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 福田メルマガレビュー小沢さん、民主党代表を辞する!?軍隊を他人の判断に委ねるな辞める辞める詐欺福田メルマガレビューああ言えば民主身の安全は自分で守る人間は無関係の他人に感情は抱かないようになっている福田メルマガレビュー

平成19年11月1日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第4号 2007/11/01)      
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 ★☆ 国民対話(11月18日開催)の参加者募集中!! ★☆
 「渡海大臣と語る希望と安心の国づくり」(テーマ「信頼される学校づくり」)
 http://www8.cao.go.jp/taiwa/participant20071118.html
 
 [とうとう11月1日。福田康夫です。]
 
 とうとう11月1日。福田康夫です。
 本日をもって、テロ対策特別措置法が期限切れとなり、インド洋における海上自衛隊の活動を終了させることとなりました。
 
   FUEL FOR FREEDOM(自由のための燃料)
   JDS TOKIWA   (日本の自衛艦ときわ)
   THANK YOU    (ありがとう)
 
 補給艦「ときわ」が今回の任務で最後の給油を行ったとき、その給油を受けたパキスタン艦にこのような横断幕が掲げられました。
 甲板の上で目玉焼きが作れるほどの炎暑の中で自衛官諸君がこれまで行ってきた地道な活動が、いかに国際的な評価と結びついていたかを、改めて実感しました。
 
 今年もあと二月となりました。
 早いですね。
 そして本日、ついに自衛隊がインド洋から帰らなければならない事態に陥ってしまいました。
 日本の活動が世界から認められ感謝され、そしてまだまだ続けて欲しいと思われている中で、とても残念な事態です。
 日本のこの活動がとても高く評価されている事実を、どうしても目をつむり耳をふさぎたい人が少なからずいるみたいですが、事実は事実として見なければならないのではないでしょうか。
 中にはこの手の報道を「形だけだ」と言う人がいますが、では形に表さずしてどうやって謝意が伝わってくるというのでしょうか。
 そりゃ個人対個人で対面していれば通じてくる場合もあるでしょうけど、この問題は国対国の問題で、ぜんぜんそういうレベルではありません。
 むしろ国だからこそ、形が大切、つまり「公式に出されるモノ」が大切なワケです。
 自分の考えに合わないモノだけを歪めて解釈するのは不誠実ではありませんよね。
 
 例えば福田さんはここまでをメルマガで紹介されていますが、さらにこの記事ではこのようなコトも伝えています。

 補給作業が始まるとパキスタン艦船から手旗信号で「また会いましょう」とのメッセージが送られ、離れる際には同艦から「君が代」が流された。

 日本国国歌まで演奏して謝意を表してくださったのです。
 この事実を日本人としてしっかりと受け止めなければならないのではなでしょうか。
 
 この前の参院選で自民党が惨敗し、衆議院の第一党が自民党、参議院の第一党が民主党という、ねじれた国会状況の中、私が、総理に就任してから、すでに1ヶ月。
 これは、自民党と民主党がただ対立に終始していたのでは、国民生活に関係する法律や外交案件もスムーズには成立しない状況にあるということです。
 
 今思えばなんですが、こういう事態って、二院制が作られた時には想定しなかったのでしょうか?
 まぁ今さら言っても始まらないんですけどね。
 
 何とか、こうした状況を打開したいという一念で、私は、民主党の小沢代表に党首会談を申し入れました。これが現在の行き詰まった状況を打開するものとなるかどうかは分かりませんが、小沢代表も国家や国民のことを第一に考えるという思いは同じであると考えております。
 今後とも、胸襟を開いた話し合いを積み重ねることによって、国民のためによりよい結論が得られるよう努力します。
 
 これを「密室談合だ」とか言っている人もいるみたいですが、しかし非公開だからこそ本音で話せるコトというのも当然あります。
 まして政治は汚い部分があります。
 あって当然です。
 むしろ無ければ困ると言ってもいいかもしれません。
 しかし清廉さばかりを求めすぎている日本国民には、それを納得できない人も多いと言わざるを得ません。
 そんな中、なんでもかんでも政治事をオープンにした方がいいという考え方は、やえはどうかなと思います。
 言い方を変えれば、国民はまだそこまでのレベルに達していません。
 
 先週、政府の関係機関である「国民生活センター」を訪問しました。
 乳母車やシュレッダーで子どもがケガをした事件や、ガス瞬間湯沸かし器で中毒や火災が発生した事件などがありましたが、このセンターでは、皆さんが日常使うこのような製品の安全性をテストしています。
 皆さんも色々と経験があると思いますが、日々の生活の中の思わぬところに、様々な危険が潜んでいます。このセンターでは、消費者からの苦情などをもとに、こうした危険を一つ一つ地道にチェックし、インターネットや広報誌でその結果を発表しています。是非、活用してみてください。
 
 これはもうバンバンやってほしいですね。
 特に最近偽装のオンパレードですから、いまこそ存分に国民生活センターは力を発揮していただきたいところです。
 
 メーカーは、より安全で、使いやすい、長持ちする商品を作ることが求められていますが、今や、本当に消費者のためになる商品を作っているかどうかが、その企業の競争力を左右する時代となりました。
 ただ、企業の努力だけに頼るのではなく、政治も行政も、これまでの生産者重視の姿勢を改め、消費者や生活者の立場に立った政治、行政へと大きく発想を転換すべき時代がきています。
 製品の安全や食の安全など、国民生活に直結する分野について、国民の目線に立ってあらゆる法律や制度を総点検し、根本から見直していく取組をすぐにでもスタートさせたいと思っています。
 
 ひとつ言いたいコトがあります。
 企業や、また政治や行政が努力するコトも大切ですが、国民もしっかりと意識を持つコトも大切だと思います。
 ちょっと前に「氷殺ジェット」という商品が発売されましたが、この商品、残念ながら現在回収対象となっています。
 いわゆる殺虫スプレーなのですが、この商品のウリは、冷たい空気によって文字通り「氷殺」するところであり、薬を使わないというコトで、とても注目された商品でした。
 ではなぜ回収となってしまったかと言うと、引火事故が起きてしまったからです。
 というのも、これはスプレーですから当然引火性のあるガスを使っているワケですが、それなのに「氷」という文字に惑わされて火の近くで使った人がいてしまったワケなんですね。
 そういう事情で事故が起きてしまい、結局回収商品となってしまいました。
 しかしですね、ちゃんと商品には「火の近くで使わないように」と明記していたワケです。
 ですから、こんなのメーカーの責任ではなく使った人間の責任ではないのでしょうか。
 せっかくの素晴らしい商品を、消費者の不注意でつぶされてしまったワケです。
 国民は、企業や政府や政治の上にあぐらをかくだけではなく、自分の責任もしっかりと自覚して努力しなければならないと思います。
 
 
 
 [編集長のひとこと]
 「内閣官房長官の町村信孝です。」では、インド洋での補給活動についての皆さんからのご意見に官房長官が答えています。この件については、具体的な説明を求めるご意見が毎週寄せられています。引き続きこのメルマガでもご説明していきます。
 
 まつしげ先生こんにちは。
 今回のレビューでは、町村先生を取り上げようと思ったのですが、書いてみるととっても長くなってしまったので、後日単独でアップしたいと思います。
 普段の更新と変わらない分量になってしまいましたモノで。
 
 メルマガにご意見をいただく方の年代や性別についてのご質問をいただきました。先週号について調べたところ、年代や性別をお答えいただいた方のうち、年代別でもっとも多いのは、男性では60代、女性では30代でした。また、男性と女性の比はおよそ3:1。年代や性別にかかわりなく分かりやすくお読みいただけるメルマガとなるよう、これからも心がけていきます。(まつしげ)
 
 なんかちょっと偏ってますね。
 十四歳も読んでいるのでよろしくお願いします(笑)
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。
 

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平成19年11月5日

 小沢さん、民主党代表を辞する!?

 なんだかワケの分からないまま、突然小沢さんが民主党代表を辞めたいと言い始めました。
 第一報を聞いたとき、その理由が全く想像つかなかったのですが、どうもこの前の福田総理との党首会談の際に連立を持ちかけたか持ちかけられ、その場で断らずに党に持ち帰ったのが反発を招いたのだとか。
 今現在では小沢さんが記者会見を開き、様々な記事や論評が上がっていますので、いろいろな見方が出てきていていろんな意見も出ていますが、まぁおそらく一番感情的な部分はココなんだろうと思います。
 
 小沢さんの説明の仕方が気にくわなかったという話もあります。
 この話を党に持って帰って幹部会を開いてすぐに、「連立のための政策協議に入りたい。反対の人は挙手して」というような、説明もなにもしないワンマンぶりさが一番の原因だという話です。
 もともとこの小沢的手法は、民主党内でもかなり不満はくすぶっていたと聞いています。
 そもそも民主党という党は、結党時から寄り合い所帯みたいなところがありましたから、ひとつの組織としてはまとまりが乏しい面があったワケですが、しかしその代表である小沢さんはマスター自民党の人であり今の自民党よりも自民党らしい人ですから、そのやり方は小沢さんの資質も相まってワンマンっぽさ全開でした。
 そんな小沢さんですから、選挙から日常業務から、トップダウン直轄式に「あれをやれ」「こうしろ」「これはやるな」と各議員や秘書に命令を出していたワケなのですが、しかしこれには、言い換えれば「自由な政治活動」をしていると自負している民主党の議員さんからは、声には出せないけど反発はかなりあったみたいです。
 そして今、このタイミングで、出せなかった声が一気に噴出したのでしょう。
 
 まぁ結果論ですが、自民党ですら御しきれずに飛び出してしまった小沢さんを、民主党が扱えるハズも無かったと言えるのかもしれません。
 また小沢さん自身も、そもそもの野党体質の民主党とは毛色が違うコトぐらい察していたでしょうから、そんなに言うなら「もうやってやらない」と、こうなってしまったのだと思われます。
 つまり小沢さんは最後まで「雇われ者」でしかなかったのでしょう。
 
 感情的な部分はともかく、しかし小沢さんのとった行動は、無責任と言われても仕方のない行為です。
 というか、安倍さんの時先陣を切って無責任大合唱をした張本人がこれでは、無責任の極みと言わざるを得ません。
 しかも、安倍さんはまだ「選挙に負けた」という理由が付かなくもないですが、小沢さんは「選挙に勝って、参議院で第一党になって、さあこれから」という時です。
 選挙で国民を煽るだけ煽ってこれでは、無責任にもほどがあるのではないでしょうか。
 
 この辺ちょっと最近思い違いをしている人も少なくないみたいですが、選挙は決してゴールではなくスタートでしかありません。
 選挙結果を踏まえて、国民の判断をどう具体的な政治政策、政治施策を行っていくのか、それこそが政治です。
 特に今の国会というのは、民主党は民主党で参議院にて年金の法案を通したばかり、そして全体的に見てもこれからテロ特措法について具体的に詰めていこうという段階だったワケで、言わば儀式とも言える所信表明の後急に辞めた安倍さんよりも、具体的な質疑に入っている最中に辞めた小沢さんの行為というのは、より無責任度は悪質ではないのでしょうか。
 おそらくこれでまたしばらく国会が止まるコトでしょうし、一体全体テロ特措法はどうなるのか全く分からなくなってしまいましたし、政治に与えた影響は少なくありません。
 
 しかし、やえ的には小沢さんに同情する部分もあります。

 民主党は、先の参議院選挙で与えていただいた参議院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生を始め、国民の生活が第一の政策を次々に法案化して、参議院に提出している。しかし、衆議院では自民党が依然、圧倒的多数占めている。
 このような状況では、これらの法案をすぐ成立させることはできない。ここで政策協議をすれば、その中で、国民との約束を実行することが可能になると判断した。
 
 政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。

 これは小沢さんの辞任会見での一節なのですが、ここは言っているコトは正論です。
 これはまさにその通りで、やえもいつも言っていますように、本来国会では政党が獲得している議席数に比例するような形で意見を法案に盛り込むべきす。
 例えば今衆議院では自民党:民主党が3:1ぐらいですから、それぐらいの意見をそれぞれ反映した形で法案を通すのが、一番民意に反映したモノと言えるワケです。
 自分の意見だけを丸呑みしろなどと言っているようでは、少数の民意、しかしそう少なくない意見がこぼれてしまうワケで、しかもこれが民主党だけなら衆議院では1/3だけの意見が反映されてしまうコトになりますから、本当なら議席数に応じた形を意識しながら、どっちがどっちではなく、議論し協議するコトが一番正しい姿だとやえは思っています。
 結論がひとつしかない首班指名とかは別ですが。
 ですから、それを体現しようとした小沢さんのこの意見には、やえは賛成です。
 特に「あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示す」というのは、参議院第一党をとらせた国民の意見を正しく反映させる意味においても、正論の意見だとやえは思います。
 公約は実現しないと意味が無いワケで、しかし政権交代のないコトがはじめから分かっている参議院で大見得を張るだけ張って「政権ではないので実現できません」では、詐欺と言われても仕方のないコトなのではないでしょうか。
 ですから、できる努力は民主党もすべきだと思います。
 
 やえは前々から連立はアリだと思っていました。
 民主が政権の一部を担うコトによって、民主党が責任を自覚するからです。
 例えばテロ特措法にしてみても、民主党は自国民の声ばかりを聞くのではなく、もっと言えば自分の生活しか興味がないような人の意見ばかりを聞くのではなく、もっと大局的な視点に立って、国際的な視点に立って、物事を言うようになってもらいたいのです。
 自衛隊が海外で活動するコトによる、中長期的な日本のメリットを語るような、そういう視野を持ってもらいたいのです。
 もし本当に民主党が政権を取るつもりがあるのであれば、楽な批判者の立場にずっといたいと思っていないのであれば、例えば外務大臣あたりに前の代表の前原さんあたりに就いてもらって、日本を背負う責任を実感してもらって、その上で高い視野を持って政治を担って欲しいと思っているのです。
 
 そしてそれを一考だにしなかった民主党の体質というモノに疑問を感じます。
 政局政治は手段です。
 決して目的ではありません。
 仮に民主党が政権を取ったとしても、取っただけではそれでゴールではありません。
 政権を取ってから何をするのか、どう行動するのか、それこそが政治の本来の仕事です。
 政策政治こそが政治の目的であり本懐なのです。
 しかし民主党は、あまりにも「反自民」だけを目的に捉えすぎです。
 政策をどう実現するかよりは、どう自民党を倒すのかというコトしか民主党は考えらないワケで、しかしこれは本来の「政治」ではないのです。
 
 ただ、一番の民主党の不幸は、「反自民」だけに期待をして投票行動を取る国民が少なくないというところではないかと思います。
 一部国民は自分の生活だけからしか政治を見ず、また一部国民は雰囲気だけからしか政治を見ず、そして一部の国民は政局だけを期待して政治を見ています。
 結局民主党という政党は、そういう本来の政治ではない部分の声をすくい上げるための存在でしかないワケで、それは存在としては必要かとは思いますが、政権を取って責任を持って国家を動かすというような立場には、それではなれない、いや、なってもらっては困るワケです。
 本当に政権をとるつもりがあるのなら、「反自民」だけではないアイディンティティを持つ必要があるでしょう。
 
 これでおそらく大連立の話は消えたと言っていいかもしれません。
 連立そのものは、やっぱり手段でしかないですから、実現してもしなくてもいいんですが、もう最近のゴタゴタした政局がらみの動きはうんざりですので、キチンとした政策政治の姿になるようになってもらいたいモノですし、マスコミも国民も政局政治が好きみたいですが、それは所詮手段ではなく目的ではないというコトを理解してもらいたいモノです。
 

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平成19年11月6日

 軍隊を他人の判断に委ねるな

 いまだに混乱を続けている民主党ですが、まだ小沢さんは正式には代表を辞めてはいないようで、現在民主党幹部が全力で小沢さん引き留め工作を続けているようです。
 小沢さんがこれを受けてどう判断するかは分かりませんが、もしここで本当に留意してしまったら、それこそ恥ずかしい話でしかないような気がしてなりません。
 まして昨日も言いましたように、このタイミングで代表を辞めると言い出して国会まで止めたのですから、無責任にも程があるこの行為をダシするようなコトになっては、それこそ政治を私物化しているとしか言いようがないでしょう。
 むしろ「辞める辞める詐欺」ではないのでしょうか。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます 
 
 まぁそれはもとかくとしまして。
 
 やえは一点、福田さんと小沢さんの党首会談の内容について、とても気になったコトがあります。
 この点に関しては、連立が成功しなくてよかったと胸をなで下ろしています。

 首相が決断した1点目は、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る、したがって特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない。2点目は、新テロ特措法案はできれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力体制を確立することを最優先と考えているので、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。

 小沢さんの辞任会見の一節ですが、重要なのは、自衛隊は国連の決定無くしては活動してはいけないようにすると、福田さんも小沢さんの考え方に同意したとしている点です。
 
 これはいけません。
 軍隊とは自国の利益のためだけに動くべき存在です。
 軍隊は自国の存亡と最も密接な関係にある、最後の盾です。
 その活動の決定を、自国の判断ではなく、他国が介在する国連に委ねるとは、むしろ無防備でいるより恐ろしい状態であるとしか言いようがありません。
 
 戦争は外交の一手段です。
 話し合いでどうやっても解決しなかった場合に、戦争という手段によって外向的結果を得るための手段です。
 勝てばよく多くの主張を認めさせるコトができ、負ければ大幅の譲歩を余儀なくさせられるという、言ってみればただそれだけのコト、数ある手段のひとつでしかありません。
 ですから、戦争そのものは性悪で判断できるモノではなく、ただ自国の主張を押し通すコトができるかどうかのパワーゲーム、外交交渉における課程のひとつに過ぎないワケです。
 よって軍隊も「外向的強さ」のバロメーターでしかありません。
 戦争も話し合いも、まずはその国の主張があり、その主張を押し通すためにの他国と交渉をするワケで、その中で実際に交渉の手足となるのが軍隊や外交官となるワケですから、つまり軍隊も外交官も意味合いは全く同じなのです。
 そして外交官そのものに意味合いを見いだす人はいないのと同じように、軍隊という存在もそのものには全く意味はありません。
 その国の主張が全てであって、外交官も軍隊も、主張の内容には全く関与しない手足でしかないからです。
 
 では、常識的に考えて、自国の外交官の行動判断を、他国や他の機関に委ねるようなコトをするでしょうか。
 しないですよね。
 そんなバカバカしい話はありません。
 つまりこれ理屈としては、「日本という国は外交判断を誤る可能性があるので外交官の権限を国連に委譲します。正しい方向に導いてください」と言っているようなモノです。
 自虐過ぎるにもほどがあるでしょう。
 しかし小沢さんの主張というのは、それを実行しようとしているワケです。
 軍隊は手足でしか無く、判断するのは頭の役目であり、頭とは当然政府であるワケですが、その頭が自分の手足を切って他人に差し出すなど、とても正気の沙汰とは思えません。
 
 おそらく日本人の軍事アレルギーは、大東亜戦争の失敗から来ていて、「軍隊が独自判断にての暴走」こそを一番おそれてのコトだとは思いますが、軍隊を押さえるコトが政治の役割であり、主権者の役割であり、今の憲法の下では国民ひとりひとりこそがシビリアンコントロールの柱です。
 それなのに軍隊を他人に預けるとは、それは「国民がアホだから信用できません」と言っているに他ならないワケです。
 国連の利益と自国の利益とが、いつでもどこでも必ず一致するなんていう保証はどこにもないのですから、その判断を国連に委ねるというような行為は、主権の放棄と言っても過言ではありません。
 
 まぁこの合意というのは、福田さん的には最大限の譲歩なのでしょう。
 自民党という党は、ここまで柔軟に切り替えが出来るワケで、そうしてまで実行をするんだという考え方をする党であり、そのためにほぼ民主党の案を丸呑みしようとぐらいまで言ったつもりなんだと思います。。
 そしてそれは、自民党にいた小沢さんも分かったので、ではそこまで言うなら具体的に政策協議をしましょうと、そういう流れになったのだと思われます。
 しかしそれを理解できなかったのが、ミスター民主党達ですね。
 仮に自民党が民主党の案を丸呑みしたとしても、自民党と一緒なら全てをかなぐり捨てて反対するのでしょう。
 
 まぁ今回は、そんな民主党の行動によって結果的に良かったと言えるのが救いですけどね。
 民主党の案に乗ると危険がいっぱいだという再確認になったと言えるのではないでしょうか。
 

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平成19年11月7日

 辞める辞める詐欺

 なんて言いましょうか、はじめから「留任する」という選択肢が存在するコト自体があり得ない話なのですが、本当に実際に留任してしまうとは、まったく意味が分かりません。
 そもそも小沢さんは辞任を表明して何がしたかったのか、そして留任して何をしたいのか、それが想像も付かないところに、今回のワケのわからなさが集約されているのではないでしょうか。
 おそらくこの更新をアップしている頃には小沢さんは記者会見を済ませているモノと思われますが、どうせウワベだけの取り繕いの言葉ばかりが並べられるのでしょう。
 それに振り回される国民と、特に参議院選挙において民主党に投票した人はご愁傷様と申し上げておきます。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 それにしてもマスコミは相変わらず気持ち悪いですね。
 今回の新聞はまだしも、テレビはメチャクチャです。
 特にひどかったのが昨日の報道ステーション、あいや報ステはいつもひどいんですが、ここにきても小沢さんを擁護する話に終始していました。
 解説員か評論家が誰かが「小沢さんは反省しているのでしょう」というセリフには、もはやどう解釈して良いのか理解に苦しむしかありません。
 
 これは直接は関係ない話になりますが、呆ステのその放送の中で、民主党の内部には菅直人グループや鳩山グループ、旧社民党グループなどがいて、拮抗した勢力が乱立しているから収拾がつきにくい、などという説明をしていました。
 まず、これはつまり派閥のコトのハズなのですが、どうしてそう呼ばないのでしょうか。
 これが自民党なら、いかに悪の存在であるかのように派閥派閥と呼び立てて弊害ばかりを喧伝するクセに、相変わらずの偏向です。
 また、この民主党の説明というのは、裏返せば自民党の派閥の機能が優れているというコトに他ならないでしょう。
 自民党の派閥は、ひとつひとつが組織としてしっかりとしており、普段から意思疎通を図るように日々活動をしていますから、400名近くも議員さんがいらっしゃるにも関わらず自民党は党としての意思統一がしやすいワケです。
 普通、50人ぐらいでも意思を統一しようと思ったらけっこう大変な作業になワケで、そういう意味で派閥が果たす役割というのは決してマイナスばかりではないのは当然の話です。
 たしかに物事には様々な見方がありますが、しかし一方のコトだけを常に好意的解釈をし、逆には悪意解釈ばかりするというのは、偏向以外何者でもないでしょう。
 
 まぁ、比較してもしょうがないと言えばしょうがないのですが、安倍さんの時と今回と、あまりにも扱いの差が大きいと思わざるを得ません。
 安倍さんの時はマスコミはこぞって「辞めろヤメロ」と大合唱をしていました。
 そしていざ安倍さんが辞めたら今度は「なんで辞めた」だの「無責任」だの言い始めましたよね。
 しかし小沢さんの場合というのは、自分から「辞める」と言い出して、そしてそのすぐ直後に「やっぱり辞めるのヤメタ」と言い出したワケで、本来こっちの方こそ「なんで辞めた」だの「無責任」だの問われるような言動なのではないではないかと思うのですが、今回は少なくともマスコミ上ではあまり聞かれない批判です。
 大合唱はあまりにも気持ち悪いので、それをしろとはとてもやえの口からは言えませんが、少なくとも小沢さんのとった行動というのは、安倍さんよりもよっぽど無責任なのではないでしょうか。
 
 ところで、一連のごたごたを、人によっては「雨降って地固まる」とか「天の岩戸の物語のようだ」とか言っている人がいますが、これは全然違います。
 「雨降って地固まる」と言いますが、これは「雨が降ったのは不幸だけど、それが結果的によい方向に向かった」という意味です。
 しかし今回の小沢さんの行為というのは、雨が降ったのではなく、自分で雨を降らしたのです。
 自ら雨を降らせておいて「結果的に固まった」なんて、こんなのただのマッチポンプではないのでしょうか。
 また、「天の岩戸」も同様です。
 小沢さんを天照大神に例えているのでしょうけど、しかしあの神話は、スサノオという自分以外が暴れたから天照大神は隠れてしまったのであって、小沢さんは自ら誰に言われるでもなく自分で「辞める」と言っただけなのですから、これは全然別の話です。
 いろいろと、なんとかよい方向に話をもっていこうと努力している人がいますけど、話の本質を変えてねじ曲げて捏造してはいけませんね。
 
 前にもチラっと言いましたが、結局小沢さんというのは民主党にとって「用心棒的存在」でしかなかったというコトなのでしょう。
 民主党は結党以来いまだに結党の立役者である菅直人さんと鳩山由紀夫さんが党の顔として存在し続けており、またこのようなゴタゴタが起きてもこの二人頼みでしか立て直しが図れない政党であるワケです。
 これは政党全体としての基盤が、ワンマンパワーでしか柱を打ち立てられない、とても惰弱な組織でしかないコトの裏返しです。
 そして小沢さんが登場したというのは、この二人でも、また他の若手でもにっちもさっちも行かなくなったところで、「先生、よろしくおねがいします」「どおれ、いっちょもんでやるか」のごとく、用心棒小沢先生が登場したというシナリオなワケで、だから、いきなり小沢さんが辞めると言い出したら、みっともなく留意を民主党立役者の二人がお願いしにお百度参りするハメにならざるを得なくなってしまい、民主党本体だけではもうもたないと内外に示した格好になったのです。
 一方、自民党は全体としての力がありますので、総裁が辞めようがなにしようが、個人の話ではなくすぐに党として何をすべきかを考え、全体としてそれをバネに事態を収拾し前進させようします。
 おそらくここが自民党と民主党の一番の違いで、そして小沢さんが指摘した民主党の弱さも、この辺を意識してのモノなのではないでしょうか。
 結果的には、この騒動で自らの惰弱さを露呈したワケですしね。
 
 ただまぁ、結局小沢さん自身も、最初から最後まで何がしたいのが全く分からないままだったと言わざるを得ません。
 この混乱をキッカケに民主党自身が自らの弱さを気づかせるためという好意的すぎる解釈は、アイアム ナンバーワンの小沢さんが他人のために自らの政治生命を賭してまでするとは思えませんし。
 というワケで、最初から最後まで全くワケが分からない、ただ混乱しただけの騒動だったと言うしかない小沢さんの辞任しちゃうぞ騒動でした。
 

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平成19年11月8日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第5号 2007/11/08)      
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 [ひたすら国民のためを思い。福田康夫です。]
 ひたすら国民のためを思い。福田康夫です。
 先週金曜日、民主党の小沢代表と、二回目の党首会談を行いました。
 その結果について、読者の方からは、賛成のご意見もありましたが、「民主党との大連立は民意に反している」といったご批判もいただきました。
 
 こんにちは福田さん。
 正直やえは、最近国会の場が、ただの政局の戦いの場にしかなっていないコトにうんざりしています。
 本来、与党であろうと野党であろうと、仮に共産党であったとしても、国会議員である以上、議席を有している政党である以上、等しく国民に負託を受けている国民の代表であるワケですから、どっちの意見だけが正しいと言うのは違うハズです。
 民主主義は勝ち負けを決める制度ではないハズです。
 しかし最近は、政治を格闘技か何かと勘違いして、勝ち負けを楽しんでいるだけの人が増えているような気がしてなりません。
 
 衆議院は自民党、参議院は民主党がそれぞれ第一党となっている「ねじれ」国会において、一ヶ月以上経った今でも、一つの法案も成立していないという異常な状況が続きました。
 このままでは、国民生活に悪い影響が出るのではないかと、私は深刻に考えておりましたが、小沢代表も同じ気持ちだったと思います。何とか話し合いで解決できないかとの思いから、小沢代表と率直な意見交換を行いました。
 
 党首会談すら行ってはいけないと言っている人が意外と多いのもおどろきです。
 そりゃ見てるだけなら、さぞかし目立つ場面で争っている方がショーを見ているようで面白いかもしれませんが、面白いだけですよね。
 自民党支持者も民主党支持者も、いったいどういう気持ちで選挙にて投票を行っているのでしょうか。
 ただ相手に勝ちたいだけだったのでしょうか。
 それとも政治を、そして日本という国を、良くしたいと願ってのコトなのでしょうか。
 
 党首会談について、「連立政権」の話だけがとりあげられていますが、テロ法や国民生活に関係する政策のことも話し合いました。与党と民主党で「政策協議の場」を作る方法なども含め、国民の皆さんからご理解が得られる枠組みを色々と検討していかねばならないと思っています。
 
 一本も法律が成立していませんしね。
 しかし本来、ねじれがあろうとなかろうと、そういう場はあってしかるべきだと思います。
 何度も言いますが、議席数に比例する形で法案に意見が盛り込まれるように形作るコトこそが、もっとも民意を反映した政治のあり方だからです。
 
 また、党首会談のやり方について、「内容が国民に知らされなければ意味がない」、「聞かれたらまずいような内容のものなのでしょうか」といったご意見をいただきました。
 公開の場での議論が、民主主義の基本です。しかし、そのような公開の場で、お互いが自分たちの主張だけを繰り返すだけでは、何も決まりません。
 「政策を実現するためにはどうしたら良いか」との問題意識を持ち、それに必要な体制について議論するにあたっては、建前抜きで本音の話し合いを行う場があってもよいのではないかと思っております。
 
 この話は前にもしましたが、国民がもっと賢くなって、政治的取引も理解できるようになれば透明度を上げてもいいとは思いますが、今はそれは不可能でしょう。
 透明度と言えば、これは政治資金にも同じコトが言えると思います。
 政治には灰色なコトもあるというコトが理解できた上なら全面公開もいいと思いますが、今はまだその時期ではないでしょう。
 
 その上で、新しい仕組みや体制ができて、一つ一つの政策論議が、国会をはじめとした公開の場で、きちんと行われていくようになれば好ましいことは言うまでもありません。
 今回の話し合いが、今後のねじれ国会の運営について、何らかの道筋がついていく契機になれば、と考えております。
 
 結局、辞める辞める詐欺によって代表に復帰した小沢さんですが、そのせいか民主党はまた対決路線にもどるようで、政策より政局の永田町にもどってしまうようです。
 なんとかこの状況を打破して落ち着いた政治になってほしいと、そして対決するなら政策論議でしてほしいと思います。
 いろいろと頑張って下さい、福田さん。
 
 
 [編集長のひとこと]
 本号では第2号に続いて石破防衛大臣が登場。「防衛大臣の石破茂です。」では「テロはなぜ起こり、どのようにテロを防止するか」について語っています。このテロの本質に関する大臣の説明について皆さんはどうお感じになりましたか。ご意見をお待ちしています。
 
 はい。
 石破さんならではの、とても分かりやすいお話ですので、ぜひとも近々レビューしたいと思っています。
 先週の高村外務大臣のレビューも、明日からあさってぐらいにはなんとかアップさせたいですっっ。
 
 このメルマガのほかにも、福田内閣は皆さんと全国各地で対話を行っています。増田総務大臣が各地でご意見をうかがう「総務大臣とのくるまざ対話」はすでに5回開催。大田経済財政政策担当大臣は10月27日に高松市での「経済財政に関する地方会議」に参加しました。国民の目線に立って政策を実行できるよう、各大臣も皆さんのご意見に耳を傾けています。(まつしげ)
 
 ※ 「増田総務大臣とのくるまざ対話 in 山形」
  (政府インターネットテレビ)
  http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1469.html
 
 増田大臣、5回ですか?
 それはまたお疲れ様です。
 どうも国会は1ヶ月ぐらい延長するみたいですが、テロ特措法とか、他にもいろいろ問題が山積していますので、がんばってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、ふふんを応援しています。
 

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平成19年11月9日

 ああ言えば民主

 さすがにこれは無いと思います・・・。

 今回の問題はすべて福田内閣から来ているのにマスコミは民主党批判ばかりだ。困って民主党の安保政策を丸のみした福田首相の姿勢を問うべきだ。

 これは、昨日7日の朝日新聞朝刊4面に載っていた記事で、民主党の石井一参議院議員の言葉なのですが、もう、ほんと、つっこむっていうレベルじゃねぇぞーって感じです。
 
 民主党の人って普段全然マスコミが批判されず、むしろ応援ばかりされているので、批判されるような立場になるとこういう風に感じるんでしょうねぇ。
 そしてなにより批判される原因が、ここまできて自分たちのせいではないと考えられる、この精神構造が信じられません。
 民主党の代表が一人で勝手に暴走して辞任会見をして、結局辞めたは辞めました会見という茶番劇まで演じたのに、どうしてここに福田さんが出てくるのでしょうか。
 それはあれですか。
 この数日間、小沢さんは福田さんの催眠術攻撃にでもかかっていて、自分の意志では行動できなかったと、そういうコトなのでしょうか?
 小沢さんには自分の意志が無いと、そう言いたいのでしょうか?
 
 きっかけはなんであれ、行動したという時点で全て責任は自分にあります。
 特にそれは、結果責任を問われる政治家に対しては最たるモノです。
 しかしそれすら放棄するかのような石井議員の物言いは、とても政治家の言葉とは思えません。
 他人の言動に振り回された偽メールの永田氏問題から、まったく民主党は成長していないんですね。
 
 そして、この発言の最大のツッコミどころは、「困って民主党の安保政策を丸のみした福田首相の姿勢を問うべきだ」でしょう。
 すごいですね、民主党は。
 普段から「民主党の案を丸のみしろ」と、民主主義を覆すような発言を繰り返していたクセに、いざ本当に自民党が丸のみすると「姿勢を問うべきだ」です。
 いったいどうしろというんでしょうか?
 なにをやっても、民主党の言っているコトを実行したとしても、やはり民主党は批判しかしないワケです。
 結局民主党は、「反対のための反対」しかしないと、宣言したようなもんですね。
 
 やれやれです。
 

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平成19年11月12日

 身の安全は自分で守る

 おそくなりました
 先々週の福田メルマガでの、町村官房長官のテロ特措法についてレビューというか、それを元にした更新です。
 本日衆議院の方では新しい法案が通ったようですが、問題は参議院なワケで、いよいよこれから正念場です。
 ぜひこの問題を国民ひとりひとりがよくよく考えてもらいたいです。
 
 
 ● テロとの闘い〜我が国が為すべきこと
 (内閣官房長官 町村信孝)
 メルマガに寄せられた数々のご意見のどれを取ってみても国民の皆様の真摯な気持ちが伝わってきます。
 「なぜインド洋で自衛艦が燃料補給をする必要があるのか、建前ではなく、本音で話したほうがよろしいのでは?」というご意見がありました。
 9.11同時多発テロでは24人の日本人の方々が亡くなっています。「テロとの闘い」は日本自身の問題なのです。依然としてタリバーンなどのテロ組織が基盤を有するアフガニスタンを国際テロの温床としないために、世界40カ国以上、G8ではロシアを除く全ての国々が、協力して部隊を派遣しているのです。
 このうち、海上阻止活動は、インド洋でテロリストの活動を封鎖するための活動です。憲法上の制約のある我が国は、この活動に参加する各国の艦船に「補給」することで、国際社会の「テロとの闘い」に参加してきました。この活動は、各国から感謝されていることはもちろんですが、国連からも高く評価されています。
 
 この問題に関して、2点言及しておきたいと思います。
 まずひとつは、この手のセリフについてです。
 
 「そりゃタダで油をついでくれるんだから、だれだって喜ぶに決まってる」
 
 一見なるほどと思うような言い方ですが、しかし残念ながら、これは的外れです。
 湾岸戦争に対する日本の行動がそれを如実に表しています。
 湾岸戦争の時、世界中が血と汗を流している最中、結局日本はお金を出すというコトしかせず、それに対し、世界中からの冷めた目線と、クウェートが出した感謝国一覧にすら国名が載せられなかったという世界的屈辱を日本は味わいました。
 当時日本が出したお金の総額は約130億ドルです。
 日本円に簡単になおしても1兆3000億円以上です。
 ものすごい金額です。
 でもそれでも感謝されなかったのです。
 お金を出せばいいというモノではないというコトが、ここから学べるでしょう。
 
 これに対し、「お金を出すコトだって大変なコトであり、だったら他の国もこれぐらい出してみろ」と言った意見もあります。
 それは対外向けにはそれでいいと思います。
 日本の国益を守ろうと、外国に向けてそうアピールするコトはとても大切なコトだと思います。
 しかし国内議論においては、それは言い訳に過ぎません。
 結果的に他国に評価されなかったのですから、それは厳粛に受け止めなければならなりません。
 評価というモノは、自分で下すモノではなく、他人が下すモノですからです。
 そして、金だけ出しても感謝されなかったのです。
 感謝されないというコトは、国際的な場において立場を確立するコトができないというコトになります。
 むしろ立場を悪くするだけだったと言えるのではないでしょうか。
 
 すなわち、いま世界各国が日本に感謝しているのは「タダで油をくれるから」では無いのです。
 金の問題ではないのです。
 そもそも、いまテロ特措法によって行われている活動と油にかかるお金は、湾岸戦争の時に出したお金の1/10でしかないらしいのです。
 ごめんなさい、どこでこの話を聞いたのか忘れちゃったので間違えていたら訂正しますが、もし本当に「タダだから感謝されている」のであれば、むしろその10倍のお金を出してもらった方が喜ぶに決まっていますよね。
 
 そうではないのです。
 行動するというコトが一番大切なのです。
 日本は、世界を牽引する立場にあるワケで、今こそ行動を求められているのです。
 そしてそれは、日本がもっともっと世界的に発言力を持つための力として活用しなければならない裏返しなのです。
 日本の独自性を求めるのであればあるほど、もっともっと日本は能動的に行動しなければならないのです。
 
 
 もう1点は、日本人の安全に対する意識の、相変わらずの低さです。
 この問題に関して日本人は当事者意識がなさ過ぎです。
 9.11アメリカテロルでは日本人も殺されているワケですし、テロリストは日本や日本人も当然のようにターゲットにしているワケです。
 というか、テロリストはテロリスト以外が全てターゲットなワケです。
 これに対し、日本は自らの手で安全を確保するよう行動しなければなりません。
 
 「水と安全はタダ」なんて言葉が瓦解したのは少し前ですが、しかし相変わらず日本人はこう思っている人が少なくないと言わざるを得ません。
 一昔前は自衛隊の存在そのものを「平和の敵だ」と言っていた人が少なくありませんでしたが、しかし平和には武力や軍隊が必要であるのは、今では言うまでもないコトですよね。
 しかしこの日本人の「軍事アレルギー」が、まだ世界的な視野には至ってないのでしょう。
 
 どこかで、「自分がしなくても誰かがテロルを撲滅してくれるだろう」と思っているのではないでしょうか。
 もしくは、「テロルなんて自分には関係ない話だ」と思っているのではないでしょうか。
 とんでもない話です。
 自衛隊やアメリカ軍がいたからこそ平和が保たれたのにも関わらず、それを認識しようとしなかった思考と全く同じです。
 
 日本はいま「テロとの戦い」という戦争に参加しているのです。
 それは自分のためなのです。
 日本人は未だに安全に対する当事者意識が低すぎるのではないでしょうか。
 
 

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平成19年11月13日

 人間は無関係の他人に感情は抱かないようになっている

 オレの最も嫌いな言葉のひとつの次のようなものがある。
 
 「世界には水さえ満足に飲めない人もいるんだから無駄遣いしないように」
 
 なぜ嫌いか。
 見知らぬ“水も飲めない世界の人”なんて、オレには知ったこっちゃぁねぇからだ。
 もしこれが素直に、「勿体ないから無駄遣いしたら駄目」と言われれば、ああちょっと勿体なかったかなと思う場面もあるかもしれないが、しかしそれをいちいち可哀想だがなんだか知らないが訳の分からない正義感のようなものを振りかざされて説教されるのには虫酸が走る。
 
 人間は全くの無関係の他人に対して、なんの感情も抱かないようになっている。
 簡単な話だ。
 さっきの虫酸が走るようなセリフと似たような話をすれば、今この瞬間だって世界のどこかで人は死んでいるが、それに対しいちいち悲しんでいる人間なんていはしない。
 日本の中だって今この瞬間に死んでいる人が存在する可能性は十分に高い。
 交通事故での死者数だけでも年間約7000人ぐらいなので、一日19人は死んでいる計算だ。
 しかし、それに対し、全く無関係の他人がいちいち涙を流して悲しんでいるだろうか。
 まぁまずそんな奴はいないだろう。
 その事実を知らないだけという事情もあるかもしれないが、事故のニュースなら毎日のようにテレビや新聞などで情報を手に入れることはできる。
 だが、そのような報道を耳にしたところで、可哀想にと頭をよぎることはあるかもしれないが、ただそれだけで特段日々に生活に支障を来すようなほどの感情の揺らぎは起こらない。
 日本人の場合、喪に服すという習慣があるが、死者が出たニュースを聞いたぐらいで喪に服す日本人などいやしないだろう。
 人間は、自分に無関係な他人に対して、いちいち感情を揺り動かしてはいられない。
 
 もし本当にいちいち日々のニュースに心から感情を揺り動かされ、涙を流し、自分の全てをなげうってそれに当たるという人間がいたのであれば、オレは「この人は神の使いなのだろうか」と思うか、「危ない人だ」と思うかであろう。
 おそらく後者の方がかなりの高確率だと思うが。
 
 そして本来、ニュースの話は単なる情報でしかないと考える感情こその方が人間らしい感情なのである。
 つまり「世界には水さえ満足に飲めない人もいるんだから」という理由は、人間らしい感情とは言えない。
 だからそれを理由としたところで、行動の制約などされるはずなどない。
 言った本人は、なんて自分は素晴らしいことを言っているだろうと自己満足に浸っているのだろうが、それは自分は神の使いであると思い込むような危険な考え方でしかない。
 大きな矛盾をしているからだ。
 本当に水も飲めない人に為に悲しんでいるというのであれば、近くの大きな公園に転がっているホームレスにでも食料を与えに行けばいいはずである。
 その方がよっぽど不幸を幸福に変えられる。
 悲しむだけが目的ならまた別だが、普通はそうではないだろう。
 であるならば、やはり身近な不幸な人を手助けする方が現実的であるし、どこか知らない全くの他人、しかも国すら指定しないアバウトな偶像である「水も飲めない人」なんかよりも、目に見える、自分の手が届く範囲だけでも助けようと思う心の方が、遙かに人間らしい感情と言えよう。
 しかしそれすらしないのに、偶像でしかない「水も飲めない人」を例に出し、悲しむふりをして、他人に罪悪感を与えて行動に制約を与えようとする行為は、他の人間の存在というものを峻別しているとも言えるのではないだろうか。
 神になったつもりなのか、少なくともオレにはそのような大それたことはできない。
 
 前置きが長くなった。
 あるブログ経由で、このブログの記事を見つけて、オレは最近の自分と他人の距離を測れない現代人の病をあからさまに見せつけられた思いがした。
 
 この人が過去どのような経験をしたのか、オレは知らない。
 もしかしたらブログを隅々まで読めば情報としては得られる可能性もあるが、オレはそこまでする気力が沸かないし、無意味だと感じる。
 知ったところでオレの感情は特に変わらないからだ。
 
 なぜなら、オレにとってこの人は全くの他人だからである。
 メニューの頭の方に「幼児虐待被害者」と書いてあるのでそうなのだろうが、それに対し、まぁそれは不幸なことだなと頭をかすめるぐらいはするが、だからといってそれ以上哀れんでこの人のために何かしようとは全く思えない。
 日々右から左に流れる情報に過ぎないニュースのひとつと、全くそれは変わらない。
 
 この人は、3つの点について過ちを犯している。
 1つは、今まで言ってきたように、本来他人に対して無関心であることの方が正常であるにも関わらず、それを否定しようとしている点である。
 簡単に言えば、「自分の痛みをお前も知れ」と言っている訳だ、それは「私の目にはすべての子連れの男は犯罪者に見えているんだよ」というところから、オレはまだ子供はいないが、子供が出来た瞬間この人にはオレが犯罪者に見えると宣言している以上、子供を作った時点で、いやこの人の言葉を借りるなら、「女のまんこにチンコを出し入れしてハァハァ」するだけで男は犯罪者と言っているに同じ事だろうから、そういう男は全て自分の痛みを知れとこの人は言っている事になる。
 余計なお世話だ。
 オレは女のまんこにチンコを出し入れしてハァハァする事は大好きだし、機会があればそれをする。
 当然受け入れる女はそれを喜んで受け入れている。
 そこに、いちいち見ず知らずの他人の不幸な出来事など入り込む余地はない。
 この人は過去不幸な事があったのかもしれないが、それによってオレが女のまんこにチンコを出し入れしてハァハァする事を止められる事にも、そしてそれに罪悪感を持つ事にも、この人に押しつけられるいわれはない。
 全ての人間は、ある人の不幸の全てを背負えとでも言うのだろうか。
 そんなことは当然出来ない。
 所詮この人とオレは他人なのだから、いちいち他人の不幸ごとなど背負ってられない。
 そして人間は本来そういう考え方をする。
 日々の事故のニュースにいちいち感情を揺り動かせられないのと同じように、いちいち他人の不幸を考えてセックスをするやつはいないし、考えろと言う方が無茶なのである。
 
 2つ目は、これはこの人には残酷に聞こえるかもしれないが、この人はあくまで「普通ではない境遇の人」であるという歴然たる事実である。
 人間は社会を形成する生き物であり、残念ながら、社会とは普通という基準を設ける必要性を迫られる。
 なぜなら、普通こそが社会というものの柱となるからである。
 まず多数の普通というところに社会の規範を置き、普通から距離の近い順に例外規定を作っていく。
 こうして社会は作られるのである。
 もちろんこれは法律などの制度だけの話ではない。
 社会集団としての人間感情もそうである。
 男と女が愛し合い、セックスをして子を成すという行為は、人間のもっとも普遍的な行為である。
 これなくして人間という種の存続はあり得ない。
 機械的に言ってしまうと、“だからこそ”、これは人間にとって「普通」の行為なのである。
 そしてそんな人間として普通な行為を喜ぶことは、やはり普通の行為である。
 
 普通のことなら喜ぶ必要はないというのは浅はかな考えであり、この喜ぶという行為さえ人間にとって普通の行為なのである。
 それを普通でない人の存在だけによって、普通を否定されてしまうのは、社会そのものを否定しかねない行為でしかないだろう。
 セックスに罪悪感を持ち、子を成すことに罪の意識を感じてしまえば、人間は滅びの道を辿る事になる。
 そこまで大げさな話だけではない。
 身内に不幸があれば年末に欠礼状を出し自分の所には年賀状を出さないようにしてもらうが、しかしそれは欠礼状を送った人も全ての人へ年賀状を自粛しろと言うものでは無い。
 欠礼状を受け取った物は、送った人に対しては年賀状は出さないが、それ以外の人には普通に出す。
 結局不幸は自分だけの事柄であり自分(と身内)だけの特殊な事情であるのだから、自分以外の普通の人には関係のない話だからだ。
 特殊な事情だからこそ自分にだけは出さないように欠礼状を出すのであって、それを他人に強制させるものでは決してない訳だ。
 それを強制していたら、年賀状というひとつの文化を破壊しかねない。
 人間という社会を形成する生き物は、感情も含めてこのように普通と普通でないものの間に一定の線を引く。
 
 もちろん社会として普通でない人に対し、なんらかの保障をするという事は社会として必要な事だ。
 決して社会とは普通だけを享受し、普通でないものを切り捨てるものではないし、特に現代社会ではそれが顕著なのだから、この人が被ったなんらかの普通でない出来事に対し、社会が出来る保障があれば受けてほしいと思う。
 しかしそれが普通を破壊する理由とは決してならない。
 保障とは「普通に近づくための措置」である。
 普通を否定するものでは全く無い。
 この人はなんらかの不幸な出来事によって普通でない状況に追い込まれているのだろう、だからこそ普通になって欲しいと社会の一員として願うが、普通でない事柄によって普通を破壊されてはたまらない。
 普通という基準は、人間にとって必要な基準なのである。
 
 3つ目は、この人の言説というものは、結果的に「自分の不幸を盾にしている行為」に過ぎないところに、悪質さがあると言わざるを得ない点だ。
 残念ながらこの人は、自分が不幸だからと、または「それを得られない人々」が不幸だからと、それを理由にある人の幸せに対する言動をやめさせるよう言い放ってしまっている。
 卑怯な行為だ。
 不幸だからと言う理由は、人に罪悪感を与え、理性的な反論を許さない空気を形成する。
 「不幸だから」という一点だけで盾とし、全ての意見を封じ込めてしまう。
 しかし本来「不幸だから」というのは正当な理由にはならない。
 今まで述べてきたように、赤の他人の普通でない不幸を背負わなければならない理由など存在しないし、人間らしい感情とも言えないからだ。
 
 例えばたまに100歳を迎えた老人を祝うニュースが聞かれることがあるが、これに対し「自分の祖父はすでに他界しているのにこんなニュースを見せつけられて、オレは傷ついた」などと言って、それに意味があるのだろうか。
 水が満足に飲めない人が世界のどこかにいるからといって、自分も水を我慢しなければならないのだろうか。
 世界にはネットが出来るほど豊かな国ばかりではないのは明白だが、それなら日々の日記程度を垂れ流している多くのサイトやブログは全て自粛すべきと言わなければならなくなるのではないだろうか。
 もし過去親しい友人を亡くしてしまった人が、「友達と遊んだなんて日記は不愉快でしかない。傷ついた。そんな日記載せるな」と言ったら、全て従わなければならないのだろうか。
 
 不幸な人間は弱者となり、弱者へは弱い立場だからこそ攻撃とも捉えかねない批判を許さないような雰囲気を作ってしまうが、しかし本来批判の中身が正当であれば、その人間の立場が弱かろうが強かろうが関係のない話である。
 逆差別問題はそれを如実に表している。
 弱さを盾にしてはいけない。
 弱さを特別視してはいけない。
 
 不幸な出来事は不幸であることに他ならないのだから、もし身近に不幸な人がいれば優しくしてあげるのがよいだろう。
 それは人間として素直な感情であると言える。
 しかしそれを、無関係の人にまで押しつけてはいけない。 
 他人は所詮他人である。
 「スーパーの鮮魚コーナーで赤子を挟んで目と目で愛し合ってる若い夫婦」を見かけた時、この人はおそらく(身が引き裂かれる思いがしたのかもしれないが)何も言わずその場を去ったのであろう。
 今回もそれと同じように、意識していなかったのかもしれないが、たまたま自分の目に映ってしまっただけのブログに対して、自分の不幸を押しつけるような行為をなぜしてしまったのか、疑問でならない。
 そしてスーパーの時と何が違うのか、オレには理解できない。
 ネットの方が言いやすいからというのは卑怯な言い訳に過ぎないだろう。
 どちらかと言えば、ネットの方が能動的にサイトを見に行っているのだから、さらに今回だけの行動には矛盾だと言わざるを得ない。
 
 他人であるオレの立場からすれば、「お前は大勢のそれを得られない人々を無気力にさせているんだよ」という言葉は、的を射ない。
 なぜなら、他人の不幸など無関係のオレからすれば、無気力にオレがさせているのではなく、見知らぬ相手が勝手に無気力になっているだけに過ぎないからだ。
 例えばオレがブログかなんかに、「昨日女のまんこにチンコを出し入れしてハァハァした。気持ちよかった」と書いたとして、もしそれが「下品だ」と言われるならなるほどと受け入れるが、自分は不幸の身なのだからその言葉は傷ついたと言われても、そんなの知るかとしか思いようがない。
 もしこれが「レイプした。気持ちよかった」であるなら、当然犯罪行為だし許される行為ではないが、セックスそれ自体は普通の行為である以上、ひとりの個人的感情もしくは体験だけをもって批判されるいわれはない。
 下品だという批判なら受け入れる。
 普通ならばあまりセックスしたということを公の場で言うような事ではないから、下品だという批判なら受け入れる。
 しかし、普通の行為をしただけで気分を害されても、それは勝手に気分を害しただけの話であり、責任をこちらに求められても、知ったこっちゃない。
 この人の言う傷ついたというのは、セックスするという行為自体に起因するからだ。
 もしこの人が不幸な出来事に遭っていなければ今回のことで傷ついたとは言わなかっただろうし、多くの普通の人も当然傷つかないのだから、やはりセックスという行為そのものに起因する理由によって傷ついたと言われても、それを他人に強制する力にはなり得ない。
 下品だという批判とは、ここに完全なる違いがある。
 カップルや夫婦が仲良さげに歩く事に怒りを持たれても、言いがかりとしか言いようがない。
 ひとりでも不幸な人間がいるならば、全ての人間は外を歩くとき軍隊のように整然と列を成して一言も私語することもなく行進しなければならないと言うのだろうか。
 全ての人は、不幸な人の言葉を基準に生きていかなければならないのだろうか。
 
 人の痛みを知れと言うのであれば、この人も人の痛みを知った方がいい。
 この人はもしかしたら自分こそが人間の中で最も不幸な人間だと思い込んでいるかのもしれないが、世界にはもっともっと不幸な人はいる。
 その現実を前に、この人は、そんな不幸な人たちに痛みを与えていないような生き方をしているだろうか。
 全ての不幸な人たちの痛みを全て理解しているのだろうか。
 イエス・キリストのように、全ての人間の罪を背負って十字架に磔にされると言い実践するのであれば、人は尊敬の念で見るだろうし、オレもそうするだろう。
 しかし神ならぬ身でしかないオレには、そのような事は出来ないし、分からない。
 理解できない。
 しようとも思わない。
 所詮は他人としか思いようがない。
 
 この人には、不幸は他人に押しつけるものではないことを知って欲しいし、最近この手に似た主張(世界には水すら満足に云々)をする人も少なくないので、よくよく考えてもらいたい。
 オレは、今回こうやってこの人の事を知ってしまったので、全く知らない他人とはちょっとだけ違う感情を持つに至っている。
 よって、この人の不幸は可哀想だと思うし、できれば幸せになってもらえればと思う。
 しかしオレにはその程度の感情しか湧かない。
 知らない人なら全く知らないまま何も感情が湧かないので、それよりは感情移入しているが、しかしその程度である。
 そしてそんな他人の言葉に対して、オレは激しい違和感しか覚えなかった。
 なぜなら、それでもやっぱりオレにとっても、そしてこの人にとっても、お互いに所詮は他人でしかないからだ。
 

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平成19年11月15日

 福田メルマガレビュー

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       福田内閣メールマガジン(第6号 2007/11/15)      
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 ★☆ 福田内閣の大臣の「ほんね」を政府インターネットテレビで! ★☆
 トップバッターは上川陽子内閣府特命担当大臣です。
 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1480.html
 
 [安全・安心を第一に。福田康夫です。]
 安全・安心を第一に。福田康夫です。
 このところ住宅の着工件数が大幅に減り、景気に悪い影響を与えるのではないかとの意見を耳にした方もいらっしゃると思います。
 今年7月以降、住宅を着工するために必要となる建築確認の件数は、昨年と比べて3割程度減少しています。これは、6月20日から法律が変わり、設計の際の安全審査が厳しくなったことによるものです。
 
 こんにちは、福田さん。
 これテレビかなんかで聞きましたよ。
 なんだか、現場の人が対応しきれてないみたいですね。
 例えば「多少の変更なら再提出しなくてよい」という基準に対し、どこまでが「多少」なのか判断がつかないとかなんとかなんとか。
 まぁでも、ある意味偽装や中途半端なモノ建てられるよりはマシだとは思いますが。
 
 阪神淡路大震災のような大地震を考えれば、住宅の安全は厳格に確認してもらわねばならず、特に、相次いだ耐震強度の偽装問題はとんでもないことです。
 この問題が皆さんの不安を大いにかきたてたのは、ついこの間のことです。建築業者は、自らの儲けばかりを考えて安全を無視し、生活者のために安全・安心を守るべき市役所などの行政も、そうした意識が十分ではありませんでした。
 
 お家は人生で最も高いお買い物と言いますしね。
 しかし最近は偽装続きで困ったもんです。
 今年の一文字に「偽」が選ばれたらイヤですよね。
 
 そうした意識を根っこから見直そうと、昨年の通常国会において、安全性の重要性を明記した住生活基本法が成立し、安全・安心を第一に、建築基準法の抜本的な見直しも行いました。
 以前のメルマガで、私は、生産者重視の姿勢を改め、消費者や生活者の視点に立った政治、行政へと発想を転換すべきである、と述べました。
 そして、国民の目線であらゆる法律や制度を総点検するとお約束し、岸田大臣が中心となって、すでにその作業は始まっています。
 
 しかし最近の偽装発覚って、そのほとんどが内部告発らしいんですよね。
 数年前に、公益通報者保護法っていう法律が作られましたが、その当時はこんな悪法はないだとか、出来たところで通報者なんて出るワケがないとか言われてました。
 実際、最近の通報者がこの法律により適切に保護されているかどうかは分かりませんが、しかし告発をする機運が作られたのは間違いないでしょう。
 社会の中では誰しも生産者の立場にもなり消費者の立場になりうるワケで、国民一人一人の意識こそが大切だと言えるのではないでしょうか。
 ところで、岸田大臣の作業って、おそらくこれのコトでしょう
 意見を送れるようになっているようですから、気になることがあったら送ってみるのも手かもしれませんよ。
 
 根本からの見直しには、今回の住宅着工件数の減少のような悪影響も伴いかねませんが、一時的な混乱を解決しながら、消費者・生活者の目線で、安全・安心の確保に努めることが第一であると考えています。
 
 着工件数の減少は経済的観点からすれば問題なのかもしれませんが、国民生活の視点からすれば問題という程でもないのではないかと思います。
 消費者としても、着工が送れるのは喜ばしいコトではないでしょうが、お家に関しては何十年という単位で使うモノですし、人生で一番高い買い物ですし、やっぱり命に関わる問題ですから、多少着工が送れても安心できるモノを作っていただく方が重要だからです。
 おそらく一番大切なのは、本当に安心できる物件を造るのに、お金と時間がどれぐらいかかるのか適切な数字を適切に生産者が出すコトではないかと思います。
 同時に消費者も、なんでもかんでも安ければいいという考え方をそろそろ脱却した方がいいでしょう。
 
 本日夕方、私は、総理に就任して初めての外国訪問として、米国に向けて出発します。
 日本が米国との良い関係を持つことが、アジアの国々との外交を進めるにあたっても重要です。ブッシュ大統領とは、単に日米の二国間関係にとどまらず、アジアの将来についても率直な意見交換をしたいと考えています。
 今回の旅を、日米の信頼関係をさらに強化する旅にしたい、と考えています。
 
 もともと福田さんは外交を得意とされていらっしゃいましたから、成果のある外遊になりますことを期待しています。
 どうぞ、お気を付けていってらっしゃいませ。
 
 
 [私の住むまち]
 ● 小さな町の挑戦―知恵と工夫のまちづくり―
  (北海道乙部町長 寺島光一郎)
 乙部町の農業は、耕地面積が少なく、収入も少ないため、後継者もいない状況が続いていました。そこで、農家の安定的な経営と所得の増大を図るため、首都圏の農産物取扱専門商社と交渉し、農家自ら生産組織を立ち上げ、ブロッコリーやスイートコーンなどの契約栽培を行い独自の販売ルートで、安定した収入の確保ができるようになりました。
 
 はじめまして。
 おそらく福田メルマガになってから、はじめての国会議員ではない方のレビューです。
 よろしくお願いします。
 で、やえは農業はあまり詳しくないのですが、もしかしたら最近流行りなのでしょうか、契約栽培。
 なんか、CMとかでよく流してますよね、安全なモノを使っているという意味で。
 農家にしてみても、言われてみれば確かに安定収入に繋がるんですね。
 
 市場流通に比べ、1日早く消費者に届くと評価も良く、品目も増え、今後の農業経営に期待が出てきています。
 
 セリとかが無いからというコトなのでしょうか。
 実際のところどうなのかは専門知識のないやえには何とも言えませんが、少なくとも今の消費者には契約栽培というのは良いイメージで捉えられていますから、これは生産者にしても消費者にしてもよい方式だと言えるでしょう。
 
 また、北海道在来種で幻とされていた極小粒の黒豆(黒千石)の栽培に取り組み、大手の納豆メーカーに販売しています。昨年には、黒千石の産地間の協力関係を築くため、北海道内の農家に働きかけ、全道的な連合会を組織しました。全国でも他に類を見ない品種であり、味が良いので評判もよく、全国的に販売されています。また、黒千石の活性酸素抑制効果などについて研究が進められ、納豆以外でも新たに大手コンビニでの商品化の検討が行われています。
 
 やえ納豆大好きです。
 西の人間にしては珍しいと言われますが、おいしいですよね。
 平地が少ない日本ですから、大量生産して安価に作るというコトをしても外国にかなわないワケで、こうやって何かしらの付加価値を付けるというのは大切ですね。
 そしてこれは農業に限った話ではないでしょう。
 
 過疎化が進み、雇用の機会が少ない乙部町は、若者が町外へ流出しています。
 そのため、IT産業を新たな地域産業と位置づけ、国の事業などを活用して地方では初めてのIT技術者の研修プロジェクトを実施しています。既に来春の研修生の卒業に合わせて、IT関連企業数社の誘致も決まり、若者の働く場の確保を図っています。
 今後も、地域資源の有効活用や新たな分野の雇用創出による町づくりに取り組んでいきます。
 
 うーん、やっぱり農業だけでは依然として厳しいんですねぇ。
 しかし本来日本という国は、地方の特色が豊かな国で、それが活力になってきた歴史を持っている国です。
 ですから、都市化するだけでない、地方独特のあり方というモノをこれからもっと模索していかなければならないのではないのでしょうか。
 もちろん言うのは簡単ですが行動するには難しいコトです。
 どうぞ町長さん是非がんばってください。
 
 
 [編集長のひとこと]
 先週号の「防衛大臣の石破茂です。」に対しては多くのご意見をいただきました。テロの本質に関する説明に「わかりやすい」「非常に参考になる」「ただ法律を通したいだけの言葉にしか聞こえない」など様々なご意見が寄せられ、中には「何度も読み直して真剣に考えた」という方も。皆さんの関心の高さをひしひしと感じました。
 
 これ、後日またレビューしたいと思っています。
 石破さんのお話はほんとうに面白いですしね。
 
 今日11月15日は、子どもたちの成長を祝う七五三の日。「内閣府特命担当大臣の上川陽子です。」では、上川大臣が子どもたちのために政策に取り組む意気込みを語っています。3人の孫がいる私としても、子どもたちのために一体大人は何をすべきか、考えずにはいられません。(まつしげ)
 
 ごめんなさい、川上先生のレビューはパスです(笑)
 ところで、お孫さんですか。
 なんだかおじいちゃんですね。
 いやおじいちゃんなのはそうなんでしょうけど(笑)、政治家の方はお若いですから、あまりおじいちゃんってイメージがないですよね。
 というワケで、まつしげ先生もお孫さんのためにもがんばってください。
 
 
 バーチャルネット思想アイドルはふふんを応援しています。
 

憧れの疑似トラックバック機能を期間限定お試しで付けてみました〜)