☆やえニュース☆

 小沢一郎は自ら天皇になろうとでもいうのかまったく懲りてない成長していない前…前原でしたっけ?大臣憲法を知らない小沢一郎天皇と国民の距離感天皇と国民の距離感 (2)天皇と国民の距離感 (3)天皇と国民の距離感 (4)天皇と国民の距離感 (5)

平成21年12月15日

 小沢一郎は自ら天皇になろうとでもいうのか

 小沢一郎民主党幹事長と鳩山総理の天皇の政治利用については、もう散々様々各地で批判されているところです。
 この件に関しては新聞各社も産経新聞は当然、天皇の存在に否定的な朝日新聞も、その立場ならある意味当然と言えますが、小沢一郎と鳩山総理そして民主党を批判しています。
 テレビも扱いは小さいながら批判的に伝えていますし、さすがにこの件に関しては鳩山民主党と小沢一郎はおかしいだろうと、ほとんどの日本人は思っていると言ってもいいでしょう。
 とは言ってもテレビの扱いが小さいので、これが自民党政権なら倒閣運動に発展しかねない問題だと思うのですが、いやはやどこまで偏向報道が続くのか頭がいたいところではあります。
 
 で、この問題、結局なにが一番おかしいのかと言いますと、
 
 「自らの政治のために天皇でもなんでも利用してやろう」
 
 と、小沢一郎の甚だ勘違いしている思い上がった根性が、多くの国民に反感を買っているのではないでしょうか。
 天皇の政治利用は許さないとかなんとかいうのが一応建前としての批判の理屈にはされていますが、ようは小沢一郎の天皇すら凌駕しようと言わんばかりのその態度が、日本人としてとても腹立つのです。
 自分がやりたいコトに反対する人間は許さない、自分が言えば誰だってどのような立場の人間だって言うコトを聞くべきであり聞かなければならない、すべての人間は自分に黙って頭を下げていればいいと、そういう小沢一郎の考え方がこの問題で象徴されるかのようににじみ出ているワケです。
 これはもう本当に、日本人の本能として嫌悪感が湧き出てくるのです。
 
 小沢一郎は、自分は直接宮内庁に要請していないとかうそぶいたり、「ルールを厳守して欲しい」と官僚としては当然のコトを言った宮内庁長官に対して「辞任しろ」と恫喝したり、また「天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要と規定されているから政治が関与して当然だ」とか間違えた憲法解釈のまま開き直ったりしていますが、最近の小沢一郎の行動を見ていたら、それは「小沢一郎のための自分のためにやっている」と思われて当然としか言いようがありません。
 つい先日に大議員団を引き連れて中国に行って、満面の笑みで胡錦涛国家主席に会い、また日本の民主党の国会議員ひとりひとりに握手をしてもらって、中国に大サービスしてもらい、小沢一郎は自らの権勢を示しました。
 しかもそれは、総理大臣が対米関係で悩み、また東南アジアに外遊中に行ったという、完全に鳩山総理が陰に隠れる形になったぐらいの大パフォーマンスです。
 これだけのコトをしでかしておいて、その直後に総理大臣自らがルールを無視するような形での指示すれば、どう考えても小沢一郎が「その見返りに」という約束をしてきたのではと、少なくともそういう思惑が暗黙のウチでも胡錦涛主席と小沢一郎の間にあったのではないかと思われて当然でしょう。
 まして今回ねじ曲げろと言っているルールは、天皇陛下に謁見するための申請の期間についてであり、これを特例で早くしろと言っているというコトは、つまりは「時間の問題」であるワケで、こんなのどう考えても「小沢一郎の訪中」がタイミングとしてあったとしか思えないワケです。
 もう完全に「小沢一郎の都合」でしかないですね。
 
 中国側がどうしても天皇陛下に謁見したいというのであれば、一ヶ月前に申請し、一ヶ月待てばいいだけです。
 でもそれをねじ曲げようとするというのは、しかも総理大臣まで使ってねじ曲げようとするのは、つまりそれ以外の、謁見したいという意味だけではない意図があるというコトです。
 それはなにかと言うと、やはり小沢一郎しかないでしょう。
 民主党幹事長という、今の日本の政治におけるNo2が中国国家主席に会ったのだから、今度はそのお返しとして中国の形上No2である副主席(実際の中国共産党における序列は6位)が天皇陛下に謁見するという、そういうやりとりなのでしょう。
 でもこれは2つの意味で大変失礼な話です。
 1つは、日本の天皇と、中国の国家主席程度を同列に扱っているコトに他ならず、かなり無礼な話です。
 もう1つは、小沢一郎の訪中の見返りとして天皇を利用したというコトですから、これも相当に無礼です。
 結局この行為は、「政治利用」というよりも「小沢一郎の都合」の話なのです。
 
 小沢一郎の本当の意図は、むしろ中国要人を天皇陛下に拝謁させたというコトではなく、もっと違ったところにあるのではないかと思います。
 すなわち小沢一郎が「オレが一声掛ければ、天皇のルールすらねじ曲げられるんだぞ」と、国内外、特に中国に対して自分の力をアピールしようとしたのではないでしょうか。
 小沢一郎自身のこの前の中国訪問も具体的な政治的何かがあったワケでもありませんし、そもそも小沢一郎は政府の一員ではありませんからね、また今回の中国副主席の天皇陛下謁見も一ヶ月待てない理由も特になく、例えば臨時の事情で急に習近平氏が副主席に就任したとかですね、両者ともそういう「具体的な内容」が伴わない会談・謁見だったワケで、つまり結局ただ「会った」という事実が残っただけです。
 ここから推測すれば、やはり小沢一郎の真意というのは、自分の力を誇示するために行ったと見るのが自然ではないでしょうか。
 もはや無礼とか政治利用とかを越えて、天皇を自分の権勢を示すのコマの一つにしか考えてないのではないかとしか思えない、日本人としてとんでもない行為です。
 
 この問題は、小沢一郎と鳩山総理そして民主党という政党の「天皇観」の問題です。
 日本の悠久の歴史の中で育まれた天皇という存在をどう考えているのかという、極めて日本にとって根源的な問題をどう考えるかという問題です。
 そして、少なくとも鳩山総理と小沢一郎は、この悠久の歴史に根付いた天皇という存在をあまりにも軽く見ているとしか言いようがありません。
 なによりこれは、日本という国の存在意義に関わる問題であり、民主党が日本をどうしたいのか、暗に示しているのではないでしょうか。
 
 今回の問題はまだまだ語るべき点がたくさんあります。
 そもそもの問題として天皇が外国要人と会うコトの是非やルール作りの問題から、小沢一郎と民主党が中国に対してどのように接するつもりなのか、また小沢一郎の間違った「国事行為」の考え方など、これらをひとまとめに一回の更新では扱いきれないぐらい多岐な内容です。
 しかしどれもとても大切な問題ですから、これから何度かにわけて更新していきたいと思います。
 
 バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳は、果たして民主党は日本をどうしたいのか、心配しかありません。
 

平成21年12月16日

 まったく懲りてない成長していない前…前原でしたっけ?大臣

 小沢一郎と民主党鳩山内閣のの天皇の政治利用、いえ私的利用の件です。
 今日は小沢一郎の、憲法に規定されている国事行為というモノを全く理解していない件について語ろうと思っていたのですが、先に語るべきコトが出来てしまいましたモノで、今日はそちらを取り上げたいと思います。
 
 前岡大臣…じゃなかったです、前原大臣でしたっけ、民主党の、いえ日本憲政史上最もバカバカしい茶番劇だった「偽メール事件」の時の民主党の代表が前原さんでしたが、彼はあの頃からまったく成長していないですね。
 適当な情報を元に他人のせいにすれば全て済むとでも思っているのでしょうか。

 <天皇陛下特例会見>元首相、自民党も要請…前原国交相発言
 
 天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が特例的に設定された問題で、前原誠司国土交通相は15日、「元首相、自民党の方から要請が首相官邸に届いたということで、我々がルールを曲げたということではないと聞いている」と述べ、元首相から会見を実現するよう要請があったとの見方を示した。自民党から「天皇の政治利用」との批判が出ており、けん制する狙いがあるとみられる。

 これ具体的には元総理の中曽根大勲位のようなのですが、前原さんは中曽根元総理から「天皇に国家副主席を会わせて欲しい」と要請があった、ルールを曲げたのは自民党側だと主張しているワケです。
 つまりもっと言うと、
 
民主党と鳩山総理は、中曽根さんと自民党が要請したから仕方なくセットしたんだ
 →自民党が自らルールを破ろうとしたんじゃないか
 →それなのに自民党が批判するのは何事だ
 →自民党が諸悪の根源だろ
 
 という理論展開を繰り広げようと、前原大臣はしているワケですね。
 まぁ確かに中曽根大勲位が会談をセットしようとし、その強い要請のもとに今回の騒動が起きたというのなら、中曽根先生の責任は小さくないとは言えるでしょう。
 中曽根先生はもう引退されて久しいですから、これを自民党の責任にするのはだいぶ苦しいとは思いますが、まぁ民主党にとっては迷惑な話と言えるかもしれません。
 
 でも、事実は全く違うようです。

 宮内庁、外務省…広がる懸念 「亡国」批判も 天皇特例会見問題
 
 別の外交筋はこう解説する。中曽根氏ら自民党の政治家は「われわれが『ルール破りはダメです』と説明したら理解してくれたが、民主党側は、まるで中国の走狗(そうく)となった」という。

 とても短い文章ですが、まとめるとこうです。
 
中曽根大勲位のもとに中国側から天皇に拝謁できるよう頼んで欲しいと要請が入る
 →中曽根先生も今までの経緯もあるから無下には断れないので、宮内庁に打診
 →宮内庁「先生、一ヶ月ルールというものがありまして、今からでは間に合いません」
 →中曽根「そうか。ルールは守らなければいけないよな。分かったよ」
 →中曽根先生はこれ以上無理を言わなかった
 
 これ、何か問題がありますかね?
 よく外交の問題になると、「様々なチャンネル」とか「ルート」とかいう言葉を聞くと思います。
 例えば外務省を通じた公式ルートとか、非公式ルートとか、民間ルートとか様々あります。
 その中で、総理大臣を務められた中曽根先生も中国にとって1つのルートであったのは確かでしょうし、当然ですがその他にも表には出てこないルートがたくさんあろうかと思います。
 これはやえの想像でしかありませんが、例えば日中友好条約を結んだ総理大臣のお子さんがいま国会議員をされていますが、こういうルートももしかしたら存在しているかもしれません。
 当然その「政治的な息子」である民主党幹事長のルートもあるでしょう、この前訪中したばかりですし。
 また、北朝鮮の問題の時とか、イラクの民間人拉致事件の時とかも、様々なルートに関する報道がされましたよね。
 聖職者協会とかなんとかいう単語を聞いた人も少なくないかと思います。
 外交においては、公式非公式関わらず、こういういかに多くのルートを抑えておくかというのはとても大切なコトで、むしろ外交とはここにかかっていると言っても過言ではありません。
 そして結局中曽根ルートはその中の1つでしかないワケです。
 当然もしこのルートがルール無視するような強力な圧力を掛けたというのであれば問題ですが、しかし先ほどの記事にありますように中曽根先生はキチンとルールを守ったワケですから、何ら問題はないでしょう。
 
 もしや「打診するだけで悪だ」なんてコトは言いませんよね。
 
 もし本当に中曽根先生だけの責任と言いたいのであれば、では総理大臣自らが「中曽根先生、ルールがあるからダメですよ」と言えばいいだけです。
 それでもごり押ししようとするなら、その時に批判すればいいのです。
 でも結局この件は、誰でもない鳩山総理自身が宮内庁に強く命令したからこそ起きた事件です。
 それをなんですか、「我々がルールを曲げたということではないと聞いている」とは、どの口が言うのでしょうか。
 それとも鳩山総理はいてもいなくても全く変わらない人形総理とでも思っているのでしょうか。
 それはそれでスゴイですけどね。
 
 一体全体前原大臣は何が言いたいのでしょうか。
 いかにも自民党側から打診があったんだから民主党が一方的に非難されるいわれはないかのように発言していますが、あまりにも無責任というか、責任転嫁でしかない、人として最低の行為としか言いようがありません。
 繰り返しますが、結局宮内庁が折れざるを得なかった直接の要因は、鳩山総理大臣直々の命令であって、仮に中曽根先生からの強い要請があったと仮定しても、その決定を下した鳩山総理の責任が一番大きいのは議論の余地のないところです。
 まして「辞任してから言え」と最上級の圧力を公言した民主党幹事長の発言を、同じ党の前原大臣はどう考えるのでしょうか。
 責任云々言うのであれば、こういう直接関わった人たちの責任をまず顧みるのが人としての道でしょう。
 それを棚に上げて他人に、しかも全く落ち度のない他人に責任を転嫁しようとするのは、最低と表現するのがふさわしい行為です。
 
 前原大臣は民主党代表の時に、偽メールを使って他人を貶めようとしました。
 結局その責任を負って代表を辞任した形になったワケですが、それから全く成長していない、あの事件をまったく教訓にしていないですね。
 成長しない人です。
 本当に民主党には、人間として恥ずかしい人ばかりが要職についているんですね。
 

平成21年12月17日

 憲法を知らない小沢一郎

 今日は、天皇の国事行為に関して、小沢一郎が全く憲法を理解していない、というか読んだコトすらないのではと思われる件について書こうと思います。
 けど、もうこれ、散々いろんなところで取り上げられていますよね。
 まぁそれでも、あまりにも小沢一郎がひどすぎるので、やえも書いておこうと思います。

 小沢幹事長の会見要旨
 
 一、何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだが、日本国憲法、民主主義を全く理解していない発言としか思えない。私には信じられない。政府の一部局の一役人が内閣の方針について、どうしても反対なら辞表を提出した後に言うべきだ。
 一、天皇陛下の国事行為は、国民の代表たる内閣の助言と承認で行われる。(羽毛田長官の政治利用に当たるとの懸念に従えば)国事行為は全部政治利用になってしまう。天皇陛下は何にもできないではないか。

 つまり天皇が中国の国家副主席にお会いされるコトは「国事行為」だと、小沢一郎は言っています。
 そしてその上で、国事行為なのだからその行為は全て「内閣の助言と承認で行われる」のであって、内閣が天皇に対して副主席を会うべきだと助言するコトは合法的な行為で全く問題はないと、そう言いたいワケなのでしょう。
 昨日言いましたように、最終的に宮内庁にとても強い命令を下して会見をセットしたのは鳩山総理自身でありますから、これが本当に内閣の裁量権で片付く問題であるなら、ここまで大騒ぎにはならなかったかもしれません。
 
 しかし実際は違います。
 
 確かに本当に「国事行為」であれば、天皇の行為に対して内閣が「助言と承認」をするコトになっています。
 これは憲法に規定されているコトです。

 第7条
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 しかし問題は、この文の次に書かれている、具体的な国事行為の内容です。
 全部書き出しますと次のようになります。

 1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 2.国会を召集すること。
 3.衆議院を解散すること。
 4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 7.栄典を授与すること。
 8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 9.外国の大使及び公使を接受すること。
 10.儀式を行ふこと。

 例えば国会が開会される時は、開会式において天皇陛下より開会のお言葉が下されるコトになっていますし、また衆議院が解散される時も、天皇が書した「解散の詔書」というモノが紫の袱紗(ふくさ)に包まれて衆議院議長に渡され、議長が「衆議院を解散する」と詔書を読み上げて、正式に解散となります。
 このように、国事行為として規定されているモノは、天皇が直接行って正式に発動されるコトになっています。
 国事行為の中には政治に深く関係する事柄がむしろ大部分を占めていると言ってもいいでしょう。
 しかしだからといって天皇が直接政治を行っているワケではありませんね。
 先程の例で言えば、国会が開会する日にちや期間というモノは、主に国会において与野党の協議によって決められますから、通常国会は必ず開くよう憲法に規定されているので絶対行われますが、秋の臨時国会は憲法規定ではありませんので、国会の協議によってもし臨時国会が開かれないと決まれば、それはやはり天皇も国会を召集しようとはしません。
 また解散もそうですよね。
 解散の決定権は内閣にあって、最終判断は総理大臣が行います。
 このように、決して天皇の個人的な判断で衆議院が解散されるコトはありませんし、内閣が解散を閣議決定すれば、まず間違いなく天皇は解散を行います。
 日本の憲法は、この天皇と内閣の関係を「助言と承認」と規定しているワケです。
 
 では今回の中国副主席の天皇謁見は、果たして国事行為なのでしょうか。
 結論を言いますと、これは国事行為ではありません。
 先ほどの憲法の規定を見てください。
 確かに9に似たような項目がありますが、よくよく見れば「大使及び公使」がその対象であって、今回の副主席は大使でも公使でもありませんから、ここには当てはまりません。
 これがまだ「大使及び公使『等』」なんて書いてあったら議論の余地はあるのかもしれませんが、実際の憲法には「大使及び公使」とはっきりきっぱり断言していますから、ここに余談を挟む余地はありません。
 よって、なにどう解釈しても、というか解釈の余地なく今回の天皇陛下の中国副主席とのご面談は国事行為ではないのです。
 
 よって、内閣が天皇に助言と承認をする法的な根拠は無いと言えるのです。
 
 先程やえは「大使及び公使『等』」なんて書いてあったら議論の余地はあるのかもしれませんが」と言いましたが、しかしもし仮に実際に等という文字が入っていても、やえはここに本国の高官が含まれるとは考えにくいと思います。
 それは、大使や公使というのは本国の政治家や官僚とはまた別の性格をおっている存在なので、類似性は低く、「等」という文字だけで含めてしまうのは日本語として無理があると考えるからです。
 
 大使及び公使は、一般的なイメージで言えば「自分の国の行政のトップから任命されて外国に派遣され、派遣先国での自国の公務員のトップ的な人」ぐらいな程度に思われているようですが、形式的には実はもっと重い存在として扱われています。
 さきほどの天皇の国事行為のリストの中に「国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。」というモノがありますが、これは前半は一般的にもよく知られているように、まず総理が大臣を決める時に官邸に呼んだ後に必ずモーニングなどの正装で皇居で天皇から認証式を受けているあれのコトでして、大臣は形式的には天皇から認証を受けてはじめて大臣になるという法的根拠の部分です。
 しかし実は天皇から認証を受けるのは大臣や副大臣などだけではなく、大使も天皇から受けるコトになっているんですね。
 ここの部分だけでも、大使というのはかなり格式の高い存在だというコトが分かるでしょう。
 
 もちろんそれだけではありません。
 さらに言うと、大使というのは自国の元首から赴任先国の国家元首に対して派遣されるという形になっているのです。
 つまり日本とアメリカの関係で例えますと、「天皇がアメリカ大統領に対して大使を派遣する」という形なのです。
 主語がどちらも国家元首なんですね。
 これが国際ルールです。
 ですから、外国の大使、つまり在日大使ですね、も全て自国の国家元首(米国や仏国や韓国は大統領、英国は国王、中国は国家主席)から認証を受けた人であるワケです。
 そしてそのような格式高い大使という存在は元首自らの名において派遣しあうのです。
 相手の元首から派遣された大使は自国の元首が迎えますし、自国の元首が派遣した大使は当然相手国の元首に受けてもらわなければなりません。
 当然の自然なルールです。
 こういう意味において、大使や公使はただの「派遣された高級公務員」ではなく、お互いの元首同士が直接認め合って交わされる格式高い儀式の上に成り立っている存在であるというコトをしっかりと認識しておかなければならないのです。
 
 先程も言いましたように、これは相互主義で支えられている国際ルールです。
 よって、国家元首による大使や公使の接受は、普通の政治的なルールとはまた別格の別問題として考えなければなりません。
 今回の問題を、ただ単に日本が天皇をいだいている国だから特殊なんだと、憲法も特殊なんだと解釈するような考え方は、これは完全に間違っています。
 日本の国家元首たる天皇が大使や公使にお会いになられるルールは、これは国際ルールに則った特別な行為であり、日本独自の解釈ではなくて、国家元首としての“特別で普通”の勤めであるというコトを認識しておかなければならないのです。
 そういう意味で、大使や公使の接受と、いくら高レベルとは言え国家元首ではない副主席が天皇に謁見するというのとは、全く次元が違う別問題なのです。
 仮に国事行為として定められていなくても、大使と別の人を単純に比べるコトは出来ませんし、むしろ別次元だからこそ国事行為として特別に定められていると言えるでしょう。
 
 小沢一郎はこういう慣例や国際ルールを全く理解していないのでしょう。
 ずいぶん長い間国会議員を務めているとは思うのですが、いったい今まで政界で何をしてきたのでしょうか。
 そして、天皇が副主席にお会いになられるコトは国事行為ではありませんから、ここに政治が過度に介入するというのは、完全に政治利用としか言いようがないワケです。
 
 小沢一郎があの醜い記者会見を行ってから、この問題に対する会見の様子が全然伝わりません。
 どうしてマスコミは、「あれは国事行為ではありませんが?」と質問しないのでしょうか。
 やえは日本がどうなってしまうのか心配でなりません。
 

平成21年12月18日

 天皇と国民の距離感

 今日は、小沢一郎の天皇の政治利用の件について、玄倉川さんがリンクで紹介されています北村隆司という人の小沢擁護論に対して反論してみたいと思います。
 なるだけわかりやすく引用するつもりではありますが、まずは全文を読んでいただくとよいかと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 さて。
 この人の文章、玄倉川さんが紹介されるぐらいですから、見た目的にはとても冷静に分析されているかのように見え、これを読むと一瞬なるほどなと納得してしまう人もいるかもしれませんが、しかしよくよく読めば、結局なにかこの人の自分の思い込み、言い換えると怨念のような恨みをぶつけているかのような文章になってしまっているのではと、やえには読めました。
 まず冒頭にはマスコミ批判から始まるのですが、これはちょっと的外れもいいところです。

 羽毛田発言に、轟々たる非難が起こるかと思いきや、朝、毎、読,日経、産経各紙の社説は、非難どころか異口同音に羽毛田発言擁護一色でした。擁護論の論拠を探して見ましたが、客観的論拠を示した論説は北海道新聞だけでした。マスコミの「官僚信仰の厚さ」が強く印象に残ると共に、永年に亘る官僚の情報操作の根の深さを痛感しました。

 あの朝日新聞ですら社説で激しく小沢一郎の批判を繰り広げたこの問題ですが、しかし決してこれは羽毛田長官が会見を行ったから起きたのではないですし、また当然羽毛田長官が主張しているからそのまま正しいとマスコミや国民世論が思っているワケでもありません。
 ニュースに対しての反応が最も早いネットにおいては、羽毛田長官が会見を開く前の段階において民主サイドがルール無視して中国副主席を天皇に謁見させようというニュースが流れた時点で、すでに批判が出ていました。
 世論もマスコミも、別に羽毛田長官のために批判しているのではなく、むしろ別に羽毛田長官が会見しようかしまいが、もっと言うと羽毛田長官が存在しようがしまいが、マスコミや世論は民主党を批判をしていたワケで、それを『マスコミの「官僚信仰の厚さ」』なんて言ってしまうのは、ただ単に世論に根強い「内容の無いマスコミ批判&官僚批判」を利用して世論の風向きを変えようとしているだけの、論ではない小手先の誤魔化しでしかないといわざるを得ません。
 筋違いにも程があります。
 さらに下段にはこのようにも書いてしまっているのですが

 小沢氏の言っていることは極めてまともであり、この記者会見で、まるで親に諭されている不勉強な子供のようだった記者諸君の姿は、何とも情けない限りでした。

 あの記者会見を常識的な目で見れば、親に諭されているのではなく、理不尽な親が子供を高圧的に黙らせようとしていたようにしか見えなかったです。
 マスコミや記者は子供ではないので情けないのはその通りだと思いますが、それは決して諭されているからではなく、権力によって頭ごなしに押さえつけられているのに反抗しようとすらしないからであって、「親の言うコトはどんな理不尽なコトでも子どもは意見するコトすら許されない」という教育論を北村氏がお持ちなら、また別なのでしょうけど、あの会見を持って権力を乱用し権力によって抑えつけようとしている小沢一郎を擁護するのはかなり無理があるでしょう。
 全体的に北村氏の文章を読むとなんとも官僚が嫌いで仕方ないというような印象を受けて仕方ないのですが、それは別に個人感情ですからいいんですけど、それを理屈と混同して批判に利用するのはいただけません。
 
 次です。

 国の大小や政治的影響力に関係なく「1ヶ月ルール」に従い申し込み順に面会を許すのが国際親善のあり方だと言う羽毛田長官の外交論は、越権発言であるだけでなく笑止千万の愚論としか言えません。

 北村氏は羽毛田長官の発言の意図を曲解しているとしか言いようがありません。
 というのも、別に羽毛田長官は外交論を唱えたワケではないでしょう。
 ただ天皇の外国訪問や要人との謁見などについての論、あくまで天皇に特化した論を述べただけで、天皇の引見などは会って議論をして結果を出すという政治的な外交とは一線を画すモノですから、それを「外交」という単語で表現するのは適切ではありません。。
 それを理解しているのかしていないのかはともかく、それを「外交」と表現する北村氏の政治センスのなさは、ちょっと呆れるとしか言いようがありません。
 
 また北村氏は、『「1ヶ月ルールの違反」を口実にする稚拙な論議は意味がありません』と言い、羽毛田長官の発言を『外交に口を出す越権行為だ』と断じ、また共産党の志位委員長の苦言を『小沢幹事長以外では唯一客観的論拠を示した論議』などと表現していますが、ではこの人の発言を北村氏はどうお考えなのでしょうか。

 次郎氏は部会に出席した宮内庁長官官房審議官に対して「『中国との外交が大事だから』と言うが、大事じゃない外交はない。今後1か月ルールをどうやって守っていくのですか」と厳しく追及した。

 これは衆議院議員の小泉進次郎さんの発言ですが、彼の言うように、では別の国が「中国にはルール無視で謁見させてあげたのに、どうしてウチはそれをしてくれないのか」と言ってきたら、果たしてその整合性はどう取るのでしょうか。
 これこそ外交問題になってしまいます。
 このように政治問題・外交問題にならないようにという意図もある一ヶ月ルールや天皇の国際親善のあり方を守ろうとしている、つまり外交問題にならないよう努めようとしているのは羽毛田長官の方であり、それを的はずれなレッテル張りで批判する北村氏の方が、完全に政治問題にしようとしているとしか言いようがありません。
 共産党委員長や民主党幹事長などという大物ばかりの顔色をうかがうのではなく、一回生ながらも国会議員としての務めを果たそうとしている先生方の意見もキチンと聞くようにした方がいいんじゃないでしょうか。
 
 さらに北村氏のこの後の文章は、正直見るに堪えないレベルです。
 
 
 (つづく)
 

平成21年12月21日

 天皇と国民の距離感 (2)

 さらに北村氏のこの後の文章は、正直見るに堪えないレベルです。
 詳しくは実際読んでいただければと思いますが、この後の文章は、北村氏の個人的怨念の発散と言いましょうか、羽毛田長官への個人批判や、筋違いな官僚批判、そしてなによりサヨク的思考による天皇と皇室への誤解か、まだそれならマシですが、もしかしれば左翼の常套手段である褒めながらも皇室の伝統を壊そうとする行為なのではないかと穿ってしまいます。

 「 愛子さまの 兩陛下訪問が増えていない」発言で皇太子殿下を非難したり、「皇室典範に関する有識者会議」の結論について口を出したり、更に今年の9月には、新内閣が発足するに際してわざわざ記者会見を開き、「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある」等と、分際を弁えない発言をしています。この際、羽毛田長官の適格性と宮内庁のあり方を、徹底的に追求すべきでしょう。

 と北村氏は過去の出来事について羽毛田長官を非難していますが、とりあえずその中身はよしとしましょう。
 ここでは本題ではないのでやえもいちいち検証しようとは思いません。
 しかしですね、一行前に言いましたように、これ今回の問題とは全然別の問題でしかないというのは、一目瞭然であり、ここで語るべきコトではないハズです。
 少なくとも羽毛田批判がしたいならはじめからそれだけに絞った文章を書くべきでしょう。
 それが筋ってもんです。
 にも関わらず、憲法解釈論を唱えたり、『小沢氏の言っていることは極めてまともであり』と小沢一郎の太鼓持ちをしたり、この文章全体を読めばどちらかと言えば主題は「今回の騒動の是非」について書いていると読むのが適切な作りの文章を書くというのは、あまりにも不誠実な書き方と言わざるを得ません。
 すなわち、北村氏は「羽毛田長官はこのように個人的に問題がある人で、だからこの人の言うコトはデタラメばかりなんだ」という、論拠を挙げるのではなく人格攻撃による印象操作で主題の補強を展開しようとしているワケです。
 卑怯ですよね。
 最初にも言いましたように、この問題は別に羽毛田長官が存在しようがしまいが関係ない問題であり、いなくても同様の批判は最初から国民の側から出ていたワケで、ここに羽毛田長官の個人攻撃をしてもなんら本題には関係がない問題です。
 もし北村氏は今回の問題について世に問いたいなら、羽毛田長官の過去の問題をここでいちいち挙げる必要はありません。
 また羽毛田長官の資質を問いたいのであれば、今回の問題の解釈を本題にするかのような書き方をすべきではありません。
 北村氏の今回のこの態度は、マスコミ批判や官僚批判、また小沢擁護だけでは揃えきれない説得力を、羽毛田長官個人攻撃で補おうとしているようにしか見えず、それは自分の論の浅はかさを露呈しているだけで、論議に対して不誠実かつ怠慢な、卑怯な方法としか言いようが無いでしょう。
 
 北村氏は日本の天皇と皇室というモノを全く理解していないとしか思えない発言をしています。

 ・日本に比べると遥かに大規模な英国の宮内庁でさえ、1200人のスタッフで運営されています。
 ・欧州では最も保守的と言われる英国王室ですが、バッキンガム宮殿を始めとする王室の施設は公開されており、王室一家は出来るだけ国民との接触を深めています。
 ・それに比べ、宮内庁に幽閉された日本の天皇御一家の姿は、お気の毒に思えてなりません。
 ・一般家庭から皇室入りして、宮内庁の掟に苦しめられてきた皇后陛下や、皇太子妃殿下のお気持ちを察すると、皇族方がもう少し人間的に喜怒哀楽を自由に表現できる環境を整えて差し上げる事も、国民の義務ではないでしょうか?

 ここだけを読むと、これはもうよくあるサヨクの、天皇の存在を破壊しようとしている常套手段にしか見えないです。
 イギリス王室と比べる論がたまに出てきますが、しかし王室や皇室というモノは、そのままその国の歴史に直結しているモノですから、簡単に他国の王室と日本の皇室を比べるコトはできません。
 むしろ他国と比べるコトは、自国の歴史を軽視する姿勢でしかなく、問題の本質から遠ざかる行為でしかないでしょう。
 さらに、「宮内庁に幽閉された」とは何事でしょうか。
 まったく北村氏という人物は日本の歴史を知らない人なのですね。
 過去の天皇と国民がどのような関係で結ばれているのか、一回キチンと勉強されるコトをお勧めします。
 
 後述しますが、この人は政治というモノをわかっていません。
 ウワベだけの文章や情報だけで全てを理解していると勘違いしているタイプです。
 政治に関してはたまにこういう理論家的政治オンチっているんですが、小林よしのり先生とかですね、さらに北村氏は天皇という存在の知識と実感が薄っぺらいという体たらくです。
 政治オンチ&天皇オンチ。
 いったいこの人は何者なのでしょうか?
 今回の問題を扱うにはちょっと素人すぎると思うのですが、もしかしたらキチンとした専門家なのでしょうか。
 やえはこの人のコトよく知らないので、ちょっと調べてみたら

 早稲田大学 政治経済学部を卒業、伊藤忠商事(株)東京本社に入社。2度の駐在で24年間 伊藤忠アメリカ ニューヨーク本社に勤務。1986年には Senior Vice Presidentに就任。1984年に エンプロテック社を創設し、伊藤忠アメリカの機械部門の業務を、商品の売買を中心とする伝統的な日本商社のビジネスから、テクノロジーとシステムエンジニアリングを中核とし、財務と税務の知識を駆使した、新しいビジネスへと一変させ、結果として、従業員3人で出発したエンプロテック社は、1995年末には約1500人の従業員を擁する会社へと発展した。1995年に伊藤忠商事を退社後も引き続きニューヨークに居住し、幾つかののスタートアップ事業や、慈善事業団体の役員を務める。

 という経歴の人のようで、なんですか、ただの商社マンなんですね。
 いやもしかしたら商社マンとして、また経済の分野では大変に優秀な方なのかもしれませんが、しかし少なくともこの経歴を見るだけでは政治にかかわったコトも、日本の歴史や天皇について造形が特別深いという人でもないとしか見えません。
 もちろん専門外のコトをしゃべるなとは言いませんが、それにしてもなぜこのような人がわざわざ経済問題ではなく個人攻撃に衣を借りた小沢擁護をしているのか、そんなに羽毛田長官が嫌いなのか、もしくは日本の事実上の最高権力者小沢一郎に取り入ってもらおうとしているのか、その両方なのか、何がしたいのか分かりません。
 
 政治を理解していないというのは、次の一文によく表れています。
 むしろ今回の問題の一番の本質はここにあると言えるでしょう。
 
 
 (つづく)
 

平成21年12月23日

 天皇と国民の距離感 (3)

 北村氏の政治を理解していないというのは、次の一文によく表れています。
 むしろ今回の問題の一番の本質はここにあると言えるでしょう。

 天皇の憲法上の地位を定めた、日本国憲法第1章天皇,第3条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と記述され、全ての国事行為は内閣の責任の下に行うと明記されているからです。

 確かに第3条にはこのような規定がありますが、しかし先週も言いましたように、一般的に言う「国事行為」は第7条に列記されている通りであり、どう曲解しても副主席との天皇謁見が国事行為とするのは無理です。
 まずここを確認しておかなければなりません。
 そしてその上で、明記されている国事行為意外の天皇の行為をどう判断するか、内閣がどこまで口を出すべきなのかという問題を慎重に考える必要があるでしょう。
 これは憲法問題という以上に、現代日本特有の問題ではなく、有史以来の日本特有の「天皇と国民の距離感」という、永遠のテーマとも言える、とても難しい問題と言えます。
 この部分に関してやえの聞き及ぶところで最も適切に表現していたのは、自民党の谷垣総裁です。

 首相がルール守らず「遺憾」=自民・谷垣氏
 
 民主党の小沢一郎幹事長が天皇の国事行為を「内閣の助言と承認で行われるものだ」と指摘したことについて、「助言と承認をする場合であっても、天皇の憲法上の象徴たる地位と矛盾のないように慎重な配慮をするべきだ」と主張。さらに、「今の政府・与党首脳の中に、極めてデリケートな配慮が必要という意識が全く欠如している」と語った。

 第3条で内閣の助言と承認が必要と定めている一方、第4条では天皇は「国政に関する権能を有しない」と憲法では定められており、やはり現代天皇は政治的実権を持たない存在であって、国民もそう努力しなければならないというコトは、日本の小学生すら知っている常識です。
 ここの整合性をどう考えるか、現代日本の政治においては、そこがまさに谷垣総裁がおっしゃるよう「極めてデリケートな配慮が必要」であるワケです。
 日本の国会議員であるなら、天皇の存在は日本の政治に不可欠な存在であるコトは言うまでもなく目の前に存在しているコトなのですから、意識したコトがないなどとはよもや言うような議員さんはいらっしゃらないでしょう。
 そうである以上、この問題を深く考えていなかったとしても、考えられないような程度の人だったとしても、少なくとも小沢一郎と鳩山総理は日本の国会議員としての最低限の「天皇の憲法上の象徴たる地位と矛盾のないように慎重な配慮」というモノを完全に欠いていたと言えるでしょう。
 これだけでも十分批判されてしかるべきです。
 
 もし憲法第3条だけをもってそれを根拠に、「天皇の行為の全ては内閣が口を出して当然」と言うのでしたら、それはあまりにも傲慢で独裁的な、日本の伝統と歴史を壊すだけの考え方でしかありません。
 残念ながら小沢一郎はそのように考えているようですし、北村氏も小沢一郎の発言を「正論」と言っているので同様に考えているのでしょうけど、そうであるなら、まず少なくとも憲法4条との整合性についても語るのが筋というモノでしょう。
 そして小沢一郎は確信犯なのでしょうけど、北村氏は今回の騒動によって、政治というモノが実際にはどのような動きがあって、そして結果としてどのようなコトになってしまったのかを、よく勉強して知るべきです。
 
 今回天皇に拝謁できた中国の習副主席は、中国共産党の中ではまだ序列が6位の人です。
 鳩山総理は習副主席のコトを「ポスト胡錦濤」なんて言ってましたが、別にこれは決定した人事ではありません。
 ですからつまり、まだ中国では権力争いが続いているワケです。
 そんな中で天皇が習副主席にお会いになられるという意味を、小沢一郎や北村氏をはじめとした多くの人は、政治的な意味においてもうちょっと考えるべきです。
 権力争いというのは、政治の中でも最も政治らしいベストオブ政治と言っていい現象です。
 そんな権力争いをしている中で天皇が一方の候補だけにお会いになったワケです。
 ここにどんな意図が隠されていて、どのような意味をもたらすモノと期待されていたのかというコトぐらい、ここまで言えばさすがに「政治的に全く無い」とは、さすがの政治ド素人でも分からないとは言わないでしょう。
 
 これが中国という密室政治の風土なのでわかりにくい部分もあるでしょう。
 では例えば、アメリカ大統領選挙が行われている最中に、一方の候補者にだけ天皇がお会いになったというコトでしたらどうでしょうか。
 これはもうトンデモナイ話ですよね。
 もし時の総理がこれをゴリ押ししたら、とてもじゃないですけど総理を辞任するだけでは済まない問題になるコトでしょう。
 
 でもこれは、選挙と言う分かりやすい舞台だからこそ理解しやすいだけで、しかし事の本質を考えれば、実は選挙よりも中国の政治権力闘争に肩入れする方がよっぽど危険な政治利用なのです。
 言うまでもなく中国と言う国は民主主義国ではありませんから、公平な選挙は存在しません。
 その中でポストを争うという行為は、文字通り時に流血を伴う権力闘争であり、明確なルールが存在しないからこその、何でもありの中で行われるレースなのです。
 そんなドロドロした中に天皇が介入したような形になってしまったのは、それは天皇の権威がそのまま政治闘争に反映されてしまうというコトであり、あまりにも戦後日本の天皇においてはあってはならないコトです。
 まだ公平公正な選挙に介入したという方が、もちろんダメなコトですが、中国の血みどろの争いに介入するよりはよっぽどマシと言えるでしょう。
 ルールが無いからこそ、より慎重な対応をしなければならないのです。
 北村氏はこういう政治の現実を知らなければなりません。
 
 このような実質的な「天皇の政治利用」が現実問題としてあったというコトに対して、北村氏はどうお考えになるでしょうか。
 
 そしてそれを知った上で画策した小沢一郎の行為は、この前も言いましたように、完全に政治利用であり、むしろ小沢個人の個人利用でしかないのです。
 北村氏は『常日頃は、「政局に天皇を利用してはならない」と考えている私ですが』と言うのであれば、この現実的な問題に対してどう考えて整合性をつけるのか、ハッキリと説明すべきです。
 
 
 (つづく)
 

平成21年12月24日

 天皇と国民の距離感 (4)

 小林よしのり先生の『天皇論』が詳しいですが、天皇はごく一部の時代を除いて基本的にはどの時代であっても、政治には直接関与しない姿勢を貫いてきました。
 それは時代ごとに様々な形で作られ守られてきた、いわば日本人の天皇と国家護持の叡智とも言えるでしょう。
 そして現代においても、天皇の権威を政治利用させないための叡智は、日本戦後の60年の政治の中で培われてきたモノもありますし、また憲法そのものにもそれが見受けられます。
 憲法7条の国事行為をもう一度ご覧下さい。

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 2.国会を召集すること。
 3.衆議院を解散すること。
 4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 7.栄典を授与すること。
 8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 9.外国の大使及び公使を接受すること。
 10.儀式を行ふこと。

 これら規定されている国事行為は天皇が最後の権威を与えるモノでありますが、しかし実質的な問題で言えば、天皇が何かを決定しているワケでも、意志が反映されるワケでもないモノばかりです。
 こういうとちょっと不敬かもしれませんが、天皇がこれらを行使されなくとも、実行はできるモノばかりと言えるでしょう。
 憲法や法律の公布や国会の召集は国会で決まればそれが決定ですし、衆議院の解散や総選挙は内閣が決めれば決まりですし、大臣も実質的に決定するのは総理ですし、大使に関しては先日お話した通り国際ルールで元首が行う慣例なだけであって、実質誰を大使に任命するかは行政の裁量権の範疇です。
 恩赦なども、最近は無いですが、誰を恩赦にするとかというのはやはり行政が決めるコトですし、栄典もそうですね、また外交文書の認証も天皇に決定権はありませんし、大使及び公使の接受は昨日説明した通り、元首としての役目です。
 これらは、憲法に規定されていなければ、天皇が行わなくても実質政治的には何も変わらないモノばかりです。
 唯一儀式については天皇が行ってこそという性格のモノですが、しかしこれは政治とはほぼ関係ない事柄ですね。
 天皇が深く政治と関る国事行為に関しても、このように、天皇の権威は必要であるけど、その決定には深く天皇は関わらないよう、憲法においても配慮がなされているワケです。
 
 これを踏まえた上で考えていただきたいのが、ではこの前の中国副主席とお会いになられた件は、果たして天皇の役割という意味においてどうだったと言えるのかというコトです。
 あの件は、よく考えればやはり天皇でなければ意味がなかった、天皇の代わりは誰も出来なかった、天皇拝謁するコトこそが目的だった行為だったのではないでしょうか。
 先ほど説明した国事行為は、例えば大臣認証は総理大臣が行っても中身については全く変わりありませんが、しかし副主席と会った人間がもし鳩山総理大臣であったなら、少なくとも習国家副主席にとってメリットはかなり少ない、ほぼ無いぐらいの価値にかならなかったでしょう。
 「日本の天皇陛下に会うコトが出来た」と中国国内にアピールするコトが目的なのですからね。
 つまり今回の件は、天皇の代わりは誰にも果たせず、天皇の行為そのものに意味があったコトだったのです。
 これは今まで説明した国事行為とは性格が一線を画するモノです。
 
 そして天皇そのものが目的の場合、ここに政治が働く余地が生まれるワケであり、まして今回は「ルールを破ってまで拝謁させた」というプレミアまで付けてあげたワケで、この鳩山総理と小沢一郎のルール無視のゴリ押しは、憲法に規定されている国事行為とは全く別物であり、完全に政治目的だったと断ずるしか他ないのです。
 この認識が鳩山総理や小沢一郎を始め、民主党には全く無いのです。
 またマスコミや世論一部もそうです。
 あの行為が国事行為かどうかなんていうのはどちらかと言えば形式論でしかなく、もちろん形式論も大切ですが、今回の場合はそれ以上に実質的に天皇が政治のために動いてしまったという事実を重く見るコトが、今回の本題の本質なのです。
 国事行為はあくまで形式的なモノでしか無いからこそ、つまり政治が自らの都合だけで利用出来ない事柄だからこそ天皇が行っていただくようになっているワケで、しかし国事行為ではない事柄はなぜ国事行為ではないのか、今回の問題はそこを正面から考えなければならないのです。
 単に「大使」と「外国要人」がイメージ的に似ているからという適当な理由で「一緒だろ」と言ってしまうのは、あまりにも不遜な態度でしかありません。
 「天皇の政治利用」というモノを考える上で、文章解釈的な形式論で言っても今回のコトは国事行為では全くありませんが、それ以上に実質的に今回の件が天皇の政治利用になってしまっているという事実を多くの人が認識し、問題意識を持たなければならないコトなのです。
 
 むしろそれをうまく回避していたのが一ヶ月ルールとも言えるでしょう。
 このルールはできて日が浅いそうですが、しかし政治問題になりかねない天皇謁見を、機械的なルールをつくるコトで政治的意図を極力消すコトに成功しているワケです。
 「どの政権でも、またどの国でも条件はみな一緒」とすれば、政治利用はかなり難しくなりますからね。
 こういう叡智の積み重ねこそが日本の強みであったハズなのに、小沢一郎はたった一日でその歴史を全てぶち壊しにしてしまったのです。
 
 谷垣自民党総裁がおっしゃるように、これは大変デリケートな問題です。
 一歩間違えれば天皇の権威を穢し、民主主義の根幹を揺るがすような問題にまでなってしまいかねません。
 小沢一郎の言うように、「天皇のやるコトなすコト全て内閣が口出しできる、すべきだ」なんてコトを本当にやりだしたら、日本の民主主義は終わってしまうだけでなく、天皇の存在すら壊し、そしてそれは今までの日本という国すら破壊してしまう行為でしょう。
 
 もし例えば、時の内閣がこう言い出したらどうするのでしょうか。
 
 
 (つづく)
 

平成21年12月25日

 天皇と国民の距離感 (5)

 もし例えば、時の内閣がこう言い出したらどうするのでしょうか。
 
 「天皇の全ての行為は内閣の助言と承認が必要なのだから、内閣が口出して当然だ。だから今度の養護施設の視察は、必ず岩手県の第4区にあるワシの息がかかったこの施設に入るように。
 なに? 岩手は遠いだ? そんなにお疲れなら岩手入りした次の日に休みなさい。内閣が絶対だから次の日の行事の優先順位は下だ。わかったな!」
 
 小沢一郎の言うコトが正しいのであれば、この理屈も正しいコトになりますが、北村氏はこれでも問題ないと堂々と言うコトができるのでしょうか。
 
 ましてこのようなコトがまかり通ってしまえば、もはや天皇の権威は失墜してしまうとしか言いようがありません。
 なぜ日本人は天皇をありがたく思うのか。
 それは天皇には天皇の純粋な大御心を持たれているからです。
 
 天皇がどこに行幸され、どこに行かれないかという問題を突き詰めると、やはりどうしても差が生まれて政治が入る余地が出てきてしまいます。
 誰だってできれば天皇に訪問してもらいたいと思いますから、ぜひウチに来て欲しいと願えば、そこで人と人との争いが起き、つまり政治が発生するワケです。
 そこに例えば露骨に権力を持った国会議員が介入したらどうでしょうか。
 小沢一郎が命じた日に、小沢一郎が命じた地域の、小沢一郎が命じた施設に行幸される天皇。
 今上天皇はご立派な方ですから天皇ご自身は私心を殺して国民に接しられるでしょうが、国民自身はなかなかそう割り切れません。
 政治と言う汚い下界が深く関与して決定された行幸が、全ての人が心から喜びを分かち合える場になるとは到底思えません。
 
 天皇の天皇による大御心からくる行幸なりお言葉なりだからこそ、国民はありがたく思えるのです。
 誰でもない、天皇ご自身の叡慮だからこそ、国民はそこに邪念を挟むコトなく、純粋にありがたれるのです。
 これが政治家でも芸能人でも一般人でもいいのですが、そういう人たちが養護施設などの視察を行ったとしたらどうでしょうか。
 もちろん中には純粋にされている人もいるのでしょうけど、でもどこかで、お金とかパワーバランスとかスポンサーとかバックの人物とか、そういう汚い部分を想像してしまうコトもあるでしょう。
 ある意味それは人間としての致し方ない点です。
 でもなぜか天皇の場合だけは、そのような邪な考えは沸き起こりません。
 おそらくそれは、日本人ならみんな天皇は心から純粋に私心なく思いを込められている、祈りを捧げておられると実感しているからなのではないでしょうか。
 こここそが天皇の天皇たる所以と言ってもいいのかもしれません。
 
 今上陛下が平成17年にサイパンのバンザイクリフを慰霊されました。
 あの大きな崖の上に、今上陛下と皇后陛下が頭を下げられている姿をご覧になった人は多いのではないでしょうか。
 やえもあの映像は鮮明に覚えています。
 正直涙が出そうでした。
 なぜかは分かりません。
 もしこれが他の人だったら、仮に総理大臣だったとしても、それが麻生さんとか安倍さんとか心から慰霊してくださると期待できる人であったとしても、やっぱりどこか白けてしまう部分があるような気がします。
 でも、天皇という存在はやっぱり違うんですね。
 言葉には出来ない大きな存在感と言いましょうか、心に直接訴えられる何かがあるのです。
 それを敢えて言葉にするなら、やはり天皇の私心なき大御心のなせるわざなのではないでしょうか。
 
 この天皇のあり方を、国民も自らの手で守らなければなりません。
 もしバンザイクリフのご慰霊が、政治の介入で実現していたのであれば、その時の総理が麻生さんであったとしても安倍さんであったとしても、天皇が内閣の命令でご慰霊されていたのであれば、それはやっぱり全然別の意味が出てきてしまっていたでしょう。
 天皇の政治の介入とは、天皇の意味そのものに直結するのです。
 だからこそ天皇の大御心を国民こそが守らなければならないのです。
 そうしなければ天皇の意味は無くなってしまいますし、それは日本のアイディンティティすら消失してしまう事態になりかねないでしょう。
 
 北村氏は、こういう日本人の自然な感情も理解出来ないのかもしれません。
 天皇が政治に利用されればどんな事態になるか、想像も出来ないのでしょう。
 戦前だって、天皇は形式的には統帥権がありましたが、実質的にはほぼ決定権を公使せず、権威だけに専念していました。
 それが天皇と日本国民との何千年にもわたって培われてきた間柄なのであり、日本にとってそれが最も自然な形なのです。
 いつの世も、常に天皇は政治の世界からは一線を画され、一段高い場所で権威を示されて、国民のコトを思ってくださっているのです。
 それが天皇という存在だからです。
 
 政治が天皇に介入するというコトは、国民の心をないがしろにし、天皇の大御心を汚すというだけでなく、数千年にわたって培われてきた天皇と日本国民との関係すら壊し、天皇を、日本を破壊するコトに他なりません。
 北村氏はおそらく文字の上のコトでしか頭が働かないタイプの人なのでしょうが、それだけでは政治や天皇を語るコトはできません。
 単に憲法に「内閣の助言と承認を必要とし」と書かれてあったとしても、それだけをもって全ての事象を一括りにして解釈するというのは、現実を生きる人間をバカにした行為としか言いようが無いでしょう。
 特に日本という国は、世界で一番歴史が長い国です。
 なぜここまで日本だけが悠久の歴史を育んでこれたのか、そこを顧みる努力も時には必要でしょう。
 まして憲法には天皇の政治不介入の条文もあるワケで、この整合性を鑑みる場合には、必ず日本の天皇という存在のあり方、それは歴史に裏付けられたあり方というモノを振り返ってみる必要が必ずあるハズです。
 北村氏はその努力を怠り、私怨なのかそれとも小沢一郎に取り入られたいという欲望からなのかは分かりませんが、文字を流し読みしただけの解釈で強引に小沢擁護論を繰り広げても、それは北村氏は意識していないのかもしれませんが、亡国への議論になってしまっているというコトに気づいてもらいたいです。
 
 『宮内庁を次回の事業仕分けの対象として透明化する事が、国民や天皇ご一家にとって喫緊の課題』なんて言ってますが、事業仕分けのごとき他人任せのメイクドラマにうつつをぬかす暇があるなら、ご自分の頭で日本の歴史や天皇の歴史について勉強して熟考されるコトの方が先決かと思います。
 
 
 (おわり)