
 (分かってると思いますが、これはウソ記事・10日遅れのエイプリルフールです)
 

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平成19年4月12日

 独裁者民主党

 自分が何を言っているのか理解しているのでしょうか・・・。

 国民投票法案、今夕に採決…衆院委で民主修正案質疑入り
 
 憲法改正の手続きを定める国民投票法案を審議している衆院憲法調査特別委員会は12日午前、民主党が提出した修正案の趣旨説明と質疑に入った。
 自民、公明の与党は同日夕に与党と民主党の両修正案を採決し、与党修正案を可決する方針だ。
 民主、社民、国民新の野党3党は「採決が前提の日程協議には応じられない」などとして、委員会前の理事会を欠席した。
 野党3党は国会内で国会対策委員長会談を開き、与党が採決に踏み切った場合、欠席せずに出席して抗議することで一致した。
 自民党は民主党に対し、与党と民主党の両修正案の一本化ができないかどうか、水面下で調整を続けている。ただ、民主党は「民主党案が全面的に受け入れられない限り、応じられない」としており、合意は困難な見通しだ。

 何がすごいって、「民主党は「民主党案が全面的に受け入れられない限り、応じられない」としており」の部分です。
 つまり民主党は、自民党の案は完全に無視して、民主党の主張だけを取り入れろと強弁しているワケで、これは少数による多数の押しつけであって、キムジョンイル体制と基本的な考え方は変わらないワケです。
 
 極論を言えば、民主主義とは多数決の世界です。
 法案の場合一票でも多い方が可決されるワケですし、選挙においてもたった一票の差で、議員と“ただの人”とに運命が分かれてしまうワケです。
 「一票しか差がないんだから自分の議員にしろ」と言ったところで認められないというコトは言うまでもありません。
 多数決の結果無情にも白黒ハッキリ決まってしまいますが、民主主義とはそういうシステムなのです。
 
 もちろんだからといって少数をないがしろにしていいというコトでもありません。
 さっき言いましたように選挙とかそういう1つのコトをどうしても決めなければならないコトについては、多数の方が勝者と言わなければならないのですが、可能であれば出来る限り少数の意見も反映できるよう努力すべきです。
 原則的なシステムの部分で言い出したらキリがなくなってしまい、システムそのものが機能しなくなりますので、それはなかなか難しいのですが、よって運営の部分において少数の意見というものは補完されるべきだとやえは思っています。
 
 では運用でどう補完するのか。
 議会における法案で言えば、それぞれが獲得している議席数の割合に応じたような形でお互いが譲歩すればいいでしょう。
 具体的には、衆議院では現在自民党が306人、公明党が31人で、民主党が113人という議席数になっていますから、ひとつの法案でより多くの国民の意見を反映させようと思ったら、337:113ぐらいの割合でお互いの意見を組み込んで譲歩し合うような法案にすればいいワケです。
 そうすれば、その法案は自民党と公明党と民主党に投票した国民の民意にちょうど反映される形となり、少数の意見も含めたバランスの取れた法案になると言えるでしょう。
 実際自民党の方では、記事に「自民党は民主党に対し、与党と民主党の両修正案の一本化ができないかどうか、水面下で調整を続けている」とありますように、お互いが納得できる形で法案が出来ないか、すなわち多くの国民の負託に応える形での法案が出来ないかと模索しているようです。
 
 しかし、民主党はそれを突っぱねてしまっています。
 いったいぜんたい民主党は自分たちのコトを何様だと思っているか分かりません。
 自民党は、やろうと思えば自民党の案だけで全てを決めてしまうコトもシステム上は出来るのにも関わらず、自民党はより国民のために民意を反映させようと運営の部分で努力をしているワケなのですが、民主党はそれを無視して自分だけの我が儘を言っているのです。
 この民主党の独裁的思考ぶりはなんなんでしょうか。
 選挙の結果を無視して、衆議院では113/480ぐらいの発言力というのが民意の結果にも関わらず、100%自分の言うコトだけを聞けと言うなんて、それはまさにジョンイルです。
 
 総理大臣を選ぶ選挙や、各種議員選出選挙においては、必ず1名もしくはそれ以上の定数の議員を選出しなければならないので、残念ながらそれ以外の候補に投票した票は切り捨てにしなければなりませんが、同じ民主主義の制度の下でも、運用によっては少数の意見は必ずしも切り捨てられずに生かす方法もあるワケです。
 そして自民党は、少数の意見も尊重し、もちろん多数の意見も反映されるよう、努力をしようとしています。
 しかし民主党は、自分たちの意見だけが通されるべきだと突っぱね、独裁的専横的にふるまって、自民党との対話を拒み、自民党に投票した人の意見を踏みにじりながら、さらに民主党に投票した意見までもないがしろにしているワケです。
 民主党はついに独裁党になったようです。
 

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平成19年4月16日

 政冷経熱から政暖経熱へ!?

 改めまして、しばらく更新が止まってしまっていてごめんなさいでした。
 今日から心機一転、またがんばっていきますので、どうぞ応援よろしくお願いします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 中国の温家宝首相が先日まで来日されていました。
 中国という国は共産主義の国であり、なかなか民主制の国と仕組みが違うので一概には言えないのですが、とりあえず温首相は国のナンバー3と言ってもいいんじゃないかと思われるぐらいの偉い人です。
 ちなみに一番偉い人は国家主席である胡錦涛さんで、二番目は中共中央政治局常務委員会委員長の呉邦国さんです。
 そんな中国の偉い人がつい先日まで日本に来ていました。
 
 これは、安倍総理が去年の10月に中国を訪問したのを受けて実現した相互訪問であると言えるでしょう。
 これで一応は国の内外に対して日本と中国は有効な関係を築けていますよとアピールするコトになるワケです。
 日中関係といえば、小泉さんが靖国神社を参拝してからというモノ、両国の関係は完全に冷え込んでしまい、首脳同士の会談はもちろん、ハイレベルな官僚同士の協議も出来ないというところにまで陥ってしまっていました。
 そうした中、小泉さんが勇退され、安倍さんが新しく総理になった今、日中との新しい関係を築いていくというのは、タイミングとしては悪くないと言えると思います。
 
 ただし、日本は安倍総理という行政府のトップが訪中したのにも関わらず、中国側はナンバー3でしかない人物を送り込んできたという事実に対しては、ちょっと首をかしげざるを得ません。
 さっきも言いましたように、日本と中国は国の制度が根本から違いますので、日本の場合ナンバー3は誰なのか、中国の温首相と同列が誰なのかはハッキリと言えませんが、しかし国際通例上政治的な話の場合行政のトップが国のトップであるのは常識なワケで、日本の行政のトップである安倍さんと同列なのは胡錦涛国家主席であるのは言うまでもないコトですから、この中国の対応はちょっと非常識であると言わざるを得ません。
 例えばフランスなどは大統領と首相の両方がいますが、日仏首脳会談と言えば、日本の総理大臣とフランスの大統領が会談するコトを指します。
 G8などの国際会議でもそうですよね。
 いくら温さんの肩書きが首相だとしても、それは国の仕組みが違うだけの話であって、行政のトップはどの国もある程度明確に定められているのですから、トップに対してはトップが訪問し合うというのが礼儀でしょう。
 やはり中国という国は、そういう面においてなかなか考え方を共有できない国と言わざるを得ないのです。
 
 まぁそれはともかくとしましても、思想的にはもっと考えなければならないコトがあります。
 
 小泉さんが総理の時の日中関係を「政冷経熱」という言葉で表していましたが、これは、日中間の経済はとても活発だが政治は冷え込んでいるという意味でしたね。
 近年日中間の経済はとても活発で、一部では日米間の貿易額よりも日中間の貿易額の方が多くなったと言う人もいるぐらいになっています。
 その一方、小泉さんが靖国神社を参拝したコトで、日中の政府同士の対話が無くなり、関係が冷え切ってしまって、これは大変だと日本のマスコミや有識者は盛んに騒ぎ立てていました。
 中には、国益を損なう行為だと、だから靖国なんて小さな問題は捨てておくべきだと、そこまで言ってしまう人も少なくありませんでした。
 
 だけどふと考えたとき、日中の政治が冷めてしまったとして、では一体何が問題なのか、当時の言葉で言えばどのように国益を損なっているのかと考えたとき、では具体的には何かあったでしょうか。
 当時よく言われていたのが、中国での反日暴動です。
 日中関係が冷え切っていたから暴動が起きたんだと言っている人はけっこうたくさんいました。
 しかしあれは、直接的には日本の国連常任理事国入りに反対するために行ったモノであり、これは日中関係が暖かいとか冷たいとかは関係のない話です。
 ましてあんなモノは犯罪行為であり、「自分の言うコトを聞かないと暴れるぞ」という理屈を飲まなければならないと言ってしまうのは、あまりにも盗人の理論です。
 
 他にも、例えば6カ国協議にしてみても、日中関係が良好だったとしても、やはり中国が北朝鮮を切り捨てるとは思えません。
 基本的な考え方について日本と中国とでは大きな隔たりがある以上、それは国家の仕組みを見ても一目瞭然で、日中関係が日米関係のようなレベルまでには決して発展しないと言わざるを得ませんし、ですから日中間がどのような関係になっていたとしても、6カ国協議のような場においても中国の対応は大枠では何も変わらないでしょう。
 もし変わるとしたら、日本がアメリカ並みの「力」を持っていた場合ですが、それはむしろ日中間の問題ではなくて、日本だけの問題ですから、ここでどういう言うコトではありません。
 
 つまり、日本と中国の政治が「熱く」なったとして、では一体どのように日本の国益になるのか、ここがよく分からないのです。
 安倍さんは、小泉さんの時代に世論が日中関係の改善を求めていたから、いま日中友好のために行動しているワケですが、本来安倍さんの思想信条からすれば日中関係なんてどうでもいい、むしろ台湾と仲良くしたいという気持ちがあるんじゃないかと推察されます。
 しかしそれでも日中関係の改善に努めているのは、世論を汲み取る政治家の勤めであると思っておられるからでしょう。
 現在の日中関係改善の動きは全て世論が望んだコトであるワケで、ある程度結果についても国民が責任を持たなければなりませんし、日中関係の「政熱」を望んでいた人は、その関係がはじまったのですから、ここから日本がどんな国益を得るのか、シッカリと説明する責任があるハズです。
 
 中国がこれからどのような要求を日本にしてくるか分かりませんが、日中関係が見た目的には良くなったコトで、むしろ日本の国益を損なうような結果にならないようにしてもらいたいモノです。
 少なくとも、小泉的手法のウチは、靖国などの内政干渉に対してハッキリと突っぱねてこれたワケですが、今後中国が「日中友好」の名の下に、どんな要求をしてくるか分かったもんじゃありません。
 また最初にも言いましたように、日中友好だとか雪解けだとか言っているクセにナンバー3しか日本に送り込まないという態度からも、真の日中友好とは何か考えざるを得ません。
 そして、今まで「政冷経熱」を批判し、それは日本の国益を損なうと言っていた人たちは、果たしてこれで本当に良かったのかどうかしっかりと説明をしてもらいたいと思います。
 
 今までの日本の外交は、相手に譲歩しすぎるという悪癖がありました。
 先日都知事選挙に無事再選されました石原慎太郎さん(おめでとーございまーす)らが書かれた『「NO」と言える日本』という本がありますが、これは逆に言えば日本は今までハッキリとNOと言えなかったというコトに他なりません。
 それに対し、日本のトップが先頭を切って相手の意見を突っぱね続け、こういう方法もあるんだよと示したのが小泉さんでした。
 どうか安倍さんは、このような下手外交に戻らずに、言うべきところは言い、譲れないところは譲らない、しっかりとした態度を持ち続けてほしいと思います。
 そして最悪の場合には、また「政冷」になったとしても構わないという覚悟も持っておいてほしいです。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、真の日中友好関係を応援しています。
 

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平成19年4月18日

 東国原知事の災難

 これテレビで見た話なのですが、マスコミの利権意識は醜いですねぇ。

 そのまんま知事、県政記者クラブ報道陣と激バトル
 
 宮崎県の東国原英夫知事(49)は16日の定例記者会見で、会見開催の意義をめぐり、県政記者クラブの報道陣らと激しい舌戦を展開、会見場が不穏なムードに包まれるひと幕があった。知事が会見の冒頭で「定例記者会見は必要ですか」などと逆質問。対する報道陣が「稚拙な質問」と応戦し、“バトル”の第1Rのゴングが鳴った。会見は結局、予定通り行われたが、大きな遺恨を残す形となった。
 1月の知事就任以降、行ってきた定例会見。先制パンチをサク裂させたのは、“時の人”東国原知事だった。
 
 知事 「定例記者会見って必要ですかね。ことさら特筆すべき発表がないときはなくてもいいのでは。物事が起きたときにその都度やればいい」
 報道陣 「知事として発表することがないから、記者会見を開く必要があるのかなというのは、稚拙な質問だなという印象を持ちました」
 知事 「稚拙だとは思っていません。ファンダメンタル(根本的)な疑問だと思う。毎日のように聞かれてるんですよ、あなた方に」
 報道陣 「定期的な会見が必要かっていうのは…」
 
 会見場は一触即発のムードに包まれた。知事は続けて「あなたたち(記者)が聞きたいことが必ずしも県民が聞きたいこととは思わない」「会見内容を1時間分、全部明日載せてくれます?」とプンプン。報道陣が「何を選択するかはわれわれの編集権。侮蔑した質問ですよ」と応酬すると「そっちの方が侮蔑してる。県民軽視ですよ」とヒートアップした。結局会見は予定通り行われ、結論は持ち越された。

 このニュースを扱っている記事やテレビは全体的に東国原知事に批判的ですが、それはある意味当然です。
 なぜなら、記者会見をしなければ、自分たちのご飯のネタがなくなってしまうからです。
 ネタを見つけるという作業が大変なのは、やえもよく分かっています。
 たまにネタが無いと言っちゃったりしていますように、記事を書く際の一番の問題はネタ探しです。
 逆にネタが見つかったらスラスラと書けちゃうコトとかよくありますから、ネタ探しが文章を書く際に最も重要なポイントと言っても過言ではないと思っています。
 しかし定例記者会見さえあれば、ネタは向こうからやってくるワケですから、そりゃ書く側の記者からすれば、これほど楽なコトはないですよね。
 そして記者は一般人が持っていない利権をたくさんもっています。
 普通の人では会えない人や入れない場所に特権的に入れたり、記者クラブなどを公費で提供してもらっていたり、そしてこの定例記者会見もわざわざ公務の時間を割いてマスコミのために場を作っているワケですね。
 だから知事が「やめても良いんじゃないか」と言ったとたん、記者は猛反発するのです。
 
 構造的には、特権・利権にしがみつこうとする公務員やゼネコンと全く同じです。
 小泉さんが首相の時に断行した道路公団の民営化は、「半公務員の公団が採算性を全く考えずに高速道路を造ってしまうのは非効率だ」という理由から、いわゆる「聖域なき構造改革」というキャッチフレーズのもと、民営化されたワケです。
 対して東国原知事は、簡単に言えば「何も発表するコトのない日は時間の無駄だし公務もいっぱいあるんだから、定例とする記者会見はやめよう」と効率的建設的な意見を述べたワケですが、自分たちのネタのためにその利権を放そうとしない記者・マスコミは、効率性を全く無視して自分たちだけの、一部のマスコミという特権階級のためだけに抵抗をしているワケです。
 マスコミは自分以外の抵抗勢力には大批判するクセに、自分はしっかりと利権をガッチリ死守しようとしているワケです。
 
 それを証明するかのように、記者は東国原知事の質問に全く答えられていません。
 記事のセリフの部分を見てください。
 「何もない時まで記者会見する必要はないのではないか」という知事の質問に対して記者が出した言葉は「稚拙な質問だ」です。
 全くかみ合っていません。
 「稚拙だ」という言葉は、これは意見ではなく感想や印象といった主観的なモノであり、普通は議論している当事者同士が出す言葉ではなく、第三者が出す言葉です。
 例えば、「あの道を通った方が近道だと思う」という意見に対して、「その意見は稚拙だ」と言ってそれで議論になるでしょうか。
 普通は、「あの道を通った方が近道だと思う」という意見に対してなら、「いやあそこの道はいま工事中だからこっちの道の方が近い」と言うのが、それが意見であり議論と呼ぶべきモノです。
 そういう具体的な意見が言えずにただただ「稚拙だ」という主観だけで返事をするというのは、つまり具体的な理由が存在しないと白状してしまっているようなもんでしょう。
 あるのは自分たちの利権を守りたいという醜い下心です。
 
 これを伝えていたワイドショーもヒドイもんでした。
 知事と記者とのやりとりのその場にいない人が後から意見を言うので、まぁまだマシな言葉が出てくるだろうと期待していたのですが、なにがなにが、出てきた言葉は「透明性のある県政のために」とか、「何かいやなことでもあったのでしょうか。言葉遣いが荒っぽいですね」とか、「コートみたいなのは脱いだ方がいいんじゃないか」とか、もう意見とは言い難い印象操作しか出てこないのです。
 意見と呼べるシロモノは存在せず、ただ自分たちの利権を守ろうと、抵抗勢力が必死に抵抗をしている様しか映し出されませんでした。
 やはり利権死守しか理由がないのでしょう。
 
 結局、この記事も含めて、東国原知事の質問に答えている人は全くいませんでした。
 「透明性のある県政のために」という言葉も、知事の質問とは全くかみ合っていません。
 知事は決して記者会見そのものを否定しているワケではなく、単に「定例にする必要性があるのかどうか」というコトを言いたいワケなのですから。
 記者会見を定例という形にすると、しゃべるコトがあるなしに関わらず強制的に開かなければならないワケで、しかししゃべるコトがないのであればそれは無駄でしかないですし、知事も公務が詰まっているワケですから、だから「やるべき時にやればいい」とおっしゃったワケです。
 ですからこの質問に答えるためには、「特に何も無いときにもわざわざ貴重な知事の時間を割いて記者に付き合ってあげる必要性はどこにあるのか」という理由を答える必要があるのです。
 そしてこの知事の質問には、誰も答えを出していないのです。
 
 この記事も、「週末には頻繁に上京しテレビに出演していることから、嫌いなのは県政記者クラブだけ?」としめてますが、これも全く的外れですね。
 知事は記者会見に疑問を呈しているのではなく、定例である必要があるのかどうかを問うているのですから。
 
 結局マスコミは日本の中で最後の聖域、最後の抵抗勢力なのです。
 

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平成19年4月19日

 安倍メルマガレビュー

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       安倍内閣メールマガジン(第26号 2007/04/19)
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 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 被災地輪島を訪ねて
 こんにちは、安倍晋三です。
 長崎市の伊藤市長が長崎駅前で背後から発砲され、亡くなられました。あってはならないことです。伊藤市長のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。ご家族のみなさまの悲しみや憤りを察するにあまりあるものがあります。心からお悔やみ申し上げます。
 このような凶行は、民主主義に対する挑戦であり、断じて許すことができません。こうした暴力を断固として撲滅していかねばなりません。
 
 なんだかおひさしぶりです、安倍さん。
 で、このニュースです。
 正直もう、こういう人は死刑にすべきだと思います。
 なぜなら、100%殺すコトを目的とした殺人だからです。
 もしこれで犯人が裁判で無期懲役ぐらいの刑になったとしたら、これは完全に「殺し得」になってしまいます。
 自分は死なずに済むのですから、目的は十分達成されてしまいますからね。
 また、政治家に対する殺傷については、一般人よりも重くすべきなんじゃないかとやえは思います。
 政治家は何千何万という人の付託を受けている存在なワケですから、その政治家を殺すというコトは、それら全ての人の期待を暴力で打ち壊しているコトに他ならないからです。
 本当に許せない事件です。
 
 4月15日から5月14日までは「みどりの月間」です。森林を守り、育てよう、と緑の募金活動も行われています。私も今週は、「緑の羽根」をつけての勤務です。
 官邸も、ソメイヨシノが葉桜となり、木々が青々としてきましたが、サトザクラはまだまだ美しい花を楽しませてくれます。
 先日、庭で大きなアオダイショウと出くわしました。ちょっと驚きましたが、これはきっと守り神でしょう。都会の中につくられた小さな庭にも自然が息づいています。
 
 官邸は意外と自然にあふれていますからね。
 アオダイショウってヘビのですよね?
 田中邦衛さんが現れたら驚き方もちょっとどころでは済まないでしょうし。
 ・・・ネタが古くてごめんさない(笑)
 
 先月25日は能登、今週15日には三重が大きな地震に見舞われました。家や仕事場を失った人たちは、季節を楽しむどころではないのだろうと思うと心が痛みます。
 13日午後、衆議院本会議で国民投票法案の採決を終えたその足で、能登半島地震の被災地、輪島に向かいました。被災状況を目の当たりにし、被災者のみなさんの声を直接お聞きしました。
 ガレキなどの掃除は進んでいて、交通の便は回復しつつあるようでしたが、瓦屋根を残してつぶれた家、倒れたままの石灯籠、傾いた家々は、無残な姿そのままです。満開の桜との対比が痛々しい光景でした。
 
 なんだか大規模地震が定期的に起こってるみたいでイヤですねぇ。
 ところでテレビで見たんですが、今被災地では有料の大型ゴミでも無料で回収しているらしいのですが、それに便乗して、被災地以外の人がそこにゴミを捨てに来ているのだとか。
 火事場泥棒という言葉がありますけど、あまりにも非道いというか、情けないというか、日本人として恥ずかしい話です。
 色々あると思いますが、被災者の方はこれからが大変だと思いますので、どうぞ頑張ってください。
 
 避難所はお年よりが多く、みなさん心細そうな面持ちでしたが、それでも正座して温かく迎えていただきました。
 「いい家にせんでも住まれるようにして」「年とった人が多い、年金額は決まってるから、なかなかそんな金は出せない」という切実な声を聞きました。こうした被災者の方々の期待に応えられるよう政府を挙げてとり組んでいきます。
 まずは仮設住宅の建設を急ぎ、住み慣れた家の修復、公営住宅の整備など、近所との交流が保たれたコミュニティーが失われないよう支援していきます。被災地復興のために、20日にも激甚災害指定を閣議決定して、より手厚く支援していきます。
 
 なんて言いましょうか、もうだいぶ政府も国民も、地震の際の対策は慣れてきてる感じがします。
 ただ、安倍さんならではだなと思ったのがここです。
 「近所との交流が保たれたコミュニティーが失われないよう」
 こういう心遣いをシッカリと表せるところが、心の部分に重きを置く政治家である安倍さんの特徴だと思います。
 はやい復興をお祈りしています。
 
 輪島は、漆器(輪島塗)や地酒など世界に誇れるものをもっています。石川県と協力して、地場産業の再生を支援するファンドをつくり、被災地で頑張っている人たちを応援していきます。
 
 最近は世界的に日本酒ブームらしいですからね。
 この本の文化は、これからもっと輸出できるモノが多いですから、地域活性化のためにも日本の経済のためにも、どんどん世界に発信していきたいですね。
 
 国会では、いよいよ教育再生のための法案審議がスタートしました。すべての子どもたちに高いレベルの学力と規範意識を身につける機会を保証するための重要法案です。成立に向けて全力を尽くします。(晋)
 
 ※ 能登半島被災の現場から(ライブ・トーク官邸)
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1122.html
 
 教育基本法が改正され、いよいよ本格的な中身の問題にとりかかるワケですね。
 将来の日本のために、国民も含めた議論を期待しています。
 
 
 
 [東奔西走]
 今週月曜日、秋葉原で「新しい国民との直接対話」が行われました。当日は折悪しく雨。この天気の中、どのぐらいの方に集まっていただけるのかとても不安でしたが、関東近辺の方だけでなく、大阪など遠方からもお越しいただくなど、合計で36名の方にお集まりいただくことができました。
 
 タウンミーティングに変わる例のヤツですね。
 しかしなんで秋葉原なんでしょうか。
 どんどん秋葉原がカオスな街になってきてますね。
 
 「新しい国民との直接対話」は初めての試みです。どのぐらいの規模で行うのが適切なのか、より出席者の皆さんの意見を引き出しやすくするにはどうしたらいいのかといった大きな課題から、大臣の警備はどうするのか、どのように受付をするのかといった細かいことまで、私もスタッフも手探りで準備を進めてきました。
 当日は私も司会として相当緊張して臨みました。当然やらせは一切なしです。どのような意見が出るかはふたを開けてみるまで分かりません。結果的には昨今の情勢を反映して、公務員制度改革に関するご意見が切れ目なく出され、出席者からの真剣な質問や渡辺大臣独特の語り口による受け答えで、議論は白熱。肌寒い日でしたが狭い会議室は出席者の熱気で熱いぐらいでした。
 
 別に事前に質問内容を聞いておくコトはいいと思うんですけどね。
 その方が具体的に返答も出来るワケですから、質問者も有意義でしょうし。
 もちろん政府を困らせようという悪意のもとの質問なら事前に知らせたくないでしょうけど、しかしそれはこの会の趣旨ではないですからね。
 
 今回、まずは成功裏に終えられたことに、今はホッと胸をなでおろしていますが、一方で本格実施に向けて、まだまだ乗り越えなければいけない課題はありそうです。政策を決定していく中でいかに国民の皆さんの声を反映させていくか、更なる検討をすすめてまいります。(せこう)
 
 とりあえず成功したのはよかったですね。
 お疲れ様です。
 ただ、国民の声を直接聞くというのは、各議員が選挙などを通じて有権者に対して行う行為ですから、もちろん行政が国民の声を聞くというのは良いコトですけど、あまりそればかりに奔走しないようには気をつけてほしいところです。
 日本は大統領制などの直接選挙が行政府の長なのではなく、国会議員の選出によって総理大臣が選ばれる議院内閣制であり、それは衆愚政治が起こりにくくする工夫であるのですから、政府が国民の声ばかりを気にしするのも本末転倒になってしまいます。
 その辺のバランスを考えながら、うまく「直接対話」していってほしいと思います。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

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平成19年4月20日

 それは憲法改正論議に関係ないのでは

 現在参議院で審議されている国民投票法案ですが、この前紹介した記事をもう一回見てみてください。

 国民投票法案、今夕に採決…衆院委で民主修正案質疑入り
 
 自民党は民主党に対し、与党と民主党の両修正案の一本化ができないかどうか、水面下で調整を続けている。ただ、民主党は「民主党案が全面的に受け入れられない限り、応じられない」としており、合意は困難な見通しだ。
 与党修正案は、民主党の主張の一部を採り入れて、投票権年齢を原則18歳以上(当面は20歳以上)とする内容で、国民投票の対象を憲法改正に限定している。民主党修正案は、国民投票の対象について、統治機構や生命倫理に関する問題などに拡大しているほか、投票権年齢の18歳以上への引き下げについて経過措置を盛り込んでいない。

 自分たちの案しか認めないと強弁する民主党の、その案とはどういうモノなのかというコトが、この記事にちょっとだけですが書いてあります。
 ポイントは2つ。
 ひとつは、「統治機構や生命倫理に関する問題についても国民投票できるようにする」
 もうひとつは、「法律施行と同時に対象年齢を18歳とする」です。
 
 まず年齢についてですが、政府・与党案では、現行法下での選挙権や成人年齢が20歳となっていますので、国民投票法案の法文上は18歳からでも可能としつつ、他の法律との整合性を考えながらとりあえず今は20歳からとしよう、というコトになっています。
 確かに選挙権は20歳なのに、国民投票だけは18歳というのは、バランスを欠いていると言えるでしょう。
 しかしなぜか民主党案では、理由もなく国民投票法だけ18歳からとするという、整合性を欠いたモノになっています。
 やはりこれらの年齢に関する問題は、全ての法律のコトを考えて全体的に考えるべきであり、今まである制度を変えようという議論なのですから、国民も含めた議論をしっかり丁寧にすべきだと思うのですが、それでも民主党は民主党だけで勝手に話をすすめようと強弁してしまっているんですね。
 どうしてそこまで傲慢になっているのでしょうか。
 
 もうひとつ「統治機構や生命倫理に関する問題についても国民投票できるようにする」ですが、これも民主党案は国民無視の態度にしか思えません。
 本来この国民投票法案とは、今の憲法に憲法改正のためにはこうしろと書いてありつつ、そのための具体的な手続きが示されていないので、その「法の不備」を是正するために提出されたモノです。
 例えばも憲法には衆参の国会議員を選出しなければならないと書いてある(第43条)ので、その具体的な選出の手続きのために公職選挙法という法律が定められているワケですが、憲法改正の場合はその公職選挙法にあたる法律が存在していないのです。
 つまりその法の不備を是正するモノが今回の国民投票法案であり、ですから憲法改正のためだけの法律であるのがこの国民投票法案の本来の姿であるハズなのです。
 それなのに民主党は、なぜか憲法改正以外の事案まで扱えるようにしてしまっているのです。
 
 なぜなのでしょうか。
 例えば「生命倫理に関する問題」というのは、党議拘束をかけないという異例の措置を全党がとった脳死の問題が当てはまるのでしょうけど、これも現行法下では国会で審議されます。
 それは、国会が憲法によって「国権の最高機関」と位置づけられ、国民の代表たる代議員によって構成されているからであり、国家と国民にとって重要だからこそ国会で審議されるのです。
 行政や裁判所が、仮に「脳死も死とする」と考えていたとしても、立法府と法律がそれを許さないのであれば、行政も裁判所もそれに背くコトはできません。
 法治国家という言葉が示す通り、国家にとっての最も基本は法律であり、だからこそその法律を定める国会は「国権の最高機関」なのです。
 
 民主党案は、この大原則を根底から覆すモノと言っても過言ではありません。
 立法府にも行政府にも司法府にも属さない国民投票という存在が、三権と同列、もしくはそれ以上の力を持つようにさせるのが民主党案ですから、これは本来大改革と呼べるシロモノのハズなのです。
 それなのにあまりにも扱いが低すぎます。
 というか、この国会の機能を一部でも変えてしまいかねない大改革を、いくら憲法改正という大きな問題に関わるモノとはいえ他の案件と一緒にして通してしまっていいモノではないでしょう。
 もし統治機構や生命倫理に関する問題を国民投票で決めるようにするのであれば、当然それだけの法律案などを示し、それだけで国民を含めた大議論をすべきなのではないでしょうか。
 特にやえはこのような問題はむしろ、憲法にその様に定めるのが筋なのではないかとも思いますし。
 
 よく民主党や野党は与党に対して「ドサクサに紛れて法案を通そうとしている」という批判をしますが、むしろ民主党の方こそ憲法改正のための国民投票法案という大きな隠れ蓑に隠れて、自分たちの主張を遠そうとしているように見えます。
 特に憲法改正というと、知性も常識もかなぐり捨てて騒ぎ立てる人が少なくありませんが、そんなドサクサに紛らわせようとしているんじゃないかと思ってしまいます。
 「自分たちの案しか認めない」と強弁する態度もどうかと思いますが、中身についてもかなりトンデモナイことになってしまっているのが民主党案です。
 

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平成19年4月24日

 オービスの正当性と警官の態度

 オレだー
 サンダー
 
 
 
 
 
 さて、火曜日なのでオレだ、という設定を忘れている人がほとんどだと思うが、どっちかっつーと警察ネタなので出てきた次第。
 まて、そこのキミ、「またか」みたいな顔をするでないっ。

 オービス摘発裁判、最高裁が2審判決を破棄
 
 自動速度取締装置(オービス)で摘発され、道交法違反(速度超過)の罪に問われた秋田県男鹿(おが)市の翻訳業の男性(41)の上告審判決が23日、最高裁第1小法廷であった。
 涌井紀夫裁判長は、「2審はオービスの速度測定に誤差が生じる具体的な可能性について審理を尽くしておらず、事実を誤認した疑いがある」と述べ、検察の起訴を無効とする公訴棄却を命じた2審・仙台高裁秋田支部判決を破棄し、審理を仙台高裁に差し戻した。
 判決によると、男性は2004年8月、同県潟上市の県道で、法定速度を32キロ上回る時速92キロで走行したとオービスに記録された。男性は「時速80キロ程度で走っていたはずだ」と主張したが、05年10月、1審・秋田簡裁は「オービスの正確性は高い」として、罰金6万円の判決を言い渡した。

 最終的な判決はまだ出ていないので、裁判的にはまだなんとも言えない問題ではあるんだが、しかしこの手の裁判で、高裁で行政側に敗訴判決が出たのはちょっと意外だった。
 裁判所もがんばっとるなぁと思ったんだが、でも最高裁は差し戻してしまったのね。
 まぁどちらにしても、しっかりと審議してもらいたいと思う。
 
 まず、オービスのという機械の信憑性をもう一度客観的に審議してもらいたい。
 
 テレビでの情報によれば、オービスも、やはりどうしても機械だから、ある程度の誤差はでるものらしい。
 免許持っている人なら分かると思うが、違反が29キロと30キロでは全然意味が違ってくるので、誤差が出る以上それを使って取り締まるというのはそもそもいかがなものかと、まず思う。
 さらにその上で、どうも警察側とオービスメーカーは「スピードが低く表示される誤差はあり得るけど、高く表示される誤差は無い」と言っているらしい。
 おいおい、こりゃちょっと無茶のある説明なのではないだろうか。
 そもそも“誤差”とは、「本来予期してない動作」のことであるのだから、言ってみれば「何が起こるか分からない」わけで、「本来のスピードより高く表示する誤差だけは起きない」と言ってしまうのは都合が良すぎると言わざるを得ない。
 誤差というなら、高い方にも低い方にも出てしまう、というのが本来の姿だろう。
 警察側の言い分はかなり滅茶苦茶である。
 
 また、裁判の場では、オービスメーカーの証言だけでオービスという機械の正当性を訴えているらしい。
 しかしよくよく考えるまでもなく、オービスの機会を提供しているメーカーが、まさか「自分たちが作った機械は信憑性が無い」なんて言うハズがない。
 そんな事言うぐらいなら、はじめから機械を売ることなんてできないからだ。
 つまりメーカーというのは完全に警察側と同じ立場の当事者であって、第三者的に証言するような立場ではないはずなのである。
 しかも地方裁ではそれで警察側が勝ってしまっている。
 あまりにもおかしすぎる。
 この裁判ではオービスの機械の信憑性も争われているわけだから、メーカーだけの証言で客観的な判断が下せるはずはないのにも関わらず、なぜ地方裁は一方の当事者だけの主張だけ受け入れてしまっているのか、不思議でたまらない。
 この場合、オービスという機械の客観的な正当性を判断するのであれば、第三者機関による科学的な検証が必要であろう。
 
 なんだか痴漢冤罪裁判もそうなんだが、最近一方の主張だけを証拠もなく盲信して判決を下してしまうような裁判が増えてないか?
 特にこの問題は、科学的な検証が可能なのだから、当事者だけの主張を聞くだけでなく、しっかりと検証をしろと言いたい。
 多くの国民に関わることであるわけだし。
 もう一度高裁で審理がやり直されることになるのだろうが、今度こそはちゃんと客観的で科学的な審理をして欲しいと思う。
 
 
 もうひとつ言いたいことがある。
 だいたいにしてあのオービスとやらはなんなんだと言いたい。
 スピードが一定以上出てたらいつの間にか盗撮されていて、たった一枚だけの写真で罰が下されてしまう、けっこう理不尽な存在ではないのか。
 
 そもそも道路交通取締りとは事故を起こさないためにするものであるはずなのだが、実際行われているのは、ルールを守らせるためだけに取締りをしているフシがあるようにしか思えない。
 
 道路交通法というものは、これは事故を起こさないために存在している、いや人間が人工的に存在させたものであって、常識から派生した自然法ではない。
 もちろん法治国家である以上法律を守るのは当たり前の話だが、例えばオービスのあるところに、どうやっても目に入ってくるでかさの文字で「ここにオービスあります」とか看板掲げておけば、誰でもスピード落とすことだろう。
 確かにこれではスピード違反で捕まえられることはできないが、でもそれは警察の勝手な都合であって、本来の目的は「事故を起こさないこと」なのだから、この看板でそれは十分果たしている。
 むしろ見つけにくいオービスがあることで急ブレーキなどを踏んでしまった方がよっぽど事故の可能性が高くなるのではないだろうか。
 
 オービスだけではない。
 普通の取締りだって、目的と手段を警察ははき違えている。
 交通安全週間なんかで白バイが道路の交差点脇でこっそり隠れていて、違反者を見つけたらいやっほーという勢いで捕まえてキップを切っている様子を見たことあるヤツも多いだろうが、あれもものすごい疑問だ。
 なぜ隠れている。
 違反者が出るまで隠れるんじゃなくて、堂々と警官が姿をさらしていれば、それだけで違反者はいなくなり、ひいては事故減少につながるのではないか。
 逆に言えば、警官が隠れているというのは、これは事故が起きるのを待っている行為だと言えるのではないのか。
 法律の意義を考えれば、「法律を守る→事故が起きない」であるはずなのだから、警察はまず違反をさせない努力をすべきであって、違反者を捕まえることを目的としたような行為は的はずれもいいところだ。
 
 オービスにせよなんにせよ、ちゃんと本来の目的を達成するために、目的を見失わずに、目的が手段にならないように、警察は日々努力してほしい。
 そしてこの際、せっかく裁判になっているのだから、徹底的に科学的検証を施し、本当に事故が無くなる方向に向くような判決を下して欲しいと思う。
 また、毎日のように運転する人間として思うのだが、実際の法律と現場での実情はかなり乖離しているのではないだろうか。
 その辺の是正も本来必要なのではないかとオレは思う。
 

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平成19年4月25日

 推定無罪

 先日、地方裁判所で判決が出ましたいわゆる「ルーシー・ブラックマンさん事件」について、これをどう考えたらいいのかと最近よくコメントを求められています。
 被告に対して裁判全体としては有罪無期懲役という判決でしたが、唯一このルーシーさんの事件だけは無罪判決だったという、あの裁判です。
 
 ただ、この裁判、まだおそらく高裁・最高裁までいくものと思われますので、この段階でどうこう言うのは適切ではないと思っています。
 
 しかしこの判決を見てひとつ言えるのが、やはり「推定無罪」の原則は絶対に守らなければならないというコトです。
 いまこの件に関してテレビ等でいろいろと報道されていますが、正直そのほとんどは感情論だけで語られているような気がしてなりません。
 やえもこの事件や裁判の中身をじっくりと検証したワケではないので、あまりどうこう言える立場でもないとは思うのですが、それでも被害者寄りであるマスコミでさえ直接的な証拠を挙げるコトが出来ていない現状を鑑みれば、やはり「疑わしきは罰せず」を貫かなければならないハズではないかと思うのです。
 いまマスコミがやっていることは、世論を動かして、裁判の判決を感情だけでひっくり返そうとしているようにしか見えません。
 それはとても危険な行為です。
 
 マスコミの、証拠無しの決めつけ弾劾で思いだされるのは、「松本サリン事件」です。
 いまでこそこの事件の犯人はオウム真理教だと常識で語られますが、この事件が発覚してしばらくは、通報者の男性こそが犯人だと、もの凄い勢いの報道がなされました。
 もうだいぶ前の話になってしまいましたので、当時の空気を覚えている人も少なくなってしまっているかもしれませんが、あの時は日本中がその男性を目の敵にしていたと言っても過言ではないぐらいの雰囲気だったのです。
 なぜその男性がそこまで疑われたのかと言えば、男性の家に、なにやら化学実験ができそうな器具が見つかったとか、そういう理由だったと思います。
 しかし結局、それでサリンが作られたのではなく、本当の犯人はオウム真理教だったワケです。
 
 ルーシーさん事件で被告の状況証拠とされているモノは、やえがマスコミの話を聞いている限りでは、「コンクリートを買った」「チェンソーを買った」というあたり程度のようです。
 そして結局裁判所は「その道具が本当に殺害に用いられたかどうか分からない」という判決を下したワケです。
 確かにあの被告はものすごいあやしいですし、他の事件では有罪判決が出ているワケですから、ルーシーさん事件も限りなくあやしいとは言えるのでしょうけど、やはり証拠がなければ裁判の場では「あやしい=無罪」にしなければならないと思います。
 「あやしい」だけで有罪にしていたら、松本サリン事件のように、重大なえん罪がおきかねません。
 
 人間の力というモノは、所詮限界があります。
 どんな事件だって、人間がその事実を実際に起きたコトと100%寸分も違いなく認定するコトなんて到底不可能です。
 所詮は推測するしかないのです。
 そして証拠とは、その推測するためのパズルのピースです。
 今回地方裁判所は、そのピースがこの事件のピースであるとは言えないと認定したワケで、それならやはり無罪と言うしかないでしょう。
 ピースに見えても、実際にははめ込めないピースであったら、それはパズルとして成り立たないのですから。
 
 高等裁判所ではどんな判決が下されるか分かりません。
 検察としても、もう一度証拠の検証と理屈を考え直すコトでしょうし、その結果もしかしたら今度は有罪判決が出るかもしれません。
 もちろんそれならそれでいいと思いますし、その際には地方裁とどのような考え方の違いが出てきたのかむしろ興味深いのでじっくりと検証してみたいと思います。
 しかし、いまマスコミが言っているコトは、被告があやしいだとか被害者がかわいそうだとかでは他にだれが犯行できるというのかだとか、そういう感情だけのモノ言いでしかありません。
 裁判所はその被告の判決を下すコトが仕事なのであって、真犯人を見つけるコトではありませんし、だからこそ確実な証拠が必要なワケで、いまのマスコミがやっているコトは、そんな大原則をやぶって感情だけで判決を下させようとしている行為にしか見えません。
 
 疑わしきは罰せず、推定無罪
 この原則をもう一度冷静に考え直す必要があるのではないでしょうか。
 

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平成19年4月27日

 安倍メルマガレビュー

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       安倍内閣メールマガジン(第27号 2007/04/26-05/03)
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 ★☆ 倖田來未さん登場! ☆★
 倖田來未さんのメッセージ「未来はつかめる」をお届けします。
 ※ 歌手を目指していた子ども時代に受けたいじめ体験をもとに「助けてくれたのは夢じゃなくて人だった」と語る倖田來未さんの動画を政府インターネットテレビでご覧いただけます。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1118.html
 
 
 [こんにちは、安倍晋三です]
 ● 2008洞爺湖サミットの決定
 こんにちは、安倍晋三です。
 長崎市長の銃撃に続き、都内などでも暴力団による銃撃事件が立て続けに発生しました。こうした暴力の横行は、民主主義に対する挑戦であり、言語道断、断じて許すことができません。
 治安のよさは、日本が世界に誇る美徳だと言われてきました。ここに傷がつくようでは「美しい国」とはいえません。国民の安全を守るのは私の責務、平和な生活を脅かす暴力を断固として撲滅します。
 
 こんにちは。
 それでもまだ日本は治安は外国に比べれば格段にいいんですけどね。
 欧米の中の先進国でも、例えばひとりで地下鉄に乗れば確実に犯罪に会うといった場所があったりしますが、日本ではそういうところないですよね。
 推奨できないコトではありますが、女が夜ひとりで出歩いても、基本的には日本では大丈夫ですし。
 ですから、安易に日本が外国並みに治安が悪くなったと騒ぎ立てるのは、ちょっと違うと思います。
 しかし日本でも凶悪犯罪が増えてきたのは事実ですし、また外国人による日本人では想像つかないような手口での犯罪も増えてきています。
 治安がいいというコトは、それは大きな観光資源でもありますし、もちろん日本人にとっても治安がいいにこしたコトはありません。
 ヤクザのような連中はどんどん撲滅し、凶悪外国人もどんどん排除して、治安の良い美しい日本を取り戻してほしいと思います。
 
 来年、日本で開かれるG8サミットの開催地を北海道洞爺湖町に決定しました。
 日本での開催は、平成12年の沖縄以来8年ぶりとなります。各国の首脳が一堂に会し世界に発信するサミットは、世界の注目を集めるだけに、開催地の選定は極めて大きな意味をもちます。
 
 日本の端から端に移動しました(笑)
 ところでやえは洞爺湖と聞くとどうしても、『銀魂』の銀さんの木刀しか思い浮かべられません。
 ごめんなさい(笑)
 
 開催に名乗りをあげた地域は、日本の伝統と歴史を誇る古都、風光明媚な瀬戸内海、日本近代化の原点と謳う港湾都市。
 どこをとっても、それぞれに、自然、文化、伝統の素晴らしさ、美しさがあり、決定に際しては大変悩みました。
 来年のサミットでは環境問題も大きなテーマとなります。「美しい国、日本」をアピールしたいとの思い、地方を重視したいとの思い、警備などの実務面のことなど、いろいろなことに思いを馳せながらの私の決断です。
 
 やえ的には、むしろ広島でサミットしてみるっていうのも手なんじゃないかと思うんですけどね。
 アメリカをはじめ、核保有国はイヤがるでしょうけど、そこを敢えて推し進めるというのも、国際的な立場からして日本だけが出来るコトですし。
 
 鏡のように澄みわたる洞爺湖、見渡せば羊蹄山、有珠山など豊かな自然があふれた洞爺湖町。こんなにも美しく、ダイナミックな日本の自然を、世界中の人が注目することを思うと、今から楽しみです。
 
 そして仙人から木刀がもらえるのですね(しつこい
 
 今日、8日間の日程で、アメリカ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、エジプトを歴訪するため、日本を発ちます。
 アメリカは、総理になって初めての訪問となります。ブッシュ大統領とは、これまでに何度もお会いし、そして国際社会の重要な局面では必ず電話会談を重ねてきました。今回の会談では、大統領との個人的信頼関係をさらに深めたいと思っています。ホワイトハウスで、妻とともにブッシュ大統領御夫妻と夕食をご一緒できるのを楽しみにしています。
 
 でもまぁブッシュさんと言えば小泉さんとの友情が定着してしまってますから、安倍さんもちょっと横やり入れにくいんじゃないかと、端から見ていたら、そんな気がしてしまいます。
 ・・・と書くと、なんだか一部のコアな人達が喜びそうなシチュエーションですが(笑)
 ただやはり二国間の関係も、トップ同士の仲によって大きく左右するコトも少なくないですから、安倍さんには引き続きアメリカとの良好な関係を築いていただきたいと思います。
 
 同盟関係は信頼関係です。国際社会は、大量破壊兵器やミサイルの拡散をはじめとした多くの不安定要因をかかえています。北朝鮮の核や拉致の問題もあります。もちろん、エネルギーや気候変動などの問題も胸襟を開いて話をします。私の外交観、とりわけ日米同盟に対する考えについて、首脳同士でじっくり語り合いたいと思います。真の友情を築いて、アジアのため、世界のために日米同盟をより強固なものとしていきます。
 
 何度か言ったコトありますが、消去法で言えばやはりアメリカが外国の中では一番日本と価値観が近いと言うのはまぎれもない事実だと思います。
 中国とか韓国とかは考えるまでもなく価値観が近いとは言いづらいですし。
 ですから現状ではアメリカとよくよく同盟を作っておくコトは、国際社会の現代では必要不可欠ですし、それをもって弱腰だとかポチだとかは言えないでしょう。
 今の日本の立場から言えば、アメリカを利用しつつ徐々に日本の立場を引き上げていくというのがベターではないでしょうか。
 アメリカと仲良くするしないではなく、仲良くした後日本がどのように進むべきか、こここそを本当に議論すべき問題であって、決断すべきは日本の国民自身なのです。
 
 中東諸国は、日本のエネルギー安全保障にとっても、世界の平和と安定のためにも重要な国々です。この地域の安定に対して、日本として何ができるのか、より真剣に考えなければならない時が来ていると思います。石油や経済のみならず、環境や科学技術、文化といった幅広い分野でのパートナーシップを築いていきます。
 
 中東は対日感情のいいところが多いですからね。
 日本がこれから世界で存分に力を発揮できるようになるためにも、友好国が多いにこしたコトはないですから、なかなか遠いのでドンドンとは言えませんが、出来るだけお互いに頻繁に往来できるようになればいいですね。
 
 24日には、60年ぶりの公務員制度改革を盛り込んだ国家公務員法の改正案を閣議決定しました。内政も外交も課題は目白押し。諸課題を一つずつ着実に乗り越えていきます。(晋)
 
 大切なのは第一歩です。
 来週はゴールデンウィークですが、安倍さんは外遊で休んでいられないのですね。
 どうぞ海外に行かれてもお体に気をつけてがんばってくださいね。
 
 
 
 [この人に聞きたい]
 ● 未来はつかめる(歌手 倖田來未)
 こんにちは。倖田來未です。
 
 このごろ流行りの女の子〜♪ おしりの小さな女の子〜♪
 
 実は私も、小学生のときと中学生のときと2回、いじめられた時期がありました。当時は女の子の中では順番に標的にされるみたいな感じで、昨日まで普通だったのにいきなり無視されたり、気付いたら消しゴムがなかったり、、、。今思うと些細なことだったのかもしれないですが、そのころは10数年生きてきての世界がすべてだから、何やってても面白くないし、本当に辛かったですね。
 子供のころから歌手が夢だったので、小学校3年生はちょうどオーディションを受け始めたくらいだったのですが、「私は歌手になるからいじめられてもいいや」とは思えませんでした。助けられたのは、夢じゃなくて、何人かがかけてくれた声でした。「一緒にかえろうか」といったその一言があるのと無いのでは全然違いました。
 
 いじめの問題ですね。
 子供っていうのは些細なコトでいじめをはじめて、しかし些細なコトで救われたりするモノです。
 やっぱり世界が学校だけですからね、いろいろとつらいところです。
 やえのまわりでは直接は話は聞きませんけど、なかなか難しいですよね。
 
 いじめられている子を見たときに、「正義の味方」みたいにかっこいいことをしようという気持ちじゃなくていいと思うんです。一言声をかけてあげるとか、小さいことで本当に違うと思います。
 私もそのときは親にも言えないし、やっぱり溜め込んじゃって、吐き出せなくて思い詰めてました。でも一人だけでいい、自分の気持ちを素直に話せる人、親友と呼べる人、家族と呼べる人に辛い思いを、もう泣いて泣いて泣いてすっきりするぐらい気持ちをすべて話して、吐き出してほしいと思います。
 
 一番こわいのが「孤独」です。
 自分以外には世界に誰もいない、そんな気持ちになってしまうとどうにもならなくなってしまいます。
 自分はひとりじゃないって思えれば、それだけで光が見えてくるのですが、そのきっかけなんですよね。
 
 人はそれぞれ意味があって生まれてきたんだと思うし、それぞれに個性があります。素敵な笑顔や、優しさや、独特の感性をもってたり、その可能性に気付いてない子が多いんじゃないかなって思います。
 私も本当に普通の京都の子供だったので、例えば今、いじめられている子にも乗り越えれば未来があるよって、心から伝えたいです。逆にいじめてる子にも、そんなことをしている間に自分の可能性をつぶしてしまっているって気づいて欲しいですね。他にすることあるでしょって、「自分のやりたいことは何なのかな」ってもう一回考え直してくれたらなと思います。
 
 大人になれば世界が広がるでしょう。
 いじめなんてあったっけって思ってしまうぐらいのコトになってしまうコトもあるようです。
 もちろんそれでは済まされない場合もあるワケで、個別ごとに複雑な事情がありますから、それがまた難しいのですが、みんなひとりひとりが強い意志を持ってもらいたいと願わずにはいられません。
 また、いじめる側は明確に加害者であるという意識も絶対に必要だと思います。
 倖田さんは経験談からいじめられる側として今回お話をされていますが、本来悪いのは加害者であるワケですから、悪い方を正すというのが筋です。
 この辺のいじめというモノに対する一般的な見方というモノも、一度しっかりと整理した方がいいんじゃないかと思います。
 
 私も辛い時期もありましたけど、時間をかけて努力をしていけばいつか夢はつかめるということを伝えたいです。
 ※ 倖田來未の「ストップ!いじめ」はこちら
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1118.html
 
 
 
 [東奔西走]
 26日、安倍総理は米国及び中東諸国訪問に出発します。私はプレス対応のため一足先に最初の訪問国である米国に渡ります。この原稿を書いているのは、出発直前の深夜。荷造りを終えたところです。
 
 あら、せこう先生まで、大変ですね。
 お疲れ様です。
 
 今回の総理訪米に先立ち、私は2月に渡米し現地の記者たちと懇談を重ねてきました。安倍総理とブッシュ大統領との個人的信頼関係が更に深まるものと期待しています。また、中東諸国はエネルギー安全保障やイラン核開発問題など、日本にとって大変重要な国々です。こうした国々と首脳レベルで関係強化を図ることが必要不可欠です。
 
 しっかりとやってますねぇ。
 やっぱり政治家が下地を作るっていうのも大きな意義があるでしょうからね。
 安倍さんの訪米、ぜひ成功させていただきたいと思います。
 
 さて、「美しい国づくり」プロジェクトでは、先週金曜日から「美しい日本の粋(すい)」として、皆さまが思う、日本の「らしさ」「ならでは」の募集を開始しました。定刻どおりに到着・出発する電車や、地震などで被災された方々の規律を守った行動、国境を越え世界中の人々に愛されている日本のアニメや漫画など、私たち一人ひとりが思う、日本らしさには様々なものがあると思います。是非皆さまのお考えをお寄せください。皆さまのご応募から「美しい国づくり」が始まります。
 
 日本人自身ではなかなか気付かないようなコトは、意外と多いですからね。
 日本人は、外国も日本とそう変わらない生活をしていると思いがちですが、日本ほど生活しやすいところも珍しいと言っていいと思います。
 そういう素晴らしいところを、日本人自身が再確認するコトは意義深いコトでしょう。
 
 そろそろ夜も更けてきました。出発前に少し睡眠をとらなければ。ゴールデンウィーク期間中の5月3日はこのメールマガジンもお休みとさせていただき、次回の配信は5月10日になります。では2週間後、またお目にかかりましょう。(せこう)
 
 リアルタイムっぽいです(笑)
 では、せこう先生もお体に気をつけて、また二週間後にお会いしましょう。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、美しい国日本を応援しています。
 

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