なんだか政治についてはもはや語るのもバカバカしい状況になってきて、嫌気が差してきそうです。
だからといって何も言わないのも良くないので、キチンと指摘するところはしていきたいと思っていますが、それにしても脱力するコトばかりです。
特になんですかこれ。
鳩山首相「経済対策をもっと早く打てば良かったのに。ここまで深刻になってしまったことは残念」
――今年度の税収が37兆円を下回り、国債発行額が過去最大の53兆円に達する見通し。来年度の新規国債発行額を44兆円以内に抑える考えに変わりはないか。
「これはあの、リーマンショックからきていますからね。それまで私ども野党時代を通じて、経済対策をもっと早く打てば良かったのにな、という思いがあります。それだけに、ここまで深刻になってしまったことは、残念なことではありますけども、しかし経済をある意味では、しっかりと立て直していかなければならんということで補正を組んだ前政権の考え方も分からんわけではない。
どこまで有効であるか、ということで我々は事業仕分けのような、凍結のことも行いました。しかし、結果として税収も大きく減ったわけですから、結果として、国債をこうせざるを得なかったということは国民の皆さんも理解をして頂けるのではないかと、そう思います。
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自分がいままで何を言ってきたのか、自民党政権に対して何をやっていたのか、本当にまるっきり忘れたとでも言うのでしょうか。
ホント、ウソで塗り固められた政権です。
選挙前に主張していた全てがウソだったと言わざるを得ないこの政権に対して、果たしていま民主党が権力の座に座っているコトに正当性があるのか、ぜひ民主党を支持した投票したという方に聞いてみたいところです。
さて、こんなコトを言っていると腹が立つばかりなので、話題を変えます。
申し訳ないのですが、労働問題をしつこく続けたいと思います。
この前この問題で更新した一連の分、まとめておいた方がよさそうですね。
一行ボードの方でこのような書き込みをいただいたのですが
名無しサン<12/09 00:37>読んでる人は一橋と派遣村を結びつけちゃうから、なんかおかしくね?って思ってるんだよ。
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やえからしてみれば、正直、なにがどうおかしいのかよく分かりません。
出来ればキチッと理屈立てて説明していただければ助かります。
というのも、結局派遣村とかの人たちは、いったいどういう理由で働くコトが出来ないのか、そこの理由があいまいというか、分からなすぎるので、議論もキチンと出来ていないのではないのでしょうか。
そしてそんなあいまいなまま、ただただマスコミのミスリードによって、「派遣村=可哀想な人たち」という方程式が出来上がってしまっています。
しかし本当にあの人達は可哀想な人たちなのか、そこはキチンと冷静に議論しなければいけないでしょうし、それは「行政や政治が動くべきコトの問題なのか」という視点で、考えなければならない問題でしょう。
その中で、市橋容疑者の話は、ひとつの考えるきっかけになる例示だとやえは思います。
もちろん市橋容疑者ひとりだけの問題であるならそれはある意味極論というか、市橋容疑者個人の資質というモノもかかっくる問題ですから局地的な問題にしかならないのかもしれませんが、しかし忘れてはならないのはこの前も言いましたように、あの建設会社に働いている人は決して市橋容疑者ひとりではないというコトです。
さらに言えば、市橋容疑者が勤めていた会社が、極端に珍しい会社だったとも、やえにはちょっと思えません。
そう考えたとき、「働く場所がない」と言っている人のその論拠は、本当に正しいのかどうか疑問に思うというのは、むしろ当然のコトなのではないでしょうか。
逆に考えてみましょう。
市橋容疑者がその建設会社で働くコトが出来たのは、果たして市橋容疑者だからこその特殊なパターンだったのでしょうか。
別の人だと働くコトのできないような、そんな特殊なケースだったのでしょうか。
もしそうであるのでしたら、これは例としてはふさわしくないでしょう。
しかしやえにはあまりそうは思えません。
逃亡のためにという強い思いがあったからこそ耐えられたという点もひとつあるかもしれませんが、しかしそれも結局は「お金を貯めるため」という理由であって、明日の食事さえままならないとかそういう厳しい事情の人とそう思いの強さは変わらないのではないでしょうか。
というか、それぐらい強い思いを持っているのではないかと、思っているハズだと、やえは思っています。
そして繰り返しますが、市橋容疑者以外にも従業員がいたのですから、特別市橋容疑者が優秀もしくはその職業に合っているからという理由も、そこまで考えられないと思います。
やえは逆に聞きたいです。
なぜ市橋容疑者の例が派遣村との対比の例にならないのか。
別に市橋容疑者だけと比べているつもりはないのですが、それは市橋容疑者と名指しした方が分かりやすいので名指ししているだけであって、これを「市橋容疑者が勤めていた建設会社の従業員」としても全く意味は同じですから、ではどうしてこういう人たちは一所懸命働いている一方、派遣村の人たちとかは働かずにただただ政府に向かって支援を呼びかけているだけで可哀想と思われてしまっているのか、ここがやえは疑問なのです。
かたやもしかしたら非常に厳しい条件かもしれませんがそれでも汗を流して働いている人がいるのに、かたや働きもせずに他人の力をアテにしている人がいて、しかしそれなのに後者の方が多くの人に同情され、まして支援を受けるというのは、これは社会的にあまりにも不平等なコトになってしまっているのではないでしょうか。
やえが問いたいのはここです。
どんな厳しい環境だったとしても汗水垂らして一所懸命働いている人が確実にいる中で、では派遣村とかの人たちと、汗を流して働いている人たちの間にはいったい何が違うのか、どこが違うのか、ここを是非とも教えてもらいたいのです。
もちろん、これは過去何度も言ってますが、例えば病気ですとか怪我ですとかで、誰が聞いてもやむにやまれない事情があって働けないというのでしたら、それは支援も致し方ないと思います。
むしろそういう人たちに光を当てて、場合によっては救済するというのは、政府の大切な仕事のひとつでしょう。
でもそうでない人がけっこう目立つ数ぐらいは派遣村にいたようにやえは感じました。
また日本経済・景気がとても悪く、雇用情勢もなかなか良くならないですから、その中で必死に職を探している人の苦労を鑑みて、鳩山内閣にはもっと強力な景気対策・雇用対策をしてほしいと、これは当然思っています。
しかしだからといって、自らの努力を捨ててただただ政府や他人を批判して、それだけで金が落ちてくるような構図を作っては、社会的にも政治的にもとてもまずい状態になってしまうのではないでしょうか。
なぜわざわざ日比谷公園なんていう公官庁街に集まってシュプレヒコールをあげているのですかと、そんなコトしているヒマがあるなら、市橋容疑者のような例が示すようにやれるコトはいっぱあるのではないですかと言いたい、そしてなにより、そう国民が考えて変に甘やかしてしまうような考え方はやめるべきではないかと言いたいのです。
これを許しているのは、社会的にも政治的にも、大きな無駄と不平等を生み出しているとしか言いようがないのです。
市橋容疑者の例は、努力する余地がまたまだあるというひとつの例示です。
やえの主張そのものはべつに市橋容疑者が存在しなくても成立する、というかその前からずっと言っていたコトと同じですから当たり前なのですが、市橋容疑者の例示はそれを補強する材料でしかありません。
「騒ぐ前に努力べきだし、その余地はある」
ただこれだけのコトなのですが、ではそれがなぜ当てはまらないのか、ぜひとも教えていただきたいです。
この問題は「政治の不平等」を産んでいる問題なのですから。
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